非決定論と共に確率論が語られる事は多いけど、
確率的にもっとも可能なモデルを導く推論のタイプが
現代の世評において貧弱だと思うのは私だけか。
世評って何?
統計学じゃ不満なの?
例えば手探りのみで地図を作成するという課題はアブダクションに関わると
思うんだけど、どうして視覚ではアブダクションにならないか。
それは一つには視覚によって複数の地点を同時に知覚できるため、
ということがあると思う。つまり関係があまりに明瞭と。
で、おんなじ視覚でランプの明滅による刺激やモニターに写される
図形の場合には、そこからなんらかのアブダクションをすることは、
あると考えられる。
4 :
考える名無しさん:02/02/03 03:05
今、1が死んだ。
これほどのスレッドを立てる才能がありながら、1は死んでしまった。
分かっているのか?殺したのはおまえ達なんだぞ。
こんなに才気溢れる、将来性豊かな、ゆくゆくは日本が誇る世界の巨匠に
なったであろう1を、おまえ等はつまらん煽りや叩きで殺したのだ。
恥じるがいい。悔いるがいい。悲しむがいい。嘆くがいい。
俺はおまえ等を恨む。1を殺したという理由から、この板の住人を、2ch
住人を、ひろゆきを、日本人を、人類全てを。
1よ。おまえのことは忘れない。
おまえを殺した奴等にはいずれ俺がきっちり復讐してやる。
安らかに眠るがいい、1よ。
おまえの立てたスレッド来年から歴史の教科書に載るそうだ。
1を殺した者共よ。俺に殺されたくなければ、この1を超えるようなス
レッドを立ててみろ。それが素晴らしい物であったら許してやる。
そして素晴らしいにもかかわらず、ここの1と同じ運命を辿るようなら
ば、その時はおまえの復讐も俺が果たしてやろう。
そういうアブダクションと確率とどう関係づけたいわけ?
いや、明らかに何らかの関係はあるんだけど、
君が何を議論したいのかがよくわからん。
世評を含め様々な社会レベルでのことなんだけど。
続きだけど、奥行き知覚は一つの推論の可能性を示している
と思うんだけど、たぶんこれがC・S・パース先生の言う
アブダクションにつながると思うわけ。(これ自体は主張というより
スレ作成の背景を言っているにすぎない。)
>>確率論的アブダクションという方法
だからアブダクションを確率論化しようってこと?
そんなら大抵の理系はやってるじゃん。
>>5 確率を用いたモデルと確率的推論は違っている。
この意味で「確率論で考える」というのはじつに曖昧と思うんだけど、
駄洒落ではないが確率論を確立する努力がないということを
言いたいんだけど、それを言うデータが私には不足していると
思われるので、確率的推論のあり方と可能性を模索しようと
いうのがねらい。
理系?数理言語学とかでは見かけるけど。
で、大数の法則とかがあるわけで、例えば哲学で確率論的アブダクション
ということになると、起こる確率を想定しないといけないと思うんだけど。
日常生活当たり前にやっている推論の結果を補足検討する理系の立場で
はそのような確率論の導入はたやすいと思える。
けれども、現象学が扱うような経験の前では確率の等しい事象集合という
事さえはっきりできないという問題があってこれをどうするか考えないと
ちゃんと確率論的アブダクションが可能でないというのがおおまかな私の主張。
9は分かりにくい。じゃあ分かりやすい例で言うけど、
全てのモデルを枚挙することはできない。したがって
確率論的アブダクションは挫折するのも必定。
この反論をどう打破するか。
> 全てのモデルを枚挙することはできない。したがって
> 確率論的アブダクションは挫折するのも必定。
> この反論をどう打破するか。
そこまで行くとかなり面白いね。
統計学でも研究してる人いるんじゃないかな。
でも、そこまで行くとアブダクションとはもうあまり関係ないんじゃない?
