1 :
考える名無しさん:
道徳=Shit
ずざざーー
3 :
考える名無しさん:02/03/04 16:26
ずざー
4 :
考える名無しさん:02/03/04 16:27
4GET!
5 :
考える名無しさん:02/03/04 16:39
私の生き方にはスタイルがあって
そこに道徳が入る余地はない訳です。
6 :
考える名無しさん:02/03/04 18:13
道徳の問題、 どう 解く ?
7 :
考える名無しさん:02/03/05 00:33
道徳=いいわけ
8 :
考える名無しさん:02/03/05 00:36
何のいいわけ?
9 :
考える名無しさん:02/03/05 00:36
道徳なかったらお前死んでるよ。
秩序だせー
11 :
考える名無しさん:02/03/05 00:49
なんか少年漫画の悪役みたいなんだが。
お前は十聖剣でも集めとるんか?と子一時間・・・。
12 :
考える名無しさん:02/03/05 00:50
道徳っていうのは他人を支配するための道具だから、
身に付けておいたほうがいいですよ。
何食わぬ顔で道徳を口にできる厚顔さがなければ。
14 :
考える名無しさん:02/03/05 13:28
>13みたいに道徳的なやつってだせえええええええええ!!!!
15 :
考える名無しさん:02/03/05 13:51
13は、むしろ、道徳が無いのでは?
>>15 事実命題から当為命題は導き出せないって奴ですかい?
>>1 道徳=クール!
と言う時代はもうそこまできていると思うんだが・・・.
道徳=人権
19 :
考える名無しさん:02/03/05 14:37
ああ。デリダがいる。脱構築が正義だ。脱構築はメシアだ。
脱構築こそが絶対真理だといえば相対主義は免れる。
21 :
考える名無しさん:02/03/05 20:39
ツァラトゥストラ、マンセー!! ……なスレ何だろ? ここって。
22 :
考える名無しさん:02/03/05 20:45
道徳がださいということが社会通念になれば、それが道徳になる。
23 :
考える名無しさん:02/03/05 20:46
いいえ、ショーペンハウエル〜、センセ〜質問 ! ... です。
>>22 おもしろいね。
寝る前にじっくり考えてみるか。
25 :
考える名無しさん:02/03/05 20:56
>>22 たしかに道徳はダサイ
漏れのクラスメートの名は、 道徳(みちのり)
たしかに奴は、ダサイ。
27 :
考える名無しさん:02/03/05 21:04
明晰夢か?
28 :
考える名無しさん:02/03/05 21:28
sage
30 :
考える名無しさん:02/03/08 03:19
合理主義ってだせぇぇええええええ!!!!
31 :
じゅぶないる:02/03/08 03:41
オレ様がルールであり、法律だ。
32 :
考える名無しさん:02/03/09 02:10
美ってだせええぇぇぇええええええええ!!!
33 :
Iridium:02/03/09 02:17
友達が昔、
「Christianity is stupid.」
って言うTシャツ着てたら、道ゆく外人に
握手を求められたらしい。
34 :
考える名無しさん:02/03/09 11:33
>33
それマリリンマンソンだな。
全体主義ってだせえぇぇぇええええええ!!!!!!!
35 :
考える名無しさん:02/03/10 22:33
イジメ万歳?弱者は死にさらせ?
36 :
考える名無しさん:02/03/11 01:03
弱者に死ねというのは道徳ではないか。
なぜ死刑などという刑罰?があるのかね?
甚だ疑問である。
しかし弱者は死んでいいぞ、
牛やら豚やら食ってるじゃんか。
人間だけ特別あつかいでアグラかいてんじゃねーよ。と思います。
37 :
考える名無しさん:02/03/11 01:06
強者は最終的に独り、最強者?
38 :
考える名無しさん:02/03/11 01:07
いまや徹底的にださいことをして死にたいものだ。ださださであることに
たえながら生き恥をかいて死ぬのも乙なものだ。
ああ。
39 :
考える名無しさん:02/03/11 01:14
強者もへったくれもあるか、
お前の遺伝子が後何年サヴァイヴするのか、
それが重要だ。
「お前の」遺伝子がという言い方は誤解のもと
ちょっとテストさして。
42 :
考える名無しさん:02/03/11 02:16
お前のものは俺のもの。
43 :
考える名無しさん:02/03/11 02:41
道徳はダサくない!
21世紀のトレンディはズバリ道徳!
モラルを卑下する旧世代的精神は終わりを迎え、我々
ニュータイプは超古代の古くて新しいモラルを再発見
したのです!
これこそ新世紀超大型のポストポストモダンモラル!
略してPPMM!ご家族で、カップルと、友人と、是非
このPPMMをお楽しみください!
今なら万能ハンガーもお付けして、なんと9800円、9800円でのご提供です!
45 :
考える名無しさん:02/03/11 12:34
work sucks
46 :
考える名無しさん:02/03/11 15:23
道徳的に生きたい、俺は。道徳的に生きたいのだよ。ふっ。道徳的なものに惹かれる。
俺は今道徳に飢えているんだ。ふっ。道徳こそが今の課題なんだと思う、のだよ。
どうだ。みんな、ダサいなんていわせないぞ。こら。ああ?どうんなんだ?
ダサいのは道徳もなく生きていると思っている奴らなんだ。
そこんとこよろしく。
47 :
考える名無しさん:02/03/11 23:25
行動をするのに必ず理由が要るというのだね。
48 :
考える名無しさん:02/03/12 01:17
自分の行動に余計な理由をつけるのってだせぇぇええ!
好きか嫌いか。これで充分。と思うよ。
49 :
考える名無しさん:02/03/12 01:44
道徳と倫理の違いはわきまえとけぇ。
道徳は規範かもしれんが、倫理は感覚だ。(俺なりの把握だけど…。)
好きか嫌いで行くなら、その規範をこそ(それもまた規範だ)はっきり明示しながら他人とつきあうこと。
それが倫理だ。どんな規範にしたがっても構わないが、それを建前で偽装しない事、それが倫理。
50 :
考える名無しさん:02/03/12 06:42
モラルは流行みたいなもんだ、とどこかの作家が言ってたような
51 :
考える名無しさん:02/03/12 12:39
モラルとエチカの違いを教えて下さい。
52 :
考える名無しさん:02/03/12 12:52
倫理と道徳の重複する部分を除けば、道徳などゴミに過ぎない。
「道徳」という場合、それが交通規則なんかの一般規則よりもっと個人の内面に深く食い込んでいるのが問題と言えば問題なんだよね。
54 :
考える名無しさん:02/03/12 13:00
そうそう。
>1のスレの立て方こそ、だっさいパンク精神の現われ。
56 :
考える名無しさん:02/03/12 13:31
>55
来たな向社会的行動屋め!
ぎったんぎったんにしてやる。
57 :
考える名無しさん:02/03/12 14:28
柄谷の区別でいえば、道徳は一般性/特殊性という対に基づくもので、
倫理は普遍性/単独性という対に基づく、ということになるね。
前者は共同体に関わり、後者は社会に関わる。
特殊性と単独性の区別は一般性(集合)のメンバーか否かで決まる。
応用例でいえば、愛という欲望は他者の欲望であるならば、愛の当面の対
象は一般性のメンバーにすぎないものである、ということになる。
もう男一般、女一般、日本人一般、人類一般に終始した語りはゴミでしょ、
というわけね。
単独なものに関する普遍性は、一般性の回路を切断する。
これはアナーキズムの倫理。
読んできたけど、
やっぱり、道徳と倫理の違いがわからない。
59 :
考える名無しさん:02/03/13 04:03
羞恥心ってだせえぇぇええ!!!
★最近の規制関連情報★
2002年
3月11日
ビデオニュース・ドットコム『神保・宮台の丸激トーク・オン・デマンド』第52回でメディア規制が取り上げられる。
テーマは「道徳的理由からのメディア規制は危険だ」。
ゲストは山本夜羽氏(漫画家)。
この中で宮台真司氏(東京都立大学助教授)は、
「児童買春・児童ポルノ禁止法」の見直しや
「青少年有害社会環境対策基本法案」は人権侵害ではなく
道徳的理由を基準とする点に問題があると指摘している。
哲学を志す方はキリスト教の素養はあるのでしょうか
>62
神の存在を中心にして考えると
いろいろな事実を客観視できなくなっちゃうYO
64 :
考える名無しさん:02/03/13 11:12
>>62 西洋のみが数学・科学・資本主義経済を発達させたことを考えよう。
絶対証明できる、絶対計算できる、絶対所有できる、そんな形而上学的信
念に支えられて諸学が発達した。
この形而上学的信念は、神と人という非対称的な緊張関系を源泉とし、思
考の枠組みとして洗練されたものだ。
ここから、ひとつの学の中でもドラスティックな転換がおこる。
例えばコペルニクス。
哲学でも、「形而上学的信念」の強固な風土の中で、それを根本的に批判
する哲学が生まれる。
キリスト教文化圏になくても、キリスト教の威力を知ることは、(固有の
哲学にとっても)大きな哲学的契機になることはまちがいないでしょ。
65 :
考える名無しさん:02/03/13 11:58
道徳がなかったらそれを破る楽しみもなくなるから必要
66 :
考える名無しさん:02/03/13 14:37
>>60 児ポ法ってだっせえぇぇ!
廃止しちまおうぜ!
67 :
考える名無しさん:02/03/14 02:00
疲労感ってだせえぇぇええええ!!!
死ぬまでダッシュだろ。ああ?
68 :
考える名無しさん:02/03/21 08:26
道徳批判。
道徳とは何か。
道徳とは自己中心で有り、傲慢でもある。
大衆的な道徳者のモットー、それは「人に迷惑をかけない」である。
そもそも本来、道徳とは道徳者の間でしか通用しない。
道徳者は道徳的行動をとらない非道徳者を邪魔者扱いし、排除しようとする。
嗚呼、これの何処が「人に迷惑をかけない」のであろうか!
道徳者の発言をよく聞いてみよう。
某掲示板にて「他人に迷惑をかけるな!」
某掲示板2にて「人の気持ちを考えて発言しろ!」
・・・全く馬鹿な発言としか言いようが無い。
他人に迷惑をかけるな? 誰にとっての迷惑なのだ?
人の気持ちを考えろ? 他人の気持ちなど分かる筈も無い。
道徳者は、自己を「善」と思いこみ、非道徳者を「悪」と思いこんでいる。
だがしかし、この世には「善」も「悪」も存在しない。
存在するのは愚味な凡言を垂れ流す馬鹿と、
冷静沈着な天才のみだ。
69 :
考える名無しさん:02/03/21 09:11
道徳は構造的な力です。
力を揺るがすにはそれに匹敵する力が必要ですが、道徳は構造的な力であるが故に、それを揺るがすには構造そのものを揺るがさなくてはならない。
非常に巧妙でなければなりません。
路地裏で散発的なテロリズムは敢行するだけでは、通り魔と変わりありません・・。
それで構造的な力を揺るがすことは、とても無理でありましょう。
道徳を内部から穿ち壊したいのなら、何故道徳が必要とされるのか、それをこそ読み解く必要があります。
70 :
考える名無しさん:02/03/21 14:35
理屈じゃねえ。道徳は必要なんだよ。
懲りやがれ。
71 :
考える名無しさん:02/03/21 14:38
スポンサーが要求するノルマ達成のためにレス数稼ぎか?
在宅勤務ご苦労さん。客寄せパンダも大変だなー。
自分より道徳のない場に出くわして嫌な目に合ったときに その重要性が解ると思うな
73 :
考える名無しさん:02/03/21 15:05
点数上げろよ(w
2chを広めよう。過去ログ閲覧が有料化した今でも・・・・
どうせ人なんかいないんだ。君たちの独断場サ。
お
75 :
考える名無しさん:02/03/21 15:45
道徳がないと、それから外れる楽しみもない。
76 :
考える名無しさん:02/03/22 04:00
道徳を良しとするのはただ我々が疲労するからである。
要するに面倒だからだ。
堅く考える奴はカルト教祖の素質あり。
78 :
考える名無しさん:02/03/23 00:01
どうせ哲学板なら、もっとちゃんと考えてみてほしいが。
どうして道徳は必要なんだ?
