1 :
考える名無しさん:
今度こそ、絶対に、存在と時間を読むぞ!
と思っている人一緒にがんばりましょい。
別に存在と時間じゃなくてもよいですけど。
とにかく、ハイデガーを読もうと思ってる人
いないっすか?
らげ召還すっどれだな。彼はハイデガー専門じゃなかったっけ?
ハイデガーの思想の根幹を分かりやすく説明してください。
>>3 誰に対しても門戸は開かれています。
大学二年生の春休みの今こそ、読む最後のチャンスです。
今まで日常の雑事に没頭し、非本来的に怠惰な大学生活を
すごしてしまいました。
本来的に読みたいです!
>非本来的
笑った。俺は4年間非本来的に過ごしたなぁ・・・
7 :
考える名無しさん:02/02/07 20:28
8 :
考える名無しさん:02/02/07 20:54
読みたきゃ一人でシコシコ読め。
それが正しいつきあいじゃアホンダラ
9 :
考える名無しさん:02/02/07 21:09
原文で読もうね。
11 :
考える名無しさん:02/02/08 11:07
それじゃ前にあったスレのようにちくま学芸文庫版での
存在と時間でも読もうか?
12 :
考える名無しさん:02/02/08 14:33
形而上学入門から入るほうがいい、と人に聞いたのだが。。
13 :
考える名無しさん:02/02/08 14:53
1は存在しないことがレスの数でわかっている
14 :
考える名無しさん:02/02/08 15:13
気分は形而上っていう漫画を読めばハイデガーのことが分かりますか?
買うかどうか悩んでいるんですけど
私は存在します。
学校のパソコンからなので、夜は書き込みができないのです。
>>11 そんなスレがあったんですか?
僕の持っているのもちくま学芸文庫版です。
岩波文庫版よりも訳がよいと先輩に言われました。
>>12 僕は「存在と時間」から入れと聞きました。
木田元氏などは存在と時間にこだわる必要はないと
言っていますが。
>>14 きっと、わからないでしょう。
16 :
考える名無しさん:02/02/08 16:35
漏れ、河出書房なんだよ。なぜか『有と時』なの。
訳者のこだわりで。これはどうなのかなあ。
>>16 河出書房版ですか?
確か全集の訳については木田元さんが酷評してましたね。
全集でもZeinの訳が「有」だったと思います。
非常にわかりにくそうですね。
18 :
考える名無しさん:02/02/08 19:14
確か京大の辻村さんの訳だっけ?
有と存在の、訳の違いは、関西系と関東系で分かれるってね。
20 :
考える名無しさん:02/02/10 03:29
21 :
考える名無しさん:02/02/10 03:58
>>17 おいおい、Seinだろ。Zeitと混同したか?
>>19 一概にそうとはいえないよ。
それから、もし本当に読むんなら、原文で読もうね。
参照しながらでもいいからね。
おまえら森に逝って
思索してこい
そのまま帰ってくるな
24 :
考える名無しさん:02/02/10 04:38
原文で読むって、素人や学部生には難しい注文だろ。
おれも読んだことないし…。
自分なりの咀嚼でかまわんと、おれは思うけどね。
原文で読むことの意義って何?
25 :
考える名無しさん:02/02/10 04:50
院への進学を考える場合
学部時代に通読するのは基本ですね
26 :
考える名無しさん:02/02/10 04:51
ギリシャとかラテン語じゃあるまいし
たかだかドイツ語ぐらいで
やれ原典第一主義だとか、アホですね。
27 :
考える名無しさん:02/02/10 05:02
原典でよんだほうがいいけど
『存在と時間』ぐらいなら
キーワードをドイツ語を参照する
ぐらいでいいんじゃないの?
別に研究するわけでもないし。
28 :
考える名無しさん:02/02/10 05:06
ハイデガーの著述って、ネイティブにも「難解」らしいけど・・・。
言葉の神秘主義みたいなところが多分にあるんでしょ?
29 :
考える名無しさん:02/02/10 05:15
読むのは構わないが、あれ読んで
人生変わるなんて思わないほうが良い。
30 :
考える名無しさん:02/02/10 05:15
>>28 そうかなあ?『存在と時間』、『ニーチェ』に関しては
それほど難解さを感じなかったけど・・。
慣れじゃないの?
いいわまわしがくどい感じはするけど。
もっと読みずらい作品は他にいっぱいあると思う。
31 :
考える名無しさん:02/02/10 05:17
>>29 人生はかわらんだろうけど、
それなりにインパクトのある本だとおもいますが・・。
32 :
考える名無しさん:02/02/10 05:29
>>31 俺自身これを読めば全ての哲学問題や人生の問題が
解決できるなんて幻想もってた。だから木田元とか
細谷らがわりと距離置いた評価してることに抵抗抱いてた。
今はそういう情熱をなくしてしまったんだ。
すごい本という周りの評価は事実だと思うよ。
むつかしいことはないんだよね・・・。
ある意味読まなくたってわかってるやつにはわかってることでしかないから。
基本的な術後がたくさん出るから、言葉を覚えるにはよいかもしれないけど。
34 :
考える名無しさん:02/02/10 05:36
実存を実存範疇で記述しようとする試み。
ニーチェ的実存主義を新カント派の枠組に
取り込もうとする試み。
35 :
考える名無しさん:02/02/10 06:14
>>26 「たかだかドイツ語くらい」なら原文で読めばいいじゃん。君の好きな
ギリシャ語やラテン語も出てくるし。
>>33 分かってることとそれを言語化するのは別のことだよ。
>>34 自分がいってることわかってるのかなあ?
