その定義をおしえてください
3 :
考える名無しさん:02/02/16 20:33
善悪とは口実のこと
4 :
考える名無しさん:02/02/16 20:44
悪は実体。他「者」が原因の苦。(物や)偶然は他「者」では無い。
善て何?
5 :
考える名無しさん:02/02/17 00:31
善とは、すべての人間にとっての生命遵守に基づく行為。
然るに、人間が動物である限り(生存本能を持つ限り)ありえない。
つまり、この世に絶対「善」は存在しない。
悪とは、一個の人間の生命を脅かす行為。
然るに、人間が動物である限り(生存本能を持つ限り)常にある。
つまり、この世に絶対「悪」は常に存在する。
と、考えれば、この世に「悪」が蔓延るのは当然であり、その逆に「善」は
尊いのもとなる。尊いものを目指すところに人間の価値があると考えたいね。
6 :
考える名無しさん:02/02/17 13:04
8 :
考える名無しさん:02/02/17 14:23
善悪というと、宗教の話になっていきそうだね。
哲学的に善悪を解いた参考文献とかありますか?
過去スレ検索すれ
10 :
考える名無しさん:02/02/17 17:50
「悪」は、自分に思いがけない苦しみを感じたときに発生する概念。
例えば、他人から「そういうことをするな!」と言われた時に認知される。
例えば、畑に水をやらなかったら、収穫できずに飢えてしまった時に認知される。
自分に苦しみがなければ、「悪」の概念も存在しえない。
「悪」ではないように積極的に行うことが「善」。
「善」の概念は「悪」を知らなければ認知できない。
「悪」の存在がなければ「善」の概念を認知できない。
人々に神を認知させるために、悪魔を設定したのが宗教。
ところで、神より先に悪魔ありきの宗教ってあったっけ?
11 :
考える名無しさん:02/02/17 18:01
>>10 つまり、ある人に苦しみを与えるものが、その人にとっての悪だと?
>>11 そうだけど、ちょっと補足が必要ですね。
ある人が、その苦しみの原因が自分にあると納得したなら、
悪いことをしたのは自分と思えるわけです。
逆に自分が、納得できなかったら、相手が悪だと思うはず。
どちらが悪か、話し合いで解決できなければ「戦い」になるでしょう。
14 :
考える名無しさん:02/02/17 18:35
15 :
考える名無しさん:02/02/17 18:36
そのまえに硬質対話(闘争)が
あるかも。
善悪とは、、、
「流れ」を変えるもしくは止める要因の事。
何にとって善か悪かというものも本質を問えば流れの無常を言ってるだけである。
17 :
考える名無しさん:02/02/17 18:50
18 :
考える名無しさん:02/02/17 18:54
>>16 が言ってる事は善意と悪意の事じゃないの?
生命で言うなら生きているという流れがあるね?此れを止める事はその生きている物にとって止めた要因が悪となるわけだ。
善というものも同じ。
今は価値観や概念によって変化し続けるもの。無常である。
20 :
考える名無しさん:02/02/17 18:57
>>14 勝敗と善悪は関係ないと思うな。
だから、絶対善 絶対悪なんてのもない。
人が善とか悪とか思えるだけ。
21 :
考える名無しさん:02/02/17 19:06
>>19 >生命で言うなら生きているという流れがあるね?此れを止める事はその生きている物にとって止めた要因が悪となるわけだ。
>善というものも同じ。
?
流れを止めるものは善でも悪でもあるの?
善悪は対立する概念ではないの?
それとも、両者は同じもので区別することはできないということ?
22 :
考える名無しさん:02/02/17 19:08
>>20 絶対善、絶対悪というものが存在するから、勝敗は関係無い。
という解釈もありうると思うけど。
今は価値観や概念によって変化し続けるもの。無常である。
↑
重要。
主観によって普遍的位置付けをしているだけの事。難しく考える事はない。
区別はやはり主観によって出来うる、同じであって同じではない。
それは主観と言う運河が川の流れをせき止める如し。
24 :
考える名無しさん:02/02/17 19:12
>>23 >今は価値観や概念によって変化し続けるもの。無常である。
というか、この文の主語は何?
今の時代はと言う事だ。あくまでも善悪の基準が一定ではないからそう言ったのだよ。
26 :
またお前等は:02/02/17 19:16
「善」と感じたらそれは善。
「悪」と感じたらそれは悪。
普通に生きてりゃ善悪なんて感じないで済むよな。
「善悪」なんてのは言い訳として使われることが多い。
「〜と私は思う」が抜けてるだけだ。笑止
定義としては19や23の例でいいと思うが
善悪って
悪が無い事が善でしょ?
そうすると人間である限り
その存在のみで悪になると思うんだけど・・・。
そうすると人間に限らず
現象が悪ってことになるのかなあ。
30 :
考える名無しさん:02/02/17 19:29
>>26 では、
「そのときは善だと思ったが、後になって悪だと気づいた」
場合において、
「そのときは善だと思った」事柄は、
「そのとき」の時点では善なの?悪なの?
「そのとき」は善であって、「気づいた」瞬間に悪に変化したの?
>666
そもそも定義できないしする必要もないんだから
「私が思」えばこれ即ち色。
「この世」なんてのは、「私」が感じる事が不可能な物は
本質的に存在しないも同じ。
空(私が思)即是色(この世)
俺が思った事かいたんだよ。みんなそれぞれ自分が思った事
書いてるだけだろ(あんたもな)。なんで笑うんだよ!!(藁
>>30 うん。兎に角一定のもんじゃないでしょ、善悪なんて。
ある意味感情に近いものだと思ってるよ。
うむ
ソノトオリ 爆笑
一件落着
34 :
ただよう質問者:02/02/19 19:46
悪とは・・・
自己及び家族の生命の保全を除く欲望を充足する為に、
同族の他者の犠牲を前提に行われる行為。
善とは・・・
他者の利益を前提に行われる、自己犠牲を伴う行為。
但し、その他者が悪をもって利益を得ようとしている場合は除く。
と、こんな感じではどうでしょう。
35 :
考える名無しさん:02/02/19 20:15
国家レベルで考えるのであれば国の利益になるであろう事柄は善。
国家に支障をきたすであろう事柄でれば悪です。
日本では善悪とは多分に儒教が基準となってるのではないか?
36 :
考える名無しさん:02/02/19 20:40
たとえば人殺しをした。
これは悪。しかしその相手が将来ヒトラーのような大量虐殺者たる人物だったとしたら、
善とも取れる。麻原のポワの根拠のようだが、いかに?
37 :
考える名無しさん:02/02/19 20:44
>36
法に反しているので人を殺したら悪。
大量虐殺者たる人物になるとわかっていたのであれば、まあ善。
でもそれは後世の人が決めることだよね。
それに戦争中であれば人を殺せば殺すだけ「英雄」となり善となる。
線引きは難しいね。
38 :
考える名無しさん:02/02/19 21:27
39 :
考える名無しさん:02/02/19 21:34
>37
確かに線引きは難しいですね。
今、悪とされてることが数年後には善として
見られるかもしれないし、
逆に今、善と思われていることも悪として
見られるかもしれない。
結局、善も悪も本質的にはなんら変わらず
それを決定付けるのは今の世論だと思う。
僕は周りに流されず自分の中の善悪に
したがって生きていきたい・・・・。
40 :
ただよう質問者:02/02/19 21:51
>>36 いやそれは、人殺し(悪)をなした時点で、
殺されたものの将来を正しく予測することが不可能なため、善とは成り得ない。
何をもって、「大量虐殺者たる人物になる」と判断するかが問題。
実際に、計画し実行しようと(準備集合罪)している状態、
つまり、まさに悪を成そうとしているのであれば別だけど。
>>37 後世の人が決めると言っても、その後世がどんな時代(社会)かで判断は変わる。
>それに戦争中であれば人を殺せば殺すだけ「英雄」となり善となる。
しかし、国が負ければ「戦犯」となり、殺した分だけ重罪となり「英雄」にはならない。
と、思うのだが。
>40
だから後世の人が決めること、と言っている。
>しかし、国が負ければ「戦犯」となり、殺した分だけ重罪となり「英雄」にはならない。
OH!それを忘れてたね、全くその通り。
42 :
ただよう質問者:02/02/20 00:35
>>41 そこなんです。だから、それではいま現在なされた行為について、
善悪の判断が出来ないことになります。
大量虐殺者の可能性があったとしても、
殺してしまえば、可能性を断つことになり歴史(記録)に残らないことになる。
そうなれば、後世の人も決めることが出来ない。
殺さなければ、大量虐殺者の歴史(記録)が残り、それによって後世の人が、
あの時殺しておけばよかったんだと言う善悪の判断をしても、
その時代の当事者にとっては、無意味ではないだろうか。
これでは、善がなされる事も無い事になると思う。それでいいのだろうか?
>>39 >僕は周りに流されず自分の中の善悪に
>したがって生きていきたい・・・・。
アゲアシ取りのようで申し訳ないが、せめて自分の中の善にしたがって生きていただきたい。
43 :
考える名無しさん:02/02/20 00:45
ある「ルール」が前提としてあって、
その「ルール」とベクトルの方向が一致する行為が「善」で、一致しないものが「悪」。
これだけのこと。
44 :
考える名無しさん:02/02/20 01:36
だから、まず、善と悪の定義をしてくれ。
45 :
考える名無しさん:02/02/20 01:55
善と悪の定義なんて成り立つんだろうか? 定義された時点でそれはルールやモラルに変わってしまう。本当の悪も本当の善も、真実なんて物は皆瞬間的な物ではないだろうか
46 :
考える名無しさん:02/02/20 01:58
>>45 では、善と悪以外のものは、なぜ定義してもルールやモラルに変わってしまわないんだ?
47 :
考える名無しさん:02/02/20 02:14
>46
うーん。(善悪を含め)全ての価値は、その瞬間のみ真実であり得るという事。
48 :
考える名無しさん:02/02/20 02:29
>>47 価値というものは、その瞬間でのみ真実なわけだね。
では、その瞬間だけでなく真実であること、というものはあるの?
49 :
考える名無しさん:02/02/20 02:58
>46
ないと思う。全ては時とともに更新される。あるのは瞬間の連続。不変の価値はあり得ない。
もっと続けたいけたいが、もう出なくては。此処は今真っ昼間。日本は夜中ですか?
50 :
考える名無しさん:02/02/20 03:11
>>49 価値ではないもの、というものは存在しないのだろうか?
価値というもの自体も価値であって、定義しえないものだろうか?
であれば、価値が変化するといったとき、それはどんなことが起きたことを指しているのだろう?
こちらは夜中だよ。
特撮ヒーローものでもないと
善悪を定義ずけることって
できるのかなあ
とか
思う
52 :
考える名無しさん:02/02/20 05:07
過去の哲学の偉人達は、誰も善悪を定義しなかったのか?
53 :
考える名無しさん:02/02/20 05:12
善悪?体制と反体制だ、青二才。
54 :
ただよう質問者:02/02/20 11:52
失礼ながら一言。
不変のものは無いとか、絶対なんて存在しないと言う人は、
その時点で、全ての議論を自ら否定していると思ってしまう。
もし不変のものが無いと言うなら、”不変のものが無い”という定義が、
不変と言うことになり、根本的な自己矛盾を持っている。”絶対”についても同じ。
だから、”不変”や”絶対”が無いなどと言う言葉に帰結せず、
議論を行うべきではないだろうか。
つまり、「それを言っちゃ〜おしまいよ。」って事です。
真理にそむく事が悪です。
青二才だが>53の意見に第三世
58 :
考える名無しさん:02/02/20 15:14
61 :
考える名無しさん:02/02/20 21:31
で、善悪の定義をいえる人はいないの?
62 :
ただよう質問者:02/02/20 21:37
63 :
考える名無しさん:02/02/20 21:45
64 :
考える名無しさん:02/02/20 22:13
kakoroguguraimiroyocyuubou
65 :
考える名無しさん:02/02/20 22:18
>>64 過去ログを見る限り、きちんと説明に最後まで答えて、
定義を成し終えている人は居ないようの見えるが?
「私はこう思う」ということを言えば、定義したことになるのか?
>>65 それであんたは質問するだけだろ?
自分で定義しないの?
67 :
考える名無しさん:02/02/20 22:34
>2>5>10-12>19>23>35など一応善悪の定義を語っているレスもあります。
>65はこれを定義とは言わないのかな?
もしくは一つ一つに疑問が残っているのでしたら、それを提言してください。
>2は違った、>3でした。ゴメン
69 :
考える名無しさん:02/02/20 22:36
>>66 もちろん、わからないから質問するのだ。
>>67 あなたが答えてくれるのか?
70 :
考える名無しさん:02/02/20 22:38
>>67 というか、あなたは、それらの定義で納得できたのか?
71 :
考える名無しさん:02/02/20 22:38
>69
答えられることがあれば答えるから文句ばっか言うな!
口だけ達者な子供かオマエは!
72 :
考える名無しさん:02/02/20 22:39
>>71 で、あなたは何について答えられるというのだね?
>72
その前になんについて疑問なんだ?疑問を出さなきゃ答えは出ないですよ。
74 :
考える名無しさん:02/02/20 22:43
>>73 私の知る限り、あなたは何の意見も述べていない、
だから、あなたに対する疑問は無い
なんだ、結局口だけのバカか。
質問を聞いても無い、意見も無い、要するに議論すらできないってことですか。
著しくコミュニケーション能力の欠如した人ですね、アホらし。
76 :
考える名無しさん:02/02/20 22:51
で、善悪の定義について語れる人はいないのか?
77 :
考える名無しさん:02/02/20 23:10
>76
さんざん語られてるだろうにこのスレで。
それとも数学的な唯一解がほしいのかい?
78 :
考える名無しさん:02/02/20 23:13
>>77 あなたは、それらの議論で納得できたのか?
善 = 己が善と考えるもの全て
悪 = 己が悪と考えるもの全て
ある程度の一般的な基準はその時の時代によって
変わるけど本質的には結局自分の主観では無いでしょうか?
まわりが悪と言っても自分がそれを善だと信じていれば
真偽はどうあれその人にとってそれは善なのだと思いますし。
全ての人間に当てはまる定義なんて無いです。
80 :
考える名無しさん:02/02/20 23:21
善=自分に都合のいいこと
悪=都合の悪いこと
これでいいじゃんw
81 :
考える名無しさん:02/02/20 23:26
>>79 己の考えを基準とする場合の問題は、
人の考えが変わることがあるということだ。
ある人が、ある時点で善だと考えたことについて、
後になって善では無い、と気づいた場合、
そのことがらは、
最初に善だと考えていた時点では、善であって、気づいた時点で善でなくなったのか、
それとも、最初から善ではなくて、誤解していただけなのか、
どちらだということになるだろう。
馬鹿か?
善悪の定義なのに
善の説明に「善(よい)」という言葉や
悪の説明に「悪(わるい)」という言葉を
使ってどうする?
そう考えると35と53が正解な気がする。
体制と反体制ってやつ?
現代においてはむしろ反体制の方が善のような気がするけど。
85 :
考える名無しさん:02/02/20 23:43
>>83 >そう考えると
>>35 と
>>53 が正解な気がする。
(失礼、リンクが無いと不便なのでちょっと改変させてもらった。)
つまり、
国家の利益になることが善で、
国家の不利益になることが悪
ということだね。
国家の利益になることとは、具体的にどういうことだろうか?
最大公約数の利益=正義
時代時代によってどうあるべきかとかどう行動すべきかっていう
指針があって、それに従うのが善だと思うんだけど。
統一的な価値基準のない現代においては、善悪なんて言い方はもうリアリティないけど、
あえていえば弱者などマイノリティや個人を重視するのが善じゃない?
88 :
考える名無しさん:02/02/20 23:51
>85
スゴーク近視眼的になるけど分かりやすい例えとしては「戦争」。
ほぼ全ての国家が大義名分を掲げ、正義を唱えて戦争をしますよね。
ここでの戦争は国家にとっての利益となるので誉められたものであり、善であると考えてます。
89 :
考える名無しさん:02/02/20 23:55
やはり
>>43でしょう。
つまり、何らかの基準を据えた上で
それに+するものが善
それに−するものが悪
ということかな
>>5は人類にとっての善悪
>>10は個人にとっての善悪
>>35や
>>85は国家にとっての善悪
つまり
基準がなければ善悪もない
90 :
考える名無しさん:02/02/20 23:56
>>87 自己レスだけど、とりあえずマイノリティや個人を重視ってのは欧米先進国に限られるね。
これはアメリカにおいても当てはまってると思う。
それがアメリカ国内で終わってしまうってだけで。
92 :
考える名無しさん:02/02/21 00:09
>>88 すまない、よくわからない。
>国家の利益になることとは、具体的にどういうことだろうか?
ということを質問したつもりなのだが・・・。
「戦争」自体が、国家にとっての「利益」、といっているわけではないよね?
まず行為があり、それに対する価値判定のひとつが
善悪である。基準が時と共に、また視点によって
導かれる非常に安易且つ曖昧な判定行為。
まあそう言ってしまえば古今東西、真善美は
衣食足りた人間の衒学的行為の象徴に過ぎない。
>89
何も足さず、何も引かず、そんな判定もある。
94 :
考える名無しさん:02/02/21 00:23
>>93 >まず行為があり、それに対する価値判定のひとつが
>善悪である。
なるほど。これはよくわかる。
>基準が時と共に、また視点によって
>導かれる非常に安易且つ曖昧な判定行為。
>まあそう言ってしまえば古今東西、真善美は
>衣食足りた人間の衒学的行為の象徴に過ぎない。
ここのところがよくわからない。
こういった性質は、善悪のみが備え、
他の「価値判定」が備えていないのは何故なのだろう。
それとも、「価値判定」というものの
一般性質がそのようなものであるということが言いたいのだろうか?
>94
>>基準が時と共に、また視点によって
>>導かれる非常に安易且つ曖昧な判定行為。
ここはすべての価値判定の性質でも構わない。
行為のないところでは判定すら存在しない。
真善美という言葉は行為の後、生まれる。
しかし史的検索に頼れば、それはシンパサイズに終わる。
価値判定はシンパサイズ、コモンセンス、シンクロニズム
どれでも構わないが、その出所ゆえに当座にならざるを得ない。
また行為者自身が価値判定を知らない、という点も
真善美が単なる言葉の遊びであることを強く物語っている。
96 :
ただよう質問者:02/02/21 01:39
>>78 >あなたは、それらの議論で納得できたのか?
と言うことですが、納得できたか出来ていないかは、理解力や主観などの問題。
納得できなければ、自分なりの定義を述べてみてください。
他人が、自分の納得できる答えを出すまで待つと言うのでは、筋違いでは?
つまり、自分が納得できていない=定義が述べられていない。 というのは変。
それと、結果論としての善悪の判断と言う定義は、個人的に疑問あり。
結果論として判断するにも、その時点での善悪の定義が無ければ、
出来ないことになる。
結果に対して判断が変わるのは有罪だったか、無罪だったかではないか?
善悪の定義をする事は、有罪と無罪の判定とは違うものではないかと思うのだが。
善悪は立場によって変化し、罪の有無は時代によって変化する。としたらどう?
97 :
考える名無しさん:02/02/21 01:58
>>96 >つまり、自分が納得できていない=定義が述べられていない。 というのは変。
述べられていないとはいっていない。「最後まで行われていない」といっているだけだ。
>それと、結果論としての善悪の判断と言う定義は、個人的に疑問あり。
>結果論として判断するにも、その時点での善悪の定義が無ければ、
>出来ないことになる。
この場合の「結果論」というのがどういう意味なのかよくわからない。
「結果論としての善悪の判断と言う定義」などということは、
少なくとも私は言っていないが。
>結果に対して判断が変わるのは有罪だったか、無罪だったかではないか?
これも意味不明。
>善悪の定義をする事は、有罪と無罪の判定とは違うものではないかと思うのだが。
おそらくそうだと思うが、「有罪」、「無罪」という言葉がなぜ引き合いに出されているのか
よくわからないのだが・・・。
>善悪は立場によって変化し、罪の有無は時代によって変化する。としたらどう?
立場によって変化するとして、それは全く不規則に変化するのか、
それともその変化にはなんらかの規則があるのか?
「罪の有無」がなぜでてくのかもよくわからない。
なにか、「罪」というものと善悪に強い関係性があることを前提にしているようだが、
どういった関係なのかちゃんと説明してくれないと、唐突に「罪」という言葉を出されても、
文意がつかみづらくなるだけなのだが。
98 :
ただよう質問者:02/02/21 04:11
>述べられていないとはいっていない。「最後まで行われていない」といっているだけだ。
どこまでを、最後とするかじゃ無いでしょうか?
このスレで、何人かの人がそれぞれの考える定義を述べていると理解しています。
貴殿は、どこまで述べれば「最後まで」とお考えなのでしょうか?
ちなみに、貴殿がどの発言をしたのかHNが示されていないので、
流れを十分把握することが出来ないが、もし
>>61と同一人物(そのように見える)なら、
その発言の時点では、まだ誰も定義を言っていないと取れる。ということ。
表現不足だったようで申し訳ないが、
>それと、・・・・
の部分は、
>>78氏に言ったものではありません。
他にも誤解しておられる方がいたら、すみません。
この意味は、何名かの発言の中に、後世の人が決めるとか、
時代(社会)が変われば判断が変わるとか、
まず行為があってその後に判断がある等、複数の発言があったため、
それについての反論をさせていただきました。
ゆえに、そのような時間的な判断の変化があるものは、善悪の定義ではなく、
有罪か無罪かと言う判断ではないか?という見解を示してみたものです。
とは言え、「善悪」と「罪」に関係性が強くないとは考えていませんが・・・。
それから、最初の部分のご意見と、
>少なくとも私は言っていないが。
と言う意見に対して、貴殿がどの発言をされたのか正確に把握することは困難ですので、
せめて、このスレ上ででも固定のHNを示していただければ、理解しやすいのですが・・・。
そうでなければ、「私は言った」とか「私の意見ではない」と言う事に起因する
誤解や意見のすれ違いが生まれます。
ちなみに、私はHNを見てもらえばわかるとおり
>>34の発言をしています。
これは私なりの定義です。
質問はどなたからも頂いておりません。(相手にされていないだけか?)
貴殿の言う「最後まで」と言うのがどこまでなのか示して頂いた上で、
ご意見があれば伺いたいと思います。
>>34 欲望が悪
自己犠牲が善
ということでよろしいか?
それにしても、「どこからどこまでが欲望か?自己犠牲か?」という問題もある気が。
「どこからどこまで」を決めるのが、自分なのか、他者なのか、
絶対的な基準があるなら、それは何?
101 :
ただよう質問者:02/02/21 13:37
>>99 「欲望が悪」ではなく、それによって他者への損害を伴う場合と考えています。
自己の欲望の充足と、他者の利益が一致することはよくあることです。
(正常な商行為の場合など)
「自己犠牲が善」ではなく、あくまでも悪のためではない他者への利益が前提。
(よって、わが子に対する自己犠牲等は当然の行為で、善にまではなりえない。
例えばボランティア等の行為は、善と考えています。)
>>100 「どこからどこまで」については、本来、定義と言うものが、
範囲までを限定するものではなく、他の概念と区別するためのものと思います。
自分と他者にとって共通の、絶対的な基準は無いと思います。
>>96 で述べたように、立場によって変化する。(補足=変化することがある。)
<蛇足>
絶対的な基準を目指そうとしていると思うのが、有罪・無罪を決める法律である。
しかしながら、法律は絶対的とは言いがたい。
なぜそうなるかと言うと、「善意の〜」や「悪意の〜」と言った、
立場によって変化しうる要素と、
時代や社会の道徳などの流動的な要素を含んでいるからだと思う。
102 :
考える名無しさん:02/02/21 13:55
生命を失うレベルの自己犠牲で、他者に利益を与えたとしよう
この場合他者は、
>>34で言う悪に該当するか?
>101
だからザ・ジャッジという番組がエンタメとして成立するのだ・・・
104 :
ただよう質問者:02/02/21 16:01
>>102 それは、どちらがそれを願ったか(望んだか)による。
主体的に自己犠牲が行われたなら、それは善が行われたことであり、
他者が悪を行ったことにならない。
他者が欲して(又は強要して)犠牲があったなら、その他者は悪を行ったことになる。
そして善は行われていない。
”自己犠牲”という表現に頼れば、前者であると判断する。
それで行くと最大公倍数=悪?
↑更に間違え(w
最小公倍数でした。
ソクラテスはただ質問を返すだけじゃなく自分の考えもいったぞ。
ただ相手の言ったことをその場その場だけで切り返すだけ
(問答の意味を勘違いしている議論における待ち野郎)
じゃ哲学しているとはいい難い。
はっきりいって自分の意見を提出して議論しあうだけでなく
相手のいう事を指摘するだけでも自分の前提や主張ってものは
変化していくんだよ。
だから自分はただ目の前のテキストに反応するだけ
うんぬんと抜かす奴は阿呆だね。
>>108 私に対してですかね?
自分なりの倫理観は持っていますが(当たり前か)、う〜ん正直わかりません。
あえて言うなら法を犯したら悪ですかね。只の犯罪と言われればそれだけですが。
それ以外は善か?と問われれば違う様な気がするので善は分からないです。
哲学的では有りませんが..
↑は私です。
>>110 あなたじゃないでしょ。
懐疑でも反論を提示して相手の主張を根本から疑うようなものなら意味があると思う。
自分の立場もなく部分的な疑問をぶつけるだけなら議論を滞らせるだけだ。
113 :
考える名無しさん:02/02/21 23:43
自己犠牲は善の絶対条件なのだろうか、
それとも、いろいろな善のうちの一種に過ぎないのだろうか?
114 :
ただよう質問者:02/02/22 01:02
>>113 例えば、誰かが他者を助ける為に、第三者を犠牲にしても善ではないと思う。
誰も、何の犠牲も無く他者が何らかの利益を得たとしても、善には当たらない。
と思いますが、何か例はありますか?
115 :
考える名無しさん:02/02/22 01:18
>>114 例えば、求める人に自分の知識を伝えることは?
116 :
ただよう質問者:02/02/22 01:53
>>115 知識を伝える為に、時間や空間などその他何らかの負担が無いのなら、
善ではないと思います。(良い事ではあると思いますが。)
例えば、地域特有の風習や民俗芸能など、本人が練習をしている場に、
他者が同席したとします。ここには、本人の自己犠牲はありません。
この場合は、他者に利益を与えたとしても、伝承すると言う良い事ではありますが、
それ以上では無いのではないでしょうか。
ただ、本人が見返りを求めずに、自分の練習の時間を割いて、
手取り足取り教えたなら、善になると思います。
117 :
考える名無しさん:02/02/22 02:05
>>116 自分の好きなことならば、
むしろ、教えることを喜びとし、負担や犠牲とは考えないひともいるよね。
こういう人の行為は善ではないのだね。
118 :
考える名無しさん:02/02/22 02:30
とおりがかりなんで、今までの議論でガイシュツだったらゴメン。
善悪、というものを設定した時点で、「自分以外の複数の人」を考えてるよね。
(私にとってどうか、ってゆうのは結局好みの問題だし。)
その関係性―社会って呼んでも、世間って呼んでもいいけど、そのことを考えると、
そういう共同体を維持する行動/破壊する行動が出てくる。
共同体を維持しない行動(大量殺人とか)を排除しようとしない(「悪」と規定しない)共同体は、残っていかないので、
共同体を維持するのに良いこと=善
共同体を破壊すること=悪
というふうになっていくと思うのだけれど。
119 :
ただよう質問者:02/02/22 02:53
>>117 そうなると思う。(本人が好きでやっているなら。)
しかし、教えてもらいたくないと思っている人に、無理に教えようとし、
相手に負担を強いることにでもなれば、逆に悪と言う事になる。(他者の利益に結びつかない。)
<蛇足>
では、ボランティアについてはどうか?
する側は、さまざまな犠牲を払い、他者の為に尽くし善(第三者から見て)を行う。
(しかし本人の意識の中では、本当に自分が望んで行った行為であれば、
善を行っていると言うおごりは無いだろう。)
では、受ける側はどうかと言うと、自己の利益の為に他者に犠牲を払わせる事になる。
この時、悪を成しているように見えるかもしれないが、
受ける側はそれを、犠牲を前提(相手に強要していない)として
利を得るのではない(他者が望んで行っている)ので、悪を行っているのではない。
こういう場合をして、
>>96善悪の判断が立場によって変わると思う所以です。
120 :
考える名無しさん:02/02/22 03:10
>>119 >そうなると思う。(本人が好きでやっているなら。)
そうすると、
本人がその行為に喜びを見出すかどうかが善であるかどうかの分かれ目になるわけだ。
人のためになることを、負担や犠牲と感じる人でない限り、
善行は成しえないことになる。
仮に、他人のために尽くすことが幸せだという人がいた場合、
この人はなんら善行を成しえないことになるね。
>しかし、教えてもらいたくないと思っている人に、無理に教えようとし、
>相手に負担を強いることにでもなれば、逆に悪と言う事になる。(他者の利益に結びつかない。)
例えば、教師に強要されて、嫌々勉強したことが、社会に出たら役に立って、実は良かったという場合。
この教師の行動は善といえるのだろうか?
負担を与えながら、利益になっているわけだが、こういった場合はどうなるのだろう?
>><蛇足>
伝聞だが、イスラムでは、施しを行うことは、宗教的に徳を積むこと(施した人間の利益)であるから、
施しを行う側が、行われる側に感謝するというような考え方があるらしい。(蛇足への蛇足)
121 :
考える名無しさん:02/02/22 06:48
>>118 > 共同体を維持するのに良いこと=善
> 共同体を破壊すること=悪
よさそうな考えだけど、「共同体」といっても、自分の主観に左右されるだろう。
共同体の中でスパイ活動を行なってる別の共同体に属する人が、「寝返った」場合、
寝返る前は「善」を行なってると意識してるだろうが、あるキッカケでそれを「悪」と感じ、
寝返ることで「善」をなしたと意識するはずだ。
しかし、スパイを内包してる共同体からみると、スパイは始めから「悪」であり、
スパイが寝返ったからといって「善」となるとは限らない。
122 :
考える名無しさん:02/02/22 07:15
>>96 >善悪は立場によって変化し、罪の有無は時代によって変化する。としたらどう?
結局、普遍的な善悪は定義できないという結論でよろしいか?
>>105 悪ってなんでしょうね。
僕にもわかりません(w
ただ個人レベルでは善悪って「定義」するものではなくて
「信じる」ものなんじゃないかなと僕は思ってます。
124 :
ただよう質問者:02/02/22 12:26
>>120 詳しく言うと、本人がそのことを負担と思うか、思わないかが分かれ目ではなく、
先ずどちらがそれを望んだかが分かれ目だと思う。
>>102 >>104 例で言う知識の伝達については、教えたいと言う人がその欲求に応じて、
知りたい人を探すのか、知りたいと言う人の存在を知り、
その欲求に応じて自らの知識を授けるのかって言う違いですね。
(誰かに教えて欲しいと言う願望でなく、自らが知りたいと言う願望)
よって、教師が勉強を教える行為は、それ自体「善」と言えるとは思いません。
(当然のことながら、「善ではない=悪」では無い。)
>>122 私は、誰にでも当てはめられる概念的な善悪の定義を示したつもりです。
(普遍的=個人それぞれが判断の尺度として使えるものとしてと言う意味)
<蛇足>
継続的に、質疑をするならぜひHNを示していただきたい。
>>98 後半
善も悪も存在しない
物の力と立場を誇示するための欺瞞。」
126 :
考える名無しさん:02/02/22 20:38
えーと、相手に喜ばれたら善。嫌がられたら悪といった相対的なものに落ち着くのではないでしょうか?
例えが悪いですがスカトロ趣味の人にウンコを渡すのと普通の人に渡すのでは、行為は同じですが結果は変わってきますよね。
この答えは前にも誰かかいてたかな?
しかし本当に悪い例えだなぁ(w
>>120 >詳しく言うと、本人がそのことを負担と思うか、思わないかが分かれ目ではなく、
>先ずどちらがそれを望んだかが分かれ目だと思う。
>>102 >>104 つまり、相手が望む、自分がしたくない事を行うことが、善であるということかね?
>例で言う知識の伝達については、教えたいと言う人がその欲求に応じて、
>知りたい人を探すのか、知りたいと言う人の存在を知り、
>その欲求に応じて自らの知識を授けるのかって言う違いですね。
>(誰かに教えて欲しいと言う願望でなく、自らが知りたいと言う願望)
>よって、教師が勉強を教える行為は、それ自体「善」と言えるとは思いません。
なるほど、教える人に「教えたい」という意欲がある限り、それは善ではないのだね。
>(当然のことながら、「善ではない=悪」では無い。)
それは承知している。
><蛇足>
HNを示さないほど長く話さないと、結論が出ないとは思えなかったのだが・・・
どうも長くなりそうなのでステハンを示しておく。
130 :
右よりミギー:02/02/22 23:58
最初の方で言ってる人がいますが、善悪は絶対的にあるもので
はなくルールで設定されるものです。
国家でも民族でも宗教でもなんでもいいですが、一定のコミュ
ニティ内で取捨選択され蓄積していく、例えば「文化」によっ
て決定されるものでしょう。
ある文化内で決定されたルールが他の文化のルールと齟齬する
場合交渉が行われます。お互い絶対的真実と信じるルールであ
る場合、物理的交渉手段いわゆる戦争へと発展します。
人間はそれによってでしかどちらのルールを優先させるかを決
定できない愚かな性を持った生物なんですね。
普段は禁止している最大の悪徳である殺人をルールによって肯
定する意味付けはこうすると可能なような気がしませんか?
131 :
考える名無しさん:02/02/23 00:34
>>130 殺人を許容する文化が存在したら、その中では殺人は悪ではないのですかね。
132 :
考える名無しさん:02/02/23 00:40
>131
あたりまえ
133 :
考える名無しさん:02/02/23 00:46
通りすがりで恐縮ですが、
>>131 日本やヨーロッパの中世では、貴族階級が一般市民を処刑して、
その様を見物して楽しむということがめずらしくなかったと聞いております。
そしてそのコミュニティのなかでは、
殺人(処刑)はあきらかに悪ではなかったでしょう。
134 :
右よりミギー:02/02/23 00:53
私は子供の頃、他人に殺人を命令しそれを執行する裁判官や
死刑執行人の存在が不思議でしょうがなかったです。
135 :
ただよう質問者:02/02/23 01:20
>>128 >>詳しく言うと、本人がそのことを負担と思うか、思わないかが分かれ目ではなく、
>>先ずどちらがそれを望んだかが分かれ目だと思う。
>>102 >>104 >つまり、相手が望む、自分がしたくない事を行うことが、善であるということかね?
書いている通り、負担(したくない)と思うか思わないかは分かれ目ではない。
(なぜそのように受け取られてしまったかが解らない。)
>>よって、教師が勉強を教える行為は、それ自体「善」と言えるとは思いません。
>教える人に「教えたい」という意欲がある限り、それは善ではないのだね。
重複するようだが、そう言っているのではなく、知りたいと言う人の存在が先ずあって、
その要求に応じて教えるのが善であり、教師はそうではないから善ではないと言ったのです。
(
>>119の<蛇足>部分で書いたのは、その行為を行っている本人の意識についての事。)
<蛇足>
善である悪であるの定義の他に、更に善ではない悪ではないという定義もご希望なのですか?
それなら、「善ではなく且つ悪ではない行為」となるでしょうか。
なんとなく、
>>34で定義した(つもりの)発言を、
別の言葉に置き換えようとしている様に感じるのだが、
それなら定義として出した表現の意味が無くなってしまう。
別の言葉で適切なものがあれば、最初からそう書きます。
或いはそれによって、当初の発言を覆そうとお考えか?それとも下衆の勘ぐりか?
>>135 >(なぜそのように受け取られてしまったかが解らない。)
>>113 >>114 の流れでは、
>>113 を否定していないように見えるので、
そう解釈したのだが、私の誤解ならすまなかった。
とにかく、
>書いている通り、負担(したくない)と思うか思わないかは分かれ目ではない。
のだね。
そうすると、
教えられるほうが望んでいる限りにおいては、
教える側は、教えることを負担と思っていても、思っていなくても、
善であるといえるし、
教えられる側が望んでいないのならば、教える側の事情に関係なく、
それは善では無いのだね。
>善である悪であるの定義の他に、更に善ではない悪ではないという定義もご希望なのですか?
>それなら、「善ではなく且つ悪ではない行為」となるでしょうか。
頼むから、そんなことはやめてくれないか。
あなたの言う「善の定義」を知ろうとするだけで、
これだけ苦労しているのだ、それが終わっても居ないのに、
別の話題を持ちだされては、混乱するばかりだ。
>なんとなく、
>>34で定義した(つもりの)発言を、
>別の言葉に置き換えようとしている様に感じるのだが、
>それなら定義として出した表現の意味が無くなってしまう。
>別の言葉で適切なものがあれば、最初からそう書きます。
少なくとも、私には、その定義では善について、
自己犠牲が絶対条件になっているように読めたが、
今回それは誤解であることがわかった、
あなたにとっては、
>>34 の内容で充分その意図が
わかるのだろうが、私のような愚鈍なものは、あの文面だけでは
そういったことはわからないのだよ。
>或いはそれによって、当初の発言を覆そうとお考えか?それとも下衆の勘ぐりか?
