936 :
ふにゃぽん:02/08/11 10:58
またまたOFWさんへ質問です。
「国家死滅後の社会」について。
今回は、非常に通俗的な質問で申し訳ないんですが、
20世紀の「自称共産主義国家」の労働者たちは、いわば、「怠情」の代名詞的な
存在でしたし、事実、その通りだったということは、OFWさんも否定されない
と思います。
で、未来の「理想社会」の労働者なんですが、彼らを、義務としての労働に向かわせ、
かつ、「怠け」に向かわせないモチベーションは何かということなんですが・・・。
最高度に発展させた、生産緒手段をさらに発展させるものがあるとすると、
現在の資本主義における競争原理に代わるものがあるのでしょうか?
これは、やはり宗教団体のコミューンのような、「同胞意識」ということに
なるんでしょうか?
>>936(ふにゃぽんさん)
>彼らを、義務としての労働に向かわせ、かつ、「怠け」に向かわせない
>モチベーションは何か
日本国憲法第27条「すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負ふ。」
とあるように、労働が全国民の法的な権利および義務とされたのは近代
国家に特徴的です。(資本家(使用者)は義務を果たさず、非自発的失
業者は権利を奪われている事実に対して、憲法は無頓着ですが。)
実際の労働現場では、近代以前からの「仕事は大切」というモラルが生
きており、働けるのに働かない者は嫌われるもの。確かに「資本家やそ
のイデオローグ達は労働を神聖化する。」(マルクス)が、誰も生産手
段を奪われて、強制された労働などしたくないのはあたりまえでしょう。
つまり<労働の解放>とは自由・自発的な労働の実現を言うのであり、
「(法的)義務としての労働」が存在する場合、未だ労働は疎外されて
いる。何故なら、労働とは概念上、自然における人間の(肉体的・精神
的)生命力の発現(自己の現実化活動)以外の何物でもないから。
>生産緒手段をさらに発展させるものがあるとすると、現在の資本主義に
>おける競争原理に代わるものがあるのでしょうか?
生産手段の発展とは、人間の自然に対するコントロールの増大であり、
豊かな自由に向かうための現実的条件です。競争がそれを促進するとい
う外見は実状とは異なるものであり、排他的な利己心が豊かな社会を築
く原因にはならない。<神の見えざる手>とは、<理性の狡知>という
シニシズムと同様、協働的人間間のコミュニケーション不足です。
>宗教団体のコミューン
「宗教とは人間の類的本質の自己疎外であり、<神>とはそれがある疎
遠な主体として立てられたものである。」(フォイエルバッハ)
地上のコンミューンは疎外の克服であり、働く(つまり現実の)共同体
として現在(即自的に)実践していることの実現に過ぎないでしょう。
938 :
ふにゃぽん:02/08/12 22:24
>>937 OFWさん。どうもです。
><労働の解放>とは自由・自発的な労働の実現を言うのであり、
ということは、あらゆる「労働」は「個人」の「自由」「自発性」に任される
ということなんですか?
と、なると、「働く者」と、「働かざる者」の差異は、どこに帰着するんでしょうか?
私有財産は、もう存在しないわけですし・・・。
それと、ついでと言ってはなんですが、「プロ独」、「国家死滅」後の社会の
あるべき姿を描いた青写真的な書籍を紹介していただけないでしょうか?
やはり、「ドイツ・イデオロギー」でしょうか?
でも、あれの「国民文庫」版は、どういうわけか、「フォイエルバッハ・テーゼ」
しか載ってないんですが・・・。
OFWさん。里帰りしちゃったのかな?
940 :
考える名無しさん:02/08/14 23:21
北京に「労働」というホテルがあるらしい。
OFWさんって引用するの得意だけど、
いちいちちゃんと覚えてるの?
それともノートか何かあるの?
それとも全文検索とかできるようになってんの?