それは法律じゃなくて、言わば教育的に人に与えられる模範的生き方みたいなものだよね?
なんでそんなものが必要なのか。
法律だけじゃだめなのか。
79 :
考える名無しさん:02/03/23 00:06
道徳は「与えられる」ものなのか?
たとえば、具体的に言えば、公立学校の「道徳」の時間。あるいは諸家庭内に於ける「しつけ」の中で。
それは大人が子供に教え諭すというような仕方で「与えられる」。(時には暴力的実力行使も含めて。)
そんなことが必要なのは、明示的な法律(規範)は、それがあるだけではそれに遵うべき根本的理由を提示できないからだと思う。
明示的な法律(規範)と違って、道徳の語られ方には、言語の神秘主義のようなニュアンスが響く時がある。
まるでそれに遵うことは、至上価値へと近づく道であるかのような。
それはレトリックに過ぎないんだろうか。それが気になる。
81 :
考える名無しさん:02/03/23 00:36
>>80 現在、自分達が「道徳である」と考えているものを、
そのようにして「与えようとしている」人がいることは事実だね。
それが本当の道徳なのか?
そのようにして「与えられる」ものでなければ、道徳とは呼べないのか?
道徳なくして交通法規は存在できるだろうか
>>81 本質的なのは、
>明示的な法律(規範)は、それがあるだけではそれに遵うべき根本的理由を提示できない
ってこと。
根本的理由がないからこそ、教育的な"力"で感化しなきゃならない。
"Why be moral?"(何故道徳的である(そのように行為する)べきなのか?)っていう、あれだ。
そうす"べき"という感覚を身に付けさせなくちゃ(与えなくちゃ)ならない。
それをやる時に、どれだけ説いてみてもそれはレトリック(力の行使)に過ぎないのだろうか?と、それが気になるの。
「声」や「顔」という比喩で倫理の根源を語ろうとしていたのはレヴィナスだけど、それもやはり絶望の訴えみたいなものでしかないんだよね。
徹底的に弱いものが、「わたしを殺してくれるな」と懇願する、そんな「声」や「顔」の顕現に希望を託そうというような。
84 :
考える名無しさん:02/03/23 01:42
>>83 >明示的な法律(規範)は、それがあるだけではそれに遵うべき根本的理由を提示できない
ってのは、「与えられるもの」であるから「与えるもの」が「提示できない」ということを問題にしてるんだろ。
だからまず、道徳は与えられるものであるのかどうかということをちゃんと説明してくれ。
>>84 >ってのは、「与えられるもの」であるから「与えるもの」が「提示できない」ということを問題にしてるんだろ。
これはわかりにくいな、つまり、
×「与えられるもの」であるから「与えるもの」が
○「与えられる物」であるから「与える者」が
ということ。
共同体の成員としての模範的なありかたとして、こうある"べき"だという暗黙の規範意識そのものを「与える」のが、「道徳」。
その暗黙の規範意識を敷衍するかたちで、共同体の成員になっていく段階で明示的な規範を身に付けさせていくわけでしょ?
共同体の成員になってない者(子供)からすればそれは「与えられる」もの。
ほとんどの場合は「与えられる」という自覚を眠らせたかたちで、それは与えられる。
でも一端自覚的な質問者(子供)が"Why be moral?"の問いを発したら、それに合理的には答えるには社会契約説くらいしかない。
それでもその者がそれに遵う"べき"だと言える根本的理由は、やはり提示できない。
>>86 >共同体の成員としての模範的なありかたとして、こうある"べき"だという暗黙の規範意識そのものを「与える」のが、「道徳」。
>その暗黙の規範意識を敷衍するかたちで、共同体の成員になっていく段階で明示的な規範を身に付けさせていくわけでしょ?
だから、誰が何のために「与える」の?
88 :
考える名無しさん:02/03/23 14:15
カントが必修教養だった明治・大正時代の哲学青年たちなら
もっと実のある議論をしてただろうな・・・
89 :
考える名無しさん:02/03/23 14:41
90 :
考える名無しさん:02/03/23 14:58
>>82 反応ほしかった?
>道徳なくして交通法規は存在できるだろうか
存在し得る。
本質は危険の回避・事故防止だからだ。
91 :
考える名無しさん:02/03/23 17:39
>90
全ての法は「法は守られるべきである」という道徳的支援がなけりゃ、
まともに機能できんよ。
道徳は成文化されざる法なり。
92 :
考える名無しさん:02/03/23 23:11
>>91 つまり、道徳の支援がなければ、自己保存本能は機能しないと。
93 :
考える名無しさん:02/03/23 23:14
94 :
考える名無しさん:02/03/23 23:16
なんじゃこりゃ。
遵法精神(道徳)の支援がなけりゃ、法は事実上機能しない。
これ当たり前。
交通規則=自己保存?
わけわからん。
96 :
考える名無しさん:02/03/24 00:09
>>95 >>90 は危険回避を論拠にしてるだろ。
危険回避という共通目的の実現手段としての法だ。
それが、道徳がなければ機能しないとするなら、
どうとくがなければ、危険回避の目的は存在しない、
つまり、危険を回避しようとする自己保存本能が存在しないと主張するのと同じことだ。
>>96 ますます、わけわか。
交通規則は危険回避という共通の目的を実現するためにある。
だが交通規則は、それは積極的に守ろうという道徳精神がなければうまく機能しない。
交通規則(法)にとって、危険回避という共通目的は、いわば母親。その必要によって生まれた。
交通規則(法)にとって、遵法精神(道徳)は、いわばつっかい棒。その支援によってうまく機能する。
"母親"と"つっかい棒"は別物。
よって「道徳がない」=「自己保存機能がない」にはならない。
98 :
考える名無しさん:02/03/24 00:29
>>97 というか、そもそも、法律を守るのは道徳心からなのか?
制限速度を守ったり、一時停止をしたりする人は、
みんな道徳心によってやってるわけ?
100 :
大和 龍門:02/03/24 00:34
100
101 :
考える名無しさん:02/03/24 00:36
>>97 いいかい?
顔に向かって石が飛んできたら、普通、避けるか受け止めるかするよね。
これも危険回避だ。
ここで道徳は必要ないよね?
なぜ、法律に限っては道徳が必要になるの?
102 :
考える名無しさん:02/03/24 00:37
>>99 あれ?道徳なしでは法は機能しないんじゃなかったっけ?
>>101 規範を積極的に守ろうとする意識が存在しなければ、
「ケーサツに捕まりさえしなければいい、見つかりさえしなければいい」。
で、みんなやりたい放題。
それを阻止するためには極端な管理制度や監視システムが必要だ。
そしてその行く末は警察国家化だろう。
そうなりゃ法治国家の終焉……すでに法はまともに機能しているとは言い難い。
いまがそうなりつつあるのかもな。
104 :
考える名無しさん:02/03/24 00:48
>>103 >規範を積極的に守ろうとする意識が存在しなければ、
「規範を積極的に守ろうとする意識」が、
「危機回避」という目的から生まれるという考え方ではなぜいかんのだ?
>>90 のいってることはそういうことだろう。
普通、「危機回避」というのはいろいろな行動を起こすに充分な理由だろう?
法律を守る以外の行動なら、「積極的にそれをしようとする意識」の根拠としては、
「危機回避」はそれだけで充分な理由となるはずで、
「積極的にそれをしようとする意識」をなんらかの独立した要因として考えたりしないだろう。
法律に限ってだけ、「積極的にそれをしようとする意識」を
「道徳」して区別し、独立に存在しなければならない理由はなんだ?
法がそのために存在してる各々の実利(たとえば危険回避)を実現するためには、
それを施行し、執行する物理的システム(たとえば警察)だけではコストがかかりすぎるわけだ。
実際、たとえば「親は子をちゃんと養育すべきである」とか「異性にしつこく言い寄るのはNG」という道徳が後退した結果、その道徳を穴埋めする法制度が必要になった。
法制度の複雑化、警察組織・司法組織の増大、私的領域への公権力介入、etc.....
虐待児へのケアやストーカー禁止法はそれなりの理由があるからやむを得ないが、それでもそれが管理社会化に一役買っているのは確かだ。
「(道徳からの自由)」にはそれなりの代償が必要、てなわけ。
>>104 >「危機回避」という目的から生まれるという考え方ではなぜいかんのだ?
"つっかい棒"も"母親"から生まれるということか?
別にそれはそれでいいんじゃないか。検討の余地はあるかも知れないが、
どちらにしろ、
"つっかい棒"が無いというのは"母親"も無いということだ、という理屈には
つながらんな。
後半はなんか勘違いしているようなので、103を再読プリーズ。
108 :
考える名無しさん:02/03/24 00:59
>>105 「道徳からの自由」とか「管理社会」なんて話がなんででてくるのかさっぱりわからんが。
要は実利を実現しようとする行動のうち、
特定のものを「道徳」と呼んでいるようにしか見えないが。
危機回避にしても、
交通法規を守るという行動は(法規が不合理なものでない限り)危機回避そのものなわけだろう。
それを、「道徳」と呼び分ける必要がなぜあるのだ?
>108
>「道徳からの自由」とか「管理社会」なんて話がなんででてくるのかさっぱりわからんが。
遵法精神という道徳から極端に自由になる(=道徳が法を支援しない状態)では、警察国家化、監視社会、管理強化のおそれがある、と言ってるの。
>要は実利を実現しようとする行動のうち、
>特定のものを「道徳」と呼んでいるようにしか見えないが。
違う。請再読。
>交通法規を守るという行動は(法規が不合理なものでない限り)危機回避そのものなわけだろう。
>それを、「道徳」と呼び分ける必要がなぜあるのだ?
それも違う。
110 :
考える名無しさん:02/03/24 01:13
>>109 いや、どう違うのだ。
エアバックは、乗員の損傷軽減、つまり「危機回避」を目的に作られている、
これを装備するのは、「危機回避」なわけだろう?
交通法規は「危機回避」を目的に作られているとするならば、
これを守るのは「危機回避」ではないのか?
この二つで前者は単に「危機回避」と呼び後者を「道徳」と呼ぶというのなら、
この呼びわけを必要としている点は何なのだ?
それとも、エアバックを装備するのも道徳なのか?
>110
>この二つで前者は単に「危機回避」と呼び後者を「道徳」と呼ぶというのなら
危険回避=道徳ではない。それは何度も言っているし、その理由も何度も述べた。
112 :
考える名無しさん:02/03/24 01:17
>>109 >遵法精神という道徳から極端に自由になる(=道徳が法を支援しない状態)では、警察国家化、監視社会、管理強化のおそれがある、と言ってるの。
法律を守る人は「遵法精神という道徳」に「囚われてる」ってこと?
>>111 >危険回避=道徳ではない。それは何度も言っているし、その理由も何度も述べた。
「危険回避=道徳」なんてことは一言もいっていないが。
それよりも質問に答えてくれないか?