対案を持たない私にあなたの考えを覆せるわけが無いだろう。
あなたの考えが覆るとしたら、それができるのはいまのところあなただけだ。
あなたの考えが覆ったら、私は答えの可能性を失うだけだ。
137 :
ただよう質問者:02/02/23 02:05
>>136 自分の下衆の勘繰りを恥ずかしく思います。失礼しました。
>自己犠牲が絶対条件になっているように読めたが、
>今回それは誤解であることがわかった、
省略していただけで、自己犠牲に於いては条件と考えています。
他者が何かを望んでいることを知る前には、本人は別のことを最優先としていると思います。
通常は、自分の欲求にしたがって行動します。
そして、誰かが求めることを知った時点で、善を行おうとした時に、
それまで優先していた本人の欲求を犠牲にし、
他者のために尽くす訳です。ここに、どちらが先だったかにこだわった理由があります。
138 :
考える名無しさん:02/02/23 05:12
人間という種の存続を脅かす行為、概念>悪
人間という種を存続させるための行為、概念>善
全ての法律、ルール、モラルはそれがどんなに矮小に思えるものでも
この考え方に基づいている。
時代や共同体によって善悪の概念にブレがあるのは
存続のための真の方法が現時点でもまだ見つかっていないため
139 :
考える名無しさん:02/02/23 05:41
>>138 その善悪の定義で良いと仮定して、
「善行」「悪行」は規定できるのか?
できなければ、定義は仮定の域を出ないのではないか?
>120よ
君、最近プラd読んだどころか今も読んでるでしょ。
141 :
120じゃないが:02/02/23 16:32
142 :
考える名無しさん:02/02/23 18:19
>>43
>>137 つまり、
他人の希望を知った後に、その希望をかなえようとした場合、
その直前までの自分がしようと予定していたことを
後回しにせざるを得ないわけであるからそのことが犠牲であるということだね。
そういう意味で「犠牲が伴う」といっているわけだね。
善が必ず犠牲を伴うとすれば、
善を多く行う人は、そうでない人よりも、不幸であるということになるね。
145 :
考える名無しさん:02/02/23 22:21
素直な喜びを伴う行為は善でないとすると、実生活は
困難になると思われ。
別に己の行為を善でかためようとの倫理的野望が無ければ
困らないのだろうが。
146 :
ただよう質問者:02/02/23 22:23
>>144 他者の希望を知り、それを叶えようとした時、
叶えようと行動する時点で、或いは叶えた時点で、その人は喜びや充実感を感じるだろう。
その事は、その人にとって不幸ではなくむしろ幸福である。
逆に、他者が喜ぶことに幸福を感じない者は、他者の希望を知っても、
それを叶える為の行動は起こさないと言える。
>そういう意味で「犠牲が伴う」といっているわけだね。
承知の事ではあると思うが、本人の予定行動を犠牲と言ったのは、
今回提示の例に沿っての事で、それ以外の犠牲(例えば使う予定の無い金銭)もある。
一歩一歩を踏みしめていく哲学と真下だけを見る事は違う。
148 :
考える名無しさん:02/02/23 22:55
善とは『勝つ』ことであり、
悪とは『負ける』ことである。
善なるものはどんな欲望にも勝ち、利益に拘らない。
悪なるものは自分の欲望に負け、利益に拘る。
善なるものはどんな恐怖にも勝ち、傷つけることをしない。
悪なるものは恐怖に震え、恐怖を与えるものを傷つける。
この世のすべてのものは『中立』であり、
『善』は実在しない。
同様に『悪』も実在しない。
大部分の人間は『善』に憧れ、大部分の動物は『悪』に憧れる。
>>146 なるほど。
かなえるという行動を自体には犠牲が必要だが、
それに見合う幸福を感じることができる者だけが、
それを行うわけであるから、結果として、
善を行うものは幸福であるわけだね。
ところで、相手の希望をかなえる場合には、
相手が何を希望するか間違えてはならないわけだね。
仮に、相手の希望を誤って理解したのなら
(それは本当に相手の希望を「知った」わけではないわけだから、)、
それをかなえても、善とはならないのだよね?
150 :
ただよう質問者:02/02/24 01:17
>>149 >善を行うものは幸福であるわけだね。
そう思います。
>それをかなえても、善とはならないのだよね?
本人は、最後までそれを知らなければ善を行った喜びを感じるでしょうね。
まるで、被災地や難民に物資を供出して他者を助けたつもりだったのに、
結果として必要無い物だったとかね。
貴殿はこれを、貴方の現在の価値観で判断して、善だと思いますか?
私は、結果として善であったとは思えません。
151 :
Маршал Боголюбов:02/02/24 01:38
善と幸福に何らかの関係があるかどうか
>>150 >貴殿はこれを、貴方の現在の価値観で判断して、善だと思いますか?
>私は、結果として善であったとは思えません。
私も、それが善であるようには思えないが、これはあなたの定義に適合するわけだね。
だとすれば、「相手の希望を知った上で」は、
「相手の希望を正しく知った上で」という意味なのだね。
そうすると、相手の希望を正しくしる知性がなければ、
善を意図して行動しても、善をなし得たり、なし得なかったりすることになるね。
しかし、相手の希望を正しく知るというのは、なかなか難しいことだ。
例えば我々が人に自分の希望を伝える場合にしても、
言葉が足りなくて、正しく意味が伝わらない場合もあるし、
そもそも、人は、自分自身の目的をいつでも正しく認識しているわけではないからね。
もしも、自分が本当に何をしたいのか、本当にどうすべきなのかを
我々が知ることができるなら、後悔などということはしないはずだからね。
そうすると、相手の希望を叶えた後で、相手が実はそれを望んでいないことに気づくような場合、
最初にその人が言った希望と、後から気づいた(気づくであろう)希望では、
後者を叶えるのが善であって、前者を叶えるのは善ではないということになるのだろうか?
153 :
ただよう質問者:02/02/24 02:13
>>152 >しかし、相手の希望を正しく知るというのは、なかなか難しいことだ。
あげあし取りのつもりではないが、正確には「難しい時(事)もある。」ですね。
だから、容易に行える時もあればそうでない時もある。難しい情況ばかりでもない。
>〜後者を叶えるのが善であって、前者を叶えるのは善ではない〜
最初(その時点で)他者が望んだことに沿って、そこで行われた行為は善であり、
その後に、他者が違う事(方法・物等)の方が良かったと思っても、
当初行われた行為が、「善が行われなかった」事にはならないと考えています。
難しい情況のみを想定されているようですが、何か具体的に直面した経験でも?
154 :
ただよう質問者:02/02/24 02:35
↑自己レス
簡単な状況を確認しても、意味は無いですね。当然です。失礼しました。
155 :
Маршал Боголюбов:02/02/24 02:36
無用の用
無知の自覚
偉大だ
>>153 >難しい情況のみを想定されているようですが、何か具体的に直面した経験でも?
というか、難しい状況があるから、わざわざ意味を考えるのだと思うが。
簡単な状況しかなければ、疑問に思ったりしないだろう。
>最初(その時点で)他者が望んだことに沿って、そこで行われた行為は善であり、
>その後に、他者が違う事(方法・物等)の方が良かったと思っても、
>当初行われた行為が、「善が行われなかった」事にはならないと考えています。
なるほど、「最初(その時点で)他者が望んだことに沿」うことが善なのだね。
つまり、「相手の希望を正しく知った上で」といった場合の「知ること」、
というのは、その時点で「相手が考えていること」を知ることで充分なわけだね。
そしてそれは、「その後に」、
「他者が違う事(方法・物等)の方が良かったと思」うにとどまらず、
「却って不都合だった」と思った場合でも、同じなのだね?
>>154 >簡単な状況を確認しても、意味は無いですね。当然です。失礼しました。
ああ、先にわかってくれたようだね、そういうことだ。
158 :
ただよう質問者:02/02/24 03:46
>>156 >「却って不都合だった」と思った場合でも、同じなのだね?
そう考えている。でなければ、善は行えない。
未来の予測は出来ても、予知は出来ないと思っている。
起こり得る事態を想定(予測)して、最善の策(方法)を取るよう努力するに越したことは無いが、
予測不可能な事態も起こりうる。
直接的な方法によらないこともありうる。
(この時、他者の同意を得る努力をすればより良い事だと思う。)
完全に知ることが不可能な未来も含めて、いま現在を計ることは出来ない。
或いは貴殿は、善は無いとお考えですか?
>>158 >そう考えている。でなければ、善は行えない。
なるほど、了解した。
確かに、将来を完全に予想することはできないね。
しかし、予測しうる範囲で、最善の判断をしようとする努力は必要なのだろう?
そして、努力によって、特定の事柄においてなら、よりよく予測できるようになることは確かだろう。
専門家と呼ばれる人たちはまさにそういった努力を行った人たちではないだろうか。
(それが善を行うことを目的としているかどうかは別にしして)
つまり、
ある人が、ある希望を述べたとき、その言った内容をそのまま叶えることが、
言ったひとの本当の希望を叶えることになるのかどうかについては、
言った当人よりも、それを叶えようとする人のほうがよくわかる場合もあるのではないかね?
そのような場合、
・「後になって不都合になると予想される」その時点でのその人の希望を叶えること
・「その時点でのその人の希望に反する」後になってそのほうが好都合であると予想されること
の、どちらを行うのが善なのだろう?
>或いは貴殿は、善は無いとお考えですか?
私は、定義がわからないものの存在の有無を考える論理をもちあわせていない。
今、私は、善の定義がわからないので、善の定義をあなたに聞いている、
従って、今の私には、善の有無を考えることはできない。
存在の有無については、定義が明らかになった後で考えることだろう。
160 :
ただよう質問者:02/02/24 15:43
>>159 >言った当人よりも、それを叶えようとする人のほうがよくわかる場合も・・・
果たして、本当にわかっているのか?
どちらがよりよい判断をしたと誰が言えるのだろうか?
善悪の定義に、不確定な(予測不可能)未来の要素を加えることは出来ないと思うのだが・・・。
>どちらを行うのが善なのだろう?
どちらも善だと思う。
未来については、いずれの場合も予想の範囲を超えない未来を想定しているからだ。
むしろ善でないのは、自身の考えの中だけで判断し、結果として何もしないことだと思う。
実際の行動を起こさないまでも、違う方法のほうがよいと考えたなら、
それを当人に助言として与える事も一つの行動である。
この時、あくまでも他者の利益を最優先に考え、押し付けや強要があってはならない。
>>160 >果たして、本当にわかっているのか?
>どちらがよりよい判断をしたと誰が言えるのだろうか?
最終的に、希望を持った当人が、「自分の望んだとおりになった」と思ったなら、
それが良い判断であったといえるのではないか?
>善悪の定義に、不確定な(予測不可能)未来の要素を加えることは出来ないと思うのだが・・・。
善悪の定義に、未来の要素を加える必要があるかどうかは、まだわからないと思うが。
>どちらも善だと思う。
すると、二つの善(となる行動の選択枝)があるわけだね。
この二つは、まったく同じなのだろうか?
未来が完全には予測し得ないとして、未来に対する予測は全て同列であって、
その確からしさにおいて違いは無いのだろうか?
>実際の行動を起こさないまでも、違う方法のほうがよいと考えたなら、
>それを当人に助言として与える事も一つの行動である。
その場合、助言が受け入れられなかった場合、どうするのが善なのだね?
>この時、あくまでも他者の利益を最優先に考え、押し付けや強要があってはならない。
押し付けや強要は、必ず当人の利益に反するのかね?
本当に良い事など在りはしない。
それは誰かにとって良いと言うだけ
ほかの誰かには良くないかも知れない。
本当に悪いことなんか在りはしない。
それは誰かにとって悪いと言うだけ
ほかの誰かには悪くないかも知れない。
何が正しいかなんて
誰が決めた?
誰が正しいかなんて
何が決めた?
公共の福祉に反しない限りは、
「善悪の判断」は自分の中に。
この考えは僕の中の善悪の基準。
だから誰にも何も干渉されない筈。
定義は、意思があるなら、自分で決めるもの。
>>162 「誰かにとって良いこと」は「良いこと」の定義ではないのかね?
164 :
ただよう質問者:02/02/24 17:20
>>161 >最終的に、希望を持った当人が、「自分の望んだとおりになった」と思ったなら、
>それが良い判断であったといえるのではないか?
何時、どの時点を最終的というか、何をもって完結とするのか?
行為が成された(終了した)時点で、判断が下せない行為ならば、
それより後に振り返って「あの時あの人がこうしてくれていたら。」と言っても、
その時のその人の行為を、善ではないと否定することは出来ないと考える。
>善悪の定義に、未来の要素を加える必要があるかどうかは、まだわからないと思うが。
必要があるかどうかではなく、含めることが出来ないと言うこと。
>その場合、助言が受け入れられなかった場合、どうするのが善なのだね?
力になれなければ(自身の納得できる方法の全てが否定又は拒否されたのなら、
或いは自己の信条に反すると考えるなら)、
あえてぞの他者に対して善を行う(行おうとする)事は無いと思うが・・・。
>押し付けや強要は、必ず当人の利益に反するのかね?
あくまでも、当人の意に反して(或いは無視して)、
一方的に自己の考えを通す行為と言う意味の表現に使わせていただきました。
この言葉の定義を話題にされるのなら、別の機会に・・・。
>あえてぞの他者に対して善を行う(行おうとする)事は無いと思うが・・・。
「あえてぞの他者に対して善を行う」ということは、それでも、その行為は善なのだね。
善で無いから実行しないのではなく、善であるが実行しないのだね。
166 :
考える名無しさん:02/02/24 18:10
人間身体には、本来「善悪」の区別は無い。
そこには、欲望の流れだけが存在する。
人間言語には、「善悪」の区別がある。
事後的に形成された、恣意性を持った「善悪」の基準が。
167 :
ただよう質問者:02/02/24 18:54
>>165 >善で無いから実行しないのではなく、善であるが実行しないのだね。
他者(当人)が考える善の行為には成り得るだろうが、
それを行おうとしたものにとって、善にはならないと言う判断になると言うこと。
神とは何か、禁制とは何か、ノモス(法則)とは何か....
169 :
ただよう質問者:02/02/24 19:57
ふと思ったのですが、 120 氏は、
>>65の発言をされた方ですか?
もしそうであれば、
>>98で申し上げているように、「最後まで」がどこまでかを、
示して頂けないでしょうか。
もしも、「自分が納得するまで」等と言うことになると、貴殿をよく知らない私には、
おそらく最後まで定義を成し終えることは困難のような気がします。
>>161 で出たように、言葉の認識の違いや価値観による問題も含めて、
解決していかなければならないような気がします。
もし私の勘違いで、別の方であったとしても、或いは同一人物であったとしても、
貴殿の言う「定義」とは、どうあるべきものかだけでも教えていただきたいと思います。
170 :
考える名無しさん:02/02/24 21:24
43はそのルールがどういったものなのか説明しなければ
何もいってないのと同じ。
これだけのこと。
172 :
考える名無しさん:02/02/24 22:56
私的解釈。
この世を善・偽善・偽悪・悪に分けるとする。
善(完全な善)が「自分が心底に嫌だと思っても(どんな相手に対してでも)、その他人のために行動することが出来る」
偽善(不完全な善)が「自分のために、他人を助ける(打算的に考え、他人を助ける・自分が他人を見捨てるのが嫌だから助ける)」
偽悪(不完全な悪)が「自分のために、他人を犠牲にする」自分固有では偽善に近いが、結果が違う。偽善と偽悪の違いは結果だけ。
悪(完全な悪)が「自分がどう思っていようが関係なく、結果的に他人を犠牲にする行動をとる」
ここでいう完全善・完全悪の形態を取れる人間は希ではないか。
……そもそも、善悪の判断は集団において行われるのだが。
ボランティアは自分のために他人を助けている、と行っても良い。自分の正義として他人を見捨てるのが嫌なのだろう。偽善。
悪党は、自分のために他人を犠牲にとっても厭わないと考える。自分が嫌と思えば悪を持たない。偽悪。
「完全な悪」が存在するなら、その行動の一切が自己から見て悪でなければならない。
ここで書いた善・偽善・偽悪・悪の定義はあくまでこの話の中でだけの定義である。
≪PQシステムが決定手続きをもつことは、ある事実から断言できる。その事実とは、PQシステムは長さを伸ばす規則と縮める規則の対立する流れによって複雑にされていない、ということである。
PQシステムには長さを伸ばす規則しかない。どんな形式システムでも、短い定理から永井定理を作ることはできるがこの逆はできないものには、その定理に対する決定手続きがある。≫(p.65)
この御本人の解説に付け足すところは殆どないんですが、決定手続きにも二つの方向からのアプローチがある、という話までまとめましょう。
1.トップ・ダウン(上から下)
2.ボトム・アップ(下から上)
「下」とは、公理に近いことです。システムの最下層に公理があります。公理はシステムの「礎」です。上に行くほど公理から遠ざかり、同一層にある定理の数が増えていきます。つまり、システムを逆ピラミッド型にイメージします。
すると、トップ・ダウンの方法である文字列Pの定理性を検証するには、Pから公理に近づいていけばよい。Pから作り出される定理は、必ずPよりも小さくなる、という点がポイントです。
逆に、ボトム・アップのやり方なら、公理から上に向って定理を次々に導出していく。見事Pにたどり着けばめでたしめでたし、辿り付けなくても、「Pよりも長い」定理の層まで来たら、そこで停止すればよい。
誤爆です。すいません。おかしいな?
既出のようですが、
『所属する集団全体の利益に繋がる行為 = 善』 なのでしょう。
生物には群れて集団を形成することで、生き残りを図ってきたものが少なく
ありません。もちろん人間もその手の生物に該当します。この集団化の過程で
必要となったのが、「お互いに殺し合わない」「奪い合わない」「尊重し合う」
といった一定のルールだったのでしょう。
仲間同士互いに殺し合う集団では、集団の中で、お互いに自分を守るのにエ
ネルギーを割かねばなりません。このような内部でのエネルギーのロスが多い
と、集団としての競争力は低下して、進化の早い段階で種を残せなくなったの
ではないでしょうか。
逆から言えば、お互いに協調し、助け合う種が生き残ったのでしょう。
人間をはじめ、現在残っている多くの動物はこの手の生物を祖先に持ち、この
性質を多少なりとも引き継いでいるため、原則としては殺し合わずお互いを尊
重する性質を自然に持っているのだと思います。
「お互いを尊重し合う」ことを全員が暗黙のうちにでも約束しあうことで、人
々は安心して生産的な活動にそのエネルギーの大部分を投入できるようになり
ます。この向上した生産力によって、多くの人々が豊かな生活を享受できるよ
うになります。結果として死滅する確率は減るわけです。
すなわち、「隣人を愛する」「勤勉である」といった、集団を豊かにする方
向に作用する行動は、神様のおぼえがめでたい(生き残る可能性を高める)こ
とで、このため「善い行い」と認識されるようになったのではないでしょうか。
逆に、集団の存続を危うくすうる行為は「悪い行い」として疎まれるように
なったのでしょう。そして、悪い行いが横行したとき「神の怒り」を買い、神
の裁きにより「自然からの淘汰」を受けるわけです。
人々は、昔からこのメカニズムを本能的に理解(あるいは記憶)しており、
これを基に生み出されたのが「神」という概念なのだと考えています。
神については、またいずれ。
176 :
考える名無しさん:02/02/25 01:17
>>171 「取り決め」ならなんでもいいんだよ。
はっきりいって、このスレは不毛。
勤勉が善なんて倫理観もってるの、やんきーピューリタンと日本人だけちゃうの?
煽るつもりはないけどさ。
正当化するための2つの方法。
善→偽善
悪→善
>>167 「善にはならないという判断になる」というのはどういうことかね?
誰が判断するのだね?
定義の話をしているのであって、
だれかの思考過程の予測の話をしているわけではないと思っていたのだが?
>>169 定義は、定義が明確な言葉によってなされるべきだと思う。
そのために、私は、
・新しい言葉をなるべく導入しないように、
・同じ概念については、なるべく同じ言葉で示すように、
・直接定義に関係ない概念はできれば排除するように、
努力しているつもりだ。
しかしながら、あなたは「強制」、「判断」といった概念をどんどん提出してくるので、
そのつどその意味と関連を確認せざるを得ない。
もちろん、それらの概念が、あなたの善の定義に必要不可欠のものであるのならば、
提出することは止むを得ないが、新しい言葉が(善を説明する言葉として)
提出されるたびに、善の定義からは遠ざかっていると思う。
現状のあなたの定義では、「相手の希望を正しく知る」ということを前提にしているが、
それがどういうことなのかは不明瞭だ。
現在の私の努力の対象は、その意味を明確にすることにある。
>>177 日本人とピューリタンだけって訳でもないんじゃないでしょうか。
「勤勉が善」というのが言い過ぎなのであれば、「怠惰は好ましくない」
というのであればもうちょっと一般的でしょうか?(同じか?(笑)
いずれにせよ、勤勉であることがどの程度重視されるかは、その集団の
おかれている自然環境やその他状況にも大きく左右されることでしょう。
厳しい自然環境下に置かれ、協力してたゆまぬ努力をしていかなければ
生き残れない集団では、勤勉は善、怠惰は悪とされるかも知れませんし。
逆に例えば、暖かい南の島かどこかで、のんびりしていても淘汰され難
い環境にいれば、それほど重要な価値基準とはならないかもしれません。
182 :
考える名無しさん:02/02/26 01:10
凄い方向に議論が展開しようとしている・・・
まず、善悪とは何か。
この定義は、
>>43でも良いように思う。
つまり、ある規準に対して、一方のベクトルを善、片方を悪とする。
もちろん、二元論的解釈で語るのは不十分であるが、とりあえず理解するにはこれでいいと考える。
次に、この基準が恣意的で事後的なものであることを確認しよう。
善悪基準は絶対的なものではなく、後付けで規定されたものであり、一つではない。
例えば、A民族で悪とされている行為でも、B民族では善たりうることもある。
したがって、善悪の基準を一元化することは不毛であるといえよう。
人間言語には、「善悪」の区別があるが、人間身体には、本来「善悪」の区別は無い。
そこには、欲望の流れだけが存在する。
・・・まだ、善悪の定義づけやる?
183 :
考える名無しさん:02/02/26 01:21
価値ですね。価値の両極に善悪の観念があります。
184 :
考える名無しさん:02/02/26 01:26
善悪は良くわからんけど、価値観の多様性を認めるのが大人だと思うな。当たり前か(w
185 :
ただよう質問者:02/02/26 09:06
>>180 >そのため〜
>そのつどその意味と関連を確認せざるを得ない。
承知いたしました。そして失礼いたしました。
私の無い知恵を絞って、貴殿のルールに極力沿うよう努力いたします。
ところで、以前
>>164 発言した「押し付けや強要」に対する認識は共通していますか?
或いは私に、間違った認識がありましたでしょうか?
それと、
>>169 の質問で「最後まで」の発言に対して、お答えが無かったということは、
>>65 の方とは別の方と言う認識でよろしいのですね?
186 :
ただよう質問者:02/02/26 09:07
>>180 それでは、もう一度
>>156-164 あたりに改めて戻らせてください。
善は、他者(受ける側=以下略)の利益(希望=以下略)に沿う方向で行わなければならない。
自分(行おうとする側=以下略)は、他者の利益を正しく認識できなければ、
善を行うことは出来ない。
「行為自体によって与えられる利益」が望みなら、
(例えば、重い荷物を持ってあげるとか)正しく認識することは簡単だが、
行為自体が直接利益とならない場合、つまり「最終的な(将来の)利益」を、
認識しにくいと考えておられるのですか。
ではなく、認識しにくいのは、他者の「最終的な利益」を叶える為には、
今現在どうしたら良い(より良い方法)かが認識しにくいと言うことですね?
しかし、正確な未来を知ることは出来ない以上、「最終的な利益」を叶える事だけを、
他者の利益と考える必要は無いと思います。
他者が「最終的な利益」を得る方法を迷っている(又は解らない)場合に於いては、
現在の他者の利益は、その方法を見つけることになります。
その迷い(解らない事)を解決する事、或いは、解決する為の情報を提供する事も、
その行為が成された時点で、他者の利益であり善であるあると言う事です。
他者が望むことであれば、それが無駄になるかならないかが予測の範囲を超えない以上、
「最終的な利益」の為に役に立つであろう技術や情報の提供自体を与える行為も善です。
(例えば、貧しい国に対しての科学技術や農業の知識など)
つまり、必ずしも他者の「最終的な利益」を叶える事だけが善ではありません。
だから、
>>161 >最終的に、希望をもった当人が・・・・
の、「最終的」まで判断できないと言うことにはならないし、
その時(最終的)に、善悪の判断が覆るものでもないと言うことです。
>>164 重複になりますが、他者の望みを知ることが善を行おうとする行為の出発点であり、
逆に言うと、他者の望みを知り得なければ、善は行えません。
その他者の望みとは、必ずしも「最終的な利益」だけを言うのではありません。
他者自身に於いても、「最終的な利益」が目標が有り、
そのための方法を認識していれば、それを叶える(又は叶えられる様に協力する)
行為が善となり、方法を探しているのなら、その方法を見つける
(または見つけられるように協力する)行為が善となります。
187 :
ただよう質問者:02/02/26 09:08
>>180 他者が、「最終的な利益」に対して、すでにその方法を認識しているとして、
自分が、「1・他者が最終的な利益になると認識している」方法を用いると、
他者にとって最終的な不利益になると自分が予想し、
「2・将来、他者の最終的な利益になると思う別の」方法を考えた場合。
○自分にとって不本意であっても「1」の方法を取るなら善になる。
○他者が「2」の方法を受け入れたならそれを行えば善となる。
○他者が納得しないまま「2」の方法をとれば善とはならない。
これは、全て他者が利益を得たと認識出来るかどうか、「行為がなされた時点」での判断に基づく。
>>165 しかし、行為を行おうとする側が「1」の方法に協力出来ない(したくない)ならば、
自分は、その他者に対して「他者が考える善」を行わなければいいだけの事。
(当然の事ながら、善を行うのは義務ではないし、他者のいかなる要望に対しても、
誰もが必ず応えられる訳ではない。)
また、他者が納得しないまま「2」の方法を実行しても、それ自体が悪い事とは言い切れないし、
実際に「最終的な利益」に結びついたなら、行為自体は善にはならないが、
その時他者からは感謝されるでしょう。
今回「最終的な利益」という表現を使用しましたが、その意味は理解していただけるでしょうか。
120さんの、
>>161 の発言で、最終的なという事を特に気にしておられると感じたので、
このように表現してみました。説明不足があればご指摘ください。
このスレッドをご覧になっている他の方々には、或いはご迷惑をおかけしたかもしれません。
文章が下手で、長くなってしまったことをお詫びします。すみませんでした。
188 :
考える名無しさん:02/02/26 09:16
善悪は事後的。
事後的って言葉で喜んでる感じがするよね、ポストモダン論者は。
でもさー、殺人を犯しちゃいけないという程度の善悪はあるわけでしょ?
善悪の価値の生成過程など問題にして、社会的なシステムの中に善悪の彼岸を
位置付けるのはいいけどさ、その行きつく先は相対主義。
ニーチェをベースにして社会的ノームを前提としない新たな方のあり方を
模索する脱構築的法批判主義には興味はあるけど、
結局それも神話に過ぎないといわれれば、返す言葉もないのではないだろうか?
189 :
考える名無しさん:02/02/26 09:59
>>188 確かに、キミの言うことにも一理あるな(w
ただ、恣意性の段階で喜んで打ち切るのは、構造主義者の方が多いと思うけど。
それに、殺人を犯しちゃいけないというのも結局事後的な倫理でしょ?
オレも相対主義で終わるのはつまらんと思うけどな。激しく(w
善人の味方が善、悪人の味方が悪、
悪人の敵対が善、善人の敵対が悪。
以上が、形式的連鎖定義。
大本がひっくりかえると、全部ひっくりかえる。
しかし、これが現実に近いとも思う。
191 :
考える名無しさん:02/02/26 13:01
脱構築しる
>殺人を犯しちゃいけないという程度の善悪はあるわけでしょ?
理想論としてはね。でも客観的事実に反しているね。
犯罪や戦争を異常と定義するのは簡単だけど、
それではなにも説明していないに等しい。
>>192 >殺人を犯しちゃいけないという程度の善悪はあるわけでしょ?
正義の戦争、正義の処刑(死刑)があるんだから、
これは事実において否定されるんじゃないか。
194 :
ただよう質問者:02/02/26 16:23
皆さん、度々すみません。
>>180 抽象的な表現になってしまった為か、かえって解り難くなってしまったかも知れません。
次のような説明ではどうでしょうか。
ここに、困っている(そのように見える)人「Aさん」がいます。
それを見た「Bさん」が、声をかけます。
『何かお手伝いしましょうか?』又は、『私に出来ることはありますか?』
「Aさん」は言います。『いえ結構です。』。
こう言われれば「Bさん」は、
ではどうすれば「Aさん」に善を行えるかを考える必要は無い。
「Aさん」に対して善を行うことが出来ないと言うだけだ。
『こうしたいんです。』と「Aさん」が言って、
「Bさん」が手伝える内容ならそれをすれば、善を行ったことになる。
手伝えない内容なら、「Aさん」に対して善を行うことが出来ない。
『最後にこうなるように、今こうしようと思うんです。』と「Aさん」が言って、
その方法に、「Bさん」が同意できるなら、その行為を行うことで善となる。
同意できない場合は、『それならこうした方がいいのではないですか?』と言い、
「Aさん」も納得すれば、その別の方法を行うことで善となる。
「Aさん」が『その方法はしたくない。』と言って、
「Bさん」が「Aさん」の考えていた方法をしたくなければ善は行えない。
「Bさん」が考える方法を、「Aさん」の同意を得られないまま実行すれば、
『最後にこうなるように・・・』が叶っても、叶わなくても善にはならない。
『最後にこうなるようにしたいが、どうしたらいいかわからない。』と言ったとすると、
「Bさん」は『それでは一緒に考えましょう。』と、問題解決に協力すれば善となる。
そして、両者の同意できる方法が見つかれば、
それを行うことで”更に”善を行うことが出来る。
これ以外にどんなパターンがありますか。
『最後にこうなるようにしたいが、どうしたらいいかわからないので、
(うまく伝えられないので)貴方が出来る何かをしてください。』と言うでしょうか?
万が一こう言われても、『私にはこういうことが出来るので、それをしましょうか?』
と問いかけ、「Aさん」の判断を仰げば言いだけではないでしょうか。
私には、貴殿の言われる「相手の希望を正しく知る事が難しい」とは思えません。
やはりこれでも、わかりにくい説明になってしまったでしょうか?
195 :
どんとこい上田:02/02/26 20:35
形而上学なんてやめちまえ!!!お前らの扱ってるのは架空の生物だ!!
ってウチの山田が言ってたんだけどね。
>>185 >ところで、以前
>>164 発言した「押し付けや強要」に対する認識は共通していますか?
>或いは私に、間違った認識がありましたでしょうか?
>>149 の段階で、私は、
>ところで、相手の希望をかなえる場合には、
>相手が何を希望するか間違えてはならないわけだね。
と質問している。
そのあとも
>>152 において私は、
>私も、それが善であるようには思えないが、これはあなたの定義に適合するわけだね。
というように、何度も確認している。
それは、私がこの点をきわめて重要だと考えるからだ。
このあたり、あなたの言葉は若干微妙だが、「相手が何を希望するか間違えてはならない」
という点についてはあなたは認めてくれたように思うのだが?
したがって、
>>160 の段階で、
>あくまでも、当人の意に反して(或いは無視して)、
>一方的に自己の考えを通す行為と言う意味の表現に使わせていただきました。
などという、すでに、私がくどくどと問いただしたことについて、
あなたの側から、述べているとは思わなかったので、「利益」、「強要」というものに、
私が気づいていない意味があって、あなたが提示したと理解したのだが?
この問題については、表現を変えて、この段階で述べなければならない理由がわからない。
「利益」、「強要」という概念は、善の定義に必要不可欠なのかね?
>それと、
>>169 の質問で「最後まで」の発言に対して、お答えが無かったということは、
>
>>65 の方とは別の方と言う認識でよろしいのですね?
いや、同一人物だが?それがどうかしたのかね?
197 :
考える名無しさん:02/02/26 22:33
>>1 あなたがこれまで生きてきて善いと思うこと、悪いと思うことかな。
定義を一般的な共通認識であると定義するとね。
>>186 たくさん書いてもらったあとで、申し訳ないが、
「利益」がそれほど重要ならば、まず、「利益」とは何なのかを定義してくれないかね。
おそらく、「希望」の定義も必要だと思う。
私はここまで、もっぱら、
「希望」の定義を探ろうとしてきたが、予測の概念を不用意に導入したために混乱させてしまったようだ。
199 :
ただよう質問者:02/02/27 00:26
>>196 >いや、同一人物だが?それがどうかしたのかね?
>>98.
>>169 で書いているとおり
同一人物であるなら、私には「最後まで」がどういう意味なのか、
何を持って最後とするのか、貴殿に対する発言に於いて重要だと考えるからです。
>というように、何度も確認している。
>それは、私がこの点をきわめて重要だと考えるからだ。
と同様だと思います。貴殿の質問に対して出来るだけ(私の出来る範囲で)
適切な返事をする為には、それを知りその方向に向かう様にしたいと思います。
そして、なにより、
>>198 >「利益」がそれほど重要ならば、まず、「利益」とは何なのかを定義してくれないかね。
>おそらく、「希望」の定義も必要だと思う。
のご質問にお答えしようとする為に、まず、
>>180 >定義は、定義が明確な言葉によってなされるべきだと思う。
とのご発言の「定義」の定義を示していただけないでしょうか。
もう一つ、「概念」の定義もお願いします。
それと、「定義が明確な言葉」とはどうやって調べればいいか教えてください。
でなければ、私が「利益」や「希望」についての定義として述べた言葉に対して、
更に定義を求められることになるだろうと思います。
それでは、スレッドのタイトルからかけ離れていきます。
私も、貴殿の質問が本当は何を確認する為の質問なのかを、
努力の対象としてきましたが、お察しの通り混乱しております。
よろしくお願いします。
200ゲットさせていただきます。
201 :
考える名無しさん:02/02/27 10:30
何が!!
わかったふりすんな!!うすらとんかち!!
203 :
ただよう質問者:02/02/27 16:26
>202
わかったふりの”ふり”とは、
解っていないと自覚していながら、解っている様に装うことですね。
解っていない事を自覚していない時、”ふり”ではなく”つもり”でしょう。
つまり202さんは、>allが、自覚していることが解ったわけですね。
私にもそのような知性が欲しいと思います。
>>199 >何を持って最後とするのか、貴殿に対する発言に於いて重要だと考えるからです。
その点については、
>>180 で述べたとおりだ。
>とのご発言の「定義」の定義を示していただけないでしょうか。
もちろん、完全な定義を行うことは、我々のような凡夫(あなたは違うかもしれないが、少なくとも私はそうだ)
には難しいだろう。
「その規定に適合しながら、そのものではないようななにかがみつけられなくなるまで整理した、
なにかについての規定」
ということでいいと思うが。
つまり、善についてなら、
「あなたの示す規定に従いながら、善ではないような何か」、
が見つかるなら、それは、充分規定されていることにはならないだろうし、
そのようなものを見つけ出せないならば、少なくとも、その場にいうる者の
力の及ぶ範囲で、その定義を明らかにしたということになるはずだからね。
もちろん、「善」、「利益」、「希望」といった言葉は、それぞれ、日常の会話において、
使用されており、意味を伝達するのに充分な機能を果たしている。
しかし、それらは、会話をする両者にある程度の了解があること、
そしてその会話の前後の文脈、状況によって、必要充分なだけの意味の明確さを持っているから、
意志の疎通が成り立っているわけだ。
しかし、ここでは、そういった前後の文脈、状況の前提無く、
「善」というものの一般的性質について定義しようとしているわけだから、
それを述べるのに、「利益」、「希望」という言葉を単に示すだけでは不十分なのだ。
205 :
ただよう質問者:02/02/28 00:48
>>204 >>180 で述べたとおりだ。
どの部分が「最後まで」の説明に当たるのですか?
>会話をする両者にある程度の了解があること、
>そしてその会話の前後の文脈、状況によって、必要充分なだけの意味の明確さを持っているから、
>意志の疎通が成り立っているわけだ。
これについては、私もなんとなくですがわかります。
だからこそ、現在の発言の対象が120さんである以上、
「最後まで」の意味を明確に知りたく思います。
>(あなたは違うかもしれないが、少なくとも私はそうだ)
こんな皮肉は不要だと思うのですが・・・。
>「その規定に適合しながら、そのものではないようななにかがみつけられなくなるまで整理した、
>なにかについての規定」
>ということでいいと思うが。
私には理解できません。すみません。特に、なにを整理すればよいのですか?
>そのようなものを見つけ出せないならば、少なくとも、その場にいうる者の
>力の及ぶ範囲で、その定義を明らかにしたということになるはずだからね。
つまり、私が
>>34で述べた事は、貴殿からご発言を頂くまでは質問がなかったので、
その時点までは定義されていたことになって、
貴殿からご質問を頂いたことによって定義ではなくなったと言うことですか?
それとも、やはり相手にされていなかっただけですか?
その違いを見分けるには、どうしたらよいのですか?
そして、このスレッドで定義がされたとしても、
場所が変われば定義として役に立たないという事になりますか?
逆に、他のところで定義されたものも、ここでは通用しないことがあると言うことになりますか?
それと、もう一度お尋ねしたいのですが、
「定義が明確な言葉」とはどうやって調べればいいか教えてください。
でなければ、「利益」や「希望」についての定義をしようとするにあたり、
その方法が見つかりません。
ちなみに、すでに
>>194で行った発言では、
>「相手の希望を正しく知る」ということを前提にしているが、
>それがどういうことなのかは不明瞭だ。
について提示したものですが、
「利益」や「希望」という表現(概念?)は使っていませんので、
>>34の説に適合していない部分や、善ではないようななにかをご指摘ください。
いや、もしかしたらこのような問いかけも、筋違いかもしれませんね。
本当は、上記の件についてご意見をお伺いし理解できないと、
それまでの発言が、何の意味もないことになりうる事だとは思いますが・・・。
>>205 そんなに一度には答えられない。
質問を一つに絞ってくれ。
お前等永遠回帰してろ。
他のスレにも書いたけど、最近『マルホランド・ドライブ』見たのね。
デイビット・リンチの映像には善か悪の意味しかない。
というかごく普通の風景から意味を読み取っちゃうところが気が狂ってる。
(おかげで、風景のシーンにやたらと陶酔感がある)
善悪って陶酔感かな。
209 :
ただよう質問者:02/02/28 02:16
>>206 それでは上から順番に
>
>>180 で述べたとおりだ。
どの部分が「最後まで」の説明に当たるのですか?