>>941 OFWさん。ありがとう。
今日のレスで生じた疑問等は、また次回にでも、
よろしくお願いします。
よい夏を。
944 :
ふにゃぽん:02/08/17 18:11
誰もいないようなので、OFWさん。
またお願いしますです。
>>941 ><自由>とは恣意(意志の偶然)ではなく、自己の本性(必然)に従う
> こと。社会の中に生まれ生きる個人にとって、社会的自己の内的な欲求
>に従って動くことが自由です。社会は「自由な個人」間の契約やゲーム
> によって成立したのではなく、人間の自然的被規定性(人間の自然)か
> ら生まれ、常に個人の実体的本質をなすものです。
え〜と。原則論から言ったら当然、そうでしょうけど、
実際に社会を運営するにあたり、その社会が本当に必要とする
労働量=労働力と、各個々人が、自発的に行う労働総量が、
必ずしも一致するとは限らないと思うんですが・・・?
945 :
考える名無しさん:02/08/17 18:17
金はまじでいらんで、だからもう気持ち悪いメール送ってこんといて
946 :
ふにゃぽん:02/08/17 18:19
↑誤爆?
ふにゃぽん、こんなところにもいたのね。さよなら・・・
>>944(ふにゃぽんさん)
>その社会が本当に必要とする労働量=労働力と、各個々人が、自発的に
>行う労働総量が、必ずしも一致するとは限らない
>>21でも少し触れましたが、各種生活財を必需品、便宜品および贅沢品
に分類した場合、必需品(その範囲も社会水準と共に可変的ですが)に
ついては、その社会的需要(種類・量)を予測・算定・調整することは
十分可能でしょう。
1.社会インフラ・基礎的福祉の種類と量
・電気、水道、ガス、医療、教育、防災、交通、環境保全等
2.社会成員の基礎的な生活財・サービスの種類と量
・いわゆる衣食住に関する物資・サービス
3.上記を生産するために必要な生産財の種類と量
・原材料、生産施設、機械設備、道具等
上記の“シビル・ミニマム”が与えられれば、その生産に必要な労働力
(質と量)を算出するのは技術的な問題であり、資源と労働力双方の産
業連関的な必要量は経験的および科学的に算出可能でしょう。それらは
社会の存立にとって<必要な部分>であり、その運営(管理と運用)に
は社会の全成員が機動的に(交代的に)参加すべきものです。
さて、財および労働の両面について<必要を超える部分>をいかに規定
するのか。むしろそれは無規定な<自由・自発の領域>であり、その労
働は諸個人の熟練および才能のボランタリー的な相互供与として、非経
済的(文化活動的)なものになるでしょう(価値法則の廃棄)。
949 :
ふにゃぽん:02/08/18 09:21
>>948 >その労
>働は諸個人の熟練および才能のボランタリー的な相互供与として、非経
> 済的(文化活動的)なものになるでしょう(価値法則の廃棄)。
我々がやっている2chのカキコとかですな。(w
ここでは、OFWさんのレスや、一部、職人による高度なAA描きなどの
持ち込む場によっては、高い評価を得られる仕事も全くの無償で行われてますからね
・・・。
2ch自体、タダですし。
やはり、その「理想社会」にあっても、「主体的な労働」とは、「シビル・ミニマム」
の要請により与えられた「義務としての労働」の上に成り立っている
ということですか・・・。
OFWさん。毎回ありがとう。
今日生じた疑問に関しては、また次回お願いします。
950 :
考える名無しさん:02/08/18 11:16
知世ちゃんのウンコ食べたい
951 :
ふにゃぽん:02/08/19 18:25
OFWさん。よろしいでしょうか。
「シビル・ミニマム」=「義務としての労働」について。
このシステムを導入するにあたって、個人の仕事の出来、不出来は
どう捉えるかということです。
私が、
>>936で少し述べました通り、この場合、その労働を行うにあたって、
「私有財産」という形での報酬はもちろん、サボタージュして仕事にあたった
場合の「ペナルティー」も問われないのなら、その仕事への「評価」
というものは、どのようになされるべきかということなんですが・・・。
あるいは、そのシステムおよび、労働者への「監視」は
どうなるのかということなんですが
・・・。
また、どうかお願いします。
NAMにメールしたらいいんですか?
