1 :
考える名無しさん :
02/05/08 21:14 アルバート・カミュの「異邦人」と「幸福な死」を 読んで面白いと思い具体的にカミュの思想を知ろうと 「シーシュッポの神話」を読んでいるがさっぱりわからん。 不条理って人間が行動する時の意図は他人には図り知りえない ってことだと簡単に解釈していたが、 「この世界は理性では割り切れず、しかも人間の奥底には明晰を求める 死に物狂いの願望が激しく鳴り響いていてこの両者がともに対峙 したままの状態である」ってことだそうだ。 このあとサルトルとの合作「革命か反抗か」を読むつもりです カミュとサルトルについて特に不条理についてもっと深めたいので レスよろしこ
シーシュポスは石を押し続ける。 山の頂上に到達した途端、石は山の斜面を反対側へ転がり落ちていく。 努力は実ることはない。 けれどもシーシュポスは石を押し続ける。 不条理な反抗。
シーシュポスは何度読んでもわからん。 ニーチェやフッサールかじった後でも分らん。 「不条理」てなんだ。
>3 文学の表現を使って論証しているので読んでて面白いが 結局なんなわけ?ってなるよ。今50ページ付近。 「人間的な呼びかけと世界の不当な沈黙とが対比される不条理」 「非合理的なものと人間の郷愁、両者から立ち現れる不条理」 これってなんなわけ?
5 :
考える名無しさん :02/05/08 22:03
今夜のニュースに注目!! 今夕のニュースの森でも出たように、2ちゃんねるのことを報じる可能性大!! とくにニュース23は要チェックだ! 詳しくはニュース実況板「ペット大嫌い板における猫虐殺事件」で。
age
7 :
弥勒 ◆R0eWkIpk :02/05/17 00:26
ここって誰も書き込みがないので、「どうせ削除されるなら」っていう態度で
現時刻からJACKします。たぶん
>>1 も、自分の立てたスレ忘れているのかな?
8 :
弥勒 ◆R0eWkIpk :02/05/17 00:29
現在僕らの前には、ただひとつのこと、世界のあの厚みとあの奇怪さだけがある のだが、それが不条理だ。 人間もまた非人間的なものを分泌するのだ。全てが明晰に見えてくるようなとき、 人間たちの動作の機械仕掛けじみた外観、つまり人間たちの意味を失ったパント マイムが、彼らを取巻く一切を愚かしいものに化してしまう。ガラスのはまった 仕切りの向うで、ひとりの男が電話をかけている。声は聞えない、身振りは見える が、それには意味を伝えてくる力は少しも無い。すると、その男は何のために 生きているのだろうかという疑間が湧いてくる。人間自体にある非人間性を前に したときのこの不快感、僕らのあるがままの姿を見せつけられたときのこの測り 知れぬ転落、現代のある作家の言葉を借りていえば、この≪嘔吐感≫、これも また不条理なものである。同様に、僕らが鏡に眺め入っていると、ときに、突然 僕らの眼に映ってくる異邦人、僕らが自分の写真の中に見つけ出す、見慣れては いるが何か不安を掻き立てる兄弟、それもやはり不条理なものだ。 最後に死のことを、また死について僕らの抱く感情のことを語ろう。この点に ついてはすベてが言い尽くされているのだから、悲痛な口調は控えるのが礼儀と いうものだ。とはいえ、世間の人びとのだれもが、まるで≪死を知らぬ≫ように して生きていることには、いくら驚いても驚き足らぬだろう。これは実は、死の 経験というものが無いからだ。本来、現実に生き、意識したものしか経験で ありえないのだが、この死という場合、せいぜいのところ、他人の死につい ての経験を語ることしか出来ない。そんなものは代用品、精神の一見解にすぎず、 僕らはそれを固く信じているというわけでは決してないのである。こういう死、 もの悲しいが、じつは世間での黙契の上に成り立っているにすぎぬもの、それには 説得力などない。じつは恐怖は死という事件の数学的側面からやってくる。 時間が僕らに怖ろしいのは、時間が証明を行い、解答(理解)はそのあとから やってくるからである。魂についてのどのような美しい論説も、全て、死という この事件に向い合うとき、少なくともしばらくのあいだは、いわばつぎつぎと 験算を受けるようにして、その論証するところ(人間存在の有意義性)と反対の 事実を突き付けられることになる。
9 :
弥勒 ◆R0eWkIpk :02/05/17 00:51
コリン・ウィルソンの『アウトサイダー』でちょこっとしか出てなかったので、 今、人文書院ハードカバーの『嘔吐』〜サルトル著、を読んでいる。 ここでの『嘔吐』はいったい何かというのを掘り下げていこうと思う。 これは某スレッドでの自分の書き込みである。 私たちは『不可知』の世界に生きていると考えます。これは私の判断ですが、 ある対象が【それである】と定義するには、それでない対象や状態から比較 分析しない限り、その対象が【どのようなものであるか】を判断することは 出来ないと考えます。我々は昼の世界と夜の世界を認識していますが、もしも 生まれてから一度も光を見たことの無い暗室で育ったならば、【暗闇】とは 何であるかを認識することは出来ないでしょう。砂糖を甘いと味覚で認識 出来るのは、他の味を認識したうえで、【甘い】味覚とは何かを自分で理解 出来ているからだと考えます。甘味以外に口にしたことが無い人間に、甘味 とは何かを定義しうるかどうかという問題です。 我々はこの世界に『存在』していますが、我々は『非存在』とは何かを 本質的に理解することは不可能です。何故ならすでに“存在”し終わって いるのだから・・・『非存在』を、存在の立場から触れることは出来ない。 “死”そのものを、生きている状態から触れることは出来ないのと同じです。 (来世とか臨死体験はここでは度外視します。ややこしくなるので・・・) 同じく、我々の主観は「意識そのものが生まれる以前の状態」(無意識の 生まれる以前ですら)を理解することは出来ない。その根源へ到達する ことは、すでに生成し終わった“意識”からでは到達出来ないのです。 つまり、『存在』とは何かを理解することも、意識の『根源』がどのような ものであるかをも理解することも出来ない、『不可知』の世界・・・ 私は哲学で、もっとも根源的な問いとは「存在とは何か?」だと思っている。 これは“私”という肉体的存在、主観への問い、存在する客体世界すべてへの 問いである。 なぜ存在するのか? それはすでに存在し終わっている我々には、別次元的な 彼岸性を持っている。存在することから『存在しない』ことに触れることは 出来ないからである。
10 :
弥勒 ◆R0eWkIpk :02/05/17 01:12
我々は決して『存在』そのものの本質に触れているわけではない。 私はこうしてパソコンのモニターを眺めやる。キーボードで字列をタイプする。 私は眺めているものが「モニター」であることを知っている。綴りはmonitor… Cathode Ray Tube Displayと辞書に書いてあるのでそれでもいい。 17インチである。メーカーは“M”。展示された中で一番黒が引き立って見えた ので購入した。価格は2万を切っていただろう。記憶ももう曖昧だ。 季節がいつだったか、長袖だったか、Tシャツであったか・・・ 検索をすれば、ディスプレイの内部構造を図で説明する工学系のページも見つかる だろう。光の三原色やコントロール調整用に組み込まれた半導体素子の構造、 電気配線の難しい記号の羅列に目がしぼむかのようである。 私は、様々な名称や概念・観念、社会通念によって、『ディスプレイ』や 『キーボード』を誰かに説明することが(努力して勉強すれば)出来るだろう。 だが、『存在』する、というその原初的な前提を説明することが出来るだろうか?
11 :
弥勒 ◆R0eWkIpk :02/05/17 01:15
そうやって私は初めて気づくのだ、 「存在とはなにか?」を・・・ いったいこれは何なのであろうか? なぜ存在するのか? 『存在する』とは そもそも何なのであろうか?
12 :
弥勒 ◆R0eWkIpk :02/05/17 01:26
すると私は、自分の周りに様々な「えもいわれぬ得体の知らないもの」に取り 囲まれている“自分”を発見する。いままで普通に、社会通念や観念として 呼び習わしてきたものが少しづつ剥げ落ちていく。日焼けの後の、はれた背中で 醜いかさぶたのように剥がれていく皮の如くに、『名称』が、『意味』が、 それらの【物体】から剥離してゆくのだ。 それが何であったか、今ではもう思い出せない。名称や概念は、すでにその物体 から遊離して歪んで見える。それが果たして【物体】であるのかさえ、今では 判らない・・・
スレJACKか。1000までやるのかい?
弥勒さんに質問です。 人間も生物も宇宙も同じ物なのですか? 全てが同じ真理で存在しているのですか?
15 :
考える名無しさん :02/05/17 01:40
>>14 宇宙とか量子物理学の前提として?
ここでは「観念への懐疑」とかも範疇に入るだろう?
16 :
弥勒 ◆R0eWkIpk :02/05/17 02:10
>>8 は「シーシュポスの神話」から。
今回は質問に答えないで、落書きのみに徹底(面倒臭いから)。
JACKなので、『私物化』します。
考える名無しさん で他人事として横槍を入れる
『ジサクジエン形式』での、一つの試み。
テーマ自体が論証不可能なので、思考停止してEND、まで。
ジサクジエン形式ね。 落語家みたいに一人何役もこなそうってわけか。 しかし、きついぞ、それ。
18 :
弥勒 ◆R0eWkIpk :02/05/17 02:30
全部は無理! 他人事として突っ込みに参加するってこと。
19 :
考える名無しさん :02/05/17 02:33
それってみんな普通にやってる
スレJACKを他の板ですると面白いぞ。 例えば、モー娘板なのに哲学的カキコで 押し通すとかな。
21 :
考える名無しさん :02/05/17 02:46
22 :
考える名無しさん :02/05/17 02:48
ジャニーズ系でやったほうが面白くない? 美麗字句並べて、趣旨に沿いながらまったく理解されないとか…
23 :
考える名無しさん :02/05/17 02:49
しかも以上に長文
24 :
Aurelius ◆ESSE.EOM :02/05/17 02:54
スレジャック、、もう今してるようなもんかもw
だいぶカキコしたので疲れたので一服。。
「革命か 反抗か」だっけか、あの往復書簡。
>>20 前にパチンコ板でグダまいていたヤツを知っています。。w
25 :
考える名無しさん :02/05/17 03:09
>>20 お前、現にそれやって邦楽板から追放されただろが!
今度はモー娘板に襲撃予告か?(w
26 :
考える名無しさん :02/05/17 03:11
そのときはリンク張って告知して。
27 :
弥勒 ◆R0eWkIpk :02/05/18 21:11
我々は様々な観念の中で生きている。いや、『生きている』という括りによって 思考することすらが、すでに『生きて』いることのリアリティとかけ離れたところに あるのかも知れない。私は果たして生きているのか? いや、そもそも生きて いること自体が何であるのかさえ、今の私には解からない。 真夏の溶け出しそうな陽射しのなかで、陽炎の揺らめくアスファルトの道を いつまでも歩いている。汗でシャツが背中に張り付いている。 水をかぶったかのように全身の汗が服に染み込んで、歩き辛くさせている。 黒い影が道端に溜まって見える。近づけば猫の礫死体だった。 折れたアバラ骨が皮を破り、やけに白く光っている。 身体の周りに黒い水溜りのしみが拡がって乾燥している。赤茶けた肉片が タイヤの溝模様づたいに点在し、伸びてすぐ消えていた。 ひとつの“死”がここに転がっている。それはもう動くこともない。 砕かれて判別のつかない顔は何も語らない。ただ濃淡のある肉塊が 空洞の頭蓋骨からはみ出しているだけだ。腐臭が熱を帯びて立ち昇ってくる。 こいつは数時間前には確かに生きていた。こいつの視界にはこの存在する 世界が映し出されていたはずなのだ。旨いか不味いかは知らないが、野良猫 なりの食べものを口にし、眠り、起き、猫なりの『暮らし』のなかを生きていたのだ。 いまこうして彼は一個の肉塊となって、ここに静止している。もはや動かない。 “死”とは何か? 私には解からない。私はまだ“死”を知らない。 ふと吐き気を覚えてえづきそうになった。背筋を伸ばして深呼吸する。空っぽの 胃から食道の上まで、ゆるゆると液体が滑り降りている。 ありえない角度でいびつに歪んだ下半身が、彼の性別を判明させている。 彼は最後の瞬間に何を考えただろう。恐らくは戦慄が背中を駆け抜けたのでは ないか? 激痛はどれくらい続いたのだろうか? 断末魔の意識は、どれくらい 長く保たれたのだろうか。意識が無くなるそのフェードアウトの先には、何が 待ち構えていたのだろう。光の彼岸だろうか、それとも虚無の闇だろうか… 消え行く意識はどんな風景を捉えていたのだろうか。 いや、そうではない。彼の顔面は吹き飛ばされてもうないのだ。即死である。 痛みを感じる時間も無かっただろう。衝撃が瞬間を無限に引き伸ばそうとする その一瞬に、彼の意識も静止しながら消滅したのだ。 彼は虚空の闇が彼方へと続くのを感じただろうか。背中向きに崖下に転落 するような、取り返しのつかないような恐怖が彼を包み込んだのだろうか。 それとも何も理解できぬまま、彼の意識は消滅したのだろうか。
28 :
弥勒 ◆R0eWkIpk :02/05/18 21:12
ただの腐りかけた肉。悲愴感もなく、即物的な剥き出しの存在。否定できぬ実存。 乾いた現実がそこにある。それは何も語らない。 ふとテレビで観たワンシーンを思い出した。ベトナムだかカンボジアだがの内乱で、 将校からゲリラ兵捕虜がこめかみを銃で撃ち抜かれるシーンだ。 こめかみに小さな点が写った瞬間に、白目を剥いて引き攣れを起こしながら、 マネキンのように横倒しになるシーン。空中に、冗談のような勢いで血と脳漿を 噴き出している光景は、私の思考を強制停止させた。“死”の即物性と、彼の 今まで営んできた悲喜こもごもの人生が、引き金に力を込める人差し指一本で 決まってしまったという、その嘘のような単純さ。嫌な気分を払拭したいのに 笑い飛ばすことすら出来ないリアリティ。非現実的な事実・・・ “死”とは何なのだろう。肉屋の店内を照らす、透明ガラスの電球の光のように、 きらきらとやけに眩しく陽の光が降り注いでいる。腐臭で嗅覚は麻痺してしまった。 “死”、“死”、“死”、この『言葉』も空虚だ。それは現実での【リアリティ】に全然 とどいていない。それはただの『名称』にすぎない。名前はただ“名前”であって、 本質そのものではないのだ。物質存在としての遺骸に、吹き付ける風が背中の 毛をなびかせている。それは何も語らない。ただ在るだけだ。 (続く)
おそらく、不条理とは真理を把握してもなお 朝日がいつものように当たり前に昇る白々しさ に似ている。いかに優れた世界視線を手に入れようと、 世界の運行は物理学的な様相の外へ一向に出ようと しないのだ。このナンセンスさ!
無論、不条理とはマネーの虎であることに 変わりはないのであるが。
31 :
考える名無しさん :02/05/19 02:21
32 :
考える名無しさん :02/05/19 08:03
33 :
考える名無しさん :02/05/19 11:20
34 :
考える名無しさん :02/05/19 19:23
ウィトゲンシュタインとかゲーデルを読むと、シジフォスへの理解は深くなる。
35 :
考える名無しさん :02/05/19 19:31
36 :
ウィトゲンシュタイン :02/05/19 19:33
世界は事実に分割できる、と。
37 :
考える名無しさん :02/05/19 20:41
不条理って日本人の解説者の言葉じゃないの?
38 :
弥勒 ◆R0eWkIpk :02/05/19 21:33
「嗚呼、私の魂よ、不死の生に憧れてはならぬ、 可能なものの領域を汲み尽くせ。」 ピンダロス『ピュティアの祝捷歌第三』 扉に引用されたこの文章が、テーマを語っている。なぜカミュは冒頭から 『自殺』という基本的に敬遠されがちな事柄について語り始めるのか? それは『“生”のリアリティ』というものに肉迫するためである。 自殺という一つの『結論』から遡り、中盤以降からは「より活きよう」と 飽くなき戦いを『期限付きの、限定された“生”』に対して挑む人々の姿が 描かれる。彼らに諦めるような素振は少しもない。いや、それらを了解しつつ なお“生”を味わい尽くそうとしているかのようである。【死】は絶対支配の 法則を持って我々の眼前に立ちはだかっている。にも関わらず、それに目を 背けず、「観念論的妥協・折衷=宗教的慰安」などに逃げず、「生きること」 そのものに忠実たろうと努める『ひと』の姿を描こうとしているのだ。 なるほどこれは不毛な努力である。何故ならば最初から結論は決まっている のだから…。だからここで取りうる態度は、最初から考えないか、とりあえず 忌避・黙殺するか、それを自覚して稀少性を見い出すかのいずれかなのである。 「人生は生きるに値するか?」 まず第一の問いがなされる。“死”という結論が必ず有るのに、これに容易に 答えるのは難しい。「終わること」の現実を拒絶することは不可能なのだ。 だが我々は、普通の生活においても、出来る限り其処に目をとめないように 避けて通っている。 カミュは、ショーペンハウアーが『自殺』を賛美しながらも豪勢な料理に 囲まれて食事をしていたという話を引き合いに出す。なるほど自殺志願者 ほどに“死”に対して切迫した状態であれば、このような態度になるのは 難しいだろう。観念論で駄弁ることと、“死”を覚悟する真摯さは別の次元に 在ると考えなければならない。(オマエモナーとかは要らんぞ…) とすれば、精神が生きてゆくのに必要な(“死”を黙殺する)眠りを精神から 奪ってしまうこの見定めがたい感覚とは、いったい、どのようなものなのか。 たとえ理由付けが間違っていようと、とにかく説明できる世界は、親しみ易い 世界だ。だが反対に、幻と光を突然奪われた宇宙(不可知の世界)の中で、 人間は自分を異邦人と感じる。この追放は、失った祖国の想い出や約束の地 への希望を奪われている以上、そこではすがるべき綱は一切絶たれている。 人間とその生との、俳優とその舞台とのこの断絶を感じとる、これがまさに、 〔なんとも筋道の通らぬ、およそ理というものに反したという感覚〕 不条理性の感覚である。自殺を想ったことのある健康人なら誰でも、これ以上 説明をしなくても、この感覚と虚無への熱望との間には、直接のつながりが あると認めることが出来るであろう。 “死”という自明の摂理が、自分自身に間違い無くやってくるという非情なる 現実に打ちひしがれるとき、世界存在の中にある自分自身の『絶対的孤独』を 理解する。一切の【存在】が、自分となんと懸け離れた距離のもとで対峙して いることか! なんという【乖離】か・・・ この何ひとつとして接点の無い、奈落に堕ちるかのような距離が、一人の人間 に『嘔吐』を起こさせる。この抜き差しのならない立場から、その人間は、さらに 己が足を踏み出そうとするのだ・・・。
カミュは、自殺した、或る不動産管理人という例を出して語る。 「(自殺へと近づかざるをえない徒労めいた)思考を始める。これは心の内部に 穴が空き始めるということだ。こういう発端に『社会そのもの』はあまり関係 していない。蝕み食い荒らしてゆく蟲は、外部の社会にではなく、ひとの心の 内部にいる。ひとの心の内部にこそ、元凶たる蟲を捜さなければならない。 【実存】に真っ向から向き合った明察から、光(社会通念的な当然の世界観)の 外への脱出(実存的リアリティ)へと至り、“死”をもたらすあの動き、それを 追跡し、理解しなければならぬ」 もっとも、“死”について語るより前に、我々は“生”についてどれだけ理解して いるというのだろう。「何のために生きるのか?」と問われて即座に答えを返せる ひとは思っているほど多くはないことを我々は経験上知っているが、使命感めいた 目的でも持たない限り、「それを見つけるために生きているのさ!」などと青臭く 好感の持てる答えしか口に出来ないのが実際のところではないだろうか。 我々は何故生きるのか? 彼はこう語る。 「もちろん、生きるということは決して容易な事では無い。ひとは、この世に 生存しているということから要求されてくる様々な行為を、多くの理由から やり続けているが、その理由の第一は『習慣』というものである。」 生き続けるということは当たり前のことであり、わざわざそれを考えるような 無駄な時間を費やすより、来週の休みの予定を組んだり、テレビドラマの次回の 展開をお喋りしているほうがよほど有意義であることは言うまでもないだろう。 我々はなぜ生きるのか? 生き続けているからである。自明の事だ。 しかし、ひとは「生きない」という選択肢をも採りうる。そのことの視点を其処に 挟み込んだならば、我々はもう一度、『習慣』で生きることに【正当性】は有る のか?という疑問を真面目に取り上げなければならないのではないか。 それにどう答えるのか? 「有る」と答える事も、「無い」と断言することも出来る。 だが、これは論議するための対象ではない。「生きることに意味は無い」と宣言 しながら「意味は無くてもその“無意味”の中を渡り続けるのだ」と死ぬ気の無い 人もいっぱいいる。無意味を終わらせる『意志決定』もまた、簡単ではないのだ。
カミュは生きることについての『意義性』の考察として、その反対の“自殺”を 考察し、問題の裏側から地盤を固めようとしていることは前に書いた通りで あるが、いまここでの問いは、「不条理と自殺との間の関係、自殺が何処まで 不条理の解決となるかというその正確な度合いである。(…問題に対して 真摯であれば…)生存の『不条理性』の確信が、彼の行動を支配するはずだ。」 となる。つまり生きること死ぬことに対して突き詰めて考えたことも無く、 なんとなく習慣と惰性で生きてきたような凡庸さはここでは度外視されている。 “死”に対して少なくとも凝視の目を逸らさなかった者の真剣さだけが対象で ある。問いを整理すればこうだ。 「“不条理性”に在る【世界】と【我】の関係性において、あるべき真摯さ を突き詰めればどういう態度・行動となるのか?」 第一に、自殺という行動が挙げられた。 「自ら意志して“死ぬ”とは、この習慣というものの実につまらぬ性質を、 生きる為の如何なる深い理由も無いということを、日々の変動の馬鹿げた 性質を、苦悩の無益を、たとえ本能的(無自覚・衝動的)にせよ、認めたと いうことを前提としている」 第二に、後述することになるが、『信仰』や、諸々の意義性を持った観念に縋り、 『希望』という餌(馬を走らせる鼻先の人参)を吊るすということである。 これは否定されるべき欺瞞であると彼はいう。不条理の自覚に至った視点から では、これは一つの『不誠実』であると見なされてもしかたがない。 (もちろん、これ無しにどうせよというのか、という『目的性』の問題に ついては後半で反論してゆくことにして、ここでは手を出さないでおく。) 「死後にもう一つの“生(来世)”を『ご褒美として生きられる』ように 務めなければいけないと考え、その、もう一つの“生”を希望する。いや、 それは希望というよりはむしろ【欺瞞】だ。“生”そのもののために生きる のではなくて、“生”を超えた何らかの偉大な観念、“生”を純化・普遍化 し、“生”にひとつの意義を与え、そして“生”そのもののリアリティを 裏切ってしまう『偉大な観念』の為に生きている人々の欺瞞なのだ」 問題は第三の選択である。それは“生”のリアリティに生きる、ということで ある。これを明快に説明することは難しい。それは語られるべきものではなく、 『活きる』べきものだからである。 “死”という理不尽さを直視しつつも、「生きて在ること」に対して誠実で あろうと努めることである。それは『不条理』を事実として受け止め、逃避・ 飛躍することなく真摯であり続ける事が出来るか? という問いである。 果たして『不条理』の自覚を透徹させて生きることは、可能なのであろうか?
不条理の自覚は、世界と自分をもはや取り返しのつかないほどに隔絶させて いる。普遍的な論拠など、ありはしないのだ。彼は語る… 「ここで必要とされるのは、不公平な思考、つまり(己のための)論理的な 思考、ただそれだけである。これは容易な事では無い。なるほど、論理的で あるということは、常に楽に出来る。が、極限までその論理に忠実であり 続けるというのは、ほとんど不可能なことなのだ。(中略) このように考えてくると、自殺についての考察は、僕の関心をそそる唯一の 問題、『死に至るまで貫かれた論理』が存在するか、という問題を提出する 端緒を僕に与えてくれる。(中略)…多くの人々が、この論証を始めた。 だが、その人々は果たしてこの論証を厳しく貫いただろうか、僕はまだそれを 知らない。」そしてそれは、問われなければならない・・・
ageabura
43 :
考える名無しさん :02/05/24 01:37
佐野のらーめん
44 :
考える名無しさん :02/05/26 03:50
みろくはどこいった?
45 :
ジャン・ソール・パルトル :02/05/26 13:33
「実存主義はヒューマニズムである」を読んでるんですけど、 最初の方で実存と本質をペーパーナイフで説明してるところで 「本質は実存に先立つ」って書いてあるんだけど実存が本質に 先立つんじゃないんですか?現にそのすぐ後にはそう書いてあるし・・・ だれか説明お願いします。
46 :
考える名無しさん :02/05/26 14:00
あげ
>最初の方で実存と本質をペーパーナイフで説明してるところで >「本質は実存に先立つ」って書いてあるんだけど実存が本質に >先立つんじゃないんですか? 其処だけ切り取られてもワケわからん、 全体の流れはどういうふうな感じで書いてあるの?
不可知の世界とは我々の“知”の限界を意味している。あらゆる学者、研究者が 真理を解明するための苦闘を日夜続けているが、科学やその他諸々の部門の 研究が発達すればするほどに事態は益々複雑さを増しているように見える。 二十一世紀、我々は未だに宇宙の全容を知らず、素粒子群の更なる先をも知らない。 我々は極大と極小という両極を智ることもなく、自分たちのテリトリー(と言って も軍略核などの自滅要因の技術も含めてだが・・・)の中でつつましやか(?)に 暮らしている。我々はもしやこの世界に在って、知り尽くせない事柄のほうが 多いのではないだろうか? もっと簡単な話をすれば、我々はやがて自分に会いに来る、招かれざる客の 素性さえ知り尽していない。死神に喩えられる、自分の“死”についてである。 いったい今までに我々人類は、どれくらい身近な者の『旅立ち』に立ち会って きたのだろう。どれくらい別れの涙を流したのだろう。 『自然』を観察すれば、無数の生命と共に、同じだけの“死”がいたるところに ころがっているのに気づく。“死”なくしては次の“生”の土壌すら有り得ない。 生い茂る瑞々しい若葉の足元には無数の枯れ葉が敷き詰められている。その下に 蠢く昆虫や節足動物、ミミズ、その他の数限りない生き物たち・・・ “生”は他者の“死”を糧として営まれているのだ。“死”は不可分の“生”の 要素なのだ。なのに我々が“死”を理解することは無いのだ! 我々は自然の一端として常に“死”に囲まれて生きているのに、それをほとんど 理解せずに生きて終幕を迎えるわけだ。こんな事がありうるのだろうか? 然り、ありうるのだ・・・ 我々が物事を理解しようと働きかけるのは、その“把握”が知識としての自己 への『同化・吸収』であり、対象の『征服』という要素がかなり関係している と私は思っている。我々個人は常に自己の“知識”という世界観を建立しようと 意識を外に向けて照射しているのだ。知らずに済ますことが後味悪く感じるのも、 未知のものが自分の世界観の中に居られるのは、『よそ者』が田舎の町内をうろ つき回っているようなもので、どうも落ち着かないのである。(イマイチだな) だが、“知”は簡単に壁に突き当たる。『不可知の世界』にあって、私は遊園地 の迷子のようだ。園内をこだまのように重複するアナウンスの声も、はぐれた 親にはまだとどかないように、夕暮れの空のグラデーションに照らされて、私は ずっと待っている。あらゆる存在が、それらが他人事を眺めやる軽薄さを内に 含んでいるかのように感じながら、不安げに行き過ぎる人の流れを見つめている。
さらに一段低い次元に降りる、と、奇々怪々な現象が現出する。すなわち、 外部世界は≪ぶ厚いものだ≫ということに気がつき、一つの小石がどれほど 無縁なものか、僕らの世界(理解)のものたらしめるのがどれほど不可能で あるか、自然が、ある一つの風景がどんなに激しく僕らを否定しかかって くるかを垣間見るのだ。いかなる美であろうと、その奥底には、なにか非人間 的なものが横たわっている。彼方に連なる丘、空の優しさ、樹々のたたずまい、 ――それらが、まさしくその瞬間(実存性そのものとなり)、僕らから着せ かけられていた虚しい意味(社会的通念における名称や概念)を失い、もはや それ以後は、失われた楽園よりもさらに遠いものとなってしまうのである。 世界の原初の敵意が、数千年の時間を超えて、僕らのほうへと舞い戻ってくる。 一瞬にして、もはや僕らは世界が解らなくなってしまう、何故なら僕らは 幾世紀ものあいだ世界の中で、ただ、自ら前もってそこに置いておいた形態と 図柄だけを理解してきたにすぎないからであり、この瞬間以後というもの、 そんな人為的な手だてを用いる力がなくなってしまうからである。世界は 『世界』自体へと戻ってしまう以上、僕らの理解の外へと滑りだしてしまう。 習慣によって仮の外見を与えられていたあの舞台装置が、その有りの儘の姿 へと戻るのだ。僕らから遠ざかってしまうのだ。ひとりの女の見慣れた顔つき の下に、数ヶ月前あるいは数年前に愛していた時のその女の姿が、浮びあがり、 再び欲情を感じながらもそれがまるで見も知らぬ女のように思える、 ――そんな日があるのと同じように、僕らは或いは、自分をそんな孤独に 陥れてしまうものさえも欲しがるようになるかもしれない。だが、その時は まだ来ていない。現在僕らの前には、ただひとつのこと、世界のあの厚みと あの奇怪さだけがあるのだが、それが不条理だ。 精神が、様々な希望の全体としての不動の(予定調和な)世界の中で口を 閉ざしている限りは、一切が精神の郷愁の作り出す統一の中に反映し、 整然と配列されている。ところが、精神が少しでも動きだすと、この世界は ひび割れ、崩れ落ちる。煌く無数の破片が認識へとふり注いでくるのだ。 これを受け止めて、僕らに心の平和を与えてくれるような親しく静かな 表面を、この破片でいつかは再建しようなどという試みは、まったく不可能 なのだと諦めるべきである。 幾世紀にもわたる探求、思想家達における数多の放棄を眺めてきた僕らには、 これが僕らの認識の全体にとっての真実なのだと、はっきり解っている。 職業的合理主義者などならばともかく、今日では、人々は真の認識に絶望 している。もし仮に、人間の思考の歴史としてただ一つ意義深いものを書く 必要が起こるとすれば、それは思考の相つぐ悔恨と、思考の無力との歴史を 書かなければならぬであろう。
我々はこの世界についての様々な知識を持っている、豊富な物理的論理、測量、 数学の方程式、複雑な図式、生物の進化の歴史、クォーク、ニュートリノなどの 素粒子やダークマターの存在、宇宙の超銀河団に至るまでの知識で世界の神秘的 な広がりを鮮やかに描き出すことも出来る。 だが、それらの説明が【存在】という神秘性に触れることはないのだ。たった今 枝からむしり取った、瑞々しい青葉の濡れたような輝きの神秘、その本質には 決してとどかない。科学がどれほど『世界』を解剖し尽くしてみても、それで 私と世界との【乖離】の溝が狭まるわけではないのだ。 今や僕は理解している、なるほど僕は科学によって、様々な現象を捉え、 それを列挙することは出来るかもしれないが、だからといって世界を把握 することは出来ないのだということを。世界存在の起伏を指ですっかり 辿ってみたところで、それだけいっそう世界が解るようにはならぬだろう。 (中略) (不可知の世界に在って)自分自身ともこの世界とも断絶した異邦人で あり、しかも自分を救いだすための武器としては、何かを断定するやいなや、 たちまち自らを否定することになる思考しか身に帯びていない、そんな僕が、 平和を得るためには、知ることと生きることを拒否するしかないこの状態、 征服への本館的欲求が壁にぶつかり、いくらそれに襲いかかっても跳ね返さ れてしまうこの状態、これはなんという状態だろう。 こうした解読不能で、しかも限界のある宇宙の只中で、これ以後、人間の 運命が意味の有るものとなる。おびただしい非合理的なものが姿を現わし、 人間を取り囲んで、その終末まで離れない。明徹な視力が戻ってきて、 今や一極にひたと収斂され、不条理の感情がくっきりと照らし出され、 その姿を明確にするのだ。世界は不条理だと僕は何度も語ったが、僕は 言葉を急ぎ過ぎたようだ。この世界はそれ自体としては人間の理性を 超えている、――この世界について言えるのはこれだけだ。 不条理という言葉の当てはまるのは、この世界が理性では割り切れず、 しかも人間の奥底には明晰を求める死物狂いの願望が激しく鳴り響いて いて、この両者が共に相対峙したままである状態についてなのだ。 不条理は人間と世界と、この両者から発するものなのだ。今のところ、 この両者を結ぶ唯一の絆、不条理とはそれである。ちょうど、ただ憎悪 だげが人間同士を離れ難い関係に置きうるように、不条埋が世界と人間 とを互いに密着させている。何がどうなるか解らぬ僕の“生”が続けられ ているこの途方もない宇宙の中で、僕が明晰に識別出来るのはこれだけ なのだ。
我々は科学万能の時代に生きている。ヒトゲノムも解析され、新薬も次々と 臨床試験に漕ぎ着けている。大気圏の彼方には宇宙望遠鏡が銀河の姿を 映し出し、我々の子供のような好奇心をくすぐる。 パソコン周辺の仕様も半年周期以上の速さで新製品のアナウンスが流され、 テレビに映る『時代』はいつも喧騒に満ち溢れている・・・ いつか死ぬのに いつか死んでしまうのに 何もかもを奪ってしまう【暴力】のような“死”が 辿るべき道の彼方に座って待っているのに 私は生きたいと思う、生きたいのだ。 だのに、なぜそこに“死”が在るのか? “死”を自覚して、何に生きればいいのか 世界の中で 絶対的孤独の中で 見知らぬ渇いた世界の中で
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53 :
考える名無しさん :02/06/05 16:36
永井の異邦人解釈はどうよ
54 :
考える名無しさん :02/06/05 17:06
55 :
考える名無しさん :02/06/05 17:09
論文のなかで取り上げてる
56 :
考える名無しさん :02/06/05 17:20
どうやって手に入るの?テキストは。 刊行物として書店にあるのかな。 ダイジェスト版で要約してくれてもいいけど
58 :
考える名無しさん :02/06/12 21:53
じんせいって不条理だねぇ
辛いことでもあったか?  ̄ ̄V ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ∧∧ (-Д-) ミンナタイヘンダヨ・・・ (| |)
..,,.,.. ,,.,.,.. ,,.., .,.;., Zzz・・ ∧∧ ∧∧ゴロン♪ Zzz・ (,,-д) (ー゚*) :...... ;.;..; .::.:: ;;; .... .... (つ つ ⊂ ⊂) '' ,, ... 〜 ,つ ⊂_ 〜 ,,, '' ' ' ::., ∪ .,' ∪ ,,,.....'' '' ..::...,,,
昨日医者に鬱病だって言われた ショック
ゆっくりでいいんだよ  ̄ ̄V ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ∧∧ (-Д-) チカラヌイテケ・・・ (| |)
63 :
考える名無しさん :02/06/28 02:53
俺も
>>1 と同じくこの本が難しくて困ってるクチ。
このスレ読んでるから続けてくれ。たのむわ。
生活のあらゆるシーンで出てくる不条理な感覚をしっかり認識できたら、
不条理な英雄とやらになれて、時に無意味に思える日々の仕事も、そう言うもんだ、
元々どんな仕事もそんなに意味ねえんだ、でも自分の誇りのために頑張るよ、
と達観できて、主体的に、幸せに生きられる、ってことか?
俺にはこんな風にしか書けないが、よければ指摘してくれ。
不条理な英雄というものがあるとしたなら、それはきっと
『達観』とも『諦観』とも違う感覚で生きていると思う・・・
彼は【絶望】の彼岸にある。彼は【幸福】の彼岸にある。
彼に在るのは、決して和解の無い『不透過の現実感』のみ。
彼が癒えることはない。癒えることが無いことを知りつつ活きようとするのだ。
彼は生を汲み尽くそうとする。より深く手を伸ばし、砂漠の砂をえぐりとろうとする。
彼はすべてを知りつつ哄笑う。悲嘆を超越し、我知らぬ幸運をも望まずに。
自分が生きる世界のあらゆるもの全てが「絶対に報われない」もので
あることを【真理】として受諾しつつも、なおかつ落胆を寄せ付けることをしない。
憔悴や悲嘆を超越した、行軍する兵士の寡黙さが、行く手に広がる山の連なりを
見て「それでもなお」そこへ辿り着くことに、報われもしない「決まりごと」を
施し、歩みを続けるように・・・落胆を知らず、願望をも温めず、
彼は常に「山頂」に魂を置いている。彼自体が一つの『山頂』なのだ。
>>63 >生活のあらゆるシーンで出てくる不条理な感覚をしっかり認識できたら、
>不条理な英雄とやらになれて、時に無意味に思える日々の仕事も、そう言うもんだ、
>元々どんな仕事もそんなに意味ねえんだ、でも自分の誇りのために頑張るよ、
>と達観できて、主体的に、幸せに生きられる、ってことか?
期待に沿えられなくて御免。『幸せ』の彼岸なんだ。
そして、「にもかかわらず」活きようとするんだ。
このニュアンスが大事なんだ。
>>64 俺が理解できてるかは別にして投稿感謝。
絶望と幸福が同時に煮詰まった状態で生きようとするわけか。彼自身が山頂か。
耐久型のスポーツやってると、脳味噌が溶けてきて、最初何でこんなしんどいこと
やってんだ?とか、どうにでもしてくれ!とか考え出すが、その考えもふっきれた
頃に、脳からなんか分泌されたからかも知れんが、自分の状態がだんだん好きに
なってきて、それにも慣れたら次に、黙々としだして、道などと一体化した気分に
なって、ついぞやめられなくなるが、あの時の俺とこの兵士の状態は同じなんかな。
本ののっけから死をお題目に挙げてたので、おう、カミュは事故死ということなら
なぜ自殺しないでよかったのか、指針を与えてくれ、と構えてたんだが、
このどうにもならん世界に絶望しながら、対峙してる自分は不条理を感じながら、
感じればこそか、しっかと行動できて幸せであり、その時は他人から見たらわけ
分からん行動、(これこそ不条理な行動か?)をとってても、本人の中では格調高く
生きてられてるのでオーケーで、だから死ななくていいということなんかな。
不条理と幸福が双子、という言葉はも少しでピンと来そうなんだが、気のせいかな。
なぜカミュが自殺を選ばなかったのか、、、もう少し考えてみるよ。
やっぱこんな書き方しかでけん。スレ汚しなら陳謝。
>>65 >絶望と幸福が同時に煮詰まった状態で生きようとするわけか。
『煮詰まる』とはちょっと違うな。シーシュポスの境地は不条理性の自覚によって
禊を経た後の『段階』で、混沌とは正反対の境地だからね。
>彼自身が山頂か。
登山者の俯瞰は、決して観照主義者の客観性とは相容れない。それは別物だ。
夏にでも山に登ってみてはどうかいな? ニュアンスが掴めるかも・・・
>耐久型のスポーツやってると、脳味噌が溶けてきて、最初何でこんなしんどいこと
>やってんだ?とか、どうにでもしてくれ!とか考え出すが、その考えもふっきれた
>頃に、脳からなんか分泌されたからかも知れんが、自分の状態がだんだん好きに
>なってきて、それにも慣れたら次に、黙々としだして、道などと一体化した気分に
>なって、ついぞやめられなくなるが、あの時の俺とこの兵士の状態は同じなんかな。
ランナーズ・ハイとは違うし神秘体験とも違う。ドーパミンやエンドルフィンも関係無い。
『不条理』とは【自覚】そのものだ。
不条理という言葉の当てはまるのは、この世界が理性では割り切れず、
しかも人間の奥底には明晰を求める死物狂いの願望が激しく鳴り響いて
いて、この両者が共に相対峙したままである状態についてなのだ。
不条理は人間と世界と、この両者から発するものなのだ。今のところ、
この両者を結ぶ唯一の絆、不条理とはそれである。ちょうど、ただ憎悪
だげが人間同士を離れ難い関係に置きうるように、不条埋が世界と人間
とを互いに密着させている。何がどうなるか解らぬ僕の“生”が続けられ
ているこの途方もない宇宙の中で、僕が明晰に識別出来るのはこれだけ
なのだ。
> 本ののっけから死をお題目に挙げてたので、おう、カミュは事故死ということなら >なぜ自殺しないでよかったのか、指針を与えてくれ、と構えてたんだが、 人間は、そのほとんどが「惰性」の奴隷だ。慣性的な習慣にがんじがらめに されていることを自覚することも、実はそんなにあるわけでは無い。 脳(認識)はすぐ刺激に慣れてしまい、鈍磨化する。で、惰性に陥る。 マターリ出来るような日常の繰り返しの中で、人間は自分の潜在力や感性を 鈍らせ続けている。緊張感の無い平和ボケは、感性を尖らせ続けようと努める 人間にとっては(ブタの如き)“死”と同義だ。 「明日も今日と同じように平和で幸福だ」という慣性的な観念が、人の精神に 膜をかける。信心深い人間のお手軽な『安堵』も、生そのもののリアリティを 駄目にしてしまう。「生きること」そのものが油膜のうちでオートメーション化 するようなら、生きていることに何の意味があろうか。 『自殺』もまた逃避である。惰性的凡庸が平和ボケした観念の中にたゆたって いるのと大差無い。問題はあくまで「生きて在ることのリアリティ」を究明する ことである。この真摯さは『自殺』を拒絶する。それは解決策ではないからだ。 なぜ冒頭から自殺の話を置くのか。『死』という限定でくさびを打つことによって 逃げ道をふさぐためだ。彼は「目覚めて」いなければならないのだ。
>このどうにもならん世界に絶望しながら、対峙してる自分は不条理を感じながら、 >感じればこそか、しっかと行動できて幸せであり、 「幸せ」という言葉を頭の中から投げ捨ててくれ。『そんなもの』は無いんだ。 >その時は他人から見たらわけ分からん行動、(これこそ不条理な行動か?)を >とってても、本人の中では格調高く 生きてられてるのでオーケーで、だから >死ななくていいということなんかな。 『理不尽』と『不条理』は違うし、素っ頓狂な題材を挙げてもいないよ。 >不条理と幸福が双子、という言葉はも少しでピンと来そうなんだが、気のせいかな。 自分の身や命を削って検証を行う「探求者」を、幸せと見なせるかどうかだろうね。 >なぜカミュが自殺を選ばなかったのか、、、もう少し考えてみるよ。 >やっぱこんな書き方しかでけん。スレ汚しなら陳謝。 いや、歓迎するよ。反応無いとヤル気なくなるし・・・
ん?「幸せの彼岸」だったり、「幸せ」は無かったり、難しいな。ただ、
>自分の身や命を削って検証を行う「探求者」を、幸せと見なせるかどうかだろうね。
これが意識に目覚めた悲劇的なシーシュポス、ということなら分かる気がする。
あと、
>>66 は山登ってても同じ心理状態だったんで掴んでたつもりだが、
67はたいへん参考になった。探求をやめちゃいかんのだな。
そう考えると、自分の死を意識しながら真摯に生きてるのは、俺の周りでは
老人ぐらいかも知れんな。マターリも心地良い反面、もったいないよな。
>>69 >自分の死を意識しながら真摯に生きてるのは、俺の周りでは
>老人ぐらいかも知れんな。
禿同
若いうちは、死を我が事としてとらえることは困難ですね。
例外はあるかもしれませんが。
他人事のように語られる死ほど空々しく、虚しいものはない。
比較的若い人では、脳性まひの作家である日比工氏が語る死についての言葉には 重みがあって感銘を受けた。 「死は私の周りで踊っている」と日比氏は言っていた。
72 :
考える名無しさん :02/07/08 21:28
>>70 恵まれた君の環境だけがこの世界のすべてではないのだよ。闇は深く、濃いのだ・・・
そして悲嘆も、絶望も・・・
73 :
考える名無しさん :02/07/08 21:42
“不条理”って自分を納得させるのに便利な言葉だと思う。
75 :
考える名無しさん :02/07/08 21:55
>>74 「俺は悪くない。悪いのは不条理な世の中だ」
ってな感じです。
>>75 期待したほどではなかったな・・ザンネン。
期待に応えられず申し訳ない。 よろしかったらどのような答えを期待していたのか教えてください。
78 :
考える名無しさん :02/07/08 22:04
>>75 俺もそんな感じを受けるよ。
それをポーズでごまかしてる。
数十年前、不条理って言葉が流行ってたころ、
そんなやつが多かったらしい。
>>77 少なくともね、ここに書き込むならば過去レス辿って「流れ」を理解して、っていう前提が
まず有って、そこから話が始まると思うんだよね。
思いつきで「自分の日記(意見)」をポッと書かれても、どうしたらいいの?
