<正義>って何ですか

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1こけし
実のところ正義とは何でしょうか?
何を基準にして正義が成り立つのか?
正しいことだけが正義ではないのか?
そんな感じでいろいろと考えてます。何かわかる方、考えてる方、
一報お願いします。

正義とは所詮、自己満足の独りよがりなんですかね・・・
2考える名無しさん:01/12/08 01:45
類似スレは沢山ある。それらを目を通しそちらで議論すべき。
3考える名無しさん:01/12/08 01:53
絶対的な正義の定義はいまのところありません。
相対的な正義については、人間社会では謡われる事もありますが、所詮ある集団の独善です。
正義を叫ぶことの愚かしさは歴史が語っています。

…な〜んてことは、聞き飽きたかな?
残念ながら、これ以上は私にはわからん。
でも、「考えること」は助けになると、私は感じる。非論理的でスマン(^^;
4G.ブッシュ:01/12/08 01:55
>>1
もちろんオレ様の言った事
5考える名無しさん:01/12/08 02:17
とりあえず最低限他人に迷惑をかけるのは止めよう。
嫌がってるんだからさ・・・
6G.ブッシュ:01/12/08 02:19
>>5
嫌じゃぁ〜!!
7Iridium:01/12/08 02:21
多くの人がより多く幸福になる選択というのはある。
8考える名無しさん:01/12/08 03:10
じゃんけんに勝った人だろ。みんなそう言ってるだろ。
9考える名無しさん:01/12/08 04:00
とりあえず、宇宙刑事ギャバンは正義。
10考える名無しさん:01/12/08 07:50

 ウォーズマンとバッファローマンに聞きな
11考える名無しさん:01/12/08 15:01
悪を包括できないような正義は正義と言えず
逆もしかり
12考える名無しさん:01/12/10 10:28
>1
辞書をひいてね。
13考える名無しさん:01/12/10 10:34
「正義論」ヨメヤコラ!
14考える名無しさん:01/12/10 11:03
聞くまえに自分で考えてくれ、という言葉。
15考える名無しさん:01/12/10 17:21
>1
お父さん、お母さんに聞いてね、これまでそんな大事なこと教えてくれなかったの。
それから自分でももっとよく考えなさい。
16じゃすぴよん:01/12/10 18:52
俺の事。
17こけし:01/12/11 01:15
人を助けることが正義?
善いことをするのが正義?
すべての正義が「正しい道理」なのでしょうか。

>2
例え似ていても、そのスレとは違う考えがあるのではないでしょうか。
たしかに同じ事ばかり考えているのは大変ですが、
哲学はそういう論議で鋭く研いでいくモノではないのですか?

>3
やはり正義は『勝てば官軍』なんでしょうか

>7
すいません、もう少し詳しくお願いします。

>9
『悪』と呼ばれるものを倒すからですか?

>11
悪なくして正義は成り立たないのなら、正義は必要ないのでは?
悪を容認する正義は正義と呼べないと思います。

>15
考えた結果が>1では駄目でしょうか。
自分一人で分かっていたら書き込んだりしないですよ。
 
18:01/12/11 01:22
自己満足の独り善がりだと考えさせなければ正義なのか?
19マジデス:01/12/11 01:25
正義って
「行なった罪(宗教下や法的)によって引き起こされた不均衡を修正する」
ことでは?
古くは目には目を、歯には歯を。っていう。(これを復讐の法という人がいるが、行なった罪より重い刑を科すなという教えだと思う)
今はそういうわけにはいかないから、罰金とか懲役という代りのものを「これくらい」って法で決めて、罪人に不利益を与えているが。

つまり、悪時(過失、その他)がないかぎり、正義はただそれだけ存在できない。
20:01/12/11 01:31
不当な罪と正当な罪とはなんだろう?
悪事を判断するのは正義以外のなにものであるか?
判断するものがなければ悪はない。
21マジデス:01/12/11 01:34
また、善悪の問題か…
22考える名無しさん:01/12/11 01:37
あなたも問題にしたことがあるなら
見守ってあげたら?
23マジデス:01/12/11 01:39
悪は正義を必要としない。
しかし、正義は悪を必要としている。

じゃあ、善は?