>分かってることとそれを言語化するのは別のことだよ。
そう、そうなんですよね。あたりまえのことなんですけど。
「勉強」はそのためにするんですよね。横着なんですよ・・・おれ。
37 :
考える名無しさん:02/02/10 18:20
38 :
考える名無しさん:02/02/11 05:46
おいおい、いきなり1ページ目から読むのか?
べつにドイツ語でも翻訳でもよいが、
何語で読んでも、結局、よくわからんぞ。
『存在と時間』は、カントの『純粋理性批判』と似て、
まず全体的構成と特殊な用語を理解することがコツだと思う。
そして、ワシは、これに関しては、いま現在まだ、
渡辺二郎先生がもっとも王道的だと素直に評価する。
初学者の場合、
門下の連中がまとめた有斐閣のガイドが使いやすい。
3,4年ならば、
渡辺先生のあの驚異的な労作大著にチャレンジし、
哲学者学者を極めるなら、かくあるべきという模範に接するによい機会。
そして、いずれにせよ、既出のように、
いくつか種類があるが、解説書と翻訳書は派を一致させた方がよい。
術語の訳語がいまだに安定していないから。
渡辺派なら、中公バックスということになる。
この本は、哲学史の言及が少なくないにもかかわらず、
ヘーゲル同様、きちんと完結独立体系をなしており、
初学者でも、根性さえあれば読破可能だと思う。がむばってくれ。
>>12 おいらも倫理学のセンセに質問したら形而上学入門薦められたyo
41 :
21、22、35:02/02/12 17:48
>>39 大筋において賛成。
ただ、「渡辺先生のあの驚異的な労作大著」は確かに労作だが、労作と
いうだけのように思う。手もとにおいて参照するには便利な大著ではあ
るけど。
それよりもっと著者が自分で考え、ハイデガーと対決している書物を読
んだ方が身に付くんじゃないか? 重要なのはハイデガーの術語を覚え、
『存在と時間』に精通することだけではないはずだからな。俺は、ハイ
デガーを読む人に単なるハイデガー・オタクになってほしくないから。
下手に例を挙げて素性がばれるのは困るから、書名を教えないのは許し
てくれ。もし君たちが本気でハイデガーにとり組むんなら、自ずから分
かるだろうしな。
その意味で、「渡辺先生のあの驚異的な労作大著」が「哲学者」を極め
ているという意見には賛同しかねるね。渡辺先生が非常に立派な学者で
あることにまったく異存はないが。
>>41 >労作というだけのように思う。
手厳しいな。
しかし、便利であれば、けっこうな学問的貢献だろう。
役に立たない半端な私的吐露より、決然としているではないか。
>俺は、ハイデガーを読む人に
>単なるハイデガー・オタクになってほしくないから。
イワンとするところは、よくわかる。
そういうのが、ハイデッガー学者にはとくに多い気がする。
魂まで吸い取られてしまうのだろうか。
>「哲学者」を極めているという意見には賛同しかねるね。
そうは言っておらぬ。
「哲学者学者」を極めている、と書いたはずだが。
亜流となるより、哲学者学者たらんとす、は、
かねてから、彼自身、公言するところであろう。
若手諸君、パルメニデスではないが、
この道を進むなら、やがて、
沈黙の哲学者学者と苦難の哲学者と二つの道に分かれる。
どちらもけっして甘い道ではあるまい。
しかし、どっちつかずになって、
饒舌な哲学者学者だの、権威依存の哲学者だのにならぬよう。
この意味でも、
ハイデッガーの本と、渡辺先生の本は、
二つの道として、哲学の生き方そのものの問いだと思うが。
43 :
21、22、35:02/02/12 19:19
>そうは言っておらぬ。「哲学者学者」を極めている、と書いたはずだが。
悪かった。読み違えてた。徹夜明けなもので、すまん。
44 :
考える名無しさん:02/02/12 19:23
哲学者学者と哲学者、とは、
評論家と作家ということか。
?
作家と評論家の関係と同じなのだろうか?
あまり作家の評論家を知らんのでなんとも言えぬが、
後期ハイデッガー的に言えば、
哲学者は、たしかに詩作に近い気はする。
これに対し、哲学者学者は、これをゴリゴリ理屈でかみ砕く。
業態としては、両方いてちょうどよいのだろう。
この板の主旨からはみ出るが、
後期ハイデッガーも、これを考察する渡辺先生のもう一冊の本も、
いまひとつキレが悪いのは、この核心に触れるからのように思う。
この問題は、いずれもっとちゃんと考えをまとめたいものだ。
ただ、ドイツでは、ハイデッガーのような例もないではないが、
日本の大学でポストを得るには、
哲学者学者の方が、上のヒキもあり、断然有利だと思う。
作家は、少なからず大学にもいるのだが。
46 :
考える名無しさん:02/02/12 20:16
>45
そんな与太話はもう結構ですから、『存在と時間』読解のレスを
そろそろつけてください。
おお、じゃ、やろか。
まず、序論。存在の意味の問いだ。
ハイデッガーは、まず問いを問う。
ゲフラークテ(問われているもの)、
ベフラークテ(問いかけられるもの)、
エルフラークテ(問いえられるもの)、の3つがあると言う。
たとえば、
〈駅〉、が、ゲフラークテ、
おまわりさん、が、ベフラークテ、
実際の駅、が、エルフラークテだ。
で、存在の問いにおいては、
これが、それぞれ、存在、存在者、存在の意味、ということになる。
ここまで、よいか。
48 :
考える名無しさん:02/02/12 20:48
誰がまとめろといったヴォケ
要するに読んでないんだな
49 :
考える名無しさん:02/02/12 21:03
44
>>47 (説明 微小誤謬因)
問うもの。 通行人。
問われるもの。 警察官。 存在。
問いえたいもの。 駅の位置。 存在者。
問いえられるもの。 駅の地図。 存在の意味。
2項の組から零れるもの。
その複雑さと長いことば。
?