>会話をする両者にある程度の了解があること、
>そしてその会話の前後の文脈、状況によって、必要充分なだけの意味の明確さを持っているから、
>意志の疎通が成り立っているわけだ。
これについては、私もなんとなくですがわかります。
だからこそ、現在の発言の対象が120さんである以上、
「最後まで」の意味を明確に知りたく思います。
>>209 >定義は、定義が明確な言葉によってなされるべきだと思う。
の部分だよ。
211 :
ただよう質問者:02/02/28 03:22
>>210 >>定義は、定義が明確な言葉によってなされるべきだと思う。
>の部分だよ。
失礼しました。定義とはどうあるべきかと言う問いに対してのお答えと思っていました。
そしてそのため、その下の部分は、それについての解説と受け取っておりました。
つまり、定義を規定するには、「定義が明確な言葉」以外は使ってはいけない。
と言うことで、このことは、皆さん(私以外)が承知していることであるから、
そのことを、わざわざ書かずに
>>65 >説明に最後まで答えて、定義を成し終えている人はいない
という事になったわけですね。
それではなぜ、
>>70 >それらの定義で納得できたのか?
と言う質問をされたのですか?その人が納得できたかどうかは関係なく、
例えば「定義が明確でない言葉が使われているではないか。」になると思うのですが?
>>211 >つまり、定義を規定するには、「定義が明確な言葉」以外は使ってはいけない。
堅苦しく考えすぎだね。
最初から明確な言葉で定義できるとは限らないだろう。
だからこそ、質問と考察があるのだ。
私には充分な定義が読み取れなくても、
それは、私の理解が不十分なせいかもしれないだろう。
定義が不十分だという人しかいなければともかく、
現に、実際に、それで充分だという人がいれば、
そのひとが、私が読み取った以上の意味を理解したから、
その定義で納得したと考えるのは自然なことだと思うが?
そして、実際にその定義が充分ならば、
その人に私が理解できなかった部分を説明してもらえば、
私も納得できるはずだ。
だからこそ、「あなたは納得できたのか?」という質問をしたのだよ。
213 :
ただよう質問者:02/02/28 04:09
>>212 という事になると、余計
>>44 >だから、まず、善と悪の定義をしてくれ。
>>61 >で、善悪の定義をいえる人はいないの?
と言われた意味がわかりません。
定義が言われていない事と、定義として貴殿が認めていない事とは同じですか?
「最後まで定義を成し終える」事がどういうことなのかを理解する為に、
教えてください。
214 :
タオルで闘え東方不敗:02/02/28 15:37
善/悪の対立の根拠をなぜ疑わないんだ、このたわけがぁ!!!
ふはははは・・・十年早いわ!!!
善悪とは
「何か」にとって「都合が」善い、「都合が」悪いというだけのこと
「何か」が何であるかはまちまちだが「人間社会にとって」というのが最も一般的
ただし「人間社会にとって」が例えば「地球にとって」とイコールでないのは
言うまでもない
って、これ・・・何度も出てる結論なのではないかな
×「何か」が何であるかはまちまちだが
○「何かにとって」の何かが何であるかはまちまちだが
>>213 >定義が言われていない事と、定義として貴殿が認めていない事とは同じですか?
なるほど、それらは同じではないね。
私が言った段階での「定義がおこなわれていない」は、厳密には私の観測に過ぎないね。
仮に、定義が実際にはきちんとおこなわれていたにもかかわらず、
私の知力が及ばないがゆえに、それを理解できていなかったとして、
もしも、私よりも頭のいい人がいて、その人にはそれを理解できていたとするなら、
その人が、これこれこのように定義されているのだよと説明私にしてくれれば、
私は「定義されていない」という私の主張は間違いだったと認めざるをえないだろう。
むしろ、そのようなことは私の望むところだが、
残念ながら、そういった説明をしようとする人は現れないので、
その段階の私の知見としては「定義されていない」といわざるを得なかったのだよ。
むしろ、そういった意味で、「定義されているよ、こういうことだ」
ということをあなたは言おうとしていたのではないのかね?
218 :
ただよう質問者:02/02/28 23:15
>>217 >その段階の私の知見としては「定義されていない」といわざるを得なかったのだよ。
このあたりは、話しの流れからして前後している(矛盾)様に思います。
にしても、このあたりの話題はスレッドのタイトルから離れていきますので、
やめにしたいと思います。
>むしろ、そういった意味で、「定義されているよ、こういうことだ」
>ということをあなたは言おうとしていたのではないのかね?
と言うより、なぜそのような発言をされたのかが知りたかった
と言うのが近いと思います。
>>212 >堅苦しく考えすぎだね。
このようにかわされると、私は思考停止してしまいます。
>定義とは、定義が明確な言葉によってなされるべき
であるのに、その部分があいまいでは、どこを最後にするのか理解できません。
貴殿が、例えば単に定義として述べている者に対して、
それを理解しようとするフリをしながら、それは定義ではないと指摘し、
論破する事によって満足を感じる類の方でなければ、
貴方の”ものさし”をはっきりと示していただく必要があると思います。
最初に、貴殿は自分の”ものさし”で計れる”対象(定義)”を出せと言われた。
何人かの方が、”対象”はいくつか提示されていると言い、
私は、私の差し出した”対象”はこれですと言いました。
貴方は、その”対象”を計ろうとして、
こんなにつかみにくいものは計れないと言われたわけです。
そこで私は、貴方のものさしではかれるような形にしてみましょうと言っているのに、
これでは、どのような形にすればよいのか見えてきません。
貴殿が「最後まで」を要求されているのですから、お願いします。明確にしてください。
今現在私は、「定義が明確な言葉」を特定する方法を知りたいと思っています。
219 :
ただよう質問者:02/02/28 23:21
唐突ですが、
>>167 >他者(当人)が考える善の行為には成り得るだろうが、
>それを行おうとしたものにとって、善にはならないと言う判断になると言うこと。
途中のこの発言は、貴殿の「定義はどうあるべきか」に照らし合わせて見ると、
誤解をもたらした様なので、余計な部分を省いて、簡潔に
”そうです。”
に訂正しておきます。
堅苦しいというのは、
「明確な言葉で定義されるべき」
から
「明確でない言葉で発言してはいけない」
という禁止を読み取ってしまう考え方を言っているのだよ。
誰でも最初から
明確な答えを出せるわけではないし、
だれかの発言の意味を正確に読み取れるわけでもない。
そのために、質問をしたり、考察したりするのだろう。
それは、「明確」さを追求する作業といえる。
つまり、「明確な言葉で定義されるべき」は目指すべき方向性であって、
私が「明確に定義されていない」といっているのは、
「だからあなたの考えはおかしい」とか、
「そういった主張は認められない」といっているのではない。
不明確な点についてさらに説明してくれといっているのだ。
質問は反論ではないのだよ。
>>220 は
>>218 あてだ。
で、このままこんな話を続けていてもなんだから、
こうしてはどうだろうか。
とにかく、「利益」のあなたなりの定義を一度、示してくれないか。
>>220 あなたは、乗り気でないようだが、で述べたように、それで私が充分理解できなかったとしても、
それによってあなたを責めようなどという気持ちは微塵も無いのだ。
そして、、私がそれで理解できなかったり、不明瞭な点があれば、また私から質問する。
その質問について、あなたが、確かにそれは不明瞭だと納得したなら答えて欲しいし、
納得できないというのなら、そこで私は消えよう。
222 :
ただよう質問者:02/03/01 00:23
>>220 >「明確でない言葉で発言してはいけない」
>という禁止を読み取ってしまう考え方を言っているのだよ。
いや、これは以前貴殿が私にされた方法にあわせて見たのですが、
慣れない事はやるもんじゃないと言うことですね。
>誰でも最初から
>明確な答えを出せるわけではないし、
>だれかの発言の意味を正確に読み取れるわけでもない。
と言うことを承知していながら、
貴殿は唐突にそれまでの皆さんの意見を、一蹴されたのですよ。
意図を疑いたくなるのは、このような事があったからで、自然だと思います。
>不明確な点についてさらに説明してくれといっているのだ。
>質問は反論ではないのだよ。
承知しています。だからこそ”装いながら”という表現を使わせていただきました。
まだ、「最後まで定義を成し終える」事がどういうことなのかが不明瞭です。
>>204 >そのようなものを見つけ出せないならば、少なくとも、その場にいうる者の
>力の及ぶ範囲で、その定義を明らかにしたということになるはずだからね。
つまり、私が
>>34で述べた事は、貴殿からご発言を頂くまでは質問がなかったので、
その時点までは定義されていたことになって、
貴殿からご質問を頂いたことによって定義ではなくなったと言うことですか?
(それまで、その場にいなかった(ように見える)人が参加したことによって)
223 :
ただよう質問者:02/03/01 00:27
>>221 発言する前に、表示を更新していなかった為余計な発言をしてしまった様です。
失礼しました。
申し訳ありませんが、私事で今日はもう発言できません。
また明日・・・・
>>222 >貴殿からご質問を頂いたことによって定義ではなくなったと言うことですか?
全く違うよ。
「定義である」、ということと、「定義を明らかにする」ということは同じではないだろう。
まあ、それ(定義の内容)を理解できる人間が、
主張していた当人だけから、議論の参加者全員になるということだが。
あなたの思索において充分な定義であって、それを文章にしたとあなたが思っていても、
その真意を私がその文章から充分汲み取れるとは限らないだろう。
だから、もし仮に、あなたのいっていることが、本当は充分な定義なのだったら、
その時点では、「定義」なのかもしれないが、「明らか」とはいえないだろう。
わかっているのはあなただけなのだから。
そういう難しい問題は 今考えなくてもいいんじゃない?
そのうち思い知るときがくるかもしれない
・・・それをむりやり考えるから哲学だった・・・・・・
227 :
ただよう質問者:02/03/01 11:32
>>221 >こうしてはどうだろうか。
>とにかく、「利益」のあなたなりの定義を一度、示してくれないか。
まだ理解が出来ていないので、”定義として”申し上げる訳ではないが、
「そのものが、存続或いは発展するための糧となるもの」
つまり、負(毒)ではなく正(栄養)となるものというような意味です。
228 :
考える名無しさん:02/03/01 15:45
229 :
考える名無しさん:02/03/01 17:27
結果的善とその行為をなした瞬間の善とは別なの?
>>194の「Bさん」が考える方法を、「Aさん」の同意を得られないまま実行すれば、
『最後にこうなるように・・・』が叶っても、叶わなくても善にはならない。
叶ったら善だと思うんだけど?
230 :
ただよう質問者:02/03/01 19:23
>>229 そうなると、行為をなした瞬間と、いわゆる結果がでた時の判断とに、
違いがでてくるので、定義とはならないと思っています。
231 :
ただよう質問者:02/03/01 19:44
>>229 すみません手違いで、途中で送信してしまいました。
つづきです。
それと、相手の同意を得られないいままに、行為を行うと言うことは、
その時点で、自己満足になると思うんですよ。
つまり、こうしたほうが良いだろうと言う自己の予想(予測)を、
満たす為に行う訳ですから・・・。
それでは、相手の為の行為ではないわけで、自己の欲求を満たす為の行為に、
たまたま(如何に確率が高いとしても)他人にいい結果が出たとなる訳です。
自分の為にしたことは、それがどんなに良いことでも善とは言わないと考えます。
232 :
考える名無しさん:02/03/01 20:57
なるほど。
んじゃ、もう一個質問!
悪をなそうとしている、または現になしている者に対して
それをやめさせようとしたりするのも善じゃないの?
>>227 >「そのものが、存続或いは発展するための糧となるもの」
なるほど。
利益についての定義はそれでとりあえずよいのではなかろうか。
そうすると、それを、
>善とは・・・
>他者の利益を前提に行われる、自己犠牲を伴う行為。
>但し、その他者が悪をもって利益を得ようとしている場合は除く。
に適用すると、
「他者がその人自身であることを保つか、よりその人自身であるようにすること」
ということでよいだろうか?
234 :
ただよう質問者:02/03/01 22:02
>232
そうですね。
それが他者の犠牲のもとに行われていたら、犠牲になっている他者に対して、
善を行うと言うことで、
犠牲になっているのが、自分なら善ではなくて自己防衛だと思います。
>>233 >「他者がその人自身であることを保つか、よりその人自身であるようにすること」
>ということでよいだろうか?
他者が今を保つ、または今以上であろうとすること。
微妙かもしれませんが・・・。
>>234 >他者が今を保つ、または今以上であろうとすること。
>微妙かもしれませんが・・・。
難しいのだね。
とりあえず、その前提で話を進めて、不都合がでたら引き返すことにしたらどうだろう。
それでよいということなら、
まず私がここで興味があるのは、「そのもの」、「その人」の規定は、誰が行うのか?
ということだ。
なぜなら、
>「そのものが、存続或いは発展するための糧となるもの」
を利益とし、それを、他者に与えることを善とするならば、
「そのもの」、「そのひと」の規定こそが、善の判断の根本になるはずだからね。
236 :
ただよう質問者:02/03/01 22:55
>>235 >>微妙かもしれませんが・・・。
>難しいのだね。
いや、「よりその人自身であるように」と表現があったので、
その人が、「今以上」であると言う意味を表現したかったので、
その違いを微妙と言ったものです。
そのものとは、これまで言ってきた他者、
つまり、まず何かを望んでいる本人と言うこと。与えられる側。
これまで言ってきたように、善であるかどうか、
判断するのも行為を受けた他者本人(言い方が変ですか?)であり、
受けた(或いは受け終えた)時点での判断で、あとから振り返って、
その時の判断か覆るものではないと思っています。
>>236 >いや、「よりその人自身であるように」と表現があったので、
>その人が、「今以上」であると言う意味を表現したかったので、
>その違いを微妙と言ったものです。
では、「その人自身」というものの規定を、「その当人がそうなりたいと望むもの」として、
「より(その人が本当にそう在りたいと望む)その人自身であるようにすること」
ということならばどうであろうか?
そしてこの場合、
よりその人になるような行為を受けた者にとって、
その行為は善であって、つまり、その人は善を為されたのであり、
行為を行ったものは善の為したことになるのではないかね。
そうだとすると、
「なぜ、他者でなければならないのか?」という疑問が残る。
自分以外の誰に対してでも、
利益を与えるならば(その者をよりそのもの足らしめるならば)、善であるのに、
自分に限ってだけは、その行為が善とならないのはなぜなのだろう?
238 :
ただよう質問者:02/03/01 23:39
>>237 欲望の充足は、生命に与えられた当然の行為だからです。
当然の行為と、善の行為の違いを分けるのが、自分か他者かの違であると考えます。
239 :
考える名無しさん:02/03/01 23:55
善悪とは人間が共存していくために人間が作り上げたもの
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240 :
考える名無しさん:02/03/02 00:00
善悪=大衆の趣味の結果
大衆から学んだ「常識」とか「慣例」みたいなものを吸い上げた曲解の塊みたいな会社もあるから気をつけなさい・・・・・
242 :
考える名無しさん:02/03/02 01:15
おえ、まだあったのかよ。
この不毛スレ。
243 :
Маршал Боголюбов:02/03/02 01:23
善悪とは
1.神の法
2.権力者の発する言葉
3.相互に優劣のない人と人との約束事
4.その人本人の脳髄の中だけの(存在という意味でなく)物事の解釈図式
どのレベルの話か最初に整理しないで言い合っても徒労に帰すだけだろうな
ともあれ、汝自身を知れ、とか
>>238 なるほど。
そうすると、善は、希望を叶える側の行動のことなのであって、
叶えられる側にとってはなんら善では無いわけだね。
245 :
ただよう質問者:02/03/04 03:11
>>244 >そうすると、善は、希望を叶える側の行動のことなのであって、
>叶えられる側にとってはなんら善では無いわけだね。
そのようには書いていないつもりですが、
どの部分でそのように受け取られたのですか。
もしかしたら、お尋ねの意味を私が理解できないだけかもしれません。
この最後の行のところを、今一度もう少し噛み砕いてお願いします。
>>245 >欲望の充足は、生命に与えられた当然の行為だからです。
これは、「自己の欲望の充足」ということだよね?
それが当然のことであって、その「当然のことである」というこおtが、
自己へ利益をもたらす行為が善たりえない理由であるわけだろう?
そうすると、自己の利益を他者によって得た場合も、
善では無いことになるのではないかね?
「自己の欲望の充足」であっても、それが他者からもたらされた場合は、
違うのかね?
247 :
ただよう質問者:02/03/04 03:36
>>246 >そうすると、自己の利益を他者によって得た場合も、
>善では無いことになるのではないかね?
自分の欲望を満たす為に、自らの行動によって充足する場合と、
他者からもたらされた場合とは違うと思います。
どのような経緯で、同一たり得るとお考えですか?
>>247 あなたは、
>>238 において、
まさにその点をもって「自己の欲望の充足」であることをもって、
「善ではない」とあなたは言っているように思うが?
そして、「欲望の充足」という点では、自分で行っても、他者から与えられても、
同じだと思うが?
249 :
ただよう質問者:02/03/04 03:58
>>248 何度も申し訳ありませんが、
その行為者の違いを無視して、同じであるとは考えられません。
>当然の行為と、善の行為の違いを分けるのが、自分か他者かの違であると考えます。
の説明を「仮定」として受け止めた(認めた訳ではないとしても)上で、
自分と他者の違いを受け入れないと言うことであれば尚更です。
自分と他者とは違う訳ですから、同じとされる理由が知りたいです。
>>249 いや、私は、「当然でない行為」が善であるというように理解したので、
利益を与えられる者当人の行動には、「当然でない行為」が含まれて居ないということを
いっているのだが。
この場合、利益を与えられる側の行動は関係無いのかね?
つまり、「行為者の違い」、そのものを、善の本質だといっているのかね?
「他者に利益を与えること」、「他者から利益が与えられること」両方が、
同じように、善であると?
251 :
ただよう質問者:02/03/04 23:58
>>250 >いや、私は、「当然でない行為」が善であるというように理解したので、
度々逆説的な解釈をしておられるようですが、私は、
「欲望の充足」と言う行為に於いて、自分が自分の為に行う行為は善ではない。
それは、その行為が当然の行為だからである。
と、一定の条件下で、善とはならないとする理由を説明したのであって、
前後を省いて尚、「当然でない行為」自体が善であるとしている訳ではありません。
それから、申し訳ありませんが、「本質」と言う言葉を用いずに、
ご質問をお願いできませんか?
>>251 >「欲望の充足」と言う行為に於いて、自分が自分の為に行う行為は善ではない。
>それは、その行為が当然の行為だからである。
で、「欲望の充足」と言う行為に於いて、
自分のために他者に何かしてもらうことは善なのかね?
>それから、申し訳ありませんが、「本質」と言う言葉を用いずに、
>ご質問をお願いできませんか?
本質という言葉を使うと、善を定義するのに何か不都合があるのかな?
まあ、わかった気をつけよう。
>>251 >前後を省いて尚、「当然でない行為」自体が善であるとしている訳ではありません。
私もそのことがわかっているから、そういう意味での「当然でない行為」
といったつもりだよ。
あなたのいう一定の「条件」とは、
1.「欲望の充足」と言う行為に於いて
2.自分が自分の為に行う行為
これを、「当然の行為」といっているのだろう?
希望を叶えてもらうものが、
「欲望の充足」と言う行為に於いて
自分が自分の為に、
相手の行う行為を受け入れるのは、その意味での「当然の行為」にはならないのかね?
>>253 は蛇足かもしれん。
とにかく、あなたの提示した善のシナリオでは、現状、
「希望を持った者」、「それを叶える者」の二者しか居なくて、
両者が同一人物であった場合は善では無いということなのだから、
両者が別人物であるとして、
・他者に利益を与えること
・他者から利益を受けること
の二つが存在し、私の理解が正しければ、前者はおそらく、
善であるということだと思うのだが、
後者についてはどうなのか、教えてくれないか。
歪み偽りなくて鬱串家りゃ善
256 :
考える名無しさん:02/03/05 07:52
簡単にいこうよ
個人(社会)にとって危険な物は悪
個人(社会)にとって有益なものは善
ただし必ずしも個人=社会、にはならない
例:越後屋からワイロをもらう悪代官。代官(個人)にとって越後屋は有益(見方)
だが市民(社会)にとっては越後屋はワル
物の見方によって善悪は入れ替わるよ。よって定義は無い。
そもそも善悪は人の勝手が生み出したものだしね。
257 :
ただよう質問者:02/03/05 12:57
>>253 >といったつもりだよ。
何度か、こちらの質問内容の確認に対して、”つもり”と言う回答を頂きますが、
貴殿の”つもり”は、両者が共通して理解している内容ばかりではありません。
私が、
>>98で述べている相互理解が困難であることは、
貴殿の、
>>212その他の発言で、共通した認識であると考えられます。
例えば、
>>144のご質問では、定義とは直接関係ないと思われる、
「不幸であるか」どうかのご質問がありました。
その後の
>>180のご発言での、>・直接定義に関係ない概念は・・・
からすると、一見無関係なご質問に読み取れます。
このように、おそらく、意図する何らかの”つもり”があってのことでしょうが、
文章からだけでは、読み取ることが出来ません。
これまでのやり取りに関しても、どこまでを了解し、
どこからを仮定として話しをしておられるのか掴みかねます。
よって、
>>254の後者に関しても、どこまでを仮定した”つもり”でお尋ねなのか
解りかねますので、文章からだけではお答えできません。
>本質という言葉を使うと、善を定義するのに何か不都合があるのかな?
定義に不都合なのではなく、
>>180により説明に不都合がでる可能性を心配してのことです。
逆に、「本質」に関する定義を示していただければ、問題ないだろうと思いますが・・。
258 :
考える名無しさん:02/03/05 14:08
お前ら90分でわかるシリーズのデリダでも読んでろや。
>>256 君は社会主義ファシスト(スターリニスト)かい。
社会政策のためには個人が不当に抑圧されてもよいと?
260 :
考える名無しさん:02/03/05 19:35
>>259 あやや、書き方まずかったかな
俺が言いたかったのは、社会にとっての悪は必ずしも個人にとっての悪に
一致しない〜みたいなことをいいたかった。
ようするに見る側によって善悪は変わるってことを言いたかった。
社会のかたも個人のかたも持つ気は無いYO!わかりにくい書き方でごめんね
それは何らかの経験者(例えば至高体験等の)が、悟りに関する然るべき
(敢えて正しいとは申しませんが)記述を目にする事で、理性的な側面を
補完し、真(?)の覚醒に到る機会を与えられ得るというような見識に基
づいての御発言でしょうか? それとも単純に、悟り者が啓蒙活動を行う
際、インターネットが一役買うだろうという見通しからのものでしょうか?
何れにしても、「体験」を抜きにしては(つまり、テキストの影響力だけ
では)悟りに到り得ないはずですよね。
勿論、私は至高体験=悟りなどという考えは持ち合わせていませんし、上
述の「体験」には、光と呼ばれるそれよりも、もっと重要であろうと思わ
れるものを想定しているのですが。
262 :
考える名無しさん:02/03/05 20:06
ある意味では感情論だと思う。
何らかの行為に対し、
正の感情を持てばその行為は善、負の感情を持てばその行為は悪。
正、負の感情が何かは明示的に表せないからもどかしいんだけどね。
現代ではそれを規定するのが躾とか法律とか宗教とかなんだと思う。
漏れは宗教も法律も、ある共同体に対する利益、不利益を
善悪と結びつけるモノだと思っているんだが、
言語や宗教が無かった様な(原始を想定)時代にも善悪の概念は有ったんだろうか。
だとしたらそれって有る意味で絶対的な善、悪だと思うんだがどうか。
>>257 >貴殿の”つもり”は、両者が共通して理解している内容ばかりではありません。
というか、「両者が共通して理解している内容」かどうか不確か(私だけが思っているだけかもしれない)
だから、わざわざ「つもり」という言葉を使っているのだが。
なぜ、「つもり」が「両者が共通して理解している内容」という意味になってしまうのかね?
何か、私が、故意にあなたに隠し事をしているように誤解しているようだが、
そんなことは断じてない。
そもそも、そんなことをして私になんの得があるというのだね。
確かに、私の「つもり」があなたにうまく伝わらないことがあったかもしれないが、
>>253 の「つもり」は、「あなたの主張を踏まえた」「つもり」ということであって、
あなたになにか隠し事をしたり、陥れようとして、
質問にあなたの知らない意味を含めたりしたということではない。
仮に今後私が「つもり」あるいは、それに類する言葉を使う場合には、
そういった、「あなたが既に主張したことについてそれに従った、それに沿った」「つもり」
ということにしか使わないと誓うから、どうか
>>254 の質問に答えてくれないかね?
264 :
ただよう質問者:02/03/06 14:42
>>254 ・他者に利益を与えること
・他者から利益を受けること
分離して、これだけでは善であると言うことは出来ません。
それぞれは、善であることの状態の、一つの要素に過ぎないと思います。
商取引で考えた場合、商品を販売することで売主(自分)は買主(相手)から利益を得ます。
買主は、商品に妥当(或いはそれ以上)な価値がると認めて購入します。
この時、買主に自己犠牲はありません。自由意志で購入を決定します。
ご質問の内容で、相手に自己犠牲があったかどうかを読み取ることが出来ません。
もしいずれの場合も、自己犠牲を前提にしているとしても、
どちら側かの単体で、善かどうかを判断できるものではなく、
当然ではありますが、与える側と受ける側の両者があってのことだと考えています。
これまで、何度もやり取りの中で確認があったので、
自己犠牲については「了解している」と言われるかもしれないのですが、
あらぬ方向に焦点が向かっているように感じる(単なる気のせいかも)ので、
念のため敢えて説明させていただきます。
>>251 >「欲望の充足」と言う行為に於いて、自分が自分の為に行う行為は善ではない。
>それは、その行為が当然の行為だからである。
自分が自分の為に行う行為は、自己犠牲を伴っていない。
自分が自分に利益を与えようとする時、自分の新たな欲求に気がついたとして、
今まで望んでいた欲求が犠牲になったとしても、それは自己犠牲ではなく、
ただ単により良い方法や環境を自分が選択して決定したことであり当然の行為である。
他者がその人以外の人から、何らかの利益を受けることの中に当然の行為もあるが、
そこには、他者の自己犠牲が伴う時もあればそうでない時もある。
だから、自分と他者とには自己犠牲という要素において違いがある。
>>264 >ご質問の内容で、相手に自己犠牲があったかどうかを読み取ることが出来ません。
なるほど、よろしい、
相手に自己犠牲があったしよう。
この場合の「自己犠牲」とは、私の理解に間違いがなければ、
希望を叶える側が、不利益を被るという意味だね。
その場合は、どうなるのかね?
その場合、希望を叶えてもらった者にとって、
叶えられたことは「善」なのかね?
266 :
ただよう質問者:02/03/06 22:28
>>265 >叶えられたことは「善」なのかね?
善であると考えます。相手に不利益があったとしてもです。
しかし、この場合の相手の不利益(自己犠牲)は、叶えた側が承知している場合です。
以前にも発言したように、この場合、叶えられた側は先ず欲望がありますが、
他者の不利益を前提(強制)とするものだと、善とは考えません。
あくまでも、与えた側が自分の不利益である自己犠牲を、自ら承知で与える場合です。
つまり、発生する不利益を、叶える側が認められない時、
叶える行為を断ることができると言うことです。
>>266 つまり、叶える側が、叶えられる側に対して、以下の条件に従って、
叶えるという形で利益を与えるとき、
与える側にとっては与える行為が善であり、
与えられる側にとっては、与えられることが善であるとういうことだね。
・叶える側の条件
自発的であること : 叶えられる側を含む他者のなんらの強制も存在しないこと。
覚悟の上であること :、叶えることによって被る不利益については、承知の上で行っていること。
・叶えられる側の条件
強要しないこと : 叶える側に、叶えることを強要しないこと
268 :
考える名無しさん:02/03/06 23:01
自己と他者がともに「自己満足(あえて使います。)」
で満たされるということだけで、善か悪とくくるのはどうかと・・・
日常を過ごす我々にとって、善か悪かというような感覚はなく、判断・行動しています。
善と悪はあくまで結果的なものであって、
しかも判断のレベルを上げ上げすることで結果が異なることになる。
人間中心に考えるのか、地球中心で考えるのか、宇宙中心で考えるのか、自分中心で考えるのか、
自分中心で考える以外のものは客観的な情報としてしか手に入れることができないものだから、
このレベルで善悪を総括しようとするのはとても難しいし、それらをひっくるめた表現不可能な要素なのであって、
僕としては善悪とはなんだろうと悩むその姿勢こそが、
善悪を正しく把握しているということにつながっていると考えます。
270 :
ただよう質問者:02/03/07 07:36
>>267 >与える側にとっては与える行為が善であり、
>与えられる側にとっては、与えられることが善であるとういうことだね。
私は、これをそれぞれ分離する考え方はしていません。
双方の条件が満たされた状態に於いて、その双方の状態を善であると考えています。
それでは、定義として問題がありますか?私は問題がある様には感じませんが・・
うーん、だめだ。
ニーチェを理解してない。
272 :
しゅんしゅん:02/03/07 09:23
定義する必要ないね。
だいたい分かってればいいよ。
273 :
考える名無しさん:02/03/07 10:39
「善悪が好きだ」
274 :
真っ赤な花:02/03/07 11:23
ニンゲンだと思い込んでいる限り、答えは出ない。
>>270 >それでは、定義として問題がありますか?私は問題がある様には感じませんが・・
別に問題は無いと思うよ。
「善」の性質について、おそらく私の認識の不足があったのだろう。
それぞれに分離できない(と定義していると考えていいよね?違うのなら訂正してくれ)
双方の状態、ということは、「善」というのは、
当事者の関係性のようなものということなのだろうか?
私はそういったものであるという予想をしていなかったので、
それぞれについてどうなのかという考え方をしてしまったが、
それは考えが足りなかったというわけだね。
276 :
ただよう質問者:02/03/08 01:35
>>275 >双方の状態、ということは、「善」というのは、
>当事者の関係性のようなものということなのだろうか?
双方の状態であるとは思いますが、
それを関係性という表現に置き換えることが出来るのかどうかはわかりません。
あくまでも、両者があって成り立つものとの考えからです。
どちらか一方だけでは成立せず、恒久的な(常に同じ)状態ではない。
時によっては、入れ替わることも有りうる等を含めて、
一定期間、叶えるもの受けるものの関係にある状態といえるのかもしれません。
>>276 難しいね。
単に
「双方の状態が善」といった場合
・「双方の状態」「それぞれ」が「善」
・「双方の状態」が「同時に存在すること」が「善」
という二種類の解釈ができるように思う。
最初、私は前者だと思ったのだが、
>>270 のあなたの説明で、
後者なのだと考え直したので「関係」という言葉を使ったのだが。
実際どちらなのだろう?(あるいはどちらでも私の間違いなのだろうか?)
どうも「双方の状態が善」だけではそのあたりがはっきりわからないのだが。
278 :
ただよう質問者:02/03/08 02:36
>>277 >・「双方の状態」「それぞれ」が「善」
>・「双方の状態」が「同時に存在すること」が「善」
定義する事に於いて、或いは善を規定することに於いて、
「双方の状態が善」とする以上の分類が必要であるとは考えていませんが、
敢えて言うなら後者でしょう。
それを「当事者の関係性」と言うのであれば、そうなると思います。
<蛇足>
----例えが悪いかもしれませんが・・・----
車の場合、エンジンが車を運ぶのか、車がエンジンを運ぶのかみたいな。
(まあこの部分に、突っ込まれてもどうしようもありませんが・・・・)
あくまでも蛇足です。
>>278 どうもピンとこないのだがね。
なぜかというと、「双方の状態」という規定を持つ概念を
おそらく扱ったことがないのでね。
これは善固有のものなのだろうか、それとも、
(定義のされかたにおいて)似た概念は他にも存在するのだろうか。
280 :
ただよう質問者:02/03/08 03:06
>>279 それでは、一方が「叶える側」で、別の一方が「受ける側」という関係にある状態。
と言うのではどうでしょうか。
善悪とは
人の価値観
282 :
くろぱんだ:02/03/08 08:16
マスコミによると、田中真紀子が善、鈴木宗男が悪らしい。
>>280 「関係にある状態」は「関係」とは違うのかね?
283 ???
285 :
ただよう質問者:02/03/08 22:07
>>283 >「関係にある状態」は「関係」とは違うのかね?
それなら、「当事者の関係性のようなもの」でいいんじゃないでしょうか。
286 :
考える名無しさん:02/03/08 22:16
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>>285 なおさら、「関係」と同が違うのかよくわからないが、
説明できない微妙なニュアンスにおいて違うということだね。
現在までの私の理解をまとめると次のようになる。
----
叶える側が、叶えられる側に対して、以下の条件に従って、
叶えられる側の希望を叶えるという形で利益を与えるときの、
当事者の関係性のようなものが善である。
・叶える側の条件
自発的であること : 叶えられる側を含む他者のなんらの強制も存在しないこと。
覚悟の上であること :、叶えることによって被る不利益については、承知の上で行っていること。
・叶えられる側の条件
強要しないこと : 叶える側に、叶えることを強要しないこと
-----
あ
289 :
考える名無しさん:02/03/08 22:42
>>283>>285 「関係にある状態」
1)
可変的であるという前提を加えた関係、そういう全体を捉えた表現。
2)
同様に、関係という相対的である差分に、当事者の「位置」という「絶対的具体性」を加えた表現。
1+2) 両方。(兼ねた表現)
ハハハ
∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
( ^∀^)< あほか
( つ ⊂ ) \_________
.) ) )
(__)_) (^∀^)ゲラゲラ シネヤカスドモ
291 :
ただよう質問者:02/03/08 23:12
>>289 どなたか存じませんが、すばらしいです。
私にはさっぱりわからないが。
293 :
ただよう質問者:02/03/09 00:05
>>292 >叶える側が、叶えられる側に対して、以下の条件に従って、
>叶えられる側の希望を叶えるという形で利益を与えるときの、
>当事者の関係性のようなものが善である。
叶える側が、叶えられる側に対して、以下の条件に従って、
叶えられる側の希望を叶えるという形で利益を与える事が善である。
としてはだめですか?
294 :
考える名無しさん:02/03/09 00:06
>>293 「利益を与えることが善」
とした場合、
「利益を与える」ということを行ったのは、「与えた側」だけだから、
「与えられた側」の状態が含まれなくなる
(条件ではあるが、善そのものではないということ)
ように思うのだが?
296 :
ただよう質問者:02/03/09 00:45
>>295 >・「双方の状態」が「同時に存在すること」が「善」
を、表現する言葉が、
>当事者の関係性のようなものが善である。
とお考えならそれでいいんじゃないでしょうか?
叶える側がどう、叶えられる側がどうとかと言う分離した表現よりは、
良いように思いますが・・・。
いずれにしても、私(私流)の言葉を、貴殿流の言葉に置き換えて、
自分が理解できる表現はこうだが、これで良いかと問われても、
正直、同一の認識が出来ているのか判断しにくいです。
>>296 >とお考えならそれでいいんじゃないでしょうか?
なぜ、それでいいのかさっぱりわからないが。
>いずれにしても、私(私流)の言葉を、貴殿流の言葉に置き換えて、
どうもお互いに、相手の文章に馴染めないようだね。
というか、これまであなたが述べてきた内容は、
あなた流の表現では、
>>34 に全て含まれているということなのだろうか?
私には、
>>34 からは読み取れなかった内容が含まれているように思うので、
私なりにまとめてみただけなのだが、依然として、
>>34 が全てを現していて、言葉を付け足すことは余計であるというのなら、
私の表現に置き換えているだけのことなのかもしれないね。
>>297 >>34 他者の利益を前提に、自己犠牲を伴う行為。
この「他者の」の部分で、叶えようとする側に立っての表現と理解していただけると思う。
その上で「自己犠牲」といっているわけですから、相手から犠牲を強いられたのでなく、
自らの意思によって「犠牲」を払うことを示しています。
そして、叶える側の能動的(自主的)行為であると理解していただけると考えています。
善と言う括りに於いては、叶える側と叶えられる側の両者(双方)は、
別ち難い、同等の要素であると思います。
そのことを、貴殿が理解していただけるのなら、
貴殿の理解できる表現を自由にお使いになればいいと思います。
いずれにしても、貴殿は
>>217 >もしも、私よりも頭のいい人がいて、その人にはそれを理解できていたとするなら、
の発言を見ても、ご自身でも頭のいい事を自覚しておいでのようですし、
私よりも、適切な表現を多くお持ちでしょう。
>>298 >依然として、
>>34 >が全てを現していて、言葉を付け足すことは余計であるというのなら、
このことで、当初より私が抱き、拭い去れなかった貴殿の発言の動機が、
およそ間違えていなかった事が確認できました。
まあそれでも、しばらくの間お付き合いいただいたことには感謝します。
これ以上、このスレを占拠するような感じになるのは、他の方にご迷惑でしょうから、
しばらくは、傍観させていただこうと思います。
300 :
ただよう質問者:02/03/10 21:59
↑自己レス
すみません。名前が変になりました。
300!
>>299 >の発言を見ても、ご自身でも頭のいい事を自覚しておいでのようですし、
どうもよくわからないな。
私のわからないことがわかる人は少なくとも、私よりも頭のいい人なのではないのかね?
別に私自身の頭の程度が平均とくらべてどうであるかとは関係のない話だ。
何かあなたは私に対しとおかし疑念を勝手に抱いて一人で納得してしまったようだが。
私が、善について知りたいという以外のどういった動機を持っていたというのだね?
あなたは、折角定義を行ったのに、肝心の考察はしないで済ますつもりかね?
