斎藤環スレッド

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1考える名無しさん
最近、文芸誌・論壇誌でもよく見かけますね。

現代思想系もサブカル系も両方いけますよって感じの
心理学者・精神科医の中ではこの人が一番優秀なのでしょうか。

社会的ひきこもりの専門家でもある「ラカン萌え」精神科医、
斎藤環について語りましょう。

心理学板ではほとんど認知されてないみたいなので
こっちに立ててみました。



2考える名無しさん:02/02/10 23:24
蝉寝るというHNでラカンスレに出没してたよ
3考える名無しさん:02/02/11 00:22
ラカンの読みに関しては、
東浩紀より、斎藤環の方を信用するな。
4考える名無しさん:02/02/11 00:23
3=DQN
5だすれです:02/02/11 00:24
1みたいなバカは「ばか」って言葉の意味すら
知らないよ、どうせ。
1みたいなバカは「ばか」って言葉の意味すら
知らないよ、どうせ。
1みたいなバカは「ばか」って言葉の意味すら
知らないよ、どうせ。
1みたいなバカは「ばか」って言葉の意味すら
知らないよ、どうせ。
1みたいなバカは「ばか」って言葉の意味すら
知らないよ、どうせ。
1みたいなバカは「ばか」って言葉の意味すら
知らないよ、どうせ。
1みたいなバカは「ばか」って言葉の意味すら
知らないよ、どうせ。
1みたいなバカは「ばか」って言葉の意味すら

6考える名無しさん:02/02/11 00:28
どうでもいいひと2号
7考える名無しさん:02/02/11 13:47
8シ告糸己:02/02/11 21:11
わたし、通ってます。
9考える名無しさん:02/02/11 23:09
レス付かないねぇ・・・・
オタク関係の評論とかは俺も面白いと思わないし
『若者のすべて』とか、あと時評とかの中にも「何だこりゃ?」って感じの
仕事がけっこう多いけど、本業の精神分析や臨床関係の論文なんか
すごくいいと思うんあけどなぁ。
10考える名無しさん:02/02/11 23:10
批評空間の鼎談(浅田彰・中井久夫とやってた)とか、
解離についての論文なんかも面白かったよ。

あとサイトに載ってるバロウズとかドゥルーズのやつ、
箴言知のなんたらっていうのも結構よかった。文章が明晰で読みやすい。
『社会的ひきこもり』も啓蒙書として秀逸だと思うし。
   
臨床家でありつつこういうのを書けるひとって貴重だと思うんだけな・・・・
あまり人気ないんだね。
11考える名無しさん:02/02/12 01:44
ひきこもりの専門家というイメージが強いね。
サブカル系にも結構顔出してるね。
12考える名無しさん:02/02/12 02:31
訂正 スマン
 思うんだけな→思うんだけどな
 
13考える名無しさん:02/02/12 17:16
斎藤環、吉沢悠と語る。
 http://www.tv-asahi.co.jp/saigo/taidan/main_01.html
引きこもりは語れる外傷が無い故に引きこもる、みたいな事を言っていたかな。
ちょっと今その言葉が気になっている。
15考える名無しさん:02/03/01 18:31
この人、解離関係の論文集とか対談集、それと引きこもり絡みでも一冊、
「今年中に出版予定」って去年どこかに書いてあったけど、まだ一冊も出てないぞ。
16考える名無しさん:02/03/13 17:11
久々にage
17考える名無しさん:02/03/13 17:14
蝉寝る逝ってよし
18考える名無しさん:02/03/14 20:24
>>13
なかなか面白かったな。

「精神分析」を回避することの困難さについて
http://www.criticalspace.org/special/saito/voice0104.html#
19考える名無しさん:02/03/14 20:28
「ユートピア」の精神分析
http://www.criticalspace.org/special/saito/sv0202.html
20考える名無しさん:02/03/14 20:34
糞みたいなやつ一匹見せ物として飼育してたろ
勝川とかゆー奴
あれどうなった?
21考える名無しさん:02/03/14 23:20
>>20
そりゃ言いすぎ。

