152 :
Aurelius ◆ESSE.EOM :02/09/05 06:06
人間の本来性ー理性中心主義ではひずみが生まれるのは仕方ありません。
実在的シミュラクルと”自覚”した理性の塔が、偶像が、しかし必要なのです。
人間の本来性が「関係」においてあることは共感してもらえると思えます。。
その「関係」を我々は理性においてではなく「感じる」ことができるのです。
(逆にいえば、真の意味で「感じる」ことによってでしか捉えられない)
故に、あたかもキルケゴールのいう諸段階(階段状のもの、とは正確には異なりますが)
を逆に宗教的段階より、”もう一度始める”その階段を降りることにより、
社会、道徳、倫理が再結晶化されるのは理性によるものではなく、
人間の”必然性””本来性”によって行うことができるのではないでしょうか。
(最後にもうヒトマトメしましょう)
153 :
考える名無しさん:02/09/05 06:07
>>151 ほんとうにごめんなさい.。oO(アニヲタオマエダロ,マジキモ)
154 :
Kurihara:02/09/05 06:11
僕はアニヲタではありません。
あずまんが大王スレの削除依頼を
ついさっき出して来たばかりなの
ですからね。
155 :
Aurelius ◆ESSE.EOM :02/09/05 06:14
宗教というものはもっと原理的な、人間が互いの”関係”、あるいは”神”を感じることによって
(神政は最初の民主制でした)”自然”に生成されたものなのです。
故に、私達は肥大化した文明における諸問題を
その文明の基盤となってしまったロゴス中心主義より
”人為的・理性的かつネクロフィリア的”に創り出された法(ロウ)
(それは特定の社会において、文化でしか通用しないことは明白です)や
”倫理”と名のつく”偶像”において解決の糸口を見つけ出すのではありません。
内奥からの慟哭を感じ、目覚めさせることによって解決を計るべきなのではないでしょうか。
もっともそれもまた理性という名の偶像に犯されることもやむをえないものです。
しかし常に内奥からの慟哭を感じつづけ、理性的倫理的世界、
かつその要求というものが、すでに矛盾をはらんだものであることを自覚しなくてはなりません。
故に、宗教性というものが、自然として求められるのです。
(こういったことをこういった風に言う、ということ自体が
論理矛盾になっているのですw)
しかし、この論理矛盾を内包しつつも超えた(超えようとした)ところに
ーあたかも詩的言語が内部と外部との間にあるようにー
エックハルトの言葉は私達に語りかけてくれるような気がするのです。
ですから、私はこれからもエックハルトを読みつづけていきたいと思います。
156 :
Aurelius ◆ESSE.EOM :02/09/05 06:16
むぅ、、、多少眠い中でカキコなので
ちょい見なおしたらアレな部分が多すぎる。。。藁
勉強しなおしてきましょう。。。。
何を思ったか宗教板を覗いてみますた
・・・なんだ、ありゃ、ほとんどデンパじゃねぇか。。。w
いや、きっと漏れもこのスレも一種のデンパなのかなぁ。。。w
158 :
Aurelius ◆ESSE.EOM :02/09/17 04:53
お久しぶりです。
そういえば、存在云々のところから話がずれましたねw
存在、のことですが、エックハルトは存在的、と存在論的、な区別についても
語っていました。
そして、全ての存在は神から、仲介者なしに直接存在を受け取っている、と述べます。
(続けます。アサゴハン食べてからw)
ヴェルテの本を翻訳した大津留氏は、毎年K西学院で集中講義
やってるだろ。今年もある(あった?)んじゃないのかな。
何度か講義に出たことがあるけど、話の内容は結構面白かったぞ。
身体が悪いので、講義の時間が変則的だったのは少し困ったけど。
>>159 やってますね
たしか経済と絡めてどーこーじゃなかったですか?<去年あたり
今年はエックハルトについてはなかったような気がします。
161 :
考える名無しさん:02/09/17 10:18
162 :
Aurelius ◆ZEESSE.EOM :02/10/18 03:27
お久しぶりです
そういえばエックハルトの研究書の一つで
Richard Woods の
Eckhart's Wayを手に入れました。
まだ読んでいる最中なのですが、なかなかおもしろげな本です。
とりあえず読み終わったら要旨だけでもちょこちょことカキコしていきたいですねぇ。。
163 :
考える名無しさん:02/11/06 06:17
講談社学術文庫のやつを古本屋でみつけたけど買うべき?
164 :
Aurelius ◆ZEESSE.EOM :02/11/15 12:45
>>163 まぁ、興味があれば買っても損はないと思われます
165 :
Aurelius ◆ZEESSE.EOM :02/11/15 12:46
学術文庫の、というと神の慰めの書、ですか?
