ハイデガー「形而上学入門」

このエントリーをはてなブックマークに追加
1考える名無しさん
素晴らしいの一言。
皆様語って下され。
2びたみん ◇BWLMxAG:02/04/11 02:06
ハイデガースレ多いなあ。
3考える名無しさん:02/04/11 03:03
『存在と時間』よりいいと思った。
特に前半部。ハイデガーならこの本。
4考える名無しさん:02/04/11 03:16
『存在と時間』と『形而上学入門』どっちを
先に読んだ方がいい?
5考える名無しさん:02/04/11 05:14
『入門』て言うぐらいだから、
『形而上学入門』でいいんでない?
こっちの方が短いし。
6考える名無しさん:02/04/11 05:22
>>1
お前が語れ。
「美味しいです。」だけじゃ
レポーターのシカクなし。
7考える名無しさん:02/04/11 06:02



       /  ̄ ̄ ̄ ̄ \               / \
      /          \            /    /
     /λ            \        /    /
   / / \            ヽ      /    /       
  / /     \            |   /    /         /\
  / /        `ー 、       |   \    \        /    \
  | .|           ー―-、   |    \    \      /       \
  |  |               |   |      \   \ /    /\   \
  |  |        l        \ |        \        /   \    \
 ,^ヽ.|  ,;;_llliiillli_iJ   ,;;iiillIIii_   |/=          \     /       \   ,`
 |i^.| |  ,彳てフ’   气.てフ'   | i | \       /      \       \/
 ヽ | |  ヽ  ̄'/   【   ̄ ,   |_//  \   /    /\   \
  | ||     ̄    ┃  ̄     |_l\   \/    /    \   \
  `-|      /  ┃       |   \       /       \   \
    |      | _,__i )     .|     \   /        /   /
     l      i| ||;|||||||i     |.      \/        /   /
    ヽ、   |||||:|||||||||ll  (  /                /   /
     |\   ̄ ̄二 ̄ ̄ |//^\             /   /
_ ,――|  \       / /   \          \  /
 /    |\  ー――一  /    / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\  ` '
/     |  \ _/    /    /           \
     |  /  入   /    /              \


8考える名無しさん:02/04/16 11:09
1935年 夏学期 フライブルク大学 講義「形而上學入門」
「なぜ一体、存在者があるのか、そして、むしろ無があるのではないのか?」
(1-11)
Warum ist ueberhaupt Seindes und nicht vielmehr Nichts?
>>9
ライプニッツ『24の命題』の1。
「理由律」。存在者(Seiendes)の存在(ist)の理由。

「何故」。意味を問う。

ハイデガーの文学性。 催眠的?
…Nichts? …Frage. …Frage. …Nichts? …Fragen. …Fragen.
「誰でも一度は」「この問いの隠れた力にそっと触れられる」
「深い絶望」
「心からの歓呼の中」
「ある種の退屈の中」
(1-12)
「時間的に」「第一」「の問いではない」
(1-13)
「等級から言って」「第一の問い」
「三つの側面」
「最も広い問い」
「最も深い問い」
「最も根源的な問い」
(1-13)
「この問いが及ぶ領域は最も広範」
「すべての存在者を」「包括する」
「この問いの領域の限界をなすのは」「無だけ」
「しまいには無そのものさえ含み込まれる」
「無は無で「ある」から」
「われわれは全体としての存在者そのものに問いかけている」
(1-14)
>>14
「無は無で「ある」から」
sondern weil es das Nichts >>ist<<.

「理由律」は命題 S ist P.の真理条件。
「最も深い問い」
「存在的である限りの存在者の根拠を求めること」
「根拠を求める、つまり根拠の探究」
「存在者そのものと同種類で同一平面にあるに過ぎないような
原因を求めているのではない」
「「根-底」に横たわっている領域へ、しかもその究極にまで、
極限にまで突き入る。」
「この問いは深みを目指して求めている」
(1-15)
「最も根源的な問い」
「一つの存在者がいつも顕著に押し出てくる」「この問いを提出する人間」
「特別に重要なものであってはならない」
「どの存在者も」「等しくみな存在的」
(1-16)
「我々自身が偶然その一人である人間と呼ばれるこの存在者を
特に重要視するいかなる正当な理由も見当たらない」
(1-16)
「なぜ、なぜなのか?」
「この問いそのものは、どこにその根拠を持っているのか?」
(1-17)
「問いが提出されようとされまいと、
存在者そのものには何の関わりもない」
(1-18)
「この問いを問うことは」「一つの特異な事」「出来事」Geschehnis
「問題は」「なぜの問いのこの自己自身への跳ね返りを
一つの由々しい出来事と認めることができるかどうかということ」
(1-18)
「いままでの生存の安泰から徹底的に跳躍してしまう様な跳躍を
根拠にしている」「跳躍」Sprung
「この問いを問うという跳躍は自己に対して自己自身の根拠を
跳び出させる、跳んで自己自身の根拠を成就する」
「自己を根拠として跳び出させるような跳躍を」「根-源と名付ける」Ur-sprung
(1-20)
「根源的な能力としての問うことにいつになっても縁がないような
人間的-歴史的現存在の周辺に入れば、この問いは直ちに第一という
その等級を失う」
(1-21)
「信仰者としての自己自身を断念するのでないかぎり、この問いを
本来的に問うことはできない」
(1-21)
「われわれの問いの中で真に問われていることは、
信仰にとっては愚かなことである」
(1-22)
「この愚かなことの中にこそ哲学は成立する」
「哲学は、根本的にキリスト教的な信仰にとっては愚かなことである」
「問いが問うことをわれわれに要求しているそのものをあらわにすること
によって、この問いの汲みつくし得ないものを汲みつくし、余すことなく
問い尽くそうと、あえてすること」「そこに哲学がある」
(1-23)
「哲学に携わる者は二、三のことを知っておかねばならない」
(1-23)
「時代向きにはなされえないような知」
「逆に時代を自分の尺度の元に置くような知」
 (1-23)
>>29
デュルタイの『世界觀の研究』のような歴史観の批判だろうか?
「哲学は」「時代の中で直接の反響をもつことができない」
「また、決してもってはならない」
(1-24)
「日常性の中に直接の反響を持たないものこそ、一民族の歴史における
本来的な出来事と最も内的に響和することができる」
「時代向きでないものは、いつかそれ独特の時代を持つ」
「哲学とは何でありえないか、そして何をなし得ないかということ
だけしか言われえない」
(1-24)
「紹介」「にとどまって」
「この問いを問うことを延期してはならない」

「前置きを終る」
(1-25)
「精神の本質的な諸形態は」「両義的」
「誤解が多い」
(1-25)
「哲学は人間的-歴史的現存在の数少ない自主的、創造的可能性の一つ」
「数少ない必然性の一つ」
「重要である二つの誤解」
(1-25)
「哲学の本質に対して余りに多くを要求し過ぎること」
「哲学の任務を曲解すること」
(1-26)
「哲学は」「存在者の最初にして最後の諸根拠をめざし」
「人間であるとは何を意味するか」
「目標は何処に置くべきかということを」「強調してとりあげ、
学び知る」

「一民族の現在及び將來の歴史的現存在とその民族の時代とのために
基礎を提供する」「その基礎があって初めて」「文化が築かれる」
「この過重要求は哲学に対する難詰という形で現れる」

「哲学は決して直接には力を持ちえない」
「或歴史的状況を惹き起こすような影響も機会も作りだせない」
「ほんの少数の人びとにしかはたらきかけない」
「創造しながら変身させるような人びと、変位させるような人びと」
 (1-26)
「尺度と等級とを設定する知の軌道と視界とを哲人的に開き示すこと」
「この知から、一民族は歴史的-精神的世界の中の自分の現存在を
概念把握し、成し遂げる」
(1-27)
「人は、哲学が労苦軽減と言う意味で、実用的-技術的な文化事業を
促進すること、いな推進することさえ期待している」
(1-28)
「むずかしくするということはすべての偉大なものが発生するための
本質的な根本条件の一つ」
「偉大なもの」「歴史的な民族とその民族の諸業績との運命」
「運命は、事物についての真実な知が現存在を支配しているような所に
だけある」「このような知の軌跡と視界を開くもの」「哲学」
(1-28)
「誤解」「助長」「哲学学」Philosophiewissenschaft
(1-29)
「世間でよく言われている判断」
「哲学を学んでも「何も出てこない」「哲学をやってもはじまらない」」
 bei der Philosophie>>kommt nichts heraus<<;>>
man kann damit nichts anfangen<<.
(1-29)
「われわれが哲学を学んでもはじまらないと言うのはもっともだけれど、
結局哲学の方もこんなわれわれと関わっていてもはじまらないのでは
なかろうか?」
wenn schon wir mit ihr nichts anfangen koennen, die Philosophie
am Ende nicht mit uns etwas anfaengt,
(1-30)
「ニーチェ『善悪の彼岸』」
「「哲学者とは、いつも異常なことを体験し、見、聞き、怪しみ、
希望し、夢見る人間である……」
(1-30)
「哲学するとは異-常なことを問うことである」
「問うことそのことが異-常」ausser-ordentlichen
「まったく自発的」
「自由という深遠な根拠」「跳躍」「へと基づけられている」
「哲学するとは異-常なことを異-常に問うこと」
 (1-31)
「全体としての存在者そのものを問うということに真の元初を
与えたのはギリシア人」
「存在者は physis と名付けられた」「「自然」と訳される」 Natur
「ラテン語訳の natura 」「「生まれる」「誕生」を意味する」
「ギリシア哲学者の言葉のラテン語訳」
「ギリシア哲学の根源的な本質を遮断して隔離してしまうという
出来事の第一段階」
(1-32)
「語の中に、言葉の中に、初めて物は生じ、また、ある」
Im Wort, in der Sprache werden und sind erst die Dinge.
「言葉の誤用は、物への真の関係をわれわれから奪う」
「physis」「おのずから発現するもの」Aufgehende
「自己を開示しつつ展開すること、
このように展開することにおいて現象へと踏み入ること、
そしてこの現象の中で自己を引止めて、そこで永くとどまること」
「発現し-滞在する支配」das aufgehendeverweilende Walten
「成長する、成長させる」wachsen, wachsen machen
(1-33)
「「自然」に属すること」「physisはこれらと同義ではない」
「存在者において観察できる一つの事象だと思ってはならない」
「存在そのもの」
(1-33)
「存在についての詩作的-思惟的根本体験が基礎になって」
dichtend-denkenden Grunderfahrung
「physisと名付けざるをえなかった或るものが彼らに開示された」
「運命の下にある神々自身」 die Goetter selbst unter dem Geschick
「「生成」も、動かないでじっとしているという狭められた意味での
「存在」もともに含み込まれている」
「隠蔽されたものから自己を連れ出し、そのことによって初めて
隠蔽されたものを存立の中へと連れていくこと」
(1-34)
「哲学」「人間が持っている数少ない偉大なもののひとつ」
「偉大なものはすべてただ偉大にのみ始まりうる」
(1-35)
「偉大である限り、また偉大に終る」
「常識人と平凡人」「持続を永遠なものと同一視する」
(1-35)
「全体としての存在者そのものをギリシア人はphysisと呼ぶ。」
「アリストテレス」「『形而上學』Γ1、1003 a 27 参照」
(1-35)
52考える名無しさん:02/04/17 05:09
>>51 『形而上學』Γ1、1003 a

「存在者としてある限りにおける存在者とそれに自体的に属するものとを
考察するある学がある。これは特殊的なる学のいずれとも同じものではな
い。なぜならばその他の学のいずれも、一般に存在者としてある限りにお
ける存在者について研究することなく、存在者のある一部分を切離し、そ
の部分の属性について考察するものだからである。例えば数学的科学のご
ときがそれである。しかも我々は諸原理(アルカイ)や最高諸原因(アク
ロタタイ・アイテイアイ)を求めるものであって、それがある本体(ピュ
セイス)にそれ自体において属するものでなければならぬことが明らかで
ある。いまもし存在者の元素(ストイケイア)を探究した人びとも、かか
る原理を求めたのであるとすれば、その元素もまた偶然的なる意味におい
て存在者の元素であるのではなく、存在者としてある限りにおける存在者
の元素でなければならぬ。かくして我々においてもまた把握しなければな
らぬのは、存在者としてある限りにおける存在者の究極原因(プロータイ
・アイテイアイ)である。」
「「心理的なもの」、心的なもの、生気あるもの、生命あるもの」
「これらは」「ギリシア人にとって」「やはりphysisに属している」
「physisに対立する現象」「ギリシア人がthesisすなわち定立、措定
と呼ぶもの」「nomosすなわち人倫的なものという意味での法則、規則」
「決して道徳的なものではなく」「慣習的なもの、つまり自由にみずから
進んで自分を拘束することと伝統から指図を受けることに基づくもの」
「人間の自由な態度と身構えとに関するもの」「人間の歴史的存在の形成
に関するもの」「ethos」
「後には道徳の影響を受けて倫理的なものへと低下せられた」
(1-36)
「physisという語の意味が狭められる」「techneと対立することによって」
「techne」「芸術でも技術でもなく」「知ることによって、自由に計画したり、
整えたりすることを心得ていること」「もろもろの整いを思いのままに
使いこなすこと」「知ることによって出来-させることとしての生産、建設」
「歴史的なものという存在者のこの領域」「広い意味のphysis」
「ta physei onta」「ta physika」「自然的存在者」
「ta phusikaを超えでなければならない」
(1-37)
「何かを超える」「超」「meta」
「存在者そのものを哲学的に問うこと」「meta ta physika」
「存在者を超えて問う」「形而上學」 Metaphysik
(1-37)
「なぜ一体、存在者があるのか、そして、むしろ無があるのでないのか?」>>9
「形而上學の根本の問い」
「形而上學」「すべての哲学の規定的な中心と核心」
(1-37)
「入門という講義の性質」「わざと概括的」「両義的に叙述」
「古い意味での「自然学」」「それ自身既にta physikaを超え、存在者を
超えて、存在に達している」
「actus purus(トマス・アクィヌス)」
「絶対概念(ヘーゲル)」
「同じ力への意志の永劫回帰(ニーチェ)」
「形而上學は依然として「自然学」」
(1-38)
「存在そのものについての問い」「別な本質」「別な由来」
(1-38)
「超越論的な問い」「存在そのものについての問いの意味をこのように
考えてしまう」「問いを適切に展開する道は絶たれてしまう」
(1-38)
『存在と時間』「超越論的地平」transcententale Horizont
「あの場合」「決して主観的意識のそれではなく」
「現-存在の実存論的脱自的時間性から規定されている」
der existenzialen-ekstatischen Zeitlichkeit des Da-seins
「存在そのものについての問いの意味を」
「存在者そのものについての問いと同列にしてしまうことことが
なかなか後を絶たない」
「存在者としての存在者についての問いの本質的由来が」
「形而上學の本質が未だ不明瞭だから」
(1-39)
「「存在の問い」のこのような複雑な事態から常に目を話さないつもり」
(1-39)
「存在の問い」
「普通一般の解釈」「存在者そのものについて問うこと(形而上學)」
「『存在と時間』の立場」「存在そのものについて問うこと」
「存在の問いという表題には」「後者の意味の方が」「適当」
「前者の意味」「存在は忘れられたまま」
(1-39)
「「存在の問い」という表題」「両義的」
「「存在忘却」」「もまた両義的」
(1-40)
「形而上學にとって」「存在そのものは確かに隠されており、忘れられたまま」
「存在の忘却」「そのことすら忘却の中」
「それほど著しく存在は忘れられている」
(1-40)
「最初の文」>>9「疑問分という形」
「一つの他の領域を視野の中に引き入れようと努めている」
「この講義は意識的に両義的にしてある」
(1-40)
「この講義は」「「存在の開示性」Erschlossenheit von Sein
(『存在と時間』S.21f.und 37f. )を問う」
「開示性」「存在の忘却が閉ざし隠しているものが解き開かされた状態」
「これを問うこと」「隠されていた形而上學の本質にも光が差し込む」
(1-41)
67考える名無しさん:02/04/17 09:01
>>66 『存在と時間』S.21f.und 37f. 何処だ?(w

「「開示する」(erschliessen)とか「開示されている」(「開示態」)
(Erschlossenheit)という言葉は、以下においては述語として用い、
「あけひらく」、「あけひらかれている」ということを意味する。した
がって「開示」は、決して「間接推論によって知る」というようなことを
意味しないのである。」
 (『存在と時間』§16、ちくま学芸文庫、上175)

「用具的な物事にたずさわる事実的な配慮的存在、客体的な物の主題化、
またこの存在者を客観化する発見−−これらはみな、すでに世界を前堤と
しており、すなわち世界=内=存在のそれぞれの様態としてのみ可能であ
る。世界は、脱自的時間性の地平的統一態にもとづいているので、超越的
である。世界のなかから内世界的な存在者が出会いうるためには、世界は
すでに脱自的に開示されていなくてはならない。」
 (同書§69, 下289)

「すでに世界を前堤しており」(これを存在忘却というのだろうか?)
このような態度を乗り越えるためにあの問い>>9が冒頭に掲げられている
のだろう。有ることに驚くこと。
この入門講義はわれわれをあの問いのまえに立たせる。

