この部分をもっと簡単に解釈するとどんな意味なんでしょう?
大学の講義でグループでレポート提出するように言われて困ってます。
10人位のメンバーで話し合ったのですが意見がまとまらず困ってます。
2 :
考える名無しさん:01/11/11 00:16
ソフィーの世界でも写せばw
3 :
考える名無しさん:01/11/11 00:20
結局、洞窟を脱出できるのはΣωκρατηsだけだってことよ
4 :
考える名無しさん:01/11/11 00:21
1よ、もっと詳しく説明しろって
あんなに判りやすい表現も無いと思うんだが。
あれを更に判りやすく表現するのって難しいぞ。
ああ、あれを現代的に表現しなおすと、
映画『マトリクス』になるんじゃないかな。
7 :
mimesis:01/11/11 00:30
3行で
『国家』第7巻のはじめにかの有名な「洞窟の比喩」が現れる。
教育とは魂を生成流転の世界から「善」のイデアへと向け変える
技術であるという「プラトニズム」の核心がそこで語られている。
8 :
考える名無しさん:01/11/11 00:30
東大のある教授はなんとも珍奇なたとえだと言ってたけれど。
なんでも洞窟の光の見えない方向に視線を固定されて
身動きできないように全身を縛られてるのが、我々の人生だなんて
いったいどういうつもりで言っているのかまったく理解できない。
だってさ。
国家の第2巻の2も部分です。
論点は
・洞窟と上方(外側)の世界、太陽その他の位置関係は?
・洞窟から外へ出た人はその後どうなったのか?
です。
別にこの2つにこだわる必要は無いけど・・・。
プラトン批判でも全くかまわないです。
間違えた。第2巻の2の部分。
11 :
考える名無しさん:01/11/11 00:37
実は君たち洞窟にいるんだぜ?
俺の影ばっか見やがって、、、
ふははは!!!!
12 :
現存在009:01/11/11 00:53
洞窟から出た人は、今まで自分が見てたのは影だってことを知って、
戻って皆に説明しようとしても信じてもらえず、変態扱い。
どんな意見でもいいです。参考にします。
ここはワリと荒らしも少ないみたいだし。
14 :
AAコピペでスマソ:01/11/11 01:04
地下にある洞窟みたいな家にすんでる連中について考えてみろ。
入り口のほうに光は見えるけど、中は真っ暗。
連中ははこの家の中で、子供のうちからずーっと手足も縛られてて、
全然動けなくって、動けないの。
振り返って後ろをみることまでできないんだ。
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なんだよそれ。新手のSMか?
15 :
考える名無しさん:01/11/11 01:06
フランシスベーコンの4つのイドラが参考になると思う。
洞窟、種族、市場、劇場?のイドラだったか。
論点付け足し。
・プラトンはどのような人間が人々の指導者としてふさわしいと考えているか?
・彼にとって洞窟の外側にある<人間にとって最も大切なもの>とは、結局一体どのような事柄なのか?
17 :
考える名無しさん:01/11/11 01:10
18 :
考える名無しさん:01/11/11 01:12
洞窟の外にあるものが重要だというような意味は無いと思うが。
真実を見る努力をしないものと、しているものとの、
物事に対する理解がいかに隔たりがあり、
それを埋めるのがいかに困難であるかを説明していると
私は理解している。
19 :
考える名無しさん:01/11/11 01:16
洞窟の形が、試験管のようだ(=行き止り)として、人、光、影、入口から
の光の有無、が不明。
20 :
現存在009:01/11/11 01:25
>>15 市場のイドラ idola fori 言語の偏見
洞窟のイドラ idola specus 個人的偏見
劇場のイドラ idola theatri 伝統的な思考法による偏見
種族のイドラ idola tribus 人間本性から生じる偏見
>>18 確かに、洞窟の外が重要だって話じゃないよね。
てか、真実への隔たりを埋めることの困難さ、ではなくて、
真実へ辿りつくには徐々に段階を踏まえていかないと目が潰れるぞ、
という話だったように思うが…。本が手元にないので微妙。
12は、ちょっとフザけた風に書いたけど、内容としてはマンザラでもないはず。
洞窟の比喩は、イデア界と我々の日常的世界との関係を分かりやすく説明
する意図のもとに書かれていて、だから、イデアが前提としてあって始めて
成り立つ比喩であり、よって、プラトン批判は、イデアってところをダルマ落し
みたいにスコーン!ってやっちゃえば一発よ。
「それらしいこと=真実」ではなくて、やっぱドコに端を発したか不明な、
明らかに独断的な設定は、いくら「それらしくて」も、つきつめれば無理があるよね。
なんか洞窟の比喩と関係ある?