でも斎藤さん、引きこもりや親に養われることを過度に肯定的に語りすぎると、
あとあと何か(派手な事件とか)あったときに滅茶苦茶にバッシングされたりしそうで
ちょっと心配。擁護派の代表、みたいな感じですごいヒステリックに非難されたりとか。

長田百合子みたいなイカれたやつが持てはやされてるときに、
ちゃんとした治療家がリベラルっていうか良心的で理知的な話を説いてまわってるのは
すごく頼もしいんだけど。あくまで手段・過程としての現状肯定だってことをもうちょと
言った方がいいかも。
22考える名無しさん:02/03/14 23:32
長田百合子って元ヤンキー(笑)でやたら叱りつけるおばさんだっけ?
23考える名無しさん:02/03/14 23:40
    チンコチンコレヴォリューション!!  ヨゥ チェキラ!!
    ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
        /⌒\  /⌒\
      ((    ; 三    ,,))
        ヽ   (  /    ミ
         キ   .メ   ./
  /⌒\   乂      ノ    /⌒\
((( ^人^ )   (・∀・ )   (((・∀・  )
  )  (⌒)))   )   (⌒))) ノ  つ つ ))
 (_ノ⌒ ̄   ((__)⌒ ̄ (((⌒ノ⌒(_
24考える名無しさん:02/03/14 23:43
           ウゼえ消えろ
      ∧_∧          _ _     .'  , .. .∧_∧
     ( ´_ゝ`)   _ .- ― .= ̄  ̄`:, .∴ '     (    )>>23
    /     '' ̄      __――=', ・,‘ r⌒> _/ /
   / /\   / ̄\-―  ̄ ̄   ̄"'" .   ’ | y'⌒  ⌒i
 _| ̄ ̄ \ /  ヽ \_              |  /蟲ノ |
 \ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ \__)              , ー'  /´ヾ_ノ
  ||\            \          / ,  ノ
  ||\|| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|| ̄          / / /
  ||  || ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄||          / / ,'
  ||  ||           ||       /  /|  |
                       !、_/ /   〉 
25考える名無しさん:02/03/15 14:27
批評空間の論文で、「ブニュエルの作品は自己分析を既に
終えているがゆえに分析不能」とかなんとかいうことを、
精神分析が扱いきれない限界として新しげに語っていたと思うが、
それなら、現在の精神分析の臨床場面でも理論対象でも主流
であると斉藤自身が言っている「教育分析」というものはどうなる?
分析家になりたくてテキストもそうとう読んでる、
半ばあるいは完全に専門家のひとたちを分析するんだろう。
教育分析に限らず、一般の患者?のなかにも、
本読んで理論武装して来るのなんてざらにいるだろう。
そういう、勉強する患者(アナリザン?)って
ごく平凡な意味で防衛が強い、
精神分析にとってありきたりな存在では。別に新しくもあるまい。
つか、斉藤がラカンラカンってやたら言いつつも
社会学的な分析にとどまって、臨床ではどうやら分析をしてないし
それに必要な教育分析を受けようともしないのは、
自分自身は誰からも分析されないようにしてるっていうか、
斉藤自身がそういう防衛の強いアナリザンってかんじ。
26考える名無しさん:02/03/15 14:31
誰か教育分析してくれる師匠がいるんでしょ
27考える名無しさん:02/03/15 15:14
あっ、教育分析受けたことがないって書いてありますね。
だけどこの防衛は精神分析をする医者vs大多数の精神分析をしない(認めない)医者
という構図なんじゃないでしょうか。
そこでやる人間は社会に対しても理論武装しなければならないと。
28考える名無しさん:02/03/15 21:57
>そりゃ言いすぎ。
言い過ぎも糞もねえだろ
観客に糞を投げ付けるチンパンジー飼育してただけだろがワライ
29>27:02/03/15 22:33
25で言った防衛は、わりと一般的な分析用語で
「強い不安を惹き起こすような外的・内的刺激に対して、
自我が自分を守るためにとる心的機制」、てな意味ですよ。
つまり、斉藤自身は、他者(分析家)から分析されることが
すごく不安なので、臨床という危険からはそっと距離を取りつつ
知だけは身に着けて、他者に対して理論武装しているのではないか、と。
じつは彼は分析というものが怖いんじゃないか、と。
ほんとうは自分が分析されないと他人を分析できないはずだけどな。
>27は、分析の重要性を認識していない大多数の精神科医に
対して 斉藤は理論武装して啓蒙活動をしているんだ、
というようなことですか? 
30考える名無しさん:02/03/16 00:08
何で比較的治療効果が低い
精神分析をしないといけないんですか?
何でですか?何でですか?何でですか?
31考える名無しさん:02/03/16 00:32
http://www.criticalspace.org/special/saito/voice0104pp.htmlで
精神分析はいまこそ要請されるべきなのである。
と申しておられる
32考える名無しさん:02/03/16 00:36
「生物学的精神医学」と「実証にもとづいた臨床心理学」に、
左右から押しつぶされる格好となった「精神分析学」。