アブダクションはあくまで、有限の証拠から仮説を立てる段階で、
確率論を使ったテストはその後の段階でしょう。
>>11 ありがとう、面白いって言ってくれて。最近さんざんな毎日だったけど
若干和らいだよ。もうここらへんで今日は寝とく。
それとアブダクションは日本語で仮説生成とかだから
おっしゃることはごもっとも。
>>12 そっか、アブダクションってそう訳すのか。
おやすみなさい。いい睡眠をね。
タイトルは確率論的推論に訂正でいいかな。
ところで、空間イメージの推論について最近興味深く思うのだけど、推論するメカニズム
を扱うとき奥行き知覚を考えるだけではバランスが悪いと思う。
パターンの中にある論理が空間であると同時にパターンの連なりから空間を感じている
ことも確かなのだから、そうした連なりとしての世界の容態を形而上学的系列のなかで
記述することを考える必要を感じる。
空間とはどのようなものか。
空間がある種の規則性と関連している事は同意してもらえるだろう。
それはどのような規則性か。眼前に対する推論として空間が構成されていく
様子を考察する場合、確率論で考えると面白い事が分かってくる。
ある時系列パターンに対し空間イメージがなぜ可能か。
これは確率論的問題だと思う。次のように考えると面白いのではないか。
パターンから空間の候補の生成と選択が行われる。その選択の基準が
空間イメージの達成可能性に関する原理であり、その原理に矛盾しないものが
選択され空間のイメージとなる。このように考えると空間イメージの達成を
数理的に捉えられるのではないか。これを確率論的推論の一つの
可能性として読んでもらいたい。
空間が入れ物だとしたら、それは空っぽではない入れ物だと思う。
それと、空間の中身はその空間を定義している。
ということは、最初にあるのは中身で、その中身が感覚に届いて
人間的操作により空間イメージが作られると考えてよいだろう。
15について偏狭なモデルを提示してみるけど、参考にならないかな。
空間の中身は数字の配置で、それが身体移動とともに知覚される。
ある身体移動により経験として与えられるある数列が体験の本質
として、その数列から空間の様相についてアブダクションされる。
次の二点を16のモデルの意義として強調したい。
◇任意の素材の任意のパターンに対しその空間性が定義可能なこと。
空間イメージ作成について知識差を考慮しないモデルになっちゃうんだけど。
◇空間推論の原理についての主張を含まないため自由性がある。
例えば、異生物の空間知覚について想定してモデルを作成できる。
age
19 :
考える名無しさん:02/02/28 01:17
面白くなりそうなスレだが、
文章がもごもごしててわかりにくすぎるのが欠点か。
ちょうどいいからここで表現の工夫を覚えると良い
総括して、数学的哲学なるものを作るべし。
21 :
考える名無しさん:02/02/28 01:36
22 :
考える名無しさん:02/03/18 22:58
あげてみる
23 :
考える名無しさん:02/03/19 07:43
アブダクションは推論の一つのあり方。最近、この周辺の思考から離れてたんだよね。
おまけに私は忘れっぽい。自分なりにこの話題を掘り起こせる自信はない。
が、自分には大きなテーマなのでageてみる。
アブダクションは事象の間に統一的モデルを見つけるもので、
単なる帰納とは質を異にする。帰納はあらゆる事例の共通性の抽出であり、
根本的に新しい情報を作るのではない。
これに対し、アブダクションは情報を増やす。
仮説を生成するということは、共通性をただの規則として
捉えるのでなく、原理として捉えるということ。
だから、その原理は他の全ての事例にも適用される。
つまり、せまい範囲で見つけた規則を広い範囲にも適用してしまうという飛躍が存在する。
正確には、仮説「生成」の事をアブダクションと呼ぶらしい。
仮説生成する推論はアブダクション、アブダクションした仮設の適用は
アブダクションではない。
25 :
びたみん ◆BWLMxAG. :02/03/28 00:25
>>24 よく解らないけど、それじゃあアブダクションてのは
帰納の一般化による仮説や規則の生成ではないんだね?
どこがどのように違うかよく理解できないけど…。
アブは、一気に視界が開ける感じかな…?
26 :
アイク・ターナー ◆QmAE5kjc :02/03/28 00:32
>>1 パースは、induction, deductionからでは、理論的創造が
生まれないと考え、仮説を前提にできる論理を考えました。
それがアブダクションです。ただの推理ですよ。
>>24 >アブは、一気に視界が開ける感じかな…?
