自由落下は、落とした人の考えじゃないの?
953 :
名無しのルサンチマン:02/11/22 17:11
>>951 人だけでなく→意志をもった存在
>>950 「まっすぐ歩きたいのに壁に邪魔された」は別におかしくないと思うが
「まっすぐ歩きたかったが壁に阻まれた」という意味だろ?
「邪魔」は、
そもそも行為。
「まっすぐ歩きたいのに壁に邪魔された」
は、語り手が壁の存在を強調するために、
ある種の憎しみのような物を込めている。
つまり、壁をまるで知能のある生物のように語っているだけ。
955 :
名無しのルサンチマン:02/11/22 17:18
>>952 自由落下
1,自由に落ちる
2,自由に落とす
「敵の銃弾が飛行艇とコンテナをつなぐ鎖を切った。
コンテナは「自由落下」していった」
という風に使わないかな?
そうだな、では、コンテナが落ちるのは見た人にとって、
下に落ちるのが目的のように見たてているんだよ。
もちろん、その目的とはコンテナ自体が下に落ちようと思った目的とはいいがたい。
語り手の主観。
目的がない物に対して妨げるもなにもないからね。
あと、ここに物があったら邪魔だ。
と言う表現は、
その物をそこに置いた人や、
物の所有者などの、責任者に語りかける言葉じゃないかな。
958 :
名無しのルサンチマン:02/11/22 17:26
>>956 「自由」を語るのに、「語り手の主観」を用いるのは、一考に値します。
もう少し「自由」について自由に語ってください。
二時間ほど留守にしますので。
言われた事に対して、言葉の整理をする(矛盾など)のは得意だが、
自分から疑問や問題を探すのは得意でないの。
よって、何か言ってもらわないと俺も何も語れない。
すまんね。
960 :
名無しのルサンチマン:02/11/22 19:58
[西欧社会における自由の概念]
自由という言葉はきわめて多義的に用いられており,定義することは困難であるが,
一般的にいえば,あるものが他のあるものによって拘束や制限を受けることがなく,
その性質にしたがって活動をなしうる状態を指すといえよう。
これらの諸自由のうち,とりわけ問題になるのは人間における自由である。
人間は環境に適応するとともにそれを変革していく動物であるとすれば,
人間と環境との相互関係はたえず変化するものであり,したがって,
いかなる行為ないし行為しないことがどの程度において自由であるのかは,
時代と社会と個々人とによって異なるのであって,
自由の概念をその内容によって一義的に定義することはできない。
さらにいえば,人間と環境との相互関係においては,
人間は自由であると同時に自由ではありえないのであって,
それは古くから〈自由意志〉論と〈奴隷意志〉論との間で
論争が繰り返されてきたことに示されるとおりである。
そして,自由がこのような論争的な概念であるとすれば,
人間の自由について考えてみるためには,
それを思想史の文脈において検討してみることが必要であろう。
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一応世界大百科事典から抜粋してみた。
961 :
名無しのルサンチマン:02/11/22 20:16
ホッブズの考える自由について
ホッブズの自由は決定論・機械論の枠内で論じることのできる自由。
因果関係と矛盾しそれを妨げない自由。
>自由は運動に対する外的障害の欠如であり、
>それは理性を有する被造物のみならず、
>非理性的被造物や無生物にも適用しうる。
世界の名著『リヴァイアサン』P140参考
>>960 じゃあ、順番に考えていこう。
>その性質にしたがって活動をなしうる状態を指すといえよう
性質とはなにか。
性質と言う言葉その物からして語り手の主観である。
だが、一つの物にも様々な性質があると言える。
例えば、物が右から左に動く時、
そこに物理運動が発生するが、
語り手はその物理運動がその物の目的だと思って語る。
この時、正確に話す気があるなら、
物その物と物理運動をバラバラに意識しなければならない。
その物理運動がもし、何かに妨害された時、
それは物「その物」が妨害されたのではなく、物理運動が妨害されたと思うだろう。
妨害の事だが、妨害も行為である。
妨害「する」
と言う言葉なので。
よって語り手も妨害物を知能生物として語っていると言える。
>>960の続き。
さて、それ以下の事だが、これは非常に政治的意図から生まれた意味が強い。
つまり、為政者達が国内を治めるのに都合良く定義した自由が絡んでいる。
ここまで話を広くすると語りようがない。
そこで、行為が妨害されたと「思った」時、又は行為が認められない時に自由でなくなる。
ではどうだろうか。
ちょっと問題なのが、「認める」と言う言葉。
いったい誰に認めてもらうのだろうか。
ちょっと歴史の話を出すが、
完全な王権制度を思い浮かべてほしい。
王未満の人物は王が法なので、王に権利を与えられ、
その権利の分の活動を認められていたとする。
しかし、王は自由なのか。
となってくると全然そうではない。
964 :
名無しのルサンチマン:02/11/22 20:37
>例えば、物が右から左に動く時、
>そこに物理運動が発生するが、
>語り手はその物理運動がその物の目的だと思って語る。
「水が上流から下流へ流れる。」ときも、
語り手は、水が下流へ向かって流れるという目的を持っている、と思って語ると言うことか。
>正確に話す気があるなら、
>物その物と物理運動をバラバラに意識しなければならない。
物そのもの(物自体とも言える)と物理運動を切り離して考えられるだろうか?
