デリダ「言葉にのって」読書会

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122考える名無しさん:01/12/23 00:58
>m
とりあえず、自治スレ立てたからそっちにいって話そう。
ここでは、明白な妨害になっている。
12350:01/12/23 01:04
>>118
52のレスは酔っ払った俺だった、文法狂ってるし…スミマセンw

ウィトゲンシュタインの語る・語らない、あとレヴィナスとデリダ、
この辺りにユダヤ性が介在してる、って気がします。
隠れたものについて、って辺りでの共通性を彼らに読み取ってしまうのです。

今後、内容そのものにもできるだけ参加していきたいと思います。
124incognito:01/12/23 01:25
>>なぜ「本」なのですか?
>>そういう偏りはとても奇妙ではありませんか?

確かに、mさんのこの問いかけは、デリダの思想のライトモチーフを考えるのに
役に立ってくれると思うんです。これをスプリングボードがわりにつかわせてく
ださい。まさにこの問いは、デリダがこの著作の第一章を「肉声で」と名付けた
背後にあるデリダの思想的なコンテキストに関ってくるからです(さらにそれは、
ユダヤ教のタルムードの伝統ともかかわっているかもしれません)。

----「本」を書いたり読んだりする営みについてのmさんのような考え方は、書
き言葉 ecritureよりも、話し言葉parole を優先させる視点に近いかもしれませ
ん(ずれてたらスマソ)。たしかに、ふだんの生活で話し言葉は、主体にとって、生
き生きした、直接的なものに感じられますよね。これにたいして、書物や文字
言語は、骨董品みたいに、古めかしい存在に思えてしまう。書き言葉は、現前
していた音声言語をコピーし、メモリーするための代理物にすぎないんじゃな
いだろうか・・・?

「ドクサ」(日常的な臆見)からすれば、この感覚はわからないでもありません。
たとえば、本、書類、メール、それからこの「板」だって、それらはみんな書き
言葉だけれど、でも、大切な人と大切なことをコミュニケートしたいときには、
オフでじかに逢って話したいと思う気持ちが、私にだってありますもの。まあ、
ついでにボディ・ランゲージも、という話はおいといて(W。

じゃ、そういう音声言語の経験のなかでも、発話主体のまえにいちばんピュアな
かたちで言葉が現れてくるのはどんなときか。それは「自分が話すことを聞く」
entendre se parler ときです。自分で自分の声を聞く。それは声に出さなくて
もいいんです、自分の内面のなかでのモノローグを聞く。それこそが、ノイズも
なく、ゆがみもない言葉が、直接性のうちに現前する経験なんだ、と。

こうした音声言語の現前性を特権化する思考、デリダはそれを「音声中心主
義」と呼んで批判しています。フッサール、ソシュールやルソー、レヴィ=ス
トロースの思考にもそれが認められると言うのです。私にとっては、デリダの
著書は、このようにして、信じていた「ドクサ」にたいする「パラドクサル」
な地平を開いてくれたものでした。その意味で、彼のテキストは、私にとって
読むに値する対象になっています。それをmさんに強制しようなんて意図は、
私にはありませんが、「へえ、こんな考えかたもあるんだなあ」というぐらい
の意味では、ぜひ異質な他者の思考に触れることをお勧めしてみたいです。

テキストに立ち戻って、ひとつ注記してみたい誘惑にかられるのは、デリダ自
身が、書き言葉に抱いている並々ならぬ関心の源泉を、「肉声で」のなかで、
かなり赤裸々に語っている部分です。『言葉にのって』では、「日記」への欲
望(pp.25-26)を語っている一節と、「あなたが記入行為に対して魅惑されるの
は、どうしてでしょうか」というインタビュアーの質問に答えている部分(p.28
-30)がそうです。

とくに、「私の頭にひらめくすべてのものを保存するほど充分に速く書くには、
どうしたらいいのか」(p.26)という一節は、誰もが一度は夢想することではな
いでしょうか。ロレンス・ダレルの小説にも、そんなのがありましたね。かく
いう私も、IBMのVia Voice を導入しようとしたことがありますが、CPUをト
レーニングするために、端末に向かって発声するのが気恥ずかしくなっちゃって、
30分でこけました(W。
125incognito:01/12/23 01:28
うわーん、きれちゃいました、鬱田死脳・・・
(めげずに続きです)

こうした音声言語の現前性を特権化する思考、デリダはそれを「音声中心主
義」と呼んで批判しています。フッサール、ソシュールやルソー、レヴィ=ス
トロースの思考にもそれが認められると言うのです。私にとっては、デリダの
著書は、このようにして、信じていた「ドクサ」にたいする「パラドクサル」
な地平を開いてくれたものでした。その意味で、彼のテキストは、私にとって
読むに値する対象になっています。それをmさんに強制しようなんて意図は、
私にはありませんが、「へえ、こんな考えかたもあるんだなあ」というぐらい
の意味では、ぜひ異質な他者の思考に触れることをお勧めしてみたいです。

テキストに立ち戻って、ひとつ注記してみたい誘惑にかられるのは、デリダ自
身が、書き言葉に抱いている並々ならぬ関心の源泉を、「肉声で」のなかで、
かなり赤裸々に語っている部分です。『言葉にのって』では、「日記」への欲
望(pp.25-26)を語っている一節と、「あなたが記入行為に対して魅惑されるの
は、どうしてでしょうか」というインタビュアーの質問に答えている部分(p.28
-30)がそうです。

とくに、「私の頭にひらめくすべてのものを保存するほど充分に速く書くには、
どうしたらいいのか」(p.26)という一節は、誰もが一度は夢想することではな
いでしょうか。ロレンス・ダレルの小説にも、そんなのがありましたね。かく
いう私も、IBMのVia Voice を導入しようとしたことがありますが、CPUをト
レーニングするために、端末に向かって発声するのが気恥ずかしくなっちゃって、
30分でこけました(W。
126:01/12/23 01:33
>>124
ありがとう。
はじめからヒステリックに反応するだけの人たちは
虚栄心だらけの人たちなんですね。
私はデリダと関係あることを言ったつもりだったから。
127「」:01/12/23 02:56
>はじめからヒステリックに反応するだけの人たちは
>虚栄心だらけの人たちなんですね。

この言葉がが大きな原因だと思う。

余計なことを言うと、余計な反応が返ってきますよ。
128「」:01/12/23 03:01
そして自分も余計な反応を返すことになります。
129考える名無しさん:01/12/23 03:49
>>126-128
なるほど。
こうやって>>124-125を読んで理解する事も無くログを流していくのか。
問題あるね。最低デリダの著作を読んでいる事が条件である事すら理解しない。
mさんは実際に何処かの読書会にでも参加してみたら?
追出されるかもしれないが。

しっかし、デリダと関係あるか無いかデリダの著作も読まず何故言えるんだろう?
130考える名無しさん:01/12/23 06:14
うあっ
盛況と思ったら確信荒し出現かよ

巡視船よmをデリってくれ
131考える名無しさん:01/12/23 06:16
>>129
待てよ
一般者向けラジオが元の本なのだから
デリダや哲学初めての人が参加して何が悪い
132考える名無しさん:01/12/23 07:01
>>1を見ればわかるようにこれは明らかに初級者向けの読書会なんだから、
デリダや哲学の初心者が参加するのは決して悪いことではない、むしろ
歓迎されるべきだと思う。それだけにmのように知ったかぶりの批判をして、
これからデリダに挑戦してみよう、と考えている人たちのやる気をそぎ、
神経を逆撫でするような発言をするのはよくない。妨害だといっていい。
133なついひと:01/12/23 07:19
>悲しみ
ここでカキコ続けるのは荒れるだけだから、
自分でスレたてな。
他人の立てたスレ荒らすのは本意ではないだろうし。
134考える名無しさん:01/12/23 07:25
>>133
「悲しみ」はどこのスレに出現しているんですか。
少し覗いてみたいから、知ってたら教えてください
135考える名無しさん:01/12/23 11:55
>>132
激しく同意!

>>133
悲しみは他人のスレを荒らすのが本意なんだろうよ。
136考える名無しさん:01/12/23 13:20
>>131
どこに参加しちゃ駄目なんて書いてあるんだよ、、、
読書会を理解してないっ言ったんだよ。
まさか、ここに全文掲載するわけにもいかないだろが。
本読まずに参加する人がいるのか?
137考える名無しさん:01/12/23 16:29
      ┌─‐‐─┐
.     |_____________|
.     ='========='==
     / \  / |
   ┌|-(・)-(・)-|┐
   └|.   〇   |┘  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
     | ___.|||||. __ |  / 本を読まずにカキコするな!
     | \______/ | <
      |    |||||.  |   \ これ、ネチケットやで。
                \_____________
138「」:01/12/23 16:45
ほら、また余計な「反応」が返ってきているね。

しかし、なかには「批判」もあるから見逃さないで。
139考える名無しさん:01/12/23 17:59
>>135
それは違うと思います。
異論があれば自治板で。
140133:01/12/24 04:23
>134
このスレ・・・自治スレ・・・

もう来てない様なので、邪魔者にかまわずに本題に戻ってください。
関係ないのでサゲ
141考える名無しさん:01/12/24 04:56
>>124-125でイイ塩梅にふられているのであげ。
142考える名無しさん:01/12/24 17:08
メリークリ〇〇スage!
もう無理なのかもしれないけど、気分を入れ替えて再開しましょう。
みんな、もうm(=悲しみ=マリー)の件は深く立ち入らないように。
以降「完全」放置で。
愛ある放置(自治スレ219の最後3行を参照)で行きましょう!
どうしてもmと話したい場合は自治スレに誘導しましょう。

とりあえず整理すると、
>>52(→>>123で補足)
>>53
>>124
>>125
が、今までの論点で建設的な部分ですか。
143政治板事情通:01/12/24 23:22
>>m
 罵倒合戦したいなら「政治思想板」に来い。
 お前哲学板の住人から嫌がられているのだから、いい加減この板から
 出て行ってやれよ!
 政治思想板にはお前と同類の「菊地」がいるし、
 恐怖の「罵倒軍団」も突っ込みまくってくれるぞ。
(追伸)
  哲学板の穏健なる皆様、スマソです。
144考える名無しさん:01/12/25 16:13
再開
145考える名無しさん:01/12/25 17:28
今朝の朝日新聞にデリダとかの事ちょっと出てますね
146:01/12/25 18:24
どこに?
147incognito:01/12/26 14:32
どーもです。単発的ですみませんが、とりあえず思いついたゴミを、またひとつ。

フッサールに関する議論(p.29-30)は、かいつまんで言えば、こんなふうになる
でしょうか。幾何学の創設というのは歴史上では2度と反復できない一個の出
来事である。けれども、フッサールの『幾何学の起源』では、それが、権利上
は無限に反復可能な形相的統一性を備えたノエマとして扱われている、と。
いつどこで誰が描いても正三角形は正三角形、みたいな感じなのかな・・・

「初発性」Erstmaligkeit における、この「事実」と「意味」の共犯的な結合
(というと言い過ぎか?)は、じつはフッサール現象学の体系全体にかかわってい
るのではないか?なんていうと、めちゃ抽象的な議論になりそうで、アタマ痛い
んですけど。でも、最近はやりの「グローバリゼーション」が容易に可能な領域
は「科学」と「経済」だって言う人もいるし、数学的理念のロゴスをめぐる政治
社会的な射程もありそうなテーマなのかなと思います。思いつきのゴミでした。

みんなも、本の内容のこと、いろいろ書いてちょ。
148考える名無しさん:01/12/27 13:33
もう全部読み終えましたか?
149149:01/12/27 14:17
>>145
アガンベンも出てた記事ね
ていうか、それで立てたスレがあります(1は私)
参加者増加きぼんぬ
記事自体は、中山元クサかった...
150考える名無しさん:02/01/09 08:48
今さらながら、購入age
151考える名無しさん:02/01/09 08:49
ああ、sageていた!
152考える名無しさん:02/01/09 16:33
読破age
個人的に正義と赦しがよかった。
153考える名無しさん:02/01/11 03:52
俺も購入age
って俺も今さらか?w
154考える名無しさん:02/01/11 15:25
>>152
禿同。
155mimesis:02/01/16 07:15
「正義と赦し」今読みました。
赦すことができないことを赦すこと事が赦しであって
赦すことができるものを赦すならばそれは赦しではない。(202頁)
こんなことをいっていますね。
インタビュアーはこのような「赦す」ということばの二義性
(赦す(1)ことができないことを赦すことが赦し(2)である。)
を保持しつつ遂行されるデリダの思考の「壊れ易さ」を指摘している。
このインタビューでのデリダの思考はジャンケレヴィッチの赦しを
めぐる思考の脱構築といってもいいでしょうか。
しかしながらそれは弁証法的とも言える気もする。
「ヘーゲルは、赦しと和解を歴史性のまさに原動力とした」(210頁)
総合から逃げ続ける弁証法=脱構築。
いい加減な等式を提示してみます。
こんなふうにまとめることはデリダの思考の
「壊れ易さ」を損なうことでしょうか?
156考える名無しさん:02/01/16 07:17
mimesisさん最近は朝派なんですね。
157incognito:02/01/18 13:36
>>155

》総合から逃げ続ける弁証法=脱構築。
》いい加減な等式を提示してみます。
》こんなふうにまとめることはデリダの思考の
》「壊れ易さ」を損なうことでしょうか?

