宗教とは何か?

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108考える名無しさん:02/05/02 00:00
>>107
ていうかさ、
「価値観というものは個々人の自我もしくは身体そのものに密接に関係して形成される」
というのがわけわからんのだが。
何かを言っているようで何もいっていない。
単純に「俺は誰からも影響されず俺だけで考えている」
といいたいだけちゃうんか、と。
109考える名無しさん:02/05/02 05:28
>>108
00:00ジャスト あなたは神!
11080:02/05/02 08:05
というか、お題が「宗教とは何か?」なんでしょがw
たとえばそれは社会であったりしたりしたわけね
もっというなら社会の源泉であり、その中心かつ頂点にあったわけ
で、今はそれが「戦争」とやらにシフトしてしまった、というのは
そりゃルデンドルフやらデュルケム、バタイユ、カイヨワのあたり読めば
わかることだろうし、同時に肌で実感することができると思うけどね
さて、次に、宗教の本質たぁ、なんでしょか、というあたりなんだけど
オットーじゃないけどヌミノーゼ(das Numinose)(ウムラウトつけなくちゃw)
っていう概念がでてくるわけ。
たとえばカントなんかも「単なる理性の限界内における宗教」
通常「宗教論」っていうやつで三批判書からの総まとめで宗教について
述べたけど(道徳律としてのそれを確立してみたりw)
結局さ、晩年になってそれの誤りについて気付いた、っていうエピソードもあるしw
じゃあ、結局、宗教の本質ってなんなのか?
ってことになると、オットーのそれもまじえて(3でもカキコしたように)
「宇宙の直観と感情である」っていう言葉を読み取るのが一番の近道
なんじゃないかなぁ、って思うところなんだけどネw

そんなことより今晩はプロレスだぞ
…サッカーもいいが、プロレス、これw
11180:02/05/02 08:13
要するに、社会構造としての宗教と
宗教たる由縁のその本質(そう漏れが思い込んでるだけカモカモw)
のあたりでもっと考えてみるのもよいな、ってことです

よく人間が集団生活する上で宗教ができて・・・とかいうけど
それ以前の根源的なとこに宗教感情があったんじゃないの?
っていう点もいいたいワケでして
さて、外出してきますw
112考える名無しさん:02/05/02 11:12
>>111
では聞くが
社会と宗教どっちの発生が先だと考えるんだ?(w
113考える名無しさん:02/05/02 14:52
>>112
ですが、
社会は宗教を醸成する揺り篭であって、一旦結晶化した宗教の核は
単なる社会の一側面とは言い捨てがたい。とも思います。
114考える名無しさん:02/05/02 16:22
>>113
宗教自体が結晶化してたら現在社会から見た考察でも
余り差違ないように思うのは俺だけかなぁ?
だって111は結晶過程から考えよう ってんでしょ?

何処までを宗教とするかにもよるけど
原始宗教や民族宗教まで含めるとかなり重要な位置占めると思うんだが。
11580:02/05/02 18:24
タダマー
そだねぇ、ここで宗教感情、というか、それを即ち宗教と同義とするか
そこも問題かもしれないネwけど、折れはそれを宗教の本質、と
ここでは置いてあるってとこに注目してくださいませ

>>112
まず、人間というものそのものに宗教感情があるんだよネ
そして人間がイパーイいるとそこに社会ができる
ま、そゆことですw
このへんは漏れの立場もあるんだろけどさ

>>113
ゆりかご、という側面もあるが、しかし核はそもそも
人間にある本来性みたいなもの、と漏れは考えます。
で、社会の核とも宗教が過去はなっていたのですが
(今でもそうでもありますが)現在はそれが薄れ
かわりに戦争というエネルギーが社会の中心といえるのではないでしょうか?

>>114
何処まで、ねぇ。
たとえば戦前の日本においての天皇ってのは、神社ってのは
もちろんプロパガンダとしてもそれがあったわけなのだけれども
それだけでなく呪術的な面もありありだったと思うんだよネ
完全な意味における近代国家ではなかった、という視点からなんだけどさ
このへんの日本云々について語ると長いので割愛したりw

(まぁここからニーチェ云々などなど、はじまったら止まりませんw
中世のあたりからの存在論に触れてもとてもおもしろいしね)
116考える名無しさん:02/05/02 18:27
修行するぞ