21 :
現存在009:01/11/11 01:38
>>20 >なんか洞窟の比喩と関係ある?
ってのが最後に来ちゃってるけど、本当は四つのイドラの下に位置します。
>>20 >真実へ辿りつくには徐々に段階を踏まえていかないと目が潰れるぞ、
>という話だったように思うが…。本が手元にないので微妙。
というか、
「知る前の認識では、真実は奇異に見える。」
というような意味に理解したけど。
洞窟に戻ったあとは、光の世界から闇の世界に戻ったので、
ほかの人間よりは周りが見えにくくなっており、
ほかの人間からは愚かに見えるという話もあった。
つまり、
真実を知らない間は、真実は奇異見え、
真実を知ってしまうと、まやかしの認識が奇異に見える。
だから、
本当の馬鹿と、真実を知っているが故に、周りの人間に合わせられない人は、
真実をしらない人から見れば、同じように馬鹿にみえるが、
実際はそうではないということだったと思う。
イデア論自体の是非は、私にはなんともいえないが、
洞窟の比喩は、イデア論を別にしても、意味のあるものだと思う。
イデア論の問題は、具体的な事物を離れた本質という極端さだけれど、
外の世界で見たものを、「イデア」ではなく、単に、「真実」と考えれば、
洞窟の比喩自体はそれほど無理のあるものとは思えない。
(地下で縛られてる云々の無理さを別にすれば)
もっと誰か意見くれ〜!
期限間近で困ってます。
24 :
考える名無しさん:01/11/11 04:14
仮象の世界と真実の世界でいいだろ?
>>23 今まで語られたこと以上の意味を求めるなら、自分のユニークな解釈をいれなきゃ無理でしょ。
つうか、当然のことを聞くようだけど、通しで一回全部読んではいるんだよね?
>>16 で言っているようなことって、洞窟の喩えを読んだだけじゃわからないと思うよ。
27 :
考える名無しさん:01/11/11 15:34
1.太陽が成長、光のもとであって視覚を感覚に与えるように善は現実と真実のもとで「理解できること」(知性?)を理性に与える。
2.暗くて一寸の太陽光も届かない洞窟に囚人を鎖で無理矢理椅子に縛り付けて一方向をずーっと見させるように頭を椅子に固定する。囚人達の見ている方向に影だけを映す。「影芝居」が現実であると思い込ませる。(途中省略)
3.囚人を無理矢理太陽の下へと引っ張り出し、(太陽そのものに目を向けさせようというものならなおさら痛がる)痛がっている囚人を無理矢理外に放置しておく。明るい環境に目が慣れた囚人は長い時間の後、現実(?)または真実(?)を見ることになる。
2、3の太陽を1の善に置き換えてみると知らないのに知っていると言っている人達(囚人)の真実は真実ではなく幻だということが・・・解るかも。(もう一つ考えてみると・・・鎖=快楽に繋がる・・・かも。快楽が囚人達を椅子に留めているという・・・。)
的外れかもしれませんがこんなのでどうでしょう?全然違うようだったら無視しちゃっていいです。
ウルトラ長くてすみません。グゥ。
28 :
考える名無しさん:01/11/11 17:03
適当にデッチ上げろよ。
思うに近代のドイツ観念論あたりでこのあたりの議論は
超えられたんじゃないか。
29 :
考える名無しさん:01/11/11 17:54
プラトンへの反駁なら、アリストテレスの時点で既に
行われているはず。(私はまだ読んでないが・・・。)
イデア論批判もしてたと思うが。
30 :
考える名無しさん:01/11/11 18:00
洞窟の比喩って、昔の影絵のことか??