ここまでの辛抱強さと比べると、随分とせっかちだね。
ここまでわかったことをまず整理しよう。
ただよう質問者さんが示してくれた定義は、
>>34 のようなものだ。
彼の主張では、この文面で充分な定義が為されており、言い直しを行うことは
彼の意図に反するらしい。
従って、以下は、抱いた疑問と、それについて彼が答えてくれたことについての
私なりの解釈による注釈なので、必ずしも彼の意図と合致しているかどうかは定かではない。
私と同様の疑問を抱いた人にとって多少なりとも参考になればと考えて書いておく。
【1.「利益」とはなにか?】
この点については、ただよう質問者さんが、
>>227 で、私の質問に答えてくれている。
【2.「他者の利益」とはどういうことか?】
善においては、「希望を叶える者」と「希望を叶えられる者」の2者が存在し、
前者が後者の希望を叶えるという出来事全体を指して「善」と呼ぶ。
ここで、「希望を叶えられる者」にとって、その時点で明白な希望が
「他者(希望を叶えられる者)の利益」である。
「希望を叶えられる者」が、その時点で理解、予測、知覚できていない事柄については、
対象とならない。
従って「叶える者」が自身の勝手な推測で何かを行っても善とはならない。
【3.「犠牲」とはどういうことか】
普通、人間は自己の利益の為に行動している。
「希望を叶える者」が、「希望を叶えられる者」の希望を叶えるとき、
自らの利益よりも、「希望を叶えられる者」の利益を優先するのであるから、
必ず不利益(利益を失う、逃すこと)を被っているはずである。
この不利益が、「犠牲」である。
つまり、犠牲とは他者の利益を前提とした行動というものと不可分なものである。
よって、「善」には「犠牲」が伴うのである。
【4.二人の当事者と「善」の関係は?】
善は、「希望を叶える者」が「叶えたこと」だけを指すのでも、
「希望を叶えられる者」が「叶えられたこと」だけを指すのでもなく、
「希望を叶える者」が「叶え」、「希望を叶えられる者」が「叶えらた」という
出来事全体を指している。
ただよう質問者さんの説明によって、「善」の定義がここまで明らかになったわけだ。
ここに一つの定義が示されたといっていいと思う。
ところで、善について知りたいという以上、
私は善についてのいくつかの基本的な疑問を持っていた。
その一つが
「善人」になるにはどうしたらいいか?(あるいは善人とはどういう人か)
ということである。
私は、「善」の定義が明確になれば、このことは自ずと明らかになると思っていたが、
どうも却ってわからなくなったように思う。
この点について説明できる人はいないだろうか?
305 :
ただよう質問者:02/03/17 22:30
しばらく見てましたけど、他に発言する人がいないようで、
別に私が発言しても、ご迷惑ではない様なので戻ってきました。
私的諸事情により、以前よりレスポンスは悪くなると思いますがよろしくお願いします。
ところで、120=1 ですか?違うとしたら、1さんはどうしたのでしょうか?
>>304 >「善人」になるにはどうしたらいいか?(あるいは善人とはどういう人か)
善は、「叶えられる者」と「叶える者」の両者が不可分な要素だが、
「叶えられる側」については、通常誰しもその候補の状態にあるはずである。
誰しも、何らかの希望をもっていると思う。
(希望が無いと言う人も、言い方を変えれば「希望を見つけたい」と思っている。)
その状態を「善」とするには、「叶える者」がその行動を起こすことに起因する。
善人とは、その「善」の状態(出来事)にする(を起こす)人であると考える。
つまり、「善人」とは他者の希望を知った時、自己の利益より他者の利益を優先する人と考える。
>>305 >ところで、120=1 ですか?違うとしたら、1さんはどうしたのでしょうか?
それはもちろん、違うよ。
1さんはどうしたんだろうね。
>つまり、「善人」とは他者の希望を知った時、自己の利益より他者の利益を優先する人と考える。
善人は、何故そういった行動を取るのだろう。
307 :
ただよう質問者:02/03/17 22:44
>>306 私は、その意味で善人ではないので断定は出来ませんが、
他者が喜ぶ事をもって誰かの役に立っていると言う実感を得て、
それで、おそらく自身の存在意義を感じているのではないかと思います。
308 :
デリダリオ:02/03/17 22:47
贈与 とはなんだ。
>>307 それは、その当人(善人)にとって、利益ではないのか?
つまり、「誰かの役に立つ存在でありたい」という自己の欲求を
満たす行為なのではないか?
310 :
ただよう質問者:02/03/18 01:08
>>309 確かにそうです。
そして、それは自己の欲求を満たす行為だから自己犠牲ではなく、更に善ではない。
とすれば、私の発言は矛盾があり定義とはなりえないとおっしゃりたいのだと思います。
おそらく、120さんの目的はそのような所にあるのだろうと推察しておりました。
どこかに矛盾を見いだしたいわけでしょうね。或いは最初から矛盾があることを前提にしておられるのか。
まあそれは置いといて、
しかし、自己が自己の為に行う行為が自己犠牲ではないと言いましたが、
自己が他者の為に(何らかの犠牲をもって)何かを成し(この時点で自己犠牲となる)、
それが間接的に自己の為になるのであれば、それは「善」であると思います。
これには、あらかじめ約束された「叶えられる側」からの利益供与はありません。
つまり、契約や取引ではないと言うことです。だからこそ、自己犠牲です。
以前の発言
>>119 (蛇足)で、それを行うものにおごりはないだろう。
と、考えたのはこういう意味なのですが、それにしても、私は善人ではないので、
全ての動機がこれに尽きるかどうかもわかりませんし、
本人も、必ずしもそれを意識して行動するのかどうか・・・。
それと余談ですが、私は自分で自分を善人だと言われる方を善人だとは思えません。
>>308 >贈与 とはなんだ。
とはなんだ?私への質問なのでしょうか?レス先を入れた方が良いと思います。
私への質問だとしても、それだけでは(幅=範囲が広すぎで)解りません。
120さん、sage進行でいきますか?
ところで、いまだに解らないのですが、「定義」について貴殿の規定に従い、
>>204 >そのようなものを見つけ出せないならば、少なくとも、その場にいうる者の
>力の及ぶ範囲で、その定義を明らかにしたということになるはずだからね。
”その場で”定義が明らかになったとして、その後に”いうる者(いた者)”が、
”そのものではないようななにか”を発見または、思い出したような場合には、
その時点で、定義ではなくなると言うことですか?それとも定義が成されなかった事になりますか?
誰かが後に発見または、思い出したことを”その場”に居た他の者が知り得なかった場合、
他のものにとってその定義は、どう解釈するべきなのでしょうか?
>>310 あなたの意見に矛盾があるかどうかはあなたが決めることだ。
私は、私の善についての疑問をあなたに問うているだけだ。
善人の問題は善悪について私が考える動機のひとつとなった問題で、
このスレが立つ以前から持っていたものだし、私独自の疑問でもない。
それに対する答えがいまだに得られないということも踏まえて
「定義が示されていない」といったのであって、それを示せると主張する
あなたに、これを問うのは当然のなりゆきだと思うが。
(もちろん、あなたの定義において、善人の定義が別のものであったのなら、
こういった質問は成立しないわけだが)
>しかし、自己が自己の為に行う行為が自己犠牲ではないと言いましたが、
>自己が他者の為に(何らかの犠牲をもって)何かを成し(この時点で自己犠牲となる)、
>それが間接的に自己の為になるのであれば、それは「善」であると思います。
>これには、あらかじめ約束された「叶えられる側」からの利益供与はありません。
>つまり、契約や取引ではないと言うことです。だからこそ、自己犠牲です。
あなたは、ここで、二つの自己犠牲の条件を示している。
つまり、以下の二つだ。
・「自己が他者の為に(何らかの犠牲をもって)何かを成すこと
・あらかじめ約束された「叶えられる側」からの利益供与が無いこと
自己犠牲が成立するためには、これらのうちどちらかが満たされればいいのかね?
それとも二つが同時に満たされる必要があるのかね?
例えば、お金をもらって仕事をする場合でも、自分の時間と体力、知力を費やすという点では、
「自己が他者の為に(何らかの犠牲をもって)何かを成し」ているよね。
しかし、「お金」という「あらかじめ約束された「叶えられる側」からの利益供与」を得ている。
どちらかが満たされればいいのなら、これは自己犠牲であるし、
二つが同時に満たされる必要があるのなら自己犠牲で無いことになる。
どちらであると考えればいいだろう?
>>310 >他のものにとってその定義は、どう解釈するべきなのでしょうか?
私は「その場にいるものの力の及ぶ範囲で」といっているが。
あなたの言っていることは、この前提となる
「その場にいるもの」、「力の及ぶ範囲」という前提を変更したらどうなるかという問題であって、
前提を変更するなら、別のものになることはむしろ当然だと思うが。
313 :
ただよう質問者:02/03/18 01:48
>>311 私は、両方の条件が満たされる時「自己犠牲」であると考えています。
ちなみに、相手とのあらかじめ約束された利益給与が無くとも、
自己(犠牲を払う者)が、他者から利益供与があるべきものとして
行為をするときも「自己犠牲」ではないと考えています。
私の下の二つの質問にはお答えいただけませんか?
314 :
ただよう質問者:02/03/18 01:54
>>312 失礼しました。
最後の一つはお答えいただいていましたね。
しかしそうなると、
定義を成すための、「定義が明らかな言葉」を知るにはどうしたらいいのでしょう。
つまり、現在「最後まで」とは貴殿のみが決めることが出来ると言うことですか?
>>313 >私は、両方の条件が満たされる時「自己犠牲」であると考えています。
なるほど。
>>310 についてもう一つだけ質問させてくれ。
>それが間接的に自己の為になるのであれば、それは「善」であると思います
ということだが、
「間接的に自己の為になること」(これは「間接的な利益」と考えていいよね?)
と、そうでない利益の違いとはなんだね?
>私の下の二つの質問にはお答えいただけませんか?
>>312 で一つ目には答えている。
もう一つはこれでいいだろうか?
>120さん、sage進行でいきますか?
板違いでもスレ違いでもなく、荒らしがいるわけでもない、
sage進行をしなければならない理由はないように思う。
>>314 それは同様に、「その場にいるもの」にとって、「定義が明らか」であればいいと思う。
自分じとって明らかな言葉を使い、相手にとって不明でなければ、
それでいいのではないだろうか。
317 :
考える名無しさん:02/03/18 02:43
まあ色々見させてもらったけど、漏れは善悪ってのは、まず境界を引いて、あとは公共の植え付けられたイメージで善悪ときめてるだけなんじゃないのかな?と思う。答えの無い問題を解くのと同じなんじゃないのかな?だが、そこがおもしろいのも事実である。厨房の意見ですがスマソ!
319 :
ただよう質問者:02/03/18 16:30
>>315 この場合の「間接的に自己の為になること」とは、
自らが他者へ何らかの働きかけをすることで、他者から提供される利益。
(他者への働きかけ=指示、命令、依頼、依願、行為、行動等)
(他者から提供される利益=他者が自己に対して与えることを目的として提供される利益)
そうでない(これ以外の)利益は、自らが自らへの働きかけによって得られる利益)
(他者が自己に対して与えることを目的としない言動・行為で得た利益も含まれる。
=間接的利益のようだが、受け取る側(自己)の感じ方に依存する為)
(自らへの働きかけ=思考、行為、行動等)
前者は、商品・労働に対する対価等
後者は、知識・技術・身体能力の修得・向上、耕作や狩猟等の他、
他者の行動の観察等によって得たものも含む。
これで、把握できるでしょうか?
>>319 自己と他者、与える側と与えられ側が錯綜しているので、ちょっと把握しづらい。
そういうわけで、誤解しているかもしれないので確認させてほしい。
>自らが他者へ何らかの働きかけをすることで、他者から提供される利益。
これと、「お金をもらって仕事をする場合」の報酬としての「お金」は、
同じなのだろうか、違うのだろうか?
違うとしたら、その見分けるときのポイントはどんな点だろうか?
321 :
考える名無しさん:02/03/18 19:16
端的にいえば
無償の行為というのはあるのか
ということか?
322 :
考える名無しさん:02/03/18 19:18
ネットのお喋りなんて
まさに「無償の行為」。
誰と話しているかわかんないないから
自分の行為にたいしてみかえりがあるという保証はまったく ない。
スイッチ切っちゃえば おわりだし。
323 :
考える名無しさん:02/03/18 19:20
ちょっとずれたか。スマン。
324 :
ただよう質問者:02/03/18 19:28
325 :
考える名無しさん:02/03/18 19:28
おやじだな.....
つまんない学生運動の話を偉そうにしながら女のコくどいてる
全共闘世代のオヤジにむかついてた二十歳ころの俺を思い出した....(鬱)
>>324 だとすると、
>>310 のあなたの発言、
>それが間接的に自己の為になるのであれば、それは「善」であると思います。
>これには、あらかじめ約束された「叶えられる側」からの利益供与はありません。
と考え合わせると、「お金をもらって仕事をする場合」であっても、
相手の希望を正しく知ったうえで行うのなら、善であるということになるように思うのだが、
この解釈は何か間違っているのだろうか?
327 :
ただよう質問者:02/03/18 20:04
>>326 違います。
>「お金をもらって仕事をする場合」
の「お金」は、あらかじめ約束された利益供与であると考えられます。
間接的な利益だから善ではなく、それがあらかじめ予定されているかどうかが問題。
他者からの「お金」と言う報酬が得られる、又は得られるべきである状態で、
労働をした場合と、そうでない場合で違いがあります。
すみません。また解りにくくなったかも知れません。
>>327 なるほど。
私に見落としがあったようだ。
「予め約束されていない」ということが必要なのだね。
「予め約束されていない、他者によって、その働きかけに対して、自己に提供される利益」
については、そのような利益を得たとしても、善であることは損なわれないわけだね。
ところで、
>>309 で言ったような利益は、「予め約束されていない」ものではあることはわかるが、
「他者によって、その働きかけに対して、自己に提供される利益」
であるといえるのだろうか。
私には違うとも合致するとも判断がつきかねるのだが。
329 :
ただよう質問者:02/03/18 22:26
>>328 他者によって必ずしも利益が得られることを約束されているとはいえない。
例えば、他者が喜ぶのみであれば、それは他者自身が感情表現をしただけで、
この場合の喜びの感情は、自己(叶えた者)に対して提供された利益ではない。
喜ぶ姿を見て、それを利益と感じるのは、自己の自己に対する働きかけから生まれる。
この時これは、他者から行為の対価として与えられる利益ではないと考えます。
>>329 >>319 の定義でいうと、それは「間接的な利益でない利益」になると思うのだが?
ちょっと、混乱してきたよ、
「間接的な利益」、「間接的でない利益」と善の関係について整理してくれないか。
私の理解では、
>>310 の
>それが間接的に自己の為になるのであれば、それは「善」であると思います。
>これには、あらかじめ約束された「叶えられる側」からの利益供与はありません。
は、
「間接的な利益であって、なおかつ予約束されたものでない利益」が
「善の成立を妨げない利益」であると言う意味だと理解したのだが、
「間接的でない利益」でも、「あらかじめ約束されていない」のであれば、
「善の成立を妨げない利益」になるのかね?
331 :
ただよう質問者:02/03/18 23:29
>>330 私の文章力に問題があるようです。
>それが間接的に自己の為になるのであれば、・・・
この部分の表現が、よく読むと確かにまずいです。
自分の頭にあることを正しく表現しきれていなかったと思います。
「たとえそれが間接的に自己の利益になったとしても、・・・」
としたほうが良かったようです。すみません。
これでしたら把握できますか?
>>331 つまり、「間接的」ということはそれほど重要ではないのかな。
単に
「約束された利益でないなら、たとえ利益があっても構わない」
ということならわかりやすいのだが。
善悪とは。
個人の感覚によって決定されるもの。
334 :
ただよう質問者:02/03/19 00:21
>>332 そうです。
余計なことを書いて、無用な混乱を招きすみませんでした。
>>334 なるほど。
そうすると、善人となりたいものが、
自らの善人になりたいという欲求に基づいて、
善となる行動をしようとし、成功することによって
善となる行動をすることは可能なわけだね。
この問題についてはわかったのだが、
私はさらに進めて「善人になろうとすること」について考えたい。
この話題に飽きて退屈するというようなことがないのなら、
付き合ってくれたまえ。
「善人になろうとすること」について考えた場合、
私には、善となる行動を行おうとした場合、
成功する場合(他者の希望を叶えられる場合)と
失敗する場合(他者の希望を叶えられない場合)が
ありえると思う。
ここで、失敗した場合は、その叶えようとした当人の意志に関係なく、
善とはならなくなってしまうのだろうか?
336 :
ただよう質問者:02/03/21 02:01
>>335 >ここで、失敗した場合は、その叶えようとした当人の意志に関係なく、
>善とはならなくなってしまうのだろうか?
以前、物資援助をするボランティアの例を出して、
不必要な援助では、善とは言えないという発言をしたと思います。
>>336 なるほど。
意志に関係なく、相手の希望に沿わなければ、善ではないのだね。
相手の希望を正しく知ることが、やはり、決定的な要件であるわけだ。
そうすると、ここで、
私は善について以前から抱いていた
大きな疑問に行き当たるのだが、それは、
「意志を(うまく)表明できないものに対して善を成しえるか?」
ということなのだ。
子供や、何か病気などで平静を欠いたような人物がいた場合、
その希望を正しく知ることは容易ではない、なにしろ、
当の本人でさえ、正しくわかってはいないのだからね。
例えば、教育、特に初等教育や、しつけなどは、善たりえるのだろうか?
これらは、対象となる他者の精神が、自己の希望をしっかりと認識・表明できるに
到っていないという点において、「善」とは無関係なものとなるのだろうか?
338 :
ただよう質問者:02/03/21 02:43
>>337 >例えば、教育、特に初等教育や、しつけなどは、善たりえるのだろうか?・・・
それ自体が善であるとは思いません。しかし無関係であるとも思いません。
他者との良好なコミュニケーションが出来るようになることは、
その他者が、善を行うことに於いて重要な要素であると思います。
そういう意味で、善とは無関係ではないでしょう。
それから、教育やしつけはその者が生きうる手段を修得する為のものであって、
善であるかどうか以前の大切なことであるとも思います。
>>338 >その他者が、善を行うことに於いて重要な要素であると思います。
なるほどね、相手の希望を正しく知ることが、決定的な要件であるわけだから、
それを行う能力を身につけさせることは、、当人が善を行おうとしたときに、
役に立つわけだね。
>善であるかどうか以前の大切なことであるとも思います。
なるほど、大切ではあるが、善でないことが存在するのだね。
子供の話をしたが、次にもう一つの話、病人についてはどうだろうか。
例えば、アルコール中毒の患者がいて、「酒をくれ」と頼んできたとする、
彼に酒を与えることは善だろうか?
それとも、このような人には、善はなし得ないのだろうか。
340 :
考える名無しさん:02/03/21 02:58
古来悪の魅力については多くが語られている。
しかし、善の魅力を語るものは少ない。
人にとって悪の魅力は自明であり、善の魅力は理解しがたいものであろう。
悪はすべての人に普遍性を持ちうるが、善はしばじば個別的なものである。
文学の世界では悪は多様であるが、善は多く画一的である。アンナ・カレニーナの家庭のように。
しかし、現実の世界では悪の大海の中に善の孤島が浮かんでいるにすぎない。
341 :
ただよう質問者:02/03/21 06:04
>>339 >例えば、アルコール中毒の患者がいて、「酒をくれ」と頼んできたとする、
>彼に酒を与えることは善だろうか?
>それとも、このような人には、善はなし得ないのだろうか。
酒を与えることは善ではないですね。
アルコール中毒という事なら、正常な判断能力がない状態であるわけですよね。
であれば「酒をくれ」と言う要望が、本来の希望であるかどうか判断できない。
そのような人に、善をするなら先ず正常な判断能力を取り戻させてからでしょう。
もう一つ、以前発言したと思いますが、善であってもそれをしなければならない義務はないわけです。
行おうとする側が、例えばそれをすることで本人の為にならないと考えるなら、
他者の要望をあえて叶えない事もあります。
常に善人であろうとする人が、いつでも誰にでも善を行わなければならない訳ではないと思います。
「叶えてもらう者」や第三者の生命を脅かす、或いは危害を加える行為であれば、
それは善とはならない。
>>341 しらふの状態で「俺は酒さえ飲めれば死んでもいい!!」って言う人だったらどう?
343 :
考える名無しさん:02/03/26 22:33
善悪よりも強いか弱いかだね。今の日本を見てみろ。特に若い奴にへたれが
おおすぎ。もっと周易を学ぶべきだ。
344 :
考える名無しさん:02/03/26 22:57
>1
善悪は相対しているこの世界。
絶対は善によって触れうる可能性がある。
345 :
ただよう質問者:02/03/27 00:42
>>342 >しらふの状態で「俺は酒さえ飲めれば死んでもいい!!」って言う人だったらどう?
それは、「アルコール中毒の患者が」と言うこと?
酒を与えること=犠牲を伴う になるなら、
>>341 で書いている通り、
「叶えてもらう者」や第三者の生命を脅かす、或いは危害を加える行為であれば、
それは善とはならない。
つまり、酒を与えることがその時点でのその人の希望であっても、
それをすることが、その人の利益にはなっていないと言うことですからね。
>>34 で書いている通り、単に希望を叶えること自体ではなく、
その人の利益になる事をして、善と言っているのです。
(「死んでもいい。」と言う表現については、無視したとしても・・・・。)
「善悪」?二字熟語だろ?
二つの漢字の意味が、対応しているってやつ。
347 :
意識障害@脳萎縮:02/03/27 12:15
善悪を定義づけようとしている時点で間違いなのでは?
極端な話ですが、人を殺したとします。被害者や遺族にとっては
悪になるでしょう。しかし、被疑者が殺しを善行だと思っていれば
被疑者にとって殺しは善なんでしょう。
善悪はひとそれぞれと思われる。
付け加えるともし神がいるとするならばそれに人格は無いのではないか?
348 :
意識障害@脳萎縮:02/03/27 12:17
訂正
神が平等ならそれに人格は無い。
>>347 神じゃなくて法だろう、、、。
人は絶対正義の法を作ることによって無条件に善悪を見分けられるように
しているのではないのか?もし、人それぞれに善悪が違うといってしまえば
世界は混乱におちいってしまうのではないのでしょうか?
それを、防ぐために、常識という暗黙のルールや絶対的なほうをつくったのでは、、、。
極論
絶対的な法または常識以外が悪。
350 :
意識障害@脳萎縮:02/03/27 12:53
>人それぞれに善悪が違うといってしまえば
世界は混乱におちいってしまうのではないのでしょうか?
だからみんな秩序を守るために我慢してるんでしょう。
論点は善悪の究極でしょ?
351 :
意識障害@脳萎縮:02/03/27 12:56
私が言いたいのは正義を振りかざす者は必ずしも正義にはならない
と言う事です。
例:アメリカとイスラム原理主義
>>351 てっか、この現代では残念ながら力が正義になっちゃうの。
353 :
意識障害@脳萎縮:02/03/27 13:08
>てっか、この現代では残念ながら力が正義になっちゃうの
はい。重々承知しております。
論点は哲学的善悪の究極でしょ?
354 :
ただよう質問者:02/03/27 18:31
>>349 では、善とは?それとも、悪以外は全て善であると?
それと、法や常識の中には悪を規定するものは無いと?
(これをしてはいけないと言う常識は善?悪?)
>>352 力が正義ではなく、勝者が正義ではないでしょうか?
>>347-348 >善悪を定義づけようとしている時点で間違いなのでは?
人それぞれだから善悪の定義は間違いだ・・・と?
ではそれぞれの人は、なにを根拠に善悪の判断をしている(する)のでしょうか?
被疑者(この場合加害者の方が適切では?)は、なぜ殺しを善と考えるに至ったのでしょうか?
私は、善悪の定義(或いは定義と言うもの自体)は、方程式のようなものだと思います。
x,y,zに条件(現象)を代入すれば答え(判断)が得られるような・・・。
定義できないと言っているのは、xやyやzに具体的な数字が入らないので
答えが得られないと言っているだけのように感じます。
個人や社会や国や時代で違うと言うのなら、なぜ違うのかなにが作用するのか、
個人等それぞれは、なにを基に判断しているのか明確にしてみては・・・?
そしてそれが明確になることで、逆の意味で定義となりうると思いますが。
それが出来ないのなら、定義が出来ないと言う主張ではなく、
善悪の定義が解らないと言っているのと同じ。
個人や社会や国や時代で違うと言うのなら、なぜ違うのかなにが作用するのか、
個人等それぞれは、なにを基に判断しているのか明確にしてたらそれだけで人生が終わっちゃうよ。
356 :
考える名無しさん:02/03/30 20:16
>354
人の揚げ足ばかり取ってると頭悪く見えるよ。恥ずかしくないの?
何でもいいから自分の意見言ってみたら?貴方の低脳ぶりが文面からにじみ出てるよ。
我々にとって
生きていくことが善、
あなたを生かすことが善。
358 :
考える名無しさん :02/03/31 01:22
神でイデア見てこい
359 :
Маршал Боголюбов:02/03/31 01:41
船が沈み、二人が溺れてもがいていた。
そこに、一人しかつかまることのできない板切れが浮かんでいた。
二人とも、「あなたを生かすことが善」と考え、
どちらもその板切れにつかまらなかった結果、二人とも溺死した。
あなたを生かすために、我々は生きていくことができなかった。
361 :
考える名無しさん:02/03/31 02:43
善悪の彼岸。
絶対的真理なんて存在しないのでは?
人の数だけ真理はあって、それはその人の味であり証ではあるけれど、唯一無二な絶対的なものではない、ってことを頭の隅に置いておくべきだと思う。
見方を変えれば 善は悪にもなるし その逆にもなる。
今は、「力」が善、みたいになっちゃってて、それはそれで現実ではあるけれど。
>>357さん
二人とも相手と全く同じ意見をもっていますか?
話をして解決できないですかね。
363 :
Маршал Боголюбов:02/03/31 02:56
memeさん二人いるの?
内容からしてわたし宛みたいだけど、
話をしても、お互い「あなたを生かす」ことが至上命令なら、結果は同じ。
つまり、囚人のジレンマの逆パターンで共倒れになる場合もあり、
その場合には、「あなたを生かすため」というプログラムの他に、
別のプログラムを用意しなければならないのではないか、ということです。
解決できなかったら、戦って生き残った方が善ですね。
下記の定義に従うと。
>我々にとって
>生きていくことが善、
>あなたを生かすことが善。
>>363 確率の問題だろ。
そういうケースも理論上ありえるとしても、だから何?
って話だろ。
366 :
Маршал Боголюбов:02/03/31 03:11
>memeさん
その場合は、あなたを生かすことはできないですね。
「定義」から「戦って生き残った方が善」が引き出せるかどうか疑問ですが。
どうせやるなら、
「あなたを生かすべし。ただし、あなたとわたしの双方が生きることができない
場合はこの限りではない。」
又は、
「われわれ(あなた又はわたし)が生きるべきである。この目的の範囲内で、
あなたを生かすべきである」
とすべきでは?
>365さん
確立の問題ではありません。
道徳哲学の問題。
>>366 確率の問題だよ。
どういうふうに行動したら、生存確率を高めることができるか。
>>道徳哲学の問題。
また、曖昧な話だね
368 :
Маршал Боголюбов:02/03/31 03:17
わたしは文系だから。
>366さん
そうですね。
「生きていくことが善」「あなたを生かすことが善」
の優先順位が難しい問題ですね。
基本的には「生命が善」という命題を立ててみたかったのです。
言葉足らずをお許しください。
客観的に世界に善悪が存在しないと私は考えています。
しかし、私は生きていこうとしているので、その立場から
「生命が善」と言えないかと考えてみたいのです。
370 :
Маршал Боголюбов:02/03/31 03:35
「生命が善」なら、生命とは何かが問題になりますね。
生あるものいずれは死す。殺すのは死期を早めるだけに過ぎない。
であれば、自然死より早く命を奪うことが悪になるだけ。
しかしこれではちょっと格好がつかないような。
なお、「生命が善」を人間以外にも広げれば、
生きるためには食わねばならない以上、
他の生き物を殺さねばならないので収拾がつかなくなります。
また、アポトーシスだったですか、それを如何に説明するか、
ガン細胞も一応は人間の一部ではないのか、等々、
生命といっても何を単位とするかで話も違ってくるでしょう。
>>370さん
格好つきませんか?
人間以外に広げた場合、アポトーシスは悪になるのかな。
しかしそれを含んだ生命が結果的に生き残るなら、生き
残ったもの自身は善。
ダメですか?
>>370 >>ガン細胞も一応は人間の一部ではないのか、等々、
殺人者も一応は人間なのと一緒。
戦場で瀕死の重傷を負って名誉の戦死を望んでいた兵士を無理矢理助けて残りの人生を全身麻痺で過ごし、助けた兵士を恨みながら生きたとしたら助けた兵士のやったことは相手の利益になることではないから悪?それとも生命を救ったから善?
全身麻痺でもすばらしい人生を送っている人だってもちろんいるだろうけど少なくともこの兵士は違ったんだから。
>>373さん
「生命が善」の意味あいからは
たとえ苦痛の生命でも、それを救うことは善です。
上の命題からは苦痛であるないは考慮されないです。
延命治療をするお医者さんの立場に近いかもしれないですね。
自分を助けた兵士を恨んでも自分がその時生きていることを否定する
とは限らないと思います。大体において自分の為そうとすることを人
は肯定しようとします。
(自分が心から否定することを為すのは可能か?)
つまり生きようとする人間は、生きることを肯定するのではないか。
→生きるようとする人間にとって、生きることは善と捉えやすいので
はないか。
ということを考えているのですが。
375 :
ただよう質問者:02/03/31 13:50
>>356 前レスをご覧になっての発言ですか?
そうだとして、このあなたの発言には、あなた自身の意見はどこにあるのですか?
私は、このスレの最初の方からずっと意見を述べています。
>>373 私の
>>34 の規定とその後の解説からいえば、
助けた時点では、全身麻痺になるかどうか、
或いは仮にそうでもすばらしい人生となるか、助けた兵士を恨むことになるのか、
助ける時点で知ることは出来ない。助けた時点で、その事は相手の利益となる。
レスするときは、レス元を明記した方が解りやすいですね。
>>347 >「生命が善」
となると、生きていること自体が善と言うことですね。
しかし、生きることに於いて他の生命を絶つことから逃れられない。
この場合、
存在自体は善であり、それに伴う行為も肯定される。(生き残ることが善)
となるのか、
存在自体は善であるが、それを支えるのは生命を絶つという行為であり、
善が存在する為には必ず同時に悪が存在する。(善であるためには悪である)
と言うことになるのでしょうか?
>>341 >酒を与えることは善ではないですね。
>アルコール中毒という事なら、正常な判断能力がない状態であるわけですよね。
>であれば「酒をくれ」と言う要望が、本来の希望であるかどうか判断できない。
>そのような人に、善をするなら先ず正常な判断能力を取り戻させてからでしょう。
つまり、正常な判断力を持たない相手には、善を為しえないということだね。
つまり、善は「叶えてもらう者」の判断力に、自ずと制限されるということだね。
>もう一つ、以前発言したと思いますが、善であってもそれをしなければならない義務はないわけです。
>行おうとする側が、例えばそれをすることで本人の為にならないと考えるなら、
>他者の要望をあえて叶えない事もあります。
>常に善人であろうとする人が、いつでも誰にでも善を行わなければならない訳ではないと思います。
すると、善を多く為すものが、それより少なく為すものよりも、
より善人であるというわけではないのかね?
>「叶えてもらう者」や第三者の生命を脅かす、或いは危害を加える行為であれば、
>それは善とはならない。
「危害を加える」とはどういうことだろう。
つまり、生命身体といったものを損なうという事柄についていっているのかね?
では、生きたいと願っていながら病気や怪我で生命の危機に瀕している者の
命を助けるために、
その手足や臓器を切除するのは善とはならないのだろうか?
377 :
ただよう質問者:02/03/31 17:54
>>376 >つまり、善は「叶えてもらう者」の判断力に、自ずと制限されるということだね。
子供への、教育・しつけの件でも言ったとおり。
>すると、善を多く為すものが、それより少なく為すものよりも、
>より善人であるというわけではないのかね?
それは解りません。多い少ないをここからなぜ引き出されたのでしょうか?
善の定義に必要だとお考えですか?それとも、踏まえた上でと言うことですか?
多い少ない、大きい小さい、優劣等が示せないと定義とはならないのでしょうか。
>その手足や臓器を切除するのは善とはならないのだろうか?
その人にとって、全ての判断の根源は生命と意識があってこそであると思います。
つまり、生命の保全の為に手足や臓器を切除するのは、善以前の問題だと思います。
他者の為に、臓器や身体の一部を提供するのならそれは善であると思います。
また、失ったものに変わる人工臓器などを無償で開発・提供することも善だと思います。
しかし、この両者を比べてどちらが”より善”であるかを判断できないと思います。
120さん
貴殿は、他の方と同様おそらく死ぬまで常にさまざまな経験を積み知識を得、
疑問を持ち成長されるだろうと思います。
例を出せば微妙な違いを含めると無限にあると思います。
そのような中で、今でも「最後まで」が、
そのものでないような何かが見つからなくなるまでであり、
そしてそれが可能だとお考えなのですか?
そうなると、死ぬ迄以外に”その場にいうること”の前提が不可能となるまでが、
(今回の場合、どちらかが退散するか、スレが1000に達するまでとなるでしょうか)
唯一最後と言うことになるのでしょうか?しかしそれで、明らかになったと言えるのでしょうか?
私はいまだにその点が疑問です。
>>377 >善の定義に必要だとお考えですか?それとも、踏まえた上でと言うことですか?
>多い少ない、大きい小さい、優劣等が示せないと定義とはならないのでしょうか。
いや、
>>335 でいったように、既に定義の話は終わっていて、
その定義された善というものについてさらに進めて考察しているつもりだが。
私の聞いているのは、どう関係するのかといった限定したことではなくて、
大きい小さいが関係するのかどうかというレベルまで含めたことだが。
>その人にとって、全ての判断の根源は生命と意識があってこそであると思います。
>つまり、生命の保全の為に手足や臓器を切除するのは、善以前の問題だと思います。
「生命を保持したい」という「判断」は既になされているという前提で聞いているつもりだが。
この「判断」はそれ以外の「判断」と何か違うのかね?
>私はいまだにその点が疑問です。
何の話をしているのかよくわからないが。
定義というのはあるものが「なんであるか」を考える「前提」であって結論ではないのだから。
定義が明示されたならば、その「前提」に沿ってより活発な議論が行われるのが
あたりまえだと思うが。
380 :
考える名無しさん:02/03/31 18:37
善 自分 多数 強者
悪 他者 少数 弱者
381 :
ただよう質問者:02/03/31 22:31
>>378 貴殿の
>>335 での発言により、私も次の段階に移ったのだと思っていましたが、
それ以前と同様に、まるで「そのものではないような何か」を提示されているようでしたので、
再度確認が必要だと感じました。
しかも、このスレの目的は「善悪の定義」であるわけですから、
>>379 その「前提」に沿って活発な議論が行われるのが、〜
当たり前ではないと思います。
>大きい小さいが関係するのかどうかというレベルまで含めたことだが。
大きい小さいは、さまざまな基準が存在することと思います。
「叶えられる側」「叶える側」の内容に対する価値観ですら違うからです。
叶えられたことの大きさ、叶える際の払われた犠牲の大きさ等・・・
敢えて言うなら、人命に関る救いはより大きいのではないかと感じることはあります。
これは、救った生命と言う意味と、払われた生命の犠牲の両方に於いてです。
>この「判断」はそれ以外の「判断」と何か違うのかね?
個別の判断の内容ではなく、なにを判断するにしても生命と意識が前提であると言うことです。
>>375さん
>>「生命が善」
>となると、生きていること自体が善と言うことですね。
>しかし、生きることに於いて他の生命を絶つことから逃れられない。
>この場合、
>存在自体は善であり、それに伴う行為も肯定される。(生き残ることが善)
>となるのか、
>存在自体は善であるが、それを支えるのは生命を絶つという行為であり、
>善が存在する為には必ず同時に悪が存在する。(善であるためには悪である)
>と言うことになるのでしょうか?
生き残るということにおいて善ですが。
生命を絶つということにおいて悪。
善であるためには、悪を行ってもなお生きていかなくてはならない。
>「生命が善」
の定義からは上記のようになると思います。
>善悪とはなんですか?
>その定義をおしえてください
そもそも、善悪なんてものはない。ある何がしかを善、または悪と
定義したときから、善悪は生まれるのだと、私は思う。
だから、定義しないと始まらないものなのかも。
384 :
ただよう質問者:02/03/31 23:44
>>382 つまりそれでは、「善=悪」と言うことになるのでしょうか?
生き残ることすなわち、自分以外の生命を絶つことに他ならない訳ですから。
それとも、自分以外の生命を絶つ瞬間のみ悪であって、そこに至る過程は善の状態ですか?
食料として動物を殺傷しようとした場合、どこまでが善でどの瞬間から悪になるのでしょうか?
そして、殺さないまでも傷めることは悪ではないのですか?
それがもし、自分を殺そうとしている人間が対象だった場合はどうなりますか?
>>381 >当たり前ではないと思います。
「なんであるか」という問題は、一般的に定義にとどまることではないだろう。
ある生物が新種と認定されても、その生物の研究が終わるわけではなく、
むしろ、それは研究の起点であるに過ぎない。
あなたは、善の定義を示したわけだが、
我々の生活においてどういった働きや意味をもっているのかといった点は、
定義が明確になったことによって、ようやくいまから考察することが可能になったのだ。
>「叶えられる側」「叶える側」の内容に対する価値観ですら違うからです。
しかし、善の概念自体は、それらの価値観の内容に影響されるものではないだろう。
(他に悪を為す場合を除くという例外を別にすれば)内容の如何によらず、
善においては、叶えるか、叶えないかでしかないのだから。
>個別の判断の内容ではなく、なにを判断するにしても生命と意識が前提であると言うことです。
どうもわかりにくいな。
「生きたい」という希望は、それが判断の前提となる生命と意識のさらに前提であるがゆえに、
善の前提となる「叶えられるもの」の「希望」とはなりえないということかね?