>>951(ふにゃぽんさん)
>「私有財産」という形での報酬
いわゆる消費財(衣食住等)と呼ばれる生活手段の一部は個人的あるい
は家族的に使用する外なく、協働的生産の成果を各人に再分配するとい
う形式をとることになるでしょう。ただし、世界的にみて既に「能力・
働きに応じた」分配は「必要に応じた」分配に転化可能な程の生産力レ
ベル(各人にとって必要なものは十分に生産できる)に達していると考
えられるから、分配について余り悩むことはないでしょう。
ブルジョア政治経済学では<分配の公正>について議論が盛んなよう
(ベンサム、ナッシュ、ロールズ、ハーサニー、ノージック、セン等)
ですが、資本主義的私有財産制度の矛盾(結合された生産と私的な取得)
を前提にして、報酬(賃金および資本家利得)の正しい基準など得るべ
くもなく、個人の社会的能力に対する無報酬が共産主義的な原則です。
>サボタージュして仕事にあたった場合の「ペナルティー」
概念上、働くこと=自己の活動能力を発揮すること、ですから、サボタ
ージュ=<自己をサボる>こと、ですね。それは現在のような、疎外さ
れた労働(他者としての労働)状態下での<自己を奪回する>行為とは
正反対のものであり、疎外なき状態でサボりは如何にして可能かな?
>その仕事への「評価」
価値法則の廃棄と共に、一切の評価=(経済的)価値判断は不要となる。
後世の歴史家が「かって価値というものがあったが、ある思想家が『価
値の源泉である労働(仕事)自体は無ー価値である』と洞察して以来、
誰も仕事の評価などしなくなった。」と書くかどうか・・・。
>そのシステムおよび、労働者への「監視」
モノ(生産・流通)の監視は重要ですが、“民主主義的生産システム”
(笑)では、他人の監視は不要でしょう。すべては公共的(万人に開か
れている)に運営され、自己(経営者としての労働者)が見ている。
954 :
ふにゃぽん:02/08/21 06:31
OFWさん。ありがとう。
またよろしくお願いします。
955 :
考える名無しさん:02/08/21 15:18
956 :
ふにゃぽん:02/08/21 19:34
OFWさん。
連続質問をよろしいでしょうか?
え〜と。私が
>>951で言った質問を、さらに突き詰めると、
こういうことになります。
いくら生産力が発達した社会でも、その発達した生産力を維持、場合によっては
さらに発展させる必要があるわけで、それに伴う「労働」は、各人に
振り分けられるとして、その際、自らの内的必然性=自発性による労働は
もちろん、OFWさんのおっしゃる、「シビル・ミニマム」さえ嫌い、行わない
人間がいるとどうなるのかということなんですが・・・。
957 :
OFWに無視された:02/08/22 01:08
> 上記の“シビル・ミニマム”が与えられれば、その生産に必要な労働力
> (質と量)を算出するのは技術的な問題であり、資源と労働力双方の産
> 業連関的な必要量は経験的および科学的に算出可能でしょう。
シビル・ミニマムだって時代とともに高度になってきてるんじゃないの?
それを計算してしまうということは、発展を止めることになるのでは?
発展の計算もできる?
> むしろそれは無規定な<自由・自発の領域>であり、その労
> 働は諸個人の熟練および才能のボランタリー的な相互供与として、非経
> 済的(文化活動的)なものになるでしょう(価値法則の廃棄)。
非経済的になったら、そのボランタリー的労働の動機付けを
なにに置き換えるつもり?
> 疎外なき状態でサボりは如何にして可能かな?
セクスしてたり、アニメばっかり見てたり、ゲームばっかりしてたり
して可能。
958 :
考える名無しさん:02/08/22 01:12
思っても無い事言うくらいなら何にもいりません
959 :
考える名無しさん:02/08/22 03:36
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λiii;;;;;iiiiiii/ミ ::ヽ_.丶iii;;ii!!'' .‖|..ノ
|  ̄ ::ノ.:. ::ヽ_  ̄ .‖ ./┌───────────
| ./:ι_: ._ ): \ .‖/ 自分は西部署の大門だ。
| ...|.| .|<国家に楯突く貴様らの要求は何だ?
.| ...-=三三三=- //| 言ってみろ。
..| .ミ \ ./ | └───────────
.\ ミミミミ ./ |
\________________/ λ
__ソ_________ / ./ \
\ / \
/ ヽ ./ \
960 :
考える名無しさん:02/08/22 03:38
OFWさんの人生を変えた転機というやつはあるのでしょうか?
