今の日本ではびこっている一番大きな誤りの一つに
「数学は一階述語論理上の公理系として実現できる」
というものがある。
このような誤りを盲信する連中には、数理哲学の意味は
理解できないだろう。ゲーデル以降の数理哲学は、
「では、一階述語論理上の公理系として実現できない
数学はいったい何なのか?」
を問うているのだから。
60 :
考える名無しさん:02/02/16 12:23
>クワインが数学者として認知されてるなんて聞いたこともないよ。
君が知らないだけ。ふつー、mathematician and philosopherとして紹介されとるぞ。
日本で、じゃなくてアメリカで調べれ。
だいたい、NF,ML,クワイン=マクラスキー法のどこが哲学だ。
62 :
考える名無しさん:02/02/16 12:26
クワインってプラグマティストじゃないの
>>57 別な分野なのは当たり前。俺が言いたいのはそこじゃないんだが?
64 :
考える名無しさん:02/02/16 13:34
>>60 じゃあ何か数学者としての業績ある?
また、その業績は数学者の間で一般的に認知されてる?
アメリカでそういう風に紹介されてると言われても、漠然としててわからない。
アメリカのどこで?
もちろんその人のやってることを数学と「解釈」するのは勝手だけど、
彼を「数学者」と呼ぶのは、どうかな?
数学の研究者というのはある程度の基準に沿って、具体的に存在するわけだから。
>>64 俺の書いた
>>60 をちゃんと読んだのか?NF,ML, クワイン=マクラスキー法
は数学者としての業績じゃないのか?ちょっと昔の Axiomatic Set Theory
の教科書のrefarance に大抵 Quine の Mathematical Logic(1940) が入っ
てるのは数学者の間で一般的に認知されてるっていわないのか?
それとも、Axiomatic Set Theoryは数学じゃないって言いたいのか?
論理回路の教科書にしょっちゅう載ってるクワイン=マクラスキー法は
一般的に認知された数学の業績じゃないのか?
>アメリカのどこで?
google でひくなり、アメリカの人名辞典でひくなりしろ。いくらでも出てくる。
>数学の研究者というのはある程度の基準に沿って、具体的に存在するわけだから。
そういう漠然な基準でなくて君の定義を言ってみろ。俺は、数学書や
理工学書で頻繁に参照されたり記述されたりする本、論文、数学的手法を
発表し、数学の学会誌に論文を投稿し、載ることもある人は、数学者と
認識しても何も間違いがないと思うが?君の定義は違うのか?
1934. A Method of Generating Part of Arithmetic without Use of Intuitive Logic in Bulletin of the American Mathematical Monthly (October 1934), 40(10): 753-761
1936. Definition of Substitution. in Bulletin of the American Mathematical Society (August 1936), 42: 561-569
1937. New Foundations for Mathematical Logic. in The American Mathematical Monthly (February 1937), 44(2): 70-80
1952. The Problem of Simplifying Truth Functions. in American Mathematical Monthly (October 1952), 59:521-531
1955. A Way to Simplify Truth Functions. in American Mathematical Monthly (November 1955), 62: 627-631
1959. On Cores and Prime Implicants of Truth Functions. in American Mathematical Monthly (November 1959), 66:755-760
1961. A Basis for Number Theory in Finite Classes. in Bulletin of the American Mathematical Society (July 1961), 67: 391-392
1964. (with Hao Wang.) On Ordinals. in Bulletin of the American Mathematical Society (March 1964), 70: 297-298
これだけ書いて、数学者としての業績があるのか
とか言われたら Quine 先生も浮かばれないだろう。
森毅よりよっぽど書いてるぞ(笑。
>Axiomatic Set Theory
僕はこれについて知らないし、集合論も教養程度しか知らない。が、集合論に携わる人間が全て数学者ではないでしょう。
同様に、解析の研究に携わる人間が全て数学者なのではない。では、数学者の定義は何か。
>>数学の研究者というのはある程度の基準に沿って、具体的に存在するわけだから。
>そういう漠然な基準でなくて君の定義を言ってみろ。
よく読んでないのはあなたの方じゃない?僕は当たり前のこと言ってるだけだよ。
数学者というのは、数学科の教授だよ。(他学部にいる人もいるが)
それから、あなたのいう「学会や学術誌で論文を発表できる人」というのもその通りだ。
ただし、例外がある。例えば、経済学関係の人が数学の学術誌に投稿することもあるが、
彼らは数学者じゃない。なぜなら、数学・隣接分野に関する一般知識が欠けてるから。
そもそも彼ら自身、数学者と名乗ろうとはしないけどね。
ゲーム理論や非線形計画法の研究をしてる経済学者のことを「数学者」とは呼ばないでしょう?
