C.G.ユングとその後継者たちの思想

このエントリーをはてなブックマークに追加
626考える名無しさん:02/03/29 18:32
>>622
しかしそうすると、一体どんなユング解釈が正当なのかという問題が出てくるだろ。
そして、ユング記述を読んだだけでは統一した見解が得られないのなら、>>1の言うように、それが哲学的厳密さを欠いたいい加減なゴミ思想であることを肯定することになりはしないか?
627考える名無しさん:02/03/29 18:38
いろんな解釈が可能というだけでゴミというなら、ニーチェもゴミだな。
628考える名無しさん:02/03/29 18:58
>>626 
全く恣意的な解釈しかできないというわけではなくて、
それなりに基本的なラインというのはあるだろう。
たとえば、「ユングは原理的に解決できない対立問題にどう決着をつけるかを考えていた」
というのは、基本的なユング思想の枠組みのひとつと見なしてまず問題ないと思う。
見解が分かれるのは、例えば、
ユングの心理学は「自己」の一神教である、というような解釈だろう。
629考える名無しさん:02/03/29 19:00
>>626
四月から高校でちゅか?よかたでちゅねー
630考える名無しさん:02/03/29 19:27
>>627
ニーチェは僕にとっては文学。哲学に突きつけた問題提起は非常に重要だし、それは彼の並外れた古典的素養から出てきているけれど、体系的な思想とは言い難いし、厳密な論理もない。そういうものは、哲学思想とは言えないと考える。
631626:02/03/29 19:30
>>626
「ユングは原理的に解決できない対立問題にどう決着をつけるかを考えていた」

具体的に原理的に解決できない対立問題とは何なのか、それにどのように決着させようとしていたのか教えてもらえませんか?
哲学的思想として。
632考える名無しさん:02/03/29 19:37
考えてました、ってだけならその辺のホームレスでも考えてるだろうしな(笑)
633考える名無しさん:02/03/29 19:40
ニーチェもユングも予言者気取りの基地外なので、その辺のホームレスと一緒。ゴミです。
634628:02/03/29 20:21
>>631
対立物の結合に関するユングの考え方は、いわゆる哲学的思想というよりも、
内観の臨床心理学であり、一種の神秘思想でもあると私は思う。
そういう点を前提にして、私なりにちょっと書いてみる。
 
ユングがよく挙げる対立は、意識/無意識、善/悪など。
これらは、原理そのものにおいては決して相容れない対立にあるとユングは考える。
論理的かつ合理的に考えるほど、この対立は解消できないものとして現われる。
対立自体は結局のところ解消することはないが、しかし、
ユングがファンタジーと呼んでいた心的構想力の中においては、
結合のシンボルの登場によって対立したままひとつに結合する、とユングは言う。
「対立したままひとつに結合する」というのはよくわかりにくいが、
とにかくそうとしか表現のしようがない心理的境地は現実に存在するのであって、
それが例えば、錬金術思想におけるパラドックス的表現や結合のシンボル、
マンダラなどの東洋思想の中に表現されているとユングは見る。
 
ユングはまた、対立問題というのは新しい生のあり方が出てくることで、
乗り越えられてしまうのだ、とも言っている。
新しくより力強い生の方向が出現すると、今まで悩んでいた対立問題が見劣りするようになってしまい、
結果的に、対立自体は解消しないけれども「乗り越えられて」しまう。
この「新しくより力強い生の方向」というのは、無意識の中に萌芽として存在しており、
通常はシンボルという形で表現されてくる。
これをいかに意識化して自覚していくが重要な臨床上のテーマとなる。
635考える名無しさん:02/03/29 20:33
ユングとマックスウェーバーのつながりも面白いぞ。
ユングは最晩年に「ヨブへの返事」を書いてるし。
林道義はマックスウェーバーの研究者でもある。
636考える名無しさん:02/03/29 21:10
ユングを叩く哲オタってのは彼が言うような「タイプ」とかに自分を
当てはめてみるのが嫌なんだろうな。時系列的なコンテクストを何がなんでも
跳躍して見せる事によって自分の体系を提出する事に「無意識的な」忌避が
介在するとしたら論理の悲しい齟齬を生じさせる事にもなる。


