生きていても死んでも、神の支配下にある。
この支配から抜け出る方法はあるのか。
一瞬でも神の支配外に出られないか。
人を殺しても殺されても、神の支配下だ。
神の支配下の外は、どの様なモノだろう。
自分が神になる。
代わりの人を神にする。
神=宇宙の法則ですか?
狂気は、神の支配外かもしれないが、
自己の意識が破壊されているから駄目だろう。
狂気で且つ自己の意識が正常な状態が、神の支配の外かな。
7 :
考える名無しさん:02/06/18 01:25
そんなものはいない
神を殺すのだ。
神=世界⊃自分⊃自分の意識、狂気
だろ。
どうやって逃れるっての。
10 :
文無しさん :02/06/18 01:30
支配下かって何で判断するの?
支配下で不都合でも?
11 :
考える名無しさん:02/06/18 01:31
R=R^nをつかうのだ!!!!
12 :
考える名無しさん:02/06/18 01:33
そーそー。神と戦ってもムダだが、神の威を借る奴らと戦うのは、
ムダじゃない。
ボクと一緒にヘブライ語学ぼうぜ!
あ、ボーヴォワールの別れの儀式の対談部には
「君と僕のように無神論者で長い間一緒にいると神は殺されるんだね」
みたく書かれてたよ♪
神がいなかったせいでトイレから出られなかった経験あり。
実験的に、「一瞬でも神の支配外に出られないか」かどうか
試してみたい、ただそれだけなのである。
世界中から神という概念を消し去るべし
クスリ。
これ実験アルネ。
マルローも老人に語らせてるよ、阿片の重要性を。
18 :
考える名無しさん:02/06/18 01:37
それなら、日々の実践でOK.
もっとも、支配下から出たことが認知されるや否や、再び支配下に
神に納められてしまうだろうが。
クスリイイデスネ。
我々の行動は、跳んでも跳ねても”刷り込み”の中のことではないか。
神=人間が創造したキャラクター
そーそー。
あなたの心さえ折れなければ、神に先回りされることは無い。
あっつー間に追いつかれることはあっても。
24 :
考える名無しさん:02/06/18 01:43
>>23 瞬間を客観視してたら病人扱いされたんだ・・・(泣
>>24 「わたしが神だという事が理論で証明された」ってか?(w
神は私達を支配しているのではない。
私達は神と共に支配しているのだ。
>>24 何ひとつヒネリナシの離人症診断(泣
機械仕掛けの神って誰の言葉だっけな?
28 :
考える名無しさん:02/06/18 02:28
人はシャーマンの次に王が生じたことを忘れてしまったらしい・・・。
交通の無い世界で偶像が拝まれたのを『偶然』の一言で片付けられるものか。
神にはモデルがあったはずだ、と言うのは短絡的だが、
人はモデルの無いものを表現したことは無い。
29 :
( ゚д゚)ポカーン:02/06/18 02:28
このスレも発散スレ。意味が無い
30 :
考える名無しさん:02/06/18 02:32
「はじめに言葉ありき」
聖書のこの語句は非常に含蓄のあるものであろう。
31 :
考える名無しさん:02/06/18 02:37
>>30 「そこまで武装すんなよ。いじめないからさ。」といいたい。
32 :
考える名無しさん :02/06/18 02:39
神は人間が創り出した観念上の産物。
だが人間の意識では、そのことが倒立して、
神の存在が所与とされる(神が人間を創り支配している)。
神の支配からの離脱は、この倒立を再転倒して、神=人間の創りしもの、
という本来の在り方に戻ること。神の支配とは人間の支配のことただから
人間の人間に対する支配の根絶がその目標となる(神による「人間の解放」
ではなく、人間による人間の解放)
お前らこんなくだらねえ話して面白いのかぇ?