>それ以前と同様に、まるで「そのものではないような何か」を提示されているようでしたので、
私はむしろ、あなたの定義にそったものを提示していたつもりだが。
私の理解が足りなかったということだろう。
>>381 まあ、
>>1 の内容を見る限り、定義を示せばそれで終わりだから、
これ以上の質問はスレの主旨を逸脱するがね。
そうすると、「次善」や「最善」といった言葉は善の定義を外れた、
間違った言葉なのだろうか?
私は、「善」というものが、我々の生活にどのようにかかわるかが知りたいのだが、
どうもそういった点を見つけることができない。
あなたの定義を見る限り、どうも、「善」というのは、一種の僥倖であって、
普通の人間の生活には、それほど重要や役割を果たしていないように
思われる。
善というのは本来、そういったものなのだろうか。
だとすれば、これほど、論じようとするのはなぜなのだろう。
>>ただよう質問者 さん
>つまりそれでは、「善=悪」と言うことになるのでしょうか?
そうなると、「生命が善」の定義が破綻してしまうので、それは違います。
>それとも、自分以外の生命を絶つ瞬間のみ悪であって、そこに至る過程は善の状態ですか?
そういう理解になると思います。
生命が失われた時に、失わせた者が悪。それでも生きつづけるものが善。
>それがもし、自分を殺そうとしている人間が対象だった場合はどうなりますか?
視点者の変化によって、物事に対する善悪の価値付けが変化してしまうと
「善悪」の意味合いが不明瞭になるように思います。
だから殺されるのが例えば私であっても、
生命が失われた時に、失わせた者が悪。それでも生きつづけるものが善。
定義からはこうなります。
388 :
考える名無しさん:02/04/01 01:05
善悪はある価値観に基づくものだから
価値観が変われば定義も変わる。
普遍的な善悪を定義しようとしても無理だと思うよ。
人それぞれ価値観は違うから
善悪の定義も価値観の数だけあると思います。
どれだけ議論しても答えはでないよ。きっと。
善悪の「定義」が「価値観」によって変わってしまうのかね?
>>120 そうだよ。今の平均的な日本人が考える善悪は
キリスト教の影響を強く受けてるんじゃないかな?
国や宗教が変われば善悪の基準は変わるでしょう。
例えば社会主義者と資本主義者の間でも
善悪の判断は全然違うでしょう。
そう思わない?
391 :
ただよう質問者:02/04/01 01:29
>>385-386 >むしろ、それは研究の起点であるに過ぎない。
それは承知しています。そして、手段(前提)は目的の為にあり、
その目的もまた手段(前提)となって別の目的を達成する為に用いられると理解しています。
だからこそ、「このスレの目的は」と限定させていただきました。
>善においては、叶えるか、叶えないかでしかないのだから。
その事は、もともと私が言っている事で、貴殿が
>378 大きい小さいが関係するのかどうかというレベルまで含めたことだが。
と言われたので、それに答えたまでの事。
>そうすると、「次善」や「最善」といった言葉は善の定義を外れた、
ある一つの言葉が、複数の意味を持つ事はよくあることだと思います。
ここで論じているのは、善悪と言う言葉の中での善の定義であると考えています。
>私は、「善」というものが、我々の生活にどのようにかかわるかが知りたいのだが、
例えば、町で盲人の方が戸惑っている時に、声をかけて導くとか、
重い荷物を苦労して運んでいる人の手助けをするとか、
このような行為は、普通の人間の生活の中でかかわりのある善だと思いますが?
>>387 >そうなると、「生命が善」の定義が破綻してしまうので、それは違います。
私は、「生命が善」という定義自体に疑問を投げかけているので、
それに対して、定義が破綻してしまうと言う理由では説得力を感じません。
>>390 善悪の「定義」が違うのに、
なぜ、それらの「判断」や「基準」が異なっっているということがいえるのだね?
社会主義と資本主義で、善悪の「定義」が違うなら、それは、
「違うものについてのそれぞれの判断」であって、
社会主義と資本主義で「判断が異なる」ということはいえないだろう。
社会主義と資本主義で「善悪判断が異なる」といえるのは、
「善悪」の定義が共通の場合だけだ。
>>391 >ある一つの言葉が、複数の意味を持つ事はよくあることだと思います。
>ここで論じているのは、善悪と言う言葉の中での善の定義であると考えています。
なるほど、次善や最善といった言葉は、「善悪」といった場合の「善」とは
全く無関係の言葉なのだね。
>例えば、町で盲人の方が戸惑っている時に、声をかけて導くとか、
>重い荷物を苦労して運んでいる人の手助けをするとか、
>このような行為は、普通の人間の生活の中でかかわりのある善だと思いますが?
もちろん、生活のなかに善は存在するが、それにどういった意味があるのかね?
>>120 例えば資本主義では生産手段を資本化が私有して
労働者を働かせて利潤を獲得するわけだけど
それは資本主義者から見れば当然のことで
悪いことでも何でもないよね。
でも社会主義者は生産手段の私有は
悪いことだと考える。
つまり、善悪の定義は共通ではなく、
価値観が違うから同じことに対して
それぞれ異なる善悪の判断をしていると思うんだけど。
>>ただよう質問者 さん
>私は、「生命が善」という定義自体に疑問を投げかけているので、
>それに対して、定義が破綻してしまうと言う理由では説得力を感じません。
「善=悪」の意味合いでなく
生命が失われた時に、失わせた者が悪。それでも生きつづけるものが善。
という意味合いです、と説明したかったのです。
396 :
考える名無しさん:02/04/01 02:19
善は悪ではないこと、悪は善ではないこと、つまり、どちらにも実体性はない。
だから社会科学的に考察する以外に、本質論をするのは空疎。しかも有害だ。
本質論は、その理想と逆に、皮肉にも歴史的に見て最も殺しあいの理由になってきた。
今日も地中海の東の辺でやってるけど。
生きた人間を超えたところに正義を想定するから、“強い動機付け”になるから
生の意味や死の意味を提供してくれる、が同時に、強い動機は妥協と協調を不可能にし
現実的な思考を理念的なもので覆う。だから本来経済的な動機で発した戦争が
理念化されることによって妥協不可能なものへと煽動されていく。
この手のことをやるバカが今も絶えないけど。
紙の表裏に似て善が善として在るためには必ず、裏に悪を必要とする、
どんなに紙を薄くしても裏はあり続けるように。このように善とは皮肉に充ちたものだ。
>>394 >例えば資本主義では生産手段を資本化が私有して
>労働者を働かせて利潤を獲得するわけだけど
>それは資本主義者から見れば当然のことで
>悪いことでも何でもないよね。
>でも社会主義者は生産手段の私有は
>悪いことだと考える。
「善悪」の「定義」が違うというのは、その「悪いこと」ということの定義自体が違うということだよね?
つまり、
「資本主義では悪くない」、「社会主義では悪い」といった場合でも、
それぞれの「悪い」ということの定義は違うということだ。
そうすると、「資本主義では悪くない」、「社会主義では悪い」は、それぞれ、
まったく別の事柄について該当するかどうかを述べているわけだ。
それらを比較することになんの意味があるのだ?
398 :
ただよう質問者:02/04/01 02:25
>>393 >全く無関係の言葉なのだね。
それこそ、堅苦しく考え過ぎなのでは?
意味が違うことと、無関係であることとは違うと思いますよ。
そのような、度々の極論(逆説)が私に疑心暗鬼を抱かせます。
>もちろん、生活のなかに善は存在するが、それにどういった意味があるのかね?
善によって「叶えられた側」はその喜びを知るでしょう。
そして、他者の大切さを感じる事もあると思います。
それによって、悪をなさない気持ちになれば、
集団や個人の権利を守ると言う意味があることだと思いますが・・・。
(敢えて言いますが、これは約束された利益ではないです。)
399 :
ただよう質問者:02/04/01 02:38
>>395 生き残る為に誰かと殺し合いをしたとする。
この時、相手を殺すことのみが自らが生き残る為の唯一の術だとすると、
生き残ること(善)すなわち、相手を殺すこと(悪)ということになる訳だから、
私の理解では、善=悪と考えざるを得ないと感じます。
それと、犯罪者と言われる「殺人犯」もその意味で善であると言うことですか?
そして、再度お尋ねしたいのですが、傷つけることは悪ではないのですか?
>>398 >意味が違うことと、無関係であることとは違うと思いますよ。
ならば、関係があるのだね?どのような関係があるか、教えてくれないか?
>集団や個人の権利を守ると言う意味があることだと思いますが・・・。
>(敢えて言いますが、これは約束された利益ではないです。)
なるほど。
それでは、善は、「集団の利益になるあまたの事柄のうち一つ」
ということなのだね?
>>120 >そうすると、「資本主義では悪くない」、「社会主義では悪い」は、それぞれ、
>まったく別の事柄について該当するかどうかを述べているわけだ。
「生産手段を資本家が私有する」というひとつの事柄に関して
資本主義と社会主義で見方が違うわけだよ。
まったく別の事柄ではなく、善悪の定義が違うから
異なる結論が出る。
両者を比較することはまったく無意味で、
つまり善悪を普遍的に定義しようというのは無意味だし
不可能だと言いたいわけです。
もっと言えば396が書いてるように
普遍的な善悪を決めようとすることや
自分自身がイノセントであろうとすることは
非常に危険なことです。
立場によって善悪が違うということが理解できないから
戦争や紛争などの争いが起こって
多くの人が不幸になってしまうのです。
403 :
ただよう質問者:02/04/01 02:52
>>400 >ならば、関係があるのだね?どのような関係があるか、教えてくれないか?
そんなに博識ではないです。
関係があるとも、無関係ではないとも言っていないと言いたいだけです。
>それでは、善は、「集団の利益になるあまたの事柄のうち一つ」
>ということなのだね?
一応念のため、
>集団や個人の
と言っています。
そして、更に言うなら「利益となる可能性があることの一つでもある」と思います。
>>401 どうも言い方がよくなかったようだね。
私が言っているのは、
「生産手段を資本家が私有する」というひとつの事柄に関して
判断するとしても、
「善悪」の定義自体が違うのなら、「異なる結論」ではあっても、
「相反する結論」では無いということだよ。
同じ事柄に対する同じ定義の概念についての判断が、それぞれ「是」と「否」に分かれるなら、
「相反する結論」といえるが、
同じ事柄に対してでも、異なる定義の概念についての判断ならば、それぞれが「是」と「否」に分かれたとしても、
それは「(異なる概念についての)異なる結論」でしかない。
判断の対象となる概念(善悪)の定義自体が違うのだから、判断が違うかどうかという議論は
意味が無い。
>>403 >関係があるとも、無関係ではないとも言っていないと言いたいだけです。
なるほど。やっとわかったよ。
>一応念のため、
〜
>そして、更に言うなら「利益となる可能性があることの一つでもある」と思います。
結局のところ、個人や集団の利益と関係はあるのだろうが、
あまり重要ではないような感じがするね。
思慮にいれるに越したことはないが、必ず考慮しなければならないというほどのことでは
ないのではないかね?
>>120 言ってる意味がわかりました。
ただ、同じ事柄に対して異なる定義で異なる判断をすることが
意味のないことなら、定義を統一して判断しないとならないわけですが
何度もいうように価値観を統一しないことには定義も統一できません。
したがって、普遍的な善悪を定義することは
価値観の統一なしには不可能だと思います。
例えば判断の基準をキリスト教におくなら
キリスト教的善悪の定義はできると思います。
>>406 >言ってる意味がわかりました。
説明がまずくて申し訳ない。
>何度もいうように価値観を統一しないことには定義も統一できません。
現実問題として、
価値観の違いというのは、定義が同じ概念についての判断が異なるということによって
認識されるものだと思うが。
つまり、価値観の相違の存在自体が普遍的な定義の存在の証明じゃないのかね?
408 :
ただよう質問者:02/04/01 03:34
>>405 >あまり重要ではないような感じがするね。
重要かそうでないかは、それこそ価値観の違いではないでしょうか?
違いがあるから、善を行うものとそうでない者がいるのだと思います。
また、以前にも発言したことなので繰り返しになりますが、
>>146 で発言したように、人によっては善の行為自体を、
自らの喜びとできる人がいると思います。そう感じない人にとっては、
これもまた、重要ではないと言うことになるでしょう。
必ずしも、誰にとっても重要な意味があるなら、全ての人が常に善を行うでしょう。
(もちろん「重要な意味」が、「あるべき利益」と同じではないとして)
>>399 ただよう質問者 さん
善悪は対象となる行為と同時に判定されるのではなく、
事後判定されると考えてください。
(殺人犯も)殺したことは悪ですが、生き残っているそ
のことは善です。
念のため書いておきますが「生命が善」という命題につ
いて私は考えたいのです。
>傷つけること
に関しては、定義からは判定し難いです。多分、その行
為において生命をすり減らすなら、悪に部類するものか
もしれません。
善悪について理解を深めたいと考えています。
私自身低レベルで申し訳ないのですが、できればお教え
下さい。
ただよう質問者(
>>341)さんの言う「正常な判断能力」
はどのようなものでしょうか。
私はどうすれば相手が「正常な判断能力」にあると知る
ことができるでしょうか?
410 :
考える名無しさん:02/04/01 23:09
人殺しの話に戻るが、
人を殺してはいけないという法律は所詮人間が作ったもの。
しかもそれは多数決によって決められたわけで、
本当に人を殺して良いか悪いかなんて
本当のところは誰にも分からないと思う。
ましてや、人間には種族保存の定理があるし
本能は「増やす」だけではなく「減らす」ことも本能にはインプットされていると思う。
よって人を殺したいというのは人間の自然な本能だと私は思うし
それが今、法によって抑圧されているからこそ逆に減らす方の本能が過剰に増しているのだと思う、今の世の中。
でも、まあ人間界の法律で人殺しは禁止されているのならダメかもね。
411 :
考える名無しさん:02/04/01 23:13
「善悪」はどの次元での事で言っているのかにもよる。
人間の間だけで判断するなら、法律や、人間同士の心理的なものなどが関わってくるのだろうが、
本当の、真の「善悪」とはいったい誰が判断するのだろうか。
神か?
この世界の生物全部の多数決か?
それは誰にもはかり知れないと私は思う。
>>410 なぜ多数決でそう決まるかを考えてみたら。
>>それが今、法によって抑圧されているからこそ逆に減らす方の本能が過剰に増しているのだと思う、今の世の中。
昔に比べて増加しているのか?
ただ単に、メディアが発達して、遠くで起こった殺人も知ることが
できるから、頻発しているように感じるだけじゃないか?
413 :
考える名無しさん:02/04/01 23:18
法律などなくても人を殺すのは善くないことだと思うです。
>>408 >重要かそうでないかは、それこそ価値観の違いではないでしょうか?
>違いがあるから、善を行うものとそうでない者がいるのだと思います。
では、善とは、その価値が価値観の違いによって決まるもの、
つまり、個人の嗜好によって決まる言って見れば趣味(好み)のようなものって、
ことなのだね。
例えば「利益」というものは、どういった価値観の人間にとっても重要な概念だが、
(もちろん、利益の実体は、価値観によって異なるわけだが)
善とは、そういった意味の普遍性を持つものではなく、
ある特定の種類の人間の嗜好に過ぎないということなのかね?
>必ずしも、誰にとっても重要な意味があるなら、全ての人が常に善を行うでしょう。
全ての人は、自分にとって重要な意味がある行為なら、
常に行っているというのかね?
では、「あのとき○○をしておくのだった」と後悔する人がなぜいるのだろうね?
415 :
考える名無しさん:02/04/01 23:21
>>142 確かに殺す行為自体は昔と今と変わらないかも知れない。
しかし、殺人を望む人は増えているのではないか。
殺人以外でも、何にでも当てはまるが、
何かを制限されたらストレスを感じて爆発をしたくなるではないか。
・・・まあ、それもメディアの発達により色々な情報が飛び交い、
「自分も」という人間が出てきたからというのもあるとおもうが。
416 :
考える名無しさん:02/04/01 23:21
例えば、何も無い所(無人島とか)に「殺人者」と「普通の良い人」が居たら
仲良くやるしかないからです
418 :
考える名無しさん:02/04/01 23:26
集団(群れ)の維持に役立つ行為 = 善
集団(群れ)の秩序を乱す行為 = 悪
419 :
考える名無しさん:02/04/01 23:27
繰り返し行われてきた略奪や殺し合いなどの悪の側面も、繰
り返し行われてきた割には、あまりにも力不足で、結局のと
ころ人間の集団化を妨げることはできない些細なものでした。
その割には、人間の行えることができる悪行については、な
ぜだか常に過大評価されているような気もします。
一つには、ヒトはそもそも、悪に対して常に敏感になるよう
進化してきたということが理由に挙げられるかも知れません。
畏怖や怒りなどの悪行に対する、怠りの無い拒否反応が、集
団の中から悪を駆逐するのに重要な役割を果したのでしょう。
もう一つ、あるいは、ひょっとしたら、人間が「悪」である
とすることいは、社会や集団のみならず『神』や物理法則か
らも自由でありたいという、憧れやロマンの象徴という側面
もあるのかも知れません。
思春期の少年が、人間社会の歯車としての自分を認めること
への反発から、必要以上に悪ぶってみたりするのと少し似て
いるのかもしれません。「俺を他の奴ら(他の動物)一緒にす
るな」と差別化して自己のアイデンティティの確立を図って
いるのかも知れません。
>>143 なぜ?
仲良くやらなくたっていいのではないか。
「普通の良い人」と表現すること自体、
人殺しがなぜ悪いのか説明する説明文には適さないとおもう。
421 :
考える名無しさん:02/04/01 23:28
集団がカルト教団だった場合どうなる?
カルト教団の維持に役立つ信者(個人)の行為=善
カルト教団の維持に反する信者(個人)の行為=悪
422 :
考える名無しさん:02/04/01 23:30
>>集団がカルト教団だった場合どうなる?
>>カルト教団の維持に役立つ信者(個人)の行為=善
>>カルト教団の維持に反する信者(個人)の行為=悪
これはその通りだと思います。
"その集団の中では"その集団を維持する行為は善とされるのだと思います。
一方で、そのカルト集団も、もっと大きな集団(例えば日本社会)の構成員
であるという側面も有ります。その大きな集団の秩序を、カルト集団が乱
す行為をしたとき、そのカルト集団は悪と認識され、その大きな集団では
カルト集団を排除する事が善だと認識されるのだと思います。
逆に、カルト集団の構成員から見れば、より大きな集団は自分たちを取り
巻く『外部環境』として認識され、そこから自分たちを排除(淘汰)しよ
うとする力に対抗し、所属する集団の存続に力を尽くすことは善だとされ
るのだと思います。あるいはこの圧力を神が与えた試練と認識するのかも
知れません。
このように、立場によって一見大きく異なる善悪の判定基準も、"その集団"
の維持に貢献するかどうかを評価基準として見ることで説明がつく場合が
多いように思います。あくまで"その集団"が基準になるのだと思います。
423 :
考える名無しさん:02/04/01 23:31
善悪を判断する感覚を身に付けたこと自体戦略的なものでしょう。
集団(群れ)の維持に役立つ行為 = 善
集団(群れ)の秩序を乱す行為 = 悪
人間のように、群れを作ることで淘汰を掻い潜ってきた生物にとっては、
群れを維持できるかどうかは死活問題。だから、自分もしくは他者が行
う行為を善か悪かで図ることにセンシティブなのでしょう。
>>421 人は助けあって生きて行かないとよくないと思います。
一寸の虫にも5分の魂って言葉があるように
皆生き物は助け合って生きて行くほうが、楽しいからです
425 :
考える名無しさん:02/04/01 23:32
>>149 >一つには、ヒトはそもそも、悪に対して常に敏感になるよう
進化してきたということが理由に挙げられるかも知れません
その「悪」とは人間が決めたもの。
どうして人間がその行為を「悪」と決めるのか。
自分が不快なものは「悪」なのか。
「悪」の真理は人間の考えを越えたところにあるのではないかと思う。
>>425 >>どうして人間がその行為を「悪」と決めるのか。
>>自分が不快なものは「悪」なのか。
そのとおりでしょう。
基本的に「悪」を不快と感じるように進化してきたのでしょう。
だから、生き残ることができたのだと考えることができます。
生き残りに有利・不利かで、その行為を不快と反応するか、快
と反応するかがきまっているのでしょう。
>>143 >人は助けあって生きて行かないとよくないと思います。
一寸の虫にも5分の魂って言葉があるように
皆生き物は助け合って生きて行くほうが、楽しいからです
世の中がそのような考えの上で成り立っているからあなたもそういう考えになったのでは?
逆にもし、世の中が増えすぎる人口を抑えるため殺人を奨励するような世の中だったら、
あなたも殺人を良いことだと思うのでは?
そもそも殺人をなぜ悪いと思うのか。
それは幼いときに大人からそれはいけないと教えられたからで、
自ら、殺人はいけないんだと初めて判断した人はいないとおもう。
人間が「悪」を不快に感じるのは、
崖っぷちで足がすくんだり、蛇や
蜘蛛に嫌悪感を覚えるのと同様な
進化の過程で身につけた、生き残
りに有益な性質といえます。
429 :
考える名無しさん:02/04/01 23:43
>>426 「嫉妬」は誰でも不快に思うがそれは相手が「善」だから嫉妬するのでは?
確かに「悪」を不快に思うように進化してきたのかも知れない。
では不快に思うものは全て悪と見なしてきたのか?
430 :
考える名無しさん:02/04/01 23:46
>>428 ヒトラーのような人間はその不快な悪を自ら好んでやったのか。
世界中にはたくさんの、悪を不快に感じない人間や
蛇や蜘蛛に嫌悪感を覚えない人間がいる。
それらは人間の進化の理論に反していると?
>>427 >>増えすぎる人口を抑えるため殺人を奨励するような
↑というのはおかしいと思います、、
では例えば幾つになった人を殺すのでしょうか?赤ん坊ですか?
昔から人を「間引く」と言うのは行われてきていて・・
今ある程度裕福になってからは間引きは行われていないのが現状だと思います
それもしかたなく間引くといったものだし、婆捨山などもそうだと思います。
それと特に殺人はいけないというのは教えてもらった訳ではなく
自ら学んだ結果なのではないでしょうか
>>429 >>では不快に思うものは全て悪と見なしてきたのか?
別に、不快なも=悪といってるわけではないでしょ。
>>世界中にはたくさんの、悪を不快に感じない人間や
>>蛇や蜘蛛に嫌悪感を覚えない人間がいる。
>>それらは人間の進化の理論に反していると?
そうですね。訓練しだいで克服できる程度の心理的反応
でしょう。その程度でも十分だったというだけの話です。
433 :
考える名無しさん:02/04/01 23:59
>>431 例えばの話です。なぜおかしいのですか?
増やす本能もあれば減らそうとする本能もあるのではないかということを前提に、
話していました。殺す相手は誰でも良いのですよ、その人の判断で。
どうやって自ら学んだのですか?
命は尊いから殺人はだめ・・・とか?
では命は尊いということはどうやって脳にインプットしたのですか?
それとも実際に殺人をし、そこで学んだとしても、
そこで殺人行為をいけないことだと言う人が居なければ悪いと思わないのでは?
434 :
考える名無しさん:02/04/02 00:04
>>427 >>逆にもし、世の中が増えすぎる人口を抑えるため殺人を奨励するような世の中だったら、
>>あなたも殺人を良いことだと思うのでは?
当然そうでしょう。それが集団の存続に有利だと認識されるならば、
少なくともその集団の中では、それは善い行いだと認識されるでしょう。
435 :
考える名無しさん:02/04/02 00:08
つまり今の世の中から見たら殺人は悪いことだけど
人間的思考を越えたところで考えたら殺人は悪くはないかもって事
436 :
考える名無しさん:02/04/02 00:09
>>433 >>どうやって自ら学んだのですか?
進化の過程の試行錯誤で学んだのでしょう。
>>435 別に人間的思考を超えなくても、
殺人が悪とされないケースはいくらでもあるのでは。
438 :
考える名無しさん:02/04/02 00:15
動物は平気で他の動物を殺します。
それは生きるためにするときもあればそうでないときもある。
人間以外の動物は進化の過程で学ばなかったのか?
生まれたばかりの赤ん坊は善悪の判断はつかない。
だからまあ私も苦労するのであるが、
進化の過程で試行錯誤の上学んだのならなぜ善悪の判断が付かないのか。
進化の過程進化の過程って・・・
ならもっと詳しくどうやって学んだのか、憶測ではなくちゃんとした意見を聞きたい。
>>438 他の動物でしょ。
その群れの中での殺し合いはまれでしょ。
440 :
考える名無しさん :02/04/02 00:18
>>433 そもそも増やす本能というものが人間にはあるのでしょうか?
よく子孫をたやすな、といった意識的なものだけなのと思います。
例えば間引く場合「増やす本能」ならば、「殺すのは義務」になるのではないでしょうか。
命は尊いことを学んだのは記憶に無いですが、今日車を洗車してて
小さな虫が水でグジャグシャになって死んだのは残念でした。
「あ〜ここで自分が洗車をしなければ死ななくて済んだんだ」と思いました。
おそらく人間も「物の弾みで出逢い」「物の弾み」で生まれてきたのじゃないかと思います。
宇宙のように
441 :
考える名無しさん:02/04/02 01:01
>>440 種族保存の法則というものがありますよね。
人間は快楽のためだけに性行為をするわけではないと思います。
そもそも性行為は種族を保存するための行為であって、
人間も動物も本能的に性行為をし、種族を増やしているのではないでしょうか。
哲学のストア派だったかエピクロス派だったかに
「死を単なる原子の離散ととらえ、死への恐怖を持つことはない」
と説いている学派があったと思います。
その学派の中では死への恐怖を持っている人は少なかったであろうし、
例えば、「死は生むばかりの人間にとってなくてはならないものであり、
また、新たなる世界への出発点となり、今までの生の清算ができる清らかなるもの」
と説く学派が「もし」あったとすれば、その学派のなかではもしかしたら
殺人は悪くないことかも知れないし、悪いと思う人も少ないのかも知れません。
例をあげてさらにややこしい説明になったかも知れませんが、
所詮昔の人間が決めつけた善悪に洗脳されているのではないかと思うのです。
・・・といっていますが、私も人を殺すことはそれはいけないと思います。
矛盾していますが。他人の人生をどうして奪う権利があろうか。
442 :
考える名無しさん:02/04/02 01:54
>>441 はい自分も性行為は確かに快楽の為だけでは無いと思います。
例えば動物には「無意識」「意識」があるとすると、人間は行為について意識的であると思います
しかし「物の弾み」で生まれてきたというのは、行為そのもので無く過程なのだと言いたかったのです
人間は苦しみを沢山感じる動物です、また楽しさや愛情も敏感に感じることが出来る動物です。
人は、生れては消える朝露の様だとも思います。
それゆえに生き物はとても儚いです。
殺人について、最近では悪くないと言った考え方が多く聞かれます。
「あだ討ち」などでも殺すといった肯定的な考えは大昔からあったように
しかたがないとは思いますが、自分としてはあまり関心しないと言った所が本音です。
水とて真っ直ぐには流れないように、善や悪があるのは自然なのではないかと思います。
自分も沢山のやすらかな死に顔を見てきました、「そこにあるのは物だ」的な考えではなく
人生をまっとうした想い出をつくってくれた人達だと思います。
443 :
ただよう質問者:02/04/02 05:09
>>414 >つまり、個人の嗜好によって決まる言って見れば趣味(好み)のようなものって、
>ことなのだね。
趣味は、自分が自分の為に行うもので、そこには他者への利益の提供はなく、
以前の発言で述べた通りの理由で自己犠牲もないと思いますが・・・。
もちろんその違いを考慮した上で”ようなもの”といわれたのだとは思いますが・・・。
>では、「あのとき○○をしておくのだった」と後悔する人がなぜいるのだろうね?
そう思う人は、重要な事をしなかったから後悔していると?
私はそうは思いません。優先すべきことの選択を誤ったからなのではないでしょうか?
或いは、別の選択肢に気がつかなかったとか。
私は、重要な意味とは、選択順位の常に上位にあるという解釈をしています。
そうではない「重要な意味がある行為」をどのようにお考えですか?
どのようなお考えで”重要な意味”をお使いになったのでしょうか?
444 :
ただよう質問者:02/04/02 05:18
>>409 >「正常な判断能力」はどのようなものでしょうか。
それは、その本人がその本人の意思として認識していること。
本人以外のなにものかから強制や誘導されていない状態だと考えます。
私は医学的な知識はたいしてありませんが、その能力に欠けている状態として考えられるのは、
「アルコール中毒」「薬物中毒」「洗脳」「催眠状態」など色々あると思います。
そして今現在認識されていない状態も将来見つかるかもしれません。
結局は当事者である「叶える側」が、その時点で「叶えられる側」に
正常な判断能力がある状態であると感じることでしか、それを知る術はないと思います。
前出の例では、「アルコール中毒患者」という前提を投げかけられたので端的に表現しましたが、
本来は
>>345 で言っている通り「叶えられる側」が望んでいることが先にあるのではなく、
「叶えられる側」の利益となることが先ずあります。
>>443 >もちろんその違いを考慮した上で”ようなもの”といわれたのだとは思いますが・・・。
もちろんそのとおりだ。
趣味には、hobby(道楽、娯楽) と taste(好み、嗜好)の二種類があって、
「(好み)」とかっこ付けしたように、前者の意味でなく、後者の意味でいったのだよ。
>私はそうは思いません。優先すべきことの選択を誤ったからなのではないでしょうか?
>そう思う人は、重要な事をしなかったから後悔していると?
>私はそうは思いません。優先すべきことの選択を誤ったからなのではないでしょうか?
>或いは、別の選択肢に気がつかなかったとか。
>私は、重要な意味とは、選択順位の常に上位にあるという解釈をしています。
>そうではない「重要な意味がある行為」をどのようにお考えですか?
>どのようなお考えで”重要な意味”をお使いになったのでしょうか?
あなたは、「優先すべきことの選択を誤った」ということを言っているから、
「選択順位の常に上位にあること」と「(本当に)優先すべきこと」が
必ずしも同じでないということには同意してくれると思う。
私が「重要なこと」といっているのはその「優先すべきこと」それ自体だよ。
つまり、あなたの定義に沿って考えた場合、
善というのは、全ての人にとって「(本当に)優先すべきこと」
であるわけではなく、そうであるかどうかは、
もっぱらその人の嗜好によるということのように思える。
ということを言ったわけだよ。
>>445 訂正
× 趣味には、hobby(道楽、娯楽) と taste(好み、嗜好)の二種類があって、
○ 「趣味」という言葉には、hobby(道楽、娯楽) と taste(好み、嗜好)の二種類の意味があって、
>>444 ただよう質問者 さん
>その人の利益になる事をして、善と言っているのです。
例えば、生きているのが辛そうな人がいるとします。彼は
いつも生きていることに困難を感じるし死にたいと思って
いる、どんなことがあってもそれがその先もずっと彼を捉
えるように感じるとします。
彼に対して(の利益)
>「そのものが、存続或いは発展するための糧となるもの」
とはなんでしょう?
或いは彼に対して善を行うことは出来ませんか?
(「正常な判断能力」を彼は持っていませんか?)
もう一つ教えて下さい。
ただよう質問者 さんの
>>34 の定義が善の定義だと信
じる集団と
「生き残ることが善」と定義する集団がいるとします。
前者が後者に全て殺されてしまったら(失礼な例えかも
しれません申し訳ありません)後者の定義が残ることに
なりますか?
ただよう質問者さんと120さんとのやり取りでただよう質問
者さんの定義の理解について参考になります。
今後も参考にさせていただきたいと思います。
別の観点からも善悪について理解を深めたいと考えています。
宜しければ二つ目の疑問についても教えてください。
448 :
ただよう質問者:02/04/02 23:14
>>445 >もっぱらその人の嗜好によるということのように思える。
私は、そう思っています。だからこそ、私は善人ではない。
>>447 >或いは彼に対して善を行うことは出来ませんか?
>(「正常な判断能力」を彼は持っていませんか?)
何よりも、彼が今現在生きている以上、死を望んではいないはずです。
どこかに僅かでも何かの希望を抱いているのでしょう。
であれば、その困難を取り去る(その方向に向かわせる)ことが善であると思います。
今まさに自殺しようとしているとしたら「正常な判断能力」がない状態であると思います。
その時は、先ずそれを思いとどまらせることで「正常な判断能力」を回復し、
そこから彼の利益になることを考えることで善を行うことが出来ると思います。
>前者が後者に全て殺されてしまったら〜後者の定義が残ることに・・・
確かにその通りだと思います。(設定に無理=強引さを感じますが・・・)
また、その逆でもそうだと思います。
そうなるとしても「生き残ることが善」の証明にはならないと思います。
敢えて言うなら、勝者(の主張)が残ると言うことでしょう。
449 :
考える名無しさん:02/04/02 23:17
>>448 >>確かにその通りだと思います。(設定に無理=強引さを感じますが・・・)
なんか、ものすごく頭悪いね。
このスレで善悪について結論を出したところで世界にはそれと違った善悪が数え切れないほどあると思うよ。
自分は自分の中で定義できればいいと言うのなら自分の中で決めればいい。
451 :
考える名無しさん:02/04/03 11:54
そーですよね、例えば物理的な悪は良くないけど
精神的な悪は良いかもしれないって言うのもあるし・・
自分では良いことだと思ってやっていたことも、実は悪いことだったってのも
聞きますからね、、
やはり無ですかね・・善くもなく悪くもなくというか・・
自分の中で決めると言いましたが。
善悪とは定義するものではなくて判断するものだと思うのです。
453 :
考える名無しさん:02/04/03 12:59
宇宙の法則です。
454 :
考える名無しさん:02/04/03 13:30
我々がいう善悪は絶対的なものではなく相対的なもの。
悪があるとするなら、自分の価値観を相手に押し付けようとしたり。
相手を支配しようとしたりすることでは?
自分の欲望のために相手を犠牲にするのも悪といえるだろうし。
>>448 なるほど。
つまり、善とは、一部の人間の嗜好に過ぎず、
そういった嗜好を持たない多くの人間にとっては、
特別に重要なことがらということではなく、
他にそれよりも重要なことがらいくらでもあるということなんだね。
私は、これだけ大勢の人が問題にしているからには、善悪の概念は、
全ての人間にとってなんらかの特別な意味があるものではないかと思い、
それゆえに、それが何であるのかを知ろうとしているのだが、
それは思い違いだったのだろうか。
そうするといったい、このスレを初めとして、
哲学板で善悪について論じている人は、なぜそんな問題についてわざわざ論じているだろう。
私と同じように、大勢の人が論じているのを見て、
全ての人間にとってなんらかの意味があるものだという愚かな勘違いをしているのだろうか?
>>450 定義が違うなら、それらは単に全く違うものであるいうことではないのかね?
>>448 ただよう質問者 さん
> 何よりも、彼が今現在生きている以上、死を望んではいないはずです。
そうでしょうか?死を望んでいることが、死のアクション
を必ず起こすことになるとは思いません。
グロテスクな想像かもしれませんが、死を望みかつアクシ
ョンを起こす能力がない場合はどうですか。
>>前者が後者に全て殺されてしまったら〜後者の定義が残ることに・・・
>確かにその通りだと思います。(設定に無理=強引さを感じますが・・・)
>また、その逆でもそうだと思います。
分かりました、有り難うございます。
では、
>>34 の定義は他の定義に対し優越性を持つものだ
と思いますか?だとしたらそれは何故でしょう。
>「生き残ることが善」の証明にはならないと思います。
普遍性の証明という意味でしょうか。
或いは、内容に論理的矛盾が無いことの証明でしょうか。
458 :
ただよう質問者:02/04/03 21:31
>>455 思考の中で選択肢の一つとして多くの場面に登場しながら、
行動に移す段階で選択されない事はあるのではないでしょうか?
例えば、腹立たしい人と出会って、傷つけたいと考えても、
考えた人の全てがそれを行動に移してはいないと思います。
行動に移す人が一部だからと言って、思考の中でまで考える人が少ないと判断できるのでしょうか?
このように考えるのはおかしいですか?
459 :
考える名無しさん:02/04/03 21:43
善=肯定的なもの
悪=否定的なもの
↑このように考えた場合に
存在するすべてのものを肯定するためには
肯定(善)でしか可能性はない・・・と考えるのはどうか?
否定(悪)すれば存在することが不可能になってくるのではないだろうか?
