以下はミメーシスさんのレスです。
『あの有名な例でいうと
「明けの明星/宵の明星」〜「金星」
「明けの明星」「宵の明星」の区別が「意義」(Sinn)
「金星」が 「意味」(Bedeutung)
「意義は指し示すものの様態を含む」ということだから
「固体/液体/気体」の区別は意義の違いといった方が適切。
だと思う……』
この話は基礎的なものなんだと思います。まだ議論中なの
かもしれません。
でも僕は話自体を知りませんでした。
だからとても感銘を受けました。
他に、こういう基本的に押さえておくべきと思われる話・
思考がありましたら、哲板のみなさんの復習の意味も込めて、
コンパクトに挙げてみて下さい。
お願いします。
君の復習に付合ってやるほどヒマな奴はいないよ。
>>2そんなこと言わないでお願い。。
「永遠に到達しない矢」の話とか聞かせて下さい。
4 :
考える名無しさん:02/01/21 03:55
>>1自分で学びとる気はないの?
今ある資料の中から。
コペルニクス的転回は知ってる。
天が動いてるんじゃなくて地が動いてると正反対を考えること。
こんな風に、一つ一つの基礎的な事柄を、コンパクトにまとめて下さい。
>>4ごめんなさい。
みなさんのレベルが高くて、読み取れないことが多いんです。
沢山の要素が複合的に語られると、素人にはそれをときほぐすのがむずかしいです。
何がわからないのか、わかりたいのかが、言葉にならないのです。
明けの明星も宵の明星もおんなじ金星の意味だけど、意義が違う
なんてことは、言葉で思考する上でとても重宝です。
そういう細かな技法というのか、知恵をわかちあいましょう。
>>7そうだね。なんかで立ち読みしたけど、
「明けの明星と宵の明星は同一である」と、
「明けの明星は明けの明星と同一である」を比べると
いろいろ分かるってさ。
後者は単なるトートロジーだけど、前者には、それ以上の
価値(?)がある。意味するものが同じでも、意義している
ものが違うんね。。。
>>8考えさせられるという意味では価値がありますよね。
>1は「A=A」スレでのミメーシスさんのレスです。
そこでは、意義どうしを=でつながないほうがよいという
意見もありました。
H2O=H2Oと、氷=水との違いも、意義と意味、本質と様態の違いに発展する問題だそうです。
前者が意味で、後者が意義、ということでしょうね。
初歩的な知の技法募集中。
初心者にやさしい哲学板であれ。
>>1「永遠に到達しない矢」を否定する方法は、
小学校で習ったはずです。算数の時間にね。
>>11 それを教えて下さい。いや、自分で調べます。
他に知っておくべき知識の名称だけでも、教えて下さい。
それを自分で調べて、コンパクトにまとめてみます。
>1,11
ミメーシスさんの出典はフレーゲの『意義と意味について』という論文ですよ.同一性の問題ですね.
それを読んでわからないところをスレしてもらえば,知ってる限りのことは教えられますよ.
>9
正確にはある名前の「意味」はその名前が指示する指示対象で,「意義」はその
対象の与えられ方に対応する.「氷=水」はあまりいい例ではないね.この場合は
化学組成が同じだという意味であって,指示対象が同じだという例ではないから.
普通は,というかフレーゲが使った例は「明けの明星=宵の明星」もしくは「昨日の太陽=今日の太陽」
だね.
つまり「a」と「b」の指示対象が同一の時に「a=b」といった同一性言明の認識価値をどう説明するか,
という問題で,フレーゲは「a」と「b」の意味(指示対象)は同一だけど,その意義(与えられ方)が違う
という形で等式「a=b」の認識価値を説明したのね.
まあこれが基本的な説明で,この考え方をもっとも強力に批判したのが『名指しと必然性』のクリプキ.
で今のところこの論争の決着はついてないね.
15 :
考える名無しさん:02/01/22 13:16
>>14 氷=水も例になっているんじゃないか?
日常言語では固体のH2Oを氷、液体のH2Oを水というのだから、
自然種(本質)としては同じH2O(ミズ)が、その与えられ方において違
っている、という点では、ヘスペラスとフォスフォラスの例と同様だろう。
※実のところ「宵の明星(evening star)」「明けの明星(morning star)」
も正しい例ではない。両者とも名辞ではなく記述だから。
16 :
考える名無しさん:02/01/22 13:36
「名辞」ってなに?
「記述」ってなに?
その違いは?
