自由意志と因果法則をめぐるパラドクス??

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815TIII:02/02/01 17:13
さらにつづき、

 クオリアに関して特殊な点は青と赤が機能的に等価であると想定されている
点だ。このように仮定されていないと、そもそも上の思考実験は成り立たない。
機能的に等価である二人の人間において、クオリアが違っているなどということは
ありえないだろう。キミは>>764で、この仮定を認めているが、キミはこの時点で
終わっているのだ。モジュールを機能単位として、それから出入力される配線
が全く同じであっても、クオリアが違っていることは可能なのだ。クオリアモジュ
ールの機能はただ単に色を区別するということでしかないからである。それは、
二人の人物を区別したのにAとBという記号を使わずに、XとYを使っても主張の
内容になんら変りがないのと同じことだ。AとXの機能は全く等価であって、これ
の使用は単なる取り決め事でしかない。
 さらに言うと、キミがおそらく同意するであろうロボットとヒトが機能的に等価で
あるという主張。この主張が想定しているような検定法は、チューリングテスト
のような言語を用いたものであろう。このようなテストにおいてはロボットが普通の
人間と変らない常識的発言をすればロボットはテストに合格したとみなされるわ
けだが、常識とは何だ? 常識は言語で表現できるのではないのか? ならば
言語のどこに色(クオリア)があると言うのだ。盲人でも色に関する言葉が常識
においてどのように使用されているか把握することはできるであろう(なんなら
機能主義者が書き表したクオリア理論を彼に提示してもいい)。それが出来るの
なら、クオリアなどなしにチューリングテストは通るはずだ。
 キミがもし、「青と赤は機能的に等価である」という想定の受け入れを拒否し、
新たに議論するというのなら、上のようなことが不可能であるという主張をしな
ければならないだろう。
816考える名無しさん:02/02/01 17:21
想念は物質なのか?
817考える名無しさん:02/02/01 21:13
>>812

> とりあえず確認だが、キミは

>>行動主義は・・・ロボットの心臓が金属で出来ていようが、
>>ヒトと同等の役割(ポンプ)として働くなら機能は同じだと言う。

>という典型的な行動主義・機能主義の主張には同意するわけだろ
>(少なくともこのような用語法を認めるわけだろ)。

君はどうして核心を隠すんだい。

問題は行動主義や機能主義じゃない。君がシステムの境界を
fixすることにあるんだ。それは行動主義や機能主義じゃない。

>行動主義・機能主義での機能的に等価というのは
>ある決まったシステムにおいて定義されるものだと
>いうことになる。

では、君のいうクオリア発生部とやらに関して
機能的に等価だということを今ここで保証してくれ。
それだけで君の言っていることが間違っていると示せる。
818考える名無しさん:02/02/01 21:24
>>813

>>>当然、交換した当初ははなはだしい混乱に陥るであろう
>>>(赤いものが青く見えるのだから)。

>>モジュールレベルの機能が同じだというなら、
>>君のいう混乱はおきないだろう。

>キミは無視しているようだが、
>僕の主張が「混乱のままだ」というのであれば
>そのとおりで、機能の変化が起きているという議論になろう。

キミこそ無視しているぞ。
一瞬でも混乱したなら、それは機能の変化が起きてることになる。
一過的だからいいとはならない。絶対にあってはいけないことだ。

つまり

>この思考実験において、赤と青のクオリアを発するモジュールは
>完全には交換されていなかった

というのであれば、それはキミが機能主義に反したことになる。

例えば、キミは

>要するに、記憶に関するモジュールも過去に経験した
>赤や青の クオリア発すると想定されている。

といっているが、そういう抜けがあってはダメなのだ。

私が思うに、記憶もクオリア発生モジュールをとおって
始めてクオリアを発生するのであれば、それが交換される
ことで、記憶のクオリア自体も交換されてしまうだろう。
つまり、一瞬といえども変化が認識できないことになる。