「精神分析学」が重要と言ってみる環。
33考える名無しさん:02/03/16 02:03
医学部に入らないと「精神分析学」ができない日本では、
医者が足を踏み入れるのにリスクが大きすぎるからマイナーなのだろう。
斉藤はニッチをうまく使った感がある。
34考える名無しさん:02/03/16 02:35
>>2
あれ十川じゃなかったん?
35考える名無しさん:02/03/16 04:34
>>25
分析不能というのは防衛が強いという意味じゃないよ。
でもなんで教育分析受けないんだろうね?
何かと有利じゃないんだろうか。

>>32-33
精神分析”学”というものはありません。
それともあえて使ってるのか?
36考える名無しさん:02/03/16 11:42
>>35
>精神分析”学”というものはありません。

言葉を使う人によるんで、学つける人とつけない人がいます。
「学」がないと君が主張するのもいいけれど。
おれも学だとは思わないけれど。

精神分析学っていわれてもおかしいとも思わない。
37考える名無しさん:02/03/16 14:36
>>35
ブニュエルも斉藤も、分析についてやたら雄弁に語るんだが、
「自分自身は分析されえない存在だ」というフリをしてみせることで、
ひそかに自分の身だけは分析から遠ざけているのではないか、
それが防衛だ、と25では言ってるつもりなんだが・・・
38考える名無しさん:02/03/16 15:06
でも、そんな>>25の言うような、物凄くわかりやすい「抵抗」なんて
斎藤環自身すでに考えているでしょう?
だから教育分析の不必要性みたいなものが斎藤自身の中にあるんじゃない?
ラカンの、臨床での有効性については、限界を設定しているから
「ラカン萌え」という言い方をしているわけだし。
39考える名無しさん:02/03/16 16:25
「生物学的精神医学」→精神分析←「実証にもとづいた臨床心理学」

「生物学的精神医学」→精神分←「実証にもとづいた臨床心理学」

「生物学的精神医学」→神分←「実証にもとづいた臨床心理学」

「生物学的精神医学」→神←「実証にもとづいた臨床心理学」

「生物学的精神医学」→←「実証にもとづいた臨床心理学」

「生物学的精神医学」パチン「実証にもとづいた臨床心理学」

「生物学的精神医学」「実証にもとづいた臨床心理学」

精神分析は要りません。じゃぁね。ばいばい。
40考える名無しさん:02/03/16 16:32
>>39
実証に基づいた臨床心理学を過大評価してらっしゃるようですな。
ドードーバード効果って知ってる?
4140の過大:02/03/16 16:42
「過大評価」だってさ、「過大評価」。

