1 :
考える名無しさん :
01/12/24 04:52 イマイチわからん。何した人?
ただのホモです。
3 :
考える名無しさん :01/12/24 04:56
なんだかわからんが探求した人
哲板のお姫様に聞け。
5 :
考える名無しさん :01/12/24 05:04
外人であることは間違いない
6 :
考える名無しさん :01/12/24 05:06
沈黙しようとした人
7 :
考える名無しさん :01/12/24 14:30
Li estas solipsisto.
8 :
考える名無しさん :01/12/24 14:32
9 :
考える名無しさん :01/12/24 16:11
ウィットに飛んだスレだな。 そのむかし、クリプキに感動したんだが、いまは 全然評価されてないみたいね。
ニーチェは「AがBである」と考えることは嘘、と言った。 ハイデガーは「AはBである」と考える前に、Aが在ることを考えよ、と言った。 ヴィトゲンシュタインは「AはBである」と言いながら、別のことを 考えることはできないか、と言った。
↑おお、大まか正しいな。
あまりにも周知の事実ながら、おさらいをしよう。 ヴィトゲンシュタインは大金持ちのお坊ちゃん、末っ子。 兄三人は自殺、残った一人は片腕を無くしたがプロのピアニストに。 姉三人は超美人で才能豊か、それぞれ絵画音楽文筆に秀でていた。 ヴィーン世紀末の耽美派画家クリムトも、姉の肖像を描いている。 実家は、当時の芸術家や知識人のパトロン的大富豪で、 多くの著名人が出入りする家庭。・・・幼い時から そんな中で成長したヴィトちゃんは、 後年財産の相続権を放棄したり、 戦争に逝ってなるべく危険な場所にいきたがったり、 小学校の教師になって初等教育をやってみたり、 そこらの女なんか色褪せて見えたのかホモに走ったり、した。 とにかく、普通ではない出自、それが彼を形作った。 ケンブリッジでラッセルに出会い、 最初に書いた論文でラッセルに「天才的な人間だと確信」させた。 言葉の真のイミで、天才。 天才とは、狭隘な才能のみの話ではなく、 その生涯そのものが、天才、であるのだ。
じゃあ、これは? ヘーゲルは、「人がコミュニケーションするには、客観的で絶対の根拠が必要」 メルロ・ポンティは、「主観どうしが、まじわりあう」 ソシュールは、「見えない言語大系がある」 ウィトゲンシュタインは、「なんにもない」 反哲学って、なんですか?
↑ ハイハイ、そうして、根源的な思索に一生を費やしたわけで…。 やっぱさあ、どうやってメシを食おうとか、 家族を養えばいいのかとか、 そうゆうことから完璧に免れていないと ホントの形而上学にノメりこむことはできにくい、 とか思ってしまう。
↑どうもどうも ヤツは、お湯できれーにあらった皿でないと、メシくわない という潔癖しょうだったそうですね。
17 :
考える名無しさん :01/12/24 17:20
そうそう。潔癖症とホモは、どうやらリビドーの深〜いところで 関連がありそうだな。 釈迢空こと折口信夫はホモだが、箸や茶碗を一々アルコールで 拭いてた。 そーいえば、泉鏡花も潔癖症とか言ってたが…ヤツはホモッ気 あったんかいな? うーーむ、はなはだしく横レスだな、すまそ。
18 :
考える名無しさん :01/12/24 18:41
誰か、何か語ることはないんか・・・・・・
19 :
考える名無しさん :01/12/24 18:50
語りえぬものには沈黙をせねばならない
20 :
考える名無しさん :01/12/24 21:01
じゃあ、ホモ話はやめにして……。 一貫して、ある言葉があること(事態)を意味する、とはどういう ことか、意味するためにはなにが必要か、というよなことを問題にして たんじゃないかな。 前期(論理哲学論考)では、言葉と事態とが明確に一意対応するよう な言葉のあり方が大切だ、とか言ってたかんじ。世界は、原子命題の総 和として成立(記述)される。言語は、事実の像(image)をつくる(2.1)。 「数学の基礎」等の中期を経て、後期と言われる「哲学探究」を発表 する。「探究」では、「論考」の言語観を否定する。すなわち、言葉と 世界(事実)を結び付けるような像というものは無い。言葉は、ただ発せ られ、その言葉の有用性と役割とによってのみ意味を持つ。だから、自分 しか理解出来ない「私的言語」というものはナンセンス。ルールと言った ものも、ルールにルールが内在しているのではなく、他者との関係におい て有用として使われるに限り、ルールとして成立する。これらが言語ゲー ム(の多様性)。 プラトン以来の形而上学、いわば、現象の背後の実体(本質)、世界の 根源的法則を探し出すのが哲学だとすれば、そういう存在、思考法(イデア 論)を拒否したところが、反哲学といわれる所以。 あと、宜しく。