何の意味もない例えですね。
>>26 >仮説を前提にできる論理
なるほど!こりゃ簡潔な説明だ。
与えられた命題からの帰納、演繹だけではやれることがせまい。
そこで「仮説を前提」にすることを許容すれば
できることが増えるというわけか。
そもそも論理は前提によって成り立ちます。
29 :
考える名無しさん:02/05/03 08:03
このスレ、もったいないからageとく
アブダクション。人さらいですな
アブダクション という言葉のあやはさておき
要するに 確率論的に 推理する ってことを 言いたかったのです
二者択一な手法が 多いのは 理系もそうかも しれないですが
数理的手法には つねに 二者択一を回避する 強い手法が存在します
それが 確率論的断面で 対象にいどむという 確率モデルの手法です
可能世界という概念が 浸透したのは じつに意義深い と考えますが
じつは クリプキまで時代を 進めなくても カントなどにおいても すでに
可能なXという発想は じつに豊かに展開されていた と思います
さて その可能性のなかで 選ばれたものが 現実です
この選ばれる基準が 不明である場合には 学者が モデル化をあきらめる 傾向が
あるように思います
ここで あきらめるのではなしに 可能なXについての 考察から 掘り下げて、
演繹的に どのようなXである可能性が高いかという 確率的予測を たてて
そこから現実を 形而上学的にとらえるという アプローチが 可能でありましょう
32 :
考える名無しさん:02/05/24 00:07
このスレ、もったいないからageとく
33 :
石川梨華 ◆RIKAwz.6 :02/05/24 00:41
くvrう゛ぃfvさんとパース、すごいですね。
仮説に至る帰納と実験演繹の融合、とてもおもしろいですね。
34 :
考える名無しさん:02/05/24 02:57
よくわからないのですが・・・
ユルイ言明ばかりが選ばれませんか?
ところで、量子力学なんかは貴方のおっしゃるアブダクションの最たる
ものだと思われます。ミクロな現象は確率論的に記述されるというアレ
です。そもそも、量子力学で定義される「不確定性原理」は
ミクロ現象そのものが「確率論的」になっていることを提唱している
わけですが、その辺についての見解を伺いたいと存じます。
>>34 非自明の、もっとも欲張りな言明を選ぶ・・・という
ことならオッカムの剃刀の数学的基礎付けともとれます。
下條信輔の、「視知覚研究における一般的視点の原理」
みたいのものではないでしょうか。
あと、チャイティンの「数学の限界」・・・わたしはまだ
格闘中なのですが・・・との関連はいかに?
彼の主張は、そのアイデアに対しては否定的なように思わ
れます。
よいしょ
よいしょ・・・ (^^;
40 :
考える名無しさん:02/05/28 09:44
わからん・・・
どなたか、具体的に確率的アブダクション(と、思うもの)してみて
いただけないでしょうか?特にKUVRVIFV氏 石川梨華氏、礙礙礙氏、
希望。成るべく解り易いのを、お願いいたします。
>>40 正六角形およびその中心を通る三本の対角線から成る図形を
想像してください。これが何らかの多面体の骨格の射影だと
して、どんな立体を想像すべきでしょう?六角錐かもしれま
せん。立方体かもしれません。そのまま柱状かもしれません。
ここで六角柱を選ばせるような推論の原理です。
ここでの幾何学的射影の自由度を、もっと拡張したような考
えかな、と、想像しました。
誤: 六角柱
正: 六角錐
43 :
考える名無しさん:02/05/29 19:23
age
44 :
考える名無しさん:02/06/07 01:53
産婆術!
皆さんお久しぶりです
でもまたしばらく来れません(体調はとっくによくなっているのですが)
>>41 そういう感じです 36の本についてはそんな心に留まりませんでした
「数学の限界」はきいたこともないです 無知です
>>40 しっかりした推論は決まって大規模です
ですからもっとも手短な例でさえここに書きつくすのが困難であるばかりか
一人の人間で獲得するのが困難です
一般的にはこうです
あなたが自明であると考える認識でさえ逆転の可能性を持っています
これを、ある認識の可能性は100%ではない、というふうに数式化できます
ではこの数値は何によって決まるのでしょう
それを根本から問い直すのが「存在確率の推論」(=アブダクション)です
アブダクションという語は以降撤回します
sage
sage