460 :
誤解を恐れず:02/04/03 22:09
善も悪もありません
>>460 さん
結構、既出です。
そういう意見のかたはどのくらいの割合でいらっしゃる
んでしょうかね。(ふと疑問に思っただけです)
462 :
考える名無しさん:02/04/03 23:06
ヒトが善か悪か?を考えるとき、一番問題になるのは、基準となるゼロ点をどう
設定するかだと思う。これを、ヒトの平均的(善悪中立)な行動をゼロ点にして、
考えてしまうと、当然「善とも悪とも言い切れない」という結論に至ってしまう。
総和がゼロになるようにゼロ点を設定すれば、結論もプラスマイナスゼロで、ニ
ュートラルであるとの結論に至ってしまうのだと思う。
しかし、生物の本来的な行動基準としては、他者の資源を容赦なく奪い、自己を
際限なく増やしていこうとするのが本来の姿であり、これをゼロ点にとるべきで
ある。このような行為を「悪」と認識すること自体が、人間の性質を雄弁に物語
っており、このような行為を基本的には行わない人間は「善」であるといえる。
>>456 そうです、まったく違うものです。でも彼らはそれを善悪と認識しているでしょう。
思うに、善悪もそうですが人間の思想が関わってくることを定義するのは不可能なのではないかと思います。
ビューティフルマインドじゃないですが、
「宇宙の広さはどれくらいだと思う?」
「無限だ」
「どうしてそう思うの?その目で確かめたの?」
「確かめてはいないがそう信じている」
「愛もそれと同じよ」
みたいな(w ゲラゲラ
身も蓋もないと言われようが善悪もそう信じればそうなのだと思います。
464 :
ただよう質問者:02/04/04 10:21
>>457 >死を望んでいることが、死のアクションを必ず起こすことになるとは思いません。
少なくとも、その行動が可能な人であり生きているなら、死以上の選択肢をもっていると思います。
>グロテスクな想像かもしれませんが、死を望みかつアクションを起こす能力がない場合はどうですか。
相手に死を与えることは、善であるとは思いません。
何らかの方法で、苦痛を軽減する方法があると思います。
それもないなら、その人に善は行えないと思います。
>では、
>>34 の定義は他の定義に対し優越性を持つものだ
>と思いますか?だとしたらそれは何故でしょう。
優越性があるかどうかはわかりません。だからこそここで発言し、意見を求めていると言えます。
>或いは、内容に論理的矛盾が無いことの証明でしょうか。
逆に、提示された例によって何をなさりたかったのかお聞きしたいです。
>>458 >思考の中で選択肢の一つとして多くの場面に登場しながら、
>行動に移す段階で選択されない事はあるのではないでしょうか?
ある人間は発想する行動の選択枝が、
善の定義に適合する可能性は常にありえるね。
しかし、それが善を志向した結果発想されたのか、
別の何かを志向した結果なのか、たまたま偶然思いついたのか、
判別が付かないね。
善の嗜好が無い人が、選択枝として、善の定義に適合する行動を思いついたとして、
その選択肢が善に適合していることは、その人にとって何か意味があるのかね?
例えば、善を為したいと思う人にとっては、善の定義を知り、
その知識によってものを考えることは、
「為したい」という欲望に沿うことで、おそらく意味のあることだろう。
しかし、そういった嗜好の無い人間にとって、善となる行動を思いつくこと、
それを行うことに何の意味があるのだね?
>行動に移す人が一部だからと言って、思考の中でまで考える人が少ないと判断できるのでしょうか?
行動に移す移さないは別に根拠にしていないよ。
あなたが、
>>408 で、「善」の価値を、「価値観の違いによるものではないか」と主張したから、
「善の価値は普遍的では無い」という意味に理解したのだが、
私の解釈は何か間違っているかね?
466 :
考える名無しさん:02/04/04 19:59
人類種からみて
人類種の種の保存に都合のいいものは善
よくないものは悪
すべてはこの基準につうじる。
>>463 まったく違うものなのに、なぜ、善悪であると認識することができるのだね?
例えば、普通、「鳥」というのは、「羽根がある」という共通点で、
スズメでも鶴でも「鳥である」と認識することができるよね。
(コウモリの例もあって、生物学上の鳥の定義はもう少し複雑だが)
「善悪」は人によって全く違うものを示していてなんの共通点も無いとしたら、
それらが、「善悪」である、と認識できるのはなぜだろうか?
>>468 「基準」と「定義」の関係が不明瞭だが。
470 :
考える名無しさん:02/04/04 20:38
>>466 まあ、それが正解なんだろうけど、
ほっとけよ、迷路で迷っているのが
好きな人たちは。
471 :
ただよう質問者:02/04/04 22:13
>>465 >しかし、そういった嗜好の無い人間にとって、善となる行動を思いつくこと、
>それを行うことに何の意味があるのだね?
そうする人は、そうする人なりに何らかの意味を持って行動しているのでしょう。
おそらくは、善とする定義に則っているかどうかが問題ではなく、
他者の為に尽くすことを喜びとし、相互の依存と協力、他者の大切さを知る、
或いは感じることが出来る人だと思います。
>>455 >私は、これだけ大勢の人が問題にしているからには、善悪の概念は・・・・
そもそもこの板で、善悪について語っている人が相対的に見て大勢だとは感じません。
しかも、「善悪」について語りたいと言う目的意識ではなく、
自身の主張を発表する単なる「お題」としている人も多いように感じるくらいです。
そもそも、貴殿が今現在善悪について論じているのは、重要な意味があると感じているからですか?
それが解らないから論じていると言われているのでしょう?
でありながら、貴殿以外の大勢の人は”重要な意味がある”から論じていると考えるのは、
必ずしも正しい理解ではないかもしれないと思います。(断定は出来ませんが)
単なる主観ですが、人は困難に立ち向かいそれを乗り越えようとする人を見て、
それを、自分の勇気やモチベーションに変えることが多いように思います。
このような感情がなぜ起こるのかはわかりませんが、
幼少の頃見たヒーロードラマでも、或いはさまざまなスポーツでも同様です。
普段、自己の欲求に基づいて行動する多くの人にとって、
それを犠牲にして他者に尽くすことは困難なのだと思います。
それが、単に可能性だけであっても、より良い集団生活につながる行為なら、
そうすべきなのだろうと思ってもなかなか出来ない。
スポーツ等は自分が自分の為に行う努力ですが、
これが他者の為となると犠牲の大きさにもよりますが、やはり困難が伴います。
私はそこに意味を感じます。
472 :
考える名無しさん:02/04/04 22:15
それは個の保存か種の保存かと言う問題ですね。
>>472 種の保存だろ。
個の保存が主眼であれば、別に「善」な行動様式は必要無くて、
他人を殺して、物をどんどん奪えばいいだけだろ。
474 :
472=466:02/04/04 22:34
>>473「個の保存が主眼であれば、別に「善」な行動様式は必要無くて、
他人を殺して、物をどんどん奪えばいい」
社会契約説的に見ればそんなこともない。
その社会契約も、所詮は人間の持つ性質が
明文化されたもの。
>>464 ただよう質問者 さん
>少なくとも、その行動が可能な人であり生きているなら、死以上の選択肢…
「その行動」「死以上の選択肢」意味が上手く分からないので、他の言葉で
説明してもらっていいですか。
>何らかの方法で、苦痛を軽減する方法があると思います。
>それもないなら、その人に善は行えないと思います。
分かりました。
>>447の例えで、私には彼の利益がなんであるか判断がつきません。
「相手の利益」は結局、自分自身に依存するもののように思うのですがどう
思われますか。
>優越性があるかどうかはわかりません。だからこそここで発言し、
>意見を求めていると言えます。
多くの人が、ある定義を妥当であると認めれば一つの優越性が出るように思
うのですが。
>逆に、提示された例によって何をなさりたかったのか…
まず優越性の有無を知りたかったのです。
例えば、私を殺した殺人犯が「生き残るのが善」と定義していたら私は悔し
く思います。その定義と他の定義は同格なのだろうか?と思ったのです。
種の保存が善…
善悪がDNAに刻まれてるってことなんですか?
善悪は先天的に持っていたものなのか、後天的に身につけたものか。
「進化の過程で善の概念獲得」派の方はどうお考えなんでしょうか?
いや、そうかもしれないが、
種の保存に都合がいいとおもわれることを善と呼ぶと。
479 :
ただよう質問者:02/04/04 23:49
>>476 >少なくとも、その行動が可能な人であり生きているなら、死以上の選択肢…
言い替えてみます。
少なくとも、自ら死ぬことが可能でありながら尚生きているのであれば、
死を選ぶ以上の選択肢があるからだと思います。
これで伝わりますか?
>>447の例え
>例えば、生きているのが辛そうな人がいるとします。
>彼はいつも生きていることに困難を感じるし死にたいと思っている。
私はこの人は、困難を感じるし死にたいと思っている。のではなく、
困難を感じる為にそれから逃れるには、死ぬしかないと思っている。のだと思います。
この人にとっての利益とは、その困難を取り去る或いは軽減させることであると思います。
>その定義と他の定義は同格なのだろうか?と思ったのです。
すみません。定義を比べて同格かそうでないかと考えたことはありません。
定義に仮に優越性があったとしても、それによってその殺人犯をどうすることも出来ないと思います。
善悪の定義は、法や集団の中での取り決めを考える際の、よりどころの一つとはなっても
それのみによって、行動の正当化・非正当化が出来るものではないと思います。
人間の可能な行動はDNAを因子に考慮しても良いが
価値判断の対象となる行動に対しDNAを持ち出すのは飛躍し過ぎ。
人間の構成要素に善悪をからめるのはいささか疑問。
>>471 >そうする人は、そうする人なりに何らかの意味を持って行動しているのでしょう。
そうすると、その人にとって重要なのは、「その人なりのなんらかの意味」であって、
その行動が、結果として善になっているということは、
その人にとって特に意味はないということになるのではないかね。
>>471 >そもそもこの板で、善悪について語っている人が相対的に見て大勢だとは感じません。
相対的に見たら、多くないかもしれないね。
しかし、善悪に関するスレは定期的に立って、全てがdat落ちして全然みあたらなくなってしまうということが無いから、
ある程度まとまった人数の人が議論に加わっていると考えていいのではないかね。
>しかも、「善悪」について語りたいと言う目的意識ではなく、
〜
>必ずしも正しい理解ではないかもしれないと思います。(断定は出来ませんが)
「解らない」というのは、
「必ず重要である」ということでも「必ず重要でない」ということでもなく、
「いずれか判断できない」ということだよ。
そして、「”重要な意味がある”から論じている」というのは
「大勢の人が論じている。」
(ここでの大勢は相対的にということではなく、ある程度まとまった人数ということ)
という事実から導き出した一つの推理であって、結論ではない。
もしも、「重要でない」とするなら、この推理が間違っているということであり、
「大勢の人が論じている。」という事実については、別の原因があるはずだ。
>普段、自己の欲求に基づいて行動する多くの人にとって、
>それを犠牲にして他者に尽くすことは困難なのだと思います。
>それが、単に可能性だけであっても、より良い集団生活につながる行為なら、
>そうすべきなのだろうと思ってもなかなか出来ない。
ある集団に属する人間にとって、
「(その集団の)より良い集団生活につながる行為」は、
「自分の利益になる行為」じゃないのかね?
「自分の利益になる行為」を「自己の欲求に基づいて行動する多くの人」
が「そうすべきなのだろうと思ってもなかなか出来ない」のはなぜだろう。
>>471 >単なる主観ですが、人は困難に立ち向かいそれを乗り越えようとする人を見て、
>それを、自分の勇気やモチベーションに変えることが多いように思います。
>このような感情がなぜ起こるのかはわかりませんが、
>幼少の頃見たヒーロードラマでも、或いはさまざまなスポーツでも同様です。
中略
>スポーツ等は自分が自分の為に行う努力ですが、
>これが他者の為となると犠牲の大きさにもよりますが、やはり困難が伴います。
>私はそこに意味を感じます。
私もそういったことには大変意義を感じるよ。
ただ、それは、人生哲学や美学に属する問題であって、
煎じ詰めれば「やりたいからやりたいんだ」
といった、先立つ理由をもたない動機であって、
論理的に説明しつくせないものだ。
(また、おそらくは論理的に説明する必要の無いものだ)
もちろん、私はそういったものは人間にとって意味のあるもの、
さらにいえば、まさに人間を人間たらしめているものであると思う。
しかしながら、それはやはり、各個人の嗜好であって、
そういった嗜好を持たない人間には意味の無いものだ。
私が「重要でない」といっているのは、
「全ての人にとって、必ず重要でない」ということではなく、
「重要と思う人にとっては重要だが、そうでない人にとっては重要でない、
つまり、『利益』などの概念が持つような普遍的な重要さは持っていない」
ということを言っているのだよ。
484 :
ただよう質問者:02/04/05 02:08
>>481-483 貴殿の主張する一番の疑問は、
善とは”大勢”の人にとって意味があるであろうと思われるが、
これまで論じてきた内容から判断すると、”一部”の人の嗜好でしかないようである。
と言うことのように感じますが、それは間違っていますか?
その後のご発言もそれから発生していると受け取りました。
”大勢”であることを前提として、これまで発言されたのですか?
そして”大勢”と「推理」された根拠が、スレが定期的に立つから・・・と。
相対的に”大勢”ではなく、まとまった人数であると言う意味での”大勢”である、
と言うことですね。だから、大勢にとっての「重要であることの意味」が知りたいと。
もし違っていたら、指摘してください。
485 :
考える名無しさん:02/04/05 03:07
ミル以来の原則さ
「欲望が悪」ではなく、それによって他者への損害を伴う場合と考えています。
自己の欲望の充足と、他者の利益が一致することはよくあることです。
支離滅裂系の脳障害あり。仕事はフーゾク専門。何回も堕胎してる水子さん。
なぜそうなるかと言うと、「善意の〜」や「悪意の〜」と言った、
立場によって変化しうる要素と、
時代や社会の道徳などの流動的な要素を含んでいるからだと思う。
相手のいう事を指摘するだけでも自分の前提や主張ってものは
慈悲深い小林さんは片岡の親に金積まれたので哀れんでつきあってやってるそう。
他者が欲して(又は強要して)犠牲があったなら、その他者は悪を行ったことになる。
そして善は行われていない。
当然本命は別にいる。
はっきりいって自分の意見を提出して議論しあうだけでなく
自己犠牲は善の絶対条件なのだろうか、
それとも、いろいろな善のうちの一種に過ぎないのだろうか?
ただ、本人が見返りを求めずに、自分の練習の時間を割いて、
変化していくんだよ。
客観的に確率を考えてその上で外を出る便益を比較した上で
行くことにある。
人間は一つの開かれた関係構造であり、根源的に世界の諸形象が属しています。
人は諸形象を我性を持ってorなしで 意に留めることができます。
懲役刑によって人生が完全に狂ってしまうのであれば法の整備不足の
問題だし、経済観念がすすんだ現在では法によって金銭によって
死刑とは遥かに遠い扱いであることはすぐに理解できる。
そのように弱い人間なら遅かれ早かれ刑罰を受けなくとも自殺したであろう。
我性 Eigenschaftとは通常、性質と訳されます。
私は小林先生も片岡さんも尊敬してます。すごい人たちなんです。
君がサドでないとするなら、君は節度という物を理解していないだけだ。
節度という物は、君が勝手に「死刑は駄目。懲役刑は大丈夫」などと決められる物ではない。
前途したとおり、人によっては懲役刑で人生が完全に狂ってしまう場合がある。
そういった人のことをどうやって補償するというのだ?
小林先生と片岡さんに出あって、私は変わることができました。
2チャンにアクセスしてるような人らは、この2人のこと何もしらないのに
想像だけで発言するのはやめてください。
2人をボロクソに書いているサイトがあるというので来ただけです。
>>479 ただよう質問者 さん
>少なくとも、自ら死ぬことが可能でありながら尚生きているのであれば、
>死を選ぶ以上の選択肢があるからだと思います。
前半は理解できました。しかし、「死を選ぶ以上の」が分かりません。
死に対して上とか下とかの基準があるということでしょうか。
>困難を感じる為にそれから逃れるには、死ぬしかないと思っている。
>のだと思います。この人にとっての利益とは、その困難を取り去る或
>いは軽減させることであると思います。
いや、困難を取り去ることができるならそれは良いと思います。しかし
>どんなことがあってもそれがその先もずっと彼を捉
>えるように感じる
わけで、そこで「彼の利益」が分からなくなる、少なくとも私は。
447の例で重要なのは、「相手の利益」は善を行おうとするものの主観に
依存するのですか?という疑問なのです。
>善悪の定義は、法や集団の中での取り決めを考える際の、よりどころの
>一つとはなってもそれのみによって、行動の正当化・非正当化が出来る
>ものではないと思います。
善悪の定義はローカルな(特定集団内の)ものなのでしょうか。
>>478 466さん
>種の保存に都合がいいとおもわれることを善と呼ぶと。
それは客観的なもの(先天的、後天的は関係ない)ということですか。
自分が「種の保存」に都合の悪い存在だとして、自分が淘汰されることを
善であると思えますか。
>>480 さん
善悪(種の保存説)にDNAはあまり関係なさそうだ、に+1票と。
>人間の可能な行動はDNAを因子に考慮しても良いが
ちょっと分かり難いです。説明してもらえないと思いますが…。
490 :
考える名無しさん:02/04/06 12:32
仏教哲学では悪とは心にチリが積もった状態を指す。
どんな美しい心でもホコリを掃除する努力を怠れば輝きを失ってしまう。
だから善人と呼ばれている人も悪人となりうるし、悪人と呼ばれている人が
改心して善人になることもある、このホコリやチリは我々の欲望や執着を
意味する。だから定義的な悪や善はなく状態的な悪や善は存在する。
自分が思うに定義的な悪がもしあるとするなら 自分の欲望のために他の人を犠牲にすることではないだろうか?
>>484 「重要であることの意味」という言葉の意味がよくわからないが。
私の聞いているのは、
「重要であるとしたら、何故重要なのか、重要でないとしたら、なぜわざわざ議論するのか。」
ということだよ。
492 :
たぶんこういうこと:02/04/06 14:16
「重要であることの意味」
→「それを重要であると評価することがもたらす効果」
>>492 なるほど。
もしそうだとしたら、そのことについて私は(ただよう質問者さんに)
聞いたつもりはないよ。
494 :
ただよう質問者:02/04/06 15:12
>>488 >「死を選ぶ以上の」が分かりません。
死を選ぼうとするには、当然それに対する理由があると思います。
しかしその時点で死を選んでいないなら、それにも理由があるのでしょう。
その両方(又は複数同士)の理由を比べて、死を選ばない理由の方が勝っている。
と考えます。
>どんなことがあってもそれがその先もずっと彼を捉えるように感じる
だから死にたいと思っていると言う設定ですね。
そして「感じる」と表現されたのは、将来は不確定だからと認識されての事ですね。
私だったら”それがその先もずっと彼を捉え”なくなるかも知れない可能性もあると伝えるでしょう。
或いは、立ちはだかる困難以上の生きる喜びを共に考えるかもしれません。
それが彼にとっての利益となると思います。
>「相手の利益」は善を行おうとするものの主観に依存するのですか?
「相手の利益」は、その当人の主観に依存すると思います。
そして、その人に対して善を行うかどうかは行おうとするものの主観に依存すると考えています。
「死」の選択は彼の利益には成り得ないと思います。
>善悪の定義はローカルな(特定集団内の)ものなのでしょうか。
善悪の定義(認識)は、現時点で特定のものがまだ無いのだと思います。
だからこそこのような議論が、なされるのだと思います。
私はそれをローカルなものだと言っているのではなく、
それを一つの要素として作られた、法や取り決めがローカルであるとは思います。
495 :
考える名無しさん:02/04/06 15:15
種の保存というが、人類の場合はそれがそのまま当てはまるかどうか?
種という観念がなにを指すのかいまいち。
戦争は悪か?
496 :
ただよう質問者:02/04/06 15:34
>>491 >「重要であるとしたら、何故重要なのか、重要でないとしたら、なぜわざわざ議論するのか。」
そのような疑問でしたら、お答えできるほどの見識は持っていません。
論じている人たちの動機はさまざまだと思います。
「善」について、「悪」について、「定義」について、単なる自己主張等、
おそらく他にもたくさんあるでしょう。
それらの人たちが、必ずしも「善(又は善の定義)は重要である」と考えるから、
論じていると思えないからです。
更に、重要(選択肢の上位にある)でなく、関心がある程度でも論じる動機になると思います。
私はそこまで、他人の心を把握することは出来ません。
>>488 ただよう質問者 さん
>その両方(又は複数同士)の理由を比べて、死を選ばない理由の方が勝っている。
考えていることが常に行動として実行されるか、私には疑問が残ります。
死を選ぶ理由が勝った瞬間に人は死ぬわけではないですよね、少なくとも
実行されるまでの時間は「死を選ぶ理由」が勝っていながら生きてる訳で
すから。
>そして「感じる」と表現されたのは、将来は不確定だからと認識されての事ですね。
それもありますが、
>>444 「正常な判断能力がある状態であると感じることでしか」
の「感じる」を考慮しての言葉です。
>「相手の利益」は、その当人の主観に依存すると思います。
「その当人」とは「相手」のことですか?
>善悪の定義(認識)は、現時点で特定のものがまだ無いのだと思います。
>だからこそこのような議論が、なされるのだと思います。
>私はそれをローカルなものだと言っているのではなく、
>それを一つの要素として作られた、法や取り決めがローカルであるとは思います。
了解しました。
>>496 「興味がある事柄」ということ自体が、ある種の重要性だと私は考えたのだが、
あなたは、それは重要性とは別のものだというのだね。
この点についてはどちらであるかについては、結論と無関係なので、
できれば、ここでは議論したくないので、とりあえず、「重要性」という
言葉を使うのは控えよう。
>>483 で述べたように私が「重要性」の関連して問題にしているのは、
その普遍性であるから、とりあえず、
あなたの回答を私なりに解釈するとような結論になる。
「善悪」という問題は、個々の人間の個人的な興味で議論されているのであって、
興味を持たない人間とは無関係な事柄である。
499 :
ただよう質問者:02/04/06 16:34
>>497 >考えていることが常に行動として実行されるか、私には疑問が残ります。
>死を選ぶ理由が勝った瞬間に人は死ぬわけではないですよね、少なくとも
>実行されるまでの時間は「死を選ぶ理由」が勝っていながら生きてる訳で
>すから。
考えていることの中で、最も重要度の高い事柄を実行に移すのだと思います。
つまり、辛くとも生きているのは、「死を選ぶ理由」「死を選ばない理由」両方を考えたうえで、
「死を選ばない理由」が勝っている。と言っているのであって、
「死を選ぶ理由」を考えないから生きていると言っているのではありません。
>>498 >あなたは、それは重要性とは別のものだというのだね。
重要性といわれれば、意味が変わると思います。
今まで言われた「重要である」と言う表現と、
「重要性がある」では違うと私は認識しておりますので。
貴殿の解釈は、例えば私が「白だとは断定できない。」と言うと、
「では黒なのだね。」と返され、
そして「そうは言っていない」や「黒だと言っている訳ではない」と言うと、
「では黒ではないのかね」と返される。
このテのやり取りにとても疲れます。
>「善悪」という問題は、個々の人間の個人的な興味で議論されているのであって、
>興味を持たない人間とは無関係な事柄である。
無関係と言う表現をどのくらいの範囲で使っておられるのか計りかねるので、
お答えできません。
「重要だと思っている人」と仲のよい「興味を持たない人」がいれば、
無関係とはいえないとも思いますし・・・。
>>499 ただよう質問者 さん
どこかに誤解があるようです。
>「死を選ぶ理由」を考えないから生きていると言っているのではありません。
私もそう言っていません。
「死を選ぶ理由」「死を選ばない理由」両方を考えたうえで、「死を選ぶ理由」
(選ばない理由の方でなく)が勝っている時でも、生きてることは有り得ます
よねと以下のように言っています。
>死を選ぶ理由が勝った瞬間に人は死ぬわけではないですよね、少なくとも
>実行されるまでの時間は「死を選ぶ理由」が勝っていながら生きてる訳で
>すから。
>>497「その当人」とは「相手」のことですか?
も教えていただきたいのですが。
↑500はmemeの発言です。失礼しました。
502 :
ただよう質問者:02/04/06 19:32
>>500 >考えていることが常に行動として実行されるか、私には疑問が残ります。
と言う意見から、私が誤解したようです。申し訳ありません。
>「死を選ぶ理由」「死を選ばない理由」両方を考えたうえで、「死を選ぶ理由」
>(選ばない理由の方でなく)が勝っている時でも、生きてることは有り得ます
>よねと以下のように言っています。
確かに思い立って(決意して)から、絶命まで時間差があるとは思います。
しかし、それに向かう行動をしているものと思います。
若しくは、そのための方法を考えているところでしょうか。
他の事をしながら考えているのなら、「決意」は出来ていない状態だと思いますが・・・。
「その当人」とは、相手の事です。
>>499 重要性でも、興味でも、どちらでも良いのだよ。
それらが、「各個人それぞれの」ものであるかどうかということがなのだよ。
一度いったように、私が問題にしているのは「普遍性」ということだ。
例えば、「重力」は、各個人が、それに興味があるとか、重要性を感じるとかいった、
こと以前に、全ての人に影響を与える。
地球上で、重力の影響を受けずに行動できる人はいない。
だから、地球上で、物を動かしたり、建物を作ったり、どんなことをするのであれ、
実際になにかをしようとすれば、「重力」の影響を受ける。
それゆえ、「重力」には多くの人が関心を持っているわけだが、
関心を持っているから「重力」が働いているわけではなく、
「重力」は、興味や関心に先立って、影響を与えているのだ。
「善」には、このような、
「関心を持つもたないとは無関係に、認識されることに先立って、全ての人に影響を与える」
といったような、「普遍的な」重要性があるか、ということを聞いているのだよ。
>>499 ただよう質問者 さん
>確かに思い立って(決意して)から、絶命まで時間差があるとは思います。
そこで
少なくともその時間差の時に関して(勿論「決心」出来ているとします)
>448何よりも、彼が今現在生きている以上、死を望んではいないはずです。
とは言えないと思うのですが。(極端な例ではありますが)
>>159 120さんの
>・「後になって不都合になると予想される」その時点でのその人の希望を叶えること
も善になるということから、
絶命までの間に彼の死を補助することは善になりますか?
>>1 絶対の善悪は存在しないので、定義できない。
相対的な善悪は自己申告によるので、同じく定義できない。
のでは?
506 :
ただよう質問者:02/04/06 23:17
>>503 貴殿が当初、個人の認識や自覚に関する質問をされていたので、
その流れを読みその上でお答えしていただけの事。
「認識されることに先立って」と言われるのであれば、
全ての人が、何らかの欲求や希望をもって生きる限り、
それが他者から叶えられる可能性をもっていると考えるなら、
意識するかしないかとは別に、そういう意味で無関係ではないと思います。
507 :
ただよう質問者:02/04/06 23:22
>>504 >少なくともその時間差の時に関して(勿論「決心」出来ているとします)
>>448何よりも、彼が今現在生きている以上、死を望んではいないはずです。
>とは言えないと思うのですが。(極端な例ではありますが)
おっしゃるとおり。
>絶命までの間に彼の死を補助することは善になりますか?
彼の死は、彼の利益にならないので善ではないと思います。
>>506 そういった意味では、もちろん、関係が無いわけではないね。
しかし、地球上で物を動かしたり、建物を立てたりしようとすれば、
「重力」の影響を「必ず」受けるだろう?
仮に、「重力」について、間違った理解をしていた場合、
誤解の内容によっては、
物がうまく動かないとか、建物がうまく建たないとかいった、
結果に繋がる。
どのようなことがらでも、偶然の関与する余地はあるから、
適当に作った建物が、たまたま無事に建つということも、
もちろんあるだろう。
しかし、現実的には、為そうとすることの範囲において(建てようとする建物の規模など)、
それをするのに充分な「重力」についての理解が無ければ、建物を建てることはできない。
人が何か「欲求や希望をもって」いる場合、
「善」についての誤解が、それらの「欲求や希望」を達成するのに、
こういった決定的な結果を「必ず」もたらすといえるかね?
(もちろん、「善」そのものが欲求だった場合は当然そうなるわけだが)
>>507 ただよう質問者 さん
>おっしゃるとおり。
ということは、447の彼に対して善を行えないということがありえますね。
>彼の死は、彼の利益にならないので善ではないと思います。
しかし「後になって不都合になると予想される」ことでも、その時点での
その人の希望を叶えることは善になるのですよね。
>>159-161 も善になる
510 :
ただよう質問者:02/04/07 00:01
>>508 >人が何か「欲求や希望をもって」いる場合、
>「善」についての誤解が、それらの「欲求や希望」を達成するのに、
>こういった決定的な結果を「必ず」もたらすといえるかね?
すみません。意味がよくわかりません。
>>509 >ということは、447の彼に対して善を行えないということがありえますね。
私は、誰に対してもそして誰でもが必ず善を行えるとは思っていません。
>その人の希望を叶えることは善になるのですよね。
>>159-161 >も善になる
これらの発言は、
>>34 の定義である他者(相手)の利益になることを前提としています。
(少なくとも私はそのつもりで述べています。)
>>510 ただよう質問者 さん
>私は、誰に対してもそして誰でもが必ず善を行えるとは思っていません。
なるほど。善が行えないこともある、しかし
>むしろ善でないのは、自身の考えの中だけで判断し、結果として何もしないこと
であるから、彼を生きるように導くのが善の行動として合致するということ
でしょうか。
彼の求める方向と正反対になってしまうのに、それが善となるでしょうか。
>これらの発言は、
>>34 の定義である他者(相手)の利益になることを前提として…
うーん、なかなか「他者の利益」は難しいですね。
>>510 >すみません。意味がよくわかりません。
じゃあすこし言い方を変えよう。
>全ての人が、何らかの欲求や希望をもって生きる限り、
>それが他者から叶えられる可能性をもっていると考えるなら、
>意識するかしないかとは別に、そういう意味で無関係ではないと思います。
という意味での関係性はもちろんある。
しかし、その場合、「何らかの欲求や希望」が目的なのであって、
結果として「叶えられる」過程が「善」となったとしても、
それは単に、そのプロセスがあるカテゴライズに適合したという意味しかない。
「重力」に関して言えば、これは、「建物を建てる」という目的があった場合、
「重力」についての誤った知識は目的の達成を大きく妨げる。
それは、重力下における全ての物質がその支配を受けているからだ。
しかし、
「善」に関して、これと同様に、「何らかの欲求や希望」という目的について、
「善」についての誤った知識が目的の達成を大きく妨げるといったことがあるだろうか?
つまり、「善」は、「重力」のように、世界のどこかの領域を支配していて、
その領域でなにかをしようとする限り、どんな人であっても、
その影響を免れ得ない存在であるといえるかね?
513 :
考える名無しさん:02/04/07 00:52
未知なる世界について善悪の判断はできない。
新しい経験を通して、
それが良い状態なのか悪い状態なのかを判断すべし
経験値、認識量、世界観、どれもこれも人それぞれまちまちで
統一的見解などありえないだろうが
賢さとは何かと言えば
その分野(問題とされる)で最も卓越なる経験値と認識量を持った人が説く
善悪の基準に耳を傾けることだ。
514 :
ただよう質問者:02/04/07 00:59
>>511 >>むしろ善でないのは、自身の考えの中だけで判断し、結果として何もしないこと
>であるから、彼を生きるように導くのが善の行動として合致するということ
>でしょうか。
私が言っているのは、何もしないことは善ではない。ということで、
必ずしも何かをする事によって善になるとは言っていません。
それから、前にも言ったように、(自らが自らの為に)死のうとしている状態は、
正常な判断能力が無い状態と言っています。
それを回復させる行為を、善とは言っていません。
それ自体は、善を行うことができる状態にすることということです。
515 :
ただよう質問者:02/04/07 01:03
>>512 >その影響を免れ得ない存在であるといえるかね?
いえません。
>>515 私は、そういう意味で「重要でない」といっているのだよ。
人間が目的を持って行動する場合において、その目的の達成の為に、
「善」について必ず知っている必要は無いわけだ。
だから、何らかの目的のための判断するとき、「これは善であるかどうか」を考えたところで、
目的の達成にはなんら役立たないということだ。
なぜなら、「善」は何者をも支配していないからだ。
517 :
ただよう質問者:02/04/07 04:20
>>516 それが最初から言いたかった結論ですか?
518 :
はずかしい:02/04/07 07:43
「善」は精神を高揚させる、と言っておくれでないかい
>>514 ただよう質問者 さん
>私が言っているのは、何もしないことは善ではない。ということで、
>必ずしも何かをする事によって善になるとは言っていません。
>それから、前にも言ったように、(自らが自らの為に)死のうとしている状態は、
>正常な判断能力が無い状態と言っています。
>それを回復させる行為を、善とは言っていません。
>それ自体は、善を行うことができる状態にすることということです。
今までの経過や上記の発言で、大体ただよう質問者さんの謂わんとすることが
私なりに分かってきたと思います。
私とただよう質問者さんの決定的な違いは
>死のうとしている状態は、正常な判断能力が無い状態と言っています。
ここに集約できるかもしれません。「他者の利益」は私にとって難しい問題で、
その言葉をアプリオリに認めることは私には出来ません。
しかし謂わんとすることは感じることはできます。だから色々と質問させて頂
きました、お答えいただき有り難うございました。
私の考えとして
客観的に(絶対的な)善悪は、まぁ無いかなと。
しかし系を限れば(例えば「人間の生存」という系)、その系のなかでの
共通認識として有り得る(例:「種の保存」に有利なことを善と思考する
ようになる)。
主観的には、これ自己(アイデンティティ)の問題でもあるかなと。
善悪が無いと信じる(考える)人もいれば、自己の定義(感覚)で善悪を
信じる人も居る、あるいは他の定義(例えば宗教とかの)を信じる人も居
る。因みに、私は自己の感覚で善悪を捉える、と。
私の現時点での善悪についての認識はこんな感じです。
>>517 いいや、あなたが定義してくれたおかげで、
出すことができた結論だよ。
>>517 あなたの定義がなければ、結論は出せなかったろうし、
定義が異なるものであったら、別の結論になっていただろう。
523 :
考える名無しさん:02/04/07 14:59
善悪概念はキリスト教ユダヤ教に由来します。
神からの命令です。規範です。
だから時と状況によってよくなったりわるくなることが
ありません。
524 :
考える名無しさん:02/04/07 15:06
場合によって善悪が分かれる例えをあげてください。
525 :
考える名無しさん:02/04/07 15:56
>>524 風呂に入るときにはだかになる
銀行に入るときにはだかになる
これを良く考えてから質問して欲しいな。
527 :
ただよう質問者:02/04/07 19:24
>>521-522 つまり、善(又は善の定義)を考える必要がないということですか?
それとも、大勢(ある程度まとまった人数)の人が、
論じている理由が解ったと言うことですか?
何者をも(重力のように)支配しないものに存在価値が無いということですか?
或いはその他のことですか?
>>527 >つまり、善(又は善の定義)を考える必要がないということですか?
だれでもが、必ず考える必要が無いということを言っているのではない。
考える必要が「ひとそれぞれである」ものだということをいっているのだよ。
>それとも、大勢(ある程度まとまった人数)の人が、
>論じている理由が解ったと言うことですか?
その点については、既に、あなたが自分で説明しているのではないかね?
それぞれの人がそれぞれの理由で論じているのだろう?
その点について異論を示した覚えは無いが。
>何者をも(重力のように)支配しないものに存在価値が無いということですか?
>或いはその他のことですか?
存在価値があるかどうかは、その人の価値観によるだろう。
逆に言えば、その価値は、個々の人間の価値観によるものであって、
価値観と関係なく、何かを為そうとするならば必ず
考える必要のある性質のあるものでは無い、ということを言っているだけだよ。
529 :
ただよう質問者:02/04/08 02:00
>>519-520 memeさんは、ご自身なりの結論を得られたようなので、
もうご覧になられていないかもしれませんが、やはり私は、
(自らが自らの為に)死のうとしている人は、正常な判断の力を欠いているとしか思えません。
どういう事かと言うと、自らに降りかかる苦痛や困難等に囚われた状態だと思うからです。
これが、誰か(何か)を救おうとして自らの決断で死を選ぶのであれば別です。
とは言え、私の主張を押し付けるつもりはもちろんありません。
>>528 私が、定義として発言し論じてきた事と、不明な為に推論としてその後述べた部分とを
混同して結論を導き出されたように感じますが、そうではありませんか?
ちなみに、推論でありながら
>>515 で断定したのは、
私の主張する定義に於いて、必ず「叶える側」と「叶えられる側」の存在が不可欠な為、
ただ一人で生活している又は、
何らかの理由でその情況に置かれている人があるだろう事を想定しての事です。
(すでにご了解の事でしたらすみません。)
ところで、memeさんとのやり取りで、ふと疑問に思ったのですが、
貴殿は、定義について深い見識を(私よりも)お持ちと察します。
ある事柄に対して、定義は一つだけなのでしょうか?
お答えいただければありがたいと思います。
>>529 >私が、定義として発言し論じてきた事と、不明な為に推論としてその後述べた部分とを
>混同して結論を導き出されたように感じますが、そうではありませんか?
私は、必要な点については確認を求め、否定されなかったことにのみ
基づいて、論を進めてきたつもりだ。
あなたは、私の結論に誤りがあると主張するのかね?
そうであれば、「混同して結論を導き出されたように感じますが」
といったあいまいな指摘では、なく、具体的な問題点をきちんと
してきしてくれ。
私が論拠としてきたことで、実際には明確でないことを、
具体的に存在するのなら、そこから論じなお
さなければならない。
>ちなみに、推論でありながら
>>515 で断定したのは、
〜
>(すでにご了解の事でしたらすみません。)
ただ一人で生活しているのでなければ、私がいうような、
免れ得ない影響があるといえるのかね?
それは具体的にどういったことだね?
>ある事柄に対して、定義は一つだけなのでしょうか?
本質的には、定義とは、そういった性質のものであると理解しているが。
定義が異なるなら、それは、「同じ事柄についての異なる定義」ではなく
「違う事柄についてのそれぞれの定義」だ。
>>529 むしろ、
根拠にすべきでない推論であるのに、私が論拠にしてしまったことがあるのなら、
そこへ立ち戻って、本当はどうなのか、きちんと考察することが、
「善とはなにか」を考えることになるはずだ。
532 :
ただよう質問者:02/04/08 04:22
>>530 >私は、必要な点については確認を求め、否定されなかったことにのみ
>基づいて、論を進めてきたつもりだ。
定義に関する部分以降は、あらかじめ推測であることを示した上で発言したつもりです。
推測である以上、確認を求められても肯定も否定も出来ないことはあると思います。
>あなたは、私の結論に誤りがあると主張するのかね?
そう言っているのではなく、あなたの結論が私の定義からのみ出されたものではなく、
私の推論の上で貴殿自身の推察に基づくものがあるのではないか?と尋ねているのです。
特に重要度や影響に関して、私の意見は推論を超えるものではありません。
とは言え、その結論はあなた自身のものであり私が否定できることではないと思います。
>免れ得ない影響があるといえるのかね?
