開き直られて腹を立てる人は、開き直る人に何を期待しているのでせうか。
開き直られても有効な理屈というのはあるのでせうか。
2ゲットズサー
1の立場がよくわからんが・・・
「悪いことをやって何が悪い!?」みたいな?
3 :
考える名無しさん:02/03/22 02:26
>>2 悪い事やって何が悪いかってそりゃ悪いことが悪いのであってそれが悪いと思いますですが
それはともかく、
そもそも開き直られたぐらいで力を失ってしまう理屈といふものはいったい何なのでせうか。
善悪とは何かと問うたら「そんなものは幻想だ」というような意見が狂ったように何度も
書き込まれるこの板においてすら、開き直ったり都合の悪い意見を無視することは絶対的な
悪のように扱われますです。
開き直りといふ行為は、善悪が相対的である事が当たり前として扱われている筈のこの板に
無意識の内に構築された道徳、に抵触すると思ふのですが、そこらへんどうなのでしょう、
と、まあ思いつくままに書いているだけの駄スレですが何か?と開き直ってみるテスト。の巻。
そうですね(笑)
6 :
考える名無しさん:02/03/22 05:11
怒るほうが悪い。
怒らないで
許してあげてほしいよ
こけしさんはゆるしてくれるよ
8 :
考える名無しさん:02/03/22 05:52
>1さん
そもそも理屈なんてモノが、曖昧な観念であって陳腐なシロモノなのかも。
開き直った理屈って、理屈でないから強くなるんじゃないかな。
過激な人々にとっての肉体言語的な活動にしても言論にしても
そこには既にまともな(?)精神は宿っていないような気がする。
だから強いというか、受け側が(主に肉体的に)臆病になってしまうというか。
たとえば、戦時下にあって生きるか死ぬかの時に
思想や哲学や道徳を語って目の前にある餌に手を出さないなんてことが
無いのと同じ問題のような気がします。
如何に暴力に対するかとかに真剣に取り組んでる人じゃないと
最後まで自らの思想や哲学や道徳を守るなんて難しいと思います。
どいつもこいつも開き直りやがってコンチクショウ。
こっちが開き直りながらのらりくらりと行こうとしてたのに。
>>8 文章崩し過ぎたせいで意図が伝わらなかったようですな。
理屈が現実的にさほど力を持っていないのは国際社会やらマフィアの影響力
なんかを考えれば分かるこってすが、アイアムが言いたいのは、それらの事実を
踏まえた上でも理屈というものが奇妙な強制力を持っている事について、です。
駄スレ叩きと駄スレ叩き叩きの人達についてのお話でもありまつ。
「理屈」といっても、
その源泉をたどれば、意外とシンプルな感情に行き着くのではないでしょうか。
「理屈」の裏付けとなるその感情が、人々にとって深く共有されるものであるならば、
つまり、多くの人々にとって信じられるものであるほど説得力を持つと思われます。
容易に幻想話に持ち込まれるような抽象論や観念論、あるいは、そうした「理屈」は、
そもそも(当の本人も含み)誰も信じてはいないということなのかもしれません。
たとえば、国や民族を超えて広く存在するタブーのような事柄、
卑近な例で言えば、聞くにも耐えないような犯罪について、
「じゃぁ、オマエはそれを許せるのか」みたいなことを言われれば、
なぜそれが許されないのか、それは本当に悪いことなのかなどと、
頭で理屈をこねることは誰にでも出来るし、簡単なことでしょうが、
相手を説得できるだけの感情というバックボーンを持つことは難しい。
だから、いとも簡単に「強制力」を持って押え込まれてしまう。
すみません。前レスと同じことの繰り返しになってしまいました。m(__)m
(追記)
わたしとしては、どうでもいいんだけど・・・一応。
駄スレ叩きと駄スレ叩き叩きの説得力って、
粘着度=感情的こだわりの強さではないですか。
一種のパワーゲームだと思います。
身体は小さいのにケンカの強い男の子みたいな感じでしょうか。
理性的なおりこうさんにはできないことだし、負けちゃう。(笑)
大人のケンカは個性の強いほうが有利だと思う
議論つーものに関して露悪趣味っぽくやっていきたかったんだがなぁ。
あ〜阿修羅でもいりゃあな……。
ごめんなさい。m(__)m
15 :
こけしさんのこけし:02/03/28 17:50
はいはい、もう飽きた。
16 :
考える名無しさん:02/05/01 13:49
age
>>1 配慮ってのは、他者のためにも、自己のためにも、肝要かとおもわれ
開き直り という「行為」? 開き直りは「形容」だよ
「形容」が記述の上で行為のように(「開き直る」と)書けるようになったからって、
「開き直り」という「形容」に対応する、実際の「行為」があるわけじゃない
1は
・「ある種の行為」に、用法上「開き直る」という語をあてるのが自然であること、
・「開き直る」という語に「いさぎよさ」「寛容さ」「鷹揚さ」といったニュアンスがあること
を利用して、何かの議論を無視したり、その議論をいいかげんにすることを正当化し、
読者にもそうした「反論する機会自体を与えない意識」
「理性的なさまそれ自体に対して反射的に嫌悪する意識」を、
植え付けようとしてるだけ 要するに思考停止人間を量産したがってるだけだ
実際に議論されている内容には、「その内容に応じた事実」がある
だから議論がなされている。
いいかげんな議論がされようがされまいが、「その内容に応じた事実」はある
いいかげんな議論がされているのであれば、それに対して
「ある内容に応じた事実」を正しく説明しようと思う者から、
反論がくるのは当然だし、それは認められるべきだ
1がいう「開き直り」という観点にしたがって議論を無視することは、
内容に応じた事実を無視すること であって、
いいかげんな議論を許容していること ではない
ここを読んでる人には、勘違いしてもらいたくない
「ある内容に応じた事実」を正しく説明しようと思う者から、
反論がくるのは当然だし、それは認められるべきだ
「ある内容に応じた事実」→「その内容に応じた事実」
1がいう「開き直り」という観点にしたがって議論を無視することは、
内容に応じた事実を無視すること であって、
いいかげんな議論を許容していること ではない
1がいう「開き直り」という観点にしたがって議論を無視することは、
いいかげんな議論を許容していること にとどまらず、
内容に応じた事実を無視すること でもある
訂正
開き直り という「行為」? 開き直りは「形容」だよ
「形容」が記述の上で行為のように(「開き直る」と)書けるようになったからって、
「開き直り」という「形容」に対応する、実際の「行為」があるわけじゃない
1は
・「ある種の行為」に、用法上「開き直る」という語をあてるのが自然であること、
・「開き直る」という語に「いさぎよさ」「寛容さ」「鷹揚さ」といったニュアンスがあること
を利用して、何かの議論を無視したり、その議論をいいかげんにすることを正当化し、
読者にもそうした「反論する機会自体を与えない意識」
「理性的なさまそれ自体に対して反射的に嫌悪する意識」を、
植え付けようとしてるだけ 要するに思考停止人間を量産したがってるだけだ
実際に議論されている内容には、「その内容に応じた事実」がある
だから議論がなされている。
いいかげんな議論がされようがされまいが、「その内容に応じた事実」はある
いいかげんな議論がされているのであれば、それに対して
「その内容に応じた事実」を正しく説明しようと思う者から、
反論がくるのは当然だし、それは認められるべきだ
1がいう「開き直り」という観点にしたがって議論を無視することは、
いいかげんな議論を許容していること にとどまらず、
内容に応じた事実を無視すること でもある
ここを読んでる人には、勘違いしてもらいたくない
20・21と訂正が入って混乱すると思うので
直したものをもう一度書き込みます 繰り返しスマソ
本職の人に任せます〜