952 :
考える名無しさん:02/04/15 22:45
愛がなければ、一生、解らないだろう。
953 :
考える名無しさん:02/04/15 23:04
ひとを殺しても全然OK。何故なら君が人を殺しても君は生き残るだろ?
ここでウダウダ言ってるカスどもは君に殺されたくないが故に情けなくも
迂遠な布石を敷いているのだよ。ン、漏れ?漏れは大丈夫だよ。
ここに集ってるアフォどもとは違って適応性抜群だから。君の御眼に留まる
ことはないよ。
954 :
考える名無しさん:02/04/15 23:48
「殺人の否定に論理的根拠は無いが、君が殺しをすれば僕は困る」
とだけ言えばいい。
どっちかに偏って微視的な説教をする馬鹿な親は、今の子には軽蔑される。
あのー、私はまだ反論するつもりあるんで、みなさんもうちょっと待っててください。
感想を拝見しましたが、明らかに私の主張を読んでない文章が多くて悲しいです。
956 :
考える名無しさん:02/04/16 00:54
>>954 「君が殺しをすれば僕は困る」で十分じゃん?
人間社会は殺人を予防するルールを維持することを通じて構成員の
生命を守ってるわけだから、ルールが破られる事態になれば社会の
構成員は皆迷惑する。そういうことをする奴は社会の敵になります
よ。
それを「悪いこと」って言うんですよ、ってな。
加害者にとってとか、被害者にとってとかいうより、「社会にとっ
て」ということであり、社会の構成員である以上、社会にとって都
合の悪いことはしちゃいけないと言うのが論理必然。それは「悪い」。
逆に言えば、社会の構成員以外の熊やスズメバチや地震・洪水が人
を殺してもそれは「悪い」とは言わない(「あってはならない」とは
言うけど)。
でも、どうせ誰かとかぶってるんだろうな。
957 :
名無しさん@〜@〜:02/04/16 00:58
>>956 包茎か?おめーはかぶりすぎ。しかも真性
昔この問いをニュース23で発した高校生は、たとえば戦争では殺人は許されるのに、みたいな言い方をしていたな。
つまり社会の内部に於いて秩序付けられた規範は社会の内部に於いてだけのもので、社会の外部、社会と社会の間ではそれは絶対的な規範ではない、と。
「人を殺してはならない」というのは絶対的な命題ではない、と。そういうニュアンスだったな。
こういう問いに潜んでいるのは、規範を本気で疑うというよりは、それにまつわる「道徳」というレトリックへの反発のような気がする。
その限りに於いて卑小な問いではある。
これには、「そうだよ」と認めた後で、社会契約説的に答えるのでなければ、矛盾を解消することはできないのでは。
>>957 すみませんねえ。
社会契約って言葉もちらほら出てるようで。
しかし何でそこで話が終わらんかな。
960 :
考える名無しさん:02/04/16 01:17
殺しが有り得ない社会はつまらない。
自分に関係の無い事件はみんな大好きだろ?
速報板見て見ろ。
自己を省みるため、常識人だという優越感に浸るため、
空虚な日常の暇つぶしなどなど事件が社会に与える+
の面を無視出来るのか?奇麗事スキーども。
社会的側面は殺人の否定にはならないのだ。
そこには、それで大半の人は納得するだろうという先入見はあるんだけど。
その先入見を支えているのは、結局、既存の共同体に具わっている"力"。
遵わなければ排除される(する)ぞ、という。警察権力はその最たるものだけど。
その秩序の内部で、その問いが問われる時、それはその秩序を補完するレトリックを生むか、あるいは本当にその社会を攻撃するものになるか、どちらかじゃないのかね。
>>960 確かに・・・家が燃えてるとこ見ると感動するもん
その高校生ってそういうニュアンスで考えて発言してたん
ですか?