50 :
考える名無しさん:02/02/12 23:10
じゃあ俺も適当に
ちくま学芸文庫版より
P31
存在了解ー「存在」というものは「わけもなく」了解されている
我々はいつもすでにある存在了解の中に生きている
51 :
考える名無しさん:02/02/12 23:11
P32
存在への問いには答えがかけているだけでなく、問いそのものも欠けている。
まず「問題設定」をせなばならない
52 :
考える名無しさん:02/02/12 23:17
P34-35
問う、ということは求めることである
つまり求められている側からあらかじめ先導されることを要している
我々は存在了解の中に生きている
と、いうことは存在の意味を目指す明確な問いと、それの概念へと向う志向とは
この存在了解の中から生じてくる
我々は「存在」が何を意味するのか、は知ってはいない
しかし「存在とは何であるか」と問うだけでも
「ある」という了解の中に身をおいているのだ。
しかも我々はその「ある」を概念的に確定しうるわけではない
この大まかとした存在了解はともかくもひとつの
既成事実(Faktum)なのである
(シロウトが勝手に、ただまとめただけだけどいい?w)
53 :
考える名無しさん:02/02/13 00:05
ま、ここらへんは楽勝だ。
どんどん行こう
お、それじゃ続けていってみましょかw
P38-39
現存在(Dasein)
問うということを自己の存在の可能性のひとつとしてそなえている存在者
P40
存在了解はつきつめれば現存在そのものの本質的構成に属している
P47-48
現存在はたんに他の存在者の間にならんで出現するにすぎない存在者ではない。
おのれの存在において「この存在そのものに関わらされている」ということにより
存在的に殊別されているのである
で、あるならば現存在の存在構成には、これがおのれの存在において
この存在へ向って、ある存在関係をもっている、ということが属しているのである
○現存在はおのれの存在においてなんらかの様式と明確度において
自己を了解している、ということを意味する
○この存在者にはおのれの存在とともに、かつこの存在を通して
この存在が自己自身に開示されている、ということが備わっているのである
存在了解は、それ自体、現存在の存在規定なのである
現存在の存在的殊別性は、それが存在論的に存在することにある
(
>>47 みたら一目瞭然w)
P48
実存(Existenz)
現存在がしかじかのありさまでそれに関わり合いうる存在そのもの
そして現存在がいつもなんらかのありさまで関わり合っている存在そのもの
存在者の本質規定は
事象的実質(それが何であるか)を述べて行われるのではなく
むしろ現存在の本質は
そのつどそれの存在をおのれの存在として存在しなくてはならない
ということにあるのであるから
故に、この存在者の呼び名として
純粋な存在表現たる現存在という名称が選ばれたのである
あまり先走っても、いかがか。
存在の問いと、現存在の関係をきちんと理解せよ。
問いを「見通す」ことができるようにするということにおいて、
現存在が提起されてきたことに注意。
さて、これとともに、
次は、(解釈学的)循環の問題も整理してくれ。
余裕のある者は、
この問いという問題に関し、ガダマーなども参照。
58 :
考える名無しさん:02/02/14 19:14
突然ですが、横ヤリ失礼します。
>>57 ジャン・リュック・ナンシーは『声の分有/分割』の中で
解釈学的循環を批判して以下のようなことを言っていました。
いわく、解釈学的循環というのは実は(循環ではなく)弁証法的止揚(による解決)を前提としているのであり、
またそれは、本来性の回復を目指すという疎外論的図式に陥るものだ。
到達すべき本来性などというものは存在しないし、そこにとどまるほかない、と。
えらい乱暴な要約ですが、ハイデガ−批判としてはごくまっとうなもの、
というか典型的な反-本質主義だと思われます。
※スレ違いなので無視して下さって結構です>>all
>>59 私はその本を読んでいないが、
引用を見るかぎり、
ハイデッガー批判というより、多くの世間の誤解に対する
しごくまっとうかつ有用なハイデッガー理解のように思う。
やや前後するが、
「本来性」は、ハイデッガーにおいて到達すべきものではなく、
永遠の(空虚な)出発点であることだし。
ハイデッガー自身は、この唯一的な本来性の重視から、
ヘーゲル的な弁証法という図式を用いていないようだが、
内容的には、とても似ているという印象はたしかにある。
ただ、この話は、初めて読む者には混乱を招くかもしれないが。
>「本来性」は、ハイデッガーにおいて到達すべきものではなく、永遠の(空虚な)出発点であることだし。
これはそうだろう思うんですけど、なんでそれが「本来性」と「非本来性」って表現になるんでしょうかね。
そこに胡散臭さのもとがあるんじゃないかと思うんですけど。
そう言えば『「本来性」という名の隠語』なんて書物もありましたね。
あんまり読み難い文章なんで途中で放り投げましたけど。
>>62 本来性(eigentlich)についての議論は、もうすこし後にしよう。
これが、この本において、存在 と 時間 をつなぐ鍵になる概念だから。
その前に、存在の問い と 現存在 の関係について、
自分の言葉で、きちんと理解しながら、前に進もう。
現存在は、
問う、という存在の様態のことであり、かつ、その様態である存在者のこと。
デカルト的に言えば、我問う、ゆえに、我在り、であって、
問わなくなってしまえば、存在もせず、存在者でもなくなる。
つまり、問う、というあり方は、ハイデッガーにおいて、
なにも疑問に思わぬ事物のようなあり方とは区別されている。
以後、この本は、したがって、存在の中でも、
問う存在様態そのものである現存在を問う、
つまり、問うということを問う、ことになる。
さて、次に循環の問題。
存在を問う存在を問う存在を問う………というように、
存在を問う、と 問う存在、とが、ここでは、循環してしまう。
しかし、ハイデッガーは、演繹によるのではなく、
邪魔を取り払って、問いの純粋形式を暴露させればよい、と言う。
(S.171に、きちんとヘーゲルの弁証法への言及があるのを確認せよ。)
ここにこそ、ハイデッガーが
カントやフッサールと連なる現象学の戦略があるのであって、
現存在、つまり、問うということの、純粋形式を探ることになる。
ここまでよろしいか?
66 :
考える名無しさん:02/02/16 03:58
>>63 >デカルト的に言えば、我問う、ゆえに、我在り、であって、
>問わなくなってしまえば、存在もせず、存在者でもなくなる。
存在者でもなくなるんじゃなくて、現存在と定義づけできないんじゃないの?
デカルト的というよりも、むしろヘーゲルの即自的、対自的の概念に近い
と思うんだが・・。
デカルトも別に、存在しないとはいってない。われ思わない時の存在は
問えないだけでしょう。
67 :
考える名無しさん:02/02/16 04:42
ローティの「偶然性・アイロニー・連帯」という本のハイデガー論が面白い。
非本来的現存在、つまり世間的自己とは世間へと埋没した人間のことである。
では世間とは何か。他人の集合体であり、他人の語る話であり、常識のこと
である。現存在がそれらに埋没して、他人が話すように話し、常識的になって
しまう時、彼は非本来的現存在と呼ばれる。日常に生きる人間は、他人の話
す言語で生活しているので、そういう意味では非本来的現存在である。
本来性とは世間を脱した現存在のこと。自分だけの言葉を話す人間である。
例えば詩人などがそうである。他人の話す既存の言語を解体して自分流に
アレンジできる人、他人の積み木の城を壊して自分のお気に入りの城を
(あわよくば他人にとっても魅力的な城を)立て直すことのできる人が、
本来性を勝ち取る。でもこの本来性は常に世間に飲み込まれて平板化され
非本来化する(常識になる)危険に晒されているので、人は死ぬまで本来性
を更新していかねばならない。
といっても哲学者や詩人ではない一般の人、他人の言語で事足りている人
にとっては本来性の要求は生じないし、そのような欲望を持つ必要もない。
しかしハイデガーは借金の債務は現存在の存在の負い目に基づくと言ったとき
知識人の欲望と商売人の欲望とを混同視していた。ニーチェが超人と最後の人間
を区別して後者を軽蔑したときも同じような混同を犯していた。要するに、
本来性と非本来性の区別はそういう欲望を持つ人間だけに必要なのであって、
現存在一般に根源的な区別ではないというのがローティの見解。しかし
哲学者はこういう混同を犯す人が多い。
この混同に気付いたハイデガーは現存在一般のアプリオリな記述を離れ、
自分を捉えている哲学史の自己流の詩的な再記述に移っていく。
本来性を求める人たちが所謂知識人(自己を捉える他人の言語、常識から
それらを再記述しようとする人)ならば、哲学者とは自己を捉える他の哲学者の言語、
哲学史を再記述することで自己を解放しようとする人なのである。
まあ参考にまで。
前期ハイデガーがあればこその後期ハイデガー。
歴史に参与しようとする若者のハイデガーと、そこから解放されようとする老年のハイデガー。
うーん。すごく在り来たりな話。
>うーん。すごく在り来たりな話
だね。
70 :
考える名無しさん:02/02/16 06:19
「ヒューマニズムについて」で存在について語るには新たな言語が必要だと
書かれている。渡辺二郎の解説でもハイデガー文法が作れるくらいなのだとか
書かれていた。つまり存在の明けとか生起とかいったある種の神秘性を醸し出す
独自の言葉群を内蔵しているハイデガー語を習得してみたいという憧れが在る。
分裂病気質の人間は古代語のような殆ど死語になっている言語を学びたがる(まあ
そういう人の存在が学問の発展の隠れた動機でもあるのだが)が、ハイデガー語への憧れ
は究極の分裂病気質の傾向なのかもしれない。
「存在と時間」を導きの糸に、後期の秘儀的な著作へと足を進め、いつかハイデガーのように
考え存在の空き地に立ってみたいという思いがある。
「人が話すのではなく言語が人を話すのだ」。ハイデガーのこの言語観に従えば、
言語の習熟によって人はその言語のように考えるようになる。さあ、君たちもいざ飛び込もうハイデガーの世界へ!