EBてのは過大評価も過小評価もしないからこそEBなのに。
(わかるわけないか。)
42考える名無しさん:02/03/16 17:17
で、ドードーバード効果って何よ。40でも、41でもいい、教えれ。
気になってしゃーない。
43Nietzsche:02/03/16 17:25
この人を見よ
http://muvc.net/iijimaai/
44考える名無しさん:02/03/16 17:54
つーかEBってなんだ? 実証にもとづいた臨床心理学と同義なのか?
簡潔な説明を希望。
45考える名無しさん:02/03/16 17:57
このへんから探して味噌
http://usagi.tadaima.com/2chbbs/subback.html
46考える名無しさん:02/03/17 00:56
もし斎藤が>>38の言うように教育分析は不必要だと考えているなら、
それはラカンを語る上できわめて重要な問題だから、
ちゃんと論じるべきだろう。
「臨床でのラカン理論の限界を設定」しながら
一方で、臨床症例をラカン理論で解釈することには異様に積極的だな。
47考える名無しさん:02/03/18 23:40
あげ
48考える名無しさん:02/03/19 00:05
多分、精神分析理論と精神分析を区別して考えるべきなんだと思うよ。
理論の方は哲学者などにも援用されてて、当然教育分析を受けずとも利用することができる。
精神分析の方は臨床で、技法が中心になる。
フロイトやラカンは生涯臨床を離れなかったでしょ。

フロイトにとって理論は二次的なもので、
精神分析が有効な場として臨床の現場しか想定していなかったんだよ。
これは普遍的無意識を「発見」したユングや心理学との重要な違いになる。
だから、精神分析が学問にならないのは精神分析の本質規定なんだよ。
精神分析家で精神分析学という言葉を使う人はいないはず。
4948:02/03/19 00:15
>>36>>46への同時レスでした。
50考える名無しさん:02/03/19 16:47
それだと斎藤は「哲学者」ということになるよ >48
彼は臨床をやっている医者であるということを強調するのに、
理論面では「哲学者」として振る舞うのは、
片手落ちというか逃げというか。
彼が「経験論と超越論の絡み合い」という議論に反応するのは、
それが自分に欠けていることを自覚しているせいか。

ちなみにフロイトは、思弁的な理論に魅せられつつも自重し、
経験論に極力留まることを自らに課したんだと思うが。
5148:02/03/19 21:03
>>50
治療に関して、精神分析理論を参照しつつ、精神分析技法は用いずに
一般的な精神科医として治療(臨床)に携わっているってことだと思う。
論文の中で技法を利用しなければ矛盾にはならないと思うけど。理論と治療が衝突してるわけじゃないでしょ。
哲学や理論のみで治療ができるわけでもないし。
まあオレは精神分析もその他精神医学も治療に関する知識なんてゼロに等しいから
これ以上なんともいえないけど。
ただちょっとだけ精神分析の技法や治療過程の記述を読んだことあるけど、
多分、精神医学からみてさえもすごく独特な(トンデモな?)ものなんだよね。錬金術みたいな。
それに厳密には「すべての精神分析は、終わりなき分析である」し、治療にも限界があるらしい(特に分裂病)。
治療では現実的(医学的・政治的)な地点にとどまりながら、精神分析理論や治療論の発展を試みるっていう
微妙な立場にいるんじゃないかな。
52考える名無しさん:02/03/19 23:27
精神分析は、個人に対してはそんなに切れ味は良くないけど、
社会や個人以上に敷衍したとき、やたら切れ味が良くなる、ってなこと
言ってるよね、斎藤環は。
それでラカン理論は、臨床から離れていって、思弁的になっていった、って。
53考える名無しさん:02/03/19 23:39
ふーん、そういう傾向はあるかもしらんが、ちょっといい加減な物言いだな。
本当に斎藤ちんはそんな感想言っているの?
5452:02/03/20 00:59
誰か!ソース!(藁
55考える名無しさん:02/03/20 14:09
>精神分析は、個人に対してはそんなに切れ味は良くないけど、
>社会や個人以上に敷衍したとき、やたら切れ味が良くなる、ってなこと
>言ってるよね、斎藤環は。