もちろん、この場合、本当に変化がないのか?という疑問が残る。
しかし、そこでいう本当とは一体なにか?それもまた疑問だろう。

さてここまでの議論で、外部の実在や社会には何一つ言及する
必要がなかった。キミは、考えもせずにこれらのものに寄りかかって
いるが、ちょっとでも考えたならそんな必要はないのだ。つまり
キミがこれらの概念を必要と考えるのは的外れだ。
819考える名無しさん:02/02/01 21:39
>>815
>クオリアに関して特殊な点は青と赤が機能的に等価であると
>想定されている点だ。このように仮定されていないと、
>そもそも上の思考実験は成り立たない。

そうだから成り立っていないのだ。
実際には赤を見るときと青を見るときと
機能は同じではない。

>機能的に等価である二人の人間において、
>クオリアが違っているなどということは
>ありえないだろう。

キミがそれを認めるならこの議論は終りだ。
なぜならそれこそチャルマースの結論だからだ。

>モジュールを機能単位として、それから出入力される配線が
>全く同じであっても、クオリアが違っていることは可能なのだ。
>クオリアモジュールの機能はただ単に色を区別するということで
>しかないからである。

しかし、交換によって変化が寸毫も認識されないという
結論からいえば、クオリアは違っていない。少なくとも
違っていることが認識できない。キミはすくなくとも
違っていることが認識できるといったのだから、それは
間違っているということだ。

>それは、 二人の人物を区別したのにAとBという記号を使わずに、
>XとYを使っても主張の 内容になんら変りがないのと同じことだ。
>AとXの機能は全く等価であって、これの使用は単なる取り決め事
>でしかない。

もし、機能を等価にたもつ交換をした場合、AはあまねくXに置き換え
BはあまねくYに置き換えられるだろう。だからこそ違いは認識されない
のだ。このような考えでいけば、クオリアを文字になぞらえることが
実は適切でないことは明かだろう。
820考える名無しさん:02/02/01 21:45
>>819

>さらに言うと、キミがおそらく同意するであろうロボットとヒトが
>機能的に等価であるという主張。この主張が想定しているような
>検定法は、チューリングテストのような言語を用いたものであろう。
>このようなテストにおいてはロボットが普通の人間と変らない
>常識的発言をすればロボットはテストに合格したとみなされる
>わけだが、常識とは何だ? 常識は言語で表現できるのではないのか?
> ならば
>言語のどこに色(クオリア)があると言うのだ。
>盲人でも色に関する言葉が常識においてどのように使用されているか
>把握することはできるであろう(なんなら機能主義者が書き表した
>クオリア理論を彼に提示してもいい)。それが出来るのなら、
>クオリアなどなしにチューリングテストは通るはずだ。

機能的に等価であるなら、言葉だけ理解するわけではないだろう。
目で見、耳で聴かなくてはなるまい。
赤い物を見せて色をたずねたときに赤だと答えなくてはならない。
このように考えた場合、もしヒトに為し得ることが機械にも為し
得たならば、クオリアを否定することはできない。
なぜならヒトは自分ではクオリアを持っていると信じているのだから。
その他のものがクオリアをもたなくとも、その信念だけで、機械が
クオリアを持たざるを得ないと信じるには十分だ。
821考える名無しさん:02/02/01 21:52
>キミがもし、「青と赤は機能的に等価である」という想定の受け入れを拒否し、
>新たに議論するというのなら、上のようなことが不可能であるという主張を
>しなければならないだろう。

うむ、まさにその通りの主張をしたはず。
つまり赤と青が機能的に等価ならば、色を識別できない。
色を識別するためには、赤と青が違うとしなくてはならない。
そういうことだ。
822考える名無しさん:02/02/02 13:13
だからどうしたんだ。
823TIII:02/02/03 02:53
>>817>>821
>では、君のいうクオリア発生部とやらに関して機能的に等価だということを
>今ここで保証してくれ。