みんな、修行してる?
117考える名無しさん:02/05/02 19:00
宗教は法律です
118考える名無しさん:02/05/02 19:12
お金が、かからなくて、入会脱会が自由で、
日常生活において、そっとしておいてくれる
宗教が、あったらいいな。
もちろん、新聞をとらなくて、会合には自由参加、
選挙応援活動はなくて、強引な信者獲得の義務もなく、
食事の制限も、普段着るものも自由。
119考える名無しさん:02/05/02 19:28
宗教の本質かぁ・・・
俺の考えでは「精神的指標」かなぁ
精神的って言うと曖昧すぎるかも知らんが。

自分にとっての「解らないもの」に対応する時の指標として
宗教ってある気がする。
(決め兼ねる倫理問題とかもそうかな)
現代社会じゃ選択肢が多くて宗教でなくても良くなってるから
時代が進むに連れて宗教色が薄い社会が発生してると思う。
信仰って意味じゃ思想や主義に入れ込むのもその一つっぽいし。
120考える名無しさん:02/05/02 21:19
ウィリアム・ジェームズ「宗教的経験の諸相」も
社会化される前の、個人的な宗教的感情や体験の具体例が
たくさん載ってて参考になりますね。

漏れも宗教を社会的機能や役割から考察して、結果「宗教は〜に過ぎない」
っていう論法は皮相的過ぎると思う。

なぜか世界というものがあり、そこになぜか自我意識を持った私というものが
あるという、説明のつかない奇跡を自覚したとき宗教が発生するんじゃないかな。
だから自分や世界があるってことの自明性に何の疑問を感じない人は
宗教にも無縁な人と思われ。
121考える名無しさん:02/05/02 21:28
心の整理、自己解決を経て、信じて決断すること
の総体がその人の宗教みたいなものだと思われ。
122 :02/05/02 21:32
カトリックって脱会手続きないんだよね・・・
123119:02/05/02 22:01
111の言い分も解るんだけどね^^;

社会から見た場合宗教は実相としては道具のようにうつるし
集団が広がりを見せないと宗教と言えないってのも解る。
(一人だけだと個人的妄想と言えなくも無い^^;)
ただ、本質って考えちゃうと最小構成要素の個人まで
結局行っちゃうんじゃないかな と。

んで両者の視点から現状に沿う線を考えると
「倫理的指標としての役割」ってのが妥当かな? と。
そんで「精神的指標」ってしてみました(w
124達磨:02/05/02 22:23
遅レスすまぬが、>>84よ。これはコテハンなのだ。この板に来るとよく誤解されるが。
>>93
 それは違う。人間は宗教で発達してきたと思わぬか?宗教は理由なのだよ。
自分の存在とか、行動とかに対する。
125119:02/05/03 02:29
宗教を考える時「恐れ」の感情の影は散見されるのは
否定される方はあまりいないかと思います。

原始社会からあったろうその感情。不安。不可解。
その答えとしての宗教。そんな気がします。
多分この辺りは80の方も同意されると思うんですが。

結果として恐れの影は存在論を生み今にあると思いますし
アジの道具的に使われたその時、多数に肯定を促す訳で。
でも「指標」だから本来的な選択権は自分にあるんですよね・・・

んーでも仏教解釈的過ぎますかねぇ・・・^^;
126考える名無しさん:02/05/03 05:30
>>125

「道具」とか「指標」だとかよべない、「自分」という存在が抱える本質的な部分に宗教があるんじゃないか?
127考える名無しさん:02/05/03 07:11
宗教とは
神とか悟りとか聖なる書物とか、絶対的な点を定める事で
さまざまな疑問について説明したり、思考に歯止めを与え
規則性・方向性のある行動に向かわせるもの。導くもの。
「なぜ私はここにいるんだ!」とかいう余計な事を考える(煩悩を持った)脳みそであるところの人間が必要に応じて生み出したもの。
128考える名無しさん:02/05/03 07:20
信じること
本当に大切なものが何か考えて自分の道を進むこと
129127:02/05/03 07:29
>>128
きちんとはじめから物事を考えるためには批判的な態度が必要だし、
何かを信じて固持する事とは時に対立すると思うが?
悪い意味で「宗教的」という時、何も考えないで信じてまつり上げるようなのを指すよね。
考えすぎて迷わないように信じる対象を与え進むべき方向性を指し示すのが宗教でしょ。
弊害として思考停止して殉教したり虐殺したりといった方向に進む事もあるわけで。
13080:02/05/03 09:29
オハヨー
GWなのにハヤネハヤオキが治らない健康的な漏れw
・・・最近まで昼夜逆転だったクセによくいうよな。。。w

