こりない京都学派と世界的世界

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1考える名無しさん
6/6朝日、夕刊文化欄。
「『京都学派と海軍』はまさに現在的」らしい。
2考える名無しさん:02/06/06 21:55
(σ´Д`)σ  ウーン、2ゲト!!
3考える名無しさん:02/06/06 22:02
>>1
もう少し中味を詳しくキボン
4考える名無しさん:02/06/06 23:00

京都学派の末裔と海軍出の中曽根大勲位は今でも仲いい
5考える名無しさん:02/06/06 23:04
>>3
京都学派は、戦争肯定のイデオローグだったとして批判されているが、陸軍の主導の
当時の体制のなかでは、むしろリベラルな海軍のほうに協力的だった。
つまり、体制内反体制としての協力であったのだ。現在、京都学派は戦争イデオローグ
として批判されているが、継承すべき過去もある。
ヨーロッパを普遍史として捉えず、各文化圏の「世界的世界」の集積とみなす京都
学派の見方は、今日のグローバリズムに処する上での原理的な洞察を提示する、と
いうなんとも、安易な主張。
つまり、戦後の経験はほとんど抹消されているということですね。このことは、
柄谷行人が「ライプニッツ症候群」として詳細に論断していたはずだ。
6考える名無しさん :02/06/06 23:12
柄谷って電波だよな。
あんなのは真に受けない方がいいよ。

もうちょっと冷静に議論しましょう。
7考える名無しさん:02/06/07 00:07
>>5
なるほどよく分かりました。また「安易な主張」という点についても同意。

最近、京都学派の見直し(復権?)がなされていることは、関連の本や
高山岩男の著作(『世界史の哲学』)等が再版されているのを書店で
目にして薄々承知していましたが・・・。

しかし例の『世界史的立場と日本』(中央公論、1943)の座談会のメンバー
だった高山岩男・高坂正顕・鈴木成高などについては、再評価もクソも
ないと思うが。
上記の本を読めば戦争翼賛的な主張は一目瞭然で弁解の余地はない筈。
私自身の感想では、時局便乗的かつ無責任な議論で、戦時中の知識人
の最悪の側面を見せつけられた思いでした。
例の「絶対無の境地」だの「東洋思想による西洋的近代の止揚」だの
思弁的な戯言をまき散らして。
もっとも、その辺が現代日本の思想的混迷と妙なかたちで共鳴し合って
いるのかもしれませんが(W

もっとも、高山・高坂は戦後復帰して政府与党関係の連中とパイプをも
ち、文部省・教育行政面で隠然たる影響力を行使していたから、案外その
関係者(大学の教え子)たちも一役かっているのかもしれません。

それにしても戦中の海軍との関係(終戦工作に携わったという「美談」)を
云うなら、戦後の自衛隊や政府との関係など、かれらの戦後史についても具
体的に書くのが、歴史的評価(!?)として公平な取り扱いだと思うが。

もっともそれは出来ない相談ともいうべきかな(W
87:02/06/07 01:54
7の訂正:
『世界史の哲学』→『文化類型学・呼応の原理』『超近代の哲学』(燈影舎、2001)
いずれも「京都哲学撰書」。この企画の編集委員の一人が大橋良介氏(下村
寅太郎・西谷啓治・大島康正の巻を担当)。

同選書の内『世界史の理論』の内に大島康正「大東亜戦争と京都学派」が
収録されている。元ネタもこのあたりか? これだけは不覚にも購入してしまい、
読んでみて大後悔したことを思い出した(W
ただ、同巻付録の執筆者略年譜で、彼らの戦後の軌跡を知ることが出来たのが
唯一の収穫(それまでは、テッキリ戦後は没落・消滅したと勝手に思い込んで
いたから)。

なお、戦中の彼らの言動(高山・鈴木・西谷)は『近代の超克』(冨山房百科
文庫、1979、1943の復刻版に戦後の竹内好論文を付加)でも見られる。
『世界史的立場と日本』はなぜか?復刻されていない(10年前あたり迄は神田
の古本屋でよく500円前後で転がっていたけど)。

両方を読んだ感想としては、あの「悪名高い」と冠される『近代の超克』が、文
学者から科学者まで含めたためか、全体的に散漫な議論となっている(小林秀
雄あたりはマジメに議論しようとする気がない!)。
この点『世界史的立場と日本』は議論としては纏まっており、その分彼らの考
え方が明瞭に述べられている。最初は表題の座談、そして「大東亜共栄圏の倫
理性と歴史性」「総力戦の哲学」とつづき、ほぼ戦局の動向に沿った題名とな
っている。大東亜共栄圏もヒドイ内容だが、総力戦あたりになると
悲壮というか哲学的悲鳴!?的なトーンに変わっていく。