21 :
考える名無しさん :01/12/24 21:10
>>20 細かい突っ込みで申し訳ないんだが。
>「数学の基礎」等の中期を経て、後期と言われる「哲学探究」を発表する。
『探究』は発表される事を意図して書かれ編集されていたのはほぼ確からしいが
結局は未刊に終わり、死後弟子が編集して出版されている。
『探究』に限らず彼の著作の多くは死後遺稿を編集されて出版されたもの。
22 :
考える名無しさん :01/12/24 21:26
しかも「探究」は完結していないのじゃあ。
23 :
考える名無しさん :01/12/24 21:51
>>20 要するに、口開くのも面倒くさくて、考えた事がそのまま
愛する彼に届けばどんなにイイかしら?うふーん。
て、ひがな一日金に溺れて考えてたということやな。
24 :
考える名無しさん :01/12/24 21:55
>>22 絶対完結しねぇって。こんな根性なしの作文。
>>20 って。
もともと知ってる奴には十分だが、知らない奴には意味不明かも知れず
でも、この分量で書けといわれたら俺も似たような事書くだろうし
ムズカシイ!
26 :
びたみん ◆BWLMxAG. :01/12/24 22:25
「ウィトゲンシュタイン入門」読んだん。 んで、「Transzendental」には「超越論的」と「先験的」という訳語がある みたいだけど、なんかこの辺の事情はあまり本の中で説明されてなかった。 これはどういうことなんだろう? あと、「語りえないもの」として「論理」と「倫理」があるっしょ。 それで、どうして「倫理」が「超越論的」なの?むしろ「超越的」の 方がふさわしい気がするけど。どうなんだろ? ウィト哲学って偶然性や無根拠に深く関係するよね? 論理空間の内部での偶然性や、空間そのもののスーパーな 偶然性。言語ゲームの無根拠性とか。 根拠を求める哲学の「鋤」が、「跳ね返されてしまう」のであれば、 「根拠を求めない哲学」は在りえないのかな? …意味不明だね。 関係ないけど映画の「ウィトゲンシュタイン」はあまり (映画としては)面白くなかった気がする。 なんか浅田彰と永井均がコメントつけてるらしいけど 内容知ってる人いるん? 夜、また来るかも。
>>26 箇条書きにて失敬。
Transzendentalに超越論的つー訳語を当てたのは九鬼
フッサール現象学での文脈だったと思うが
それ以上の記憶なし
偶然性はあんま関係なくないか
無根拠->偶然性という発想の流れならわからなくもないけど
Wの主張は無根拠というよりは、根拠を問い詰める無限後退を断ち切れって
ほうじゃないかね
映画はクソと聞く。未見
28 :
考える名無しさん :01/12/24 23:06
200年後には、まず間違いなく消えている哲学者。 それがウィトゲンシュタイン。 哲学的な業績は、実はほとんどなし。
29 :
考える名無しさん :01/12/24 23:24
30 :
考える名無しさん :01/12/24 23:38
Transzendentalは超越論的がいい。 先験的はイメージ的にどこか先天的とダブってしまう。 または先験的では超越的との対比がイメージ的に不利。
31 :
デレク・ジャーマン :01/12/24 23:40
映画 俺はおもろかったが・・・
つまらん訂正でスマソ 「または」は「また」
33 :
考える名無しさん :01/12/25 00:06
>哲学的な業績は、実はほとんどなし。 もともと本人が業績を残すことを目的にしていなかったのだから その批判は半分外れてる。 今の潮流に痕跡が残っていないのはそのとおりかもしれないが。
34 :
考える名無しさん :01/12/25 00:17
>>30 ただ、
>>26 の人は永井均の『入門』における訳語で言っているから。
永井の本では、ヴィトがtranszendentalと言う一つの語を、
二つの意味に使い分けている、という主張。
なので、超越論的と先験的、両方訳し分けている。
あと、先験的という場合は一般に、カントの使い方での
transzendentalを意味すると思う。
>>34 あ。永井の『入門』ってそういう主張があるのか。
未読なのに恥を晒しました。スマソ
Wがtranszendentalって語を使ったのは少なかったと記憶しているけど
永井の主張を簡単に教えてくれるとうれしい(自分で調べるのがスジだが)
36 :
びたみん ◆BWLMxAG. :01/12/25 00:49
ひゅう…ただいま。
けっこうレス伸びてる!