それは知らなかった。
もっと素朴な疑問みたいなものだったのかと思ってました。
社会の外部とか言われたら、どうも社会契約で説明できない
ところまで行ってしまいますね。
けど、だからと言ってその高校生に、社会を抜けて動物に堕
ちるというまでの覚悟があるわけでもないんでしょうがね。
>>960 >>962 そういうのは関係ないと思うが。
こう言っては何だが、ソれこそ本気で考えようとしたことのないやつのいうことだわ。
マジレスしてばからしいわ。
>>964 マジレスにしてはその意見、いただけないな・・・
いるだろ?君にも氏んでくれ!と思う人が
966 :
阿修羅∞落とし ◆suDYa/2M :02/04/16 01:33
この手のスレ。繰り返し繰り返し何度も建つが
繰り返されるほどに議論のレベルが落ちていくという罠。
それは、過去ログを読まない層が集結していることに起因しているという罠。
しかし、過去ログ読めと言っても読まない奴が結構居るという罠。
此処までの話も何度も繰り返されているという罠。
よって、指摘する奴も飽き飽きしていてスレが伸びるという罠。
967 :
考える名無しさん:02/04/16 01:40
どんな説も、生きる正当性が証明されてないんだから無意味だと思うわたし。
>965
いや、べつにいないけど。
>966
たしかに。一年も前にも同様なスレッドはあったし、そこでちょっと粘着して議論したこともある。
この話題って、オカシイくらいに話の通じない人っているんだよ。
むこうもそう思っているかもしれないが。それに、そういうのがなんとなくわかるから面白いってのもあるんだが。
何で答えが出ないのか。答えがないからなんだろうな。
対話の状況ってのが大事なんだと思うのだが。一般的回答をするには、自分と相手の利害の共有を主張しなけりゃならん。
くだんの高校生は、後日もういちど機会があった時、とにかくみんなの意見が聞いてみたかった、みたいなことを言ってたな。
ところで、罠罠うざいよ。
>どうして人を殺しちゃいけないの?
いいのかもしれない。殺される人は嫌だと叫ぶけど。(笑)
>>956 わたしもそう思う。(全体に寄与する行為は善であると仮定すればだけど)
でも全体にも色々あって、
自分--->家族--->共同体--->国家--->人類--->?(宇宙)
だからその人の価値意識によって殺せる条件や殺されてもいい人が決まってくる。
人は「目には目を歯には歯を」を因果性による経験で叩き込まれているし、
自分が殺されないためには(できるだけ)人も殺さないように[してる]だけ。
しかしこれは人を殺すことのリスクの問題であって“殺しちゃいけない”
ということではない。つまり自分の責任において殺ってくださいってこと。
(でも、責任なんて取れないだろうからできるだけやめようね!)
前レス読んでません。たぶんかぶってる。(^_^;)
人という字の意味を考えよ!
みんなアホですな。阿呆阿呆阿呆阿呆阿呆阿呆ほほほほほほ。
人は支えあって生きているんでしょー我。ボケなす。
ついでにオナニー死しちまえ。おまえら。
キ@ガイめ!
あ、おれもオナニー中。
>>969 前スレてか20、30くらい前に述べてる。あんたも真性だな
もうこういう馬鹿スレがあって何を言っても解さない人種が居る事に絶望する、死に至る病だ。
>>972 要するに、普通に考えれば誰が答えてもこうなると
ころなんだけど、それで議論が終わらんのは何故?
>>974 そもそもの話「やってはいけない」等という個人の意志決定を
定義しようという前提が間違っているから。
>>974 死が怖いのだろう。話さえすれば良いと思っていらっしゃるらしい
>>972 読み返してみた。
わたしのが一番論理的で分かりやすかったよ。
あなたの無駄なカキコより価値があると思った。(^.^)
>>975 けど、刑罰とかによって個人の意思を殺さない方へ方向付けることは
当然行われてるしそれは間違ってない。その意味じゃ「殺人はやって
はいけない」。
「やってはいけない」って言葉の使い方の問題かな?