この際教えてください。
17 :
考える名無しさん:02/01/22 16:53
>15
「氷=水」はやっぱりちょっと微妙だろうな.まあたしかに化学組成H2Oをもつ物質を指示対象に
すればまあなんとか例としては使えるってとこだろうな.氷とか水って自然種名だしね.
あと明けの明星宵の明星って確かに記述ではあるけど,むしろ記述だから意味と意義の議論として
は扱いやすくなるんでしょう.むしろ「キケロ」とか「アリストテレス」といった通常の固有名の方が
扱いは多少やっかいだと思うけどね.
17は僕.
せっかくだから補足しておくけど,僕が知る限り明けの明星と宵の明星が良くない例だなんて書いて
ある本はないと思うけどな.もし15に出典があるのなら教えてくれない? そんな馬鹿なことを言う
研究者がいるのなら知しっておかなきゃいけない.
19 :
mimesis:02/01/22 23:43
16は僕。
1に自分のHNが載っててちょ〜はずかしい。
アンソニー・ケニーの『ウィトゲンシュタイン』読んでたら
第2章「フレーゲとラッセルの遺産」に「明けの明星」が出てきた。
「既に陳腐な常套句となったフレーゲの実例を考察してみよう。
(A)暁の明星は宵の明星と同一である。……」
「陳腐」。確かに
クワインの『論理的観点から』(飯田隆訳)の
「なにがあるのかについて」にも
「経験主義のふたつのドグマ」にも出てくる。
クワインの「なにが〜」では
フレーゲの意味に相当するのが名指し(naming)になってて、
意義に相当するのが意味(meaning)になってる。
「意味は名指された対象とは異なるものでなくてはならない。」
(クワイン〜飯田訳)
意味の意味が逆になってる!
混乱するなあ〜
フレーゲのBedeutungの訳語が「意味」〜指示対象 ってのが
不自然な気がするんだけど。色々事情があって
しょうがないみたいだけど……
20 :
考える名無しさん:02/01/23 00:40
知ってたらごめそ ほんとの超初心者さんのために、念のため
いわゆる哲学でくくられるものには、
いくつかの流派があります 哲学界で隆盛を誇っているかどうかを
ちょっと置いといて2chの哲板でよくでてくる流派を言えば
1 分析哲学系
2 ポストモダン系
3 マルクス主義系 ってとこでしょうか
その他
4 現象学
5 科学基礎論
6 日本思想(ウヨサヨetc含む)
7 エロコロジー
8 その他経済学、精神分析、数学等が絡む場合あり
で、問題は、この(主な)3つは使ってる「言葉」がほとんど異なっていて
普通は、話が全くかみ合いません 特に、マルクス系と分析系
ですから、それぞれのスレが一体主として、どれに拠っているのか
予め判断しないと、さぱーりになってしまいまする
で、意義と意味の明星のお話は、分析系でした
(あと、ガヴァガイとか、禿頭のフランス王とかね なんのこっちゃだね)
21 :
考える名無しさん:02/01/23 01:28
それを言うなら
1.分析系
2.ドイツ・フランス哲学系だろ。
22 :
考える名無しさん:02/01/23 01:30
>>20 >7 エロコロジー ( ´Д`)ハァハァ…
24 :
考える名無しさん:02/01/23 03:41
んなこといったら英米以外全てポストモダンってことになっちゃう。
ポストモダニズムもマルクス主義もアカデミズムでは異端だよ。
異端…
いい響きだ。
英米で単にphilosophyというと分析哲学のことを指すらしい。
28 :
考える名無しさん:02/01/23 05:01
1 閨房哲学
29 :
考える名無しさん:02/01/23 05:32
英米系は不当に評価が低い。
あと、10年待たねば・・・・・・
30 :
考える名無しさん:02/01/23 05:43
へ?評価低いの?
