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>360
可能無限はまさしくイデアです。しかし問題なのは、それは「可能無限論者」
が生み出したイデアではなく、数体系そのものが生み出したイデアであるとい
うこと。
1から始まる十進法が10、100あるいは0.1、0.01という具合に数
記号を右側にも左側にも制限しないというまさにその点が、可能無限を生じさ
せるのです。十進法それ自体の規則には可能無限を止める力はないのですから
、規則が可能無限を認めているということになります。いかなる数に対しても
その数Xに対してX−1、X、X+1が許されるという規則も同様です。
実無限論は、このような問題を解決するために、この上から付け加えられた新
たなイデアです。決して、実無限が先にあり、可能無限を誰かが後から持ち出
しているわけではないのです。
つまり、実無限が否定された瞬間可能無限は甦ります。私が新たに可能無限を
設定する必要はないのです。もともと数そのものの中にあるのですから。
可能無限をイデアであると退けるのは数理体系そのものの否定に他ならず、ゼ
ノンはまさにそれをさせようとしているのです。
ちなみに「無限小」の代わりに「最小」を設定するとまたラッセルの競技場が
登場してくるはめになります。
>>362 でしたら話は簡単でして,
「可能無限を採用する限りにおいては『アキレスと亀』は紛れもなくパラドックスである」
ということで話はおしまいなのですが.
> 可能無限をイデアであると退けるのは数理体系そのものの否定に他ならず
それは「当時の数理体系」ですね.
で,実無限を排斥するのは「現代の数理体系」の否定です.
# 量子力学の援用にしたって可能無限だけでは手も足も出ないからに他ならないのだし.
>>357 分かりました。荒し規定は撤回します。
が、
>実無限―可能無限は完全に論理学・哲学だ。
に付いては、説明してほしいが。
数学は現実世界の抽象ではあるが、非ユークリッド幾何の発見から、建前的・形式的には人間の思惟だけで構築されるし、その際のルールも比較的ハッキリしている
だからほとんど、数学の中で閉じている。
哲学にのみ閉じた議論というのはあるのでしょうか?
>>357 私は別に怒りませんよ。
数学は形式主義が逃げ口上になっているとおもう。
∀x:x∈ω⇒x∪{x}∈ω
が成り立つ。で、ここに使った記号それ自体の意味を考えない。「∈」が「元である」とか、「∀」が「任意の」などと読む必要は無い。
そうすれば、ωの中に無限個の元が詰まっているかどうかなんて考えなくてよい。
>>354 >>「有限の時間で無限の手順を行うことが不可能」というのが誤り
>そうかもしれません。ただ、私はその証拠が欲しいのです。
まず、「有限の時間で無限の手順を行うことが不可能」である証拠も無いから、この時点では対等である。
さらに、「有限の時間で無限の手順を行うことが不可能」となるとパラドックスが生じるんだから
これは誤りである、とまで断言できないまでも、「誤り」の方が断然優勢じゃないでしょうか
実際、1秒、1/2秒、1/4秒、1/8秒、、、と経過するのは2秒て終了するんだし。
これを疑問に思うのは良いとしても、その一方で量子力学は受け入れるというのは、かなりアンバランスだと思います。
>363
まあ、整理するとそういうことです。
私が問題としているのは、「現代の数理体系」を保証するにあたってここで何
人かの方が取っているのは「決して実無限論を棄てないと私に約束して下さい。
それは一番本質的なことなのです。私たちは、それについての教義を作らなけ
ればならないが、あなたは、それが揺るぎない砦だと分かります」という態度
に他ならないということです。
>「有限の時間で無限の手順を行うことが不可能」である証拠
「全ての自然数には次があること」です。もっとも、無限が存在しうるという
証明自体が不可能ですが。
>その一方で量子力学は受け入れるというのは、かなりアンバランス
問題はただ一つ、ΔxΔp=hとΔtΔE=hが可能無限の立場でも肯定しうるかどう
かです。それができないなら確かにアンバランスどころか全く無意味でしょう。
>>269>>270 数学や物理なら、当初はごてごてした理論も時代と共に洗練されることがあります。
ニュートン力学を勉強するのにプリンキピアを読む必要は無く、ずっと分かりやすい簡潔な解説書があります
普遍的な真理を探している以上、「その人のオリジナリティー」というより、たまたまその人が発見したとされます。
固有名詞の付いた法則や式は沢山ありますが、誰が発見したかそれ自体は、数学・物理そのものとは関係ありません。
ところが哲学の考えは固有名詞と固く結びついているような印象を受けます。普遍的真理を求めるなら、数学・物理どうよう、誰が唱えたかという個別性から抽象化するべきではないでしょうか?
なぜ、「原著」というのが重視されるのでしょうか?
結局、最後の最後に問題になるのは
「微分は宇宙の真理であるか否か」なんだろうか。
> 問題はただ一つ、ΔxΔp=hとΔtΔE=hが可能無限の立場でも肯定しうるかどうかです。
それに関しては明確に否定できます.不確定性関係の式は行列力学から出たものです.