倫理が「語りえない」ということは「ウィト入門」にも
書いてあったよ。スマソ
>>35 永井独自ってのは「独我論」に関することぐらいじゃないのかな?
37 :
考える名無しさん :01/12/25 01:12
ハァハァハァ ええのんか…ほんまにええのんか
>1 ガイシュツだろが、眼開けてよー見れ。
あれ?このスレのびたみんって…。
40 :
びたみん ◆BWLMxAG. :01/12/25 02:34
ん、なに?
41 :
びたみん ◆BWLMxAG. :01/12/25 02:36
そういえばどっかの変態系スレッドで、倫理と論理が 語りえないものされていることの「別の理由」みたいのが 述べられていたような。ウィトスレじゃないけど。 なんかアリストテレスがどうのと…。
本物のほうなんだな。 いや、トリップまで同じだから区別つかなくて。
43 :
びたみん ◆BWLMxAG. :01/12/25 02:41
イリさん風に解釈すると、いまは「本物」なんじゃないかな。 まあ、どっちでもいいけど…。
44 :
びたみん ◆BWLMxAG. :01/12/25 02:46
「言語論的転換」って…どういうことなんだろ? 漠然としてないすか。
>>43 アイデンティティを簡単に捨てれる気持ちがよくわからん。
というのは僕が硬直した人間なのかな。
う〜ん、なんとなく違和感があるんだよな。
>>45 むしろアイデンティティは強固になってると思うけど。
違和感?
そうかなぁ。まあいいけど…。
どちらにしても、まだ「本気(?)」は出してないけどね。
硬直と見ることも出来るかもしれんけど、
鋭いともみれるんじゃない。
コテハン馴合いウザイ。 ちいとも、ヰトゲンと関係無い。
反哲学的断章読んだ人いる?
>>48 一応読んだ。
調べていた事に関係あるとこがないかをみていたので、あまりきちんとではないが
50 :
かんがるー名無しさん :01/12/25 12:37
>48 あれって、「確実性の問題」(全集だと9巻)だったかを中心と した抜粋だと思う。「探究」よりわかりやすかったりする。 編者の丘沢静也は、研究室に自転車を持ち込んでいる(関係ない?) 完結してない、でいえば、「存在と時間」だってしてないやん(はは)。
>>49 ,50
レスどうも。
ウィトゲンに関しては、はっきり言って素人ですが、
彼のあの本の中のいいまわし(翻訳ですが)や、
キリスト教に対する見解に、
すごくニーチェ的なものを感じるんですが。
読んだ方は、どのような印象をもってるのですか?
52 :
考える名無しさん :01/12/26 01:53
5dfre
53 :
物理学科院生 :01/12/26 01:55
>>51 ウィトもニーチェ読んでなかった?
ある種の真理性を認めたようだが。
>>53 え、初耳ですが。
それは常識なのですか?
(ところで、貴方そのコテハンはいったい?)