 おっ、まともなこと言うようになったじゃん。上の思考実験では二人の人物が
全く違ったクオリア(赤と青)を持っていると想定されている。僕は機能主義者
じゃないから、この想定を受け入れて議論を進めていたわけだが、キミが機能
主義者なら、この想定こそを攻撃しなければならなかったのだろう。
 つまり、違ったクオリアを持っている二人の人間が機能的に等価であったら、
機能主義は否定されるわけで、モジュールの物理的な性質が違っているなど
という言い逃れは、機能主義の研究方針が間違っていると自ら告白することで
しかない。キミはこの点を明確にすべきだ。だいたい、機能主義というのはある
システムで機能的に等価ならば、それらは同じとみなしてよいという単純化に
によって成功してきた研究プログラムなのだ。この点を自覚していない機能主
義者はいないし、また、青と赤が機能的に等価であることは一般に認知されて
いることだ。だから、キミがチャルマースを持ち出して言った「機能が同じならば
色の変化はないだろうと推論している」というのは逆転して推論であって、
キミは「色の変化があれば機能も違ってくるはずだ」と言うべきだったのだ。
このへんの状況については、例えば、

http://www.sccs.chukyo-u.ac.jp/ICCS/olp/p3-70/p3-70.htm

にある。
824TIII:02/02/03 02:56
つづき、

 で、赤と青が機能的に等価であるという議論は、僕の思考実験の元になって
いる思考実験、つまり、「生まれた時から赤と青が反転している人物を仮定
し、彼が普通の生活を送るのにあたって何か困難があるか考えてみよ」という
考察から来ている。僕はとりあえず、何も困難を見出せなかったから、
この等価性を受け入れているわけだ。ただそれだけのことだ。だからキミがこの
等価性を攻撃したいのなら、何らかの困難があることを主張すればいい。
 例えば、快・不快の感覚が反転した人物を考えてみよ。一般に不快とされる
出来事(例えば殴られる)によって彼は初めから「快」の感覚を受けるのだ(こ
のへんはマゾとは違う)。彼が生きるのに困難であることは十分に理解されよう。

 要するに、

>一瞬といえども変化が認識できないことになる。

 というのは機能的に等価であるということだ。これ(赤と青が反転しても何も
変らない)を認めたら機能主義に問題があることになろう。だから、キミは自分が
何を主張しているのか明確にすべきなのだ。原形となる思考実験を認めれば、
機能主義は擁護できない。いいか? 機能的な等価性を批判したいのなら、
何らかの困難を見つけ出さなければならなのだ。そして、何かを見つけるため
にはできる限り広い視野でみなければならないだろう。

>さてここまでの議論で、外部の実在や社会には何一つ言及する
>必要がなかった。

 必要がないじゃなくて、それも考えろよ。
825TIII:02/02/03 02:59
さらにつづき、

 僕の思考実験がやとうとしているのは機能主義の批判じゃなくて、クオリアに
ついては客観科学はなにも知りえないという主張に対する批判だ(だから、変化
に気付く段階を想定した)。機能的に等価であってもクオリアの違いは記述できる
であろうと言っているのだ。

>うむ、まさにその通りの主張をしたはず。

 キミは何の論証もなく、ただクオリアは機能的に等価じゃないという独断をして
いるだけだ。キミの根拠がチャルマースにあるのなら、それを書け。

>赤い物を見せて色をたずねたときに赤だと答えなくてはならない。
>このように考えた場合、もしヒトに為し得ることが機械にも為し
>得たならば、クオリアを否定することはできない。

 素朴すぎ。一応キミの熱心さは買っているんだから、もっとよく考えろ。
ある波長の光を検出して「赤」と答えるようにするプログラムは簡単にできる。
光受容器と音声の入出力を備えた単純なロボットにクオリアがあると短絡的
に認めるのはあまりにも幼稚だ。誰もそんなこと信じないだろう。チャルマース
だって、そんな幼稚な議論に説得力があるとは思っていないはずだ。
826考える名無しさん:02/02/03 09:14
ところで何の話してるんだこの無駄話野郎は。
827考える名無しさん:02/02/03 14:42
>>823

