■■■九鬼周造其三■■■

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1農NAME
dat落ちしたので復活します。
過去にもいくつかあったので、多分Part3くらいでしょう。
2考える名無しさん:02/03/15 18:22
妹が結婚して苗字が九鬼になりました。
ダンナのご先祖は伊勢から丹波へ行った人だそうですが、
九鬼周造と関係あるのかなあ・・・
3農NAME:02/03/15 18:39
九鬼周造の先祖は確か、伊勢の九鬼水軍とかだったような。
しかも九鬼周造の親父は九鬼家本家じゃないから男爵だけど、
本家のほうは子爵だったと思う。多分2の妹の旦那は関係者。
4考える名無しさん:02/03/15 18:49
はやしやきくぞう?
5考える名無しさん:02/03/16 18:50
今度こそDat逝きを防止しなくては。
 
保全
6考える名無しさん:02/03/17 13:24
九鬼は非常にはやくからヨーロッパで知られていましたし、
近年も坂部恵や中村雄二郎などがフランスあたりで論説をものして
きました。いったいどのくらい反響があったのでしょうか。
西田幾多郎の「無」とならんで九鬼の「偶然」や「いき」が
もうすこし注目されても良いとは思うのですが。宗教哲学的に
展開できていないところがネックなのでしょうかねえ?
7考える名無しさん:02/03/17 23:33
ベルグソンと交流もあったみたいだし、ハイデガーとの親交は深いものが会った。
けど、本邦では亜流視され、結局実質的には不遇に近い。
8考える名無しさん:02/03/18 01:15
期待age
9名無し募集中。。。:02/03/18 10:22
確かえらく早死にしたんだよね
10じょ:02/03/18 13:50
「想出のすべてが美しい」とかいうくだりをみかけてなんだか強く惹かれたんですが
どの著作に入ってるんでしょうか。
有名な部分らしいので、いまさらって感じる方もおられるかもしれませんが、
よろしければ教えてください。
11考える名無しさん:02/03/18 13:52
>>10
随筆っぽいね。
12考える名無しさん:02/03/18 15:20
なんか翻訳してたっけ?
13考える名無しさん:02/03/18 15:32
>>7
サルトルの家庭教師もやったしね
でも、そろそろいい加減ベルクソンに統一しましょう…
キルケゴールみたいにややこしいわけじゃないんだから
14考える名無しさん:02/03/18 15:54
>>13
ベルグソン、キェルェゴォルで統一しよう。
15考える名無しさん:02/03/18 16:58
>>「サルトルの」ではなく「サルトルが」ではなかったでしょうか。
いややっぱり「サルトルの」だったか・・・
どっちだったかうろ覚え。サルトルに何を教えたのでしょうか?
フッサールやレーヴィットに教わったのは三木清でしたよね。
16考える名無しさん:02/03/18 17:11
時代を考えると「サルトルの」だと思う。。。
九鬼の時代は随分昔ですからね。
17考える名無しさん:02/03/18 20:24
九鬼の評価が本邦において低い(というより数が少ない)のは九鬼の不幸であると同時に、
日本哲学の不幸であると思う。やはり亜流視されてあまりかえりみられなかったのが原因だろう。
しかし、独創性では西田より九鬼の方が上だろう。もちろん西洋哲学の基礎的素養にしても、
少なくとも九鬼が西田より劣っていることはありえない。
まあいずれにせよ、評価が高いか低いかというのは、その哲学についてどれだけの
研究がなされているかで計るしかない。そういう意味では九鬼に限らず西田についての研究少ないだろうけど。
みんなもっと自分が現実に生きている日本、その文化とからめた研究をしようよ!
そうでないといつまでたっても、生きることに直に結びついた説得力のある影響力のある、
哲学が日本に生まれることはないんじゃないの?
18(-_-):02/03/18 20:37




19考える名無しさん:02/03/18 23:30
やはり2chはレべルが低い。九鬼はサルトルからフランス哲学を学んだの。
ただし、ハイデガーのもとから帰ってきたばかりの九鬼がハイデガーのことを語った可能性があるということ。
20考える名無しさん:02/03/19 00:26
>独創性では西田より九鬼の方が上だろう

どういう点ででしょうか。
確かに西田のように粘着性のある文体ではなく、
論理を鉄骨のように組み立てて行く技術では長けていると思う。

しかし「偶然性」などを読むと、結局西田的な絶対無の問題に
行き着いているようだが…。
21考える名無しさん:02/03/19 01:25
あれなら読んだよ。「粋(いき)の構造」
22考える名無しさん:02/03/19 19:00
>>20
まずは「いきの構造」を御一読下されば自明だと思うよ。
23考える名無しさん:02/03/19 21:09
>22
「いきの構造」は主に江戸で行われていた言語使用の、
意味論的な構造分析のような内容でしょう。

それに対して西田は禅的世界観を根底にして、
さまざまな西洋思想と対決し、
自分なりの世界認識を打ちたてようとしているわけだから、
そもそも題材がかなり違う。
どちらが「独創的」かという単純比較はできないと思うな。
24考える名無しさん:02/03/19 21:10
>>23
禅的世界観を言うなら鈴木大拙のパクリでしょう。
25考える名無しさん:02/03/19 21:54
>24
大拙のタームは、
禅の用語を英語圏の人にわかるように翻訳した結果
作られてきた傾向が強い。
西田の場合は、大拙からの影響もあるが、
根底に禅があるということが一見分からないくらい、
哲学的にアレンジされてしまっている。
むしろ禅の原型はすでに見えないが、
解釈の仕方によってはにじんで見えてくるといった具合。
また純粋経験に基づきつつも、他方で「場所」に見られるように
その論理化につとめ続けたという特徴もある。
26考える名無しさん:02/03/19 21:59
西田と竜樹の類似性に誰も言及しないね
27考える名無しさん:02/03/19 22:35
否定の否定は肯定だろう。
28考える名無しさん:02/03/19 22:40
>>24>>25
禅と哲学(思想)の関係では、西田の場合「非連続の連続」面が、
大拙の場合は「連続の非連続」面が強調されるとでもいえましょうか。

