1 :
考える名無しさん:
哲学からみる小林秀雄。
2 :
考える名無しさん:01/11/15 09:52
しかしここにいる奴らには青山二郎すら知らない人間しかいないんじゃない?
3 :
考える名無しさん:01/11/15 10:01
1=2・・・くどいぞ。
青山二郎擦れでなんで福田和也が話題にでなかったんだろう
(人気ないから下げる)
ジャ-ナリスティックにいえば(なんでこんな断わりがいるんじゃい!)
円本世代の小林は、語学ができる同期に劣等感をもったらしいが
彼の本物嗜好はその反動ともいえるんじゃない
6 :
考える名無しさん:01/11/15 10:48
umuumu。
それは一理あると思う。
7 :
考える名無しさん:01/11/15 10:50
福田和也の骨董レベルは最低。
出光や三井、畠山レヴェルを体験したことないのでは?
一度学んで来い!
柄谷の文体が簡潔なのは、それこそ<青山二郎>的かもしれない。、
しかし彼の場合翻訳を考えていることが小林と違う、小林のは盆栽みたいなものだ
誰も小林を振り返らなくなれば、俺がやると、柄谷はいっているが、
「トラクリ」の続編で、日本の(文学的思想的政治的)特殊状況を認知させる要領で
<直伝>(特殊)を翻訳(普遍)しようとしてるのではないか
彼が文芸批評をやらないのは、彼にとっては海外にしか<青山二郎>がいないからだろう
9 :
考える名無しさん:01/11/15 14:35
小林秀雄を語るならもののあはれ論を語ってくれ。
批評することを自己弁護してる小林より
宣長書いてからの小林のほうが好きだ。
最後は無の境地に達している。
10 :
考える名無しさん:01/11/16 02:51
小林秀雄さんは決して歩みを止めることのない人だった。
立ち止まることも、途中で引き返すこともしない人だった。
その「覚悟」が、その歩みの「速度」が彼の「文体」だった。
今、そうした「覚悟」や「速度」を賭けて自らの思索を
「言葉」へと収斂させることのできる思想家や文学者が
どれだけいるのだろうか?俺には疑問だ。
>>10 多くはないだろうけどけっこういると思うけど?
真剣にやってる人なら誰だって文体は、あんたの言い方なら
その人の覚悟や速度でしかないだろ?
抽象的で自己陶酔的な書き込みにちょっと嫌悪。
お前はどうなんだよ。
>>11 俺は自分の意見を撤回するつもりはないよ。
小林さん以降、彼ほどの「文体」を創造しえたと
思われる人を俺は知らないからね。それは俺の
個人的な見解だけれど、少なくとも俺にとっては
絶対的な体験としてあるものだからゆずれないな。
君に嫌悪感を抱かせたなら謝る、真夜中だし誰も
ROMしてないと思って調子にのりすぎた、スマン。
13 :
考える名無しさん:01/11/16 14:46
>>12 撤回するつもりはない・・・って、小林氏が覚悟や速度のある文体を
創造しえたことと、他にもそういう人がいるということは、別に矛盾しないよ。
11に対して、撤回するつもりはない、というのは、まったく検討はずれだよ。
(11は小林氏について問題にしてない)
文体がどうこういうまえに、基本的な論理を、みにつけたほうがいいのでは?
見当はずれでした。スマソ。
>>12 11じゃないけど、やっぱり一人よがり過ぎない?抽象的というより
比喩の意味がとりずらい・・・。もう少し哲学的に明晰に語った
たほうがいいと思うんだけど・・・
>>13 10は小林オンリーと言いたいわけでしょ?
11はオンリーじゃないと言いたいわけでしょ、
で10はやっぱりオンリーだと言ってるわけだから
基本的な論理はいいんじゃないの(w
16 :
考える名無しさん:01/11/16 20:53
17 :
考える名無しさん:01/11/17 00:07
青山学院生徒白州正子も忘れるな。
ジィちゃん!