961 :
考える名無しさん:02/08/22 03:39
OFWって実際何冊くらい本を読んだのだ?
どんな本を持っているのか。 ・・・気になる。
>>959 自分でも良くわかりません。 本等は全然読んでません。
963 :
考える名無しさん:02/08/22 03:58
?本てなに?
>>956(ふにゃぽんさん)
>「シビル・ミニマム」さえ嫌い、行わない人間がいるとどうなるのか
現在のような疎外された労働の状況では、ブルジョアおよび労働者双方
が<それ>(ブルジョアにとっては労働自体、労働者にとってはその疎
外された形態)を嫌うことには理由があり、むしろ必然的な反応です。
しかし「労働が第一の生命欲求になる」(マルクス)という言葉に意味
があるなら、疎外の克服とは労働による人間の回復を言い、個人が<そ
れ>(=階級消滅後の生命欲求充足行為としての労働)を嫌う理由は見
出せない。たとえば、空腹時に目の前にある食物に手を伸ばすことを嫌
う拒食症患者のように、そこには別の理由(例:死を望むという疎外さ
れた生命欲求)があることになり、その場合は教育的あるいは治療的な
対応が必要ですね。また、(倫理的)義務とは自己の本質に従う自覚的
あり方を指し、「汝為すべきことを為せ」とは、必要(他律的欠如)か
ら自由(自律的充足)に向かう欲求に従え、ということです。
>>957 個人的な事柄の質問は措くとして・・・
>発展を止めることになるのでは?
>>948でも触れましたが、必需品・便宜品・ぜいたく品の種類・範囲は
社会の豊かさと共に可変的です(少し前に、生活保護を受けている老婦
からクーラーを取り上げた民生委員がいたが・・・)。シビルミニマム
とは測定されるべき社会水準であり、そのための財の生産が計算(計画)
されるということです。
>ボランタリー的労働の動機付けをなにに置き換えるつもり?
「人間は社会的動物である」(アリストテレス)であり、類的自己の実
現ということでしょう。社会連帯、コミュニケーション、相互交歓等。
>ゲームばっかりしてたりして可能。
ゲーム(遊び)と労働の対立はなくなる(仕事本来の創造的活動という
姿には遊びの要素が多分にある)から、サボってまでゲームをやる必要
もなくなるでしょう。
OFWさん。ありがとう。
今日生じた疑問については、また後日お願いします。
それにしても、このスレもそろそろ新スレを作ることを考えねば・・・。
誰かやってくんないかな?
私が近日中にやろうかな?
966 :
OFWに無視された:02/08/24 22:04
>>発展を止めることになるのでは?
>そのための財の生産が計算(計画)されるということです。
計算(計画)は国家的(社会全体的)に行われ、
強制力を持って実行され、その労働において発展は期待しなく
てもよく、財の発展はボランタリーに任せる。
という風に理解しましたYO。
その上で
>ゲーム(遊び)と労働の対立はなくなる
対立点は、社会的か否かということです。
ゲームを止めてまでボランタリーをする必要もなくなるでしょう。
>個人的な事柄の質問は措くとして・・・
頭がイイと思われる人がどんな学習過程を経てきたかは、
盆踊りでアウアウした情報よりも遥かに有益な情報であり、
ボランタリー的精神を持って公開すべし。
967 :
考える名無しさん:02/08/25 18:39
とりあえずすきまがすくなすぎる。
ひまやからいっかいしんけんによんでみる
968 :
考える名無しさん:02/08/25 18:42
さすがに意味不明
969 :
考える名無しさん:02/08/25 18:45
名前出せって?
