>>71 >だからgood is good.規定できないことを示したが
「モラルはモラル」という規定をしようとしているわけじゃないんだから、
その例えには何の意味もないけど。
どういう理由かはしらないけれど、「good is good.規定できない」という
ことが言いたいあまり、問題を捻じ曲げて解釈してるとしか思えない。
>しかし何らかの規定ができると信じている者には通用しないのだろう
>共約不可能性という訳か
>独断と無限交代のジレンマの中での同意の設立など気の遠い話なのだろう
〜
>「ヒューム読め」
要するに、そういった考え方を振り回したかっただけなんだろ。
あなたがヒュームからどういった感銘を受けたかしらないが、
名刀を手に入れた馬鹿殿様みたいに、当たり構わず振り回すのはやめてくれないか?
思想にしろ刀にしろ、使うべき場所と状況というものがある。
使いたいから見当違いな場所でも振り回すというのは単なる自分勝手だ。
実際に、ヒュームの思想がこのスレのテーマにどう関係するかは分からないけれど、
あなたの述べた内容を見る限り、あなたが理解している範囲のヒュームの思想は、
このスレで私が述べた内容と直接的な関係があるとは到底思えない。
ヒュームの思想はそれなりに意義のあるものなのだろうが、
どんなに優れた思想であっても、対象としていない事柄にまで、
無制限に適用できるものじゃない。
上は君と同じく自己言及さ ちょっと絶望に浸ってみたのだよ しかし俺はヒューム信者ではなくマッキー信者だが ヒューム読めとはまさにヒュームを理解することでしかない 理解できずに、さらにそれを自覚しながら批判する行為こそ愚行の局地だ 君のような者が哲学板にいることにただ悲しみをおぼえるよ とりあえずポパー読め
>>72 なるほど
いい批判だ
しかしこうも言える
誰もが自由に規定できるということは逆説的に規定できないことを意味するのではないか
>>74 いや、ヒュームもホパーも読むよ、いつかは。
だから、あなたは不要ってことだ。
>だから、あなたは不要ってことだ。 ポパーを読めばこのような言葉も言わなくなるというのに 悲劇だね
で、話を元に戻すと、
>>1 のいう、
>個人から企業、国家に至るまで倫理観の問われることが多いのは
における「倫理観の問われることが多い」という記述における、
「倫理観」とはいったい何なのか?
ということだが。
>>77 ああそう、そのホパーを読みながら、なんら有意な発言ができないあなたは、
もっと悲劇だね。
>>79 うむ、ポパーは有意義な発言こそ重要であることを説いている
しかしこの流れと
>>78 の結果からいったいどちらの主張が有意義であったかは明白であると思えるが
ちなみに君にその有意義さが伝わらないのは俺のせいじゃないよ
それもすでに説明したけどね
>>75 >誰もが自由に規定できるということは逆説的に規定できないことを意味するのではないか
理由がない。また、後者の結論が出たとしても、それは前者の
「誰もが自由に規定できる」と並立して言える、という結論にしかならない。
また、私は自由に規定できると「観察できたことがない」
(「考えてない」ではない)。
なぜなら、構成員が属する社会内部にいる他の構成員・構成員集団によって
彼の規定は制約を受けるからである。
ただし、合意も得られることが甚だしく多いことも事実である。
善悪は、歴史的に成立してきた
(ここでいう歴史は広い意味での歴史、記述されない事柄をも含む歴史である
つまりすべての者のすべての決定や、影響の与え合いを含む歴史である)
行動に関する指示・納得するあり方のことであって、抽象された形で
成立不成立を問題にする余地がある概念ではない。
抽象された形で善悪を規定できないというあり方は、
世間一般にいう「善悪」に対する対処の一つ
「善悪を無視し、実際の行動の上では善悪を問題にされるような行動をとる」
というあり方として位置付けられるに過ぎない。
>「善悪を無視し、実際の行動の上では善悪を問題にされるような行動をとる」 >というあり方として位置付けられるに過ぎない。 ふむ、いい批判だ >なぜなら、構成員が属する社会内部にいる他の構成員・構成員集団によって >彼の規定は制約を受けるからである。 こちらではなく >ただし、合意も得られることが甚だしく多いことも事実である。 こちらに賛同できる しかし問いたい 自然主義的誤謬に対して君がどのように思っているかを 私が賛同しなかった箇所は自然主義的誤謬の批判がそのままあてはまるのではないか?
>>82 自然主義的誤謬の批判は、それが問題としている範囲において正しい。
つまり善を行動規範としてとらえる限りにおいて正しい。
善悪の規定を失敗するかどうかの問題として捉える限りにおいて正しい。
しかし、私は善悪を単なる評価の問題と考えているので、
私の善悪の定義において自然主義的誤謬の批判は妥当しない(無関係である)。
私は善悪を個々の人間が下す評価と考えている。つまり人間は善や悪を行うのではなくて、
行うことに善悪の評価を下されるのである。それによって影響を受けるかどうかは
善悪それ自体に起因する事柄ではないと考える。
>それによって影響を受けるかどうかは を、 >下される具体的な評価によってある個人の行動が影響を受けるかどうかは に修正。
>>80 いや、あなたが物知りなのはよくわかったから、
これ以上、スレと無関係なことをだらだら言うのやめてくれないか?
>>83 >しかし、私は善悪を単なる評価の問題と考えているので、
はじめて聞く意見
誰の思想がベース?
もう一つ質問
「〜〜すべきである」という当為命題は善悪とは別?
それとも評価する者にとって「〜〜すべきである」が成立し
評価する者はトマス=クーンの主張のように
権力や運が作用するといった相対主義的なもの?
>>86 レスの応答をするたびに言及した要所要所が省かれているんだが。
まともな議論をするつもりがあるの?
>誰の思想がベース 基本としている著名な思想という意味であれば、その意味での思想は ベースになっていない。ただ、参考になった記述は山ほどある。 >「〜〜すべきである」という当為命題は善悪とは別? 「〜すべきである」という命題と善悪は別。 善悪は「〜は・・・」という評価だから。(・・・に善悪に関係する表現が入る) たとえば食料を確保する上で食料をとる側の保全の必要性という観点からすれば、 それは必要なことだが、殺される食料側にとっては・・・と言いうる。 この場合、〜すべきである、という主張は、・・・を重く見るか、 食料の確保を重く見るか、という2つの論点によって決まってくる。 つまり善悪にかかわる評価が当然に「〜すべきである」という結論に つながるわけではない。 総合的にいうと「相対主義的」だろうが、権力や運が作用するという 説明は受け入れない。それらは善悪のみを起因として作用するとは 言えないから。
>>87 中途半端にあるといった程度
ついさっきまで煽り合いをしていたわけで
発想を切り替えるのがちとつらい
それと要所だけ聞いてあとは自分で調べる予定だ
残念ながら私には君との議論が成立するほどのよい対論を持ってない
(よい論点を未だ見つけ出せていない)
まずは理解するための手法ととって頂きたい
>>88 レスサンクス
ライプニツのクーン批判をベースに反論を展開しようと思ったが
一筋縄ではいかないようだ
勉強するよ
クーン批判はカルナップ ライプニツは時代が違うね
>>59 倫理(モラル)はあくまで個人に帰属すべきものと御考えですか?
(原理的にはそうだと私も思いますが)
ただ、一般的に「経営者のモラル」「裁判官のモラル」「政治家のモラル」
などと云われる場合、それぞれの社会的な立場、しかも組織化された集団
(企業・官僚・政党など)内の地位に帰属する問題など、集団レベルの
倫理(モラル)があるのではないかと(やや否定的に)理解していますが。
哲学・倫理学の純学問的な見地から見た倫理の定義については、当方不案内
ですので、ご意見があれば是非伺いたいところです。
個人的なものであっても、倫理というものは、 なんらかの集団を想定して考えられているものだと思うが。
>93 >倫理(モラル)はあくまで個人に帰属すべきものと御考えですか? 倫理は社会的な規範として考える以外、意味はないでしょう。ただし、 倫理の存在を正当化しようとすると、その論拠として個人の意志をあげ るしかないのだと思います。無論それは嘘ですが。
倫理自体の正当性? 正当を定めるのが倫理の機能じゃないの? ある倫理についてその正当性を云々しうるということは、 その倫理よりも上位の倫理が存在するってだけのことじゃないの?
what is good?の答えはヒュームの本に書かれてるの? 倫理は論理的には無前提なの? 宗教と倫理、法律と倫理の関係は? 倫理学は言語学の一種なんですか?