>「俺は悪くない。悪いのは不条理な世の中だ」
善悪の問題じゃないし、不平不満のストレスや鬱憤が問題でもない。
問題は実は
>>67 のようなことかも知れないわけだよ。
>>78 はそういうのが『ポーズ』だと明言している。『死ぬこと』の自覚もまたポーズや
スタイルだとでも言うのか? 君には『死という不条理性』への理解が無いのか?
>>72 意味不明なことをいわないで下さい。
それほど恵まれてはいないと思います。
>>79 過去レスは長いのでほとんど読んでません。
そういった暗黙のルールがあるとは知らず・・・
でも、そのルールが正しいとすれば
数百もレスのついたスレッドには大半の人が参加できないと思うよ。
思いつきで書き込んだんじゃなくて
>>1 の“不条理についてもっと深めたい”に応えてのカキコです。
僕は“不条理”に関してこのように思うっと。
>善悪の問題じゃないし…
ごめんなさい、おっしゃっていることが分かりません。
「俺は…」は例えで書き込んだだけです。
死は人間にとって不条理かも知れないが、
人間以外の動植物にとっては不条理ではないでしょう?
生物学的なレベルから見れば死は不条理ではないのかと僕は思うよ。
哲学をしろ!と指摘されそうだが…
>>81 >でも、そのルールが正しいとすれば
>数百もレスのついたスレッドには大半の人が参加できないと思うよ。
少なくともね、このスレッドの >>1 以下はカミュの『シーシュポスの神話』という
我々共通の題材を機縁として書き込んだわけだろ。そこから敷衍するならば
別段文句を言うこともないんだ。“調理”もしないうちから“料理”を語るなってこと・・・
>思いつきで書き込んだんじゃなくて
>>1 の“不条理についてもっと深めたい”に応えてのカキコです。
>僕は“不条理”に関してこのように思うっと。
それほど『不条理』を語りつくしているようには感じられないのだが・・・
>善悪の問題じゃないし…
>ごめんなさい、おっしゃっていることが分かりません。
>「俺は…」は例えで書き込んだだけです。
「俺は悪くない。悪いのは不条理な世の中だ」
この文では、ほぼ「ルサンチマン」的方便としての活用法として挙げられているのでは?
>死は人間にとって不条理かも知れないが、
>人間以外の動植物にとっては不条理ではないでしょう?
『自覚』、ということは、そういうことなのでは?
83 :
考える名無しさん :02/07/08 23:02
73氏の、他生物との違いについての指摘は重要だと思います。 私としては、自己意識の問題に収斂されるのではないかと思いますが、 カミュは自己意識をどうとらえているのでしょうか。
84 :
考える名無しさん :02/07/08 23:08
>>83 「私の読みではこういう風だと思います!」、なんじゃねーの? ふつう・・・
85 :
考える名無しさん :02/07/08 23:11
では「私見では」に訂正しておきます、一応。
86 :
考える名無しさん :02/07/08 23:15
で?
>>82 過去レスは長いのでほとんど読んでません。
“『不条理』を語りつくしている”などとは言っておりません。
「どう便利に?」に対して自分に都合よく使われることがあると言いたかっただけです。
自覚というんでしょうね。
90 :
考える名無しさん :02/07/08 23:39
「シーシュッポの神話」とは手塚某のマリンエクスプレス…。
俺がボールを投げ返せてないから、話が発散したようだ。 能力不足で申し訳ない。弥勒氏には感謝してる。 貴殿の望むような事は書けないが、これを機に、 時間がかかっても何とか理解を深めたいと思う。
>>79 >君には『死という不条理性』への理解が無いのか?
もちろんあるよ。俺が言いたかったのは、昔は「不条理」とか「ニヒル」という言葉が
流行っていたが、「不条理」を声高に叫ぶのはおかしいんじゃないかい、ということ。
「不条理」というのは、「実存の理由の無さ」つまりニヒリズムでしょ?
論ずべき問題は、不条理やニヒリズムであるというより、
ニヒリズムの克服ではないのかい?
ニーチェは不条理な実存をそのまま肯定することによって、また、
ハイデガーは「無」をポジティヴに捉えることによって
ニヒリズムから脱却していると思うよ。
あなたは不条理な実存に対してどのような態度をとろうとしているの?
まさかニヒリズムに浸りきっていたいわけでもあるまい。
93 :
弥勒 ◆R0eWkIpk :02/07/09 18:49
>>92 ログの
>>38 前半部を読めよ。
自分の不誠実さに気がつかないか?
タラタラ生きてっと、ぶちのめすぞ。
>>93 今読んだけど、すまんが結論が良く分からなかった。
要するに、死から目をそらさずに精一杯生きろ、というようなこと?
それとも、
「それを自覚して稀少性を見出す」ということ?
(「稀少性」のここでの意味が分からなかったので説明希望)
>94 分かんねーなら、分かるまで読め。読んでも分からんのなら、経験(学習)が足りんということだ。/※ そうだとしたら、今後一切このスレに関わるな。 分からんことを調べもしないで、すぐ他人に聞く。その態度が許せん。真摯に学問に取り組んでもいないのに なぜ、>94は哲学板に来た?なぜ、安易に悟りや真理を求める?666なぞに聞いても成果は得られ無いぞ ※小学生の頃は理解できなかった、書物が読めるようになったのは経験や学習の成果
ん? 俺は2chあまり来ないから良く分からんが、 95さんは93さんなのかな? だとしたら話にならんな。 (違ってたらごめん)
>>97 違うっつーの。
>666なぞに聞いても成果は得られ無いぞ
これは『悟りを得た人、何か書いてみて その4』からの流入者・・・
このスレッドは俺がスレジャックしたの。だから俺がルール。
「しゃべり場」みたいに『単語』に対して思い付きで脊髄レスしても“除外”するからそのつもりで・・・
せめて読み込めよ、話はそれからだろ。
文句があるなら本屋で買って読んでから自分なりの解釈を書き込んでくれよ。
斬新な視点なら大歓迎するよ。
豚みたいに、ただ鼻突っ込んでみることが何か「意義」あることだ、とかは受け付けないからね。
>>98 分かったよ。排除したいなら排除されましょう。勝手にやってくれ。
『シーシュポスの神話』は高校生の時に4回ぐらい読んで、
それが哲学に進むきっかけになった本だから、
懐かしい思いもあって書き込みした。
じぁあな。
100 :
考える名無しさん :02/07/09 21:54
4回も読んでそれだけ?
何なんだこの煽りは。 98さんなのか?
102 :
Kurihara :02/07/09 21:58
はい、そうなんです。
103 :
Kurihara :02/07/09 22:10
このスレは以後、僕とレイヴンさんで スレジャックします。 後でレイヴンさんをこのスレに呼んできますから そのつもりで。
ただし、お前らの単なるヨモヤマ話ならあのスレでやっててくれ。要らないから。
105 :
Kurihara :02/07/09 22:43
はい、わかりました。
弥勒氏にもう一つ教えて頂きたい。 貴殿はこの本を咀嚼されて、仕事等で、どのように心構えが変わったのだろうか。 俺はよく人に面白そうと言われる職についてるが、もちろん 彼等が見ないところで、ルーチン的な砂を噛む様な業務が沢山ある。 持ち前の精神力と目的意識を持って取り組んでもきついことがある。で、 この本をもっと理解すれば、そのような時も充実した気分になれるのでは ないかと期待している。だから簡単に理解できなくても貴重なプライベートの 時間を割いて、何とかこの本に関わっていきたい。 そこで、理解された貴殿に、この本はどのような影響を与えたか、 差し支えなければ是非とも教えて頂きたい。 (「何も変わらない」と言われればガッカリだ。)
>>106 あるいくつかの状況では、自分の思想の生い立ちを尋ねられて、
「別にとりたてて言うほどのものはありませんよ」と答えるのが、ひとりの人間の
うわべを取り繕う方法となることがありうる。
しかし、もしこの答えが心からなされたものであれば、もしこの答えが、
魂のあの独特な状態、空虚が雄弁となり、日常の動作の連鎖が断たれ、
その切れた鎖をつなぐ輪を心が虚しく捜しているような、魂のあの独特な
状態を表しているのであれば、そのとき、この答えはいわば不条理性の
最初の徴なのである。 『シーシュポスの神話』
不条理の感覚は、何か『期待』を残せるほど生易しいものじゃない。
「それでもなお・・・」という言葉の重さは、それを担う者の魂の重さだ。
>>107 その部分は覚えている。重要そうだし、使われてる言葉が平易なので
ここで掴んでおきたいと、繰り返し読んだ。で、確かに心からこう言いたい時は
話相手や世間と感覚がずれたような、なんとも不思議な気になるな。と、
分かった気になれた一方、も一つ作者と同じ感覚を得ているか、確信がない。
平易な言葉だからこそか難しい。
で、貴殿の回答は言葉が少ないんだが、お前の質問は不適だ。安物の宗教じゃ
ないんだ、べっちゃり頼ろうとするんじゃない、自分で概念を築け、
生きることを問題にしてるのに、仕事の道具じゃないんだぞ、とか言うことか?
ならば仕方ない、というか、それこそが良心の回答のようにも思えるが、
哲学を知る人は何が違うか、具体的に垣間見れないことは残念だ。
(基本的には毎度感謝。)
109 :
考える名無しさん :02/07/12 13:12
世の中は、自分がどんなに必死になって努力しても、 自分の思い通りにコントロールすることは出来ない。(=不条理な世界???) しかし、どうにもならない状況の中でも =運命とか世界とか神とかもっとおおきなものに コントロールされている世界を仔細に認識していてもなお、 人間は、その精神・努力の気高さによって意味を創り出すことが出来る。 なんかうまく言えないけど、最後の神話の話しを読んでいるとそんな感じがする。
110 :
考える名無しさん :02/07/12 14:13
アルベールっていう?アルバートっていう?
111 :
考える名無しさん :02/07/12 16:01
albert アルベールだよ 仏語は最後の子音は発音しないのよ(するのもある) だからこの場合tは発音しない
petit
113 :
考える名無しさん :02/07/12 21:49
>>108 「実存」と「仕事」と「シーシュポス」について、横レス失礼します。
実存とは、決して客体とはならない主体であり、「私は〜である」という形では
言い表せない絶対の主体であります。
しかし人間はいつでも真に実存しているわけではない。
我々は普段、子に対しては「親」、妻に対しては「夫」、顧客に対しては「売り手」等々の
規定を持った自分を見い出します。
つまり人間は大抵、他との関係と比較において生きており、生きざるを得ないのであって、
真に実存しているわけではないのだと思われます。
そして、仕事の重要性の違いなどによって、仕事に集中できたり、できなかったりするのも、
他との関係と比較において生きていることの、一つの現われであるように思われます。
仕事に集中できないような時私は、「三昧」という仏教の言葉を思い起こすようにしています。
三昧とは、自と他とが一如となって、その中へすっぽりと入り込むことであり、
「今、此処」の瞬間において、対象に密着し、行為に集中することであります。
道元の「身心を挙して行ずる」という言葉や、臨済録の「随所に主となり・・」という言葉は、
そのような事態を意味していると思われます。
そしてそれが真に「実存」することに他ならないのではないかと思われます。
カミュがシーシュポスについて述べている言葉にも、そのような「実存」に近いものが感じられますが、
彼の場合は、ニーチェの「永劫回帰」と「運命愛」の思想からヒントを得ていると思われます。
自己と運命が乖離した決定論的宿命論から、自己と運命とが一如となった運命愛への転換を、
カミュの次の言葉に読み取ることができると思います。
「この言葉(『すべてよし』)は、運命を人間のなすべきことがらへ、・・・変える。
・・・彼の運命は、彼の手に属しているのだ」。
運命を傍観するのではなく、運命と一如となり「私が運命なのだ」(ニーチェの言葉)
と考えるところに、「すべてよし」という言葉が出てくるのではないかと思われます。
>>113 時折「仕事=修行」と考えるようにしていたので、大変興味深く読ませて頂いた。
貴殿のレスによると、「三昧」には「修行=座禅(=仕事)」による煩悩からの
解放の意味が含まれると思うのだが、シーシュポスが神々から罰を受けたのも
煩悩に拠るものと考えると、目指すところが仏の知の体得にはならずとも、
出発点には立てた気がする。
115 :
考える名無しさん :02/07/14 21:37
シジフォスって言う?シーシュポスって言う?
116 :
考える名無しさん :02/07/14 23:46
不条理は宅間容疑者
117 :
弁証法的理性批判放棄&rlo; ◆k7C9xZJk :02/07/14 23:51
髭って不条理ですよね。 そってもそっても、生えてくるんです。 だからそらないんだと言ったら、親にオマエはキチガイだといわれました。 髪の毛も同じだろというのですが、髪の毛は伸びすぎると邪魔ですが、 僕の髭はそんなに伸びてないんですよ。ただの無精髭なんです。 と屁理屈をこね回してみました。
>>117 きみは本当にキチがいだね。
髭が不条理だって?
身体のどの部分をとってみても不条理なんだよ。
髭のみに執着して、強情に剃ったり剃らなかったり、
まるでお念仏を唱える千日行者のようじゃないか。
そんなきみはどうせ服も上から下までユニクロなんだろ?
そして彼女もいないんだろ。
就職にもあぶれてる。バイトもしていない。君はひきこもりの
屁理屈坊やだ!!
なんでも不条理でごまかしたがる典型的なあまちゃんだね。
反吐がでるよ!
カミュは17歳で大量の喀血を吐くほどの重い結核にかかったり 婚約者に逃げられたりと不幸な青春時代を過ごした。 そんな恨めしい世の中をどうやって気持ちのなかで整理するのかに 思想錯誤していたんだよ。ときには共産党に入ったり、 政治や世論にいちゃもんつけたりして、フランス全体を敵に回した。 それもこれもみんな、恨めしい生に対する反逆だったんだ。 彼を支持する者なんかほとんどいなかった、はみ出し者だったんだよ。 一時サルトルと並び称されるぐらいの名声を手にしたものの、 彼が真に評価されたのは、50半ばで交通事故で死んだ後なんだ。 彼は自分の運命を憎んでいた。 暗中模索で納得できるような思想を探していた。 だが、ほんとうに納得できるものなんかとうとう見出せなかったんだ。 世のなかに意味のあるものなんかひとつもない。 積み上げては崩れ落ちる、この繰り返しのなかに、どんな希望を思い描いたらいいのだろう? 希望などありはしない。彼は不条理のなかで生きていたんだ。
120 :
考える名無しさん :02/07/15 00:30
>>120 それはどういうことだ?
参考書に載っていることを書いたということか?
おまえは参考書に何を載せたんだ。
なにも載せちゃいないだろう。
おまえの頭のなかは思想の影でいっぱいだ。
それも苔むした汚らしい埃だらけの思想だ。
そういうものがおまえの糞みたいなみじめったらしい幼年時代を
薄暗い密室で削り取っている。
思想は受けとるものではないし、うけ取れるものではない。
なんらかの働きかけを思想と呼ぶのだ。
このスレで何人かカミュについてあれこれ勝手に述べているが、
それはみんな間違っている。
カミュの思想など、彼自身にしか語れない。
我々が語れるのはせいぜい彼のおいたちから何らかの推測を立てることぐらいだろう。
とくに思想史的便宜から「〜主義」とかひとくくりにしてしまうのは
すべて間違っている。
不条理にしても、その意味合いはカミュの生い立ちから
分析し、新たに構築しなければならない。
それでも彼の不条理を浮き彫りにできない。
それは、語ったものにとっての不条理なんだ。
意味は、出来事の間にしかない。
彼はこう言っている。
「正しいことなどなにもない。そのことはおそらくは正しい」
これは論理的な推測ですら、否定的な評価を下すことができるということを意味している。
そして否定の評価もまた、いつでもひっくりかえすことがきるのだ。
とにかく一行レスする者は語るべきなにものをも持ち合わせてはいない。
多分みんな君に対して語るべきものがないのだろうね。
おそらくは狙ってるな。
126 :
Kurihara :02/07/15 03:58
僕は次期NAM編集局長の座を狙っています。
>>108 これらのどの一つについても、不条理性は『比較』から生ずる。したがって、
不条理性の感情は、ある事実、またはある印象の単純な検討から生ずるの
ではなく、“事実”としてのある状態と、ある種の(在るべき)“現実”との
比較から、また、ある行動とそれを超える世界との比較から噴出してくるのだと
言ってもいいわけだ。
『不条理』とは本質的に相容れぬ事である。それは比較される要素のいずれの
側にも無い。それらの【対置】から生ずるものなのだ。
したがって、不条理は人間の中に在るものでもなく(こういう比喩に意味が
有るとしてのことだが)、また世界の中に在るものでもなく、両者の【共存】の
中に在るものだと言える。それは、今のところ、この両者を結ぶ唯一の【絆】
である。
この点から言って、この三項関係の第一の性格は、これが分割されえぬものだと
いうことだ。この三項(我・世界・不条理)のうちの一つを破壊してしまえば、
全体を破壊することになる。例えば、人間の精神をよそにして不条理は有り得ない。
だから、不条理は全てのものと同じく、“死”と共に終わる。一方また、
この世界をよそにして『不条理』は有り得ない。
そしてさらに、この不条理な論理[論理の形を成さぬ論理]をその終結まで
押し進めて、こうした闘争は、この世界において“実現”されねばならぬ
【希望】(“生”そのもののリアリティを 裏切ってしまう『偉大な観念』)
などいささかも存在しないということ(しかしそれは絶望とは何の関係も
無い)、絶えず(油膜の安寧を)“拒否”し続けるべきだということ
(これを断念と混同してはならぬ)、充足が得られぬという状態を
いつまでも意識している(感性を研ぎ澄ます)ということ(これを青春の
不安と同一視することは出来ないであろう)、こうした事を前提と
するのだと認めるべきである。こうした要請を破壊したり、誤魔化したり、
かわしたりする者(まず第一に、世界と人間との相容れぬ状態を破壊して
しまう〔現実の不条理への〕同意・承諾が挙げられよう)は、すべて、
不条理をなし崩しに滅ぼし、そうした要請にしたがって提示されうる態度の
価値を失わせる。不条理は、それに同意を与えない限りにおいてのみ、
意味が有るのである。
『哲学上の自殺』
私が
>>67 で「彼は「目覚めて」いなければならないのだ。」と言ったのは
この意味だったのだが、残念である。
>>69 「67はたいへん参考になった。探求をやめちゃいかんのだな」
君はこう言ったのではなかったのか? その後ちゃんと読んだのか?
仕事の『無意義性』に理由を付ける口実が『不条理』の有用性だとでも?
>>40 それは希望というよりはむしろ【欺瞞】だ。“生”そのもののために生きる
のではなくて、“生”を超えた何らかの偉大な観念、“生”を純化・普遍化
し、“生”にひとつの意義を与え、そして“生”そのもののリアリティを
裏切ってしまう『偉大な観念』の為に生きている人々の欺瞞なのだ」
君の人生をなだめすかす“意義”もまた【油膜】であり、【欺瞞】かも
知れないのに?
>>128 >この意味だったのだが、残念である。
>その後ちゃんと読んだのか?
ここで嘘ついても仕方なく、勿論読み進めてる。本のカバーも破れた。
「探求」「検証」作業が会得できてるか、なかなか確信が得られないので、
具体的に垣間見たかった次第。この点
>>113 は仏教の話メインだが有難かった。
貴殿がそこまで甘やかさんといかんか、と言われるなら、言い返す言葉が無い。
>仕事の『無意義性』に理由を付ける口実が『不条理』の有用性だとでも?
そんな言葉遊びはさすがの俺も考えてないし、
昔の青臭い夢からブレていない今の仕事に誇り(幸か不幸か容易には消えない)を
持ち続けてる一方で、
>君の人生をなだめすかす“意義”もまた【油膜】であり、【欺瞞】かも
>知れないのに?
その様なことも、この本を手に取る前から少しずつ感じていた。
だから必要な「検証」のイメージに確信を持ちたかった。
疲れさせたなら悪かった。毎度感謝。
130 :
考える名無しさん :02/08/04 13:37
>>45 道具が、「本質」が実存に先立つ、ということになる。
(ここでは、ペーパーナイフ。)しかし、道具は、
実存から、生まれる。ゆえに、結論としては、実存は
本質に先立つ。ということでは?サルトルではね。
俺のスレが生きてたなんてしらなんだ
「連帯」についてはどうよ?
133 :
考える名無しさん :02/08/15 12:54
>>130 ペーパーナイフ等の「道具」とは違って、
「人間」においては、実存が本質に先立つ。って意味じゃないの?
134 :
考える名無しさん :02/08/15 12:57
130でたらめ
人間という現実存在が結局「道具」に先立つ、「実存が本質に先立つ」 ということを言いたかったわけです。
137 :
考える名無しさん :02/08/15 15:12
136でたらめ なんで道具に先立つんだよ
人間が出てきて、人間が作るから。 道具はそれ以外から、出来る?
人間が、「必要」だから道具を、発明したのです。
道具はそういうものです。
141 :
考える名無しさん :02/08/15 17:52
>>136 いや、「道具」の話での実存に当たるのは道具そのものの存在の事で、
本質に当たるのはその道具の使い道とか、そういうことでしょ?
142 :
考える名無しさん :02/08/15 20:55
人間では実存が本質に先立つ 道具は本質が実存に先立つ なんに使うか決めてない道具を作る人はいません。 「想定された用途とは違った用途に使うこともできるです!」 という厨房もいるだろうな(w
143 :
考える名無しさん :02/08/15 21:01
>>141 いや、サルトルによれば、その道具の発明の際に、
まず、その製作の過程で、その用途、組み立てなどに、
本質が、先立つ、とある。だからのようだね。
人間が道具を作る。そして、道具、という実存も、
組み立て、用途、など、製作するまでに本質が
先立つ、と、こうなるんだね。ややこしいのは確かだが、
人間において、実存が本質に先立つ、というのは、
サルトルにおいては、やはり、前提、ということで。
145 :
考える名無しさん :02/08/19 14:52
「反抗的人間」ってどうよ。あれが、カミュの最高傑作でしょう。カミュ、サルトル 論争は、あの著作をめぐって、争われたものです。
ぼくがはじめて通読した仏語の本は異邦人 おもしろかったね。読みやすいし
最高傑作なのかなぁ? 「反抗的人間」は文庫だと手に入らないので、何とか安く簡単に 手に入るほう放ってないんでしょうか? それはそれで、「反抗的人間」よりあとに出版された物読んでる と、連帯と不条理をつなげる苦労をかなりしているように思うん だけど、どうなんだろう?
実存主義に興味があるけれど ここに書き込みするにはまだ未熟者なので しばらくロムることにします、と記念カキコ。 同様に不条理劇にも関心アリ
150 :
弥勒 ◆666//S/s :02/09/09 22:09
不条理な論証 どのような言葉の勝手な操作や論理の曲芸が行われていようと、理解するとは、 まずなによりも、統一(己の内へと掌握)することである。 精神が最も進んだ運動を行っているときの、その精神自体の奥深い欲望が、 自分の宇宙を前にしたときに人間の抱く無意識の感情と結局のところ同じものと なるのだ。つまり、それは、『親密性』への欲求であり、『明晰さ』への 本能的欲求である。 一人の人間にとって世界を理解するとは、世界を『人間的なもの』へと還元 すること、世界に『人間』(的な価値観)の印を刻み付けることだ。 猫の(主観の)宇宙は、蟻食いの(主観の)宇宙ではない。 「いかなる思考もすべて人間の形態をしている」 という自明の理には、それ以外の意味は無い。同様に、現実を理解しようと 努める精神は、現実を“思考の言葉”に還元しない限りは、自ら満足したとは 思えない。もし仮に人間が、宇宙もまた自分と同じように「愛したり悩んだり」 することが出来るのだと認めれば、もはや自分に(不完全さゆえの)不満など 感じなくなるだろう。 もし思考が、現象という移ろいやすい鏡の中に、現象を要約しうるような永遠な 関係、しかもそれ自体ただ一つの原理へと要約されうるような永遠な関係 (真理)を見い出せば、人は精神の幸福について、――あの至福者達の神話も、 ただ、その滑稽な引き写しにすぎぬような精神の幸福について語ることが 出来るであろう。統一へのこの郷愁、絶対へのこの本能的欲求が、人間の劇の 本質的な動きを明示している。
151 :
弥勒 ◆666//S/s :02/09/09 22:09
『不可知の世界』を脱する術はない。我々は広すぎる牢の中に幽閉されて生きている。 奴隷は言うのだ、「だが別に食うには困らんさ」と… その日に課せられた『出来事』が、彼の思考を占拠する。彼は凡庸へと沈殿してゆく。 出口は無いのだ、決して何処にも。だがそれは『反抗』を挫折してよいという諦観 の理由となりはしないのだ。 何もかも説明がつくか、あるいは何一つ説明がつかぬか、僕はそのどちらかで あって欲しいと思っている。しかも、この心情の叫びを前にして、理性は無力 なのだ。こうした欲求に刺激されて、覚醒した精神は探求を開始する。 が、見出されるのは矛盾と背理的な論証、ただそれだけなのだ。 僕に理解出来ぬものとは『条理』を欠いたものだ。世界は、こうした理性では 説明のつかないもの(実存性)に満ち満ちている。僕には世界の唯一絶対の意味が 理解出来ない。――それだけで、世界は一つの巨大な『非合理的』なものにすぎない。 せめて一度でも「これは明らかだ」と言えれば、一切は救われよう。 しかし以上に述べた人々(哲学者等)は、「なにものも明らかではない、一切は 混沌だ、だから人間はただその明徹な視力(実存的自覚)を保持し、自分を 取り巻く壁(不条理性)を明確に認識するしかない」と、競い合って宣言する のである。
不条理な壁がどうかしたのか? しかし、立ちどまるのはよくないことだし、ひとつの見方だけに満足し、精神の次元に属するあらゆる力のなかで、おそらくもっとも精妙な力である矛盾をみずからに禁じてしまうのは困難なことである。 以上に述べたことは、たんにひとつの考え方を定義しているにすぎない。いまや、問題は論証ではなく生きることだ。 条理と公理が複雑に絡み合い、整合であるものが一見背反している。すべては条理で起こり、不条理に陥る。 カミュは不条理を見つめることでそれに対峙しようとしたが、同時にそれでは十分ではないと考えていたようだ。しかし、ペストは成功しなかった。 その点どうなのよ、弥勒とやら?
153 :
弥勒 ◆666//S/s :02/09/11 03:14
『条理』と『公理』を同列に並べる文章の必然性をまず第一に示し、次に
「整合であるものが一見背反している」という根拠を説明すべきである。
また、「すべては条理で起こり、不条理に陥る」という理由を説明できるのかを
我々読み手に明示していただきたい。この不条理とは何を指すものであるのか?
ペストは一度しか読まなかったが、私の琴線に触れるものは無かった。
ペストを戦争と読み替えようがどうしようが、作品自体が不完全な感を
禁じえないように思う限りは、『ペスト』の失敗を云々言うつもりは私には無い。
「つまんなかった」・・・これが全てである。
それよりも
>>152 はそこから何を読み取ったのかを披露していただきたい。
154 :
弥勒 ◆666//S/s :02/09/11 03:38
ちなみに『ペスト』って、当時かなり評判になったんじゃなかったっけ?
155 :
志庵 ◆age1avRo :02/09/11 15:31
我々の思考は限界を迎える。 ある。存在する。そこにある。 我々はかつて視認できるものをそう呼んだ。 様々な学問が生まれ目に見えないもの(例えば空気やもっと細かいことを言 えば原子レベルまで。)も確かにそこに存在する事を学んできた。 「ある」に対峙するのが、「ない」であり、「ある」に内包されるのもまた 「ない」なのである。それは相反する性質を持ち合わせた両者が実は同一の 性質を持っていることの証明である。
156 :
弥勒 ◆666//S/s :02/09/11 19:01
不条理それ自体はまったくもって【個人の主観】の問題であり、連帯や参加へと どう至るのか、それが『飛躍』とならない根拠を何処に立てうるのかという 点はこれからスレッドを進めていくうちに気長に考察していこうと思う。 私に言わせれば「不条理の自覚」というものを経たうえではもはや普通の 市井人的共同体意識・連帯感覚などに無批判的に共感することなど 不可能であると考える。もし関わるとするならば、それは『彼個人』が世界の中で 「己の“生”を如何なるものとして生きようと努めるべきか」という課題の手段として 活用されるのであって、それはあくまでも「おのれ」のための副次物でしか ありえないだろう。 サルトルは『参加』をどう捉えていたのか?
157 :
弥勒 ◆666//S/s :02/09/11 19:07
>>155 >それは相反する性質を持ち合わせた両者が実は同一の
>性質を持っていることの証明である。
説明不足、敷衍願う。
>>155 は科学的な存在を引いているが、勉強不足じゃないのか?
マクロ的には存在するが、原子レベルあるいはそれ以下では存在は確率的にしか求められない。
159 :
弥勒 ◆666//S/s :02/09/11 21:21
おまえらはもう少し俺の言う『不可知の世界』を租借してみろよ。 いつまでたっても浅いまんまじゃねえか。
160 :
弥勒 ◆666//S/s :02/09/11 21:23
咀嚼だ、バカ変換。
>>153 で説明もとめられちゃったけど、うだうだ書くのもなんなので。不条理はカミュの言う不条理とおそらく同質のもの。それ以外はてきとーというか、特殊な意味を持たせてはいない(つもり)。
ちゃんと説明するつもりになれば、するが、その前に消えるかしれん。気になるなら、書いてもなごならんところでたのむ。
ペストは失敗だとは書いてないぞ、「成功していない」だ。当時の評価が高かったかもしれんし、今も高いかもしれん。が、「不条理」のように成功したとはいえないだろう。
そして、不条理に対峙するための生き方あるいは態度(これらの表現が適切かどうか自信はないが)としての連帯をモチーフにしていたことは明らかだ。
どう成功していないかというのは表現しがたいが、
作者本人が論争を経て、再構築を図ろうとしていたように思われるということに尽きる。
ペストで描かれる連帯は、不条理そのもの(この表現もナニ)にともに正面から対峙するものとして書かれる。
それ以降では、(たとえばヨナなどでは顕著だと思うのだが、)それとは少し異なった「連帯」を模索しているように思われる。
ペストではともに戦い乗り越えようとする連帯(そして同時にそれは不条理でもあるのだろう)を書き、論争以降では不条理をうけいれる連帯と孤独を模索しているように思われる。
概論でスマソ
>>159 気が早いやつだな。「不可知の世界」かなんか知らんが、存在論として科学的論証からはじめる面もあるわさ。その流れでとらえれば、明らかに厨以下。
ってみれば「認識」はそういったアプローチの仕方では集合としてしか捕らえられない複雑なものでもある。それゆえに、認識できるうる(かもしれない)明晰さを求めるのではないか?
言ってみれば。 厨房はヒドイので、前にリアルつけて読んどけ。
164 :
弥勒 ◆666//S/s :02/09/11 22:37
>>152 >不条理はカミュの言う不条理とおそらく同質のもの。
そんな文章で君個人の『解釈』の内容の正当性を納得出来る人間なんか
誰一人としていないと思うぞ。
『言語』がそんなに完全無欠なわけないだろ。だからこそ人間は論を尽くす
労力を厭わないのではないのか?
>気が早いやつだな。「不可知の世界」かなんか知らんが、存在論として
>科学的論証からはじめる面もあるわさ。
>ってみれば「認識」はそういったアプローチの仕方では集合としてしか
>捕らえられない複雑なものでもある。
>それゆえに、認識できるうる(かもしれない)明晰さを求めるのではないか?
認識が不可能であったならどうかというところまで突っ込んで議論してるんだろうがよ。
またガキンチョか・・・ログ読めアホンダラ。
>>152 気の短いやつだな、まったく。説明するつもりがないといってるわけじゃなし。論を尽くす労力を惜しむわけでなし。
「認識が不可能であったならどうか」の前に、認識を欲するんではないのか?これだけでも私にとってはかなり飛躍のあることだ。
私は一言も君の意見に同意するとは言っていないよ。文書の書き方ひとつ、書く態度ひとつも人それぞれだ。ひとつの姿勢を強要するのは好ましくない。
そして、認識が不能だという「不可知論」にこちらが乗る必要性はまったくないだろう?
弥勒氏が論証(でよいのかな?)を試みているのはわかるが、議論にはなっていない。したがって、「一人だけ」で作った流れにのれ、というのは納得いかない。
議論するなら、文脈は大切だが、ここのスレに弥勒氏の一貫した書き込み以外では議論の文脈などほとんど存在していないのではないか?
まして、私と弥勒氏の間のやり取りに何か文脈や議論の流れがあっただろうか?時間をかけて明らかにすることを表明し、簡単ではあるが、こちらの姿勢を概観として提示している。
今、私にこれまでの議論を踏まえろというのは、議論する態度でなく、弥勒の文書を鑑賞することを強要するに等しいだろう。
ただ、弥勒氏の作品はまだ終わりではないようなので、最後まで読みきってから私なりの評価を下すよ。気は短いほうじゃないからね。
166 :
考える名無しさん :02/09/12 00:22
釈明は以上でよろしいですか?
167 :
考える名無しさん :02/09/12 00:25
>そして、認識が不能だという「不可知論」にこちらが乗る必要性はまったくないだろう? 論駁してからうんぬんの話じゃないの?
>>167 反駁うんぬんの前に、なぜ反駁せにゃならんのよ、というのを
>>165 から読み取れんのか?
弥勒氏の文書はまだ未完だ。それに反駁する意味が見出せない。シジフォスの神話を気取っているようなので、ちょうどよい例になるが、
あれを半分までしか読まずに反論せよというほうがおかしいのよ。あるいは、きちっとした議論として部分部分完結した形になっていれば、
それも可能だが、掲示板形式では区切りが明確でないので、無理。それを強いるなら、論証の要点を述べて重点書いた投稿にポインタでも書いてもらわなければ、
とても無理。つまり、今の状態では読みきれない。おまえの能力が足りないというなら、弥勒氏の文書力が足りないという批判も同様に当てはまるだろう。
これでよいか?わけのわからんところに反駁するつもりはない。
バックボーンとして私と弥勒氏では大いに異なっているだろう(あるいはそうことなっていないかもしれない)。
しかし、ここでは私は弥勒の思想の核の部分について問うているわけではなく、私と氏の接点であるカミュの文書について話を切り出したのだし、
逆に、それ以上のことはしていない。氏が私の態度について疑問があるようなのでそれに釈明をしたのみ。
志庵氏には、反論をしたが、弥勒氏の過去ログをよめというのは何をさしていっているのかわからない。もし、弥勒氏自身の書き込みであれば、
この反論は意味を持たないことを承知している。しかし、この掲示板では志庵氏は初めての書き込みではなかと思う。
この書き込み以前に志庵氏と弥勒氏のあいだで何かかわされていてその流れてあるなら私にはわからない(つまりは弥勒氏に答えることはできない)。
この程度でよいか?
反駁を求めるならそれなりにしてくれ。
>>167 わかった?
169 :
考える名無しさん :02/09/12 08:48
>>168 あのさあ、書店に行けばカミュの本は売ってるわけだから、その内容をもとに
あんた独自の視点と解釈をやってみせればいいんじゃないの?
口ばっかで、具体的にどれぐらい内容が「バックボーンとして私と弥勒氏では
大いに異なっているだろう」といえるほど差異があり斬新なのか、あんたの
思想の核の部分が見えないわけ、わかる?
ひけらかすのはあまり好きでないのよ。出てきたところで話そうというだけな んで、やってみせるつもりなし。それに、解釈が(正当であるかとか斬新だとか) 認めてほしいわけでもないしな。 相手の思想が見えなければ話がはじめらんない?緩やかに流れ始めることを期 待していたのだが、無理そうだね。概略とはいえ、ペストそれ以降の話をあげて みたが、そこにまったく触れずに核の部分が見えないとくる。不条理についての 解釈を披露しない所がご不満なのかな?
171 :
考える名無しさん :02/09/12 21:00
>>170 出来ないのをはぐらかそうとしてる厨なのか、語りうるほどに
内容を消化している人物なのか知りたいだけ。
>説明するつもりがないといってるわけじゃなし。
>論を尽くす労力を惜しむわけでなし。
もっとも、いまさら期待もしてないけどね・・・
この程度で分かるようなら大そう立派なんでしょ。 自分と同じ姿勢を求め、それに従わなければ、期待してないときました。 それこそ、語ることを拒否していることに他ならないのだよ。 文脈や流れを示されたのなら、そこからはじめることも出来たろうに、それすらしないのだからな。ここから他人を排除することしか考えてないようですね。 やはり、 > その前に消えるかしれん。 とうことになりそうだな。もう少しマシなジエンクンかと思ったのだが。
173 :
考える名無しさん :02/09/12 21:34
>語ることを拒否していることに他ならないのだよ。 貴方が一番、労を惜しんでいるのでは?
未だここに書くべきことがないだけでしょ。
175 :
考える名無しさん :02/09/12 21:52
読んだことないんでしょ
なにを?読んだからスレのながれに従えとかほざくことを知ってるんじゃないの?
177 :
考える名無しさん :02/09/12 21:58
図星かよ
178 :
考える名無しさん :02/09/12 21:58
弥勒って相変わらず粘着質だな〜
180 :
考える名無しさん :02/09/12 22:04
多分これが最後だが
>>173 がスレを読んだことがないから書くべきことがないのだろうと言う意味ならば、
>>165 >>168 に充分な反論をされてからに願いたい。ここには流れがないのだから、それ
に従う必要はないと私はきっちり明記した。
そして、新たな流れができていれば、書くべきこともあったかもしれない。しかし、私
の立場をある程度明らかにした
>>161 以降では書くべきことがなかった。それ以前には、
創造的となりうる
>>153 があったが遅れて表明したように(この点は大変失礼したと思っ
ている)残念ながら、
>>153 の前半に書かれるような非常に長く困難な論証をこのスレで
展開する気はなかった。
>>152 の後半にかかれている点にしか私の関心がなかった。そし
て、その話題から付随して出てきたかもしれない、「核」に近いようなことについて、言
葉を惜しむつもりはなかった。
しかしながら、弥勒がはじめからこの点にこだわってしまったのが非常に残念である。
言い添えれば、私の書き込んだものの殆どは他人の用意した問いに答え、自分の立場を
明らかにしたものである。それについて、
>>152 以降の流れの中で、「読んだことないで
しょ」とこの期に及んで発言することは、つまり、弥勒は流れに従えと言いつつ、自分自
身が流れを理解していないということだ。
己の言葉に従わないものに哲学や思想を語る資格はない。
183 :
弥勒 ◆666//S/s :02/09/13 20:47
■哲学上の自殺 不条理から生起する感情は、そのまま『不条理の観念』と同じものではない。 不条理の感情が『不条理の観念』の基礎となる、それだけのことだ。 不条理の感情が宇宙について判断を下すあの短い(俯瞰の)瞬間を除いては、 それが不条理の観念の中に要約されてしまうことはない。 いや、そうした短い瞬間が有った後も、不条理の感情は続いて、さらに先へと 進まねばならぬのだ。それは生きているものである、ということはつまり、 「死ぬ」か、あるいは先へ先へと鳴り響いてゆくかしなければならぬものなのだ。 なぜ『不条理の感情』は生きているものである、というのであろうか? 我々は『シーシュポスの神話』を読み進めていくうえで、世界との「乖離」の感覚 という、精神の或る状態(不条理の自覚)を垣間見てきたわけであるが、ここには 人間の手に余る(古人たちが“神”と呼び習わした)世界存在の超越性に対して、 歯噛みして爪を立てようとする人間精神の悲痛なる叫びがあるのだ。 理不尽で唐突なる死、災害、不幸、悲運とよばれるあらゆる一切の物狂おしさ、 自分の『存在意義』をまるで弄ぶかのように引きちぎっていく“老い”への時の 流れ、そして最期に『死』が、蛇の舌を伸ばして君の『転落』を待ち構えているのだ。 そして何よりも、私のこの「意識」が死んで消滅しようとも、まったく何の関係も 無く営まれていくであろうこの世界存在の「冷酷なる無関心」、嗚呼、これは なんという距離感であろう! 母から捨てられ置き去りにされる子供のように、我々はその一人一人の絶対的なる 主観存在のなかで、常に『孤独』であり、はぐれた存在であるのである。 私を生んだ「この世界」が、再び、温もりある母の腕(かいな)を伸ばすことは ないのだ。取立て屋のように私の肉体を構成していた原子・分子群を回収していく だけなのである。
184 :
弥勒 ◆666//S/s :02/09/13 20:48
そして私は“世界”を理解することは無いのだ。感じることは出来る、だがそれが 限界だ。私は「存在とは何か」を知ることも無く、「心(意識)とは何か」を理解 する事も無い『不可知の世界』の中で、あらゆる人と同じく「動物と同じように」 ただ息を引き取るのである。 「死ぬか、あるいは先へ先へと鳴り響いてゆくか」 不条理の自覚を突き詰めれば選択肢は極めて限られる。世界存在との一騎打ちの 中で精神が軋みをあげて回転する。飛び散り続ける火花が闇を照らす。 暗闇へと伸びる足元の影を踏みしめながら、「孤高者」が歩みを続ける… この風土は「死をもたらす風土」だと言っても、決して過言ではあるまい。 この息が詰まるような空の下で生きることは、そこから出てゆくか、そこに とどまるか、そのどちらかを要求する。ここで重要なのは、第一の場合なら どうやってそこから出てゆくか、第二の場合なら何故にそこに留まるか、それを 知ることだ。自殺の問題、および実存哲学の結論に対して抱きうる関心、この 両者を僕はこのように定義する。
185 :
考える名無しさん :02/09/13 23:10
サルトルによれば人間生活は無意味であり、それゆえ悲劇的である。 人間は倦怠感に襲われたり、毎日決まりきった仕事に飽き飽きすると、 忽然とこの無意味さを悟る。「私は今ここでで何をしているのだろう」というかんじに襲われ、 世界は突如恐ろしい異質なものに見えてくる. このように突然無意味さに気付くことを嘔吐または不条理と呼んだ. しかしサルトルは人間意識に関するある興味深い事実に築いていなかった。
186 :
考える名無しさん :02/09/16 10:06
age
187 :
考える名無しさん :02/09/17 01:33
なんか青い。そしてξ。多分無力。
188 :
考える名無しさん :02/10/08 02:36
age
期待あげ
191 :
弥勒 ◆LY666//S/s :02/10/28 00:04
■嘔吐 1月26日 火曜日 一時半。カフェ・マブリーに行ってサンドイッチを食べる。すべてがほとんど 正常である。どのカフェでもいつも“異常”(ロカンタンのヴァステイション) は無いのであるが、特にカフェ・マブリーでは実に陽気で安心感を与える、 ひとをくったような顔の支配人ファスケル氏がいるおかげで、全てが正常である。 やがて午睡の時刻なので彼の眼はもう充血しているが、動作は活撥で何の とまどいも無い。彼はテーブルの間を歩き廻り、そっとお客たちに近づく。 「ご満足ですか」 彼がそんなにはつらつとしているのを見て私は微笑する。客席が空になる時刻に 彼の頭も空になる。二時から四時までカフェには客がいない。 するとファスケル氏は腑抜けになったみたいに数歩歩く。ボーイたちが電灯を 消すと、彼は無意識の状態に堕ちていく…。この魂は一人になると“眠る”のだ。 ■不条理な論証 ハイデッガーは人間の在り方を冷静に考察し、人間存在を「辱められ」ている 存在だと語る。<中略> 世界と自分の気晴らし(惰性の日常)の中に埋没した人間にとって、この 『憂慮』はごく束の間の、たちまちに消える不安感に過ぎない。 しかし、この恐怖(不安)感が“自己自身”を意識すると、この恐怖感は 『苦悶』と変わる。つまり明晰な人間の住まう永遠の風土、「人間存在が 自己をはっきりと見い出す場所」となるのだ。<中略> 彼はこの憂慮の諸相を列挙する。即ち、平凡な人間が『憂慮』を自分自身の 中で和らげ静めようとするとき、憂慮は“生への倦怠”という相貌を示し、 精神が『死』を見つめるときは『恐怖』という相貌を帯びるというように… 彼もまた意識を『不条理』から切り離さない。 「死の意識」、それは憂慮の呼びかけであり、「そのとき人間存在は意識を 媒介としてまさしく自己自身に呼びかけている」 それは激しい不安の発する声そのものであり、「無名のひと<ダス・マン>の 中に埋没して“自己”を失っている状態から、自ら立ち戻ってくるように」と 人間存在に切願する。彼にとってもまた、“人間”は眠ってはならないので あり、この世の終わり(死)まで目覚めていなければならないのである。
192 :
考える名無しさん :02/10/28 19:43
とりあえずセインに聞いてみればわかるよ
またお子様が増えてきたな。
196 :
考える名無しさん :02/12/01 01:52
『壁』で卒論書こうと思ってるんですが・・・。 さて、どうしたものか・・・。 『嘔吐』にしよかな・・・。 サルトルの著書でどれがお勧めですか? ありきたりにカミュと絡めて書くのはどうかな。
197 :
弥勒 ◆LY666//S/s :02/12/01 03:24
ありきたりに絡めて論旨を立てられるのならね。 “外”に向かっての働きかけは両方共ベクトルが違うし。
198 :
考える名無しさん :02/12/01 07:00
異邦人はホモ小説
199 :
考える名無しさん :02/12/01 08:34
サルトルの対自が反省によって自己を存在される過程が分からん・・・
密かに200
201 :
考える名無しさん :02/12/02 18:26
君は激しくGET忍者か?
