1 :
考える名無しさん:
人間は過去に縛られている。
2 :
考える名無しさん:01/11/24 09:15
過去に縛られない存在は人間ではない。
3 :
666 ◆xenNZQbg :01/11/24 09:19
ほう、其の根拠はいかに?
5 :
666 ◆xenNZQbg :01/11/24 09:23
何処が対偶なのだww??
〜〜している
〜〜されている
ならわかるが
〜〜は〜〜している
〜〜は〜〜ではない
これの何処が対偶なのだ?
6 :
666 ◆xenNZQbg :01/11/24 09:26
後は何故過去が人間を縛っているか
またどのように縛っているか君の考えを教えてくれ
自明だよ。
もし、一瞬前の記憶がなかったら、、
もし、一瞬前の肉体とは別の肉体だったら、、
記憶も肉体も一瞬前と微妙には異なるだろうが、
過去と無関係のはずはない。
人間であれば。
まあ、もっとも
>>1の真意はもっと別なところにあるんだろうけど。
9 :
666 ◆xenNZQbg :01/11/24 09:33
なるほど 人間で有ればな うむ
過去なくして現在無し
しかし現在なくして過去有らず
ともいえるな
人は現在に縛られてるということになるな
現在に縛られない存在は人間ではないのか
10 :
666 ◆xenNZQbg :01/11/24 09:34
記憶についてだが
他のスレで俺が意見を述べてある
>>1の問いかけは要するに「前世の記憶」とでも言うべきものが
人間にはあるのか、ないのかということだろう。
現世の記憶だけからは還元できない発想の正体は何か。
12 :
666 ◆xenNZQbg :01/11/24 09:42
魂だよ
それも「記憶」じゃなく「記録」だ
13 :
1じゃ、ゴルァ!:01/11/24 09:51
そんなことはいっとらん。
たとえば、幼児期のトラウマが海馬を萎縮させ、側頭葉に貯蔵された
記憶の統合を破壊すると、多重人格になったりするわけ。
つまり過去の記憶の連続性と人格の統合性は密接に結びついている。
そこらへんを脳科学とベルクソンとフッサール等々を絡めて論じてみよ、
ちゅうこっちゃ。
14 :
1じゃ、ゴルァ!:01/11/24 09:52
あんまり期待してないけどね。
15 :
666 ◆xenNZQbg :01/11/24 09:55
なるほど
では俺には場違いだな
去らしてもらう
そのような哲学者の思想をいまだ知らないので
16 :
弁証法的理性批判放棄:01/11/24 14:58
過去に縛られない
記憶喪失はどうなのよ?
記憶がないと生活ができない!
思い出は全て思い出せるけれど、
記憶はそうはいかないでし。
19 :
考える名無しさん:01/11/25 07:53
ほい
対偶の概念を間違っとる
>>5を
>>2はどー思ってるのかきなにる。
21 :
考える名無しさん:01/11/25 08:54
トラウマって記憶の傷でしょ・・・・・・
アレどうにかなんないの??
時々アレのせいで苦しめられるし・・
いらない記憶も受け入れろってことか?
「過去に縛られない存在」であることは「人間ではない」ことの
十分条件であるが必要条件ではない。(説明いる?)
24 :
考える名無しさん:01/11/26 07:26
付け加えれば「人間である」ことは「過去に縛られる存在である」ことの
十分条件だが必要条件ではない。
最低でも必要条件、十分条件、対偶、裏、逆くらいは理解してから
ここに来てほしいね。
25 :
考える名無しさん:01/11/26 07:26
age
26 :
考える名無しさん:01/11/26 08:43
age
27 :
現存在009:01/11/26 18:31
>>13 生物解剖学板へ、逝ってらっさーい(ないけど)。
>つまり過去の記憶の連続性と人格の統合性は密接に結びついている。
てか、こういう、生物学的な大前提からフッサールを語り始めることは、出来ない。
エポケーしなさい。しかし、そのメカニズムは別としても、「記憶」というものが
あることは確かであって、それがいかに我々の都度の理解に影響しているかは、現象学
的に考える価値があるように思う。
>>18 いちおう生物学的には、記憶力というのは「取り込み」「持続」「引き出し」
の三つの能力の総称なわけだ。思い出せなくても、膨大な記憶が頭の中には
依然としてあるわけ。そして、それらの記憶は意図してなくても勝手に逆流
してくることもある。意図的に思い出せる印象的な記憶を、「思い出」と呼ぶ
のだろう。
記憶機能を一切排除された人間って...