その「ハイデガーの言語」とは、ドイツ語のことですか?
72 :
考える名無しさん:02/02/16 08:06
ハイデガーみたいになりそうで嫌。考えざるをえなくなりそうで。
73 :
考える名無しさん:02/02/17 10:20
>>67 >本来性とは世間を脱した現存在のこと。自分だけの言葉を話す人間である。
>例えば詩人などがそうである。
>他人の話す既存の言語を解体して自分流にアレンジできる人、他人の積み木の城を壊して自分のお気に入りの城を(あわよくば他人にとっても魅力的な城を)立て直すことのできる人が、本来性を勝ち取る。
これってローティの見解? それとも67の見解? ごっちゃ?
どっちにせよ、ちょっと違うんでないかと思うのだが。
「本来性」って「勝ち取る」ものか? 実現するものか?
たとえば人が退屈の中でふっと人生や世界のことを思うなら、それが本来性への回路が開かれるんじゃないの?
つまり
>>61みたいに、
>>「本来性」は、ハイデッガーにおいて到達すべきものではなく、永遠の(空虚な)出発点
ということだと思うんだけど。
67みたいな書き方だと、それこそ(粗雑に言えば)エリート主義っぽい政治的なニュアンスで「本来性」という言葉が響いてしまうように思えるけど。
ハイデッガー終わってんだよ。
九州大にはやつがいる
76 :
考える名無しさん:02/02/17 23:32
ハイデガーの非本来性と本来性を、ローティは常識と自律に対応させている。
詳しくは、非本来性・世間的自己(常識)と本来性・先駆的覚悟性(自律)となる。
常識に頼り世間に紛れる限り、人は誰からも文句を言われないし何でも人並みに巧くやり過ごせる。
しかしこの在り方は、自分が他人の真似事に終わること、つまり世間に自分が埋没することを意味する。
それに気づいて、他人の真似事に我慢できない人が常識を脱して自律的で在りたいと志す。
常識から自律への超越は、現存在の存在が死に臨む存在であることを自覚するときだと思う。
現存在は〜に臨む存在として仕事(配慮)や他人との交渉(待遇)に臨む存在である。
しかしこれらの〜に臨む存在は、他人が代わりに為しうる存在であるから、代理可能性によって
規定されている。反対に死に臨む存在は唯一自分が引き受けねばならない存在として、
代理不可能性によって規定されている。他人の真似事としての常識が代理可能性と、
他人の真似事を脱した自律が代理不可能性と対応するのがわかるだろう。
人生に思いを馳せるとき本来性への道が開くというのは、他人と同じような人生に、常識人に終わり
たくない、なぜなら他人に代理不可能なものであるから自律的な人生を歩みたいという思いが出てくる
からではなかろうか。本来性=自律と考える限りで。
77 :
考える名無しさん:02/02/18 00:12
木田元はあんなジジイになるまで研究しても
まだよく分からないそうな。
おれみたいなスットコドッコイが理解できるわけない(゚Д゚)
78 :
びたみん ◆BWLMxAG. :02/02/18 02:29
>>76 別に批判じゃないけど、それを読むと、なんだか本来性は常識(非本来性)に
対する否定としてある、って感じがする。んでも、「他人の真似事に我慢でき
ない」から本来的な在り方を志すってのは…どうなんだろ?
それは一例に過ぎないんじゃないかな。
否定すべき他者の生なんて考慮に入れなくとも、自分が「死に臨む存在」
だってことを自覚すれば、それですでに本来的な在り方を志向してる
ことになるんだよね。
ハイデガーの無に対するあたりもなかなかおもしろい
>>78 そうだね、
現存在は存在へと脱自せず、迷いにより存在者に固執する
現存在は、脱自的に実存する(ek-sistieren)ばかりでなく、
同時に執自的に実存する(in-sisteren)ってこともあるし
で、ハイデガーの場合なんだけど、うん、そこらへんの考えは
そうだね、わかりやすくいったら禅のそれに似てるところがあるかもね
ハイデガー自身が神秘主義の影響を濃く受けてるわけだしw
びたみん、いいこというなあ。
俺もそう思うよ。
本来性という言葉には、現存在の存在様態そのものの固有性
の意義、すなわち己自身の生を己に固有なものとして自覚する
という意味が含まれていると思う。
81 :
21,22,35:02/02/18 02:50
eigentlichkeit―――Ereignis
ハイデガーの表象的、確定的、安全確保的な思惟ともいえる、、
エックハルトの言葉によるところの我性(Eigenshaft)を持って諸形象を持つことが
もはや当たり前の時代に我々は生きている、で、あるからこそ離脱すべき
と読むのは、いささか宗教的すぎるかねぇ?w
平均的な既存的解意の当然さや安心感のなかには、それぞれの
現存在が宙に浮びながら次第に深い根源喪失へ押しながされて
いくのに、その当然さや安心感に守られている現存在自身には
この不動の無気味さが気づかれずに覆われている、ということ
が含まれている。
「第35節 世間話」 ちくま学芸文庫 上巻 363頁
>>83 存在そのものが本質上有限で無のうちに保持されている現存在の超越の中に顕れる
と、いうやつですか?