55 :
物理学科院生 :01/12/26 02:03
確かそうだったぞ。伝記でも調べてみれば? コテハンの名前のとうり物理の院生ですよ 嵐に来ただけ
>>55 わかりました。チョト調べてみます。
嵐に来たって・・。(汗
>>55 役にも立たないレスばかりですまん
ハイデガーについては『ウィーン学団』に触れたところがあったよね
「人間の持つ限界への突進の傾向」って奴
ニーチェについては失念。
トルストイに心酔(?)していた点
カトリックに改宗したユダヤ人家庭に育った点
厳格(過ぎる)モラリストだった点
結局葬儀はカトリックで行われた点
キリスト教に対するWの態度には二律背反的なところを感じるのは確かです
58 :
考える名無しさん :01/12/26 09:33
>57 言語の限界に向かって突進する性向
59 :
びたみん ◆BWLMxAG. :01/12/27 00:33
あげ クリプキの「ウィトゲンシュタインのパラドックス」って読んだ方がいい? 語ることと示すこと…規則のパラドックスってか。
60 :
かんがるー名無しさん :01/12/27 01:30
>59 クリプキの本、第4章はまさに倫理の問題ですよ。 「人の痛みが分るとは、どういうことか」という。 涙無しにはよめませぬ。ヴィト、いいやつってかんじ。
そうそう。ヴィトの特徴を一言で言えとならば「純粋さ」。 まさに至純とも言うべき部分が、生涯汚れることなく保たれて、在った。 稀有、だよなー。うううー、ヴィトちゃんっ!!
>>59-60 うーん。
『ウィトゲンシュタインのパラドックス』はどうしても
例の『探究』201・202節の解釈の問題が残るよね
4章の前半部を読み返してみたけど、ウィトゲンシュタイン解釈としては
やっぱ乗れねぇなぁと思ったですよ。
それでも与えた影響やなんかを考えると読んだ方が良いのは確かだけど
63 :
かんがるー名無しさん :01/12/27 21:49
>62 やっぱ、のれませんか(笑)。 アングロサクソン系の哲学をきっちり学んだ人には、違和感の ある解釈かもしれませんが、大陸型の反形而上学、反根源主義み たいな文脈(ニーチェとか、丸山=ソシュールとか)からは、 非常に近いものを感じて、違和感無いんですよ。 でもクリプキ解釈は、もうすでに、クリプケンシュタインとか呼ばれて、 専門家からは愚弄の対象になってるようですね。 宣伝マンだった、黒崎宏せんせいの「ヴィトゲンシュタインが見た 世界」って本(2000年、新曜社)も早速読んだんですが、もうあんまり クリプキっぽくなくて、残念でした。 「反哲学的断章」は、「確実性の問題」の抜粋とか言ったのは、ウソ でした。すいません。編者はG・H・フォン・ライト(これって、ウリクトです よね??)。丘沢さんは訳者。
>>57 これは、私宛のレスと見ていいでしょうか。
最近図書館に行く暇がなくて、ネットでちょっと
調べてみましたが、やはり自伝など本か論文をよむしかなさそうです。
もくすこし二人の共通性について言及しているものを探してみます。
そうそう英語ですが、面白いサイトを見つけました。
「ニーチェとウィトゲンシュタイン」で、検索した奴です。↓
http://jhunix.hcf.jhu.edu/~grau_c/witniet.html これなんか、別スレにコピペしたなあ、なんて思ったり。(笑
Nietzsche: "From the fact that something ensues regularly and
ensues calculably, it does not follow that it ensues necessarily.
That a quantum of force determines and conducts itself in every
particular case in one way and manner does not make it into
an 'unfree will'. 'Mechanical necessity' is not a fact: it
is we who first interpreted it into events." (WILL, 552, p.297)
Wittgenstein: "But thinking this is no reason for saying
that if the decisions follow natural laws -- that if we
know the laws which they follow -- they are therefore in
some ways compelled. What on earth would it mean that the
natural law compels a thing to go as it goes.. ....There
is no reason why, even if there was regularity in human
decisions, I should not be free. There is nothing about
regularity which makes anything free or unfree..."