それと、この人は数学博士号は持ってるわけ?アメリカならなおさらだけど、
博士号を持たない数学者なんてほぼゼロだよ。(もちろんこれも例外があるけど)
確かに論文8編書いてれば博士号はとれるし、講師ぐらいにもなれるけど・・・
ま、数学科の講師になれるんだから数学者なんだ、って言うなら理解できるけど。
で、数学者の定義として3点ほど述べたけど、試しにこれらのうちいくつを満たしてる?
僕は数学科で、クワインという名前はこの板に来て初めて聞いたので、自分の違和感を述べたまでです。
少なくとも、「ライプニッツは数学者である」というのと同じ意味で、「クワインは数学者である」と言うのは、ムリがあると思いますが。
もしほんとにちゃんとした数学者ならば、謝ります。
68 :
名無しさん@1周年:02/02/16 16:48
クワインを哲学者・論理学者とはいうけれど、数学者か??
彼の数学に関わる業績の中で、論理学とオーバーラップしないものってある?
数学ともみなせる領域の問題をも扱った論理学者というところが穏当な評価ではないか?
>>67 >僕は数学科で、クワインという名前はこの板に来て初めて聞いたので
それは貴様に教養がないからだろ。
もっとも教養がないのは貴様だけじゃない。
日本の大学の理系で漫然と生きてるだけなら、
教養を得るチャンスはない。
>数学者というのは、数学科の教授だよ。
>この人は数学博士号は持ってるわけ?
やれやれ。日本が「世界」だ、というバカにもこまったものだ。
アメリカじゃ、数学でもPh.Dだ。それに所属がまたがってる
教授なんていくらもいる。アメリカじゃ学科なんてそれこそ
便宜上のものでしかない。
日本でロジックが栄えないのは、縦割セクト主義が
ロジックの研究には不適切だからだ。もちろん、
このような逆境の中でも研究している人はいるし
そのような人には頑張ってほしいが、一方で、
明治時代以来の下らぬ伝統を、何等反省すること
なしに口にするバカが、日本の「痴性」を増進
させているのには腹がたつ。
>>68 ロジックは数学ではないといいたいわけか。
しかし、ロジックが数学だとか数学でないとかバカなことで
あらそっているのは、貴様等くらいだろうよ。
いったいそんな区分立てをすることにどれほどの知的意味があるんだ?
71 :
名無しさん@1周年:02/02/16 17:05
>いったいそんな区分立てをすることにどれほどの知的意味があるんだ?
ないよ。
たんなるゴシップ趣味。
>>この人は数学博士号は持ってるわけ?
>やれやれ。日本が「世界」だ、というバカにもこまったものだ。
>アメリカじゃ、数学でもPh.Dだ。
>67は日本の学位システムで考えていたのか。君のおかげで>67の誤解が
理解できた。ありがとう。
Docter of Mathematicsなんて学位を出す主要大学があるのかと思ったよ。
>>出張さん
あなたの、感情のにじみ出たレスを相手にする気にはなれない。
>>71 「数学博士」という言葉は誤りでした。文脈上は問題ありませんが。
もちろん、日本でも「理学博士」です。
1に対する答え A. うん
ふう、お仕事からやっと帰ってこれたら、恥ずかしい64の恥ずかしい
レスポンスが。
>>72 はあ?俺のレスは、
>>66 でおしまいで、その後の
>>69 は俺じゃないんだけど?
