1 :
考える名無しさん:
長年の疑問ですが、誰も問いを理解してくれる人がいないので意を決して書き込んでみます。
サイコロの1の目が1/6の確率で出るってのはどんな意味なんですか?
次の瞬間に1が出るか、出ないかしか言えないのだから、
1が出る確率は1/2じゃないのか?
3 :
考える名無しさん:02/01/18 18:43
まずは1さんはどんな意味だと考えているのですか?
どんな意味なのかわからないので結論はまだ出しようがないです。
問いの意味さえ理解してもらえれば誰かが結論を出してくれるかも知れません。
その結論が私を正しい道へと引き戻してくれれば言うこと無いのですが。
サイコロをふったら6つの内のどれかが出るから、1/6でいいのでは?
1が出るケースと出ないケースは「同様に確からしくない」から1/2じゃない
過去に集められたデータから1の目は1/6の割合で出るということは何とか理解しました。
しかし、このデータが未来に適用できるかどうかわからないと思います。
ここで未来に適用できないのではないかというのは二つの意味を持っています。
一つは誰もが考えるような問題。
過去のデータは次の瞬間に異常な事態が起こることを示しようがない。
何故なら過去に異常な事態が生じたとしたら、現在その事態は異常でも何でもないだろうから。
つまり過去においてサイコロが割れてしまったり突然消えてしまったりした
ということがあれば現在においてサイコロを振る前にそうした事態も想定できるでしょうが、
そうしたことは今まで起こってこなかったためにそうした事態は想定されない。
すると次の瞬間に起こりえる、サイコロが割れたり消えたりする事態は確率という概念にとって
例外的な地位を与えられるのではないか。次の瞬間にサイコロが割れてしまって、
1の目が出ようもないということを考えるのが禁じられてしまうのではないか。
全事象が6つだから1/6。以上。
高校生からやり直してください。
>>56つの内のどれかが出るという思いこみを正当化できるのかどうか、
という疑問を
>>7に書きました。
そして私自信は
>>7のような考え方は習慣に類する事柄を挙げれば
論破できると考えています。
>>6もしかしたら私は「同様な確からしさ」という概念を理解していないのかも知れません。
>>7そんなことはない。計算したければ1が消えるケースも全事象に
含めればいいだけの話し。
「確率の意味」を考えたいなら、まず「確率の定義」にたいする
考察から始めた方がいいんじゃないのか。
それだったら、パチンコ・パチスロでも同じだな。
いつも同じ確率で抽選してるが、たまーに暴走するときがある。
漏れは確率のことを考えるときは、いつでもパチンコ・パチスロ
のことも考えるようにしている・・・。
>>61が出ないケースは1以外の目が出ることだから、5通りあるけど、
1が出るケースは1しかないから1通りということでしょうか?
それが「同様に確からしくない」という意味でしょうか?
クイズです。
「日本の首都はシドニーである。○か×か?」
このクイズには○と×の2つの選択肢がありますが、○×双方とも、「正解確率は1/2である。」と言えるでしょうか?
現実に試行を繰り返すための条件が
設問に含まれていないから回答不可。
>>13そういう意味ですけど、
1さんは『1が出ないケース』のなかに
サイコロのどの目もでない場合をも想定されてるんですね?
>>9私がこの問題を考え始めたのは小学生の頃なので、
高校に戻ってもどうしようもないです。
下らない高校時代を過ごしましたよ。
>>11もちろん@(「サイコロの1の目」と書くのが面倒なので)が消えるケースを
含めることはできます。そして思いつく限りの異常なケースを全事象に含めることは可能でしょう。
その場合にはもはや「異常な」ケースとは呼べませんが。
しかし全ての異常なケースを想定することなどできないので、
どうしても今手元にあるデータは暫定的なものにならざるを得ないでしょう。
たぶん私は確率の定義さえわかってないんでしょうな。
>>12暴走の可能性を考慮していないからこそ痛い目に遭うわけですよね。
じゃあ、暴走というケースを想定して計算し直せばいいじゃないかという人もいるでしょうが、
予測不可能だからこそ「暴走」というわけです。
この種の予測不可能な異常事態を考慮したとき、
確率という概念は使用可能なんでしょうかね。
>>15何の知識も前提にしなければ、言えるんじゃないですか?
>>18そうですか、どうも。
ただ、この場合、1/2と錯覚してしまうからくりを知りたいです、1さんではありませんが。
あの、亀に追いつけないアキレスのように。
1には哲学のセンスを感じる。
確率とは過去にある事象が生起した頻度をいうのか、それともある者が主観的に、
将来にある事象が生起するであろうと期待するときのその期待の度合をいうのか
。確率概念をどう理解するかに関しては現在でもホットな論争がたたかわされて
いる。
確率論は数学の中でもそれほど難しくないので、まず大学の初等数学の教科書
(培風館のやつがいい)を買ってきて勉強すれば?確率の哲学的解釈については
伊藤邦武や内井惣七あたり読むといいよ。
あ、岩波文庫のラプラスの翻訳(内井訳)の解説読むといいよ。
>>7で書いたのは突発的な異常事態に際して
確率が使用できなくなるのではないかという疑問だったのですが、
実はもう一つの疑問の方が重要なのです。
そして今朝までは確かに一つの問いとして定式化できると思っていたのですが、
いざ書こうとすると全然まとまってなかったのが判明しました。
というわけで、今はもう一つの方は提起できません。
>>15その場合では正解確率は1/2とは言えません。
シドニーはオーストラリアの1都市に過ぎないのですから。
今の問題と関連づけると、あなたの質問は次のように書き換えられるように思えます。
即ち、33回目にサイコロを振った時@が出たか出なかったか、という風に。
第二の疑問と少し関わってくるのですが、ここで書いたのは既に出てしまった@に対する態度であって、
次に出るべき目に対する態度とは違うと思います。
>>16サイコロの振り方とか振る場所とかを云々することに意味はありません。
それらが確定されてもなお、異常事態は生じるのですから。
>>21高校のころの数学で
2つのサイコロを投げて両方とも1の目が出る確率を聞かれたときに
1/21と答えてしまう間違いと同じことではないでしょうか。
>>24両方とも1が出る確率は、
全部のサイコロの組み合わせが、えーと・・・
aのサイコロが1の時、bが1〜6で6通り
あとは計算して6*6=36
で、両方とも1が出る確率は1/36、であってます?ばかでごめんなさい。
もしそうなら何で1/21という数字がでてくるのか、そちらの方がわからないんですけど・・・。
その1/21という数字はどこからやって来たのでしょう・・・?
