ゲームと人生

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1KUVRVIFV
人生はどのようなゲームでしょうか?
ゲーム一般をも考え合わせて、適切な位置づけを論じましょう。
2考える名無しさん:02/03/09 19:08
"ゲーム"という比喩が可能なのは、どうしてでしょうか。
"プレイヤー"のような、具体的に進行しているゲームそのものから離れた視点を想定しうるからですか。
3KUVRVIFV:02/03/09 19:15
この問題がいかにエキサイティングか。
心理学と物理学の今日までの発展をもってしても、
人生の性質を解明することはできない。
例えば心理学は心を扱うが心の対象を扱うものではない。
物理学は有力だが、人生全体の素描を的確に行うのには不十分。
したがって人生についての諸問題は主に哲学が担当することとなる。
ところで、哲学の現在までの実際を観察すると、人生そのもの素描において
まとまった見解が共有されていないようである。
そこで、人生の性質についてのさまざまな考えを少しでもまとまった形に
していくことが重要だと思う。
そこで、何かきっちりした基盤の上にたって、しかも
人生の諸特性を余さず記述することを目指すこととなる。
4KUVRVIFV:02/03/09 19:23
>>2
ゲームの一種が人生とみなすという事であり、比喩ではない。
人生をゲームとしてみなせるのは、ゲームという語が抽象的だから
という点を考えていただきたい。
人生をゲームとみなす際に、人生においてはコンピューターゲームの
場合のようにコントローラーから常に離れることが出来るということ
を把握しておきたい。人生においては意識と身体が互いに切り離され
ないものとして定義されている節があるからだ。
5考える名無しさん:02/03/09 19:24
うんこ食い過ぎた
6KUVRVIFV:02/03/09 19:25
訂正:
常に離れることが出来るということ
→常に離れることが出来るわけではないということ
7考える名無しさん:02/03/09 19:28
経済学勉強しろ。
どうしてもすれ立てたきゃ経済板行け。
ここで聞いたって妄想ばかりでどーにもならんぞ。
8KUVRVIFV:02/03/09 19:32
さて、>>4 にも書いたが、ゲームというのは抽象的な語。
この事を考えると、ゲーム全体の中で人生はごく
特殊なものに過ぎないという気がしてくるものだ。
人生いろいろと言うとき、それは実感としての話であって、
構造的には人生は似たり寄ったりのものではないか?
そうした人生の一般特徴をゲームという枠組みでとらえよう
というのが、本プロジェクトの主旨。

9KUVRVIFV:02/03/09 19:34
>>7
なぜ経済学?あなたは全く本スレと無関係なことを言っているようだ。
10阿修羅∞落とし ◆suDYa/2M :02/03/09 19:38
この人は色んなことを分析する趣旨のスレ立てているけど
何故、自分の立てたスレが盛り上がらないのか分析しようとは
考えないのだろうか。
11阿修羅∞落とし ◆suDYa/2M :02/03/09 19:39
何で、盛り上がらないのか
教えてやろうか?
12KUVRVIFV:02/03/09 19:48
>>11 何で?
13阿修羅∞落とし ◆suDYa/2M :02/03/09 20:02
>>12
まず、頭の悪い人達にとっては
キミの文章は難しすぎて訳が解らないし
何故、そんなことに問題意識を持つのかが理解できないから
レスが余り付かない。

でー、哲学(というか現代思想)にある程度以上詳しい
人からすると、何か新しいことをやりたがっているのは解るんだけど
如何せん打ち出してくる論題が、激しくガイシュツの論題を
ホンのちょっぴり改竄したものに過ぎないから、興味が沸かないんだ。

良く、余り出来の良くない学生が提出する論文で
「参考資料の引き写しだとまずいから
ちょっぴりだけ自分の言葉を使ってみました」
みたいなのがあるけど、そんな論文と同じ印象を
キミが建てたスレから受けてしまう訳なんだよ。

だから、平易な表現を心がけるか
自分のレベルを上げるかすれば良い訳だ。
盛り上げたいのならば。
14KUVRVIFV:02/03/09 20:43
>>13 参考になった。ありがとう。
15阿修羅∞落とし ◆suDYa/2M :02/03/09 20:48
>>14
なんじゃ、そりゃ!

