1 :
ヴィトゲン主体:02/02/07 00:03
常識だけど不思議だとは思わないかい?
確率は無定義述語です
神はサイコロなんか振らないよ。
犀はなげられた
確率論が当たっているように見えるのは
偶然、全て当たってしまっただけ。
…という確率もある。
無いと多様性がアレだから
7 :
ヴィトゲン主体:02/02/07 19:11
>>5 確率が当たらない確率が限りなく0に近いとはどういうことだろうか?
8 :
考える名無しさん:02/02/07 19:13
決定論と自由の両方の概念があるから
9 :
考える名無しさん:02/02/07 19:24
確率は数学者が作ったモデルのような。存在条件を満たすかどうかは
別の問題な気がする。まあなにかとアレだし。
確率が存在する確率はいかに?
無定義用語としての確率とは別に確率があってそれが人に見えると。
いわば、確率の背後に格子のような枠組みを人の認知能力が打ち立てたのでないか。
とくに私にとって重要なのはこの枠組みの存在の可否であり、もう一つの可能性
に想像力を飛躍させるためにどういった魂の線路が引かれているかといったこと。
実際的状況では11は敷衍というか統合、演繹というか帰納なんだろうが、
ともかくそれを飛躍と言い得ると考えた。
数学の確率論では、普通の感覚としての確率を考えて、それが満たすべき条件を考えて、それを逆に確率の定義とする。
これは数学の公理化のテクニックで、普通の意味での確率が無定義というわけではない。
数学は普通に使う言葉で数学に不必要なところを取り払って、あらためてそれを定義とすることあがる
>>7 任意の系に対し人が全てのモデルを想定できないにも関わらず、
確率論的予想が有効だ。この様子を秩序と呼べるだろう。
従って確率論の有効性は世界の無秩序性の増加とともに減少する。
15 :
考える名無しさん:02/02/08 00:23
確率がそんなに不思議かね。
なんでそう思うのかわからない。
16 :
考える名無しさん:02/02/08 00:28
<確率>が存在してるわけじゃないんじゃない?
存在が存在するのは何故だ?
常識だけど不思議だとは思わないかい?
18 :
名無しさん@1周年:
タイプとトークンが概念として双方想定可能だから