1 :
考える名無しさん :
02/06/09 00:09 個人から企業、国家に至るまで倫理観の問われることが多いのは なぜなのか。現代社会の中で、よく生きるとはどういうことなのか。 基礎倫理から応用倫理まで、幅広く語ってください。
2 :
考える名無しさん :02/06/09 00:10
2
3
4 :
考える名無しさん :02/06/09 00:23
>>1 問題提起の幅が広すぎるよ。
とりあえず最大公約数的に求められていそうな価値を洗い出し、
その価値が、個人なり複数の個人なりにおいてどう成立させられるかの
構造を批判的に明らかにしていき、
既存の理解の仕方を(変えるべきなら)変更しつつ、
その観点から「個人・企業・国家に至るまでの倫理観」を語っていかないと、
まとまらない。
あのさ、「倫理観が問われる」って一言で言うけど、 まず第一に、その問われるところの「倫理観」って何?
>5 正義、勇気、忠、節制、賢慮、愛etc.
>>6 列挙することでしか示せないの?
「倫理観」そのものの定義は無いの?
8 :
考える名無しさん :02/06/09 00:54
徳目=倫理観という定義ではダメですか?
>>4 枢要徳では対自的個人倫理と対他的社会倫理は並んで立てられてるから、 まずそれを出発点にするのがいいのではないでしょうか。『ニコマコス倫理学』とか。 「汝が他人にしてもらいたくないことを、汝は他人にしてはならない」 で片付けられそうですけど。
>>8 でも、「徳目⊂倫理」でしょ。
だから、そうなら、
「倫理観の問われることが多いのはなぜなのか。」
ではなく、
「徳目の問われることが多いのはなぜなのか。」
でなければならない。
11 :
考える名無しさん :02/06/09 02:01
「モラルが問われることが多いのはなぜなのか。」 が日常使う日本語的にはしっくりするんじゃない? >1はたぶんそんな感覚だと思う。
その日常使われる日本語における「モラル」の定義は、 具体的にはどういったものなのか? 何気なく使われているけれど、本当にコンセンサスが成立してるのか?
13 :
考える名無しさん :02/06/09 10:25
倫理は従来宗教的な定言命法などに支えられていた部分があるが、 何が善であるのか、何を成すべきであるのか、何が禁じられるのか、 何が許されるのか、これらに答える道徳的命題が衰退し、倫理そのものが 空名化してしまっている。モラルの定義自体を問い直さなければならないのも その一例。
14 :
考える名無しさん :02/06/10 02:43
フーリガンに倫理学を教える人はいないのか また人死んじゃったよ ロシアで日本人狙われてるよ
15 :
ぼくはニッポン人ではない :02/06/10 02:54
およそこんな感じ 路上に多数 電話ボックス上5 地下鉄出入り口上17 後数十名 花火 ボール遊び 機動隊員21 制服警官19 警察車輛14 サポーター 馬鹿みたい 公権力 馬鹿みたい ぼく 馬鹿みたい
だいたいなんでワールドカップなどという行事を行う必要があるんだ? 4年に一度、世界中の人間が馬鹿な格好をして集まって、 大騒ぎして人が死んだり物が壊されたりする行為に何億ものお金を使う意味がどこにある?
17 :
考える名無しさん :02/06/10 17:52
>>12 例
***本日のニュースより*****
=少額の恐喝「仕方がない」45.9% 仙台の中高生=
友達や知人が通行人を脅して金を巻き上げる恐喝をした場合、仙台市内の中学、
高校生の45.9%は「少額であれば仕方がない」などと容認する考えであること
が、仙台中央署の意識調査で10日までに分かった。恐喝の誘いに対しては、7割
以上が「はっきり断る」「友達にやめるように言う」と回答したものの、同署は
「恐喝の被害者は額に関係なく怖い思いをする。地域や家庭と協力して、規範意識を
高めていきたい」と、モラル向上の必要性を訴えている。
>>17 個々の事例をあげても何にもならんだろう。
そこで「モラル」と呼ばれているものは具体的に何なのか、
ほかの事例においても適用できるように一般化した概念ってものが
あるのかってこと。
19 :
考える名無しさん :02/06/10 18:15
>18 なんでそんなこと聞くんだ。 モラルはモラルという同語反復しかないだろ。 その多様な中身は倫理学が研究するものじゃないのか。
>>19 >なんでそんなこと聞くんだ。
それがわからないと、
>>1 が指摘する
>個人から企業、国家に至るまで倫理観の問われることが多いのは
という事実がどういうことをいってるのかさっぱりわからないからだよ。
>モラルはモラルという同語反復しかないだろ。
トートロジーってのは、論述において現れるもので、
単語自体が単独でトートロジーとなるなんてことはありえないと思うが。
もしそうだとしたら、モラルという語は元来なんの意味も持っていないということになる。
>>20 あなた自身はモラルがどのような概念と考えてるの?
