丸山まさお勉強したいんだけど

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http://mentai.2ch.net/test/read.cgi/book/1009099634/221
といわれたので、記憶違いかとも思い読み返してみました。
実証が面倒なので1983年版『日本政治思想史研究』に限定させてもらいますが、
次の私の主張は全く正しかった。我ながらホント、どうでもいいことはよく憶えている。

1.丸山真男は、戦前への反動形成でしょう。
2.丸山真男は、自虐的西洋崇拝者
3.丸山真男は、時代精神にあったから広く受け入れられた。
4.これからはお笑いでしかない、と思うけど。

以上の四点を順番に実証してみましょう。まあ、原典批判とかしてませんので、適当ですけど。

以下、頁数のみの引用は上記1983年東京大学出版会版『日政思研』です。
引用にあたって、*付きは代字。ウムラウトや傍点、ルビ、生没年などは転写していません。
誤字脱字は許してね。

(しかし、こんな本がインドネシア語にまで訳されるとはね。
 やっぱウエスターンには分かりやすいんでしょうが、明らかに誤解されちゃうよ〜)
50主張1.丸山真男は、戦前への反動形成でしょう。:02/04/20 16:11
この主張は全く正しい、端的に丸山自身が次のように述べています。
(逆にここまで明記されているのに、みなさんが何故、読みとれないのかが謎です)

>「近代の超克」論と、それを背後から支えている全体主義的な思潮とに
>対して強い抵抗感を持った知識人や研究者は、それぞれの分野で、まさ
>に贖罪羊にされている「近代」を擁護するのを自分たちの義務と感じた
>のである。時代の潮流に逆らったリベラルと、マルクス主義者とが、こ
>の知的戦線において「近代」の擁護の側に立った。
      [396-7頁、また372、391、398頁も同様]

要するに戦前の全体主義への反動としての近代擁護が、著作の動機なのです。
しかも、戦中に書かれたため、マルクス主義を韜晦して、
江戸思想史の中に投影した。実に政治的で、非学問的な著作なのです。

それゆえマルクス主義者、近代主義者には受けた。
この『日政思研』は、その思想基盤の一つとなるヘーゲルがいう、
次のような著作ではないでしょうか?

>その思いつきたるや、それが大胆であればあるほど、
>つまり、根拠が薄弱であればあるほど、
>そして、歴史上の明確な事実に矛盾すればするほど、
>かえってすぐれたものと見なされるような代物です。
      [長谷川宏訳『歴史哲学講義』岩波文庫、1994、上21頁(名訳だ)]

(これはヘーゲルにも当てはまります、シナ、インド、チベットについては誤解だらけ
 西洋史には無知だが少なくとも哲学史はギリシャから始めるなら、
 アラビアを無視するのは不当で、キリスト教を語るなら中東から記述を始めないのはおかしい。
 というか『歴史哲学講義』はファナティックな愛国歴史物語にしか読めないです)
51主張2.丸山真男は、自虐的西洋崇拝者:02/04/20 16:13
これは彼の近代擁護に端的に表れています。
では、彼の言う近代とは何か? それはこのようなことです。

>それに続くウイリアム・オッカムらの唯名論者は、盛期スコラ哲学の
>「主知主義」との闘争において、人間の認識能力に広汎な制限を附与
>し、従来理性的認識の対象たりし多くの事項を信仰の領域に割譲する
>ことによつて、一方に於て宗教改革を準備すると共に、他方に於て自
>然科学の勃興への路を開いた。徂徠学や宣長学に於ける「非合理主
>義」もまさにかうした段階に立つものにほかならぬ。むろん古学派や
>国学が唯名論と同じからぬごとく、朱子学「合理主義」とスコラ的
>「合理主義」との間には決定的な相違が存する。しかし、後期スコラ
>哲学がトマス主義に対して持つた思想史的意味と、儒教古学派乃至国
>学が朱子学に対して持つたそれとは看過すべからざる共通性を担つて
>ゐる。  [185-6頁、この主張には註2が付され言い訳が書かれているが重要ではない]

つまり、近代とは西洋近代であり、単純にいえば宗教から科学へ、
「名より実へ[96頁]」つまり、観念論より唯物論へ、
言い換えればイデオロギーから歴史へ、「農奴から市民へ[189頁]」
というマルクス主義的唯物史観を、江戸の思想史に読み込んだのです。
彼の言葉で言えば「自然」より「作為」へ、要するに、次のことを主張したかったのです。

>維新以前の時代においても伝統主義者が美化しているほどには、「近
>代」と無縁な「東洋精神」が歴史的変化から免れて持続していたわけ
>ではない。徳川時代の思想も、「底流」に着目すれば、近代への引続
>いた発展の相において(sub specie)とらえるのは可能である。[398頁]
52つづき:02/04/20 16:14
彼はこのように言う、