>>111 交通法規が危機回避を目的としているとするなら、
「危険回避=道徳」といっているのは
それを守ろうとすることを「道徳」と呼んでいる君のほうだろう。
>>113 >「危険回避=道徳」なんてことは一言もいっていないが。
90=92は言ってるんだよ。
↓
90
>道徳なくして交通法規は存在できるだろうか
存在し得る。
本質は危険の回避・事故防止だからだ。
91 :考える名無しさん :02/03/23 17:39
>90
全ての法は「法は守られるべきである」という道徳的支援がなけりゃ、
まともに機能できんよ。
92 :考える名無しさん :02/03/23 23:11
>>91 つまり、道徳の支援がなければ、自己保存本能は機能しないと。
>>114 交通法規を守ろうとすることが、なんで「危機回避=道徳」になるのか。
意味不明。
まとめよう。
法はなんらかの実利的必要から生まれる。
遵法精神やその他の道徳はそれをサポートしたり、肩代わりする。
「盗んではいけない」という道徳が無いとしよう。
だとすれば、実際に窃盗を抑止するためには、犯罪者が二度と窃盗を目論まないするため厳罰を科す(手首をちょんぎるとか?)、24時間監視カメラと監視スタッフ、もしものときの保険金、武装した犯罪者に対抗できる装備……
と、幾何級数的に金銭的・社会的コストは増大してゆく。
道徳によるサポートがない場合、法を施行し、執行し、それが有効であらしめるためには、警察力の充実や監視システムの導入その他諸々、つまり極端な管理社会=警察国家化が必要だ。
ゆえに「無道徳」は「コストがかかる」。法機能低下による、管理社会化というコストが。
>>115 >90=92は言ってるんだよ。
それは、「法律を守ること=道徳」という君の定義に沿った結論だろ。
>>116 「法律を守ること=道徳」といっているのは君。
俺がいっているのは、
「危機回避を目的として作られた法律を守ることは危機回避そのものではないか?」
ということ。
>118
>それは、「法律を守ること=道徳」という君の定義に沿った結論だろ。
まったくその通りだが、何か?
おれは最初から「遵法精神」という「道徳」を主に論じている。
>>120 しかし、道徳以外の理由で、法律が守られることもあるんだろう?
>>119 「法は守るべきだ」という遵法精神は、道徳だ。法でそのものではない。
何か定義上の不満があったのか?
だったらさきに言ってくれ。議論が混乱する。
123 :
考える名無しさん:02/03/24 01:39
まとめるな。
>121
当たり前だな。その問題は117等で触れていると思うが。
125 :
考える名無しさん:02/03/24 01:43
法には精神などなくても良いんだよ。
経験上まずいことは禁ずる。まずくないことは放置。
それが経験論というものだ。
混乱を避けるために再掲する。
交通法規、危機回避、遵法精神(道徳)の関係については以下の通りだ。(
>>97)
↓
交通規則は危険回避という共通の目的を実現するためにある。
だが交通規則は、それは積極的に守ろうという道徳精神がなければうまく機能しない。
交通規則(法)にとって、危険回避という共通目的は、いわば母親。その必要によって生まれた。
交通規則(法)にとって、遵法精神(道徳)は、いわばつっかい棒。その支援によってうまく機能する。
"母親"と"つっかい棒"は別物。
>>122 「法をまもるべきだ」が「法」でないのは間違いない。
しかし、法は本来目的をもっているし、
それを守る理由としてはその目的だけで充分なはずだろう?
法が守られるために、その法の目的以外に必要となると君が主張する、
道徳とは、いったいなんなんだ?
128 :
考える名無しさん:02/03/24 01:45
sage
>127
>それを守る理由としてはその目的だけで充分なはずだろう?
もちろんそうだ。道徳は法を守る理由ではない。
あくまで"つっかい棒"だ。
それは繰り返し述べている。
>道徳とは、いったいなんなんだ?
ここでは遵法精神のことだな。主に。
それとももっと広い意味での議論を望むか?
>125
賢い意見だ。しかし議論の本質を捉えていない。
>>126 「目的とは別物」といっただけでは説明不足なんだよ。
何度もいうけれど、「危機回避」というのは、
人間がなんらかの行動をとるのに、それだけで充分な理由となるものだ。
その目的を達する手段は、法律以外にも、
物理的な器具を初めとしていろいろなものが存在する。
君の主張は、それらの手段のなかで、なぜ法律に限っては、
「危機回避」という目的以外に「道徳」といものがないと、
その手段が行使されないと言っているのと同じことだ。
だから、法律の他の手段に対する特異性を説明しろといっているのだ。
132 :
考える名無しさん:02/03/24 01:52
母親につっかい棒を挿入してはじめて子どもは産まれる。
133 :
考える名無しさん:02/03/24 01:52
げり飲める?
>>131 何度も言うように、道徳(遵法精神)なしでは、実用レベルまで法を有効ならしめるために物理的・制度的コストが過度に極大し、事実上警察国家・監視社会が到来するだろう、といってる。
特異性というなら、それが特異性だ。
>>129 >あくまで"つっかい棒"だ。
>それは繰り返し述べている。
だが、君が
>>91 で言ったように
>全ての法は「法は守られるべきである」という道徳的支援がなけりゃ、
>まともに機能できんよ。
>道徳は成文化されざる法なり。
というほどの重要な支援なわけだろう?
他の手段はそのような支援は必要としていないよ。
法律に限ってそういう支援がなければ「まともに機能できん」のはなぜだ?
>ここでは遵法精神のことだな。主に。
「どういった種類の道徳なのか」ではなく、
「道徳とは何か」と聞いたつもりだが。
そもそも、ここで「法律を守る」とは
「なんらかの目的のために作られた法律という手段を機能させる」
ということだろう?
「手段を機能させて目的を達する」場合に「手段を機能させようとすること」を、
他の手段においては別の呼び名で呼ぶようなことはしていない。
言語能力の獲得=道徳的な態度の獲得
念のため言っておくが、かといって「コストダウン」ばかりを目指して道徳を過度に強調すれば、これは宗教国家の到来だ。バランスが大切。
>>136 >他の手段はそのような支援は必要としていないよ。
>法律に限ってそういう支援がなければ「まともに機能できん」のはなぜだ?
エアバックと交通法規を比べて、「なぜ法律には道徳が必要なの?」と言われても、正直答えに困るな。
エアバックに道徳(遵法精神)の支援は効かないから、としかいえん。
>「どういった種類の道徳なのか」ではなく、
>「道徳とは何か」と聞いたつもりだが。
つまり広い意味での議論を望むと言うことか?
>そもそも、ここで「法律を守る」とは
>「なんらかの目的のために作られた法律という手段を機能させる」
>ということだろう?
>「手段を機能させて目的を達する」場合に「手段を機能させようとすること」を、
>他の手段においては別の呼び名で呼ぶようなことはしていない
意味不明。遵法精神という言葉は、「法律を(手段として)機能させようとする」心的状態のことだと思うが……?
>>134 >何度も言うように、道徳(遵法精神)なしでは、実用レベルまで法を有効ならしめるために物理的・制度的コストが過度に極大し、事実上警察国家・監視社会が到来するだろう、といってる。
確かに、守ろうとする人がいない法律を無理に守らせるのは大変だね。
だから俺の聞いてるのは、その「守ろうとすること」をなんで「道徳」と呼ぶのかってことだよ。
ある目的のためにつくられた手段を、その目的を持つものが、
その目的のために機能させる行為を「道徳」とは普通呼ばないだろう。
「どこかへ行く」という「目的」のために「車」という手段を「機能させる」場合、
「車を機能させる」目的は「どこかへ行くため」で充分なはずだ。
ここで、「車を機能させる」という行動のために、
ほかの何かが「それがなければまともに機能しない」ほどに重要となるなんてことはないだろう。
141 :
考える名無しさん:02/03/24 02:15
そろそろやめろや。不毛だぜ。
>>139 >意味不明。遵法精神という言葉は、「法律を(手段として)機能させようとする」心的状態のことだと思うが……?
だから、普通は目的があれば、「手段を機能させようとする」心的状態としてはそれで充分だろ。
なんで法律に限っては道徳が必要になるの?
143 :
考える名無しさん:02/03/24 02:21
このスレはだれかが暇にまかせて立てたと思うんだが、たぶん最近日本にも
右翼的な考え方が流行るようになって、保守的な人たちが色々いうもんだから
道徳が必要だとかいうようになったから、それへの不快感を表現しただけの
ことであろうと思います。
>だから俺の聞いてるのは、その「守ろうとすること」をなんで「道徳」と呼ぶのかってことだよ。
>ある目的のためにつくられた手段を、その目的を持つものが、
>その目的のために機能させる行為を「道徳」とは普通呼ばないだろう。
冷や水の入ったところで、sage進行にしたいが、どうか?
>>110 遵法精神は道徳の一種だろ?
辞書的には、道徳とは「社会において人として守るべきとされる事柄」。
遵法精神は、この法治社会において守るべきとされている。
従って道徳の一種。
このスレの1です。
このスレの趣旨を論ずる必要は無いのです。
ただ声高に、ソクラテスはうんこ。
ただ声高に、親子ってうんこ。
ただ声高に、教育ってうんこ。と叫びたいだけなのです。
>>142 交通法規を例にとって言えば、人間は必ずしも危険回避のみを目的に
運転しないから、かな?
ところで、エアバックにも「道徳的支援」が可能なら、人はそれを実行しようと
すると思うぞ(笑
道徳は利便性という言葉と何ら選ぶ所は無い。
テレビのチャンネルを変える時にリモコンを使うのは道徳です。
小まとめ。異議があったら言ってくれ。
110の疑問;
「91は「法律は遵法精神(道徳の一種)がなければ上手く機能しない。道徳は法律のサポーター」と言っている。
ところで、エアバックも交通規則も、危機を回避する手段としては同じものだ。なのに、なぜエアバックには、遵法精神という機能補助サポーターが必要ないのか」
91(おれ)の答え;
「それは、エアバックには遵法精神というサポーターが効かないから。そのかわり他のサポーターがついている。衝撃センサーとかショックアブソーバーとか。それがエアバックのサポーター」
その道徳をばかばかしいと思いながら実行するのがいいよ。
ところで、この板には芥川信者はいないようだね。
エアバッグをつける側にはうちの車はより安全だという主張ができる利便性がある。
いまどきエアバッグもついてねーのかよ、
これこそ道徳の憎むべき所である。
>>144 >従って道徳の一種。
いや、辞書的解釈はわかるよ。
俺は、君の主張が辞書的解釈に合致しているかどうかということを問題にしているんじゃない。
>>146 >交通法規を例にとって言えば、人間は必ずしも危険回避のみを目的に
>運転しないから、かな?
何いってんだ?
「目的があれば」は議論の前提だろ。それが無いなら手段を機能させないのは当たり前なんだよ。
「目的があるのに道徳が必要となるのはなぜか」といってるんだよ。
>ところで、エアバックにも「道徳的支援」が可能なら、人はそれを実行しようと
>すると思うぞ(笑
論理が全然違うだろ、君の言う「道徳的支援」は、エアバッグの場合は、
「装備しようとする動機」だろ。君は比喩をまともに解釈する能力が無いのか?
>>148 >>150 を読め、君の論理はめちゃめちゃだ。
まあ、俺の比喩も、いい比喩ではないけどさ。
>「目的があれば」は議論の前提だろ。それが無いなら手段を機能させないのは当たり前なんだよ。
>「目的があるのに道徳が必要となるのはなぜか」といってるんだよ。
??? 道徳は目的ではない。それは何度も(略)。
>君の言う「道徳的支援」は、エアバッグの場合は、
>「装備しようとする動機」だろ。君は比喩をまともに解釈する能力が無いのか?
エアバックが動機? なんだそりゃ。エアバックは手段だろ。どうみても。
なにがなんだかさっぱりわからなくなってきたな。
目的=危険の回避
手段=エアバック、交通規則
サポーター=センサー、アブソーバー、道徳
これでどこかおかしいのか?
>>150(補足)
>俺は、君の主張が辞書的解釈に合致しているかどうかということを問題にしているんじゃない。
要領得ないね。では何を問題にしたいの。
>>148 ああ、わかった、「手段を機能させる動機」ってのはエアバッグにはないね。
「エアバッグを機能させること」と解釈したわけね。
一応「エアバッグを装備すること」と書いたんだけどね。
一応、人間の行動の問題だから。
まとめると、
---
■法律
目的 危機回避
手段 法律
手段を機能させる動機(
>>91 の主張) 道徳
■エアバッグ
目的 危機回避
手段 エアバッグ
手段を機能させる(エアバッグを装備する)動機 危機回避
---
で、俺がいってんのは、エアバッグの場合は、目的が直接動機に繋がるのに、
法律の場合は道徳ってものがでてくるのかってこと。
>>152 >??? 道徳は目的ではない。それは何度も(略)。
なにいってんだ?
