269 :
かりんとう:02/03/29 23:37
カントは人間を解剖したけど。
なぜ自分自身は決して解剖しないのでしょうか?
またそこがカントの天才たる所以でしょうか。
それともそれが人間の限界?
>>268 つまり神は理念だということです。
270 :
かりんとう:02/03/29 23:39
哲学書を読んで理解する。
権威にしたがって、「カント」を学問の対象にする。
形式にしたがって、考える。
そういう人たちは結局哲学とは何の関係もない人たちですね。
271 :
かりんとう:02/03/29 23:40
カントを越えているというヘーゲルに興味があります。
272 :
吾輩は名無しである:02/03/29 23:50
上中下あるけど、無人島に一冊しか持っていけないとしたら
どれもってく?
>>272 岩波文庫の区分?
私にはルソーのエミールの中で十分です。
カントは経験、すなわちただの「知識」を越えた知を
得ようと血を流した人間なのに、
滔々と「カントは〜」などと知識を語っている人間は
カントを何一つ理解していないといえるでしょう。
275 :
考える名無しさん:02/04/03 07:36
>>275 自己陶酔してるんだろうから
やさしく見守ってやれよ。(ワラ
277 :
考える名無しさん:02/04/03 14:21
こういうスレっていいと思うんだが、
本を読む能力もない、自分が唯一の「哲学する」者だと思ってるバカが出てきてたいてい台無しになる。
人から何かを学ぶ気が無いやつ、すなわち人の話を聞こうとしない奴には
人に話を聞いてもらう資格はないはずだ。だから黙ってればいい。
復活期待アゲ。
他人の言ったことをただ勝手に相対化しているだけでは、
一生哲学とは何の関係もない人間だと思います。
つまり、カントの言ったことを「解釈する」なんて最低なこと。
そういう人は
「カントはアプリオリな〜」などと語り、カントの言ってることを
何一つ理解してないという醜態を晒しています。
「カント」という人物自体を引き合いにだすことはアプリオリだと
思いますか?
こういう愚鈍な人間達をみると呆れてものも言えません。
279 :
考える名無しさん:02/04/04 12:38
悲しみ晒しage
280 :
考える名無しさん:02/04/04 13:26
悲しみは合理論〜観念論を理解するうえで
正しい態度だと思うが?
281 :
考える名無しさん:02/04/04 13:30
そうだもっと悲しめ。
282 :
考える名無しさん:02/04/04 13:38
>>280 やだね。自分が本を読む能力がないのを
そういうわけわからん屁理屈でごまかそうとする奴は
ちゃんと哲学したいんなら、ちゃんと本読む技術をまず身につけろよ。
>>282 あのさー、知識として知る、論理的に読解できる、というのと
「わかる」と言う次元とは違うのだよ。
おまえの言っていることは「知識として知る、論理的に読解できる」能力ダケ
しかなく「わかる」能力の決定的に欠けているヤツがしがみつく典型的な理屈だ。
いつまでもしがみついてろ(藁
あ、「悲しみは合理論〜観念論を理解するうえで正しい態度だと…」
っていうのは情緒論を言っているんじゃないよ、274ほかの「悲しみさん」の言っていることという意味だよ。
285 :
考える名無しさん:02/04/04 14:08
俺は280に賛成だぞ。
カントを知的理解だけで読むのには反対だ。
286 :
考える名無しさん:02/04/04 14:09
287 :
考える名無しさん:02/04/04 14:11
>>283 はっはっは。こういうバカってほんとにいるのね。
だってお前はさ、「知識として知る能力」「論理的に読解する能力」すらないのに
自分には「わかる」能力がある、って思いこんでるんだろ。
あーあ。いつまでも電波を受信し続けてれば。
はっはっは。こういうバカってほんとにいるのね。
だってお前はさ、「知識として知る能力」「論理的に読解する能力」すらあやしいうえ
自分に「わかる」能力が決定的に欠けているのを認めるのがどうしてもつらいから
「そんな能力などそもそも誰ももってない」と思いこんでるんだろ。
あーあ。いつまでも高校倫理の暗記でも続けてれば。
289 :
考える名無しさん:02/04/04 14:18
>>288 結局お前には、作文する能力すらないのね。
知識として知る能力がもしお前にあるんならさ、純理を説明してみたら?
説明できないんなら、黙ってたら?
高校倫理の暗記もできないバカの癖にさ。
>>287 論理的理解力がなけりゃ、論理の限界である二律背反も分からん。
しかし論理的理解力だけでは二律背反そのものの意味するものも分からん。
カントはそこまで踏み込んでいたと思うよ。
291 :
考える名無しさん:02/04/04 14:22
288のレスをもって「作文する能力すらない」と言う根拠を示してみよ。
それでおまえ漏れに「純理」の解説をここでしてくれと頼んでるのか?