1は明らかに問題範囲広げすぎだけど、おそらく犯罪一般のことを
言ってるんでしょう。罪に問われる行為を否定する概念とは何か、
くらいに考えればいいと思うんだけど。
>>21 >あなた自身はモラルがどのような概念と考えてるの?
ここで「私の考えるモラル」を述べることに何の意味があるの?
このスレでの問題は、
>>1 のいう「現代社会」が
どのような意味において「倫理観の(を?)問」うているかってことだろう?
(
>>1 の破綻している日本語を好意的に解釈するなら。)
>1は明らかに問題範囲広げすぎだけど、おそらく犯罪一般のことを
>言ってるんでしょう。罪に問われる行為を否定する概念とは何か、
>くらいに考えればいいと思うんだけど。
そういった疑問が、なぜ生じるのか自体、私には不思議でならないんだけど。
ことの順序としては、やってはいけない行為があって、それを犯罪と定めているんじゃないの?
まず、犯罪があって、その後で犯罪をやってはいけない行為と決めたわけじゃないだろう?
だから、「なぜ犯罪とされるのか」ならわかるけど、「犯罪はなぜいけないとされるのか?」
はそれこそトートロジーだと思うんだけど。
>22 「罪に問われる行為を否定する概念」は1の「倫理観」を指してます。 「ことの順序」はあなたという通りだと思います。
>>23 だから、「罪に問われる行為を否定する概念」という言い方
自体がトートロジーなんだって。
「否定される行為」を「罪」と呼んでいるわけだろう?
「否定される行為を行為を否定する概念」はトートロジーとしか
呼びようが無いんじゃないか?
25 :
考える名無しさん :02/06/10 19:41
ごめんなさい、「否定される行為を行為を否定する概念」、 意味がわからないです。 トートロジーを論述で説明してくれたんですか? あれ? モラルがトートロジーではないってことじゃなかったっけ。 私が変なこと書いちゃったのかな?
>>25 (ある倫理において)「否定される行為」を「罪」と呼んでいる。
という事を、
「罪に問われる行為を否定する概念」という論述に当てはめると、
「否定される行為を行為を否定する概念」となる、
ってことを指摘してるだけだが。
なるほど・・・。より忠実には 「ある倫理において否定される行為に問われる行為を否定する概念」か。 いずれにしても「罪に問われる行為を否定する概念」は訳わかんなかったね。 わたしの言いたかったのは「罪を否定する概念」ってことで。 日本語変だったなのと、ついでに横レスしてスイマセン。
28 :
考える名無しさん :02/06/10 23:14
えー上の方のモラルの定義について 直感主義という考え方はいかがですかな? 19はそれに近いと思うが
>>29 モラルは直感だと?
つまり、「モラルを守る」とは、「直感に従うこと」であると?
31 :
考える名無しさん :02/06/10 23:42
>>30 ちゃうわ!
goodという概念はyellowのようにgood is 〜〜と表記できないということさ
だいたい what is moral がなんで「モラルを守ること」にシフトするんだよ
33 :
考える名無しさん :02/06/11 00:07
日本語では、道徳の意味で「モラル」というが、英語では この意味ではmoralsと複数形にするか、moralityという語を 用いる。単数形のmoralは「教訓」の意味である。 スーパーアンカー英和辞典より、マメ知識でした。
34 :
考える名無しさん :02/06/11 06:40
モラルに関して、20と19の言い分では20の言ってることが正しい
35 :
考える名無しさん :02/06/11 11:55
んで結局モラルとは何なのさ。
>35 理由はつけられないが、お互い束縛したくなるものです。 それを破ると、皆から責められます。
一人じめしたがるのは男だよね。
38 :
考える名無しさん :02/06/11 15:03
身近な生活でも、みなさん「よさ」についての価値判断に基づいて行動してるんじゃないんですか? 行動しようとすることがいいことかわるいことか、考えないことを倫理観がないというのです。 そんな簡単なこともわからないんですか、ここの人たちは。
>38 行動しようとすることがいいことかわるいことか、考えることを倫理観があるというのですか?
行動を考える際の価値基準だと思うんだけど。
ある決断をし行動したとして、その結果が善行であったとしても、 その行為はその人物が善と考えたものとしての行為ではなく、状況に 押されたもの、あるいは条件を比較して計算に基づいて決断された ものである場合もありうる。何を優先させるかの価値基準でしかない 場合も、倫理観があるといえるのですか?
現代社会に必要なのは、「エコエティカ」です。
>>36 >理由はつけられないが、お互い束縛したくなるものです。
日本語として意味がわからん。
44 :
考える名無しさん :02/06/11 20:33
>>37 だれのものでもない女
くはっ
ところでこちらは人生相談スレに指名されました
>>32 規定できない、ということさ
唯一の規定はただ一つ、good is good.だけ
46 :
考える名無しさん :02/06/11 22:20
企業側からみれば倫理観は、敵だろうな。
>>46 そうとも限らんぜ
企業から見れば利益が全てだ
利益とは・・・詰まるところ、最終的には消費者だ(極論?)