「形而上學入門」「根本の問いを問うことへと導き入れること」
「この導きが初めて問うということを喚び起こし、作り出さねばならない」
「この導き」「問いつつ先行すること」「先んじて-問うこと」ein Vor-fragen
「本質上、従う者が一人もいないような導き」
「哲学者の学派」「学的-職人的な仕事の範囲内」「段階秩序」
「最上の職人的能力」「見ることと問うことの本当の力にとって代わることは
できない」
(1-42)
「疑問文を口に出して言うこと」「未だ決して問うことではない」
「暗唱の繰返しがかえって問うことを麻痺させることになりかねない」
(1-42)
「問いの意向は」「知ることを-志すという点にある」Wissen-wollen
「志す」「単なる欲求」「追求することではない」
「志す人」「彼の現存在の全体を一つの意志のなかへと置く人」「決意してある」
Wer will, wer sein ganzens Dasein in einen willen legt, der ist entschlossen.
「決-意」「単なる行動の決心ではなく」「行動の決定的始まり」
「決-意の本質」「人間の現存在が存在の空開処のために露-呈されていること」
der Ent-borgenheit des menschlichen Daseins fuer die LIchtung des Seins
「決して「はたらき」の力を内に蔵していることではない」
「『存在と時間』§44,§60」
「存在への連関はさせるということ」Der Bezug zum Sein aber ist das Lassen.
「すべての意志することがさせるにもとづいているということ」
「『真理の本質について』1930」
(1-43)
71考える名無しさん:02/04/17 09:42
>>70
「こうして、《現》の空間性が開示態にもとづいているように、状況の基礎
は覚悟性にある。状況とは、すなわち、覚悟性において開示されている現な
のである。そして実存する存在者は、この現として存在しているのであるか
ら、状況とは、現存在がその内部で出没したり、たかだかそのなかへ入場し
たりするような客体的な枠組みというようなものではないのである。状況は、
われわれに出会うさまざまな事情や偶発事件などの客体的な寄せ集めなどと
ははるかにとこなり、ひとえに覚悟性によって、そして覚悟性においてのみ
存在するのである。実存しつつみずから現として存在しなければならない自
己が、その《現》にむかって覚悟しているときにのみ、そまざまな事情のそ
のつど事実的な趣向性格が、はじめて自己に開示される。われわれが偶然と
なづけているものが共同世界と環境世界のなかから好機の熟するごときあり
さまで訪れてくるのは、それを迎える覚悟性の境涯にとってのみ可能なこと
なのである。」
 (『存在と時間』§60,下161)
「知るとは真理の中に立ちうるということ」
Wissen aber heisst: in der Wahrheit stehen koennen.
「真理とは存在者の解明性」
Wahrheit ist die Offenbarkeit des Seienden.
「単なる知識を持つこと」「決して知ることではない」
「知るとは習うことが出来ると言うこと」Wissen heisst: lernen koenne.
(1-44,17)
「知っている人」「いつも習うことができる様な状態に自分をおいている様な人」
「知識を保持するよりもずっとむずかしい」
(1-44.17)
「習うことができる」「問うことが出来るということを前堤」
「問うとは」「知ることを-志すこと」
「存在者の開明性の中にたつことができることへの決-意」
die Ent-schlossenheit zum Stehenkoennen in der Offenbarheit des Seienden.
(1-45,17)
「さしあたっての課題」「問い>>9を展開すること」Entfaltung
「なぜ一体、存在者があるのか?」
「問いかけられているもの」Befragte「存在者」
「問われている事柄」Gefragte「なぜということ」Warum「根拠」Grund
「そして、むしろ無が有るのではないのか?」「蛇足」
「無を取り上げても存在者の認識の為に少しも得にならない」
(1-46,18)
「無について語る人」「自分に逆らって語る」
「自己矛盾してものを言うこと」「言うこと(logos)の根本規則、すなわち
「論理学」Logikに違反」「非論理的」「非学問的」「虚無主義」Nihilismus
(1-47,18)
「蛇足を削って」「なぜ一体、存在者が有るのか?」
「簡潔で引き締まった形に制限」
(1-47,17)
「一つの伝統」Ueberlieferung
「存在者の問い」「非-存在者」Nicht-Seienden「無についての問いが
つきまとっている」
「無について問う問い方」「存在者について問う問い方の尺度および目印」
(1-48,18)
「無についての句」「この問いの問いの根源的な伝統に対する厳格な尊敬」
die strenge Achtung vor der urspuenglichen Ueberliefung des Sinnes der Grundfrage.
(1-48,19)
「思考の根本規則を正当に配慮しようとする心遣い」
「虚無主義に陥るかも知れないという不安」die Angst vor dem Nihilismus
「誤解に基づいている」
「存在忘却に由来」Seinsvergessenheit
(1-49,19)
「因襲的な論理学の思考法則」
「論理学に訴えても」「厳密らしさと学問らしさとの見かけしかない」
「濫用され」「それ以上の立ち入った本来的な熟慮はしなくてよいものと
思い込まれている」
(1-50,19)
「無について誠実に語ろうとする人は当然非学問的にならざるをえない」
「学問的思考」「哲学的思惟の一形式」
「哲学が学問から出てくるとか、学問をとおして発生する」「ことは決してない」
「哲学は」「諸学に対して」「その序列の前に置かれており」
「哲学は精神的現存在の全く違った領域と等級の中に立っている」
「哲学及び哲学の思惟と同列にいるのは、ただ詩だけである」
「哲学者の他には詩人が無について話すことができる」
「厳密でないからという理由によるのではなく」
「精神の本質的な優越が支配的であるから」
「詩人は」「存在者が、そのとき初めて語りだされ、語りかけられたかの
ごとくに語る」「一つ一つの物」「が、どうでもいよい平凡なものという
性格を全く失ってしまう」
Im Dichten des Dichters und im Denken des Denkers wird immer soviel
Weltraum ausgespart, dass darin en jeglich Ding, ein Baum, ein Berg,
ein Haus, ein Vogelruf die Gleichgueltigkeit und Gewoehnlichkeit
ganz verliert.
(1-51)

「詩人クヌート・ハムスン」Knut Hamsun
『年と非との後』Nach Jahr und Tage
「根無し草のようにさすらいながら、しかも全能を誇っている現代人」
「まことのうつろを聴く」hoert die wahre Leere
「ここでは、無が無に出会い、何ものも、空洞さえもない。
ただ諦めに満ちて、こうべを振るのみ」
HIer--trifft Nichts auf NIchts und ist nicht da,
ist nicht eimnal ein Loch.
Man kann nur ergebungsvoll den Kopf schuetteln.
(1-52,21)
84考える名無しさん:02/04/18 08:18
>>83
Knut Hamsun (1859-1952)
Norwegian novelist, dramatist, poet,
winner of the Nobel Prize for Literature in 1920.
http://www.kirjasto.sci.fi/khamsun.htm
85考える名無しさん:02/04/18 08:34
>>83
Individualism and antipathy to modern Western culture led Hamsun
to support the Germans during their occupation of Norway in World
War II. "We are all Germans," the author told his countrymen.
Hamsun did not develop this attitude suddenly - he had favored
already in the First World War the German cause when public opinion
at that time was in favor of Britain and France. Although he never
joined the Norwegian Nazi party, Hamsun wrote series of pro-Fascists
articles, and met in 1943 Adolf Hitler and Josef Goebbels, whom he
gave his Nobel Prize medal in token of his esteem.

Upon hearing Hitler's death, when the war had come to its end,
Hamsun had written: "He was a warrior, a warrior for mankind and
a prophet of the gospel of justice for all nations."
「蛇足なのか」「本質的な意味を持っているのか」
(1-52,21)
「なぜ一体、存在者があるのか?」「このように問うとき」
「存在者から出発する」「存在者はある」「それは与えられている」
「何の媒介もなくいきなり問いかけられている」
「日頃の見慣れた処置を拡張したにすぎない」
「目の前に既に有る何か」unbestreitbar Vorhandenes
「決して全体者としての存在そのものへは向いていない」
(1-53,21)
「下の句」
「非存在の可能性へと引き出される」Moeglichkeit des Nichtseins
「なぜ存在者は非存在の可能性からもぎ離されているのか?」
「無が克服されて存在者が優位を占めていることを根拠付けうるような、
そういう根拠が探究されることになる」
「われわれを支えたり解き放ったりする半ば存在的で半ば非存在的な
存在者の振幅」「われわれをどんな物にも完全に属することができない
ようにし、我々自身さえも完全に属することができないようにする振幅」
「この振幅の根拠」
 (1-55,22)
「「めいめいの私のもの」という規定」die Bestimmung>>je meines<<
「現存在とは、存在一般へと本質的に関連するからこそ、それ自身である」
Das Dasein ist es selbst aus seinem wesenhaften Bezug zum Sein ueberhaupt.
『存在と時間』「現存在には存在理解が属しているという命題」
Zum Dasein gehoert Seinsverstaendnis.
(1-55,22)
「我々の問いとともに」「存在者は存在者としての自明性を失っている」
(1-56,22)
「存在者は」「存在しないこともあり得る」「この可能性」
「問うこと」「存在者がこのような問う-に値する状態で突入裂開しうる
ように、その領域を開き示すだけ」
Unser Fragen eroeffnet nur den Bereich, damit das Seiende in solcher
Fragwuerdigkeit aufbrechen kann.
(1-57,23)
「問い」「われわれを開けたものの中へ押しやる」uns ins Offen ruekt
「問うこと」「問いつつ自分で自分を変身せしめ」「すべてを超え」
「すべてを貫いて一つの新しい場所を投げ開くということ」
dass es selber sich fragend verwandelt, und einen neuen Raum
ueber alles und durch alles wirft.
(1-57,23)
「先走った理論に誘惑されないで、手近にある任意の物において、
物をそれがある通りに経験するということが大切である」
Es gilt nur, nicht verfuehrt durch vorschnelle Theorien, am
Naecjstbeliebigen die Dinge zu erfahren, wie sie sind.
「可能的なものを探し求める場合」「そんなものを見もつかみも
しない」「といいたくもなる」「それは一つの先入見」ein Vorurteil
(1-58,23)
「両義的」「存在者という語」「ギリシア語の to on と同じように」
「二つの観点から理解されうる」
「存在的であるところのもの」was jeweils seiend ist
「存在者において存在を構成しているもの」das Sein ausmacht

「第二の意味」「存在者そのもの」「存在態」das Seiend
「存在者性」die Seinedheit 「存在者存在」das Seiendsein 「存在」das Sein

「第一の意味」「すべてのの、あるいは個々の、存在する物そのもの」
aller oder einzelne seineden Dinge selbst
(1-59,24)
「to on」
「第一の意味「ta onta (entia)」「第二の意味」「to einai(esse)」
「存在者ではない−存在−とはなにか?」「それは存在者と同じものか?」
「白墨自身はある」diese Kreide ist
(1-60,24)
「「存在」という名称で一体何が考えられているのかが依然として不明」
(1-60,24)
「こんな区別をしたところで何になろうという、よくある疑問」
「一体、われわれは本来何を問うているのか?」
「われわれは存在者の存在を問うている」
Wir fragen nach dem Sein des Seiendesn.
「われわれは存在者のそれの存在に関して問いかけている」
Wir befragen das Seiende hihsichtlich seines Seins.
(1-61,24)
「一体、われわれは存在そのものを十分捉えも理解も把握もしていないのに、
存在者の存在の根拠を、見つけだすなどはおろか問いただすだけでもどうして
可能なのだろうか?」「やっても見込みはない」
(1-62,25)
「「存在はどうなっているのか?」という先行する-問いを問わざるをえなくなる」
zwingt uns zur Vor-frage: Wie steht es um das Sein?
(1-62,25)
「われわれにとって存在及び存在についての我々の理解がどうなっているのか
について、前もってはっきりさせておくことがますます必要」
「われわれは存在者の存在を、存在者の表面においても存在者の内部においても
−−その他どこにおいても、直接それだけ単独に捉えることはできないという
ことを繰返し経験することがそりわけ大切」
(1-62,25)
「例」「この学校はある」「その建物はある」Das Gebaeude ist.
「われわれはその存在をこの存在者の内部で見つけだすことができない」
 (1-65,25)
「われわれが存在者を見ているということの中に存在が存立しているのでもない」
Das Sein beteht auch nicht darin,dass wir Seiendes betrachten.
「嗅覚的素材に基づいているわけでもない」
(1-64,26)
「我々は色や光や闇を見るように存在を見るだろうか?」
「われわれは存在を聴き、嗅ぎ、味わい、触れるだろうか?」
「存在はどこに横たわり、どこに存立しているのか?」

  Wie steht es mit dem Sein? Kann man das Sein sehen? Wir sehen
Seinedes, die Kreide hier. Aber sehen wir das Sein so wie Farbe und
Licht und Dunkel? Oder hoeren, riechen, schmecken, tasten wir Sein?
Wir hoeren das Motorrad, sein Rasen durch die Strasse. Wir hoeren die
Auerhenne im Gleitflug durch den Hochwald abstreichen. Doch eigentlich
hoeren wir nur das Geraeusch des Motorengeknatters, das Geraeusch, das
die Auerhenne verursacht. Ueberdies ist es sogar schwaer und uns ungewohnt,
das reine Geraeusch zu beschreiben, weil es naemlich nicht das ist, was
wir gemeinhin hoeren. Wir hoeren [vom blossen Geraeusch her gerechnet]
immer mehr. Wir hoeren den fliegenden Vorgel, wenngleich man streng
genommen sagen musste: eine Auerhenne ist nichts Hoerbares, keine Art
von Ton, der in die Tonleiter einzureihen waere. Und so steht es bei den
anderen Sinnen. Wir tasten Samt, Seide; wir sehen sie ohne weiteres als
son und so Seinedes. Das eine anders seiend als das andere. Worin liegt
und besteht das Sein?
(1-64,26)
「だがわれわれはもっといろいろな面を見回さねばならない」
「われわれが毎日毎時、意識して、あるいは無意識に時を過ごしている領域、
より狭い、またはより広い領域を、絶えず限界をずらしていて突然裂開される
ような領域を、思い起こしてみなければならない」
  
Doch wir muessen uns noch vielfaeltiger umsehen und des engeren
und weiteren Umkreises gedenken, darin wir uns taeglich und stuendlich,
wissentlich und unwissentlich aufhalten, eines Umlreises, der staendig
seine Grenzen verschiebt und ploetzlich durchbrochen wird.
(1-65,26)

 Ein heraufziehendes schweres Gewitter im Gebirge >>ist<< oder,
was hier gleichviel gilt, >>war<< in der Nacht. Wohin bestet dessen
Sein?
(1-65,26)
「さまざまな有様の背後にそれ自体においてあるようなものを問うという
ことは、一般に無意味なことであり、存在の意味に背くのあろうか?」
「存在はさまざまな有様の中にやすらっているのか?」
Beruht das Sein in den Anblicken?
(1-65,26)
Das Portal einer fruehromanischen Kirche ist Seiendes. Wie und
wem offenbart sich das Sein? Dem Kunstgelehrten, der es auf einer
Exkursion besichtigt und photographiert, oder dem Abt, der am Festtag
mit seine Moenchen durch das Portal einzieht, oder den Kindern, die
an einem Sommertag in seinem Schatten spielen? Wie steht es um das
Sein dieses Seienden?
(1-66,27)
「ファン・ゴッホの描いたあの絵」「何がそこで存在的であるのか?」
「画布か? 筆触か? 色彩か?」
Was ist da seiend? Die Leinwand? Die Pinselstrichte? Die Farbflecke?
(1-66,27)
「或る国家−−これはある。それの存在はどこに存立しているのか?」
「国家はある。だがその存在はどこに隠れているのか?
そもそもそれはどこかに隠れているのだろうか?」
Der Staat ist. Aber wo steckt das Sein? Steckt es ueberhaupt irgendwo?
(1-66,27)
Was ist in all dem, was wir jetzt nannten, das Sein des Seinenden?
Wie laufen und stehen wir eigentlich in der Welt herum mit unseren
dummen Anmassungen und Klugheiten?
(1-66,27)
「存在はほとんど無のごときもの」
「存在者はあるのではないのだなどという無理なこと」「抗議する」
(1-67,27)
「ニーチェ」「存在というような「最高概念」は「要するに実在の最後の煙」
(『偶像の黄昏』8、78「哲学における理性」四)「至当」
「実際、存在が誤謬だということ以上に素朴な説得力をもったことは
いまだかつてなかった……」(同8、80同五)
>>In der That, Nichts hat bishcer eine naivere Ueverredungskaraft gehabt
als der Irrtum vom Sein..<<
(1-67,27)
「「存在」−−それは幻であり誤謬であるのか?」>>Sein<< -ein Dunst und ein Irrtum?
「ニーチェ」「存在についての彼の主導的な見解」
「ニーチェの著作のひどい濫用」「関わり合おうとは思わない」
「幻と誤謬に過ぎない」「それでもまだ、この問いには何か意味があると
言えるだろうか?」
(1-68,28)
「ニーチェ」「真理を語っているのだろうか?」
「誤謬と怠慢との犠牲」「一つの新しい必然性の証人であるのだろうか?」
(1-68,28)
「存在がこんなに込み入っている」
「存在にその責めがあるのだろうか?」
「我々にその責めがあるのだろうか?」
「初めから西洋の歴史を貫いているもの」
「昔も今も將來も成起している一つの出来事、それに責めがあるのだろうか?」
「存在は既に久しく脱落してしまっていて、しかもそれに気がついていない」
「このことがにんげんや諸民族の退落の最も内的な強力な根拠だということ」
「『存在と時間』38節」
(1-69,28)
116考える名無しさん:02/04/19 05:18
>>115
「したがって、現存在が頽落しているということも、もっと純粋で高尚な
「根源状態」からの「頽落」という意味に受け取ってはならない。われわ
れはそのようなことについては、存在的にいかなる経験もないだけでなく、
存在論的にも、それを解釈する可能性や手引きを持っていないのである。
 現存在は頽落するものとして、事実的な世界=内=存在としてのおのれ
自身からいつもすでに脱落している。しかし、それがどこへ頽落してきた
のかというと、それは現存在の存在の進行中にたまたまどこかで行き当たっ
たりすることのある存在者へ頽落したというのではなく、それ自身現存在
の存在に備わっている世界へ頽落したのである。頽落とは、現存在自身の
実存論的規定であって、客体的なものとしての現存在について−−それが
「生を享けた」もとの存在者や、それがあとからcommercium(交際)の関
係を取結ぶ存在者などに対する客体的関係について−−なんら言明するも
のではない。
 もしもこの頽落に、ある劣等な嘆かわしい存在的属性という意味をもた
せて、それも人類文化の進歩した段階では匡正することができようなどと
考えるとしたら、頽落の存在論的=実存論敵構造は、やはり誤解されたこ
とになるであろう。
 (『存在と時間』38節、上373頁)
 
「「存在」とは単なる語なのか?」「その意味は幻であるのか」
「それは西洋の精神的宿命であるのか?」das geistige Schicksal des Abendlandes
(1-70,28)
「ロシアもアメリカも形而上學的に見ればともに同じ」
「狂奔する技術と平凡人の底のない組織との絶望的狂乱」
dieselbe trostlose Raserei der entfesselten Taechnik und der bodenlosen
Organisation des Normalmenschen.
「地球のすみからすみまで技術的に征服されて、経済的に搾取可能になり」
「時間とは、かろうじて速さ、瞬間性、同時性であるに過ぎず」
「歴史としての時間はあらゆる民衆のあらゆる現存在から消え去ってしまい」
wenn die Zeit nur noch Schnelligkeit, Augenblicklichkeit und Gleichzeitigkeit
ist und die Zeit als Geschichte aus allem Dasein aller Voelker geschwunden ist,
「このとき、まさにこのときにあたって、なおかつ、この喧噪をよそに、
何のために? どこへ? −−そしてこの後何が? −−という問いが
幽霊のように襲い掛かってくる」
dann, ja dann greift immer noch wie ein Gespenst ueber all diesen
Spuk hinweg die Frage: wozu? - wohin? - und was dann?
(1-70,29)
「大地の精神的頽落」「諸民族」「頽落だと認めることができるだけの
精神力の最後のかけらをさえも失いかけている」
「世界の暗黒化」die Verduesterung der Welt
「神々の逃亡」die Flucht der Goetter
「大地の破壊」die Zerstoerung der Erde
「人間の集団化」die Vermassung ded Menschen
「創造的で自由なもののすべてに対する嫌疑」
der hassende Verdacht gegen alles Schoepferische und Freie
「悲観主義」「楽観主義」「たわいもないカテゴリー」「笑止」
(1-71,29)
「ドイツ民族」「最も危険に曝された民族」「形而上學的民族」das metaphysische Volk
「この天命」Bestimmung「運命を成就」「自己の中に反響を」「天命の可能性を
作り出し」「自己の伝統を創造的に把握するときだけ」
「歴史的な民族としてのわが民族が、自己自身及び、ひいては西洋の歴史を、
それの将来的成起の中心から存在の諸力の根源的領域の内へと取り出して
置くこと」「ヨーロッパに関する重大な決定が破壊の方向をもって行われては
ならない」「ただ新しい歴史的精神力を中心から取り出して展開することに
よって」die Entfaltung neuer geschichtlich geistiger Kraefte aus der MItte
(1-71,29)
121考える名無しさん:02/04/19 06:13
>>118 >>ein Gespent<<
>>120 >>geschichitlich geistiger<<

「1933-1935年、ことに『総長就任演説』と『形而上學入門』で
それから別の形で『ニーチェ』で」
ジャック・デリダ『精神について』人文書院、12頁。
「われわれの歴史的-精神的現存在の元初を反-復し」
den Anfang unseresgeschichitlich-geistigen Daseins wieder-holen
「別の元初へと変身させること」
in den anderen Anfang zu verwandeln
「可能」「歴史の決定的形式」
「元初がもっと根源的に再び始められ」「奇異なもの、暗いもの、
不確かなものを伴って再び始められること」
Beremdlichen, Dunklen, Ungesicherten
(1-72,30)
「「存在はどうなっているのか?」という問い」Die Frage: Wie steht es um das Sien?
「先行する-問い」Vor-frage
「「存在」、それは幻のように曖昧で、ふわふわしているのか?」「そうである」
「この事実を回避しようとは思わない」
「この事実がどの程度まで真に事実であるのかを明らかにし、
その事実性の及ぶ全範囲を見渡そうと試みなければならない」
(1-73,30)
「一つの地帯」eine Landschaften
「歴史的現存在にとっては一つの土着性を取り戻すための根本前堤」
die Grundvoraussetzung ist, um dem geshcichitlichen Dasein eine
Bodenstaendigkeit zurueckzugewinnen
「問題は」「われわれが、この語(存在)が語っているものから脱落して
しまってとり、いまのところそれを再び見つけだしてはいないという点」
「いまだかつて真理がある民族の手中に労せずしてころがりこんだためしが
ないということを知っているゆえに、われわれは問う」
Und wir fragen, weil wir wissen, dass einem Volk die Wahrheiten
noch nie in den Schoss gefallen sind.
「この問いが回避しえないものであること」Unumgaenglichkeit
(1-74,30)
1251形而上學の根本問題:02/04/19 08:27
「昔から知られている次のような考え」
「「存在」とは最も普遍的な概念である」der allgemeinste Begriff
「存在の概念が究極」ein Letztes
「概念の外延が広ければ広いほどますますその内包は不定で空虚である
という論理学の一法則」
Und es entspricht auch Gesetz der Logik, das sagt: je umfassender ein
Begriff seinem Umfang nach ist, - und was waere umfassender als der
Begriff >>Sein<<? - desto unbestimmter und leere ist sein Inhalt.
(1-74,31)
126考える名無しさん:02/04/19 08:45
>>125
「「存在」は「もっとも普遍的な」概念である、といわれる。」
「しかしながら、「存在」の「普遍性」は、類の普遍性ではない。「存在」
は、類と種との関係に従って概念的に分節されている存在者全体の、最上位
の領域を画定する概念ではない。「また存在は類ではない」。存在の「普遍
性」は、あらゆる類的普遍性を「ふみこえる」ものである。「存在」は、中
世の存在論の呼び方によれば、「超越者」(《transcendesns》)のひとつ
である。事象的実質を備えている最上位の類概念は多様であるのに対して、
この超越的「普遍者」は一様である。この統一性を、アリストテレスがすで
に類比の統一として認識していた。彼はこのことの発見によって、プラトン
の存在論的問題設定への大きな依存にも拘らず、存在の問題を原理的に新し
い地盤へうつしたのである。それにしても、アリストテレスも、これらのカ
テゴリー的連関の暗がりを明るくしたわけではなかった。中世の存在論は、
この問題を、とりわけトマス派とストゥス派の系統の中で、いくえにも討論
していたが、原理的な解明を得るには至らなかった。そして最後にヘーゲル
が「存在」を「無規定的な直接者」として規定し、そしてこの規定を、彼の
『論理学』においてそれに続くあらゆるカテゴリー的展開の基礎に据えたと
きも、彼の視線は古代の存在論と同一の方向に留まっていたのである。両者
の相違は、すでにアリストテレスが立てていた問題、すなわち事象的実質を
そなえている多様な「カテゴリー」に対して存在が備える統一性の問題を、
ヘーゲルが手放してしまったということに過ぎない。してみれば、人びとが
「存在」はもっとも普遍的な概念であるというとき、それはこの概念がもっ
とも明白でそれ以上のいかなる究明をも要しない概念であるという意味では
ありえないわけである。「存在」の概念は、むしろ、もっとも暗い概念なの
である。」
 (『存在と時間』第1節、上29頁)
「存在はすべての特殊概念の中に必ず現れてくる最も普遍的な概念として
のみ妥当しうるのか」「それとも存在は全く異質的なもので」
「従来の意味で受け取る」「「存在論」の対象などではないのではなかろうか」
(1-75,31)
「「存在論」という標題」「17世紀」「初めて作られた」
「学校向きに分解し整とんしたもの」
「最も広い意味」「いろいろな存在論的方向や傾向に関係なく」「受け取る
こともできる」(『存在と時間』第3節)
「「存在論」とは存在を語り出そうとする努力」
「存在(単に存在者そのものだけでなく)がどうなっているのかという問い
を通路として存在を語り出そうとする努力」
das Sein zum Wort zu gringen und zwar in Durchgang durch die Frage,
wie es mit dem Sein (nicht nur mit dem Seienden als solchem) steht
「「存在論」とか「存在論的」とかいう標題を使うのを断念する方がよいかも」
「問い方において全然違っている」
(1-76,31)
「問題は、存在を根源的に開示して、その存在の力の中へ人間の歴史的現存在を
返し届けること、したがってまた同時に、我々ドイツ人自身の将来的現存在を、
われわれに授けられている歴史の全体の中で存在の力の中へと返し届けること」
「このことはすべて、哲学の能力が何ごとかをなしうる限界内でのみなされる」
Es gilt, das geschichtliche Dasein des Menschen und d.h. immer zugleich
unser eigenstes kuenftiges, im Ganzen der uns bestimmten Geschichite in
die Macht des ursruenglich zu eroeffnenden Seins zurueckzufuegen: all
das freilich nur in den Grenzen, innerhalb derer das Vermoegen der
Philosophie etwas vermag.
(1-76,32)
「根本の問いを問うことができるようになるため」
「先-行する問いを問うことによって決定的な根本的な立場へ赴き」
「本質的な態度を獲得し、それを確保することが肝要」
「ヨーロッパの運命の中で大地の運命が決定される」
「われわれドイツ人の歴史的現存在は明らかに中心をなしている」
(1-77,32)
「存在」「単なる語」「意味は一つの幻なのか」
「西洋の精神的運命を秘めているのか?」das geistige Schicksal das Abendlandes
(1-77,32)
「問うことの根本的な立場と態度とが大地の精神の歴史によって直接規定
されるような形で関係するとは到底考えられないだろう」
「しかし、この連関はやはりある」
「どの程度までそうなのか」
「主張という形であらかじめ示しておく必要」
(1-78,32)
「先行する-問い」「形而上學の根本の問いを問うこと」
「徹頭徹尾歴史的な問うこと」
「哲学と歴史学という根本的に種類の違う二つの学問を混同している」
(1-79,33)
「1.形而上學と哲学は決して学問ではなく」
Metaphysik und Philosophie sind ueberhaupt keine Wissenschaft
(1-79,33)
「2.歴史学は」「それが学問である以上、決して歴史への根源的関係を
規定するものでなく、むしろそういう関係を常に前堤している」
「歴史学は歴史への関係」「この関係そのものも常に一つの歴史的なもの」
「歴史への関連のすべてが学的に対象化せられ学的に確立されうるわけではなく」
「歴史への本質的連関こそ、まさにそうはなりえないもの」
「歴史学は歴史への歴史的連関を樹立することができない」
「既に樹立せられている連関を」「学究的に基礎付けることができるだけ」
「哲学においてのみ」「存在者への本質的諸連関が常に形成せられる」
「この連関は根源的に歴史的なものであり得る」「そうでなければならない」
(1-80,33)
「歴史」「過去のものを同義でない」Vergangene
「出来事としての歴史」Geschichte als Geschehen
「將來から規定を受け、かつて本質的にあったものを引き受けつつ、
現在をとおして絶えずはたらきかけたりはたらきかけられたりすること」
aus der Zukunft bestimmte, das Gewesene uebernehmende Hindurchhandeln
und Hindurchleiden durch die Gegenwart.
「現在とはまさにこの出来事の中で消滅するものに他ならない」
Diese ist es gerade, die im Geschehen verschwindet.
(1-80,34)
「形而上學の根本の問いを問うこと」「歴史的」
「全体としての存在者そのものへの諸連関の中に保ちながら、いまだ問われて
いない諸可能性、すなわち將-來に向ってその出来事を開示し、そのことによっ
て同時にその出来事を、それのかつてあった元初へと引き戻して結び付け、そ
のようにしてそれをそれの現在の中で鋭く重たくするから」
「この問いを問うことにおいて」「歴史と歴史における決意とに向って呼び促される」
(1-81,34)
「本質的な出来事」
「神々の逃亡」die Flucht der Goetter
「大地の破壊」die Zerstoerung der Erde
「人間の集団化」die Vermassung des Menschen
「凡庸の優先」der Vorrang des Mittelmaessigen
>>119
「世界の暗黒化」Weltverduesterung
「世界とはいつも精神的世界である」Welt ist immer gestige Welt.
「動物は世界を持たず、また環境世界をも持たない」
Das Tier hat keine Welt, auch keine Umwelt.
「世界の暗黒化とは」「精神の無力化」eine Entmachtung des Geistes
「精神の解消、消耗、駆逐、誤解」
seine Aufloesung, Auszehrung, Verdraengung und Missdeutung
「19世紀の前半」「自己自身の精神状況」「ヨーロッパ」
「精神喪失性、精神的書力の解消、根拠を根源的に問うことをすべて拒否すること」
Geistlosigkeit, die Aufloesung der geistigen Maechte, die Abwehr alles
urspruenglichen Fragen nach Gruenden
「そのつど本質的なものが人間へと到来し復帰するその源を成しているあの深み、
そのようにして人間を無理にも優越の地位に押し上げ、その人間を別格のものと
して行為指せるあの深み、そういう深みのなくなった世界へと現存在はすべりこ
み始めた」「すべてのものは」「一つの平面へと陥ってしまった」
「いまや、アメリカとロシア」「どうでもいいものの平均が支配している」
「すべての等級」「すべでの精神的なもの」「攻撃的に破壊」
「デーモン信仰の到来」das Heraufkommen dieser Daemonie
「ヨーロッパの窮状と不安定」
「精神の誤解という意味での精神の無力化」Entmachtung des Geistes
「これは今日なお我々がそのまっただ中にいる一つの出来事」
「精神の誤解」「四つの観点から略述」
(1-83,35)
140考える名無しさん:02/04/19 12:29
>>139
デリダ『精神について』95頁に引用されている箇所。
>>118
ロシアとアメリカ
「1.決定的なこと」「精神が知性の意に解釈し変えられたこと」Intelligenz
「眼の前に与えられているものを考慮し計算し考察し」「改良し」
「それに代わる新しいものを産出したり」「聡明であること」Verstaendigkeit
「素質と練習と普及化との事柄にすぎない」
「文筆家」「美術家」「知性に成り下がった精神のその後の帰結」
「機智に跳んでいる-だけのもの」Nur-Geistreichte
「精神に富んでいるように装おうもの」「精神がないことを隠している」
(1-84,35)
「2.」「知性に成り下がった精神」「道具の役割」die Rolle eines Werkzeugs
「精神は知性として何か別のものの上に載せられている無力な上部構造」
der Geist wird als Intelligenz der machtlose Ueberbau zu etwas Anderem
「この別なもの」「精神-喪失的」geist-los 「精神-背反的」geist-widrig
「精神こそ支えるもの、支配するもの、最初にして最後のもの」
Er ist das Tragende und Herrschende, das Erste und Letzte
(1-85,36)
「3.」「精神的な出来事のいろいろな力」「詩と造型芸術、国家建設と
宗教など」「意識的に育成したり立案したりできるようなものの部類に
陥ってしまう」
「精神的世界は文化となり」「自由な活動舞台となり」
「自分達なりの尺度を勝手に作る」「この尺度が価値と名付けられる」
「詩の為の詩」「芸術の為の芸術」「学問の為の学問」
(1-86,36)
「技術的実践的職業知としての学問」Technisch-praktisches Berufswissen
「文化価値そのものとしての学問」Wissenschaft als Kulturwert
「同じ精神の誤解と無力化という頽落の軌道で動いている」
bewege sich beide in der gleichen Verfallsbahn einer Missdeutung und
Entmachtung des Geistes
「1929年」「この大学への就任講演」『形而上學とは何か?』
「今日、学問とは」「知識の獲得とそれの伝達という一つの技術的、
実践的事柄である」「精神を目覚めさせるなどということ」「ありえない」
「学問自身」「めざめさせてもらうことを必要としている」
(1-87,37)
「4.」「贅沢品」「装飾品」「自分が文化を否定していないこと、
野蛮を欲していないことの証拠として差し出す」
(1-88,37)
「精神の本質」「存在の本質への根源的に気分付けられた知的決意性」
Geist ist urspruenglich gestimmte, wisseende Entschlossenheit
zum Wesen des Seins  『総長就任講演』
「存在の問いを問うこと」「精神を目覚めさせるための本質的な根本条件の一つ」
「歴史的現存在の根源的な世界の為の、したがってまた世界の暗黒化の危機を
制御するための」「西洋の中心である我がドイツ民族の歴史的使命を引き受ける
ための本質的な根本条件の一つ」
(1-89,38)
147考える名無しさん:02/04/19 13:39
>>146
『総長就任講演』「ドイツ的大学の自己主張」146の続き。
「民族の精神世界とは一文化の上部層でもなければ、まして有用なる知識
や価値を生み出す工廠でもない。それは、民族の血と大地に根ざすエネル
ギーをば最深部において保守する威力、すなわち民族の現存をば、最奥か
つ広汎に昂揚せしめ、ゆりうごかす威力なのだ。ただに、このような精神
世界のみが、民族の偉大さを保証する。何故なら、この世界の衝迫によっ
てこそ、偉大さへの意志と没落の受容とのはざまでのたえざる決断が、わ
が民族がその將來の歴史において歩を踏み出そうとしている進軍にとって
の歩行法則となるのである。
 (『30年代の危機と哲学』平凡社ライブラリー、111頁)
「存在」「ふわふわした幻にすぎぬという事実」
「我々自身がこの事実の中に立っている」「われわれの現存在の一つの状態」
「我々自身が存在との連関においてどう身構えているかの、その構え方」
「問題は本質的観点におけるわれわれの歴史」
「われわれ」「それを受け入れるにたる場所を持っていない」
(1-90,39)
「一般に言葉が間違って使用され利用されている」
「誰でも勝手に使える相互理解の手段であるという事実」
「偽りの関係」「全域に渉って考え尽くすことのできる人」「わずか」
(1-90,39)
「「存在」という語の虚しさ」「一般的な言葉の誤用の」「一例に
すぎぬものではない」
「存在そのものへの関連が破壊されているということこそ、言葉への
我々の間違った関係の全体の本来の根拠」
der zerstoerte Bezug zum Sein als solchem ist der eigentliche Grund
fuer gesamtes Missverhaeltnis zur Sprache
(1-90,39)
「言葉の運命は一民族の存在へのそのつどの連関にもとづいている」
Schicksal der Sprache in dem jewiligen Bezug eines Volkes zum Sein
gegruendet ist
「存在についての問いは言葉についての問いと最も内的に絡みあっている」
「われわれがどうしても言葉に関する考慮から出発せざるをえないと
考えるのは、決して外的事情による偶然時ではない」
(1-91,39)

(「1 形而上學の根本の問い」了)
152考える名無しさん:02/04/19 14:46
「1 - 形而上學の根本の問い」>>8-151

>>83 誤:『年と非との後』 → 正:『年と日との後』

ドイツ民族、ドイツ語、ドイツの歴史、ドイツの大学…
アジアの日本の私が『形而上學入門』を読むことの意味は何なのだろう?
読むことは可能なのだろうか?既に過ぎ去ったドイツの歴史に解消して
読もうとする傾向。「ハイデガーの哲学」といったものの理解を深めよう
というような知識の獲得の為の読書。そうだろうか?私は何故今これを
読んでいるのか?答えることもしない。決意性の欠如?精神、歴史、運命…
私を不安にさせるもの。何も知らないのだ。なんて鬱な気分。
「言葉に関する考慮」。日本語の翻訳で2以降を読むことにどれほどの
意味があるのか?日本人が「存在」を考えるとはどういうことなのか?
「有」といったところで漢文的教養も失ってしまった私たちにどれほどの
意味があるのか?たまたまハイデガーはドイツ人であったなどということは
意味がない。……やはり存在という語は空虚な語であって、その空処に
民族というようなパッショネイトな語が入り込んでしまうのか?
(「<テオリア>とは…パッションのうちにこそ生起する…」「ドイツ的
大学の自己主張」)