85 :
考える名無しさん:02/02/18 15:50
ふー、なんかまた読みたくなってきたな。
>82
>で、あるからこそ離脱すべき
その「べき」ってどこから出てくるんでしょ。
>>85 現存在のあり方は、脱自存在(Ek-sistenz)としてあること、というところと
離脱を合わせて読んでみたのですがw
存在の明るみの中に立つことで、存在の近ささの内に脱自的(ekstatisch)に
住むことができる、というとこらへんもね。
ハイデガーが神秘主義の影響を受けていたことはまた事実だし、
だから宗教的に読んでみたわけですがw
87 :
21,22,35:02/02/18 16:24
難解だけど、1930年の「真理の本質について」も参照するとよいかも。
88 :
考える名無しさん:02/02/23 01:37
age
89 :
考える名無しさん:02/02/24 18:05
age
90 :
考える名無しさん:02/02/26 01:16
細川亮一の論ってどうですかね? 形而上学べったりって感じで新著もあんまり
信用できないような気が少しするのですが・・・
91 :
物理学科院生:02/02/26 05:33
クソ質問
存在の問いをハイデガーは存在の意味への問いとして立てたようだが、ハイデガー
によれば意味とは「或ることがそこからして、まさしく或ることとして理解可能
となるところ」なんだとな。
これを単純化すると存在>意味となるんだと思うんだが、だとしたら
意味はどこからどうやって到来するのだろうか?
現存在である限りの存在から?
あるいは後期ハイデガーのいう存在そのものからか?
>意味はどこからどうやって到来するのだろうか?
現存在のFragenから、到来というより開示されるのさ。
93 :
考える名無しさん:02/02/26 06:28
>>90 渡辺二郎や木田元のハイデガー解釈が基本的に
近現代の哲学史の枠内にあることの射程の狭さを
指摘してプラトン、アリストテレス以来の哲学全体の
なかにハイデガーを位置付け直す解釈ってまとめて
いいんじゃないのかな?
バカか?
もっと読み込んでくれYO!
>>94 お前の質問の程度には、ちょうどいいだろ?
あん!も〜!
オニイチャンのバカ!アタシ知ってるんだからね!
オニイチャンがアタシのパンツの匂い嗅いでシコってるの!
もっと解釈とか気遣いとかに踏み込んで答えてクレヨン!
>>96 だってお前のパンツのニオイを嗅ぐ行為が、
僕の本来的存在可能を暴露させるんだもん。
アタシのパンツは現存在の確実性を脅かす無としてオニイチャンに表れてくるのよ。
でも、お前のパンツについてる血は、お前自身が覚悟性をもつことへの
契機でもあるんだよ
>>66 >>デカルト的に言えば、我問う、ゆえに、我在り、であって、
>>問わなくなってしまえば、存在もせず、存在者でもなくなる。
>存在者でもなくなるんじゃなくて、現存在と定義づけできないんじゃないの?
>デカルトも別に、存在しないとはいってない。われ思わない時の存在は
>問えないだけでしょう。
お、どんどん話は進んでいっているようだが、
ぜんぜん進んでいっていない、とも言える。
問う存在、としての現存在の問題は、序論第1章第4節(S.11)で、
実存という概念に引き継がれる。このしくみはどうなっているか?
現存在は、我の肉体のことではなく、むしろ、
デカルト、カント、そして、サルトルへ連なる、
意識、とくに自己意識、のようなものであると思う。
したがって、やはり、
問わない、ときは、ない、のではないだろうか。
しかし、問うて答えるときと、問いをはぐらかして答えているときがある。
みずから問うて答えるのが、本来的、
問いとは別の、ありあわせの答えで間に合わすのが、非本来的。
S.12のまんなかあたり参照。ただし、この問題は、もっと後でまた。
みずからの存在をもって、問いに(本来的に)答える、というのが、
verhalten(変容して保持する、応待(?))であり、
この意味で、現存在(意識)は、おのずから、自己意識、となる。
そして、このように、
自分自身の存在を持って存在の問いに答えるあり方を、実存、という。
意識、と、現存在や実存、の関係については、
S.115、第25節 現存在の実存論的な問い、も、あらかじめ参照せよ。
102 :
考える名無しさん:02/02/26 09:55
現存在は世界内存在であるという規定は
現存在を自己意識(ヒッキーな意識)としてとらえることを
さける為の規定なのだから
>現存在は、我の肉体のことではなく、むしろ、
>デカルト、カント、そして、サルトルへ連なる、
>意識、とくに自己意識、のようなものであると思う。
というのは不適切な解説じゃないの?
>>102 正しい指摘だ。
ただし、やや話を先取りしすぎている。
自己意識と言っても、たしかに、いわゆる内面性ではない。
だが、この問題は、
世界と「世界」の違いなどを整理してからの方がよいと思う。
これはあくまで序論の部分を読むための
現象学としての暫定的理解のための解説と考えてくれ。
これでよろしいか?