それとも上田閑照のエックハルト、ですかねぇ
Aureliusさん。エックハルトは、悟りを開いたのか?
167 :
考える名無しさん:02/11/17 12:39
エックハルトはラテン語ですか?
ここは料スレっすね
168 :
Aurelius ◆ZEESSE.EOM :02/11/19 01:37
>>166 悟りというものをどのように規定するかによります。
私としては殺仏殺祖という概念で悟りがいえる、という立場にあるのですが・・・
しかし人間が日々、生活を送る中で仏教的悟りのままの生活ができるか、
と問われれば、疑問符をつけなければならないでしょう。
これは私見なのですが、二元論を突破した彼方こそがキリスト教のもつ本来的宗教性である、と思います
そしてそれは実存者が実存の二重性を持つがために(このへんはレヴィナスチックですがw)
その宗教性の持続というものは、限りなく不可能に近いともいえます。
私達はその宗教性を感じる度に、そしてそれは二元論の裂け目のこちらへ回帰する度に、
二元論の突破をー論理矛盾なのですが対象として捉えなおし「祈る」ことしかできません。
だがその祈りですらアポリアを含んでいます。
故に日常における本当の祈り、生活が必要とされる、と私は理解しています。
そのレベルの生活を、エックハルトは実践していたのではないでしょうか?
>>167 彼はラテン語とドイツ語でテクストを残しています。
というのは、ドイツ語による説教は民衆のため。
ラテン語によるテクストはアカデミックな場のため、だからです。
169 :
考える名無しさん:02/11/19 02:43
このスレスゲー好き
マターリ度がちょうどいい
本棚に眠ってる岩波文庫の説教集でも読んでみよう
170 :
考える名無しさん:02/11/19 03:22
Aurelius さんのお奨めの聖書はどこの出版ですか?
がルバリって人の翻訳っていいんですか?
あと岩波文庫訳とか
171 :
Aurelius ◆ZEESSE.EOM :02/11/19 03:49
友人が遊びに来てまして、今、ハミガキしながらこのスレを覗いているところです。
そろそろ寝なきゃやヴぁいので寝ることにしますが、、、w
>>169 どんな本でも久しぶりにページを開くと新たな感動があるものです
是非どうぞw
>>170 ガルバリ、、?ちょいと知りませんが、、
んー、まぁ、いえることは新共同訳も口語訳も訳としてはカンペキではないってことですね
まぁ、聖書なんて95%ぐらいがイエスの直接の言葉ではありませんしw
あ、最近の研究ではそれくらいっていう数値なだけなんですがね
岩波訳はそれなりにおすすめできますけどねぇ、、、
英語がある程度いけるのでしたら、RSVをおすすめします。
しかし値段的なことを考えますと、普通の新共同訳の聖書が
一番リーズブナルでしょうw
172 :
考える名無しさん:02/11/19 12:09
聖書―旧約・新約 フェデリコ・バルバロ (翻訳)
価格:¥6,600 出版社: 講談社
レビュー
出版社/著者からの内容紹介
わが国ではじめての理解を深めるイラスト・地図つき旧約・新約聖書 イラスト530図、歴史地図142図
・愛の知恵をもってこの労作にあたり、聖書への活躍をいわば集大成したバルバロ神父
に対する賞賛を惜しまない――駐日バチカン大使マリオ・ピオ・ガスパリ
・バルバロさんの人柄のような、人間的で面白い聖書――黒沢明
・教会が大切にしてきた伝統的な解釈を基礎に、平明で気品あるこの聖書が家庭で、書
斎で、居間で、心から親しまれることを望む――浜尾実
・バルバロさんの聖書は言葉も洗練されていて読みやすく、解説が十分にゆきとどいて
いるので、はじめて聖書を読む人にも親切な手引き書となっている――田中澄江
〈訳者序文より〉
聖書をひらく時には、「創世の書」からではなくて、「私を信じるものは死してなお生きる」
というキリストのみことばから読みはじめてもらいたい。
翻訳の仕事はたいそう困難をともなう。「神の奥義、宇宙、人間の存在、苦痛と死の奥義」
にふれる場合は、1つのことばを他のことばにかえるということだけではなく、ある沈黙、人間のある叫び、祈り、すすり泣きさえも他のことばに変えねばならない。……
著者紹介
1913、イタリア・ベネチア生まれ。1934、ローマ・グレゴリアン大哲学科卒。
1935、宣教師として来日。1947、聖書翻訳に着手。1961、イタリア騎士勲章受賞。
1965、文部省より文化功労感謝状拝受。1970、『キリスト伝』で日本翻訳文化賞受賞。
1996.2.29、イタリアで死去。著書80冊余。
ガルバリじゃなくてバルバロでした。すんません。なんかレビュー読むとよさげ
なので気になってたので聞いてみたかったのです。
老子や禅をやってるものです。最近やっとエックハルトを知りました。なんかあったら書きます。
…って、レスとまってる?