このスレはみなさんの復習・再確認用につかってもらえてもうれしいので、難解な意見交換も歓迎です。
一応、僕の目的をいいますと、本はなかなか読むひまがないと思います。
かりに哲学板住人の傾向を、まったく本を読まずに自己の経験・
言葉だけで語る人と、たくさん本を読んで学術的に哲学を追求する人との二つにわけるとすると、僕はその中間に位置したいと思うのです。
そこで、コンバクトに凝縮された基礎的知識、つまり知の技法を求めたわけなのです。
ですから、
>>20さんが挙げられた個々の知の体系は、僕がまとめるには荷が重い。
しかし、流派によって言葉の用法が異なることがわかったのは、
>>20から得た大きな収穫です。
また、稲さんと他の方とのやりとりについてもまとめてみて、みなさんに評価・修正していただきたいと思います。
「氷」と「水」は記述こそ違うが同じH2O。
と
「明けの明星」と「宵の明星は」記述こそ違うが同じ金星。
この二つの命題の違いは、前者は指示対象が別の物(水と氷)であるけれど、後者は指示対象が同じ(金星)であるということ。
どちらも意味と意義の違いを探る上で問題はないが、指示対象が統一された金星の命題の方が、例として妥当である。
ただし、クワインとフレーゲでは以下の相違点がある。
「金星」は、クワインによれば「名指し」であり、フレーゲによれば「意味」である。
「明け/宵の明星」は、クワインによれば「意味」であり、フレーゲによれば「意義」である。
・・・こんなものかな。
「明け/宵の明星」という表記法はまずいでしょうか?そういった細かなご指摘も歓迎です。
33 :
考える名無しさん:02/01/23 12:52
とりあえず、「明けの明星」などと日本語に訳すしかないのだが、これは
確定記述になってしまい、名前ではなくなるから、まずいのだろう。
別にバカなことではないような気がするが。まあ、広い意味での単称名辞には
確定記述も含まれるので、いいと言えばいいが。
「明けの明星」って名前でしょ.広く取ろうが狭く取ろうが単称名辞でしょ.
>19
ドイツ語に,というよりフレーゲに慣れてしまうと「Bedeutung」を「指示対象」と考えるのは
そんなに違和感はなくなるんじゃない.ドイツ語の「bedeuten」って「意味する」とは訳すけど
「指示する」という意味もちゃんともってるからね.たとえば英語の「refer to」にはドイツ語
では普通「bedeuten」をあてるでしょ.
だから訳語でも「Bedeutung」には「指示対象」,「bedeuten」には「指示する」とあてた方が
よかったかもね.まあもう意味の方が定訳になってるからね.
>19(ちょっとくどいけど)
まあ明けの明星/宵の明星の例が陳腐だというのは,この例が意味と意義を問題にするときには
ものすごくいい例になっていて,みんなこれを使って説明するからでしょ.
15や33みたいに感じるのはクリプキの『名指しと必然性』を通して意味と意義の議論を見るからではないだろうか.
実際「アリストテレス」みたいな真性の固有名(仮にこんな言葉を使ったとして)の場合には,その指示対象の与えられ方
を表現しているようには扱えないからね.クリプキの議論をその違和感を見事に突いているから.
だからこの問題は錯綜するからある程度整理して,フレーゲの見解沿って理解すれば,明けの明星/宵の明星の例ほどの
好例はなかなかないんじゃない.ちなみに「明けの明星」って固有名だからね.英語でも定冠詞をつけて「The evening star」と
書くでしょう.
↑
「クリプキの議論をその違和感・・・」→「クリプキの議論はその違和感・・・」
「フレーゲの見解沿って・・・」→「フレーゲの見解に沿って」
>32 8才へ
ちょっと誤解があるかな.意味と意義というのは,あくまでもある指示対象が同一であるけれども
その与えられ方が異なっているということだから,「水=氷」の場合に「水」と「氷」の指示対象が
違うとやってしまうともうアウト.だから指示対象は同じであるようにしたいけれど,ある物が水で
あると同時に氷であるというのはちょっと不自然でしょう.まあ「H2Oを化学組成とする物質(ミズ)」
を指示対象とすればできないことはない.だから僕は絶対ダメだといってるわけではないよ.だけど「水」
っていうのは自然種名とか一般名と言われて,個物とはちょっと区別されてるから,そういった意味で
「水=氷」はあまりいい例ではないと言ってるんだけどね.
39 :
考える名無しさん:02/01/24 00:17
>34以下
そうだな、明けの明星はやはり、単称名辞だな。ホスペラスとかヘスペラスとか
別の呼び名があるから、混合してたな。
ところで、フレーゲの「Bedeutung」を意味と訳すのは、フレーゲのねらいの一つが
真でも偽でもなく無意味(Unbedeutet)な命題があることを示すことだったからじゃないかな。
すまん、ちょっとドイツ語うろ覚えだわ。フレーゲ読んでたの昔だから。
まあ、これは結局指示対象の存在しない名辞を含む命題なんだけど、さすがに「無指示な」とか
訳すと、変だもんな。
ところで、稲って、分析でもどのへんやってんの?ちょっとすれ違いだけど。
>36
「The evening star」って「宵の明星」だよな^^.