104 :
考える名無しさん:02/02/26 10:24
>>103 レスサンクス
暫定的理解のための解説ってのも難しいからね。
失敗すると要らん夾雑物を提供することになると思うんだよね。
ついでだから、述べておくが、
サルトルの、意識、自己意識、等々にも注意がいる。
これもハイデッガーの上にこそなりたっているから。
同様に、ヘーゲルはヘーゲルで、意識を、
まったくカントとは異なる心構えで読む必要がある。
まあ、こちらは当然だろうが。
106 :
考える名無しさん:02/02/26 10:34
ていうか、純丘って人、マジなの?
高校生の落書きにしか見えないレスだな(藁
>ていうか、純丘って人、マジなの?
>高校生の落書きにしか見えないレスだな(藁
小学生の落書き
108 :
考える名無しさん:02/02/26 11:35
なんでもいいじゃないですか。
おかしいとこがあるなら具体的につっこめばいいんですよ。
>>109 そうそう。純丘が電波だろうがなんだろうが、
突っ込めばいいだけの話。少なくとも話題は提供しているし。
反論もしないでただ叩くだけだと厨房とかわらんよ。
ドイツ語ができる者にとっては当然の既知とは思うが、
ハイデッガーが、意識という語を避けて、現存在という語に変えた
ということは知っていた方がよい。
ドイツ語で言えば、意識は、
ベヴストザイン、つまり、知って=いる、で、
これに対し、現存在は、ダザイン、つまり、ここに=いる、である。
この、ダ、というのは、
ふつうには、出席に応えるときなどに用いる。
先に102が、世界内存在、という言葉との関連を指摘したように、
ただ知っているのではなく、
ここに自分自身としていかに応えるか、
が、ダザイン、ということになる。
序論の後半は、くだくだしいので、後回しにして、
第一部の第一編、第一章、現存在の分析論にこのままつなごう。
だれか第9節をまとめてくれ。ここが最初の大切な部分だ。
112 :
物理学科院生:02/02/26 23:01
>>101>>103 >この意味で、現存在(意識)は、おのずから、自己意識、となる。 そして、
>このように自分自身の存在を持って存在の問いに答えるあり方を、実存、という
どうでもいいけど現存在は意識を持った主体のことではないんだよな?
むしろ自己解釈的な人間存在の根底的な存在様式を実存というんだろ。
あんたのそれは
>あくまで序論の部分を読むための現象学としての暫定的理解のための解説
としては不十分だと思うが?
俺はまだまだ勉強不足なんで基本的な誤解があるかもしれんけど。
113 :
考える名無しさん:02/02/27 01:35
ののたん! アーイ\(´D` )
現存在は存在者の場所指示のことではなく、
ノハヽヽ
____ヽ(´D` )/_____
\ 世 / | | \ 界 /
\/ ∪∪ \/
/\ ((⊂ ⊃)) /\
/ 内 \____/ 存 \
 ̄ ̄ ̄ ̄\. 在 ./ ̄ ̄ ̄ ̄
\/
ののたんに存在者とののたん自身が出会うような
開け(Offenheit)なのれす。世界-内-存在とも言うれす。
どういうことかと申しますと...
114 :
考える名無しさん:02/02/27 01:35
/| | | |ヽ
川 `〜)@ハハヽヽ
( __つ ‘д(●´ー)
ヽ、( _つ ( つ )つ //
. /) )゙ー、_) ゙) _)ハヽヽ
ミ くr(___)___,=<(___)´D`;)つ ひ〜ん
‘ー-'ー--ー、,,,) ̄ ̄ ̄
開けは、ののたんがその仲間たちの存在者どもと連帯させられていること
なのら〜。これを気取った言葉では「運命」とも言います。ののたんは
彼女らと共に居ること(Mitsein)に耐えていかねばなりません。
∋oノハヽo∈ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
( ´D`) < ちんぽびんびん
⊂ ヽつ)) \_______
(_ ノノ ☆ヴォッキーン
もちろん、辛いのでこうやって気を紛らすこともありますが
115 :
考える名無しさん:02/02/27 01:36
ノハヽヽ ヒ〜ン オナカスイタノレス....
⊂´⌒つ;´D`;)つ
やっぱり存在することは重荷なのれす。ようするに気が重い、鬱....
でも、開けに入って来た、世界に住むようになったのは
ののたんが好きでそうしたのではなく...
| | | | | |
ノハヽヽ
∩∩(;´D`∩) うわぁ〜ん!!
人___ノ
ののたんは、開けというののたん自身の存在根拠に初めから
投げられているのれす。
116 :
考える名無しさん:02/02/27 01:36
ノハヽヽ
,,,⊂(;´D`;⊂⌒`つ ▲ ___ ___
⌒::;;⌒⌒⌒;;::⌒⌒.:: :⌒;;⌒::.;;.⌒⌒/ /| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄/ /::. :; ;⌒⌒:.:⌒:;⌒;;⌒⌒⌒
::: ;;: :,;: ;;.. : :; ,::.; / /| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄/ /.., ,; .: ,,。, ::;;,
::: :;.. .,;; ; : :::., / /| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄/ /,,; ::: :; ;;:
::: ;;: :,;: ;;.. : :; ,:.; / /| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄/ /.., ,; .: ,,。, ::;;,
自分の責任でもないのに、どこか知らない世界に投げ込まれている、
しかもそこは世界と自己の結合として、ののたん自身の存在根拠
でもあるのれす。開けによって負わされたこの世界-内-存在という運命が、
重荷として気分において露わになるのれす。
気分が重いとか気が楽というのはこの投げられた根拠存在のことれす。
117 :
考える名無しさん:02/02/27 01:37
ハイデガーのやろうとしているのわ...