>>26
この類似性に関してはすでに比較思想学会あたりでいくつか
発表されていると思いますよ。いかにものテーマですし。
29考える名無しさん:02/03/19 22:56
竜樹とハイデッガー、ウィトゲンシュタイン、デリダなどは
たまにみかけるが、
竜樹と西田を直接比較した論文はそんなにあるかな?
俺があまり知らんだけかもしれんが。

竜樹でよく引き合いに出される文句の一つが
八不の偈だな。
実体と思われているものは全て、
実は相対関係によって成り立っているのだから、
相対の一方にこだわるな、という趣旨だ。
竜樹以前に、般若思想でも中心的な論理になってるやつだ。
西田でそれに直接あてはまる主張は何かな。
30考える名無しさん:02/03/19 23:38
>>29
それは龍樹あるいは、般若思想に限らず仏教の基本的立場でしょう。
説明の仕方は違うかもしれないが、
「諸行無常」「諸法無我」も
意味するものは同じではないでしょうか。
禅も仏教なのですから、西田の中にもそれはあるでしょう。
31考える名無しさん:02/03/19 23:50
>23
ハイデガーにおける言語の問題を日本に接続した、と言っても曲解でないと思いますが、いかが?
それは、ある意味で無謀な試みであり、なのにあんなにエレガントに仕上げたという点で驚きを呼ぶ。
32考える名無しさん:02/03/20 00:42
あge
33考える名無しさん:02/03/20 02:45
甲南大学に蔵書があるけど繋がりはいかに?
34考える名無しさん:02/03/20 18:39
>>30
竜樹の場合、現象が仮に存在することが認められること、つまり仮諦と、
八不によってそれらが実は空であることが明らかにされること、つまり空諦
とが、別々にではなく、同時に一つのところで成り立っている、という構造に
特色がある。いわゆる二諦説というもの。

西田の場合も、個物がそこに於いてある有の場所と、
実はそれらを全て包み込む絶対無の場所とが、区別されず
同時に一つの世界として成立している。
互いに対立するのではなく、互いが他の場所を排除していない。
西田のこの考え方は思想史的にどういう影響関係によるものか知らないが、
構造的には結構竜樹に共通するものがあると思う。
35100:02/03/21 01:07
ageとくか。。。
ところで、善の研究って何回読んでも何言ってるのか全然わかんないよ。
みんな、どうやって理解できたの?
36考える名無しさん:02/03/21 01:29
立ち読みばかりしてないでちゃんと買って読むように。
37考える名無しさん:02/03/21 10:49
九鬼周蔵って初めて名前聞いたけどすごい人っぽいね。
38考える名無しさん:02/03/21 20:28
九鬼男爵は華族です
39考える名無しさん:02/03/21 20:29
 最近、うちの子供に 奇妙なことを教える変人がいるんです。
実は ななめ向かいの 祖倉さんのご主人 九鬼周造さん なんです。
ちょうど 近所の子供達が 学校から帰ってくる時間帯をみはからって
「鞭の血」だか「無知の知」とかを むりやり言って聞かせているようなんです。
 そのせいか、親の言うことに 屁理屈でもって口答えをするようになったんです。
もう ほんとに困っているんです。
40考える名無しさん:02/03/24 14:51
age
41考える名無しさん:02/03/24 15:33
名前が怖いですぅ、、、
42考える名無しさん:02/03/25 09:18
>>7
>>17
では本流は誰なんですか? 西田さんなんですか?

西田さんと違って九鬼さんの文章は明解でいいですね。
哲学史は日本語で読めるものでは最も分かり易かった気がします。
こうゆうのが文庫になってると苦労しないだけど。
43考える名無しさん:02/03/25 17:58
>>42
彼の時代を考えると本流は、天野貞祐あたりか。
どっちみち田辺・西田の流れを汲んでるね。
44考える名無しさん:02/03/25 18:03
>>42
E君ではなくその逆でもある。
逆に《私》について語るときにも<私>を参照せざるをえない。
なぜなら、もうすでに<私>が存在しているから。
しかし、そのことの意味が他人に通じたときにはすでに《私》化している。
哲学的な原理は、むしろ《現実》と<現実>の対比にあるような気がする。
その意味ではF君(ちなみにFは女性?)が重要。
しかし、倫理的には、コミュニケーションは虚構化するというE君の主張がやはり重要だ。
これは自己意識の成立そのものが虚構性を孕むということで、
人生は原理的に芝居であるという意味を含むと解する。

45考える名無しさん:02/03/26 00:02
>>44
誤爆気味。
46考える名無しさん:02/03/27 22:25
age
47q:02/04/27 01:38
あげ
48考える名無しさん:02/04/27 07:33
49考える名無しさん
『いきの構造』を読みました。
西部の『知性の構造』がこれを意識したものであることがわかり、
古今の知識人たちは九鬼氏に少なからず嫉妬のような感情を
抱いていることは間違いないようです。