>>118
そういう意味じゃキリ教や仏教はよいヨw

>>119
まぁ、とにかくヒマがあったらルドルフ・オットーの聖なるもの、
目ぇ通してみるのも悪くないヨw
んで、オットーなんだけどさ、それについて軽く触れてみると、、
彼は宗教体験ってのはヌミノーゼ体験である、ってしたのね
das Numinoze(ウムラウトのだしかたわからんw)ってヤツね
それは造語でさ、numen(神性)からきてるわけデスデス
じゃあヌミノーゼ体験ってなんなんだろか?ってとこね
それは神秘、秘儀的な、戦慄すべき、優越的、力ある、魅する、巨怪なるものである
としたわけね。

das ganz Andere(絶対他者)←これの体験が「聖」である、と彼は定義したのヨ
そりゃどゆこと?っていうたら
人間が有限的諸関係からきりはなされること、ね。

まぁ、ともかく、>>120なんかがいっているように
宗教、あるいは宗教感情ってやつは、人間から切っても切り離せないものなのね

(レスはまだまだ続くw)
13180:02/05/03 09:56
>>125
>>126たんのを参照しておくれw
さて、ここが問題だ、恐れ、ってやつね
ぴったりくる言葉は、そだねぇ、さっきのヌミノーゼ云々もそうだけど
漢字ならば「畏怖」
これがもっともしっくりくるかね
で。そこから存在論にくるわけだけど
存在論なんて漏れ程度が語れるかゴルァ!!(藁

ま、まぁ、ともかく、だ。
そこにおいて神があるか、ないか、これがもの凄く大きい問題になる
ってのはご存知の通り。中世の、たとえばトマス・アクィナスやら
エックハルトのそれでの解釈はヒトツの指標になるかもね
(詳しくはエックハルトスレを参照wあ、これでバレバレですなw)

ここで>>129
虐殺あったりぃ、とかと、宗教云々についていうてるけどさ
それはあくまで宗教というものの衣に過ぎず、
我々一人一人に最初から備わっている宗教(的本質、的感情)とは
異なるところにあるのね。それは社会としての問題でしょう。
人間の本質として、宗教(感情)があり、人間は社会をつくる生き物である、
だからこそ我々は注意深くそれをとらえながら、生きていかなくちゃいけない
ってことなんだけどねぇ。ま、こっちもナマモノだしそうもいかんか(藁

(ちなみに漏れは禅ラヴラヴなヒトです
…京都学派?wそれの影響ってワケじゃないんだけどね)
132猫電波:02/05/03 11:43
>虐殺あったりぃ、とかと、宗教云々についていうてるけどさ
>それはあくまで宗教というものの衣に過ぎず、
どうでしょ。殉教とかを理解するのに宗教的感情を抜きには難しいと感じるけれど。
13380:02/05/03 11:53
>>132
ん、そりゃそだよ
抜きに考えられる、といってるわけじゃない<衣
ただそれは宗教的感情のみに依存してるものではない、ってことw
どうしようもない限界状況において、それでも守るべきもの(と思えるもの)
のために殉教することと、殉教っていう言葉を一人歩きさせて
それを使用することはまた別モノだしネw
134考える名無しさん:02/05/03 12:22
どっちにせよ、宗教について語ることは非意義的だよ。
135考える名無しさん:02/05/03 14:09
宗教とは何か。
宗教とは、それを何かと問う人のオカズ
136考える名無しさん:02/05/03 14:10
言語の無い世界
137考える名無しさん:02/05/03 14:38
信仰が語れないものだとしても社会の中にそれを核とした集団があり、時に逸脱した行動で社会を乱したり、その他の影響を及ぼしうる以上、
宗教を語る事は意義がある。…と、思うんですが。


(宗教的体験)

世界への畏・怖・驚・迷

(宗教的体験)

人間にはコントロールできない何か(聖なるもの)を仮定し世界を物語ろうとする行為

秩序の形成。集団の形成。
13880:02/05/03 23:45
コバワー。友人帰宅してった、疲れたw

>>137
>>135はそゆ意味じゃなくて、たとえばカントに代表されるように
語られえぬもの、理性の範疇外について語るのは無駄
っていう意味でいったんじゃないの?w
139えすお:02/05/03 23:50
人を操るおまじない。
140127、129、137:02/05/04 02:00
>>127>>129>>137です。

>>138 の80さん

>>134さんがおっしゃるように、そしてあなたがおっしゃるように、
宗教的感情とか体験と言うものが理性の範疇外の語り得ぬものだとしても、
ことばによって宗教の(表層的な事かもしれませんが)成り立ち、機能、立場を
捕らえようとする事は、それによって宗教(活動・組織)をどう捕らえ
どういう立場で対処するかの指針を持つ事ができるという点で有意義だと思いますが。
私の言っている事は134さんと噛みあっていないでしょうか。
141考える名無しさん:02/05/04 02:46
>>140
ここは宗教の活動や組織について
「対処」の「指針」を語るスレなんですか?
142考える名無しさん:02/05/04 03:31
電波。
いや、マジいろんな意味で。
>>142
君自身が電波って比率が9割半
144140:02/05/04 04:09
>>141の方
ここは宗教とは何なのかを言葉によって説明する事を試みるスレだと思います。
んで、私は私なりの考えを>>127などで示しました。>>137後半の図もね。

