昨日は図書館に行くのに失敗したので、
近くの書店で大学受験の参考書を立ち読みしてきました。
歴史的にはほぼ150年ほど前にラプラス(だったかな?)が
それまで経験則として大数の法則から組み合わせ確率論を作ったとか(うろ覚え)。
その参考書を読む限りでは、ある事象の起こる確率を事象の起こった回数を
観測回数で割ったものとして定義しており、過去に起こった割合のことが確率である、
と言っているように感じました。
だから当初は未来に適用することが考えられていなかったのかなとも思ったのですが。
何故ならこの組み合わせ確率では、過去のデータを未来に適用する際に
>>49にあるように現実と数学的概念の関係が問題になってくるからです。
>>59出た結果に対して「何故?」という疑問をさしはさんだとしても、
大抵の人は1の目は6分の1で出ると結論づけています。
つまり私が2分の1というのはどこかが間違っているわけです。
私はどうして間違っているのか示してほしいのです。
>>63-65未来予知の存在はあり得ないとおもいますが、
もし存在するとしたらそれは誤り得ないものでなければなりません。
「1の目が次に出る」と言われたからには、少し休憩してまた振り直した時に
1の目が常に出なければならない。
これが未来予知というものでしょう。
そしてこうした未来予知と確率は無縁なものだと思います。
1の目が六分の1の確立で起きるなら2の目は、3の目は?
矛盾が生じるからじゃないの。
75 :
考える名無しさん:02/01/20 18:32
1よ、まずお前が何を言いたいのかがわからない。
どんな観点から、何について語りたいのかはっきりさせてくれ。
日本について語るときに「現代の日本」についてなのか「日本の歴史」についてなのか、
「歴史学」の観点から見てなのか、「経済学」の観点から見てなのか。
そういう事をはっきりさせてくれないと会話にならないのと一緒。
>>74(a) サイコロの目は1,2,3,4,5,6の6つ
(b) 1の目の出る確率は1/2
(c) どの目の出る確率も等しい
の3つを仮定すると矛盾するけど、(a)(b)だけなら矛盾しないよ。
(b') 1の目の出る確率は1/2、後は1/10ずつ
という確率分布でも確率論の中では問題ない。
確率論はどんな確率分布の上でどんな推論が正しいかは教えてくれる
けど、「これが正しい確率分布だ」とまでは言わないからね。
>>ロシアンルーレットは弾が出る確率が1/100だけど、自分にとっては
死ぬか生きるかで1/2、ということですか・・・?
1.ロシアンルーレットは弾が出る確率が1/100
2.死ぬか生きるかで1/2
この二つは違う確率を現しているので混同しないように。
2はあくまで1の因果の果にあたる。
78 :
考える名無しさん:02/01/20 20:42
>>73>大抵の人は1の目は6分の1で出ると結論づけています。
>つまり私が2分の1というのはどこかが間違っているわけです。
>私はどうして間違っているのか示してほしいのです。
やぱーり1は、「同様に確か」という概念がわかってないのでは
ないか? さいころの6つの目のどれがでるかは、「同様に確か」。
従って、1が出る確率は1/6。
「生きる」と「死ぬ」は「同様に確か」ではない。だから死ぬ確率は
1/2ではない。
ところで、確率論の有名なパラドックス(?)をご披露します。
袋の中に白と赤の玉が入っています。
Aさんが先にBさんが見てないところで玉をとり、次にBさんが残った玉を
とります。
Aさんがどちらの玉を取るかはわからないので、Bさんが赤い玉をとる
確率は、1/2です。
さて、Aさんが玉をとったら、赤い玉でした。そこに何も知らないBさんが
残った玉を取りに来ました。
すでに赤い玉をとったAさんにとっては、Bさんが赤い玉を取る確率は0。
しかし、何も知らないBさんにとっては、自分(B)が赤い玉をとる確率は1/2。
これは、どう理解したらいいのでしょう?