>近世日本の思想界はシナ帝国と同じく真の思想対立を知らず、正しい
>意味における思想的発展をもたないことになる。[13頁また48頁も同様]

この「正しい」に彼の否定すべからざる西洋崇拝が表れています。
それは「シナ歴史の停滞性[4頁]」に対立する正しい歴史、
と彼が信仰しているからです。その正しい歴史とは例えば、このようなものです。

>歴史がなんらかの道学的規準の奴婢となつてゐる間は、如何なる意味
>においても本来の歴史を語ることは出来ない。ヘーゲルのいはゆる実
>用的歴史叙述(pragmatische Geschichtsschreibung)の徹底的な
>超克の後に、真の歴史叙述は始まる。  [189頁また26頁、100頁も同様]

実用的歴史叙述とは、要するに丸山が否定した朱子の歴史書・通鑑綱目のようなものです。
      [26頁、100頁][長谷川宏訳『歴史哲学講義』岩波文庫、1994、上18頁以下]

要するに通鑑綱目や、シナの正史のような鏡としての歴史は、
正しい歴史ではないというのです。
53また、つづき:02/04/20 16:16
ではヘーゲルの正しい歴史とは、何でしょう。

>歴史に登場する民族がつぎつぎと交替するなかで、
>世界史がそうした発展過程をたどり、
>そこで精神が現実に生成されていくこと――
>それこそが正真正銘の弁神論であり、
>歴史のなかに神の存在することを証明する事実です。
>理性的な洞察力だけが、聖霊と世界史の現実とを和解させうるし、
>日々の歴史的事実が神なしにはおこりえないということ、のみならず、
>歴史的事実がその本質からして神みずからの作品であることを認識するのです。
      [『歴史哲学講義』下374頁また上22、30、34、101頁も同様]

つまり単純にいえば、歴史とは絶対精神・神の顕現だということです。
これは、レーヴィットがアウグスティヌスの『神の国』との対比で明かして以来、
周知のように、キリスト教圏、というかユダヤ、イスラムを含むセマンティック文化圏では
別になんら驚くべきことでもなんでもなく、実に普通の考えなのです。

それを支持するように『歴史哲学講義』ではユダヤやイスラムに高い評価を与えています。
      [『歴史哲学講義』上202、318、下21、223-4頁]
      
セマンティックな歴史観が、誤った「シナ歴史の停滞性[4頁]」に対立する
正しい直線的進歩・発展史観にほかならないのです。  

つまり、唯一絶対の神が終末に向かって世界を創造し発展させる、それが歴史だと。    
54またまた、つづき:02/04/20 16:17
さて、ここまでくれば、丸山の次の言葉の意図がよく分かるでしょう。

>私の脳裏にはあきらかに、徂徠学と宣長学との思想構造の連関を、
>ヘーゲルとマルクスのそれにたとえる意図があった。したがって、初
>稿には、「宣長学にとって、徂徠学的思惟方法は"逆立ちした真理"で
>あった。宣長はこの逆立ちした真理を再転倒させることによって、徂
>徠学を継受した」というふうに表現されていた。[380-1頁]

   (連関は、マンハイムの言葉、確かに『日政思研』は多くの術語を
   『世界の名著』56参照から使用しているようですが重要とは思えません)

"逆立ちした真理"とは、『資本論』第二版へのあとがきに、このように述べられることです。

>私の弁証法的方法は、根本的に、ヘーゲルのそれと異なっているばかりでなく、
>それとは正反対のものである。ヘーゲルにとっては、彼が理念という名のもとに
>独立の主体に転化さえしている思惟過程こそが、現実的なものの造物者なのであって、
>現実的なものは、この造物者の外面的な現象をなすにすぎない。私のばあいは逆に、
>理念的なものは、人間の頭のなかで置き換えられ翻訳された物質的なものにほかならない。
     [『世界の名著』43、94-5頁。本来『資本論』第二版序文よりの引用なのですが、
      『世界の名著』では省略されていて、未確認。ですが同じことでしょう。
      高島善哉訳『マルクス 経済学・哲学論集』河出書房新社、1969、265頁も同様]

つまり、ヘーゲルは神を信仰したが、マルクス・エンゲルスは神を否定し、
世界は物質から造られ発展するそれが歴史だとした。単純にいえばこれが史的唯物論です。
同様に、徂徠は天を信仰したが、宣長は否定した、それこそ日本の近代だと丸山は主張するのです。
                                 [188、250頁]
これを西洋崇拝と言わずしてなんというのでしょうか?

まあ、この江戸思想史の分析が妥当なものなら、それでもいいかもしれないが、
それは全く不当な解釈なのです。それについては、また今度ね。