OFWは田舎者。
971 :
無国籍論者:02/08/26 02:25
972 :
高ぞう→将軍 ◆xllvU7xA :02/08/26 02:50
やっと103まで読んだよ。
なんだか吉本君は最初の方、すごいばかっぽいこと言ってるけど。
(あ、これ煽りだよ。本気にしないでね)
ほんとは勉強家なんだよね。僕より。
(僕は最近2chに浸っちゃって脳みそとろとろだよ)
こんな大層なスレにダレスしててもしょうがないから、
OFWさんに何か質問でもかましておかないとな。
僕の私見ではマルクスの思想はヘーゲル思想を止揚させたものとして
みていいということなのですが、マルクスの商品と価値の哲学
(というのは、私がやっと読み終わった資本論(岩波文庫の)一巻目に書いてあるもの)
ではヘーゲル思想のような有機性がなく、
とても静的な見解があらわされているように思えます。
これが個人レベルでの現実と相容れず、
吉本君のような意見が出てくるのだと思いますが、
このような個人レベルの現実を、無視することで
(社会レベルに議論を限り)理念を語れるものなのでしょうか。
個人レベルの現実をマルクスの理論が無視しているということの、
真偽も含めお願いします。
次スレはおれが立てるぅ。
974 :
高ぞう→将軍 ◆xllvU7xA :02/08/26 04:08
>>972 >静的な見解
補足:主に労働価値説のことですから、社会に終始求められるあり方のこと。
>個人レベルでの現実と相容れず、
この部分自体がかなり抽象的でしたね。
といっても具体的にすると例しかあがらず、そうすれば議論がせばまるのですが、
あえてその方向性で話せば、個人レベルの現実というのは主に個人の欲求のことです。
単純に考えて、生産物は、いくら労働をつぎこんだところで、
それが個人(もらう側)の欲求をみたさなければ
結局無意味な産物にしかなりません。
もしそんなものを作ってしまった場合、
その無意味な産物を生んだ労働はどこにいくのでしょうか。
そこには「交換する」という使用価値も失ったものがのこるだけです。
こういう場合は、どうにかするすべはあるのでしょうか。
おいしいよ、等の商品の「宣伝」は
買い手にとっての商品の使用価値を高めるというよりも、
買い手の商品への欲求を高めます。
このように個人の欲求を刺激することは、
値段はともかくも、品を売るのに必要なことです。
これは、単純な労働者同士のものの交換においても同様でしょう。
そして、このような個人の欲求とは、ものの交換において重要でありながら、
言葉ひとつで揺れ動くようなとても流動的なものです。
そういう意味で個人レベルの交換の場では、
現実的に流動的な面が多く、
静的な価値論には合わなくなってくるということです。
975 :
考える名無しさん:02/08/26 04:14
??勘違いしてません?
976 :
高ぞう→将軍 ◆xllvU7xA :02/08/26 04:16
なんすか?
977 :
高ぞう→将軍 ◆xllvU7xA :02/08/26 04:23
それでは、OFWさんには
僕の勘違いしてる点を教えてもらいたいと思います。
別に誰でもよろしいのですが…
いや、高ぞうはいい線いってるぞ。
979 :
名無しさん:02/08/26 08:19
/ ̄ ̄ ̄ ̄\
/ ● ●、 _____
|Y Y \ /
| | | ▼ | < age
| \/ _人.| \_____
| ___ノ
\ `''ー ∧一〈`'i t、
\ /ハ' | 〉\
> \/ V\/i < ヽ
\ ∧ / 〉 !
`''ー− \/, −' |
// | |
i | |
吉本隆明さん。新スレ立てるなら、早くしてよ。
もうすぐ1000だよ。
立てる気ないなら、私がやるけど、それならそれで言ってくれよ。
>>966(957さん)
>国家的(社会全体的)に行われ、強制力を持って実行され
概念上および歴史上の両面から言って、国家と社会(現実の共同体)は
対立的な存在です(例:<国際社会>は国家の上位(下位?)にある)。
強制力(権力)は疎外された社会の中(つまり外部)にもあるが、内部
の権力とは自己決定のことですから、強制(働かされる)のではなく、
自ら働くことです。外部の力を自己のものにする過程が社会の発展です。
>どんな学習過程を経てきたか
特別なものはない。<真理>に向かえ、とか。
>>972,973(高ぞう→将軍さん)
>商品と価値の哲学・・・では・・・静的な見解があらわされている
労働価値説とは「価値の実体は労働である」ということです。
<実体>とは、偶有的諸関係を貫く全体として必然的なもの、であり、
<必然性>とは、他在(他様)である可能性の否定、ですから、
価値実体論とは結局<不動の過去>が支配する資本主義世界の本質を明
らかにすることです。価値の必然性(価値法則)が支配する世界は静的
であり、「生あるものは餓死するしかない」(ヘーゲル)飢餓的な世界
です。マルクスはそのことをそのままにあらわしただけです。
>個人レベルの現実を、無視すること
原子的個人の実存(現存在)は欲求ではなく、欠乏というのが相応しい。
そこには個人の根拠としての社会がないからこそ、むしろ価値(欲求の
欠如態)が社会の代わりとして諸個人を結合する。個人は他の個人に向
き合うのではなく商品に向き合い、社会的欲求を物への欲求(所有)に
まで極小化させる。それが個人レベルの現実でしょう。
>個人レベルの交換の場では、現実的に流動的な面が多く、静的な価値論
>には合わなくなってくる
交換とは常に社会レベルの行為であり、直接的な価値形態(物々交換に
おける偶然的な面)が貨幣形態にまで発展するのは、<社会の現実性>
が現れてくる過程です。無論それは物象化された疎外においてですが。
982 :
高ぞう→将軍 ◆xllvU7xA :02/08/27 23:41
う〜む。痛快なほど難解!