生物学や 心理学(実証)や 社会科学の ほうが
精神分析より 圧倒的に 切れ味が いいんですが 何か?
56考える名無しさん:02/03/20 16:09
>51の「治療では現実的(医学的・政治的)な地点にとどまりながら、
精神分析理論や治療論の発展を試みる」というのは、不可能だ。
それが精神分析というものだと言いたい。
それは>>31での斎藤自身の姿が証明してしまっている。
長くなるが引用すると、斎藤は十川の
「精神分析が真に生産的足りうるのは、あくまでも臨床場面において
不可能なものの抵抗に出会い、そこにおいて経験的次元と
超越論的次元の「絡み合い」が生ずることによる。単なる思弁は、
それが決して抵抗に出会わず、それゆえ単に超越論的なものでしか
ありえないがゆえに、無効なものとみなされる」をふまえて、
「現在なされている「ラカン理論」の社会学的応用は、
まさに単独の主体からの抵抗にけっして出会うことなく展開し、
一定の切れ味ともっともらしさを反復しながらも、さしあたり
有意味な生産性をもたらし得ていない」と書いているが、
この「現在」以下はまさしく斎藤自身のことじゃないか! 
彼はこの文章に後続して一応の反論を試みているが、これがまったくの
腰砕けに終わっている。
「正統派」ラカニアンさえも臨床のリアルな事例報告をしていない
じゃないか、とか言ってるのだが、これが反論足りえているか? 
5756:02/03/20 16:13
「精神分析体験の単独性は、もっとも通常科学らしからぬところで、
この単独性ゆえに、精神分析には厳密な意味での再現性も予見性も
期待することが出来ない」は斎藤の見識かどうかは不明だが、正論だ。
が、その数段落あとで、社会学を含む多様な「事例」への
(ラカン理論の)無節操なまでの応用期待論をぶちあげるのは
まったくの矛盾。再現性を期待できないものを
いったいどうして他の事例に適用できるというのか。
臨床抜きの解釈というものの正当性を、斎藤は全く証明できていない。
ただ解釈したがっているだけじゃないか。
結局、ラカン理論は、臨床というものについての論、
分析という関係についての論でしかありえないのだろう。
これは、臨床場面でリアルな治療過程の記述とか、
事例へのラカン理論図式の当てはめ、ではないよ、
斎藤はそう思ってるらしいが、それではいったいどこが単独的なんだ。
いや、そういう論文を書く分析家もいるんだろうし、
「治療では医学的な地点にとどまる」のもその医者の勝手だが、
それのどこが「精神分析理論の発展」になりえるんだ? 
それでは、再現性を素朴に信じる「科学」としての
単なる精神医「学」といったいどう違うんだ?
経験(論)の積み重ねから理論ができるのなら、
フロイトもラカンも苦労はしないだろう。
(ちなみに、フロイトはもちろん症例報告をけっこう書いているが、
読んでも治療過程はあまりわからない論文だし、段々書かなくなる。)
まあ、斎藤は臨床では医学者、論文では社会学者であって、
精神分析の独自性はそこにはない。
あと、切れ味がいい云々は、それは再現性はあるが
単独性はない「学問」だから、だろう。

58考える名無しさん:02/03/20 20:41
昔こいつが描いていたOSとPSというのがどうしてもわからんなった。
誰か解説しる!
5948:02/03/20 20:57
>>56-57
発展を試みているんじゃないか、というのは理論の方だよ。
レス読んでると精神分析そのものと理論をまだ少し混同しているみたいだね。
単独性や再現性への言及は理論でなく精神分析の方でしょ?
この人は精神分析そのものに対しての発言は慎重なはずだよ。