>>20サイコロに対する態度が1/6という確率の観念を形成すると言えるかも知れませんね。
これはとても面白い考えです。
>>21たぶん誤解されてると思いますが、
>>7で書いているのは要は、
過去に起こらなかったために想定されてすらいない事態が次の瞬間には起こりうる。
だから確率なんて概念は使えないんだ。ということです。
@が出るのは1/2じゃないかというのは第二の疑問と関係あるのですが、
それを書き出すことができないので、今は説明しようが無いように思えます。
ただこのことを書けばもしかしたら私の言いたいことが理解されるかも知れません。
今から1/100で弾が発射されるロシアンルーレットを行います。
参加するのはあなた一人ですので、こめかみに銃口を当て引き金をひけばゲームは終了です。
さて、1/100だからといってあなたは何も考えることなく引き金を引けるでしょうか。
そして保険を掛けるとしたら、通常の掛け金の1/100だけでよいのでしょうか。
たぶん何事もなかったように引き金を引くことはできないと思うんです。
あまりにも酷い事態、逆にあまりにも幸福な事態がもたらされるのが分かっている場合には
確率という概念が役に立たなくなってしまうからです。
弾が出れば全ておしまい、といった事態に対しては確率はあまりに無力です。
ギャンブルをやる人には分かりますよね?次の一回は確率では測れないということを。
>>22懐かしい名前ですね。
挙げていただいた書名は明日にでも図書館で探してきます。
27 :
考える名無しさん:02/01/18 19:55
>>22激しく同意。いい疑問だ。というか、7を読んだら
1は本当は無知を装った哲学科院生じゃないかと疑いたくなる。
> 1は本当は無知を装った哲学科院生じゃないか
と思ったが26ではちょっとズレた方向に行ってるな。
>>26の話は、勝ちと負けに効用わりあてて期待値とる際に、
効用をお金に変換することに難問があるだけだよ。
確率の責任とまでは言えない。
ここはsage進行なの気づいてなかった。スマソ
>>26>たぶん誤解されてると思いますが
ロシアンルーレットは弾が出る確率が1/100だけど、自分にとっては
死ぬか生きるかで1/2、ということですか・・・?ばかですみません・・・。
それと1よ、できれば丸数字はよしてくれい。
(1)(2)みたいにやって。
>ギャンブルをやる人には分かりますよね?
すげー分かる(ワラ。
例えばパチスロで4万9千円負けていたとする。
それで、最後の千円札一枚を投入する(これでやめると決心)。
パチスロの場合、千円で50枚貸してくれるが、これも当然のように
さくさくと飲まれて行く。
もう残りが10枚くらいになり、「もうダメか。いや、奇跡が起きるかも」
という直感が何故か働く。そして最後の1ゲームで、7が揃う!
そしてあれよあれよと連チャン。逆転勝ち。
こういうことが実際にありうる。
最後の1プレイがなかったら、逆転もありえない。
絶対ありえないところから逆転できる人にとって、最後の数プレイは
確率なんて全然関係ない。引くか、引かないか。
300分の1なんか振り切って、数分の1に確率が上がってるような気がする。
あと、野球にたとえると、打率なんて、心理によっていかようにでも変わる。
だからサイコロも、勝負事になると全然確率が変わってくると思う。
勝負強いってなんだ?っていう論議も面白いな。
すみません、何もわからないくせにくだらない質問ばかりしまして・・・。
見るだけにしときます。
>>27-28哲学科の二年生です。
高校の時の数学の先生にお前には哲学科しかないと言われて、
自分もそうじゃないかなと思い始めていたので試しに入ってみたわけです。
>>26の掛け金の話は1/100だけ払えばいいんじゃ無いかという考えはおかしいということを
言いたかったのです。
>勝ちと負けに効用わりあてて期待値とる際に、
>効用をお金に変換することに難問があるだけだよ。
>確率の責任とまでは言えない。
の部分がよく分からないのでバイト中にでも考えてみます。
>>29そういうことです。
自分でそうしたロシアンルーレットをする時には、
必死になって出るか出ないかしか考えられないだろうと考えたので。
>>30了解。
1の目と書く代わりに(1)でいいですか?
>>31起こってしまった出来事は正当化されうるし、正当化されるしかありません。
ギャンブルをやらない私にとっても、今(1)が出てしまった以上、他の目が出たかも知れないなんて考えられません。
まるで運命的な力が働いたかのように思えます。
私もかつて、1+1がほんとに2か、悩んだことがありました。
ある日数えてみたら、ひとつのりんごとひとつのりんごが、
みっつのりんごになっているかもしれない・・・!
でも、そんなことを疑いはじめたら、すべてを疑わなくては
ならないと思って、信じることにしました。
こういうのをトンでもスレというのかな。
それとも痛い1のいるスレというのかな。
>>33大丈夫。そんなことない。くだらなくない。
>>25の1/21の話だけど、たぶん、1,1と1,2を等確率にしてる結果じゃないかな。
数学の問題の正解としては、1,2が出る確率は1,1が出る確率の2倍だけどね。
1はたぶん光の速度は不変と思ってる類の馬鹿ちょんだね。
科学に無理に首つっこむな(w
>>36いいんじゃないか?何にでも疑問を持つのはいいことだろ。
さいころで、1がでるか、1がでないかだから、確率は1/2である、
みたいなことを神の存在うんぬんで議論した哲学者がいなかったっけ?
