ロゴスと真理と暗黒面について(まじレス希望)

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<悟り、神との合一の瞬間について>

ではその「神との合一」、「入我我入」「無我の境地」という時に具体的にはどういう事が起こり、
どういう状態となるのか?
肉体をもった場合には特に「座禅」が有効であるとされこの禅の見地からいうと「心身脱落」
または「即身是仏」という用語になると思うんですが、ある現代の覚者は自らの宗教経験をもとに次の
各段階を経て到達すると述べています。

1、霊感:(自分と高位の神霊との)対立における部分的交渉
神霊と人とが存在上今だ対立的で自己の意識もあるが、しかし自己という個的存在のみのために
活動し存在するという状態はほとんど否定されている。そのかぎり利己的個的活動性はその否定の
極限にまさに達しようとしている。

2、単純な一致
利己的存在性(自我性)が全く否定される段階
或る場合には個は自己の内への神霊の流入とそれとの一致を感得し、他の場合には
この個においてそれを生かし支えているものがあらわとなる。
(続く)
501:02/06/28 21:57
(続き)
3、エクスタシー:無意識的無感覚的脱自状態
超越者の働きがより盛んとなり、超越者の個的流入或いは顕現が全的に行われる。
超越者が全体的存在を一個の存在へ流入し、或いは顕現する。
この時、この個的存在は自己の一切の活動を停止せしめられて、その流れ或いは顕現を
受け入れる。
受け入れつつ個的存在の活動を続ける事は超越者の全体的流入、顕現の前には不可能である。
個はその意識、感覚、肉体における活動においては全く仮死状態となり、その存在においては
超越者の活動の場所となるに過ぎない。

・・・つまりあまりにも大きいものが体の中に入って来たので失神してしまったという事
ですね、しかし、いつまでもこうかというと、更にこの状態を超えて利己的自己存在の否定が
進むとついには・・
(続く)
511:02/06/28 22:08
(続き)
(上の様な状態はイスラムのマホメットに見られたそうですね。)

(続く)
521:02/06/28 22:22
4、神霊との全き一致 

・・・が起こる。
ここでは個としての個の個体性は全く否定されて個(個の魂)は神霊そのものとなる。
神霊としての個は自己に即して自己の中で働き自己を支えている神霊(モナド、超高我)そのもの
と完全に一致する。
その究極においてはすなわちその個がそれによって生じた神との完全な合一においては個の個体性は
純粋な霊においても肉体においても無となる。つまり個としての霊、肉体は完全に無なる。
しかし、この場合それにおいて個の霊、肉体が生死する(場所的)神を絶対無と考える必要はない。
ここの(場所的)神は「有」である。
531:02/06/28 22:45
・・・個がそこで生死する場所(的神)を神秘家は感得し、それに接しうる。ところで個体的有が接しうるものはやはり
有でなければならぬ。有は無には接しえない。なぜなら有が絶対無に接する時、有は絶対に無となるがゆえに。
したがって生死の場所は有である。

個との対立においてあった場所的神はそれとの完全な一致による個の消滅によって必然的に
なくなる。そこには個と対立する神ではなく、個との対立を超えた個と個に対立する限りの神とが完全に一と
なった神そのものがある。しかし、この神は本性上創造する神、働く神、有がいかなる意味において
であれ感得し、接しうる神として有である。

具体的に言うならばキリストが「わが父」と呼んだ神は絶対無ではなく、上で言った有としての生死の場所的神
である。
この場所的神と全き一となりうる個は個(体性)を死なねばならぬ。
また、この場所となる事によって個を生ぜしめ、滅しむる事ができる。
つまり場所となり個となる。

・・・などと述べています。
(続く)