>>78うーん、その後半の話題が持ち出されるのは、たいてい「同様な確か
らしさ」を批判する文脈でなんだけど・・・。
そのサイコロがイカサマダイスだとわかっているAさんにとっては
1の目が出る確率は1/2。
何も知らないBさんにとっては、1の出る確率は1/6。
だからサイコロの目の出る確率が1/6ずつと客観的に決まっている
わけではない。
というふうに。これ自体で有力な論拠になるとは私は思わんけどね。
1は一応高校数学の確率の問題は解けるはずだと思うので、「同様な
確からしさ」という概念自体はわかってると思う。ただ、1の疑問を
「なぜある事象は同様に確からしく、別の事象は違うのだろうか」と
述べ直すと、その問いに答えるには「だってサイコロの出目はどれも
同様に確からしいから」では済まないでしょう。
補足。
> その後半の話題が持ち出されるのは、たいてい「同様な確か
> らしさ」を批判する文脈でなんだけど・・・。
これは、*客観的な*「同様な確からしさ」の批判のことです。同様な
確からしさの根拠を主観的な無知の度合いに置くのはラプラス以来
よくある議論なので念のため。
> 「なぜある事象は同様に確からしく、別の事象は違うのだろうか」
ちょっと書き方を変えると、「同様に確からしい事象とそうでない
事象とを分ける基準は何だろうか」ということです。
81 :
考える名無しさん:02/01/20 21:34
待ちの姿勢
59の私の説明では分からないんですね。
1さんは間違っていません。
結果からみたら2分の1です。
それはあなたの勝手です。
けれど、論理的な判断では6分の1です。
言い換えれば6分の1だというのは論理的な判断に“過ぎません”。
あなたは間違っていません。
間違っているとすれば論理的な判断がすべてだと思っていること。
むしろ私は2分の1というよりも、100パーセントだった
という風に感じます。
84 :
考える名無しさん:02/01/20 22:23
>>82誰に向けてのレスかちょっと不明瞭なので補足キボンヌ。
>79
78への返答としては何が言いたいのかよくわからない。
よければ説明を。
>>78
後半の話は別にそのままでは。
事例では、Aさんは結果を知っている、Bさんは結果を知らず、確立1/2だと考えている
まったく矛盾を感じないのですが。
>>1
>サイコロの1の目が1/6の確率で出るってのはどんな意味なんですか?
試行回数を増やしていくと1/6に近づく(理想であることは既出)
ちなみに昔、コンピューターに乱数発生させて実験したり、
実際さいころ振って数えた経験(宿題)あったけど、どっちも偏り出たよ。
大体このくらい、のレベル。
>次の瞬間に1が出るか、出ないかしか言えないのだから、
>1が出る確率は1/2じゃないのか?
事象としては1が出る場合と出ない場合の二つにできるけど、
確立は1/2ではない。(既出)
おまけ
>>69
>するとここでいう予測とオカルト的な未来予知の根本的違いは何だろう、ということ。
過去の統計による確率からの予測と根拠を明確にしない戯言でしょ。
要は論理的説得力。
86 :
考える名無しさん:02/01/21 01:43
意識(いや無意識か?)的な勘違いだと思われる。
>1は明滅する「サイコロの目1」を連想している。
明:1が光る→滅:1が光らない
つまり光るか光らないかの二択。
実際は常に明であり、6色の光のうちの
どれかが光っているのである。
1は「サイコロの目1」ばかりを気にし過ぎで
2や3に対する「サイコロの目1」的思い込みを欠いている。
もっと2や3も4も5も6も愛してやってほしい。
いくら期待していなかったとはいえ、
出なかった目を考えることと振ったらどの目が出るかを考える
これを同じ位置に置くことはフェアーではない。
>83
そう実践に移った瞬間にね。もう確率じゃないから。
・・・ってがいしゅつか>85
87 :
クレタ島の住人:02/01/21 02:07
サイコロ問題はそろそろ決着をつけましょう。
まず、1が出る確率1/6は理論上の値であって実際は多少のばらつきがあるということ。
でも、サイコロを1回しか振らないとき、この値はただの参考にしかならないということ。