174 :
Aurelius:02/12/03 23:33
メインPCのモニターがおなくなりになったので
友人のノートをかりてカキコです
というかトリップはメインPCのHDDにあるのです、、、w
>>173 イェア!
そういえば、エックハルトとレヴィナスの他者論について書こうかなぁ
とか無茶なこと思ってるのですが、、、
はたして書けるのでしょうか、、、w
175 :
Aurelius:02/12/03 23:37
>>172 ちょいと知ってるヒトにそれ、よいのかどうなのか聞いてみることにします
バルバロときいて「ヴァルヴァロだぞォッ!」というガンネタを、、略
176 :
考える名無しさん:02/12/04 00:37
エックハルトよりもエッカートの方が響きがいいと思うんだけど、どう?
177 :
考える名無しさん:02/12/10 06:00
保全age
178 :
考える名無しさん:02/12/10 06:00
所詮神秘主義
179 :
Aurelius:02/12/10 06:12
>>178 じゃあ、ハイデガーもダメってことですね(藁
つか、寝ます。。
興味本位の質問です。
ローゼンベルグ「20世紀の神話」にエックハルトがいっぱい出てくるようです。
(怠惰にも読んでないのです。すんません。)
ただ興味はあります。
ローゼンベルグのエックハルト理解について何かご存知でしょうか?
ミーハーな質問ですが、どうぞよろしくお願いします。
シンガク コウヨウ
神学綱要
ニコラウス・クザーヌス著
大出哲(おおいで・さとし)訳 野沢建彦(のざわ・たてひこ)訳
国文社
本体3500円 20cm 227 49p (アウロラ叢書 )
4-7720-0497-1 / 2002.11 対象:学術
上田アンド田島sage
保守
184 :
Aurelius:02/12/31 01:35
お久しぶりです、大晦日ですね。
今やっと帰宅です。
>>180 ああ、それでしたら1975の現代思想の8・9月号をご覧になったらどうでしょうか
『デカルトと現代』っていうサブタイトルなんですけど
その中に「ヴァイマール期の反近代思考」 清水多吉
という論文があります。
で、それでローゼンベルグのエックハルト理解について少し触れられていました。
どうやらローゼンベルグの芸術論の原論にすぎないのではないか
というふうにそれには記されていましたが。。。
直接ローゼンベルグの著作を読んだわけではないのであれですがw
185 :
panta:02/12/31 01:37
ageというのがあったけど消えた。私はpanta、厚い文の中に居る。
解ったですか?
>184
ローゼンベルグについてのレスありがとうございます。
素人の興味本位の質問につきあっていただいてすいません。
参考にさせていただきます。
素人考えですが、旧秩序の破壊を志向する者が、神秘主義に惹かれるというのは割合あるのではないでしょうか?
ウエーバーの「プロ倫」の中でも、旧秩序の破壊者である「資本主義の精神」の源として、ルターからドイツ神秘主義にさかのぼっています。
素人の雑感ですが。。。。
187 :
考える名無しさん:03/01/10 10:46
(^^)
189 :
Aurelius:03/01/23 00:58
>>188 んー、それは神秘主義のどゆ側面に、でしょうか。
ん、ウェーバーのあれは神秘主義以来の内面重視と
それからのプロテスタント(ピューリタン、でいいかw)から
見られる外的なもの、たとえば道徳云々の比較であって
そこから資本主義の精神が〜っていうヤツですよね。
ええと、ご質問の意図としては旧秩序の破壊を志向した者=ルター
であって、彼が神秘主義にひかれていたので、、ということでしょうか?