理論の学問的、経験的、超越的っていう区別も混乱してない?
理論といっても科学的である必要はないし、思弁だからといって根拠もなく宙に浮いているわけでもないよ。
例えばフィールドを持たない哲学は正当性は何もないことになってしまう。
それに斎藤は臨床抜きでっていうけど臨床もしてるでしょ。精神分析を用いないだけで。
精神分析は治療者が直接治療に参入するっていうことに特殊性があるわけで(だから教育分析が必要とされる)
理論や精神病などに対する別のアプローチは可能だと思う。
臨床思弁云々ではなくあくまで内容から批判されるべきだよ。
だからもちろんその意味で十川って人の反論は正当かもしれないけどね。オレは読んでないし分からん。
6048:02/03/20 23:08
>>57
>「治療では医学的な地点にとどまる」のもその医者の勝手だが、
>それのどこが「精神分析理論の発展」になりえるんだ?それでは、再現性を素朴に信じる
>「科学」としての 単なる精神医「学」といったいどう違うんだ?
例えば数学や科学を対象とした哲学分野があるけど、
数学や科学と同じ対象をみてても哲学はできるわけでしょ。
つまり科学と同じ研究をしてても哲学をすることができるというような意味で、精神医学に携わりながら
理論や理解の発展を目指すことは十分可能だと思う。その成果はおいといて。

>>58
もうちっと具体的に聞かないとレスもらえないんじゃない?
6148:02/03/20 23:10
↑の補足って入れ忘れた。
62her:02/03/21 22:51
jojo透き
63>59−60:02/03/22 02:30
>単独性や再現性への言及は理論でなく精神分析の方でしょ?
だから、精神分析臨床は単独的で再現不可能、ということでいいな?
その上で、斎藤は「社会学を含む多様な「事例」へラカン理論を
無節操なまでの応用する論文」を書くべきだ、と言ってるよな?
理論を事例に適用するということは、その理論が一般妥当性を持ち、
事例は非単独的でかつ再現可能なものであることを前提としている
だろう?では分析臨床の持つ単独性・再現不可能性は、そこでは
完全に捨象されているじゃないか。これが問題だって言ってるんだ。
分析臨床の特性を捨象した分析理論なんぞ、どう発展させるっつーの。
56−57のとおり、斎藤自身も結局この問題には答え切れていない。
ラカンは分析臨床の原理を問い続けた。「フィールド」に拘泥するのが
精神分析だ。哲学が精神分析論で成功しうるとしたら、
臨床における主体の位置や、転移や、臨床の単独性、に近い概念を
主題としている場合だけだろうね。
59後半の俺への批判はあまりにも見当違い。
60は説明になっていない。

48氏は分析の固有性に対する感覚が鈍すぎるのではないか?
心理学・精神医学・哲学と精神分析の区別にも無関心だろう。
48でのフロイト理解もあまりに表面的だし、
正直、きみは分析の勉強には向いていないと思うよ。
6448:02/03/22 08:05
>>63
理論ってのはあくまで理論だよ。精神分析を土台に持っているとはいえ、
理論の本質上精神分析を離れざるを得ない。

それに精神分析に拘ってるようだけど、理論の発展といっても、精神分析以外の手段を用いてはならないとか、
発展した理論からまた精神分析に還元できなければならないという必要はない。
精神分析以外の手段で発展が望めないとすると、
精神分析は否定不能な完全な体系か、精神分析からしか否定できない閉じられた体系ということになってしまう。
そんなわけはない。精神分析も限られた体系である以上、どこか開いた穴があるに決まってる。
例えば、斎藤は「ラカニアンでさえ精神病に対しては向精神薬を使用せざるをえない事実」といっている。
これはつまり、精神病が何らかの気質的原因を持っていて、「単独的で再現不可能」な分析では治療と理論に限界が
あるということ。ここでは精神分析理論と気質因(科学ではなく)の研究の総合という方法が考えられる。
これだって理論の発展になりえるでしょ。一例にすぎないけど。