消費者が倫理観を持った企業を持たない企業より優先するならば
企業にとって倫理観はこれとない味方となるはずだ
今までの企業における倫理観の廃れは、つまりは消費者を無視した思考回路でしか無かったということだ
もしくはそれが消費者の望むものであったか
48 :
考える名無しさん :02/06/11 23:04
まず環境問題への配慮があるかどうかでしょうね。 環境にやさしいとかいうスローガン掲げるとイメージだけでもいい。 対応の必要なのはとりわけ二酸化炭素排出。日本は南アメリカ諸国全部より 二酸化炭素排出量が多い。アメリカ・中国と共に何とかせねば。 みんなも車にはなるべく乗らずに、公共交通機関を利用しよう。 オナー京都。オナージャパン。京都議定書がんばろう。経済界は反対するな。 倫理的な発言でした。
環境問題への配慮というけど一概にどれぐらいの程度が方向性として良いかは我々には判断がつかん ただあまりにも問題があるケースだけは分かる そうした中で消費者が自ら方向性を持ってそして企業を味方につけなきゃいかん 消費者が一番大事なのは自分が環境問題に関わることではなく 企業を動かすために不買に徹することだ と断定口調で語ってみた
50 :
考える名無しさん :02/06/12 00:29
倫理・道徳・モラル、いずれにしても基本は個人や社会の価値観と それに依拠した社会的行為のことだろう。 同じことだが、社会において、そこで諸個人が取り結ぶ様々な関係行為と それを基礎づける価値観が倫理に関わる問題だろう。 だから、1がいう「個人から企業、国家に至るまでの倫理観」において 基本となるのは、あくまで個人のそれ。 企業(や社会内の諸団体)や国家の倫理なるものは、個人倫理との アナロジーにずぎず、基本はあくまで個人の倫理であるべき。 また、企業や国家の倫理には、個人の倫理観と齟齬・対立する側面 もあり、前者が後者を抑圧したり麻痺させる機能もある。 例えば、最近の企業経営者の無責任性は、企業の論理(利潤至上主義 など)を自己の「倫理」としたために起こっているとも云える。 社畜として会社・上司の命令に従順であることが組織人としての「美徳」。 こうした点は、官僚たちの不祥事にも見られる点。 個人の倫理が、表現の自由や思想・信仰の自由などをめぐり、国家の命令 ・意志と対立する場合もある(この場合、国家の決定は常に正義と考え従う ことは、国家「倫理」には適うが、個人(自己)の倫理観への裏切りになる) いずれにしても、倫理や道徳の欠如を嘆きその復興を求めるだけでは、ただの 説教坊主と変わりないのでは? 倫理を国家・社会・個人のどのレベルで考えるのか、また各レベルにおいては 具体的な問題について考えないと不毛で抽象的な議論の循環になると思われる。
51 :
考える名無しさん :02/06/12 01:16
倫理を倫理として語られても、まじめに受け取れるだけの、高い倫理観を 持った人間が、多いとは限らない。 だから、具体的な場の中で、いちいちどれくらいいるかを観察しつつ、 論じ方を変えないと(つまり、論じ方の変更に対応できるような倫理でないと) いけないという重大な問題がある。 感覚的な部分での共通理解を築きつつ、そこから倫理学で語られるような 内容のことを、それっぽい言い方でない言い方で語っていくようにしないと、 上手くいかない。 あと国家の倫理とか言ってるけど、国家に倫理があるという考えは 単なる誤解。国家は権力機構。決定を行うもの(たち)に倫理が求められる。 国家の倫理、というとき、国家側の決定することに当然に一般人が 従わなければならないという結論まで含まれるように語られる (50の国家「倫理」に適う という表現)。 これは、集団内の、ある集団の決定に従わせることを正当化するための レトリックに過ぎない。
>いちいちどれくらいいるかを を、 >いちいち高い倫理観を持った人間がどれくらいいるかを に変更
>国家の倫理 国家公務員倫理法なんていう虚しい規定はありますな。
54 :
考える名無しさん :02/06/12 03:39
>>51 >あと国家の倫理とか言ってるけど、国家に倫理があるという考えは
>単なる誤解。国家は権力機構。決定を行うもの(たち)に倫理が求められる。
>国家の倫理、というとき、国家側の決定することに当然に一般人が
>従わなければならないという結論まで含まれるように語られる
>(50の国家「倫理」に適う という表現)。
表現がマズカッタことを認める。主張したかった要点は、倫理の基本は諸個人
の倫理にあるということ。
指摘のとおり国家の倫理=国家機構に所属する官僚としての倫理(職能的倫理
)だろう。だがある官僚が国家機構内での事柄について官僚的には合法かつ「
倫理」的と判断しても、一国民(個人)としては許容できないものである場合
どうする(すべき)かという点に問題の所在がある。この点は企業以下の社会
団体でも同じ。
企業や国家には当該団体の服務規定・規則とそれを担保する団体独自のモラル
が存在する。これらが個人の倫理と齟齬・対立した場合に、妥協するか否かの
選択が課される。
そして、妥協による団体の倫理の受容は、個人的な倫理の退行、更に過剰な受
容による個人の道徳的退廃は、今度は団体倫理自体の弛緩・悪化に繋がるとい
う悪循環を起こす。この点で、個人の倫理の普遍性に対して団体の倫理はその
目的に規定された特殊性をもったものといえる。
だが実際には、個人→社会→国家という普遍性・一般性の増大=倫理の高度化
という幻想がある。国家の利益を守ること=国家の主張するモラルを受容する
こと(=個人の利益・モラルの犠牲)という図式化。
ここに国家・社会の倫理について語ることの胡散臭さがあると思われるのだが。
55 :
考える名無しさん :02/06/12 14:36
日本はこれからまたパノプティコン構造化するよ。 もう倫理とかいってもしょうがないよ。
>>45 規定の叙述が「存在する」ことをもって、「規定できない」
とするあなたの論理は理解しかねる。
>>56 レトリックだよ
まさかgood is good. が論理的に正しいからと納得している訳じゃあるまい?
>>57 >レトリックだよ
ハァ?
>>45 のどこにレトリックがあるの?
なんの変哲も無い文章だが。
>まさかgood is good. が論理的に正しいからと納得している訳じゃあるまい?
私自身の考えはともかく、あなたがそのように主張したのは事実だが。
>54 団体の行う選択が個人倫理に対立した時点で、それはもうモラルとは 呼べないのでは? それは倫理的選択・決断というより、単なる利益の 優先による選択だろうし、それが=団体の倫理と呼べるのでしょうか?
>>58 good is goodは論理的には正しいが文章として何の意味もないだろ?
だから「善い」の規定を求める者に対する皮肉になるんだよ
what is good?を声だかに叫ぶ者はヒューム読んでから出直してこい
61 :
考える名無しさん :02/06/12 16:44
そーいやあ、経済倫理学ってのあったな・・誰か詳しいひとキボン
>>60 >good is goodは論理的には正しいが文章として何の意味もないだろ?
>だから「善い」の規定を求める者に対する皮肉になるんだよ
その者が実際に行っていない行為についていくら言及したところで、
皮肉になんてならないけど。
>what is good?を声だかに叫ぶ者はヒューム読んでから出直してこい
そもそもそんなこと最初から言ってないが。
相手が言ってもいないこと、やってもいないことを、
勝手にやっている妄想して、見当違いなことを述べ立てたあげく、
レトリックだの皮肉だのといわれてもねぇ。
マスターベーションをするのは勝手だが、
人目につかないところでやってくれ。
>>62 つまり君の行為は理解できないものに対しての批判だから
反批判そのものを受け付けないということだね?
うむ納得
>>63 私は少なくともこのスレでは、good についても、善についても論及していない。
あなたが勝手に騒ぎだしただけだ。
つまり、「理解できないものに対しての批判」というのはあなたの脳の中だけに、
(願望的に)存在していただけで最初から存在しなかったということだよ。
とりあえず、あなたの脳内で妄想された「批判」について、
あなた自身で自己完結的に納得したのであれば、
あなたの頭の中にしか存在しない論点を強引に持ち込むのはやめてくれ、
邪魔だから。
>>64 つまり君は最初から批判すら言ってなかったということだね
>>65 私は質問しただけだが。(それを、「説明が不十分である」という批判と解釈してできなくはないが)
>>66 ならばこう答えるだけさ
「君の解釈は誤りである」
僕も答えを返すだけに徹するさ
>>67 なにそれ?
気に入らない相手に、否定的な「結論」をぶつけるだけなら、
子供の喧嘩じゃないの。
そもそも、「君の解釈」ってのは具体的に何を指してるのかね?
また、あなたの頭のなかにしか存在しない、「私の解釈」
を押し付けられるのはごめんだよ。
自分の妄想と議論がしたいなら、一人でやってくれ。
>>68 >30
>つまり、「モラルを守る」とは、「直感に従うこと」であると?
ありもせん君の解釈を主張してすまんな
君の解釈はあくまで君自身の中から外に出ないのだろう
それは逆に他人の解釈がまた君の知識として吸収されないことを意味する
しかしそれはとても喜ばしいことだ
この非生産的な行程から抜け出すことができるというのだからね
>>69 >>つまり、「モラルを守る」とは、「直感に従うこと」であると?