誤魔化すなよ。
前提をちゃらにしてる
>>146 は答えになってないだろ、
>>142 の質問にちゃんと答えろ。
>155
>手段を機能させる動機(
>>91 の主張) 道徳
>手段を機能させる(エアバッグを装備する)動機 危機回避
上段は
・手段を機能させる手段 道徳
これが正しい。
下段は、これでは伝わらないのも当たり前だ。
これに「■法律」の項を対応させるなら、
・手段を機能させる(道徳に法律を支援させる)動機 危機回避
と、こうなるだろう。目的と動機は繋がっている。
>>157 というか、法律に限って「手段を機能させる手段」が必要なのはなぜだ?
>>158 スマソ、これは取り消すわ。
>>157 の内容では「道徳が必要ない」ことにはならないね。
>>156 >誤魔化すなよ。
誤魔化し? どこが。
もっと具体的に言えよ。
おまえ、152で
「目的があるのに道徳が必要となるのはなぜか」
て言ってるじゃん。
これは目的=道徳としか解しようがないじゃん。
>
>>146 >は答えになってないだろ、
>
>>142 >の質問にちゃんと答えろ。
こういう言い方では議論にならん。どうして答えになっていないのか、ちゃんと答えろ(笑
>というか、法律に限って「手段を機能させる手段」が必要なのはなぜだ?
別に法律にかぎらんよ。よく考えてみ。
たとえば「エアバック」そのものなら、さっき言ったようにセンサーとかな。
「ブレーキ」なら「ペダル」とかな。
あ、そうそう、
「エアバックを装備すること」なら、「エアバックを販売店に買いに行くこと」とかな。
しかしなんだ、この問答は(笑。
妙にレスが付いてると思ったら「エアバック」って…何のハナシなんだ。
法律に遵わせるために、たとえば社会契約説的な説明で理性的に納得させようとすることはできるよね?
でもそれだけでは、「この私」がそれに遵う"べき"だという根本的理由にはならない。
学校の道徳教育や家庭でのしつけは、法律そのものを学習させるのではなくて、法律(きまり)に遵うということがどういうことなのか、その感覚を個人の内面につくろうとするわけでしょ。
道徳が法律と違うのは、それが個人の内面まで食い込むということ。
そういうことば何故必要とされてきたのか。何故社会契約説的な理性的な説明だけではだめだったのか。
たとえば明示的な法律は、けれど何によって支えられているのか。
それが共同体の構成員の合意によって支えられているのだとすれば、その合意を暗黙のうちに形成するのは、やはり道徳ではないのか。
道徳は共同体の文化であって、それ自体を更に超越的な視座から善悪ではかることはできないのではないか。
そのような超越的な視座を構想することは、更に高次の共同体の文化を創造しようとすることなのではないか。
>>161 >>162 つーかさ。
「手段を機能させるための手段」ってなんだ?
交通法規の場合、「守ること」が「使用」で「危機回避」が目的だよね。
つまり、「交通法規」って「手段」が機能するってのは「危機回避」が
実現(その法律のできのよさに応じて)させるってことだよね。
交通法規を守れば、「危機回避」は(その法律のできのよさに応じた範囲で)実現される、
つまり、機能するわけで、「手段を機能させるための手段」なんてものが、
どういった過程で必要になるのかわからんのだけど。
しかしこんな事でなんで紛糾するのか、おれにはよくわからん。
おれが言ってることは単純だ。
法が円滑に施行されるためには、そもそもその前提として、「法は守られるべき」だいうコンセンサスが必要だ。遵法精神、いわば法以前の法だな。
それがなきゃ法に有意な規範力を持たせるために、異常なほどの管理が必要になってしまうだろう。
このように、道徳が法をサポートする場面、肩代わりになっている場面は日常生活上も多いんではないか。
「子供はちゃんと育てましょう」「交通ルールを守ろう」「ゴミはやたらと捨てるな」
これらのメッセージは確かにウザイ。うざいがしかし、それを守るべき理由、尊重するべき理由は、やっぱりある。と思う。
「ゴミを棄てるな」というメッセージのウザさと、どこかの国みたいにゴミ棄てだけで本当にタイーホされる管理社会のウザさ。
おれは前者を取るね。
>>165 なんだその「使用」とかゆーのは。今度は、何に対応した比喩なんだ、「使用」.
(笑
>どういった過程で必要になるのかわからんのだけど。
ペダル踏まなきゃブレーキは効かないし、エアバックは買ってこなきゃ、装備できんよ。
過程ったらそれが過程。
そうだねえ。
「手段を機能させるための手段」つぅより、「手段を円滑に機能させるためのサポーター」つぅと
もっと適切かな。
ブレーキにおけるブレーキオイルみたいな?
>>167 法律が「手段」とすれば、「手段の使用」は「守ること」だろう。
「法律の使用」という一般的な日本語と比べると違和感があるが、
法律を「手段」とする考え方からいえばそういうことになる。
それとも、「手段としての法律」の「使用」は「守ること」では無いとでも?
>>168 ブレーキオイルが必要なのは、、「ブレーキを踏む」という「手段の使用」という行為の後の話だ。
現に「手段が使用」された「後」に、なんらかの補助が必要とされるような状況が、
法律にあるのか?
>>170 いや、
>法律が「手段」とすれば、「手段の使用」は「守ること」だろう。
を君が認めるなら、これ以上言うことは無いが。
所詮比喩なんだから、すべてに一対一応するわけないだろ。
もっと柔軟に考えろよ。
ブレーキオイルがいやなら、ブレーキペダルのカバーだな。
>>172 いや、169がどこにどうつながるのかわからん、ちゅうこと。
「法律」を「行使」しているのは共同体だろ。
最終的には共同体によって認知された公権力がそれを保障する。警察力。暴力。
でもそこには「正義」の建前が必要。それが「道徳」。
「道徳」は如何にして形成されるのか。
>>173 比喩の対応の問題を話しているのではない。
「法律」という手段の機能の過程における、「道徳」の「サポート」の位置づけを聞いているのだよ。
「道徳」は、、「手段を円滑に機能させるためのサポーター」であるのだろう?
このサポータは、法律においては、どういった場面でどのように、
法律を機能させることを「サポート」してるんだ?
>>174 君が「使用」の意味を聞いたから答えたのだが?
>このサポータは、法律においては、どういった場面でどのように、
>法律を機能させることを「サポート」してるんだ?
そんな事はとっくに、何度と無く書いてるだろ。
>>117とか、
>>166でもいいし。
おまえら遊んでないで反応しろよー。
>>177 使用の意味なんか聞いてないぞ。なんの比喩なの、って聞いたろ。
>>179 すまん、おれは110で手一杯。なかなか先に進まんで困る。
>>178 それらの説明における君の説明は、「道徳」を
「手段を円滑に機能させるためのサポーター」ではなく、
「手段を使う動機」として扱っているように読めるが?
道徳は動機ではないのではないかね?
>>180 比喩というより、解釈だが。
「法律を手段」
とするならこの前提における
「手段の使用」は「法律を守ること」
だといっている。
>「手段を使う動機」として扱っているように読めるが?
読み間違いだな。
>道徳は動機ではないのではないかね?
違うな。
>>182 動機なら動機でいいだろ。人によってはそうでないかもしれない。
個人が法律を生活上の必要から遵守するのも、道徳的感覚から遵守するのも、それはその人の趣味じゃないか。
そこまで社会や他人がどうこういうことはできない。
>183
解釈? なにを解釈したんだ? それから「この前提」とはどの前提だ。
曖昧でよくわからん。
>>184 違うというなら、正しい解釈を示せよ。
とりあえず、道徳が動機かどうかについては、
>>157 で君自身がはっきり言ってるように読めるが。
110、ご苦労だが、もう一度図示してみ。
おまえが「使用」なんて語を新たに使いだしたから、比喩の関係がまたごっちゃになったよ、おれは。
夜露四苦。
>>186 >解釈? なにを解釈したんだ?
法律というものの意味だね。
>それから「この前提」とはどの前提だ。
「法律を手段」とするという前提だよ。
>違うというなら、正しい解釈を示せよ。
正しい解釈「道徳は法律のサポーターである。動機ではない」。イジョ!
>とりあえず、道徳が動機かどうかについては、
>
>>157 >で君自身がはっきり言ってるように読めるが。
157には
「・手段を機能させる手段 道徳」
としか書いておらんが?
あと、
「手段を機能させる(道徳に法律を支援させる)動機 危機回避」
とは書いてあるな。
つまり、動機は危機回避。
>解釈? なにを解釈したんだ?
>法律というものの意味だね。
法律の意味を解釈すると「使用」……? わ・け・わ・か・ら・ん。
>>188 さすがに図はかけんよ。
交通法規でいうとこうなる。
手段 交通法規
使用 守る
機能 危機回避
ここで道徳の位置づけはどうなるかってことだよ。
>>189(続き)
>それから「この前提」とはどの前提だ。
「法律を手段」とするという前提だよ。
>>192 あ、なんとなくわかってきたぞ。
>ここで道徳の位置づけはどうなるかってことだよ。
サポーター。
>>191 直接対応づけるなよ。
「法律を手段とみなすならその使用は守ること」という「解釈」だよ。
>>194 では「法律というものの意味」が「法律を手段とみなすならその使用は守ること」なのか???
それもなんか変。
わかったような、わからないような、だな。
>>193 つまり、
手段 交通法規
使用 守る
機能 危機回避
サポータ 道徳
ということだね。
で、
>全ての法は「法は守られるべきである」という道徳的支援がなけりゃ、
>まともに機能できんよ。
というほどの働きは、どのようにして果たすのだね。
・・・
まあいいや。で、ブレーキペダルだとなんで不満なの。
>というほどの働きは、どのようにして果たすのだね。
117とか、166で言ってると何度も(以下略)
手段 エアバック
使用 ぶつかるとエアバックが膨らむ
機能 危機回避
サポータ センサーなど
手段 ブレーキ
使用 踏むと制動する
機能 危機回避
サポータ ブレーキペダルなど
>>197 法律が機能する場合における対応がわからない。
>>198 折角、
手段 交通法規
使用 守る
機能 危機回避
サポータ 道徳
としたのだから、これと対応づけて説明してくれ。
>法律が機能する場合における対応がわからない.
サポートする。具体的には117や166等で(略
>これと対応づけて説明してくれ。
サポータ 道徳
で十分だろ。
110のために。
良く読め。
規範を積極的に守ろうとする意識が存在しなければ、
「ケーサツに捕まりさえしなければいい、見つかりさえしなければいい」。
で、みんなやりたい放題。
それを阻止するためには極端な管理制度や監視システムが必要だ。
そしてその行く末は警察国家化だろう。
そうなりゃ法治国家の終焉……すでに法はまともに機能しているとは言い難い。
105 :91 :02/03/24 00:49
法がそのために存在してる各々の実利(たとえば危険回避)を実現するためには、
それを施行し、執行する物理的システム(たとえば警察)だけではコストがかかりすぎるわけだ。
実際、たとえば「親は子をちゃんと養育すべきである」とか「異性にしつこく言い寄るのはNG」という道徳が後退した結果、その道徳を穴埋めする法制度が必要になった。
法制度の複雑化、警察組織・司法組織の増大、私的領域への公権力介入、etc.....
