1 :
ちずこ@フェミニスト:
「言語に依存しない概念」は存在するのでしょうか?
哲学、記号論の見地から(できればわかりやすく)教えていただけないでしょうか。
よろしくお願いします。
馬鹿なこと、その3「英語圏に暮らすヒトは鳥や飛行機を見て『FLY』とは認識しても『飛ぶ【to-bu】』とは思わないだろうね」
馬鹿なこと、その4「ドラッグ無しの世界にドラッグ中毒者(精神依存、身体依存)は存在しないだろうね」
馬鹿なこと、その5「概念はそれ自体が言葉だよね」
馬鹿なこと、その6「人類が『飛ぶ/FLY〜』という言葉を名付けたのは音、視覚、動き、などからのデザインで、それ以前には
何もなかったんじゃなかったんじゃないかな」
2 :
考える名無しさん:01/11/12 00:24
2!
友人の哲学君は「例えば、それは写真だよ」といって私を悩ませます。
「写真」の何処が言語に依存しない概念なのか私には良くわかりません。
写真を読み取るときにはやっぱり言語が必要な気がします。
>>2 この2ゲッターの「2!」も言語の概念なくしては読み取り(認識)
不可能のような気がします。
5 :
考える名無しさん:01/11/12 00:26
「言語に依存しない概念」についてはドゥルーズあたりが何か言ってなかったっけ?
6 :
言語学上がり高校英語教師:01/11/12 00:29
写真は言語でないでしょう。
写真は視覚神経を通してして脳に送られる情報の元で、脳が感じるのはカラーら、イメージの感覚でしょう。
その感覚に言語処理をしていくときに、ある種の思考や感想が生まれるのでしょう。
7 :
考える名無しさん:01/11/12 00:30
>>5 『哲学とは何か』でふれていたような気がするけど覚えてないなあ。
記号表現が写真、その写っているものが内容表現、
って言いたいんじゃないかにゃ?そのひとは。
でも、内容表現も「言語」で表現しうるので、上手い譬でかないかもでし。。
ただ、あくまで「表現しうる」だけなんだけどね。
言語に依存しない概念、これは無いだろう。
あるとすれば、それはまだ概念に成り得ていない、
全き概念への形成過程にある不完全な、または漠然
とした概念のことである。それがどういうものかは
まだハッキリとは言えない。その概念が明瞭に理解
された時、それは私の頭の中で、「言葉」によって
すでに整理が済んでしまっているからである。
言語に依存しない概念、それはまだ存在していない、
かつこれから発生する可能性のある概念のことである。
そして私達がそれぞれに対して出来ることは、
それを待ち構える事だけである。
(かなり即席な考えでスマン)
10 :
考える名無しさん:01/11/12 00:36
>>1 「言語」を定義するのが先じゃないか?
「言語」と「記号」を峻別するべきか否かでスレの方向は
ぜんぜん違ってしまうと思われ。
>>6様
ロラン・バルトさんの「明るい部屋」では写真を読み取るのは
まず「視覚」で、経験の記憶の言語に置き換えて「一度に見る」と
いうような感じだったと記憶しています。
結局、経験と記憶が登場するなら『言語』に縛られているような感じがしますけど、、、(むーん)
12 :
考える名無しさん:01/11/12 00:40
言語とは、物事のある側面の意味を
表現したもので、イコールではない
しかし、意味を伝達する手段として
有効な場面が多いのも事実である
14 :
とおりすがり:01/11/12 00:41
概念は個人が提唱し、定着して使われることがある。同じ概念に
複数の単語が用いられることもある。ということは、単語が無い
状態も考えられる。思考実験してみよう。
海と空をあわせた概念を__としよう。
で、ここで
14で提唱した概念を「うみそら」とすることを提唱する。
この概念は14の段階では単語なしの概念ではないだろうか。
例えばこの意見はどう聞こえますか?
認識は、情報処理の結果の一つです。
「飛ぶ」は、該当する現象に付けられた名前です。
「名前」は、言葉です。
「名前」が無くても(言葉が無くても)、「飛ぶ」に該当する現象は、あります。
産まれて始めて、「飛ぶ」と言う言葉を知らずに飛んでいるモノを見た人物が
「あれは、なんだ?」と、隣の人物に聞いたときの「あれ」は
該当する現象に一時的につけられた「仮名」です。
言語偏重型の頭脳の持ち主は、「名前」と、「その名前が指し示す概念」を
一体のモノとして、認識しているようです。
ここで、例え話しを一つ(↓うろ覚えですが…)
ブルース・リーは、月を指差して「綺麗な月だ」と言いました。
弟子が、リーの人差し指を見ると、リーは、弟子を叩きました。
「指にとらわれていては、その先の月を見る事は出来ない」
月をさしている指が「名前(言葉)」
月は「概念」です。
フェミヘイターさん(男女板ニテ)
17 :
考える名無しさん:01/11/12 00:45
「海と空をあわせた」という言葉無しに_という概念を生み出すことは可能なのでせうか?
18 :
現存在009:01/11/12 00:47
うろ覚えで申し訳ないのですが
『記号による具象化なくしては、経験も存在しえない』
たしかミハエル・バフチンだったと記憶しています。
記号は言語に置き換え可能でしょうか?
20 :
考える名無しさん:01/11/12 00:51
>19
言語は記号に含まれますからね、
置き換え可能でしょう
21 :
考える名無しさん:01/11/12 00:51
事実とドキュメンタリー番組はイコールじゃないよね
それと言語と現象の関係にも言えて
百聞一見にしかずだけど、一聞一見したい場合がある
22 :
考える名無しさん:01/11/12 00:52
つまり、概念と記号のにわとりたまご論のような気がする。
それほでど関係が深いなら、
「同時に誕生し相互に依存している」ということのようにおもうが。
24 :
Iridium:01/11/12 00:55
これって意思伝達の問題なのでは?