どうなっちゃうんだろう...
記憶の連続性を可能にするのは、知性かな・・
>29
知性というより、構造なんじゃないだろうか。
記憶の以前に、認識の段階で(27に従えばそれも記憶か)
すでに構造化されてる。
31 :
考える名無しさん:01/11/26 21:10
記憶と学習の違いって何よ?
どっちも経験論からしちゃ同じだぞ
32 :
正助 jtws003.zaq.ne.jp:01/11/26 21:19
>>31 記憶は過去の特定された、その地点における正確な再現が本来の意では。
学習は経験の獲得が重要で、経験に厳密、忠実である必要はないんじゃないの。
自分にいいように変形しても、学習の意義は変わらないから・・・
34 :
考える名無しさん:01/11/26 21:26
みんな違います。
人間は未来に縛られているのです。
35 :
mimesis:01/11/26 21:39
>>34 養老猛がそういうこと書いてた。
働くことは未来に縛られている。
経済活動は未来に縛られている。
生物の行動は目的論的である?
しかしここまでのレスの流れの総括が
「人間は過去に縛られている」である
というのは無理があるのでは?
学習はある意味未来に縛られていると
言えないかな?未来において利用可能
なことを学習するんでしょ?
>34
それは近代資本主義以降の話でしょ。
ただ、35の「生物の行動は目的論的である」というのが
実証できるんなら、話は別だけど。
>>35 なんだか利今スレを思い出したでし。
過去に縛られていると1さまはおっしゃいますが、
記憶(この場合『思い出』?)は捏造できましからね。
記憶された事に対して全幅の信頼は寄せられないと私見でし。
学習っていうのは一回だけの受容ではなく、それを定着させることなんじゃなかろーか。
(いちいちrememberせずとも試行可能というか・・・)
38 :
stoner:01/11/27 00:29
思い出は全て思い出せるけど、記憶は思い出せないものもある。
記憶よりも思い出に縛られているといったほうが良いのでは?
大森荘蔵の『流れとよどみ』に収録されている「記憶について」を読むの進めてみたりもします。
39 :
考える名無しさん:01/11/27 20:11
age
40 :
1じゃ、ゴルァ!:01/11/27 21:22
たとえば論壇誌で「記憶」の文字が見えれば、
ほぼ太平洋戦争の記憶を考えて間違いない。
しかもそれは今日にまで影響を与え続けている加害/被害の記憶である。
そうした人間が過去の記憶に縛られている状況について、個人的・社会的、
あるいは現象学的、脳科学的な見地から考察せよ。
こういえばわかるか、ゴルァ!
さらに建築・都市学的な見地から考察する必要性もプラスしとこう。
建築・都市とは、パトス的な記憶と能動的な制作との複合体である、
という言葉とともに。
42 :
考える名無しさん:01/11/27 23:33
過去からの連続性、継続性をふまえないと自己を確認できない
存在だからではないの? 人間は。
43 :
考える名無しさん:01/11/28 07:31
過去を背負った男。悲哀。
44 :
考える名無しさん:01/11/28 16:11
ふと、想ったんだけど
いろいろな動物で(なわばり)というのがあるよね?
それは食料、その他の確保のことだと思うんだけど
これと人間が持っている時間概念の原形じゃないのかな?
つまり、未来的、先行的に確保するという・・・
思ったことを口にする前に、落ち着いて心で
十数えろって死んだ婆っちゃんがいってただ。
>>45 良い事言うな。確かにそうだよな。俺はいつもそれで失言ばかりしているから。
なるほど、今度から10数えてから発言するようにするよ。
ありがとう!
47 :
考える名無しさん:01/11/28 16:38
俺のお婆ちゃんは、「思い立ったら吉日」だって言ってた。
48 :
考える名無しさん:01/11/28 17:18
あんびばれんと
49 :
考える名無しさん:01/11/29 07:16
age
50 :
考える名無しさん:01/11/30 18:50
age
51 :
考える名無しさん:01/12/04 07:02
記憶とは何か。
52 :
考える名無しさん:01/12/07 11:35
何か
とらうま、そしてしがらみ
54 :
考える名無しさん: