今、貴方が罵倒した
>>1は素晴らしい人です。
>>1をあまり知らない私には人格方面的擁護は無理なので
駄文ながら哲学的方面から擁護してみたいと思います。
古代ギリシアには沢山の哲学者たちが自然の変化に疑問を抱き、その謎に挑戦しつづけました。
彼らに共通する考え方はこうです。
「全ての変化の裏で立ち回っている何かがあるに違いない」
「全てがそこから生まれ、そしてそこへ帰ってゆく何かがある」
それは現在では「元素」と呼ばれている物でした。
動物が1匹死んだとします。
すると動物を形造っていた元素がバラバラになります。
この時、私達の目にはさも動物が変化し白骨したように見えます。
しかし集まり動物を形造っていた元素がバラバラになっただけで元素は変わらず元素のままです。
この世界はカラッポの空間と元素という名の無数のプロックがあるだけなのです。
そしてプロックが離れたりくっついたりする度に私達は変化したと認識しているのです。
このブロックの種類や数は昔から変わらず固定された数しかありません。
それでは話を戻しましょう。
貴方が今、氏ねといった
>>1の小指はその昔トリケラトプスのキバでした。
貴方が今、自作自演ウザイといった
>>1の髪の毛は、中世の狩人夫婦の子供の目でした。
そして貴方が煽った
>>1の爪と貴方の爪は同じ生命体の細胞でした。
私達が一つだった頃の幾つかの元素で
>>1は造られ、貴方は造られました。
全てはビックバンによりチリチリバラバラになった星屑の家族なのです。
そんな肉親、、、いや過去の自分の分身をどうして罵倒できますか?
こんなコピペがあったんだけど、これって真実?
>>1 ばかげたナンセンスな論理。
仏教でも似たような理屈で因果応報を
説明しようとしたのに出くわしたことがある。
例えば井川遥と山田花子の元素レベルの構成要素は似たようなものだろうが、
両者は何でこんなに違うのか。
その理由はひとえに一方はそれらの材料が井川遥型に「成形」されていると
いうところにある。
要するに材料の問題ではなく、それがどのような秩序で
構成されるかというところに意味があるのだ。