俺の予定では、反論喰らって
そこから、もっと本質的な処をチクチクやる予定だったのに・・・
16KUVRVIFV:02/03/09 21:09
人生をゲームとして捉えるのは既出かもしれないが、
人生論や幸福論への応用という事で考えると、
非常に重要なテーマだという認識でいる。
ゲーム一般と人生との途方もない差異を順序だてて処理する
枠組み、真摯な学問態度を持って人生を特徴付けた
枠組みがないというのが正直な感想だ。
ここで論点をはっきりさせておく。
人生を特徴付けるというのが本スレの主題だが、これは
人生を定義せよという課題とは異なる。人生という対象の特定が
主眼なのでなく、その内容を言語で代替することが狙いなのだから。
人生をある内部構造で特徴づけることができたとする。
これは、一種の、測度の確立なのであり、それにより、任意のタイプの
人生についてその構造を記述できることになる。
17KUVRVIFV:02/03/10 00:06
日常感覚をひきずって哲学やってる人にはゲームとして人生を
見るのは大変なんだと思う。

まず人生の要素として「目的」がある。
では目的のためにどのような手段がとられるか。
知識、思考、財産、経験などがものをいう。
おおまかに目的達成には、技術と知識を用いる。
目的のためにどのような技術と知識を動員したら良いかを考える。
知識は個別的な性質をもっていて、さらに個別的な状況としての「現前」
に対応するために整理された形をしている。知識を応用、複合するために
思考が必要。そうして知識的計画を実行するとき、知識の使用とともに
逐次複雑な身体の動きの制御が行われる。こうした下位の行為は技術と呼んでいる。
さて、意識的な行為として以上のことを行う際に、コントローラとしての
身体が意志内容を反映した動きをする。これが身体とゲームコントローラ
の対応性だ。したがって意志の分節に対応して身体の機能も分節しており、
さらに(「つかむ」∈「おす」、「ずらす」)∈「うごかす」といった
複雑な行為の分節が存在する。この分節の末端において文明的道具の
使用法に関わる分節が含まれる。こうした道具へのアクセスをひろげることは、
人生における選択肢を拡げることになる。そして、これが行為の分節して
意味づけを与えるようなアフォーダンスの作用であることをも考えると良い。
18びたみん ◆BWLMxAG. :02/03/10 00:07
人生はコンテニューできないよね。
19考える名無しさん:02/03/10 00:08
リセットしてぇ〜
20麦芽:02/03/10 01:08
人生は欲望ゲームの舞台である by.竹田青嗣

↑とは関係ないけど、自分は子供の頃ロープレにハマッて、自分の人生
の一部を架空の世界に振り分ける状態が多かった。
現在の世界を生きていながら架空の世界で架空の人物になれるっていう
のは、結構すごいことをしている様に思うのは自分だけかな?ある意味
転生に近いものを実現させているように思うんだけど…大袈裟かな?
21考える名無しさん:02/03/10 01:48
よみにくい
22 :02/03/10 19:53
なにを言いたいのかわからん。
結論を出さないのが哲学だと思ってるのか?
23KUVRVIFV:02/03/10 23:09
>>22
結論って何?結論は小出しにしていってるんだけど。
おれの表現法じゃ不満ってか?17の事をいちいち、
ゲームにおける話だと考えて、翻訳を為すのは面倒なんだが。
私の想像する応用は多くの賛同を得られないのだろうか。

24KUVRVIFV:02/03/10 23:09
人生は三次元の中で展開されるゲームではない。
三次元世界に対応する、くらいに考えると良い。
例えば心は三次元か?
そうすると、次元に代替する語がこの議論領域では必要となる。
こうした語法の確立作業が徹底されないと、表現できない事柄が出てくる。
そのために対象の観察が必要となる。人生の観察は、日常の視点だけでは
不可能に違いない。そこで、人生をゲームという視座で捉らえようとしている。