たとえサイコロに細工があったとしても、その人が知らなければ計算上は1/6で正しいということ。
1が出るか出ないか1/2だという人へ:それは確率ではありません。
ただの場合分けです。数学的にはこう考えます。
1が出る場合:@の目が出る 1通り
1が出ない場合:A、B、C、D、Eの目が出る 5通り
よって1が出る確率=(1の目がでる場合の数)÷(すべての場合の数)=1/6
>>85さん
無理して一言で言うと、「等確率なのは何故?」と訊かれてるのに「等確率
だからだよ」では答にならない、ということ。「フェアーだから」も同じ。
答としては例えば、
1-6の目の間に区別をつける*情報*が手持ちにないなら、それらを等確率
として扱う*べきだ*。死ぬ・死なないの間の区別には、もっと情報がある
のだから、等確率としては扱えない。もしサイコロがイカサマダイスだと
いう情報があれば、それを加味し、出目の間に確率の違いをつけよ。
というものが考えられます(これはだいたいラプラスが考えていた原理で、
>>87さんも「知らなければ」と、情報に相対化してますね)。
でも、
>>76にもあるけど、この原理そのものは数学の原理ではないのです。
出目が等確率でないという確率分布も数学的には何の問題もないし、そうで
なければ出目の偏りの統計検定なんて絶対できません。
この手の議論はラプラスの頃から*哲学的な*議論として行われています。
>>22に出ている文献は非常に参考になりますよ。
>>85さん、あと1点。
> 試行回数を増やしていくと1/6に近づく(理想であることは既出)
確率の頻度説ですね。
>>56さんにもありますが、現代の統計学では非常に
有力な立場です。しかし確率をそう定義すると、確率の値は情報に相対的
ではなく、客観的に決まるはずですよね。例えばこの定義の帰結として、
> 事例では、Aさんは結果を知っている、Bさんは結果を知らず、確立1/2だと考えている
> まったく矛盾を感じないのですが。
という解釈には、「Bさんは間違っている」という補足をつける必要が出て
きます。なぜなら、Aさんが既に赤をとってしまったという状況を再現して
試行を繰り返せば、Bさんが赤をとる頻度の極限値は客観的に0ですから。
というわけで、
>>78後半の話と、「客観的な確率」という概念は、あまり
折り合いがよくないのです。私が
>>79の前半で言いたかったのはそういう
ことでした。
(もちろん両者が矛盾するというわけではありません。例えば「客観的な
確率」と「情報に相対的な主観的確率」のダブルスタンダードを明示的に
導入する、という手もあります、あまり評判はよくないですけど)。
>>85さん、もひとつ雑学をいいですか。
>>69さんのような予知の話はラプラスもしています。ただし彼が挙げるの
は、オカルト予知能力者ではなく、ラプラスのデーモンです。
デーモンは、サイコロ周辺や投げる人のミクロな物理状態からニュートン
力学を使って出目を言い当てることができます(「論理的説得力」ならば
こちらのほうが上ですよね)。従って、そのサイコロの目が、長期的には
どの目の頻度も1/6ずつ(頻度説によると1の出る確率は1/6)であっても、
個別の試行ではどの目が出るかデーモンは知っているわけで、1の目の出る
確率はデーモンにとっては0か1のどちらかしかありません。
というわけで、
>>63さんと同じようにラプラスも、確率が意味をもつのは
人間にとってだけだ、と考えました。
93 :
考える名無しさん:02/01/21 22:25
79さんのおかげで、たいへん勉強になりました。
やっぱり確率は難しい問題をはらんでいるようですね〜。
たとえば、イカサマでないさいころは、ラプラスのデーモンでもないかぎり、
人間の能力の及ぶ範囲では、どの目が出るのも「同様に確からしい」。
しかし株価などは、人間によって、上がるか下がるかどう確率を判断するかは
ばらついている。
純粋数学としての確率ではなく、現実の問題としての確率は、
情報量や知識などと複雑に絡んでいるように思われる。
ところで
>>1はどうした?
>>1の疑問はなんだっけ?
