リチャード・ドーキンス「利己的遺伝子」

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146考える名無しさん
横からすいませんが一言。

嫉妬を生きる糧にしている人もいるんだなと、今更思ってしまいました。
これを哲学的に表現した物ってあるんでしょうか?
嫉妬を自分の食料とするためには、”ある能力”が必要なはず。
これが今の大衆社会が必要としている物ではないかと、一人推測してしまいました。

ですから、”嫉妬させること”を正義だとすることで、つまり
”嫉妬を交換するのが公共の利益”だと思わせるのが大衆社会ではないかと。
そうなると自然に、”知識を吸収するよりも自分を表現することが重要だ”と思うし
また、逆に”他人を嫉妬させる自分を正当化させる”ことになる。
つまり、”嫉妬を交換する”ことで生じる”社会と個人の相互の自然な反応”が
”大衆社会”と”表現する個人”という訳です。

もっと勝手に推論を続ければ、これまで天才と言われた人たちの情報が本という形で
残っていたために、後世の人たちはそういう天才と言われる人たちの功績を
いち早く今の生活に取り込むことが自分達の利益になると考え始め、
そういう考えが多くの人に”広まる”ことで現在のような大衆社会が生まれたのではないか
と思いました。

非難轟々、笑止千万との声がきこえそうですが、
ちょっと感心した感想を発言してみました。

つまり、メディアの影響ってことでしょうか?ん????