今さら唯物論と観念論を語るスレ

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1考える名無しさん
今さら本気になって語ってみれ
2考える名無しさん:02/04/13 15:42
実在論は語ってはダメ?
3考える名無しさん:02/04/13 15:48
僕は素朴実在論です
素朴と批判されてもいいんです
実在に対する態度は素朴でOkと思ってますので
むしろ無思考で問題無いと思うので

4考える名無しさん:02/04/13 17:43
良スレ。以前、似たようなスレを立てたが
マルクスを知らないバカが唯物論の逆は唯名論だろー
とかいって潰した。
5考える名無しさん:02/04/13 17:44
んじゃ実念論の逆が・・観念論?
61:02/04/13 21:49
>>2
できればタイトルにそった話を。
>>5
唯物論と観念論が逆だと思って
スレ立てましたが、何か?
7考える名無しさん:02/04/13 21:58
日本人とか日本語には関係ないと思うよ。
8おおよそ:02/04/13 22:19
ポパーの、世界1=物。世界2=心。世界3=文化的創造。
この理論が、この問題ではすっきりした立場だと思う。
多元論だけどね。
9考える名無しさん:02/04/14 17:05
>>8
プッ
10考える名無しさん:02/04/15 02:57
9 SAGE

11考える名無しさん:02/04/15 07:35
観念とかいうのは
その時代の認識レベルに左右されるから
弁証法的・史的唯物論の勝ち
カントだって神の領域をを守る必要があったわけでしょう(藁
12考える名無しさん:02/04/15 17:58
>>11
ていうかお前馬鹿でしょ?
13考える名無しさん:02/04/15 18:58
>8
三世界論ですね
僕も支持します
おそらくは誤りであるでしょうが
無駄が消えてすっきりする立場だもんね
14考える名無しさん:02/04/15 19:45
>唯物論と観念論が逆だと思って
>スレ立てましたが、何か?

唯物論なんて表現するのはマルクス主義者以外に聞いたことがない
15考える名無しさん:02/04/15 21:31
そのマルクス主義者が哲学史の中から発掘し、彫琢した唯物論が
どんなものか知りたくありません?
16考える名無しさん:02/04/15 21:34
それ以上に観念論と対立するのがなんで唯物論になるのか知りたい
唯物論と観念論の対立を説いたのもマルクスだけだよね
17考える名無しさん:02/04/15 22:07
12 sage

18考える名無しさん:02/04/16 01:18
唯物論と観念論というその定義から始めたいのですが
エンゲルスの定義で良いですか。
ちょっと長いけど原典引用します
「ルードヴィヒ・フォイエルバッハとドイツ古典哲学の
終結」の第2章より
(マルエン全集21巻279ー280ページ)
19考える名無しさん:02/04/16 01:19
「…存在に対する思考の地位という問題は、中世のスコラ学
においても大きな役割を演じており、何が根元的なものか、
精神かそれとも自然か、と言うこの問題は、先鋭化して、
教会に対しては、神が世界を創造したのか、それとも世界は
永遠の昔から存在しているのか、というところまで行き着いた
20考える名無しさん:02/04/16 01:19
 この問いにどう答えたかに応じて、哲学者達は二つの大きな
陣営に分裂した。自然にたいする精神の根源性を主張し、従って
結局何かの種類の世界創造を認めた人々は−そしてこの創造は
哲学者たちの場合、たとえばヘーゲルの場合がそうであるが、
キリスト教におけるよりもずっと込み入ったばかばかしいものに
なっている事が多いー観念論の陣営をつくった。自然を根元的な
ものと見なした他の人々は、唯物論の様々な学派にはいる。
 観念論と唯物論というこの二つの表現には、もともと、右に
述べた以外の意味はない。それはまた本書でもこれ以外の意味には
使われない。」
21考える名無しさん:02/04/16 01:20
 もう一つ引用します(同 282ページ)
「…感覚的に知覚できるこの物質世界が、唯一の現実的なもので
ある。われわれの意識と思考は、どんなに超感覚的に見えようとも
ある物質的な肉体的な気管、つまり脳髄、の所産である。物質は
精神の所産ではなくて、精神がそれ自身物質の最高の産物にすぎない
のである。これはもちろん生粋の唯物論である」
22考える名無しさん:02/04/16 01:24
 それと、いわゆる「不可知論」についても引用しておきます。
議論の上で重要だと思いますので。
(同 280ページ)
23考える名無しさん:02/04/16 01:24
「思考と存在との関係という問題には、しかし、別の側面がある。
…われわれの思考は現実の世界を認識することが出来るのか、
われわれは現実の世界についてのわれわれの表象と概念のうちに
現実の正しい映像を作り出すことが出来るのか?この問題は、
哲学の用語では、思考と存在の同一性の問題と言い、哲学者の
圧倒的多数はこれを肯定している。…
24考える名無しさん:02/04/16 01:24
 しかし、そのほかになお一連の哲学者達がいて、彼らは、世界が
認識できるということに、あるいはすくなくともあますところ無く
認識できると言うことに、異論を唱えている。…右のような哲学的
妄想ーこれに限らず全ての哲学的妄想についても同様であるーに
たいする最も適切な反駁は、実践、すなわち、実験と産業である。
25考える名無しさん:02/04/16 01:25
もしわれわれがある自然現象を自分自身でつくり、これをその諸条件
から発生させ、そのうえそれをわれわれの目的に役立たせることに
よって、この自然現象についてのわれわれの認識が正しいことを証明
することが出来れば、カントの認識できない「物自体」はそれで終り
である。…実践的には、唯物論をかげではうけいれて世間の前では
否認する、はにかみやのやり方にすぎない」
26考える名無しさん:02/04/16 04:32
>>12 逝ってよし 
27考える名無しさん:02/04/16 04:52
すいませーん18さん、その本はどこから出てる、いくらの本ですか?
2818:02/04/16 08:04
>>27さん
マルクス・エンゲルス全集です。大月書店から出ています。
今いくらで売ってるのですかね。僕のは古本屋で買いました。
大きめの図書館に行けばどこでもあると思いますよ。大学なら
ほぼ必ずあるはず。