79さん、大変ありがとうございます。
さっと読んだだけでは解らなかったのですが、
熟考しながら前後を参照しつつ、何とか79さんの意図を読み取ろうとしました。
自分なりに
>>79での意味を再表現したのですが、
「こいつ全然解ってねえ」でしたらすみません。
さいころの出目の確率は1/6というのは、まともなさいころを前提としています。
重心をずらしたイカサマさいころでは、1の出る確率が1/2もありえるのです。
「同様に確か」というのは「さいころがまとも」を前提にしているので、確実なものではない。
これを踏まえて1への返答を修正すると、
>サイコロの1の目が1/6の確率で出るってのはどんな意味なんですか?
まともなさいころと、特殊技術を有しないのを前提とした場合、
さいころのそれぞれの目の出る確率は同様に確かと言えるので、統計的にほぼ1/6。
(特殊技術=ルーレットの出目調整みたいなもの)
話をすすめて90に関して
自分は確率って統計の分析結果による未来予想、ぐらいに大雑把に捉えているのですが、
この認識が間違ってますか?
確率が高い=統計的に頻度が高い<>完璧な予測(=結果)、なので、
結果が出てから確率云々は違う気がしているのですが。
事例でBさんは結果を知らないので確率1/2と予測した、結果間違った。
90より
> Aさんが既に赤をとってしまったという状況を再現して
> 試行を繰り返せば、Bさんが赤をとる頻度の極限値は客観的に0ですから
これはすなわち「イカサマ」では?
78の
> Aさんがどちらの玉を取るかはわからないので、Bさんが赤い玉をとる
> 確率は、1/2です。
を満たしていませんから。
違う例ですと、まともなさいころで1が出るかどうかをかけるなら、
出ないにかけるほうが得である(5/6)、でも結果として負けることもある。
でも1が出た場合だけおこなう賭けでは、イカサマでしょう(心理戦?)
確率、結果、イカサマ、自分は何か間違えているのでしょうか?
92の話でも、出目を言い当てることができる=結果がわかる=確率云々関係ない
と考えてしまうので、デーモンにとって確率は0か1ではなく、関係ない、
あるいはデーモンが言い当てることが出来る"前”ならば、
普通と同様1/6であるといえるのではないでしょうか。
自分にとって確率が1(あるいは0)って、確率(1)=完璧な予想(結果)となってしまうので、
認識として甘い部分があるのでしょうね。
自己レスで矛盾出してる、馬鹿でごめんなさい。
参考までに、確率は、現在では、測度論の一部とです。詳しくは、
厨房なので分かりません。図書館で測度論の本でも読んでください。
多分、物さしで長さを図るように、事象に対しての測りを考えるもんだと
思います。
ていうか、なんで私の話は無視なの?
私が正解なのに。
>>94=85さん、
どうにももってまわった言い方ばかりしてしまってすみません。
> 自分は確率って統計の分析結果による未来予想、ぐらいに大雑把に捉えているのですが、
非常に的確な把握だと思います。おっしゃる通り、確率には統計によって
客観的に決まる側面と、未来予想に使われるという側面とが混在しており、
これが確率の概念の定義を難しくしています。その理由はだいたい、何回
も試行をするから意味をもつ「頻度」と、「予測」(特に、1回きりの試行に
ついての予測)との橋渡しにギャップがあるからで、そこに奇妙な事例が
たくさん出てくるのです。85さんのおっしゃる、
> 確率が高い=統計的に頻度が高い<>完璧な予測(=結果)、なので、
> 結果が出てから確率云々は違う気がしているのですが。
これもその奇妙な事例の1つでしょうね。Aさんにとってはもう既に結果が
出ていますが、Bさんにとっては結果は未知ですので、Bさんは予測をする
ために確率を使わざるをえません。しかし確率が頻度のように*客観的に*
決まっているものだとしたら、この場合は客観的には結果は出てしまって
いるので、予測などというのはナンセンスです。でもこの場合にBさんが
確率を使うことは、何らナンセンスではないですよね。