あと先に挙げた戦後に書かれた大島康正「大東亜戦争と京都学派」は、こうした
戦中の彼らの「活躍」を弁護する内容(海軍への接近と終戦工作)で、同じ京都学
派の後輩としてすぐ目上の先輩たちを庇おうという姿勢が明白。
5さんの要約の内容とほぼ同じと思われ。

それにしても何でこんな連中が再評価=復権してくるのかね?
質の悪い冗談としか思えないよ!!
9考える名無しさん:02/06/07 09:23
>>5
>ヨーロッパを普遍史として捉えず、各文化圏の
>「世界的世界」の集積とみなす京都学派の見方

「原理的な洞察」かどうかはわからないけど、
主張自体はごくまっとうで、どこが安易な見方
なのかいまいちよくわからない。
10:02/06/07 09:58
上のカキコ、ちょっと舌足らずなので補足して
おく。

「各文化圏の「世界的世界」の集積」という考えが
批難されるとすれば、所謂「大東亜共栄圏」を正当
化する道筋になったということなのであろう。
確かに「大東亜共栄圏」という思想は安易な、
あるいは悪質なイデオロギーにすぎないが、
「文化圏」云々と「大東亜共栄圏」の結びつきは
決して必然的なものではない。
「大東亜共栄圏」という考え方を批判すればたりる
ことである。

あと、気になることがあるとすれば、「文化圏」
という考え方が、閉ざされたものを想定しがちな
ことであろうか。文化圏なる現象じたいが、様々
な文化圏の交流なのであろう。

11考える名無しさん:02/06/07 14:01
「世界的世界」とかそういういいかたは、ある「場所」でしか通用しないジャーゴン
だよ。「絶対矛盾的自己同一」を想起させる。
しかも、それが実現すれば、まさに予定調和的で好ましいのだろうが、実現しない
だろうなと思わせるところが、安易だ。
「個」を尊重しながら、「全体的調和」などとうそぶいても、けっきょく、
「全体」を尊重してしまうことになるんじゃないか。
はたして、グローバリズムが各文化圏を尊重した世界的な動きだと考えられるのか。


12:02/06/07 14:20
>>11
「世界的世界」については、軽く読み流しちゃった
けど、こうして指摘されてみると、確かにヘンな
言葉だね。原典にあたってないんで、言葉として
定着させるべきものか、ジャーゴンに終わるものか
の判断はできないけど。

>それが実現すれば、まさに予定調和的で好ましい
>のだろうが、実現しないだろうなと思わせるとこ
>ろが、安易だ。
「各文化圏の「世界的世界」の集積」というのは、
実現すべき目標というより、世界史の現実そのもの
ではないのかな?もちろん、現実は不断の生成過程
にあり、文化圏自体も流動していくだろうけど。

>はたして、グローバリズムが各文化圏を尊重した
>世界的な動きだと考えられるのか。
そうじゃない要素が多々あるからこそ、京都学派的な
視点を見直そうという趣旨じゃないのかな?
13考える名無しさん:02/06/08 18:14
世界的な世界というときにその前者の世界が世界において世界的でないとき
どうするのか。
ほら、西田のようになってきた。
14考える名無しさん:02/06/08 18:16
それほどに、西田を再評価したいのなら、中村雄二郎のように歴史的文脈を
抜きにしてすればいい。≫新京都学派
15考える名無しさん:02/06/08 21:58
こういう知識人の嫌な体質は、いまだ京大に残ってるんだぜと友達が京都弁で言ってました。
16考える名無しさん:02/06/08 22:09
京都学派の世界史の哲学は、やはり所詮は飲み屋の与太話といった域を出ない
ものと思われる。が彼らの、といっても西田の、宗教哲学と三木清の
構想力がらみの論考は研究する価値があると個人的に思う。それにしても
京都学派は「京大学派」の殻を破らなければ自家中毒に陥る(陥っている)
のではないか。不勉強のため中村雄二郎の西田論が学会でいかに評価されている
のか知らないが、京都学派系の集まりではまったく無視(というかタブー視)
されているようだ。
17考える名無しさん:02/06/08 22:43
やっぱ京大の哲学研究ってクソだよね。
パリ大学目指そうっと
187=8:02/06/09 19:31
前のカキコでは、スレタイの方向性に添って、やや印象批判に走りすぎたので、
(賛否を含めた)もう少し突っ込んだ議論が必要かと思われ、再度カキコ。

>>9
「各文化圏の「世界的世界」の集積」や「京都学派的な視点を見直そうと
いう趣旨」云々は、高山岩男あたりの文化の諸類型としての世界史という
あたりの議論を念頭に置いたものでしょうか?