637考える名無しさん:02/03/29 22:55
還元ではなく構成。とはいえ、意識していなかった(無意識の)
なにものかを意識化(言語化)することで、症状が消えるのは
フロイトと一緒。
638考える名無しさん:02/03/29 23:12
臨床なんてその程度
639626:02/03/30 00:47
>>634
僕はユングをそれなりに読んだ上で批判的であるつもりなんですけどね。
あなたが対立原理の問題でなしに象徴的対立物の問題にし、哲学史上の対立問題
を臨床心理学ないし神秘思想の問題にすり替えているのは少し残念ですね。

無意識は意識の欠如、悪は善の欠如であるとする立場もある。そうするとそれは
二元的に対立するものではなく、一元的に語り得る対象となる。無意識について
はサルトルの立場がそうであり、悪についてはライプニッツの立場がそうである。
これに対してユング派はどのような思想的回答をなし得たのだろうか?何も為し
ていない。

対立する事象の生々流転及び「乗り越え」については、ユング自身が自分の方法
を弁証法的と認めていることからも明らかなように、方法論的にはヘーゲルの精
神の弁証法を踏襲している。そしてこの弁証法について改めてユング派の側から
ヘーゲルの弁証法へ何か発展的な見解や貢献を為したか?何も為してはいない。

原理的に解決できない対立問題については、哲学史上では、アポリアとして色々
残っている。そして、それについてユングは過去の哲学者の説を引用しながら自
説を述べている。これがちゃんと具体的に上げられないということは、
Psychologische Typen などの読み込みが浅いと言わざるを得ない。

例えば、デカルトの心身問題と、普遍論争以来の実念論的立場と唯名論的立場の
対立である。ユングの著作においては前者はシンクロニシティ、後者は心理学的
類型の問題として決着させようとしているようにも見える。しかしユングのこの
考えが哲学史的に何か貢献を為したと言えるだろうか?何も為してはいない。

まあ、僕の考えはそんなところです。正直、思想としてのユングには愛想をつか
した、といったところです。ニューエイジ等へはユングの影響があることは認め
ますが、哲学思想史の本流には組み入れられないと思いますし、もし評価された
としても思想的には袋小路。思想的後継者は皆無に等しいですから。
640心理畑:02/03/30 02:46
善悪は観念だからいいが、
無意識が意識の欠如というのはどんなもんかな……

そもそも、無意識も意識も、
現象の説明ツールとしての仮説構成体だと思うのだが。
641628:02/03/30 06:46
>>639
別に問題をすり替えたわけではなく、実際に臨床や神秘主義に関連する話だと私は思う。
むしろ、対立問題を哲学的問題としてのみ考える枠組み自体をユングは批判している。
対立問題に関して、理屈として一元的に考えうるというだけでは不充分、
これは心理学的に解決されうる問題なのだという認識が重要、という指摘は、
それこそ『タイプ論』でユングがアベラールに言及する部分にある。
哲学というジャンル自体を心理学の内部に相対化するのが『タイプ論』第一章の目的と言っていい。
このあたりのユングの試みを哲学の範疇からだけ評価しても意味はない。
 
ユングの場合、対立問題を取り扱う際の要はファンタジーになるけれども、
これを扱おうとすると、むしろシンボリズムとか文学的想像力とかの範疇に近くなってくる。
シンボリズムに関しては、カッシーラーの名前が挙がっていたけれども、
ユング寄りの哲学者エイヴンスの『想像力の深淵へ』によれば、
カッシーラーはその知的深さと包括性にも関わらず、
ものの直接性における経験がその対象領域から閉め出されている、となる。
この「ものの直接性における経験」というのは、批判的・体系的考察が主となる哲学の立場とは反するもので、
それを直接に扱っている領域となると、やはりシンボリズムとか神秘主義とかに近いものになってしまう。
ニューエイジとか神学とか東洋哲学者がユングを取り入れるのも、このあたりでしょう。