ただ、いわゆる「フォイエルバッハ論」は有名な本なので
岩波文庫でも出ているはずですよ。
29考える名無しさん:02/04/16 08:18
ここは新石器時代ですか?
30考える名無しさん:02/04/16 08:46
ヘーゲル左派批判
31考える名無しさん:02/04/16 10:28
認識論の問題に
観念論と唯物論の2つしか用意していない時点でため息が出る
32ふにゃらかほい:02/04/16 10:37
>31
エッ!
ていうか、認識論を論じる際に、その根源性に対する
問いに観念論と唯物論以外のものが用意できるんですか?
教えて下さい。
33考える名無しさん:02/04/16 15:36
煽り厨房がいるな
34考える名無しさん:02/04/16 16:55
自然 vs 歴史
35考える名無しさん:02/04/16 17:42
11は結構鋭いよ。その時代の認識レベルが弁証法的・史的唯物論的
に規定されているということでしょ。カントも例外ではない、ということだよね。
 
 
36ふにゃらかほい:02/04/16 21:51
>34
私は煽りじゃないけど、いうよ。
自然vs歴史というふうな分類で
認識を論じたってそれは結局、
有機的、あるいは無機的な物質性と系統的な、人類一般の観念性との
対比という意味において、観念論と唯物論の対比の図式
のバリエーションでしかないんじゃないの?
37考える名無しさん:02/04/17 00:05
11=35
38考える名無し:02/04/17 01:00

37、それは違うよ。僕は11とは別人物。
39考える名無し:02/04/17 01:20
ドイツ観念論は、当時の人が名づけたのか
40考える名無しさん:02/04/19 21:23
定期age
41考える名無しさん:02/04/20 01:48
哲学は終わりました。
あとは、ひたすら実践のみです。
もちろん何もしないことも実践ですが。(w
42おおよそ:02/04/20 22:29
理論なき実践はありえない。生命が存在する限り
哲学は不滅である。
43ふにゃほん:02/04/20 23:37
>42
>理論なき実践はありえない。哲学は不滅である。

おいおい、哲学ってのは、原則として「実践」を要求されない
学問なんじゃないかい?
44おおよそ:02/04/20 23:46
哲学は人生の目的や人生の問題を離れては存在し得ない。
哲学者も「生きる」という実践を要求されている。
45KARL ◆gjHKPQSQ :02/04/21 01:41
ぼくは何故うまれてきたのか。唯物論者はどうこたえる?
なぜぼくは死ななければならないか。唯物論者はどう答える?
46考える名無しさん:02/04/21 01:48
太宰治 「生まれてラッキー」