292 :
考える名無しさん:02/04/04 14:24
>>291 >それでおまえ漏れに「純理」の解説をここでしてくれと頼んでるのか?
あのー、289がそれを頼んでるかどうかは別として
ここは純理の解説をするスレなんじゃないんですか?
悲しみさんの文の煽り要素。
「ただ」「勝手に」「一生」「なんの」「人間」
「最低なこと」「醜態をさらして」「愚鈍な人間達」
感情的反応を誘発する表現の巧みな使用。
「知識として知る能力」「論理的に読解する能力」を
有することが最低限必要なのは言うまでもありません。
しかし哲学の理解というのはそれだけではなされえないものであって、
そのことを悲しみさんは指摘したのでしょう。
…と、これでいいですか?
296 :
考える名無しさん:02/04/04 14:32
プラトンにおいても、な
297 :
考える名無しさん:02/04/04 14:37
>>280 >「知識として知る能力」「論理的に読解する能力」を有することが最低限
>必要なのは言うまでもありません。しかし哲学の理解というのはそれだけではなされえない
ここまでは完全に同意する。ただ、「悲しみ」はそんなことは言ってない。
「悲しみ」が言ってるのは、カントを「解釈」するのは「最低」だということ。
それが最低ならすべての哲学者の営為は最低だ、ってことになる。
たいていの哲学は何らかの先行者の解釈から始まる。
もちろんカントの哲学だって、彼の先人の解釈から始まった。
悲しみの発言は、1の依頼に答えてまじめにカントを解釈し、それを説明しようとしてる人間に
失礼だ。
298 :
考える名無しさん:02/04/04 14:39
ニーチェがどこかでカントの功績を「物自体」の概念を定立し人の関心を
そこに開いた、と評価していた。
実際にカントを読む限り、物自体についての思考は棚上げすることを勧めている
ようにも思えるのだが。
ニーチェの勝手な解釈なのだろうか?
>>297まあ「悲しみ」さんにも非があると認めます。
まあカントを解釈することが最低なら、
カントを分析するのは極悪非道の人非人で、
カントを批判するのは地獄の牛頭馬頭ってとこだろうな。
301 :
考える名無しさん:02/04/04 14:44
>>298 ニーチェが言っているのは、たぶん、
カント以前には誰も物自体Ding an sichと現象Erscheinungを区別してなかった、カントがはじめてそれを区別した、
ということなんじゃないのだろうか。
ええと。チガッテタラゴメン
>>280 すまん。おれはオルカ見ながら2ちゃんやってて、ちょっと興奮しすぎた。
298と301が少し有意義な話を始めつつあるのでおれは黙る。
わるかったよ。
>>301 おれもそう習った気がする。
303 :
考える名無しさん:02/04/04 14:52
プロテスタント系の宗教学者のなかには
物自体をめぐるカントの思考を神学に運用する者もあるようだ。
それはそれとしてカント自身は現象と物自体を区別したのち
現象こそが論理的思考・分析の対象であるとし、
物自体は哲学に対象から外しているようだ。
304 :
考える名無しさん:02/04/04 15:00
ドイツの主意主義の系列にみられる平行関係。
意欲 / 表象 (ライプニッツ)
物自体 / 現象界 (カント)
意志 / 表象 (ショウペンハウア〜)
ディオニソス的 / アポロン的 (ニーチェ)
305 :
考える名無しさん:02/04/04 15:06
現代の見方では
先の系列がむしろ宗教の対象
後の系列が哲学と科学の対象
ということになるかな?
306 :
考える名無しさん:02/04/04 16:52
ちょっとアゲよう。
307 :
考える名無しさん:02/04/04 17:02
なるほど、で?