>だから、キミがチャルマースを持ち出して言った
>「機能が同じならば色の変化はないだろうと推論している」
>というのは逆転して推論であって、キミは
>「色の変化があれば機能も違ってくるはずだ」
>と言うべきだったのだ。

二つの命題が対偶の関係にあることはあなたもよく御存知だろう。
私が後者が前者に勝るとは考えない。

>>824

キミはなにも言及していないが、赤と青が反転しているとは
誰がそう認めるのかな?Aかい?Bかい?
どちらでもいいが、そう認める為には、結局なんらかの
モジュールの交換をせねばならんのだろう?そして
「色が反転している!」と気づかねばならないのだろう?
それなら機能は違わなくてはいけないだろう?(笑)

> 要するに、
>>一瞬といえども変化が認識できないことになる。
>というのは機能的に等価であるということだ。

ということだよ。

>>825
>ある波長の光を検出して「赤」と答えるようにするプログラムは簡単にできる。
>光受容器と音声の入出力を備えた単純なロボットにクオリアがあると短絡的
>に認めるのはあまりにも幼稚だ。誰もそんなこと信じないだろう。
>チャルマースだって、そんな幼稚な議論に説得力があるとは思っていないはずだ。

キミがそう思わなくても、チャルマースはキミが「幼稚」という
主張を実際にしている。それが「サーモスタットであるとは、
どんな感じか?」でなされている議論なのだ。

『サーモスタットは経験をもてるという想定を「クレージー」と
 見る人は、少なくともいったいなぜそれがクレージーなのか
 我々に説明する義務があるだろう』

あなたは、どう説明するつもりか?
828考える名無しさん:02/02/03 14:51
>僕の思考実験がやとうとしているのは機能主義の批判じゃなくて、
>クオリアについては客観科学はなにも知りえないという主張に対する
>批判だ(だから、変化に気付く段階を想定した)。
>機能的に等価であってもクオリアの違いは記述できるであろうと
>言っているのだ。

まず「クオリアについては客観科学はなにも知りえない」という主張は
キミのいうとおり批判されるべきだろう。
しかし、「機能的に等価であってもクオリアの違いは記述できる」
という主張は、機能主義の適用の誤りによるものだろう。
つまり、クオリアの違いを「記述」できる時点で、モジュール
レベルでの機能の「違い」が示されるわけであり、貴方の意に
反して機能主義が「なぜ、そのような対応が起きるのか?」
という一点を除いて、実に有効であるといえる。
829考える名無しさん:02/02/03 16:19
自由意志についてはこちらのスレでも語られています
http://jbbs.shitaraba.com/study/bbs/read.cgi?BBS=18&KEY=1009043757
830考える名無しさん:02/02/03 17:18
831考える名無しさん:02/02/06 14:51
age
832まぢまぢ?!すっごい:02/02/06 18:10
833考える名無しさん:02/02/08 21:28
834  :02/02/08 21:29
>>833
好きなんだけど?
835TIII:02/02/12 03:36
>>827
>「色が反転している!」と気づかねばならないのだろう?