なにいってるの???「感情のにじみ出たレス」って、きみの
>>67 の負け惜し
みじみた恥ずかしいレスも相当なのにね。
>>67 >よく読んでないのはあなたの方じゃない?僕は当たり前のこと言ってるだけだよ。
よくよんでなく、かつ、俺が指摘してあげた業績について調べてもいない
のはきみだ。大体君の書き込みに、よく読むほどの内容はない。
だいたい、何年生か知らないが、自分の専攻してない分野での
著名な数学者の名前なぞ知らないのは、当たり前といえば当た
り前だが、謙虚になればいいものを、こうまで増上慢な態度を
とるのはいかがなものか?
大体、俺が言ったように google で調べたのか?
http://www.wvquine.org/ をみなかったのか?彼のことを「 mathematician and philosopher」と
紹介してあるのが目に入らないのか?君の非現実的な「数学者というのは、
数学科の教授だよ」という定義よりも、アメリカでは一般にそう理解され
ているという現実を受け入れるべきだと思うが?
76 :
考える名無し:02/02/17 01:40
64は数学科なのか。数学科でも専門でない場合、集合論て教養程度にしかやらんものなの?よく知らないんだが。64の専門分野はどこなんだ。
>>76 集合論は教養程度にしかやらないよ。とくに、Axiomatic Set Theory は、
基礎論専門でないと扱わないでしょう。だから、64君が基礎論専攻でな
ければ、Kleene とか Cohen とか Zermelo とか Gentzen とかの名前を
聞いたことがなくても恥ずかしくも何ともない。聞いたことないから、
数学者じゃないとか言い出さない限り(笑
>基礎論専攻でなければ、
基礎論専攻でもQuineとかPutnumとか聞いたことなさそう(笑)
79 :
考える名無しさん:02/02/18 03:40
数学科でて哲学者としても知られてる学者は知っている。
でもその逆は殆どいない。
これが本質だと思うぞ
誰だよ、このスレ立てたのは。
哲学板住民のアフォさを露呈する結果になったね(プ
さらっとレスに目を通したけど、特に純丘がイタすぎる。
>微積分が時間か?
> すると、球の体積も時間ということになるが。
>
>微積分などを持ち出すまでもなく、
> 15分の4倍は、1時間、というように、
> 数学で時間を処理することはできるにきまっている。
> だが、数学そのものに時間順序がない、ということは変わるまい。
>
>よく理解せずにレスすると、
> おのれの程度をさらすだけだぞ。
>
解析の勉強でもして一から出直したらどうですか?
元来、数学と哲学の違いはなかった。そして相関はあるとおもうが
カテゴリーとしては今はわけられている。
82 :
考える名無しさん:02/02/18 07:29
科学が哲学から逃げ出した。
哲学者って数学も医学もやるものだよ
あの頃は良かった
カントの『純粋理性批判』なんかにも書いてあるよね。
数学と哲学の違い。
86 :
考える名無しさん:02/02/18 13:24
>>67 PhDでも専攻数学なら数学博士でしょ。
欧米では博士ってほとんどPhDじゃないの?
PhPsy PhSciとかやってる大学少ないし
数学専攻のPhD holderは皆数学博士と定義されてるよ
88 :
ただの厨房少年:02/02/18 17:42
「哲学」と「数学」の違い?
数学は「1+1=2」は疑いもなく正しいとされます。
つまり全く等しい「1」と「1」が足されて「2」と言う固有の数値概念になるわけですよ。
それが前提となっているわけですね。
だいたいこの世に完全に等しい物なんて存在しないわけです。(空間的・時間的に考えてみれば明らかでしょ。)
その存在しないものを、人間の概念上あたかも存在するように’仮定’して、
「1」と「1」を足すと「2」になると言う結論を導くのが数学ですねぇ。
(だからって意味ないとは言ってないですよ。実際問題これを仮定しないと生活できんからね。)
ところがどっこい、哲学はそうはいきません。
今上に書いたようなことをとことん煮詰めていきます。
つまりはね、数学が’仮定’しているようなことを徹底的に議論してくんですよ。
そう、哲学は無仮定なの。
そこが実に哲学に惹かれる点だねぇ。
でもね、哲学にも弱点はあるの。
何でかって言うと、結局人間が無仮定で議論しようと思っても、
その行為自体が言葉の使用を前提としているわけであって、
その言葉を使用する際に、様々な問題が生じちゃったりするわけ。(論理上の矛盾とかさあ。)
他にも「存在」を’仮定’しないとね、議論できないの・・・。(爆)
だから哲学者はこの仮定をウアドクサ(臆見)なんて言って、ごまかすの。
つまりはね、哲学はこれらの事が分かった時点で大した学問じゃなくなっちゃったの。
そりゃそうだよね、神様でもない不完全極まりない人間が無仮定で議論するなんて不可能だからねぇ。
まぁ、以上のことで何となく「哲学」と「数学」の違いが分かったでしょ?