違うのなら、正しい解釈を示せばいいだろう。
別に私は自分の解釈が正しいと主張しているわけじゃない、
わからないから確認を求めてるだけだ。
それを示さずに、いきなりレトリックや皮肉をわめきだすから
わけがわからなくなるんだよ。
だからgood is good.規定できないことを示したが しかし何らかの規定ができると信じている者には通用しないのだろう 共約不可能性という訳か 独断と無限交代のジレンマの中での同意の設立など気の遠い話なのだろう すまん俺が悪かった 最初からこう言えばよかった 「ヒューム読め」
good は、規定されるか、規定された、概念であって 規定できるかできないかが問題になる概念ではない。 殴ることが可能なのと同じように、同意不同意に関係なく 決定してしまえる概念だ。 実際粗拳氏は自分で認めている。 「何らかの規定ができると信じている者には通用しないのだろう」 「粗拳は、善を規定しない」のであって「(誰もが)善を規定できない」のではない。 単純な勘違い。
>>71 >だからgood is good.規定できないことを示したが
「モラルはモラル」という規定をしようとしているわけじゃないんだから、
その例えには何の意味もないけど。
どういう理由かはしらないけれど、「good is good.規定できない」という
ことが言いたいあまり、問題を捻じ曲げて解釈してるとしか思えない。
>しかし何らかの規定ができると信じている者には通用しないのだろう
>共約不可能性という訳か
>独断と無限交代のジレンマの中での同意の設立など気の遠い話なのだろう
〜
>「ヒューム読め」
要するに、そういった考え方を振り回したかっただけなんだろ。
あなたがヒュームからどういった感銘を受けたかしらないが、
名刀を手に入れた馬鹿殿様みたいに、当たり構わず振り回すのはやめてくれないか?
思想にしろ刀にしろ、使うべき場所と状況というものがある。
使いたいから見当違いな場所でも振り回すというのは単なる自分勝手だ。
実際に、ヒュームの思想がこのスレのテーマにどう関係するかは分からないけれど、
あなたの述べた内容を見る限り、あなたが理解している範囲のヒュームの思想は、
このスレで私が述べた内容と直接的な関係があるとは到底思えない。
ヒュームの思想はそれなりに意義のあるものなのだろうが、
どんなに優れた思想であっても、対象としていない事柄にまで、
無制限に適用できるものじゃない。
上は君と同じく自己言及さ ちょっと絶望に浸ってみたのだよ しかし俺はヒューム信者ではなくマッキー信者だが ヒューム読めとはまさにヒュームを理解することでしかない 理解できずに、さらにそれを自覚しながら批判する行為こそ愚行の局地だ 君のような者が哲学板にいることにただ悲しみをおぼえるよ とりあえずポパー読め
>>72 なるほど
いい批判だ
しかしこうも言える
誰もが自由に規定できるということは逆説的に規定できないことを意味するのではないか
>>74 いや、ヒュームもホパーも読むよ、いつかは。
だから、あなたは不要ってことだ。
>だから、あなたは不要ってことだ。 ポパーを読めばこのような言葉も言わなくなるというのに 悲劇だね
で、話を元に戻すと、
>>1 のいう、
>個人から企業、国家に至るまで倫理観の問われることが多いのは
における「倫理観の問われることが多い」という記述における、
「倫理観」とはいったい何なのか?
ということだが。
>>77 ああそう、そのホパーを読みながら、なんら有意な発言ができないあなたは、
もっと悲劇だね。
>>79 うむ、ポパーは有意義な発言こそ重要であることを説いている
しかしこの流れと
>>78 の結果からいったいどちらの主張が有意義であったかは明白であると思えるが
ちなみに君にその有意義さが伝わらないのは俺のせいじゃないよ
それもすでに説明したけどね
>>75 >誰もが自由に規定できるということは逆説的に規定できないことを意味するのではないか
理由がない。また、後者の結論が出たとしても、それは前者の
「誰もが自由に規定できる」と並立して言える、という結論にしかならない。
また、私は自由に規定できると「観察できたことがない」
(「考えてない」ではない)。
なぜなら、構成員が属する社会内部にいる他の構成員・構成員集団によって
彼の規定は制約を受けるからである。
ただし、合意も得られることが甚だしく多いことも事実である。
善悪は、歴史的に成立してきた
(ここでいう歴史は広い意味での歴史、記述されない事柄をも含む歴史である
つまりすべての者のすべての決定や、影響の与え合いを含む歴史である)
行動に関する指示・納得するあり方のことであって、抽象された形で
成立不成立を問題にする余地がある概念ではない。
抽象された形で善悪を規定できないというあり方は、
世間一般にいう「善悪」に対する対処の一つ
「善悪を無視し、実際の行動の上では善悪を問題にされるような行動をとる」
というあり方として位置付けられるに過ぎない。
>「善悪を無視し、実際の行動の上では善悪を問題にされるような行動をとる」 >というあり方として位置付けられるに過ぎない。 ふむ、いい批判だ >なぜなら、構成員が属する社会内部にいる他の構成員・構成員集団によって >彼の規定は制約を受けるからである。 こちらではなく >ただし、合意も得られることが甚だしく多いことも事実である。 こちらに賛同できる しかし問いたい 自然主義的誤謬に対して君がどのように思っているかを 私が賛同しなかった箇所は自然主義的誤謬の批判がそのままあてはまるのではないか?