お化けがいるいないを論争してるのと一緒だぜぇ
>>32 君が、そう考えるのも、神の手の平でのこと。
>>30 「アラヤシキ」とか、「刷り込み」のことが、
「始めに言葉ありき」だったら、
聖書を書いた者は、感度が高かったのだなあ。
>>10 支配外に出られれば、支配下の事が理解できる。
まずこの世が神の支配下にあることを証明してくれ。
38 :
考える名無しさん:02/06/18 04:59
ボクはとりあえず聖書を読むことをすすめるよ。
得るところは多いから。
「初めに言葉ありき」なんていう言葉をむやみに用いることもなくなるから。
その言葉はたしかヨハネ第一の手紙からのもので、イエスの言葉でもヤハウェの言葉でもない。
まず中公名著で読むのがいいと思うよ、とっても読みやすいんだ。
ちなみにボクが衝撃を受けた言葉はイザヤ書で引かれたヤハウェの言葉
「あなたたちはくりかえし聞くがよい、だがしかし決して悟ってはならない
あなたがたはくりかえし見るがよい、だがしかし決して知ってはならない」(7,9)
聖書読んだらパスカルも読み直してね♥
第一の基底を神と考えると
えー 相対的な真理に落ちた学問の科学性は
皮肉です。
科学的な真理は単なる科学者のアクラメーション
つまり拍手喝采にしか根拠を持ちませんから、
相対的です。
しかし抽象的な次元で第一の基底を
抜きにして結果相対主義に陥ることは
ありません。
なぜなら(脳内)事実が現実を構成しているからです。
41 :
考える名無しさん:02/06/18 07:00
>>38 どうでもいいがヨハネ福音書だぞ、、
第一の手紙、ではない。。(藁
「あ、しまった、、、」
晴れて恥辱死
43 :
考える名無しさん:02/06/18 08:05
エクリチュ−ルの恣意性だろうな。
それが、紙を逃れる唯一の手段だろう。
44 :
考える名無しさん:02/06/18 08:37
人間が神を作った?
いえ神は不動の第一原因ですから。。。
原因・結果律を思考において採用する限り
神概念は自動的に措定されるのです。
いうなれば人間が、というより
原因・結果律が、というべきでしょう。
まさに始めにロゴスあり!!
45 :
考える名無しさん:02/06/18 08:46
ちなみに紙を厳密に定義する必要があるな。
西洋=キリスト教的な紙はGodとキャピタライズされる。
そして、それは範例的存在者という意味合いで中世では使われていたけれども
自然との関わりにおいて定義されてきた。
人間は自然に対して無知だが、紙は全知であるということで。
神と人間との「転倒」はデカルトに起こったという見方が一般的だが
「存在と時間」においても、このデカルト主義は継承されている。
そこでは現存在が範例的存在者という定義を下されていて、存在の意味への問い
の探求において存在-存在論的優位を与えられる。
そして、これは
現存在から存在への「転回」の過程において改められるが、結局のところ
これも、存在をtranscendentalis と規定した中世哲学の定義に従っている。
いずれにしても、このような超越論的視点は人間学的であっても存在論的であっても
キリスト神学と深く結びついている。精神分析も例外ではない。
そのような超越論的=神学的な視点を全て排除するような思索を目指したのは、ローティの
ネオプラグマティズムだと思う。
しかし超越論的視点を削除して至りつく果ては相対主義、
ローティのプラグマティズムは相対主義の謗りは免れえないだろう。
46 :
考える名無しさん:02/06/18 08:48
カントでは究極善の体現者でなかったけ?
47 :
考える名無しさん:02/06/18 08:50
体現はまずかった。象徴に訂正。
ちょちょちょっと待ってくれ。
それじゃ「そんなものはいない」に対する
「そんなものはない」ってことか?
「体」はちがうか とおもってのう…。
50 :
日本仏教哲学100年の集大成:02/06/18 12:47
51 :
考える名無しさん:02/06/18 12:55
>まさに始めにロゴスあり!!
というよりも、はじめに先と後あり、に思えるYO.
>>44
52 :
考える名無しさん:02/06/18 13:21
神に対する対処法は幾つかあるぞ
1、存在しない、信仰しないとする共産主義方式
2、とても沢山増やす事により個々の存在異議を薄れさせる800万人の神々
3、新しい神様でっち上げて信仰する
53 :
日本仏教哲学100年の集大成:02/06/18 13:24
人格/非人格の区別と、神/法の区別と、あとはその組み合わせだと思うよ。
54 :
考える名無しさん:02/06/18 13:44
ううん?すまん、他のスレッドでも会ったが、もう一度
ヴァかの俺の為に説明してくれ。
端的過ぎて・・・・・しかし何となくいいトコ突いてる気がする。
そこに手が届かないのがもどかしいんだ
55 :
日本仏教哲学100年の集大成:02/06/18 13:48
>>54 カントは神と対立する物を考えて、人間は神を直観だか認識するようには物を認識できない、
という物限定の不可知論を唱えた人だろ。ちがうっけ。
56 :
考える名無しさん:02/06/18 14:40
ああ、ヒュームの不可知論に対するアレか?