でも読む?
47考える名無しさん:02/04/21 03:20
>>42
理論の中に哲学も含まれますが、全て(理論=哲学)ではありません。
哲学の歴史は失敗の歴史で、本当に貴重なものということでは不滅です。

>>45
そういう問い自体がおかしいです。
強引に答えれば、あなたの御両親が・・・お母様が・・・。
どのように生まれたか、と問います。

死、ですが、
肉体の細胞が活動を停止していき、
全体としての活動がなくなることをいいます。
きっと細胞には活動期限のようなものがあるのでしょう。
これは生物学者が答えてくれると思います。
細胞の活動停止を死とするなら、人は生まれた時から死につつある、
ということです。
48KARL ◆gjHKPQSQ :02/04/21 03:52
>>47
哲学病の人間を治癒させる答えは不可能なのでしょうか。
49ふにゃほん:02/04/21 10:06
>ああよそさん

>哲学は人生の目的や人生の問題をはなれては存在しえない。
>哲学者も「生きる」という実践を要求されている。

それじゃあ、あなたの意味する「哲学」とは、いはゆる
「実存主義哲学」のみということかい?
50考える名無しさん:02/04/21 14:48
ふにゃらかほい ふにゃほん
おおよそ ああよそ
51考える名無しさん:02/04/21 15:03
存在する

実存する
は違う。
しかも
実存する
は必ずしも
人間主義
ではない。

哲学みたいなもんにこだわるのは、それがそいつにとっては不可避の問題だからで、それは超えることができなくては、次にも進まない。
その意味では、哲学はまんまそいつの生き方以外の何者でもない。
52考える名無しさん:02/04/21 16:04
生き方




考え方
53ふにゃほん:02/04/21 17:52
>51
でも、それは哲学の全てを人生問題に解消する
哲学の矮小化だよ。
54サラ金業者:02/04/21 18:07
>>53
そのとおり。
貨幣の問題も大切だよなあ。

ねっ
55ふにゃぽん:02/04/21 18:50
>55
あなたは黙っていてください。
青木 雄二センセイ。(w
56そういえば名無し:02/04/21 20:17
貨幣は 
嘉平が紙に書いた絵柄のフィクションです。

こんなんに夢中になるなっすよ
57おおよそ:02/04/21 22:24
じゃ聞くが、人生問題と離れた哲学があるのか。
コスモロジーすべてが人生問題に関連する。
直接人生を扱うか否かは、この際問題ではない。
実存哲学しかり、科学哲学しかり。
58考える名無しさん:02/04/21 22:47
ええええええ??!
59ふにゃぽん:02/04/22 14:49
>おおよそさん

だからぁ、私は人生問題すべてを哲学から切り離せと
言ってるんじゃないんだってばぁ。
それは確かに「哲学」の一部さ。たとえば「倫理学」などというね。
でも、だからこそ、それを「全哲学の課題」−たとえば「実存主義」ーのように
取り上げるのは間違いだって言ってるだけさ。
60考える名無しさん:02/04/22 14:51
諸事情にかんがみて、リソースの投入先を収斂させただけかもしれん と戯れるてすと。
ただ、アレはやりすぎかと
<1968?
61おおよそ:02/04/22 22:37
>ふにゃぽんに愛をこめて

だからさ。私は一度も全哲学の課題が人生問題
などと言ってはおらんだろうが。
62ふにゃぽん:02/04/23 19:33
>おおよそに愛をこめないで

おいおい。それじゃあ、あんたのレス>57の
「コスモロジーすべてが人生問題に関連する」ってのはなんだよ?

これだと、物理学も数学もすべてが人生問題に関連することに
なるはずだぜ?