>それが最低ならすべての哲学者の営為は最低だ、ってことになる。
>たいていの哲学は何らかの先行者の解釈から始まる。
>もちろんカントの哲学だって、彼の先人の解釈から始まった。
あなたには一言で返答ですきます。
それは「大学の哲学」という哲学とは何の関係もない、
およそ経験的な、あまりに時代的な、すなわちただのイデオロギーです。
カントがただ本を読んでいただけなら、カントは決して何もできなかったでしょう。
あなたは哲学とは何かということを何一つわかっていません。
哲学は存在しません。
あなたが信じている哲学はただの権威主義であり、要するに狂信、
有り体に言えば「虚栄心」でしかありません。
哲学が存在したといえるのは、血を流した人間が結果として、
残した言葉の残骸、血の結晶です。
なぜ解釈することが最低なのかわからない
人は永遠にわからないと思います。
そしてそういう人間は永遠に哲学(もちろん
哲学の存在自体を最初から前提などできませんが)
とは何の関係もありません。
そういう人はせいぜい、「発展するために」
哲学書を読んで、解釈するのがいいと思います。
私はもちろんそんな人間は「虚栄心」と一言で終わらせるし、
それが哲学の性質上もっとも正当です。
310 :
考える名無しさん:02/04/05 08:28
>>298、301、304、305さん、
今日は出てきてくんないのかな。
311 :
考える名無しさん:02/04/16 04:54
今年こそ
312 :
考える名無しさん:02/04/16 05:10
てゆ〜か
おまえら「神話」でも読んでろ
313 :
考える名無しさん:02/04/16 23:19
『純理』、何度かチャレンジしましたが(もちろん邦訳で)、
「原則の体系」のところでつまづいてしまいます。
ていうか、ここで何が言いたいのか、全体の見通しが立たないので
いつも投げ出してしまいます。
どなたか「原則の体系」(できれば「図式」も)のおおまかな見取り図を
示していただけないでしょうか。教えてクンですいません。
314 :
考える名無しさん:02/04/18 18:02
>>313 純粋悟性概念(カテゴリー)は理解できてるんですか?それなら話は簡単なんですが。
「図式」と「原則の体系」は純粋悟性概念を経験に適用する方法が書かれているんです。
まあ、簡単に言うと、「感性+悟性」で経験的認識ができあがる。でも感性で受け取った
感覚がなぜ悟性に適用できるのか?この謎をクリアにするために図式と原則がある。
純粋悟性概念はしょせん概念でしかない。つまり箱だけあって、その箱を満たすような
内容がない。概念だけでは空箱。その中身を満たす「感性の多様」が必要なんだ。
感性の多様が概念に適用されてはじめて認識ができあがる。でも、なんで感性の多様が
概念に適用できるのか?
その答えが「図式」だ。純粋悟性概念がちゃんと感性に適用できるように、作りかえられた
ものが「図式」と呼ばれるもの。この作り変えをするものが構想力なんだけどね。
315 :
考える名無しさん:02/04/18 18:11
>>313 314はちょっと言葉が難しすぎるかもしれんな。よって図式の説明をさらに簡単に。
例えば、Wordで作った文章を一太郎で起こすときを考えよう。ワード文書はそのまま
では一太郎では起こせないだろ。まずテキスト形式への変換が必要だ。ワード文書を
テキスト形式に変換して、それから一太郎で起こす。
これと同じで悟性はそのままでは感性で受け取られた感覚には適用できない。
まず変換が必要なんだ。悟性を感覚に適用できるように、いわば「テキスト形式」
に変換する。この「テキスト形式」のことが「図式」だと考えればいい。
どう?原則論はめんどいのでまた今度。
「ワード文書でも一太郎でも開ける」とか言うなよ。書式が崩れるしさ。
>314, 315
ありがとうございました。なるほど、テキスト形式ですか。
カテゴリーが、直観形式の時間と結びついた図式に変換された上で、感性の多様に適用されるってことですね。
超越論的演繹論は、
「悟性と感性はまったく異なる原理であるにもかかわらず、なぜカテゴリーが感覚に適用されうるのか」
という問いに対する証明(弁明?)なんですよね。
ちくま新書の『カント入門』に、
このような問いは法律用語で言うと、「事実問題」ではなく「権利問題」になる、
というようなことが書いてたように記憶してます。
この 事実問題/権利問題 という分類でいうと、
カントが図式の説明のところで扱ってる問題は事実問題になるのかな?
超越論的演繹論で、カテゴリーが感覚に適用されることの正当性を証明した上で、
「では実際の認識において、カテゴリーがどのような仕方で感覚に適用されるのか」。
図式を媒介にしてカテゴリーが感覚に適用される仕方を、叙述してる箇所というふうに理解したのですが。
こんなので合ってます?
>316
なんだ、けっこうわかってるじゃんよ。
あってるよ。
図式が事実問題に入るかどうかはちょっとわからん。カントの認識論は権利問題で、
認知科学とかが事実問題としての認識論をやっているのかなと思うけど。
でも、演繹論の成果の後で、じゃあ権利問題が解決したところで、実際にカテゴリーが
どんな風に使われるかやってみましょう、というのが図式論・原則論だと言えない
こともない。まあだから316の話は理解できるので、問題ないです。
318 :
考える名無しさん:
アプリオリのアプリオリ