確かにこの赤玉の設定で賭けをするならイカサマでしょうけれど、しかし
イカサマにまで適用できてしまうのが確率論の強みなのです。そもそも、
イカサマが何故イカサマかといえば、イカサマをされるBの側はサイコロ
の目が1/6ずつの確率だと思っているが、イカサマをするAの側は確率1で
1の目が出ると知っていて、確率に関する知識の違いがあるからでしょう。
97=79です。
> デーモンにとって確率は0か1ではなく、関係ない、
これも正確に理解していただけていると思います。上でのAさんとBさんの
比較でいえば、ラプラスのデーモンとは、あらゆる事象についてAさんの
立場に立てる存在です。85さんの言葉を借りれば、デーモンにとっては、
この世のあらゆる事象は既に「結果が出て」いるのです。だからデーモンに
とっては確率は意味を持たないので、確率とはいいかげんな予測をせざる
を得ない無知な人間に相対的なものなのだ、とラプラスは考えたのでした。
確率の、予測の側面に重点を置いた立場といえるかもしれません。
滔々と話している人よりも私の方が簡潔に
正解を言ってるんだからね。
そうですね、あまり2ch向きの長さではなくなってきたかもしれません。
>>22さんも挙げてくださってますが、確率の解釈に興味がおありなら
ラプラス『確率の哲学的試論』
内井惣七『科学哲学入門』
伊藤邦武『人間的な合理性の哲学』
にあたってみられることをお奨めします。内井先生にはホームページも
あります。
>79さん
> 確率には統計によって客観的に決まる側面と、未来予想に使われるという側面とが混在しており
この両者を安易に直結(混同)しているのが自分の誤謬の原因かと思います。
どちらの側面か(あるいは両方か)、きちんと区別しないと「考えている」と言えないようです。
(なるほど、1の質問の回答は単純なものではなかったのか、反省)
ご親切に説明いただき、まことにありがとうございました。
ご紹介いただいた文献、読んでみたいと思います。
ああ、二分の一か。出るか出ないか。
確率の分布って言えば広がりはあるし。
六分の一って数字上でしかいえないしね。
103 :
アキレタです:02/01/31 13:04
しかし、ここに書き込んだ連中は全員バカですね。
いいですか、サイコロの1の目が6分の1の確率で出るというのは、
「サイコロを6回振ったうち1回は1が出る」
ということです。正しく作られたサイコロであれば、その振る回数を増やしていけば
1の目(もちろん他の目も)の出る値はどんどん6分の1に近い付いていきます。
104 :
考える名無しさん:02/01/31 13:15
>>103「サイコロを6回振ったうち1回は1が出る」
言い方がよくないのでは?
一回毎に1の目には立方体の上にくる可能性を
必然のうちの1/6与えられている、とでも。
1回は1が出るってのは結果としての言い方であまり良くないんじゃないかな
(私の言い方も変だけど)。
105 :
考える名無しさん:02/01/31 13:18
ていうか期待値
106 :
考える名無しさん:02/01/31 13:20
そうですね。「出る」とは言い切れないですから。
107 :
アキレタです:02/01/31 14:28
まあ、そうですね、期待値。
それぞれは均等なわけで、6パターンあれば6分の1
100パターンあれば100分の1、
だから、宝くじが当たらない(当たりにくい)ってのは、
「期待値」が低いってことですな。
>>101=85さん、
まだここ見てらっしゃいますか? スレが少し上がっていて目にとまった
ので、参考文献にもう1冊追加させてください。
繁桝算男『ベイズ統計入門』東京大学出版会
は統計学の教科書で、標準的統計学とは少し違いもあるのですが、この
スレで挙がった様々な哲学的問題を念頭において書かれたとてもいい本
で、おすすめです。ずばり「確率の解釈」という節もあります(2-1節)。
実験による実態の値。
予測する期待の値。
ですか?
無限大回サイコロをふったら、無限大*1/6 回つまり無限大回1が出るってこと。
無限大をどう解釈するかでとらえ方は違ってくるんじゃ?