>>14
>中村雄二郎のように歴史的文脈を抜きにしてすればいい。
もし出来るならいま少し詳しい説明を希望。

>>16
>西田の、宗教哲学と三木清の構想力がらみの論考は研究する価値があると
>個人的に思う
上の意見に見られるように、京都学派といっても、西田以下、田辺・和辻・
三木・戸坂・下村・世界史4人組など人により多様。なお、この点は竹田篤
司『物語「京都学派」』(中公叢書)からも明らか。

西田や田辺と世界史グループ(高坂・高山・鈴木・西谷)とは区別して
論じるべきでは。個人的には、西田についてはいまひとつ理解出来兼ねた
が、西田(田辺)門下の戸坂の科学論・イデオロギー論、三木の歴史哲学
等には興味をもっている。
やはり、京都学派として一括して評価を云々するより、個性的な個々人に
ついて論じるほうが、生産的と思われ。
他の人の意見をキボーン。

19:02/06/10 09:40
>>18
ごめんなさい。私は高山岩男は読んでいません。
(『世界史の哲学』こぶし書房新社で出てますが。)
私のカキコは、あの新聞記事の文字面だけみて書いた
ものです。
あなたの趣旨は、西洋史が普遍史ではなく、各文化圏
の歴史の集積が世界史を構成するということまで否定
されるということなのですか?

広松渉の『「近代の超克」論』(講談社学術文庫)を
みていると、高山や高坂の議論が批判的に紹介されて
います。そこから判断する限りでは、西洋のイメージ
が精神史に傾きすぎており、また、その捉え方自体に
ついても、各時代区分を対立的に捉えすぎていること
が気になります。(神中心の中世的統一と、人間中心
の近代的分裂とか)
もとの西洋の捉え方が図式的だから、東洋との対比も
図式的にならざるを得ない、というか、図式の操作が
一人歩きする感じでしょうか。

あと、現実の日本の立場についての把握が弱いという
のはどうしようもない。悪質な御用学者か、よほど
ナイーヴなのかといわれても仕方がない。

でも、現代の我々だって、この程度の議論の水準に
落ち込んでいることなど結構多いのでは?
(文明の対立論とか、日本人論とかね。)
20考える名無しさん:02/06/10 10:20
>>19
>現実の日本の立場についての把握が弱い
というよりも、現実の日本を見ないことによって
彼らの言説が、成立してるのでは?
いろんな人が指摘してるけど、彼らの西洋対東洋という
対立図式は、東洋内部の日本対中国という対立を
隠蔽することによって、成立してるんだし。
21考える名無しさん:02/06/10 11:51
>>20
言葉というのはそうゆうもんでしょ。日本といっても関西と関東の、
関東といっても、東京といっても、私といっても昨日の私と今日の私....

ああ無限遡及! 
22:02/06/10 12:00
>>20
また広松氏の著書の孫引きで恐縮ですが、
高山は、日本と中国の対立については、見苦しい
言い訳はしてるけど、隠蔽などしていないですよ。
彼らとしても気になるポイントだったのでしょう。
23考える名無しさん:02/06/11 00:12
>>18
中村雄二郎の西田評価は、微妙なニュアンスがあって誤解されやすいので、
岩波現代文庫『西田幾多郎』T、Uをお勧めします。
簡単にいうと、現代哲学の問題が、西田においてすでに提出されていたという
主張です。
2418:02/06/11 01:27
>>19
>あなたの趣旨は、西洋史が普遍史ではなく、各文化圏
>の歴史の集積が世界史を構成するということまで否定
>されるということなのですか?
いいえ。そういうことではありません。
西洋史=普遍史は、最近のオリエンタリズムに関する議論からも批判の対象。
各文化圏の歴史の独自性と相互関連性を重視すべきという議論に賛成。