これについては、
>>506で”思うこと”を述べています。
推論ですから影響があるとは言い切れません。
だからと言って、影響がない事を肯定も出来ません。
しかし、複数の人が共同生活をする上で可能性も含めて考えれば、
私の気持ちは、影響があるほうに傾いています。
自分が誰かに善を成さなくとも、誰かから利益を受けることがあると考えるからです。
それを「善」と捉えるのか「取引」とするのか、相互の理解の助けになると思っています。
これを、貴殿のいわれる「影響」と呼ぶ範囲に入るのかどうかは解りませんが・・・。
>本質的には、定義とは、そういった性質のものであると理解しているが。
つまり、私の主張する定義を少なくともこのスレ上では認めていただいたと言うことですね。
ただ、私の主張を唯一の根拠としてそこまでの結論を出されて良いものかと、
老婆心ながら考えただけです。
それでも貴殿が以前発言された内容から考えれば、
前提が変わればこの定義も無効になる訳ですから、その結論も簡単に変わる訳ですね。
善とは対象が結果的に幸せになる事でしょうか?
ありがた迷惑で幸せになれないでしょう?
そのためには相手の状況や立場を考えてあげる事ですよね。
悪とは結果的に対象が不幸になる事では?
私利私欲は別として、誰でも辛い事は嫌だと思いますよ。
>>532 >
>>530 >そう言っているのではなく、あなたの結論が私の定義からのみ出されたものではなく、
>私の推論の上で貴殿自身の推察に基づくものがあるのではないか?と尋ねているのです。
>特に重要度や影響に関して、私の意見は推論を超えるものではありません。
>とは言え、その結論はあなた自身のものであり私が否定できることではないと思います。
「支配する領域がみつからない」という事実は、
私だけのことではなく、あなたと私の両者における事実ではないかね?
>
>>免れ得ない影響があるといえるのかね?
>これについては、
>>506で”思うこと”を述べています。
私の言っている「関係」とはそういった意味の「関係」では無い、
ということは、再三説明したはずだが。
>推論ですから影響があるとは言い切れません。
>だからと言って、影響がない事を肯定も出来ません。
もちろんそのとおりだ。
少なくとも、私とあなたについていえば、
「影響を知っていない」ということは現時点において事実だろう。
>しかし、複数の人が共同生活をする上で可能性も含めて考えれば、
>私の気持ちは、影響があるほうに傾いています。
>自分が誰かに善を成さなくとも、誰かから利益を受けることがあると考えるからです。
>それを「善」と捉えるのか「取引」とするのか、相互の理解の助けになると思っています。
>これを、貴殿のいわれる「影響」と呼ぶ範囲に入るのかどうかは解りませんが・・・。
推測を根拠にできないというなら、「傾いています」とだけいわれても、
なんといったらいいかわからないね。
現状ではっきりいえることは
「はっきりいえない」ということだけということになる。
ここで、「影響がある」ということをあなたが論理的に証明しえれば、
善について別の結論が得られることになる。
>つまり、私の主張する定義を少なくともこのスレ上では認めていただいたと言うことですね。
なぜ、「定義」を「認める」必要があるのかよくわからないな。
いったい、「定義を認める」とはどういうことだね?
私は、「充分に定義されていない」ということを問題にしただけだが。
「定義」は「示される」ものであって、示された以上、それを前提に
考えるしかないものであって、認める認めないなどといった議論は成り立たないだろう。
>ただ、私の主張を唯一の根拠としてそこまでの結論を出されて良いものかと、
>老婆心ながら考えただけです。
あなたの定義についての結論なのだから、あなたの定義さえあれば、
なんら不足は無いと思うが。
>それでも貴殿が以前発言された内容から考えれば、
>前提が変わればこの定義も無効になる訳ですから、その結論も簡単に変わる訳ですね。
「前提」というのが、何を指しているのかさっぱりわからないが。
この定義が「無効」になるときは、あなたが放棄したときだけだよ。
535 :
ただよう質問者:02/04/08 20:43
>>534 私は、貴殿が影響が無いものとして結論していることに疑問を抱いたのです。
私は、影響が必ずしもあるかどうかわからないとして推論を述べています。
ですから、影響があることを証明することは出来ません。
解らないと、ある又は無いという意味には違いがあると理解しています。
しかも、貴殿の言う「影響」が「重力のように」でなければならない事も、
貴殿が示した条件であり、そうでなければならない事が私には理解できていません。
そのために、その「影響が無いこと」として導き出された結論は貴殿自身のものと言っているのです。
>「前提」というのが、何を指しているのかさっぱりわからないが。
定義の前提については、貴殿が以前(
>>204>>312)された発言から、
「その場にいうる者の力の及ぶ範囲に於いて・・」の”その場にいうる者”と
”力の及ぶ範囲”と考えておりましたが?
つまり”その場にいうる者”と”力の及ぶ範囲”と言う前提が変われば
必ずしも定義とはならなくなるのではないのですか?
<蛇足>
>ということは、再三説明したはずだが。
貴殿は貴殿自身が重要と考えることについては、何度も質問されています。
それが、他者からの質問となるとそのように返されるのはいかがなものかと思います。
>私は、貴殿が影響が無いものとして結論していることに疑問を抱いたのです。
〜
>解らないと、ある又は無いという意味には違いがあると理解しています。
もちろんそのとおりだね。
影響のあることがらについてのあなたの見解がそのようなものなら、
私の結論は次のように訂正する必要があるね。
人間が目的を持って行動する場合において、その目的の達成の為に、
「善」について必ず知っている必要があるようなことについて、
そういったものが存在するのかどうか、わかっていない。
だから、何らかの目的のための判断するとき、
「これは善であるかどうか」を考えたとしても、
いまのところ、目的の達成に役に立つかどうかはわからないということだ。
なぜなら、「善」が何者を支配しているかわからないからだ。
>しかも、貴殿の言う「影響」が「重力のように」でなければならない事も、
>貴殿が示した条件であり、そうでなければならない事が私には理解できていません。
>そのために、その「影響が無いこと」として導き出された結論は貴殿自身のものと言っているのです。
どうも誤解があるね。
私は、「重力のようなものでなければならない」などとは一言も言っていないし、
単に「影響が無いこと」ともいっていない、
「重力のような普遍的な影響は無い」といといっているのだ。
そして、上と同様にこれを訂正するなら、
「重力のような普遍的な影響があるかどうかわからない」ということになる。
>>「前提」というのが、何を指しているのかさっぱりわからないが。
〜
>必ずしも定義とはならなくなるのではないのですか?
以前の前提において定義であることには変わりないだろう。
・哲学を宗教か何かと勘違いしてる奴。
・恣意的な感情の神秘性に逃げて思考停止してしまう奴。
・道徳的常識的価値観現実観に依存して思考停止している奴。
・主観を客観視に近づけるために事の定義付けをしない奴。
哲学は科学と区別される。
存在論(形而上学)、認識論(論理学)
実践論(倫理学)、感性論(美学)などの部門をもつ、「学問」です。
キサマ等が求めてるようなレスは帰ってきません
解ったらとっとと人生相談板にいって思考停止レス垂れ流してください。
↓人生相談@2ch掲示板
http://life.2ch.net/jinsei/
>>529 ただよう質問者 さん
>自らに降りかかる苦痛や困難等に囚われた状態だと思うからです。
だとしても、「正常な判断」にないとは思いませんが。
「正常」とはあくまでただよう質問者さんの基準での正常を意味している
のではありませんか?
(自らが自らの為に)死のうとしている人の例えは一つの極端な例であり
「他人の利益」や「正常な判断」は、最終的に主観的基準を免れないので
はないですか。
相手と基準に共通性があれば良いかもしれませんが。基準は普遍ではない
でしょう。
539 :
ただよう質問者:02/04/08 23:01
>>536 >以前の前提において定義であることには変わりないだろう。
だからこそ、前提が変わればと言っているのです。
そして、その前提は私の考える限り容易に変わりえると言うことです。
「その場にいうる者」だけをとっても、”その場(このスレ)”や
”いうる者(レスをつけるもの)”は、かなり流動的ですから・・・。
それにしても、”貴殿の結論”について私は、疑問を投げかけることはあっても、
否定できるものではない訳ですから・・・。
もっとも、その”貴殿の結論”から何らかの議論を求めておられるのであれば、
それについては、発言させていただく事があるかもしれません。
540 :
考える名無しさん:02/04/08 23:18
初めて哲学板来たんだけど、すげーなここ。
君達考えすぎ。
>>540 ・哲学を宗教か何かと勘違いしてる奴。
・恣意的な感情の神秘性に逃げて思考停止してしまう奴。
・道徳的常識的価値観現実観に依存して思考停止している奴。
・主観を客観視に近づけるために事の定義付けをしない奴。
哲学は科学と区別される。
存在論(形而上学)、認識論(論理学)
実践論(倫理学)、感性論(美学)などの部門をもつ、「学問」です。
キサマ等が求めてるようなレスは帰ってきません
解ったらとっとと人生相談板にいって思考停止レス垂れ流してください。
↓人生相談@2ch掲示板
http://life.2ch.net/jinsei/
542 :
考える名無しさん:02/04/08 23:40
>>540 というか、考える方向があさって向いてるんだよな。
543 :
ただよう質問者:02/04/09 00:41
>>538 memeさん
お気に障ったのでしたら大変申し訳ありません。そのようなつもりではありません。
私は、誰かの発言に対して非難や否定をしているのではなく、お尋ねしているだけです。
おっしゃるとおり、私は私の考えを述べているだけです。それ以上ではありえません。
また、主観性や客観性についても、言葉を介して行う限りに於いて、
本当にそれが可能なのかどうかさえ、私には確たる自信がありません。
>(自らが自らの為に)死のうとしている人
については、ちょっと強引な例えかもしれませんが、
立ちはだかる困難や苦痛を精神的にではなく、肉体的なものとして考えてみます。
例えば、指先に苦痛を伴う腫瘍を患ってそのまま放って置くと腕にまで広がるとします。
もしかしたら、そのままにしておいて将来治療方法が見つかる可能性もあるが、
現時点でそれを防ぐには指先を切除するしかないとすると、
そのことに対する重要性は人それぞれだと思います。
しかし、その苦痛や切除をする決断から逃れ、死を選ぶのは正常な判断ではない。
と考えているのです。私の「死」に関する考えは、こういうことです。
もしかしたらかえって解りにくくなったでしょうか。稚拙な文章ですみません。
自分以外の人間を単純に悪と決めつけ、だから死んでも仕方がない、
という受け取り方もできる。ハリウッド的な善悪二元論――。
「そういう単純な論理は、アルカイダやオウムに共通する本質なんです」
>543 ただよう質問者 さん
>お気に障ったのでしたら大変申し訳ありません。
いえ、私の書き方が拙く、そのように受け取られたのでしょう。
>立ちはだかる困難や苦痛を精神的にではなく、肉体的なものとして考えてみます。
その例えの場合、多分私も「正常な判断」ではないだろうと考えると思います。
私は
>>538のように思いますが、その意図することをただよう質問者さんに言葉
(や論理)で説明できるかには自信がありません。
何かを体験し、思うか思わないか、という非常に主観的なものだと思うので。
私はただよう質問者さんの定義を頭の片隅に、ただよう質問者さんは私の意見(
というほどのものはありませんが)を頭の隅っこにとっておいてなにか機会があっ
たらそれを手掛かりに考えればよいのではないか。と、そう思うわけです。
546 :
Aurelius:02/04/10 21:40
ああ、今日も阪神勝ってくれ。。。
よし片岡!でかした!
あ、とりみだしてしまいました。すみません
神は認識するから存在するのであり、
したがって神は認識であり、認識素のものが
神の存在の基盤であるように、今は見えることを私は示す
エックハルトの思想は、原始的な汎神論と異なり、古典的伝統に触れています。
つまり「離脱」した者は神と一つになるのであって、等しくなってしまうのではないのです。
出来事の同一性というものは、個別存在の差異を止揚するのではなく
どんな仕事においても、哲学的実験を試みる余地はある。
哲学研究が、低劣な労働に過ぎないケースもある。
学園紛争花盛りだったころ、ブルジョア的一流企業への就職を
拒否し、地にはいつくばって生きるのら、とその後頑張っている
人たちっているみたい。でも、ときどきプライドからかルサンチマン
からか、難し〜い言葉が出てくるのよね。わかる人わかって、感じで。
それは出来事の同一性であり、出来事の同一性とは
「存在構成要素として同一でないものが、
見るという出来事においては同一である」ということです。
また、集一作用とは
自由でなくてはならないのです。
無色、無形式という諸否定は、
純粋な否定の否定としての一つの否定性への傾向を持ちます。
さて、善性とはなんでしょうか?
神の慰めの書より、ですが
「聖アウグスティヌスは言っている
『これやあれやの善を止めなさい。
そうすれば汚れなき善性、己のうちに漂いながら
純粋な広がりの仲に存在する。それが神である』」
それは無私なる「離脱」の沈黙でもあり、無の無の境地ともいえるのではないでしょうか?
無は「離脱」の偉大なるエポケーに生きる人間にとって純粋な現象なのです。
つまりこういえることができると思います。
「形象が形象であるのはその他者のためであり、その源泉はそこになく
形象自身がその他者という方向において源泉となる」
(ツーアウトからフルベースってアホですか、阪神w)
善悪とは
周囲によって影響をうけた人間の状態の事。
たとえば御風呂に適温の御湯がある。人がはいれば心地よさ、疲れを癒してくれる
しかし温度を上げると人は焼けどするし、御湯が冷めると人は風をひく。
水も人も周囲の影響を受け、害になったり利を与えてくれる。
>>539 >だからこそ、前提が変わればと言っているのです。
〜
>否定できるものではない訳ですから・・・。
それがなぜ否定になるのかよくわらないな。
それらは単に「別のものである」に過ぎない。
最初に言ったように、「同じものに対する別の定義」は、本質的には存在しないだろう。
「別のものに対するそれぞれの定義」があるだけだ。
二つの前提において、それぞれの定義が違っていたとしても、
それらが同じものであるという主張がなされていたのでない限り、
それらは、別のものであるということであって、そこには否定されるべき
論述は存在しないのではないか?
>もっとも、その”貴殿の結論”から何らかの議論を求めておられるのであれば、
>それについては、発言させていただく事があるかもしれません。
私の結論は「あなたの定義」からの論理的帰結だよ。
自分にどういった関係があるのか、というのが、私の善に関する大きな関心の一つであるし、
同じような疑問を持つ人は私だけではないと思う。
だから、その点についての結論を「善悪とはなんですか?」とういう疑問文への
回答の一つとして示しているのだ。
もしも、この結論を導き出した論理の過程において、定義の解釈に誤解があるというのなら、
あなたの意見を求める必要があるが、何かそういった誤解はあるだろうか?
そういった誤解が無く、論理として矛盾が無いのならば、
あなたの定義する「善」についての一つの論理的結論として考えてよいのではないかね?
ニーチェ系の読本読め
550 :
考える名無しさん:02/04/13 20:10
善悪は自己申告によって誕生するものであり、
絶対的善並びに絶対的悪は絶対に存在しない。
551 :
考える名無しさん:02/04/13 20:51
善は絶対的なものである。
プラトンを読め。
552 :
考える名無しさん:02/04/13 20:56
知識の集積も大事だが、
馬鹿なりに知恵も使いな。
553 :
考える名無しさん:02/04/13 20:59
具体的に、絶対の善って何なんだ?
|善|
555 :
考える名無しさん:02/04/13 21:12
具体的じゃねえじゃねえじゃねえじゃねえ。。。
>>548 >それがなぜ否定になるのかよくわらないな。
私は否定できないと言っているし、否定しているつもりもありません。
>二つの前提において、それぞれの定義が違っていたとしても、
前提の流動性を言っている訳ですから、
前提の上での事をそんなに語って頂かなくていいです。
>回答の一つとして示しているのだ。
揚げ足取りと取られるかもしれませんが、「貴殿の結論」を回答と言うなら、
「回答の一つ」ではなく、「回答の一部についての一つ」だと思います。
また、スレのタイトルである「善悪とはなんですか?」の意味は、
善悪の定義が知りたいと言うことであることは、
>>1で言っている訳ですから、
求められている回答ではないように思います。
>そういった誤解が無く、論理として矛盾が無いのならば、
>あなたの定義する「善」についての一つの論理的結論として考えてよいのではないかね?
善に対する定義の結論ではなく、その後の発言から導かれた結論ではないのですか?
具は お湯を注ぐ前に、入れておくこと !
558 :
ただよう質問者:02/04/13 21:18
↑自己レス
上の発言は私です。名前が変になりました。
559 :
ただよう質問者:02/04/13 21:19
>>556 >私は否定できないと言っているし、否定しているつもりもありません。
>>532 における、
>前提が変わればこの定義も無効になる訳ですから、その結論も簡単に変わる訳ですね。
は否定じゃないのかね。
>前提の流動性を言っている訳ですから、
>前提の上での事をそんなに語って頂かなくていいです。
前提の流動性というのがどういうことなのかよくわからないな。
>揚げ足取りと取られるかもしれませんが、「貴殿の結論」を回答と言うなら、
>「回答の一つ」ではなく、「回答の一部についての一つ」だと思います。
そのことになんの意味があるのかよくわからないが。
>また、スレのタイトルである「善悪とはなんですか?」の意味は、
>善悪の定義が知りたいと言うことであることは、
>>1で言っている訳ですから、
>求められている回答ではないように思います。
もちろんそのとおりだよ。
だから、「スレへの回答」ではなく、
「善悪とはなんですか?」とういう疑問文への
回答といっているのだ。
>善に対する定義の結論ではなく、その後の発言から導かれた結論ではないのですか?
「定義の結論」というのがよくわからないが。
定義は議論の前提であって結論じゃないだろう。
前提として示された定義について論考した結論だよ。
前提が変わるというのは問題が変わるという事だろう。
違う問題がそれぞれ別の答えを持つのは、あたりまえのことであって、
ある問題の答えが、別の問題と違うからといって、
それが無効になるなんてことはありえないと思うが。
1+1=2
であるが、ここで、1に足す数を 「2」に変更すると、
1+2=3
となる、しかし、だからといって最初の問題の 2 という答えが無効になるわけではない。
異なる問題の別の答えが存在しているというだけのことだ。
563 :
考える名無しさん:02/04/13 22:01
564 :
考える名無しさん:02/04/13 22:53
善悪なんてあるわけないじゃん!!!!!
世の中最悪!!!!!!!
この、ばか!!!!!!!!(;;)
565 :
考える名無しさん:02/04/13 23:16
↑ 564 を救う 最善の方法は・・・
566 :
考える名無しさん:02/04/13 23:27
善悪なんてくだらない、やりたい事をやるだけさ
567 :
考える名無しさん:02/04/13 23:28
>>564 >善悪なんてあるわけないじゃん!!!!!
には胴衣
>世の中最悪!!!!!!!
>この、ばか!!!!!!!!(;;)
にはハア?
568 :
ただよう質問者:02/04/14 02:54
>>560 >は否定じゃないのかね。
否定ではありません。
>前提の流動性というのがどういうことなのかよくわからないな。
言い換えておきます。
前提が変わると言うことについて述べているので、
”二つの前提において”のことをそんなに語って頂かなくていいです。
>「善悪とはなんですか?」とういう疑問文への
>回答といっているのだ。
その疑問文の意味の解釈が違うのではないですかと言っているのです。
ここでのレスは、スレのタイトル(の意味)が大前提となっているのではないでしょうか?
そのスレタイトルの意味を無視するのであれば、ここで論じる意味も無くなります。
>>561 前提が変わると言うのは、
例として出された式のような場合だけでなく、
1○1=2
の時、上の式は正か誤か。(前提=このとき○は足すことを意味する。)とあって、
一般的にこの時の結論は正となる。しかし
(前提=このとき○は掛けることを意味する。)となると、この時の結論は誤となる。
このような場合、前提が変われば答えも変わることになります。
私は、前提とはこのような要素も持つと考えています。
例えば、この場でない場で善の影響について確たる論をお持ちの方がいれば、
前述の結論は、「善についての定義」と言う一つの前提を保った上であっても、
別の前提(影響について)のところで変わるように思いますが?
(念のために申しておきますが、否定ではなく疑問です。)
>>568 >否定ではありません。
では「無効になる」とういうのはどういう意味なのだね?
>>前提の流動性というのがどういうことなのかよくわからないな。
>言い換えておきます。
>前提が変わると言うことについて述べているので、
>”二つの前提において”のことをそんなに語って頂かなくていいです。
なるほど、前提を変えて議論することはよくあることだね。
>>「善悪とはなんですか?」とういう疑問文への
>>回答といっているのだ。
>その疑問文の意味の解釈が違うのではないですかと言っているのです。
>ここでのレスは、スレのタイトル(の意味)が大前提となっているのではないでしょうか?
>そのスレタイトルの意味を無視するのであれば、ここで論じる意味も無くなります。
無視しているのではなく、承知の上でその先の話をしているのだが。
この点については、
>>335 >>378 で、述べたように、スレの主旨からさらに進めて論じるとういうことは、
前もって説明したはずだ。
>
>>561 >前提が変わると言うのは、
>例として出された式のような場合だけでなく、
>
>1○1=2
>の時、上の式は正か誤か。(前提=このとき○は足すことを意味する。)とあって、
>一般的にこの時の結論は正となる。しかし
>(前提=このとき○は掛けることを意味する。)となると、この時の結論は誤となる。
>このような場合、前提が変われば答えも変わることになります。
>私は、前提とはこのような要素も持つと考えています。
同じことだよ、それらは、
1+1=2
1×1=1
という二つの問題のそれぞれ別の答えであって、
1×1=1 によって 1+1=2 という答えが無効になるわけではない。
演算子の意味を変えるということは、問題自体を変えることだろう。
当然、前後の問題の答えに特別な関連は無い。
>例えば、この場でない場で善の影響について確たる論をお持ちの方がいれば、
>前述の結論は、「善についての定義」と言う一つの前提を保った上であっても、
>別の前提(影響について)のところで変わるように思いますが?
>(念のために申しておきますが、否定ではなく疑問です。)
私は、「善」の影響について、「この場」という前提を設けたつもりはないが。
私が設けた前提は、「あなたの定義」について論じる、
ということだけだ。
場が変わったからといって、「あなたの定義」における「善」の
影響のありかたが変わるような要因は思いつかないが。
もちろん、「あなたの定義」とは別の定義による「善」について論じるならば、
当然別の結論になるだろう。
しかし、それは、「あなたの定義する善」と「別の定義による善」という
「別の事柄」についての「別の結論」であって、
その結論がどういったものであっても、
「あなたの定義する善」についての結論とは直接関係無いことだ。
570 :
考える名無しさん:02/04/14 21:12
善とは、愛
悪とは、苦痛
571 :
考える名無しさん:02/04/14 21:44
善とは、その人にとって都合のいい理念であり、反対に悪とはその人にとって
決定的に都合の悪い理念のことであると思う。
つまりバイキンマンにとってはアンパンマンが、オルグにとってはガオレンジャーが、
犯罪者にとっては警察が、勝手な正義を振りかざして邪魔をする悪なのである。
572 :
考える名無しさん:02/04/14 21:46
悪?悪とは敗者のこと。正義とは勝者のこと。
負けたやつが悪なのだ。
573 :
考える名無しさん:02/04/14 22:34
age
574 :
考える名無しさん:02/04/14 23:35
age
575 :
ただよう質問者:02/04/15 14:27
>>569 >主旨からさらに進めて論じるとういうことは〜
であれば、「善悪とはなんですか?」についての回答であるとしない方が、
言われる意味に誤解がないと思います。
>演算子の意味を変えるということは、問題自体を変えることだろう。
>当然、前後の問題の答えに特別な関連は無い。
そのように単純に、式に置き換えて別の式だと言われても同意できかねます。
前提の範囲の捉え方が決定的に違うように感じます。
>私は、「善」の影響について、「この場」という前提を設けたつもりはないが。
「善」の影響についてではなく、定義の成立条件としての「この場にいうる者」
についての確認です。
576 :
ただよう質問者:02/04/15 14:37
>>569 とは言え「貴殿の結論」は私にはあまり意味がないものであるし、
ここでスレタイトルとは別の事でやり取りするのは不適切ですから、
もうやめときましょう。
スレタイトルに沿う発言や質問が本来、望まれているはずですから・・・。
光が物と波の重ね合わせであるごとく
善は真と美の重ね合わせである
..と言ってみる試験電波
結論!!
昔の権力者が権威を守るために設けたもの。善が悪、悪が善でもある
以上!文句ある?
>>575 >であれば、「善悪とはなんですか?」についての回答であるとしない方が、
>言われる意味に誤解がないと思います。
だから、「善悪とはなんですか?」を持ち出す場合は、
必ず但し書きを書いているが。
>そのように単純に、式に置き換えて別の式だと言われても同意できかねます。
>前提の範囲の捉え方が決定的に違うように感じます。
現に別の式だが。
いったい、「○を掛けると解釈することにした『1○1』」と、
「1×1」という式の間に、問題としてどういった違いがあるというのだ?
「前提の範囲」というものが違うというなら、「感じる」ではなく、
ちゃんと論理として説明してくれないと、議論のしようがないが。
>「善」の影響についてではなく、定義の成立条件としての「この場にいうる者」
>についての確認です。
成立条件というより、この場で扱う定義についての前提ということだが。
>>576 >とは言え「貴殿の結論」は私にはあまり意味がないものであるし、
>ここでスレタイトルとは別の事でやり取りするのは不適切ですから、
>もうやめときましょう。
>スレタイトルに沿う発言や質問が本来、望まれているはずですから・・・。
自分にとって意味が無いと思うなら、
私が「定義は終わっている」と述べた時点で議論をやめればいいだろう。
私は、「スレの主旨からは逸脱するが、退屈でないならつきあってくれ」と、
ちゃんと断ったはずだ。
私にとっては、善について論じる意味は、
それが自分、あるいはそのほかの多くの人に、
どういった影響があるかであるから、この問題は意味のあるものだ。
また、そういった観点で興味を持つ人は無視できるほど少なくは無いと思う。
とりあえず、私の結論には、間違いがあるのか、ないのかについて
ちゃんと答えてくれないか。
あなたが興味を持たないのは勝手だが、
私の結論について、あなたは一度ならず反論しているわけだし、
その反論に対して私もきちんと答えてきたのだから、
この段階で「自分には意味が無い」という理由で、
議論を放りだすのはいささか不誠実だと思うが。
意味が無いのなら、私が最初に結論を示した段階で
「そういった議論は自分にとっては意味が無い」といって
議論をやめるべきだったのではないかね?
>>576 とりあえず、私の結論に間違いが無いことが明らかになれば、
私を含む「普遍的な影響」についての関心から「善悪」について考えている者にとっては、
「あなたの定義」は「影響があるかどうかよくわからない善」ということが明らかになるから、
以後、お互いにとって「意味の無いこと」について議論することを防ぐ意味で、
有意義だと思うがね。
582 :
考える名無しさん:02/04/15 19:49
>578の結論君へ
多用な価値観が存在するこの時代
例え結論が同じでもそれを出すまでの過程が異なるならそれは異なる2つの意見と見るべきじゃないのか?
583 :
結論 ◆NmBygXfQ :02/04/15 19:59
>>582 >結論が同じでもそれを出すまでの過程が異なるならそれは異なる2つの意見と見るべきじゃないのか
それを認めないと個を否定する事になるのでね。
>多用な価値観が存在
でも本質的には昔の人々と変わってないんじゃないかな。たとえば「お金、欲しいな」とか
「有名になるぞ!」とかね
584 :
考える名無しさん:02/04/15 20:03
俺が言いたいのは結論だけ書かずにどうしてそのような見解に至るかも書き込みなさいてことだよ
それとも「結論だけ書くな」と
俺も結論だけを書けばよかったのかな?
585 :
考える名無しさん:02/04/15 20:37
586 :
考える名無しさん:02/04/15 21:01
ごとくという言葉を使用しているので直喩と思われ
>>584 578は結論自体がぜんぜん間違っているから
別にいいんじゃないかな。
まあ、どこをどう考えれば、あんな明後日の
方向を向いた結論になるのか、興味本位で聞
いてみたい気はするが(藁
588 :
考える名無しさん:02/04/15 21:49
>>586 >光が物と波の重ね合わせであるごとく
>善は真と美の重ね合わせである
↑こっちはついてないけど
589 :
ただよう質問者:02/04/15 22:39
>>579-581 >私が「定義は終わっている」と述べた時点で議論をやめればいいだろう。
>私は、「スレの主旨からは逸脱するが、退屈でないならつきあってくれ」と、
>ちゃんと断ったはずだ。
貴殿のその時の発言は、
>>335 >私はさらに進めて「善人になろうとすること」について考えたい。
と言うことであり、スレの主旨から逸脱すると言う断りが無かったものですから、
延長線上にあるものと理解しておりました。
主旨を逸脱すると言う表現があったのは
>>386からですが、この時は、
>「善」というものが、我々の生活にどのようにかかわるかが知りたいのだが、
と言うご質問だった為、やはり延長線上にあると理解しておりました。
私は、これまでの発言の中で何度か言ったように主旨から外れると感じたときには、
そういう意味で確認してきたつもりでした。私が誤解していたようですね。
>とりあえず、私の結論には、間違いがあるのか、ないのかについて
>ちゃんと答えてくれないか。
そういうことを求められているとは知りませんでした。
私の読解力の無さをお許しください。失礼しました。
その「貴殿の結論」
>>536 に対して私が言えることは、
”現時点で”と言う言葉を付け加えていただければ、
おおむね現在の私の理解の範囲内であると考えます。
>意味が無いのなら、私が最初に結論を示した段階で
>「そういった議論は自分にとっては意味が無い」といって
>議論をやめるべきだったのではないかね?
最初の「貴殿の結論」が示された時点で、
私にとって意味があるかないかを読み取ることは出来ませんでした。
そしてその結論は前の発言でも言っているように、
定義からのみ導き出されたとは受け取れなかったので、
少なからず定義の後の私の発言(推論)から導き出されたと感じた以上、
疑問は示すべきであろうと考えてのことです。
以降のここまでの発言は、その流れから続いたものと理解しています。
前提の捉え方については、
敢えて同じ式(演算子)を用いて前提の違いによって違う答えが出るような例を示すことが、
説明となるのなら、次のような場合があります。
1+1=2(十進法による)
1+1=10(二進法による)
この○進法を前提、1+1=を定義、2または10を結論と考えるなら、
前提によって、同じ定義でも結論が変わると言うことになると思います。
これもまた、私の”前提”に対する捉え方が違うのでしょうか?
であれば、それこそ両者の捉える”前提”の考え方が違うと言うことではないでしょうか?
>>589 >
>>579-581 〜
>そういう意味で確認してきたつもりでした。私が誤解していたようですね。
いった言わないの話はばかばかしいのであまりしたくないので、
あなたがそう理解できなかったのなら、
私の方にも不備があったと考えよう。
>そういうことを求められているとは知りませんでした。
〜
>おおむね現在の私の理解の範囲内であると考えます。
あなたの理解の範囲無いであるかどうかを聞いているのではない、
間違いがあるかどうかと聞いているのだ。
「ない」、「ある、これこれだ」という答え方はできないのかね?
>最初の「貴殿の結論」が示された時点で、
>私にとって意味があるかないかを読み取ることは出来ませんでした。
あるかないかわからないのなら反論する必要はどこにも無いのではないか?
反論する以上、それは、あなたにとって、なんらかの意味があったということ
だろう。
もし、「意味があるのかないのかわからない」のに、
それを確認するために質問をするのではなく、
反論するのであれば、ただの揚げ足取りでしかないんじゃないか?
>そしてその結論は前の発言でも言っているように、
>定義からのみ導き出されたとは受け取れなかったので、
>少なからず定義の後の私の発言(推論)から導き出されたと感じた以上、
>疑問は示すべきであろうと考えてのことです。
>以降のここまでの発言は、その流れから続いたものと理解しています。
結論そのものがあなたにとって意味があるのかどうかわからないなら、
「定義からのみ導き出されたかどうか」などということは
どうでもいいことではないのかね?
なぜそんなことを問題にする必要があるのだね?
それで、定義からのみ導き出されたということは認めるのかね、
認めないのかね?認めないとしたらその理由は何だね?
>>589 >前提の捉え方については、
>敢えて同じ式(演算子)を用いて前提の違いによって違う答えが出るような例を示すことが、
>説明となるのなら、次のような場合があります。
>1+1=2(十進法による)
>1+1=10(二進法による)
>この○進法を前提、1+1=を定義、2または10を結論と考えるなら、
>前提によって、同じ定義でも結論が変わると言うことになると思います。
違うよ、
その場合の2(10進)と、10(2進)は同じ値であって、答えは同じだ。
同じ値を、それぞれ10進数、2進数ということなる表現形式であらわしているだけだ。
2進法、10進法というのは、値の表現方法であって、
数式が問題として扱っているのは数式を示す文字列そのものではなくて、値の方だから、
文字列表現が変わっても、値が同じなら、同じ問題、同じ答えだ。
>これもまた、私の”前提”に対する捉え方が違うのでしょうか?
>であれば、それこそ両者の捉える”前提”の考え方が違うと言うことではないでしょうか?
だから、あなたの「前提」というものがどういったものであるのか
説明してくれないとわからないね。
少なくとも私は、「前提」というのは問題の一部であると考えている。
だから、「違う前提による同じ問題」というものは存在し得ないと考える。
592 :
ただよう質問者:02/04/16 02:10
>>590 >もし、「意味があるのかないのかわからない」のに、
>それを確認するために質問をするのではなく、
>反論するのであれば、ただの揚げ足取りでしかないんじゃないか?
そんなことはありません。それこそ何度も言っていますが、
私は反論や否定ではなく、疑問を示したと言っているではありませんか。
「意味が無いことが解っている」ならともかく、解らないのですから、
発言のやり取りを行ってきた経緯から、その確認をするのは必然だと思います。
貴殿は意味があるかどうかわからない時、絶対に発言をされないのかもしれませんが、
私の場合、解らない時はその発言の内容や意図をを理解することでその確認を行うことがあります。
これらの理由から疑問を示し、質問をすることで理解しようとしたのです。
その結果、
>>548 の貴殿の発言で、
>だから、その点についての結論を「善悪とはなんですか?」とういう疑問文への
>回答の一つとして示しているのだ。
と言う発言によってその意図が解ってきたので、
私にとって意味があるのかどうかを知る為に、更に発言させていただいたのです。
結論に対する見解を示すにしても、
「前提」をどのように捉えているかを知る必要があると考えます。
それは、今回のやり取り全般において言葉に対するさまざまな違和感を感じていたためです。
私が、何度も否定や反論ではなく疑問を示しているだけであることを書いているにもかかわらず、
否定であり反論であると受け取られてしまっている訳ですから、
それが重要であると思うことを理解していただきたいと思います。
>「ない」、「ある、これこれだ」という答え方はできないのかね?
以上を踏まえていただいた上でお答えします。
>>536の結論は「間違いない」
>>592 >
>>590 >そんなことはありません。それこそ何度も言っていますが、
〜
>私にとって意味があるのかどうかを知る為に、更に発言させていただいたのです。
「あなたの結論が私の定義からのみ出されたものではなく、
私の推論の上で貴殿自身の推察に基づくものがあるのではないか?」
というあなたの疑問は、
意味があるのかどうか知るために、どういった意味があるのかね?
この疑問に関する答えがyesであろうとnoであろうと、
「普遍的な影響があるかどうか」という問題が、
あなたにとって意味の無いものならば、同じことだと思うが?
>結論に対する見解を示すにしても、
〜
>それが重要であると思うことを理解していただきたいと思います。
それで、すくなくとも、私の結論に関する議論について、
「前提」の問題は解消したのかね?
つまり、
「前提が違うのなら、違う問題、違う定義なのであって、
『あなたの定義』に対する、任意の問題の結論は一意に決定できる。」
という点については認めるのだね?
>>「ない」、「ある、これこれだ」という答え方はできないのかね?
>以上を踏まえていただいた上でお答えします。
>>536の結論は「間違いない」
わかった。
「以上を踏まえていただいた上で」が、
「前提が違うのなら、違う問題、違う定義なのであって、
『あなたの定義』に対する、任意の問題の結論は一意に決定できる。」
を認めるという意味を含むのであるのならば、
「あなたの定義する善」について私が述べることはもう何もない。
594 :
ただよう質問者:02/04/18 12:31
>>593 >意味があるのかどうか知るために、どういった意味があるのかね?
この時に貴殿が、
「その通りだ。私自身の考察を持って出した結論だ。これが私の最終目的だ。」
とでも言って頂けていればそこで終わりですよ。
その後の発言が必要ないことが確認できる訳ですから・・・。
繰り返しになりますが、もともと、定義以降のやり取りは、
貴殿が「善人になろうとすること。」について考えたいので、
「退屈でないなら付き合ってくれ」と言うことであり、その後、
貴殿が、「善」というものが、我々の生活にどのようにかかわるかが知りたい。
と言うことだった筈です。
つまり貴殿が、定義に基づいた私の発言を一つの参考として、
貴殿なりの考察によって結論を出し、それが議論の終了であることが解れば、
お付き合いしなくて良いことが確認できるのです。
また、これまでその結論を出すことが
貴殿のゴールであることを知る術もなかったわけですから、
その結論から更に、何らかの対話があるかもしれないとも考えるのが自然ですし、
そうなれば、その意図を知ろうとすることもまた当然ではないでしょうか?