ア・プリオリな直観形式ってもなぁ・・・・・。
感覚の束 対 先験的経験論じゃ水かけになっちまうし。
誰か詳しい人来ないかな。と言うわけで
あげ
57 :
考える名無しさん:02/06/18 18:40
というか、神、という言葉だけじゃなにもわからんよーな気がする。
神を語るときには常に体験が伴うのではないのか。
それがないまま、ロジックとか不可知とか可知とかうっせーみたいな(w。
……こんなこというと、総攻撃かもしれないけど
哲学的認知の背後には、本に書かれたロジックでは追従できない、
宗教的感情が横たわっているように思える。
<善>の問題にせよ、なんにせよ。
58 :
考える名無しさん:02/06/18 18:47
殺せ!殺せ!殺せ!殺せ!殺せ!殺せ!殺せ!殺せ!殺せ!殺せ!殺せ!
殺せ!殺せ!殺せ!殺せ!殺せ!殺せ!殺せ!殺せ!殺せ!殺せ!殺せ!
神を殺せ!
59 :
考える名無しさん:02/06/18 18:49
神よりマンコだろ。
バタイユの過剰について考えたことある人は
何かカキコんでキボーン!
61 :
考える名無しさん:02/06/18 19:35
マンコよりアナル
ボク実はアナルに興味持たないようにしてんだよね
アナルやっちまうとゼッタイ男とやってみたくなるからさ
アナルの征服と神、お前に何が関係あるんだよ、二度とスレ汚すな 屑!
63 :
考える名無しさん:02/06/18 19:51
>ボク実はアナルに興味持たないようにしてんだよね
>アナルやっちまうとゼッタイ男とやってみたくなるからさ
禿げ同
>>57 実はボク、本を一冊も読まない高1時代に神的体験してるんだよね
光の絨毯みたいな海を見て、「これ神だ」と思ったの、伝わりづらいけど。
人によったら俄か雨とか雲の切れ間から光が差し込んだりするのを見て
神を感じたりするんじゃないかな、あとはバッハとか。
モーセは虹をヤハウェとの契りを確かめるものとして言ったんじゃなかったけな・・・
自分もそうだよ>64
<善>の片鱗に触れた、その圧力にはじかれた、
と思えるような体験があったからこそ、
<善>に異常に拘っている。
言葉だけなんて、信用していない。まったく。
それは、人の社会的な営みに過ぎないと思うから。
>>65 マジレスありがと
<善>への拘泥か・・・
全<全>を己の中に見出せるように拘るとどうしても神に頼らざるを得ないんだよな、きっと。
ボクの場合、自己世界がまっしぐらに崩壊した(藁
で、崩壊したエゴがボクに何を言わせたかっていうと「感情こそすべて」「無関心は罪だ」「経験を尊べ」
みーんな卑怯なアプリオリ<善>!
結局ボクには何にも帰ってこなかったから、あきらめてほとんど怨恨みたく本読み出したんだけどね。
ボクの心理に神様の恥部に向けた好奇心があることはあるんだけどそれを必死に隠匿するように心がけてるかも。
善と悪は、同一線上のモノ
善は悪を好み、悪は善を好む
68 :
考える名無しさん:02/06/19 04:00
神から逃れるのは容易い。
しかし、神の手の者から逃れるのは、至難を極めるだろう。
69 :
考える名無しさん:02/06/19 06:01
神って偶像のこと?誰かが想像する神のこと?
絶対神って言葉は簡単に使えて便利ですねェー
70 :
考える名無しさん:02/06/19 06:36
スレでは「逃れきるための神」を話すべきなんだから
個人の神なんじゃないかなぁ
71 :
おいら・よんま〜:02/06/19 06:38
「ことば」があなたを救うのです。
ただまだあなたには、その組合せが創れないのです。
神はことばに宿ります。
さあ、あなたのことばを聞かせてください。
72 :
考える名無しさん:02/06/19 06:39
げろげろ
>>72 すばらしい言葉です。
あなたはすくわれました。
74 :
考える名無しさん:02/06/19 06:48
「ほんとに宿っちゃったかも・・・」
どうしたらいいんですか、ヒトラー先生!
そのあなたの神の宿ったことばを人々の聞かせ、
世界をすくってあげてください。
さあ、聞かせてください。
76 :
考える名無しさん:02/06/19 06:56
「嵐呼子とヒトラーせんせはちがいます!」
さあ、もういちど、
何度でも聞かせてください。
78 :
考える名無しさん:02/06/19 06:58
げ、、 げろげ ろ ?
ああ、すばらしい。
わたしもすくわれました。
その調子です。
げ ろげ ろ、、 、
げろげろ!
げろげろ!
げろげろ !
ほんとうにすばらしい。
もうあなたには、わたしが必要ありません。
立派なことばの伝道師です。
わたしはつぎの子牛たちをすくいにいきます。
あなたもわたしたちのようにそうしてください。
あなたはほんとうにすばらしい!
あー、よくわかったよレスサンクス げ
ろ
げ げ
ろ ろ
げ ろ
ことばだよー。
神なんて結局ヒトが都合よく作り上げたもんだろ?
ヒトの考えなり、大衆による文化的な高まりなりで作り上げられた「神」というものから逃げられるわけがないとおもうが・・・
>>70 それ、あたってるかもな。
「紙から逃れきれない」という逼塞感は個人的なものだし
げろげろ で片付けられるヤシもいるし。
じゃあ、個人の紙って何だ?普遍的無意識云々〜ったら某ゲー
みたいになっちまうけど、やっぱそういうモンかな?
88 :
考える名無しさん:02/06/19 09:48
じぶんが神です。
89 :
考える名無しさん:02/06/19 10:41
>>86 そう。多くの人は神の支配下にあるのではなく、人が創り出した神の言葉
の支配下にある。そして、支配されている本人もその支配を望んでいるし、
自らもまたその神の言葉で他者を支配しようとする。
結局、神は人が創り出し利用してきた支配のための口実・道具なんだよね。
キリスト教の懺悔ってぇのだって、結局は自己中と言えなくもない。
神とかいうのに罪を話せばその罪は許される。
ハァッ?って言いたくなる。
結局、
神=人間のエゴ
ってことだと思う。
91 :
考える名無しさん:02/06/19 12:10
それらは後付けされた神とそれに準ずる権力機構及び布教の為の要素で、
アミニズムから来る信仰(畏怖?)やより根源的な人間の上位知覚としての
神はどうなってくるのか、という問い
92 :
考える名無しさん:02/06/19 18:26
ブレインヴァレーって読んだことある?
神は信者を増やすことで自らの存在を増殖させる
脳というネットワークの中で生きる生命
ってなこと言ってるんだけど
たしかに神をどう解釈しようとその瞬間に神の存在が脳の中に発生したことになる
神をホントに生命と考えると神の定義は神自身にとってはさほど問題じゃない
となれば支配だとか信仰だとか善悪だとかは
神ではなく人から生まれた意志ということになる
93 :
考える名無しさん:02/06/19 20:07
94 :
考える名無しさん:02/06/19 20:49
95 :
考える名無しさん:02/06/19 21:03
ハンマーで一撃
96 :
考える名無しさん:02/06/19 21:54
足腰を鍛える。
97 :
考える名無しさん:02/06/19 22:06
逃げる必要なんかないさ。
98 :
考える名無しさん:02/06/19 22:48
気付くだけで良い。
神とは何か、あまえら天才なら答えろよ!
「あまえら」とは何か?
神よりも難しい問いだ
「あまえら」は某地方に伝わる銘菓。ほっぺがとろける。
べらんめぇ調でしょ。
「っっっあまえるぁ!」
「へい!」
「あまえるぁの命、あるぇが預かったぁ」
「へい!」
103 :
考える名無しさん:02/06/20 10:31
>92
それ、それ。ネットワーク模倣子の話。
でも布教させるのはヒトであって神、そのものではない訳でしょ。
心的体験とかも多いみたいだけど、それを他人が知覚出来るかったら
そうでは無いし。てことはそれは本人の勘違いかも知れないわけで、
で、その定義の場合神=人間になるから前述した問いの前提をもう一度
繰り返しているだけなのさ。神は人間の脳の中にしかいないでOK?
そしてそれから逃れえる方法は。
104 :
日本仏教哲学100年の集大成:02/06/20 10:41
>>103 模倣子(ミーム)はいいから、「ネットワーク」と冠を付けるのはやめておくれ。
信者自身を滅ぼすミーム(というかふつうは「思想」というけど)の典型的とされる例として
鞭撻教団があるから調べるなどしてちょ。
105 :
考える名無しさん:02/06/20 10:45
106 :
日本仏教哲学100年の集大成:02/06/20 10:48
>>105 分かってて書いていたならかえってすいません。
鞭撻教団の例から考えるに、
・信者同士の性向を禁じる
・信者が自らを鞭打つことで、神に対する悔恨を表す
この両者がセットになった教義内容を冷静に考えれば
信者が減って教団が滅びる気がするのですが信者はそうは考えなかった。
よって事例から考えるに、「いったん感染したら治癒する方法はない」
ということでひとまずはいいのではないでしょうか。
107 :
考える名無しさん:02/06/20 10:52
>106
概ね同意。
「なかなか治癒する方法はない」の方が適切かと思われ。
壊滅直前にヘタレる神もいましたし(w
108 :
日本仏教哲学100年の集大成:02/06/20 10:59
>>107 いましたいました。今世紀アメリカ合衆国の例だと思いますが、
パーフェクティズムというのがあって、これも確か
「人間は性交(上では誤字)しないことで完全になる」とかいう信念体系で、
でも結局そうでもないという事になって信念を共有する共同体の少なくとも一部は
円満解散したと聞いています。
109 :
考える名無しさん:02/06/20 11:04
『神の痛みの神学』って知ってますか?