>>82 自然主義的誤謬の批判は、それが問題としている範囲において正しい。
つまり善を行動規範としてとらえる限りにおいて正しい。
善悪の規定を失敗するかどうかの問題として捉える限りにおいて正しい。
しかし、私は善悪を単なる評価の問題と考えているので、
私の善悪の定義において自然主義的誤謬の批判は妥当しない(無関係である)。
私は善悪を個々の人間が下す評価と考えている。つまり人間は善や悪を行うのではなくて、
行うことに善悪の評価を下されるのである。それによって影響を受けるかどうかは
善悪それ自体に起因する事柄ではないと考える。
>それによって影響を受けるかどうかは を、 >下される具体的な評価によってある個人の行動が影響を受けるかどうかは に修正。
>>80 いや、あなたが物知りなのはよくわかったから、
これ以上、スレと無関係なことをだらだら言うのやめてくれないか?
>>83 >しかし、私は善悪を単なる評価の問題と考えているので、
はじめて聞く意見
誰の思想がベース?
もう一つ質問
「〜〜すべきである」という当為命題は善悪とは別?
それとも評価する者にとって「〜〜すべきである」が成立し
評価する者はトマス=クーンの主張のように
権力や運が作用するといった相対主義的なもの?
>>86 レスの応答をするたびに言及した要所要所が省かれているんだが。
まともな議論をするつもりがあるの?
>誰の思想がベース 基本としている著名な思想という意味であれば、その意味での思想は ベースになっていない。ただ、参考になった記述は山ほどある。 >「〜〜すべきである」という当為命題は善悪とは別? 「〜すべきである」という命題と善悪は別。 善悪は「〜は・・・」という評価だから。(・・・に善悪に関係する表現が入る) たとえば食料を確保する上で食料をとる側の保全の必要性という観点からすれば、 それは必要なことだが、殺される食料側にとっては・・・と言いうる。 この場合、〜すべきである、という主張は、・・・を重く見るか、 食料の確保を重く見るか、という2つの論点によって決まってくる。 つまり善悪にかかわる評価が当然に「〜すべきである」という結論に つながるわけではない。 総合的にいうと「相対主義的」だろうが、権力や運が作用するという 説明は受け入れない。それらは善悪のみを起因として作用するとは 言えないから。
>>87 中途半端にあるといった程度
ついさっきまで煽り合いをしていたわけで
発想を切り替えるのがちとつらい
それと要所だけ聞いてあとは自分で調べる予定だ
残念ながら私には君との議論が成立するほどのよい対論を持ってない
(よい論点を未だ見つけ出せていない)
まずは理解するための手法ととって頂きたい
>>88 レスサンクス
ライプニツのクーン批判をベースに反論を展開しようと思ったが
一筋縄ではいかないようだ
勉強するよ
クーン批判はカルナップ ライプニツは時代が違うね
>>59 倫理(モラル)はあくまで個人に帰属すべきものと御考えですか?
(原理的にはそうだと私も思いますが)
ただ、一般的に「経営者のモラル」「裁判官のモラル」「政治家のモラル」
などと云われる場合、それぞれの社会的な立場、しかも組織化された集団
(企業・官僚・政党など)内の地位に帰属する問題など、集団レベルの
倫理(モラル)があるのではないかと(やや否定的に)理解していますが。
哲学・倫理学の純学問的な見地から見た倫理の定義については、当方不案内
ですので、ご意見があれば是非伺いたいところです。
個人的なものであっても、倫理というものは、 なんらかの集団を想定して考えられているものだと思うが。
>93 >倫理(モラル)はあくまで個人に帰属すべきものと御考えですか? 倫理は社会的な規範として考える以外、意味はないでしょう。ただし、 倫理の存在を正当化しようとすると、その論拠として個人の意志をあげ るしかないのだと思います。無論それは嘘ですが。
倫理自体の正当性? 正当を定めるのが倫理の機能じゃないの? ある倫理についてその正当性を云々しうるということは、 その倫理よりも上位の倫理が存在するってだけのことじゃないの?
what is good?の答えはヒュームの本に書かれてるの? 倫理は論理的には無前提なの? 宗教と倫理、法律と倫理の関係は? 倫理学は言語学の一種なんですか?