>39
どうだろう.やっぱりフレーゲのBedeutungって指示対象referentのことだから,命題の有意味性の問題とは
あまり関係ないんじゃない(まったくないとは言わないが).むしろ有意味性の問題を深く考えたのは
『論考』のヴィトゲンシュタインの方じゃない(もっともフレーゲが深く考えていないとは言わないが).
というよりこの問題が『論考』の中心テーマの一つだからな.『論考』だと有意味な命題というのは,それが
肯定される状況と否定される状況が明確に述べられなければいけない.有意味な文は真/偽という二つの極を
もつ.まあ簡単に言えば,これが有意味性の基準だよね.すると「世界は存在する」という文は有意味なのか
どうかはっきりしない.というのはそれが偽である状況なんて想像できないから.じゃあ「世界は存在する」
という文はまったくの無意味になるのか.これだっておかしい.だって明らかに真だから.こういった
有意味性の限界の問題を『論考』は「語る/示される」で解決しようとしたんじゃないのかな.つまり「世界」
とは語られるのではなく示される.どうでしょう.
>40
いや、だからウイトゲンシュタインが真偽両方の可能性を持たない命題を無意味
と呼んだのも、俺が上に書いたフレーゲの意見と対応してるやん。
たとえば、「ペガサスは白い」なんちゅう命題は、「ペガサス」の指示対象が
実在しないからフレーゲによれば無意味なわけ。実在しないもんについて語っても
真とも偽とも判断がつかへんもんな。
あと世界は、ウイトゲンシュタインによれば、事実の全体だからな。示される、ってこと
はないんじゃないか。
こんち、出張です。
「意義と意味」は同一性言明になぜ価値があるかを分析するのが主題だけど、
もう一つの主題として、指示対象に欠ける個有名や確定記述をどう分析する
のかがあるわけで。
>たとえば、「ペガサスは白い」なんちゅう命題は、「ペガサス」の指示対象が
>実在しないからフレーゲによれば無意味なわけ。実在しないもんについて語っても
>真とも偽とも判断がつかへんもんな。
これが Russell だと、記述理論を駆使して、有意味かつ偽と判別される
わけで、、フレーゲだと無意味だけど意義を持つ命題がありうるわけ
だけれども、ラッセルとヴィトゲンシュタインだとそこの区分が変わってきてる
って感じでしたっけ?
フレーゲは、確定記述も固有名の一つとして同じように分析して
なかったっけ?
>>36 稲さま
>ちなみに「明けの明星」って固有名だからね.英語でも定冠詞をつけて「The evening star」
>と書くでしょう.
確かにtheは冠しますが,固有名なのですか?水星も‘the morning star'‘the
evening star'にあたる筈なので,今ひとつ釈然としない.(同一の記号表現をもつ
異なった個体各個の固有名という事なのでしょうか.)
ちなみに,手元の英和辞典では「日の出直前に東に見える明るい惑星の総称;特に明
けの明星(金星)」とありました.
>>44 いちご姫さま、
theをつけると確定記述でしょうね。ただし、
ポスポロス(Phosophorus, 明けの明星)
ヘスぺロス(Hesperus, 宵の明星)
という固有名はありますので、日本語訳だと原語がどちらだったのか
判然としませんね。フレーゲが原文で固有名と記述のどちらを使って
いたかまでは不勉強で存じません。
>32 稲さん
丁寧な説明ありがとうごさいます。
あとは意味と意義、この二つの言葉をどう定義するか、どう使用するかにまだ議論の余地があるのですね。
僕はもうみなさんについていけません。質問しながら少しずつ勉強していきたいと思います。
この板はじめて見たんですが内容難しいですね
ところでおしえてほしいのですが
「無」でも「有」でもない状態とは「混沌」ですか?
「混沌」とはなんですか?「ゼロ」「空」「Null」全部意味違うと思いますが
「混沌」もまたべつの意味を持つのですか?