>もとの西洋の捉え方が図式的だから、東洋との対比も
>図式的にならざるを得ない、というか、図式の操作が
>一人歩きする感じでしょうか。
>あと、現実の日本の立場についての把握が弱いという
>のはどうしようもない。
私の方は広松を読んでいないのですが(W 高山の議論や例の座談を見る
限り同感です。また20さんの「現実の日本を見ないことによって彼らの
言説が、成立してるのでは?」にも同意します。

彼らの場合、形而上学的な文化諸類型(西洋vs東洋)が先にありきで、いわば
それを使って戦前・戦中の現実を所与として「合理的」に解釈してみせたにす
ぎないと思われ(だから当事者たちには時局便乗という意識が希薄)。
また西洋に対抗する東洋文化も、従来の西洋=普遍という立場のひっくり返し
にずぎず、しかも日本と中国(朝鮮)などとの文化的差異を異質対等とは考え
ず(日本の優越性を前提、しかもその価値序列の基準は西洋的な近代化の程度)

>でも、現代の我々だって、この程度の議論の水準に
>落ち込んでいることなど結構多いのでは?
>(文明の対立論とか、日本人論とかね。)
残念ながら同意せざるをえず。戦後竹内好が、近代の超克の問題はまだ終わって
いないと述べている。最近のナショナリズムの台頭を見るにつけ、またかつて
のような意識レベルのみでの「超克」となるのか(前のは一応「悲劇」だが今
度はホントの茶番になる)、それとも多元的な文化の共存が現実化するのか、
岐路にあると思われ。

2518:02/06/11 01:33
>>23
サンクス。やっぱりそういうことになりますか。
買うのは容易だけど、読んで理解するのが大変ダ(W
>>18

 戸坂潤って西田門下なんだねー。唯物論者に
しては文化の香りがするのは、そういうことか。
27考える名無しさん:02/06/11 13:13
ライプニッツ症候群って何?
この程度の議論にライプニッツを持ち出す
のは、ライプニッツに失礼では?
28考える名無しさん:02/06/11 14:14
>>27
とりあえず、出典だけ。
柄谷行人『ヒューモアとしての唯物論』「ライプニッツ症候群─吉本隆明と西田幾多郎」
29考える名無しさん:02/06/11 18:43
廣松渉の『〈近代の超克〉論』は、最終的には、肯定的に継承されていくんだよね。
それから、京都の人は自説の強化に「近代の超克」を使うけど、実際あの文脈では、
「近代の超克」座談会(中村光夫、小林秀雄)は、京都学派批判として企画されているんじゃない?
30考える名無しさん:02/06/12 00:02
正直言って、戦争を正当化しようが、京都学派を評価するのは難しいと思う。
31考える名無しさん:02/06/12 11:06
>>29
でも、文学界グループの京都学派批判って、
広松に言わせれば、理論以前、批判以前の代物
だそうな。
理屈をこねるよりはカッコよく見えるという
程度とか。
32考える名無しさん:02/06/12 13:49
>>31
だから、廣松氏は「近代の超克」を継承してたんだって。
33考える名無しさん:02/06/12 18:42
http://news.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1023746900/
【社会】「京大の教え方、低レベル」と米大が学生交流を保留[06/11]
34考える名無しさん:02/06/22 21:29
嗚呼、盛り下がり。まともな議論ひとつ起こらない。まあ、こんなものか。
35考える名無しさん:02/07/04 17:39
>>1
とりあえず、買ってきますた
36考える名無しさん:02/07/04 19:53
>>34
どんなもんでしょうかねぇ
37考える名無しさん:02/07/07 04:02
保守あげ
38考える名無しさん:02/07/07 21:19
>>1
>>35
私も夕刊読んで気になっていたため、今日買ってきたんだけど、
後悔しきり。
「薩摩藩を主なる閥とする陸軍」とか、「海軍はフランス式」とか、
PHP、少しは校正してやれよ。(つぅか、やってねえだろうな、ありゃ、
そうそう、元号で文字が欠けてましたよ。。。)
ともあれ、大橋君、ご自身はお嫌いなコンテキスト度外視の引用
(例えば、柄谷)とか、「透明な狂気」とか、楽しませてくれ、
Myお馬鹿殿堂入り決定しました。






39 :02/07/12 22:25
そうですね。大橋センセ、焦りのあまりDQN本出してしまいましたね。
京都の神経戦・消耗戦はそりゃもう大変どすなぁ。
40考える名無しさん:02/07/16 20:38
近々、京都学派の思想って本もでるとか
41考える名無しさん
高坂、高坂。