虐待児へのケアやストーカー禁止法はそれなりの理由があるからやむを得ないが、それでもそれが管理社会化に一役買っているのは確かだ。
「(道徳からの自由)」にはそれなりの代償が必要、てなわけ。
109 :91 :02/03/24 01:05
>108
>「道徳からの自由」とか「管理社会」なんて話がなんででてくるのかさっぱりわからんが。
遵法精神という道徳から極端に自由になる(=道徳が法を支援しない状態)では、警察国家化、監視社会、管理強化のおそれがある、と言ってるの。
>>202 >>203 >で十分だろ。
全然不十分。
>>204 そんな無関係な文章を読めと言われても困るが。
法律を守ろうとしなければ、法律の目的が果たせないのは当たり前だろ。
>全然不十分。
なんで。
>そんな無関係な文章を読めと言われても困るが。
関係大いにあり。しかもまだ終わりじゃない。
>法律を守ろうとしなければ、法律の目的が果たせないのは当たり前だろ。
そうだよ? で?
結局のところ、道徳の具体的な「働きかた」については、
何の考えもなしに発言してたわけね。
ブレーキ踏む意志がないなら、ブレーキが機能しないのはあたりまえだろ。
117 :91 :02/03/24 01:29
まとめよう。
法はなんらかの実利的必要から生まれる。
遵法精神やその他の道徳はそれをサポートしたり、肩代わりする。
「盗んではいけない」という道徳が無いとしよう。
だとすれば、実際に窃盗を抑止するためには、犯罪者が二度と窃盗を目論まないするため厳罰を科す(手首をちょんぎるとか?)、24時間監視カメラと監視スタッフ、もしものときの保険金、武装した犯罪者に対抗できる装備……
と、幾何級数的に金銭的・社会的コストは増大してゆく。
道徳によるサポートがない場合、法を施行し、執行し、それが有効であらしめるためには、警察力の充実や監視システムの導入その他諸々、つまり極端な管理社会=警察国家化が必要だ。
ゆえに「無道徳」は「コストがかかる」。法機能低下による、管理社会化というコストが。
>>208 >そうだよ? で?
君の言っていることにはそれ以上の内容が無いってこと。
134 :91 :02/03/24 01:55
>>131 何度も言うように、道徳(遵法精神)なしでは、実用レベルまで法を有効ならしめるために物理的・制度的コストが過度に極大し、事実上警察国家・監視社会が到来するだろう、といってる。
特異性というなら、それが特異性だ。
>結局のところ、道徳の具体的な「働きかた」については、
>何の考えもなしに発言してたわけね。
>君の言っていることにはそれ以上の内容が無いってこと。
なんだ結局そう来るか。
これだけ具体的話してやっても、内容を読みとろうとはせんのか。
166 :91 :02/03/24 04:00
しかしこんな事でなんで紛糾するのか、おれにはよくわからん。
おれが言ってることは単純だ。
法が円滑に施行されるためには、そもそもその前提として、「法は守られるべき」だいうコンセンサスが必要だ。遵法精神、いわば法以前の法だな。
それがなきゃ法に有意な規範力を持たせるために、異常なほどの管理が必要になってしまうだろう。
このように、道徳が法をサポートする場面、肩代わりになっている場面は日常生活上も多いんではないか。
「子供はちゃんと育てましょう」「交通ルールを守ろう」「ゴミはやたらと捨てるな」
これらのメッセージは確かにウザイ。うざいがしかし、それを守るべき理由、尊重するべき理由は、やっぱりある。と思う。
「ゴミを棄てるな」というメッセージのウザさと、どこかの国みたいにゴミ棄てだけで本当にタイーホされる管理社会のウザさ。
おれは前者を取るね。
>>213 君に説明する能力が無いことはよくわかったから、
これ以上ムダなコピペはやめれ。
>君に説明する能力が無いことはよくわかったから、
またそういう言い方をする。反論ないなら、終わりにしたいんだけど。
ブレーキを踏む意志がないなら、ブレーキが機能しないのはあたりまえ。
ある意味、まさしくその通り。
法律を守る意志がないところでは、法律は機能しない。
>>216 だから、君がちゃんと質問に答えてくれないと反論も同意のしようがない。
現在までの説明では、道徳の働き方がよくわからない。
手段 交通法規
使用 守る
機能 危機回避
サポータ 道徳
において、
道徳は「何を」「どのように」サポートするのだ?
>だから、君がちゃんと質問に答えてくれないと反論も同意のしようがない。
>現在までの説明では、道徳の働き方がよくわからない。
説明のどこがわかんないんだよ。
「わからない、わからない」だけでは、ちーともわからんわ〜。
>道徳は「何を」「どのように」サポートするのだ?
交通法規を、それが円滑に働くようにサポートする。
>>217 「法律の目的と同じ目的を持つ」ことは「法律を守る意志を持つ」ことと、
どう違うの?
>>219 >交通法規を、それが円滑に働くようにサポートする。
具体的には、どのようなことをするの?
>「法律の目的と同じ目的を持つ」ことは「法律を守る意志を持つ」ことと、
>どう違うの?
立法目的まで遡った「目的」ならあまり変わらないかな?
>具体的には、どのようなことをするの?
交通道徳が十分守られていれば、警察の仕事は少ない。
守られてないと、多くなる。
無くなると、もっと大変。
「先生が喋ってるときは、大人しく聞く」という"道徳"がない教室では、子供の口をマスクで塞ぐことから始めなければならない。
ましてや「勝手に立って歩いてはいけない」という道徳がないなら、子供を机に縛り付けなきゃ。
親の言うことを聞かない子? いつも殴って言うこと聞かせるの?
>>224 教室で騒ぐ子供に、「授業を受けよう」という目的意識はあるの?
あくまでも、「目的がある場合」の話をしているつもりだが。
>交通道徳と、交通法規はどう違うの?
道徳一般と法律一般の相違についてはいろいろな意見・考えがある。
おれがひとつあげるなら「社会的物理的懲罰の有無」かな。
あと道徳はわりと変わりやすい。可変性。これも大事。
幼い子供のような場合において、当人、および社会の利益を守るために
なんからかの規範が必要なことは否定しないよ。
俺が問題にしているのは、
目的をもった人間が、その目的のために容易された手段を使用するのに、
当人の目的意識以外のものをなぜ必要とするかということだ。
>あくまでも、「目的がある場合」の話をしているつもりだが。
法の目的と個人の目的は必ずしも一致しない。
>目的をもった人間が、その目的のために容易された手段を使用するのに、
>当人の目的意識以外のものをなぜ必要とするかということだ。
これも229に同じ。
交通規則の目的は危機回避だが、この目的に沿わない人間もいる。
>>227 つまり、「法規以外の規範」ということでいいの?
しかし、これは「別の手段」と呼んでいいのでないの。
「法律だけでなく、それ以外の成文化されてない規範をも使ったほうが、
より危機回避ができる。」という話なら、なんら否定するつもりはないが。
>>229 >>230 目的と一致しないのなら、それはその人にとって手段とは呼べないね。
つまり、人間に、当人の目的に沿わない法律を守らせるという話をしてるの?
最初から法を守っている人間に遵法精神なんて、無用。
これ当たり前。
でもそういう人間ばかりじゃない。
むしろ、「法を守ろう」と言われたから法を守る。これの方が多そう。
>つまり、「法規以外の規範」ということでいいの?
難しいな。法律・法令以外の規範には、宗教上の規律、慣習、個人的倫理・信念も入るそうだから。
それらが「遵法精神」という道徳と一致するときのみ、
>それ以外の成文化されてない規範をも使ったほうが、
>より危機回避ができる。
と言える。
>つまり、人間に、当人の目的に沿わない法律を守らせるという話をしてるの?
法律には多々、そういう事があるね。例えば暴走族に規制速度を守らせるのは
本人の目的(暴走行為)に沿わない。
そりゃまあ、目的意識がなければ、
「やれ」といわれない限り、やらないのは当たり前だね。
つまり、「道徳」とは
「合目的でない行為を強制すること」
ということでいいのかな。
でもなんでそんなものが必要なんだろうね。
>「合目的でない行為を強制すること」
本人の目的意識が規範と重ならないときのみ、「合目的でない」といえる。
また道徳は強制できない。物理的強制力の有無が法律・法令との違い。これは先に述べた。
>>233 じゃあ、「危機回避をしたい」という目的意識がある人が、
交通法規を守る場合には道徳はいらないんだね。
そういうことなら納得だ。
>>237 >本人の目的意識が規範と重ならないときのみ、「合目的でない」といえる。
しかし、そもそも、目的意識が規範と重なる場合というのは、
規範は当人にとっては手段であって、それを守るにあたって、
道徳は必要無いと思うが。
>また道徳は強制できない。物理的強制力の有無が法律・法令との違い。これは先に述べた。
しかし、「当人の目的と合致しない行動」を「するように規定する」というのは
強制としかいいようがないが。
そもそも、強制によらずに、「当人の目的と合致しない行動」をさせることなどできるのか?
>238
個人に道徳や法、つまりつまり規範だが、これが要求されるのは「それに外れたとき」「外れそうになったとき」。
当たり前。
>交通法規を守る場合には道徳はいらないんだね。
つーかそのときには交通道徳の内部に「入っている」。水の中の魚が水を必要としない状態。
>しかし、そもそも、目的意識が規範と重なる場合というのは、
>規範は当人にとっては手段であって、それを守るにあたって、
>道徳は必要無いと思うが。
合目的的なのかそうでないのかは、必ずしもハッキリしないからだろう。
>そもそも、強制によらずに、「当人の目的と合致しない行動」をさせることなどできるのか?
できる。たとえば説得や同意によって。
>>240 つうか、そろそろ「カント読め」ってちゃちゃが入りそうな展開なんだが。
>個人に道徳や法、つまりつまり規範だが、これが要求されるのは「それに外れたとき」「外れそうになったとき」。
>当たり前。
道徳や法は、「要求されるもの」なのか。
>つーかそのときには交通道徳の内部に「入っている」。水の中の魚が水を必要としない状態。
よくわからん。とにかく要らんのだろ。
>道徳や法は、「要求されるもの」なのか。
この場合は、イエス。勿論単に要求したり、信仰の対象だったり、ダマされることすらある。
>>つーかそのときには交通道徳の内部に「入っている」。水の中の魚が水を必要としない状態。
>よくわからん。とにかく要らんのだろ。
水の中の魚は濡れているのか? という命題だ。
遵法的な個人を道徳的と言えるかどうか?
ひとつだけ言えるのは、かれの内面がどうであれ、かれには道徳的とみなされる悲劇?栄誉?それとも喜劇が待ち受けているということだ。
>>241 >合目的的なのかそうでないのかは、必ずしもハッキリしないからだろう。
ハッキリしないことについては何もいえないね。
「合目的である」ことがハッキリしているとするならば、
道徳が必要ないのは確かなんだろ?
>できる。たとえば説得や同意によって。
それは、単に「当人の目的と合致しない行動」を、
「当人の目的に合致する行動」に変えただえだと思うが。
>>243 >この場合は、イエス。勿論単に要求したり、信仰の対象だったり、ダマされることすらある。
誰に要求されるのだ?
>ひとつだけ言えるのは、かれの内面がどうであれ、かれには道徳的とみなされる悲劇?栄誉?それとも喜劇が待ち受けているということだ。
つまり、周囲の評価の問題であると?
>「合目的である」ことがハッキリしているとするならば、
>道徳が必要ないのは確かなんだろ?
もちろんそうだ。実際にはあまりハッキリしない。他人の心は覗けないから。
本人にとっては余計なお世話なんだけどね(道徳のウザさの原因のひとつ)。
>それは、単に「当人の目的と合致しない行動」を、
>「当人の目的に合致する行動」に変えただえだと思うが。
「それまでの当人の目的と合致しない」ことを「それ以後の当人の目的と合致させる」のを説得やら合意と言うのではないかね。
>誰に要求されるのだ?
社会の他の成員に。
>つまり、周囲の評価の問題であると?