あれ、無神論だと思うんだけど。
110 :
日本仏教哲学100年の集大成:02/06/20 11:08
>>109 知らないので紹介していただけるとうれしいのですが。
ちなみに
神は絶対善→人間は無→人間同士は無という意味で平等→法治主義
というのが割りと健全な流れで、非人格的な法の統治と人格神信仰とは
必ずしも対立する物ではないです。というか、法律家に対する人格崇拝を防ぐ
プラスの効果もあると思われるんですが。
111 :
考える名無しさん:02/06/20 11:14
同名タイトルの本が講談社文庫に出てます。
北森嘉蔵という人が半世紀くらいまえに書いた神学書で、欧米の神学界でも有名らしいです。
「日本人による初の神学書」とか。
「痛む神の愛は実体概念でなくして、関係概念である」とかね。
でも実体じゃないなら、それは無神論といわれても仕方ないんでないかと思ったんですが。
神を外しても適用できちゃう。
112 :
日本仏教哲学100年の集大成:02/06/20 11:20
>>111 「神みずからが痛みを感じる」であるとか
「神は私の痛みを共感してともに苦しんでいる、苦しみ痛みを分かち合うことで
私の孤独と痛みを癒してくれる」
という方向性だと神学なんですが、「人間同士の関係における自我の苦しみを
神という実体のない概念になぞらえて物語化し自ら癒している」となると
非人格唯一神信仰になりますよね。「無神論」といってしまうと、上記の様な
神の実在を信じ、かつ個人的な自我の信念の及ぶ範囲でそれを否定する・・・という
ニュアンスになってくるようです。
ちょっと、その本の内容が無神論的なのか、111さんがそうなのか
感じがつかめないので、もうちょっと詳しく紹介して頂けますか???
>「神みずからが痛みを感じる」であるとか
>「神は私の痛みを共感してともに苦しんでいる、苦しみ痛みを分かち合うことで私の孤独と痛みを癒してくれる」
これで適当だと思います。
そんなに詳しいわけじゃないんでえらそーには語れませんけど、
近代的な神学の「神の愛」の概念の平板さに対して、もっと世界の分裂の痛みそのものをみずからの感受性で引き受けようとする、
その一体性によって癒されよう、というような神学らしいです。
でも個人的に、それって如何にも日本的なセンチメンタリズムから発してる思考のような気がしたんですよね。
そこから神という全一性を外しても十分可能なんじゃないか、と。
114 :
日本仏教哲学100年の集大成:02/06/20 11:35
>>113 日本は割りと仏教というか、ヒンドゥー神学が地方によっては浸透しているみたいで、
非人格的唯一神(ブラフマンであるとか梵であるとかいうものですよね)が世界だかを包摂していて
その胎内だかで自然が文節だか分裂だかして自分とその母体だかが切り離された・・・という世界観を持っている人が
おもいがけずですが自分が見た範囲でも見かけられたりします。
難しいのですが、実際には人間関係の板ばさみで分裂した自我だがを内面から描写するのに、
統一的な方向性というか凝集性というか、そういうものをもった神概念を導入していくというのは
大きく言って神学の一部であると言っていいのではないでしょうか。欧米からみればということでは、
東洋的なセンチメンタリズムというか、ペシミズムからの転向・改心という受け取り方でしょうか。
115 :
考える名無しさん:02/06/20 13:32
走って逃げろ!!
116 :
考える名無しさん:02/06/20 13:41
>>114 再凝集すべく分離する過程に、再凝集のための力としての神を
遡って作用させようとするところに、曲芸めいたものを感じる。
この感覚は、実は洋の東西を問わないのでは。
知らん振りしとけば。
118 :
日本仏教哲学100年の集大成:02/06/20 14:04
>>116 まあ、自我だとか人格とかは、個々人が成長する過程で内面から得られていくものではないでしょうから、
神との関係で統一された自我を得て他を再凝集する・・・と記述される内面の過程は、万物の起源である神に関する神概念を
共有する人間関係、つまり結局その神名を掲げる教団の中で得た地位に依存して他を切り捨てるという形での
実際の行動につながりかねないですから、家族なんかから見たらびっくりする事態ですよね。
神は分裂を“痛む”っていうのがそのモチーフですよ?