age
>96 >正当を定めるのが倫理の機能じゃないの? なるほど。 でも、たとえば「お年寄りを大切に」とか、「ごみはきちんと分別して」と かいう「良いこと」というのは、社会の中で決まってるよね。それは同時に胡 散臭いものとして批判されたりもする。「立て前にすぎない」とか「綺麗事だ」 とかね。倫理は社会の約束事に過ぎないのだけれども、倫理自体は自分が約束 事であることを超えた存在であることを示そうとする。「ごみをきちんと分別 すれば環境の浄化に役立ち、あなた自身の生活を快適にすることができるので すよ」みたいなね。でも、「そうすることがあなたの利益だから」「あなたの 快感につながるから」という規準は、これはもはや倫理とは呼べないよね。 そして、倫理とは呼べないものを倫理の前提にすることは、倫理自体の否定 でしかない。だから、もし純粋倫理なんてものがあったら、それはきっと「理 由なんかどうでもいいんだ! 俺の言うことに従え」と主張するだろう。実際 多くの倫理はそう主張している。というか、実際に多くの人がそう主張するた めの道具として、倫理を利用している。 そして、それもやっぱり倫理とは言えないんじゃないだろうか。
現在、一年ぶりぐらいにメタ倫理学の本を出して
読んでるけど51の批判がなかなか難しい
というのも
>>51 の最初の5行が尊敬するマッキーに近い態度なので
下手に批判すると自分の首をしめることになる
今のところ51の主張する「良さ」は構成部員が所属する社会部員を例に挙げているように
何かに属した際にその内側から見た「良さ」に過ぎない
チェスがチェスのルールに従ってその規範が存在するようなもので
それが将棋において通じるものではないように
その集団と対立する集団の存在を想像できる以上、客観的に定まった価値とは言えない(それが悪いとは思わない)
このように理解している
批判としては
>抽象された形で成立不成立を問題にする余地がある概念ではない。
の箇所と
>善悪は評価
の二点にしぼられると考えている
未だ思考中
>>97 ヒュームの答えはニヒリスティックなものですが
メタ倫理学をやるにあたっては避けて通れないと思います
ヒュームの思想を受け継いでるのはムーアでしょうか
私はヒュームの『人性論』が参考になりました
でもJ・L・マッキーがサールの批判の流れを受けて
ヒュームを乗り越えているのがやはり好きです
一度、解説書でなくマッキーの著作を読みたいのですが
日本語訳は無いと店員に言われました
自分にしてもらいたくないことを、他人にしてはいけない。 というものが絶対的な基本命題であって、それを様々な状況でどう 展開していくかということを見出すことが、倫理なのではないでしょうか。 それ以外にないと思うんですけど、どうでしょう。
>>102 なぜ、それ以外にないと言えるのか、書いてもらえませんか?
>>99 >そして、倫理とは呼べないものを倫理の前提にすることは、倫理自体の否定
>でしかない。
それはちょっと違う。
例えば、辞書を引くと、
---
■[倫理]の大辞林第二版からの検索結果
りんり 【倫理】
(1)人として守るべき道。道徳。モラル。
(2)「倫理学」の略。
--
となってる。
ここで、じゃあ、「人」の定義は倫理かっていうと、そうではないだろう。
どういうことかというと、人の定義に「正当」は無いってこと。
つまり、倫理というのは、正当性を問えない前提から始まって、
その前提をうまく保つものを「正当」と定めるものということ。
人という前提について、自由とか幸福とかいう事柄があって、
それ自体の正当性は云々できないけれど、
それらを満たせるか損なうかを考えることが人の倫理を考えることで、
そういった事柄との関係において初めて「正当」という概念が適用できる。
「倫理が正当を定める」というのはそういうこと。
だから、「倫理の前提」というものはありえるが、
「倫理の正当性を決める」ものは無い、あるとしたら上位の倫理である、
ということになる。
>103 倫理は自分と他者との関係性において必要なものであり、そこではこの命題以外に 必要最低限のものが見当たらないからです。 騙されたくない → 騙さない 殺されたくない → 殺さない 毒物を流されたくない → 毒物を流さない これをどんどん応用していけば、どんな徳目でも立てられると思いませんか? 逆にこれの他に倫理を求める理由があるのでしょうか。 けどこれは僕の認識不足だけかもしれないので、断定はしないで意見を求める形にしました。
>>105 >倫理は自分と他者との関係性において必要なもの
要するに、他者感覚(他者をその他在において理解する)を前提
とした自己意識の一形態ということでしょうか。
いずれにせよ倫理とは根源的には個人的なものとなりますが、
そうした場合、企業のモラルのような社会集団自体に求められる倫理
というのは、個人を集団に置き換えただけの比喩的な表現ということ
になるのでしょうか。
どうも両者の間には、質的な違いがあるように思われますが。
或いは倫理はあくまで個人に帰属し、集団のそれは虚偽的なものという
ことでしょうか。
先ほどから同じような質問を繰り返してスマソ
107 :
考える名無しさん :02/06/14 03:36
>>106 社会集団に求められる倫理がどういうもので、本質的に個人倫理とどう
異なるのか、僕にはちょっと想定できないです。
企業のモラルにしても、その会社全体の責任において消費者に困ることを
してはいけない、というようなことになるのであれば、個人のそれと同様
決して虚偽的ではないでしょうし、どういう違いになるのかわからないです。
>104 んー、言ってること、よくわからない。 >人という前提について、自由とか幸福とかいう事柄があって、 >それ自体の正当性は云々できないけれど、 >それらを満たせるか損なうかを考えることが人の倫理を考えることで、 >そういった事柄との関係において初めて「正当」という概念が適用できる。 というのは、個人の幸福(等)を考えることが倫理であるという意味? だとしたらそれは違うと思うぞ。個人の幸福のためにする行為が反倫理 的であることは当然あるし。多分そういうことを言いたいのではないの だろうと思うけれど、でもじゃあ何を言おうとしているのか、この文章 からは読みとれなかった。 細かくて悪いけど、「そういった事柄との関係」って、何を指してい るの? あと、「「正当」という概念」が何に適用できると言っている の? わたしが言いたいのは、倫理自体は「人は倫理のために生きよ」と要 求してくるけれど、倫理そのものは所詮人が生きるための道具にしか過 ぎないということ。
>>108 >というのは、個人の幸福(等)を考えることが倫理であるという意味?