そしてその行列力学では本質的に無限次元の行列を扱うのです.
この「無限次元」という概念を可能無限で表せるとはとても思えません.
加えて量子力学は実数論(複素数論と書くべきでしょうが,
それも実数論が基礎があるので同じことです)を基礎に置いています.
ところが可能無限では実数論を構築できないのです.
> 結局、最後の最後に問題になるのは「微分は宇宙の真理であるか否か」なんだろうか。
それはいくらなんでも飛躍しすぎだと思いませんか?
>> 結局、最後の最後に問題になるのは「微分は宇宙の真理であるか否か」なんだろうか。
>
> それはいくらなんでも飛躍しすぎだと思いませんか?
つまりですね,
どちらの無限であれイデアであるとあなたは認めていたはずなのに,
意図的かどうかはともかく,そこに現実の宇宙を持ち出して混同させている.
>370
ありがとうございます。私のゼノンに対する完全な敗北は証明されました。
次の問題は私が実無限論を信じるかどうかですが、
私は何者をも信じない主義なので、やめておきます。
>371
飛躍しているのは認めます。要するに、数学は数学がイデアであってもいっこ
うに構わんわけですね。ゼノン自身の本当の思想は、「世界の実相は人間には
分からない」というものだったそうです。私は別にゼノンも信じませんが、こ
れに反論できないことを認めざるをえません。
無限のイデアをどうやって有限の手順しかとりえない思考で創造したの?
>結局、最後の最後に問題になるのは
>「微分は宇宙の真理であるか否か」なんだろうか。
アホか。物理にとって数学ってのは法則を簡潔に表現し、
計算するための道具でしかないんだよ。
あくまで自然現象を表現するための道具。
数学や物理自体が宇宙そのものじゃないの。
376 :
考える名無しさん:02/02/06 22:03
物理の存在そのものが人間の傲慢とエゴに過ぎない。
まぁ物理現象を文字で表してひたすら悦に浸っていればいいんじゃないですか・・・。
井の中の蛙というか、ただ知ったつもりになってるだけでしょ?
しかも量子力学だとか、相対性理論だとか、あんなもんはたまたま光より速いモンがないから成り立っているだけに過ぎないし・・・。
377 :
考える名無しさん:02/02/06 22:10
>>376 そういうことにして悦に浸ってるわけですね。
>>376 そういう言い方するなら、人間のする全ての活動は自己満足で下らないとなってしまうよ。
>>367 191などさん
>>「有限の時間で無限の手順を行うことが不可能」である証拠
>「全ての自然数には次があること」です。
つまり、「ふう、あと一個で終わりだ。苦労した。これが最後の一個だ。やった〜、無限個やり終わったぞ〜」とはならないってことですよね。
でも、完了したからといって、「最後の一個」がかならずあるというのも、有限この場合はそうであるというナイーブな直感に過ぎなくて、それが無限にまで適用できる根拠は何も無いのではないでしょうか
>>365 >数学は形式主義が逃げ口上になっているとおもう。
>∀x:x∈ω⇒x∪{x}∈ω
>が成り立つ。で、ここに使った記号それ自体の意味を考えない。
>「∈」が「元である」とか、「∀」が「任意の」などと読む必要は無い。
わるいけど、こういうのはおかしい。逃げ口上足りえないと思う。
我々の心の中に数学があり、その心の中の数学を形式化したわけだろ?
形式に先立って心の中に数学があったのに、「数学は記号の上の話だから」
なんてのがいいわけになるはずがない。
君のような数学観は歴史の中で何度も現れてきている。というか、深く哲学的に
考えないものが飛びつきがちなアイデアだ。第二次世界大戦前の論理実証主義者
達がとった数学観に極めて近い。このような(ある意味)皮相な形式主義を、
規約主義とよぶ。
>>380 の続き。
論理実証主義は、プロパーな哲学者が中心の運動ではない。
数学者や物理学者が中心となっていた運動である。彼らが、
ラッセルやヴィトゲンシュタイン、アインシュタインの成果に
刺激を受けて作り出した哲学のムーブメントだ。
だが、彼らが主張した規約主義的数学観は、研究が進むにつれて、
決定的な難点が発見されて放棄された。
382 :
考える名無しさん:02/02/07 01:08
要するに、数学は数学がイデアであってもいっこ
うに構わんわけですね
↑トランスクリティークでも読めばいい。
>>380 でも外野からのややこしい突っ込みに対して、「意味なんて無いもん。記号
間の関係だけだもん。そのルールにしたがってどれだけ定理が作れるかって
いるゲームだよ。好きでやってんだから別に良いじゃん」と、開き直ること
が可能だと思うが。
そりゃもちろん、実際考える時には「x∈A」、は「Aという袋があって中にxが入っていて、、、」て考えるけど。
>決定的な難点が発見されて放棄された
それは何なんでしょうか?