31 :
考える名無しさん:01/11/11 20:24
哲学難しい・・・。
32 :
考える名無しさん:01/11/11 23:04
「洞窟の比喩」自体は、そんなに難しくないよ。
私も、百科事典でダイジェストの説明を読んだときは、
なんてわけのわからないこといってんだと思ったけど、
「国家」読んだら、全体のなかでも、一番分かり易い部分だった。
単に、そういうたとえ話がでてくるというだけのことだよ。
難しく感じるのは、断片的な情報だけで、内容を推し量ろうとするからではなかろうか。
33 :
考える名無しさん:01/11/11 23:38
表面的な意味ではないので、レポートには過剰な情報かもしれないが・・・。
政治哲学者レオ・シュトラウス(1のイニシャルと同じだ)は
『国家』の話そのものが洞窟の比喩と平行性があると言っている。
1巻の頭で『国家』の対話の舞台になったペイライエウスに行ったことが
記述されているのだが、英訳ではこの部分は俺が読んだものは全て
went downになっている。
ペイライエウスの方が、アテナイのソクラテスたちが普段
住んでいた所よりも低地だったのだ。残念ながら代表的な邦訳では
意訳されていて、この降りていったというニュアンスが欠けてしまっている。
そして対話はソクラテスが望んだものではなく、
彼と彼が最初に属していたグループが、
もう一つのグループに強制されて始まっている。
実際、洞窟に出た人間がもう一度洞窟に降りていくのは
本人が望んでのことではなく、何らかの力に強制されてのこと
だったはず。そして洞窟へ降りた人間が洞窟の住人を説得しなければ
ならないように、ソクラテスは彼の友人たちを説得しなければ解放されない。
つまり洞窟の比喩は、哲学者であるソクラテスその人の置かれた状況
そのものである、と言っていいんじゃないかな?
もちろんこれは一つの解釈ではあるけど。(俺は気に入っているが)
アラン・ブルームはレオ・シュトラウスの弟子でした。
なので確か彼も師と同じ線で解釈していたのではなかったかな?
今までレスつけてくれた人どうもありがとう。
みんなの意見も参考にはしたけど、結局ほとんどをグループの意見でまとめる事にしました。
34の図は先生にもらった資料の何倍も分かりやすかったです。
プラトン自体の意図はどうあれ、この比喩が印象的なのは、
「知恵の悲しみ」みたいなものを象徴的に語っているからだと思う。
――現実認識が全体的に歪められている環境(例えば北朝鮮)から出て、
自分のこれまでの認識が根本的に間違いだったと気づいてしまった者が、
元の環境に戻ったとき、相手に真実を伝える言葉が無いことを発見する――
何かでそういう経験をしたことがあれば、
洞窟の比喩は切実な実感として理解できるはずだ。
キースの『アルジャーノンに花束を』は、
そういう「知恵の悲しみ」を主題として語った小説だが、
この洞窟の章から抜き出した一節を冒頭に掲げている。
適切な引用であるという以上に、『アルジャーノンに花束を』自体が、
洞窟の比喩をパラフレーズした内容になっているように思う。
38 :
考える名無しさん:01/11/12 22:28
我々の多くが、本当の意味の賢者からみれば、
洞窟の住人であろうことは想像に難くない。
すると、最善の道を選ぼうとするならば、
我々の理解の及ばぬ
賢者の考えを信頼して委ねるということをせざるをえないわけで、
それを容認できるかどうか。
ここには、賢者と、それを騙る者を見分ける術がないという
問題もあるわけだが・・・。
あるいは、愚かである自由というものが、
民主主義の本質なのか。
レポートの発表は水曜日です。
これは発表が成功したか否かをこのスレで報告した方がよろしいのでしょうか?
失敗しそうです。
今日みんなで集まって最終確認をしましたがグダグダです。
間違えた。昨日ね。
やっぱりグダグダになってしまいました。(恥)
このスレはもう必要ないですね。思う存分sageてください。
>LS
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* Λ_Λ *
* ( ´∀` ) *
* ばかやろー *
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