(Lecture on the Freedom of the Will, p.430-431)
コピペしたなあ>コピペしたいなあ に訂正。 まあ、どうでもいい文章ですが。(笑
>>63 ふむ。大陸系のを知っているとそういう感触を持たれるのか
私は単純にクリプキの検証主義的な所(共同体説)とかが気になるんですけど
しかも、気になる割に論駁するのは難しい……
> 専門家からは愚弄の対象になってるようですね。
というのはちと極端かとは思います
ウィトゲンシュタインの文脈を離れれば十分に重要なものかと
というか、今ここにこれで卒論(学部の)を書いてる人間がいますから(ぉ
そういえば、かんがるー名無しさんが書かれて(
>>63 )いる
黒崎宏さんの本にもニーチェが2ヶ所ほど登場しますね
論考の6.xxx後半部と科学論に関してですが
68 :
かんがるー名無しさん :01/12/28 05:34
>66 >私は単純にクリプキの検証主義的な所(共同体説)とかが気になるんですけど これは、名指し(指示)は、最初の命銘儀式を経て、その連鎖の中において 根拠を持つ、というようなやつですか。言葉と対象物との関係は、両者の 関係に内在的な根拠があるわけでなく、また実在としてのアプリオリな共 同体があるわけでもなく、繋がりは、その言葉を使うという、使用者の繋 がりにほかならない、というような(なんか分かってなくてすいません)。 一応、「名指しと必然性」、読んだんですよ(でも難しかった)。野家氏 だかの解説には、反唯名論的(実在論的)な論調だというような事がかいて あるのですが、私には、言葉の意味(ある語がある事や物を指示する、とい うこと)は、写像として関係づけられているのではなく、その語が使われる 役割と有用性によってのみ、成立している、という「ウィトゲンシュタンの パラドックス」の論調とパラレルなものだ、とか思ったんですが。 そんでもって、こういう視点てのは、道徳的に言えば(笑い)、人はひとり では生きてけない、ってことで、まー、唯我論を超えてゆく視点なのかなー、 なんて思ったりして。コギトから発想する哲学では結局到達できなかった視 点だなー、なんて。 愚弄の対象ってほどではないですか。それはよかった。講談社(だったかな) の哲学シリーズだとおもうが、飯田なんとかさんの「ウィトゲンシュタン」と いうのがあって、クリプケンシュタインという言葉をみたもんで。あららーと 思ったのです。卒論がんばってくらさい。 帰省するので、年明けにまたきます。
l
70 :
考える名無しさん :02/01/07 03:18
あげ
>68 > 愚弄の対象ってほどではないですか。それはよかった。講談社(だったかな) > の哲学シリーズだとおもうが、飯田なんとかさんの「ウィトゲンシュタン」と > いうのがあって、クリプケンシュタインという言葉をみたもんで。あららーと > 思ったのです。卒論がんばってくらさい。 あくまで私の感覚ですが、「クリプキによるウィトゲンシュタイン解釈」については、 ・ウィトゲンシュタインの解釈としては、誤り(文献学的に、文脈的に等々)。 ・規則準拠問題に関する見解としては、興味深い(問題は多いが、議論の対象になる)。 というあたりが通説ではないかと。で、後者の観点から扱う際に 「ウィトゲンシュタインの見解」と言うわけにはいかないので、その意味でも クリプケンシュタインという表記が出てきたのではないかなと。 日本では飯田先生、野矢先生などクリプケンシュタインとウィトゲンシュタインを 区別した上で評価している人が多いと思うのですが、アメリカではどうなのでしょうね。 Wittgenstein and Legal Theory (Westview)などを見る限り、 どいつもこいつもクリプケンシュタインをウィトゲンシュタインだと思い込んでいるような 議論ばかりだったのですが。哲学の方だと違うのかな。
72 :
考える名無しさん :02/01/10 05:18
>>66 >今ここにこれで卒論(学部の)を書いてる人間がいますから(ぉ
同志発見(w
進んでますか?余計なお世話ですね。
こっちの方はさっぱりです。
>>72 なんとか書いて、既に提出済み(月曜が期限だった
そちらもがんばってくださいませ
>>74 お疲れさん、おめでとさん、休むなり遊ぶなり、ゆっくりしたまい