かみんぐす〜ん
204 :
考える名無しさん :02/12/26 17:54
カミュ『転落』をサルトルが 最も優れた誰からも理解されない作品 と評した経緯を書けばいい。
おまえがな
206 :
考える名無しさん :03/01/01 04:31
サルトルの『存在と無』の中で展開されている「人間の死」について どなたか詳しく教えていただけないでしょうか? 何回よんでも難解でうまくとらえることができません。
207 :
考える名無しさん :03/01/02 14:34
age
なんか弥勒とかいう人さんが「シーシュポスの神話」をあちこち 抜き書きしただけで終わったスレだな.... 結局、「おれはシーシュポスの神話を理解してるんだもんね」って いうだけじゃね。。。
209 :
弥勒=六百六拾六=YYY :03/01/02 18:42
本読まないで、思いつきで単語の連想ゲームやってるガキンチョばっか だったから、読ませながら進行するスレを目指したんだけど、仕事忙しいの 半分と飽きたの半分で保留してあるんだよ。動機としては良心的だと 思うがな。
>>209 >本読まないで、思いつきで単語の連想ゲームやってるガキンチョばっか
だったから、読ませながら進行するスレを目指したんだけど、
そういう教育的見地ならまあたしかに良心的かもね。
1人か2人は弥勒さんの書き込みで「シーシュポスの神話」に対する見方を
少しは改めたみたいだからやった意味もあったかもしれない。
ただ、「シーシュポスの神話」に関して云えば、議論する余地はあんまり
ないと思う。
人間というものの在り方を「ただそういうもの」「そう在らざるをえないもの」
として描写して「そう生きるしかない」という決意が書いてある本だから。
ワタシは好きな本です。いつも手元に何冊か置いてある。
地上で生きることとの不気味さに打ち震えつつ。
211 :
弥勒=六百六拾六=YYY :03/01/02 21:14
>>210 そう在らざるをえない、という認識はまずそこに至るまでの認識過程が重要であるのだし、
それの持続をどう人生に投影してゆくかが“次の問題”となると思うんだ。
確かに議論の余地は実は少ないんだよ。なぜ少ないかというならば我々にとって『死』は
未だ未経験であるし、不条理を抱き続けることは「生き様」のなかで実践していかなければ
ならない『現実問題』であるからだ。
ただ、「視点を何処に置くか」という点において、生半可に死とか自殺を論議するよりも、
不条理の認識はもっと遥かに峻厳で誤魔化しの利かないスタンスになると俺は思って
いるんだよ。もっとも、読んだ知識として憶えていることと“感覚”として理解できるまで
思索で『潜水』していくこととは自ずから違ってくるわけだが。
「逃げ場が無い」という“緊迫感”を日常生活の中で感受し続ける、というところから
初めて、生の豊饒に貪欲な人々が描かれる後半部分の意義が明らかになるわけだけれども、
そこには「希望」とか「期待」という“人間的な甘え”が一切無いんだ。でもそれは
悲観論や厭世主義、あるいは刹那主義とも違う、乾いた「芯の強さ」があるように思える
んだよね。俺はこの強さこそがカミュの言わんとする要旨だと思うんだよ。
212 :
弥勒=六百六拾六=YYY :03/01/02 21:16
去年、行きつけの飲み屋(スナックとキャバクラの違いってなんだ?)でチーママから 「面白いから読んでみて」って借りた『ガラスの仮面』って漫画に、 「役者はその役を演じることによって幾つもの人生を生きることが出来る」みたいな 台詞があって、そういえばシーシュポスにも出てきたな、と思い出していたのだが、 役者ってのは一つの舞台、一つの役ごとのカタルシスを経験しつつ、それを常に 追いかけざるをえない衝動を生きるわけだよ。「豊潤なる生」の感覚を希求して、また 次の舞台に立つ。あまりにも儚く繊細な全体芸術の世界構築の中で役を昇華してゆく。 そこに生まれ、そこに生き、そこに死ぬわけだ。そしてまたそれに「然り」と発語して 次の生をまた演じ生きるわけだ。 冥界から戻った時の神話シーシュポスの記述は、『異邦人』のムルソーが単に「無感情」 なだけではないという説明となっているわけだが、彼もまた「豊潤なる生」の感覚を希求 する意志と、乾いた「芯の強さ」を併せ持った人物像として描かれていたのだろうと思う。
213 :
考える名無しさん :03/01/02 21:28
>>207 現存在の意味は自身の可能性を未来に投企するところにあるから
その死はその可能性と意味を剥奪する。ってのじゃ駄目?
>>211 ワタシは少年のある日、「死」を知った。経験した。
そしてそのとき、永遠の生命が得られないものなら
人間に残された道は、生を汲み尽くすことだけだ、
と思った。
もちろん生を汲み尽くすことにさえも何の意味もないんだ
けれど。
そしてその直後に「シーシュポス」を読んだ。
この本に共感した。理解とか認識なんて必要なかった。
215 :
弥勒=六百六拾六=YYY :03/01/02 22:02
詳しく読みたいな。 君が暇ならばだが・・・
>>211 弥勒さんがシーシュポスをわかっていることはわかるから、
>「希望」とか「期待」という“人間的な甘え”が一切無いんだ。
...乾いた「芯の強さ」がある...
なんて言わずもがなのことを書く必要はないと思うな。
217 :
考える名無しさん :03/01/02 22:05
おまえらも「死」を経験しやがれ
>>211 >俺はこの強さこそがカミュの言わんとする要旨だと思うんだよ。
価値もなく、主義もなく、善悪もない地点にたって、
カミュは、女の柔らかい唇や頬にあたる潮風がただ好きだった。
だからカミュは形而上学的地点で腹を立てている。
反抗を企てている。
しかしその反抗は、いったいぜんたい誰にあてたものなのかさえ
わからない。
カミュはそんなことはかまわない、と覚悟している。
そんな本です。
219 :
弥勒=六百六拾六=YYY :03/01/02 22:24
そこだけ書き出すと、パッと見の人は 「なんだ刹那主義か」となっちゃいそうなんだよな。 そこには測深鉛を伸ばすだけの深みがあるのに・・・
>>219 >そこだけ書き出すと、
どこのこと?
シーシュポスを読んで刹那主義しか感じない人がいたとしたら、
そんな人に言葉を尽くして説明しても徒労に終わるだけですよ。
ほっとけば?
ニュアンスが読めない人にはカミュにかぎらず哲学は無理だな。
技術系とかオウムとかに多いタイプ。
お前ら哲学わかんなら207にこたえてやれよ・・・
222 :
考える名無しさん :03/01/02 23:26
age
223 :
考える名無しさん :03/01/03 18:59
age
(^^)
225 :
考える名無しさん :03/01/12 23:50
age
226 :
こんにちは :03/01/16 17:57
サルトルの嘔吐でロカンタンがいた公園。 なんていう公園だったか、どわすれして困っています。 哲学の話じゃなくてすみません。 だれか教えてください。 教えてちゃんですみません。
(^^)
228 :
考える名無しさん :03/01/18 22:47
こっちはもう終了?
230 :
考える名無しさん :03/02/20 23:16
age
挙げるな
(^^)
233 :
考える名無しさん :03/03/15 06:27
言い尽くされてはいるが、定食の大戸屋を見るたびにサルトルを思い出す。。。
234 :
白鑞金 ◆XQOqpD8gDY :03/03/15 06:44
カミュ→場当たり的ええカッコしい。 サルトル→ハイデガーを日本の研究者から教わったくせに先生ぶるでない。
いや、別にサルトルがどうじゃなくて、
>>1 がサルトルとカミュを読んでると言うから。
と言うか哲学が好きなやつならまず高校・大学で学んでるよ。
私のまわりにも好きと言うよりは乱読してるときに読んだという人が多いし。
(私は高校の早い時期に乱読だったから範囲がずれてるけどw)
思春期に誰もがなるように、
一時期とにかく何でも知りたくなる時期って誰にでもあるけど、
そう言うときにサルトルに出会う人が多いみたい。
逆に自分の師というべき本にサルトルをあげる人は、
私のまわりの日本人にはいないです。
まず言葉の壁があるしw(これが以外に大きいね。
後
>>22 は何を勘違いしているのか知りませんが、
サルトルとカミュの対立は互いが違う意見ではなく、違う立場から生まれたものです。
サルトルの同志のジャンソンがカミュによけいな発言をしたと言うのが通説ですが、
その辺りは、どこまで本当かは知りません。(と言うか誰にもわからないでしょう。
だから、「作品の比較」と言うのが私には何を指しているのかわからないです。
私が知らないだけならすみません。
(私は本を読んだだけで大学で哲学を学んだことは無いので、
たぶんちゃんと作品の対比があるのでしょうけど)
できれば後学のためにもそれらの本の名前を教えていただけるとありがたいのですが。
サルトルとカミュが比較されるのは互いの立場と意見の相違からで、
直接作品で対比された例はまだ知らないのです。(浅いだけかもですが。
孟子と荀子は上辺の意見こそ違いますが根底は同じでした。
(ここを履き違えている人は多いですけど)
サルトルとカミュはこの根底も違うと聞きます。
そう言う意味での対比なら納得がいきますけど。
236 :
考えすぎる名無しさん :03/04/04 22:10
アゲ。
(^^)
あぼーん
239 :
考える名無しさん :03/05/17 23:58
カミュage
240 :
考える名無しさん :03/05/18 00:01
カミュ関係の訳本は誤訳が多いらしいな。
241 :
考える名無しさん :03/05/19 20:58
両方読んでみました。 不条理と実存、思想の上では直接の関係はないのかなという感想です。 サルトルの「嘔吐」は、「感情が理性を押しのけてやがて破滅する魔術的思考」 カミュの全ての著作に流れる「不条理」は、彼の言葉を借りれば「すべてよし( 自分の運命は自分のものという意味か?)」に集約されるのではないか、という かんそうです。ただし、カミュの著作は誤訳が多いですし彼の思想を理解するに は、やはり原語版を読んだほうが良いでしょう。
あぼーん
━―━―━―━―━―━―━―━―━[JR山崎駅(^^)]━―━―━―━―━―━―━―━―━―
例えば、「感情が理性を押しのけてやがて破滅する魔術的思考」というのは 具体的に何なのであろうか? 『感情』というのはロカンタン氏の嘔吐(不可知なる世界への違和感)であるのだが、 問題は、理性VS感情といったような紋切り型の対置図ではなくて、「“存在”とは、 そしてこの世界が何であるのかを我々はまったく知り得ない!!」という驚愕にこそ あるのである。 我々は常に押し着せられた諸価値や概念・観念の中に安寧として暮らしているが、 そんなものは、切迫した『(実存的)リアリティ』の前にあっては何の説明にも ならないのである。ここにこそ実存主義的開眼の要旨が語られうるのである。
245 :
考える名無しさん :03/05/25 18:20
みろくはどこよ
「魔術的思考」というのは感情で論理を捻じ曲げることをいうんじゃないないのか?
論ずべき対象が『不可知』であるときにどうするのかという問題が ここでの要旨なのだよ。 論理では辿り着けない“挫折”が、感情に訴えてくるのだ。
あぼーん
249 :
考える名無しさん :03/05/31 12:25
>>1 シーシュッポわかりにくいか?漏れは結構「あるあるー」ってかんじで スイスイ読めた
あぼーん
251 :
考える名無しさん :03/07/04 20:55
酔ってても語れそうな「不条理」にしとくか。
252 :
考える名無しさん :03/07/04 20:59
昔「反抗的人間」を読んだのだが要するに何だったのかな? 「喧騒と怒号の歴史」なんて断片的記憶しか無いのだけど・・
253 :
考える名無しさん :03/07/04 21:05
カミュは自殺だったんじゃないかと疑ってるのだが・・・ どうなんかな?
254 :
考える名無しさん :03/07/04 21:09
カミュって誠実なやつだったな・・・ サルトルは、うーん。あまり側に居て欲しくないタイプだが。
255 :
考える名無しさん :03/07/04 21:20
炎の精神分析とかいってたじいさんは誰だったか誰か知らない?
あぼーん
257 :
考える名無しさん :03/07/19 11:45
258 :
考える名無しさん :03/07/20 02:57
カミュのおいっこはからくりTVにでてる
259 :
考える名無しさん :03/07/25 20:59
山口県東部人は理性では割り切れず、しかも人間の奥底には明晰を求める 死に物狂いの願望が激しく鳴り響いていてこの両者がともに対峙 したままの状態である
260 :
考える名無しさん :03/07/28 03:36
>>1 『シーシュッポの神話』が分からんだと? じゃ、おまいの人生が無意味じゃ
ないことを論理的に証明してみれ。
シューシュッポッポの神話・・・!!
262 :
考える名無しさん :03/08/20 01:19
大団円などなく、正解もなく 不条理でなりたつ、この世界の すべては、それでいいんだよ
263 :
考える名無しさん :03/09/20 00:09
全てを見ろ!
264 :
考える名無しさん :03/09/20 00:15
不条理って日本人が勝手に解釈してるんじゃないの?
265 :
考える名無しさん :03/09/20 00:17
語感がいいから・・・
266 :
考える名無しさん :03/09/20 00:28
カミュって太宰に似てると思うよ 原作者はアフォだけど 作品の登場人物はいけてるよ まぁ〜 漫画家に多いよねこの手のタイプって
267 :
考える名無しさん :03/10/12 02:27
>>266 いるよなーこういうやつ。とにかくけなせばいいと思ってんの。
まあ、結局元が無能だからちゃんとした理由なんか言えなくて、
「アフォ」だとか「論外」とかのクリシェで言葉を濁してるの。
端から見ると果てしなく虚しい。本人は気にしないだろうけど。
268 :
考える名無しさん :03/10/12 02:32
このスレ イキ長いな
269 :
考える名無しさん :03/10/12 02:35
訳のわからないアノミーな時代にこそカミュの思想が輝くのだよ。
270 :
考える名無しさん :03/10/12 02:36
だからー、このほんはいいんだってば!
271 :
考える名無しさん :03/10/12 02:45
サルトルに負けたんじゃないぜ、サルトルには世界が単純に見えてたんだ。 右手に現象学、左手にマルキシズムってわけさ。カミュにはそれじゃ解決できない もんが沢山見えてたってことだ。
272 :
考える名無しさん :03/10/12 03:07
共同体・・カミュはそれを知っていた。だから「最初の人間」を書いた。 そうじゃないかい?
273 :
考える名無しさん :03/10/13 10:12
「反抗的人間」、全集以外で手に入りますか?
274 :
考える名無しさん :03/10/20 10:30
>>273 新潮社のカミュ全集6しか見たこと無いです。昔、持ってて処分しちゃったけど
先日、古本屋で200円でみつけて入手しました。
276 :
考える名無しさん :03/10/25 04:57
277 :
弥勒 ◆LY666//S/s :03/10/27 00:31
カミュは18歳のときに結核による喀血を経験する。その当時は不治の病であった…。 “死”を間近に感ずるというのは人間を深化させる。自暴自棄と期待の入り混じった 時期を通り越して、自分が生きた証をこの世界に刻みつけ残そうとする意志が芽生えた ならば、それがみずからを生き直す第二の「誕生」となるからだ。 ニーチェもまた偏頭痛と幾日も寝込み苦しむ嘔吐に悩まされた。当人を不安たらしめる 音の途絶えた病床の中で、世界から隔絶されたような孤独に窒息しながら生きること、 死ぬことを煩悶するのは、常人にとっては想像を絶する恐怖である。 面白い事に彼らは共に芸術に対して肯定的な見解を持っている。生の昇華。 銀河や星の営みからすれば塵にも満たない我々が、“生きて在る”ことの存在意義を この手に握り締めるために成し得る事とは何であろうか? カミュは俳優を例にとって「限定された“生の時間”を、より多く生きること」と語る。 充実した瞬間を、出来うる限り多く確保し続けること…。確保という言葉を選んだのは それが消耗品であるからである。儚さを知りつつもそれをかき集める努力… いかなる人生の勝者も必ず死に至る。どのような成果もその死によって彼から一切を 奪い去ってゆく。それは忍び難き敗北であるのかもしれない。時間は非人間的に 非情なものなのだ。 「敗北」は不可避である。しかしそれでもなお「生きること」を味わい尽くそうと する者は「反抗」を止めない。生きる歓びに“自由”を見い出して笑うことを…
278 :
弥勒 ◆LY666//S/s :03/10/27 00:31
書き込みが遅れて申し訳無い。夏から片道一時間の現場で夜の八時や九時まで サービス残業をやらされてていつもクタクタなのだ。 これからマメに少しづつ書いていこうと思う。
279 :
考える名無しさん :03/10/27 01:13
280 :
象の群れ、蟻の行列 :03/11/01 02:15
ちとあげておく。
282 :
象の群れ、蟻の行列 :03/11/01 12:44
弥勒の仕事はなんなんだ?
283 :
死に絶えし哲板への挽歌 :03/11/01 21:03
このスレも死んだ
284 :
考える名無しさん :03/11/01 23:07
ミロクー、なんか書け−!!
285 :
考える名無しさん :03/11/05 21:48
現実の選択と超克が思想と表現の条件である。
286 :
考える名無しさん :03/11/10 02:29
貧困にもかかわらずアルジェには至福があった。太陽と海と愛する家族と真心を持った人々がいた。
287 :
考える名無しさん :03/11/10 02:43
パリは華やかで豊かであったが偽善と欲望が支配する世界でしかなかった。
288 :
考える名無しさん :03/11/10 08:04
弥勒氏が「ある」という言葉の中に「ない」という意味が含まれていると書いていたが、これは余りに言語に依存した書き方だ。 というのも、ソシュールを読んだ際に知った事だが、一つの文字(letter)は他の文字との差異によって存在意義が生じる。 よって、「ある」と「ない」との対比があり、「ある」に「ない」が存在する事は至極当然の事だからだ。 強いて比較するなら、「存在する」と「元々存在しなかった」の比較をしなくてはならない。 が、存在した場合、全ての現象から物体までが吐き気をもよおす異質な存在になり、そこから抜け出す手段は 自殺を含めて一切ない。そして元々存在しない場合、それらを知る術がないので嘔吐する事も、「良し」と 考える事もできないという自己完結レス。
289 :
考える名無しさん :03/11/10 08:05
弥勒氏が「ある」という言葉の中に「ない」という意味が含まれていると書いていたが、これは余りに言語に依存した書き方だ。 というのも、ソシュールを読んだ際に知った事だが、一つの文字(letter)は他の文字との差異によって存在意義が生じる。 よって、「ある」と「ない」との対比があり、「ある」に「ない」が存在する事は至極当然の事だからだ。 強いて比較するなら、「存在する」と「元々存在しなかった」の比較をしなくてはならない。 が、存在した場合、全ての現象から物体までが吐き気をもよおす異質な存在になり、そこから抜け出す手段は 自殺を含めて一切ない。そして元々存在しない場合、それらを知る術がないので嘔吐する事も、「良し」と 考える事もできないという自己完結レス。
実存主義って一言でいえば反抗期のガキの言い分だな・・・
291 :
考える名無しさん :03/11/11 19:13
290のような、そうとしか取れない人に何を言っても無駄だね。 きっと290はこんな事を言うんだろう。 社会主義って一言でいえば自分の地位を守りたいガキの言い分だな… テレビって一言でいえば洗脳の手段だな… 俺って一言でいえば世界にとって要らない人間だな… ...
ネットで拾ったNorah jonesの声がヘッドホーンを通して染みこんでくる サルトルの『嘔吐』に出てくる黒人女のジャズの歌声がどんなものだったろうかと 思い浮かべて少し立ち止まる 帰宅途中で書店に立ち寄るために池袋で降りる 至る所に中高年の浮浪者が佇んでいる 拾ってきたような古着で人工大理石の床に寝ころんだまま通りゆく人々の視界からはぐれている 丸井へ行く途中の地下道入り口脇で礼拝している人が首を縦に振り続けている 垢に汚れ、脱げかけた水色のジャージが生活の如何ほどかを教えている 年間の自殺者が三万人 この国では、どこかの戦争より犠牲者が多いという現実も何事も無いかのように黙殺されている 麗しく肌を露出した未来の母親たちが醜聞を綴る印字に囲まれて貼り出されている にこやかに笑う商品たちが路肩に捨てられ泥で汚れている 誰かが笑いながら通り過ぎる 着信音が重なり合う 連なるショーウィンドウの明かりが狭間に切り裂かれた闇を深くする 愛すべき国 愛すべき社会 愛すべき生活 愛すべき幸福 愛すべき世界…
293 :
考える名無しさん :03/11/16 23:52
不条理な自由 『今や僕は自殺の観念に接近することが出来よう。自殺という問題に どのような解決が与えられうるか、読者は既に感じ取られたことだろう。 その点、問題は逆転されている。以前は、人生を生きるためには人生に 意義がなければならぬのか、それを知ることが問題だった。 ところがここでは反対に、人生は意義がなければ無いだけ、それだけいっそう よく生きられるだろうと思えるのである。・・・』 どこかのスレにも人生の意義だの生きることの意味を問う項があったので ちょうどいいかも。 ここをこれからポツポツ書いていこう… 仕事大変なので気長にしてて下さい。
295 :
考える名無しさん :03/11/17 02:17
だから、弥勒って誰?偉そうにププ
296 :
考える名無しさん :03/11/17 02:18
297 :
考える名無しさん :03/11/17 02:40
あぁ〜 自分さえよければいいのに・・・・
298 :
お邪魔してすみません。 :03/11/17 22:57
すみません。本当にすみません。 サルトルからの引用の出所がわからなくてこまっているんですが、 もしや、どなたかおわかりになりませんか? 「今や、断頭台上に立ち手を縛られた罪人は、まだ死んではいない。 死ぬには、一瞬間が足りないのだ。 死を猛烈に意欲するあの生の一瞬が……」 というのです。ダメでしょうか。
池袋はかつてわたしもホームグラウンドだったよ。 いまでも年に何回かはいく。
300 :
考える名無しさん :03/11/19 01:37
300取っとこうかな?
>>299 では一生のうちにあと何回ほど池袋に行くんでしょうか
三桁はなさそうですね。
302 :
考える名無しさん :03/11/19 21:42
いくかもね
303 :
考える名無しさん :03/11/19 21:52
いや、逝かないね
304 :
考える名無しさん :03/11/19 21:52
いやー、逝くさ、逝くとも。
305 :
考える名無しさん :03/11/25 08:33
>>1 ちょっと思ったんだけど「無慈悲」って訳した方がわかりやすいんじゃないかな。
これって運命とかもっといえば存在そのものが人間に対して何ら同情しないことを不条理って言ってるんだよね?
違うか。
306 :
考える名無しさん :03/11/25 08:59
「無常」でもいいんじゃない?
307 :
考える名無しさん :03/11/25 10:06
>>305 >>306 全然違います。
人間の理性が「世界を知ること」に対して熱烈な願望をもっているのに、世界は何も人間に開示してくれないこと、を不条理と言っているんです。
308 :
考える名無しさん :03/11/25 10:18
アレ、でもホント?>307
>>1 にちゃんと書いてあった。。。。
「この世界は理性では割り切れず、しかも人間の奥底には明晰を求める
死に物狂いの願望が激しく鳴り響いていてこの両者がともに対峙
したままの状態である」
>>309 「シーシュポスの神話」の最初のほうに書いてあります。
312 :
考える名無しさん :03/11/25 10:33
>>311 ありがとう。
初心者だからまだまだ本を読んで勉強しておきます。
313 :
考える名無しさん :03/11/25 13:55
人間は自由であるべく呪われているのだ
>>314 すいません。何を言いたかったわけでもありません。ちょっと言ってみたかっただけ。
316 :
考える名無しさん :03/11/25 23:20
>>315 僕もちょっと言ってみたかっただけです。
そんなに丁寧に謝れると困ってしまいますよ
>>4 >「人間的な呼びかけと世界の不当な沈黙とが対比される不条理」
「海の馬鹿ヤローーー!」と叫んでも、たださざ波の音が聞こえるだけ
とか?ただ単純にこういう事じゃないの?
>>307 それってつまり無常って言っても良いじゃん。
だから問題はむしろ何故人間の理性が「世界を知ること」に対して 熱烈な願望をもっているのかだろう。人間はすでに知っている事を 知ろうと欲する事が出来るだけなのだから、実在とそれとの葛藤が それをそうさせているのだろう。 とは言っても哲学風味の文才家の文体を楽しむだけでもシシューポスは 意味があるな。哲学を体験させてくれる。
320 :
考える名無しさん :03/11/26 01:34
「シーシュポス」な。
321 :
考える名無しさん :03/11/26 01:39
>>318 不条理は認識論的概念であり、無常は、その存在論的表現と言ってよいでしょう。
322 :
考える名無しさん :03/11/26 01:49
さぁ皆さん、お待たせしました。 久々の超大型新人コテハン誕生、それが私ことマイケルです。 私がこの板に来ることはある意味必然的なことだったのです。 それは運命とでもいいましょうか。 まぁそれより何か相談事があったら私に何でも相談してください。
323 :
考える名無しさん :03/11/26 01:51
妖怪、氏ね!
>>320 シーシュポスか。言いにくいな。舌噛んじまう。
なんか左右のバランスが悪い。
>>321 でも考えてみたら同じ様なもんだろ。人がそれを
分割するんだよ。人間は分割し、実在は絶えず
一つだ。
325 :
考える名無しさん :03/11/26 01:58
カミュの不幸も幸福も、戦いも、ド田舎での優等生だったことに始まる。 パリに来て悟った。「ここには真の共同体はない」。 始めから敗北の必然は見えていた。が、己の良心を信じた。
326 :
考える名無しさん :03/11/26 02:41
カミュも青年期を過ぎると決して自分も「ピュア」ではない事に 気付く、卑怯なサルトルは「転落」を絶賛する。 サルトルは都会人でカミュは田舎者だったのだ。
>>326 そのカミュの答えが「異邦人」か。
ピュアなままで居るために歪んでしまった主人公が社会に排斥されて死ぬ。
そういうことでいいのかな?
328 :
考える名無しさん :03/11/26 02:53
サルトルは「真の共同体」を知らず、カミュは知っていたが充分な 表現はできなかった。「最初の人間」に描かれるはずだったかもしれない。
329 :
考える名無しさん :03/11/26 02:59
>>327 「異邦人」はデラシネとなり、都会生活に適応し、かろうじて精神の
均衡を保っていたヒトが、あっけなく、均衡を失するという話でしょう。
>>329 それではムルソーは最後までデラシネのままだったのかな?
最後の最後で彼は実存として死を見つめたように思えるんだけど。
>卑怯なサルトルは「転落」を絶賛する どのテクストのどの部分で? >サルトルは「真の共同体」を知らず サルトルのどこからそう考えたのか聞かせてくれ
332 :
考える名無しさん :03/11/26 03:16
牢獄の小窓から見た草花 etc ありますね。その「自然」に「全て」が回想 されていたのかはわかりませんが・・
「実存」という言葉を使ってしまったけれど、確かカミュは実存主義であることを否定していたっけ。 どうもうまく言い表せない。
334 :
考える名無しさん :03/11/26 03:24
>>331 サルトルが「転落」を絶賛したというのはあっちこっちで見ましたが
今、手許にありません。すみません。
真の共同体・・「存在と無」 他者に関する部分、及び「言葉」
335 :
考える名無しさん :03/11/26 03:30
>>333 確かにカミュは「実存主義者」と呼ばれることを否定してました。
>>335 そうだね。
適した言葉が見つからないってことは、どうもやっぱりぼくはまだカミュについて全然わかっていないらしい。
ところで知っている方がいたら教えて欲しいのですが、異邦人について
サルトルが解説したものがあると何かで読んだんですが、翻訳されてるでしょうか?
翻訳されていたら書籍名も教えてくれたら助かります。
337 :
考える名無しさん :03/11/26 04:04
>存在を正当化できないのは自分に限らない。おおよそすべての存在者が、自分の存在を >正当化できない。すべては存在する。ただそれだけだ これはサルトルの理屈じゃん。 まったく自論に引き寄せちゃってるとしか思えない。
カミュには、はっきりとした良心、愛、正義の感覚があったと思う。 サルトルの「異邦人解説」は良いと思えない。
>>337 ありがとう。とりあえず流し読みしたけど、筆者の論調が途中で実存主義を離れているように感じた。
「自分は<欠けがいのある>存在者に過ぎない」とか書かれているあたり。
でもサルトルの解説から引用された部分は参考になりました。
>存在を正当化できないのは自分に限らない。おおよそすべての存在者が、自分の存在を
>正当化できない。すべては存在する。ただそれだけだ
ところで、これは筆者の見方じゃないのかな。
それに
>すべては存在する。ただそれだけだ
は確かにサルトルの理屈だけど、それ以外はどうだろう・・・
カミュは実存主義者ではないと自ら言っていたのだからこういう解釈も
ありなのかもしれないけど、なんだか違和感があるような。
339で言いましたようにカミュには諸価値に関して、はっきりとした(内的な)感覚が あったと思います。 >存在を正当化できないのは自分に限らない。おおよそすべての存在者が、自分の存在を >正当化できない。すべては存在する。ただそれだけだ これは全く「嘔吐」、「存在と無」のころのサルトルの主張と同じです。 カミュは「実存」などと言っておらず、「人間」と言ってると思います。 多分「還元」などは信用せず、「全的人間」を欲していたのでしょう。
342 :
考える名無しさん :03/11/26 05:02
>>341 >これは全く「嘔吐」、「存在と無」のころのサルトルの主張と同じです。
そうなんですか。
サルトルが「おおよそすべての存在者が、自分の存在を正当化できない」
という主旨のことを言っていたのは知りませんでした。
これは実存だけでなく、事物存在も自分の存在を正当化できないということでしょうか。
それともこの場合の「存在者」は所謂実存を指しているのかな。
恐らく後者かなとは思いますが…
色々とありがとうございました。そろそろ寝ます。
343 :
考える名無しさん :03/11/26 05:05
事物は即自存在なので主張もへったくれもありません。
>事物は即自存在なので主張もへったくれもありません。 ですね。 ということは後者(全ての対自存在を指す)ですね。錯乱してました。 重ね重ねありがとう。それではおやすみなさい。
>異邦人についてサルトルが解説したもの 「異邦人解説」 サルトル全集 シチュアシオン I >カミュには、はっきりとした良心、愛、正義の感覚があったと思う >サルトルは「真の共同体」を知らず、カミュは知っていた そういう「共通の感覚」だとか「真の共同体」の存在を信じており、 共通の感覚(価値といってもいい)が他者を抑圧する可能性はないのか、 共通の価値が歴史の理念に繋がるのではないかという 問いが切実ではなかった点で、カミュはモラリストの系譜に連なる思想家だった。 私見だが、カミュはあくまで(実存)思想家、サルトルは実存哲学者であって 同列に並べて論ずるのは難しいと思う。
346 :
考える名無しさん :03/11/28 01:38
「無常」は世界が変転して恒常なものは何一つないということだから「不条理」とはまったく別ですよ、やはり。
347 :
考える名無しさん :03/11/28 23:31
耳の匂い
348 :
女の内股から血を吸う男 :03/11/29 02:22
サルトルはフッサール、ハイデガー哲学をフランスに紹介したジャーナリスト。 カミュは創造する人。 カミュ>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>サルトル
349 :
考える名無しさん :03/11/29 03:20
ドイツ哲学>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>フランス哲学 ってか?ww
「今日では消えてしまったあるスタイルにおける
最後の哲学者であるサルトルは、いずれにせよ、名高い、
たぶん第一級の哲学者のひとりでもあった」
アラン・ルノー
「極めて重要な諸点について、サルトル氏の思想は、「存在と時間」から離れている。
この若いフランスの哲学者の中心的直観は彼固有のものと考えられる」
ガブリエル・マルセル
「あらゆる創造的なものや人物の常として、彼(サルトル)は真ん中にいる」
ジル・ドゥルーズ
>>348 むしろカミュの小説、少なくとも異邦人はきわめて古典的な手法にのっとっている。
篠沢フランス文学講義5巻のカミュの項他。
351 :
女の内股から血を吸う男 :03/11/29 10:39
「シーシュポスの神話」ほど人間が生きている現実を「リアル」に描き出している文章はそうそうない。 いっぽう「嘔吐」は退屈で、私にとっては新しい発見もなかった。 それぞれの代表作の出来から云って、 カミュ>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>サルトル
352 :
女の内股から血を吸う男 :03/11/29 10:52
引用って、前後の文脈が不明なうちはなんとも云えないです。 それにジル・ドゥルーズが何を云っても、自分で「嘔吐」読んではっきり詰まらなかったんだから、詰まらんものは詰まらんのです。
353 :
考える名無しさん :03/11/29 16:26
>>351 カミュの代表作は「シーシュポス」か?発展途上って感じがするが。
まあ好みの問題だからいいけど。
354 :
考える名無しさん :03/11/29 21:28
じゃあ、ペスト? でも作家って、若い頃の作品が代表作になることも結構ある。 というか、前期、後期とかだと前期のほうが、こうイキがいいというか。
355 :
考える名無しさん :03/11/30 00:12
作家としてはそうかもしれないけど、思想家としては年を経るごとに円熟していくのは当然だからなあ
356 :
考える名無しさん :03/11/30 00:28
もしかして、カミュは「シーシュポス」よりいいもの書いてるってこと? 教えて!!!!!!
あ。もちろん、「好き好き」ってのはあるから、読んでからつまんねーじゃねえか!とかはいいません。 おしえてください。
「好きずき」ね。
おしえろえおえふぃえをおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお
360 :
考える名無しさん :03/11/30 07:11
そんなに著作が多いわけじゃないだから一通り読んでみればいいじゃん。
不条理とはなんですか? 実存とは何ですか? 愛とはなんですか? よく分からない。
不条理:わけがわからないこと 実存:無意味に生きているさま 愛:人やものごとにとらわれている様子
>>346 これならどうだ。俺たちは「無常」を「不条理」だと思って
いると。
364 :
考える名無しさん :03/12/05 02:42
俺たちって誰?一緒にしないで。
頑張りますねえー。 わたしはキリンをカバとは思いません。
366 :
考える名無しさん :03/12/05 02:48
カミュの歴史観=怒号と喧騒の歴史
367 :
考える名無しさん :03/12/05 03:48
「自分が何者か、僕は分かっている。ほかは誰も、僕が何者か知らない。 もし僕がキリンだったとして、誰かが僕をヘビだと言ったとしたら、 僕は、いや僕は本当はキリンなんだよと思うだろう」
>>364 「俺たち」は当然俺の仮定。であなたはどう思う?
369 :
考える名無しさん :03/12/06 07:01
君はわかっているのか、いったい君はわかっているのか? 誰でもが特権が持っているのだ。特権者しかいはしないのだ。
人間個人がもつ共同体意識を否定はしない。そしてこの共同体意識 とは別に歴史的な理念が人間には植わっているわけだ。共同体意識と 解釈学的な言語の枠に植わっている歴史包含の無意識とは区別しなければ いけないと思う。人間にはコミュニケーションを可能にする領域がある。 社会学的にいえばそれは抽象的に言語、貨幣、愛などのコミュニケーション メディアのことだ。愛なんてもんは宗教や伝統倫理の産物(概念)であって そんなもんはただのコミュニケーション領域でつくりだされた ものでしかない。ただの万人に理解される愛はコミュニケーションメディア でしかないということだ。この歴史的無意識は共同体の歴史理念を作り だしてきたものであり、我々が当たり前だと思っている意識はこれを 決定されているものだという信仰心からくる共同体意識のことである だろう。問題はこの共同体意識を信仰するかそうでないかであり、 これは確かに個人の特権であると思う。そして、共同体意識を信じない のも勝手なのだよ。人間は不条理なものだ。人間が信仰できるものは それ自体で人間に必要だろう。しかしカミュはこの人間の信仰している ものの裏にある過剰分を見ていたわけだ。この過剰分がある限り人間は 正しいとすることだけでは現実と向き合えない側面が出てくる。しかし、 もちろん方向性を誰もが必要としているわけでその方向性を示してくれる ものを受け取っていくことは必要だろう。それは倫理や宗教、科学、共同体 意識などなど。これらは必要であるからあるのだ。しかし、人間はそれを あまりに共同体意識に繋ぎ止め過ぎる。結合は永遠だと思いたいのは やまやまだが結合は時間によって分離に必ず向かうという現実について。 人間は永遠を信仰してしまったらそこに固執してしまいカミュの見ていた 不条理=過剰分=現実に太刀打ちできなくなる。俺は人間性の尊厳を 大事にしている。しかし、人間は自分の物語性を信仰しながらもそれを 別の視点によって打ち壊してみる。つまり、自分が繋がれているもの から切り離されてみることによって人間の 尊厳を守っているわけだ。さて、これは矛盾するかな。絶対を打ち壊すが 人間の本質は信じている。しかし何も信じない
これからはひとつのスレでしかものいいません。 しかも短いレスはしません。メディアである以上は一応制約を 以上
373 :
考える名無しさん :03/12/07 08:50
こんなふうに長くてびっしりした文章みると誰も読まないよ。
374 :
考える名無しさん :03/12/07 15:03
誰も読まなくても言うこと自体が目的だから気にしない。
376 :
考える名無しさん :03/12/11 22:59
>>371 歴史的無意識??そんなの無いよ。
そーゆーのは、「元型」的経験の領域である普遍的無意識というのだよ。
>376言い方がアカデミックではないということですか? それはユン・・まあなんでもいいのですがニュアンスはそういうことです。 しかし、領域がただ単に違うだけで言語が歴史性を有している、そして 人間の言語は無意識的なものであり人間は歴史に縛られてるという意味で それは認識の違いなだけではないのですか。かんね
378 :
考える名無しさん :03/12/13 02:43
>>377 そーゆーこと。
歴史とは文化であり、文化とは普遍的無意識の界に属しているものである。
また、カミュをそもそも不条理ととらえる人や評論家がいるがいかがなものか。
不条理とはそも、褒め言葉ではなく嘲笑の的であるべき評価である。
サルトルから読み解くと、カミュはアンガージュマンしていないという事になるのだろうが・・・。
カミュから見るとサルトルは自然や人間への愛、信頼を理解しない人間であって退廃した根無し草の 哀れな都会人の代表なのだ。そのような根っこを欠いた所から現象学やマルキシズム への「カブレ」が生じているのだ。
380 :
考える名無しさん :03/12/13 03:37
>>379 所詮カミュはヘタレ。
サルトルいわく、百万人の飢えた子供たちにとって文学は何の意味があるか?
なんにしろ、ノーベル文学賞辞退するというサルトルの器のでかさに脱帽だな。
サルトルは様々な術策に長けており老獪、カミュは誠実・朴訥だった。
382 :
考える名無しさん :03/12/13 03:52
383 :
考える名無しさん :03/12/13 04:25
>>380 対構造主義論争でのサルトルのあっけない負けっぷりにも脱帽です。
384 :
考える名無しさん :03/12/13 04:29
>>383 君のレスは、女給仕の顔あるいは、マロニエの根っこを見たときと同じ反応をしそうだよ。
385 :
考える名無しさん :03/12/13 04:37
>384 創造つきません もうちょっと解かり易くお願いします。
386 :
考える名無しさん :03/12/13 04:41
>>385 もしや君は、サルトルの著作を読まずに馬鹿にしてたの?
「嘔吐」は面白くない。 「異邦人」はオモシロ異。 ここは決定的なところだ。
388 :
考える名無しさん :03/12/13 12:46
作家としてはカミュの方が格上。
389 :
考える名無しさん :03/12/13 19:02
>>387 『嘔吐』と『異邦人』を比べるとは・・・。
あなた、『嘔吐』読んでませんねw
もしくは、理解できていないのか・・・・。
『嘔吐』はある程度の哲学的な知識をもたない者には理解不能になる著作ではあります。
が、カミュは、シジフォスの岩的思想が理解できれば誰にでも理解できる容易なものではあります。
390 :
考える名無しさん :03/12/13 23:54
>>380 >なんにしろ、ノーベル文学賞辞退するというサルトルの器のでかさに脱帽だな。
見る目が甘いよ。ノーベル賞とった人間がこれまで何人いると思ってるの?
受賞したところで one of them になるに過ぎないんだよ。しかし、ノーベ
ル賞辞退者というのはまさに only one だ。
サルトルは辞退することによって、ノーベル賞受賞以上の名誉を得たのだよ。
391 :
考える名無しさん :03/12/14 01:51
一日中、公園やらカフェやら図書館やらで時間ぶらぶらしてマロニエの樹みて誰でも気付くようなことにイイトシしてようやく気付いて、何が面白いんだか。
392 :
考える名無しさん :03/12/14 02:15
サルトルと柄谷は似てないか?
393 :
考える名無しさん :03/12/14 02:18
似てない
サルトル-カミュ論争それ全体を柄谷が継承しているように見えるけど。
ノーベル文学賞など何の価値もない。
396 :
考える名無しさん :03/12/14 02:31
ノーベル賞を辞退したごときで泊が付いた気になってるアホ共のスレはここですね。
397 :
考える名無しさん :03/12/14 02:32
とってから、ガス管くわえて言おう!
398 :
考える名無しさん :03/12/14 02:33
違います。 サルトル偏愛者たちだけです。 そんなコドモっぽい行為を英雄的だと感じるなんて。
399 :
考える名無しさん :03/12/14 02:35
>>396 こういうやつこそ実は権威に弱いんだよw
あれだけ体勢批判してきたROCKERミックジャガー
が勲章貰って喜んじゃってる姿は見るに耐えられない…
柄谷とサルトルの関係は要チェックだと思いますが、皆さんいかがでしょう?
402 :
考える名無しさん :03/12/14 02:37
>>398 子供を本気で相手にしてるチミこそMr.KODOMOだw
Mr.KODOMOwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww 最高!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!! おもしれーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー ぎゃははははははh
404 :
考える名無しさん :03/12/14 02:40
>>401 でも彼と共に体制と闘い続けた俺たちファンは置いてきぼりだよ…
飼い犬に噛まれるとはこういうことをいうのだな
405 :
考える名無しさん :03/12/14 02:40
406 :
考える名無しさん :03/12/14 02:41
1957年 カミュ、ノーベル文学賞受賞 1964年 サルトル、ノーベル文学賞受賞(辞退) この7年の差を見れば作家としての力量の違いは歴然。 カミュ>サルトル
408 :
考える名無しさん :03/12/14 02:43
>>407 ノーベル賞なんてどうでも酔い。
カミュが酔い。
409 :
考える名無しさん :03/12/14 02:46
>>407 カミュに先に取られて、拗ねて、カミュを越える唯一と(自分だけで)思い込んだ手段をとっただけだよ。サルトルの辞退は。
410 :
考える名無しさん :03/12/14 02:47
>>404 ミックを飼い犬呼ばわりして、何がファンなんだ?
それにファンならミックと共に成長すればいいじゃん。
要するに文学では勝負にならなかったから、他のことで「勝つ(つもり)」しかなかったんだね。
412 :
考える名無しさん :03/12/14 02:49
>>411 そういうことです。
でも見掛けでも圧倒的にサルトルは負けてる。
いいとこ無し。
413 :
考える名無しさん :03/12/14 02:53
ルックスがよい=正しい=主人公
柄谷は、サルトルを擁護したのはドゥルーズだけだと喜んでたけど 柄谷とドゥルーズの関係はどうでしょうか?
415 :
考える名無しさん :03/12/14 02:57
416 :
考える名無しさん :03/12/14 03:04
ハードボイルドですな
417 :
考える名無しさん :03/12/14 03:07
>>414 確かに彼らの共通点は追及する価値はありますが、違いの方も
しっかりフォローした方がいいですよ。
特に彼らのフロイト・マルクスに対する関係のとり方の違いですね。
私個人の気分では、柄谷にはどこか浪漫チックな弱さを感じます。
418 :
考える名無しさん :03/12/14 03:11
カミュ:肺結核、神経衰弱 サルトル:糖尿病、痛風、緑内障
419 :
考える名無しさん :03/12/14 03:12
>>417 違いならあるでしょうが、具体的になんですか?
421 :
考える名無しさん :03/12/14 03:14
>>418 死に方までもサルトルの負けかあ。
不思議なくらいだな。
422 :
考える名無しさん :03/12/14 03:16
悲劇と喜劇 カミュの死とサルトルの死と
423 :
考える名無しさん :03/12/14 03:16
サルトルは人生楽しんでますね。
425 :
考える名無しさん :03/12/14 03:17
>>422 これはちょっと言い過ぎました。
撤回します。
426 :
考える名無しさん :03/12/14 03:19
wつけるやつかあ。ヤだな。哲板の鼻つまみもの。
427 :
考える名無しさん :03/12/14 03:20
>>420 無意識についてです。
しかし説明するとなるとかなり複雑で、今要領よく説明できません。
428 :
考える名無しさん :03/12/14 03:20
www
429 :
考える名無しさん :03/12/14 03:21
きたきた。嫌われ者が。
430 :
考える名無しさん :03/12/14 03:21
うるさくなるからもう寝よ。
無意識を認めないということと機械状の無意識の関係 無意識を認めないということと構造主義の関係 構造主義と他者論の関係 構成と統制の関係 哲学は複雑ですね。
432 :
考える名無しさん :03/12/14 03:33
おやすみ。
>>431 ちょっと考え込んだんですが、先験的な想像力の捉え方の違いがポイント
かなと思いました。
澤田の「新・サルトル講義」を買ったまま読んでなかったけど、この本 意外と役に立つよね?
435 :
考える名無しさん :03/12/14 04:13
横レスすいません 昨日駒場行った方いますか?
436 :
考える名無しさん :03/12/14 04:21
437 :
考える名無しさん :03/12/14 04:52
どうでもいいけど、ここにはカミュしか読めなかった香具師ばっかいて。 サルトル批判してるのでつか?
438 :
考える名無しさん :03/12/14 05:05
ってか弥勒はどこ行った? 弥勒戻ってこい!! 君のカミュ講義が聴きたいぞ!
439 :
考える名無しさん :03/12/14 10:10
だからサルトル読んだ上でツマンネー、っつってんの! 詰まんねーなんて、そもそも最悪だろーがよ。中身あれば面白いんだよ。
440 :
考える名無しさん :03/12/14 10:17
おれは常駐してんのにな。 名無しにしてるけど。
441 :
考える名無しさん :03/12/14 11:13
サルトル読んだって嘯く香具師は、『嘔吐』だけしか読んでないんじゃないの? 本当に、『存在と無』・『唯物論と革命』・『方法の問題』などを読んだ上で言っているのか? つーか、『嘔吐』のような小説だと背後にあるサルトルの哲学的思想を知らないと 読んだことにはならんのだがな。
442 :
考える名無しさん :03/12/14 11:19
そもそも「1冊だけ読んでもわからない本」しか書けない時点で無能。
もしも「嘔吐」だけでわからないとしたら、だよ。 おれは十分わかると思うけど。
444 :
考える名無しさん :03/12/14 12:10
>>442 そもそも「1冊だけ読んでもわからない本」しか書けない時点で無能。
哲学の体系を知らない香具師ばっかだなw こんなこと書く時点で莫迦丸出しじゃあないか。
一冊だけ読んで、サルトル知った気でいられる君が、ある意味うらやましいよ。
たぶん君は、「漏れサルトル読んだけことあるけど超〜つまんなかったぜ。」
とかなんとか嘯いてんじゃないの?その調子だと、カミュについてもそんな感じなんだろうね。
445 :
考える名無しさん :03/12/14 12:12
>>444 なんかはなしにならんな。まあ、サルトル好きなんて、この程度のやつだってことだ。ある意味わかりやすい。
446 :
考える名無しさん :03/12/14 12:30
>>445 君は、一冊読むだけでわかった気でいる香具師かい?
誰の著作にせよ、一冊だけしか読まずにわかったと言わないことだな。
しかも、哲学者の書いた小説である「嘔吐」なぞ、理論背景と構成概念がわからないと、レトリックを読み解けないだろーに。
確かによくあるんだよね、サルトルを「嘔吐」から読んでハァ?って香具師。
まんまとサルトルに煙に巻かれちゃうんだよね、それでいて「友達に漏れ読んだことあるよ。」って。
救いようが無いね。これは、ニーチェの「ツァラストラはかく語りき」しか読まずにわかった気でいる香具師と同じ傾向。
ま、おまいにサルトルは読めないだろうがな。
447 :
考える名無しさん :03/12/14 12:54
>>446 サルトルを高尚で難しいと思ってる時点で馬鹿決定。
448 :
考える名無しさん :03/12/14 13:01
>>447 まあ、いいから、『存在と無』・『唯物論と革命』・『方法の問題』よんでみ。
以下、放置
450 :
考える名無しさん :03/12/14 22:05
かみゅは、へたれ。
451 :
考える名無しさん :03/12/14 22:48
あんなもん読むの、時間の無駄。
452 :
考える名無しさん :03/12/18 04:05
このスレッドが一番不条理。
不条理とは存在と認識の矛盾が個別的・有限なな世界内存在にとっての限界状況として 把握されたものである。
454 :
考える名無しさん :03/12/18 04:16
>>453 簡単に言うと、ドーナツの真ん中の穴の部分ってこと?
それは、トポロジー的問題
456 :
考える名無しさん :03/12/18 04:23
>>455 では、ドラえもんとのび太の関係ってこと?
457 :
考える名無しさん :03/12/18 04:23
>>453 それはソーカル事件と同じようにパロディでサルトル・カミュを茶化したレスなんだよな?
つまらん
459 :
考える名無しさん :04/01/05 00:59
明けまして不条理です。
460 :
考える名無しさん :04/01/05 01:10
「存在と無」高すぎるよ・・・。 せめて上下一万なら買うんだがなあ・・・。
461 :
考える名無しさん :04/01/05 02:02
>>460 古本屋で100円で売ってたのを購入した。
まったく価値の分からん古本屋でありがたい。
明日古本屋逝ってみます。
464 :
考える名無しさん :04/01/05 02:06
古本屋マンセー! て言いたいところだが、いつもいつも 俺の本を二束三文に見積もりやがって・・・ 許せん!
465 :
考える名無しさん :04/01/05 02:10
466 :
考える名無しさん :04/01/05 02:14
ちなみに100円で買ったのは、 河出出版の世界の大思想の29 サルトルで、 紫の分厚いヤツなので安かったのかも。 でも、存在と無だけじゃなくて唯物論と革命、方法の問題も 入っててお得だった。
467 :
考える名無しさん :04/01/05 02:14
うはははは。
468 :
ドクターP。 :04/01/05 02:14
>>464 つまり、売るとき損した分だけ、買うとき得するように
こころがければよいのです。これがかの有名な「古本屋
輪廻転生説」ですね。サトッテ、ゲッチュー!!
大学のテスト期間が終わったら、古本屋巡りにでるか・・・。 情報サンクス。てか世界の名著の存在忘れてた。 中公クラシックスに入れてくれたら、うれしいな。
あ、世界の名著じゃないね。すまんこ
471 :
考える名無しさん :04/01/05 06:30
age
472 :
考える名無しさん :04/01/06 00:00
鼻を、かみゅ。
こんなんばっかやな。
あんまりゲロばっか吐いてると胃酸で歯がやられますぜ あんた多分三半規管
が不調か、自律神経失調症だわ>サルトル
476 :
考える名無しさん :04/01/10 23:28
サルトル最高です!
サルトルの存在と無 l'etre et le neant 訳も原文ももってるけど全く分かりません。 Interroger <<l'experience>>,comme kant, sur ses conditions de possibilite, effectuer une reduction phenomenologique, comme Husserl, qui reduira le monde a l'etat de correlatif noematique de la conscience, c'est commencer deliberement par l'abstrait. これからも分かるように存在と無を読むための最低限の知識とがないと読めませんよね。これ一冊 だけをもって理解できる人がいたら神ですね。これ読む前にカントなりフッサールなりヘーゲルなり の知識もないととてもじゃないけど表面的にすら理解できそうに無い。 ということで今、デカルト読んでます☆ 17世紀からの出発☆
478 :
考える名無しさん :04/01/11 10:07
そんなたいした哲学者じゃないよ、サルトルは。
479 :
考える名無しさん :04/01/11 11:54
>>477 漏れも読み解くのに苦労した覚えがあるよ。
なにせひとつのページに「存在」という単語がこれほど使われている
著作物ないと思うよ。
当然、他の多くの書物を隣に置いて参照しつつ読んだけどね。
>>479 苦労するのが普通なんですね、ちょっと安心。
今日存在尾無を読んで早速つまずいたフレーズ
Relatif, le phenomene le demeure car le <<paraitre>> suppose par essence
quelqu’un a qui paraitre. Mais il n’a pas la double relativete de l’Ercheinung
kantienne.
カントのいう現象の二重の相対性… なんのこっちゃ、初心者がいきなし
サルトル始めるにはかなりの忍耐力がいりそうですな。頑張ります。
481 :
考える名無しさん :04/01/12 12:56
>>436 あ り え な い 。それは。
バストダンジョンでリリカのおっぱい値を800近くまで調教強化してやらないと、そのフラグは立たない。
仮にフィリオナをメンバーから外してリリカを集中調教しても、アナルバイブが使えないその段階では
スカリバーはまだ手に入れられないはず。 妄 想 で つ か ?
とりあえずアンダー草原で淫獣マリリスを大量に調教して淫度をどんどん稼いどけ。
展開が不安ならバックアップ取っておくのを忘れんなよ。説教くさくなってスマソ・・・。ついな・・・。
482 :
考える名無しさん :04/01/16 23:49
サルトル頭良すぎ。
483 :
考える名無しさん :04/01/17 00:00
カミュ人格良すぎ。
484 :
考える名無しさん :04/01/17 00:01
カミュに一票 サルトルに不信任一票
485 :
考える名無しさん :04/01/17 00:02
サルトル難解すぎ。参った!
486 :
考える名無しさん :04/01/17 00:05
自分で良くわかってないから、カッコつけようとしてるだけだよ。 惨めな人間さ。
487 :
考える名無しさん :04/01/17 00:07
>>486 まあ確かにカミュはそういう傾向があるな。
488 :
考える名無しさん :04/01/17 00:08
サルトル好きって救い難い
489 :
考える名無しさん :04/01/17 00:57
490 :
考える名無しさん :04/01/17 01:13
実存主義てどういう意味ですか? いろいろ調べてみたけどいまいちわかりません
491 :
考える名無しさん :04/01/17 02:10
>>490 世界の内にあって、刻一刻と自ら決断をしながら生きていく宿命を負った
人間の存在のことを哲学では「実存」といい、
人間の実存を真正面から見据えよう、というのが実存主義哲学なのです。
492 :
考える名無しさん :04/01/17 03:04
>>491 ふうむ
ありがd
真正面から見据えよう
というのがいまいちわかりませんが・・
493 :
考える名無しさん :04/01/17 03:26
>>490 人間はこの荒涼たる世界のただ中に打ち捨てられている。
自由とは一つの無益な受難である。
他者の眼差しは私の自由を凍りつかせる。
不毛と知りつつも孤独の内に決断を下さねばならぬ。
愛は挫折に終わるが超越への契機であり救済の予感でもある。
人は生まれながらに故郷を喪失しており、世界は不条理であるが出口はない。
494 :
考える名無しさん :04/01/17 03:29
人生は嫌なもんだけど 愛はちょっとはいいかんじってこと? 真正面から見据えよう っていうのは それはどういうことか知ろうってことじゃないよね じゃあどうしていこうか考えようって訳でもないよね?
495 :
考える名無しさん :04/01/17 03:34
496 :
考える名無しさん :04/01/17 03:36
えええ!
497 :
考える名無しさん。 :04/01/17 03:51
491に書いた補遺として・・・ 物は、自分の正体について悩むことはないが、 者は自分が何者であり、どこから来て、どこへ行くのか、 常に思い悩んで生きている。 自分という存在を常に意識せざるを得ない特別な存在、それが実存。 すなわち人間であり、実存主義は、人間を単なる存在としてではなく 実存としてとらえるのである。
498 :
考える名無しさん :04/01/17 10:15
曖昧なんだね、実存主義って
499 :
考える名無しさん。 :04/01/17 13:02
>>498 実に具体的なんだが・・・書くと大変。
サルトルの言った「実存は本質に先立つ」というのがキーワード。
500 :
考える名無しさん :04/01/17 13:59
つまり本質をさぐらない つーのは、哲学と言う意味の中の一つの解釈とと矛盾してるから 人生哲学とか、そういう意味の哲学ってこと?
501 :
考える名無しさん :04/01/17 14:19
どうなのよ
502 :
考える名無しさん。 :04/01/17 14:30
>>500 では解かりやすく。
実存が本質に先立つとは、人間はまず先に実存し、
世界内で出会われ、世界内に不意に姿をあらわし
その後で定義されるものだということ。
人間は最初の時点では何ものでもなく、人間は後になって
はじめて人間になるのであり、人間は自らがつくったところのものになるということ。
503 :
考える名無しさん :04/01/17 14:33
なるほど 演繹と帰納のちがい みたいなかんじ?
504 :
考える名無しさん。 :04/01/17 14:41
>>503 というよりも、常に人間は自分を再定義しながら生きているということ。
人生は、自ら計画して切り開いていくものであり、
人生に流されてもいけないし、他人のせいにしてもいけない。
自らの責任で自らを将来に向かって投企(プロジェ)すること、それが人間形成である。
505 :
考える名無しさん :04/01/17 14:54
それは人生哲学ともいえるよね
506 :
考える名無しさん :04/01/17 14:55
あ、でも再定義そのものは哲学といえるね
507 :
考える名無しさん。 :04/01/17 14:59
>>505 人生哲学か・・・確かにその大枠に入ってる部分もあるかもね。
数学のベン図の含むみたいな感じで。
まあ、サルトルは「君は自由だ。選びたまえ。つまり創りたまえ。」と言ってるしね。
508 :
考える名無しさん。 :04/01/17 15:10
509 :
考える名無しさん :04/01/17 15:13
でも哲学って本質を探ることじゃないの? ただそれが普遍的でなく その時々でやりなさいってこと?
510 :
考える名無しさん :04/01/17 15:21
例えばサルトルが作った自由ってあるの? 具体的に
511 :
考える名無しさん。 :04/01/17 15:29
>>509 でわ、解かりやすく。
例えば、あなたが誰かのところに助言を求めに行くとすれば、
あなたは、その誰かを選んだのであり、その誰かがどんな助言をするかを、
多少ともすでに心では知っていたのであり、
換言すれば、助言者を選ぶということはやはり自分自身をアンガジェ(注)することである。
だから、たいていの場合、誰かに相談するという行為は、
実は、他人に助言されるという形をとってはいるものの、
本当は、自分自身で選んでいるのである。決断しているのである。投企しているのである。アンガジェしているのである。
注:アンガジェは「アンガジュマン」英語ならエンゲージメント。
何かに積極的にかかわることを意味する。サルトルを読み解く上でのキーワード。
512 :
考える名無しさん。 :04/01/17 15:39
>>510 サルトルは自由について『我々は逃げ口上もなく孤独である。
そのことを私は、自由の刑に処せられていると表現したい。
刑に処せられているというのは、人間は自分自身をつくったのではないからであり、
しかも、一面において自由であるのはひとたび世界のなかに投げ出されたからには、
人間は自分のなすこと一切について責任があるからである』と言ってるね。
513 :
考える名無しさん :04/01/17 18:31
自由の刑に処せられている=自由であるべく呪われている というのは、自由でない状態(動物など)にいることは 人間には不可能なんだ、っていう認識がまずあるわけで。
514 :
考える名無しさん :04/01/17 18:52
う〜ん いまいちわからないな〜 質問スレのコピペなんですが 「自由過ぎて何でも自分で決めて、自分で責任とらなきゃいけないから それって結構キツイよね。」 ってかんじの解釈でいいんですかね? そして積極的に選びたまえってこと?
515 :
考える名無しさん :04/01/17 19:03
トイレについての研究者は昔からボチボチ居てね 理論も少しずつ蓄積していたんだ 理論構築も試みるものもいないことは無かった でも、やっぱりカミュ辺りが嚆矢かな ご不浄の理論だから、不条理って言葉使ったのは えっ、字が違う?・・・・お後が
516 :
考える名無しさん :04/01/17 19:05
きみ30こえてるだろ
517 :
考える名無しさん :04/01/17 19:27
514さんのコピベの感じでいいじゃん。で、 >そして積極的に選びたまえってこと? のところでアンガージュマンが出てくる。
518 :
考える名無しさん :04/01/17 22:47
底が浅いよな、サルトル。単なる人生論に何故現象学
519 :
考える名無しさん :04/01/18 00:08
んでね、現象学ってことじゃ「脱ー自存在」っていうのがあんだけど。
520 :
考える名無しさん :04/01/18 03:46
サルトルの「自由」は企てる自由だ。チャレンジする自由なのだ。享受したり 免除されたりする自由ではない。サップに挑んでも良い。だがどうなろうとも その結果は責任として引き受けることになる。
521 :
考える名無しさん。 :04/01/18 05:47
>>514 「積極的に選びたまえ」でなくて「積極的にかかわれ」です。
私は決断する。そして、全責任は私にある。
それに、「自由過ぎて何でも自分で決めて〜」というのは安易な考え。
なぜなら、人間はあまりにも実存的生き物だからプロジェなしには成り立たない
だから、「〜結構キツイよね」と感じる以前の問題。
「実存は本質に先立つ」というのは、わかりやすく言うと、 「人間は自分のことは自分自身で規定する生き物である」、 と言ってもいいですか?
523 :
考える名無しさん。 :04/01/18 13:00
>>522 前に
>>502 に書いたのがその意味なんだけど。
さらに解かりやすくいうと、
生まれたばかりの人間は、まだ人間ではない。
人生を生きていく過程で徐々に人間が形成されるのである。
そして、その人間形成は、周りの環境や両親、教師などの教育も大きいことは確かだが、
最終的には、自分だけが頼りなのだということ。
その意味では、「人間は自分のことは自分自身で規定する生き物である」は、
あっているが、「規定」を「定義」に変えて「人間は、自分で自分を定義していく生き物である」
とするのが解かりやすい。
>>523 レスありがとうございます。カントの「人間は教育され
なければならない唯一の被造物である」jに似てきますね・・・
「定義」と言うとどうも公理を思い出して普遍性がなければいけない
ような感じで、ちょっと気になりました。なので、「決定する」くらいにして
おこうかなと、ふと思いました。
人間は自分で自分を決定していく生き物である。
ただこれだと、意志の力が前面に出すぎて、余計にカントと区別が付かなく
なっていきそうです。(敢えて人に分かりやすく説明する場合だけの話
でして、道徳論に結びつけたいわけではありません、、、やはりもう少し
読み込んでからにします。恐縮です)。
525 :
考える名無しさん :04/01/18 21:09
>>521 でもさー、自由の刑に処せられているっていう表現自体
強制させられている、それってきついって意味が含まれてるんじゃないの?
そうでなければ、ただどうやっても自由だ、というだけでいいじゃん
で、どうせ自由ならベトナム戦争に反対したり、伝染病があったときに
助け合ったりしたほうがいいってことでしょ?
526 :
考える名無しさん :04/01/18 21:10
嘔吐って自由が大変すぎて吐きそうだってことじゃないの?
527 :
考える名無しさん :04/01/18 21:16
それはそれまでの時代が自由じゃないっぽくて そんで結構自由な時代になったけど それも結構大変で 結局、人の言いなりになるのも自由だけど 言いなりにならないのも大変で どうせ大変なら、道徳的によいことをしていこうって ことだよね?
528 :
考える名無しさん :04/01/18 21:32
>>526 違うと思う。ハイデッガー、ウィトゲンシュタインの「驚き」、クンデラなら「軽さ」と呼ぶ体験?というか感覚が
サルトルにとって「嘔吐」なのではと思う。
>>527 いや道徳的によいこととかって言うと、カントの定言命令になる。
サルトルは、カントのように選択しても、絶対不安に襲われるって言って、
521の話しにいく。あくまで存在論として捉えるべきかと思われ
とかいって俺サルトルあんま詳しくないから不安になってきた・・・。
529 :
考える名無しさん。 :04/01/18 23:29
でわ、わかりやすく。
>>525 さんの考えは、自由の刑のことについてですが、
確かに、人間に課せられた自由の刑は、あまりに自由であるがために
その選択の責任を自らが負うというつらいものではあります。
ただ、だからこそキツイと感じるだけでなく
人間の尊厳と自由を真正面から取り組むことが大事だということです。
また、あなたの「ベトナム戦争に反対したり〜」の考えについては、
助け合ったりしたらいいかどうかは、自由なのだから自分で選びなさい
というのが、実存主義的態度である。
530 :
考える名無しさん。 :04/01/18 23:37
>>526 マロニエの根を通してその純粋な「存在」をまざまざと感じてしまうという
『在る』ことへの驚愕と戦慄といえるね。
531 :
考える名無しさん。 :04/01/19 03:05
>>528 >ハイデッガー、ウィトゲンシュタインの「驚き」、クンデラなら「軽さ」と呼ぶ体験?というか感覚が
>サルトルにとって「嘔吐」なのではと思う。
>サルトルは、カントのように選択しても、絶対不安に襲われるって言って、
>521の話しにいく。あくまで存在論として捉えるべきかと思われ
「存在論」というより「投企的存在論」と、捉えたほうがいいと思いますよ。
また、サルトルはカントの道徳論以前の問題。
なぜなら、カントは、自らが立てた道徳法則に自ら従うことこそ自由であり、
人間の尊厳はこの自律的な自由にある。としていることからも解かる。
サルトルは、カントの言う道徳法則という本質よりも実存が先立つとしている、
とも考えられるね。
意味は、ほんとうに無いが、人間はその事実には耐えられないので、 意味を創り続ける。神はいない、あるいは不在なので人間は神を創り 続けねばならない。
533 :
考える名無しさん :04/01/21 18:31
なるほど それでベトナム戦争に反対したり 殺人事件をおこしたりするわけですね
意味は・・・ない。後天的に意味の欠如を補うしかないのだ。 すべてが嘘であるしか道はない。 そのほかに道はないのだ。
意味があるかのようにふるまうこと。そしてふるまい続けること。これ以外に 人間の生きる道はあるだろうか。
そして、みずから神話となること以外に?
