1 :
ツァラトゥストラ:01/12/06 16:15
初めて鰻重を食した時なら永劫回帰してもイイ
…と夢想した(だけ)。
2 :
考える名無しさん:01/12/06 16:15
えいきゅうかいきってなに?かいせつきぼんぬ
3 :
考えるツァラトゥストラ:01/12/06 16:17
「永遠回帰」とか「永久回帰」よりも「永劫回帰」の方が語呂がイイヨネ。
4 :
考える名無しさん:01/12/07 15:31
>2
「永劫回帰」は、今まで自分の生きてきた生をそっくりそのまま、また繰り返す事。
これが無限に続く。しかし「輪廻転生」とは微妙に違う。
6 :
考える名無しさん:01/12/07 15:36
良い奥さん貰って、仕事で脱税したくなるくらい成功する人生なら永劫回帰してもイイ
…と夢想した(だけ)。
7 :
考える名無しさん:01/12/07 15:47
8 :
考える名無しさん:01/12/07 15:56
「最大の重し―或る日、デーモンが君の最も淋しい孤独の中まで
忍び寄り、こう言うとしたらどうだろう。『お前が今生きている
これまで生きてきた、この生を、お前はもう一度、さらには無限
にわたり、繰り返し生きなけれがならない。何も新しいものはな
い。あらゆる苦痛とあらゆる歓び、あらゆる思念とあらゆる溜息
お前の生の言うに言われぬありとあらゆるものが些大もらさず、
戻ってくるのだ、しかも全てが同じ順序で。―この蜘蛛も、木の
間をもれる月の光も、今のこの瞬間も、私自身も。存在の永遠の
砂時計は、そしてその中の砂粒にすぎないお前も、何度も繰り返
しひっくり返されるのだ。』―君は地に身を投げ出し、歯軋りを
して、こう語ったデーモンを呪わないだろうか?それともデーモ
ンに、『お前は神だ。これより神々しいことは聞いたことがない
!』と答える程の、とてつもない瞬間をこれまでに体験したこと
があるだろうか?」
(『悦ばしき智慧』341)
で、1は永劫回帰が実際に存在すると感じることはあるかい?
10 :
ツァラトゥストラ(1):01/12/07 18:22
>>9 実は昔は永劫回帰が宇宙論的にも存在すると感じていたのだが
最近の宇宙論が「そのまま膨張し続ける」と云うのが主流にな
り始めると単に「自分の生を肯定し続ける為の方便」と云う風
に感じ方が変わってしましました。
11 :
ミラクル☆チンポ:01/12/07 18:24
至福の島々ってどこだー!
12 :
考える名無しさん:01/12/07 20:12
彡川川川三三三ミ〜
川|川/ \|〜 プゥ〜ン
‖|‖ ◎---◎|〜
川川‖ 3 ヽ〜 / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
川川 ∴)д(∴)〜 <
川川 〜 /〜 | 至福の島々ってどこだー!
川川‖ 〜 /‖〜 \________
川川川川 /‖\〜
13 :
考える名無しさん:01/12/10 16:14
さあな。
14 :
考える名無しさん:01/12/28 18:47
>永劫回帰が実際に存在すると感じることはあるかい?
あるある
15 :
考える名無しさん:02/01/06 18:32
16 :
考える名無しさん:02/01/06 20:35
NHKの空海の特集見てて、曼荼羅と永劫回帰とを考えた。
「大いなる正午」とは、大日如来だったりして。
17 :
考える名無しさん:02/01/07 15:43
嫌な事も含めて回帰するのか?
18 :
考える名無しさん:02/01/07 16:07
精液もウンコも回帰するんだよ
19 :
考える名無しさん:02/01/07 17:21
それも悪くないな。
20 :
考える名無しさん:02/01/08 20:29
永劫回帰と超人って関係あるの?
誰か教えて。
21 :
考える名無しさん:02/01/08 20:32
ニヒリズムと超人と永劫回帰って関係ある。
大魔神の映画を考えれば解る。あれがニーチェの思想。
22 :
考える名無しさん:02/01/08 23:21
永劫回帰は仏教の輪廻に似ている。
しかし涅槃はない。
無意味なものが永遠に回帰する、
この永劫回帰から誰も逃れることはできない。
24 :
考える名無しさん:02/01/09 01:41
科学的に証明できない
25 :
考える名無しさん:02/01/09 15:53
逃れようがないから肯定するほか無いのか?
26 :
考える名無しさん:02/01/09 16:24
永劫回帰とはリサイクルシステムのこと。
永劫回帰こそ地球を救う。
永劫回帰の思想って、
どんなに辛いことがあっても
将来に対してちょっとした不安があっても
すでにそれは過去に起こっていた事なんだから
何も心配することはないって考えることができる
素晴らしい思想だよね。
28 :
考える名無しさん:02/01/09 20:03
それじゃあんま解決になんないよ
過ぎ去ったものを救済し、すべての「そうであった」を「そう私は欲した」に創造し変えること−−−
これこそが私には救済である。(『ツァラトゥストラはこう語った』「救済」)
意志を事実に一致させること。意志をそこまで強くすること。永遠回帰を受け入れ、肯定するとは、そ
ういう意味を持つことになる。過去という転がすことのできない石を転がそうとするのが復讐であると
すれば、永遠回帰を受け入れ、肯定することは、その復讐意志を封印し、復讐を不可能にすることであ
る。
だが、復讐意志の封印とは、ルサンチマン的な復讐方法ではなかろうか?『私はそうあることを欲した
のだ』という言葉は『あんなぶどうはもともと食べたくなかったのだ(=私は食べないことを欲したの
だ)』というあの狐の発言とぴったり重なるではないか!ここでは、力への意志が、かつては手の届か
なかった過去さえをも自分の支配下に包み込もうとしている。これは危険な徴候ではなかろうか?
(永井均「これがニーチェだ」)
キリスト教ってのは、なかなかしんどい宗教ですよね。キリスト教では、人間は塵から
生まれてきて、死んで塵に帰るわけでしょう。そして、あるまげ丼が終わって最後の
審判の時に、キリストの軍事裁判を受けて、天国に行く人と地獄に堕ちる人が決まる
わけでしょう。そして、復活戦はないわけです。地獄へ堕ちたら、墜ちたまま。
永劫回帰というのは、こんなキリスト=神様の独断で一回勝負で決められてたまるものか
という反発があったのかも。まあ、当時の教会に対する憤りもあったのかも。
31 :
考える名無しさん:02/01/10 06:07
これから未来、宇宙がどうなるのかは漏れにはよく判らないのだが
仮にこの宇宙がずっと閉じた状態で宇宙に存在する物質が増えたり
減ったりしない…とするなら、宇宙は有限であって、その宇宙で起
こる出来事をながーーーい、ながーーーい目で見たら同じ状態に戻
って来るって事は有り得る…と考えていいんだろうか?
32 :
考える名無しさん:02/01/10 07:02
>>30 キリスト教にたいする理解がぜんぜんできてないね。
33 :
考える名無しさん:02/01/10 13:01
>>31 無茶苦茶な例え話だが、それは要するに時計を箱の中に入れてずっと振っていたら時計の
ネジが外れたりして分解していって、それでもをながーーーい、ながーーーい時間、振り
つづけたらもう一度、ネジやら部品が偶然、元の状態に収まるってイメージの宇宙像(?)
でいいわけ?
自分で書いていて本当に無茶苦茶な話だなとオモタ。
>>32 そういうあなたはもっと理解できていないのでは。
理解できていないというなら、きちんと間違いを建設的に指摘してください。
煽りしか出来ないようでは、実は何も知らないのでしょう。
どうでもいいけど、
>>30はニーチェの「反キリスト」読んだの?
読んでなかったら語る資格なしと、は言わんが、どういう事が書いてあるかを全く知らないのなら、
やはりニーチェとキリスト教の関係について語ってはイカン。
いずれにしろ、
>>30のキリスト教理解はいささか表層的な理解と思われ。
確かに、間違ってはいないし、実際にそういうふうに信じているクリスチャンもいるけど、
かなり原理主義的な考えのような気がする。
リベラルな考え方を持つ信者なら
>>30のような理解はしていないはず。
(例えば遠藤周作みたいな人)
だから、一口にキリスト教とはこういうもの、というふうに括れない難しさがあって、
>>32はそれを言いたかったのかもしれない。
ああ、「道徳の系譜」っていうのもあったな。こっちの方がずっとメジャーか。
>>35 レス有り難うございます。ニーチェはあんまし読み込んでません。「反キリスト」は
読んでません。キリスト教の教義とかは一応ある程度知ってますが、個人的にはキリスト教
嫌いです。ただ、こういう宗教の世界観って、思想としての宗教ではなく、民衆レベルの
宗教にかなりの影響があると思うんで、近代のキリスト教の権威失墜とニーチェの
キリスト教に対する嫌悪ってこういうとこに原因があるのかなと思ったりしていたんです。
こういうことからニーチェの思想って出てきたのかなって単純に考えてたんですが。
また、教えてください。
実は俺も全部読んだわけではないのであんまり偉そうなこと言えない(藁
「反キリスト」の面白いところは、ニーチェはイエスに対して共感しているという点。
ごくおおざっぱにまとめてしまうと、キリスト教は、イエスの言ったこととは完全に
正反対のものとして作り上げられてしまった、ということ。
(主犯格はパウロだが、彼以外の、福音書家や使徒たちも同じ)
「つき詰めていけば、キリスト教徒はただ一人しかいなかった。
そしてその人は十字架につけられて死んだのである。」
だから、福音書からしてイエス像は歪められているし,今ある「キリスト教」は
パウロや使徒たちが捏造したもの。「死後の裁き(最後の審判)」も当然捏造された。
イエスが「神の国」と呼んだものは、決して死後の世界のものではなく、
現在実現すべき心の平安・内面の幸福のこと。
「……『神の国』は待って得られるようなものではない。そこには昨日もなければ明後日もない。
『千年』経ってもくるものではない。
---『神の国』は心における一つの経験である。それは至る処にある、それはどこにもない。……」
もちろん、キリスト教側からも真のイエスに立ち返ろうとする反省も、それなりに行われてきてはいる。
現代神学の中にはそういうものもあるだろう。
(もっとも、ニーチェのように徹底して行った人がいたかどうかは知らないが。シェリングって神学者だっけ?)