本人次第。
>>246 >「それまでの当人の目的と合致しない」ことを「それ以後の当人の目的と合致させる」のを説得やら合意と言うのではないかね。
ということは、説得やら合意によって規範を受け入れた後、従う場合も道徳は必要無いのだね。
そのときは既に、「当人の目的と合致している」わけなのだから。
>>247 >社会の他の成員に。
社会の他の成員は、なぜそんなことを要求するのだろう。
>本人次第。
さっぱり不明。
わき道にそれてる気配なので、
「やはり道徳は必要だ」という話で無い限りこれ以上の説明は不要。
>ということは、説得やら合意によって規範を受け入れた後、従う場合も道徳は必要無いのだね。
>そのときは既に、「当人の目的と合致している」わけなのだから。
これも水の中の魚は濡れているのか? ということだな。
だからここから道徳批判を展開することもできる。
内面的には非道徳的なのに、外面的に道徳である場合、それは道徳的といえるか? とかな。
>>250 >これも水の中の魚は濡れているのか? ということだな。
すまないが、その例え、さっぱりわからんのだが。
>社会の他の成員は、なぜそんなことを要求するのだろう。
そう後から後から、子供みたいに質問されちゃかなわんな。
その質問は道徳の必要性全般に関わるもののようだ。だとすればまた長い話になる。
>わき道にそれてる気配なので、
これはもとから道徳の不要・不必要について述べた話題ではない。
つまり、道徳は
「合目的でない行為を強制すること」
と呼べるのかそうでないのか。
>251
わかれ。
遵法的な人間は明らかに道徳の内部にいる。
しかしそれは必ずしも道徳的な動機によるとは限らない。
どう答える?
>253
部分的には呼べるし、部分的には呼べない。
>>252 >そう後から後から、子供みたいに質問されちゃかなわんな。
君が出し惜しみをしなければ、こんな手順は必要ないのだがね。
結局のところ、道徳や法が、個人の目的と無関係に個人に押し付けられるもの、
と単純に規定してしまっていいのか?
ってことなのだが。
>これはもとから道徳の不要・不必要について述べた話題ではない。
私は、「道徳の性質」として、「どのような状況で必要になるものか」ということを論じているつもりだが。
君は、「これ」はどういった話題だと思っているのかな?
>>254 なんの論拠も無い結論の羅列を示して、「どう答える?」
といわれてもね。
なにか聞きたいのなら、せめて疑問形の文章にしてくれ。
>君が出し惜しみをしなければ、こんな手順は必要ないのだがね。
出し惜しみしてない。親切にコピペまでしてやった。
少しは自分で自分の質問を考えから、質問したらどうだ。
>結局のところ、道徳や法が、個人の目的と無関係に個人に押し付けられるもの、
>と単純に規定してしまっていいのか?
そういう局面は否定できない、といってるだけで、おれはそのような規定はしていない。
>私は、「道徳の性質」として、「どのような状況で必要になるものか」ということを論じているつもりだが。
「どのような状況で必要になるものか」と、周囲の評価とやらがどう関係するのだ?
話題に一貫性が感じられれん。
>なんの論拠も無い結論の羅列
また例示なしか。それはどれだ。
>呼べないのはどういった部分なのだ?
だから道徳は強制とはかぎらん、といったろう。物覚え悪いな。
しかしよく飽きもせず、同じ事を何度も何度も繰りかえさせるんだな(笑
>>259 >そういう局面は否定できない、といってるだけで、おれはそのような規定はしていない。
ふーん。
というか、この点については全然整理できてないわけだね。
>「どのような状況で必要になるものか」と、周囲の評価とやらがどう関係するのだ?
>話題に一貫性が感じられれん。
いや、ここでの「話題」ってのは、
>>90 以降の全体の話だと思ったのだが、そんな短期的な話なのか?
あれだ、基本的な道徳哲学の本でも読んだらどうだ。110は。
なぜ他の社会の成員から道徳的であることを求められるのか、
こんな質問はFAQレベルだ。
人に聞く前に自分で調べて、一定の結論を得えてから、議論の俎上にあげるべきだろう。
>というか、この点については全然整理できてないわけだね。
おまえが整理できてないだけだと思うぞ(笑。
>そんな短期的な話なのか?
無論。大して一貫性が無いゆえ。
>>260 例示もくそも、君と違って、レス先をちゃんと明示してるのに、
たった四行の発言にいちいち指摘せんとわからんのか?
>遵法的な人間は明らかに道徳の内部にいる。
>しかしそれは必ずしも道徳的な動機によるとは限らない。
だよ。
>だから道徳は強制とはかぎらん、といったろう。物覚え悪いな。
だから、説得や同意による場合は道徳は必要無いのではないか?
という質問に君はまともに答えてないだろ。
>>263 >あれだ、基本的な道徳哲学の本でも読んだらどうだ。110は。
それはそっくり君にお返しする。
>なぜ他の社会の成員から道徳的であることを求められるのか、
>こんな質問はFAQレベルだ。
そういう質問をしなきゃならんこっちの苦労もわかれ。
>たった四行の発言にいちいち指摘せんとわからんのか?
なんだそれかい。だからそのどこが論拠ない結論の羅列なんだよ。
他の発言かと思った。
>だから、説得や同意による場合は道徳は必要無いのではないか?
道徳に従わせる場合、道徳によって説得したり同意を求めるんだろが。
どこからまともに答えてない、なんて言葉が出て来るんだ?
>それはそっくり君にお返しする。
返されない。
>そういう質問をしなきゃならんこっちの苦労もわかれ。
そういう質問はおれにすべきじゃない。自分で調べるレベル、といってるの。
>>267 >なんだそれかい。だからそのどこが論拠ない結論の羅列なんだよ。
>他の発言かと思った。
論拠らしい記述は見当たらないが。
>道徳に従わせる場合、道徳によって説得したり同意を求めるんだろが。
「道徳によって説得したり同意を求める」ってどういうこと?
>論拠らしい記述は見当たらないが。
??? 個人の内面が外面と一致しないってのは、既に言ったよな? ずっと前に。
それに納得してなかったのか?
てゆうか、こんな常識レベルのこと、やっぱり説明しなきゃいけないの?
>「道徳によって説得したり同意を求める」ってどういうこと?
これも説明の要あるか? ほんとに?
>>271 常識的なレベルのことなら、簡単に説明できるだろ。
もったいぶらずに書け。
>>272 ということは、おまえは常識知らずを自認するわけだな?(藁
口で道徳的なことを喋りながら、腹の中は私欲ばかり。こんなことは珍しくもない。
ゆえに人間の外面と内面は一致しない。Q.E.D.
道徳的に説得するのに道徳的言辞を用いるのは当たり前。Q.E.D.
こんなばからしいことを書くは、生涯初めてだ。
意地張ってつまんねー質問するよりよー、
こうもっとピッとした問いかけはなんかい、
>>110よー。
>>274 >口で道徳的なことを喋りながら、腹の中は私欲ばかり。こんなことは珍しくもない。
>ゆえに人間の外面と内面は一致しない。Q.E.D.
はあ、なるほど。
しかし、それは、
>しかしそれは必ずしも道徳的な動機によるとは限らない。
を説明してるだろうけど、
>遵法的な人間は明らかに道徳の内部にいる。
については全然説明してないんじゃないの?
つうか、結局、何が答えて欲しかったかについては全然触れようとしないな。
>道徳的に説得するのに道徳的言辞を用いるのは当たり前。Q.E.D.
私は「何故か?」と聞いたのではなく「どのようなことか」と聞いたのだが?
>こんなばからしいことを書くは、生涯初めてだ。
なるほど、別に生涯初めてではないが、
君が「書いた」といったとおり、私が呼んでも結構、「ばからしい」内容だったよ。
>>275 ピッとした回答が無いとこの先進みようがないな。
というか、何がいいたいのさっぱりわからんのだが。
君の話を聞けば聞くほど「道徳」がなんなのかわけがわからなくなってくるよ。
>遵法的な人間は明らかに道徳の内部にいる。
だからそれは水の中の魚が(略)。
外面から見ると道徳的に見えてしまうと言うことも何度と無く(略)。
>「どのようなことか」と聞いたのだが?
だーかーらーさー、道徳的言辞を用いるんでしょ。
道徳を守るべき理由をいろいろ説明したりしてな。
なあ・・・ほんと、もう少し自分で考えてから、質問しろや。
「ばからしい」のは内容つーより、おまえ。てゆうか、ばか。
>何がいいたいのさっぱりわからんのだが。
おれは、おまえがおれに何を聞きたいのかさっぱりわからんね。
>君の話を聞けば聞くほど「道徳」がなんなのかわけがわからなくなってくるよ。
それはおまえが自分で考えようとしないで、おれに聞いてばっかりいるせいだと思うぞ……。
だいたいおれは「道徳とは何か」なんてデカいこと、話題するつもりもしてるつもりもない。
それは道徳を巡る問題の中では、いちばん難しいことなんじゃないかい。
おれは道徳は法をサポートする、そういう働きもある、って言ってるに過ぎない。
なんで110に「道徳とは何か」を教えなきゃいけないのよ〜。
そんなのは110が自分が考えてから、自分で話題ふって、自分でスレ盛り上げなきゃだめだと思う。
>>278 >だからそれは水の中の魚が(略)。
>外面から見ると道徳的に見えてしまうと言うことも何度と無く(略)。
結局何一つまともに説明できないな。
外面と内面の違いなんてものは説明されるまでもなくわかるよ。
口で言うことと腹の中が違うなんてことも当たり間のことだろう。
なんでそんな当たり前のことを検討違いにわめくのかよくわらん。
「遵法的な人間」が「道徳の内部」なんてところになんでいるのかってことを聞いてるんだが。
まさか、「法律を守ることは道徳だから、法律を守る人間は道徳的だ」なんて
あたり前のことを言いたかったわけじゃないんだろう?
>だーかーらーさー、道徳的言辞を用いるんでしょ。
>道徳を守るべき理由をいろいろ説明したりしてな。
道徳的言辞ってのがさっぱり意味不明だな。
まさか、「道徳の内容を言葉で表したもの」とかいわないよね?
「道徳の内容」に合意させるのに、道徳の内容を言葉で表さずに説得できるわけないけど、
それをまさか、「道徳で説得する」なんていってるわけではないんだろう?
>>280 >おれは道徳は法をサポートする、そういう働きもある、って言ってるに過ぎない。
その「サポートのしかた」を具体的に説明しないからわけがわからないんだよ。
「法律を補う法律以外の規則」ではなぜいかんのだ?
>全ての法は「法は守られるべきである」という道徳的支援がなけりゃ、
>まともに機能できんよ。
は「そういう働きもある、って言ってるに過ぎない。」程度には読めないが。
それとも君は 91 じゃないのか?
>なんで110に「道徳とは何か」を教えなきゃいけないのよ〜。
そりゃ、君の定義は君しか知らないからだよ。
>なんでそんな当たり前のことを検討違いにわめくのかよくわらん。
検討違いの字が、まず見当違いだ。ま・それはおくとして。
>「遵法的な人間」が「道徳の内部」なんてところになんでいるのかってことを聞いてるんだが。
だから外から見りゃ、遵法的な人間が道徳的に振る舞っているように見えるだろう?
それをして「内部にいる」と言ってるんじゃん。
しかしよくもまあここまで手取り足取り(笑
>道徳的言辞ってのがさっぱり意味不明だな。
>まさか、「道徳の内容を言葉で表したもの」とかいわないよね?
言うよ。当たり前じゃん。ようやく気がついたのか。
んじゃ、なんていうんだよ。
道徳の内容を言葉であらわしたもの、それは道徳的言辞じゃん。
道徳で説得してるじゃん。
なんだ、それを「道徳で物理的に強制」とでもいうのか。あん?
本当に、
「おれは道徳は法をサポートする、そういう働きもある、って言ってるに過ぎない。 」
のなら、
>>238 で言ったように、その点について異論は無い。
君が、合目的な行動について、道徳の関係を主張しない限りにおいてはね。
>その「サポートのしかた」を具体的に説明しないからわけがわからないんだよ。
具体的に説明したと何度(略)。(略)と書くのすらめんどい。
>「法律を補う法律以外の規則」ではなぜいかんのだ?