物理運動することが存在意義という物もあると思うが。
分子は分子運動と切り離して考えられるだろうか?
では、王の目的を考えてみよう。
一般的に王や政治を動かすほど高い身分の人間(以下貴族と言う)は、
国を整える事を目的とする。
つまり政治だ。
しかし、権力を持っていようと、乱用してしまえば国、ないしは身を滅ぼす結果になる。
この事を王や貴族は、自分達は自由ではないと表現するようだ。
これは、欲求の先が二つ以上あり、それを全てかなえる事の出来ない状態の事だ。
あれもこれもしたい、と言う欲求が空間のルール(?)によって叶えられない時にも
自由に行動できない。と表現するようだ。
この事を、俺は普段、空間に認められなかったと言う事がある。
だが、認めるとは知的生物がおこなう事なので、正確には間違った表現だろう。
ここまでを整理すると、最低でも
自分の欲求や意思が通らない時、自由ではないと言えるのではないのか?
>物そのもの(物自体とも言える)と物理運動を切り離して考えられるだろうか?
>物理運動することが存在意義という物もあると思うが。
>分子は分子運動と切り離して考えられるだろうか?
これは、現実にそうなっているとかそうゆうのより、
概念上の物が強い。
「存在意義」とは語り手が決めるのだと言う事を理解してほしい。
流れる水は、正確に言うと、水の目的ではなく、
「流れる」その物が目的だと想定している。
流れていれば、水ではなくても良いのだ。
つまり、水その物の目的を想定して語っているのではなく、
「流れる」の目的の想定である。
流れるは物理運動。
だから、正確に言うなら切り離して考える。
967 :
考える名無しさん:02/11/22 20:56
Sa氏は、自由意志と自由意志とのぶつかり合いのことを
言っているのでは?
それが「自由意志はない…決定論」とどう関係するのだ?
>>961 >自由は運動に対する外的障害の欠如であり、
>それは理性を有する被造物のみならず、
>非理性的被造物や無生物にも適用しうる。
これは、一見正確に表現しているようで、かなりあいまい。
>運動に対する外的存在の欠如
とあるが、言ってしまえば運動とは様々なエネルギーから来るものである。
その運動は、当然一つの物質内で種類豊富におこなわれている。
では、自由を語る時、そんな物を全部想定して語るのか。
NO。
やはり、これも語り手の主観による「物質の目的」ではないだろうか。
エネルギーや物質運動その物を語るのなら、
その語り手の主観で勝手にエネルギーの目的や
物質運動が進みたがる方向を目的と想定して語る。
言ってしまえば、語り手の論点により、物理運動の目的も変わってしまうのだ。
大事なのは、その語り手の論点を把握する事だと思う。
>>967 1は物理運動なら自由意思は有り得ないと言った。
だが、全ては物理運動。
しかし、自由と言う言葉は、確かに存在するのだから、
自由は物理運動の種類と言う事になった。(俺の中では)
今は、自由の範囲を議論している。
970 :
考える名無しさん:02/11/22 21:06
>全ては物理運動。
という時点であなたとは議論できそうもないな。
理系の人?
>>970 >全ては物理運動。
専門書に書いてあった科学的なものは、自分では覆せないので
信じる事にしています。
間違っているのかどうかは知りませんが、
それは絶対なのだ、と仮定して話を進めます。
972 :
考える名無しさん:02/11/22 21:45
>自由落下
物体自身の特性を以って落下しているので…。
原因と結果が物体自体に由来しているので、自由落下と呼ぶ。
自由落下と呼べなくなるのは、原因と結果が他に由った場合。
>>970 それを前提にしないと話しが進まないだろ。
973 :
名無しのルサンチマン:02/11/22 21:45
「全ては物理運動」
その点では納得する。でないと科学を語ることができないから。
974 :
名無しのルサンチマン:02/11/22 21:48
>>972 ちょっとたとえ話を入れて説明してほしい。
なんか重要なことを言っていることはわかるんだが。
>>972 どうだろう。
>>966を参考にしてほしい。
>物体自身の特性を以って落下しているので
物自身の特性で落下しているのかもしれない。
だが、その特性により何らかの物理現象を受け入れることが出来た。
が
>>966ので説明したい事の一つになる。
その時、落下させる要素となるのは、物自身ではなく、
受け入れられた何らかの物理現象と言う事になる。
>原因と結果が物体自体に由来しているので、自由落下と呼ぶ。
>自由落下と呼べなくなるのは、原因と結果が他に由った場合。
俺は語る側が、物理現象の目的を推測すると書いた。
では、自由落下の目的は何なのか。
それは引力による、ごく自然体の落下である。
語り手はこれがおこなわれる事を、物理現象(自由落下)の目的と考える。
>>974 自分も物体も全体から抽出された「例え」なのだということです。
それに由るのが自由だと。
>>975 >その時、落下させる要素となるのは、物自身ではなく、
>受け入れられた何らかの物理現象と言う事になる。
重力だけで物は落ちません。
物体と重力、両方があるから落ちるんです。
万有引力の法則であって、天動説なんかではないのですよ。
977 :
名無しのルサンチマン:02/11/22 22:11
>>976 972よ、あなたは自由=自己原因説をとっているんじゃないかな。
スピノチストか?