そう、本質的には全く違うのよ。
(。ヘ°)ハニャ
89 :
考える名無しさん:02/02/18 19:00
>>67 分からないのでもう少し分かりやすく説明してくれる?
90 :
考える名無しさん:02/02/18 19:16
>>89 イタタ、本当に哲学版の奴はバカばっかだな。
数は空間時間存在者か?お前自分が何言ってるか自覚してるか。
お前の文章の中だけでも不整合がいたるとこにあるぞ。
後お前は現象学やってるみたいだけどよ、普通に臆見と訳されるのは、ドクサ。
お前の言ってるウアドクサってのは、フッサールのテクニカルタームで、まあ原信念とか
原信憑とか訳されてる。その内実も、お前が言ってるのとは全然違う。
まあ、数学と哲学の関係はフッサールの基本テーマの一つだからな。「算術の基礎」あたりから
真面目に読むことだな。
91 :
名無しである:02/02/18 20:04
>>90 こいつは数学版にもいた。数学の整合性みたいなものを持ってきて哲学を
批判する、このような矮小な自我の中で数遊びをする幼稚な輩は絶えることを知らない。
このスレに顔を出しながら、いまだに何も書き込んでいない哲学版の住民よ、黙っていていいのか。こういった連中に
やられてはならない。私は今から数学版を荒しにいく。
もし、あなたがこのような連中に対して少しでも憤りを感じているならば、
私についてきていただきたい。
92 :
ただの厨房少年:02/02/18 20:10
>>91 言っておきますがそのような気は全くございません。
前記の私の書き込みは無視していただいて構いません。
不快にさせたのならごめんなさいね。
全くそのような気持ちはありませんので。
93 :
考える名無し:02/02/18 21:10
ふふふ。いくらスレを入れ替えようとも逃げられると思うなよ。
>>64
>>86 いたたたた。数学博士なんてどういう日本語だよ。怪獣博士の親戚か?
Quineは数学科出身。Putnamは岩波数学辞典に名前が出てる
同じ人間が数学者かつ哲学者だから、ということは、
数学と哲学とが同じ、という論拠にはなるまい。
これは、論証の初歩的な問題だ。
クワインは、たしかに両面に業績があるが、
彼の哲学は、数学とはまったく独立していると思う。
97 :
考える名無しさん:02/02/20 00:26
>>96 >同じ人間が数学者かつ哲学者だから、ということは、
>数学と哲学とが同じ、という論拠にはなるまい。
偉大なる純丘先生、お言葉を返すようですが、誰もそんなこと言ってません。
僭越ながら、せめて哲板来るときは「ソフィーの世界」でも精読してから来てください。
98 :
考える名無しさん:02/02/20 01:40
96は「論拠」とか「論証」ということばを使いたかったんだろ。
なにしろ使いたかったんだろ。
>>96 > クワインは、たしかに両面に業績があるが、
> 彼の哲学は、数学とはまったく独立していると思う。
「数学と哲学って本質的には・・・」とは関係ないが、
上の箇所についてはあんたが読めてないだけ。
>>96さんへ
53 :純丘 :02/02/15 12:43
>
>>47 >微積分が時間か?