だから、パーソナリティは大事にしなければならないのです。
538 :
考える名無しさん。 :04/01/22 01:44
539 :
考える名無しさん :04/01/22 02:19
はあ? なんでもいいんじゃないの?
「>539 なんでもいいに決まっているが、その投げ出したあとに 続くものは日常だ。つまらん変化のない日常。それを選ぶのは 勝手だが、じゃあ、考えてみろよ。そのあとで残るものはない。 行き当たりばったりだ。それを繰り返すからもう世界が終わったような 気になる。そうだろ。あとに何を残すか。それはセックス、陶酔だけだ。 それだけで死に向かう。自分がないままだ。だから大きなものや大きく見える ものにまで陶酔して、自己を預けるようになる」 っていう文章は如何W
541 :
考える名無しさん。 :04/01/22 02:28
>>539 個人主義でなく実存主義に昇華さらに良し。
女を抱かないと性倒錯を起こすと思ってろよ。馬鹿が
543 :
考える名無しさん。 :04/01/27 01:10
実存保守!
あぼーん
545 :
考える名無しさん。 :04/01/28 19:28
不条理保守!
546 :
考える名無しさん :04/01/28 23:52
不条理故に、我保守す・・・
547 :
考える名無しさん :04/01/29 02:04
不条理は実存に先立つ。
あぼーん
549 :
ライフスペース :04/01/29 02:53
>>548 いいですか、それはサイババの勝手なんですよ。
550 :
考える名無しさん :04/02/01 03:44
サルトル、自我も無意識も存在しない。それらは直観に与えられず、反省によって 構成された想像的な対象にとどまる。
551 :
フランチ・モラリストの系譜 :04/02/01 22:00
カミユ、ティボン、ブランショ、ジャンケレヴィッチ、ジッド、読みたい!
552 :
考える名無しさん :04/02/04 01:18
人間は主観-主体として、人間から独立した他在(自然・社会)を前提とする。 そして客観的状況のうちで自己に現実性を与え自己を実現しようとする存在である。 行動という領域において現実的な活動するものとして現実に対峙する。 人間が諸規定を被りつつ維持している信念は自己が現実的であって世界が不条理 なのだという確信である。
553 :
考える名無しさん :04/02/04 01:29
サル厨とカミュは別スレにしたい。
554 :
考える名無しさん :04/02/12 02:16
555 :
考える名無しさん :04/02/12 16:20
サルトルのように生きるスレからきました。 サルトルが何をやった人か教えてください!!!!!!!! 本読んでも何言ってるかわからんのです!!! お願いですからどなたか私を助けて!!!!!!!!
557 :
考える名無しさん :04/02/13 17:58
>>556 このスレにはカミュのファンの方が多いみたいだよ。
>>557 助けてください!!!!!!!!!!!!!!!!!
559 :
考える名無しさん :04/02/13 20:03
サルトルはもういい。カミユをよむべし。
560 :
考える名無しさん 。 :04/02/13 20:15
>>556 まえに、漏れがかなりわかりやすく解釈したレスがあるよ。
考える名無しさん に「。」がついてるのがそうです。
それでも輪からなった僭越ですが、また詳しく解釈しますよ。
561 :
考える名無しさん 。 :04/02/13 20:16
↑わからなかったらね。(打ち損じ)
562 :
考える名無しさん :04/02/15 16:53
>>560 なんとなくわかった気がしますよ!!!!!
ありがとうございます!!!!!!
あとレヴィストロースは何をした人なんですか?!!!!1!!1
>>562 スレ違いです。板違いでもあります。社会学板の方がいいよ。
565 :
考える名無しさん 。 :04/02/15 23:27
>>562 構造主義の創始者です。
哲学者と言うよりは、文化人類学者としてのほうが有名かもね。
567 :
考える名無しさん 。 :04/02/17 01:40
>>566 直接の論争は無かった様に思われます。
もっとも、サルトルとレヴィストロースは対照的に扱われ論じられることがあるのは確かですね。
個人的には、サルトルの論考の方が好きなのですが、
彼の共産思想的エッセンスはどうも納得できません。
かといって、レヴィストロースが嫌いなわけでなく、
彼の文化人類学的功績は比類の無いものであると思います。
こう捉えていいのか解かりませんが、
簡単に捉えると、彼の方は資本主義に目を向けていたと言えるかもしれないですね。
568 :
Albert CAMUS :04/02/17 05:31
Pour vous tous, il me faut dire deux mots. Vous ne me comprenez jamais.
学校でサルトルについて発表しなきゃいけなくなったのですが、 サルトルを語るには「実存は本質に先立つ」というのと「アンガージュマン」 だけで大丈夫でしょうか?
>>569 高校の倫理ならそれで充分
大学生以上なら足りん
571 :
考える名無しさん :04/02/18 23:35
>>570 大学生だったら他に何が必要でしょうか?
自分は高校生なのですが、気になるので。
572 :
考える名無しさん 。 :04/02/19 02:32
>>571 実際にサルトルの著作に触れてみることが何よりも大事です。
まず、絶対に壁にぶち当たる。
「存在と無」なんかは絶対に安易に読み解けるものではない。
でも、だからこそ様々な参考資料を使って読み解く楽しさがある。
それが大学在学中に出来ること。
573 :
考える名無しさん :04/02/19 03:22
>>572 発表までもう時間がないので、読んでる時間がないのですw
もっと早くやっとけばよかった…
>>572 賛成。
でも、「存在と無」はいうほど、むちゃくちゃ難解なわけでもない。訳(松浪新三郎)はかなり
こなれているので、純粋理性批判とかと比べれば読みやすい。
その気があって1年かければ、他の勉学に支障なく読めると思う。
ただ、刺激は強いので大学に入ってから読むのが吉。はまる人ははまる。
特に参考資料がなくてもいいとは思うけど、哲学史の知識は多分あった方がいい。
翻訳でも読む人は少なそうなので、読めたら読んで欲しいけど、ちょっと読んで自分に合わないとか
飲み込まれそうと思ったら無理して読まなくていいような気はする。。。
以上、教養レベル、ということで。
>>573 「実存主義とは何か」を読みたまえ。短い。
576 :
考える名無しさん 。 :04/02/19 09:32
>>573 発表までの時間がどのくらいか知りませんし、
どの程度の理解が求められている発表なのか解かりませんが、
ここでも、他所のサルトルスレでもいいので、
解かりにくいところを色々質問してみるといいと思います。
でも本当は、やっぱり実際に本をじっくり読むのが一番いいんだけどね。
>>574 >参考資料がなくてもいいとは思うけど、哲学史の知識は多分あった方がいい。
う〜ん、
カントが簡単に読み解けるあなたのレベルならそうかもしれませんが、
大学入ってないか入ったばかりくらいなら、
やはり、参考文献として哲学辞典くらいは最低でも必要だと思いますけどね。
哲学史もそうだけども、
それ以上に各哲学者の思想のさわりに軽く触れた程度でもいいので、
平易な哲学思想史本が一冊あればさらに読みやすくなる。
特に、現象学的な考え方には軽く触れておかないと、
言ってる事が解かりにくいと思いますよ。
いえ、老婆心かもしれませんが・・・
>>575 確かに、「実存主義とは何か」は良書だね。漏れもオススメです。
577 :
考える名無しさん :04/02/19 16:49
>>575 >>576 発表は明日です。もう時間がない…
質問なんですけど実存主義って一言で言うと何ですか?
>>577 発表はサルトル個人についてなのか、
それとも実存主義全般についてなのか、
原稿用紙何枚分程度とか制限はあるのか、
それくらいはっきりさせとくれ。
>>578 すいません。特に指定はないですけど、20分くらい発表をしなくてはいけません。
発表はサルトル個人についてです。
>>579 よしおじさんが手助けしてやる。少し待ちなー。
>>580 ありがとうございます。
そろそろ出かけなくてはならないのでレス遅くなります。
多分九時ぐらいには帰ってくると思うので、よろしくお願いします。
それとレヴィストロースが野生の思考の最終章でサルトル批判をしましたよね?
それについて調べたのですが、いまいち何を言っているのかがわかりませんでした。
歴史の見方の違いを論争してるのだと思うのですが…
9時だな。帰ってきてたらレスしてくれ。
>>584 うおーすごいですね!
じっくり読んで理解に努めます。
本当にありがとうございます。
>>584 あぁ…なんかロード中に消えてしまったみたいです…
>>587 同一人物です。わかりにくくてすいません。
どうもありがとうございます。お手数かけてすいません。
>>587 こんばんは。おかげでうまく行きました。感謝します。
これから色々サルトルの本も読んでみたいと思います。
どうもありがとうございました。
590 :
考える名無しさん :04/02/23 00:28
実存主義者にはなぜ高貴さがないのか?
なんかここ最近のやりとりっていいな。
592 :
考える名無しさん :04/02/23 00:38
>>590 そりゃ自分より上位の価値というものがないんだから、
謙譲、向上心等の世間的な美徳がなくなるのも当然と言えば当然だ。
旧制高校のカントに没頭した世代は実存主義を忌み嫌う人が多いね。
593 :
考える名無しさん :04/02/23 00:52
この板つまんね
594 :
栄光の巨人軍 :04/02/26 19:02
カミュ?サルトル?笑えるねw どうせお前等は異邦人の意味なんか解かってないんだろ
自分を知的に見せたいだけだろwそれよりも最高なのは読売巨人軍さ!
そしてそこにはカミュじゃ足元にも及ばない偉人がいる
それは読売巨人軍の4番でありながら日本スポーツ界で実力 人気 知名度ダントツNo1なのは
高 橋 由 伸
もちろん哲学徒諸君も知ってるよな? 彼に実力、人気、知名度で敵う哲学者などいないだろう
もしいると思っている愚か者がいたらここへ来なさい! 2ちゃんで最高の極上スレッド
高橋由伸のスレへ!!言っとくけど荒らしたり悪口書いたりしたらこの僕が許さないぞ!!
http://sports5.2ch.net/test/read.cgi/base/1076837652/l50
「方法の問題」おすすめ。
596 :
THE グル :04/03/27 21:15
いいですか、 定説とはイコール病気。 定説とはイコールTHE グル。 どうかしましたか?
597 :
THE グル :04/03/27 21:21
いいですか、 どおでもいい事ですが、 実はここに書き込んでいた、 考える名無しさん。(丸が付いているもの) ってグルだったんですよ。 これが定説です。 どうかしましたか?
598 :
考える名無しさん :04/04/03 00:31
このように、お前らみたいなクズどもが、 オナニーして死んでいくんだな。そう考えると 人生とはなんと哀れで無意味なんだ。
599 :
考える名無しさん :04/04/03 00:34
セイン・カミュ?
600 :
考える名無しさん :04/04/03 00:52
神ーユ?
601 :
THE グル :04/04/03 01:05
いいですか、 チンチンシュッシュッ チンシュッシュッ これが断言できます。 定説なんです。
>>599 それはカミュの孫です。
でも、セイン・カミュは異邦人書いたカミュの息子
って初めて知ったときは衝撃だったな。
>>602 息子→孫
じゃなくて甥っ子なのかな・・?
>>602 孫ですといった直後に息子です?
ちなみに本当は大叔父。
605 :
考える名無しさん :04/04/03 02:51
ほおお。
>>604 603は僕です。息子→孫って訂正したけど
前のレスに甥っ子ってあったもんで。
608 :
考える名無しさん :04/04/27 06:41
久しぶりに「嘔吐」読んでるけど(・∀・)イイ!!ね 結構 流し読みで十分楽しめる ついでに鬱解消 てか、人生どうでもいいって気になれる 死んだら終りだしね
609 :
考える名無しさん :04/04/27 06:46
ようは結局「生きている」そのことのみが人を人たらしめているわけであって、 歴史がどうだ、死んだ人物があーだった、とか語ることに意味はない 木の葉の揺れ方は何億通り、その時の揺れ方しかないわけで 繰り返しというものは人間が便宜上作ろうとしてるだけで一日、一日に同じ日は無い その動性といったものを嘔吐感で表現したんでしょうかね 不条理なんて単純に捉えられると思うけどね 難しく考えなくても
610 :
考える名無しさん :04/05/02 00:42
あげとく
実存は本質に先立つ。←コレ、 人間にあっては、そして人間にあってのみ、実存は本質に先立つ。 と言わないと、誤解を招く場合があるようです。ご注意。
結局サルトルは全体主義にアンガージュしたわけで、初期マルクスの疎外論は実存的なんだが 後期はそういうニュアンスは薄れたわけでカミュはファシズム、マルキシズム共に反抗したわけですよ。 で今の時代はゲゼルシャフト化が進行してるわけだ。
613 :
考える名無しさん :04/05/21 05:16
むう
614 :
考える名無しさん :04/06/09 22:49
先日本屋に寄ったら、サルトル解説本のようなものが出ていた。 立ち読みしたら、小さいころにはうそつきだったとか、 若い頃に日本の語学学校に就職しようと応募したが選に漏れたとか、 面白かった。
w
616 :
考える名無しさん :04/06/17 01:10
>>288 なぜ改行しないの?どぉして?(´∀` )
改行してるじゃん
このスレの最初に行われていた弥勒氏の言葉は美しいと思いました。 弥勒氏の復活を私は希望します。
サルトルはハイデッガーのどういう思想に影響を受けたんですか? 教えてエロい人
基本的な状況設定は、あらゆる理念、価値に幻滅しきったニヒルな近代末期。古き 良きキリスト教的世界観は既に崩壊して久しく、自由主義もマルクス主義もファシ ズムも失敗して、世界的な大惨事をもたらした。そんな世の中で、人生を生きるの は何故か、という問題が出てくる。人生の目的の全てが価値を失った今、生きる意 味は無い。それが現代の不条理な状況。 世に何も意味が無いなら、生きようが自殺しようが、どうでも良いとなる。それで まず選択肢として自殺がある。そして、まだ懲りずに新たな価値を、人生の目的を 見つけようという選択がある。カミュは後者を哲学的自殺と呼ぶ。どっちも不条理 から逃げているだけなことに変わりは無いと彼は言う。あともう一つ、生に価値が 無いなら、殺人も良しとなる。これは別の論考でカミュは考察している。 カミュ自身の出した答えは、ぶっちゃけ、不条理から逃げるのは卑怯だから生きろ、 「より多く」生きろ(「より良く」ではなく)、ってなもの。これはまぁ一種の開 き直った逆切れ。「逃げるのは卑怯だ」ってのは、自体がある種の価値観と言えな くもない。が、そうハッキリ言うと言ってることが矛盾することになる。じゃあ深 い意味も無く、単に逆切れするのは偉いことなのか、という疑問も残るのである。 良く言えばハードボイルドな生き方とも言える。
621 :
考える名無しさん :04/07/09 18:04
マルキシズムと実存主義って相反するものっていう理解は正しい?
622 :
考える名無しさん :04/07/09 21:46
サルトルは共産主義に接近し、最後には毛沢東一派の理解者 となった。まさしく反吐(嘔吐)が出るような哲学者だ。
>>622 サルトルが生きてたらお前に対して吐き気をもよおしてただろうよ。
このスレおもしろいな 時々、頭のわるそうなのも入ってきてる みたいだけど
626 :
考える名無しさん :04/08/10 23:34
ヘーゲルもマルクスも(自覚してなかったが)実存主義者だった!
はいはい
628 :
考える名無しさん :04/08/11 14:05
後年サルトルはソ連だか中国だかの共産主義を褒め称えた!
不条理って何のことですか 認識できないということ? ハイデガー厨ですが
自分で調べろ
631 :
考える名無しさん :04/08/12 09:11
不条理というのはつまりヒゲが剃れないということ。
632 :
考える名無しさん :04/08/12 10:30
>>628 晩年のサルトルはユダヤ教徒になったぞ。知ってるか。
633 :
考える名無しさん :04/08/12 10:46
サルトルも前期、後期、末期で随分違うな。
634 :
考える名無しさん :04/08/12 11:10
実存は本質に先立つの姿勢は変わらないよ
635 :
考える名無しさん :04/08/14 16:42
あの御大はサルトルをしてスターリン主義だったか、ロシア・マルクス主義 だったかの最後のチャンピオンって名づけてたな。
636 :
考える名無しさん :04/08/14 22:21
「実存が本質に先立つ」はハイデガーが「ヒューマニズムについて」で完全否定していますね。 サルトルも実存主義も哲学史においては一時の流行思想扱いにされつつありますね。 多分それで正しいでしょう。
637 :
考える名無しさん :04/08/14 22:32
それは、存在論の立場から実存主義を見ればそういうことになるだろ。 でも、ハデッガーの存在論も今や一時の流行思想扱いされつつあるわけだが・・・ と言うか、彼自身が自ら存在論から離れたわけなんだが
638 :
考える名無しさん :04/08/14 22:52
ハイデガーは存在論からは離れていないと思う 636殿はおそらく後期は技術論中心だろう、と言うのでしょうが並行して存在論をやっている 「存在と時間」においてのような主体的な投企ではなく、語源などを遡って辿り着けるような存在了解として だからハイデガーの仕事は射程も長いし多義的だと思う。 存在について、だから真に普遍的な思索だと思うし また、現代思想はほとんどハイデガーの影響抜きには語れないと思いますよ 特にフランス現代思想の一連の人々については ま、哲学史に残るからエライというわけではないけどね いずれにしてもサルトルは哲学者というより劇作家や文学者としての方がINじゃないですか
639 :
考える名無しさん :04/08/15 12:43
サルトルで一番評価できるのは女あさり。
640 :
考える名無しさん :04/08/15 14:43
641 :
考える名無しさん :04/08/16 20:31
裏山椎名。で、料理は当然アルジェリア名物のフフフフ,クスクスor ケタケタ?
642 :
考える名無しさん :04/08/25 02:37
ハイデガーはなぜか意識や身体、間主観性などを積極的には取り上げなかった。 サルトルでは逆にそれらが大きなテーマになっている。
643 :
考える名無しさん :04/08/25 02:53
「存在と無」ではハイデガーの「存在」が厳しく批判されてるしな。
644 :
考える名無しさん :04/09/03 20:13
我々はサルトルの如く自由であるが、カミュのように傷ついてもいるのだ。
645 :
考える名無しさん :04/09/03 20:31
カミュは何を言ったのですか?
全的破壊という脅威・・従って未来の欠如・・を感ずるとき、ただ現在に 生きるだけでも、どのようなモラルによってそれが可能になるのか? 名誉と自由。
647 :
考える名無しさん :04/09/03 21:35
カミュは孫がセイン・カミュなので、それだけでダメダメ
いや、2チャン的には正解
あほらし
651 :
考える名無しさん :04/09/21 22:11:06
価値の絶対を志向せねばならない
サルトルの「自己欺瞞」の考えについて詳しく知りたいのですが、 おすすめの書籍はありますか?
653 :
考える名無しさん :04/09/26 11:17:11
サルトルはノーベル賞を断ったのかな。本当ならその点だけは評価する。
カミュが遥かに早く取っちゃってたからねえ。。。
656 :
考える名無しさん :04/10/23 23:39:10
あげ
>>652 自己欺瞞 mauvaise foi (直訳すると 悪しき信仰とのこと)
自己に対する不誠実。意識がその否定を外に向けるのではなく、
自己自身に向けるような或る態度。
自己欺瞞のさいには、「私は真実をいっそう注意深く私に隠すために、
この真実をきわめて正確に知っている」という矛盾が、同一の意識の
統一においておこなわれる。 −訳者の用語解説から−
コテハンが占有する状態になると削除されるし、あんたらの書き込みだけでは マジモードが煩わしくてよもやま話に終始するだけだし。 読むに足らんだろ。
じゃあ来るな。
660 :
考える名無しさん :04/11/04 14:33:47
足るよ
661 :
考える名無しさん :04/11/07 08:31:05
慶応大名誉教授でフランス文学者の白井浩司さん死去
http://www.asahi.com/obituaries/update/1106/003.html 白井 浩司さん(しらい・こうじ=フランス文学者、慶応大名誉教授)が1日、
肺炎で死去、87歳。葬儀は近親者ですませた。喪主は妻万里子(まりこ)さん。
12月7日午後1時から東京都港区六本木5の11の16の国際文化会館で
「しのぶ会」を開く。自宅は公表していない。
現代フランス作家の研究者。戦中から翻訳していたサルトルの「嘔吐」を
47年に刊行し、戦後の実存主義ブームのきっかけを作った。京都外大教授、
日本ペンクラブ理事を歴任。 (11/06 20:42)
ご冥福をお祈り致します。
こんなの発見。この人やばいね。
統一協会に賛成する方々(信者のホームページより)
http://www.chojin.com/main.html http://www.chojin.com/person/jp.htm > 大学紛争の盛んな頃、紛争に批判的であるばかりか、ベトナム戦争の本質をはっきりと見抜いている塾生がいた。
> それが原理研究会の学生で、彼に会えたことはまさに干天の慈雨のごときものだった。
> 出席する学生が数人なので、がらんとした教室でお互いに悲憤慷慨した。
> その結果生まれたのが『慶應キャンパス』という学内新聞だった。(中略)
> 原理研究会の塾生が左翼学生の騒動を未然に防止しているのは力強い限りである。
> ●白井浩司(慶大名誉教授、フランス文学専攻)