何らかの対象について結論を出すことを目的として議論をするのなら、
予めそれを宣して論じることが、正常な議論の開始であると思います。
それは「知りたい」などと言う自身の欲求を表す表現ではなく、
例えば「共に結論を得たい(導きたい)」
または「結論を得るために論じ合いたい」等と言う表現でと言うことです。
それをせずに対話をして、いきなり結論を提示し、
その意図を知ろうとしている相手に、「認めるのか、認めないのか」
と詰め寄ることは、それこそ不誠実であると思います。
もともと貴殿が「知りたい」と思うことについて、貴殿なりの結論を得たなら、
それを提示する必要はない筈ですし、逆にその状況で提示された側としては、
そこから更に先がある、或いは何らかの意図があると考えるでしょう。
それは、そのことによって「結論」に対する判定が変わるのか
と言った問題ではありません。
もしその結論をもって、その先に何らかの論じる対象があるのなら、
その対象を論じる為の「定義」や「前提」となる訳で、
貴殿の言を借りればそれは示されるものであって、
「認める、認めないではない」事である筈だからです。
最後には
>>590 >いった言わないの話はばかばかしいのであまりしたくないので・・・
とはどういうことでしょうか。
定義について以降、これまで発言してきた経緯の発端となる重要な部分について、
しかも、本来「いった言わない」と言うことが、
議論を成り立たせる本質ではないのでしょうか?
貴殿のこの対応は誠実ですか?
595 :
ただよう質問者:02/04/18 12:47
>>593 >「以上を踏まえていただいた上で」が、
〜
>を認めるという意味を含むのであるのならば、
認めるという意味は含んでいません。前提に関する認識の違いは感じるものの、
少なくとも「貴殿の結論」に対してこのスレで答える上において、
現時点では明らかな問題が見つからないとしての答えです。
私には、「前提が違うのなら、違う問題、違う定義となる」事が
今のところよく解っていません。
それともこのような場合、「解らない」と答えた方がいいのでしょうか?
貴殿の前提に関する私の疑問について、別の例を出して見ます。
例えば今後、私もしくは誰か別の第3者が、
この場において私の定義に基づく「善」が普遍的に影響を逃れ得ない領域の存在を
証明し得たとします。
もちろん現時点で、それが実際に有る無いの問題ではなく、
前提や定義や結論の関係を考える為の一例です。
これを、貴殿の数式に当てはめた場合どのような状態になるのでしょうか?
この時、「その場にいるもの」と言う前提が変わったことにより、
「私の示した定義」は、違う定義になるのでしょうか?
それとも、前提も定義も変わらないが結論が変わることになるのでしょうか?
或いは、前提が変わったが定義が同じで、結論が変わると言うことでしょうか?
>>594 >この時に貴殿が、
>「その通りだ。私自身の考察を持って出した結論だ。これが私の最終目的だ。」
>とでも言って頂けていればそこで終わりですよ。
>その後の発言が必要ないことが確認できる訳ですから・・・。
その論理だと、逆にいえば、
「推論ではない、論理的帰結だ。」ということであれば、
意味があるということになるね?
その質問に意味があると主張できるのは、
「意味がある」という結論になる答えが想定できる場合だけだ。
そうであっても意味が無いのなら、どちらの答えであっても
意味が無いことに変わりは無いのだから、質問自体が意味が無いことになる。
実際、私は「推論ではない、論理的帰結だ。」ことを説明したし、
あなたはそうでないということを説明できていない、
では現在は「意味がある」ことになる。
どんな意味があるのかね?
>繰り返しになりますが、もともと、定義以降のやり取りは、
>貴殿が「善人になろうとすること。」について考えたいので、
>「退屈でないなら付き合ってくれ」と言うことであり、その後、
>貴殿が、「善」というものが、我々の生活にどのようにかかわるかが知りたい。
>と言うことだった筈です。
そうだね。
>つまり貴殿が、定義に基づいた私の発言を一つの参考として、
>貴殿なりの考察によって結論を出し、それが議論の終了であることが解れば、
>お付き合いしなくて良いことが確認できるのです。
あなたの定義を参考にしたのではない、
あなたの定義、それそのものについて論じたのだ。
仮に、その結論が議論の終了であったとしたら、
単に回答するだけでも、議論が終わるんじゃないだろうか。
回答をしないのなら、その結論が議論の終了であろうとなかろうと
議論は終わらないわけだから、その質問は、
早く終わるかもしれない議論を無条件に長引かせる意味しかないだろう。
>>594 >また、これまでその結論を出すことが
>貴殿のゴールであることを知る術もなかったわけですから、
>その結論から更に、何らかの対話があるかもしれないとも考えるのが自然ですし、
>そうなれば、その意図を知ろうとすることもまた当然ではないでしょうか?
なぜ、「結論」そのものでなく、意図が問題になるのかね?
私は、「「善」というものが、我々の生活にどのようにかかわるかが知りたい。 」
ということを明確に何度も言ったはずだ。
議論が長引いたのは、
単に「普遍的な影響は無い、あるいはあるかどうかわからない」
という結論について私が確認を求めただけなのに、
それにあなたが答えようとしなかったからだ。
>何らかの対象について結論を出すことを目的として議論をするのなら、
>予めそれを宣して論じることが、正常な議論の開始であると思います。
>それは「知りたい」などと言う自身の欲求を表す表現ではなく、
>例えば「共に結論を得たい(導きたい)」
>または「結論を得るために論じ合いたい」等と言う表現でと言うことです。
要するにあなたは、
最初に一方が一つの結論を示して、
それについて意見を言い合うという議論の仕方は認められない、
ということがいいたいのかね?
それほどめずらしいやりかたとは思えないが。
>それをせずに対話をして、いきなり結論を提示し、
私は、「「善」というものが、我々の生活にどのようにかかわるかが知りたい。 」
ということを明確に何度も言ったはずだ。
そして、結論についての確認を求めるということもハッキリ言っている、
それも何度もだ。
それを無視して明確な回答をせず、議論を長引かせたのはあなたのほうだ。
>その意図を知ろうとしている相手に、「認めるのか、認めないのか」
>と詰め寄ることは、それこそ不誠実であると思います。
意図がわからなければ、答えられないような質問ではないはずだ。
答えてから意図を聞くという順序ではなにか不都合があったのかね?
私は最初から「認めるのか、認めないのか」 などといっていたのではないはずだ、
私の立場からいえば、答えられない理由を示さないまま、
延々と回答を引き延ばすのに業を煮やしたに過ぎない。
>>594 >もともと貴殿が「知りたい」と思うことについて、貴殿なりの結論を得たなら、
>それを提示する必要はない筈ですし、逆にその状況で提示された側としては、
>そこから更に先がある、或いは何らかの意図があると考えるでしょう。
私が求めたのは「私なりの結論」ではなく、「この定義に対する論理的な結論」だ。
その定義を行った人に論理の確認を求めるのは当然のことだと思うが。
それにそれ以上の意図を求めようとするあなたの発想は不可解だ。
そもそも、そういった意図が仮にあったとして、
それを(回答を先延ばしにしてまで)先に知らなければならない理由が
どこにあるんだね。
>それは、そのことによって「結論」に対する判定が変わるのか
>と言った問題ではありません。
>もしその結論をもって、その先に何らかの論じる対象があるのなら、
>その対象を論じる為の「定義」や「前提」となる訳で、
>貴殿の言を借りればそれは示されるものであって、
>「認める、認めないではない」事である筈だからです。
「認める、認めないではない」のだから、それこそ問題は無いと思うが。
いったいどういった不都合が生じるというのだね?
>最後には
〜
>貴殿のこの対応は誠実ですか?
とりあえず、そういった揚げ足とりを執拗に行うよりは
誠実だと思うがね。
>>595 >認めるという意味は含んでいません。前提に関する認識の違いは感じるものの、
>少なくとも「貴殿の結論」に対してこのスレで答える上において、
>現時点では明らかな問題が見つからないとしての答えです。
>私には、「前提が違うのなら、違う問題、違う定義となる」事が
>今のところよく解っていません。
>それともこのような場合、「解らない」と答えた方がいいのでしょうか?
「前提が違うのなら、違う問題、違う定義となる」という表現は
ちょっと紛らわしい。
「問題の前提」と「定義の前提」は別のものだ。
・定義の前提が異なるなら違う定義である。
・問題の前提が異なるなら違う問題である。
・ある定義についての問題において、その定義は問題の前提である。
ということだ。
ある定義についての「問題の前提」が変わっても
その定義が異なるものになるわけではない。
もちろん、その問題にとっては、定義は前提なのだから、
定義の前提が異なれば(定義自体が異なる定義になるわけだから)違う問題になる。
だから、
>貴殿の前提に関する私の疑問について、別の例を出して見ます。
>例えば今後、私もしくは誰か別の第3者が、
>この場において私の定義に基づく「善」が普遍的に影響を逃れ得ない領域の存在を
>証明し得たとします。
>もちろん現時点で、それが実際に有る無いの問題ではなく、
>前提や定義や結論の関係を考える為の一例です。
>これを、貴殿の数式に当てはめた場合どのような状態になるのでしょうか?
私が示したのは数式でなく論理だが。
>この時、「その場にいるもの」と言う前提が変わったことにより、
>「私の示した定義」は、違う定義になるのでしょうか?
についていえば、
もちろん「ならない」。
>それとも、前提も定義も変わらないが結論が変わることになるのでしょうか?
>或いは、前提が変わったが定義が同じで、結論が変わると言うことでしょうか?
同じ定義についての異なる前提における異なった結論だろう。
「善は普遍的な影響力を持つといえるか」という問題の
「現在この場」という前提における結論は「わからない」だが。
「現在この場」という前提を変えるなら、これは別の問題であって
答えは変わりえる、しかし、そのことによって定義が変わるわけではない。
600 :
石川梨華 ◆RIKAwz.6 :02/04/19 01:31
age
601 :
ただよう質問者:02/04/19 03:11
>>596-599 >意味があるということになるね?
〜
>どんな意味があるのかね?
また、逆説ですか?
前にも書きましたが、そういうのも不信感を抱かせる一因です。
「意味がある」ではなく、「意味が無いことが確認できない」です。
結論の提示に、「意味が無い」と言えないとなると、
次はその内容や意図について理解する必要があると考えたまでのことです。
>単に回答するだけでも、議論が終わるんじゃないだろうか。
単に回答するとは、どういう回答のことをいっておられるのでしょうか?
貴殿に習って「なるほど」と言えばよかったのですか?
それは示された結論を十分理解できてからの事ではないのですか。
結論を出した時点で、議論を終了させる意思があるなら、
結論の提示と共に、なぜそう書かなかったのでしょうか?
>なぜ、「結論」そのものでなく、意図が問題になるのかね?
ここで言っている意図とは、それが一連の議論の終了と考えているのか、
そこから先に何らかの「知りたいこと」があるのかといったことです。
>私は、「「善」というものが、我々の生活にどのようにかかわるかが知りたい。 」
>ということを明確に何度も言ったはずだ。
ではそれが、最終議題であることをどこかで示されていたのでしょうか?
テーマは、それ以前も「善人になろうとすること」と言うものがありました。
しかも、「貴殿が知りたい」と言う対象が示されただけで、
議論の議題であることを明示されたと受け取れる表現は無かったと思いますが?
私は、議題が明確でなかった今回のやり取りは、
「議論」と言う言葉自体使いたくは無いのですが・・・。
>要するにあなたは、
〜
>それほどめずらしいやりかたとは思えないが。
問題をすり替えないで頂きたいと思います。
それでは、貴殿はどこかで何らかの結論を予め示されたのでしょうか?
>それを無視して明確な回答をせず、議論を長引かせたのはあなたのほうだ。
それを言うのなら、最初に
「最終的に善が我々にとって普遍的な影響を持つのかと言うことについて論じたい」
として、「先ずはこれこれについて」とテーマを提示すればよかったでしょう。
なぜ、別の表現を使う必要があったのですか?
それとも、「「善」というものが、我々の生活にどのようにかかわるかが知りたい。」
とすれば、誰でも「普遍的な影響についての結論」が最終目的であることを
察して当然とお考えなのでしょうか?
対話が進む中で、他の単語と同列に「普遍的」と言う単語を出して、
何度も「普遍的」と言っているとおっしゃりたいのですか?繰り返し使ったことを根拠として?
私には「普遍的」とそれ以外の単語との間に、明確な重要性の差異を見ることはできません。
こだわっている事を感じても、それが最終目的だと察することも困難です。
602 :
ただよう質問者:02/04/19 03:13
>>596-599 >意図がわからなければ、答えられないような質問ではないはずだ。
結論を共有するのであれば、その内容を十分理解する必要が有るのではありませんか?
その結論以降に何らかの対話があるなしは別としても、いいかげんな同意は出来ないでしょう。
貴殿は自覚されている事と思いますが、
これまでかなりシビアな質問を示して回答を求められているので、
適当に返事をすることの方が不誠実であると考えて発言しているのです。
それは、私なりの方法でアプローチを試みているに過ぎず、
それをもって、回答を引き延ばしていると感じるのであれば、
私の質問の仕方が悪く、私の意に反して誤解を招いたと言うだけの事でしょう。
>延々と回答を引き延ばすのに業を煮やしたに過ぎない。
次レス〜
>どこにあるんだね。
私の立場から言えば、
>>499 の後半で発言した理由と上記の動機により、
回答にあたり慎重にならざるを得ないと終始感じているためです。
>とりあえず、そういった揚げ足とりを執拗に行うよりは
>誠実だと思うがね。
上記の理由と同様であり、揚げ足取りのつもりはありません。
貴殿が
>>499の手法を、意識的にか無意識にされているかは解りませんが、
この理由を発言した時に、反論が無いからご理解いただいたと考えていいものか、
反論は無いが自身に当てはまらないと考えて無視したのか、それ以外の理由があるのか、
どう判断すべきかわからないままきているのです。
>私が示したのは数式でなく論理だが。
承知しています。理論に則した例としての数式に当てはめた場合と言う意味です。
>答えは変わりえる、しかし、そのことによって定義が変わるわけではない。
理解できました。有難うございます。
つまり今回の結論は、私の示した「善の定義」を前提として出された、
「現在この場」における「善が普遍的な影響力を持つといえるか」と言う問題の
答えであると言うことですね。
もし私の理解がまだ足りないなら指摘してください。
>>601 >>意味があるということになるね?
>〜
>>どんな意味があるのかね?
>また、逆説ですか?
〜
>次はその内容や意図について理解する必要があると考えたまでのことです。
一般論として「はっきりわからないから確認する」という理屈は成り立つね。
しかし、「普遍的な影響があるかどうか」はあなたにとって
「意味が無い」ということは最初から明確だったわけだろう?
そこで、「普遍的な影響があるかどうかはわからない」という結論について、
「意味が無いことが確認できない」と考えたというのは、
単純に考えてよくわからない。
「普遍的な影響」以外のことは私自身言ったつもりがないし、
文を見た限りでも、読み取れない。
どう考えれば、「普遍的な影響があるかどうか」という問題を
「自分にとって意味がない」とする者が、
この結論について、「意味が無いことが確認できない」と、
考えることができるのだろうか?
>単に回答するとは、どういう回答のことをいっておられるのでしょうか?
間違いがあるかないかだよ。
それしか聞いていないと思うが?
>貴殿に習って「なるほど」と言えばよかったのですか?
>それは示された結論を十分理解できてからの事ではないのですか。
示された結論の意味が理解できなかったのかね?
>結論を出した時点で、議論を終了させる意思があるなら、
>結論の提示と共に、なぜそう書かなかったのでしょうか?
「間違いがある」といわれたら、議論を続ける必要があったからだよ。
>ここで言っている意図とは、それが一連の議論の終了と考えているのか、
>そこから先に何らかの「知りたいこと」があるのかといったことです。
だから、回答を後回しにして、そのことを先に知ることで、
議論の進展に役に立つことがなにかあるのかね?
>ではそれが、最終議題であることをどこかで示されていたのでしょうか?
普通そういうことはしないだろう。
興味のある問題がでてきたら、さらに続けるかもしれないからね。
>>601 >テーマは、それ以前も「善人になろうとすること」と言うものがありました。
>しかも、「貴殿が知りたい」と言う対象が示されただけで、
>議論の議題であることを明示されたと受け取れる表現は無かったと思いますが?
>私は、議題が明確でなかった今回のやり取りは、
>「議論」と言う言葉自体使いたくは無いのですが・・・。
「知りたい」と言明することは、議題として示したことにならないのかね。
だとしたら、あなたは、私が何について話しているとおもったのだね?
>問題をすり替えないで頂きたいと思います。
別にすり変えてなどいないよ、それが同じ問題であることを、
あなたが受け入れられないというだけのことだろう。
>それでは、貴殿はどこかで何らかの結論を予め示されたのでしょうか?
「勝手に結論を出した」と非難しておきながら、
なんでそんなことを聞くのかね?
「あなたの示す善には、
重力のような普遍的な影響があるのかどうかわからない」
ということを、何度も、「結論」として明言したはずだが。
>それを言うのなら、最初に
>「最終的に善が我々にとって普遍的な影響を持つのかと言うことについて論じたい」
>として、「先ずはこれこれについて」とテーマを提示すればよかったでしょう。
>なぜ、別の表現を使う必要があったのですか?
>それとも、「「善」というものが、我々の生活にどのようにかかわるかが知りたい。」
>とすれば、誰でも「普遍的な影響についての結論」が最終目的であることを
>察して当然とお考えなのでしょうか?
>対話が進む中で、他の単語と同列に「普遍的」と言う単語を出して、
>何度も「普遍的」と言っているとおっしゃりたいのですか?繰り返し使ったことを根拠として?
>私には「普遍的」とそれ以外の単語との間に、明確な重要性の差異を見ることはできません。
>こだわっている事を感じても、それが最終目的だと察することも困難です。
「普遍的な影響」は「我々の生活への影響」への一部だろう。
それほど飛躍しているとは私には思えない。
あなたは「普遍的」という言葉が「我々の生活から乖離した
特別な意味を持っているとでもいうのかね?
(そもそも特別でないから普遍的というのだと理解しているのだが)
>>602 >結論を共有するのであれば、その内容を十分理解する必要が有るのではありませんか?
文の意図と、意味は必ずしも同じではないだろう。
意図がわからなければ意味がつかめない文もあるが、
すべての文がそうというわけではない。
そして、
「普遍的な影響があるかどうかはわからない」という結論には、
論理的におかしな点があるかないか。
という文は、意図がわからなければ文の意味がわからないという性質の文では無い、
といっているのだ。
>その結論以降に何らかの対話があるなしは別としても、いいかげんな同意は出来ないでしょう。
〜
>どう判断すべきかわからないままきているのです。
煎じ詰めれば、
適当なことをいうと、何を言われるかわからないから、
慎重に答えたというとだよね。
あなたがなぜ私をそれほど恐れるのかさっぱりわからないね。
あなたは、別に、嘘や詭弁で私を騙そうとしているのではなく、
自分が正しいと思うことを、正直に論じているのだろう?
何か間違えたのなら後から訂正すれば済むことだ。
私は、あなたが、訂正したことについて、それを拒否したことは無いはずだが。
>>私が示したのは数式でなく論理だが。
>承知しています。理論に則した例としての数式に当てはめた場合と言う意味です。
わざわざ「数式にあてはめた場合」に限定する必然性が理解できないが。
>理解できました。有難うございます。
>つまり今回の結論は、私の示した「善の定義」を前提として出された、
>「現在この場」における「善が普遍的な影響力を持つといえるか」と言う問題の
>答えであると言うことですね。
そうだ。
606 :
ただよう質問者:02/04/19 14:02
>>603-605 >しかし、「普遍的な影響があるかどうか」はあなたにとって
〜
>考えることができるのだろうか?
「普遍的な影響があるかどうか」の結論について、
この後論じる必要が無いとなったから意味が無くなったという事です。
その結論から更に、「何か」について発言する事になるなら、
理解する必要を感じると説明しています。
>間違いがあるかないかだよ。
〜
>「間違いがある」といわれたら、議論を続ける必要があったからだよ。
結論と共に、
「間違いが無ければ、これで終了する」旨を書けば理解できることです。
それが無いので、そこから別(先)のことについて
対話する可能性を残していると感じたと言っているのです。
>だとしたら、あなたは、私が何について話しているとおもったのだね?
貴殿の「知りたいこと」について、
私の示した「善の定義」に基づいた私の意見をもって、
「退屈ではない」のでお付き合いしたと言うことであり、
それは、必ずしも議論とは言えないでしょう。
逆に言えば、「普遍的な影響があるかどうか」について議論すると言うことだったら、
私は、それについて「議論」を成すだけの自分なりの充分な考察が出来ていない旨を
最初にお伝えできていたと言うことです。
>特別な意味を持っているとでもいうのかね?
「普遍的な影響」から「我々の生活への影響」を連想することは無理が無くても、
「我々の生活への影響」から発して「普遍的な影響」を連想し、
それを最終目的であると察するのが困難であることを言っているのです。
>という文は、意図がわからなければ文の意味がわからないという性質の文では無い、
>といっているのだ。
それは、貴殿がそう理解できると言うことであって、
誰もが理解できることではないと思います。
とは言え、
>>602 の最後の質問にお答えいただいたことで、
私はその意図が今充分に理解できたと思っています。
>煎じ詰めれば、
〜
>私は、あなたが、訂正したことについて、それを拒否したことは無いはずだが。
適当な同意は不誠実だと思うからで、恐れる恐れないの問題ではありません。
いいかげんな対応の為に度々訂正がでれば対話の進行に支障をきたすでしょう。
勿論、いくら慎重になったとしても間違いや誤解が生じる可能性はあります。
しかし、いいかげんであった為の訂正と、慎重でありながら生じた訂正では、
対話の進行に少なからず影響を与えるものと思っています。
更に、この質問やほかのことでも言えることですが、
例えば私が質問であると明記していても、反論や否定と受け取られたり、
また、一方の質問の核心(意図)と別のことに相手が長々と無用な説明をしてしまったり、
そういう事があるので、特に重要であると感じる質問については、
予め回答の前に充分意図を知る必要を感じるのです。
「結論」に対する同意となれば、特にそうなってしかるべきだと思います。
そして回答をしてから、
後からなんだかんだと言うのを繰り返すのも私は不誠実だと考えています。
裁判ではなく対話(議論?)なのですから、
「嘘偽り無く聞かれたことに対してだけ答えなさい。」ではないでしょう。
607 :
考える名無しさん:02/04/19 14:35
善悪は定義できません
それは複雑だからではなく、善悪などというものがないからです
だから強弱、美醜、損得、自然不自然などで考えるべきです
というのが私の結論
>>606 >「普遍的な影響があるかどうか」の結論について、
>この後論じる必要が無いとなったから意味が無くなったという事です。
>その結論から更に、「何か」について発言する事になるなら、
>理解する必要を感じると説明しています。
あなたの回答は、
同じ質問に対するものであっても、議論が続くかどうかで変わるのかね?
変わらないのなら、なぜ、回答に先んじて、それを知る必要があるのだね。
>結論と共に、
>「間違いが無ければ、これで終了する」旨を書けば理解できることです。
だから、普通そんなことはしないだろう。
あなたはするのかね?
>それが無いので、そこから別(先)のことについて
>対話する可能性を残していると感じたと言っているのです。
くりかえしになるが、
あなたの回答は、その先議論が続くかどうかで変わるのかね?
>貴殿の「知りたいこと」について、
>私の示した「善の定義」に基づいた私の意見をもって、
>「退屈ではない」のでお付き合いしたと言うことであり、
>それは、必ずしも議論とは言えないでしょう。
>逆に言えば、「普遍的な影響があるかどうか」について議論すると言うことだったら、
>私は、それについて「議論」を成すだけの自分なりの充分な考察が出来ていない旨を
>最初にお伝えできていたと言うことです。
では、私がその点について最初に触れたとき、何故、
そういわなかったのだね?
>「普遍的な影響」から「我々の生活への影響」を連想することは無理が無くても、
>「我々の生活への影響」から発して「普遍的な影響」を連想し、
>それを最終目的であると察するのが困難であることを言っているのです。
そんなことは求めていないが。
>それは、貴殿がそう理解できると言うことであって、
>誰もが理解できることではないと思います。
>とは言え、
>>602 の最後の質問にお答えいただいたことで、
>私はその意図が今充分に理解できたと思っています。
では、意図が理解できることによって、
理解がどのように変わったというのだね?
>適当な同意は不誠実だと思うからで、恐れる恐れないの問題ではありません。
〜
>予め回答の前に充分意図を知る必要を感じるのです。
必要以上に慎重な態度も却って対話の進行に支障をきたすとは思わないのかね?
>「結論」に対する同意となれば、特にそうなってしかるべきだと思います。
私は結論に同意を求めたのではない、論理的に誤りが無いか確認を求めただけだ。
>そして回答をしてから、
>後からなんだかんだと言うのを繰り返すのも私は不誠実だと考えています。
それはあなたのことだね。
>裁判ではなく対話(議論?)なのですから、
>「嘘偽り無く聞かれたことに対してだけ答えなさい。」ではないでしょう。
もちろんそのとおり、だから、そこまで神経質になる理由が
私には理解しかねるね。
てふてふ と解く。
>>607 善悪が定義できないのなら、なぜ、それが「ない」ということがわかるのだね。
611 :
わんにゃん企画(謎):02/04/19 16:50
nature status
612 :
考える名無しさん:02/04/19 16:50
村上春樹は「悪」や「影」がないと
深みのある物語はかけない
といっていたな。
613 :
わんにゃん企画(謎):02/04/19 16:54
..というわけで、「異端の英雄」を挙げ。
興味があれば、検索してみるよろし。
・・
615 :
考える名無しさん:02/04/19 18:54
となると、日曜夜の某番組は、かなりスレスレのネタをやってるんだな とおもわれ。
616 :
ただよう質問者:02/04/19 20:20
>>608 >同じ質問に対するものであっても、議論が続くかどうかで変わるのかね?
>変わらないのなら、なぜ、回答に先んじて、それを知る必要があるのだね。
また繰り返さなければならないようですね。
議論が続かない=敢えて回答する意味が無い。
議論が続く=示された結論に対して理解しなければならない。
以前の質問から、この流れを理解していただけると思っていましたが?
>あなたはするのかね?
自分の「知りたいこと」について、誰かに付き合って頂いたら、
お礼と共に、その旨伝えますよ。
>そういわなかったのだね?
理由@私自身がこれを「議論」であると認識していなかった。
理由A貴殿の言われる「重要である(≒普遍的)」ことについて発言があったとき、
私は
>>496 で答えています。その上で質問されたのではないのですか?
(「重要である(≒普遍的)」については、貴殿が
>>498 で説明されています。)
>理解がどのように変わったというのだね?
私は、変わったとは言っていない筈ですが・・・?
不明だったことについて理解できたと言っているのです。
それは、どういう状態(条件や内容)を前提として
提示された結論であるかと言うことです。
>必要以上に慎重な態度も却って対話の進行に支障をきたすとは思わないのかね?
貴殿は自身の発言に対して、その真意を把握した上で言われている訳ですから、
私が理解できない為に質問することを「必要以上」と感じるのかもしれませんが、
私は出来るだけ、私が必要だと感じる範囲内で質問しているつもりです。
とは言え、私の未熟さが話題の本質を外れることもあるでしょうが、
おそらくその理解の違いの表れが、
>>535 の<蛇足>の部分なのでしょう。
>私は結論に同意を求めたのではない、論理的に誤りが無いか確認を求めただけだ。
それについても同様です。適当な返事は不適切でしょう。
>それはあなたのことだね。
回答を先送りにするいっておきながら、それは無いでしょう。
それこそ、揚げ足取りと感じますよ。
>もちろんそのとおり、だから、そこまで神経質になる理由が
>私には理解しかねるね。
理解できない事を全て否定(拒否)されるのですか?
それは別にしても、
慎重、臆病、神経質etc<どのように取るのかは主観の違いだと思います。
俺が善といえば善、悪といえば悪。それ以外は認めない。
カスども、俺に従え。
>>616 >また繰り返さなければならないようですね。
>議論が続かない=敢えて回答する意味が無い。
>議論が続く=示された結論に対して理解しなければならない。
>以前の質問から、この流れを理解していただけると思っていましたが?
わけがわからないね。
続かないなら答える意味が無いというのかね?
議論を続けるためには理解が必要な質問
(つまり、その時点では充分に理解できていない質問)について、
なぜ、「議論が続かない=敢えて回答する意味が無い。 」
などという判断が下せるのだね?
>自分の「知りたいこと」について、誰かに付き合って頂いたら、
>お礼と共に、その旨伝えますよ。
それは随分と几帳面だね。
>理由@私自身がこれを「議論」であると認識していなかった。
じゃあ、なんだと思っていたのかね?
>理由A貴殿の言われる「重要である(≒普遍的)」ことについて発言があったとき、
>私は
>>496 で答えています。その上で質問されたのではないのですか?
>(「重要である(≒普遍的)」については、貴殿が
>>498 で説明されています。)
>>496 であなたが、「わからない」といったこととは、
「善について語っている人たちの動機」だろう。
>>498 で私は、それが、私の想定した「重要性」とは違うといっているし、
そういった「重要性」という言葉の認識の齟齬があるから、混乱を避けるため、
「重要性」という言葉を使うのを控えるといっているよ。
その上で、「なぜ考えるか」ということではなく、「普遍性」ということを
問題にしているのだ。
>>616 >私は、変わったとは言っていない筈ですが・・・?
〜
>提示された結論であるかと言うことです。
それを不明とあなたが考える事自体、私にとっては不可解だし、心外なことだ。
その点は、定義の問題の段階で、最初に示した前提となんら違っていないはずだが。
なぜそれを私が黙って勝手に変えると考えたのだね。
私は、議論するうえで、それを断りなく変えないというのは
当然のことだと思っていたし、そのために細心の注意を払ってきたのに、
あなたはどうしてそれを疑うのだ?
>貴殿は自身の発言に対して、その真意を把握した上で言われている訳ですから、
>私が理解できない為に質問することを「必要以上」と感じるのかもしれませんが、
>私は出来るだけ、私が必要だと感じる範囲内で質問しているつもりです。
最初の前提を、私が断り無く変更したのではないかといちいち疑うことは、
必要最低限の質問なのかね?
>回答を先送りにするいっておきながら、それは無いでしょう。
>それこそ、揚げ足取りと感じますよ。
回答を先送りにしていたのは事実だろう、
私は「回答が得られないから、繰り返し回答を求めた」だけであって、
その後
「回答をしてから、
後からなんだかんだと言うのを繰り返」しているのはあなたのほうだ。
>理解できない事を全て否定(拒否)されるのですか?
「私には理解できない」といっただけだが、
あなたにとっては、「理解できない=否定(拒否)」なのかね?
>それは別にしても、
>慎重、臆病、神経質etc<どのように取るのかは主観の違いだと思います。
それはまったくそのとおり。
だから「私には」と断りをいれている。
620 :
かなたん○。.:02/04/20 02:44
>>617 前半部分承認。
後半にてDQN認定。
よって、晒す。
621 :
考える名無しさん:02/04/20 12:32
善・・・愛
悪・・・憎
622 :
考える名無しさん:02/04/20 12:34
善悪じゃ紛争は解決できない
623 :
ただよう質問者:02/04/20 19:14
>>618-619 結局、貴殿はこのやり取りで、
@何の為に
A私に対して何を求めて
おられるのでしょうか?
貴殿の理解できない疑問に全てきちんと答えよと言うことですか?
私の質問に答えているだけであると言うことですか?
貴殿は、「私は、知りたいと思う」と示すことで「議論」を始めたとし、
私は、「貴殿が知りたいと思うこと」について、私の示した定義に基づく
私の意見を求めているだけと感じていたと説明しているのですが、
この私の理解不足に腹を立てておいでなのですか?
出来れば今後の参考の為に「議論」と、そうでない「会話・対話」等と、
どこで区別するべきだったのかを教えていただけないでしょうか?
或いは、この理解不足から結論の提示を対話の終了と確認できたことで、
「私にとって意味が無い」と考えそう発言したことが、
貴殿が「議論」と考えているにもかかわらず、
この対応が相応しくないとしてお気に障ったのですか?
それとも、結論の提示があった時点で「間違いがあるかないか」
の確認を求められていることが理解できなかった私が、
悪いのだと言うことですか?
定義を明らかにすると言う段階で、
前提の考え方も含めて私が質問をしていた時に、
とりあえず先に進もうと言う貴殿の提案にしたがって、
保留にしたままやり取りを続けたことがそもそもの間違いであり、
今になって確認することは、誰が考えても「疑っている」、
若しくは、「変えたと考えている」と言うことですか?
或いは、別の事や若しくは全てが気に入らないと感じておられるのですか?
解らないので教えてください。
(念のため、「議論」のつもりではありません。)
ちなみに、「質問」と「反論」「否定」の区別の仕方を示していただければ、
ありがたいです。(流れからだけで判断するのが難しいので。)
質問が多くなってしまいましたので、
全てに一度にお答えいただかなくても結構です。
また、気が向いた時に上から順番にでも教えていただければ有り難いと思います
624 :
考える名無しさん:02/04/20 20:37
善とは公共の福祉にとって有益なことをいい、正義とも言う。
悪とは公共の福祉にとって有害なことをいい、不正義とも言う。
公共の福祉って、何だよ。
それにとって、益があるとか害があるとか、
どんな基準で判断するんだよ。
626 :
考える名無しさん:02/04/20 21:05
>>625 公共の福祉とは人々の幸福のことをいいます。
人々の幸福に益するか害するかという
いわゆる最大多数の最大幸福の快楽計算は難しい問題ですね。
どうやって計算するかという具体的な構想はありません。
心理学や経済学など
様々な学問分野から知見を出し合うことが必要になってきますね。
>>623 >結局、貴殿はこのやり取りで、
>@何の為に
>A私に対して何を求めて
>おられるのでしょうか?
>貴殿の理解できない疑問に全てきちんと答えよと言うことですか?
>私の質問に答えているだけであると言うことですか?
@善について知るために
A善についての私の疑問に答えてくれることを求めて
いるのだよ。
なぜそんなことをいまさら確認する必要があるのだね?
>貴殿は、「私は、知りたいと思う」と示すことで「議論」を始めたとし、
〜
>若しくは、「変えたと考えている」と言うことですか?
ハッキリ言う、私が不快に思っているのはあなたが挙げたどれでもない。
私が不快に思っているのは、
「あなたが私を疑い、言明していない悪意をあなたに対して抱いているという
邪推のもとに、意味の無い質問を繰り返し、その質問を、
議論(対話)本体よりも優先すること」
だ。
あなたが挙げた数々の「気に障った」のではないかと言う疑いは
私にとってどれも。言った覚えの無い見当違いのものでしかない。
むしろ、そういった疑念いちいち抱き、こちらにありもしない疑念を解消する
努力を強要するあなたとまともに話すことに
困難を感じるということだ。
>ただよう質問者さんへ
一応、これまで付き合ってもらった義理があるので
付き合ってきたが、これ以上あなたの相手をするのは
正直勘弁させてほしい。
あなたが私を信用できないということはよくわかったから、
別の信用できる相手と対話なり議論なりをしてくれ。
わたしが、どんなに真摯に話しても、あなたはその裏の
真意を疑うだろうからね、
そんな相手と会話するのは不快以外のなにものでもない。
629 :
考える名無しさん:02/04/20 22:17
善とは、みなさんご承知の通りよい行いである
悪とは当然悪い行いである
こんな事に疑問や不思議を感じるあなた達は
本当の意味での子供なのです
だから好きです。
630 :
考える名無しさん:02/04/20 22:38
善悪の定義っちゃなに?
もともと漠然としたものがあって、そいつを指して「善」「悪」と
言ってみただけじゃないの?
理論的な学問が成立するより先にできてそうな気がするが。
何も法律みたいに定めたモンじゃあるまい
善悪といっても考え方はいろいろあります。
自らの道徳心とでも言うものにのっとり、行うことによって満足を得られるような
「内面的な」善悪
行為からはじき出される結果のみに注目し、感情的なものが一切含まれない
「外面的な」善悪
上手い具合に折り合いをつけて「社会的に」認められる正義を行ってくださいな。
631 :
ちょっと聞いてみよっと:02/04/21 01:42
よく聞く 「最悪」 ってなんだろ?
最も悪い。てか。
最もってことは、相対論だろな。こういうとき、人間は
得体の無い、量だかなんだかを計算しているんだろうか。
632 :
考える名無しさん:02/04/21 01:45
善・・・・死
悪・・・・生
>120さん
舌足らずでした。
善悪はないといったのは、善悪には実体がないと言いたかったのです。
それは単なる言葉ないしは評価でしかないと。
一般用語としては。
なぜ、ないということがわかるか。
この問いに対して正面から答えることはできません。
実質的に定義できない以上は。
しかし、こういう観点から考えるのはいかがでしょうか?
善悪は何のために論じるのか?
それは生きる指針とするためではないでしょうか?
とすると、人によりいかようにも定義しうる善悪というものを
生きる指針とするのは有益ではない。
故に、論じる必要はなく、
したがって、正確な表現ではないが、ないといっても差し支えないと。
そして、善悪よりも、意味のはっきりした指針が
>>607のあれです。
ちょっと哲学じゃなかったかもしれませんが、
目的的な論理という観点からの考察でした。
と今更age
635 :
考える名無しさん:02/04/25 10:06
正義=他者肯定
>>634 善悪は「人によりいかようにも定義しうる」ものであるとしたら、
なぜ、善悪を論じるのは、「生きるための指針とするためである」、
ということがいえるのだね?
人助けをしない奴は、悪い奴。
638 :
考える名無しさん:02/05/01 19:04
ゴキブリこそが悪。
本当に醜い。
どんな嫌いな人でもゴキブリよりはマシかな。
ゴキブリを見た夜なんか、
「ゴキブリの存在意義は"悪の何たるか"を示すことなんだ」
とか結構本気で思ったりするんだが・・
淘汰されずにずるずる生き延びることがどんなに嫌らしいかを象徴してるよ、
あの形と動きは・・
・・くだらなsage
640 :
考える名無しさん:02/05/03 17:46
>>639 ゴキブリにとっては容赦なく仲間達を虐殺する人間こそが悪
ブリちゃんは、とても 人見知りをする、恥ずかしがり屋さんなのです