111 :
考える名無しさん:02/02/06 14:17
何かの本で読んだんだけど、サイコロを100回振って全部「1」が出る
確率と、「5・3・4・2・2・1・6・・」みたいにランダムな数字が出る確率は
どちらが高いでしょうってのがあって、どちらも同じ、なんだよね。
言われてみればそうなんだけど、とても不思議な気がした。
それは百回全部1が出るのと
百回中1と2と3と4と5と6が混ざって出てくるのは
違うからねえ。
不思議な気がしたのはおそらく
頭の中でその問いがどういう意味なのかを誤解しているからでしょう。
がんばってください。
サイコロの1の目が1/6の確率ででるということの意味ではないですが、確率の説明をさせてください
少なくとも、数学的には、確率を「その起こる事象÷全事象」と定義しているので
今回の場合、さいころの目の出方の出方が「同様に確からしい」とすると、
1の目出る事象(1)を全事象(6)でわった1/6がその数学的な確率であるといえます。
目の出る確率が1/6だという事をまどろっこしく説明したのですが、確率が「1/6」という事の意味は数学的以上のことはないと思います。
ただ、確率そのものがどんな意味を持つかは、話が別です。質問はそのことですよね?1/6という数字が気になったもので。
現実には「同様に確からしく」目が出るさいころは実在しませんから、実際の確率(数学的でない確率があるとして)に数学的には意味をもたせることはできません。
あとは、もうすでに書かれてるような確率の定義または解釈の問題を解決して、そして初めて意味(解釈に一部含まれるけど)が問えるのだと思います。
思考するのはいいことですね
114 :
考える名無しさん:02/02/18 19:01
確率って、やっぱよくわかんないところがある。
例えば、サイコロを振る前は確かにどの目も1/6の確率だけど、
じゃあ、100回サイコロを振って一度も「1」が出てないとしたら、
次に「1」が出る確率は、やっぱり1/6になるだよね?
でも、それは単純な計算上の問題であって、普通の人なら、
次に「1」が出る確率はかなり高いって考えるよね?
この「1」が出る確率が高いと考える根拠って、
数学的には求められないものなのかな。どうなんだろう。
選択の当時。を意識すれば
「選んだ側」と「選ばなかった側」
に分かれる気がするものだよね
116 :
考える名無しさん:02/02/19 00:48
>1
出た目の定義の仕方が6通りあるから
6分の1っていうのはダメですか?
たとえば「1」っていう「目」をもし仮に
僕らが「2」という「数字」に認識していたら、
「3」「4」「5」「6」という「数字」に認識していたら。
「1」という「目」は(1、2、3、4、5、6)
6通りの「数字」として個人が認識している
可能性があるわけですよね?
その「目」の「数字」への変換方法は6通りあり、
あなたが一つ選ぶから、あなたが「1」の目を
「1」の数字として選ぶ確率は六分の一なのでは?
【「1」の目が出る確率が六分の一】とは
出た目に対してあなたが「1」という数字に認識している
確率が六分の一であることと等しいのではないでしょうか?
117 :
考える名無しさん:02/02/19 00:59
この板の連中は数学をやり直した方がよさそうだな。
>>108が紹介したベイズ定理はおおざっぱに言うと結果から原因の確率を
考えるもので、高校の数学の教科書にもその考え方が載ってます。
そろそろ新しい教科書が入荷している頃なので買いに行ってはいかが?
落ちる前に、たいしたことのないお返事だけ・・・。
>>117さん、
>
>>108が紹介したベイズ定理
ベイズの定理はもちろんベイズ統計学の中心となる定理ですが、
ベイズ統計のすべてではありませんし、ベイズ主義者でなくとも
ベイズの定理はもちろん受け入れていますので(確率論の定理
ですからね)、ベイズの定理を知ることとベイズ統計学を学ぶこと
とは違います。その辺り誤解のありませんように(117だけでは
あなたの真意はわかりませんが、117を読む人のために)。
ベイズ統計に必要な数学も、高校数学よりはもうちょっと出来た
ほうがいいですよ。
121 :
考える名無しさん:02/03/04 23:55
>>114 簡単に説明すると、
「100回サイコロを振って、初めて1が出る確率」と、
「サイコロの次の目が1の確率」を混同してるのです。
122 :
考える名無しさん:
「100回サイコロを振っても1が出なかったこと」は、状況であって、
サイコロの次の目が1/6であることに影響しません。
100回サイコロを振っても1が出ない状況になる確率は、1/6ではないよ。