age
>96 >正当を定めるのが倫理の機能じゃないの? なるほど。 でも、たとえば「お年寄りを大切に」とか、「ごみはきちんと分別して」と かいう「良いこと」というのは、社会の中で決まってるよね。それは同時に胡 散臭いものとして批判されたりもする。「立て前にすぎない」とか「綺麗事だ」 とかね。倫理は社会の約束事に過ぎないのだけれども、倫理自体は自分が約束 事であることを超えた存在であることを示そうとする。「ごみをきちんと分別 すれば環境の浄化に役立ち、あなた自身の生活を快適にすることができるので すよ」みたいなね。でも、「そうすることがあなたの利益だから」「あなたの 快感につながるから」という規準は、これはもはや倫理とは呼べないよね。 そして、倫理とは呼べないものを倫理の前提にすることは、倫理自体の否定 でしかない。だから、もし純粋倫理なんてものがあったら、それはきっと「理 由なんかどうでもいいんだ! 俺の言うことに従え」と主張するだろう。実際 多くの倫理はそう主張している。というか、実際に多くの人がそう主張するた めの道具として、倫理を利用している。 そして、それもやっぱり倫理とは言えないんじゃないだろうか。
現在、一年ぶりぐらいにメタ倫理学の本を出して
読んでるけど51の批判がなかなか難しい
というのも
>>51 の最初の5行が尊敬するマッキーに近い態度なので
下手に批判すると自分の首をしめることになる
今のところ51の主張する「良さ」は構成部員が所属する社会部員を例に挙げているように
何かに属した際にその内側から見た「良さ」に過ぎない
チェスがチェスのルールに従ってその規範が存在するようなもので
それが将棋において通じるものではないように
その集団と対立する集団の存在を想像できる以上、客観的に定まった価値とは言えない(それが悪いとは思わない)
このように理解している
批判としては
>抽象された形で成立不成立を問題にする余地がある概念ではない。
の箇所と
>善悪は評価
の二点にしぼられると考えている
未だ思考中
>>97 ヒュームの答えはニヒリスティックなものですが
メタ倫理学をやるにあたっては避けて通れないと思います
ヒュームの思想を受け継いでるのはムーアでしょうか
私はヒュームの『人性論』が参考になりました
でもJ・L・マッキーがサールの批判の流れを受けて
ヒュームを乗り越えているのがやはり好きです
一度、解説書でなくマッキーの著作を読みたいのですが
日本語訳は無いと店員に言われました
自分にしてもらいたくないことを、他人にしてはいけない。 というものが絶対的な基本命題であって、それを様々な状況でどう 展開していくかということを見出すことが、倫理なのではないでしょうか。 それ以外にないと思うんですけど、どうでしょう。
>>102 なぜ、それ以外にないと言えるのか、書いてもらえませんか?
>>99 >そして、倫理とは呼べないものを倫理の前提にすることは、倫理自体の否定
>でしかない。
それはちょっと違う。
例えば、辞書を引くと、
---
■[倫理]の大辞林第二版からの検索結果
りんり 【倫理】
(1)人として守るべき道。道徳。モラル。
(2)「倫理学」の略。
--
となってる。
ここで、じゃあ、「人」の定義は倫理かっていうと、そうではないだろう。
どういうことかというと、人の定義に「正当」は無いってこと。
つまり、倫理というのは、正当性を問えない前提から始まって、
その前提をうまく保つものを「正当」と定めるものということ。
人という前提について、自由とか幸福とかいう事柄があって、
それ自体の正当性は云々できないけれど、
それらを満たせるか損なうかを考えることが人の倫理を考えることで、
そういった事柄との関係において初めて「正当」という概念が適用できる。
「倫理が正当を定める」というのはそういうこと。
だから、「倫理の前提」というものはありえるが、
「倫理の正当性を決める」ものは無い、あるとしたら上位の倫理である、
ということになる。
>103 倫理は自分と他者との関係性において必要なものであり、そこではこの命題以外に 必要最低限のものが見当たらないからです。 騙されたくない → 騙さない 殺されたくない → 殺さない 毒物を流されたくない → 毒物を流さない これをどんどん応用していけば、どんな徳目でも立てられると思いませんか? 逆にこれの他に倫理を求める理由があるのでしょうか。 けどこれは僕の認識不足だけかもしれないので、断定はしないで意見を求める形にしました。
>>105 >倫理は自分と他者との関係性において必要なもの
要するに、他者感覚(他者をその他在において理解する)を前提
とした自己意識の一形態ということでしょうか。
いずれにせよ倫理とは根源的には個人的なものとなりますが、
そうした場合、企業のモラルのような社会集団自体に求められる倫理
というのは、個人を集団に置き換えただけの比喩的な表現ということ
になるのでしょうか。
どうも両者の間には、質的な違いがあるように思われますが。
或いは倫理はあくまで個人に帰属し、集団のそれは虚偽的なものという
ことでしょうか。
先ほどから同じような質問を繰り返してスマソ
107 :
考える名無しさん :02/06/14 03:36
>>106 社会集団に求められる倫理がどういうもので、本質的に個人倫理とどう
異なるのか、僕にはちょっと想定できないです。
企業のモラルにしても、その会社全体の責任において消費者に困ることを
してはいけない、というようなことになるのであれば、個人のそれと同様
決して虚偽的ではないでしょうし、どういう違いになるのかわからないです。
>104 んー、言ってること、よくわからない。 >人という前提について、自由とか幸福とかいう事柄があって、 >それ自体の正当性は云々できないけれど、 >それらを満たせるか損なうかを考えることが人の倫理を考えることで、 >そういった事柄との関係において初めて「正当」という概念が適用できる。 というのは、個人の幸福(等)を考えることが倫理であるという意味? だとしたらそれは違うと思うぞ。個人の幸福のためにする行為が反倫理 的であることは当然あるし。多分そういうことを言いたいのではないの だろうと思うけれど、でもじゃあ何を言おうとしているのか、この文章 からは読みとれなかった。 細かくて悪いけど、「そういった事柄との関係」って、何を指してい るの? あと、「「正当」という概念」が何に適用できると言っている の? わたしが言いたいのは、倫理自体は「人は倫理のために生きよ」と要 求してくるけれど、倫理そのものは所詮人が生きるための道具にしか過 ぎないということ。
>>108 >というのは、個人の幸福(等)を考えることが倫理であるという意味?
違う。
>個人の幸福のためにする行為が反倫理
>的であることは当然あるし。
まず一ついえることは、倫理がそういった扱い方をされるということは、
一般的な倫理という言葉の用法として、
「人として守るべき道」というものの「人」の定義に、
「社会的の構成員」という意味が含まれているということだ。
ある社会の倫理は「この社会の構成員たるものは〜たるべし」という形を取っており、
「その社会を良く保つ」という前提に照らして行為の正当性を定めるわけだが、
「その社会を良く保つこと」自体の正当性は存在しない。
(いや、理屈はつけられるが、ここでは存在する必要が無い)
>わたしが言いたいのは、倫理自体は「人は倫理のために生きよ」と要
>求してくるけれど、
それは違うと思う。倫理は「〜せよ」「〜するな」という命令の集合だが、
それらには、「人は」(先に言った社会の構成員としての人は)という前提が含まれる。
そして、倫理を守るべき理由は、それらの前提に由来するのであって、
倫理自体はそのこと(つまり、人であること、社会の構成員であること)を要求していない。
料理のレシピが昆布のだしをとる場合に、沸騰前に引き上げることを要求しているが、
料理を作ること自体は要求していないのと同じだ。
普通は、その前提を自明のものとしているから省いている
(つまり、誰もが「社会を良く保つ」という前提については、無条件に受け入れているものとして倫理は語られる)
だけであって、「倫理のために生きよ」というのは、倫理以前に成立している命令であって、
倫理自体はそのことを要求していない。
>倫理そのものは所詮人が生きるための道具にしか過
>ぎないということ。
そうではないといっている人はいないと思うが。
倫理に限らず、思想というものはどういったものであっても、
そのようなものなのなのではないかね?
110 :
考える名無しさん :02/06/15 15:10
age
>109 反論を、と考えて何度も読み返してみたけれど、やっぱり意味がよく分か らない。 「倫理自体はそのこと(つまり、人であること、社会の構成員であること )を要求していない。」とか、「倫理のために生きよというのは、倫理以前 に成立している命令」とか、では一体そう命令するのは倫理でなければ何な のか。 なにより理解に苦しんだのは、昆布でだしをとるたとえ話。 どうか怒らないで欲しい。本当にわからなかったのだ。 たとえば次の主張についてどう思う? 倫理は倫理自体の正当性を証明することができない。したがって倫理 に従わなければならない理由は存在しない。 できれば、短くてわかりやすい答えを期待する。
>>111 昆布だしの話を[わかった]人はいないと思われ。
というのも、主張している内容と類比できる形象が、たとえの中に
見出せないから。
倫理を守るべき理由が前提「人は」という倫理より広い事柄に求められているのに、
なぜかその部分に対応する例えに、レシピより狭い「ひとつの指示」が
当っている。だから理解できないのは当たり前だと思われ。
レシピより狭い、というより、前提となる部分である、「人は」に レシピの「前提」でなくて「結論」がもってこられているから わからない、と言ったほうがわかり易いのかな 同じことを言ってるんだけども
>>111 >では一体そう命令するのは倫理でなければ何な のか。
もちろん、だれも命令してないよ。
>倫理は倫理自体の正当性を証明することができない。したがって倫理
>に従わなければならない理由は存在しない。
だから、最初からいっているようにそもそも、
「倫理自体の正当性」というものは最初から存在しない。
倫理を守る必要があるのは、倫理が正しいからでなくて、
「人(社会の構成員としての)であるため」であって、
その目的を持たないのなら、倫理を守る必要は存在しない。
倫理の規定する「正当」は、「人としてとるべき行動」であって、
「いかなるものであっても取るべき行動」ではない。
>>113 すまない、これは私のほうが理解できない。
116 :
考える名無しさん :02/06/23 00:04
決着つけてあげ
117 :
考える名無しさん :02/07/05 11:00
あげ
倫理とはなんぞやあげ べき論ってことですか? 守らなかったらあってもなくても同じですか?
119 :
考える名無しさん :02/08/27 11:24
>>118 つまり、倫理は未来にかかわる議論なワケ?
120 :
考える名無しさん :02/09/06 03:26
べき=規範だろうよ。
髷
122 :
考える名無しさん :
02/09/16 00:30 髭