概念が個人の思考であるうちは
記号化される必要はないような…。
あ、でも個人の内部でも思考の便宜上、
特定の現象が記号化されるケースがあるわけか。
ということは思考の構造性のはじまりが
記号化であると言っていいのかな。
>>ALL貴重なレスありがとう。
概念=個々の事物から共通な性質や一般的性質を抽出して作られ
た表象/Begriff(独訳)小学館日本国語大辞典第2版
なる程、飛行機の翼に揚力が発生して飛行機が浮かぶのは「事実」です。しかし、
その「状態」を「飛ぶ」と「認識」させているのは何でしょう?
「飛ぶ」という言葉を知らないヒトにはそれは永遠に「概念」ではなく
、その状態を「事実」と認識することもできないのではないでしょうか?
「飛ぶ」(言語)を知らないヒトにはそれは永遠に「浮かんでいる」でしかない
ような気がします。
>>23ソシュール様
感謝(><)。さっそく突入してきます。
27 :
現存在009:01/11/12 01:01
いま、ちょっと思ったが、まだ言語を習得していない赤ん坊において
周囲のものに対する理解はどうなっているのか。言語という概念をまだ
知らないのだから、思考する際に頭に言葉がよぎることは無い。しかし
何も理解していないわけではないだろう。となると、それは記号として
認識しているということになるのか。たとえば、母親が哺乳ビンを口に
あてた時、赤ん坊はそれをくわえて飲む。哺乳ビンが近づく=口を開ける、
という一連の場面を記号的に把握しておく。これが言語の無い理解となる
んであって、しかし、そこには依然として、記号的なものが存在している。
言語は記号の極めて合理化された状態のことを指すのだろう。
28 :
考える名無しさん:01/11/12 01:01
言語をしらなくても、相対効果の比較で
意味は知っていると思う
どこまで正確かは、しらないけど
赤ん坊はまだ自我がないのでし。
自分と自分以外のもののくべつがついていないのでし。
仮についていたとしても、それを表現できないのでし。
どっかで詳しくしゃべった気がする・・・この話。
30 :
参考になるか知らんけど:01/11/12 01:05
31 :
考える名無しさん:01/11/12 01:05
母と子に言語はいらないが、乳の享受関係の言葉は発生する。
32 :
考える名無しさん:01/11/12 01:08
だから基本的に言葉を語る必要は無いわけだ
33 :
現存在009:01/11/12 01:08
自我はないだろうし、自分と自分以外の区別がついてないのだろうけど、
どーいった時にどーいった行動を取るかは、別の話でせう。
自覚はなくても、ある程度の認識があるからこそ、ある一定の決まった
行動を取るのでせう。オッパイは吸うものでせう。ある程度自発的な姿勢
が無ければ、オッパイ吸えないでせう。言語はないが、オッパイは吸うもの
だっていう理解が、なにかしらの形であるのでせう。オッパイ以外に例が思い
つかん。
34 :
現存在009:01/11/12 01:09
つまりオッパイと唇があるから、言語なくても概念はありうるんだよ。
35 :
現存在009:01/11/12 01:11
>>31 赤ん坊にとっての、概念。オッパイ+唇=乳。絵として頭にあるのでは。
>>29二酉様
では「鏡像段階の自己の確立」ぐらいの段階まで行くと
「自我」が出来上るのでしょうか?その時には言葉を使って認識しているのかな、、、?
37 :
考える名無しさん:01/11/12 01:12
猫の行動みたら、えさほしがっているのは解るが
38 :
考える名無しさん:01/11/12 01:13
>>33 ほんじゃ哺乳瓶も吸う物という理解もあるのでせう?
赤子は口元に近づく物を情け容赦なく吸い尽くす存在なのでせう。
あれは反射の領域にはいるハズ>おちち
口蓋に触れると、ものを吸うのでし。はじめにモノ・概念ありきには賛成。
他者の存在の認知が言語の必要性を生んだんじゃないかにゅ(私見)
40 :
考える名無しさん:01/11/12 01:15
っていうか、
乳を与えたい
乳を飲みたい
で成立するのよ、言葉は言語にしなくても
41 :
考える名無しさん:01/11/12 01:17
そう有意味では、MITの石井氏がやっている
タンジブル・ビットは可能性は有るんだけど
効率の問題はあるよね
42 :
現存在009:01/11/12 01:20
>>38 んな馬鹿な。それは単純過ぎるというものでせう。
もちろん、その場その場の周りの雰囲気も含めた、状況的な記号的理解があるのでせう。
>>39 でも、「反射」と言われると、そーかーと思ったり。
43 :
現存在009:01/11/12 01:22
>>40 (急に立場が転じた感ありだが)赤ん坊に願望は無い気がするな。
やっぱ反射的なものなんだろう。なんでも口いれるからね、赤チン。
44 :
考える名無しさん:01/11/12 01:22
車がガソリンをほしいと思うかな(笑
45 :
考える名無しさん:01/11/12 01:24
俺のカマロは今ガソリンに飢えているんだ
って思うのは、オーナーが思うだけじゃ
46 :
考える名無しさん:01/11/12 01:27
まあ、乳を欲しがっている赤ちゃんに
乳やらなかったら、泣くわな(弱
47 :
考える名無しさん:01/11/12 01:27
>>43 なんでも口に入れてしまう行動はこれまた別の意味を持っていたと思ふが。
>>36 ちずこさま。
語彙の修習は生れたその時から本人の意思とは無関係になされていまし。
自我が形成されることと、それを他者と明確に線引きするのは非同一だと思うでし。
よって鏡像段階まででは「これは(私)とは違う」と「思う」でしょうが、
それが「言語で思考・認知」されているかは観察不能。
ってかこれ認知・発達心理学とかの領域ではなくって?(笑)
当人の意志とは無関係に「言語に依存しない概念」の有無を聞きたいのではにゃく??
49 :
現存在009:01/11/12 01:27
じゃあ、改めて、赤ん坊ではなく、牢屋に20年間閉じ込められ、
全く言語を教えられずに育った人を例に挙げればどうです。
別に言語がなくても、あらゆることに対する、あらゆる理解があるでせう。
それらは言語ではなく、記号的な把握の仕方なわけだ。関係として
理解しているのでせう。言語無しでも、どーすればどーなる、とかいう
さまざまな概念が在りうる。
50 :
考える名無しさん:01/11/12 01:28
「コトバは表現であると同時に意味であり、これが逆に、それ自体は混沌たるカオスの如き連続体に反映して現実を非連続化し、概念化するということになる」(丸山圭三郎「ソシュールの思想」)
概念はコトバ無くして生まれない。それ以前はたんなるカオスに過ぎないってわけ。
51 :
現存在009:01/11/12 01:29
>>48話すべきは、言語を知っている上での、言語に依存しない概念?
52 :
考える名無しさん:01/11/12 01:30
概念は表象だと上のほうの辞書引用で述べられている
>>49 現存在009さま。
言語は生後3(5だっけ?)歳までに基本語彙を習得しないと
概念と言語(記号)の結び付けができなくて失語症みたいになるのにゅ。
アヴェロンの野生児とか、アマラ・カマラはこの例にゅ。
54 :
考える名無しさん:01/11/12 01:34
48 :名無しさん@お腹いっぱい。 :01/11/10 00:32
1950年代に行なわれた,盲ろう児に対する実験教育についてご存知でしょうか.
すなわち,視覚,聴覚の両方に障害を持つ2人の子どもに言語行動を形成し,まず,
点字による交信行動が成立し,後に指文字,発声運動をも学習したという研究です.
海外ではヘレンケラーが有名ですが,日本ではこの試みが最初のものでしょう.
で,なにがいいたいかといいますと,人間には生得的に言語獲得装置なるものが
備わっているとすれば,なぜ2人の盲ろう児は,実験教育が行なわれる前には,あ
たかも野生児のような行動状態であったか.つまり話し言葉もなく,交信の極めて
困難な状態にあったのか,ということです.こうした彼らも,系統的・組織的な教
育を受けることにより言語行動を獲得したのです.
55 :
現存在009:01/11/12 01:34
失語症になっても、概念はありうるわけでしょ?
概念って意味とは違いますよね。
56 :
考える名無しさん:01/11/12 01:35
50 :名無しさん@お腹いっぱい。 :01/11/10 00:55
>>48 その日本の盲聾児の教育を開始された年齢はいくつだったのですか?
ヘレンケラーがサリヴァン女史から指導を受け始めたのは7歳でしたよね。
つまり、言語を獲得するための臨界期(または生得的な言語獲得装置が
正常に機能するために刺激を受けるべき期間)には幅があり、ヘレン
ケラーの例から、7歳という年齢もその臨界期の中にある、と考えられる、
ということでいいのでわ?
言語に依存しない概念が存在するとして話を進めると答えは割と早くでそうでし。
「依存」の定義にもよるでしが、まあここでは「言語化し得ない」ものとしてね。
哲学板らしくいくとこうなる?(笑)
58 :
現存在009:01/11/12 01:36
こうなる。
59 :
考える名無しさん:01/11/12 01:37
とっさの行動には言語は介在していないような気がする。
倒れそうになったら手を付く、というのは反射だが、
スポーツの試合などでの行動は、練習の段階では名前がつけられているが、
訓練では、言語という過程を経ずに、戦略を組み立てられるように
なるところまで持っていく。
俗にいう「体に覚えさせる」という奴だけど、筋肉が記憶しているわけではないので、
こういった訓練は、概念を言語から切り離す作業とはいえないだろうか。
60 :
考える名無しさん:01/11/12 01:39
>>50 とすると、非連続なカオスこそが「言語に依存しない概念」ってことになるのかな。
あるいは、非連続なものがいったん主体自身の中で境界確定されて、名付け得ぬままに急速に消えてしまうようなカオスと言うべきものとか。
61 :
考える名無しさん:01/11/12 01:43
>>60 そこまでいっちゃうと何か神秘的なものになっちゃう。
62 :
考える名無しさん:01/11/12 01:47
age
63 :
考える名無しさん:01/11/12 01:51
>>ちずこさん
「言語」=「記号」であるとするならば、「言語」を持たず
「記号的世界」にすんでいる動物の多様な反応は、「記号」
に対する反応とういうことになります。
これは遺伝的にプログラムされた部分と経験によって構成
された記憶を媒介として反応をするという事です。
つまり「記号」とは「現象的現実」のシグナルを「生存本能」が
選択し、加工し、構成したものだと考えられるわけです。ですから「記号」
=「言語」であると言う前提に立てば、「言語」それ自体が「概念」である、
ということになります。よって「言語に依存しない概念は存在しない」という
結論になるわけですが・・・
64 :
考える名無しさん:01/11/12 01:53
>>59 をを!
確かに筋肉は意図的に動かせるというのに「筋肉の動かし方」は言葉では説明できぬ!
65 :
考える名無しさん:01/11/12 01:59
言語に依存しない概念とは、感性である
66 :
考える名無しさん:01/11/12 02:09
俺柔道してたけど、技なんて出す瞬間にはもちろん何も考えてない。
言語も介在してない。
しかしまあ、練習のときは記号的に技を把握して、効率の良い技を研究するわけだ。
それを打ち込みで何千回何万回とやって、「体に覚えさせる」
そーゆー意味で、
>>59の例は言語と概念を切り離すもんでもないと思うよ
記号で凝り固まった概念の反射みたいなもん。
67 :
考える名無しさん:01/11/12 02:15
無機物と無機物の間に言語は存在しない
無機物と動物の間は?
忘れてたけど言語⊂記号だと思うのでし。=ではなくてね。
シニフィアンが文字であれ、音声であれ、色であれ、受容されたシニフィエは
言語化することができると思うでし。それが適切な表現かどうかはさておき。
>>66さまの言う通り、ある行動を反射レヴェルにもっていくことも可能なのでし。←ぱぶろふさん。
ちなみにこれを説明しようとすれば「言語化」できてしまうことになるでし。
69 :
考える名無しさん:01/11/12 02:32
大切な事は、どの言語をしっているかではなく
なにを感じれるかだって
イチローも今は、感性だから
結果がでれば、言葉にできるっていっていた
>>69 うゆうゆ。同感。
>>68の
>受容されたシニフィエ は
「シニフィアンが受容され、形成されたシニフィエ」でしね。しっぱい。
71 :
考える名無しさん:01/11/12 02:54
>>68 同意
1の挙げている例は言語への依存というより言語の利用というほうがただしいと思う
言語としての認識の前にその物事があるって事実が先にたつと思うから
たとえば「魚が泳いでいる」って言う事実があるとして
それを見た人が[魚が泳いでいる」と感じるわけだし、
同じ日本語圏の人でも[魚が泳いでいる」と感じる人がいれば「水の中に魚がいる」と思う人もいる
だから言語の違いっていうのは、考え方の個体差と大して変わらないんじゃないかなぁ
スマソなんか読みづらくなってしまった
72 :
考える名無しさん:01/11/12 02:55
哲学書読むより、聖書読んだ方が知識が身につくが
あたりまえか、哲学なんて所詮人間が勝手に作った物
>>68 どうやって体を動かしてるのか、説明できますですか?
これは、概念と呼べるものなのかどうかは、知らんけど、手を動かすとか、足を伸ばすとか、そういう、なんて、言うか、こう……。
>>71 いえいえ。趣旨は理解できましw
>>73 64さま。
反射(という現象)は反射(という言葉で表現される)でし。
筋肉の動かし方、というとナンでしが、
動かそう、と思う(意識・非意識に拘らず)とそれにより脳内で起こった電位が
神経回路を伝わり、筋肉に到達する。筋肉は受容したその電気刺激に反応(反射)し
動く。これによって我々は体を動かす、と言語化され得るでし。
76 :
考える名無しさん:01/11/12 03:11
>>74 そうかもしれないが、どの哲学書より
影響を与え、ベストセラーには間違いない
その、基準をなくして哲学は語れないと
思うわけよ
77 :
考える名無しさん:01/11/12 03:16
78 :
現存在009:01/11/12 03:21
言語⊂記号でしょうなあ。
概念を持つことと、意味を形成することは別のことなわけで、
概念は言語という記号以外の記号でも、持ちうるわけなんでしょうなあ。
ちょっと思ったが、概念というものを伝達する時に言語を使うのではないか、
っていう意見に対してはいかが?
概念として理解されているものが、言語以外の記号でもって先に頭にあって、それを
自分で確認したり、伝えたりする際に言語を二次的に用いるって方が普通なのかも
しれん。だから、
>>71サンの言うように、言語での概念把握は、個人差があるけども、
概念自体は同じことを言っているという状態が生まれるんじゃないか。
>>75 本当にそれでいいのかコノヤロウ
それは物理面での、つまり客観的な説明だコノヤロウ
電気刺激だの筋肉の収縮・緊張だのを知らん人を含む、主観的な捉え方についてだコノヤロウ
80 :
考える名無しさん:01/11/12 03:22
言語に依存している概念がないと思うのだけれども
名前を付けるのが後だから
(なにかが飛んでいる、まだ言葉はない)
(地点Aにいるひと)フンババ(飛ぶことに名前をつけた)
(B )[飛ぶの祖先]( ちょんちょん )
81 :
考える名無しさん:01/11/12 03:24
名前(記号化)をつけるということは
絵、音、文字への置き換えでしかない
82 :
考える名無しさん:01/11/12 03:25
現象と動物がもつ命から来る感性は違うとおもうけど
>>77 いや、説明じゃなくて「言語化」なんでしが・・・(汗
64さまが上で述べられているコト、御自身がうまく表現(言語化)できて
いらっしゃらない所を自分が推測してコトバにしただけでし。
ちなみに「命」はこの時点でされてるでし。
それでも、せつめい・・・させたい?(惑
84 :
考える名無しさん:01/11/12 03:26
1対1?の対応ができればいい
85 :
考える名無しさん:01/11/12 03:27
>>77 命の説明って難しいよね、
生きていることってのがあいまいだしね、
死んでいるっていうのがどういうものなのかが分からないから、
人が死んだ場合に意識がなくなっているって言うのは他人から見た場合だけであって
当人に意識がないかといえば分からないでしょ、あるともいえないけど絶対にないとも言い切れない、
死んだことのある人っていないからね
肉体的にみて動いていなくても精神的な部分ではちゃんと自我があるかもしれない
火葬されているときに熱がったりしたりしてね、ただ周りから見ると何の反応もないからそれは分からないだけで
86 :
考える名無しさん:01/11/12 03:29
そもそも、無機物は言語は使わないから
物理現象で、捉えないこと
>>79 64さま。
主観的なとらえ方って、通常それは非意識だからー。
主体に意識されないものは言語化はできない。
それどころか絵にもかけず、音楽にもできない。
ってかこれは前提ではなかったのっでしか??
88 :
考える名無しさん:01/11/12 03:32
>>79 デカルト二元論を考える際に、どうして別物であるはずの心と身体との間で、
連鎖的な関係が成り立っているのか?っていう疑問が浮かびますね。
二元論のままでこれを説明すると、どうしても解決できないから、皆、一元論
へ話を移行していくわけだ。
となると、話は自然と二つに分かれていって、
@心も身体と同様、客観的な存在である。
ってのと、
A身体ってのは意識が生んだ表象に過ぎない
っつー話になるわけだ。
客観的な説明だと、機械論みたいな感じで、
>>75の通り(詳しくは知らんが)に
なるわけ。んで、常に意識からのパースペクティブで物事を捉える側に立って考える
と、動くよう意識したから動くんだ、ということになる。
じゃあ、意識したらテレビの中のブッシュ大統領のチャックを下ろせるのか!?
って言われたら、それは無理なわけで、一元論も行き詰まる。それで、やっぱ二元論が
正しいのかな?と、戻ってしまうわけだ。
89 :
考える名無しさん:01/11/12 03:36
概念とは哲学ではカテゴリーのことですから、
もちろん言語無しでも成立します。しかしそれでは
シグナルに対するものに留まるので、
主体は概念という認識を行わないでしょう。
さて表題は言語に依存しない概念との事ですが、
一次過程では概念にシンボルを与えたと考える事もできますが、
人間の活動にはシンボルのカテゴリー化が顕著です。
もはや我々自身がそれを見つけ出す事は不可能でしょう。
問いがシンボル的なものである以上、我々は言語によって
それを表現しなければなりませんから。
これは大きな矛盾をはらんでいます。つまり
もし発見したとしてもその瞬間に言語化されてしまいます。
そしてその時点で、それが言語に新しく連関したのか、
それとも言語によって構成されたのか区別不可能です。
90 :
考える名無しさん:01/11/12 03:37
命名者は概念を記号化(coding)し、
使用者は記号を概念化(decoding)する。
ってことかな?
>>87 でも俺は意図的に体を動かせるぞコノヤロウ
意識の上でコントロールされておきながら不思議だコノヤロウ
我ながら今日は冴えてる
ちょっとスレとずれるけどsageるから許して
命の概念について
昔何かの本であったけど
この世のすべては自分たちとは違う世界の中でのゲームみたいなものだ
その世界での娯楽として存在しているのがこの世界だ
っていうんだけど
これもありえない話じゃないよね、たとえば俺たちがやっているゲームだってその中でひとつの世界が出来上がっているわけだし
そのゲームの中の人が「これはゲームだ」って認識することはまずない、もしあってもそれを証明することはできないでしょ、
だから俺たちの世界での命もプログラムされたものなのかもしれないと思ったわけ
もちろんだから人を殺してもいいわけじゃないしゲームのリセットだってプレーヤーにしかできないわけだから
ゲームの中の住人はその世界がすべてなんだけど、
90に述べた概念を
「思言循環」(しごんじゅんかん)
"idea-language cycle"
と名づけさせていただきます。
>>88-89 素直に同意。
>>91 64さま。
「意図的」ということは「髭を剃ろう」とか「ご飯を食べよう」とかになりましね?
自分に命令した(意識に上る)時点で言語化されてまし。
それよりコノヤロウって自分、心臓に悪い・・(´Д`)←小心者
「思言環」(しごんかん)に変更しました。
命名者「2ちゃんのTI(ティーアイ)」 です
97 :
考える名無しさん:01/11/12 03:58
>>89 だから、命の説明ができないのよ
言語は人間が作ったもんだがや
思言環
の2つめの意味
言語の意味を捉えようと思考すること(聞き、読み)
と
思ったことを言語化しようとする(書き、話し)
ことの
循環
99 :
考える名無しさん:01/11/12 04:01
>>93 所詮哲学なんて、ニュートンの法則止まりって
思っているよ(笑
100 :
現存在009:01/11/12 04:02
100(多分)
101 :
考える名無しさん:01/11/12 04:03
経験というのは言語化されて自分の体に刻まれているんだろうか?
反射的行動とかの事だけどさ。
んで、寝転んでる猫を見て湧き上がる感情は言語に由来する?
その感情が「可愛い」とかに簡単に変換されるような気がするけど。
103 :
現存在009:01/11/12 04:14
概念は言葉以外の別の様態で、自分の身体に刻み付けられているように
思う。それを認識したり、明瞭に把握しようとしたりする時、その概念
は知らぬ間に自動的に言語によって形成し直され、人はその時点で初めて
その概念に出会い、理解する。
沸き上がる感情などは、言語として在るわけではない。沸きあがっている
その自分の状態は、言語として把握される。感情の内容は、言語以外の何か
別の様態で始めは在り、それを把握しようと努めるとき、言語となり、その
時初めて、人はその感情がどういうものだったかハッキリと知る。しかし、
感情に関して言うと、言語では100%ありのままを表現することは難しい。
「可愛い」と一言ですますのは、あまりにも端折り過ぎである。そうなった時、
芸術という、例えば絵画という、よりシンボリックな媒介を通じて、言語では
表現しづらい概念は、表現されるのである。
いろいろ反論されそうな事を書き残し、私は寝るべくサヨナラバイバイ。
>>101 (後天的に習得した)反射というのはにゅーらるねっとわーく間で
ショートカットの多い状態かと私見でし。
にゃんこのお話は言語に「由来」はしないと思うにゅ。
あ、「感情はなぜ沸き上がるのか、の客観的な回答」だとしたら
現時点での自分には言語化は不可能。
でも誰かはできるかもしれにゃい。
そろそろ寝ようかこのまま起きてようか考え中。。。
>>103 おお、ありがとうございます
言いたい事をうまく説明してくだすった。
>>104 感情は言語で完全に言い表せず、
無理やり言語化する作業を省くなら
そこにはいわば強度的なものが存在してるように思います。
ただ、「存在する」って言った瞬間言語で概念化してしまってますけれど。
議題とは違うけど、後期レヴィナスは概念化されえない他者を
言語で記述しようとしてたみたいだったなあ。
Cheers Adieu
>>95 髭を剃ろうと思うだけでは体は動かないと思われ
世の中には耳たぶをピクピク動かせる人がいると思われ
どうやってピクピクさせてるかその人に聞いてもその人は答えられないと思われ
俺からコノヤロウをとったら思われしか残らないと思われ
107 :
考える名無しさん:01/11/12 04:28
>>101 猫に関しては猫を見てかわいいと思う人と醜いと思う人がいるだろうし
その原因は今までの経験だと思う
子供の頃に猫はかわいいと経験すればかわいく見えるだろうし
猫にかまれたり、引っかかれたりすればすれば嫌いになり最終的に醜く感じたり恐怖の対象になるかもしれない
それまでの経験のバランスによるだろうね、だから
もしもゴキブリをかわいいものだと教えられ、自分もそう感じることが醜いと感じることより多かったとしたら
ゴキブリはかわいいだろうし、そう思う人もいるってことはゴキブリを飼っている人もいることで証明されるとおもうよ
>>107 だとしたらその「醜い」(かっこつき)とかは、やっぱり体験に由来する概念で
その体験が言語に由来するかどうか考えることで
言語に由来する概念に迫れるような気がしますが。
109 :
ちずこ@みなさんありがとう:01/11/12 04:40
瞬間言語の概念化は視覚や味覚といったものとかわらないもの、、、(うまくいえない)
例えば「飛ぶ」という語が「音、視覚、動きなどからのデザインなどから」
考案されたのだとすると、そういった「デザイン」を特定できたのは
何故?
それまで何もなかったところに、「飛ぶ」という語が出てきても
その対象が特定できなければ語の意味は確定しないでしょ。
A「鳥が飛ぶ」
B「『飛ぶ』って何?」
A「それは…あの鳥を見てよ。あれが『飛ぶ』だよ」
B「ああ、くちばしが付いてるってことか」
A「そうじゃなくて、動き」
B「西から東に移動することか」
A「そうじゃなくて」
そうじゃなくて、「こう」なんだ!と通じたとしたら、AB両者が
了解できた【それ】は一体何なのでしょう?
特に、Bは未だ「飛ぶ」という言葉の意味を獲得していない
段階で【それ】を獲得していたのだけど、、、。
110 :
考える名無しさん:01/11/12 04:43
飛行機も飛んでれば
「飛ぶ」ということが共通しているので
分かるだろう。
111 :
考える名無しさん:01/11/12 04:45
我々が単純にカテゴリー化している感情も
多くの場合、複雑なシンボルでの過程が関わっていると
考えられる場合が多いのです。
嬰児以来の感情の発達のよくある図を見た事があると思いますが、
例えば「恥ずかしい」などは不快(体が行動によって排除しよう
とする感覚)と多くの思想・慣習・状況などが複合的に
関わっています。そしてこれを体得する過程に言語は
重要な位置を占めています。
「可愛い」という例を挙げられましたが、同じ猫を見ても
その人の成育過程によっては憎しみを覚える者も
いる事でしょう。
感情の獲得が言語によらないとは言えませんし、
獲得した後もその生起過程に言語が関わっていないという
証拠も在りません。むしろ「憎しみ」などは多くの場合
高度な因果の考察に由来し、これは非常に高度な
言語過程を含みます。
さて本題ですが、その「可愛い」という感情はこの言葉で
表されています。この時点でその他の言葉では
説明し得ない現象に対してこの言葉を与えたのか、
それとも(時には原始的な快の感覚や)その他のシンボルとの
結びつきによって構成されているのか区別ができません。
もっと一般的に、あるシンボルはそれが使われる文脈に
合わせてのみ存在しえるのか(この場合文脈によって
概念が構成される)、その基盤となる「事実」が
ありその対応として存在するのか今の所、
区別がつかないという事です。近現代の哲人は
ここで詰まった人が多いように見えます。
因果っていうと一対一関連を想定しているようで、なんとも言えないのですが…
ちなみに101では「可愛い」というよりは猫を見た際の
原印象的なものと、わずかな遅れで現れる? 感情を示そうとしています。
もうちょい議論したいのですが、今日は退散。
短期記憶の領野まで情報が届かないといかん訳か・・・一人で納得
114 :
ちずこ@ほんとにありがとう:01/11/12 05:05
>>ALL
とりあえず私は男女板に戻ります。
たくさんの貴重なレスありがとう。私はホントのところ
言語に依存しない概念は存在しえないと考えています。すくなくとも
成人したヒトでそれを感じるのは難しいのではないだろうかと、、。
まだ答には手がとどきそうにないようですマターリと聞いていきたいと思います。
ちょくちょく寄らせて下さい。みなさんも気がむいたら男女板に遊びにきて
下さい(お薦めは出来ませんけど)
それではっ(とりあえず逃げる)
115 :
・・・・・・:01/11/12 13:15
言語が人間によって、創られた以上、言語以外の概念があった事になりませんか?
自分を否定しない程度に、物事を徹底的に疑ってゆきましょう。
そうすると、どうしても疑えないものが「自分」の存在であることに…。
自分の存在ゆえに「わかるもの・こと」それが、言語以前の概念です。
だから、言語いぜんのものってけっこういっぱいあります。
好きな人を見て、心臓がドクっと動いたその感覚とかも言語いぜんのものです。
でも人間なんでそれを言葉でいうことを欲するわけです。
欲してもいいじゃないですか。
そして、かつ言語以前のものがあって、それに突き動かされる。
その理由は、あなたがそこに存在するからです…。
>>106 64さま。
主体的には「動かそう」と思うから動かせるのでしよ。
今自分がコーヒーを飲もうと思ったら、お湯を沸かしてフィルタをセットして(中略)
コーヒーを飲むことができまし。
>>109 たぶんそれはAさんとBさんの間のコミュニケーションに
不都合が生じない程度まで共通のイメージ(記号から喚起されるシニフィエ)
が形成されたのではないかと思うでし。
>>101 同感。感情なんて「名前」をつけて微細に区別しておくものでしね。
区別した後は名前のイメージに振り回されてしまうのが難でし。
言語云々の話は、言語が世界で初めて成立した以前と以後に分けて考えにゃいと
「言語に依存しない概念」が変わってしまうと思うでし。うにゃ。。。。
118 :
考える名無しさん:01/11/12 22:44
>>115辺り
実在論的にはそのとおりです。
さらに実在論を突き詰めて行けば、あらゆる概念は
我々が言葉を用いて発見したのであって、それは客観的世界に
備わった性質であるという事になります。
感情、自分、人種など全てもともとあったものを
発見したという事になります。
それに対して言葉によって構成されたという事は
言ってみれば我々が世界に対して積極的に性質を
課している事だと言えます。この立場では
言語以前を想定したとしても、シンボルによって想定された
「言語以前」に対して概念を与えているという事になり、
それが概念として実在したという事にはなりません。
我概念を思う故に概念あり、といった所です。
もちろん折衷案も考えられます。
しかし折衷案を取っても、言語化された段階で
両者の区別は(今の所)不可能です。
>>117 スレの問いは、
「言語に依存しない概念は存在するか」
であるから、既にある概念を言語で説明できたとしても、
その概念が言語に依存することの説明にはならないのではないか?
>>117 違うネ。
私、言いたいのは、ガイネン無くても体動くという事ネ。
「動かそう」と思わなきゃならないのは確かだけど、「動かす」というガイネン働いてるワケ違うネ。
でも、もういいネ。
私、心理学勉強してくるヨ。
はうあΣ(´Д`)今読み返したら117の>101は
>>111でした。ぐあー。
>>119 59さま。
1(=ちずこさま)が記号論的に解説してくれとおっしゃったので、
自分は
>>57で言ったように「依存」をとりあえず「言語化されないもの」として
話をしていたのでし。「依存」がどう言う事かによって話の流れも変わると思うでし。
59さまは「依存」をどう言うことだと思ったでしか?
(こうやって同じ言葉でも異なったシニフィエが形成されるのでし。シニフィエの恣意性のせいでし)
>>120 64さま。
64さまの仰りたかったことが理解できなかったのが残念でし。自分も勉強しまし(おじぎ)
122 :
奥様は名無しさん:01/11/12 23:44
認知心理学の見地から誰か論じてよー。
言語に依存しないものがあるかどうか問うのはいいけれど、「問う」ている時点で
言語に依存している…、だから、言語に依存しない概念はない…、と。
そういうことなんでしょうか?
ん〜、それは何か違う。
「言語に依存しない」とする対象は何かを、考えなきゃいけない。ぼくらは、こういう議論をするとき、
言語を言語でもって規定しようとしているわけではないでしょ?
「問う」ことがそもそも言語なので、じゃあ、問わずに「問う」ことを
しなくちゃいけなくなる。これって、変でしょ?
つまり、「問う」ことは、それ以上、概念として遡れない、それ以上疑いえないこと。
「問う」という言語は、概念として扱えないのでは?
でも、もう少し頑張ってみよう。
「問う」ことを概念として扱えない根拠はなにか。
「問う」の主体は<私>ですよね。「問う」ことが概念ならば、
<私>という存在も概念として扱われるということになる…。
では、「問うている<私>」という概念とはなにか?
<私>の存在ゆえに、ひとつの「問い」は生まれる。<私>がそもそも存在しなければ
ひとつの「問い」は生まれない。「問い」を生む<私>こそがこれ以上
疑えないものだ。つまり<私>=「問い」は概念として扱えないのです。
まとめます。
「問う」てみて、或いは「疑」ってみて、これ以上、遡れないことが
に出会ったとき、それはつまり「言語に依存しない概念」として抽出される。
心理学に逃げないで。心理学は、哲学の問いに答えてくれないよ。
なぜって?心理学は、対象を映し出す概念を理論化(形式化)する学問だから。
つまり、他人が作った理屈の再読なんですよ。
例えば、新しい心理学の理論を作ろうと思えば、哲学をしなければ作れないんですよ。
人に頼らずに、自分を見つめなければいけないんです。
ああ、マリーか。
125 :
奥様は名無しさん:01/11/12 23:54
心のイメージの段階で、概念と呼べるのでしょうか。
概念化とは、洗練された言語化ではないのでしょうか。
>>123 内観が心理学でどう扱われてるか、知ってるでありますか?
>>121 「記号論的に解説」ということがどういうことなのか、今ひとつわからないが、
私の「依存」の解釈は、文字通り、「依って存する」ということで、
「言語に依存しない概念は存在するか」
に対して、
Yes なら、「言語に依らずとも概念は存在する」
Noなら、「言語に依らずに概念は存在しない」
という意味になるという意味で「依存」という言葉をとらえている。
>>59 で私が言ったことは、
仮に言語によって「発見」された概念であっても、
「脱言語化」が可能であるのだから、
答えは Yes ということだ。
概念の発見が言語に必ず依存するかどうかは、
また別に考える必要があるだろう。
>>127 59さま。
にゃるほど。それならば同感でしー。
>>122 認知心理学で語っても良いけど、ぷろぱーではないので
自分では役者不足かもしれにゃい。
上の方で話した事の補足程度で良いなら
どなたかお付き合いくだしゃい。。
>>129 ていうか、このスレの混乱の大本は、ちずこさんの
「概念」という言葉の乱用でしょう。指が言語で、
月が概念だとか、でも現実の月と概念としての月は
違うわけでその辺の混同がそれ以降のレスに波及し
ちゃってるような気がするんだけど。
混乱の原因っつったら記号論の知識の有無では。
>>130 うにゃー。そうでしねー・・
記号論でって仰ったから基本用語くらいはご存知かと思ったのでしが・・・
月の話でも「指」が対象を一般化し指し表す記号表現で、
「月」がその記号内容だ、くらいは言っても良かったかもしれにゃい。
(関係ないけどここで「記号」の方ばかり見てしまう問題点は
中島敦が文字禍でゆーもらすに書いてまし)
ついでに129で言った事は取り消すでし。板違いだし。
日本よぉ〜!中国式に!
米国式は危険があるかも!?
日本人の心理を隣国が、ネタにするかもよぉ〜!??
中国式の兵法を習得すべし!!
トクに、米国が!であろぉ〜うなぁ〜〜!
っていう感じだぁ〜〜〜〜!
134 :
考える名無しさん:01/11/13 01:12
>>133 夜風に当たって酔いをさまそうぜベィベェ〜
136 :
考える名無しさん:01/11/15 14:44
>>1 基本的に言語に依存しない概念は存在しません。
今ある概念は言語で仕切られたものだけであって、
今後言語を駆使してその概念を細切りにすることもできましょう。
言語があるから概念があるわけで、
言語を持たない猫には概念は存在しません。
もしくは、猫は言語を持つと考えても、概念をその言葉で表現しているとは考えにくい。
ちなみに、個人的にフェミニストは好きではありません。
パンクハースト寄りになるのはやめましょう。
137 :
考えない名無しさん:01/11/15 15:14
アニメって言語!?
音も画像も0と1の記号で表された世界
>>138 現在のコンピュータの中に限ってはそうだけどね。
140 :
心理学をかじった64:01/12/12 06:32
手続き的記憶と言うらしい……。
141 :
考える名無しさん:01/12/12 08:13
チベットには精神的感情を細かに表す言葉があるそうです。
しかしヨーロッパではそれを一つの言葉にしか訳せないらしい
(細かく組み分ける言葉が存在しない)
逆にチベット語で「機械」を差す言葉は
ヨーロッパ言語では無数に表現できるものらしい
(チベット人はその昔、テレビもラジオも車も全部まとめて
一つの言葉で読んでいた・・・今は違うみたいですが)
象徴言語は必要に応じて生まれてくるものだと思います。
個人的な意見ですが、感情や状況や気分を表す言葉は
もっとバラエティーに富んでた方がおもしろいんじゃないかと・・・
142 :
ニューびたみん ◆ykAEBXyc :01/12/12 11:02
やっぱり、哲学囓ってる人間ってバカだと思った。
今時、デカントやソシュールですか...
しかも、歴史的背景を無視して使い回しているし...
酷いよ。
143 :
ニューびたみん ◆ykAEBXyc :01/12/12 11:16
このスレにいる僕よりバカな人達は
言語で何かを解釈しようとするとき
自分が全てを超越したような視座に立って
言葉を振るっているような気がするよ。
解釈っていうのは視座によって何とでも変わるものだし
言語に規範される範疇以上のことについて、確信的なことは
何一つ言える訳は無いんだ。
全ては、相対的であって、自分の視座を把握せずして
生産的認知に至るなんてあり得ないんだよ。
ちょっと哲学を囓っています、ちょっと有名な解釈を拝借してみました。
って、そんな語りで何をしたいんだろうか?
くだらないよ、ホントに。
144 :
ニューびたみん ◆ykAEBXyc :01/12/12 11:24
僕がバカのフリをして哲板に書き込みをしていたとき
既存の哲学者の言説のコラージュで、哲学をしている人が結構いた。
その人達は、僕が143なんかで書き込んでいる内容を
百も承知で、敢えてコラージュ哲学をやっていたんだよ。(そういう能力しかない)
でも、このスレでそれをやっている人達は、ナチュラル臭い。
以前より、悪質ではないけどレベルが著しく低下しているよ。
ホント、酷いよ、ダメダメだよ。
自らの「ダメダメ」な言説には「バカのフリ」という
免罪符を発行して、ぜい弱なアイデンティティーを
安全地帯に囲っておいて、ひとを攻撃しようとするその態度。
僕らも見習わなくちゃ。
>>142 >今時、デカントやソシュールですか...
>しかも、歴史的背景を無視して使い回しているし...
>酷いよ。
「今時」というジャーナリスティックな見方は
感心しないが、過去の学説を「理論」として
使用するのは、文学研究者が哲学を「利用」する
やりかたで「哲学」的とはいえず、乳びたみんの
批判にも一理ある。過去の学説のよって立つ基盤を
(それは歴史的背景も含むことになる)批判すること
こそ哲学的な態度といえるであろ〜。
>>141 >個人的な意見ですが、感情や状況や気分を表す言葉は
>もっとバラエティーに富んでた方がおもしろいんじゃないかと・・・
日本語のそういう言葉は明治以降急速に減少した…
148 :
ニューびたみん ◆ykAEBXyc :01/12/12 23:09
∧_∧
( ´∀` ). | ̄ ̄ ̄ ̄|
/⌒~~`´~ヽ|スレ制覇|
/ / ノ||____|
( /ヽ | |_ .||
\ / | E)
( _ノ | ̄ ̄||
| / /
| / /
( ) )
| | /
| | |
/ |\ \
∠/  ̄
>>148 なんか突然キャラが変貌しましたね(笑
おりびたに怒られますよ。
でも彼の意志を継いでガムバッテください。
びたみそ三匹もおったんか……。
151 :
ニューびたみん ◆ykAEBXyc :01/12/12 23:18
152 :
名無しさん:01/12/12 23:20
概念も定義すべき。
153 :
ニューびたみん ◆ykAEBXyc :01/12/12 23:37
煽られた奴等、ブルってないで
出ておいでよ。
痛くしないから。
元々、君ら自身が痛いんだから
治療してあげるyo。
154 :
考える名無しさん:01/12/12 23:38
クソびたぶっ殺してやる!
出て来いアフォガキめ
155 :
ニューびたみん ◆ykAEBXyc :01/12/12 23:42
>>154 何処の小学校に通ってるんだい。
乱暴な言葉は使っちゃダメって習ったでしょ。
夜更かししちゃダメだよ、早く寝ようね。
156 :
考える名無しさん:01/12/12 23:44
がいねん 【概念】
(1)ある事物の概括的な意味内容。
(2)〔哲〕〔英 concept; (ドイツ) Begriff〕事物が
思考によって捉えられたり表現される時の思考内容や表象、
またその言語表現(名辞)の意味内容。
(ア)形式論理学では、個々の事物の抽象によって把握される
一般的性質を指し、内包(意味内容)と外延(事物の集合)から
構成される。
(イ)経験論・心理学では、経験されたさまざまな観念内容を
抽象化して概括する表象。
(ウ)合理論・観念論では、人間の経験から独立した概念
(先天的概念・イデアなど)の存在を認め、これによって
初めて個別的経験も成り立つとする。
〔(2)の意で、明治初期に作られた語〕
言語に絶対の信頼を置く西洋以外では
言語に依存しない概念は存在している。
「悟り」とかな、
仮にその名前が与えられているだけで
その言語で概念を表しているわけではない。
おいしんぼってどうなの
このスレ的にわさ?
奴らが言語化した料理の味ってどうよ
しゃっきりしこしこ
片側しかないシーソーが存在するか?ということか。
160 :
考える名無しさん:
>>157 「言語」にできるということは
認識を一般化できるということ。
「悟り」のような個別的な体験で感じたものは、
他人に伝えることは不可能であって一般化不可能。
したがって「言語」にはできない。
ただし「悟り」で感じたものが「概念」にあたるかどうかは疑問。
「概念」の定義にもよるが・・・。