違う。
>個人の幸福のためにする行為が反倫理
>的であることは当然あるし。
まず一ついえることは、倫理がそういった扱い方をされるということは、
一般的な倫理という言葉の用法として、
「人として守るべき道」というものの「人」の定義に、
「社会的の構成員」という意味が含まれているということだ。
ある社会の倫理は「この社会の構成員たるものは〜たるべし」という形を取っており、
「その社会を良く保つ」という前提に照らして行為の正当性を定めるわけだが、
「その社会を良く保つこと」自体の正当性は存在しない。
(いや、理屈はつけられるが、ここでは存在する必要が無い)
>わたしが言いたいのは、倫理自体は「人は倫理のために生きよ」と要
>求してくるけれど、
それは違うと思う。倫理は「〜せよ」「〜するな」という命令の集合だが、
それらには、「人は」(先に言った社会の構成員としての人は)という前提が含まれる。
そして、倫理を守るべき理由は、それらの前提に由来するのであって、
倫理自体はそのこと(つまり、人であること、社会の構成員であること)を要求していない。
料理のレシピが昆布のだしをとる場合に、沸騰前に引き上げることを要求しているが、
料理を作ること自体は要求していないのと同じだ。
普通は、その前提を自明のものとしているから省いている
(つまり、誰もが「社会を良く保つ」という前提については、無条件に受け入れているものとして倫理は語られる)
だけであって、「倫理のために生きよ」というのは、倫理以前に成立している命令であって、
倫理自体はそのことを要求していない。
>倫理そのものは所詮人が生きるための道具にしか過
>ぎないということ。
そうではないといっている人はいないと思うが。
倫理に限らず、思想というものはどういったものであっても、
そのようなものなのなのではないかね?
110 :
考える名無しさん :02/06/15 15:10
age
>109 反論を、と考えて何度も読み返してみたけれど、やっぱり意味がよく分か らない。 「倫理自体はそのこと(つまり、人であること、社会の構成員であること )を要求していない。」とか、「倫理のために生きよというのは、倫理以前 に成立している命令」とか、では一体そう命令するのは倫理でなければ何な のか。 なにより理解に苦しんだのは、昆布でだしをとるたとえ話。 どうか怒らないで欲しい。本当にわからなかったのだ。 たとえば次の主張についてどう思う? 倫理は倫理自体の正当性を証明することができない。したがって倫理 に従わなければならない理由は存在しない。 できれば、短くてわかりやすい答えを期待する。
>>111 昆布だしの話を[わかった]人はいないと思われ。
というのも、主張している内容と類比できる形象が、たとえの中に
見出せないから。
倫理を守るべき理由が前提「人は」という倫理より広い事柄に求められているのに、
なぜかその部分に対応する例えに、レシピより狭い「ひとつの指示」が
当っている。だから理解できないのは当たり前だと思われ。
レシピより狭い、というより、前提となる部分である、「人は」に レシピの「前提」でなくて「結論」がもってこられているから わからない、と言ったほうがわかり易いのかな 同じことを言ってるんだけども
>>111 >では一体そう命令するのは倫理でなければ何な のか。
もちろん、だれも命令してないよ。
>倫理は倫理自体の正当性を証明することができない。したがって倫理
>に従わなければならない理由は存在しない。
だから、最初からいっているようにそもそも、
「倫理自体の正当性」というものは最初から存在しない。
倫理を守る必要があるのは、倫理が正しいからでなくて、
「人(社会の構成員としての)であるため」であって、
その目的を持たないのなら、倫理を守る必要は存在しない。
倫理の規定する「正当」は、「人としてとるべき行動」であって、
「いかなるものであっても取るべき行動」ではない。
>>113 すまない、これは私のほうが理解できない。
116 :
考える名無しさん :02/06/23 00:04
決着つけてあげ
117 :
考える名無しさん :02/07/05 11:00
あげ
倫理とはなんぞやあげ べき論ってことですか? 守らなかったらあってもなくても同じですか?
119 :
考える名無しさん :02/08/27 11:24
>>118 つまり、倫理は未来にかかわる議論なワケ?
120 :
考える名無しさん :02/09/06 03:26
べき=規範だろうよ。
髷
122 :
考える名無しさん :
02/09/16 00:30 髭