それも(略)
>>全ての法は「法は守られるべきである」という道徳的支援がなけりゃ、
>>まともに機能できんよ。
>は「そういう働きもある、って言ってるに過ぎない。」程度には読めないが。
おれには読めるけど? なんだその程度には読めないとかなんとかいう、極主観的な指標は。
>そりゃ、君の定義は君しか知らないからだよ
おれの定義〜? さしあたっては「法をサポートする機能がある」だな。
それ以上は話題にする気がない。
してもいいけど、110相手は嫌。
>君が、合目的な行動について、道徳の関係を主張しない限りにおいてはね。
本題とは関係ないが、関係はしとるよ。説明は、もうしたかな?
ああ、水の中の魚が、って奴か。それは。
>>283 >だから外から見りゃ、遵法的な人間が道徳的に振る舞っているように見えるだろう?
>それをして「内部にいる」と言ってるんじゃん。
>しかしよくもまあここまで手取り足取り(笑
いや、大体わかったが。
要するに君がわかりきった当たり前のことを、
自己満足の不必要に詩的な表現で示したためにさっぱり意味が通じなかったってだけの問題だろ。
>言うよ。当たり前じゃん。ようやく気がついたのか。
〜
>なんだ、それを「道徳で物理的に強制」とでもいうのか。あん?
いや単に「説得」だろ。普通。
結局のところ、説得後に道徳が不要なことは変わりないが。
>>287 >いや、大体わかったが。
>要するに君がわかりきった当たり前のことを、
>自己満足の不必要に詩的な表現で示したためにさっぱり意味が通じなかったってだけの問題だろ。
ここまで人を引きずり回して、納得もさせてもらって、で、最後はそれかい。
まあこれからは、もっと自分の頭を使え。人を頼るな。
>いや単に「説得」だろ。普通。
単なる説得なら論理的説得や宗教的説得、感情に訴える説得も入っちゃうだろ。
とことん、頭悪いな。
>>285 >具体的に説明したと何度(略)。(略)と書くのすらめんどい。
とりあえず、「もう一つの手段として」目的をよりよく達成するために、
役に立っているということは納得した。
それが「説明」であるというなら異論は無い。
それ以上のサポートについては具体的な説明を読んだ覚えはない、
「法律が守られる」ために「道徳」が必要だという話は頼みもしないのに何度も繰り返しした挙句、
コピペまでして大騒ぎしていたが、
手段 交通法規
使用 守る
機能 危機回避
サポータ 道徳
という要素の具体的な関係については、交通法規と道徳の関係を述べただけで終わっている。
その説明については私も認めている。
>それ以上のサポートについては具体的な説明を読んだ覚えはない、
117や166(だっけ?)に書いたっつてんだろゴルァ!
コピペしたやつに書いてあるぞ。読め。
おまえは明らかに読んでない。読め。
>>288 >ここまで人を引きずり回して、納得もさせてもらって、で、最後はそれかい。
>まあこれからは、もっと自分の頭を使え。人を頼るな。
引きずり回したのはアンタだろ。
いくら頭を使っても、あんな一人よがりに文学的な文章の意味がわかるわけないだろ。
これからはわかりきったことをわざわざ自己満足のわけのわらん言葉で書くな。
>単なる説得なら論理的説得や宗教的説得、感情に訴える説得も入っちゃうだろ。
>とことん、頭悪いな。
「道徳的言辞を用いる」というだけで、「道徳によって説得したり同意を求める」になるんなら、
論理的説得や宗教的説得、感情に訴える説得のいずれであっても、
同時に「道徳によって説得した」ことになるんじゃないの?
どうせ、説得の目的上「道徳的言辞」は必ず使うんだから。
>>290 >117や166(だっけ?)に書いたっつてんだろゴルァ!
だから、
>とりあえず、「もう一つの手段として」目的をよりよく達成するために、
>役に立っているということは納得した。
>それが「説明」であるというなら異論は無い。
といってるだろ。
「それ以上のサポート」についてどこにどう書いてあるんだ?
>いくら頭を使っても、あんな一人よがりに文学的な文章の意味がわかるわけないだろ。
>これからはわかりきったことをわざわざ自己満足のわけのわらん言葉で書くな。
と、ひとりよがりの文学的評価されても、ちーとも痛くも痒くもない。
しかしおまえ、悪口も具体性・論理性無いな。
文学的つーのは、あれか、いま流行の自己言及ってやつ?
>論理的説得や宗教的説得、感情に訴える説得のいずれであっても、
>同時に「道徳によって説得した」ことになるんじゃないの?
>どうせ、説得の目的上「道徳的言辞」は必ず使うんだから。
使わなくてもすむだろーが。
たとえば
「あなたが道徳守らないと。わたしが悲しい。だから道徳守って&herts;」
って、感情的に説得されるとするわな。
どこに道徳的言辞を用いてる?
294 :
考える名無しさん:02/03/24 09:23
>292
たとえば、ほれ。
↓
法が円滑に施行されるためには、そもそもその前提として、「法は守られるべき」だいうコンセンサ
スが必要だ。遵法精神、いわば法以前の法だな。
それがなきゃ法に有意な規範力を持たせるために、異常なほどの管理が必要になってしまうだろう。
「盗んではいけない」という道徳が無いとしよう。
だとすれば、実際に窃盗を抑止するためには、犯罪者が二度と窃盗を目論まないするため厳罰を
科す(手首をちょんぎるとか?)、24時間監視カメラと監視スタッフ、もしものときの保険金、武装し
た犯罪者に対抗できる装備……
と、幾何級数的に金銭的・社会的コストは増大してゆく。
道徳によるサポートがない場合、法を施行し、執行し、それが有効であらしめるためには、警察力
の充実や監視システムの導入その他諸々、つまり極端な管理社会=警察国家化が必要だ。
ゆえに「無道徳」は「コストがかかる」。法機能低下による、管理社会化というコストが。
>>293 >どこに道徳的言辞を用いてる?
その説得では、説得されても合目的にならないんじゃないか?
わ。さげ忘れた。恥だ。
>その説得では、説得されても合目的にならないんじゃないか?
なるよ。
もういい加減、脊髄反射で反発するのはよせ。
>>294 前半は、「法を守る」話だよね。
後半は、
>とりあえず、「もう一つの手段として」目的をよりよく達成するために、
>役に立っている
ということじゃないの?
>>297 >もういい加減、脊髄反射で反発するのはよせ。
それはこっちの台詞だ、
どう「説得されたものの目的」と「道徳の目的」が「合致する」のか説明してくれ。
>前半は、「法を守る」話だよね。
違う。「法は守られべき」というコンセンサスが全くなくなれば……という話。
>>後半は、
>>とりあえず、「もう一つの手段として」目的をよりよく達成するために、
>>役に立っている
>ということじゃないの?
違う。基本的に前半と同じ。
>>299 順序が逆だろ、馬鹿。
>その説得では、説得されても合目的にならないんじゃないか?
合目的にならない、といことを説明しろよ。
>>300 >「法は守られべき」というコンセンサスが全くなくなれば……という話。
だから、それは、「使用の動機」の問題だろ。
サポートするのは「手段の機能」じゃないのか?
>>301 >合目的にならない、といことを説明しろよ。
>「あなたが道徳守らないと。わたしが悲しい。だから道徳守って&herts;」
で説得された場合の、説得されたものの目的は、
「その相手に気に入られること(嫌われないこと)」でしかない。
それは、説得されたものが実際に守る「道徳」の「目的」とは違うだろう。
>>302 ん? よくわからんが。
法という手段を使用する動機……なんらかの実利的目的
道徳という(サポート)手段の機能……法のサポート(管理化を防ぐ)
手段(法)の機能をサポートしてもいるし、法のサポートが道徳の機能でもある。
なんか煩雑だが、こういう事を聞きたいのかな?
>説得されたものの目的は、
>「その相手に気に入られること(嫌われないこと)」でしかない。
違う。
説得の内容は「その道徳を守ること」、つまり道徳の目的に己を重ね合わせるのだから、
そのあとは「自分の目的」(それがなんだかは知らないが)と「道徳の目的」が一致する事になる。
それは、説得されたものが実際に守る「道徳」の「目的」とは違うだろう。
305の最後の一行は消し忘れ。
>>304 >道徳という(サポート)手段の機能……法のサポート(管理化を防ぐ)
道徳と法という二本立てでバックアップしあっている。
という点については最初から全く異論は無い。
おそらく、問題は当人の主体性だろう。
>>90 からの流れで、俺は「目的意識は最初からある」という前提で話をしている。
>>228 で言ったように、
>俺が問題にしているのは、
>目的をもった人間が、その目的のために用意された手段を使用するのに、
>当人の目的意識以外のものをなぜ必要とするかということだ。
君の主張は、法が機能するというプロセスに、
「合目的でない人間にも守らせる」ということを含んでしまっているのではないか?
>>305 >説得の内容は「その道徳を守ること」、つまり道徳の目的に己を重ね合わせるのだから、
「道徳の目的に己を重ね合わせる」ってどういうことだ?
もう少しわかりやすい言い方はないの?
>道徳と法という二本立てでバックアップしあっている。
そういうこともあるかもしれんが、あくまで専ら道徳が法をバックアップしている、と主張している。
為念。
>
>>90 >からの流れで、俺は「目的意識は最初からある」という前提で話をしている
90に目的意識がどうこうとは読めない。てか、きみ、
>>90なの? ふ〜ん。
>君の主張は、法が機能するというプロセスに、
>「合目的でない人間にも守らせる」ということを含んでしまっているのではないか?
当たり前だろ。誰もが法を納得して生きているわけではない。
法のこと考えるなら、法を肯んじ得ない人間がいることは、当然の前提。
これも暴走族が云々で既に(略)。
>>308 >もう少しわかりやすい言い方はないの?
自分の目的と道徳の目的の一致。
「健康にいいから、毎朝一杯の棊子麺を食べるべき」という道徳があるとするな。
おれはしかし朝から棊子麺なんか喰わねー、健康なんか糞食らえ、と思っている。
だが彼女に泣きつかれたので、棊子麺を喰うことにする。まあ、彼女も泣くし、棊子麺は健康にいいし(←ダマされている)。
このときおれの「目的」(健康より好み)は変更され、「棊子麺喰え」道徳の目的(やっぱ健康第一)に合致するわけだ。
>>309 90 で無いことだけは明言しておく。
とりあえず、
>>96 あたりからだ。
最初から俺は「法律を守るのに、その法律と同じ目的を持っているだけではなぜいかんのか」の
一点に絞って議論している。
>当たり前だろ。誰もが法を納得して生きているわけではない。
>法のこと考えるなら、法を肯んじ得ない人間がいることは、当然の前提。
>これも暴走族が云々で既に(略)。
いや、なんでそんな、最初からわかりきった
あたりまえのことをくどくど書くのか不思議でならないのだが。
私はそんなつまらんことには興味は無い。
とにかく、私が確認したいのは、
法律が合目的な人が、法律を守ることによって、その目的を達するプロセスにおいて、
道徳がどのようなサポートをするのかという点だ。
>>310 そこで「健康にいいから」、は道徳的言辞じゃないのか?
もし、違うとしたら、
その「道徳」について「道徳によって説得」する場合は、なんと言うことになるのだ?
>最初から俺は「法律を守るのに、その法律と同じ目的を持っているだけではなぜいかんのか」の一点に絞って議論している。
おれにはそんなもの興味はない。おれの主張ともあんまり関係なさそうだしな。
>いや、なんでそんな、最初からわかりきった
>あたりまえのことをくどくど書くのか不思議でならないのだが。
>私はそんなつまらんことには興味は無い。
おまえこう書いたろ。
↓
>君の主張は、法が機能するというプロセスに、
>「合目的でない人間にも守らせる」ということを含んでしまっているのではないか?