 上の思考実験では被験者が色の反転に気付くようにしてあるが、
色が反転していることを言うためには、必ずしも被験者が色の反転に
気付くようにする必要はないだろう。
 またしても心臓の例で、言おう。宇宙人がある人物をさらって、
人工心臓との入れ替え手術をしたとしよう。この人がそれに気付かず、
また、以前と同じように生活していけるのなら、この人工心臓は元のもの
と機能的に等価と言える。ここまでは同意だろう? が、キミはこのように
何の影響なく交換されるモジュールにおいて、一方が赤であり、他方が
青であるということはありえないと主張するわけだな? 
 しかし、よく考えてみよ。人間本来の心臓と人工心臓はそもそも別のもの
なのだから、それらの性質が違っている可能性はいくらでもある。それでも
キミはモジュールが別の色を発するという可能性を否定する。モジュールを
交換しても気付かなければ、それは初めから同じ色を発するモジュールだった
のだと。ここにキミが犯したであろう誤解が現れていると思う。
もちろん、被験者本人にはそうとしか思えないだろうが、だからといって、
モジュールが別の色を発していないということにはならない。
これを理解するためには、上の思考実験でさらに別の人物Cを仮定すればいい。
AはBとの不完全なモジュール交換によって、自分とBのクオリアが違うことを
発見したわけだが、ここで、Aに入ったモジュールは、Aに元々あるモジュール群と
等価ではないとしてもかまわない。が、発する色も違う。
ここをおさえておいて、今度はCがAやBと完全なモジュール交換をすると想定する。
AとBのモジュールは違うのだから、Cが両者のいずれとも同じであることはない。
しかし、上で議論したように完全な交換では、色の違いに気付くことはなかった。
故に、本人が気付かずとも、色が変っている可能性はある。つまり、キミは
被験者に成り代わって独我論を主張していたにすぎない。
836TIII:02/02/12 03:39
つづき、
>『サーモスタットは経験をもてるという想定を「クレージー」と
> 見る人は、少なくともいったいなぜそれがクレージーなのか
> 我々に説明する義務があるだろう』
>あなたは、どう説明するつもりか?

 そういう仮定を方法論的に用いている限り、クレージーとは思わないが、
このような発想の裏にある「意識や経験といったものは客観的に説明でき
ないが故に」というのは素朴な場合が多いと思う。このクオリアにしても
意識にしても科学的な探求が十分に可能なのであって、例えば色を発する
モジュール(これはサーモスタットのような認識機械には必要のないものである)
の発見と生物学における経済性の原理(無駄なものが保存されていることはない)
によって、クオリアの有無について客観的な判断が下せるようになるだろう。
だから、上のような主張もある種の科学的な仮説を述べているのであり、そのように
して見るならば、これが魅力的な仮説として述べられているか評価しなければ
ならないはずだ。

>>828
>しかし、「機能的に等価であってもクオリアの違いは記述できる」
>という主張は、機能主義の適用の誤りによるものだろう。

 というかキミがなぜ機能主義にこだわるのか分からん。今の科学には
機能的に等価なものはいくらでも記述されている(例えば相同遺伝子)。
このような記述が科学的に意味がないなんてことはないわけで、機能主義
で全てやっていこうとするなど無謀すぎる。
機能を重視するという一つの研究方法として割り切って考えるべきではないのか。
837考える名無しさん:02/02/13 12:16
>>835

>色が反転していることを言うためには、
>必ずしも被験者が色の反転に気付く
>ようにする必要はないだろう。

気づかなければ「言う」ことは出来ないだろう。

まず、心臓の例について。君は「機能的に等価」というとき
何の機能について、といわなかったがそれは君のミスだ。
つまり、血液を循環させるという意味で等価ではあるが、
その他の「意図せざる」機能については等価ではない可能性
を無視している。

次にモジュール交換の話だが、これまた完全、不完全の意味
について何も述べられていない、つまりそれは気づかないとか
気づくという現象と同義になってしまっているのだ。それでは
反論にはならない。ただの駄々だ。
838考える名無しさん:02/02/13 12:56
>>836
>例えば色を発するモジュール
>(これはサーモスタットのような認識機械には必要のないものである)
>の発見と生物学における経済性の原理
>(無駄なものが保存されていることはない)
>によって、クオリアの有無について客観的な判断が下せるようになるだろう。

その期待は、素朴というか天真爛漫すぎやしないかね?(笑)

サーモスタットと脳の違いは、前者が自分ではなく
後者が自分の一部だという一点しかない。
それは全く客観的でもなんでもない。主観性の極みだ。
つまり君は、その究極の主観に立って意識のある無しを
判断しているのだ。どこが客観かね?

>キミがなぜ機能主義にこだわるのか分からん。

君が自分の誤りを認めたくないのは痛いほど分かるよ。
でも容赦しない。私のためではない。ほかならぬ君のために。
君こそ、誤りは誤りだと割り切るべきだろう。
自分はいつでもどこでも正しいなんて阿呆の極みだ。
839考える名無しさん:02/02/14 21:45
840考える名無しさん:02/02/15 00:51
勝った負けたはいいから で、どうなんよ?
841考える名無しさん:02/02/15 00:52
◆◆§§最悪板来たらここクリック→【壷】§§◆◆
http://teri.2ch.net/test/read.cgi/tubo/1013615075/l50

1 :最悪板コテハン一同 :02/02/14 00:44 ID:???
   〜〜最悪板に御訪問ありがとうございます〜〜
   我々コテハンは最近退屈でたまりません。そこで、あなたにお願いがあります。
   このスレッドに「レス」して下さい。その「レス」に興味を持ったコテハンがあなたに又「レス」します。
   しかし誰もが優しく対応するとは限りません。放置されるかもしれません。
   それはあなたの「レス」そしてコテハンの「個性」の問題です。
   あなたが最悪板に新しい旋風を起こす事を期待してます。
   では、どうぞ。。
842666:02/02/15 01:00
単一の意識化において、「自由意志」というものは存在する。
それは自己の認識が意識を確立しているからであり意識自体が認識の塊であるからである。
意識の中で自由(思いどうりな行為)と言う物はあるが概念の中での自由意志は、
他者の脳内を思考を現在の科学でも100%理解できていないので曖昧である。
推測自由意志というものが一般概念の中での自由意志であり、
本質的な自由意志とは単一の対象をその意識が認識する事によって確立される。
843666:02/02/15 01:02
自然法則とは無為自然と同義か?
しかし全て自然のままであったならその自由意志を理解しようとするコギトも自然に
来るべき時に理解できるのではないか?
今はその過程とでもいうべきなのか・・・
844考える名無しさん:02/02/16 03:00
よくわからんが、脳みそは確かに物質なのでそれを変化させたり、
壊したりするのは物理法則に従う。
けれども、「人の意志」は物質ではない(ように思われる)ので
物理法則とは関係がないのではないか。
意思決定論は人相占いみたいな発想が発端のようだが、脳みその
神経回路や身体的な傾向と何かの関係があるとしたら、一理ある
考え方ではある。
でも、人間は遺伝的な形質や習慣によって創られた行動パターンを
突然変更できるという柔軟性も持っているから、これに着目すると
自由意思があるということになる。
だから、ほうっておくと決定されるが、自分が選べば自由になれる
っていうことか。
845考える名無しさん:02/02/16 03:10
ロボットがロボットの「意志」でりんごをつかんだ。
だがその開発者は、それはあらかじめ組み込まれたプログラムだと告げた。

もしこのおれがそのロボットであれば、ロボットであるこのおれは、
「断じてそんなことはない。これはおれの意志だ!」と主張するだろうし、
それは正しいとおれは思う。
846考える名無しさん:02/02/16 11:29
>>845

開発者
「おれの意志だから、組み込まれたプログラムでない。
 そういいたいのなら、それは間違っている。」

847考える名無しさん:02/02/16 16:41
848考える名無しさん:02/02/16 16:49
849考える名無しさん:02/02/16 16:50
850考える名無しさん:02/02/16 16:50
851考える名無しさん:02/02/16 16:51
852考える名無しさん:02/02/16 16:51
853考える名無しさん:02/02/16 16:52
854考える名無しさん:02/02/16 16:53
855考える名無しさん:02/02/16 16:54
856考える名無しさん:02/02/16 16:54
857考える名無しさん:02/02/16 17:00
858考える名無しさん:02/02/16 17:01
859考える名無しさん:02/02/16 17:01
860考える名無しさん:02/02/16 17:02
861考える名無しさん:02/02/16 17:02
862考える名無しさん:02/02/16 17:03
863考える名無しさん:02/02/16 17:09
864考える名無しさん