だって、「すべてのコスモロジー」からみたら、物理学も数学も、
当然その中に含まれることになる訳なんだから。
63考える名無しさん:02/04/23 21:48
>だって、「すべてのコスモロジー」からみたら、物理学も数学も、
>当然その中に含まれることになる訳なんだから。
 いやあああん。
 人生問題にしたくなああい
64おおよそ:02/04/24 00:28
>ふにゃぽんに熱烈な愛をこめて
人間が「生きる」という実践の中にしか哲学はない。
数学も物理学も、その行為と関連して成立したものだ。
自明なことについていつまでふにゃふにゃ言ってるの。
6518:02/04/24 00:43
ども、お久しぶりです。
いろんな議論と並行して、まったりと、唯物論の原典引用を続けますね。
唯物論は世界を作っているのは物質で、精神は二次的なもの、と考えます。
では、物質とは何か。哲学的な物質については、レーニンが論じてますので、
それを引用します。
ただ、物理的な物質とは異なります。そこにお気をつけ下さい。
66考える名無しさん:02/04/24 00:44
フェイルバッハ左派?
6718:02/04/24 00:45
「物質とは、人間にその感覚において与えられており、我々の感覚から独立
して存在しながら、我々の感覚によって模写され、撮影され、反映される
客観的実在を言いあらわすための哲学的範疇である」
(レーニン全集第4版 第14巻P150)
6818:02/04/24 00:46
重要なのは、我々の感覚から独立して存在する、と言う部分だと思います。
物質と言うと、重さがあるとか、色がついているとか、暖かいとか冷たいとか
それぞれにいろいろな性質があります。が、例えば相対性理論によれば物理的
「物質」はエネルギーと交換されますが、このエネルギーは、直接目に見えず、
触ることもできません。しかし、それは観測機器を通じて間接的には感覚できる
ものであり、これもまた物質の一つの形だと言えるのです。
そうすると、最も広い形での物質の定義は、上記の定義になるのだと思います。
また、以上より、直接感覚によって示されていないものも、物質と言うことに
なります。
69おおよそ:02/04/24 00:55
>>18
レーニンの物質とカントの物自体の差異について述べよ。
物自体も感性を触発する。
70考える名無しさん:02/04/24 01:36
相対性理論か・・・。
71考える名無しさん:02/04/24 05:15
カントは、現象(人はこれのみを認識する)の背後にある物自体について曖昧だった。
(物自体=自我?)
レーニンは、物質は様々に現象し、様々に知覚される、といった。

カントは物(現象)と物自体を分けて考えていて、
人から独立した物(現象)の存在は認めていた。

間違ってたらスマソ。

物自体=自我という考えがこの後受け継がれていくみたいですね。
72おおよそ:02/04/24 18:19
物自体=自我はフィヒテ的カント解釈。
カントはそれに批判的だったようだが。
73ふにゃぽん:02/04/24 19:06
>おおよそへの、おそらく最後のレス(というか、最後のさせてくれ)

>人間が「生きる」という実践の中にしか哲学はない。
>数学も物理学も、その行為と関連して成立したものだ。
>自明なことについていつまでふにゃふにゃ言ってるの。

きみは依然、「『学問』を主体的に行う人間の状況および意志一般」と、
「『学問』の客観的ありかた」を混同しているよ。
そういうのを、「実存主義的態度」というんだけど、私はきみのそうした
個人的な価値感をどうこういうつもりはない。
ただ、常に「主観」と「客観」の正しいあり方、およびその相関性は
押さえておいたほうがいいと思うよ。

>71
レーニンがその認識に至ったのは、おそらくエンゲルスの次の言葉の影響
だろうね。
「科学が自然の全てを、実証により明らかにした時、カントの『物自体』
は消えてなくなる。」
7471:02/04/25 00:33
の補足です。

カントは、時間、空間=主観的形式として、人に先験的に具わっているのだ、という。

純粋数学は時間、空間(主観)から離れた絶対的(先験的)真理であり、
人がこの先験的な数学を認識することができるのは
数学の実地盤である時間、空間を先験的にもっているからであるという。

我々は時間、空間という主観的媒介物を通してのみ
物を認識することができるので、必ず主観がまじる。

そういうわけで、物自体をありのまま認識することはできない、
物自体の現象を認識するのみだ、とした。


カントはどこで間違ったのでしょう?

あと、
物質は他の物質と関係してのみ様々に現象する、でした。
75考える名無しさん:02/04/29 22:18
定期age
76考える名無しさん:02/05/04 07:39
ageってんのー?
sageってんのー?
77顔も名前も出さずに毎月100万円:02/05/04 10:10
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78考える名無しさん:02/06/11 17:07
age
79らげ@ ◆qoVUMoeA :02/07/08 03:03
精神を脳の機能と見ない思考様式が唯物論。
80:02/07/08 03:16
>>79
ちょっと違うな^^.世界に存在するのは「もの」だけだというのが唯物論でしょ.
だから精神などというものは唯物論の観点からは存在しないんだよ.
81考える名無しさん:02/07/08 03:39
>>80
正解
82考える名無しさん:02/07/08 04:59
俺の分析哲学の教授が前に言ってたな。
唯物論は、肉体と精神が同一であることを前提にしているので究極的には二元論だと。
分析哲学では、こんな議論もありなんかね(^^
83:02/07/08 05:11
>>82
というか^^,肉体と精神が同一ならば一元論でしょうに.
84考える名無しさん :02/07/08 13:00
現象も物自体の一つといってよいが、物自体が全て現象であるというわけではない。
現象に対する物自体の関係は、認識の実在の現象に対する関係と同様である。