君が読み誤っているのは十川の「ラカン理論の社会学的応用の無効」という批判を
「精神分析家でないものによる精神分析理論の援用(又は発展)の無効」というように拡大してしまっていること。
>>56読んだ限りでは、十川は社会学的応用という限定された領域に対してしか批判してないじゃん。
臨床と理論という単なる「図式」ではなく、有意味な生産性の欠如という「内容」を批判してるんだし。
オレはその意味でその人の批判は正当かもしれないと言ったんだよ。
6548:02/03/22 08:33
ごめん気質じゃなくて器質ね。
66考える名無しさん:02/03/24 19:24
あげ
67考える名無しさん:02/03/26 01:39
いや、64は何日か前に読んだけどさ、
議論に無理があるし、結局63を反論できてないじゃないか。
68考える名無しさん:02/03/27 16:56
6948:02/03/27 21:56
書き込み少ないね。
ネタフリとしてこの人今何やってるの?
テレビ雑誌の連載しか知らない。
70考える名無しさん:02/03/31 18:20
>>69
日本評論社の雑誌「こころの科学」の「レピッシュ思春期現象学」という連載。
それから、Web上だけど、晶文社ホームページの「生き延びるためのラカン」。
7148:02/04/07 00:15
http://www.shobunsha.co.jp/html/main-new-3.html
「生き延びるためのラカン」はエッセイ風のラカン入門って感じかな。面白いね。

ところで、精神分析を参照する精神医学の一分野を、力動精神医学っていうんだな。知らなかった。
72考える名無しさん:02/04/07 00:51

精神病じゃなくたって器質的因子をもっている。
よって薬は作用する。
7348:02/04/07 01:02
>>72
オレに言ってんのかな?でももう反論しないよ。あんまり意味あると思えないしね。
それより著作の読解でもやりたい。誰かネタないでしょうか。
74 ◆suNAqD0A :02/04/07 01:54
>>72
精神病って、狭義(統合失調症)のこと言ってるの?
それとも、精神疾患一般のこと言ってるの?
どちらにしろ、薬物は投与されれば、中枢神経系に何らかの影響を
与えるのは当たり前じゃないですか。
75アキュビュー:02/04/07 02:03
>>74
ヴァカ発見!!!!!!!!
76考える名無しさん:02/04/07 02:19
風邪ぐすりの場合、不快症状を緩和するだけで、
ウィルスそのものを殺すわけじゃない。
小児糖尿病の場合、インシュリンを投与すれば、理論的には健常者と同じ
とみなせる。
薬物療法って、上のタイプだと思うんだけど。ちがうの?
くわしい人、教えてくだされ。
77考える名無しさん:02/04/07 21:05
この人、「VOICE」だったかで、2ちゃんねる論書いてたね。
割りと肯定的に評価していた。
78考える名無しさん:02/04/07 21:59
なぜなら元コテハン
79考える名無しさん:02/04/08 08:28
>>78
コテハンって「固定ハンドル」のことですか?
「ジャック・ラカンと精神分析」スレッドの「蝉寝る」氏は、
斎藤環氏っぽいですね。
8079:02/04/08 08:36
あ、このスレッドの最初の方を読んだら、そう書いてあった。<蝉寝る=斎藤環
81考える名無しさん:02/04/16 21:02
age
82考える名無しさん:02/04/16 21:46
83考える名無しさん:02/04/17 16:35
『文脈病』って面白いですか?
公式サイトで半分くらい読めるんだけど、買おうかどうか迷ってる。
デビットリンチ論とかどうですか。読んだ人いる?
84考える名無しさん:02/05/10 00:04
うさんくさい
85考える名無しさん
おお、久々に環スレッドが上がってる。
どうせだから、このままあげとこう。