2 Zur Grammatik und Etymologie des Wortes >>Sein<<

2 「ある」という語の文法と語源学とによせて
「存在」「存在への関連のなごりであるこの語」「次のように問う」
(1-92,40)
「1.「存在」という語」「語形からいって」「どんな語」
1. Was ist das ueberhaupt fuer ein Wort: >>das Sein<< - seiner Wort-form nach?
(1-92,40)
「2.「語の根源的な意味に関して、言葉についての知はわれわれに何をいう」
2. Was Sagt uns das Wissen von der Sprache ueber die urpruengliche
Beteutung dieses Wortes?
(1-92,40)
「学問的」「1.「存在という語の文法」「2.それの語源学」
Um es gegehrt auszudruecken: wir fragen 1. nach der Grammatik und
2. nach der Etymologie des Wortes >>Sein<<.
(1-92,40)
「単語の文法」「形式的要素」「技術的手段にすぎない」「死んだもの」
「精神を失った味気ない学校の文法」
(1-93,41)
「学校の為」「学問的雰囲気でなく精神的雰囲気」
der Schule eine geistige, nicht wissenshcaftliche Atmosphaere zu verschaffen
「言葉への関係を」「革命的に改めること」
die wirkliche Rovolution des Verhaeltniss zur Sprache
「大学が心を入れ替え」「使命を」「わきまえねば」
「文法諸形式」「ギリシア語及びラテン語の全く特定な解釈から生まれた」
「言葉もまたある存在者で、他の存在者と同じように一定の仕方で」
「扱いうる」「限定されうるという考えに基づいて生起した」
auch die Sprache etwas Seiendes ist, das wie anderes Seinendes in
bestimmter Weise zugaenglich gemacht und um grenzt werden kann.
(1-94,41)
「本質と存在とは言葉の中で語る」
Wesen und Sein aber sprechen in der Sprache.
「文法的諸形式」「我々が求めているものの為には不十分」
(1-95,41)
「存在の本質が言葉の本質と本質的に絡み合っているという観点から
存在の本質を本質的に解明すること」
Es handelt sich viemehr um eine wesentliche Aufhellung des Wesens
des Seins hinsichtlich seiner wesensmaessigen Verschlungenheit mit
dem Wesen der Sprache.
(1-95,41)
1 Die Grammatik des Wortes >>Sein<<

1 「ある」という語の文法
「存在」「その語形」

>>Der Botschafter gab ein Essen<<
>>er starb an eimen unheibaren Leiden<<

Aus deisem (Verbum) ist ein Substantivum, ein Name geworden und
zwar auf dem Wege ueber eine bestimmte Form des Verbum (des Zeit-wortes),
die mann lateinisch modus infinitivus nennt.
「動詞から一つの名詞ができている」「それはラテン語で不定法と呼ばれている
動詞の一形式を介してである」
(1-96,42)


164 :02/04/20 06:42
>>163
eine bestimmte Form des Verbum
この箇所。bestimmeという語にひっかかってしまう。
ここでは、「(動詞にいろいろな形があるけれどその中の)
「ある特定の」形」という意味なのだろうけれど、
infinte / finete  〜 bestimmt / nicht bestimmt
という関係をここに当てはめるとおかしなことになるのだ。

ある文法書より、
Neben ihnen gibt es drei Verbformen, die nicht der Person bestimmt sind.
Man bezeichnet sie zusammenfasend als infinite Verbformen:
Infinitiv (suchen),Partizip 1 (suchend), Partizip 2 (gesucht).

unbestimmte Verbform = infinite Verbform

こんなところでつまづくことこそ「学校の文法」に拘泥して本質を
見失うってことかも知れないけれど、ハイデガーの「言語学」には
悪い先入観をもっているから……

ハイデガーは動詞をZeit-wort(時間語)と表現することなどにドイツ語の優位性を
見ていたりするのでしょうか?存在という語、存在と時間……
165 訂正:02/04/20 06:46
>>164 1行目から6行目間違いだらけ。

eine bestimmte Form des Verbum
この箇所。bestimmteという語にひっかかってしまう。
ここでは、「(動詞にいろいろな形があるけれどその中の)
「ある特定の」形」という意味なのだろうけれど、
infinite / finite  〜 nicht bestimmte / bestimmte
という関係をここに当てはめるとおかしなことになるのだ。

infinite = nicht bestimmte です。
「「存在」という名詞は「ある」という不定法に還元される」
Wort >>das Sein<<. Dieses Substantivum geht auf den Infinitiv >>sein<< zurueck
「「存在」は名詞としては動詞に由来している」
>>Das Sein<< ist als ein Substantivum aus dem Verbum hervorgegangen.
「「存在」という語は「動名詞」だと言われている」
Man sagt daher: das Wort >>das Sein<< ist ein >>Verbalsubstantiv<<.
「言語上、文法上の区別」「「自明」などではない」
「問題となっている文法諸形式(動詞、名詞、動詞の名詞化、不定法、分詞)
を考察してみなければならない」
Darum muessen wir die hier in Frage kommenden grammatischen Formen ins
Auge fassen (Vervum, Substantivum, Substantivierung des Vervum, Infinitiv,
Participium).
(1-97,42)
「決定的な原形は「ある」という不定法」der Infinitiv >>sein<<
「動詞形が」「名詞形に移されている」
「動詞、不定法、名詞、この三つが」「「存在」という語の語としての性格を
規定している文法形式」
「まず三つの文法的形式の意味を理解すること」「肝要」
「言葉の本質についての問い」「語の原形が名詞か動詞かという問い」
「言うことと語ることとの根源的性格は」「何かという問いと同じ」
der Frage, welches ueberhaupt der urspruengliche Charakter
des Sagens und Sprechens sei
「直接この問いに立ち入るわけにはいかない」
「不定法」「だけに問題をかぎる」
(1-98,43)
Was heisst Infinitiv? Der Titel ist die Abkuerzung des vollstaendigen:
modus infinitivus, die Weise der Unbegrenztheit, Unbestimmtheit,
naemlich in der Art, wie ein Vervum ueberhaupt seine Bedeutungsleistung
und -richtung ausuebt und anzeigt.
「不定法」「無限定性、無規定性の様式」
(1-98,43)
Dieser lateinische Titel stammt gleich allen anderen aus der Arbeit
der Griechischen Grammatiker. Auch hier stossen wir wieder auf den
gelegentlich der Eroerterung des Wortes φυσιs erwaehnten
Vorgang der Uebersetzung.
「翻訳の過程」 >>45 >>45-55
(1-99,43)
Dass die Ausbildung der abendlaendischen Grammatik aus der griechischen
Besinnug auf die griechische Sprache entsprang, gibt diesem Vorgang
seine ganze Bedeutung. Denn diese Sprache ist (auf die Moeglichkeiten
des Denkens gesehen) neben der deutschen die maechtigste und
geistigste zugleich.
「西洋の文法の形成」「ギリシア語」「思惟の可能性」「ドイツ語と並んで」
「もっとも強力」「もっとも精神的な言葉」
(1-99,43)
Vor allem bleibt die Tatsache zu bedenken, dass die massgebende
Unterscheidung der Grundformen der Worte (Hauptwort und Zeitwort,
Nomen und Verbum) in der griechischne Gestalt von ονομα und
ρημα im unmittelbarsten und innigsten Zusammnenhang mit der
fuer das gesamte Abendland dann gleichfalls massgebend gewordenen
Auffsssng und auslegung des Seins herausgearbeitet und erstmals
begruendet wird.
「オノマとレーマ」「二つの基礎語形(名詞と動詞)の標準的な区別」
「西欧全体に」「標準的」
「存在の把握と解釈」「最も直接的」「最も親密」「連関」
in Platons Dialog >>Sophistes<<
(1-100,44)
「ονομαもρημαも最初」「同じ広がりで通用」「この事実」
「語の原形は名詞か動詞かという」「問いは」「正しい問いではないこと」
(1-100,44)
Dialog(261 e sqq)
「広い意味でのονομα」
「δηλωμα τη φωνη περι ουσιαν」
「音声にのせるという方法によって存在者の存在との関連において」
「その領域内で解明すること」
Offenbarug in bezug und in Umkreis des Seins des Seienden auf dem
Wege der Verlautbarung
(1-100,44)
174考える名無しさん:02/04/20 12:59
>>173 Dialog(261 e sqq)

エレアからの客人「……音声(言葉)φωνηによる物事の在り方の表示には、
  二種類のものがあるはずだからね。」
テアイテトス「と言いますと?」
エ 「一つは名詞(名指し言葉)ονοματα、
   一つは動詞(述べ言葉)ρηματα と呼ばれるものだ」
テ 「それぞれについて説明して下さいませんか」
エ 「一方は、さまざまの行為πραξεσινに対応してそれを表示する
  ものであり、これをわれわれは動詞ρημαと呼んでいるはずだ」
テ 「ええ」
エ 「これに対して、行為しているその当の者たちに対応してつけられた
  音声による表示記号σημειον τηs φωνηsは
  名詞ονομαと呼ばれる」
   
「存在者の領域」
「πραγμα」<「πραξιs」(⊃「ποιεησιs」)

「語には2種類(διττεον γενοs)」
「δηλωμα πραγματοs(ονομα)」
   「事柄の開示」Eroeffnung von Sachen
「δηλωμα πραξεωs  (ρημα )」
 「行為の開示」Eroeffnung von Tuns

「πληγμα」「συμπλοκη」「両者の編み合わせ」
→「λογοs ελαχιστοs τε και πρωτοs」
「最も短い(しかし同時に)最初の(本来の)言」
  das kuerzeste und (doch zugleich) erste (eigentliche) Sagen

「アリストテレス」「初めて言表命題という意味でのλογοsの
もっと明瞭な形而上學的説明」
Aber erst Aristoletes gibt die deutlichter metapysisiche Auslegung des
λογοs im Sinne des Aussage-satzes.

「アリステレス」「区別」(『命題論』c.2-4)
「ονομα 」 als 「σημειον ανευ χρονου」
「ρημα」 als 「προσημαινον χρονον」

「λογοsに本質についてのこの考え方」
「その後の論理学と文法の形成にとって模範的、標準的」
(1-101,45)
176 :02/04/20 15:41
>>175  『命題論』c.2-4

第2章
「ところでονομαは約束によって意味を持つ音声で、
時を含まない……」

第3章
「ρημαは時を合せ示すものであって、……」
「ところでρημαはそれ自らそれ自身だけで語られると、
ονομαであって、何か或るものを意味する……
しかし「ある」か「あらぬ」かをいまだ意味しない。
というのは「あること」、あるいは「あらぬこと」さえ、
事柄が[あることの]しるしではないからである。というのは、
これはそれ自身としては何ものでもないからである。しかし
何か或る結合を合わせ意味しはする。けれども、この或る
結合は結合されるものどもを抜きにしては思惟することを
得ない」

第四章
「「人間」は何か或ものを意味する。しかし「ある」とか
「あらぬ」とかいうことを意味するのではない」
「命題的なのはすべての文ではなくて、そこに真、あるいは
偽を語ることが存する文だけである。」
「ローマの文法家」「modus」「法という色褪せた語」
「ギリシア人」「ερκλισιs」「側面への傾斜」Neigung nach der Seite

「casus」「ラテン語訳」「名詞の変化」
「πτωιs」「動詞も」「基礎語形の変化(偏向、活用)のすべてを意味」

πτωιs(causus)
ερκλισιs(declinatio) 
(1-102,45)
「ギリシア人が一般に存在者をその存在においてどう理解していたか」「重要」
(1-103,45)
「ギリシア人の存在把握」die Seinsauffassung der Griechen
「今日なお支配的な西洋的把握」「哲学の学説のなかだけで」「なく」
「平凡な日常茶飯事の中でそう」
(1-103,45)
Dieser Weg ist mit Absicht gewaehtl. Er soll an einem Beispiel der
Grammatik zeigen, dass und wie fuer das Abendland massgebende Erfahrung,
Auffassung und Auslegung der Sprache aus einem ganz bestimmten
Verstehen des Seins erwachsen ist.
(1-103,45)
181訂正 :02/04/20 18:18
>>177
誤:πτωιs →正:πτωσιs
182訂正 :02/04/20 18:22
>>177
誤:ερκλισιs → 正:εγκλισιs

πτωσιs   (causus)
εγκλισιs (declinatio) 

「πτωσιsとεγκλισιs」
「倒れること、傾斜すること、傾くことを意味する」
Fallen, Kippen und Sich-neigen
「正しく真直ぐ立っているものから離れーずれるということ」
Ab-weichen vom Aufrecht- und Geradestehen 

「ギリシア人」の「考える」「存在」
「自分自身で高く上を向いてそこに立つこと、存立に至り、存立の中にとどまること」
Dieses aber, das in sich hoch gerictete Da-stehen, zum Stand kommen
und im Stand kommt, in sich staendig wird,
「自ら進んで自由に自己を自己の限界の必然性の中へ投げ入れる」
schlaegt sich dabei von sich her frei in die Notwendigkeit seiner
Grenze, περαs
「限界によって自己を制御する保持」「存続的なものが自己を保っている
その自己保持」「これが存在者の存在」「非-存在者と区別した意味での存在者」
Der von der Grenze her sich baendigende Halt, das Sich-Haben, worin
das Staendige sich haelt, ist das Sein des Seienden, macht vielmehr
erst das Seiende zu eimen solchen im Unterschied zum Unseienden.
「存在に至る」「自分に限界を得させること」「限界-獲得」
Zum Stand kommmen heisst darnach: sich Grenze erringen, er-grenzen.
「存在者の一つの根本性格」「το τελοs」「終り」「完結」
「アリステレス」「εντελεχεια」「存在者に適用した最高の述語」
「自己を-終了(限界)の-中で-保つ(護る)こと」
das Sich-in-der-Endung(Grenze)-halten(wahren)
「限界を満たしながら自己を自己の限界の中へ置いて」「立っているもの」
「それは形態をもつ」
Das in seine Grenze, sie ergrenzend, sich Stellende und so Stehende
hat Gestalt, μορφη.
「本質を」「発現して-自己を-限界の-中へと-設-置することから」
Die griechisch verstandene Gestalt hat ihr Wesen aus dem aufgehenden
Sich-in-die-Grenze-her-stellen.
(1-104,46)



Das In-Sich-da-Stehende 〜
Sich-dar-Stellenden, das sich in dem, wie es ausseht,dar-bietet
(von der Betrachtung her gesehen)

ειδοs oder ιδεα

ruht Im Erscheinen,d.h. Hervorkommen ihres Wesens

Alle jetzt aufgezaehlten Bestimmungen des Seins ⊂ ουσια、παουσια

「平凡無思慮の連中」 παουσια → Substanz 「実体」
「すべての意味を逸し」た

「παουσια」「うまくあてはまるドイツ語」An-wesen 「現-存」
「ひとまとまりになっている地所、屋敷」
ein in sich geschlossenes Bauern- und Hofgut

「ギリシア人にとって」「存在」「根本的には」「現存性」Anwesenheit
「現-存する」「自己の中で立ち-自己をそのように呈示」
Etwas west an. Es steht in sich und etellt sich so dar.
(1-105,46)
 
Aber die griechische Philosophie ist in diesen Grund des Seins,
in das, was er birgt, nichit mehr zurueckgegangen. Sie blieb im
Vordergrund des Anwesenden selbst und suchte es in de aufgefuehrten
Bestimmnungen zu betrachten.
(1-106,47)
「φυσιs」 
×「Natur」
「発現して自己を立て起こすこと」「自己の中に滞在して自己を展開すること」
φυσιs meint das aufgehende Sich-aufrichten,
das in sich verweilende sichentfalten.
「この支配の中」「根源的な統一から別れでた静止と運動とが秘められ」「開示」
In diesem Walten sind aus urspruenglicher Einheit Ruhe und Bewegung
verschlossen und eroeffnet.
「この支配」「思考の中でまだ統御されないままの制圧的な現-存」
「この現存の中で」「現存するものが存在者として現成する」
Dieses Walten ist das im Denken noch unbewaeltigt uberwaeltigende
An-wesen, worin das Anwesende als Seiendes west.
「この支配」「隠蔽性から歩みでる」「自己を世界として戦いとるとき」
「αληθεια」「非隠蔽性が生起する」
Dieses Walten aber tritt erst aus der Verborgenheit heraus,d.h.
griechsch:αληθεια(Unverborhenheit) geschiecht,
indem das Walten sich als eine Welt erkaempft.
「世界を通して初めて存在者は存在的になる」
Durch Welt wird das Seiende erst seiend.
(1-106,47)



Heraklit sagt (Fragm.53):
πολεμοs παντων μεν πατηρ εστι、
παντων δε βασιλευs、
και τουs μεν θεοs εδειξε 
τουs δε ανθροπουs、
τουs μεν δουλουs εποιησε
τουs δε ελευθερουs.
(1-106,47)
Auseinandersetzung ist allem (Anwesenden) zwar Erzeuger (der aufgehen
laesst), allem aber (auch) waltender Bewahrer. Sie laesst naemlich
die eiene als Goetter erscheinen, die anderen als Menschen, die einen
stellt sie her(aus) als Knechte, die anderen aber Freie. >>187
(1-106,47)
「πολεμοs」
「すべて(神的、人間的なのも)に先立って支配している争い」
×「人間的」「闘い」
Der hier genannte πολεμοs ist ein vor allem Goettlichen und
Meischlichen waltender Streit, kein Krieg nach menschlicher Weise.
「闘争」
「現成するものを」「対抗において相互に分離」
「現成の中での位置と存立と等級とを初めてあてがう」
Der von Heraklit gedachte Kampf laesst im Gegeneinander das Wesende
allererst auseinandertreten, laesst Stellung und Stand und Rang im
Anwesen erst beziehen.
「相互分離の中で」「裂け目と隔たりと遠さと接続とが開示される」
In solchem Asuseinandertreten eroeffnen sich Kluefte, Abstaende,
Weiten und Fugen.
「相互抗争において世界が生ずる」
「相互抗争」「統一を形成」「集約」
In der Aus-einandersetzung wird Welt. (Die auseinandersetzung trennt
weder, noch zerstoerst sie gar die Einheit. Sie bildet, diese, ist
Sammlung (λογοs).

πολεμοs=λογοs
(1-107,47)
190蛇足 :02/04/21 06:20
>>183-189
ヘラクレイトス〜ニーチェ〜ハイデガー さらにはドゥルーズ?

「能動的な力とは次のようなものである。
1.支配し、屈服させる可塑的な力。
2.自分のなし得ることの果てまで進んでいく力。
3.自身の差異を肯定し、それを享楽と肯定の対象とする力。」

    ジル・ドゥルーズ『ニーチェと哲学』第2章、10「位階序列」

「支配」(>>186),
「なし得ることの果て」〜「限界を満たし」(>>183)

3「差異の享楽と肯定」がハイデガーとドゥルーズを分かつポイントか?

「肯定するとは存在するものを背負い、引き受けることではなく、生きている
ものを解放し、その重荷を取りのけてやることである。肯定するとは軽くする
ことである。生にましな価値の重荷を背負われることではなく、生の価値であ
り、生を軽やかな能動的なものにするような新たな価値を創造することである。」
  
  同書、第5章、11「肯定の意味」
Der hier gemeinte kampf ist urspruenglicher Kampf;
「根源的な闘争」
er ist nicht ein blossen Bernnen von Vorhandenem.
「目の前に既にあるものを攻撃するというようなことではない」
Der Kampf entwirft und entwickelt erst das Un-erhoerte,
bislang Un-gesagte und Un-gedachte.
「いまだ聞いたことの-なく、いままで言われたことも-なく、
この闘争が初めて、いまだかつて聞いたことも-なく、いままで
言われたことも-ないようなものを投げ企て、繰り広げるのである。」
Dieser Kampf wird dann von den Schaffenden, den Dichtern, Denkern,
Staatsmaennern getragen. Sie werfen dem ueberwaeltigenden Walten
den Block des Werkes entgegen und bannen in dieses die damit
eroeffnete Welt.
「創造者」「詩人」「哲人」「政治家」「が制圧的な支配に対して作品と
いう柵を設け、この作品の中へ、そのようにして開示された世界を封じ込む」
Mit diesen Werken kommt erst das Walten, die φυσιs,
im Anwesenden zum Stand. Das Seiende wird jetzt erst als solches seiend.
「この作品とともに初めて、支配即ちφυσιsが、現存するものの中で
存立へと到来する。こうなって初めて存在者は存在者として存在的になる」
Dieses Weltwerden ist die eigentliche Geschichite.
「このような世界の中の生成が本来的な歴史である」
er(Kampf) allein bewahrt auch das Seiende in seiner Staendigkeit.
「闘争だけが、存在者をそれの存続性の中で保護するのである」
(1-108,48)

Wo der Kampf aussetzt, verschwindet zwar das Seiende nicht,
aber Welt wendet sich weg.
「闘争が中断しても存在者は消滅することはないが、世界はそむきそれる」
Es wird jetzt nur vor-gefunden, ist Befund.
「存在者はもはやただ目の前に-見いだされるにすぎず」「既存のもの」
Das Seiende wird Gegenstand,
「存在者は対象となる」
Das urspruenglich Weltende die φυσιs, faellt jetzt herab zum
Vorbild fuer das Abbilden und Nachmacnhen.
「φυσιs」「いまや模写と模造の為の典型に成り下がる」
Natur wird jetzt ein besonderer Bereich im Unterschied zur Kunst
und zu allem Herstellbaren und Planmaessigen.
「自然」「芸術や一切の設置可能なものや計画的に構成できるものとは
違った一つの特殊な領域になる」
Das urspruenglich aufgehende sichaufrichten der Gewalten des Waltenden,
das φαινεσθαι, als Erscheinen im grossen Sinne der Epiphanie
einer Welt, wird jetzt zur herzeigbaren Sichtbarkeit vorhandener Dinge.
「 φαινεσθαι」=「世界の顕現」→「可視性」
Der Anblick ist nur noch das Optische.
「有様」→「視覚的な事柄」
Schopenhauers >>Weltauge<< - das reine Erkennen...
「世界の眼」「純粋認識」
(1-109,48)
das Sein ist aus ihm gewichen.
「存在は存在者から退いてしまった」
(1-109,48)
Wenn die Schaffenden aus dem Volk gewichen sind
「創造者たちが民衆から退いてしまい」
「水準とか高度とかいうようなものは、常に創造的に超えられている
ときにのみ維持される」
(1-109,48)
>>Sein<< sagt fuer die Griechen: die Stnaedigkeit in dem Doppelsinne:
1. das In-sich-stehen als Ent-stehendes (φυσιs),
2. als solches aber >>staendig<<,d.h. bleibend, Verweilen (ουσια).
(1-109,48)
Nicht-sein heisst denmach: aus solcher in sich ent-standenen Staendigkeit
heraustreten: εξιστασθαι-
>>Existenz<<, >>existieren<< bedeutet fuer die Griechen gerade: nicht-sein.
Die Gedankenlosigkeit und Verblasneheit, in der man das Wort >>Existenz<<
und >>existieren<< zur Bezeichnung des Sein und einer ursprunglich maechtigen
und bestimmten Auslegung seiner.
「実存」=「非存在」(ギリシア人)
    =「存在」(現代)→「無思想と無気力」
(1-110,49)
「存在的」〜「存続的」〜
「現象するもの」〜「見ることに対して自己を示す」
Dieses ziegt sich vorwiegend dem Sehen.
「視覚的」「書かれたもの」
Die Sprache ist, d.h. sie steht im Schriftbild des Wortes, in den
schriftzeichen, in den Buchstaben, γραμματα.
Darum stellt die Grammatik dei seiende Sprache vor.
Dagegen verfliesst die Sprache durch den Fluss der Rede in das Bestandlose.

Die Grichen wussten indessen auch vom Lautcharakter der Sprache,
der φωνη. Sie begruendeten Rhetorik und Pietik.
(1-111,49)
Die massgebende Sprachbetrachtung bleibt die grammatische.

Die Graundstellung des Verbum ist die erste Person sing. Praes. Indic.;
z. B. λεγω ich sage.
Der Infinitiv ist dagegen ein besonderer modus verbi, eine εγκλισιs.
>>177-173
(1-111,50)
Anderes mit zum vorschein bringen, mit erstehen, mit sehen lassen,
darin liegt das Vermoegen der εγκλισιs.
「εγκλισιs」〜「他の物をともに現前へともたらすこと」
εγκλισιs παρεμφατικοs
<1-112,50)
Platon (Timaios 50 e)

Werden heisst: zum Sein kommen.

1.το γιγνομενον
2.το εν ω γιγεται
3.το οθεν αφομοιουμενον

1.das Werdende
2.das, worin es wird, das Medium
3.Vorbild
(1-112,50)


201 :02/04/22 19:02
>>200 Platon (Timaios 50 d)

「われわれは三つの種族を念頭に置かねばなりません。
すなわち、「生成するもの」と、「生成するものが、それの中で生成する
ことろの、当のもの」と、「生成するものが、それに似せられて生じる、
そのもとのもの(モデル)」の三つがそれです。
der Bedeutung von παρεμφατικοs 2)>>200

Die Griechen haben kein Wort fuer >>Raum<<.
Das ist kein Zufall; denn sie erfahren das Raeumliche nicht von der
extensio her, sondern aus dem Ort<τοποs) als χωρα, was weder
Ort noch Raum bedeutet,was aber durch das Dastehende eingennommen,
besetzt wird. Der Ort gehoert zum Ding selbst. Die verschiedenen Ding
haben je ihren Ort.
(1-113,50)


αμορφον ον εκεινων απασων των 
ιδεων οσαs μελλοι δεχεσθαι ποθεν.
ομοιν γαρ ον των επεισιοντων τινι
τα τηs εναντιαs τα τε την παραπαν
αλληs  φυσεωs οποτ ελθοι δεχομενον
κακωs αν αφομοιοι την αυτου 
παρεμφαινον οψιν.

Das, worein die werdenden Dinge hineingestellt werden,
darf gerade nicht einen eigenen Anblick und ein eigenes
Aussehen darbieten.

「παρεμφαινονとον」
「随伴現象と、存続性としての存在との相関性」
des Miterscheines und des Seins als der Staendigkeit

「プラトン以来」「解釈」 「存在」〜「ιδεα」
「τοποsとχωρα(>>202)との本質」「捉えていない」
→「延長によって規定された「空間」」「作り替え」「の準備」
den durch die Ausdhnung bestimmten >>Raum<<

「χωρα」=「あらゆる特殊なものから自己を引き離すもの」
       「ずれそれるもの」「他のものに「場所をあける」もの」
  >>Platz macht<<
(1-114,51) 
「εγκλισιs παρεμφατικοs」>>198-203
〜「意味傾向のποικλιαを現前にもたらす」
 「人称、数、時、態、法を」「現前にもたらす」「偏差」

「εγκλισιs α-παρεμφατικοs」
〜(意味傾向のποικλιαを現前にもたらさない)
 「人称も数も時も法も」「現前へ」「到来しない」  「欠如をしめす」
〜「ラテン語の」「modus infinitivus」

「α-παρεμφατικοs」→「modus infinitivus」

「現前-到-来」「ギリシア的なもの」→「限定という単に形式的な表象」
Zum-vorschein-kommen → die formale vorstellung des Begrenzens
(1-114,51)
「modus infinitivus」〜「抽象」「一般的」「表象だけをあたえる」
            「抽象的動詞概念」
>>abstrakte Verbalbegriff<<

「不定法は、動詞が他の場合には明示するものをもはや現前へともたらさない」
Der Infinitiv bringt nicht mehr zum Vorschein, was das Verbum
sonst offenbar macht.
(1-125,52)
                     
Der Infinitiv in der Ordnung der zeitlichen Entstehung der Wortformen
der Sprache ein spaeteres und spaetestes Ergebnis.

>>Sein<< heisst griechisch ειναι.

「諸方言」→(発展)→「標準語」
「方言」「古い形を保存」
(1-116,52)
attisch   ειναι
arkadisch  ηναι
lesbisch   εμμεναι
dorishch ηνεν
latenisch esse
oskisch ezum
umbrisch erom

「εγκλισιs α-παρεμφατικοs」
「それぞれ方言特性を維持して変動していた」

「理由」「よくよく用心した方がいい」
(1-117,52)
「>>das Sein<<」〜「το ειναι」
「冠詞」+「抽象的な不定法形」

「冠詞」←「指示代名詞」

「不定法」→「動名詞」(「「ある」が確立している対象のように定置される」) 

「こうなると「存在」はそれ自身「ある」ものになる。ほんとうは」
「存在者があるだけ」「そのうえさらに存在もある」「とは言えない」
>>Das Sein<< wird jetzt selbst solches, das >>ist<<, wo doch offenbar
nur Seiendes ist, aber nicht auch noch und wieder das Sein.
(1-118,53)
「動名詞」「最も空虚な形」
Verbalsubstantiv die leerste Form
(1-118,53)
「ich bin」
「自分自身がそれであるとことの存在者」「近いのだとさえ言うことが出来ない」
「各自は自分自身にとって最も遠いもの」「汝から」「遠いのと同じくらい」
jeder ist sich selbst der Fernste
(1-119.53)
「だが今日ではわれわれということが大切なこととして通っている」
「我々の時代」
>>Wirzeit<<
(1-120,53)
「「ある」の」「動詞形の」「考察」→×「存在の解明」
                 →「新しい困難」

「「ある」という語の」「語幹という問題の前に立っている」
Wir stehen vor der Frage nach den verschiedenen Staemmen des Wortes
>>sein<<.
(1-120,54) 
「動詞「sein」の諸変化の中に現れている各語幹」「言語学が知っていること」
「3つの異なった語幹」
(1-120,54)
(1)「es]「最も古く基本的な語幹」
das Leben, das Lebende, was von ihm selbst her in sich steht und
geht und ruht  

Sansirit >>asus<< (esmi,esi,esti,asmi)
Griechischen >>ειμι<< >>ειναι<<
Lateinischen >>esum << >>esse<< >>sunt<<
sind sein

「注目」「インド・ゲルマン系の言葉の中で」indogermanischen
>>ist<< (εστιν, est...)「今日に至るまでずっともちこたえている」
(1-121,54)
215考える名無しさん:02/04/24 23:20
参照挙げ。
なんにせよ、「形而上」とやらを想定せねばならないというのも、興趣深いというかなんというか(藁
(2)「blu,bheu」「ゲルマン系の語幹」 〜griechische φυω
aufgehen,walten, von ihm selbst her zu Stand kommen und im Stand bleiben

「φυσιsとφυεινの」「皮相な把握」
Nutur und als >>wachsen<<

「根源的な解釈」
>>wachsen<< als afurgehen, das wiederu vom Anwesen und Erscheinen
her bestimmt bleibt.

「φυ-」「φαινεσθαι」「連関」

「φυσιs」 ins Licht Aufgehende
「φυειν」 leuchten, scheinen und dashalb erscheinen
 
lateinische Perfekt fui, fuo
deutshcer >>bin<<,>>bist<<, >>birn<<,>>birt<< (im 14. Jahr. erloschen)
Imperativ >>bis<< (>>bis mein Weib, sei mein Weib<<)
(1-122,55)
(1-122,54)
(3)「wes」「ゲルマン語の動詞>>sein<<の語形変化の領域だけに現れる」

ind.:vasami
germ.:wesan, (wohnen, verweilen, sich aufhatlten)
ves ∋ Fεστια、Fαστυ、Vesta,vestibulum

im Deutschen: >>gewesern<<,was,war,es west, wesen
Das Particip >>wesen<< 〜  an-wesend, ab-wesend
Das Substantivum >>Wesen<< (urspruenglich)
≠Was-sein, die quidditas
=das Waehren als Gegenwart, An- und Ab-wesen

im Lateinishcen pre-sens und ab-sens
>>sens<< verlorengegangen
(1-122,55)

「3つの語幹」「決定的な3つの初期の意味」
leben
aufgehen
verweilen

「ある」という「「抽象的な」意味だけ」「残っている」

「確認の後に始めて問うことが始まらねばならない」erst das Fragen beginnen
(1-123,55)
「一連の問い」
(1)「いかなる種類の「抽象」」?
(2)「抽象」「が語られてもよいのか?」
(3)「残存している抽象的意味とは?」
(4)「3っつの違った意味」「ただ一つの」「動詞の語形変化の成分になった」
   「単なる消失?」
(5)「どんな主導的な基礎意味が」「混合を導いた?」
(6)「どんな意味が」「残っているか?」
(7)「>>sein<<」「任意の他の語と」「別扱いにすべきではなかろうか?」
(8)「抽象的、派生的な存在の意味」「十分」「根源的」「か?」
(9)「言葉の本質を十分根源的に捉えたならば、明らかになるのだろうか?」
(1-125,56)
die Grundfrage der Metaphysik (>>9)
>>Warum ist ueber haupt Seiendes und nicht vielmehr Nichts?<<

die Vor-frage (>>99)
wie steht es mit dem Sein?
(1-125,56)
Was meinen wir in den Worten >>sein<, >>das Sein<<?
Wir kommen beim Versuch zu antworten sogleich in Verlegenheit.
Wir greifen ins Un-greifbare.
Dennoch sind wir fortgesetzt vom Seienden betroffen,
auf Seiendes bezogen, um uns selbst >>als Seiende<< wissend.
(1-125,56)
>>Das Sein<< gilt uns schon nur noch als ein Wortlaut,
als en vernutzter Titel.
Wenn uns schon nur noch dieses verbleibt,
dann muessen wir wenigstens diesen letzten Rest
von Besitz zu fassen versuchen.
Deshalb fragen wir:
Wie steht es mit dem Wort >>das Sein<<?
(1-125,56)
zwei Wegen
in die Grammantik
in die Etumologie

das Ergebnis
(1-125,56)
(1)「文法的考察の結果」
「不定法」「名詞化が」「特定の意味様相」を「抹消」
     「何か不特定な曖昧なものを名指す一つの名称になる」
1. Die grammatik Betrachtung der Wortform ergab:
Im Infinitiv kommen die bestimmten Bedeutungsweisen des Wortes
nicht mehr zur Geltung; sie werden verwischt.
Die Substantivirung voll-ends verfestigt und vergegenstaendlicht
diese Verwischung.
Das Wort wird ein Name, der etwas Unbestimmtes nennt.
(1-126,56)
 
(2)「語源学的考察の結果」
「存在」「意味」「3つの異なる語幹の意味(>>218)の平均的混合」

「二つの事象(1)(2)」
「ある」という語」「空虚でふわふわした意味を持つという事実に対する」
「十分な説明」
2. Die etymologische Betrachtung de Wortbedeutung ergab:
Was wir heute und seit langem im Namen >>das Sein<< nennen,
ist bedeutungsmaessig eine ausgleichende Vermischung
von drei verschiedenen Stammbedeutungen.
Keine derselben ragt noch eigens und bestimmend
in die Bedeutung des Namens hereien.
Diese Vermischung und jene Verwischung begegnen einander.
In der Verkoppelung dieser beiden Vorgaenge finden wir
somit eine zureichende Erklaerung fuer die Tatsache,
von der wir ausgingen,
dass das Wort >>sein<< leer und
von verschwebender Bedeutung sei.
(1-126,56)


226駄弁:02/04/25 13:49
1   形而上學の根本の問い (>>9-151)
2  「ある」という語の文法と語源学によせて (>>152- 161)
2-1「ある」という語の文法 (>>162-212)
2-2「ある」という語の語源学 (>>213-225)

文法と語源学の考察は、がっかりする(decevant)な結果を開示した。
>>sein<<と>>das Sein<<は曖昧でふわふわしている。
それを「日本語への翻訳」「ある」として読むことの滑稽さ。
事態はさらに曖昧になる。
ニーチェの形而上學批判。それはインドヨーロッパ語の問題なのだと。

「正しく理解されるのならば、哲学をわがものとするということも、
よく行なわれているような、いつの日にか再び忘れてしまう
奇妙な諸概念や諸学説を苦労だけして実りなく覚え込む、
といったことを意味するのでは決してない。」
ハイデガー『哲学入門 思索と詩作』