世界に対する自分とは、世界を自らの本質として有しつつそれとは明らかに別の存在として
実在するもののことである。
それゆえ現象であるところの物が、世界とは独立した何物かと関係を持ちうる可能性を考えたのが
物自体であって、現象が物自体の感覚による模写であるとか、撮影であるといった思考は
何の根拠も持たない。
物自体は思考によってその存在が可能なものと考えられるに過ぎない。

レーニンのいう物質とは現象と同義であって、物があると思考する人間の、
思考を切り離して「物」のみを取り出した抽象の産物である。
思考を離れた物の実在とは、それ自体が人間の思考の作り出した幻影である。
85考える名無しさん:02/07/19 20:16
ようするに自分が死んだら世界も消えてなくなるということか。
なわけないだろ。
86考える名無しさん:02/08/05 13:58
定期age
87考える名無しさん:02/08/05 15:19
唯物論者が問題としている「物」って、けっきょく
「物という観念」でしょ?
だから、唯物論は観念論であり、観念論の勝ち。
88考える名無しさん:02/08/05 15:45
>>87

>唯物論者が問題としている「物」って、けっきょく
>「物という観念」でしょ?

既に観念論を前提とした主張。観念論の優位という帰結が導かれて当然。
89考える名無しさん:02/08/05 15:48
マルクスがヘーゲルを気に入らなかったのは、
弁証法が絶対精神へ昇っていくという、ヘーゲル観念論の唯心論的側面に対する違和感と見てはいけないのですか。

厨房な質問スマソ。
90考える名無しさん:02/08/05 16:49
>>83

二元論を前提に一元を標榜するしかないってことだろ。
91考える名無しさん  :02/08/05 17:35
問:なぜ観念論が哲学で有力なのか?

答:唯物論だと大半の哲学者はメシの食い上げとなるから。
  哲学で残るのは論理学と弁証法のみ。あとの問題は個別
  社会科学へと分化する。
92考える名無しさん:02/08/05 18:50
>>91

クソツマラナソ
93:02/08/05 23:10
>>90
どうだろ.真意は>>82にありき,だろうな.
94考える名無しさん:02/08/09 02:25
週末の夜中のTVで、何でもかんでもランキングする番組あるじゃない。
唯物論のつまらなさって、あれに通じるよね。
ドラマとかバラエティとかあるのに、おまえはランキングか!
みたいな。下手すると、
「だって数字がいちばん明快じゃない」なんて言い出しそうだし。
95:02/08/09 02:51
どのみち量子レベルまで行ったら、この世界を構成する素材が
日常的な意味での「物」なのかどうかは疑わしい。
「物」じゃなく「情報」と呼ぶことにしても、
現象レベルで食い違いが無ければ問題は無いわけで、
結局のところそれは言葉の問題にすぎない。

唯心論世界を作ることだって、原理的には可能である。
『マトリックス』のように、巨大精神の内部に
夢なりシミュレーションなりの形で世界を作ったら、
その世界に関しては唯心論が自明に正しいことになるわけだ。
しかし、その世界が素粒子レベルからシミュレーションされていたら、
その世界を唯物論世界と区別するのは、単に言葉の問題にすぎない。

問題は、言葉というメディアの曖昧さで生じているにすぎない。
言葉の代わりに、「この世界はこういう具合になっているんだよ」と、
精密なシミュレーションの形で世界観を提示することになっていたら、
唯心論は『マトリクス』みたいな世界観ということになる。
そして、その世界モデルを精密にしていき、
世界内部の物理規則を矛盾の無い首尾一貫したものにしていけば、
その世界モデルは唯物論世界と区別できないものになる。
言葉で考えると、どこかに不連続を持ち込むことになるが、
対象自体は、連続したグラデュエーションなのである。
96考える名無しさん
本当の二元論は、物的か心的かではなく、志向性か形而上学かだ。