48 :
33=39=41:02/01/25 23:58
>43
そう、フレーゲは確定記述を固有名と同等に扱ってる。
あと定冠詞プラス普通名詞も。
>45
フレーゲは、ポスポロス、ヘスペロスの方を使ってる。だから、俺も
稲くんが言う、固有名としての明けの明星という言葉に違和感があった。
45の話は既出だったし、何より釈迦に説法だった気が激しくします。
主に
>>48さん、
SinnとBedeutungは以前は「意味」と「指示対象」と訳されていたのが、
「意義」と「意味」でないとフレーゲの考えていた主張とズレることが
わかってきたために訳語が変えられた、という話を小耳に挟んだこと
がありますが、どこで読んだのか忘れました。確か『言語哲学大全』か
『現代哲学基本論文集』の訳注だったと思うのですが。
たぶん
>>39でおっしゃっていることと関係してくるのでしょうね。
英訳でも昔はSinn: meaning, Bedeutung: referenceが一般的だった
のに、今ではSinn: senseとBedeutung: meaningになっているようで、
日本とパラレルなんですね。
あまりスレの議論を進展させてないな私。
50 :
考える名無しさん:02/01/29 03:05
>>48 フレーゲのカテゴライズに従うなら、「単称名」というタームを
使ったほうがよいかもね。
>41
「ペガサス」の指示対象が存在しないとき「ペガサスは存在しない」という文は無意味なのか.フレーゲの場合は明らかに有意味だろうな.
というのは,名前「ペガサス」の指示対象が存在しなくても,ペガサスの概念は存在するというのが終始一貫したフレーゲの立場だからこの
場合「ペガサスは存在しない」というのは「概念〈ペガサス〉の下に何も帰属していない」ということと同じになる.だからフレーゲの場合
には有意味.
>定冠詞について.
The evening starが固有名かどうかということはそんなに気にしないで書いたけど,フレーゲの場合にはそう考えて何も問題はないんじゃない.
「定冠詞の現れは固有名であることの徴表である」というのはフレーゲの有名な(悪名高い?)発言だしね.それにThe evening starを使って
論文を書くときもみんな固有名のつもりで使ってるでしょ.文法的にどうなのかということは重要な問題じゃない.脈絡で定冠詞がどういった意
図で使われているのかということが重要だから.僕の好きな箇所は,『算術の基礎』の本文の冒頭かな.「数die Zahlとは何か」という問いに
人は「数とはあるものであるdie Zahl ist ein Ding」と答えるかもしれない.しかしこれは一方が定冠詞で他方が不定冠詞だからだめだ,という
んだね.つまり定冠詞の唯一性を説明してない.だから定冠詞の文法的意味が重要なんじゃなくて,フレーゲが「定冠詞の現れは固有名であるこ
との徴表である」といった時に定冠詞という言葉で何を意図しているかということが重要でしょ.だから脈絡によってはthe manだって固有名だと
考えたって間違ってない.
>SinnとBedeutungの訳語について.
たしかにこの言葉を訳すのには紆余迂曲折があるけど,Bedeutungをmeaningと訳すのは一般的ではないでしょ.meaningと訳すのは,そこでの議
論に特殊な前提があるか,もしくはフレーゲの哲学の時期によって訳し分けてるんでしょ.少なくとも『基礎』では意味と意義の区別をしてなかっ
たというのが一応今でも有力な解釈ではあるから.この時期の議論でSinnとBedeutungに意義senseと指示対象referentを対応させるのはやっぱり
ミスリーディングということになる.今みたいな注意が必要ではあるけれど,一般的に言って,Bedeutungを指示対象と訳しちゃいけないというの
はかなり強い主張になるんじゃない.飯田先生の『言語哲学大全』の巻末の問題でも「Bedeutungを指示と訳しちゃいけないのはなぜか」であって
指示対象と訳しちゃいけないとは書いてない.
SinnとBedeutungに分けられるのでしょうか。分けられないでしょう。
一覧表は作れないと思う。分けようとすると矛盾が生じます。
>52
どのように?
なんか最近ぼくのスレながい・・・
>場合「ペガサスは存在しない」というのは「概念〈ペガサス〉の下に何も帰属していない」ということと同じになる.だからフレーゲの場合
>には有意味.
Bedeutung をもつということ?
ペガサスを種名として考えるならこの文は偽というBedeutungを持つとは
思うけど、単称名として捕らえるとどうかな???
SinnとBedeutungに分けてくだい(暇な人限定)。
金星を見る人 明星を見る人 明けの明星を見る人
人間 体 人物 主体 地球人 人間性 自分 我々 自我 自由人
細胞組織 ハゲ 恋人 オタク 人権 アダム イブ 細胞 他人
死んだ人 考える名無しさん 知識人 個性 日本人 日本産
>55
いや,そもそも「ペガサスが存在しない」というのはフレーゲにしてみれば,彼は存在という概念は概念
についての概念だから次のように言わなきゃいけない,って考えたんだね.つまり,
「ペガサスであるようなそういったものが存在する」
でこの「ペガサスである」というのをどうするかという問題はあるけれど,かりに「…はペガサスである」
という概念をP(x)とすれ,上のことは
「∃xP(x)」
と書けるだろうと.これは,名前「ペガサス」の指示対象が存在しなくても,これは有意味でしょ.