パスカルかな〜?
>>34>哲学科の二年生です。
>高校の時の数学の先生にお前には哲学科しかないと言われて、
先生の気持ちがよくわかる。
ドキュソには哲学科をすすめるべし。(w
えーと、1のことを頭ごなしに否定する人、
数学の問題で出てくるサイコロがどの目も1/6で出るのは、
そういう理想化をしてるからだ、ってのは重要よ。
現実のサイコロは、うまく作らないと偏りが出る。でないと
偏りを出さないように科学技術を駆使しているサイコロ業者の
苦労なんて必要ないじゃん。そればかりか、ギャンブルでは、
1の出る確率が1/2以上のようなイカサマダイスも存在します。
でも高校の数学の問題では、そういう現実は無視して、サイコロが
完璧にフェアにできている、という前提を使っているのです。
まあその前提にも理由がないわけでもないんだけど、それは
まっとうな哲学的問題。
>>42いやいや、腐れギャンブラーの一人(表現が鬱だが)として、勝てる人と
勝てない人の差を考えても、一概に結論が出ないんだよな。
適当に台を選んで、適当に打つ人はたくさんいるが、勝ってる人と
負けてる人がいるもんだよ。
両者とも同じくらいの、十分な試行回数(打つ時間や打つ回数)を経験している
のにもかかわらず・・・な。
サンプル数を増やせば収束すると言われているが、あながちそうでも
ない例もある。
45 :
考える名無しさん:02/01/18 20:43
次のようなくじを考えましょう
さいころを1回ふって1が出たら、賞金6円
2回続けて1が出たら、さらに賞金6^2=36円
3回続けて1が出たら、さらに賞金6^3=216円
n回続けて1が出たら、さらに賞金6^n円
このくじの期待値は、
6円*1/6+6^2円*1/6^2+・・+6^n*1/6^n+・・・
=1+1+・・+1+・・・=∞円
だからこのくじを10億円の値段で売ってたら安いはずだけど、
みなさんは買いますか?
46 :
考える名無しさん:02/01/18 20:43
>>43はぁ?
サイコロの1の目が1/6の確率で出るのは理想状態を想定してる。
光の速度が不変なのも真空中の理想状態でのはなし。
ものの落下が重力加速度に従うのも理想状態。
そんなの科学の常識だろう。
いちいち教科書に理想状態においていわないのは、まさか
>>1のような
馬鹿がいることを想定していないからだろう(w
>>34=1
> >勝ちと負けに効用わりあてて期待値とる際に、
> >効用をお金に変換することに難問があるだけだよ。
> >確率の責任とまでは言えない。
> の部分がよく分からないのでバイト中にでも考えてみます。
ごめん。えっとさ、同じ100万円でも、既に1億円持ってるときと
1000円しか持ってないときとでは、ありがたみが違うでしょ。
お金のありがたみは、お金の金額の数字に比例して増えるとは
限らないのさ。で、命のありがたみとお金のありがたみを比べる
なんてのもどうやるか難しいよ、っていうこと。別に、確率の
値がどうとかいう以前に。
>>46別に1は「なぜ理想状態で1/6なんですか?」なんて言ってないじゃん。
ギャンブルの話なんて持ち出すくらいなんだから。
そもそも理想状態を扱うのだけが科学でもないでしょうに。
数理心理学なら、「このサイコロはフェアか否か」という問から
計算をはじめるのも普通のことよ。サイコロの出目の偏りを調べる
ために統計検定やったりもするじゃん。
49 :
考える名無しさん:02/01/18 21:04
>>22さんは、「確率論は数学の中でもそれほど難しくない」と書いてますが、
そんなことはないと思いますよ。
確率論は確かパスカルが手をつけて、現代数学的な確率論を作ったのは、
コルモゴロフだっけ? わずか100年ほど前。
代数や幾何が紀元前からあるのに比べると、非常に新しい学問。
数学理論自体は難しくないかもしれないが、
現実と数学的概念との関係は、非常に難しい問題をはらんでいると思う。
50 :
考える名無しさん:02/01/18 21:12
>>48たしかに
>>1は理想状態がなにかも理解できていない。
>そもそも理想状態を扱うのだけが科学でもないでしょうに。
きみの理解できていないことがよくわかる(w
あれほど哲学板に科学系のスレたてるなっていっただろう!
哲学住人が科学の落ちこぼれ集団ということが
ばればれだろう!
52 :
考える名無しさん:02/01/18 21:18
あ、このスレにもDr.G来てるんだ。
ニュートン力学の反証実験がされたときに、「この理論は理想状態についてのものだから」
などと言ってもってもしょうがないぜ。ってなことを言いたいのでは?
