自由意志の定義を創る ver 0.99

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参考までに。
急いでテキトーに読んだので、大間違いしてたら申し訳ない。
解らないところは自分で調べて。
アラビア数字は、俺が便宜上ふった番号。



カント『純粋理性批判』
 第2部 先験的弁証論
  第2章 純粋理性のアンチノミー
   第2節 純粋理性の矛盾論
    第3アンチノミー(先験的理念の第3の自己矛盾)
     正命題
     反対命題
     第3アンチノミーに対する注
      I 正命題に対する注
      II 反対命題に対する注



正命題:
自然法則だけでなく自由も現象の原因性(因果性)となる

証明:
1 自然法則のみを原因性と仮定する。
 1.1 生起する一切は先行する原因性を前提とするが、その原因性自体、より以前に先行する原因性を前提とする。
 1.2 このようにどこまでも遡ることができるので、比較的な始まりはあるが、第1の始まりはない。
 1.3 原因の系列は不完全である。
 1.4 しかし、自然法則においては、先験的に規定された原則がなければ、なにものも生起しない。
 1.5 矛盾する。
2 先験的自由を新たな原因性として提示する。
 2.1 それは何かを生起させるが、それに先行する必然的自然法則を前提としないものである。
 2.2 つまり、絶対的自発性であり、自然法則の系列を始めるものである。
 2.3 この自由は、原因の系列を完全とするのに必要である。


反対命題:
自由はなく、すべて自然法則で説明ができる

証明:
1 先験的自由を仮定する。
 1.1 この自由という原因性には、それを規定する恒常不変な法則を前提としない。
 1.2 しかし、作用の始まりは、まだ作用していない原因の状態を前提とする
 1.3 また、作用の力学的な第1の始まりが前提とするのは、それ以前の状態と因果関係を持たないことである。
 1.4 自由は因果律に矛盾する。
 1.5 自由は経験の統一を不可能にし、空虚な思惟物にすぎない。
2 世界の関連と秩序は自然のうちに求められる。
 2.1 自由は自然ではないので、それを法則として原因性であると考えることはできない。
 2.2 自然は合法則性を持ち、自由は無法則性を持つ。
 2.3 自然の合法則性には原因の遡及という困難があるが、経験の統一を可能にする。
 2.4 自由を考えた場合、無法則性により、前の状態との関連はなく、経験の統一は不可能である。
11384:02/05/05 03:02
第3アンチノミーに対する注

I 正命題に対する注

1 先験的自由の承認(1)
 1.1 自由の理念は、行為の絶対的自発性である。
 1.2 当の自由というものは、先験的である。
 1.3 自由が現象の系列を自ら始める能力はどうして可能かについて、解答を与える必要はない。
 1.4 それは、自然法則に従う原因性をア=プリオリに認識するだけで満足せざるを得ないのと、同様である。
 1.5 実際、現実の因果関係は、論理的にではなく経験的に知る。
2 先験的自由の承認(2)
 2.1 現象の系列の第1の始まりは自由によると、正命題の証明において証明した。
 2.2 その始まり以降は、自然法則に従うとしてよい。
 2.3 時間における系列にこのように認めると、さまざまな系列において自由を認めることができる。
 2.4 「あらゆる系列には、比較的な始まりはあっても、絶対的な第1の始まりはない」という誤りに陥ってはならない。
 2.5 なぜなら、それが正しいにしろ、ここでの問題が、時間ではなく原因性に関する絶対的な第1の始まりだからである。(*)
3 自由と理性
 3.1 理性は、自由による第1の始まりを自然の系列の中に位置づける。
 3.2 それが、古代の哲学者たちが第1運動者を想定したわけである。

(*) 2.5に関して

例えば、本文にあるとおり「椅子から立ち上がる」場合を考える。
立ち上がる意志と行為との関係を考える。
ただ、意志=脳の状態→(対内の反応)→行為、を考えているのではない。
椅子から立ち上がろうという意志と、立ち上がる行為とは、時間的には同じ時点で起きる
(この自由の原因性は、あらゆる人間の行為に付きまとう)。
また、椅子から立ち上がるのが、尿意などトイレに行かせるようなことを原因としていたとしても、
尿意→(対内の反応)→立ち上がる意志、というつながりは自然法則の原因性であり、自由の原因性とは関係ない。
つまり、どれだけ脅しでやらされたことでも、その人がやったことなら、その人の自由となる。
意志と行為とが内容の上でしっかり結び付いており、意志が行為に記述の上で先行する(時間的には同時)。
そのとき、自由による原因性(因果関係)を考えることができる。
また、脅し→立ち上がる、という関係も自然法則の因果性である。

II 反対命題に対する注

1 力学的な第1のものと、そこからの変化の系列
 1.1 力学的な第1のものを原因性に関して求める必要はない。
 1.2 だからといって、変化の系列は経験によって知るほかないため、その謎を放棄してはならない。
2 自然による因果性と自由による因果性
 2.1 自由という先験的理念は世界の外になくてはならない。(*)
 2.2 世界においては、自然法則の斉合性が消失するため、そのような先験的理念は認めてはならない。

(*) 2.1に関して

思惟の自発性としての理論的統覚的自由は、没時間的であるということを指す。