>価値実体論とは結局<不動の過去>が支配する資本主義世界の本質を明
らかにすることです。
よく、わかりゃ〜せん。
>マルクスはそのことをそのままにあらわしただけです。
つまり、労働価値説とは資本主義世界の本質をあらわしたもの、ということですか?
(そう読めてしまいますが)
他の点は後におって質問したいと思います。
983 :
高ぞう→将軍 ◆xllvU7xA :02/08/28 00:49
>そこには個人の根拠としての社会がないからこそ、むしろ価値(欲求の
>欠如態)が社会の代わりとして諸個人を結合する。
>社会的欲求を物への欲求(所有)にまで極小化させる。
「価値(欲求の欠如態)」・・・?いや、わかんないでもないが、
そのまま読むと「欲求を欠いている状態」になるぞ。なんだそれ。
うまく言い表せないが、要するに、
社会的欲求、物への欲求があるならば、
この二つの欲求は個人に含まれてよいと考えていいだろう。
そもそも個人は社会を根拠にしているから、最初に社会ありき、
それの欠乏がこれら欲求を生むということだろうか。
しかし、社会的欲求を満たしている状態でも
最低限の物的欲求(衣食住)がなければ、人間は生きていけないのだし、
そもそも物的欲求と社会的欲求を分離して考えるのはとても難しい。
その他、最初に我ありきという方が助産術的であり、説得力があるが、
(そのかわり、盲目的である)
社会ありき、と言われたところで、あなたの意見を賛成できない自分が
あるので、これが自分の存在証明になる。
そこで、それも社会から与えられた「自分」だと言われたことで、
それは社会とは切り離される「自分」が存在することを何も否定していない。
要は、社会あっての個人であり、個人あっての社会でしかない。
ここで歴史的な前後を考えることはどうでもよいことである。
ゆえに、(社会的欲求対象の)欠乏において個人が実存すると、
「言うこと」は、厭世して、
社会的欲求が満たされたという極楽浄土を本願することの他になし。
>無論それは物象化された疎外においてですが。
無論、じゃないっす。何の疎外でしょうか。詳しく、お願いします。
984 :
OFWに無視された:02/08/28 19:25
>概念上および歴史上の両面から言って、国家と社会(現実の共同体)は
>対立的な存在です
文脈上、共産主義(まだ見ぬ社会)の運営主体を仮に国家と呼んでいるだけなので、
既成の国家像を示すことに意味はないでしょう。
>内部の権力とは自己決定
自己決定のみで、計画されたシビル・ミニマムの達成を保証することは
できるのかな?前にも書きましたがゲームの好きな人間がわざわざゲーム
をやめてまでシビル・ミニマムの生産に関わろうとはしないでしょう。
><真理>に向かえ、とか。
何ですかこれ?本の名前じゃないよね。
ちなみにもとの質問は、これ↓
> OFWさんって引用するの得意だけど、
> いちいちちゃんと覚えてるの?
> それともノートか何かあるの?
> それとも全文検索とかできるようになってんの?
こっちも、よろしくです。
985 :
ふにゃぽん: