哲学と精神分析の関係について

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1中田
フランス現代思想のおかげで、哲学に精神分析的言説が混入されるようになってきたと思います。
このような現状についてみなさんどう思いますか?

そもそも哲学が精神分析的言説をあつかうことはよくないのですか?
それとも哲学が、自然科学や心理学のような経験科学に言及するのと同じような意味で
精神分析的言説に言及してもいいのでしょうか?

僕は厨房で精神分析はよく知らないのですが、なにか意見のある方書き込んでください。
2考える名無しさん:01/11/12 16:49
>精神分析的言説に言及してもいいのでしょうか?

 Sure.
3考える名無しさん:01/11/12 17:00
>>1 Good job!
4考える名無しさん:01/11/12 17:04
>>このような現状についてみなさんどう思いますか?

  It's so cool! Take it easy!
5考える名無しさん:01/11/12 17:06
Oh! This thread is so HOT!
6中田:01/11/12 17:14
つまりですね、僕が考えるに、精神分析的言説って、職人さんの技を鵜呑みにして
生み出されるものだと思うのですよ。
現場(臨床)で働く職人さんはまあ、それでいいのですが、その職人さんが述べる
ことを借りてきて、哲学的言説に接合することは何かおかしくありませんか?

ラカンは、哲学を精神分析的に改変したのか、それとも、精神分析を哲学化したのか
どっちなんでしょう?
つまりラカンはもともと精神分析の衣を被った哲学者だったのか、それとも
精神分析家だったのに、哲学にしゃしゃりでてきたのか?
7考える名無しさん:01/11/12 17:19
そうイライラするな。
8考える名無しさん:01/11/12 17:19
>哲学的言説に接合することは何かおかしくありませんか?

 Hum,yes. It's wrong to joint them.

>ラカンは、哲学を精神分析的に改変したのか、それとも、精神分析を哲学化したのか
>どっちなんでしょう?

I think he is second type. The joint is cool,but it isn't good.
9考える名無しさん:01/11/12 17:20
>>6 Every dog has his day!
10考える名無しさん:01/11/12 17:21
へんな厨房に好かれたもんだな。頑張れ>>1
11考える名無しさん:01/11/12 17:27
You are seemed to be liked by crazy CHUBO.
That's too bad.... But,cheer up! >>1
12考える名無しさん:01/11/12 17:31
>>9 Who are you?
13中田:01/11/12 17:33
おおーい、英語で語るな(笑)
哲学と精神分析の関係について語ってくれよ。

>4 何が It's so cool! Take it easy! どうゆう意味じゃ!
   僕は英語に微妙な機微についてわからんぞ。

>5 Oh! This thread is so HOT
   なら熱くしてくれ。(笑)

僕は失態をあえてさらして語ってんだべ。
玄人さん存分にナルシスティックに語ってくれ。
14考える名無しさん:01/11/12 17:34
>>12 I don't like rude man,you must be DEATH!
15中田:01/11/12 17:39
さて、じゃあ初歩的な質問といきましょう。
なんで、フランスの哲学会はラカンにそもそも反応したのですか?

フロイトを最初に持ち上げた哲学者は誰じゃー。
16考える名無しさん:01/11/12 17:40
They ,I think,must look up dictionary very hard.(HAHAHA)
17考える名無しさん:01/11/12 17:44
>>なんで、フランスの哲学会はラカンにそもそも反応したのですか?

His idea was new,and French professors is so fashionable
that they seized quickly new ideas.

>>フロイトを最初に持ち上げた哲学者は誰じゃー。
18ゆう:01/11/12 17:43
はじめまして。書き込みさせていただきます。
ヴィトゲンシュタインよりも、ソシュールのほうが〈私〉について語るには参考になる気がします。思惟する〈私〉は、これ以上疑うことのできないもの、という全ての基本という考え方です。
19考える名無しさん:01/11/12 17:44
>>18 Oh, wrong response?
20中田:01/11/12 17:48
>17 単にそれだけの理由なんですか?
    で、ミイラ取りがミイラになったと?
   
フロイトの方はどうなるでしょうか?

ラカンはなんでコジェーブの講義に参加したんでしょうか?
21考える名無しさん:01/11/12 17:49
>>フロイトを最初に持ち上げた哲学者は誰じゃー。

He is such politician that his rhetoric is very excellent.
22考える名無しさん:01/11/13 22:35
叩かれそうなのでsageで。

古代からあった「人間を知ることによってよりよく生きようとする」という
人生論的な哲学への科学からのアプローチが精神分析であったのでは
というのが感想としてあります。
精神分析は客観としての「科学」よりもむしろ主観的な体験を敷衍する
もので、それ故に純粋に唯物論的な「科学」にはなり得ず、観念的に
ならざるを得ない。
自我の「根」としての無意識を考察する学問としての精神分析というのは、
主観の共通基盤を設けることによって主観を客観化する方法論の一つ
であり、そこから導き出される結論が人生論的哲学に回帰するのも
当然ではないかと考えます。
23中田:01/11/14 09:43
>2.3.4.5.8.

 どのような理由で言っているのか詳しく説明してください。
24中田:01/11/14 09:54
>22 ふむふむ。なるほど。

でも、用心深く、哲学を人生論的哲学と形容していますね。
僕の文章を見てもわかるとうり、僕が問題としているのは、ラカンのような
哲学的に体系化した精神分析、及びそこから派生してくる哲学者の反応
(例えばデリダ、ドゥルーズなど、及び彼らを引用して、哲学的言辞を述べることなど)
を問題としているのですよ。こちらはどうですか?

あと人生論的哲学というものは、個人の主観的価値観を表白する文学のような
ものととらえてよろしいのですか?
25考える名無しさん:01/11/14 09:58
>>10
Following after that phrase,
Good Dog must have a good day,must'nt it?
26中田:01/11/14 10:02
あと精神分析的知見は当然のごとく利用してよい、という前提が昨今受けいれ
られている風潮に違和感を感じるんですよ。
そもそも精神分析的知見は受け入れない、という立場は一体どうなるのでしょう?
2722:01/11/14 20:24
>>24
いや、漏れも厨房なもんでラカンがよくわからん(をい)。
フロイトからユングへと精神分析の基本的な系譜があって、そこから
別れたうちの漏れ、ソンディの自我論に興味持って勉強中だったもんだから。
ただ、基本的に精神分析が「治療としての方法論」だってことは知ってるよな。
となれば精神分析が哲学たり得るならば当然志向するのは「よりよく生きる」
という意味での人生論的哲学の領域であるはずだってのがある。もっとも
古典的な部分でのな。はじめから哲学に記号論やら象徴論が存在した
わけではないと考えるのだが。
28中田:01/11/15 14:08
>>27

まず、ソンディというものが誰かわかりません(笑)

>精神分析が哲学たり得るならば当然志向するのは「よりよく生きる」
 という意味での人生論的哲学の領域であるはずだってのがある。

精神分析が哲学たりうるのかな。ここは哲学というものをどうとらえるか、が焦点になってきますね。
たしかに古典的な意味での哲学は、ソクラテスが言ったような意味で「よりよく生きる」ことにある
けど、それなんかね.....。「よりよく生きる」なんて、哲学書を読む旧制高校生が言うような言葉で
なんか恥ずかしいな(笑)どうどうと、そんなこと論じてもみたいけどなんかハズイ。
でもまあ、哲学を人生論的哲学ととらえるなら、そのような哲学は精神分析と親和性はある、という
ことか。
29考える名無しさん:01/11/15 14:49
>フロイトからユングへと精神分析の基本的な系譜があって

間違ってる。
ユングはフロイトから決別した。
ユング心理学は通常精神分析とは呼ばない。
30考える名無しさん:01/11/15 19:57
もちろん、哲学はあらゆる人間の活動を論じるものだから、
哲学が精神分析を論ずるのは間違っていないでしょう。
ここで問題になるのは、多くの哲学者が、精神分析家が主張していることが、
臨床体験に基づく客観的真実だと信じている点です。
精神分析家の主張は、科学的な真実ではなく、ひとつの考え方でしかありません。
ラカンの考え方はすばらしく、哲学者にもショックを与えるものでした。
それは、主体とはなにか?という問題に関わるものです。
しかし、ラカンの亜流たちは、精神分析を鵜呑みにして、無意味な議論を行いました。
ドゥルーズ・ガタリは、精神分析的な考え方が、資本主義的な思考に含まれる
ものだと主張しました。
大切なのは、精神分析の主張が、物理の理論のような客観的なものではなく、
あくまでも時代に制約された「思想」であるという点だと思います。
3122:01/11/15 20:05
>>29
正確な表現で無かったことをお詫びします。「力動精神療法」って
言ったほうが適切かな、やっぱ。
32考える名無しさん
>>20
ラカンはなんでコジェーブの講義に参加したんでしょうか?

というか、当時コジェーブの講義は、フランス知識人にとって、
非常に話題になっていたのです。
当時のフランスには、ヘーゲルの思想はほとんど理解されていなかったのですが、
コジェーブがヘーゲルを非常にわかりやすく、現実に密着した形で講義したので、
当時の知識人は大きな衝撃を受けたわけです。
ラカンもその一人でした。
れびすとr−すや炉ランバルトなど、当時の知識人の多くが、
講義に参加していたはずです。