対立問題が対立問題としてしか現われ得ない局面が人間にはあって、
これを哲学の理論として乗り越えるだけでは、実際に悩んでいる人に対応できない、
心の問題としてそれをどう乗り越えるのかが重要だ、というのが臨床家ユングの基本的な認識。
たとえば、意識と無意識は本当に対立しているの?ではなくて、
「現に対立的である」という前提からユングの話は始まっている。
というか、対立的に感じられないようなら、その人はその問題とまだ直面していないのだ、となる。
このあたりのユングの指摘にリアリティを感じられる者とか、
そうしたリアリティに関わらざるを得ない者(たとえば臨床家)にとっては、
ユングの仕事は重要性を持つことがある。よくも悪くも、そういうこと。
642628:02/03/30 07:07
ちょっとだけ追加。

>>639 
>あなたが対立原理の問題でなしに象徴的対立物の問題にし、哲学史上の対立問題
>を臨床心理学ないし神秘思想の問題にすり替えているのは少し残念ですね。

ユングは、哲学史上の対立問題は心理的対立の問題として考えられるべきだとしていたし、
対立原理の問題も、最終的にはファンタジーにおける象徴のレベルでしか真には統合しえないと考えていた。
だから、これはすり替えではなくて、ユングにすればむしろ本質的なシフト。
このシフトそのものの持っている意味を考えていかないといけない。
643626:02/03/30 09:01
>>641
ここは哲学板。
哲学的問題以外は板違いの話題いうことをお忘れなく。
哲学的問題をいくら「心理学的」に解決したとしても、哲学思想史上には
何の寄与も貢献も出来ない。

当面カキコ出来ないのであしからず。
644628:02/03/30 09:36
>>643
哲学という枠そのものを問う話は、板違いではないとは思うけど。
それに、何よりも重要なのは、哲学内部でどうこうという話よりも、
心理学的な解決という考え方が持っている意味とか実際性のほうではないだろうか。

将来、西洋哲学と東洋哲学とが合流する形で思想史が語られるとき、
ユングは先駆者として否が応でも語られることになると思うけど、どうなることか。
 
復活お待ちしてます。
645考える名無しさん:02/03/30 12:22
>何よりも重要なのは、哲学内部でどうこうという話よりも、
>心理学的な解決という考え方が持っている意味とか実際性のほうではないだろうか。

同感。
646考える名無しさん:02/03/30 20:25
どういう体系、思想が「存在」しようともそれを認識理解する頭脳がなければ無意味。
それとも思想史上の全てのパラダイムの変遷を心理的解釈と無縁に説明できるのか?
647考える名無しさん:02/03/31 00:59
>>646
心理的解釈とはなんぞや?
648628:02/03/31 09:52
ユングの立場は、単に哲学史に心理学的解釈を加えるだけのこととはちょっと違う。
 
単純化して言うと、哲学とか科学というのは基本的には知的な立場からの考察だが、
心にはそれ以外にも感情、感覚、直観、想像力など、いろいろな要素がある。
これらの要素が、時として厳しく対立しつつも、すべて同時にあるのが実際の心であり、
そのすべての要素をまるまる含み働かせている形でのものでなければ
本当の人間の生は把握できないし、生の停滞たる神経症も治せない。
ユングの言う心理学的立場というのは、全的な心のあり方に即すというぐらいの意味だろう。
まるまるの心の働きを追うと、西洋哲学的な厳密さから外れる部分だってあるわけで、
ユングにはそういう部分を確信犯的にやっている面もある。
哲学的発想からだけ見てしまうと、こうした部分が切り捨てられた評価になってしまう。
 
ユングの場合、自分の思索を単なる哲学的考察にとどめるのではなく、
臨床現場で通用するようなひとつの実用的体系として練り上げたという点が大きい。
哲学者に比べて思索が甘いとか体系的でないというのはあるとしても、
人間のすべての要素に対する目配りのバランス感覚とか、
それを元にした実用性とかは、それ自身として大きく評価してよい要素になる。
 