“痛む”というのが大事なんですよ。けれどそれは父神受苦説ではないと北森は説いてます。
世界は分裂していて、それは統合不可能であるが、統合不可能なその裂け目の痛みを神は“痛む”のだ、と。
それは、神が“痛む”その世界の分裂の痛みをそのまま生きるその感受性に救いを見出そうという神学だと思います。
平板な神の愛による一体化の癒し、その「統合」の力に抗っているわけですよ。
キリスト教神学だから、それは結局聖書の解釈を通じて立証されることになるんですけどね。
北森は、世界の分裂を“痛む”、その感受性によって世界の分裂をそのまま生きようとするところに、多分普遍性をみているわけです。
しかし、それは実体概念としての「神」概念を否定してしまうもののようにも読めてしまう。
大概「神」といえば、このスレッドでもそうなっているように、一体化する「統合」の力として読まれてしまう、そういうものでしかない。
>>119 北森氏の原風景は、
>>114で書いたような「母体としての自然からの恒久的な分裂」といった
モチーフを忠実になぞっていると思いますよ。母神受苦説ですね。類型的にはカーリー神信仰とか鬼子母神信仰が
そうといわれている気がします。。
一神教の信仰集団はなにかと息苦しい様な気がしますが、上に書いたような状態は最悪で、
ですので宗教的回心を経て(改心というのは誤タイプです)キリスト教に目覚めてしまったと推測するのですが。
ちなみにカルトというのは、あれは目のない台風みたいなものです。カルトの教祖はなにも悟ってない。
悟ってない、空白(虚無)を知らないから、教祖ははじめみずからがつくりあげた権力機構の中心部にいて権力者としての自我をいたずらに肥大させて、やがて我を見失う。
閉塞した権力機構と外部との臨界点にまで肥大したその自我が、外部との摩擦に耐えられなくなって暴発し外部から潰されるか、自滅する。
心中御察し致します
いや、北森の場合、大事なのはそれをみずから“痛む”ことなんだと思うんです。
その感受性を生きることによる一体化によって癒される。
ひとことで言えば、苦しみに意味を与える。
分裂は統合されないけれど、統合されない“痛み”を神の道として生きることに、特殊な癒しがある。
>123
・・は?
それ僕のことですか。
だとしたらそれ勘違いです。
僕そんなに愚かじゃないですから。
そんな言葉を返したくなってしまうあなたの心中をこそ、御察し致しますが。
ほうですか、ではまた。いずれ。
いちおう、虫歯みたいにほっといておいても治らない傷というのもあるので、
うーん。
129 :
考える名無しさん:02/06/20 15:55
あげてみる
130 :
考える名無しさん:02/06/20 22:56
>>114 新約聖書なんか読むと、再凝集の力は実に感動モノなのだが・・・
創造者としては、
「俺の神様なんて、ギリシャ文明の前から居たんだぜ〜」
「え〜、遅いじゃん。私たちの神様なんて、天地創造したもん。いちば〜ん!」
「俺のなんか、そのまた前からだぜ。ぜろば〜ん!」
っつー感じで無理やり任を負わされたに違いない。
131 :
考える名無しさん:02/06/20 22:58
>>1 神と自我を永久に分離した二元論的発想です。
あなたは神の一部です。逃れるも何もありません。
132 :
考える名無しさん:02/06/21 01:03
この世ではじめて布教とか信仰はじめたヤツってさぁ
やっぱ本能的にそれを行ったんじゃないかって思うのよ
ってことはさぁ、どういうねらいで信仰したかは別として
信仰するって思考が生まれた時点で神(もしくはそれに近い存在)を否定しようがしまいが
人間は神を脳の中に宿す生き物って事でしょ?
つまり人の存在が前提でないと神の存在はあり得ないじゃん
宇宙が生まれた瞬間神は神でなかったことになる
だってはじめは森の恵みや大地太陽に対しての信仰が生まれたわけでしょ?
神の存在ってのは地球規模のものでしかなかったはずなのに
いつの間にか神の定義は拡大してるよね?そしてそのまま神と宇宙は結ばれてしまうわけ
ここまで考えると神ってのは人と共に成長してるんだよね
おれ思うに神ってのは寄生虫みたいなもんじゃないかな?
神って言葉に惑わされてるんだよ
もしそんな存在がいるならこんなチンケなもんじゃないと思うし
時に厳しい試練を与えながらも、ヒトをヒトへと導いた『自然の淘汰圧』、
これが擬人化されたものが創造主たる『神』なのではないだろうか。
これは特に、ひろく広まった一神教の神にその特徴を見いだすことができる。
「隣人を愛せ」「勤勉であれ」などの『神の教え』は、淘汰をくぐり抜ける
ために身につけるべき、生き物としての性質であったと考えることができる。
すなわち「一生懸命エサをとる」「仲間同士協調しあう」ことなどが、厳し
い生存競争を勝ち抜き進化を遂げるうえで要求されたのである。この遠い記
憶が『神の教え』として、人々の心の奥にしっかりと眠っているのだろう。
この自然のメカニズム、自分達を支配する目に見えない大きな力に気づいた
とき、生まれたのが創造主たる一神教の神だと考えられる。(一神教
>>2 )
一方、この概念を捕まえきれない段階では、この背後にある力に薄々気付き
ながらも、その表層的な現れである事象、山や太陽、海など個々の自然を信
仰の対象としたものと考えられる。(多神教
>>3 )
そもそもヒトは何故神を必要とするのか?