>すると、球の体積も時間ということになるが。
>微積分などを持ち出すまでもなく、
>15分の4倍は、1時間、というように、
>数学で時間を処理することはできるにきまっている。
>だが、数学そのものに時間順序がない、ということは変わるまい。
>よく理解せずにレスすると、
>おのれの程度をさらすだけだぞ。
様相論理とか推論データベースとか関数型言語とか勉強してみてください。
>>100 様相論理(まあ、この文脈では時制論理か)が本当に時制概念を形式化できているのか、
とか、deductive database が実用レベルに達してるのか、とか、いわれると
ちょっと困るけどな(笑
っていうか、君の言ってることは、「数学で時間を処理する」例ではないのか?
まあ、別になんだっていんだけど。
>>55 名どの一連の発言の問題点があるとすれば、
そこにないと思うが。
age
103 :
考える名無しさん:02/04/05 00:43
別スレたてるべきかもしれないんだけど。
「文の意味が真理値」ってどういう意味なんですか?
よく分からないんですけど。
>>3 チョムスキー(の生成文法)は意味を捨象してるんですか?
ただ、意味について深く考えてないだけで、形態素の抽出は意味を基盤にしてないと
絶対不可能なのでは?・・・・・。
昔は数学から生物学、倫理学、詩学に至るまで、あらゆる分野を「哲学者」が一人でやって
いたのが、後に少しづつ専門化され、「…学」として独立した分野として旅立っていき、後
に残ったのが今日の哲学。だから、まだ哲学業界に残ってる連中でも、数学に近いことやっ
てる人もいれば、文学、芸術に近いことやってる人もいるわけで、それを全てひっくるめて
共通する「本質」などあるのか、というのがまず疑問。文学理論やってるような哲学者が数
学者と「本質的」に同じ事をやってるなどと言うのは明らかに無理がある。
更に、哲学では学問自体、知的活動自体を問うような探求も行う。数学であれば、その学問
の方法論を鵜呑みにして従い研究を行うのではなく、その方法論の大前提自体を問うたり、
また数学という知的活動の性質、それが如何にして人間社会に生まれ、機能しているのか等
を探るような、「知の知」としての思想史、社会学的な事もやる。数学を始め、哲学以外の
確立した学問では、そういう己の方法論自体を問うことはまずしない。数学では「数学とは
何なのか」などということは「大多数の」数学者には問われないのに対し、哲学者はそうい
う問を頻繁に論じたりする。この点でも大きく違う。
無論「哲学とは何なのか」ということも哲学者は昔から盛んに論議してきた。プラトンから
西洋近代に至るまでの哲学の主流は、だいたい「真理の探究」という風に認識されてきた。
自然科学の急速な発展に触発されてからは、他の分野でも斯様な学問観が大勢を占めるよう
になる。それは今日の大学の学部の大半が科学的方法論を採用していることを見てもよくわ
かる。
結果「真理の探究」が知的活動の全て、その王様のように捉えられることになる。しかし、
当然これに対する反発はあり、それにも哲学は古来大きく関わってきた。例えば過去に何度
と無く起こったロマン主義運動では、世の現象の理をあるがままに説明せんとする「真理の
探究」ではなく、芸術的な、新たな物の創作がより大事だと言う(ポストモダニズムもロマ
ン主義の一形態と見る人も少なくない)。また、社会科学などでは、単にあるがままの社会
現象を統計などを駆使して説明するだけではなく、新たな社会理念の提唱、規範理論、体制
批判、政治的活動そのものを興すような論が間欠的に復興してきてている。
そういう観点にたつ「哲学者」からすれば、数学や自然科学モデルの学問は対極に位置する、
反抗すべき物であって、「本質的には同じ」だなどと言うはずがない。数学や科学だけでは
人を動かすこともできなければ、笑わすことも感動させることもできないし、女もくどけや
しないし、美しい音を奏でることもできないのである。
106 :
考える名無しさん:02/05/06 00:24
あげ
107 :
考える名無しさん:02/05/09 17:45
数学も哲学も脳自体の法則を記述するもの。
数学は主に数字を使う。
哲学は主に言語を使う。
>1
そこんところから生まれたんだろ<「不完全性定理」