1 :
考える名無しさん:
哲学板的に批評してみましょう。
なお、コヴァ板には「戦争論2」関連スレッドが腐るほどある。
その中でも比較的長寿なものを
>>2に挙げておきました。
2 :
考える名無しさん:01/11/06 14:27
3 :
考える名無しさん:01/11/06 14:27
クソスレ立てんなヴォケーーーーー!!!
ゴミはあかんよ
やっぱりこういうものもしっかり批評すべきだと思う。
確かにレベルは低いが、傾倒している人間が存在するのもまた事実です。
なぜ小林に傾倒するのか、傾倒する人間に言葉を投げかけるとすれば、
一体どんな言葉が可能なのか、そういったことは十分考察に値するのではないか。
これまでの小室直樹や渡部昇一や谷沢永一をさらに、噛み砕いて
わかりやすーくした感じだから、「諸君!」漫画版みたいで頭悪そうsage
あの独特の語法とか、気持ち悪いですよね。
自分を疑うということを知らんのかね。
でもああいうのに関わるほうが状況を悪くすると思います。
頭の悪い原理主義の見本みたいなもんでしょ。
一定のバカ層はほっときましょう。
社会に出るとあいつらも分かりますよ。
あの程度のロマンと理論が資本主義とカネの正義に通用すると思ってんのか。
8 :
「酸」と関係ないのになぜ「酸素」?:01/11/06 15:32
>>7 貴方、色んなスレにsageと書いてレスしてるね。
嫌がらせなの、それともHNが「sage」なの?
もし知らないならメール欄にsageと入れて下さいね。
馬鹿に見えるよ。
10 :
考える名無しさん:01/11/06 16:36
こばさんはともかく、レッテル貼り合戦の不毛さときたら。
なんなんだあいつらは?空しくならんのか?
11 :
考える名無しさん:01/11/06 17:09
よしりん信者ってまじヘボ
とにかく他の政治系作家とかのBBS荒らし過ぎ
「天才をヴァカ呼ばわりしやがって」
とスガに言った女性スタッフと一緒
まあよしりん信者がヘボいのはその通りなんだけど、
特徴的なのは彼らが言葉に酔ってるのではないかという点です。
それは
>>2で挙げたスレを読むだけでも(読むのも面倒だが)よく分かる。
彼らの言葉に対する劣等意識がそうさせているのだろうか。
13 :
考える名無しさん:01/11/06 17:37
分かりやすい言葉とか絵を使ってるってのが
影響を与えやすい理由でしょうな。
あと、ヨシリンも一種の荒らしと考えて放置っていうのも俺的にはありかと。
14 :
考える名無しさん:01/11/06 17:53
小林の一連の著作は、結局サブカルチュアの域を出ない。
15 :
考える名無しさん:01/11/06 18:09
哲板で相手にしないのはもっともだが
大衆には影響力あるわけでしょ
結局多数決だからね
16 :
考える名無しさん:01/11/06 19:23
哲板的に見て高橋哲哉の反論はどーなのよ
彰には講壇的すぎるとか言われてたけどさ
あのさ、全共闘世代ってあったじゃん、昔。
当時の彼らの様な精神構造の人間って、少なくなってきてるとは思うんだけど
未だにチラホラとは存在しちゃう訳、解る?
思慮は浅いんだけど、社会に物申す気持ちだけはギンギンな感じっつー感じ
んで、そーゆー人間が小林にハメられる訳ジャン。
ホント、情けない奴等だよね。
でもさ、そーゆーさ全共闘的な人間ってさ、現状では完全抹消することは不可能ジャン。
彼らだって、人間存在の根本的苦悩を源泉として生きる理由を求めていて
僕らは、彼らに対して満足のいく答えを用意できてる訳じゃ無いよね。
彼らを僕らと同一のレベルの認識まで引き上げるっつーのも、かなり困難だよね。
でさ、俺が言いたいのは、小林はさ確信犯ってゆーことなんだよ。
小林本人信じていない思想供給して、全共闘的な人間をハメてお祭りをやっちゃう。
んで、最終的には、薬害エイズの時みたいに冷や水ぶっかけて日常に戻れと諭すんだよ。
昔、全共闘が盛大な政治ごっこやって、最後、機動隊に鎮圧されたみたいにね。
全共闘が祭りの後で一生懸命仕事に打ち込んだ様に
現代の全共闘的な人間にも昇華してもらって、後は一生懸命働いてくれよって
そういう事を小林は狙ってるんだと思うんだよ、俺は。
つー訳でさ、小林にハマる奴等は、カルトとか共産党とかにハマるよか
全然俺的にはオッケーだから、放置しといて良いジャンって思うんだけど、どうよ?
うん放置。読んでもいないし、興味もない。
19 :
考える名無しさん:01/11/06 20:08
>>17 小林の意図がわかることを前提にして書いているけど、
意図をどう理解しているのかが、書いてない。あと、意図がどの方向に
働いているのか、書いていない。
あと、ハマるやつらの実数を問題にしていないのがおかしい。
オウムの一連の事件の渦中、しっかりオウム批判を行った小林よしのりは
十分、知識人としての責任を果たしたと思う。
他の凡百の知識人どもは警察が強制捜査にふみきってから急にわめき出した。
言論にたずさわる者としてどちらの態度が優等であるかは一目瞭然だ。
21 :
ホームラン松井:01/11/06 20:30
>>19 小林の意図を俺がどう理解しているか?
答え:いいんじゃない、オモロイよ。
小林の意図をコヴァがどう理解しているか?
答え:多分、小林の意図というもの自体、深く考えたことがない。
小林の意図がどの方向に働いているか?
答え:社会において、何がどの様な方向に働くかという事は、不可知。
現状分析という意味での問いなら、俺は答られる程に分析していない。
ハマる奴等の実数を問題にしないのは何故?
答え:例えば、俺は小林の本購入しているけど、コヴァではない。
俺には、実際にどの程度の人間が本気で小林にハマっているのか解らない。
そもそも、小林の意図を知っているかの様なことを何故書くのか?
答え:小林の漫画や本を読んだ限りにおける推論を提示している。
俺の小林解釈の参考になってるウェブページ。
http://www.netcity.or.jp/OTAKU/okada/library/books/mazime/No1.html
22 :
ホームラン松井:01/11/06 20:41
「戦争論」を最後まで読む気がしなかった。
途中でアホらしくなったからだが、
140ページ〜150ページ辺り(?)に、こう書いてあった。
「動機」がどうあれ、「結果」良ければそれでよし。
これは、
「日本は侵略戦争をした」という反論に答える形で書かれていた。
つまり、小林としては、
1)動機(=侵略)は不純だった(のは認める)。
2)しかし、アジアの国はそれで助かった。
(=独立やインフラ整備のきっかけになった)
と言いたかったのだろう。
だいたい、
戦争を、倫理的な問題として扱うなら、
「動機」の問題を扱わないことに何の意味があるのか。
食っていた飯が吹き出た。
それに、
「結果」についても見事に歪曲されている。
要するに、
論理の「ろ」の字もない。
そんなホンに、タイトルとして「論」をつけてしまった。
珍妙としか言いようがない。
「戦争論2」では、その辺りどうなっているのだろうか。
他人事ながら心配だ。
いや、「日本人は頭が極端に悪い」と思われたくないから、
自分事ながら心配だ。
24 :
考える名無しさん:01/11/06 21:54
しかし、偉そうに言っても俺に小林並みの生産力はあるだろうか。
恐らく無い。そして君たちにも無いはずだ。
>>24 生産力(量)は、言説の妥当性を保証するか?
いや、しない。
証拠は?
「戦争論」。
ウヨサヨ厨房を呼び寄せるだけだから、やめたほーが良いかと思うよ。
>>23 君の心配は杞憂だ。
極端に頭が悪いのは君を含む少数のヲタだけなのだから。
>>26 右翼、左翼でいけば、
俺もどちらかに分類され得るので、
あまり意味がない心配だと思っている。
「無茶苦茶なやつが集まる」と言いたいのだろうが。
(邪魔してしまったかな)
>>26 禿同
―――――――――――fin―――――――――――
>.27
なるほど。
君の文には論証(反証)がないが、
それはできないからなのか?
できれば、ぜひ、聞いてみたい。
31 :
考える名無しさん:01/11/06 22:53
>27,30 はいはい政治板でやってね
32 :
考える名無しさん:01/11/06 23:50
おいthink、スレ途中で止まったからってまだここで彷徨いてんのか?
その目障りなコテハン名と一緒に消えろ。即、消えろ。
33 :
考える名無しさん:01/11/07 00:18
哲学板では「右翼」はほとんど禁句状態になってるからな
think気にするな。
左翼も願いsage
35 :
考える名無しさん:01/11/07 00:25
逆にニュー速では左翼は禁句
>>32 「消えろ」
と言われれば、ますます消えたくなくなるという性分だ。
ただし、君が何を望んでいるのかは、分かる。
しかし、なぜそう望んでいるのかが、分からない。
人間は、幸か不幸か、論理というものを持っている。
「aだから、bだ」という具合に。
ところが、君の文には「aだから」に当たるものが見当たらない。
論理が苦手だからか?
犬や猫が怒っているのは見分けられるが、その理由を分からない時がある。
>>33 ありがとう。
それはそうとして、
例えば
>>23などにきちんと反論できない、
というのが(右)「翼」なのか…、との感慨を持った。
うんこくさいスレだな
38 :
考える名無しさん:01/11/07 22:35
それは、thinkがうんこだからだよ!
コヴァの場合は哲学がうんぬん言う以前に、いわゆるひとつの依存症、
病気の一種だと思うね。多分内容なんかどうでもいいんだよ。
コヴァは小林やウヨ知識人、ウヨメディアの言うことをとことん肯定するけど
それは同時に彼らが自分自身を肯定してくれていると錯覚しているんだろうね。
コヴァは彼らのの言っていることを自分自身が考えていたものだと思い込んで
いるんだとおもうよ。
40 :
考える名無しさん:01/11/07 23:51
いつも思うんだが、thinkはこの掲示板を純然たる議論の場と考えてるのか?
大きな間違いだぞ。
それとな、お前みたいな旧態依然のロゴス人間が、この板では一番うざいのよ。
お前は、うんこ。
お前がいると全てがうんこ臭くなる。
それで十分なんだよ、猫のフンが(笑)
41 :
考える名無しさん:01/11/08 00:02
大学でディベ-トやってました-みたいな人なのかな
いつも思うんだが、煽りの人は
ハンドルつけて欲しい。
43 :
考える名無しさん:01/11/08 00:20
thinkはうんこというより下痢便
そして天皇もウンコ
たとえ議論であっても、2chには2chなりの議論の様式がある。
あくまでも自分を貫き通したいのなら2chじゃなくてMLあたりで議論すれば良い。
46 :
考える名無しさん:01/11/08 01:07
47 :
考える名無しさん:01/11/08 02:50
>>40 ロゴス中心主義と言うだけで、脱構築は完了ですか?
ずいぶんとまあ、権威主義的な批判だね。
48 :
考える名無しさん:01/11/08 02:54
49 :
考える名無しさん:01/11/08 02:58
2の様式って誰が決めたんだ?
様式に縛られないのが2ちゃんの良さじゃないのか?
なんのかんの言って、
「think氏にシンパシー感じて言ってる訳では無い」
が正直な所に500ヨーダ
51 :
考える名無しさん:01/11/08 21:45
犬猫>>>>>>小林>>>>うんこ>>>>>猫のフン>>下痢便>think
ってことで良いですか?
嫌われたな、think。
>>40 臭覚で生きている君のために。
脱構築だのよりも、脱幼児性が君の急務だよ。
(幼児の興味はどこにある?)
論理の否定と脱構築が違うと、それから勉強しても遅くない。
君の興味の対象に合わせて言うならば、
味噌と「糞」を一緒にするな、ということかな。
それと、不思議なことがある。
君はなぜここに来るのか?
例えば、
>>23に反論するわけでもない。
ただただ、愚文を「垂れ流す」君を見ていれば、
反論しない(「議論の場ではない」)=反論できない=「認めるから、もうやめろ」
と受け取らざるを得ない。
幼児虐待の趣味は持ち合わせていないので、止めてあげてもよいが、
それよりも、君が見なければ済む話だ。
不思議は尽きない(笑)。
ところで、議論の様式(
>>45)とは一体何なのだ?
これも珍妙な言葉だ。
「もっと優しく小林を批判してくれ」ということなのか?
思うに、かの「戦争論(2)」を支持するのは、
君程度の者しかいないのか?
有効な反論が無ければ、もう何も言うことも無いが、どうだ?
何か高校生っぽいな、、、
55 :
考える名無しさん:01/11/09 07:47
>>53 反論するとかしないとかじゃなくて、ただ生理的に君を嫌ってるだけだと思うよ。
俺もあんたのレス読む気せんもん。
thinkさん。
べつになに書いてもいいけどさ、
ちゃんと可読性を損なわないような文章を書いてね。
これはマナーだよ。
57 :
考える名無しさん:01/11/09 13:41
小林ってただのリトル・ニーチェ主義者だよね?
なんか、いっつも「誇り! 誇り!」って言ってるし。
マルクス主義(サヨク)を批判しても、そのせいでニーチェに行ったらやっぱり意味ないと思うんだけど。
マルクス、ニーチェ両方をなんとかして克服しなきゃ。
58 :
考える名無しさん:01/11/09 14:00
>>57 くされ妄想を説明するのにわざわざニーチェを引き合いに出すな。
59 :
考える名無しさん:01/11/09 15:03
いや、だからリトルだと……。
小林の思想って哲学板の人には評判が悪いんだ。
じゃあやっぱりその反対の立場の人(小林を非難してる人)
例えば社民党とか久米とか築紫とかのほうがまともだと思う意見が大勢なのかな?
俺はどっちもどうかと思うけど。
61 :
考える名無しさん:01/11/09 15:32
>>55-56 君らの方が、マナーなってないよ。
あと、thinkの文は、了解可能だ。発言数で圧倒するしかできない
お子茶魔は、すっこんでいるのがよろしかろう。
62 :
考える名無しさん:01/11/09 15:33
そういう粗野な体制論はやめてくれ。
マナーなってないというのは、thinkが書いた文の内容にまったくふれていないという点。
64 :
考える名無しさん:01/11/09 15:46
>>60 そもそも社民党とか久米とか築紫なんて話題にもならないぞ。
65 :
考える名無しさん:01/11/09 15:49
62は60へのレスです。
スマソ
66 :
考える名無しさん:01/11/09 15:54
小林がくだらないなら その論理がくだらないのも コヴァがくだらないのも
どうでもいいだろが
それを<「日本人は頭が極端に悪い」と思われたくないから>と引き受けた上
それが、もし60のような議論に終始するなら ここの人たちが相手にしたくなくなるのわかるだろう?
その前提を疑ってから 話ししてくれる think
>ここの人たちたちが相手にしたくなくなるの
すいません。いっしょにしないで下さい。
あなたがthinkを相手にしないでどっか逝くのはご自由ですけど。
およびじゃない はい わかりました
69 :
考える名無しさん:01/11/09 19:07
>61
だから、thinkの文章は長いんだよ。
ここのスレだけのことを言ってるんじゃないんだよ。
>>69 長い文章だから悪いというのなら、本は全部クソということになるが?
アホかあんたは?
>>60 (他板の住人氏)
小林よしのりに反対する人間は、
君の言う「筑紫」「社民党」タイプに限らない。
所謂右翼の中にも「小林反対」はいるだろう。
大東亜共栄圏を真摯に受け止め、夢見た若者を考えてみよ。
試しに、
>>23を真性右翼の書いた文だとしても、どこもおかしくはない。
下から2行目などはナショナリズム剥き出しの表現とも取れる(笑)。
かように、小林を左右で論じても意味が無いのだよ。
ところが、当の小林本人も、「日中戦争反省=左派=欺瞞」という
思考停止状態なのだからどうしようもない。
左右でお手軽に論じようなどという心性が、だいたいにおいて卑しい。
結局、彼ができることは、
左右やヒロイズムといった周辺の事柄に目を向けさせることだけだった。
本質的な側面(例えば
>>23)には対処しきれない。
小林の漫画を、戦前の正義感溢れる青年将校に読ませてやりたいくらいだ。
左右という二分法は、
手頃なので小林が飛びつく気持ちは分かるが、
二分法は他にも幾らでもあることに気づくべきだ。
環境問題、人口爆発、大きな政府、天皇制、死刑廃止問題・・・・n
もし、ある人の思想を(無理にでも)類型化したいのなら、それは、
2のn乗通りのうちのどれか、ということにならざるを得ない。
「粗野な体制論」(
>>62氏)では、しょせん無理があるんだよ。
無理を承知で論じる物(者)には欺瞞を感じるのみだ。
thinkがんばれ
おめー、thinkだろ?
それとも誉め殺しか?
>70
いや、まあそうだけど、いちおう会話形式なんだからさ、
テンポってもんを大事にして欲しいのよ。それをマナーだって言ってるの。
おれ、そんな非常識なこと言ってる?
75 :
考える名無しさん:01/11/09 21:48
うんこも本だせばいいよ。
それならうんこの思想も世に出るよ!
うんこの直接民主制とか(w
>>74 テンポは、think氏にまとまった考えを述べさせないために確保されるんですよね。
あははのは。相変わらず内容無視で、結構滑稽コケッコーですね(笑
非常識かどうかは、場できまりますね。哲学板で71程度の文章は、
長いとはいわんでしょう。
>>75 そのときにうんこはうんこと呼ばれるんでしょかーーー?
>>74 字数はさほど多いとは思わんが。
俺の書く一行あたりの字数を参照されたし。
「テンポ」というより、「自説を押し付けるな」と言いたいのかな?
ならば、「自説を主張しないでどうするの?」と聞きたくなるが。
それとも「一行レス&アウトレインジ戦法」をやれば良いの?
君も難しい人間だな。
どうすりゃいいの?(笑)
「会話」といってもねえ。「会話」以前の問題だろう。
(俺が立てたスレでは会話はあったのだが、なぜかな)
まあ、お気に召さないのなら、この辺で切り上げようか?
君のような、
本論以外でしか活躍できない方々を相手にしていてもつまらない。
ところで、「マナー」と言うなら、
もっと守るべきマナーは他にあるような気がするが、
俺の錯覚かな(笑)。
>>75 元気そうで何よりだ。
なかなか知性を感じさせるタイトルだね。
でも、君の友人くらしか手に取ろうとしないのではないか?
78 :
考える名無しさん:01/11/09 22:43
実際、うんこの直接民主制は小林以上の嘲笑をもって迎えられると思うぞ。
糞スレ上げんなよ。
>>78 そりゃあそうだろう。
君が書く本なんだろう?
(君のお守りは、ここまでにするよ。早く一人立ちしなさい。)
81 :
考える名無しさん:01/11/09 22:51
78って本当にここの板の住人か?
82 :
考える名無しさん:01/11/09 22:55
>>80 何なの直接民主制って。
小林に関係してるのか?
83 :
考える名無しさん:01/11/09 22:56
thinkさんって何歳ですか?
御職業も良ければ教えて下さいな
84 :
考える名無しさん:01/11/09 22:56
85 :
考える名無しさん:01/11/09 22:59
確かにうんこくさい
私はもっと長い文章書いてました。
>>85 君が? あ、お守しちゃった。すまんthink。
88 :
考える名無しさん:01/11/09 23:07
>>87 君もえらく嫌われとったからなぁ
好い加減煽りを無視することを覚えてみては?
89 :
考える名無しさん:01/11/09 23:08
このスレに居るやつみんなうんこだろ?
俺もだが
無視した回数は、数えてんのかゴラァっちゅーねん。
基本的に煽りを無視しない理由も書いたっちゅーねん。
だいたい嫌われたところで、屁でもねえよ。へっ。
どうだ。次元が低くて、このスレのレベルにふさわしい発言だろ?
もともとくっさいうんこ垂れるやつばっかいてはるから、
わいが掃除係を時限で務めただけだっちゅーねん。んで、かわりにトイレ当番を
引き受ける、ボランティアが、たいそうなこといわんでも増えるかどうかが、
結局肝要なわけだが、そんなんは、もはや、わい以外の問題や。
>>89 実際こういううんこばっかやろ? 俺もだが。とか見え透いた予防線、
狙いのない予防線を張って発言するしかできへん、根性なしばかりや。
わいは、thinkの態度が、めずらしく率直なのが、気にいったんよ。
とうんこたれてみました。どうすか、解説の88さん。
↑あんまり面白くないね
というより、普段の君でいた方がよっぽど笑えるから、無理しなくていいよ
92 :
考える名無しさん:01/11/10 00:07
>>90 あんたは掃除屋というより唯のピエロ。
うんこより愛すべき存在だが。
93 :
考える名無しさん:01/11/10 00:13
あ、どうも、うんこに反応してくれてどうも。
>>91 笑ってくれて、どうも。笑うしか能がなくて、どうも。
>>92 はいはい。
>>93 お手軽だね。
95 :
ホームラン松井:01/11/10 01:54
戦争論2読んだので、感想をば。
冷戦崩壊後の世界の潮流として2つの流れがあって
一つは、フランシス・フクヤマが提唱するような歴史の終焉
即ち、世界が単一文明へと至る流れ。
もう一つは、アナコック・ハンチントンが認識しているような
異なる文明が棲み分け、競合しつつも共生する世界へと至る流れ。
ああ、小林よしのりは、後者の流れを支持しているんだな
と戦争論2を読んで感じました。
様々な層に日本国への愛国心を植え付ける為に
手を変え品を変え対象レベルに見合った切り口で
話題を振っていくやり口に、正直、感服しました。
言論で商売したい人は、色々と勉強になるからお勧めですよ。
96 :
あにょはせよー:01/11/10 02:00
もー コヴァ も うんこ も よしりん も もーいーよー
おなかいっぱいだよー
ごーせんも おーむそうどうがおわったあたりで終っているのに
おわってるんだったら もう ほんとだぞ ひとつのメディアがモノを伝えるのって寿命があるじゃない
せんそうろんにしろごーせんにしろ 人間にたとえると、70・80のお爺茶魔って所でしょ
よしりんって 評論家ならこのままでいいけど、表現者じゃないの漫画家って
ふむ 漫画で評論か なら表現者ではないので 逝ってよし
>>95 日本が何であるか、それさえ脆くてあいまいで、
ほとんどの国民が国家の理念さえ理解していないような現状で
愛国心だけあおるのは逆効果。
異なる文明が棲み分けなんて理想的な世界にはならない。
・・・おすすめなんてしないでほしい。
98 :
考える名無しさん:01/11/10 02:03
小林は症例として有意義だ。
99 :
Маршал Боголюбов:01/11/10 02:03
面白いから許してやりましょう
まともにお勉強した人から見れば
彼(教祖さま)は単なる道化だから
100 :
ホームラン松井:01/11/10 02:07
>>97 最終章で日本人的な神概念と天皇を持ち出して
国の支柱として、論じています。
小林よしのりが上手いのは、神概念を全面に押し出して
若者に拒否反応の起こりそうな天皇については
チロっと神概念のついでに刷り込ませるやり口で
論を展開させているところです。
この辺、勉強になります。
101 :
ホームラン松井:01/11/10 02:10
>>99 第六章あたりは、かなり面白いですよ。
ホントに。
>>100 もっと手口をここに書いておいてくれませんか? お願いします。
103 :
考える名無しさん:01/11/10 02:11
| ノ⌒) / 100ゲットォォォォォォォ〜
| ( / /
| || / _ ―――-
__ノ | | / -  ̄
| | || _ノ")
ヽ二二 ヽ -―- 、/ / ( /
_____/ /" ̄/ /ヽヽ_ / /
/ / _ / /___/ / -― 、
| |/ / ___/ ヽ
.\ヽ∠_____/゚ 。 _ \
.\\::::::::::::::::: \\. `ヽ \
.\\::::::::::::::::: \\ \ \
\\::::::::::::::::: \\ \
\\_:::::::::::_) ) \
ヽ-二二-―'
104 :
考える名無しさん:01/11/10 02:12
>>100 小林は、今さら、そのいわゆる「若者」に
日本人的な神と天皇の文化でできた国を作らせようとしてるの?
>>104 >様々な層に日本国への愛国心を*植え付ける為に*
>手を変え品を変え対象レベルに見合った切り口で
>話題を振っていく*やり口に*、正直、感服しました。
>*言論で商売したい人は*、色々と勉強になるからお勧めですよ。
よく読んだほうが、いいと思いますよ。
106 :
ホームラン松井:01/11/10 02:17
>>102 3年以上費やして製作しただけあって
本当に様々な手法を使っています。
愛国心に還元させる為の本であると理解して読めるなら
実際読んで、あの鮮やかで粘質な手口を自身で確認することをお勧めします。
>>105 小林の目的意識を聞いてんだよ
しかもべつにあおりじゃねえよ。
>>97 心情的にはまったく同意ですが、そういう風な態度をとらないで、
真剣に手法を聞いた方が、いいと思います。
>>107 そうですか。どうもすみませんでした。
>>106 わかりました。どうもありがとうございます。
110 :
ホームラン松井:01/11/10 02:22
>>106 ひとつ気になったんですが、どうなんでしょう、手法的に優れているというのは、
どういう方向に読者を向かわせそうなんでしょうか?
小林氏が、祭りを作って、つぶすことも含みとして残すというような、
効果にとどまる(語弊がありますが)んでしょうか?
それとも、本当に愛国心を強めてしまう方向に読者を向かわせかねないたぐいの
ものなのでしょうか?
112 :
ホームラン松井:01/11/10 02:30
>>111 実際どうなるかなんて人間には解りはしないのだから
状況の移り変わりに応じて、スタンスを採っていくという考えだと思います。
小林氏を中心として、祭りが起こること
それ自体が小林氏の目的で、それ以上のことについては
シラネーヨ、ということだと思います。
113 :
Маршал Боголюбов:01/11/10 02:30
>ホームラン松井氏
実はまだ読んでないので今度立ち読みします。
114 :
ホームラン松井:01/11/10 02:35
>72
多分、満足のいかない答え方だと思うんですが
実際のところ、僕はどちらか解らないし
なんとなく小林氏自身
>>112の様な感覚の気がします。
>>112 ああ、今岡田氏との対談を読んでいますが、この人は、確信犯ですね。
ろくでもない・・・。
小林氏の意図としては、別に小林氏に対して批判的であろうがなんだろうが、
とにかく小林氏が書くものに反応する中で、人がその向かっている方向とは
関係なく、一定のまとまりをみせ、そうした中で彼が志向としてもっている
あり方へ(宮台氏なんかが主張するのとは、違った方向へ)、
事態が収斂していくのを狙っているきらいが、ありますね。
単純に彼が言っていることがおかしいというだけでは、不十分だということは、
一応わかりました。ただ、依然としていっていることがおかしいというスタンスで
批判しておく必要性があることについては、think氏の踏んでいるやり方に
同意ですね。
>>114 いや、だいたい納得できました。そういう解釈も十分成り立つし、
そうした注意をしておくのは、本当に大事だと思います。
なんていうか、あとからわかる類の洞察ですね。
小林氏としては、とりあえず人を収斂させておけば、あとはその収斂している
人間たちに、ちょっとしたプロパガンダのひとつもかませば、
どうとでも人はなびく、その、なびかせることが、決定的に重要だと
悟っている俺は勝てる、みたいな乗りでものを考えているかもしれません。
あくまで推測ですけどね。もしこの推測があたっているなら、結構怖いですね。
117 :
ホームラン松井:01/11/10 02:43
>>115 この対談のときとは考え方が変わっているかもしれないし
この時の発言自体が、嘘っぱちという可能性もあるのですが
僕は、小林氏の本心はこの辺にあると踏んでいます。
後、もし小林氏が本当にこのスタンスならば
僕は支持します。
>>117 もちろんその可能性がある・・・というか、そもそもいい加減にものを
言っているだけ(思いつきを続ける力が強い、小説家のような能力)という
可能性もありますね。その中で、抱いている感慨が、
>>115-116のようなものだ
という感じでしょうか。
ところで、支持するんですか? そうなんですか・・・。
それはなぜか、聞かせてもらえませんか?
119 :
ホームラン松井:01/11/10 02:52
>>118 僕が思うに、柄谷氏も浅田氏も西部氏も
というより、80年代を乗り越えた言説で商売する方々全ては
本心ではああいう風に考えた上で、論を打ち出していると考えているからです。
>>119 私は、その商売を邪魔することを考えているわけなんです。
あの、この間までやってた、think氏のスレなんですけど。
>>119の言い分というのは、論を打ち出す側の話ですよね。
打ち出される側にとっては、どう思われますか?
あと、言説で商売する方達が、同じように考えているからといって、
そうしたスタンスを続けなければならない理由を答えたことには、
なりませんよね。その理由は、なんでしょうか。
本当は、私が個人的に見抜くべき話なのかもしれませんが、
良かったら教えてください。
121 :
ホームラン松井:01/11/10 03:06
>>120 哲学者達が誠実に「人間が論理的に至れる認識とは何か」
について考え抜いた結果として
「人間にはいかなる正確な認識にも至れないし、共有化もできない」
という結論を導き出したからです。
日本国の知的階層で以上のような認識が共有化されたのが(言い回しが矛盾してますが)
80年代であるということです。
>>121 親切なレスありがとうございます。
私は、そういう言説を聞くと、
「そのときに、認識に至れない社会的な条件(インフラの問題や、情報伝達の手続きに
関する技術の問題)が捨象されてはいないか、という疑問や、
「正確な認識を100とすれば、政治的な認識共有においては、40の認識でよく、
40の認識に至る工夫をすることくらいならできるというスタンスで、
再考できる問題ではないか、と、あがいてみたくなるのです。
たとえば、あのスレで紹介した、デモクラシーの論じ方の作者や、カーの
「危機の二十年」において示されているような態度に、共感するんです。
(まあ、カーの著書は、80年代以前ですから、話にならないのかもしれませんが)
カーの危機の二十年を読んで理解できる人間がどれくらいいるのか、と
突っ込まれると、正直現状では言葉を失う面がありますが、
それでは、じゃあなんであなた達は少しでもましな方向に、人々の認識を
発展させるやり方について研究しないのか、と問いたくなります。
「正確」「共有化」についての条件の設定が、実証的なされているか、
きちんと確かめたのか、また、変化は期待できないのか、という風に、
問いたくなります。
文章にまとまりがなくて、すみません。
124 :
ホームラン松井:01/11/10 03:39
>>122 現在では、答えは幾つか出ていて
学問の存在意義を有用性への還元とする。(何が有用性かという問題がありますが)
政治的決断として
全てが幻想だなんて言説が通る社会は崩壊するから
1崩壊しても大丈夫なように、人間に強度をもたせる。
2人の精神が安定していた時代に戻す。
という感じです。以上の様なものごとの見方が出来るなら
小林氏は2であると判断することも出来ます。
125 :
ホームラン松井:01/11/10 03:43
>>124 >学問の存在意義を有用性への還元とする。(何が有用性かという問題がありますが)
この一文は消去します。
>政治的決断として
は(政治的決断として)とかっこをつけて読んで下さい。
>>124 えーと、理解を前提とした、こなれた分類だなと思いますが・・・。
うーん・・・なんていうんでしょう。過程が捨象されているきらいがあると
思うんですが、どうでしょうか。
学問の存在意義を、有用性への還元とする、という理解の仕方には、賛成です。
ごく雑な言い方をすれば、私は、学問の存在意義を感ずる主体を増やすことが、
有用性への還元で、それが、学問の存在意義だと思っています。
また、自分もその「増やされる」中に常においておけることが、大切だと思って
います。
政治的決断については、私は1のラインを支持します。
ただ、1が宮台氏の言うような強度の話であるなら、それには反対です。
私は、認識が正しいかどうかとは別の問題として、説得性を競うことと、
判断力を鍛えることに、安定を見出したいと思っています。
あと、メディアは、それの使用が物理的に狭い範囲にとどまるが、
得られる認識上の刺激はそれなりに大きいという面があるので、そうした面を
もっと評価するのが重要ではないかと思ったりもしています。
小林氏が2である、というのは、一見そう見えなくもないのですが・・・。
そんなことはどうでもいい、単に人が収斂している状態であれば、その中で
何かがおこり、そのおこることが重要なんであって、それがどう表現されるかは、
まあ作家性=趣味の問題だ、という風に考えているようにも感じられます。
22のリンク先の文章を、完全に間に受けて理解すればですが・・・。
いずれにしても、私は機会があるなら、あがいてみたいと思ってます。
いまいちかみあってないみたいで、ごめんなさい。
いろいろレスありがとうございました。
あらら、学問の存在意義云々は、削除なんですね。
確かに、認識の共有化が正確にはできないという観点からいけば、
存在意義があるというのは、単に結果としていえるかどうかの問題で、
志向すべきものとして位置付けているように聞こえる「還元」という語を
当てるのは、整合的でない感じはしますね。
128 :
マスコミ板住人:01/11/10 04:04
戦争論ネタでウヨサヨの罵り合いになっていないというところはさすが哲学板って感じですかね。
だけど、なんか衒学的な雰囲気を醸し出してるだけの空理空論で端から見てて面白くないよ。
正直言って、オナニーを見せ付けられているようなやな気分。
政治的決断として、の部分は、私のなかでの「政治」イメージが、
そのへんの人や、日常性も視野にいれたものだったので、
たまたま()にくくられた読み方になっていた(る)と思います。
>>128 正直な感想ありがとうございます。そういう風に「見える」ことが正しいことは、
わたしは認めます。その点については、常にわきまえて話しているつもりです。
ですので、できるだけ気分を落ち着けて読んでもらえるとうれしいです。
131 :
ホームラン松井:01/11/10 04:11
>>126 >学問の存在意義を、有用性への還元とする、という理解の仕方には、賛成です。
実は、他の考え方もあるのですが、それに突っ込まれると
答えに窮するので、書きませんでした。すみません。
>いまいちかみあってないみたいで、ごめんなさい。
いえ、僕の力量不足です。
>過程が捨象されているきらいがある
と指摘されている通り、例えば僕とは反するスタンスの
学者と論争すれば、多分僕は負けます。
僕の力量は、その程度です。
>>131 率直なレスで、とても好きです。
こういう類のレスが、think氏のスレでも欲しかったです。
おそらくホームラン松井さんは、私の考えとは、反対であるような気が
しますが(117からして)、仮にそりがあわないとしても、そうした行きかたの
帰趨を話す中で、妥協を図れる方だと思いました。そういうあり方が、
私は最終的には求められるべきだと思っています。
あのスレで、私は戦争を好むような発言をする人を、かなり叩き、おかげで
かなり叩かれました。
ですが、わたしが反対したかったのは、正確に言えば、
戦争に反対したいとかいうことではなくて、
「意味を正確にわかれば、後悔しない選択をできるところを、
慣用的な意味、あいまいな意味に動かされていくことで、
おかしな行動をとる集団が形成されてしまうこと」に
反対したかったのです。もちろんこうした傾向を逆手にとってやることも
ひとつの方法ですが、私はそういうある意味裏切るようなことを、
したくないという気持ちがあります(甘いですけど)。
力量については、今話しているのは、私ですから、別に学者と対することなど、
一応は考慮にいれずに、堂々と話されればよいと思います。
私は、細かい知識には欠けているので、知識で押し切られれば、
文章を精密に、長くしなくてはいけなくなり、「読んでもらえない」ことで
負ける、という面があります。勉強しなくちゃいけないな、というのが、
正直なところです。
どうもありがとうございました。
>>132 >そういうあり方が、
>私は最終的には求められるべきだと思っています。
僕としては、本心としてはかように有りつつ
表面上は鋭く対立し、互いが研鑽するという形式を望みます。
てゆうか
>率直なレスで、とても好きです。
ていう風なキャラでもう一回チンポ太郎と論戦する為に
ホームラン松井っていうハンドル使ってた
阿修羅無限大落としなんだけど、俺。
あのキチガイ、年末まで来ねーとかふざけたこと抜かすから
俺も暫く消えるわ。
あほくさ。
>>133 うーん、さすがに阿修羅氏だとはわかりませんでしたが、
言われてみれば、議論の傾向は、以前したときと一緒ですね。
あなたは、私が誰か、わからないでしょうけど。私はスレ番HNしか
使ったこと無いため、印象に残りにくいので。
確かにあなたは、頭いいですけど・・・私はやっぱり納得できないですよ。
それだけ器用なら、(このスレの)ホームラン松井キャラで、
いろいろしゃべられる方が、いいと思うんですけど・・・。
チンポ太郎のスレでのホームラン松井の書き込みは、そんなにいいとは思いませんでした。
ところで、そんなにあほくさいですか? あと、仮にあほくさいとして、
(実際、人間がすることなんて、どんなにあがいたって、あほくさいことに
できてしまいますよ。病気治して、結局死ぬんですから)
それの、どこが悪いんでしょうか。
冒頭の5行のあり方は、賢いあり方ですよ。対立は人をあきさせませんから。
でも、あきにくい人間を増やして、のどかに生き、茶でもすすってるほうが、
私は好きです。
ん? あほくさいが、かかっているところが違うか・・・まあいいや。
眠いので、寝ます(頭悪い文だなぁ)。
チンポ太郎氏は、どっちかというと、阿修羅氏よりの(安易な言い方ですまそ)
考えをもっていそうですが。どうなんでしょう。1
136 :
阿修羅無限大落とし:01/11/10 05:05
>>134 なんだよ、荒らしでもしてくれたらオモロかったのに・・・
大体、俺はエンタテインメントの人間なんだから
使える言い回しとか思いついたらネタとしてストックするんだよ。
ここでの俺の書き込みは殆どクズみたいなもんなんだよ。
一番始めの頃は、ちょっともったいないことしたけど。
>そんなにあほくさいですか
こんな処で遊んでる俺があほくさいんだよ。
ヤバイんだよ、宇宙よりも。
大体俺は頭イイ奴に論破されたくて
此処に来たっつーのに、何で俺よりアホな奴が圧倒的に多いの?
理系板の内幾つかは、俺よりレベルの高い奴が一定数いるっつーのに。
只、常識を相対化して論を展開する能力のない奴等が多いから
その点では、哲板の方がマシだけど・・・
つーか、俺理系の知識の方が詳しいし、サブカルの知識はもっと詳しいし
なんで殆ど哲学の知識の無い俺が、コテンパンにやられないんだろう。
不思議でしょーがないよ。
137 :
阿修羅無限大落とし:01/11/10 05:12
>>135 多分そうだよ。
つーか、俺はシステムバイオロジーとか
そういうのに今関心があって、奴なら
哲学的な視点から高いレベルで論じ合えると思ったから
待ってたっつーのに・・・
(んで、論破して欲しかった)
ローカルなとこでシコシコやってねーで
でてこいや、チンポ太郎は!
ムカツクぜ。
138 :
阿修羅無限大落とし:01/11/10 05:16
よっしゃ!
俺もそろそろ消えるぜ。
落ちは次の奴に任したぜ!!
>>136 まだ寝てなかったんで、一言・・・
私は面白さ優先の人間ではないんですし、感情的に煽る人間ではないんですってば(笑
あと、面白さを大切にしてもいいけど、人に迷惑をかけるのはいかんです。
>そんなにあほくさいですか
>こんな処で遊んでる俺があほくさいんだよ。
>ヤバイんだよ、宇宙よりも。
わかってるなら、いいじゃないですか。条件として、午前5時に話していることを
含めなかったのがちと痛いですが。
あと、私は、論破すべきときはしますが、する必要が無い場合はしません。
それはアフォのすることです。そんな輩は、犬や悲しみにでも、食わせておけば
良いのです。
ところで、私についての評価は? アホってことでいいんですよね。
まあ、私はあなたよりアホでもいいですよ。良心的でさえあれば、別に
恥ずかしいことはありませんから。
理系の知識云々、哲学の知識云々については、コテンパンにする
基準みたいなもんが、哲学にないのが原因ですよ。
140 :
阿修羅無限大落とし:01/11/10 05:24
>>139 >私についての評価は?
知らん。
幾つだ?
アホじゃない。
25以上なら、頭は優れていない。
高校生以下なら、天才。
ギブ、落ち!
>>138 すまん、おちつけたの私で・・・。
>>137を見ると、どうしても、もったいない感じがします。
私の側を基本線にしとこうよ、阿修羅君、って感じが・・・。
>>140 25以上ではないです・・・。
高校生以下なわけないでしょ・・・。
昨日の二酉氏とのに引き続き、楽しかったですよ。
寝不足だけど・・・。これじゃ、常駐してるって叩かれるよ。
ああ・・・・鬱だ。
143 :
阿修羅無限大落とし:01/11/10 05:29
もういい、グダグダだよ。
この前のダウンタウン大運動会以下だよ。
知らん。もう知らん。
帰る。
>>143 なんかよくわからんけど、143見て笑ってしまったです。
・・・と、さりげなく落ちをつけてやるぜ。
145 :
Маршал Боголюбов:01/11/10 19:51
「戦争論2」半部読後
何か面白いことでも書いてるのかと思って読んでみたが、
彼の持論を繰り返すばかりで新ネタがなくてつまらない。
彼の言う「サヨク」の歴史を戦後から今まで概観している部分は、
新ネタといえばいえないことはないが、余りにも粗雑で読むに耐えない。
「サヨク」とは何か定義することなく話を進めているので、
「サヨク」と決めつけられた人から「俺はサヨクではない」と言われればそれまでだし、
彼なりに考えはしたのだろうが、ただ結論を羅列しているだけで、
読み手が満足できるような資料を提示していないように思われる。
仮に、出展を明らかにしながら緻密に話をすすめていたのであれば、
「サヨク」の歴史を概観した資料として、多少は役に立ったかもしれないが、
あのような書き方では一読してお終いなので立ち読みで足りる。
半分ほど読んで残りを読む気が失せたのだが、残りの部分に読むに足る価値はあるのだろうか。
良書を読む条件とは悪書を読まないことだ(ショーペンハウアー(だったと思う。多分。))
>>145 あれは漫画ですから・・・。どこまで緻密さを求めるかという問題ですね。
サヨクの定義は確か1で書いていたような気がします。
稲垣武みたいに「進歩的文化人」位に規定してくれれば分かりやすいと
思いますけどね。
147 :
考える名無しさん:01/11/10 20:08
あれじゃないのか、阿修羅が文筆活動に入るとかぬかしてた論争だろ?
あれは端から見てて、二人とも間抜けだったぞ。
阿修羅は煽ってる割には72のみみっちい反論に相手してたからなぁ。
148 :
Маршал Боголюбов:01/11/10 20:26
>日本男児さん
定義がありましたか。これは失態をお見せしました。失礼失礼。
所詮漫画でもそれを真に受ける馬鹿がいるから自己検閲が必要だ、というと、
話がわけのわからない方向に進むのでいいません。
ただ、漫画表現の制約を考慮に入れるとしても、
注書きと参考文献くらいはあってもいいと思いますが。
ネットで調べろというようなことは書いてましたが、
そんなに暇ではない人も多いのでは?
極右と極左以外は全部サヨクと言いたげでしたが、
そのような理解で正しいのかどうか。面倒だけど1から全部読むしかないかな。
149 :
考える名無しさん:01/11/10 21:21
>>148 戦争論1でも「サヨク」という語の緻密な定義はなされていませんよ。
彼の中では社会主義者=マルクス主義者であり、その信奉者が「左翼」、
そして「左翼」の影響を受けている大多数の日本人を「サヨク」としています。
このスレで誰かも指摘していましたが、
そのような安易な分類は、ある意味読者の一定の知的レベルを念頭に置いているからでしょう。
>>149 ちょいと1を見てみました。
彼の論理では、鬼畜米英から180度転換して反戦平和一色に硬直化した
空気に疑問を抱き、その理由として残存左翼がマスコミ等で暗躍しているためとし、
その空気につられて引きづられている人々全てをサヨクと定義しているようです。
「左翼」はマルクス主義の影響のある者。
「サヨク」は無意識に人権などの価値に引きずられ反権力・反国家・市民主義になる者。
という定義で、以後の論を進めています。
簡単に言えば、一文引用すると「要するに戦後民主主義はサヨクなのだ」
という定義にしています。
ここはかなりハイレベルな板のような気がするので、気恥ずかしいのですが、
別板で上げてみた私の感想をこちらの方に見てもらうことにします。
ソ連崩壊や中国その他の国の変容によっていえることは、共産主義って
人間考察が足りないところがあって失敗したところがあって、割と人間の
性に沿った自由主義が現在優勢で、日本もその一員になっている。
しかしながら、自由主義も万能じゃなくて、言論や思想、行動、結社について
自由を保障している分、際限なく自由が膨張し、害を及ぼすことも有り得る。
で、この自由の膨張を抑止するのに何が必要かというと常識、もしくは良識
って事になるんだけど、これについて何をベースに考えていけば良いかと考え
を進めていくと、色々あると思うのだけど、日本の場合、歴史の中で培ってきた
「常識」を照らし合わせることも一つの考えなのではないかと思う。
で、現実に照らし合わせると、そうした日本が培った「常識」の伝承が廃れてき
ている。その理由としてこの本で示すとおり、あまりにも過去の戦争を否定する余り、
その当時も内在していたであろう日本の良識までも失われつつある。
なので、視点を変え、先ずは過去の先人達に敬意を払う形で歴史を見つめ直し、
今まで存在していたはずの日本の脈々と存在している常識を再度見つめ直そう、
というのがこの本で一番にいいたかった事ではないかと思う。
もちろん、現在は昔と状況が違うのでそのまま当てはめることが出来ない事も
多いと思うけど、先ずは日本で培ってきた「常識」を再認識してみよう、という
提案なのだと思った。
日本は今、世相的に閉塞状態にあり、以前の道徳観では考えられないような
事件も多発している。だからこの提案はある程度説得力があると思うが、より
現在に即した形での道徳観の形成は、やはり過去を見つめ直すだけでは足り
ない気がする。そこをどう踏み込んでいくべきか、その方向性を提案してくれれ
ばもっと良かったのになーとは思った。
152 :
考える名無しさん:01/11/10 21:47
>彼の論理では、鬼畜米英から180度転換して反戦平和一色に硬直化した
>空気に疑問を抱き、その理由として残存左翼がマスコミ等で暗躍しているためとし、
>その空気につられて引きづられている人々全てをサヨクと定義しているようです。
占領史を少しでも真面目に勉強してれば、絶対そういう発想はできないと思うのだが。
確信犯的に空虚な陰謀論を仕立てようとしてるのだろうか。
153 :
Маршал Боголюбов:01/11/10 23:12
要するに「サヨク」=コヴァの敵?
よく分からんですが、彼の理想のコアを推測してみました。
>共同体が基本的な単位であり、価値の源である。
>個人は、共同体に従属し、共同体と対等・独立の関係にない。
>個人と共同体の関係を「公」という。
>個人と個人の関係であって、共同体と関係しないものを「私」という。
>「公」の領域で共同体と個人の利益が衝突した場合、個人の利益は制限されるべきだ。
彼の心の中でどの程度整理されてるかは知りませんが、こんなところではないでしょうか。
理論的には「先祖(英霊)に敬意を払え」云々と彼の思想のコアは関係ないでしょう。
目を向けるのが過去ではなく未来であれば、ナチズムですから。
154 :
考える名無しさん:01/11/11 00:28
スレと関係ないかなあ
たとえば、三島由紀夫とその他のやつとのちがいは何?
なんであんなに頭のいい人が文化と天皇の再建をあそこまで意識したの?
優しい人だったから?
自分のアイデンティティーになっちゃってたから?
155 :
考える名無しさん:01/11/11 00:52
問題は日本の中心が空虚(天皇制)だという意識に耐えられるかどうか
だと思う。
小林に傾倒する人たちはたいてい自分の中に、あるいは身近なものに
アイデンティを見出せず、かつそのことに不安を抱いている人たち
なんだと思う。
(傾くという意味では、右であろうと左であろうと同じなんだけど)。
そういう人たちは一度「日本国憲法」を読んでみるといいと思う。
そこには、まだ読まれていない余地、これからの実現課題としての
可能性がたくさん残っている。とくに前文や人権についての章などは
読む人によっては感動するくらいだよ。
なんといってもそれは理念の実現としてあるのだから。
憲法は、自分の拠り所にするには十分過ぎるほどのテキストだと思うよ。
最後に。
実現することが困難であるがゆえに、人生の目標であり、生きがいたりえる
指標をあたえてくれるニーチエの言葉。
「自分自身であれ」
156 :
Маршал Боголюбов:01/11/11 02:19
敢えて何とは言わないが、何かないと耐えられないのかな。感覚或いは神経の問題か。
多分、日本がシナ人に占領されたらレジスタンスに身を投じる連中も多いだろう。
パキスタンでアフガニスタンの同胞に加勢したい連中が多いところから容易に想像できる。
天王星云々はコヴァの言うサヨクに毒された人が思わず口にする言葉ではないかな。
知ってか知らずかエリア88で看破しているように、愛国はイデオロギーの問題ではないと思われる。
実家にミサイルが振ってきたら竹やりででも迎撃したいのが人情ではないか。
一応法学マスターとして(単に批判の余地を若干封するために)言わせてもらえば、
日本国憲法はどうしようもない悪文で読むに耐えないとわたしは思う。
マッカーサーの思い付きを和訳しただけだから仕方がないのだが。
155氏の神経は幸運なことに憲法と合致したからそう言えるのであろうが、
無論、それが善いか悪いかは別問題として、理論的に言えば、
憲法は、結局のところ、少なくとも国家の権能と国政の目標を宣旨したものであり、
個人の道徳的指標としての意味を持ちうるかどうかはその人個人の問題であって、
憲法の宣伝も反対派から見れば「何だこのヤロー」以外の何者でもないことは肝に銘じておくべきだろう。
155氏には「あなた自身とは何ぞや」と問いたいものだが。
>>155 よくあんな押し付け憲法を拠り所にできますなぁ・・・。凄まじい奴隷根性・・。
江藤淳なんかを読めばいかにGHQの検閲が日本人の精神を蝕んでいったかを理解できると思うよ。
でも、まぁ確かに、すべてを共産主義者やサヨクや日教組のせいにするのは暴論ですな。
そういういいかげんで乱暴な部分はいただけないけど、俺は小林よしのりってなかなかの人物だと思うよ。
158 :
Маршал Боголюбов:01/11/11 04:59
コヴァがそうなら猪木だって
159 :
考える名無しさん:01/11/11 05:44
小林に話を戻したいのですけど、いいですか?
小林の考えにも流れがあって、はじめから右的な性向を備えていたわけではなく、
彼自身言っているように昔は朝日新聞的な意見も何の疑問も抱かず受け入れていたと
言います。
それがだんだん保守化していったのは、彼自身が対峙してきたオウム問題や薬害エイズ
事件などが深く関係しています。155氏も述べているように、アイデンティティを失った
若者が宗教に走ったり、官僚が利益優先のために腐敗したりするのはいったい何が原因か。
何が悪いのかと突き詰めていくうちに、戦後民主主義の害悪という考えに至ったのです。
確かに単純といえば単純なんです。マルクスと社会民主主義を安易に結びつけたり、とにかく
粗雑な断定ばかりで、thinkさんが言うように、およそ論と言うのには程遠いものです。
しかしそれでも受け入れられてしまうのは、粗雑で分かりやすいからばかりではないでしょう。
やはりそこには「世直し」の精神が色濃く反映しているからです。僕は小林現象を考える際には、
この「世直しの精神」がけっこう重要だと思うのですが。
160 :
考える名無しさん:01/11/11 05:56
>>155 馬鹿丸出し。
ネタとしか思えん。
こいつは現実すら理解できん阿呆だ。
多分1は小林が嫌いなんだろうが、
その意識しまくりの姿も気持が悪い。
良く言っても同類だ。
こんなところまでに小林スレ立てるなよ。不愉快。
小林より上に立つと、知的エリートぶれるのも滑稽な
話。
Λ_Λ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
( ・∀・)< 知的エリートの勉強の邪魔だから、静かにしててくれない?
_φ___⊂)__ \_______________
/旦/三/ /|
| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| |
|愛媛みかん|/
163 :
考える名無しさん:01/11/11 08:08
そういえば、「現実」っていうのもコヴァ厨の口癖だね。
「おまえらは現実がみえてない」
「現実が理解できてない」
これって、教祖様もよく言うことなの?
あ〜やっぱり厨房同士の言い合いに。。。
おまえらどっかいけよ(ウンザリ
166 :
考える名無しさん:01/11/11 14:30
>>164 レッテル貼りしてる時点でほとんど負けを認めたようなものだよ。
小林が嫌いな人の主張って、何故小林がこれだけ大勢から支持されるかを理解できてないから、
大概悪口で終始するんだよね。基本的なスタンスが小林憎しでは、目が曇って何も見えてこないよ。
いっぺんそういうフィルターを外して素直に読んでみなされ。
所詮漫画家と言うけれど、彼はたかが漫画家の割にはすごく勉強してるし、何よりも真実に対して
誠実であろうという姿勢がいい。
>>166 「コヴァ厨」というのは、
意見そのものの内容よりも、行動パターンを問題にしているんだよ。
思想の内容だけで、こんなレッテル張りのようなことはしない。
相手の言うことにまったく聞く耳をもたない連中がやたらいろんな板で暴れてる、
言動パターンが似てるなあと思ったらコヴァ厨だ。
意見の内容が問題なのではなく、板やスレの議論の流れを破壊して、
恬として恥じないその横暴さが嫌われているということが
なぜわからないのか?
それほど、小林よしのりの主張が立派なものならば、
それを信奉する連中が、そろいもそろって、議論の基本的なマナーも守れない
厨房行動をとるのはどういうわけだ?
小林よしのりがそれほど立派で、多くの人が読むべきだと考えるのなら、
まず、自分達の行動を糺すことから始めたらどうだ。
168 :
考える名無しさん:01/11/11 16:26
>>160 お前の現実「観」はおれの現実「観」と違う。
ただし、おれの方はそれが「観」に過ぎないということを
知っているだけアドバンテージだろうということ。
169 :
考える名無しさん:01/11/11 16:42
例えば157のように
「日本国憲法=押し付け」で「支持する奴は奴隷的」みたいに結論づけてしまってる
「コヴァ」が多すぎると思う。
憲法の問題については様々な観点から議論がなされているのに。
170 :
考える名無しさん:01/11/11 16:46
いきなりごめん コヴァって何?
誰か教えて。
171 :
考える名無しさん:01/11/11 19:31
小林よしのり信者のことでしょ?
>>171 ありがと。
(155と169読んだらちょっと混乱した)
じゃあ、小林はたとえば
憲法も自分らで、とかそういうことも言ってるの?
ところでテロについて書いた第1章はどうよ?
174 :
考える名無しさん:01/11/11 21:53
>憲法の宣伝も反対派から見れば「何だこのヤロー」以外の何者でもないことは肝に銘じておくべきだろう。
ここで、憲法の「宣伝」という表現を使うところ、
憲法支持側だけについて「何だこのヤロー」としか述べないところ、
(憲法の支持も不支持も、と述べなければ、あなたの言っていることは論理的でない)
155氏についても当然いえるけど、あなたにも明らかに言えることだよ。
>愛国はイデオロギーの問題ではないと思われる。
>実家にミサイルが振ってきたら竹やりででも迎撃したいのが人情ではないか。
竹やりで迎撃しても無駄だと思うのが人情だと思うが。
あと、国は実家じゃない。国の中にある文化風土を愛することと、
制度的・権力的側面を含む「国」を愛することは、実家を愛することとは違う。
また、日本国だけが実家になるのはなんでだ、ともいえる。
156もイデオロギー。
155氏についても当然いえるけど、あなたにも明らかに言えることだよ。
「肝に銘じておくべきだろう」と。
↑二行目を追加。
174は、
>>155-156へのレス。
小林=近代的民族主義者、という解釈でいいなら、
国民国家(ネーションステート)単位の民族という概念は、言うまでもなく産業
革命以後の近代国家を前提としている。たかだか200年あまりの歴史しかない産
業システムだ。このシステムは「内」に対しては同一の租税、社会福祉、教育、
徴兵制などを持ち、「外」に対しては軍事的主権、保護主義などを持つ。人口は
数千万から1億程度のシステムだ。すなわち、歴史の中で特化した一時代の形態
でしかない。日本では明治以前には「日本人」というナショナリズムは限定的に
しか存在しなかったことを考えればいい。
要するに小林のノスタルジックな民族主義を相対化するには、彼が拠って立つ
国民国家を相対化すればいいのでは?
これには、国政政治学が役に立つ。すなわち
(1)EUなどの汎国家主義、経済ブロックの出現
(2)国連を始めとする集団的安全保障の熟成
(3)先進国での行政システムの地方分権化
このように各レベルで国民国家はその役割が絶対的なものから相対的なものへと
変じつつある。
そして、最も決定的なものは、「ネット社会」の出現だ。つまり、これまで国家
が国民に対して保ってきた「情報」の優位性がが、ネットによって崩されつつあ
ることだ。
これによって小林が依存する民族主義=近代的な国民国家を前提にしたイデオロ
ギーは「緩やかなな死」を迎えつつあるのではないだろうか?
彼も言葉を持たないネットという「技術」が最大の敵だとは気付いていないだろう。
・・・てのは、どう?
177 :
考える名無しさん:01/11/12 10:57
小林の最大の欠陥は自分が気に入る物語を信じることでしかニヒリズムを克服でき
ないってことだよね。
つまり価値の多様性を容認できない自閉的なおたくってこと。
だから あんな自己顕示欲丸出しのマンガになっちゃうわけよ。
アイデンティティが代替可能なんてのは近代成熟社会では常識だし 日本という
一つの国家しか愛せない小林は実にプレモダン的だよね。
178 :
考える名無しさん:01/11/12 12:50
>>176 なるほど。
国家の特質としての「情報」の優位性か。
ていうかイデオロギーが「緩やかなな死」を迎えつつあることを小林は肌で感じているからこそ、
ナショナリズム=民族主義=近代的な国民国家を前提にしたイデオロギーを守ろうとしているだろうね。
しかし彼が見誤っているのは、その「緩やかなな死」が、
マルクス主義、そして左翼(およびサヨク)の言説によってもたらされた、と捉えている点である。
執拗に左翼やサヨクの欺瞞を暴き出すことに躍起になっているが、
実は本当の敵はそんなところにはいないのかもね。
179 :
考える名無しさん:01/11/12 12:51
>>173 東浩紀の言っていることと殆どかぶってた。
180 :
考える名無しさん:01/11/12 20:21
小林見てると何かウェーバーを思い出すなあ。
ウェーバーも、左翼、右翼どっちに対しても警戒しつつ、
官僚制化(閉塞感)に危機感を抱きつつ、安易に「体験」に走る若者に危機感を抱きつつ、
「日常へ帰れ!」と呼びかけた。
戦争においては勝敗によって道義上の決着は着いている、と述べて、
いつまでも謝罪を唱えるドイツ人を軽蔑し、
「我々は何のために国民国家となることを選択したのか?」と問いかけて
国家の擁護にまわった。
前回は負けたが次の戦争は勝たなくてはいかん、みたいなことも言ってた。
さもないと、強国(アメリカ等)などによって欲しいままに世界は分割される、
弱小国の権利を自分の手で守りたいと思うなら、
奴らに対抗できるだけの力を俺たちはつけないかん、と。
驚くほど主張内容や姿勢が似ている。
ウェーバー読んだ俺としては、小林はとりたてて珍しいことを
述べているようには思えないし、自由主義とさほど主張は食い違わんように思える。
181 :
考える名無しさん:01/11/12 20:58
どうやらthink,しばらく来ないところをみると、ここに愛想を尽かしたか。
182 :
考える名無しさん:01/11/12 22:06
>>180 100年前の人間と認識が全く変わってないのは問題でわ?
183 :
Маршал Боголюбов:01/11/12 22:15
この数千年変わっていないよ
184 :
考える名無しさん:01/11/12 22:50
>>182-183 個々の具体的な人間を、経済学におけるそれのように、
簡単に捨象して語ることには、それなりの注意をはらわなくてはいけないよ。
>>180 建前としての自由主義という主張というくくりで、まとめあげて、
そのなかで具体的になされている表現に意を払わないのは、
安易な読み方じゃないですか?
あと、擁護される国家の実体はある人間関係でしょう。それって、
自由主義の枠組みの中における、一定の政治的主張でしょう。
それが自由主義からの主張からのように説くのは、明らかにおかしいです。
また、現在の先進各国に関しては、武力により分割するのなんのという話が
そう簡単に通るような状況ではなくなっているでしょう。
現にある状況を無視して、過去になされた主張をそのまま援用するのは、
好ましいやり方ではないです。
それって、=国家の擁護って、
186 :
Маршал Боголюбов:01/11/12 22:54
>184
文学です。
「古い薪を新しい火にくべる」という。
アニメ学の場合は500年なので数字が合わない。
お分かりか?
>>186 分かりません。「人間」の範疇は、(公表された)文学(者)に
限定されるものではないと思いますが・・・。
188 :
考える名無しさん:01/11/12 23:15
>よくあんな押し付け憲法を拠り所にできますなぁ・・・。凄まじい奴隷根性・・。
押し付けられている、というのなら、法律は日本人同士で押し付けてるものだろ。
188だと不十分なので追加。
0 押し付けられているといえるかの根拠が疑わしい
(法律を押し付けられたという国民はいない。勝手に変な法律を決めたと
いう人間はいくらでもいるが。)
1 押し付けられているということからは、奴隷的などの評価は出てこない
さらに追加。各国の言語も押し付けられたものだ。
押し付けた(強制的に付与された)=悪い、は間違い。
押し付ける、という語に悪いというニュアンスがあるなら、そのような語を
支える「日本語の思想」が押し付けがましい。
192 :
Маршал Боголюбов:01/11/12 23:24
>184
つまり、意味よりも形式に着目してペダンチックに一言、ということです。
一言で言うと戯れにあたりますのでご容赦を。
なお、貴方のおっしゃることは正当であるとわたしも考えております。
193 :
考える名無しさん:01/11/13 00:21
>184
180だ。俺は小林を擁護というより、小林がどうこうとかいうことに話が留まって、
話が(このスレの、ではないよ)全然深まっていかないことを懸念している。
指摘のとおり、ウェーバーの述べたことは、自由主義からの、ではない。
だからと言って、ウェーバーは自由主義者じゃない、ということにはならないのも
ご指摘のとおり。
ウェーバーは明らかに多元的価値の共存、個人の自立を目指していた。
しかし、彼にとって、多元的価値の共存と国家の擁護は矛盾するものではなかった。
むろん、矛盾しないのは時代状況や文脈にもよるが。
俺は小林の主張はウェーバーからさほど遠くない、と思っている。
小林が述べているのは、国家に準拠しろ、というよりは、
何故に不思議なことに日本という国だけが所与としてすっぽりと
選択候補から外される?ということだろう。
そして、日本の事情からすれば、特に現在の国家でやっていくことに
それほど不都合な事情は無い、という主張だと理解している。
だから、じゃあ、現在の国家でやってくことを選択しようぜ、と。
やるんならきっちり自分の国なんだから責任持てよ、と。
「何故我々は国民国家となることを選択したのか?歴史に責任を持て」
というのはウェーバーの主張だが、たいして食い違わんと思う。
こう言うことで俺が言いたいのは、こういう風にウェーバーに引き付けて理解すれば、
それほど悪魔的というほどでもないとも考えられるわけだから、
ここは相手を黙らせようとか、危険な傾向だとか見なすよりは、
きちんとした討論相手とみなして、きっちりお互いの主張を深め合う
論争を学者とか知識人とかしてくれ、ということ。
はっきり言って、今ものすごい抑圧的だと思うぞ、日本の言説空間。
俺の意見は、「この機会を逃すな!」ということ。
小林はまがりなりにもタブーに踏み込んで、空気を柔らかくした。
今大切なのは、この機会を逃さず、この国にも活発な論争の伝統を根付かせること。
人々はそれが何であれ、自分の意見を持ち始めている。そして自主的に話をしたがってる。
こんなことは安保闘争以来無かった。絶好の機会なんだよ、今は。
考えてみてくれ。今起こってることは、西洋からスキーマを借りてきて、
日本に当てはめて問題を考える、という従来のようなものじゃない。
はじめて日本発の固有の問題で日本が揉めようとしている。
なのに、せっかくやる気を持ち始めた人々が言説空間に入ろうとすると、
ラッテルを貼り付けられ、人格攻撃の嵐を受け、傷つく。
もっとも最悪な事態は「こんな思いをするならもう何も言いたくない」と
人々が思っちゃうことだ。それだけは避けなくてはいけない。
そんなことをすれば、元の木阿弥だ。
今大切なのは、この火を絶やさぬことだと思う。多少延焼してそこらに
火がついても、そのくらい我慢しなくちゃいけない。
うまく言えんがそういうことだ。人々のやる気を消すな、ということ。長くてすまん。
>ウェーバーは明らかに多元的価値の共存、個人の自立を目指していた。
このような観念論にひきつけた解釈がウェーバーが現代思想に通用しない
最大の原因だと思う。而して、小林も同じ。
個人の自立?多元主義? これを単にモラル(倫理)の問題ではなくて、
現象の問題として捉えなおすべし。
小林の射程は現代にまで届いていないと思える。
>>193 横レスだが。
>そして、日本の事情からすれば、特に現在の国家でやっていくことに
>それほど不都合な事情は無い、という主張だと理解している。
>だから、じゃあ、現在の国家でやってくことを選択しようぜ、と。
基本的に、
「きちんと日本国しようぜ」
という考えには賛成だ。
問題は、「きちんとするというのはどうすることか」について、
厳しく既定しすぎであることだと思う。
196 :
Маршал Боголюбов:01/11/13 00:48
コヴァとウェーバー
比較にならんと思うが
単純馬鹿のコヴァでは
197 :
考える名無しさん:01/11/13 01:15
180だ。
>194
>個人の自立?多元主義? これを単にモラル(倫理)の問題ではなくて、
現象の問題として捉えなおすべし。
現象の問題というのはどういうことか、俺にはよくわからん。
ウェーバーの言う価値の多元化というのは、
ルーマンの言うようにシステムの機能分化のことだろ?
まあ、別にいいが、ウェーバーの見方はかなりギデンズやルーマンに近い部分もあるし、
従って時代遅れとは見なさないことも可能だと思う。
もちろん、そうじゃない見方も大いにありうるだろうが。どっちでもいい。
問題は、その発言内容が今の話題にどういう意義をもつか。ただそれだけだ。
>195
そうだな。何にせよ話が進まんのは良くないことだ。
>196
そうかもしれん。
だが、相手の主張の最も良い部分を取り上げ、それと対決するというのが大切だ。
愚者の千言にも一賢あり、とも言うし。
198 :
考える名無しさん:01/11/13 01:26
アメリカには徴兵を拒否できる権利というのが認められているけど、
日本でも万一のときのために先手を打ってそうした権利を法制化
しておくべきだと思う。だが、いかんせんなまじ平和国家をうたって
戦争をやらないと誓っているだけに、そういうことが切り出せずらく
なっているところがある。
199 :
考える名無しさん:01/11/13 01:48
>>197 >愚者の千言にも一賢あり
小林はこれに尽きる。一賢あるからヤヤコシイ
200 :
考える名無しさん:01/11/13 03:52
ねえよ
201 :
考える名無しさん:01/11/13 04:14
>>198 「兵役を選択できる権利」だけで充分だと思われ
キミタチイイカゲンニシナサイ
203 :
考える名無しさん:01/11/13 11:11
>>184 >個々の具体的な人間を、経済学におけるそれのように、
>簡単に捨象して語ることには
捨象してぇ!捨象してぇよ!!
捨象したくて仕方が無いよ!
俺も支配者になって、人間どもを蟻んこのように踏み潰してぇよ!
なんてな。
>問題は、その発言内容が今の話題にどういう意義をもつか。ただそれだけだ。
前向きな発言、感謝。しかし、小林の問題点の焦点はまさにそれだ。
「国家」の美点をノスタルジックな近代国家に固定化して観ている点。
「公共性」の美点を観点的な倫理性に求めている点。
小林がウェーバーに重なる点は後者の「公共性」に関わる問題で、観念論
的な個人の「決断」を評価している点だろう。ウェーバーが現代の社会学
に通用しない部分があるとすればまさに、それだ(笑)。「責任倫理」が
威力を発するのは政治の分野、文学の分野、残念ながら社会学には居場所
はない。
まさか、小林から「システム論」を読み出すのは、さらに絶望的と言える。
そもそも彼は本家をきちんと読んでいるのだろうか。
206 :
考える名無しさん:01/11/15 23:47
小林を評価してやりたい。
中卒灯台一直線の男がよくぞここまで名を売った、やり手だ!
しかしながら小林は劇画家という職業柄、所詮サブカルチャーの担い手の域を
出ないのであって、哲学板で議論すべきテーマだろうかという疑念がある。
>206
アホはだまってればいいんだよ
208 :
考える名無しさん:01/11/16 00:02
小林という漫画家に対する評価と、小林の思想の是非を取り違えないように。
まともな反論がないようだが・・・
sageておく。
確かによしりん先生の描く漫画は、漏れ自身あまり好みではないし、書店で積極的に手に取ろうとする類のものではない。
しかし純文学ではなくて商業作品である以上、売れた作品こそが絶対に正義なのだ。
なぜそれが売れるのか、なぜ一部の若者に熱狂的に支持されるのか、その秘密を多角的に捉えたい。
その意味で、小林の思想(仮にそのようなものがあったとして)的側面から攻めていくよりも
むしろサブカル的論点を取り上げた方がいいのではないか。
212 :
考える名無しさん:01/11/16 01:14
小林の感性はかなりその辺のありふれた、でもしっかり生活しようとしてる
おばさん、おじさんの感性に近いとおもうな。もち、いいいみで。
ここで、議論してるような人って、やっぱり少数派とはいえないけど
それなりに知的好奇心の強い人だと思うな。うちのおふくろとかとは
ちがうし。
学はないけど、すんでるとこに愛着もあって、
狭いながらも現実的な場で日々生業を営んでて
世間に他人にも家族にも感謝もし、って人たちの感性
の延長上に彼の国家感や戦争感ってのある気がする。
それに比べて、やっぱりまだ超国家とかの理念は、
いい悪いは別にして、リアルでないんだとおもうな。
自衛官をみて、やっぱ立派だとかんじるでしょ。
自分の息子がもし「自衛官になる!」っていえば、誇らしく
思う親が大多数じゃないかな。それが、かれのリアリティに
になってるきがするんだけど。
>>206 評価して「やりたい」のでは、評価にバイアスがかかっていることを
認めているようなものです。個人的な境遇と、その人が社会的なレベルの
ことについて語ることとを、同列に並べることは、安易です。
これは、小泉総理の話と、それに対して支持をする人たちとの間についても、
いえることです。
>>208 賛成です。
>>211 売れた作品こそが絶対に正義、というとき、その正義の内容が、どの範囲に
かかるかをきちんと示さないと、商業的にある程度の成功をおさめることが、
言説の妥当性を判断する基準かのような錯覚を、読み手に与えかねません。
意図してそういう表現をとる人もいます。気をつけたほうがいいです。
>>212 それは、違うと思います。なぜかといえば、まず彼はそのへんのおばさん
おじさんとはぜんぜん違う生活をしているからです。
次に、おじさんおばさんは、国家のことを大上段に掲げて物を言ったりなど
しないからです。また、故郷への愛着はあるかもしれませんが、日本への
愛着を強調したりはしないからです。
212さんは、北海道・東北から、東京…、九州・沖縄にいたる地域にすむ
それぞれの人間が、同じ日本への帰属意識を持っていると思いますか?
実際に東京に出たりして出身地の話をしたり、また風習・食文化の違いや、
社会的な問題などを考えたりするとき、また、個人の境遇いかんなどを
考えるとき、人それぞれ、国家に対する見方というのは、違ってくるというのが、
(国家というものを、あまり意識しないという見方も含めて)ほんとうです。
小林氏に似た考えをもつ、普通のおばさんおじさんも(特に、ある年齢
以上のおじさん)、それなりにいるでしょうが(その人は、普通に生活して
いるでしょうし、少なくとも本人にとっては、有名であるか、あからさまに
反社会的な行動をとらなければ、普通の人です)、そうでない人もごまんといます。
普通の人というイメージに、小林氏の議論のみをのせて、実際上の意見の差異を
打ち消すような、
>>212の意見は、それこそ
>>193に言われるような、
抑圧的な意見です。
214 :
考える名無しさん:01/11/16 21:57
180だ。
>>204 ウェーバーについてはちょっと置いておく。スレと関係ないから。何かあったら言ってくれ。
分権化とかについては、たぶん、大きい/小さいという問題では無いと思うぞ。
社会運動の部族主義化、閉鎖的コミュニティの登場、地域アイデンティティの本質化、
などが現在見られるし。
とりあえず、俺なりの小林の解釈を述べてみるよ。
たぶん、どの次元で捉えるかで小林への評価も変わるんだと思う。
俺的には、小林のやってるのは、要は、所与として、あるいは本質として「我々」を
定義するのとは別の仕方で、「我々」を立ち上げようとしている、
と理解できる。
これは、さしあたり二つの戦略に分けられる。
一つは「パーソナル・アイデンティティ」と「役割的アイデンティティ」を
分けた場合、前者に訴えずに後者を強調すること、と言える。
つまり、目的を共有するものとして我々を立ち上げようとしている、と思う。
しかし、ではその目的とは何か?誰かが押し付けたりするものではない仕方で
どうやって目的を決めるのか、結局価値の問題が生ずるから、
A理論や思想といった根拠によるのではなく「この指止まれ!」という仕方で
自分が良いと思うものを語りかけ、その声が届く範囲をさしあたり「我々」と見なす、
ということになると思う。
情に訴える、自分は無思想だと述べる、というのはこういうことだろう。
だから、212のやり方をしてるのだろう。
215 :
考える名無しさん:01/11/16 22:29
214の続き もしかしたら二重投稿になってるかもしれん。その場合はすまん。
整理すると、小林にとって公とはさしあたり目的的なものだ。
それはパーソナルアイデンティティ(「私は誰?」)とはとりあえず区別される。
そうするのが都合がいいから国家(state)が必要だ、というわけだ。
(だから、このレベルでは、不都合なら国家はいらん、ということになるだろう)
だが、ここで言う目的とは、人々の日常の経験から紡ぎ出されるもので
なくては意味が無い。形而上学的なものや別の文化から持ってきたものではダメだ。
しかし、日常の経験から目的を紡ぎだす、というのは、自分のエゴを承認する
ことでもある。そこで「戦争=悪」という図式を壊さなくてはいけない。
エゴとエゴのぶつかり合いによる不条理を肯定する必要があるわけだ。
で、以上の作業の上で、じゃあその日常の経験をどう組織する?という問題になる。
これは「この指止まれ!」と語りかけてみるしかない、と。
だが、言ったみたいに、目的とは空から降ってくるものではないから、
語りかける相手に「我々にとっては…」という形で語りかけなくてはいけない。
その「我々とは」という次元で歴史が要請されるのだろう。
まとめると、
「〜という道のりを辿ってきてここに居る我々としては
これを良いと思うのだがお前らどうよ?」
という形になる。
ここで、「我々にとっては…」という場合の「我々」と、語りかけられている対象は、
当然一致しない。その都度言葉が届いた範囲がその都度「我々」となる。
つまり、一応は全ての範囲の人々に「我々は…」と語りかけるわけだが、
実際に呼応するのは全員じゃないだろう。だが、それで構わないわけだ。
問題は、より多くの、いわば顧客を獲得する健全な争いが展開されることだ、と思う。
ところで、こうした「我々にとっては…」という言説同士の争いを保証する
制度的な枠組みが、やっぱり必要だろう。
で、こうした「我々」の語りかけがとりあえずリアリティを帯びるのは、
日本の場合は、現在の領土ではないかと小林は考えているのだろう。
(世界中に「我々は…」と語りかけるのは、ごく稀な場合だろう)
そこで、日本という国家が公のさしあたっての範囲として保証されることが、
言説同士のやりとりを保護するために必要となる、のではないか。
そこで、日本という国家がとりあえず公だ、というわけではないか、と俺は解釈する。
言説同士の健全な争いを保護するために現在の範囲が都合がいい、と。
とりあえず自分なりに整理してみた。長くなって悪い。
ちょっと小林をよく取りすぎているが、とりあえずこんな感じではないか?
216 :
考える名無しさん:01/11/16 22:31
>>214-215 それだと宗教と変わらないよ。
コバはあくまでも論理的で、現実的な路線でいきたいようだが。
218 :
考える名無しさん:01/11/16 23:41
>>215 よくとりすぎどころじゃあないと思われ・・・
219 :
森の妖精さん:01/11/16 23:46
ヘーゲルの流れをくむ、ナチズムにしてもマルキシズムにしても、
究極的に国家=宗教となる形態を求めているのはなぜなんだろう。
213へ。ちょっと僕のいいたかったこととちがうんですが・・・
別にアンケートとったわけでもないんで断定はするつもり
ないけど、「自衛官ごくろうさん」的な感性って、やっぱ
マジョリティだとおもうんですよ。
そういう意味で現実的には「常識的な」感性となってる。
(ロジカルにいい悪いはあくまで別としてですよ。)
小林の強調する「国家」はいっけん唐突だけど、やっぱり
そうした感性をちょっと延長したとこに根拠というか
リアリティの後ろ盾をもってて、これはちょっとした論理性
やなんかでは、なかなか抗いがたいもんだ、ってのが
ぼくの印象なんです。
数十万部ってのが多いかどうかは?だけど、単純に「右傾化だ」
程度の論理性?では、太刀打ちできないもんだとおもってる。
「国家」ってコトバをつかってるんで、大上段の国家論的
みたいにみえるけど、むしろ「おらのクニ」的感覚でしょ。
ベースは。そういう「ふるさと=クニ」的な感性へ訴えかける
もんがやっぱり内包されてるんですよ。ある種「浪花節」的な。
221 :
考える名無しさん:01/11/17 00:09
小林よしのりと柄谷行人の共通点=父親がマルクス主義者
222 :
森の妖精さん:01/11/17 00:24
そうか、小林よしのりもヘーゲル哲学、ドイツ観念論の
影響を、、、、なんつーてな。
223 :
保守リベラルとしては:01/11/17 00:46
小林に共感するところも多いんだが、
「神の国で何で悪い!?」とまで言われると、ひいてしまう。
それは違うだろう、と。
あまりにも小林がイメージだけでしか受け止められ、読んでもない
のにたんに毛嫌いしてる人が多いと思われるため、あらためて総括
してみた。
おれは小林と田原総一郎が対談した「戦争論争戦」というのを
読んだのだが、小林の主張は論理的に一貫性している。
小林は自分を大人、田原が理想を掲げる青年というが、おれはむしろ
小林は生硬な青年で、田原の方が大人の論理を駆使してるかのような
印象を受けた。
小林の主張は論理的に一貫してるため、内在的に批判することは確かに
難しい。強いて言えば、なぜ「公」が国家をベースにされなければいけない
のか、世界をベースにしてもかまわないのではないか、という問題について
は十分に説明しきれてないように思えたくらいだ。
だがしかし、論理が一貫してるからといってそれが正しいとは限らない。
とくに政治の問題においては、「正しさ」というのは意味をなさない。
「正しさ」は一つとは限らず、同時に何種類もの「正しさ」が存在する
からだ。
だから、そこで問題になるのは、どうしたいか、である。つまり、
何を目的とするか、何をもって理念とするか、である。
小林自身、戦争をしたいかと問われれば、したくないという。
ならば、戦争をしなくてすむようにどうしたらいいか、それを考える
のが政治であろう。その理念を実現するためには論理性など別に必要
ないのである。
小林のいう「現実」というのは、かりに他国が攻撃してきたとき、
軍備がなければやられてしまうのではないか、ということらしいが、
それは「現実的」ではあっても「現実」ではない。
日本と同程度に、たとえば北朝鮮なども、日本がいつ軍事力をもって
攻撃してくるのかわからないといって怖れているのである。
だから、日本が平和国家であることを世界にアピールすることは、ただ
の理想主義ではなく、それはそれで一つの「現実」をつくることになる。
そして、理念が書かれている書物が一冊ある。日本国憲法である。
それは理念の実現として生まれ、理念の実現のために存在する。
それは(主に)米国によって書かれたのではなかったか。
それは逆手にとり、世界の理念としてアピールすることならば、
それは理性の狡知であり、政治である。
225 :
考える名無しさん:01/11/17 03:54
>217
宗教も科学も一つのパラダイムという点では等価だろう。
宗教と科学を分ける唯一の区分は、科学はいかなる選択も暫定的だと見なす可謬主義だが、
宗教は選択を決断すること自体に価値を見出すことだろう。
俺の解釈では、ある場合には小林はプラグマティストと同じ立場に立ってる。
つまり可謬主義的自文化中心主義であるように思われる。
ある場合には、文字通り決断主義に立ってるように思われるが。
>218
正直言って小林の主張は、多くの論者と同じく、一貫性を欠いている。
整理して一貫性のあるようにまとめあげると幾通りもの解釈ができるだろう。
その中で最も良いと思うものを出してみた。
別の解釈によれば、小林の主張はあまり容認できない。
だが、わざわざ容認できない解釈をして「容認できない!」と
言うのは無意味だと思ったから良いと思うのを出してみた。
>224
もしもあんたの主張が「他の国は軍備を持っていても構わないが
日本だけは軍備を放棄すべきだ」という主張なら、俺はまだ肯定できる。
あるいは「日本および特定の国は軍備を放棄すべきだが、
他の国はそうではない」という場合も、まだ肯定できる。
しかし「いかなる国も軍備を放棄すべきだ」という主張なら、俺は肯定できない。
ある種の国は、おそらく戦う以外に選択肢が無い場合も
やはりあるように思えるし、俺たちには想像もつかないような、
戦うべき理由を持つ人々がいるのかもしれんから。
結局小林の狙いの一つは「人々が善良になれば社会や世界が良くなる」という、
関係性や置かれた状況の違いへの感受性を失った妄想を人々が捨て
「いかなる善人でも状況次第で人を殺すものだ」
というまっとうな常識や感性を取り戻すことなのだと思う。
>>225 この際、他の国がどうのというのは関係ない。それは欺瞞というものだろう。
日本はどうしたいのか、それが問題であり、それだけが理念となる。
それは、「人々が全力になれば社会や世界が良くなる」と考えることではなく、
たんに平和の状態を実現しようとすることである。
>>224 小林の意見があいまいに受け取られていることは確かだろうが、
小林の意見を間に受けた連中の言動は、あいまいになど受け取られてないだろう。
小林の主張が「論理的に一貫している」かどうかは、その議論が使う概念や、
そもそもの前提が正しくなければ、認めることはできない。
「国家概念の把握」「公」についての説明不足は、議論全体に破綻を及ぼさないですむほど、
些細な不足だとは、考えられない。
正しさが何種類もあると、正しさが意味をなさないというのは、明白な間違いだろう。
正しさが一種類しかないから! 正しさが意味をなさないんだろ?
もし主体によって立場が違う、という話をしているのなら、意見の一致という視点も
当然持たれるべきだし、これは広範囲に肯定できる事柄だ。
また、単なる利害の対立それぞれに正しさを観念するなら、それは違う。
そこでの正しさというのは、要はできる限り譲歩しないことを旨とする、程度の
意味しかないのだから。
日本国憲法のくだりは、最後のあたりと、それまでのつながりがちぐはぐな
感じなので、とりあえず述べないでおく。
>>225 >結局小林の狙いの一つは「人々が善良になれば社会や世界が良くなる」という、
>関係性や置かれた状況の違いへの感受性を失った妄想を人々が捨て
>「いかなる善人でも状況次第で人を殺すものだ」
>というまっとうな常識や感性を取り戻すことなのだと思う。
この手の意見は、戦争スレの61が、殺人罪の認知件数が、10万人につき1件だという
統計をあげて、批判していた。
それと同じスレで、アメリカの軍つきの心理学者が
「ほとんどの人はいきなり戦場に連れて行かれても、人を殺せない」と述べてた、
という引用もあった。状況しだいで人を殺すのは、まっとうな常識ではない。
そこらへんのおじさんが、状況しだいで人を殺すことを認めるのが、まっとうな常識・
感性だと考えるわけがないだろう。
そもそも常識というのは、多くの人に認められていることを内容とする語だ。
そうであれば、個人レベルでの読者個々に対する説得の中で「常識を取り戻せ」と
いうのは、集団をかさにきた、ずいぶん威圧的な物言いということになるな。
>>226 日本を背負って語るなよ。そういうのが大上段っていうんだよ。
だいたい213の
212さんは、北海道・東北から、東京…、九州・沖縄にいたる地域にすむ
それぞれの人間が、同じ日本への帰属意識を持っていると思いますか?
実際に東京に出たりして出身地の話をしたり、また風習・食文化の違いや、
社会的な問題などを考えたりするとき、また、個人の境遇いかんなどを
考えるとき、人それぞれ、国家に対する見方というのは、違ってくるというのが、
(国家というものを、あまり意識しないという見方も含めて)ほんとうです。
ここにぜんぜん答えられてない。明らかに中心的な問題なはずだが、
(小林の議論がよってたつ感覚が、受け入れられる素地だから、という展開だから)
なぜ、あからさまに無視するんだ?
228 :
考える名無しさん:01/11/17 17:12
小林の言ってる問題はきわめて単純で、国家が暴力装置として軍隊
でもそれに類するものでも何でも持ちましょうってことでしょ?
みんなが一年前と同じ生活をするように政府がが強行するべきだと思う人
>>227 あんた何者だ。
>>213か。それとも突然に飛び込んできたのか。
いずれにせよ、あんたが一体何を目指してるのかよくわからん。
端的にいってイチャモンにしか思えないよ。
正しさが意味をなさないのは、正しさが複数あるからという
意味でとってもらって問題ない。
そこで言う「正しさ」とは、共同主観的なものであり、絶対的
真理とはないのだから。
われわれは、望むならば、科学的真理だって共同的主観だとして
斥けることだって可能なんだよ。それをやらないのは、
科学的真理をもつことがとりたてて誰にとっても困るものでも
ないから。みんなが共有することでそれは真理として成り立つ
んだよ。
>>213は小林にむけた批判ではないのか。
それは国民を一つにまとめようとする場合の問題だろう。
おれは国家の政治レベルで理念を打ち出すことを問題に
したのであって、国民が一体化すべきとは言ってない。
戦争反対という一点について結びついていたらあとは
バラバラでもいいと思っている。
小林擁護派に聞きたいんだけど、
どうして「公=国家」(国家=民族国家=近代国家)なの?
それ以上の単位、それ以下の単位を使わずに明治以降の「国家」を本質的な帰属集団
とする正当性を問いたい。それが崩れれば小林の言論は大半が意味をなさない。
>180
多元主義と相対主義の区別で多元主義の立場を取るのはよく分かるが、戦前の日本の
思想は京都学派を中心に欧米に対しては欧米対アジア文化の文脈で「多元主義」を用い、
アジアに対しては日本文化の優位性を唱えた「一元主義」の論理的なトリックを使っ
た。小林がこの論理的な詐欺をしてないという保証は?
>226
なるほど。確かに関係ない。
俺が思うに、あんたの考えは、話し掛けても通じないかもしれないが、
もしかしたら通じるかもしれない。
確かなことは、話し掛けなければ決して会話は成立しない、ということだ。
だとすれば、リスクは承知で話し掛けてみた方が良くは無いか、ということだろう。
つまり、平和を理念として掲げ目指さなければ、決して平和が実現しない、
ということだ。つまり、戦略的に理念を掲げている。
だから、あんたが「世界平和が実際に達成されるか」とプライベートに問われれば、
難色を示すのではないか?公の場では平和を唱えつづけるだろうが。
そして、これも推測なのだが、もしも日本人全員が平和ばかりを訴え、
誰一人として闘争の危険性やそれへの備えの重要性を訴えなくなったら、
つまり論敵が一人もいなくなったら、あんたとしてはそれはむしろ望ましくない、
危険な事態だと見なすのではないだろうか?
もしそうだとすれば、小林のような立場とあんたのような立場は、
たぶんどちらも必要だということなのだろうな。
そんなことはどちらの立場も公の舞台では認めないだろうし、どちらも決して
相手の主張を絶対に認めないだろうが、どちらも結局平和の大切さと
闘争の恒久的な存在を認めているという意味ではほとんど同じ立場だ。
これは批判でもなんでもないな。
>227
俺の知り合いに駐禁を嫌ってる人が居て、何でそういう迷惑なことをするか
わからない、と言ってた。だがある日その人も駐禁をした。
彼が言うには、自分は人に迷惑をかけるつもりは無く、やむにやまれぬ事情があったから、
しょうがなくやったのであって、他の奴らとは違う、と答えた。
だが、俺が思うに、全ての人はまさにそういう理由で駐禁をしているのでは
ないだろうか?「迷惑かけてやるぜ!」とか
「駐禁は楽しくてしょうがない!」とか思ってる人などあまりいないだろう。
(いるかもしれん。だが、そう思うに至った何かしらの事情があるのかもしれんし、
もし俺もそういう境遇に置かれれば、同じようにしたかもしれん)。
俺が言ってるのはそういうことだ。
こう言うことで、別に罪の存在自体を否定しようとか言ってるのではない。
だが、一ついえることは、こういう発想をしないと誰も許せなくなると思うぞ。
>>232 前者はわかるが後者はちょっとよく問題がわからない。とりあえず前者に。
小林の関心の焦点は、近代国家をすべからく保証しようと言ってるというよりは、
日本ではラッキーなことに現在の国家で行った方がよさそうだ、という感じだと思う。
ラッキーなことに、というのは、深刻な民族問題を抱えた国に比べれば、
ということだ。確かに日本にも民族問題はあるが、カナダのケベック州のように
特定の地域に集在していて分離を求めている、という問題よりも、
アメリカの黒人やインディアンのように、地理的に散在しているため分割を
必ずしも必要とはしない類の問題に分けられるだろう(深刻な問題なのは同じだ)。
で、あと、これは小林の意見ではないが、俺の考えではたぶん、しばらくは
国家はなくならないと思う。以下理由を述べる。これは小林を持ち上げようと
してるのじゃないよ。
近代、現代社会の特徴はグローバリズムだ。
ギデンズによればグローバリズムとは、地球全体が巨大トラックにのって
高速道路を爆進している、というようなものだ。
もはや外部は無く、地球の裏側で起こったことが即座に全世界に波及しかねない。
些細な操作ミスが致命的な結果になる。何がどのような結果をもたらすか、
増大する不確実性の下では単純に把握しかねるようになる。
こうした流れでは一般に
@自己を信頼できるものとして提示すること
Aフレクシビリティの増大
B規律の強化、予測不可能なものの排除
の傾向が指摘できる。
国家の解体が言われてるが、俺の考えでは上記の3つの傾向が
同時に起こる、というのが正解だろう。
些細なミスが世界全体に波及しかねない状況では、結果について責任を持てる主体、
信頼できる主体が要請される。
そちらのことはきちんとそっちでやってくれるはずだ、と思えばこそ、
自分たちが活動できるから。それが無ければリスク不安が飛躍的に高まる。
従って国際社会のレベルでは、処理能力を備えた信頼できるパートナーとして、
国家は要請されつづけるし、当然それは信頼できるだけの力を持って
いなくてはいけないだろう。
(例えばアメリカの国力低下はむしろ不安の増大をもたらすのではないか?
核や強力な軍事力を備えた国が解体すれば?あるいは、経済ブロックにおいて
パートナーとなる国が国内に不安を抱えていたら?それを処理できる能力を
もっていなかったら?世界中に不安が高まるのではないだろうか。)
フレクシビリティの増大は、組織を柔軟にすることだ。
分権化、細分化、リストラなどはこれに該当するだろう。
規律の強化は、これは対外的に自身を信頼できるものとして提示するために、
そして自身の負担を軽くするために予測不可能なものが排除することを指す。
国内不安を抱えていたら、国際社会で信頼されないだろうし、
そういった不安要素を処理することが求められるだろう。
つまり、フレクシビリティの増大と規律の増大は、同時進行する。
固定的→流動的という流れではないだろう。
民間団体が負担を分担するというのは確かにあるが、
民間団体は信頼できるだけのパートナーにはなりえないだろう。
経済の円滑な成長のためにも、不安を抑え信頼を高める必要がある。だからたぶん、
当分国家は無くならないし、ある程度フレクシブルになるが、
かえって規律は高まるし異分子は排除されかねない。国力を保つことも要請されそう。
というのが俺の見解。
>234
>些細なミスが世界全体に波及しかねない状況では、結果について責任を持てる主体、
>信頼できる主体が要請される。
つまり、法的主体、経済的(私有財産的)主体というわけね。つまり、権利義務の行使
主体として「便宜的」に要請される主体に依拠せよと・・・。
ということは、近代国家批判=京都学派などの脱西洋思想を受け継いでいるはずの自由
主義史観(小林もその一人・・・になりたいらしいw)が、皮肉にも最も近代的な人間
観、国家観に依拠していることになる。
近代国家批判は176で展開しているので参照してくれ。「近代国家の寿命があと50年あり
そうだから、小林の言っていることは正しい」ではあまりにも射程が短すぎる。
ちなにみ、現代における「主体」の変容はマルクス、アインシュタイン、フロイトが19世
紀に始めた仕事だ。今TBSでやっている「人間とは何だ」を見てくれ。
人間の「主体」とは法的、経済的主体としての「個人」なのか、あるいはミクロの「遺伝子」
なのか、さらにはマクロの「社会」なのか。じっくり考えてみてくれ。
>234
後者は簡単なことだ。戦前の京都学派は西欧に対しては「非西欧文化」
の意義を「多元主義」として唱えたにも関わわらず、アジアに対しては
西欧化した日本文化の優位性を「一元主義」として押し付けた。
矛盾したダブルスタンダードだった。本来の多元主義の擁護者ならば、
日本文化とは違うアジア文化の保護者となるべきだった。しかし、
「大東亜共栄圏」の大義名分で日本式の近代文化を押し付けただけだ
った。
小林らはこの滑稽さに気付かず大真面目に「日本はアジアの発展に貢献
した」、と言っている点が笑える。
きゅりおは180の考えと小林の考えを混同しているような?気が?
いや、180は小林の思想的な弱点を「最大限好意的に」捕らえようとしている
ので、論理的には内包されると見る。
いやそれは牽強付会だよ。
あのさ、文化多元主義とでも受け取らんと、小林の思想は現代思想的には
なんの意味もなんですけど(wつまり、議論するにも値しない。
どうしても救うなら文化人類学的方法で救うしかないと思うけど・・・。
「公」についてはこれも本質的帰属集団を「国家」のみとするところが
痛い・・。
241 :
考える名無しさん:01/11/17 23:14
横レス。
234は232への答えになってるのかな?
176の近代国家批判に付け加えるなら、
東欧革命を起こした「主体」たるcivil societyの問題なんかも考えられる。
(もっとベタなものとしてNPOなんかも考えてもいいかも)
公共性の問題は権利義務関係の問題に限られないはず。
どうせ既出だろうが、
国家の物語を信じないのなら即ニヒリズム乃至道徳的頽廃に陥る、
とかいう議論では話にならない。
>241
さらに付け加えるなら、国家は縦方向(国連、EU、UNTACなどの超国家的方向)
と横方向(地方分権、NGO、ネット社会)に引き裂かれつつある。
19世紀-20世紀初頭のような国家こそが国際社会の唯一のアクターではなくなっている。
自由主義史観、小林擁護派などはこの現実を意識的に無視して
伝統的な「国家観」に依拠しようとしている。
「なぜ国家が唯一の帰属集団とされなければいけないのか?」
これは心理学的にも面白いテーマだと思う。
>235
主体の脱中心化はわかるのだが、俺の言ってるのは見込みの問題であって、
近代国家というよりは、政治的単位を巡る問題は当分残るだろう、ということ。
その選択肢の一つに現在の日本で行くというのもあるだろうな、と。
つまり、近代国家の問題というよりは政治的単位を巡る問題として捉えてる。
言ったみたいに、小林の主張を俺は可謬主義的自文化中心主義だと捉えている。
この見解からすれば、引き継がれた伝統は、それ自体として価値があるのではなく、
今まで検証に耐えてきたものとしてのみ価値がある
(小林が本当にそう思ってるかは疑わしいが、良く解釈すればそう取れなくも無い)。
で、そういった伝統を足場にして問題を検証していく、というわけだ。
小林はそういった足場自体が無い、あるいはそれへの不信があることを
問題にしてるのだろう。で、検証してみると、今までの伝統は結構いいじゃん、と。
捨てたものじゃないじゃん、と。
ただ、俺の見解では同時に、戦後民主主義もまた検証に耐え得るもの、
受け継ぐべきものを持っている。つまり伝統として採択すべきものの一つだ。
ここを否定しては新たな伝統との断絶を産むだけだろう。
公については、公共圏の一つとして国家があってもおかしくは無いだろう。
俺は小林を擁護というより、小林やつくる会の言葉を頼りに物事を考え始めた人たちを
そのやる気を損なわずに、人格批判や煽りあいなどに陥らずに
健全な議論の争いへと結び付けるにはどうすればいいか、と考えてる。
小林がドキュソであるかどうかはどうでもいいが、俺がしたいのは、
まがりなりにも小林の言ったことの中には重要なものがあって、
だから、小林を読んで物事を考え始めた人がいたとしても、
それは恥ずかしいことではなくて、意味のあるものなのだ、
ということを言いたい。
また、そういった人の中には、問題をうまく文節化できる言葉を持ってなくて、
それがために小林の言葉を用いるしかない人もいると思う。
だから、小林の言葉を全てドキュソ用語とみなしてしまうと、
そういった人たちは語る言葉を失ってしまう。それが一番もったいない。
ていうか書くの早いな、あんた。後はまた今度な。時間くれ。
大東亜戦争については、小林はエゴを承認せよ、という文脈で捉えていると思う。
戦争=悪という図式を壊そうという文脈だ。
問題は、現状では「悪魔のような日本軍/紳士的な軍隊」という二項図式しか
無いことだ。はっきり言って、小林は日本軍を極度に聖化しすぎだ。
問題は、上に挙げたような「善人も状況次第で悪を犯す」という感覚を
取り戻すことなのだから、悪魔/紳士という図式から離れるべきだろう。
悪魔的じゃなければ紳士。紳士的軍隊じゃなければ、やっぱり悪魔的だった、
というのはどちらもリアルじゃないと思う。
244 :
Маршал Боголюбов:01/11/18 00:31
いわゆる「東京裁判史観」からの脱却と戦争に
何の関係があるのだろうか
>180
ずいぶん控えめな意見なので、突っ込むモチベーションもないんだけど(笑)、
簡単に。
>主体の脱中心化はわかるのだが、俺の言ってるのは見込みの問題であって、
>近代国家というよりは、政治的単位を巡る問題は当分残るだろう、ということ。
>その選択肢の一つに現在の日本で行くというのもあるだろうな、と。
自由主義史観では、「主体の選択」(=国家か、超国家かの選択肢を
問うこと、あるいは特殊か、普遍か)には強い思想的抵抗力をもっては
いるが、「主体の相対化」(=国家が生産関係の変容によって主体の
単位としての「正当性」を失うこと)については全くの無防備だという
ところを重ねて指摘したい。その上で、「あと50年近代国家は続きそう
だから、国家を主体として便宜的に考えよう」という視点には別に異存
はない。
浅薄な国際主義、超国家主義も、浅薄な国粋主義、民族主義と同じくらい
説得力がないからね。
その上で、「近代国家の穏やかな死」に依拠することがすなわち、歴史の
否定につながらないことに注意して欲しい。むしろ、自由主義史観の方が
「国家」に超歴史的な役割を期待している点で現実の歴史から乖離してし
まっているという皮肉を笑うべきだろう。彼らには歴史のリアリズムより
も思想の整合性の方が大事なわけだ。
>俺は小林を擁護というより、小林やつくる会の言葉を頼りに物事を考え始めた人たちを
>そのやる気を損なわずに、人格批判や煽りあいなどに陥らずに
>健全な議論の争いへと結び付けるにはどうすればいいか、と考えてる。
そもそも、小林が仮想敵としているのはトラディショナルな左翼、あるいは
サヨクであって、思想的に現代にアップデートされた層ではないことも指摘
したい。つまり、オールドタイプの右対左をわざわざ作り出してそこで
遊んでいるという観がないでもない。
>大東亜戦争については、小林はエゴを承認せよ、という文脈で捉えていると思う。
>戦争=悪という図式を壊そうという文脈だ。
民族的な「エゴ」という点も現代ではどうなのかな?情報が制限されていた20年
前ならいざ知らず、現代ではネットなどのメディアを通じて情報を流れ、海外旅行
の障壁も低くなって、どんどん他国の文化を知る機会が増えてきている。
自分も仕事の関係でバングラデイシュから西の国はラオス、ブルネイを除いて全て
訪れた。
その中で「日本とは何か?日本人とは何か?」ということを常に考えている。
日本人であることは不必要に卑下することも、過信することも無意味なような気がする。
その視点から小林を読むと、「なんでそんなに力はいってんの?別にいいじゃん。
形式主義で義理堅くて商売センスはないけど約束は守る。それが日本人でいいじゃん
。なんで、台湾への経済的・軍事的支配を『結果として台湾の発展につながった。
日本人は悪くない』なんて不必要に自己弁護する必要があんの?」ってことになる。
って、とりあえずそういうことで。
西→東でした。すまそ。
247 :
考える名無しさん:01/11/18 01:08
>自分も仕事の関係でバングラデイシュから西の国はラオス、
>ブルネイを除いて全て訪れた
そういうことが能力的に不可能な、なんつうかグローバリズムの負け組のオッサン達が
誇りを民族的記憶に求めるのならまだ分からないでもないんだけど、
何で若者が小林を読むんでしょうね?
>>247 >何で若者が小林を読むんでしょうね?
世間にガツンといってやりたいが、難しい本を読んで自分で勉強するのはイヤ、
って連中が、喜んで読んでる、ってのは偏見かな。
249 :
Маршал Боголюбов:01/11/18 01:31
当たってるかもね
詳細に論述してくれていないから資料的価値はゼロ
資料が云々言ってる割には5次的か論外史料
本屋で暇つぶしにはなるけど
>何で若者が小林を読むんでしょうね?
仮説です。軽く読み飛ばしてください。
海外で感じるは日本人のパーソナリティは徹底した組織主義、形式主義
です。日本人が制度の解釈、遵守を美徳とするのに対し、対照的なのは
中国人(笑)。彼らは制度の抜け穴、すき間ばかりを探している。
「日本人」が誕生したのは明治という論点に対して反論はあまりないだ
ろう。その明治の日本人の思想的拝啓となったのは陽明学、朱子学を柱とする
武士社会の官僚制度主義だった。特にエリート層はこれらの影響を受け、
急速にシステマティックな官僚主義を肥大化させていく。
官僚主義とはヒエラルキーのトップ層のみが考え、ボトム層はその考え
を実行するだけの思考停止状態になる。戦前はその官僚主義システムの
頂点に天皇がいて、システムの大目的は国家理性の強化だったわけだ。
しかし、敗戦、システムの「頂点」とシステムが目指すべき「目的」を
一気に失ってしまった。代わりに注入されたのが「戦後民主主義」だった。
しかし、「戦後民主主義」の肝である「多元主義」は旺盛な批判精神の
働きなしには簡単に悪しき「相対主義」へと堕してしまう。戦前、「天皇」
、「国家理性」への無批判な奉仕に慣れきった層とその後継者たちには
自分の文化に依拠しながらも他者の文化を正当に評価して受け入れるという
精神活動は何も教えられていない状況でいきなり、「自分の責任で考え、
自分の責任で判断せよ」ということはむしろ拷問に近いような痛みを
伴うのかもしれない。
自己責任による不断の批判活動よりも、ノスタルジックな過去の象徴を
「復古」させつつそれを祭り上げるという思考停止状態の方を、今の若
者のは選びつつあるのかもしれない。
すんません、長くなった&はからずのウェーバー的な論の展開になってしまった(笑)。
つーか、最後はまんまE・フロムだね(苦笑)とりあえず、足がかりということで。
251 :
考える名無しさん:01/11/18 01:42
戦後も半世紀たって、殊にポスト冷戦以降戦後民主主義がアンシャン・レジームに
変質したという状況がある。
小林のサヨク批判はこれをうまく衝いている。
復古主義だけでは説明できんと思うし、なんか旧来左翼の枠を出てない気がするなー。
>>250 戦後民主主義=アメリカ型自由主義、批判でしょ。
この文脈までは小林に同意。つーか「戦後民主主義」を評価する気ないっす。
哲学板ちっくに言えば、「戦後・・・」の乗り超えの肝は実在論から関係論への
パラダイムシフトなんだろうけど、自由主義史観ではこれをアジア型支配形態
(「公」への滅私奉公)としている。この文脈で「国家」であり、「天皇」な
んだろうけど、176などで論じたように「民族」なり「国家」は廣松風に言えば、
「生産関係の歴史的形態が物象化したもの」に過ぎない。つまり、生産関係の
変容(ポップなのはネット革命=第三次産業革命によって起こる変容)によって
形が変化するものであること。自由主義史観はこの変容を想定しておらず、思想的
な射程が極めて短い。
乗り超えの対象が同じ「戦後民主主義」の実在論であり、アトム的な個人主義
なんだろうけど、解決の方向がプレモダニズムとポストモダニズムでは方向が
逆だということを改めて強調したい。
きゅりおさん、番号間違い?
250は小林そのものより、小林がウケている理由について考えてみたものです。
しゅつれい(苦笑)
あと、「あいつらは頭が悪いから」ってのも、感心しないねー
256 :
考える名無しさん:01/11/18 03:56
>251
いや、だからさ、戦後民主主義にパワーがなかったとしても、
10年前までは「経済成長」っていう梯子を登ってればよかったわけでしょ?
(それも結局は250で言われる「思考停止」状態であることに変わりはない)
でも今やその梯子も外されてしまった。
そこでなんとなく蓄積される全般的ルサンチマンの受け皿として
復古主義が出てくる、っていう説明にはある程度の説得力があると思うけど。
>256
えーとね・・・。
復古主義そのものはあるでしょう。それは否定しないし、していない。
しかしそれだけではないんでは、と言ってるのね。よく読んでちょ〜。
258 :
考える名無しさん:01/11/18 10:14
では、復古主義以外のものとは具体的には?
259 :
考える名無しさん:01/11/18 10:42
だからよく読んで、ってば〜(汗笑
251に書いた通り、アンシャン・レジームになってしまった戦後民主主義への批判。
260 :
考える名無しさん:01/11/18 14:47
>>238 いや、180は小林の思想的な弱点を「最大限好意的に」捕らえようとしている
ので、論理的には内包されると見る。
これだったら、ある人間が矛盾を述べたのを、他者が解釈すれば、
必ず論理的には内包されることになるのでは?
261 :
考える名無しさん:01/11/18 14:57
>>260 サービスして好意的に解釈してあげようという意味(笑)。
小林の言説を現代思想的に批判するのはあまりにも容易なので、
ウェーバーを小林に読み込んで現代的に救い出そうとする180の
意図を汲んでちょっと小林に下駄をはかせてあげましょうという
意味です。
しかし、ウェーバーもマルクスも後世の研究者が現代的にすくいあげて、
再構成して初めて「使える」概念になると思うが、いかが?
263 :
考える名無しさん:01/11/18 18:08
>>262 それは小林に下駄をはかせずに、180自身の意見として言うべきことじゃないの?
小林という主体に還元させる政治的効果はどう考えるの?
>>263 どっちでもいいんだけど、君はなぜ「内包」として見たかこちらのきちんと意図をとらえている?
ちょいと疑問なので、簡単に総括してみて。
>>264 どっちでもいいというのは?
なんであいまいにしか説明されていない意図を、こちらが読み取らなければ
ならないの?
最大限好意的にとらえるというのは、抑圧的でない見方をするためだというけど、
そもそも彼の定義だと、一点でも肯定できる箇所がある言説からは、
自説を彼の説として述べるというやり方まで認められてしまうよね。
それを小林の意見の解釈として述べなくてはいけない理由が何かは、
ぜんぜん説明されてないよね?
あと、小林の見方から招かれる「実際」は、抑圧的ではないのか、
抑圧的な意見を抑圧することは、抑圧的でないことだ、という風に
返されることも予想されるけど、それについては、どう考えるの?
彼の定義=彼の「解釈」の定義
>>263 >小林という主体に還元させる政治的効果はどう考えるの?
わざと難しい言い方しなくていいよ。
君は小林の言説の範囲内で語れ、あるいは小林の言説から小林自身が
射程としている範囲内で語れ、と言っているんだろう?
でも、小林の言説内で「現代思想として議論にすべきもの」は果たして
あるの?
>あと、小林の見方から招かれる「実際」は、抑圧的ではないのか、
>抑圧的な意見を抑圧することは、抑圧的でないことだ、という風に
>返されることも予想されるけど、それについては、どう考えるの?
意味が分かりません。小林の見解から招かれる「実際」とは?
小林の意見を抑圧したいというよりも偏狭な民族主義がもてはやされる
論説的な地平を切り崩したいというのが、こちらの意図だよ。
>なんであいまいにしか説明されていない意図を・・・
あれま、どちらでもいいという意味は「小林の言説内で語れという
ならばそれでもいいけど、小林擁護派には損だよ」という意味。
最初からこちらの意図の誤解の連続なのよ、君・・・。
>政治的意図・・・
そんなもん、ねーよ(笑)。
>>268 >主体に還元
別に難しくないよ。
>君は小林の言説の範囲内で語れ、あるいは小林の言説から小林自身が
>射程としている範囲内で語れ、と言っているんだろう?
いや、ある考えから、この考えは導かれるという風に言うことは、
論理的にはなしうる。
ただ、それを「小林の」意見として言うことは、小林をとりまく状況
(コヴァがもりあがっている状況)に対する、あいまいな正当化として
働く面があり(なぜかといえば、「小林が言ったこと」として聞き手が
理解する面があるから)、そうした雰囲気で考えるひとたちの影響まで
射程に入れて考えるなら、「小林の意見の解釈」として述べることには、
小林の意見それ自体の傷をガーゼでくるんで、見えなくする狙いがある
んじゃないのか、ということを言いたかったんだよ。
現代思想として議論すべきものがないなら、議論しなくてもいいという
選択を採りうるはずだよ(採ったとしても、それは抑圧的でない。
なぜなら、他の場所で議論をすることを物理的に妨害したのではないから)
ある意見を認めない意見を述べることは、単なる反論のことなのに、
反論が多いことを抑圧と考えるふしがあるのが気になったんだよ。
>意味が分かりません。小林の見解から招かれる「実際」とは?
>小林の意見を抑圧したいというよりも偏狭な民族主義がもてはやされる
>論説的な地平を切り崩したいというのが、こちらの意図だよ。
えっ? 偏狭な民族主義がもてはやされる論説的な地平を切り崩したいのは、
まったく同意見だよ。
「実際」というのは、例えば、小林が資料を引用して発言する、その資料に
反する資料からの発言は、すべてサヨである、とするケースがある
(資料の信憑性に関する議論について、主張する主体の政治的な立場を
読み込んで曲解することがある)。
こうした資料の扱い方からの言説が、「常識」だとか言ったりする
あり方が、いわゆる「コヴァ」とか呼ばれる人たちによってもたれたりするのが
「実際」でいおうとしたこと。
>あれま、どちらでもいいという意味は「小林の言説内で語れという
>ならばそれでもいいけど、小林擁護派には損だよ」という意味。
>最初からこちらの意図の誤解の連続なのよ、君・・・。
別に私は小林を擁護するつもりは、まったく無いんですが・・・。
なんで私に対して言うのかがわかんないです。
>政治的意図 ねーよ
ないかどうかの回答には意味はないんじゃないの?
実際に意図があったかのような事実関係がつくられていくかどうかでしか、
こういう問題は扱えないから。
>>269 おっけ、じゃ争点整理。小林にウェーバーを読み込む点は、
>>204 で自分でも「難しい」コメントしている。その上で「あえて、読み込む
ならば」としている点をくんでほしい。
だから、「どっちでもいいけど」なわけだ。OK?
>いや、ある考えから、この考えは導かれるという風に言うことは、
>論理的にはなしうる。
その導かれる証明が論理的に弱いと言われれば返す言葉がないが、大体
ここでステップ・バイ・ステップの厳密な議論が期待されているのか?
また、論理的推論の土台となるのは小林そのものというより、自由主義
史観の論者全体と見るほうが射程も長く、有益だと思える。
>小林の意見それ自体の傷をガーゼでくるんで、見えなくする狙いがある。
繰り返すけど「狙い」はない(笑)。一連の発言読んでて分かるでしょ。
小林擁護派だと思ったの?詳しくは、
>>176 を読んでみてくれ。
>「実際」というのは、例えば、・・・
「実際」というより(歴史的)「事実」、それから導かれる(政治的)
「現実」ということね。日本語って難しいね(笑)。申し訳ないけど、
かなりの未定義擁護の羅列、悪文だよ。ただ、何かを言おうとしている
姿勢はいいけど、分かりにくい。
>実際に意図があったかのような事実関係がつくられていくかどうかでしか、
おっしゃる通りでございます。君のように誤読する人もいるからね。
お互い言葉足らずだったということで。
>>270 あ、どうもです。いま見たら、妙にまとまっていたので、つい笑ってしまったです…。
おっけ、じゃ争点整理。小林にウェーバーを読み込む点は、
>
>>204 >で自分でも「難しい」コメントしている。その上で「あえて、読み込むならば」
>としている点をくんでほしい。だから、「どっちでもいいけど」なわけだ。OK?
あ、はいわかりました。
>その導かれる証明が論理的に弱いと言われれば返す言葉がないが、大体
>ここでステップ・バイ・ステップの厳密な議論が期待されているのか?
>また、論理的推論の土台となるのは小林そのものというより、自由主義
>史観の論者全体と見るほうが射程も長く、有益だと思える。
この部分は、これまでのきゅりおさんの発言の経緯を踏まえるなら、
賛成です。
>繰り返すけど「狙い」はない(笑)。一連の発言読んでて分かるでしょ。
擁護している狙いがないようにも、あるようにも読めると思ってました。
ただ、180さんについては、擁護しているように見えました。
>>176は…えー、あの限りではまったく賛成です。
…す、すいません…。最近の文章を読むだけで、きゅりおさんの考えを
とらえようとしてしまいました。
>かなりの未定義擁護の羅列、悪文だよ。
うーん、そうだと思います。ただ、述べ出すと今度は長くなりすぎるので…
(過去の)歴史的事実(認識)から、(未来の)政治的事実(創出)の
問題に論理的に飛躍して転嫁されたりする「現実」を、是認する人たちの
「実際」という感じです。
>実際に意図があったかのような事実関係がつくられていくかどうかでしか
いや、私が
>>176を念頭においてきゅりおさんの意見を読まなかったのが
まずかったです。ごめんなさい。
>
>>261 >ぜんぜん具体的じゃないよ・・・。
う〜ん・・・結構具体的かつ単刀直入に言ったつもりだけど。
どこらへんがわかんないのかしら?
>>271 擁護にも読めたのかー、ある意味、ショック(w
私は261ではないんですが、
>251
戦後民主主義を突破したいていうのは
いいんですよ。それは誰だって言ってる。
ただそのときに小林は結局復古主義に訴えてるんでしょ、ということが話題になった。
しかしあなたは小林は復古主義だけではない、と言った。
ではあなたの目から見て、小林は戦後民主主義を批判するときに
復古主義以外のもので具体的にどんなものを持ってきてるのか、ということを聞きたい。
つーか、哲学板では小林論、盛り上がらんね。やはり、「議論すべきものがない」つーとこ?
でも哲学板の他スレよりここのほうが余程レベル高いと思うけど
>>274 256さん。よく読んで下さい。
繰り返します。よく読んで下さい。
わたしは、小林が復古主義だけではない、と言っるのではない。
ほんッと、よく読んで下さい。
>253 :251 :01/11/18 02:07
>きゅりおさん、番号間違い?
>
>250は小林そのものより、小林がウケている理由について考えてみたものです。
小林を支持する若い層を、復古主義と断じきるのは違うのはないか、と言っている。
(直前のきゅりおさんさんの発言を受けている)。
# このスレがレベル高いなんて、信じられないよ〜(笑
# わたしの書き方が断片的でわかりにくかったかもしれませんが、しかし、
# 正直こんなに難しく捉えられるとは思わなかったよ〜。
しかし、そうですね・・・。
戦後民主主義を含め、社会-政治システムの陳腐化という事態が現実にある。それに際して小林は、古い共同体を「公」として改めて選び直すことを勧奨しているともとれる。そうであれば、少なくとも、《単純なノスタルジーによる復古主義》ではないでしょう。
既出の議論と重なりますが、そこにはそれなりのアクチュアリティがあります。あとはそれが実利に適っているかどうかで判断すればよい。
復古主義イコール、即×(ばってん)じゃ芸がないからね〜。
279 :
ウッキーマウス:01/11/19 12:54
Fuck!Fuck!
>>251 あなたは戦前の京都学派の「近代の超克」論を知ってますか?
小林の議論、コヴァの議論、「いずれも」その範囲を出るものではないので、
「復古主義」でイイトモイマス。
<小林および彼の言論上のパトロンの自由主義史観についてね>超近代
(ポストモダン)を議論しようという方向性には同意です。ただその象徴
が、
(1)アジア的独裁の色彩の強い天皇制
(2)「個」と「公」が有機的に結びつき、かつ、「公」と「個」が
生体論的なフィードバック関係ではなく、「公」が「個」を一方的に
制約するシステム(近代国家では「公」=官僚制)
に制限されることは176で述べたように明らかに時代遅れ(というより、
歴史と自分の思想との緊張関係を持っていない)と言ってイイトオモイマス。
従って、「復古主義」でOK。大体、自由主義史観は戦後民主主義の「乗り越
え」を企図しているんじゃなくて、単に気に入らないから「ケンカしてる」だ
けに見えるのは俺だけ?
うんこ!うんこ!
あら。きゅりおさん。いらっしゃったんですか。
歴史学上、復古主義reactionism とは反動派の思想を指し、たとえば王政復古がこれに当たります。つまりそっくりそのまま昔通りの姿に戻そうとするのが復古主義ですね。
近代の超克論は寡学ながら、存じてます。が、それを全面的に復古主義とする議論は初耳です。
それはともかく、小林−自由主義史観は近代の超克論の延長にあるから、復古主義である、というあなたの考えは承知しました。
しかしそれは、単純なノスタルジーによる復古主義ではない、というわたしの言い分となんら対立がありません。言うなら、語の定義がいささか違うだけです。
わたしに噛みつかれても困ってしまいますよ(汗笑
それから、小林はともかく、小林に惹かれる人たちまで復古主義でしかない、というのなら、それには反対です。
>コヴァの議論
というのはどういうことでしょうか。小林に狂信的に傾倒しているファンのこと?
わたしはそういう人たちのことだけを言ってるのではない。
こういう議論のされ方が一番困ります。
重ね重ね言ってますが、わたしはそこに復古主義があるのを否定していない。
それだけではないだろう、と言ってる。
復古主義だ、とイデオロギッシュに断定することで零れ落ちてしまうもの、それにもっと目を向けて欲しい。
そうしなければ「彼ら」を説得することなど、おぼつきませんよ?
>282
出張で以外は大概PC前なので、いつでもどうぞ(笑)。
「復古主義」の使い方が不正確でしたね。
>小林の議論、コヴァの議論、「いずれも」その範囲を出るものではないので、
>「復古主義」でイイトモイマス。
これは現代のテーマである「戦後」民主主義の乗り超えを目指していながら、
「戦前」の脱西洋文化思想に埒内で議論している小林擁護派を皮肉ったものです。
正確に書くなら「『復古主義』」ならOKでしょうか?変なトラップでごめん(笑)。
>コヴァ・・・
失礼、最近覚えたのでうれしくて使っちゃいました。無批判に小林の言説を受け入れる
層、という定義でしょうかー。
>わたしに噛みつかれても困ってしまいますよ(汗笑
いつ、噛んだ?
時間があるときに詳論したいのですが、争点(ご自分の意見を言っていな
いので判断できなっすけど)、あるいは論点「小林に傾倒する若者」の
メンタリティですね。
良ければ、「復古主義」だけでない・・・という部分を語ってもらえると
有益かも。
難しいなー。とりあえず282さんの
>復古主義だ、とイデオロギッシュに断定することで零れ落ちてしまうもの、それにもっと目を向けて欲しい。
>そうしなければ「彼ら」を説得することなど、おぼつきませんよ?
の発言に同意。
はっきり言うが、小林は現代思想に親しんでるものからすれば、簡単に論破できる。
だが、俺は思うのだが、現代思想の語彙を身につけてるような人たちは
そうすることでぐっすり眠れるようになるかもしれんがどうなんだろう?
ギアをニュートラルにしてエンジンを吹かしている、という気がせんでもないのだ。
回転数は上がるが前には進まん。
自分の痛みを、とりあえず「民族の誇り!」という叫びでしか表現できない人を
「復古主義者!」ということで黙らせれば、痛みを感じる現状は手付かずで残ってしまう。
つまり「復古主義者」という言葉はイデオロギー的な効果を持ちかねん気がする。
その意味で
>>247-249の言い様は、2chだから別にいいんだけど、
もしもみんなそういう目でしか見てないのだったら、ちょっと違和感を覚えるなー。
だが厄介なのは、小林擁護的な言葉も現状ではイデオロギー効果を持ちかねん、ということだが。
260さんの意見は確かにその通り。
論点だけを引き取って、現代思想に詳しくない人たちに通じる言葉で議論するのがいいんだろうな。
とりあえず、245について。
国家については上に書いた通りで、俺は便宜的に見てる。
>オールドタイプの右対左をわざわざ作り出してそこで
遊んでいるという観がないでもない
そういう気は俺もせんでもない。
エゴについては、まあ、例えば、俺はラーメン屋でバイトしてたんだが、
近くにもラーメン屋があってな、で、そっちはつぶれてしまったわけだ。
で、店畳む時にその店の一家がこっちをすげー目で見てるわけよ。
で、資本主義が悪いんだ、と言えばいいんだが、
その資本主義で食ってるのが俺ちゃうんかい、と。俺は自分で良かれと思って
この店で働いてるのではないのか、お客さんにも店長にも喜んで
もらったじゃないか、まずそれについて自分の選択に誇りをもとう、と。
(むろん、俺が言ってるのはあくまで暫定的な選択だ。
過去の「そうあった」、を無批判に「私がそう望んだ」と俺は結びつける気はない。
小林自体は知らんが、どうせニーチェ読んでないだろう)。
つまり、戦争起こさなけりゃ誰も不幸にしとらんのか、といったら、
そうでもないわけで。それを見つめた上で、なお自分の選択を見直して肯定しよう、と。
ここまでは、たぶん、小林の言ってることに該当すると思う。
やたら経済闘争とか強調するし。
ただ、この論点は即座には民族に結びつかないことを強調しておきたい。
小林も直接に結びつけてるようにはおもえん。
日本人とは?という問いが出てくるのは、あくまで小林の物語としてであって、当然それに
応答しない人もいると思うし、物語と自覚している以上、自分の言説を絶対化する気は無いだろう。
これは俺の意見なのだが、実在論がまやかしだった以上、今や安心して
あれこれの本質について語ることができる、と思ってる。
だから、小林のように語ってみせるのもありだろう、と思ってる(それが復古主義的でも)。
逆に、物語を否定する物語を、小林はいわゆるサヨクに見て取ってるんだろう。
あと、戦争一般についての話と、大東亜戦争の話は、俺は違うと思ってる。
小林の大東亜戦争について語る際の問題意識は、ニーチェ的な問題意識と、
冤罪を晴らす、という問題意識がかさなっとる。
だから、あたかも、大東亜戦争が良い戦争だったことを証明すると日本人が誇りを持てる、
という感じに読める(南京虐殺や慰安婦については、こうした考え方を小林は否定していたはず)。
正確に言えば、南京虐殺があろうがなかろうが、日本人の誇りには関係ない。
だが、よく資料を当たるとこれは冤罪じゃん、と。
おまえら良い子ちゃんごっこに無罪の人を巻き込むな、と。
ましてや、考えてみればそれは我々の先祖ではないか、と。
これは言わなくちゃいかん、と言う感じだと俺は解釈してる。
大東亜戦争については、小林がこれはいけてる戦争だと思ったんだろう。
だが、小林自身、自分の見解に反対するやつは皆自虐として扱ってるように思える。
何か自分でも答えになってる気がせんなー。俺は小林という人物を擁護する気は無いよ。
だが、彼の言ってることには考える価値がある、ということも言わないといかんのでは?
と思ってる。小林自体というより言ってる内容ね。
>>284 >「復古主義者!」ということで黙らせれば、痛みを感じる現状は手付かずで残ってしまう。
仰っていることはよく分かりますよ。僕もイイタイコトをまだ展開していないので、後ろめた
いんですが、
>>250 は小林批判のさわりです。つまり、「戦後民主主義」を信奉している層が
言うような底の浅い言説です。250でも「とりあえずたたき台」と言って
ますが、小林の言説から「何かをすくいとろう」とするなら、とりあえず
250はかるーく論破してもらわないと困ります。
「近代批判」というテーマはマルクス主義社会学、自由主義史観、システ
ム論、文化人類学・・・などを問わず21世紀の共通テーマです。だからこそ、
復古主義では言い切れない何か・・・、「何か」でお茶をにごすんじゃなく
て、それを厳密に定義しないと議論も始まらないわけです。
215さんも期待してますよー。
そこからまた先に進みましょう。お待ちしています。
今、料理してるんで、この辺で(笑)。
>251
>小林を支持する若い層を、復古主義と断じきるのは違うのではないか、
>と言っている。
大変失礼しました。罪滅ぼしにワタシもう逝きます。
でも、わたしの言いたいことも同様にあなたに全く伝わっていない。
わたしも「復古主義」という言葉で黙らせる気はない。
そうではなくて、わたしが言いたいのは、
現在の状況において反動的な言説を唱えることがなんらかの
アクチュアリティを持つ(かもしれない)ことと、
その言説(乃至それに対する好意的反応)が「単なる復古主義」であること
とは矛盾しない、ということ。
そもそもある状況を踏まえてなされる発言が
なんらかの意味でアクチュアリティを帯びるのは当然であって、
「アクチュアリティがあるから復古主義ではない」というのは意味が通じない。
で、再度質問。わたしは256で
「全般的ルサンチマンに対する受け皿としての復古主義」というユルめの議論を立てましたが、
あなたは小林の言説に反応する若者達に
復古主義では言い切れない何を見ているのですか?
ではさようなら
215さんではなくて251さんでしたー。
スレ、売れないんでゴー宣板に移動します?
向こういっぱい釣れそうなんで。
290 :
考える名無しさん:01/11/20 22:49
逆に釣れすぎて
大荒れに荒れて終わっちゃうよ、きっと
というか、哲学板でやるメリットが少ないと思う。
ゴー宣板なんてあんの?
コヴァ板(これが正式名称?)で遊んでます。
ちょっと釣れましたが、議論になるより先に罵り合いに・・・、それもまたよし(w
295 :
考える名無しさん:01/11/20 23:41
ホントだ
ていうかこっち楽屋っぽくて楽し(w
一人釣れそうです。ここの
>>176 ぶつけてみました。
>きゅりおとか、そこいら。
スマンがそういうのはsageてやってくれんか。
楽しみを邪魔して悪いが、目障りなんでな。
>>287 すいません、わたし単なるノスタルジーにはあんまりアクチュアリティみたいなもの、感じないんですよ。
だから、アクチュアリティと《単純なノスタルジーによる復古主義》との間には、割とはっきりとした矛盾があると思ってます。
しかし、そんな枝葉のことはおいて、わたくしが小林個人の立場ではなく小林に惹かれる人たちことを話していた事は、おわかり頂けたようで嬉しく思います。
復古主義以外の何が人に小林を読ませるのか、ということについて、ご質問がありました。
大して難しいことでもないので、どうして上手く伝わらないのか苦慮しておりますが・・・。
251,259,278に書きましたが、戦後民主主義の綻びという事態があり、小林はその問題も描いてます。世の中の物事に敏感な若い人が、そういう問題設定に共感するのはこれは当然と言ってよいでしょう。
小林の国家主義に入れ込んでしまう人でさえ、その出発点には自分の目の前で起こってる「民主主義」社会の諸問題があったのだろう、と推測します。
「戦争論」だったか「ごーまにずむ宣言」だったか忘れましたが、「学校での平等主義は《みんな同じでなければならない》という抑圧体制に成り果てている」といったような記述がありました。
こういった問題意識はいまどきの若い人の大多数が、かなり深刻なものとして抱え持っているようです。
わたしの周りの10代末〜20代半ばくらいの人にも、小林のエッセイまんがを読んだり買ったりしている人は多い。
雑談の合間などに感想を聞いてみると、国家主義的な部分はともかく、小林の問題意識や提起には共感することが多い、そういう声がほとんどです。
小林に向けられる支持の大半は実はこのような層によるものではないか、と思います。あくまで個人的な感慨ではあるのですが。
結局左翼も右翼も、あるいはどちらでなくても、基底的なところでは同じ様な物を持っているな、と感じることが屡々あり、小林を巡る一連の騒ぎにもそれを感じることは多い。
それを感じ取れれば、どの陣営であれもっと先に進むことが出来るであろうに、惜しいなあ、勿体ないなあと思います。
・・・まあもっとも、わたしは右翼も左翼もあまり好きではないので、どうでもいいといえば、どうでもいいことなんですけどね(藁。
>>299 で、そのルサンチマンほ源の仮説として、
◆システムの「内」、「外」-小林擁護派増殖の背景-
この場合のシステムとは歴史上支配的な生産関係の総体と定義する。
小林信者増殖の土壌となった1980年代のシステムとは「リーマン文化」
だ。つまり、官僚制をトップに産官学マスコミの「四身一体」となった
ヒエラルキー構造がその背景にあった。このシステムは戦後民主主義を
思想的な教科書としてリスクを嫌い、システムの自律的な維持を最大の
目的としていた。
このシステムは拡大を続けている限りでは常に余剰のパイを生み出し、
新たなリクルートを受け入れることができた。つまり、システムへの盲
目的な忠誠の代わりに経済的な安定を提供することによって成り立つ、
バーターの関係だ。80年代戦後最大の好景気を背景にこのシステムは永
遠に拡大を続けるものと思われた。
しかし、90年代に間歇的に訪れたバブル崩壊によってシステム自体の強
度・信頼性が大きく揺らぐことになる。システムの収縮局面が訪れたこ
とになる。つまり、これまではシステムに参加するためにシステムに無
批判な労働力を供給し続けてきた学生層にシステムの「内」側とシステ
ムの「外」側を生むことになった。
その「外」側が小林擁護の土壌だ!・・・てのはどう?