>>978 ああ、「やってはいけない」というのは命令なんだ。
誰かからその人の意志決定への。
方向をつける事はできても「やる」か「やらない」かを決定するのは
その個体のその都度その都度変化する意志による決定だ。
それに大して一つの行動を指して大前提としての
「○○=やってはいけない」を定義つける事その物に無理がある、という事。
みなさんは、自分が論じている言葉の一つ一つの主体がぶれていることに、
自覚的でないんですよ。
>>979 そうですね。人間社会から構成員への命令というか、契約です。
社会から恩恵を受けるのであれば、従わなければいけない。
文句があるなら、恩恵を受けるのをやめて社会から出て行け、と。
「いい」とか「悪い」とか、その程度のものだと思うんですが、そ
れを超えて、皆が何かすごいものを期待してるから、議論が紛糾
して雑誌なんかで特集組まれるまでになるんじゃないですかね。
それでも、ありとあらゆる手を用いてでも、信仰は守られなくてはならない。
依拠できる最後の砦なのだから。
>>978 「人間」と大きな枠で括っていても
我々は個体であり、同一の存在ではない
その時点で一つの現象を同じように共有する事は出来ない。
というのが大前提。
次に行動における分別は可能な物と不可能な物
可能な物に対しての「やるか」「やらないか」に対して
この場合は可能な行動に対する「いけない」という意志判断への質問である事。
その次に意志に介入するのはいかなる物でもなく
個人の意志決定は個人の意志でしか行えなくそれが第一原因であるという事
つまりその個人以外の誰かが
「人を殺しちゃいけない」といってもそれはその個人にとって
「いけない」たりえない、「いけない(=やらない)」を決定するのは個人の自由意志である事。
この質問者へは我々がいかなる回答を持ちえたとして
「いけない」「いけなくない」という前提、定義を与えたとしても
それが回答者の意志決定にはなりえない、という点で。
○○(実現可能な行動)=いけないorいけなくないを大前提として質問者に回答する事は誰にもできない。
38って何物?死刑反対してるけど
時間取れなくて練れてないので、クソ長くてまとまってませんが、ご容赦ください。
>>917 >>ですが、社会という概念を持ち出さなくても(意識しなくても)、
>>端的に上のように主張でき、それは、十分な説得力をもつ
>>(なぜなら、被害者側の不利益・被害者側の評価は現にあるから)、と
>考える、という意味で述べています。
>問題は、「(なぜなら、被害者側の不利益・被害者側の評価は現にあるから)」
>という論理を認めるかどうかという問題なのだが。
「論理」ではなくて、「被害者側が被害者が負った不利益に対して下す評価」についての、
事実認識(分かりやすく言えば、観察できるかどうか)に基づいていると何回も書いてます。
観察というのは、単にそのように観察できるかどうかの話ですから、論理とは無関係です。
>まず、「行ってはけない」という論述は実際のところ、
>「命令」であるということには異論はないだろう。
>とどのつまり「行っていいかどうか」というのは、
>「行ってはいけない」という命令の妥当性を論じているわけだ。
「命令」の内容があいまいです。「命令」には強制力があるのでしょうか?
@「命令」に強制力があるのであれば、「命令」の妥当性は、
「(誰かにとって)行ってはいけない」かどうかの問題ではないです。
強制力のある命令の「妥当性」を論ずることは、そもそも
・(誰かにとって)〜をされると悪い事実がある、だからしてはいけない(理由がある)という主張があり、
・それが正当であるという前提の上で、
・現にそれを強制的な手段に訴えて、「(誰かにとって)してはいけない」という要求に従わせる
ことを認めるか、また認めるならば、それをどのように行うか、という問題です。
今回の議論でいえば、これは「法制度や統治機構」、具体的には「刑事法とそれを支える制度の問題」です。
A「命令」が、「行ってはいけないと言うだけ」であるのなら(命令は普通この意味で使われます);
・そもそも根拠無く(これは@合理的でなくても A根拠をわかってなくても の2つの意味で)
命令を行うことが、可能です。
・「行ってはいけない、何らかの根拠」があれば、当然それは主張されます。
そしてそれに対する合理的な反論がなければ、それは「(ある立場にとって)正当な命令」とみなされます。
ある立場に立つ者が現に多いかどうかは、社会がどうとかいう問題ではなくて、単純にそう考える人間が
多いかどうかの問題です(一般人は、いちいち社会がどうとか小難しいことは、たまにしか考えません)
単純にそう考える人間が増える要因として、そこに共感や世間体などの要素が介入することを否定する気は、
ありません。
・繰りかえしますが、殺される段になれば、私が
>>460で触れた不利益を負うことは、上にいう話とは全く関係なく
おこります。それは事実です。
事実に従えば、「被害者側の不利益に対して評価を下す能力のある人間(加害者含む)」は、それを悪いと評価します。
ある立場にとって合理的な命令に対して、単純に気に入らないとか、ある立場からの命令に対して反論にならない
「理由」で、命令を無視することは「事実上」可能ですが、それは事実の問題(命令に従うか従わないか、
従わせるか従わせられるか)であって、命令の正当性に関する問題ではありません。
>あなたの述べていることは、
>「命令の出現の蓋然性」あるいは「発令者における妥当性」であって、
>そうやって提出された命令が、受命者にとって妥当かどうかの検討を欠いている。
そもそも、強制力の無い命令は、発令者にとって妥当であれば、発令者側にとって成立し言われうるのですから、
受命者にとって妥当かどうかは問題になりません。
そもそも、「殺してはいけない」という問題について、「発令者も受命者もいない」場合が多いことが、考慮から抜けてます。
>しかしながら、一般に他者の命令が受命者において妥当性を持つためには、発令者が受命者に命令を行うことの妥当性
>(単純にいえば命令する権利があるかどうか)を考える必要があるだろう。
前述の通り、強制力のある命令は、命令の正当性を前提として、それを実現する際の手段の問題ですから、
そもそも今回の話からずれています。ここでは「権利」という語を用いられていますから、強制力ありで考えてると
みなします。
>あなたも、命令というものは、それがなされたならば、受命者において必ず
>妥当性を持つものである、とまで主張するつもりは無いだろう?