>>1には「臨床的業績が無ければただのゴミ」とあるけれども、
つまり臨床的業績に結びつくような実用的な思索が現に含まれているということであって、
まさにその部分こそが評価に値することなのだ、ということが忘れられている。
その「現に含まれている」部分をいかに拾い出して位置づけるかだと思うが。
649心理畑:02/04/03 03:47
>648は見事なまとめだとは思うが、
実際のユングはそのへんからもう2,3歩踏み出して
明後日の方向に行ってしまったというのが俺の正直な感想だな。
「現に含まれている」部分というのは、
折衷的な力動アプローチに組み込んで残すべきものとは思うが、
ユングの物心一元論的な考え方には俺はついていけない。
占星術への傾倒とかそういう類のやつな。
オカルトがどうだとかいう以前に、研究態度自体にどこか、
自身の認知的バイアスへの無自覚さが感じられてならんのよ。ユング先生は。
650574:02/04/04 12:53
>>628 「自己」の一神教になる危険をはらむということですが、自己の概念自体について。
ユングの「心」観では、心の個別性と普遍性との区分と関係性が問題になる。
そこで自己の概念だが、「原型」の一つというかぎりにおいて、普遍的なものであるはずだ。
しかし自己とはまた「自己実現」=「個性化」(独語では同じ術語か?)において
実現を目指されるもので、つまり各個、独自の人格の完成形を示す、個別的なものでもあるようだ。
自己の概念自体がユングの思想史の中で変化しているのだろうか。
651考える名無しさん:02/04/04 12:56
>>649結局、一代では解明しきれない多くの問題を提起して、
それぞれについて自分なりの見解は示しつつ、解決は後進に委ねた、
と。問題提起自体に意義をみとめておく好意的解釈もあってよかろう。
652考える名無しさん:02/04/04 13:42
ユング=ファシストという見方は妥当なのでしょうか。
歴史的にやむをえず(?)ナチスに関与した、というよなことはあり、
前に議論になっていましたが、ところでユング思想自体に
親ファシズムなところがあるのでしょうか?
一方ではサブカル的受容もされていますが?
653心理畑:02/04/05 00:16
>651
まあ俺個人としては先人としての業績は認めてるが、ポパーあたりに言わせれば、
ユングの問題提起は非科学命題だから没ということになるのよね。
654考える名無しさん:02/04/05 03:04
まあ「非科学命題」の範疇そのものが変わっていくさ。
だいたいマスコミ露出の某オカルト批判者のいう「科学的」の「科学」観は
しばしば19世紀の科学の域を出てないとつっこまれて、本人の著作が
トンデモ本に指定されているぐらいだ。
655心理畑:02/04/05 03:37
それには反証可能性に変わる新たな科学的方法論が必要だろう。
まあ、有り得ないとは言わないが。
656考える名無しさん:02/04/08 08:17
sfdsdafdsafaewaewaesafaavasda
657考える名無しさん:02/04/08 16:57
>>656密教用語?
658考える名無しさん:02/04/08 22:55
GEAE
659628:02/04/09 10:33
>>649
率直に言うと、その印象には私も同感。(笑)
ユングを読んでいて、ああこいつの発想にはついていけないと思うことは結構ある。
だから逆に読んでしまうというのもあるけど。

ユングの業績に関しては、初期・中期・後期をある程度分けて評価したほうがいいと思う。
ユングは自分の関心や発想が、いわゆる科学的な立場に反することをずっと自覚していた。
それでも初期は、敢えて一般的な精神医学的・実験心理学的立場を堅持しようとしていたし、
中期に関しても、基本的には臨床心理学的な見地内に自分の見解を収めておくことに留意していた。
ユング心理学の、臨床分野への一般的貢献は、基本的にはこの時期までのもの。
後期になると、いろいろと大胆なことを言い始めてくる。この時期の著作、
たとえば共時性に関する著作などは、ユング派内部でも評価が分れていたりする。
要するに「明後日の方向に行ってしまった」のではないか、ということで。

私個人は、ユングは1910〜20年代、多く見て30年代までの中期を中心に考えるほうがいいと思っている。
後期の印象だけでユング全体を切って捨てる向きもあるが、これはやはり乱暴な扱いだと思う。
660628:02/04/09 10:35
>>650
「母親」という言葉は普遍的概念としても、個別の母親を指すときにも使われる。
「自己」も同じ。ただそれだけのことだと思うけれども。
ユングの記述の文脈を見ていけば、元型としての「自己」概念と、
その概念に属するメンバーとしての個々の「自己」とは区別されている、と私は思うが。