54 :
考える名無しさん:02/01/18 21:45
ひとつには、確率論や統計論には、「大数の法則」というのがあって、
さいころの1の目が出るの確率が1/6というのは、
「さいころを振る回数をどんどん増やしていくと、1が出た回数が
さいころを振った回数の1/6に近づいていく」という意味。
従って、ロシアンルーレットや、
>>45のくじのように、
何百回、何千回繰り返すことができないものに、確率論を適用した場合、
現実とは異なる結論にいたる場合がある。
55 :
考える名無しさん:02/01/19 03:58
age
1が出る確率が1/6というのはすべての目が等確率に出ると仮定した場合です。
実際に振ってみると多少の偏りが見られますが、特にサイコロに細工が無ければ
回数を増やせば増やすほど1/6に近づくでしょう。
でも普通のサイコロは目を彫っているので、多少重心がずれていると思われます。
ちなみに1の目が10回続けて出たとしても次に1が出る確率はやはり1/6です。
ロシアンルーレットは生か死か確率は1/2だという馬鹿な人がいますが、
それは残り2発で、まだ誰も当たっていない場合だけす。
>>25変な問題出してすいません。
>>37さんが言っちゃったけど、付け加えておくと
サイコロが一個の場合、1の目が出る確率は、目が1〜6通りあるから1/6という説明がよくされるんだけど、
サイコロが二個の場合に同じ考え方でいくと、出る目の組み合わせが21通りあるんですが、
それを根拠に1/21という答えを出す人がいると思ったんです。
僕がいいたかったのは、
全部で21通りのケースがあるといっても、そのうちの一つが発生する確率は必ずしも1/21ではないということです。
つまり、1/2と錯覚してしまうからくりは、
一つのサイコロを振る話のような、すべてのケースが等確率で発生する話を
ほかの話にも無意識のうちにあてはめてしまうことなんです。
58 :
考える名無しさん:02/01/19 13:22
つまり、全部の事象がわかるだけではだめで、
それに加えて同様な確からしさが既に確立されていなければならないというわけか。
ところで
>>1はどうした?
数学は数学に過ぎないから、
理性の課題を数学におしつけても無意味だと思います。
結果論からみたら2分の1です。
しかし、それは誤謬に過ぎません。
人間の理性は結果を勝手に原則にしたがるようだけど、
実際は人間は
「ただ結果をまつだけ」
でしかない存在です。
そこに
「何故?」
という疑問をさしはさむから、
6が出る格率が2分の1に思えるのだと思います。
(私は1さんの誤謬の理由が一瞬で完全にわかりました。)
中身がないスレ
>>1への哀れみのみがただよう...
>>60それは違うと思うけど。
1さんの疑問は哲学の雛形です。
>>61確率論、数学の前提に疑問を持つことは
かなり高度な哲学のひな形ではあるが...
>>1はたぶんそういうことではないと思う...
63 :
考える名無しさん:02/01/19 15:12
予知能力を持った人間がサイコロを振りつづける。
ただし「次に1が出る」と予知した場合はサイコロを振らずに置く。
ということを延々と繰り返していくと
1の出る確率は理想状態のサイコロでも限りなく0に近づいていくと言える気がする。
であるとすると、確率論には「未来予知の不可能性」という前提が
予め織り込まれているということかな。
>>63あたりまえだろう
いいかげんかんべんしてよ(w
65 :
考える名無しさん:02/01/19 15:40
>>64でも確率論でいう「次にサイコロの目が出る確率が1/6」ということも
未来予知的な性質を含んでいないかな。
未来予知が不可能(次に起こる事が全く予測不可能)だとすると
次に出るサイコロの目について何であれ言及できるとは思えないし。
>>1のいうようにサイコロが消えて無くなってしまうかもしれない。
するとオカルト的な未来予知と確率的予知の根本的違いは何なんだろう。
>>65だから数学は現実を写実するものじゃくて、
現実のなから法則化可能な理想状態を抽出する思想だろう。
「ここに直線があり、それに平行にもうひとつの直線があり...」
現実社会に数学でいう直線も存在しないし、平行も存在しない...
だから何を語りたいのか考えてからレスしろよ。
数学的な理想状態の限界?
数学内の矛盾?
そうしないとただの知恵遅れだぞ。
絶望的に生半可。
言葉に振り回されてる感じがするね。
69 :
考える名無しさん:02/01/19 16:29
>>66確率論に限界や矛盾があるのかどうかは、さしあたって問題にはしていないんだが。
[現実のなから法則化可能な理想状態を抽出する]という作業の過程は
実際に抽出作業を行なう者、具体的には数学者の意識が「現実」をどのように認識しているか
によって影響を受けるでしょう。
>>65で言えば、未来予知の可能性について数学(者)がどのような態度をとるかということ。
確率論で扱うサイコロは現実世界のサイコロではなく数学的な仮想世界の存在には違いないが
その仮想のサイコロは現実のサイコロの動きをシミュレーションしたものだから
現実的にも意味がある。
そのため、現実世界のサイコロの出目を確率論的に予測することができる(ように見える)。
するとここでいう予測とオカルト的な未来予知の根本的違いは何だろう、ということ。
>>69やっぱりただの知恵遅れだったんだね
相手して損した
71 :
考える名無しさん:02/01/19 19:04
意識、現実って言葉がいったい何を意味するのか、
66は語ってくれよ。
じゃなきゃ、ニューサイエンス妄想の世界になるよね。
煽りにのせられないように気をつけましょうね。
昨日は図書館に行くのに失敗したので、
近くの書店で大学受験の参考書を立ち読みしてきました。
歴史的にはほぼ150年ほど前にラプラス(だったかな?)が
それまで経験則として大数の法則から組み合わせ確率論を作ったとか(うろ覚え)。
その参考書を読む限りでは、ある事象の起こる確率を事象の起こった回数を
観測回数で割ったものとして定義しており、過去に起こった割合のことが確率である、
と言っているように感じました。
だから当初は未来に適用することが考えられていなかったのかなとも思ったのですが。
何故ならこの組み合わせ確率では、過去のデータを未来に適用する際に
>>49にあるように現実と数学的概念の関係が問題になってくるからです。
>>59出た結果に対して「何故?」という疑問をさしはさんだとしても、
大抵の人は1の目は6分の1で出ると結論づけています。
つまり私が2分の1というのはどこかが間違っているわけです。
私はどうして間違っているのか示してほしいのです。
>>63-65未来予知の存在はあり得ないとおもいますが、
もし存在するとしたらそれは誤り得ないものでなければなりません。
「1の目が次に出る」と言われたからには、少し休憩してまた振り直した時に
1の目が常に出なければならない。
これが未来予知というものでしょう。
そしてこうした未来予知と確率は無縁なものだと思います。
1の目が六分の1の確立で起きるなら2の目は、3の目は?