まぁ厳密な意味でルターが旧秩序の破壊をどれだけ本気に志向していたのか
というのは断言することができませんが、、それはともかく置いておいてw
ルターの場合、神秘主義に惹かれていた、というのは時間系列的に
考えてみても(この言い方好きじゃないんですけどねw)自明かと思われます。
そういった統一志向を持ったプロテスタントのそれは
(カトリックにももちろんあるんですけど)ウェーバーに従うとすると
資本主義云々にも見うけられる側面だとは思います。
即ち<統一>とは(一者との、といったほうがいいかもしれません)
とても「暴力的」なものである、ということです。
ここらへんの統一&暴力的はレヴィナスなんかも指摘するところで
その通りだと思います。
これはカトリック的な(中世的な社会)から資本主義的な社会へ
以降してもなんら変わることはないものですから。
そこらへんはフーコーまじえて考えたら面白いかもしれませんね。
狂気の歴史、とかw
ともかく、問題は人間、なわけなんです(続く、、つもりですw
190 :
Aurelius:03/01/23 01:06
で、ここでいう神秘主義、エックハルトにおける神秘主義というものは
<一者>に対する<統一>でハァハァ
っていうプロティノス以来の、ハイデガーの存在素敵* でもいいですかw
そういったものとはまた少し違うわけです。
同時にレヴィナスなんかがいうような存在コワイ超ヤバイ
という意味だけでもありません。両者のいいとこどり、みたいなものだ、
と私は感じています<エックハルトの神秘主義
なにせ、これは統一だけでなく、生活についても触れるものなのですから。
そういった意味で禅仏教に対して、アドバンテージがあるんじゃないか
と思っています。
これはシュライエルマッハーの宇宙の直観云々に繋がる、と踏んでいます
(ヘーゲル?ヘーゲルなんて…と九鬼も言ってましたねw)
あ、でもそれはベルクソンの哲学的直観みたいな楽天的なもんでもありません
んー、個人的にはデリダとかの批判に耐え得ることができるもの、
本質的にはポストモダンな思想とあんまかわらないんじゃないかなぁ、、
と思いつつ、エックハルトを読んでいる日々なんですが・・・w
今日も長文でかつ駄文になってしまいました。。。
とりあえず、もう少し勉強してきまつ、、、
ドイツ語説教集を読んでいて思ったけど、
離脱しつつ日常生活を送るのってイメージわかないな?
192 :
Aurelius:03/01/25 01:08
完全に離脱しながら生活を送る、ということは実際問題、できないと思います。
というのは、仮に離脱ができたとしても(宗教的経験・体験、と言いかえましょうかw)
しかしながらそれを感じ取った瞬間ー直観といったほうがいいかもしれません
この直観は知覚(Wahrnehmen)と狭義の思惟(Denken)との作用の
完全な平衡状態としての直観(Anschauen)と考えて下さい。
ですが、そういった直観をしたとしても、瞬間、我々は
有機的作用が勝っている場合には知覚、知的作用が勝っている場合は
狭義の思惟にある、と思います(これはschleiermacherの考え方ですね)。
schleiermacherなどはその瞬間にのみ、永遠がある、といいました。
(続きましょうw)
193 :
Aurelius:03/01/25 01:24
で、そんな永遠の状態、絶対者とともにある状態にずーっといれるか?
といったら、いれるかゴルァ!っていうもんなんですよね、現実って。
じゃあ、離脱しつつ(ホントに離脱しつつ生活はあれだけれどw)
生活するってどゆことなんでしょうか?
それは「祈る」あるいは「祈り」だと思います。
祈りがそのまま本当の(本当ってコトバもキライですけどw)生活となるわけです。
ま、ここらへんのことは
>>168 で少し触れたと思うので
そちらをご覧下さいw
このへんについてはそれなりに書いたことがあったのですが、
そのテクストが別のPCに入っていまして、、
しかもそっちのモニターが死亡してしまったので、今、とりだせないんですw
(まだ友人に借りたノート使ってるのでw)
ですので、至らない説明ですが、上述したそれで納得していただけたら幸いです
ありがとうございます。
なんとなく分かったような気がしますw
もう少し説教集を読み込んで、考えていきたいと思います。
>>194 『絶対無と神』南山宗教文化研究所/編 春秋社
古い本だからあれだけど、読みやすいしいいと思います。
196 :
Aurelius ◆ZEESSE.EOM :03/02/05 23:35
お久しぶりです。
やっとメインPC、というかモニタが入ったのでトリップつきでカキコできます
いや、ベツにトリップなんざどうでもいいんですけどねw
そういえば、その”祈り”のアポリアー人間の有限性故のーについでですが
『神の慰めの書』相原信作訳 講談社学術文庫
の中の様々な箇所でエックハルトは触れていますので
よろしければ、是非w
というか、論文終わるのかなぁ、、、俺。。。
197 :
Aurelius ◆ZEESSE.EOM :03/02/05 23:36
ああっ?!
トリップにZがついてるw
気がつかないうちにトリップ、ヒトケタ多くなってたんですね、、w
すげぇw Aureliusって何者?
しかし、自分の存在が神が神である原因というのは、自分にとっての神でしかないのでは。
199 :
Aurelius ◆ZEESSE.EOM :03/02/14 01:32
>>198 ただの一介の学部生ですよ。
ん、質問の意図、なんとなくわかるんですけど
ちと日本語として通じにくいんですが、、、w
>じゃあ、離脱しつつ(ホントに離脱しつつ生活はあれだけれどw)
>生活するってどゆことなんでしょうか?
クリシュナムルティやグルジェフを読んでみなよ。
少しは理解できるかもしれないから。
201 :
考える名無しさん:
おい、山崎! この良スレも上げとけよ。