…もう眠い。
みんな、おやすみ!
24:01/12/11 01:48
>悪は正義を必要としない。
>しかし、正義は悪を必要としている。

今までの文脈からすると正義は悪を必要としているというのは
正義が存在する為には悪が必要だという事ですね?

悪が正義を必要としないとはどういう事でしょう。
これは悪が行われているのに正義がどこにもないという場合でしょうか。
では悪が行われているという事を判断するのは何ですか?
25マジデス ◆LjycW0U2 :01/12/11 13:32
>>24
>これは悪が行われているのに正義がどこにもないという場合でしょうか。
読み取りから違う。
正義が断行されたり、規定されなくても、悪意や悪事はある。具体的な法設備がないとき、問題とされたストーカーのようなもの。一般にはワルイことだと認識されてたのに、正義の大鉈を振るえなかった。(私刑ならできるけど、余り個人的で低位な正義は論じたくない)
もし、悪が生まれたときから、その悪が自らを是正する正義を求めているなら、それは悪といえるのだろうか?
まるで、わざといたずらをして、いけないことと、して良いことの境界を探している子供みたいだ。その線で考えていってもいいが、この例は行為を認定し叱る「親」が大前提でいるので止める。

>では悪が行われているという事を判断するのは何ですか?
悪と判断されてから、おっとり刀で正義の出番がある。
何かを悪とする判断は、他スレで書いたけど恣意性かな。
26トゥトゥ・アンク・アテン ◆0EpHP9O2 :01/12/11 14:39
それは利用されるもの。
27トゥトゥ・アンク・アテン ◆0EpHP9O2 :01/12/11 14:42
悪を経てしか本当の正義には至れない。
28弁証法的理性批判放棄:01/12/11 15:44
暴力の事です。
29考える名無しさん:01/12/11 20:12
その奥に夢が息づいていて、闇がひそんでいるモノ
30こけし:01/12/12 01:49
悪が嫌われるモノであるなら他人・自分にとって嫌なことを正すのが正義なのか。
しかし、正義が法の下にしか存在しないのならこれは当てはまらないと思うが。
31Iridium:01/12/12 02:03
悪にせよ正義にせよ、日常空間とは相容れないもの。
どちらかが発生したときにシュールな空間が現出する。
32Q:01/12/12 02:34
コミュニティにおける最大公約数に支えられた力。
一貫性は無く、時勢、環境によって俄に姿を変える。
33考える名無しさん:01/12/15 00:04
 
34 名無し象は鼻がウナギだ!:01/12/15 00:41
正義とは「アメリカにないもの」である。
35:01/12/15 00:56
>読み取りから違う。
>正義が断行されたり、規定されなくても、悪意や悪事はある。
>具体的な法設備がないとき、問題とされたストーカーのようなもの。
>一般にはワルイことだと認識されてたのに、正義の大鉈を振るえなかった。
>(私刑ならできるけど、余り個人的で低位な正義は論じたくない)
すいません、読み取りの意味が漠然としていて分かりません。
それと、おっしゃられている事は分かっていました。
悪が正義なくしてそれ自体で存在するという事は、悪が判断されているのに
正義が振るわれていないという事ですね。

ですから、私の質問したい事も、私がそれを分かっていたという事で再度申し上げます。
何かを悪と判断する事が正義なくして他のものなのに、なぜ正義の出番が
やってくるのでしょうか?
如何にして、その恣意性によって正義を振るう事ができるのでしょうか。
36考える名無しさん:01/12/15 01:21
正義・・・いるとしたら神がふるうエゴかも。
37こけし:01/12/15 01:24
恣意性によって正義が決まるならやっぱり正義は独善ですね。
38はと麦茶:01/12/15 01:25
そ独善よ。ただし、多数決のね。
39考える名無しさん:01/12/15 01:28
ちょいバイアスきついのではなかんべか。
40考える名無しさん:01/12/15 13:59
しょせん言葉あそび
他人に価値基準を求めるな
41:01/12/15 15:14
問題になる程度には大事。
42:01/12/15 15:17
↑ここの「程度」って言葉に反発する程度には大事。
43マジデス ◆7y8WJd.s :01/12/15 21:21
>何かを悪と判断する事が正義なくして他のものなのに、なぜ正義の出番が
やってくるのでしょうか?