矛盾が生じるからじゃないの。
75 :
考える名無しさん:02/01/20 18:32
1よ、まずお前が何を言いたいのかがわからない。
どんな観点から、何について語りたいのかはっきりさせてくれ。
日本について語るときに「現代の日本」についてなのか「日本の歴史」についてなのか、
「歴史学」の観点から見てなのか、「経済学」の観点から見てなのか。
そういう事をはっきりさせてくれないと会話にならないのと一緒。
>>74(a) サイコロの目は1,2,3,4,5,6の6つ
(b) 1の目の出る確率は1/2
(c) どの目の出る確率も等しい
の3つを仮定すると矛盾するけど、(a)(b)だけなら矛盾しないよ。
(b') 1の目の出る確率は1/2、後は1/10ずつ
という確率分布でも確率論の中では問題ない。
確率論はどんな確率分布の上でどんな推論が正しいかは教えてくれる
けど、「これが正しい確率分布だ」とまでは言わないからね。
>>ロシアンルーレットは弾が出る確率が1/100だけど、自分にとっては
死ぬか生きるかで1/2、ということですか・・・?
1.ロシアンルーレットは弾が出る確率が1/100
2.死ぬか生きるかで1/2
この二つは違う確率を現しているので混同しないように。
2はあくまで1の因果の果にあたる。
78 :
考える名無しさん:02/01/20 20:42
>>73>大抵の人は1の目は6分の1で出ると結論づけています。
>つまり私が2分の1というのはどこかが間違っているわけです。
>私はどうして間違っているのか示してほしいのです。
やぱーり1は、「同様に確か」という概念がわかってないのでは
ないか? さいころの6つの目のどれがでるかは、「同様に確か」。
従って、1が出る確率は1/6。
「生きる」と「死ぬ」は「同様に確か」ではない。だから死ぬ確率は
1/2ではない。
ところで、確率論の有名なパラドックス(?)をご披露します。
袋の中に白と赤の玉が入っています。
Aさんが先にBさんが見てないところで玉をとり、次にBさんが残った玉を
とります。
Aさんがどちらの玉を取るかはわからないので、Bさんが赤い玉をとる
確率は、1/2です。
さて、Aさんが玉をとったら、赤い玉でした。そこに何も知らないBさんが
残った玉を取りに来ました。
すでに赤い玉をとったAさんにとっては、Bさんが赤い玉を取る確率は0。
しかし、何も知らないBさんにとっては、自分(B)が赤い玉をとる確率は1/2。
これは、どう理解したらいいのでしょう?
>>78うーん、その後半の話題が持ち出されるのは、たいてい「同様な確か
らしさ」を批判する文脈でなんだけど・・・。
そのサイコロがイカサマダイスだとわかっているAさんにとっては
1の目が出る確率は1/2。
何も知らないBさんにとっては、1の出る確率は1/6。
だからサイコロの目の出る確率が1/6ずつと客観的に決まっている
わけではない。
というふうに。これ自体で有力な論拠になるとは私は思わんけどね。
1は一応高校数学の確率の問題は解けるはずだと思うので、「同様な
確からしさ」という概念自体はわかってると思う。ただ、1の疑問を
「なぜある事象は同様に確からしく、別の事象は違うのだろうか」と
述べ直すと、その問いに答えるには「だってサイコロの出目はどれも
同様に確からしいから」では済まないでしょう。
補足。
> その後半の話題が持ち出されるのは、たいてい「同様な確か
> らしさ」を批判する文脈でなんだけど・・・。
これは、*客観的な*「同様な確からしさ」の批判のことです。同様な
確からしさの根拠を主観的な無知の度合いに置くのはラプラス以来
よくある議論なので念のため。
> 「なぜある事象は同様に確からしく、別の事象は違うのだろうか」
ちょっと書き方を変えると、「同様に確からしい事象とそうでない
事象とを分ける基準は何だろうか」ということです。
81 :
考える名無しさん:02/01/20 21:34
待ちの姿勢
59の私の説明では分からないんですね。
1さんは間違っていません。
結果からみたら2分の1です。
それはあなたの勝手です。
けれど、論理的な判断では6分の1です。
言い換えれば6分の1だというのは論理的な判断に“過ぎません”。
あなたは間違っていません。
間違っているとすれば論理的な判断がすべてだと思っていること。
むしろ私は2分の1というよりも、100パーセントだった
という風に感じます。
84 :
考える名無しさん:02/01/20 22:23
>>82誰に向けてのレスかちょっと不明瞭なので補足キボンヌ。
>79
78への返答としては何が言いたいのかよくわからない。
よければ説明を。
>>78
後半の話は別にそのままでは。
事例では、Aさんは結果を知っている、Bさんは結果を知らず、確立1/2だと考えている
まったく矛盾を感じないのですが。
>>1
>サイコロの1の目が1/6の確率で出るってのはどんな意味なんですか?
試行回数を増やしていくと1/6に近づく(理想であることは既出)
ちなみに昔、コンピューターに乱数発生させて実験したり、
実際さいころ振って数えた経験(宿題)あったけど、どっちも偏り出たよ。
大体このくらい、のレベル。
>次の瞬間に1が出るか、出ないかしか言えないのだから、
>1が出る確率は1/2じゃないのか?