いえ、論理的には正解だと思うんです。等式にバグがないという意味で。
ただ、これは勝手な推測ですが、たぶんmimesisさんが気遣ってくださっているのは、
論理的にはすっきり定式化できても、なにか思想史的なシェーマに還元しえない感触、
というか、デリダの思考の「さわり」のようなものが残るということなんじゃないか、
と思いました。あまんし分析的な言い方ができなくてすみません。

たとえばこの章では、最後にデリダが、「つかのま逃げ去る」fugitive という形容詞より、
「壊れやすい」fragile のほうを「好む」prefere と発言していますよね(p.211)。
このあたりのデリダのささやかな欲望の流れや、
あるいはさらにその後で「壊れやすさ」へと流れこむ回路を、
さらに「傷つきやすさ」という第3の語彙へと彼のなかで変換させた、
なんらかの抵抗体のようなものが重要なんだろうと思います。
158考える名無しさん:02/01/25 03:52
age
159考える名無しさん:02/01/31 23:40
160noby:02/02/03 01:25
Let's just ignor this troll ``m'' and get started.
161incognito:02/02/05 17:14
ちょっとごぶさたしてました。
個人的におもしろかったのは「政治における虚言について」です。
カントの Wahrhaftigkeit の議論には、
デリダ自身もショックを受けたって言ってる(邦訳 p.147)。
あのカント的な無条件の義務について皆さんはどう思われますか?
162考える名無しさん:02/02/06 06:09
僕はどうもカント的なあれには承服しがたいですね
ま、義務を守ろうが守らないだろうが、かくして手紙は郵便は届くw
というのはどですか?w
163incognito:02/02/06 13:04
>>162
ここって、個人的にはけっこう興味深いポイントでなんです。
ジジェクもデリダのラカン論を批判して言ってましたっけ、
誤配にせよなんにせよ、届いたところが「宛先人」なのだと。

そのばあい誤配論が「真実」verite /「誤謬」erreur の文脈を想定しているとしたら、
本書でのデリダは「真実」verite /「誠実さ」veracite の概念系列を区別してますよね(Ibid.)。
この問題との関連で、もうちょい展開してもらえるとうれしいです。

164考える名無しさん:02/02/10 03:19
age
165incognito:02/02/14 11:31
リアクションがないので自ら展開してみます(TДT)アウ〜。

「真実」verite /「誠実さ」veracite は、
コンスタティヴ/パフォーマティヴ、という
言語行為論的な区別にあたるのでは?

いっぽうデリダ自身は、かつてLimited Inc などで、
このオースティン的な区別の脱構築を企てていたはず。
では彼は、90年代になって倫理色を強めるとともに、
はたしてその区別を再分離しようとしているのでしょうか。
166考える名無しさん:02/02/16 12:56
オースティンといえば、コンスタティヴ/パフォーマティヴの区別の例文として彼が用いているものは、奇妙にも聖礼典の有効性に関する神学的議論と類似性があると思われる。
「ここに、汝二人を夫婦とみとめる」などなど。
167incognito:02/02/18 11:17
本書のp.150-151でのデリダは、
さらにサール的な「志向性」の概念に遡及していますが、
結局この虚言論では、発話主体の"intentionality" のような、
「内面的なもの」という視点を導入せざるをえないのでしょうか?
168incognito:02/02/23 00:24
ためしにカントの論争相手になっていたフランス人小説家の代表作を、
新潮文庫で読んでみると・・・。
うう、主人公は相手の人妻に向かって調子いいことばかり言っているではないですか(笑)。
これじゃあカント的な倫理を守るなんてことには反対するわけだと納得。
「社会」が崩壊するというか、恋愛の言語ゲームが成立しなくなっちゃうよね。

169incognito:02/03/02 22:54
いやー、いっぽうでデリダには、
せっかく本書p.142でとりあげていたアメリカ文学のトポスのことも、
哲学的に敷延してほしかったりしました。
C'est ce qu'on appelle orgasme feint,
ou fake orgasm en anglais..
170考える名無しさん:02/03/02 22:58
4人の論者(クロソウスキーとか)が載ってるほうのがよくない?
171考える名無しさん
サッカーでゴールを決めた時はやっぱりデリダでも嬉しいんだ