例えば、身近なところだと、遠藤周作なんかはかなりマイルドな形で真のイエス像を探った人だろう。
(キリスト教の保守派の人たちからは異端だの焚書ものだのと嫌われまくっているが)
だから、「キリスト教は嫌い」とよく人は言うけれど、実はそんなに簡単な問題ではない。
そもそも「キリスト教=イエスの教え」ではないし、「キリスト教」と呼ばれるものの中にも、
よりイエスの教えに近いものから原理主義的なもの(パウロ教?)まで様々ある。
だから、人が「キリスト教は嫌い」と言ったときには(あるいは自分でそう言うときには)、
ここでいうところの「キリスト教」が何を示しているものなのか、よく考えねばなるまい。
>>31,33
有限の、0でない確率の組み合わせの変化を
無限回こころみたらどうなるか? 数学的に。
41 :
考える名無しさん:02/01/11 14:26
物理で永劫回帰が語れるんスカ!!?
(思考実験っぽいけど)
永劫回帰があるかどうかを論じるのは哲学的には全くナンセンスではないのか。
(科学的には、というかSFとしては意味があるかもしれないが。)
たとえあったとしても、このように、我々には全く認識できないのだから、
あってもなくてもかわらない。
永劫回帰という考え方は、要するに人生の一回性を強調するための方便みたいなもんじゃなかろうか。
43 :
考える名無しさん :02/01/11 15:16
人生の一回性と言えば、やっぱし最後の審判なんかがあって、やり直しがきかないぞと
脅しが入るほうが切実になりそうですね。でも、最後の審判がなかったら、死んだら
はい、それでお終いというのでは、どうせ死んだら同じだから、何したっていいじゃ
ないかと、逆に安易に流れそうな気がします。でも、何回も何回も永遠におんなじこと
繰り返すんだぞと言われると、いい加減なことが出来ないような気がしませんか。
輪廻なんかだと、悪いことすると、地獄に堕ちるそうで、まあ、地獄に堕ちても復活戦が
あるわけですが、一番短い地獄でも何十億年とか刑期があるんですよね。これだけ
長いと、一回性でなくとも、いい加減なことは出来ませんね。
>>44ではまるで現在の人生が永劫回帰の最初のトラックを掘り進めているような感じに見えるが、
そういうものではなかろう。今回の人生をこれから繰り返すということではなく、
現在の人生は今まで繰り返してきたことの繰り返しであり、これからも全く同じそれを繰り返す
ということだろう。
未来は我々の手によって支配されているように見える。しかし、結果として我々は一つの人生しか
歩むことができない。偶然に支配されているよう見えるこの人生も、永劫回帰的な見方からすれば、
実は全て必然的に決められていることになる。
現在生きているこの生以外を生きることはできないし、何事もなるようにしかならない。
これからあることはかつてあったことである。全ては既にあったことだ。
これは死んだあとには何も残らないというニヒリズムよりもさらに進んだニヒリズムなのではないか。
死後の世界による救いはおろか、未来への希望もない。
永劫回帰は、ニヒリズムの極北とも言うべき物ではないか。
そこに安易な救い(
>>27)を求めることはできないし、また、そこから教訓めいたもの(
>>44)や
説教くさいものを求めるべきでもなかろう。
これに真っ向から立ち向かったときに人間が感じる物は普通は絶望に他ならないのではないか。
そして、そこで、それでもおまえはその人生を肯定できるか、と問われる。
その問いこそが重要なのではないか。
運命愛についても一言キボンヌ。
47 :
考える名無しさん:02/01/17 14:10
>>46運命愛は永劫回帰で虚無となった世界を肯定する態度の事。
48 :
考える名無しさん:02/01/27 01:34
age
>>47 おいおい、
運命愛は、没落をも含め、運命の流転全体を肯定すること、だ。