平たく言ってしまえば「苦しい時の神頼み」の対象として必要とするからだろう。
ヒトに限らず生き物は全て自然界の淘汰圧にさらされている。とりわけヒトは高
い思考能力を持つが故に、僅かな環境の変化や、偶然に左右される不安定な自ら
の立場を認識することができる。「一寸先は闇」。この精神的に不安定な状態を
少しでも軽減するため、何かに容赦を請わずにいられない。この容赦を請う行為
自体が精神を安定させる作用を持つ。
このとき、容赦を請うべき相手としては誰がもっとも適切だろうか?
当然、自分の生死を左右する力を持つ『自然の淘汰圧』そのものに直接お願いす
るのが一番だろう。自分たちを見張り、賞罰を与え、ある方向へと導く、目に見
えない大きな力。この自然のメカニズムにぼんやりとでも気付いた人間がいた。
それを擬人化して神に祭り上げた。これが一神教の神の起源だろう。
135 :
考える名無しさん:02/06/21 23:09
では多神教の神々についてはどうだろうか?
当然、この自然のメカニズムに気が付かず、漠然とでも淘汰圧という全体的な概
念を掴んでいなければ、これを神として祭り上げることもできない。自然科学の
分野でも、この概念が体系化されるには、ダーウィンの誕生を待たなければなら
ない。たとえ漠然としたものであっても、この自然のメカニズムに気付くには、
一種天才的なひらめきを必要するだろう。
この淘汰圧という概念がまだ無い場合、ヒトは淘汰圧そのものではなく、これの
表面的に現れる事象を信仰の対象とする。例えば、ある時は豊かな実りを与えあ
る時は大噴火して怒りを表す山であったり、ある時は作物に恵みの光をもたらし
あるときは日照りで苦しめる太陽であったり、あるときは豊かな海の幸を与え有
るときは荒れ狂い人の命を奪う海だったりする。そして、場合によっては身の回
りにある八百万全てのものを神として、祈りの対象とし、気休めでもお願いし、
精神の安定を図るのである。
136 :
考える名無しさん:02/06/21 23:27
なるほど。
で、自然淘汰が支配的でない状況で神様を仰ぐと、ろくなことにならん、と。
論点変わってないか?w
神から逃れる方法はない
シャクティ○ットをしてくれる神をあがめよ
(ポアされるけどね)
定説を信じなさい
(ミイラにされちゃうけどね)
つうか、なんでつかまってんだよ。
カッコ悪いの。
140 :
考える名無しさん:02/06/22 04:54
あー、よーするに苦しい時がなければ、神はいらんわけか。
神から逃れるには苦しまなければいいんだな。
そんなの人間には無理じゃん。
ロボットじゃあるまいし・・・
141 :
考える名無しさん:02/06/22 06:14
考えなければいけないほど「神」の影響力が
あるとは思えませんが、日本って。
無神論者には、無神論の神がいます。
どうせ神なんて居ないんだからとか、居ないんだから人生に意味はないとか。
積極的に居ないとすることで、居ると信じている人より優位であると信じ、
無意味であることに甘んじてみたりとか。
143 :
考える名無しさん:02/06/22 09:16
>>142 信念の固さは解った。
ただ、神をみとめない者との対話では、語義のすり替えをも辞さないという
その姿勢は、誠実さに欠く。自分が相手より優位であると信じたとしても、
その優位の拠所に固執することを保留することで、屈服を強いない対話の舞
台ができるのだ。
もれは、有神論者でも無神論者でもないんだけど?
無神でも、有神のように、超越的なものの仮定に頼るような構造があるねってこと。
んと、自分が優位であると信じることと、
優位の拠所とやらに固執することを保留することは両立するの?
一方を、覆い隠すことで成立する、屈服するものの居ない対話って何よ?
対話に負けても、もともと正しくなかったんだからという、負け惜しみ可って事?
145 :
考える名無しさん:02/06/23 00:23
自分が最初から真理の傍らに位置すると信じて疑わない人はこの際置いといて、
ふつう、信ずるものへ歩む道程があったはずです。その道程を振りかえって、
真理の傍らから、遠く真理より離れた人に語り掛けても、その声は届かないだ
ろうし、届いてもなかなか道標にはなるまい。
それよりも、その人と一緒に一旦真理の傍らへ至る以前の自分に戻って、一緒
に歩みを進めるべきだろう。
相手がそれを頑なに拒否するなら、特別な工夫は要るかもしれないが。
tesuto
149 :
考える名無しさん:02/07/31 20:17
救出age
神の存在自体を否定すれば神の支配下から脱した事になるんじゃないの?
俺は常に自由だ。
152 :
考える名無しさん:02/07/31 20:35
だな。
より難しいのは、神の手の者からも逃れたいときだ。
>>152 成る程。
俺は神を完全否定しているが、その信者の存在は否定できないからねぇ。
いや、成る程。鋭いですねぇ。感服。
154 :
考える名無しさん:02/07/31 20:49
神という概念を創ったやつは見事な商才の持ち主だと思ふ
「神の存在を否定」、恐ろしく困難だと思う。
例えばスコラ学、神の存在証明のためだけに
築き上げられた緻密にして煩瑣なあの恐るべき体系。
それを逐一追っていくだけでも一生を費やしかねない。
いや実はそう思わせることがスコラ学者の狙いだったのか……。
156 :
ちょっと長くなったよ:02/07/31 23:00
神とはね、人が理解し得ないものをいうんだよ。人知を超えたものを人々は
恐れ崇拝したのだから。じゃない?
キリストは無神論者じゃない?自分の肉を食べろと言ったのだから。カニバリズム
じゃあなくて、肉というのはキリストの考え方や行動のことでしょ?
それを、食べることで人々はキリストと同一化することになって、キリストは
神という特別なものにならない。とキリストは考えたんでしょ?自分の考えや
行動がだれにもできるものであって欲しかった。後になって彼は神とされたが
彼にとっては腹の立つことだったんじゃない?人を支配するのに神という概念
は役にたつからね。現にキリストもだったし、宗教の神からは簡単に逃げられるね。
でも、理解できない事からは逃げられないだろうね。それでも、理解できないものを
理解しようとしているものの一つが哲学じゃない?それを、神から逃れようと
しているといえない?
脳内神から逃れる事 : できる
脳外神から逃れる事 : できない
158 :
考える名無しさん:02/08/20 14:50
>>156 なるほど。 わかってますが僕はここがあってるんです。どっちにも行きたくないんです。だから二つから攻撃される。 でもどっちにもいきたくないんです。
譬え見聞き出来ようが触れようが何だろうが、
信じていないなら存在しないのと同義。
それが俺の存在論だ。
だから「俺の中」に神はいない。
他我にとって存在しても、神の存在証明の為の学問があろうとも。
「俺の中」に神は存在しない。
逆に心から信じている物にとっては何があろうとも存在し続ける。
>159
今更そういうこと言ってみてもピンとこないなあ
要するに、
人それぞれ♪
ってことじゃん・・・
それって、
「存在論」
・・・か?
おお
我が神 我が神
なぜに我を滅ぼし給う
163 :
くろしろ ◆0a.9Ms2A :02/08/20 19:21
>>1
有るぞ。死ぬことだ。
逃亡の企てはつねに失敗におわる・・・
おお
我が神 我が神
なんぞ我を見捨てたまう
逃亡するということは
神が世界の中心にいるということだ
逃亡しなければならないと思っているうちは
絶対に遁れることは出来ない
忘れればいい
ふと
気がつかないうちに忘れている
その時
君の世界は変質しているのだ
>>161, 165 ほらよ、
エリ エリ ラマ サバクタニ !
襟 衿 騾馬 砂漠谷 !
『 天 知る、 地 知る、 我 知る、 人 知る 』
{後漢書 楊震列伝} から
お わ り
171 :
くろしろ ◆0a.9Ms2A :02/08/20 19:45
死ねばお前はバラバラの物質になる。それはまだ神の支配下だがお前は違う。
自由だ。
>>160 >要するに、人それぞれ♪ってことじゃん・・・
カミサマなんてそんなモンでしょ。良くも悪くも。
宝くじに当たる方法が知りたい
300円 Get したぜ。 3000円分買ってね。
問題点をはっきりさせないといつまでも結論が出ない
まず1は神を信じている
信じているゆえに逃れられないもどかしさも感じている
このスレは1と同じように神を信じている人だけがレスすべきだ
折れは信じていないのでレスしない(してるじゃん なんてツッコミすんな)
176 :
考える名無しさん:02/08/21 00:22
してるじゃん
177 :
Jesus Christus:02/08/21 01:31
Mein Gott, mein Gott, warum hast Du mich verlassen.
Ja