>>382 経験主義的な立場から言えば、規約主義的な立場は望ましいことは望ましい
んだけどさ。イデア持ち出したほうが話は簡単だよ。ただそうすると、
今度はイデアってのはなんだってことになるけどね。
>>368 >ところが哲学の考えは固有名詞と固く結びついているような
>印象を受けます。
哲学が生み出すものは概念で、確立した概念は固有名詞と離れて
るきがするけど?「範疇」とか「イデア」とかを発見者と結びつ
けて考えないでしょ?
>>383 いや、あなた、
>そりゃもちろん、実際考える時には「x∈A」、は「Aという袋があって
>中にxが入っていて、、、」て考えるけど。
なのに、そういうふうに「開き直る」のは欺瞞だと思われますが。
>>384 「言語哲学大全 II」の2.2を参照されたし。なにも Quine の読みにくい
原論文を読まんでもいいっしょ。
>>386 でも原典ってすごく重視されないですか?
「イデア」ってプラトンと結びつくんじゃないですか?そんなこと無いのかな?
数学やってるともちろん、ある条件を満たす部分環を連想するけど
389 :
考える名無しさん:02/02/07 01:46
なんかよくわからんけど、非ユークリッド幾何なんかは
どうなるんでしょう。あれは心、というか知覚から全く乖離したところで
公理をつくって、背理法的に批判しようしたところ、たまたまできてしまったわけでしょう。
>なのに、そういうふうに「開き直る」のは欺瞞だと思われますが。
でも、正当性の根拠をどんどんたどって行くと、結局形式主義に行きつくというか、懐疑的な人にはそう言うしかないような気がするが。
>>389 でもそれほど荒唐無稽でないモデルはあると思ったが。
平行線公理を否定するんだったよね。詳しく知らないから下手なこといって恥かかないようにしないと。
だから、頭の中ではモデルを描いてはいるしモデルなしで考えるのは難しい。が、建前上はモデルの有無は関係無い、とうことだと思います。
モデルってのはその公理系を満たす具体的な考察対象とでも言えば良いのかな
>>388 哲学プロパーじゃないあっしがこたえるのはなんなんだが。
>でも原典ってすごく重視されないですか?
原典を読むって言うのは、科学で言うなれば実験のようなも
のなんだと思うのよ。哲学的概念をつかみ取るために実験を
繰り返すわけ。なぜその理論が提唱されるに至ったのか、
誤った説ならばそれがなぜ誤ったのかを原典を読むという実験に
よって学び取るわけ。
そういう訓練をしないと同じ過ちを繰り返したり、車輪の再発明
をしたりすることになる。
哲学と数学では原典の意味合いが大きく異なると思う。
物理だっておんなじ実験をなんどもするでしょ。それだって
素人が見れば「結果がわかってるのに何で同じことを繰り返すの?」
って思うのと同じようなもんじゃない?
>>388 じゃあ、カテゴリーは圏を思い出すとぼけていただかないと(笑)
>次の問題は私が実無限論を信じるかどうかですが、
>私は何者をも信じない主義なので、やめておきます。
可能無限に対しては狂信的にすらみえるけど?それなのにこんなこと言っちゃうんだ?
396 :
理系には限界がありますね(笑い:02/02/07 16:13
>この板の住人は理系らしいが
その認識は若干間違っていると思うが。
>>392 なるほど。そうするとそれは当然、その著者の思考を追体験しつつ、教条的にではなく批判的に読むことになりますね。
>じゃあ、カテゴリーは圏を思い出すとぼけていただかないと(笑)
うかつでした、って、範疇=カテゴリー=圏、ってワンクッションあるから気づかないよ(W
雑誌の広告で、「見なおそう、和の空間」てのを見て、茶室じゃなく線型空間の直和を連想してしまった。
>>372 >私は何者をも信じない主義なので、やめておきます。
でも「暫定的にとりあえず信じておくことにしよう」、てのはあるでしょ?自分以外に自我を持った同じような存在がいるようだとか、確かめたわけじゃないけど地球は丸いそうだとか。
そうじゃないと、日々の生活に支障をきたすと思いますが。
>>374 ふううん。
どうようにして,選択公理の成立も外挿してよいかなぁ〜
401 :
シャランラ:02/02/07 21:51
デリダみたいな何重にも折りこまれた論理を使いこなす力は
よくできた小説を書く力に似ているんじゃない?そうじゃない?
>>400 選択公理の成立も外挿してよいかなぁ〜
一体何をいいたいの?いやなら公理にしなきゃいいでしょうに。
>>380-381,
>>387 出張さんの形式主義と規約主義の間の関係の理解とか、
論理実証主義の理解とか、クワインの持ち出し方とか
ちょっと違和感あるけど・・・。
スレと関係ないしいっか。
>>405 おいらも書いてて自信がなくなってきたので、なんかあったら
いってくだされ。
407 :
考える名無しさん:02/02/11 08:36
とりあえずアゲ
409 :
考える名無しさん:02/03/11 18:06
ageteoku
あげ