ちなみに「G(x)」をフレーゲの場合には「xが概念Gの下に帰属する」と読むんだよね.
>あちょー
いや,意味と意義なんてわけたってしょうがないから,矛盾を出してみて.52で
意味と意義を分けると矛盾がでると言ってるわけだから.
大分いろいろ思い出してきたよ。
>>57 Russell 後だったら稲氏の分析で大体いいんだけど、フレーゲだとどう
かね?
ユニコーンは一般名だけど、ペガサスは単称名だよ。フレーゲは、彼の
形而上学に従って一般名を名前のカテゴリーから締め出し、述語にした
けれども、単称名は論理的分析した場合も名前として認めるべきものと
認識してた。したがって、Frege 流に形式化するならば、
「∃x( x = ペガサス)」
とすべきじゃない?
>>59 の続き
Frege は実際には、Sinn を持つけれども Bedeutung を欠く単称名の
存在は認めていた。Bedeutung を欠く単称名を含むの文は、Sinn を
持つけどBedeutungを持たない文、文のBedeutungは真理値だから、
真理値を持たない文という分析をしているはず。
Frege の文章から該当個所を引用したかったんだけど、どっか
行っちゃったんでできないや。ごめん。「言語哲学大全 I 」の
2.3.4と3.2に関連した記述があるよ。
>かりに「…はペガサスである」
>という概念をP(x)とすれ,上のことは
単称名に対してこういう分析を許すならば、Sinn と Bedeutung の
区別を採用する必要性も薄れるわけだよね?単称名に対してこのような
分析が出来ることを示し、Sinn と Bedeutungの区別をなくすことを
主張したのが Russell の "On Denoting" だよ。
このすれもそろそろ記述理論 Theory of Description の勉強に移る?
62 :
考える名無しさん:02/02/01 07:47
続きやるなら
このスレは他の分野用にも残して、他に分析スレ立てたら?
「「言語哲学大全」を読むすれっど」もみてみたい.
>59,60,61
そうね,記述の理論が入り込んでくるといろいろ難しくなる.
ただ僕の話は,指示対象を持たないような名前を使った言明をフレーゲが一般的
にどんな風に考えてたかという話なので,記述理論の手前の話のつもりだったんだ
けどね.
ペガサスの話を僕がしたときには(57),フレーゲの『算術の基礎』第53節で
それまでの神の存在証明はだめだった,というのは存在というのは個体の性質では
なくて概念の性質だから,という箇所を念頭に置いて書いたんだけどね.
だから指示対象をもたない名前を使った言明も,フレーゲの場合には無意味には
ならないということが言いたかっただけ.記述の理論のもっと手前の話かな.
64 :
考える名無しさん:02/02/01 19:03
ああ、やっぱ稲君は「算術の基礎」を基に書いてると思ってたよ。
「意義と意味」とかなり違うんだよね、稲君のフレーゲ像は。
>64
いやいや,別に具体例を『基礎』からもってきたというだけで,僕のフレーゲ像が『基礎』
のものだなんてことをではないと思うけどね.
話の展開は,要するに,指示対象を持たないような名前を含んだ言明がフレーゲの場合だと
どうなるかということでしょ.僕の言ってるのは,存在という概念をフレーゲは高階の概念
だと考えていたんだから,名前が指示対象を持たなくてもそれを含んだ言明は必ずしも無意
味にはならない,というだけのことだから.別に『基礎』に限った話ではない.文の場合に
話は難しくなるけど,それについては僕は何も言ってはいないわけだから.
うみゅー、楽しいかも。
「「言語哲学大全」を読むすれっど」たてちゃいますか?
>66
ここでやればいいんじゃない?
あげとく.『言語哲学大全』の読書会に参加したい^^
70 :
考える名無しさん:
趣味的合理性とは、
倫理的普遍性に
至らない、常に
「永劫(末代)全員」
未満に支持され「うる」
「価値」である。(倫理の
基盤としては機能する)
原理科学、科学上の日常
諸事象たる、複雑多「量」を
「極める」すべての可能な
日常科学は、「趣味的
合理性」に括られる。
すなわち、あらゆる学問
は趣味が包摂している。
(すべての哲学用語
も、また「造語」である)