事象としては1が出る場合と出ない場合の二つにできるけど、
確立は1/2ではない。(既出)
おまけ
>>69
>するとここでいう予測とオカルト的な未来予知の根本的違いは何だろう、ということ。
過去の統計による確率からの予測と根拠を明確にしない戯言でしょ。
要は論理的説得力。
86 :
考える名無しさん:02/01/21 01:43
意識(いや無意識か?)的な勘違いだと思われる。
>1は明滅する「サイコロの目1」を連想している。
明:1が光る→滅:1が光らない
つまり光るか光らないかの二択。
実際は常に明であり、6色の光のうちの
どれかが光っているのである。
1は「サイコロの目1」ばかりを気にし過ぎで
2や3に対する「サイコロの目1」的思い込みを欠いている。
もっと2や3も4も5も6も愛してやってほしい。
いくら期待していなかったとはいえ、
出なかった目を考えることと振ったらどの目が出るかを考える
これを同じ位置に置くことはフェアーではない。
>83
そう実践に移った瞬間にね。もう確率じゃないから。
・・・ってがいしゅつか>85
87 :
クレタ島の住人:02/01/21 02:07
サイコロ問題はそろそろ決着をつけましょう。
まず、1が出る確率1/6は理論上の値であって実際は多少のばらつきがあるということ。
でも、サイコロを1回しか振らないとき、この値はただの参考にしかならないということ。
たとえサイコロに細工があったとしても、その人が知らなければ計算上は1/6で正しいということ。
1が出るか出ないか1/2だという人へ:それは確率ではありません。
ただの場合分けです。数学的にはこう考えます。
1が出る場合:@の目が出る 1通り
1が出ない場合:A、B、C、D、Eの目が出る 5通り
よって1が出る確率=(1の目がでる場合の数)÷(すべての場合の数)=1/6
>>85さん
無理して一言で言うと、「等確率なのは何故?」と訊かれてるのに「等確率
だからだよ」では答にならない、ということ。「フェアーだから」も同じ。
答としては例えば、
1-6の目の間に区別をつける*情報*が手持ちにないなら、それらを等確率
として扱う*べきだ*。死ぬ・死なないの間の区別には、もっと情報がある
のだから、等確率としては扱えない。もしサイコロがイカサマダイスだと
いう情報があれば、それを加味し、出目の間に確率の違いをつけよ。
というものが考えられます(これはだいたいラプラスが考えていた原理で、
>>87さんも「知らなければ」と、情報に相対化してますね)。
でも、
>>76にもあるけど、この原理そのものは数学の原理ではないのです。
出目が等確率でないという確率分布も数学的には何の問題もないし、そうで
なければ出目の偏りの統計検定なんて絶対できません。
この手の議論はラプラスの頃から*哲学的な*議論として行われています。
>>22に出ている文献は非常に参考になりますよ。
>>85さん、あと1点。
> 試行回数を増やしていくと1/6に近づく(理想であることは既出)
確率の頻度説ですね。
>>56さんにもありますが、現代の統計学では非常に
有力な立場です。しかし確率をそう定義すると、確率の値は情報に相対的
ではなく、客観的に決まるはずですよね。例えばこの定義の帰結として、
> 事例では、Aさんは結果を知っている、Bさんは結果を知らず、確立1/2だと考えている
> まったく矛盾を感じないのですが。
という解釈には、「Bさんは間違っている」という補足をつける必要が出て
きます。なぜなら、Aさんが既に赤をとってしまったという状況を再現して
試行を繰り返せば、Bさんが赤をとる頻度の極限値は客観的に0ですから。
というわけで、
>>78後半の話と、「客観的な確率」という概念は、あまり
折り合いがよくないのです。私が
>>79の前半で言いたかったのはそういう
ことでした。
(もちろん両者が矛盾するというわけではありません。例えば「客観的な
確率」と「情報に相対的な主観的確率」のダブルスタンダードを明示的に
導入する、という手もあります、あまり評判はよくないですけど)。
>>85さん、もひとつ雑学をいいですか。
>>69さんのような予知の話はラプラスもしています。ただし彼が挙げるの
は、オカルト予知能力者ではなく、ラプラスのデーモンです。
デーモンは、サイコロ周辺や投げる人のミクロな物理状態からニュートン
力学を使って出目を言い当てることができます(「論理的説得力」ならば
こちらのほうが上ですよね)。従って、そのサイコロの目が、長期的には
どの目の頻度も1/6ずつ(頻度説によると1の出る確率は1/6)であっても、
個別の試行ではどの目が出るかデーモンは知っているわけで、1の目の出る
確率はデーモンにとっては0か1のどちらかしかありません。
というわけで、
>>63さんと同じようにラプラスも、確率が意味をもつのは
人間にとってだけだ、と考えました。
93 :
考える名無しさん:02/01/21 22:25
79さんのおかげで、たいへん勉強になりました。
やっぱり確率は難しい問題をはらんでいるようですね〜。
たとえば、イカサマでないさいころは、ラプラスのデーモンでもないかぎり、
人間の能力の及ぶ範囲では、どの目が出るのも「同様に確からしい」。
しかし株価などは、人間によって、上がるか下がるかどう確率を判断するかは
ばらついている。
純粋数学としての確率ではなく、現実の問題としての確率は、
情報量や知識などと複雑に絡んでいるように思われる。
ところで
>>1はどうした?
>>1の疑問はなんだっけ?
79さん、大変ありがとうございます。
さっと読んだだけでは解らなかったのですが、
熟考しながら前後を参照しつつ、何とか79さんの意図を読み取ろうとしました。
自分なりに
>>79での意味を再表現したのですが、
「こいつ全然解ってねえ」でしたらすみません。
さいころの出目の確率は1/6というのは、まともなさいころを前提としています。
重心をずらしたイカサマさいころでは、1の出る確率が1/2もありえるのです。
「同様に確か」というのは「さいころがまとも」を前提にしているので、確実なものではない。
これを踏まえて1への返答を修正すると、
>サイコロの1の目が1/6の確率で出るってのはどんな意味なんですか?