悪によって不利益をこうむったものは、正義を持ち出してきたくなる。不利益を帳消しにしてもらったり、これから受けるであろう不利益を未然に防いだり。あわよくば、利益を得ようとしたり。
できない場合は、せめて相手(不利益を与えたもの)に同等程度の不利益を与えたりと。
中には、(どのような形であれ)正義を振りかざしたくて仕方の無い者もいるし。

正義に価値を求めるってことは、同じに悪の存在を認めるってことかも。(悪の存在を許すという意味ではない)悪を見つけ出すだけでなく、掘り返して悪の概念を探すこともあるだろうし。
本当は、対価でも一対応できるものではないだろうけどね。
44考える名無しさん:01/12/16 00:04
>>1
アサヒ新聞とサンケイ新聞の主張していることを参考にして下さい。
とてもバカバカしいですが。
45考える名無しさん:01/12/16 02:29
権力。
46考える名無しさん:01/12/16 02:30
47考える名無しさん:01/12/16 03:41
正義と善を混同しちゃいかんだろ。
悪の対立概念は善。
justiceは公正さとか公平さの意味合いが強い。
英語でdo justiceて言ったら「正当に扱う」ってことだろう。
手続き的正義って言葉があるように本来
正義は善と悪に対しては中立的なものだ。

なんでも公正に扱うことってのが正義。
そうやって扱われたものは善いって思われるものが多い。
48考える名無しさん:01/12/16 03:47
正義は嫉妬だよ。
4947:01/12/16 03:48
正義でもって為されることが善って気がしてきた。
不正でもって為されると悪っちゅうことですっきりするかモナー。
50考える名無しさん:01/12/16 04:03
23年前、江川卓はある不当な(正当なのだが)手段を使って
栄光の巨人軍に入団した。
当時ガキだった俺には良く分からない出来事だったが、親父が
結構怒っていたのは記憶している。
日テレで当時の心境を語る江川卓、
「入団が決まった時、誰もおめでとうとは言わなかった。
マスコミに叩かれ始めてそれまで友達だったやつらが物の見事に
さあーっと去っていった、一人残らず・・・」

時に微笑みを浮かべ、淡々と語る江川卓に少し共感した。
本日、夜、続編!
51考える名無しさん:01/12/16 08:17
いや、書かなくていいから
52マジデス ◆7y8WJd.s :01/12/16 22:13
大体のところは>>47さんに、同意するが…
>正義は善と悪に対しては中立的なものだ。
はどうだろう?

悪の排除、悪しき事柄の引き上げ、平均化とかはあるけど、善に対しては不関与(無視しないまでも、当然のこととして考慮)なくらいで、引き下げとかしないような。
以前、他スレで書いたが「何も悪いことをしていない」で「義務」を果たしていれば、無条件として「善し」とし、正当な権限や権利を与える社会システムって、怠惰的な正義(公正さ)のような気がするが。

あと、justiceの語源、ラテン語のjustitia(綴り忘れた。たぶんこう)とかギリシャ語のデュカイオシュネー(だっけか?)の意味はなんだろう。
53こけし:01/12/17 00:24
疑わしきは罰せず、が今の時代の基本なのかも。
正義を「公正」であるとするのなら、正義とは善と悪の善し悪しを決めるものではなく、
善悪ひっくるめての「バランス」のみに機能するって事か?
それでは“義”の概念にかなっていないのでは。
54つんつん:01/12/17 01:24
正義という概念は必要だ。
しかし現在にあふれる正義、ブッシュが言うような正義は真の正義ではない。
相対正義とでもよばれるべき正義でしかない。