興味がなかったらこんなこと書かんわなあ(藁
で、おれは「含むのは当然だ」とこたえた。別に問題なし。
>とにかく、私が確認したいのは、
>法律が合目的な人が、法律を守ることによって、その目的を達するプロセスにおいて、
>道徳がどのようなサポートをするのかという点だ。
さあ? 目的が達しやすくなるようなサポートかも。
「道徳が法をサポートしてる」って話とは直接関係ないから、おれはどうでもいい。
>そこで「健康にいいから」、は道徳的言辞じゃないのか?
そうだよ? でも彼女は「健康にいいから」なんて一言もいわなくたって、説得できるんだよ(てか、してる。
>>293)
>>314 だから、その場合は、「健康にいい」は当人の目的じゃないだろ。
>>313 >「道徳が法をサポートしてる」って話とは直接関係ないから、おれはどうでもいい。
つまり、
「合目的の法律を守って法律の目的を達するプロセスにいおいては、道徳のサポートは一切介在しない」
ってことでいいんだね?
それでよければ、俺と君の間には、なんの論点もないはずだがね。
>>315 ??? 棊子麺道徳の目的だし、(説得後の)当人の目的だよ。
>>317 だって、言われなきゃ知らんわけだろ。
そもそも、
>>293 じゃ具体的jに何をすればいいのかさえわからん。
>「合目的の法律を守って法律の目的を達するプロセスにいおいては、道徳のサポートは一切介在しない」
それは人によりけり、場合によりけり、なんじゃないの?
世間の道徳が援護するから守り易い、ってことあるだろうし。
ま、完全に合目的的なら一切介在の余地はないだろう。
ちょっと想像しくいがね。
>>319 >ま、完全に合目的的なら一切介在の余地はないだろう。
>ちょっと想像しくいがね。
それで充分だ。
君からなにか他に発言がなければ俺は消えるよ。
>だって、言われなきゃ知らんわけだろ。
彼女に言われなくったっていいじゃん。自分で調べた結果でもいいし、説得されて後、棊子麺を食い始めるようになってからでもいい。
>そもそも、
>>293 じゃ具体的jに何をすればいいのかさえわからん。
ん?
>>293て、なにかをするような文章か?
……彼女はただ泣いてるだけでもいいんだよな。言葉無く。変な光景(笑。
>>321 >彼女に言われなくったっていいじゃん。自分で調べた結果でもいいし、説得されて後、棊子麺を食い始めるようになってからでもいい。
その場合は、「説得されたこと」は「表面的な規則に従った行動をとること」であって、
その後自分で納得したことは説得されて納得したことにはならんだろ。
>ん?
>>293て、なにかをするような文章か?
何もしないわけ?
だとすると、「表面的な規則に従った行動をとること」さえ説得できてないことになるが。
>>322 いや、このネタ君が興味があるなら続けるが、俺的にはもうどうでもいいんだが。
>その場合は、「説得されたこと」は「表面的な規則に従った行動をとること」であって、
その場合って、どれ。
>その後自分で納得したことは説得されて納得したことにはならんだろ。
そうだな。自分で納得はダメかな?
いや自分で自分を説得したと考えればいーのか?
>何もしないわけ?
そうだな。泣き落とししてるんだっけ。
では「具体的jに何をすればいいのか」とは、なんのこと?
>いや、このネタ君が興味があるなら続けるが、俺的にはもうどうでもいいんだが
おまえが聞いてきたから、答えてんだろ。失礼な奴。
だいたい、なんなんだよ。この棊子麺とかエアバックとかはよー。
なんの話だ。
棊子麺はなんだ。
道徳的言辞を弄さずに、ある特定の道徳に他者を導けるか?
(その他人の「目的」と道徳の「目的」を一致させられるか)
だったかな?
それ可能だろう。カネでつってもいいんだよな(金銭的説得?)。
泣き落としも良い。理詰めでもいい。
「お母さんは泣いてるぞー」でもいいよな。
なにが問題なんだ?
>>324 >その場合って、どれ。
彼女に言われなかった場合。
>そうだな。自分で納得はダメかな?
そりゃそうだろ。
>では「具体的jに何をすればいいのか」とは、なんのこと?
>「あなたが道徳守らないと。わたしが悲しい。だから道徳守って&herts;」
といわれた場合の話だよ。
この文面だけでは、「具体的には」何をしたらいいかわからんだろ。
>おまえが聞いてきたから、答えてんだろ。失礼な奴。
>>320 で、もう論点は消滅してるんでね。
何も言わずに続けるのも失礼だろ。
>>325 申し訳ない、収束方向なんで、
レス先なくて、
>>91 かどうかわからない
レスは無視することになっちゃうんで、悪く思わないでくれ。
>彼女に言われなかった場合。
んじゃ、彼女じゃない人に(道徳の目的を)言われた場合、泣き落とされて後に知った場合が適合だな。
>>そうだな。自分で納得はダメかな?
>そりゃそうだろ。
自分で自分を説得っつてるだろ。都合のいいところだけにレスすんな。コラ。
>この文面だけでは、「具体的には」何をしたらいいかわからんだろ。
具体的に、ってだから泣き落とし。
>何も言わずに続けるのも失礼だろ。
んじゃ、さよならと言って去れ(笑
>>328 >んじゃ、彼女じゃない人に(道徳の目的を)言われた場合、泣き落とされて後に知った場合が適合だな。
どちらにしても、その場合、「説得された」ことにはならんだろ。
>自分で自分を説得っつてるだろ。都合のいいところだけにレスすんな。コラ。
はぁ?まさか本気で書いてるとは思わなかったんで。
自分で納得だったら、自由意志じゃないのか?
>んじゃ、さよならと言って去れ(笑
勝手にさよならと言うのも失礼だろ(藁
>329
>どちらにしても、その場合、「説得された」ことにはならんだろ。
なんで。結局彼女に泣き落とされて棊子麺喰ってるんだぞ。毎朝毎朝一杯づつ。変な光景(笑。
>自分で納得だったら、自由意志じゃないのか?
自由意志で自分を説得。彼女も自由意志で説得。自由意志はどうでもいーような。
>勝手にさよならと言うのも失礼だろ(藁
んじゃ、おれが許す。さよならといって去れ。
>>330 >なんで。結局彼女に泣き落とされて棊子麺喰ってるんだぞ。毎朝毎朝一杯づつ。変な光景(笑。
当人の目的と道徳の目的が合致してないからだよ。
>自由意志で自分を説得。彼女も自由意志で説得。自由意志はどうでもいーような。
自分で自分を説得も説得に含まれるのなら、
純粋な思いつきを除けば、人間の全ての判断は、
「説得された」結果ということになるだろ。
「そうだ」と君が強弁するなら、バカバカしいから反論しないけど。
>んじゃ、おれが許す。さよならといって去れ。
はぁ?何様のつもりだ。
君ごときになんで俺が許されなきゃならんのだ。
・・・考えてみたら、別に彼女に「道徳の目的」を教えて貰ってもいいんだよな。
「道徳の目的」教えて貰った位じゃ、道徳的言辞を弄してる、ってほどじゃないし。
>当人の目的と道徳の目的が合致してないからだよ。
彼女以外の人に教えて貰うか、棊子麺食べ始めてから教えて貰う。この場合合致している。
なにが問題?
>自分で自分を説得も説得に含まれるのなら、
>純粋な思いつきを除けば、人間の全ての判断は、
>「説得された」結果ということになるだろ。
なんだそりゃ。短絡だろう。
説得つーのは信念を変えるようなレベルだろう。
判断=説得の結果にはならんぞ。
「今日はいい天気だ、桜5分咲き」は判断はどういう信念を変えたんだ(ワラ
>はぁ?何様のつもりだ。
>君ごときになんで俺が許されなきゃならんのだ。
勝手に去ったら悪いから、といいながら
「去ってよし!」というと、怒るのか。
面白い奴だ。
……ん〜。なんかもう、さすがにどうでもよくなってきたな。
ともかく、
道徳的に説得(道徳の内容で説得)しようが、
感情的に説得(泣き落とし)しようが、
論理、カネ、その他でしようが、
説得はできる。
別に強制しなくてもよい。
これで問題ない。
>>333 >彼女以外の人に教えて貰うか、棊子麺食べ始めてから教えて貰う。この場合合致している。
>なにが問題?
知ることと、それを自分の目的とすることは別問題。
>なんだそりゃ。短絡だろう。
>説得つーのは信念を変えるようなレベルだろう。
>判断=説得の結果にはならんぞ。
>「今日はいい天気だ、桜5分咲き」は判断はどういう信念を変えたんだ(ワラ
説得が信念を変えるようなレベルなんてことは誰が決めたんだ?
「よく話して得心させること」は、必ず信念を変えるようなレベルの話なのか?
まあ、「判断」がきにくわないなら、「意志」でも「目的」でもいいや。
そういったものは純粋な思いつきを除けば、説得された結果なのか?
はぁ・・・。
けっきょく、大した考えがないのを、言葉にケチつけて誤魔化してるだけなんじゃないの。
別に「わからない」といっても、そのことでは、馬鹿にしたりしないよ?(藁
というか、「道徳による説得」なんてものは「他の説得」と同じだってことじゃないの?
何が違うんだ?
>知ることと、それを自分の目的とすることは別問題。
説得されるしろ、知らされるにしろ、自分の目的にするのは、結局自分だ。
「教えて貰って、それを自分の目的にした」といえばいいだけのことだ。
やっぱり無問題だな。
>「よく話して得心させること」は、必ず信念を変えるようなレベルの話なのか?
信念は固いか。
じゃあ方針や確信だな。なにを得心するかと方針や確信の変化だからな。
>まあ、「判断」がきにくわないなら、「意志」でも「目的」でもいいや。
>そういったものは純粋な思いつきを除けば、説得された結果なのか?
意志や目的? それの「変化」ならねえ、いいんでないの。
「得心」て言うまでの大きな変化なら、また自己内対話で変化するなら、
「自分で自分を説得」と言えるだろう。
>けっきょく、大した考えがないのを、言葉にケチつけて誤魔化してるだけなんじゃないの。
また自己言及か。おまえ好きだな〜それ。
>というか、「道徳による説得」なんてものは「他の説得」と同じだってことじゃないの?
>何が違うんだ?
一度論破されたこと何度繰り返すんだよ、おまえは。つくづく、糞虫だな。
カネで釣るのと、泣き落としと、道徳的説得と、どうして同じになるんだ。
「同じだってことじゃないの?」で、"感想"漏らして終わらすな。
ちゃんと論理で展開しろちゅうの。
せっとく【説得】
よく話して得心させること。納得するように説きさとすこと。「説得力に欠ける」
Kokugo Dai Jiten Dictionary. Shinsou-ban (Revised edition) ゥ Shogakukan 1988/国語大辞典(新装版)小学館 1988
なんだ。「(自分で)納得」でもいいんじゃん。
110、またおまえ自分に都合のいいところだけ、抜き書きしたな(ワラ
この、小心者ッお。
う〜む。そうすると、自己内対話といえるような激しい葛藤があって、
自分自身をとことん納得させて、「目的」を置き換えるようなレベル
なら、これはもう確実に「自分を説得」と言えるだろう。
自分で自分を説得つーのはなくてもいんだけどな。
彼女に「目的」教えて貰って、自分で採用しても、
主に彼女の泣き落として心が落とされたのなら、
それは「感情的説得」だ。
>>337 まあ、君が、人間の「方針や確信」の変化を、そのようなものと捉えているのはわかった・・・。
君の考える、「道徳で説得する」ということがどういうことなのかも、
まあ、とりあえずわかった。
正直いって、説得の定義などについて、質問がたくさんあるが、
話題が逸れるばかりなのでやめておこう。
楽しいか。
なんかスゲェ進んでる。
うわ、驚くほど読解力無い奴いるね。
読解力だけじゃなくて想像力も無い。 まあ、想像力が無いから読解力が無いんだろうけど。
しかも、質問と反論の区別が自分でも出来てなさげ。
344 :
考える名無しさん:02/04/01 03:25
マニュアルどおりにやってますとは、アホのいうことだ。
あ