まともなさいころと、特殊技術を有しないのを前提とした場合、
さいころのそれぞれの目の出る確率は同様に確かと言えるので、統計的にほぼ1/6。
(特殊技術=ルーレットの出目調整みたいなもの)
話をすすめて90に関して
自分は確率って統計の分析結果による未来予想、ぐらいに大雑把に捉えているのですが、
この認識が間違ってますか?
確率が高い=統計的に頻度が高い<>完璧な予測(=結果)、なので、
結果が出てから確率云々は違う気がしているのですが。
事例でBさんは結果を知らないので確率1/2と予測した、結果間違った。
90より
> Aさんが既に赤をとってしまったという状況を再現して
> 試行を繰り返せば、Bさんが赤をとる頻度の極限値は客観的に0ですから
これはすなわち「イカサマ」では?
78の
> Aさんがどちらの玉を取るかはわからないので、Bさんが赤い玉をとる
> 確率は、1/2です。
を満たしていませんから。
違う例ですと、まともなさいころで1が出るかどうかをかけるなら、
出ないにかけるほうが得である(5/6)、でも結果として負けることもある。
でも1が出た場合だけおこなう賭けでは、イカサマでしょう(心理戦?)
確率、結果、イカサマ、自分は何か間違えているのでしょうか?
92の話でも、出目を言い当てることができる=結果がわかる=確率云々関係ない
と考えてしまうので、デーモンにとって確率は0か1ではなく、関係ない、
あるいはデーモンが言い当てることが出来る"前”ならば、
普通と同様1/6であるといえるのではないでしょうか。
自分にとって確率が1(あるいは0)って、確率(1)=完璧な予想(結果)となってしまうので、
認識として甘い部分があるのでしょうね。
自己レスで矛盾出してる、馬鹿でごめんなさい。
参考までに、確率は、現在では、測度論の一部とです。詳しくは、
厨房なので分かりません。図書館で測度論の本でも読んでください。
多分、物さしで長さを図るように、事象に対しての測りを考えるもんだと
思います。
ていうか、なんで私の話は無視なの?
私が正解なのに。
>>94=85さん、
どうにももってまわった言い方ばかりしてしまってすみません。
> 自分は確率って統計の分析結果による未来予想、ぐらいに大雑把に捉えているのですが、
非常に的確な把握だと思います。おっしゃる通り、確率には統計によって
客観的に決まる側面と、未来予想に使われるという側面とが混在しており、
これが確率の概念の定義を難しくしています。その理由はだいたい、何回
も試行をするから意味をもつ「頻度」と、「予測」(特に、1回きりの試行に
ついての予測)との橋渡しにギャップがあるからで、そこに奇妙な事例が
たくさん出てくるのです。85さんのおっしゃる、
> 確率が高い=統計的に頻度が高い<>完璧な予測(=結果)、なので、
> 結果が出てから確率云々は違う気がしているのですが。
これもその奇妙な事例の1つでしょうね。Aさんにとってはもう既に結果が
出ていますが、Bさんにとっては結果は未知ですので、Bさんは予測をする
ために確率を使わざるをえません。しかし確率が頻度のように*客観的に*
決まっているものだとしたら、この場合は客観的には結果は出てしまって
いるので、予測などというのはナンセンスです。でもこの場合にBさんが
確率を使うことは、何らナンセンスではないですよね。
確かにこの赤玉の設定で賭けをするならイカサマでしょうけれど、しかし
イカサマにまで適用できてしまうのが確率論の強みなのです。そもそも、
イカサマが何故イカサマかといえば、イカサマをされるBの側はサイコロ
の目が1/6ずつの確率だと思っているが、イカサマをするAの側は確率1で
1の目が出ると知っていて、確率に関する知識の違いがあるからでしょう。
97=79です。
> デーモンにとって確率は0か1ではなく、関係ない、
これも正確に理解していただけていると思います。上でのAさんとBさんの
比較でいえば、ラプラスのデーモンとは、あらゆる事象についてAさんの
立場に立てる存在です。85さんの言葉を借りれば、デーモンにとっては、
この世のあらゆる事象は既に「結果が出て」いるのです。だからデーモンに
とっては確率は意味を持たないので、確率とはいいかげんな予測をせざる
を得ない無知な人間に相対的なものなのだ、とラプラスは考えたのでした。
確率の、予測の側面に重点を置いた立場といえるかもしれません。
滔々と話している人よりも私の方が簡潔に
正解を言ってるんだからね。
そうですね、あまり2ch向きの長さではなくなってきたかもしれません。
>>22さんも挙げてくださってますが、確率の解釈に興味がおありなら
ラプラス『確率の哲学的試論』
内井惣七『科学哲学入門』
伊藤邦武『人間的な合理性の哲学』
にあたってみられることをお奨めします。内井先生にはホームページも
あります。
>79さん
> 確率には統計によって客観的に決まる側面と、未来予想に使われるという側面とが混在しており
この両者を安易に直結(混同)しているのが自分の誤謬の原因かと思います。
どちらの側面か(あるいは両方か)、きちんと区別しないと「考えている」と言えないようです。
(なるほど、1の質問の回答は単純なものではなかったのか、反省)
ご親切に説明いただき、まことにありがとうございました。
ご紹介いただいた文献、読んでみたいと思います。
ああ、二分の一か。出るか出ないか。
確率の分布って言えば広がりはあるし。
六分の一って数字上でしかいえないしね。
103 :
アキレタです:02/01/31 13:04
しかし、ここに書き込んだ連中は全員バカですね。
いいですか、サイコロの1の目が6分の1の確率で出るというのは、
「サイコロを6回振ったうち1回は1が出る」
ということです。正しく作られたサイコロであれば、その振る回数を増やしていけば
1の目(もちろん他の目も)の出る値はどんどん6分の1に近い付いていきます。
104 :
考える名無しさん:02/01/31 13:15
>>103「サイコロを6回振ったうち1回は1が出る」
言い方がよくないのでは?