私は思う,絶対正義はこの世の中にある。
理性を突き詰めた先にその絶対正義があると、正義のイデアの記憶がわれわれには残っていると。

戦争反対。武器よさらば。
55考える名無しさん:01/12/17 01:41
>>53
だから”手続き的”正義なんだろーよ
5647:01/12/17 01:55
>>52
>悪の排除、悪しき事柄の引き上げ、平均化とかはあるけど、
>善に対しては不関与(無視しないまでも、当然のこととして考慮)なくらいで、引き下げとかしないような。

言われてみればそうですね。納得。

>意味はなんだろう。

ラテン語の辞書はもってないので
手元の英和辞典でjusticeをひくと、
【ラテン語から;JUSTと同語源】...がっかり。
んで 、引き続きjustをひくと、
【ラテン語justus「正当な」から】とありました。

実際はどんな意味なんでしょう?チョト気になりました。
57ExWhy:01/12/18 13:48
正義という言葉が持っている概念には1.真実という意味の
正しいという意味と2.人間の行動を倫理的に見て善悪を判断した場合の正しい行動と
が混ざっていると思う。昔から人間は何が正しいのかという疑問と真理を求める欲求を
をずっと抱えてきたわけだが始めは1と2を分離できずに思考していたと思う。
そのうちに文明が発達し高度の実験、検証ができるようになってくると科学として
1がだんだん独立、発達していった。まだ確認されない事、論議が残っているが
この真か偽かの論理的整合性の追求の功績は大きい。現在の我々はこれを思考の道具、方法
として使う事ができる。2は宗教という大きな価値観が混ざっているので現在 人によって
意見が様々。じゃあ人間にとっての絶対倫理は存在するのかっていったらこれは人間の欲求
から考えればいいと思う。まず人間にとって善悪っていうのは人間という生物
の主観的なものということ、視野を広げて考えてみればそれで損するのも得するのも人間。
そして人間は自己保存、種の保存、存在価値を求めるという事。でも実は欲求って
相反するものが同居しているからすべて満足できないようになっててこれが葛藤の原因になり
幸せの原因にもなっている。元々宇宙は二律背反したものが同居したシステムとバランスを
もっている。欲求の矛盾ははエントロピー増加の中で減少の宿命を持つ生物としての「さが」
だと思う。だからいいバランスを見つけるのが一番最良かと思う。
58考える名無しさん:01/12/19 03:31
>>57
何が言いたいんだ?結局、正義ってなんですか?
59じゅぶないる:01/12/19 06:14
>>58
実行させるだけの力のない正義、なんて誰にも通用しない。
モラルにせよ法律にせよ、力を持たなければ、なんにも意味がない。
いずれにせよ、力のない正義は成立しない。
60じゅぶないる:01/12/19 06:51
論理的な倫理観や善悪観とは、べつもの。
実行効力がなければ、正しい道理と主張できても、正義にはならない。
61考える名無しさん:01/12/19 09:27
正義とは自分自身です
62考える名無しさん:01/12/20 02:22
>>60
>実行効力がなければ、正しい道理と主張できても、正義にはならない。