/| | | |ヽ
川 `〜)@ハハヽヽ
( __つ ‘д(●´ー)
ヽ、( _つ ( つ )つ //
. /) )゙ー、_) ゙) _)ハヽヽ
ミ くr(___)___,=<(___)´D`;)つ ひ〜ん
‘ー-'ー--ー、,,,) ̄ ̄ ̄
こういう世界-内-存在を可能にしている...
ノハヽヽ
____ヽ(´D` )/_____
\ 世 / | | \ 界 /
\/ ∪∪ \/
/\ ((⊂ ⊃)) /\
/ 内 \____/ 存 \
 ̄ ̄ ̄ ̄\. 在 ./ ̄ ̄ ̄ ̄
\/
世界-内-存在の開けを...
118 :
考える名無しさん:02/02/27 01:37
ノハヽヽ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
( ´D`) < がんばるのれおうえんしてくらさい
_φ___⊂)__ \________
/旦/三/ /|
| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| |
| .ののたん |/
学問的に打開して逝こうという試みなのら〜
>ののたん
オモロイYO!
>ののたんは、開けというののたん自身の存在根拠に初めから
>投げられているのれす。
ののたん説明うまいなあ。被投性というやつだね。
>ののたん、いい!
子供にでも分かるハイデガー、
って本かいたら?
122 :
(・∀・) ゲラゲラ:02/02/27 01:50
へタレ純丘
いいかげんにしろ
123 :
考える名無しさん:02/03/03 01:11
ageage
124 :
(・∀・) プププッ:02/03/03 01:44
純丘のことは許してやれよ。
やつはドキュソなりに哲板で必死なんだから。
それにしてもやつの必死さがよくわからないな。
この哲板での必死さが…
125 :
考える名無しさん:02/03/11 16:15
ハイデッガリアンは、岩波文庫で復刊された
デュルタイに一応目を通しておいた方がよいのでは?
ののたん。
馬鹿が小利口づらするのは止めな。
醜いから。
127 :
考える名無しさん:02/03/28 01:26
age
128 :
考える名無しさん:02/03/29 00:07
129 :
考える名無しさん:02/03/29 00:25
130 :
考える名無しさん:02/03/29 00:25
ハイデガーってナチスとの絡みがたまに出るけど当時ドイツを執拗に追い詰めた
フランスなんかの事は何もいわれてないのか?ちょっと公正さを欠くような。哲学的には。
131 :
(・∀・)ゲロゲロ:02/03/29 01:10
『ハイデガー=存在神秘の哲学』…
題名だけでお腹いっぱい。
132 :
考える名無しさん:02/03/29 01:38
>>131 あながちそうともいえないでしょ
ハイデガー本人が中世神秘主義に影響を受けていたことも事実なんだし
133 :
考える名無しさん:02/04/06 11:14
個人的にラクー・ラバルトなんかのやり口は好きになれない。
ハイデガーも好きじゃないんだけどさ。
津田真一も、よくハイデガーを引用するな。
お!津田真一
講義、ウォークマンで録音してた
新たに『存在と時間』購読スレ立ってるんで
そっちに期待して、ここはageない
開放系だった・・・(鬱
講読だった・・・俺はいったい何なんだ
138 :
考える名無しさん:02/04/11 06:00
/  ̄ ̄ ̄ ̄ \ / \
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/λ \ / /
/ / \ ヽ / /
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/ / `ー 、 | \ \ / \
| .| ー―-、 | \ \ / \
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,^ヽ.| ,;;_llliiillli_iJ ,;;iiillIIii_ |/= \ / \ ,`
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ヽ | | ヽ  ̄'/ 【  ̄ , |_// \ / /\ \
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ヽ、 |||||:|||||||||ll ( / / /
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_ ,――| \ / / \ \ /
/ |\ ー――一 / / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\ ` '
/ | \ _/ / / \
| / 入 / / \
139 :
考える名無しさん:02/04/29 07:55
初歩的な質問で申し訳ないんですけど、
ハイデガーの「存在」って、「存在することそのもの」について論じているのでしょうか?
それとも「存在のあり方」について論じているのでしょうか?
「存在と時間」を読み限り、ハイデガーは「存在のあり方」を考えているようにしか読めないんです。
世界内存在とか、気遣いとか。
これは人間の存在構造を分析しているだけで、ヴィトゲンシュタインが言ったような「宇宙に神秘はない。宇宙が存在することが神秘である」というような、
「存在することそのもの」にたいする問いにはなにも答えていないと思うのですが、どうなんでしょう?
>「存在と時間」を読み限り、ハイデガーは「存在のあり方」を考えているようにしか読めないんです。
>世界内存在とか、気遣いとか。
そこら辺は、結論ではなくて、まだ途中かと……
141 :
考える名無しさん:
>>139 >初歩的な質問で申し訳ないんですけど、
いや、なかなか鋭いですよ。
存在という言葉が、「存在のあり方」、「存在することそのもの」の二通りに解釈できるからけっこう読者は混乱するんです。
さいしょ「存在のあり方」を著述して、「存在することそのもの」を問おうとしたんですけど、そこまで行ききれなかったというのが正解でしょう。