丸山まさお勉強したいんだけど

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これはマックス・ウェーバーの idealtypus の訳語だと思われます。
ウェーバーの「理念型」は、

  無限に多様な実在から、特定の諸要素を抽出し、思考の上で高めた上で、
  それ自体として矛盾のない関連にまとめあげ、総合した思想像  [挿入句を省いた]
      [折原浩 補訳 『社会科学と社会政策にかかわる認識の「客観性」』
       岩波文庫、1998、269頁、また111-150、270-302、9頁を参照。
       この訳は労作です。25-161頁が訳。189-331頁が解説です。
       この解説は古典的言葉でいえば評釈・義疏ですね。画期的な試みかと]

を意味するようです。ですが、丸山の使用法はとてもその意味の「理念型」とは思えず、
逆に彼の「理念型的」公私はウェーバーが注意する「プロクルーステースの寝床」としか思えません。
                     [折原浩 補訳 122、278-9頁]
なぜなら、江戸思想における公私の理念型は、本来江戸の諸資料から抽出総合されるべきもののばずです。
ですが、丸山は多分ヘーゲル、マルクス、ボルケナウ、シュミットあたりから借りてきた。(明記されていない)
だから彼も自信なさげに理念型「的」と呼んでごまかしているのだと思われます。(>>101 の宮崎の嘆息に同情)
単純にいって「理念型的に言へば」という言葉の意味は<西洋でいう近代の公私では>ということです。
   (素直にそう表現すると誰も騙せないので「理念型的」といって韜晦したのでしょう)
つまり、シナ、日本の伝統的意味を、西洋近代に合わせて切り刻んだのです。
まさに人を鉄の寝床に合わせて切り、伸ばすプロクルーステースを髣髴とさせないでしょうか?