正義にならないのではなくて、単に実行されないだけじゃあ?
一匹ずつ鬼を殺しておんなじ働きをしたイヌ、サル、キジに
桃太郎がそれぞれ3個、3個、1個のきび団子をご褒美にあげたとする。
そこで、キジが「俺も3つにしろ」と文句言った。
桃太郎は刀を抜いて「文句があるなら殺す」と言った
って話を考えてみる。
これは配分の正義が守られていないことにキジが不服を申し立てたが
桃太郎が力(権力)によってねじ伏せたって話だけど、
桃太郎によって配分の正義が実行されなかっただけで
そのことによって配分の正義が正義でなくなることはないと思うが?
63じゅぶないる:01/12/20 03:11
>>62
ふむ…、>配分の正義、ってゆうか、配分の不当性に対して、
キジさんがイジワルな桃太郎に不服を申し立てたのか〜。
不当な事柄に、それはアンフェアだ!と考え行動したのであれば、
キジさんは、自分の正当な権利を獲得するために、イジワルな桃太郎
とは戦わなくちゃいけないだろうね。
見事、イジワルな桃太郎をも打ち倒したら、キジさんは日本一最強な
日本昔話のスーパーヒーローだよ♪
64じゅぶないる:01/12/20 03:39
ついつい、オモシロかったのでワルのりしちゃった。ゴメンナサイ。
>>62
このお話の中のイジワルな桃太郎は、もう正義じゃないよね。
たとえ、悪き鬼を実力行使で倒したとゆう行為をおこなっていたとしてもね。
そう、単に実行されないだけ。キジさんの主張は正当なもの。
論理的な倫理や善悪、正当なのか、公正であるかとゆう正しい道理と、
実行行使され効力を発する正義とは、べつものであるってゆうことなん
だけども。意地悪な桃太郎を、キジさんが倒さなければ正義は行われない。

ってゆーか桃太郎ってば、ひどいヤツだったんだねーっ♪
65痔郎:01/12/20 20:16
ベタだけどロールズの「正義論」を読んでみては?
66こけし:01/12/20 23:33
<正義>がこんなにも複雑なモノであったとは・・・
みなさんの論議に敬服します。
「世の中変えたきゃえらくなれ」ってーのは本当なんですな。
67ハウ:01/12/21 00:26
>>60
つまり、正義って平等処遇ってことなんですか?
68じゅぶないる:01/12/21 06:34
>>67
力のない正義は、たとえそれが正しい道理であったとしても、
机の上、頭の中だけで考えられたものであり、実際的な効果を上げる
ことが出来ない、とゆうこと。

あわよくば他人のおこぼれに預かろうとゆう平等処遇って言葉は、
なんだかずうずうしくみえちゃうね。
正当な権利であっても、自らの努力でもって勝ち取ろうってゆう精神が
微塵も感じられない言葉だなぁ、と。←極めて個人的な語意の解釈なんだけどもね〜。
69正義:01/12/22 01:11
正義とは私の名前です。
ちなみにまさよしと読みます。
あだなはまさやんです。
70考える名無しさん:01/12/22 03:27
ムーミンパパ
7171:01/12/27 00:47
正義ねぇ
社会でいうところの正義はやっぱり悪をくじくとかそんなところでしょ
でもただの正義なら誰でも持っているわけだ
他人からどう見てもやってはいけない事でも自分の中でそれが正しいと
思うのであればそいつにとっては自分自身の正義なんだろ

余談
悪があるから善が存在する
人間の心がある限りな
つまり人間が存在し続けるかぎり悪も善も滅びないってことですわ 
72世界教師(冗談):01/12/27 09:46
正義の義とは、「理性の怒り」…
正しいか間違っているか…ということは、これは、「方向」を指しています。
善悪と、正邪…この4つの言葉をまず、正しく認識しましょう。
ちなみに、善とか悪とかいう場合は、状態を指しています。
え?知ってた?(爆)
時代と、状況によって、善悪正邪は、変わらざるを得ません。
人がそれを判断している限り…
しかし、例えば、時代が殺したソクラテスのように、
本当は「何が正しかったのか」については、私たちは、世論とは関係なく、
「目覚めた」心境でこれを見る努力が必要だと思われます。
つまり、善悪正邪の正しい判断は、ご都合主義を廃した「理性」によらねばならず、
そのためには、「公正さ」の為に、「無私無欲」なる精神を磨く必要が出てくるのです。
73考える名無しさん:01/12/27 10:34
邪だけは認識できないが。
目覚めた心境・・?
74考える名無しさん:01/12/27 11:05
正義とは
攻撃するための理由です
75世界教師(冗談):01/12/28 00:58
>73邪だけは認識できないが。目覚めた心境・・?
それって、邪悪そのものだから…(笑)