>しかし、実際のところ、なんの前提も無い状態で「従わなければならない命令」
>つまり「妥当な命令」というものは存在しえないんじゃないだろうか?
はっきりいって、直観で「何の前提も無い」がおかしいとわからないとまずいと思うんですが、そうも
言ってられないので反論しますと;
「何の前提も無い状態」というとき、あなたは、「受命者にとって」を前提としてますよね。
発令者にとっての妥当性に疑義を呈してるわけじゃないので。ですけど、命令は発令者にとって妥当性があるから
なされるものなんです。それに同意するかどうかは、発令者が実際に受ける不利益=発令者からの評価とは
全く関係がありません。
・同意しなくても、発令者は命令しますし、それに合理的な根拠はあり続けます。
・同意する際に、受命者が自身の利益を考えていても、発令者は命令しますし、それに合理的な根拠はあり続けます。
・同意する際に、受命者が発令者自身の利益を考えて受け入れても、発令者は命令しますし、それに合理的な根拠は
あり続けます。
「あなたにとっての妥当性」の問題のみを、「他者の要因」を無視して考えるなら、端から「他の要因を無視している」の
ですから、「他者の要因」を論じたことになりません。
要するに、あなたは「人を殺してはいけないのはなぜ?」と聞かれたのに対して、
「君は殺したことでは、殺されていないから、誰かが死んでも関係ないんだよ」と答えてるのと同じなのです。
これは、問題に対する答えにはなっていません。というのは、これは
「(殺されていない人が→殺した人が、ではない)殺されてないことについてどう考えるのか、答えてるだけだからです」。
>>988 読むきしねえよ。簡潔に述べてくれ。っというから永遠と同じ議論が続くのだと思う
これが2チャンネルの特徴な訳だが
面倒なのは分かる
987の最後…変なところがありました。
端から「他の要因を無視している」のですから、「他者の要因」
↓
端から「殺人における主たる要因を無視している」のですから、
「殺人」を論じたことになりません。
正確に表現するといくら繰り返しても伝わらないのでこのようにします。
>>984 まあ、そりゃ、やっていい、いけないを本人の意思(利益?)基準で
考えれば、「人殺しがいけないかは人それぞれ」ということになり
ますな。
他方、構成員の利益を守るという社会結成の目的から見れば、殺人
は防止すべきことで、そのためにあらゆる手段が許容される。
社会のルールを守ることと引き換えに恩恵を受けるものは、ルール
を破ってはいけない、「人を殺してはいけない」ということになる。
結局、言葉の使い方だと思いますが、普通の用語例では、「本人でなく
社会基準で「いけないかどうか」を判断すると言うことなんじゃない
ですか。
まあ、内容的な議論と言うより、言葉の使い方の違いなんで、どっちで
もいいですが。
994 :
阿修羅∞落とし ◆suDYa/2M :02/04/16 02:51
__ _ ξ 馬鹿どもがっ
( ゚ω゚)y-┛
.ノ( ωへ,
今日初めて1000取る気がするよ・・・
>>993 だから、「人殺し」の定義から「被害者である人間と、部外者」が抜けてる…。
人殺しのときに加害者しかいないかのようだ。
997 :
阿修羅∞落とし ◆suDYa/2M :02/04/16 02:55
999ゲトー
998 :
考える名無しさん:02/04/16 02:55
阿修羅死ね
1000
1000 :
阿修羅∞落とし ◆suDYa/2M :02/04/16 02:56
999ゲット!
1000とった奴はバカ!
1001 :
1001:
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。