忘れるまでもなく、覚え込むこともない。

leer
227駄弁:02/04/25 14:05
>>226
「一切のインド、キリシア、ドイツの哲学の不思議なまでの家族的類縁性は、
いたって簡単に説明できる。ほかでもなく、言語の類縁性が存在するところ、
文法の共通な哲学によって----換言すれば、同様な文法の機能による無意識
的な支配と指導によって----、あらかじめすでに一切が哲学的体系の同種の
展開と配列をもたらすように整えられているということは、到底さけがたい
ところなのだ。同様にまたそこでは、世界解釈の別種の可能性に向う道が閉
ざされているようみ見えるのである。ウラル・アルタイ言語圏に属する哲学
者達(この言語圏においては主語概念の発達がはなはだしくおくれている)
は、おそらくきっと、インドゲルマン人や回教徒とは違ったふうに<世界>
を観入するだろうし、彼らとは違った道を歩んでいることであろう。特定の
文法的機能の呪縛は、ぎりぎり究極のところ、生理学的価値判断と種族の
呪縛にほかならないのだ。」
 ニーチェ『善悪の彼岸』20節。

ハイデガーはそんなことを知らないはずもなく、『言葉についての対話』と
いう九鬼周造の思い出に起因する書物もあるのだが、
3 Die Frage nach dem Wesen des Seins
「言葉」「その発展過程」
「不定法」>>sein<<「形成」
「曖昧」化

「事実の背後に、言語上の他のもう一つの事実を立てたに過ぎない」
eine andere Tatsache der Sprachgeschichte
(1-128,57)
「なぜそれ(>>229)はそうなのかと問う」→「ますます不明瞭」
「「存在」という語」が(不明瞭であることを)「硬化」し「事実」化するだけ

「哲学」は「>>Sein<<という語を」「硬化した事実を基礎に」「処置」する。
:>>Sein<< hat die leerste und damit allumfassende Bedeutung
「最高類概念」genus「類ニオケル存在」>>ens in genere<<
→「何も明らかにしない」

「たった一つの可能性」:
「語の空虚」「事実として承認」「そのままにしておく」
Wortleere
(1-129,58)
Also weg von dem leeren Schema dieses Wortes >>Sein<<!
Doch wohin?
Die Antwort kann nicht schwerfallen.
Wir koennen uns hoechstens wurden, dass wir so lange und
so umstaendlich uns beim Wort >>Sein<< aufgehalten haben.
Weg vom leeren, allgemeinen Wort >>Sein<< und hin zu den
Besonderungen der einzelnen Bereiche des Seienden selbst!
「空虚で一般的な>>Sein<<という語から去って、
存在者そのものの個々の領域の一つ一つのものに向おう!」
(1-129,58)
232蛇足:02/04/25 16:07
>>231
>>Sein<<という語に×を! という感じでしょうか。
確かに「言語学的」探究は「長く」「くどくど」していた。
虚しい探究。へとへとになりました。そこでこの転回……
ハイデガーの講義は面白いのだけれど、どこか作為的すぎる気が……
このすぐ後に「日本人は存在的である。」なんてでてくるのだけれど
日本人がこの講義を聴講していたのだろうか?
日本とドイツの第2次世界大戦での関係。
下衆の勘ぐり……
Fuer dieses vorhaben steht uns Vielerlei unmittelbar zu Gebote.
Die zunaechst handgreifichen Dinge, all das Zeug, was uns stuendlich
zur Hand ist, Werkzeug, Fahrzeug u.s.f. Wenn uns dieses besondere
Seiende zu alltaeglich vorkommt, nicht fein und gemuetvoll genug
fuer >>Metaphysik<<, koenne wir uns an die uns umgebende Natur halten,
das Land, das Meer, die Berge, Fluesse, Waelder; und an das einzelne
darin: an die Baeume, Voegel und Insekten, Graeser und Steine. Wenn
wir es auf gewaltiges Seiendes absehen, dann ist uns die Erde nahe.
In gleicher Weise seiend wie die naechste Bergkuppe ist der Mond,
der dahinter aufgeht oder ein Planet. Seinend ist das Gemenge und
Gedraenge der Menschen auf einer belebten Strasse. Seiend sind wir
selbst. Seined sind die Japaner. Seinend sind Bachsche Fugen.
Seiend ist das Strassburger Muenster. Seiend sind Hoelderlins Hymmen.
Seiend sind die Verbrecher. Seiend sind die Irren eines Irrenhauses.
(1-129,58)
234駄弁:02/04/25 16:27
>>233
Seiend sind wir selbst.
Seiend sind die Japaner.
Seiend sind Bachsche Fugen.
Seiend ist das Strassburger Muenster.
Seiend sind Hoelderlins Hymmen.
Seiend sind die Verbrecher.
Seiend sind die Irren eines Irrenhauses.

詩的列挙。しかしなぜ「犯罪者」であり「狂人」なのか?
235考える名無しさん:02/04/25 16:38
Weg vom leeren, allgemeinen Wort >>Sein<< und hin zu den
Besonderungen der einzelnen Bereiche des Seienden selbst!(>>231)

「哲学への手引きを通じて、われわれは、直接的で日常的な思索を決して
放棄するべきではない。全くその反対に、思索を本質とする存在であるわ
れわれは、この日常的な思索において、さらに思索するように、つまり、
さらに追思索するようになり、さらに回思索するようになって、そのよう
にあることで本来的に思索することを学ぶべきなのである。」
 ハイデガー『哲学入門--思索と詩作』第2節
「至る所に」「いつでも任意に存在者がある」>>234

それらが「存在者であることを」「どこから知るのか?」

「問いは馬鹿げている」

「批判的」「考え」:「経験」=「身体的知覚」Empfindungen
→「実は全く無批判的」durchaus unkritisch
(1-130,58)
「われわれはすべて存在者をして、それがあるとおりにあるようにさせる」
Wir lassen all das Seiende sein, wie es ist.

「ある」と言われるものが何であるか既に知っているのでなければならない」
muessen wir doch bei all dem schon wissen, was das heisst:
>>ist<< und >>sein<<.
(1-131,59)
「存在しているものが、われわれにとって一つの存在者であ」るためには
「われわれが既に「存在」と「非存在」を理解しているのでなければ」ならない。

Wie soll uns je und immer Seiendes ein Seiendes sein,
wenn wir nicht schon >>Sein<< und >> Nichtsein<< verstehen?
(1-131,59)
「存在と非存在とに関して判断」
→「存在」とは何か知っている」
→(存在と言う)「語が空虚で曖昧だという主張」=「空言」「誤り」
(1-132,59)
「分裂的な状況」zwiespaeltige Lage

「「存在」は曖昧な意味」unbestimmte
しかし
「われわれは「存在」を確実に非存在から区別している」klar und sicher
(1-132,59)
「注意」

「個別的存在者」「疑わしくなる」
einzelnes Seiendes
そのためには
「存在と非存在の区別」「疑っていない」
Sein vom NIchtsein
(1-132,59)
「自己矛盾」:「存在」=「明確」かつ「不明確」
→「論理学からすれば」「存在し得ない」

「明確」かつ「不明確」「なものとしての存在というこの矛盾は存在する」
Es doch gilt es jenen Wiederspruch:
das Sein als das bestimmte voellig Unbestimmte.

「自分がこの矛盾の中に立っている」
(1-133,60)
「存在が」「空虚な語であるという事実」に「不信」

「この語を語るとき何か明確なものを意味している」etwas Bestimmtes
(1-133,60)
「存在」=「比類なきもの」Einzigartigste
(1-133,60)
「すべての存在者」〜「比較可能性」→「規定可能性」

「存在」〜×「比較可能性」→「無規定で曖昧」

「存在」:「比較されない」ということにおいて「最も独特で最も明確」
→「空虚ではない」
→「存在」という疑わしい語から去って、
 「個々の存在者へ向かえ!」という指示」(>>231)〜「疑わしい指示」
(1-135,60)
「例」:「「木」という一般的表象」die allgemeinen Vorstellung >>Baum<<

「木の本質は何か?」was das Wesen des Baumes sei

「一般的表象から去って」
「個別的種類」「実例とに向う」
しかし
(その実例たる)「個々の木」を「どうして」「認めるようなるのか?」
「木とは何か(本質)」「の表象が既に」「明らかになっているのでないなら」

「木」の「一般的本質」〜「植物」「生物」「生」という本質」の
「表象と知識が根源的」→「解明ははかどる」

○個々の事例、×「本質根拠」→「無駄な冒険」
(1-136,61)      
「「存在」の最も一般的意味」
→×「表象」が「高次のものへ昇る」
 ○「下位」にある概念へと降りていく」
     =「空虚を克服する」「唯一の逃げ道」?
einzige Ausweg, wenn wir die Leere ueberwinden wollen
(1-136,61)
>>247「もっともらしい」が「真ではない」
(1-137,61)
>>248「根拠」

(1)「疑わしい」:「存在の一般性」=「類の一般性」(アリストテレス)
  fraglich   「個別的存在者」=「存在者の例」
         「存在の諸様式」=「存在という類の「種」」

(1) Es ist ueberhaupt fraglich, ob die Allgemeinheit des Seins eine
solche der Guttung (genus) ist. Schon Aristoteles ahnte diese Frag-
lichkeit. Demzufolge bleibt fraglich, ob wie diese Eiche fuer >>Baum
ueberhaupt<<. Es ist fraglich, ob die Weisen des Seins (Sein als Natur,
Sein als Geschichte) >>Arten<< der Gattung >>Sein<< darstellen.
(1-137,61)

   
250考える名無しさん:02/04/25 18:49
>>249
「しかるにこの一というもの存在というのも、存在事物の単一の類では
ありえない。というのは、一面において、いずれの類の差別もそれぞれ
みな存在しており一つであることは必然であるのに、他面、類の種がこ
の種に特有の差別の述語とはなりえないのと同様に、類が、類それ自ら
の種から離れてそれだけで、その類に特有の種差の述語となるのは不可
能だからであり、したがって、もし一や存在がいやしくも類であるかぎ
り、いかなる種差も存在するとは述べられず一つであるとも言われない
であろうからである。」
  アリストテレス『形而上學』第3巻、第3章、998b20

ここだろうか?
(2)「存在」≠「一般的名称」
「実例によってわからせる」〜「根本的に誤り」

×「個物にむかうべき」>>231
○「一般性に踏み止まってこの名称とそれの呼称との独特な唯一独自性を
  知に高めるということ」
wir dabei aushalten und die Einzigartigkeit dieses Namens und
seiner Nennung ins Wissen haben.
(1-138,62)

「存在」「二つの事実」→「一つ」>>242
×「事実という性格」Tatsachen
○「生起」 「「事」の系列からは脱落しているような仕方で」
Es geschiet in einer Weise, die griffen der Reihe sonstiger
>>Vorkommnisse<< herausfaellt.
(1-138,62)


「人間」=「ものを言うもの」(「人間の苦境」)

仮定:「われわれが存在を理解しない」
   「「存在」という語がふわふわした意味をさえもたない」
  →「言葉と言うものは存在しない」
    Dann gaege es ueberhaupt keine Sprache.
理由:「存在者を存在者として言うということは、前もって存在者を
   存在者として理解すること、存在を理解することを含む」
Denn Seiendes als ein solches sagen, schliesst in sich ein;
Seiendes als Seiendes, d.h. dessen Sein im voraus verstehen.
(1-140,63)
「現存在にとって」「不明確にもせよ存在を理解しているということ」
=「最高の等級を持つ」「現存在の本質可能性の根拠を成す力」
Fuer unser dasein hat dagegen dieses, dass wir, wenn auch unbestimmt,
das Sein verstehen, den hoechsten Fang, sofern darin sich eine Macht
bekundet, in der ueberhaupt die Wesensmoeglichkeit unseres Daseins
gruendet.
(1-140,63)
「どうすれば」「この等級(>>254)を尊重し、その品位のままに
維持することができるだろうか?」
(1-141,63)
「存在理解に向って問い求め、それを問いに置く」nachfragen
→「存在理解」を「解明」「隠蔽性からもぎ離す」
Verstehen des Seins Verborgenheit
(1-141,63)
「問うということ」=「唯一の正しい方法」(「現存在を力の中に保っている
                     ものを尊重する」ための)
Das Fragen ist die echte und rechte und einzige Weise der Wuerdigung
dessen, was aus hoechstem Rang unser Dasein in der Macht haelt.
(1-141,63)
「存在の意味を問うこと」
=「存在を最も問うに値するものとして経験し把握し、ことさらに存在を
  問い求めるということ」
Das Sein als das Fragwuerdigste erfahren und befreifen, eigens dem
Sein nach fragen, heisst dann nichts anderes als: nach dem Sinn von
Sein fragen.
(1-142,64)
『存在と時間』
「存在の意味についての問い」die Frage nach dem Sinn von Seins
 「哲学史上初めて問いとしてことさらに立てられ」「展開」 
 「意味とはどんなことか」「基礎付け」
  =「存在者そのものの開明性」「存在の開明性」
Offenbarkeit des Seins, nicht nur des Seiendes als solchen
(『存在と時間』32節、44節、65節参照)
(1-142,64)

260考える名無しさん:02/04/26 16:29
>>259『存在と時間』第32節「了解と解意」
「現存在は、了解Verstehenというありさまで、おのれのさまざまな可能性へ
むけて投企するentwirft。このように了解的にさまざまな可能性へむかって
存在していることは、それ自身、ひとつの存在可能Seinkoenneである。という
のは、これらの可能性は開示された可能性として、逆に現存在のなかへ打ち
返してくるからである。」
「一般に、世界の内部に存在しているものは、世界へむけて、すなわち有意義
性の全体にむけて投企されている。そして世界=内=存在としての配慮は、その
有意義性の指示連絡のなかに、はじめからおのれを定着させているのである。
世界の内部で存在するものが、現存在の存在によって発見され、すなわち了解
されるようになったとき、われわれは、それは意味Sinnをもつ、と言う。しかし、
厳密に言えば、諒解されたのは意味ではなく、その存在者もしくはその存在で
ある。意味とは、あるものの了解可能性がその中に身をおいているところのこ
とである。了解的開示において分節されうるものを、われわれは意味となづけ
る。意味の概念は、了解的解意によって分節される事柄に必然的にそなわって
いるものの形式的骨組みを包括する。意味とは、すなわち、、あるものがそこ
からしてしかじかのものとして了解可能になるところ、すなわち投企において
見越されていたものの、先持Vorhabeと先視vorsichtと先取borgriffによって
構造された目当てのことである。了解と解意とが現の存在の実存論敵構成を
なしているかぎり、意味とは、了解にそなわる開示態の形式的=実存論的な
骨組みとしてとらえられなくてはならない。意味とは、現存在の実存範疇の
ひとつであって、存在に付着したり、存在者の「背後に」ひそんでいたり、
あるいは「中間領域」としてどこか宙に浮んでいる様な属性ではない。意味を
もつのは言存在だけである。けだし、世界=内=存在の開示態は、それのなかで
発見される存在者によって「充実」されうるからである。したがって、言存在
のみが、有意味であってり無意味に存在したりすることができる。言い換えれ
ば、言存在自身の存在と、この存在によって開示された存在者とが、了解にお
いて領得されているか、それとも無理解のままにとざされているか、のどちら
かでありうる。」
261考える名無しさん:02/04/26 16:42
>>259『存在と時間』第65節「関心の存在論的意味としての時間性」
「関心の意味をと問うとき、われわれが存在論的に求めているのは何であろ
うか。意味とは何を指すのであろうか。われわれの考究は、了解と解意につ
いての分析に関連して、既にこの現象に出会った。(32節>>260)それによると
意味とは、ある事柄の了解可能性がその内にとどまっているところであって
それ自身は取り立てて主題的に注目されずにいるものである。なにかがしか
じかのものとしてそれの可能性において理解されるのは、それがはじめから
ある事柄に向かって投企されていることにもとづいているが、意味とは、こ
の原義的な投企がそれを見越しておこなわれたことろなのである。投企は可
能性を、すなわち可能にするものを開示する。」
「人間が存在を理解していることは」「現実的」かつ「必然的」
「時間は人間的-歴史的現存在としてそのつど或る一時時熟するのみ」

「人間が現-存在するための必然的制約」〜「人間が存在を理解すること」
「存在の開示」

Dass wir das Sein verstehen, ist nicht nur wirklich, sondern es ist
notwendig. Ohne solche Eroeffnung des Seins koennten wir ueberhaupt
nicht >>die Menschne<< sein. Dass wir sind, ist freilich nicht unbedingt
notwendig. Es besteht an sich die Moeglichkeit, dass der Mensch
ueberhaupt nicht ist. Es gab doch eine Zeit, da der Mensch nicht
war. Aber streng genommen koennen wir nicht sagen: es gab eine Zeit,
da der Mensch nicht war. Zu jeder Zeit war und ist und wird der
Mensch sein, weil Zeit sich nur zeitigt, sofern der Mensch ist.
Es gibt keine Zeit, da der Mensch nicht war, nicht weil der Mensch
von Ewigkeit her und in alle Ewigkeit hin ist, sondern weil Zeit
nicht Ewigkeit ist und Zeit sich nur je zu einer Zeit als menschlich-
geschichtliches Dasein zeitigt. Wenn aber der Mensch im Dasein steht,
dann ist eine notwendige Bedingung dafuer, dass er da-sein kann,
dieses, dass er das Sein versteht. Sofern solches notwendig ist,
ist der Mensch auch geschichitlich wirklich. Deshalb verstehen
wir das Sein, und zwar nicht nur, wie es zunaechst scheinen moechte,
in der Weise der verschwebenden Wortbedeutung.
(1-144,64)
「講義」の聴き方に関する注意

「個別科学」〜「連関」←「既に与えられている対象から直接規定」

「哲学」〜「全く対象を持たない」
     「出来事」「新たに存在を成就しなければならない」
     
     「出来事の生起」→「哲学的真理は自己を開示」
   
「重要」:「出来事」「一歩一歩」「たどり」「ともに成し遂げること」
Deshalb ist hier der Ncht- und Mitvollzug der einzelnen Schritt
im Geschehen entscheidend.
(1-144,65)    
264訂正:02/04/27 00:06
>>263
Deshalb ist hier der Nach- und Mitvollzug der einzelnen Schritt
im Geschehen entscheidend.

nach-というのは、ハイデガーに頻出します。ヘーゲルあたりから来ている
のでしょうか?30/31年に「ヘーゲル『精神現象学』」という講義をしてい
ます。しかしこんな考察は>>263の注意が退けようとしていることでしょうか?

Aber dieses historische Raesonieren kann niemals eine Anleitung zum
Denken werden. Diese verlangt、dass wir dem Denker mitdenken und
mit dem Dichter mitdichten. Dazu ist noetig, dass wir dem Denker
nachdenken und dem Dichter nachdichten.

Einleitung in die Philosophie Denken und Dichten,p104
Welchen Schritt haben wir getan?
Welchen Schritt gilt es fuer uns immer wieder zu tun?
(1-144,65)
「「ある」>>sein<<という語」の
「意味の浮動」das Verschweben der Wortbedeutung

←1.「不定法における独特な抹消」>>204-205
  der Verwischung, die dem Infinitiv eignet
 2.「3つの語幹の意味」の「混合 >>213-218
  der Vermischung, in die alle drei urspuenglichen Stammbedeutungen
  dingegangen sind.
(1-145,65)
「形而上學」:「存在者」→「存在者」
      ×(「存在」→「存在の開明性」(=「問うに値すること」))
「形而上學」〜「自然学」Meta-phisik als >>Physik<<
→×「これ以上立ち入った規定」
       ←(「「存在」の意味と概念」=「最高の一般性」)
「形而上學に残された道」=「一般者を去って個別的存在者に向かう道」
 〜「形而上學」が知らずに「自己を罵る」こと
dass sie ihrer selbst spottet und nicht weiss wie.
(1-145,65)
「個別的存在者」の「自己の開示」
←「既に」「存在を存在の本質において理解しているときのみ」

Denn das viel berufene besondere Seiende kan ich als ein solches
uns nur eroeffnen, wenn wir und je nach dem wir schon im vorhinein
das Sein in seinem Wesen verstehen.
(1-145,65)
Dieses Wesen hat sich schon gelichtet.
Aber noch verbleibt es im Fraglosen.
(1-145,65)
「初めに立てた問い」>>117 >>131 >>148 >>117-151
「「存在」は空虚な語にすぎないのか?」
「存在と存在の問いを問うこと」=「西洋の精神的歴史の運命」?

Jetzt erinnen wir uns an die zu Beginn gestellte Frage:
Ist >>Sein<< nur ein leeres Wort? Oder ist das Sein und
das Fragen der Seinsfrage das Schicksal der geistigen
Geschichite des Abendlandes?
(1-146,65)
「存在」=「蒸発する実在の最後の煙」(→「無関心性」)?
     「最も問うに値するもの」?

Ist das Sein nur ein letzter Rauch einer verdunstenden Realitaet,
dergegenueber das einzige Verhalten bleibt, sie voellig in eine
Gleichgueltigkeit verdunsten zu lassen? Oder ist das Sein das
Fragwuedigste?
(1-146,66)
「問うこと」>>271
→「決定的な一歩」=「最も問うに値する出来事へ向かう」
       「出来事」〜「存在が必然的に我々の理解の中で自己を開示」

So fragend, vollziehen wir den entscheidenden Schritt von einer
gleichgueltigen Tatsache und der vermeintlichen Bedeutungsleere
des Wortes >>Sein<< zum fragwuerdigsten Geschehnis, dass das Sein
notwendig in unserem Verstehen sich eroeffnet.
(1-146,66)
「形而上學が盲目的に盾にとる事実は、いまや揺り動かされている」

Die anscheinend unerschuetterliche blosse Tatsache,
auf die sich die Metaphysik blindings beruft,
ist erschuettert.
(1-146,66)
「存在についての問い」≠「文法や語源学の事柄」
 にもかかわらず
「再び語から出発する」wieder vom Wort ausgehen

「言葉」には「特別の事情がある」eine eigene Bewandtnis
(1-146,66)
「言葉」=「再現」Wiedergabe
     「体験された存在の表現」Ausdruck der Erlebnisse

1.「語形」Wortgestalt 2.「意味」Bedeutung 3.「事柄」Sache
1=「記号」Zeichen fuer2   2=「指示」Hinweis fuer3

「「存在」という語にも語形と語の意味と事柄とを区別できる」
〜「語形と語の意味との単なる吟味」→×「事柄」
(1-147,66)

「大切なこと」:「意味的なことを去って事柄へと達すること」
es gilt, ueber des Bedeutungsmaessige hinaus zur Sache zu kommen.

「「存在」という語とその意味とには事柄が対応していない」
Denn Wort und der Bedeutung >>Sein<< entspricht mithin keine Sache.
(1-148,67)
×「結論」:「存在は語と意味の中にのみ存立している」

「語の意味」≠「存在の本質」

「われわれは「存在」という語において、それの意味において、
その意味を通して、存在そのものを言い当てようとしている」

「存在」〜「事柄」≠「なんらかの仕方で存在している存在者」
das Sein selbst, nur dass es keine Sache ist, wenn wir unter
Sache ein irgendwie Seiendes verstehen.
(1-148,67)          
「結論」:「存在そのものは、どんな存在者とも全く違った、
     もっと本質的な意味で語に結ばれている」

Das Sein selbst ist in einem ganz anderen und wesentlicheren Sinne
auf das Wort angewiesen als jegliches Seiende.
(1-149,67)
Das Wort >>Sein<< verhaelt sich in jeder seiner Abwandlungen
wesenhaft anders zum gesagten Sein selbst als alle anderen
Hupt- und Zeitwoerter der Sprache zu dem in ihnen gesagten
Seienden.
(1-149,67)
「存在」という語と存在そのものとの間」の「独特の連関」>>245 >>274-279
「事柄が欠けている」>>276
×「語の意味の特徴」→「存在の本質そのもの」
(1-149,67)

「中間考察」まとめ:「存在の問いは語を問うことに内的に繋がっている」

「問うこと」
「われわれの存在理解」←「存在の側から指令」「指示」に「規定されて」いる
「われわれは存在を言うように」「本質的にしむけられている」
(1-150,67)
Wir sagen: >>Gott ist,<< >>Die Erde ist<<. >>Der Vertrag ist im
Hoesaal<<. >>Dieser mann ist aus dem Schwaebischen<<. >>Der Bescher
ist aus Silber<<. >>Der Bauer ist aufs Feld<<. >>Das Buch ist mir<<.
>>Er ist des Todes<<. >>Rot ist backbord<<. >>In Russland ist Hungersnot<<.
>>Der Feind ist auf dem Rueckzug<<. >>In den Weinbergen ist die Reblaus<<.
>>Der Hund ist im Garten<<. >>Ueber allen Gipfeln / ist Ruh<<.
(1-150,68)
「それぞれ」「「ある」>>ist<<は違った意味で使われている」>>282

「一定の状況と使命と気分」「とから受け取るならば」
aus einer bestimmten Lage, Aufgabe und Stimmung
(1-150,68)
>>Gott ist<<; d.h. wirklich gegenwaertig.
「現実的に現存」
>>Die Erde ist<<; d.h. wir erfahren und meinen sie als staendig vorhanden;
「存続的に眼の前に既にあるものとして経験」
>>Der Vortrag ist im Hoersaal<<; d.h. er findet statt.
「居場所を見いだしている」
>>Der Mann ist aus dem Schwaebischen<<; d.h. er stammt dar her.
「ここらか来ている」
>>Der Becher ist aus Silber<<; d.h. er besteht aus...
「…でできている」
>>Der Bauer ist aufs Feld<<; d.h. er hat seinen Aufenhalt aufs Feld
verlegt, er haelt sich dort auf.
「彼の居所を畑に置いている、そこに停滞している」
>>Das Buch ist mir<<; d.h. es gehoert mir.
「私に属する」
>>Er ist des Todes<<; d.h. dem Tod verfallen.
「死の状態に陥っている」
>>Rot ist backbord<<: d.h. es steht fuer.
「表示する」
>>Der Hund ist im Garten<<; d.h. er treibt sich dort herum.
「そこでうろついている」
>>Ueber allen gipfeln / ist Ruh<<; d.h. ???
(1-151,68)
>>Ueber allen Gipfeln / ist Ruh<<;das >>ist<< laesst sich gar nicht
umschreiben und ist doch mur dieses >>ist<<!
「この「ある」はどうしても書き換えられ得ない」
「しかも」「ただの「ある」にすぎない」

hingesagt in jene wenigen Verse, die Goehte mit Bleistift an den
Fensterpfosten eines Bretterhaeuschens auf dem Kichelhahn bei Ilmenau
geschrieben (vgl. den Brief an Zelter vom 4.9. 1831)
(1-152,68)

286考える名無しさん:02/04/28 19:08
>>285
http://www.seinan-gu.ac.jp/~akao/goethe/txt-poem/035ein_gleiches.html

EIN GLEICHES

Ueber allen Gipfeln
Ist Ruh,
In allen Wipfeln
Spuerest du
Kaum einen Hauch;
Die Voegelein schweigen im Walde.
Warte nur, balde
Ruhest du auch.
「「ある」の中には存在者が我々に対して多様な仕方で自己を開示」
in dem >>ist<< eroeffnet sich uns das Sein in einer vielfaeltigen Weise.
→「存在は空虚な語」という「主張」〜「真でない」
(1-152,68)
「異論」
「多様な意味」←×「>>ist<<自身」
       ←「存在者に関する言表」(神、大地……)
「>>ist<<それ自身」=「無規定」「意味が空虚」→「多様な適用」
(1-153,69)
「決定的な問い」
「>>ist<<」〜「多様」Mannigfaltigenなぜ?

(1)「主題の領域」der Beraiche >>288
(2)「存在はそれ自身の中に多くの襞を蔵して」いる。
 →「多様な存在者」〜「襞の折り重なり」
das Sein in sich selbst die Vielfalt, deren Faltung es ermoeglicht、
dass wir ueberhaupt mannigfaltiges Seiendes in dem, wie es jeweils ist,
uns zugaenglich machen?

ともかく
「>>ist<<は多様な意味を具えていることを言うことの中で表明している」
Das >>ist<< bekundet im Sagen eine reiche Mannigfaltigkeit
der Bedeutung.
(1-153,69)
290蛇足:02/04/28 22:17
>>289 多様性について

「4--ゆえに何故、存在が非存在に対して優位をしめるかということの原因
がある。つまり必然的有とは存在せしめる者exstentificnasなのである。」

「5--しかるに、或るものが存在するように、もしくは可能性が存在を要求
するようにさせるところの原因は、またすべての可能的なるものが存在への
衝動conatusを持つようにさせる。なぜなら或る可能的なるものに制限する
ような理由は一般に見いだされないからである。」

「6--そういうわけで、すべての可能的なるものomne pessibileは存在しよ
うとしていると言われることができる。というのは、それらは必然的に現実
に存在する有のうちに基礎付けられているからであり、その有なしには可能
的なるものがそれによって現実態にもたらされるようないかなる道もないか
らである。」

「7--しかしここから、すべての可能的なるものが存在するという帰結には
ならない。もし帰結するとすれば、それは可能的なる者がすべて共可能的
compossibiliaであるという場合をおいてないだろう。」

 ライプニッツ『24の命題』1690
291蛇足:02/04/28 22:28
「8--しかし、可能的なるもののうちには相互に非整合的なものincompatibilia
もあるので、或る可能的なるものは存在には至らないという帰結になる。さ
らには、可能的なるもののうちに相互に非整合的なるものがあるのは、同時
的な関係においてだけでなく、普遍的にもまたそうなのである。なぜなら現
在のうちには未来が含まれているからである。」

「9--けれどもその場合、存在を要求しているすべての可能的なるものども
の争いから次の事が少なくとも帰結する。すなわち、それによって最も多数
のもの、あるいはすべての可能的なるものどもの最大の系列series maxima
が存在するような、そのような諸事物の系列が存在する。」

「11--ゆえに最も完全なるものが存在する。なんとなれば、完全性とは実
在性の量quantitias reaalitasにほかならないからである。」

「12--さりとて完全性は、ただ質料、すなわち時間と空間とを満たすもの
だけに措定されるべきでもない。質料はどんな仕方でも同一量に留まるから
である。完全性はむしろ形相もしくは多様性のうちにこそある。in forma
seu varietate」
292蛇足:02/04/28 22:50
「58--そしてこれが、できる限り多くの多様性を、しかもできるだけ立派
な秩序とともに得る法法なのである。言い換えれば、できるだけ多くの完全
性を得る方法なのである。(『弁神論』120,124,241〜,214,243,275 〜)」

「59--それゆえ、神の偉大さをそれにふさわしい仕方で称揚するには、こ
の仮説以外にはない。……普遍的調和……」

「60--とにかく今述べたことから、なぜ事物のいきさつがこうであってそ
例外ではないのかということのア・プリオリな理由がわかる。なぜかといえ
ば、神は全体を規制しながら、それぞれの部分、特にそれぞれのモナドを考
慮しているからであり、またモナドの本性は表現的であることだから。何も
のもそれに制限を加えて事物の一部分しか表現しないようにすることはでき
ないからである。ただし、この表現は宇宙全体の細部では混雑しているしか
なく、判明なのは事物のごく小部分、すなわちそれぞれのモナドに対する関
係からいって最も近いものとか最も大きいものにおいてでしかない。さもな
いとどのモナドも神になってしまう。モナドが制限を受けるのは、その対象
についてではなく、対象を認識するさまざまの仕方においてである。どのモ
ナドも混雑した仕方で無限へ向かい、全体へ向かっている。しかし、どれも
制限をうけており、表象の判明さの度合いによって区別されている。」

 ライプニッツ『モナドロジー』1714

ライプニッツの形而上學につけば事態はすっきりするのだが、
ハイデガーは神を持ち出すわけには行かない。
ニーチェ以降形而上學は可能か?
そのような問いのもとこの講義を読むこともできるでしょう。
「いろいろな違った意味」(「種概念」)→「一般的類概念」
Arten allgemeinen Gattungsbegriff
〜「困難」「本質にもとる」「不可能」

しかし
「すべての意味貫く統一的」「一本の線が通っている」
「この線の理解」→「はっきりした限界線」bestimmten Horizont

「存在の意味の限定」「の圏内」 im Umkreis :
「現在性と現存性」Gegegwaertigkeit und Anwesenheit
「成立と存続」 Gestehen und Bestand
   「滞在と到-来」 Aufenhalt und Vor-kommen
(1-154,69)

294考える名無しさん:02/04/29 01:43
>>293
「いろいろな違った意味」(「種概念」Arten)
 →「一般的類概念」allgemeinen Gattungsbegriff
〜「困難」「本質にもとる」「不可能」
しかし
「すべての意味貫く統一的」「一本の線が通っている」
「この線の理解」→「はっきりした限界線」bestimmten Horizont

「存在の意味の限定」「の圏内」 im Umkreis :
・「現在性と現存性」Gegegwaertigkeit und Anwesenheit
・「成立と存続」 Gestehen und Bestand
・「滞在と到-来」 Aufenhalt und Vor-kommen
「Seinという語」〜「限界線に統一がある」→「意味」

「動名詞」←「不定法」←「特定の一動詞形」>>ist<<の「優位」
Die bestimmte und einzelne Verbalform >>ist<<, die dritte Person des
Singular im Indikativ des Praesens, hat hier einen Vorrang.
>>Sein<< gilt uns als Infinitiv des >>ist<<.

「われわれは、知らず知らずのうちにseinという不定法をistから明らかにする」
Umgekrehrt verdeutlichen wir uns unwillkuerlich, fast als sei anderes
nicht moeglich, den Infinitiv >>sein<< vom >>ist<< her.
(1-155,70)
「>>Sein<< 」「存在の本質のギリシア的把握>>45-57を思い出させる意味を持っている」
「この意味」×「偶然」
     〜「われわれの歴史的現在を支配している一つの被規定性」

「われわれの探究」→「われわれの隠された由来についての熟慮」

「存在はどうなっているのか?」→「歴史的意義を展開し保護すること」
〜「存在の歴史の中で自己自身を保つ」必要

Demgemaess hat das >>Sein<< jene angezeigte, an die griechische Fassung
des Wesens des Seins erinnernde Bedeutung, eine Bestimmtheit also, die
uns nicht irgendwoher zugefallen ist, sondern unser geschichitliches
Dasein von alterscher beherrscht. MIt einem Schlage wird so unser Suchen
nach der Bestimmtheit de Wortbedeutung >>Sein<< ausdruecklich zu dem,
was es ist, zu einer Besinnung auf die Herkunft unserer verborgennen
Geschichte. Die Frage: Wie steht es um das Sein? (>>98-99) muss sich
selbst in der Geschichte des Seins halten,(>>117-124) um ihrerseits die
eigene geschichitliche Tragweite zu entfalten und zu bewahren. Wir
halten uns dabei wiederum an das Sagen des Seins.
(1-155,70)
297考える名無しさん:02/04/29 02:22
1   形而上學の根本の問い (>>9-151)
2  「ある」という語の文法と語源学によせて (>>152-161)
2-1「ある」という語の文法 (>>162-212)
2-2「ある」という語の語源学 (>>213-227)
3  存在の本質についての問い (>>228-296)
298蛇足:02/04/29 02:41
隠された歴史verborgennen Geschichte (>>296)とは?

存在そのものについて問うことを忘却し
存在者そのものについて問うこと=「形而上學」 (>>62-66)によって
覆われてしまった歴史ということか?

66 :1形而上學の根本の問い :02/04/17 08:34
「この講義は」「「存在の開示性」Erschlossenheit von Sein
(『存在と時間』S.21f.und 37f. )を問う」
「開示性」「存在の忘却が閉ざし隠しているものが解き開かされた状態」
「これを問うこと」「隠されていた形而上學の本質にも光が差し込む」
2994-存在の限定:02/04/29 02:45
4 Die Beschraenkung des Seins
3004-存在の限定:02/04/29 02:49
「既に定式になっている言い方」

「存在と生成」Sein und Werden
「存在と仮象」Sein und Schein
「存在と思考」Sein und Denken
「存在と当為」Sein und Sollen
(1-156,71)
3014-存在の限定:02/04/29 02:53
「存在「と」……」〜「存在であって……ではない」
Sein und.... 〜 Sein und nicht....

「……」=「存在の他者」「存在から区別され」「何らかの仕方で
     特別に存在に属しているようなもの」
(1-156,71)
3024-存在の限定:02/04/29 03:04
「問うことの」「これまでの経過」

「どこからか届けられたもの」
→「問うに価するもの」Frag-wuerdigkeit >>258
→「われわれの歴史的現存在の隠された根拠」 >>296
   Grund unseres geschichitlichen Daseins
(1-157,71)
303駄弁:02/04/29 03:20
>>302
「それだけではない。ギリシア人たちが存在の解釈にむかって切り開いた
端初によりかかってひとつのドグマが出来上がり、これが存在の意味への
問いを余分なものと説くだけでなく、この問いをなおざりにすることをあ
まつさえ公認するようになったのである。それによると「存在」はもっと
も普遍的でもっとも空虚な概念である。」
「存在に向かって問うことは不必要だという信念をたえずあらたに植えつ
け育てているいくつかの予断を、われわれはこの考究の初めに詳しく論ず
るわけにはいかない。これらの予断は、古代の存在論そのものに根ざして
いる。」
(『存在と時間』第1節、2,3 )

 『形而上學入門』をここでいっている存在論の予断を論ずる試みとして
見てもいいだろう。形而上學は乗り越えられるべきものというべきか。
しかも西洋の歴史的現存在を貫いていることが自覚されたならば、やり
すごすこともできないもの。われわれ非西洋人には無関係? そうでは
ないだろう、われわれも既にひとつの歴史に巻き込まれている。
 それはともかくここに少しフロイト的なものも感じられないではない。
無自覚であることのその根拠。存在の歴史は存在忘却の歴史であること。
明確にすることはできないけれども知っていること。それは言葉と切り放し
がたく結びついている。……いい加減な連想による駄弁。
「存在」≠「空虚な語」
    〜「多面的に規定されている」
    〜「被規定性を十分に保護する」ため
    →「われわれの將來の歴史的現存在の一根本経験になるまで展開」

以下に「区別の遂行」の「正しい仕方」のための「方針を示す」
(1-157,71)
3054-存在の限定:02/04/30 02:26
(1)「存在」「他者に対立」→「限界設定」〜「被規定性」

1. Das Sein wird eingegrenzt gegen Anderes und hat daher in dieser
Grenzsetzung schon eine Bestimmtheit.
(1-158,72)
3064-存在の限定:02/04/30 02:31
(2)「限界付け」「四つの観点」→「存在の被規定性」「分岐」(高/低)

2. Die Eingrenzung geschiecht in vier unter sich aufeinander bezogenen
Hinsichten. Demgemass muss sich die Bestimmhteit des Seins entweder
verzweigen und erhoehen oder absinken.
(1-158,72)
3074-存在の限定:02/04/30 02:38
(3)「四つの区分」≠「偶然的」
        =「必然性」〜「相関的」「根源的に吸収しあう」

3. Diese Unterscheidungen sind keineswegs zufaellig. Was durch sie in
einer Geschiedenheit gehalten wird, draengt urspruenglich als zusammen-
gehoerig zusammen. Die Scheidungen haben deshalb eine eigene Notwendig-
keit.
(1-158,72)

3084-存在の限定:02/04/30 02:52
(4)「この対立」←「存在という語の形成過程と密接な連関において発生」
         「哲学の問うことの始まりとともに」

「その存在の開明性」→「西洋の歴史にとって規準的」

4. Die zunaechst formelhaft anmutenden Entgegensetzungen sind daher
auch nicht bei beliebigen Gelegenheiten aufgekommen und gleichsam als
Redensarten in die Sprache geraten. Sie entstanden im engen Zusammenhang
mit der Praegung des Seins, dessen Offenbarkeit fuer die Geschichite
des Abendlandes massgebend wurde. Sie haben mit dem Anfang des Frages
der Philosophie angefangen.
(1-158,72)
3094-存在の限定:02/04/30 02:59
(5)「四つの区分」「すべての知ること、行なうこと、言うことの中へ浸透」

5.Die Unterscheidungen sind nicht nur innerhalb der abendlaendischen
Philosophie herrschend geblieben. Sie durchdringen alles Wissen,
Tun und Sagen auch da, wo sie nicht eigens oder nicht in diesen Worten
ausgesprochen werden.
(1-158,72)
3104-存在の限定:02/04/30 03:02
(6)「四つの標題の順序」>>300〜「本質的連関と」「形成過程の歴史的継起の順序」

6. Die aufgezaehlte Reihenfolge der Titel gibt schon einen Hinweis auf
die Ordnung ihres wesentlichen Zusammnehangs und der geschichitlichen
Abfolge ihrer Praegung. 
(1-158,72)
3114-存在の限定:02/04/30 03:04
「存在と生成」「存在と仮象」
〜「ギリシア哲学の元初において形成」「最も古い」「最も周知」
(1-159,72)
3124-存在の限定:02/04/30 03:08
「存在と思考」
〜「プラトンとアリストテレスとの哲学によって」「展開」
 「本来の形」〜「近代の初期」
 「最も複雑」「最も問題的」「最も問うに価する」die fragwuefdigste
(1-159,72)
3134-存在の限定:02/04/30 03:15
「存在と当為」
〜「かすかに」「下書き」「ギリシア人」「ονの特徴をαγαθονと認めること」
 「もっぱら」「近代」「18世紀以来」
「存在者一般に対する近代精神の態度の中の重要な一つ」
 neuzeitlichen Geistes zum Seienden
(1-159,72)
3144-存在の限定:02/04/30 03:20
(7)「存在の問いを根源的に問うこと」
 〜「存在の本質の真理を展開するという使命」
 〜「四つの区分の中に隠されている諸力」→「独自の真理へ連れ戻す」こと

7. Ein ursruengliches Fragen der Seinsfrage, das die Aufgabe einer
Entfaltung der Wahrheit des Wesens von Sein begriffen hat, muss sich
den in diesen Unterscheidungen verborgenen Maechten zur Entscheidung
stellen und sie auf ihre eigene Wahrheit zurueckbringen.
(1-159,73)
3154-1-存在と生成:02/04/30 19:02
Sein und Werden
(1-160,73)
3164-1-存在と生成:02/04/30 19:08
「硬化してしまってる一つの考え方」:
 「成るものはいまだない」
 「あるものはもはや成る必要はない」
 「存在者は」「成ることができたなら」「すべての生成をやめてしまう」
 「本来の意味で「ある」ものは」「生成に」「抵抗する」

Was wird, ist noch nicht.
Was ist, brauct nicht mehr zu werden.
Was >>ist<< das Seiende, hat alles Werden hinter sich gelassen,
wenn es ueberhaupt je geworden ist und werden konnte.
Was >>ist <<im eigentlichen Sein, wiedersteht auch allem Andrang
des Werden.
(1-160,73)
3174-1-存在と生成:02/04/30 19:13
「パルメニデス」(「紀元前6世紀から5世紀の過渡期に生きた」)
「思惟-詩作し」「存在者の存在を生成と対照して取り出した。」
denkend-dichtend das Sein des Seienden im Gegenhalt zum Werden herausgestellt.

「説教詩」>>Lehrgedicht<<(断片八 v.1-6)
(1-160,73)
3184-1-存在と生成:02/05/01 00:39
μονοs δ’εστι μυθοs οδοιο /
λειπεται ωs εστιν・ταυτμι 
δ’επι σηματ’εασι / 
πολλα μαλ’,ωs αγελεστον εον 
και ανωλεθρον εστιν,
εστι γαρ ουλυομελεs τε  
και ατρεμεs μο ατελεστον,ουδε 
ποτ’ην ουδ’εσται,επει νυν εστιν
ομου παν, / εν,συνεχεs・/
(1-161,73)
3194-1-存在と生成:02/05/01 00:45
>>Einzig aber noch die Sage des Weges bleibt
(auf dem sich eroeffnet), wie es um sein steht;
auf diesem (Weg) es Zeigendes gibt es gar Vieles;
wie Sein ohne Entstehen und ohne Verderben,
voll-staendig allein da sowohl
als auch in sich ohne Beben und gar nicht erst fertig zu stellen;
auch nicht ehemals war es, auch nicht dereinst wird es sein,
denn als Gegenwart ist es all-zumal, einzig einend einig
sich in sich aus sich sammelnd (zusammenhaltend voll von Gegenwaertigkeit).<<
(1-161,73)
320考える名無しさん:02/05/01 01:01
>>319 翻訳ソフトによる訳

>> only however still the legend of the way remains
(opened on), as it over its is;
on this (way) there showing is it much;
to be placed as its without developing and without spoiling,
completely alone there
both and in itself without quake and not even completely;
also not formerly was it, also not that once it will be,
because as present it is all too times, only in-ends
itself united in from collecting itself
(holding together fully of Gegenwaertigkeit).<<
321考える名無しさん:02/05/01 01:13
「シンブリキオス(『アリストテレス「自然学」注解」144,29)
非存在の廃棄に続く部分は、以下のごとくである。
 なお語られるべき道として残れしはただひとつ。
 すなわち、「ある」という道。この道には実に多くのしるしがある。
 すなわち、存在は不生にして不滅。
 それは五体完全にして揺るぎなきもの、また終りなきものであるから。
 それはかつてあったとか、[いつか]あるであろうといってものではない。
 その全体が今同時にあるのであるから。
 一なるもの、連続なるものとして、
 なぜなら、それのどのような生まれを汝は探し求めようというのであるか。
 いかにして、どこから成長してきたというのか。あらぬものからであるとは、
 いうことも考えることも私は汝に許さぬであろう。なぜなら、あらぬとは、
 語ることも考えることもできないことだから。またどんな必要がそれを駆り立てて、
 先あるいは後になって、無からはじまって生じさせたというのであるか。
 かくして、全くあるか、全くあらぬかでなければならない。
 また確証の力が許さぬであろう。ある時あらぬものから、
 それとは異なる何かが生じきたるなどということは。それがために正義は
 足枷を弛めて生成したり消滅したりすることを許さず、
 保持しているのだ。それらについての判決はかかって次の点にある。
 すなわち、あるか、あらぬかである。だが判決は必然のこととして
 次のようにくだされた。 
322考える名無しさん:02/05/01 01:19
「一方は考えられないもの、いい表わし得ないものとして捨てるべし。
 (真なる道でないがゆえに。)
 そしてもう一方を、あるもの、真実なるものとして選ぶべしと。
 どうして存在が後になってなくなるということがあろうか。
 またどうして生じるといったことがあろうか。
 なぜなら、生じたのであるなら、それは[それ以前には]ないし、 
 またいつかあるであろうというのなら、[今は]あらぬからである。
 かくて生成は消え去り、消滅はその消息の聞かれぬのもとなった。」
 (日下部吉信編『初期ギリシア自然哲学者断片集1』ちくま学芸文庫、439-440)


 
3234-1-存在と生成:02/05/01 01:22
「これほど思惟的な言さえも」「残存するのは」「この数少ない語句」
(1-162,73)
3244-1-存在と生成:02/05/01 01:32
「σηματα」≠「存在の符号」Zeichen des Seins
        ≠「述語」Praedikate
 =「存在へと見遣ることの中で存在の側から存在自身が示すもの」
  was im Hinblick auf das Sein aus ihm her es selbst zeigt

「発生や消滅を」「存在から」「遠ざけ-保ち」「突き放さねばならない」
Bei solchem HInblick auf das Sein muessen, fort-sehen im aktiven Sinne:
sehend weg-halten, ausstossen.

「α-とかουδε」「で遠ざけられるものは」「存在にふさわしくない」
(1-162,74)
3254-1-存在と生成:02/05/01 01:39
「パルメニデスの言」
「存在」〜「不安定や交替に関わりのない」umberuehrt von Unrast und Wechsel
     「自己の中へと集められた存続的なものの独自の堅固さ」
in sich gesammelte Gediegenheit des Staendigen

「ヘラクレイトスの説」
παντα ρει alles ist im Fluss
「存在はない」「すべては生成で「ある」」
Danach gibt es kein Sein. Alles >>ist<< Werdesn.
(1-162,74)
3264-1-存在と生成:02/05/01 01:44
「存在」/「生成」〜「哲学の全歴史を貫く対立」

「反対」
「すべての哲人は根本的には同じことを言った」
「この「同じ」」〜「内的真理」「汲み尽くし得ないほど豊かに蔵している」
(1-163,74)
3274-1-存在と生成:02/05/01 01:51
「ヘラクレイトス」〜「パルメニデスと同じことを言っている」

「生成の説を」「19世紀のダーウィン主義者の考えから解釈してはならない」

「パルメニデスの偉大な時代」
「存在者の存在についての言」
 〜「語る存在の(隠された)本質をそれ自身の内に持っている」
 〜「偉大さの秘密」
HIer in dieser grossen Zeit hat das Sagen vom Sein des Seienden
in ihm selbst das [veborgenene] Wesen des Seins, von dem es sagt.
In solcher geschichitlichen Notwendigkeit besteht das Geheimnis
der Groesse.
(1-164,74)
3284-2-存在と仮象:02/05/01 03:51
Sein und Schein
3294-2-存在と仮象:02/05/01 03:58
「存在と生成」「存在と仮象」〜「同じく原初的」Gleichurspueglichkeit
〜「両者の深い連関」「閉ざされたまま」

「原初的」「ギリシア的に把握する必要」urspruenglich, d.h. griechisch
〜「容易ではない」←「近代の認識論的誤解」
 neuzeitliche erkenntnistheoretische Missdeutung
〜「たいてい虚しい結果に終る」
(1-164,75)

3304-2-存在と仮象:02/05/01 04:07
「存在/仮象」
〜「現実的なもの/非現実的なもの」 Wirklich / Unwirklich
 「本物/偽者」 Echt / Unecht

「潜んで」いる「評価」:「存在が優位」

「還元」:「存在/仮象」→「存在/生成」

「存在」〜「存続的」
「仮象」〜「ときたま浮び出てきて」「儚く定めなく再び消滅」
Das Scheinbare ist das zuweilen Auftauchende und ebenso fluechtig
und haltlos wieder Verschwindende gegenueber dem Sein als dem Staendigen.
(1-165,75)
3314-2-存在と仮象:02/05/01 04:17
「存在と仮象の区別」〜「周知のもの」「浅薄になってしまった」
           「使い古された小銭のようなもの」
           「道徳的指示」「生活規則」
           >>mehr sein als scheinen<<
(1-165,75)
3324-2-存在と仮象:02/05/01 04:22
「われわれは理解していない」
「存在と仮象がもともとどんなふうに相互に分離しているのかを」
←「元初的、歴史的に生じたこの区別から脱落」

「存在と仮象の隠された統一を把握せねばならない」
Die verborgene Einheit von Sein und Schein gilt es vor allem zu begreifen.
(1-165,75)

3334-2-存在と仮象:02/05/01 04:24
Wir muessen, um die Scheidung zu begreifen, auch hier in den Anfang zurueck.
(1-166,75)
3344-2-存在と仮象:02/05/01 22:52
「ドイツ語の中にも」「区別の理解へと誘導してくれる」「足跡」がある。

「二種類のScheinおよびscheinen」「一方は他方の変種」
「見せ掛け」←「現象する」「現前へと到来する」
Die Sonne z.B. kann nur deshalb den Schein an sich haben, dass sie
sich um die Erde bewegt, weil sie scheint, d.h. leuchtet und im
Leuchten erscheint, d.h. zum Vorschein kommt.
(1-167,76)
3354-2-存在と仮象:02/05/01 23:05
「三通りのSchein」
(1)「光輝と照り輝き」
    den Schein als Glanz und Leuchten
(2)「現象」「或ものがそこへと到来する現-前」
    den Schein und Scheinen als Erscheinen, den Vor-schein,
    zu dem etwas kommt
(3)「単なる見せかけ」「外観」
    den Schein als blossen Schein, den Anschein, den wtwas macht

「Scheinの本質は現象」
Das Wesen des Scheines liegt im Erscheinen.
「自己を-示すこと」「-呈-示すること」「停-立すること」「前に-横たわること」
das sich-zeigen, Sich-dar-stellen, An-stehen und Vor-liegen

Sapphos Verse:
αστερεs μεν αμφι καλαν σελαναν...
das Gedicht von Matthias Claudius:
>>Ein Wiegenlied beiMondschein zu singen<<
(1-167,76)



3364-2-存在と仮象:02/05/01 23:21
「存在」の「ギリシア的理解」:
 「存在は」「φυσιsとして自己を開示している」
 「発現し-滞在する支配」das aufgehend-verweilende Walten
  〜「それ自身において同時に光っている現象」
   in sich zugleich das scheinende Erscheinen

「φυ-という語幹」「φαι-という語幹」〜「同じことを意味する」

「φυειν」「自己の内に休らっている発現」
        in sich ruhende Aufgehen
=「φαινεσθαι」「ひらめき輝く、自己を示す、現象する」
             Aufleuchten, Sichzeigen, Erscheinen
(1-168,77)


3374-2-存在と仮象:02/05/03 10:22
「ピンダロス」
 「φυα-」=「現存在の根本規定」die Grundbestimmung des Daseins

「το δε φυα κρατιστον απαν・」
 「φυα-」〜「全くもっとも力強いもの」das Maechtigste ganz und gar

「φυα-」〜「根源的、本来的に既にそれであるものそのもの」
   was einer urspruenglich und eigentlich schon ist
       ×「あとから無理矢理とって付けた様な作り事」
   nachher erzwungenen und verzwungenen Gemaechte und Getute

「存在」〜「高貴なものと貴族との根本規定」
 das Sein ist die Grundbestimmung des Edlen und des Adels.

「存在する」〜「現象する」 ×「あとからの付け足し」
「存在は現象として現-成する」
Sein west als Erscheinen.
(1-169,77)     
3384-2-存在と仮象:02/05/03 10:28
「通俗的な考え」←「浅薄な理解」:
 「ギリシア哲学」〜「「実存論的に」客観的存在自体を説いた」
          >>realistisch<< ein objektives Sein an sich

Wir muessen Titel wie >>subjektiv<< und >>objektiv<<,
>>realistisch<< und >>idealistisch<< beiseitelassen.
(1-169,77)

3394-2-存在と仮象:02/05/06 09:30
「存在」〜「現象」→「非隠蔽性」Unverborgenheit αληθεια

「誤解」:αληθεια--「翻訳」→「真理」>>Wahrheit<<

「真理のギリシア的本質」〜「φυσιsとしての存在のギリシア的本質」
 〜「存在者は存在者として真である」Das Seiende ist als Seiendes wahr.
  「真なるものは」「存在的である」Das Wahre ist als solcher seiend.

「真理は非隠蔽的なものとして決して存在への付加物ではない」
Die Wahrheit ist als Un-verborgenheit nicht eine Zugabe zum Sein.
(1-170,78)
340 :02/05/11 17:01
age!
341考える名無しさん:02/05/11 17:08
試験前のノートの内容をレスしなくてもいいものを・・・

利用させてもらうので、「 あげ 」とくことに止揚。
342tyye:02/05/11 20:12
rerety
343考える名無しさん:02/05/14 22:02
pasokonn kowareta utushi
344考える名無しさん:02/05/20 20:36
Nichts zu sagen
345考える名無しさん
こんなスレがあったのか