>>976 すまないが、もう少し読んでほしい。
引力から、落ちると言う自由落下の語り手の目的が想定される条件だ。
受け入れるのは、決して「物自身」ではなく「質量」になる。
質量があれば、全て自由落下を起こす事が可能なわけである。
つまり、自由落下を論点とした場合、
受け入れる要素が質量で、作用するものが引力である。
つまり、自由落下は重力にそなわる目的である。
この時、別に物がなにであろうと、
自由落下と言う言葉の前では差し支えがない。
979 :
考える名無しさん:02/11/22 22:40
Sa=螺旋蒼月@=心理学板の多重コテハン
ぽいね。
980 :
名無しのルサンチマン:02/11/22 22:42
>>978 うーむ、なんか話がややこしくなってきたぞ。
1は量子力学をしらないな。
ニュートン力学ではそうだが量子力学では電子の動きが確率でしかいえない不確定性原理というのがあり、それによって人間の自由意志があるのですよ。
>>977 では自由とは何でしょうか?
他から干渉しなければ、されもしない状態でしょうか?
それなら結局意味する所は同じだと思いますが。
>>978 >性質と言う言葉その物からして語り手の主観である。
主観とそれが観る対象、どちらが欠けても関係は成り立ちません。
ちなみにニュートン力学の現象は量子力学でも説明できるので
ニュートン力学が実数とすれば量子力学は複素数のような存在です。
そこから私の複素幸福論が導き出されます。
984 :
名無しのルサンチマン:02/11/22 22:46
>>981 不確定性原理について詳しくご教授願えないでしょうか
結局自由というのは確立でしか言えない現象ですよね。
だれか次のスレたててね。
簡単に言うとボールを投げると初速度などのデータを入れるとどこに落ちるか100%にわかるわけですが電子は確率でしかいえないんですよ。
つまりこの辺に50%、この辺に50%とかね。
まあそういうことです。
この確率でしかいえないというのは結局人間も脳から電子情報とか送っているので自由意思になるわけです。
988 :
考える名無しさん:02/11/22 22:52
>数学好き
ログ読み直してこい。
989 :
名無しのルサンチマン:02/11/22 22:54
>>982 例えば、ビリヤードのキューで玉を突くと、玉は転がると思うが、
このとき玉は何かに邪魔されない限り転がり続ける。
この転がり続ける状態のことを「自由」と呼んでいる。
ただし、原因(キュー)→結果(玉)という因果関係は成立するが。
>>979 コテハンは初めてです。
(捨てハンだけど、初めて)
>>980 別に複雑だとは、思わない。
もっと分かりやすく言うと、
自由落下の語り手から見る目的は、物自身にあるのでなく、
「落ちる」にあると言う事。
989さんへ
そうですか?
わたしは確率でしかいえない状況が自由だと思います。
992 :
名無しのルサンチマン:02/11/22 22:59
自由という考えにはいろいろあって、
自由は「原因から自由である」という考えもある。
自由意志論者は自分の意志は自己原因であるという考えをとり、
自分の意志の原因を認めない。
そういう意味で自由意志は自由である。
ところで、新スレ立てる時は題名変えてほしい。
古い話題が入ってくるので。
>>989 俺はその言葉の使いかたはおかしいと思うんだよ。
「自由に玉が転がる」
と、ただそれだけ聞いたらなにを想像すれば良いのか。
目的がなければ自由は使えないと思うんだよ。
995 :
名無しのルサンチマン:02/11/22 23:06
新スレは「自由と必然」でどうだろうか。
>>989 一応、それは前提に置いていたつもりですが。
特に異論も反論もありません。
「玉に与えられたエネルギー」の取り扱い方が違っただけかと。
必然の意味は?
また、自由は存在するかどうかの話しになってきそうだよ。
その前に自由の定義を絞りたい。
998 :
名無しのルサンチマン:02/11/22 23:11
「自由」を語るには「必然」について語る必要があると思うから。
999 :
考える名無しさん:02/11/22 23:13
次スレ「自由と必然」で立てますので、よろしく。
もう立てちゃった。
1001 :
1001:
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。