>74正義とは
攻撃するための理由です

あなたにもし、知恵があるなら、
己自身に対して、攻撃しなさい。
なぜなら、己自身こそ、自己にとって最大の敵なのだから。
76M:02/01/11 00:29
正義の観念を持つのが人間だけだと仮定すれば、
人が集団で生きるうえで互いに守るべきルールであり、
それは集団内の人間の多くが必要とし、なおかつ
集団を維持するために必要とするものではないでしょうか。
これは仮定を正しいとした場合の私の考えですが・・・
77「正しさ」:02/01/16 03:32
何が正しいか分からない、という言葉がいろんな場所で見られる。生活の中でだとか、歌詞やドラマなどでもよく耳にする。この言葉は、あたかも一つの美しさを表現しているように見えることがある。

何が正しいかなんて分からない、だけど生きていく。

何が正しいか分からない。でもあなたとなら生きていける。

このような言葉は、人生に対する諦めであって、実は美しい言葉、という訳ではない。この言葉が生まれた背景には、正しいことをしても、結局は間違ったことがまかり通るのであって、無駄な努力はしないほうがいい、という考えがある。

正しいことなんて何もないという言葉を喜んでいる一方で、社会的な問題が生じると、「正義」の名の下に問題に対する批判、批評が飛び交う。実は我々は、何かが正しいという判断を下さなければ生きていけないことを知っている。

先ほどの歌詞やドラマ的な表現の中にも、その考えに価値があるかどうかは別のところで論じる問題としても、「過酷な世界の中で「あなた」と一緒に生きていく」ということが、その人にとって「正しいこと」なのだ、ということが分かる。

生きていく上での基本的な考えに「正しいことは何もない」を据えた場合、結果として、過酷な社会、無意味な人生を生き抜くための処方を求めるようになる。
男女の関係に安らぎを見いだす人、お金に安心を見いだす人、地位に居場所を見いだす人、様々である。
当人の頭の中には「正しいことなど何もない」という考えがあるのだが、実際は、当人の見つけた拠り所こそ、その人にとって「正しいこと」になる。

「正しいことなど何もない。この社会は空しいものだ。だから、せめて「生き甲斐」を」この考えから導き出されるのは、自分の拠り所を守るための、万人の万人に対する闘争である。
女性を手にするために友人を裏切り、金や名誉のために人々を騙す。このようにして、終わらない格闘が始まるのだが、それぞれには当然の答えが準備されている。

「だれもがそうしている。正しいことなど何もない。自分の安心できるもののために闘っている。それのどこが悪いのか?」

ごくまれに、全く良心の呵責がない者を除いては、そう言いながらも自分が何か間違ったことをしていると思えてくるのが普通である。

自分の安らぎを獲得し、守っていくために、人はどれだけでも無神経に、下劣になりうる。そして、世の中の過酷さ、矛盾を生み出しているのは、実は自分自身であるとは、ほとんどの場合、気がつかない。

そうなのだ。
「矛盾した世の中」とか、「過酷な社会」という考えは、人の社会の中にまるで遺伝のように伝わるのであり、当の自分が、その現実を生み出しているということに気づく必要があるのだ。
それははじめからあるのではない。我々が生み出している現実なのである。

矛盾の中に生きている限り、また社会も矛盾する。「正しいことなど何もない」という標語に対して、我々はこう言い直すことができる。

「世の中の何かが正しい。今はまだ分からないが、実際そうなのだ。
私はよりよいものを自分で選んで生きていく中で、いつかその「正しさ」にたどりつくだろう。それまで、自分で何が正しいかを判断して生きていこう。
私は生きる中でそれを獲得していくのだ。」

この考えは、矛盾のないものであり、過酷さや、無意味さ、に捕らわれない。なおかつ人間を停滞させない。
78考える名無しさん
ハイエク