当たり前の事柄の中に真実が見え隠れしているのだから、性急に結論を急ぐのは
ナンセンスでもある。結論はつねに私たちの前にあった。だから、当たり前の事柄
をいざ再現的に記述せよ(ゲームという枠組みの中で)と言われるととまどって
しまって当然だ。私はいくつかの答えをもっているが、それらはそれらの応用において
価値をもつものであって、それは他の答えにおいても同様だと考えられる。
したがって頼りない言い方だが、もっとも中庸なラインをさぐることがこうした
研究を公的に開かれたものにするのだと思う。
25KUVRVIFV:02/03/10 23:17
追記:私は哲学徒ではない。だが、私の私的な研究の結果、哲学風の思考を
生んだ事例は数知れない。詳細には、私はマイ哲学を背負って様々に駆けずり回る
人生を送っている。通常の哲学徒からすると哀れな徒労、無学者の独りよがり
と映ることはよく知っている。
26考える名無しさん:02/03/10 23:27
人生をゲームと捉えて考えても、例えば自分がパソコンを何時間もやっていろいろ調べたりゲームを
やってることが、他人からはただパソコンの前に座ってるだけで人生を無駄にしてるように見えたり、
本を何年も読みまくっていろいろ考えても他人からは本を目の前に持ってきてるだけで、人生の大半を
無駄に使ってるようにみえるかもしれない。
もしゲームの中にいるとしたらゲームの中で意味はもつかもしれないけど、その上からの視点で眺めてみると
それはゲームの中でだけってことでもしかしたら型にはまった小さな世界になってしまう
かもしれないんじゃん?ゲームと類似性を見つけるよりもっと上からの視点で
どんどん見ていったほうがいろいろ広がるような気するなぁ
27KUVRVIFV:02/03/10 23:32
当たりさわりなく結論を言うと、
人生の特徴をうまく捉えることができる、となる。
1、なぜなら、あきらかに人生ではないものが存在するからであって、
既存のいわゆるゲーム全ては人生の特徴のどれかをとりこぼしている。
2、さらに、人生は簡易にとらえることができる。
一般に、うまくとらえるには、
1.簡易な表現が可能でなおかつ2.境界条件の確定が可能である必要がある。


28KUVRVIFV:02/03/10 23:35
>>26
そうかもしれない。
じゃあ、つぎのように言ってもよい。
人生の特徴はなにか?
29KUVRVIFV:02/03/10 23:40
人生はリセットできない、という感想はもっともだ。
リセットできないことが人生の特徴なのか?
違う。リセットできないゲームがある。
また、人生のあるときにリセットできることがある。
30考える名無しさん:02/03/10 23:42
人生のコンティニューはできないけどリセットはできるよ
・・・元の人間とは違うけど
31わいえすけぇ〜@大学で哲学勉強したい:02/03/10 23:44
>>30え、どういう意味ですか?
32考える名無しさん:02/03/10 23:49
>>31

>コンティニューはできない
ゲームオーバー(死んだ〜)になったらその人間の人生を続けることはもうできない

>リセットはできる
リセット(自殺)はできる

>元の人間とは違うけど
再起動後は別の生き物(人間とは限らんよ〜)の子供としてスタート
>>32ご説明有難う御座います
まぁ、でもそれは本当に前世と来世があったらの話ですよね。
34考える名無しさん:02/03/10 23:54
>>33
なんらかの意識を持ち続けないと時間が埋まらないからね〜

あと、前世と来世といった時間的な前後は関係ないよ・・・順不同
図書館で本を手当たり次第に読んでいるような感じ
35考える名無しさん:02/03/10 23:57
・・・また電波と思われそう・・・

分かる人だけ分かればいいよ〜
36考える名無しさん:02/03/11 00:03
人生とは人生のような人生である。
37考える名無しさん:02/03/11 00:11
人生はセーブできないRPGのようなもの
38考える名無しさん:02/03/12 05:14
 「人生とは、盤上を回転するコマのようなもの」

盤とは、無の苦しみのこと。
本質的に、この世界(=自己)は、無の苦しみの上に成り立っている。
ところが人は、
1.何かある特定の対象に興味を持つ、
2.自分を、代替不可能な存在に読み替える、
などして、無の苦しみに背を向けて誤魔化して生きる。
それらは、時折揺り動かされ、空しさとして現れる。

回転とは、関係を築くこと。
未来とか、他者に向かうことで、我々は普段関係を築き、慣れ親しんだ生を生きる。
しかし、関係が崩れると、人生(=世界)は、不安へと変化する。

死は、無くなる恐怖として、自明ではないが、我々を脅かしている。
我々は絶対的に、死を恐れ、死に比べれば何もかも幸福である。

人が惹かれる方向とは、死から遠いところである。
激しく回転しているコマを見ると、うらやましく感じる今日この頃。
39考える名無しさん
各々の人生(=世界)は、客観世界に溶け込むようにして、各々として存在している。
それぞれは、何時の間にか生じ、各々の人生を過ごし、
やがて死に際して無に直面し、闇へと帰る。

各コマが、動き出して、やがて動きをとめる。
そんなたくさんのコマのいるこの世界。

量子力学じゃないけど、客観世界からじゃなくて、
観測者からの視点を考慮に入れながら、人生を捉えないとね。
ゲームに例えるとしたら・・・何が近いんかなぁ?