一回毎に1の目には立方体の上にくる可能性を
必然のうちの1/6与えられている、とでも。
1回は1が出るってのは結果としての言い方であまり良くないんじゃないかな
(私の言い方も変だけど)。
105 :
考える名無しさん:02/01/31 13:18
ていうか期待値
106 :
考える名無しさん:02/01/31 13:20
そうですね。「出る」とは言い切れないですから。
107 :
アキレタです:02/01/31 14:28
まあ、そうですね、期待値。
それぞれは均等なわけで、6パターンあれば6分の1
100パターンあれば100分の1、
だから、宝くじが当たらない(当たりにくい)ってのは、
「期待値」が低いってことですな。
>>101=85さん、
まだここ見てらっしゃいますか? スレが少し上がっていて目にとまった
ので、参考文献にもう1冊追加させてください。
繁桝算男『ベイズ統計入門』東京大学出版会
は統計学の教科書で、標準的統計学とは少し違いもあるのですが、この
スレで挙がった様々な哲学的問題を念頭において書かれたとてもいい本
で、おすすめです。ずばり「確率の解釈」という節もあります(2-1節)。
実験による実態の値。
予測する期待の値。
ですか?
無限大回サイコロをふったら、無限大*1/6 回つまり無限大回1が出るってこと。
無限大をどう解釈するかでとらえ方は違ってくるんじゃ?
111 :
考える名無しさん:02/02/06 14:17
何かの本で読んだんだけど、サイコロを100回振って全部「1」が出る
確率と、「5・3・4・2・2・1・6・・」みたいにランダムな数字が出る確率は
どちらが高いでしょうってのがあって、どちらも同じ、なんだよね。
言われてみればそうなんだけど、とても不思議な気がした。
それは百回全部1が出るのと
百回中1と2と3と4と5と6が混ざって出てくるのは
違うからねえ。
不思議な気がしたのはおそらく
頭の中でその問いがどういう意味なのかを誤解しているからでしょう。
がんばってください。
サイコロの1の目が1/6の確率ででるということの意味ではないですが、確率の説明をさせてください
少なくとも、数学的には、確率を「その起こる事象÷全事象」と定義しているので
今回の場合、さいころの目の出方の出方が「同様に確からしい」とすると、
1の目出る事象(1)を全事象(6)でわった1/6がその数学的な確率であるといえます。
目の出る確率が1/6だという事をまどろっこしく説明したのですが、確率が「1/6」という事の意味は数学的以上のことはないと思います。
ただ、確率そのものがどんな意味を持つかは、話が別です。質問はそのことですよね?1/6という数字が気になったもので。
現実には「同様に確からしく」目が出るさいころは実在しませんから、実際の確率(数学的でない確率があるとして)に数学的には意味をもたせることはできません。
あとは、もうすでに書かれてるような確率の定義または解釈の問題を解決して、そして初めて意味(解釈に一部含まれるけど)が問えるのだと思います。
思考するのはいいことですね
114 :
考える名無しさん:02/02/18 19:01
確率って、やっぱよくわかんないところがある。
例えば、サイコロを振る前は確かにどの目も1/6の確率だけど、
じゃあ、100回サイコロを振って一度も「1」が出てないとしたら、
次に「1」が出る確率は、やっぱり1/6になるだよね?
でも、それは単純な計算上の問題であって、普通の人なら、
次に「1」が出る確率はかなり高いって考えるよね?
この「1」が出る確率が高いと考える根拠って、
数学的には求められないものなのかな。どうなんだろう。
選択の当時。を意識すれば
「選んだ側」と「選ばなかった側」
に分かれる気がするものだよね
116 :
考える名無しさん:02/02/19 00:48
>1
出た目の定義の仕方が6通りあるから
6分の1っていうのはダメですか?
たとえば「1」っていう「目」をもし仮に
僕らが「2」という「数字」に認識していたら、
「3」「4」「5」「6」という「数字」に認識していたら。
「1」という「目」は(1、2、3、4、5、6)
6通りの「数字」として個人が認識している
可能性があるわけですよね?
その「目」の「数字」への変換方法は6通りあり、
あなたが一つ選ぶから、あなたが「1」の目を
「1」の数字として選ぶ確率は六分の一なのでは?
【「1」の目が出る確率が六分の一】とは
出た目に対してあなたが「1」という数字に認識している
確率が六分の一であることと等しいのではないでしょうか?
117 :
考える名無しさん:02/02/19 00:59
この板の連中は数学をやり直した方がよさそうだな。
>>108が紹介したベイズ定理はおおざっぱに言うと結果から原因の確率を
考えるもので、高校の数学の教科書にもその考え方が載ってます。
そろそろ新しい教科書が入荷している頃なので買いに行ってはいかが?
落ちる前に、たいしたことのないお返事だけ・・・。
>>117さん、
>
>>108が紹介したベイズ定理
ベイズの定理はもちろんベイズ統計学の中心となる定理ですが、
ベイズ統計のすべてではありませんし、ベイズ主義者でなくとも
ベイズの定理はもちろん受け入れていますので(確率論の定理
ですからね)、ベイズの定理を知ることとベイズ統計学を学ぶこと
とは違います。その辺り誤解のありませんように(117だけでは
あなたの真意はわかりませんが、117を読む人のために)。
ベイズ統計に必要な数学も、高校数学よりはもうちょっと出来た
ほうがいいですよ。
121 :
考える名無しさん:02/03/04 23:55
>>114 簡単に説明すると、
「100回サイコロを振って、初めて1が出る確率」と、
「サイコロの次の目が1の確率」を混同してるのです。
122 :
考える名無しさん:
「100回サイコロを振っても1が出なかったこと」は、状況であって、
サイコロの次の目が1/6であることに影響しません。
100回サイコロを振っても1が出ない状況になる確率は、1/6ではないよ。