それに対してと言いますか、このスレに対して>>134の方が、宗教を言葉で語ろうとする事は意義が無いとおっしゃったので、
私は意義はあると思うと述べたまでです。
145考える名無しさん:02/05/04 05:23
私は宗教とは価値判断の基準だと思います。
何かが正しいと思い込まなきゃ人間は何もできないでしょ?
今は科学がもてはやされて科学が宗教の一種だなんて思う人はあまりいませんけど
あと100年経ったら科学も宗教になってるかもしれないね。
多分昔の人はキリスト教だとか仏教を今の科学のように考えていたと思う。
146考える名無しさん:02/05/04 05:26
>>144
一応さ、>>1にも哲学的考察ってあるんだし・・・
147144:02/05/04 09:24
??
>>146さん
私は>>1の人を否定したりしたつもりはないのですが、
その「…」ってのはつまり、私の書いた自分の考えが、まるで>>1の人をバカにしているかのような
しょーもないものだって意味でしょうか。
たしかに社会学の入門書で斜め読みで習い覚えたような事を書いただけですけど。。
148考える名無しさん:02/05/04 22:07
社会システムというのはいわば根源的な宗教システムのことだ。
信と委任とを結びつけるコミュニケーションメディアによって成り立っている。
社会システムの再生産とは、信と委任の構造の再生産であり、
すべての社会は、人類学的にいって宗教システムが物象化されたものといえる。
149考える名無しさん:02/05/04 22:09
デュルケムもウェーバーも宗教の考察抜きには社会について
語れないと考えていたにちがいない。
150考える名無しさん:02/05/04 22:17

思うに、宗教とは社会関係を意味づける世界観みたいなものだと思う。
近代には、宗教と社会(政治や法や経済)との分離(分化)がすすむ。
しかしそれは名称上だけの話で、本質的なところでは近代社会において
宗教と社会とは不可分なものだと思う。

社会権力や政治権力の成り立ちの根源には宗教的な権力がある気がする。
国家というものの起源をたどると宗教的権力に辿り着くのではないだろうか。
151考える名無しさん:02/05/04 22:23
宗教は、もっと個人的な問題ではないのかな?
宗教=宗教団体、では全くないと思う。
152考える名無しさん:02/05/04 22:33
>>151
個人的な問題というより
愛の問題だと思います
153考える名無しさん:02/05/04 22:38
>150=152なら、
愛と権力は、どうつながるのでしょう?
154考える名無しさん:02/05/04 22:44
>>153
サドマゾ願望(w
155考える名無しさん:02/05/04 22:45
>>154
同意。
○×と▼■の間で、「揺れる」のではないかとおもわれ
156考える名無しさん:02/05/05 00:11
愛の問題っつーたら人間相互の関係とか人間と世界の関係っつー事になって、
結局社会の話にたどり着くのでわ。

なんらかの信憑、先入観、イドラを与えて個人の中にも社会の中にも秩序を与えるのが宗教ですね。
157119
まったりとレス(w

>「自分」という存在が抱える本質的な部分に宗教があるんじゃないか?

私としては宗教が人間の本質の1つではなく
人間の本質の写像的な存在が宗教だと思うんすよ。
(同じようで同じじゃないんだよね^^;)
その関係で他より社会学方向に偏っているのは否めないけど
それは承知の上だったり(w

本質の写像って言うとなんか変に思われるかもしれないが
聖書や経や論書はそれに当たるかな。

宗教って1人の覚者が意図して興す訳ではなく
周りを取り巻くコミュニティが基本的には作り上げるんだと思うんだな。
(分派や解釈の差違は大抵ここに原因があるんだと思う)
そのコミュニケーションの中に完全性が薄いからこそ
全く同じやり方や全く同じ方向を目指していないと言える。
(宗教と言う方法の多様性はあっても真理には同一性があるってやつかな)

ただ、道を示す事を宗教は出来ても選択は自分。
だから進む時の道標的なイメージを持つ人が多いと
思うんだがどうだろう?(w

本来的な選択が自分でできない宗教が
「カルト」とも言えるかもしんない。
でもこうして見ると現在の世襲での宗教は
ある意味カルトっぽいのかもね^^;