『認識領域世界モデル』(試案)
ここに一つの「認識」がある。これは「認識」であるから物理的に働きとしてのその大きさを規定する事は不可能である。
不可能ではあるがしかし、仮にその広がりを無限大とするモデルを仮定する。
仮にこれを「絶対無限認識」とする。
広がりが無限であるが故にその認識力もまた無限大であると規定する。
またその認識力の最小単位についても規定出来ず、ここに無限に小さい認識力も規定せざるを得ない。
これは「認識」であるが、単一な認識としての存在であるため、認識すべき主客を生み出しておらずそれを認識として捉える事はそれ自体において不可能である。
ここで「絶対無限認識」をある場所として中にもう一つのある「認識領域」、もう一つの認識する「視点」を設定してみる。
この時、初めて「絶対無限認識」との間に認識しあうものどうしとしての主客の対立が生ずる。
そしてまた別に「絶対無限認識」の中にもう一つ第二のある視点としての「認識領域」を造ってみる。
するとここに先に創造した「認識」と新たに創造した「認識」との間にお互いに認識し合う関係性が生ずる。
この関係性を仮に「認識領域間関係」とする。
この二者の関係性は互いに各々自らの認識を介して互いに認識し、認識される関係であり、それぞれの認識力を介して確かに「実在」すると認識しあう関係性である。
これら各々は互いに認識すると同時に認識される関係であるため、このある範囲を持つ認識領域を一つ一つ仮に「被認識可能認識領域」とする。
更にこれらの視点、「被認識可能認識領域」を「絶対無限認識」内に無限数創造し、それらに認識力の強弱を生み出してみる。
そしてこれらが「絶対無限認識」内で自らを認識しようと試みた時、自分を規定するのは他の「被認識可能認識領域」との関係性のみであり、またその規定されるべき働きの大きさは実にそれ自体の認識力による。
ここで絶対無限認識は個々の被認識可能認識領域をその内に含むのであるからその被認識可能認識領域が認識している対象、つまりその被認識可能認識領域以外の同領域をその視点を介して認識可能である。
同時にその被認識可能認識領域もまた最小単位の設定出来ない認識性質としての存在であるため自らと絶対無限認識との関係性同様、その内に新たな被認識可能認識領域としての一領域を創出可能である。
そして同様に内に含む被認識可能認識領域の視点、認識力を介して内なる他の被認識可能認識領域を認識可能となる。
そしてこの絶対無限認識内に無限の被認識可能認識領域が他をその認識を通じて実在として認識する無限の系が創出される。
「認識領域間関係」を具体的に考えてみると、その系においての事象を表現しているのはその互いに認識しあう影響のみである。
被認識可能認識領域Aが被認識可能認識領域Bと認識を介して接触、関係性を持った場合、AとBとの認識内容と互いの認識の変化によりその場においての事象が現出する。
全てその系内ではこの各々の関係性により事象が現れ、系として世界を形成する。
ある認識力を持った被認識可能認識領域と同程度の被認識可能認識領域、更に殆ど認識力を持たないそれ(系内では静的、個物的に有る)との互いの認識関係において世界を存在しむる。
また、このAとBとの関係性には概ね次の三種が考えられる。
1、互いに単純に認識しあい、影響しあい、事象を現出するだけの関係性。
AはBと接触したままでその関係性は認識後も不変である。
2、認識に適合性を持たず、互いに認識領域間関係の希薄な状態となる関係性。
各々の認識すべき対象の減少に通じ、その認識力の減弱に帰着する。
3,認識に適合性を持ち、互いの認識力の密接性を増す。認識対象の増加に通じ、
その認識力の増大に帰着する。
また、絶対無限認識内のある一領域、つまり一つの被認識可能認識領域としてのある場所をクローズアップした時、
その中の前AとBに加えそれらを含みそれらの認識力を超越している認識領域をその場における絶対的場所的存在、仮にこれをその関係性上「絶対的場所的認識領域」Sとする。
この認識領域間関係が上記1〜2であった場合、AとBのSに及ぼす影響はそのSの認識力の不変、または減弱である。
しかし、もし3であった場合、例えばAがBをその認識領域として一部、或いは全体として内包する方法、或いは両者ともに完全に認識内容を共有し、つまりAがBと認識の働きの上で合一し
Sの大きさの認識領域としてその場所内で機能する様になる。
そのSへの影響は認識力の増大である。なぜならばAはA、BはBとして合一前の認識領域をそのまま保持しながら更により大きな結合部分、新たな認識領域を持つからである。
これが認識としての性質である。
またここにおける「事象の現出」もそれぞれの被認識可能認識領域の認識の域を出ない事は自明の理である。
そして、ある認識領域にとって起こりうる事象も、また他の同程度の認識力を持つ被認識可能認識領域も殆ど認識力を持たない認識領域もそれにとって明確な実在であるが、
「絶対無限認識の真の認識」上は真実としては存在しないものである。
絶対無限認識にとってその内に一つの視点も持たない場合、そこには絶対無限認識が独存するのみである。
いや、認識すべき客を持たない認識発生の母体が只無限に存在するのみである。
ある一つの被認識可能認識領域にとっての実に認識を媒体とした実在の世界に過ぎない。完全に唯識的な系である。
ただ、ここで認識として創造される世界としての独我論が考察すべき一論として浮かび上がってで来るが当モデルはこれにも一解答を与えるものと考える。
つまり認識するある個が世界内の他の存在のその認識力、意志の有無を断言する事は確かに不可能である。
しかしこれはその内的世界の変容において世界が変化する関係性を述べられない意味において不完全ある。
その世界においてその個が独我であるならばその世界は個の変容にのみ追随するべき変化の用意が必要不可欠であるからである。
しかし、認識領域モデルにおいては事象は相互の認識領域間関係の上に成り立っているので常に個々の認識領域がその変化の主たる役割を保持出来る。
全ての事象は全てのその事象を起こすべき認識間の両者の為に用意されている。
両者ともがその事象における主であり関係結果の利得の勝者である。
その意味において系内に存在する全ての認識存在にとってその系が独我的世界である。
より広い概念として提示できる。
そしてこの系の性質として部分が全体を構成し影響を与え、且つまた全体があらゆる極微の認識領域の部分の背後にもその存在原因として永遠に存在している事である。
さらに部分のどの一部にも全体、つまり絶対無限認識の特質の全てが凝縮して存在している事である。
また、その事象の存在する世界が無限大としてもなんら矛盾が無い。
そしてその個々の被認識可能認識領域の性質や認識力の差異、他の被認識可能認識領域との関係性によってどの様な多種多様な事象世界でも絶対無限認識内に生み出すことが可能である。