個別性と普遍性は、基本的にあくまで概念的な区別であって、
現実の事象がこの二つに明確に分けられるということではない。
たとえば、母親コンプレックスは、母元型という普遍的に見られるパターンが、
個人的な母親体験の素材によって具体的な形を与えられて成立する。
両者が同時にあるからこそ母親コンプレックスは初めて成立するのであって、
実際の母親コンプレックスにおいてこれらは不即不離。
ただ、臨床的見地からは概念的な区別とそれによる対応が必要であるとユングは考えた。

ところで、自己実現は Selbstverwirklichung、個性化は Individuation。
言葉は違うけれども、ユングにおいてはほぼ同義。
「私の一生は、無意識の自己実現の物語である」はユング自伝の冒頭の一文だが、
無意識の中にあったその人の可能性が展開して実現していくのが自己実現であり個性化過程。
ちなみに、「自己の一神教」という批判はユング派のヒルマンによるものだが、
私は違うと思っている。タオの思想をわざわざ一神教とは言わないでしょう。
661628:02/04/09 10:36
>>652
そもそもプラトンからして全体主義の先駆者にされていたりするが、
イデア的観念を至上のものとしたり、神秘的感情を思索のベースにおく思想家は、
多かれ少なかれ、良くも悪くも、全体主義的・権威主義的・民族主義的発想と親和性を持っているように思う。
ライヒは、神秘的感情こそが民族主義的イデオロギーの温床だと喝破していたが、
民族神話のなかにその民族の霊的再生の可能性をみた点において、ユングとナチスとは共通している。
もっとも、理論上は民族間の優劣を設けなかったという点で、ユングはナチスと決定的に違うと私は思っている。
 
ナチスとの関連で言うと、ルター、カント、ヘーゲル、ニーチェを
ナチズムを準備した関連思想だと断ずる研究者もいるくらいで、
何をもって親ナチス的な思想と見なすのかはかなり恣意的と言っていい。
一方、ナチズムはそれまでのドイツ文化とは無関係の突発的事象だと見なす研究者もいるが、
これもまたずいぶんと偏っているという印象を受けざるを得ない。
ユングに関する親ナチス論・反ナチス論の双方にしても、
その極端さからして全く信頼性がない政治的姿勢と言っていいと私は思う。
そもそも、親ナチス・反ナチス説双方共に決定的な証拠がないからこそ、
ここまで話がもつれているという事実を忘れてはいけない。
両者の関係はグレーであるという認識から初めて、丁寧に比較していく冷静な姿勢が重要だと思う。
662考える名無しさん:02/04/09 22:40
あれもこれもで何が言いたいのかさっぱり分からん。
オカルト臭いことだけは分かった。(w
663考える名無しさん :02/04/10 18:35
特定の地域でUFO目撃が頻発するとか。空飛ぶフリスビー
664考える名無しさん:02/04/12 20:37
non-no
665考える名無しさん:02/04/13 08:20
yung sine
666考える名無しさん:02/04/13 10:32
yung poa
667考える名無しさん:02/04/14 17:16
nonnnnnnnnnnnnnnno
668考える名無しさん:02/04/15 10:23
ge-gege
669考える名無しさん:02/04/15 17:49
>>662
  君  が  馬  鹿  だ  か  ら  ね
670考える名無しさん:02/04/17 00:33

その通り。
628さんが折角真摯に回答されているのに、なんのレスもつかない哲学板の民度の
低さにはがっかりだよ。
671考える名無しさん:02/04/24 19:01
民度高い人はユング読みません。
672考える名無しさん:02/04/24 19:13
>>671
民度・・ねぇ(嘲笑
673考える名無しさん:02/04/24 19:15
精査なくばコメントせず というスタンスもあるとおもわれ
674心理畑:02/04/25 01:08
ハンス・アイゼンクにてガイシュツ
675考える名無しさん
どういうことだ?