すいません、きゅりおさん。話がさっぱり見えません。
まず、
>で、そのルサンチマンほ源の仮説として、
からして、なにがなにやら(笑
あ、さげで書かなけりゃいけないのかしらん。
え〜と・・・、「その」ルサンチマンとは「どの」ルサンチマンなのかな。
52@コヴァ板ですが
内容あるレスが小林派から来ないんでもう寝ます
もっとちゃんと書けばよかったのかな まあいいや
きゅりおさん頑張ってください
>>305 今、コヴァ板で国家論、論じてます。よかったらどうぞ。
>>304 ん?小林擁護派増殖の理由の仮設して、彼らの「ルサンチマン」があった
という節はがいしゅつでは?
>>306 ???
え〜〜〜と・・・。それ299がなんの関係があるのかよくわかりまんが・・・。
擁護派といってもいろいろでしょうから、ルサンチマンばかりではないと思います。
例えば180さんやわたしも、人によっては擁護派も見えるかもしれません。
>>307 君は議論を始める前につべこべ言うタイプね。ま、大体でいいからコメントしてみてヨ(w
・・・きゅりおさん、なんか突然人がかわったよな。
コメントですか。そうねえ。全体にちょっと論理的精度が荒っぽいような。
あと、唐突なので、ちょっとびっくり。
それからやっぱり、擁護派=ルサンチマンみたいな極め付けは、政治思想板風味かなあ。
>>309 ごめ、カケモチで忙しいんで(w。
擁護派=ルサンチマンは自分の小林論の肝なんで、ちょいとこだわります。
ほかになにかある?(さあ、そろそろ語ってくれ!)
>ごめ、カケモチで忙しいんで(w。
あ、こちらの方はゆっくりで結構。どうぞあせらずに。
>擁護派=ルサンチマンは自分の小林論の肝なんで
そういう「政治的言説」は余所の板でやって欲しい(笑。
それくらいかな〜。
>>312 >そういう「政治的言説」は・・・
いや、バリバリ客観的なつもりでございます。肝というのは現代社会の
分析のキー概念って意味ね。
>>300読む限りではあんまり客観的には見えないかな〜。
心理学風解釈ってのは、実証性に乏しいからね。
どうしても「党派的な物語」に陥りがちだし。
それはそうとして、最初に聞いたけど、それと299になんの関係があるのかしら?
>>314 ま、君の感想は自由だ。
質問いいから、そろそろ語ってよー。
え〜と、何を語ればいいんでしょうか。300については大体いいました。
質問に答えてくれれば、嬉しいんだけどなー。
>>316 だめ! 君が長文書いて、俺が「まーまーだけどさあ、ちょっと論証、弱いかな」とか、コメントするのさ。
いや、させろ!w
って、イイタイコトないの? 質問君。その方がやばくない?
コメントがちょっとキツ過ぎたかな?
ごめんなさいね、コメントしろというからしたまでで、他意はありません。正直な気持ちです。
長文は299でも、どーぞ召し上がれ。
質問にはちゃんと答えて欲しいなあ。そういうのって、あんまり誠実じゃないよ〜。
>>299 ・・・ね。何でコメントしなかったか、ちーと考えてみ。
うーむ、あくまで質問をはぐらかす気かー。
まあいいでしょ。
答えられない特段の理由があるのでしょうから、これ以上は追いかけない。
コメントしない理由? それはこっちが聞きたいよ〜(笑
>うーむ、あくまで質問をはぐらかす気かー。
君はいい奴だ(w。でも、はぐらかす気はない。こたえる気がしないだけだ<マジで>。
>>299で答えなかったのは悪いけど、言い古された一般論の範囲を出ていないからだよ。
>言い古された一般論の範囲を出ていないからだよ
ええ、もちろん!その通りですよ!
わたしはそのつもりで書いたし、251以来そういうレベルのことしか言ってない。
>>299冒頭で大して難しいことではない、と断ってる通り。
なぜみな何度も聞くのか? 最初の頃、端折りすぎたかなー?
323 :
考える名無しさん:01/11/21 07:47
>>299(251さん)
ぼくなんぞで良ければちょびっとコメントします。
>復古主義以外の何が人に小林を読ませるのか
>わたしの周りの10代末〜20代半ばくらいの人にも、
>小林のエッセイまんがを読んだり買ったりしている人は多い。
>国家主義的な部分はともかく、小林の問題意識や提起には共感することが多い、
>そういう声がほとんどです。
>小林に向けられる支持の大半は実はこのような層によるものではないか
>自分の目の前で起こってる「民主主義」社会の諸問題
>結局左翼も右翼も、あるいはどちらでなくても、
>基底的なところでは同じ様な物を持っている
これって、「戦後民主主義が限界をきたしている」という
(それ自体は左派でも右派でも指摘しうるし、実際している)現象について
小林の本を読んで初めて教えられた人が多い、っていうことを言ってるだけですよね。
あなたの言う「わたしの周りの10代末〜20代半ばくらいの人」は、
(あなたのレスを読む限り)小林の思想そのものに賛同してるわけでは全くない
(>「国家主義的な部分はともかく」)。
単に、戦後民主主義の限界について述べている本を小林のマンガしか知らないというだけです。
例えばあなたの指摘では、なんで宮台でなくて小林なのか、という点について
原理的な説明が絶対にできない。
だからまあ、299の
>それを感じ取れれば、
>どの陣営であれもっと先に進むことが出来るであろうに
とかいうあたりをあなたがもっと具体的に述べてくれると、
もう少し議論になるかもしれませんよ。
>>323 え〜、これは仰るとおりかと思います。
なんで宮台でなく小林なのか、といえば、それは小林の方が知名度が圧倒的に大きい、
ただそれだけの理由だと思います。
小林も宮台も、両方読んでいる人ってのは全体から見て、ほんと極少数。
宮台だけならもう少し多いんですけど。
>あなたの言う「わたしの周りの10代末〜20代半ばくらいの人」は、
>(あなたのレスを読む限り)小林の思想そのものに賛同してるわけでは全くない
>(>「国家主義的な部分はともかく」)。
誤解があるかも知れないので申し上げておきますが、わたくしは小林の思想に
参っちゃってるような人、たとえばコヴァ、っていうんですか? だけのこと
を俎上にあげているのではない。それは282でも書きました。
それ以外の人にどうアプローチするかが、アンチ小林派にはもっともっと大切な
ことなんじゃないか、と思います。
326 :
考える名無しさん:01/11/21 12:20
>>それを感じ取れれば、どの陣営であれもっと先に進むことが出来るであろうに
>とかいうあたりをあなたがもっと具体的に述べてくれると
え〜と。これも大したことじゃありません。ご期待に添えず汗顔の至りでゴザイマス。
相手の理論の前提となってる問題意識や、互いの共有できる基盤を明らかに出来れば、相手を説得するのがより容易くなるだろう、というくらいのことです。
またそれらを確認し自分の中に取り入れていくことで、自分の考えをもっと高いレベルに引き上げて行くことができるでしょう。
「バカ」だの「アカ」だのレッテル貼りばかりでは、まぁ彼らがそうする楽しさもわかりますが、やっぱり、時間もシステム資源も勿体ない! て思うんですよ。
宮台と小林はライバルだけあって(?)、よく似てる。哲学の立場から見ると尚更に、ね。ベクトルが違うだけで背景のパースペクティブは大して違わない。お互い譲れるところは結構多いと思うんだけどね〜(^。^;
慇懃無礼という言葉を知れ。
誠実でないのはどっちだ。
質問は明確に、だ。
>>251
つうか、大したことを書いてないんならば、
もっと短く書けんのか。ダラダラと書きやがって。
そうだよね。
本質を短くまとめるのも、哲学者の重要な才能なのだから。
粗雑な現象を粗雑なまま書きつづけても、なんの意味もない。
何か混沌としてきたから俺宛てのと300だけに答えるぞ。何かあったら言ってくれ。
>>250 >自分の文化に依拠しながらも他者の文化を正当に評価して受け入れるという
>精神活動は何も教えられていない
からそれを教えようとしているのが小林なのだと思うのだが。
自文化が何か、という部分で歴史を見直し、自分なりの物語を語ってるのが
小林だろうが、それは小林の物語であって、それには距離を持ってる奴は
282さんのように多いのではないか?
小林の主張は「足元を見直せ」と一般的に注意を促すものと、
「我々はこういう我々だ」と具体的に物語を語るものとに分けられると思う。
俺は前者に依存は無く、後者を巡る討議が活発になることを期待している。
俺自身は天皇にはリアリティをもてんがな。
>300について
いわゆる小林絶対主義者、ということなら話はわかる。
だが、それを言うならアンチ小林やら戦後民主主義絶対主義者も
等しく問題になりそうだがな。
実際アンチ小林も、思想に通じてるしかプライドの持てない奴の
ルサンチマン、と解釈できないことも無い。だがそれは避けたい。
小林もそういった擁護したり批判したりが生きがいになってしまうことに
危機感を覚えてるのだろう。
とりあえず、俺の基本的な立場は、プラグマティズム流に、
問題の発生→違和感の表明→検証→解決→最初に戻る…
と考えている。だから、従来受け入れられてきた仮説に違和感を覚え疑問を表明する
科学者のメンタリティや人格が問題にならないのと同様、さしあたり、
小林擁護派のメンタリティや人格は、俺には問題ではない。
基盤を求める、というのは、なんだかルカーチ的な歴史変革主体を
求める議論みたいだな。プロレタリアこそが認識論的に
特権的な立場を持ってる、みたいな。
関係性の全体性という古い構造主義的な考えに依拠した、
自然主義的な批判理論的立場には俺は基本的には賛同できない。
ウィトゲンシュタインと同様、それは「別の記述の仕方」の一つに
すぎないと俺はみなす。システム論も同様に、俺は物語だと捉える。
それに、俺としてはそれを本人達に語ってもらわな意味が無いと
考えてるわけよ。いわゆる庶民の人達が実際に活発に語ってほしい。
意味地平などというものは本来的に語り得ないものであって、
だから本人が実際に語ってみるしかない気がする。
その場合でも、地平は絶えず語り得ないものとして残るだろうけど。
俺にできるのはそういった人達をエンカレッジするしかないと思ってる。
卑怯な気がするから、小林への批判をする。
一つには「洗脳」という言葉を使うことはやめるべきだ、ということ。
これはよほど特殊な状況で用いるべきだし、もしも洗脳を認めるなら、
小林自身の庶民の感覚に訴える、という戦略も危うくなる。
そういった感覚自体が洗脳されている、とも見ることが出来るから。
第二には、戦争時の人の状況を慮るという感受性が、いわゆる
サヨクに対して消滅してしまうのは何故か、ということ。
相手の動機に問題を還元すること、謀略非難することはやめた方がいい。
第三には、小林自身「戦争=悪」という図式を崩し、また、
「悪魔的軍隊/紳士的軍隊」という図式を壊したいように見える。
ところが、即座に彼は大東亜戦争の日本人のいい物語を語り出す。
「悪魔的軍隊/紳士的軍隊」という図式を壊すことと、
日本人のいい物語を語るという作業は両立するのか?ということ。
>>331 >>自分の文化に依拠しながらも他者の文化を正当に評価して受け入れるという
>>精神活動は何も教えられていない
>からそれを教えようとしているのが小林なのだと思うのだが。
違うでしょ。自分の文化をパラノイア(誇大妄想)的に拡大させつつ、他者の文化
を貶める精神性だけをコヴァらは持っている気がするが、とすると、小林の戦術は
失敗したのだろうか?
30前のOL(失礼!)が「自分探し」を始めるようなもの、批判精神なしに自己
文化の再評価がパラノア民族主義者を増殖させているのでは?
多元主義の肝は不断の自己批判の精神だ。小林擁護派、自由主義史観論者にそれが
あるとはゆめゆめ思えない。
>>300 についての
>>331 のコメントはちょっと意味不明。自己のみに通用する
言葉を使うのも・・・。
>>332 >基盤を求める、というのは、なんだかルカーチ的な歴史変革主体を
>求める議論みたいだな。プロレタリアこそが認識論的に
>特権的な立場を持ってる、みたいな。
こちらの意図は全く逆だったけど、システムの「外部」から常に歴史変革
の主体が生まれるのは、自分にとってはかなり確信に近い。
ただ、2000年現在、システムの「外部」をプロレタリアートとしてくくる
のは無理だろう(w
自分の思想的な背景はあなたが古いという(w構造主義です。メルロポ=ン
ティ、デリダ、フーコー、とりわけ、アルチュセールの「認識論的切断」の
概念が自分としてのキー概念と言っても過言ではないっす。
(彼の研究者、今村仁司の影響もかなり・・・w)
だから、「重層的、不連続的」なわけです。
最近はドゥルーズの概念をちょっといじくって遊んでます。
さあ、手の内は全てあかしましたぜ(w
だとすると、歴史変革の主体はシステムの「内部」?
外務省、変えるのは、スーパー外務官僚? それだけは絶対にない。
ああ、=の位置が・・・
短いと誤解され、詳しく書けば文句言われる。ムズカシイ...
他のスレじゃこういうことないんだけどなー。
ま、今後は気をつけます。スンマセン。
337 :
考える名無しさん:01/11/21 22:21
>>300について
>いわゆる小林絶対主義者、ということなら話はわかる。
>だが、それを言うならアンチ小林やら戦後民主主義絶対主義者も
>等しく問題になりそうだがな。
>実際アンチ小林も、思想に通じてるしかプライドの持てない奴の
>ルサンチマン、と解釈できないことも無い。だがそれは避けたい。
これわたしにはよくわかります。禿同ってカンジ〜。
# レッテル合戦はよくないよ!
>自分の文化をパラノイア(誇大妄想)的に拡大させつつ、他者の文化
>を貶める精神性だけをコヴァらは持っている気がするが、
この先入観を無くすように、そしてこういった言動が意味を為さないのでは?
と俺や251さんは言ってるのだが。
>とすると、小林の戦術は失敗したのだろうか?
俺はそうではないと見ている。確かに小林への傾倒が自己の存在理由に
なってしまっている人もいるだろう。だがわりと距離を持って見てる
人もいると思う。
>「自分探し」を始めるようなもの
この自分探しをいかにして軟着陸させるか、というのが問題なのだろ。
あんたもそれに危機感を持ってるなら、その意味で小林と共同戦線を
組むことも出来るはずだ。まあ無理にとは言わんが。
俺はこの、最近の用語を使えば、「再帰性の過剰」、絶え間ない終わりの無い
問い直し(この再帰性こそがシステム再生産を支えているのだが)を
いかにして軟着陸させるかが、近代批判の要点だと思っている。
>多元主義の肝は不断の自己批判の精神だ。小林擁護派、自由主義史観論者にそれが
>あるとはゆめゆめ思えない。
自由主義史観についてはさておき、小林擁護派についてのそれは
偏見ではないのか、偏見は別にいいがそうではないという可能性も
あるということも忘れんでくれ。それが不断の自己批判だろ。
>>331について
早い話、関係性に訴える人の問題は、人々の認識は関係によって
作られるイデオロギーだと言っておきながら、自分だけは
正しく認識している、と言うことだ。そこで、お前も関係の中に
いるんちゃうんか、と批判がくる。
で、ルカーチの言ったのは、要はこういうことだ。
まず特権的な認識論的視座など無く、いかなる認識も等価だ、と。
しかし、関係性には極限があって、そういった関係性の全体を
認識できる人がいる、と(不思議なのは、その全体性が国民国家の範囲と
一致してしまうことなのだが)。それがプロレタリア、だ、と。
だから、ブルジョアの認識は全体を捉えてないからだめで、
プロレタリアの認識だけが正しい、と。
批判理論が言ってるのは、そのプロレタリアの位置に知識人を
置いたものだ。両者とも結局、自然主義、実在論に陥る。
不思議なことに、両者ともに、人の認識は関係性のなかで作られる
イデオロギーだといいながら、自分だけは正しく認識していると言い、
しかも、その関係性の全体の範囲が、ぴたりと国民国家の範囲と適合する、
と述べている。だから、国民国家は所与とみなされることになる。
批判理論を自然主義と批判することについてはトイニッセンの
批判を参考にしている。「歴史となんとか」とかいう本だ。
で、俺は、関係性というのは物語の一つとみなすわけだ。
関係性と言うことでいわれているのは、要は、当事者のコントロールを
超えた関係の中に当事者がいる、ということだ。
で、その関係の全体性に特権を与え、当事者が行っていると「思っている」ことは
「実際に」彼が行っていることではない,と言う。
俺は、当事者が行っていると「思っている」ことと、「実際に」彼が
行っていること、というのは、彼の行為についての二つの記述にすぎない、
とみなすわけ。どちらも正しいというわけじゃない。
自分についての誤解もありうるわけだから。
で、当事者が述べてるのも、観察者が述べているのも、
さっき出た普段の自己批判の一つの過程とみなして循環的に捉える、
というのが俺の見解。だから、当人達に声が届かなければ無意味なわけよ。
意味地平というのは、生活世界とでも言い換えてくれ。
広松読んでるならわかるだろ?
うまくまとまってる自信が無い。何かあったら言ってくれ。
つか、必死に書いてて今見たらレスついてるね。
とりあえず、これ消すのくやしいから送る。
いつも長くてすまんな。
>>334について。
>システムの「外部」から常に歴史変革
>の主体が生まれるのは、自分にとってはかなり確信に近い。
いや、ちょっと待ってくれ。システムと関係性はとりあえず分けるぞ。
関係性の外部なんてのはありえんだろ。あんたの立場からすれば。
いかなる人間も関係性の中にいるわけだから。
あるシステムの外部と言うことならわかる。だが、システムの外部者は
マルクス主義の伝統からすれば歴史変革主体にはならんでしょ。
だって、どういう歴史変革主体がどこから来るのか、それは誰か、
というのも、当該のシステムの中で決められなくっちゃおかしい。
つまり、システムの矛盾→止揚なわけで、外から来たら矛盾じゃない。
まあ、それはマルクス主義の話であってあんたの話じゃないから置いておく。
ただ、関係性の効力を免れた人、を想定すると、
>>176の意見は
危うくなるのではないか?必ずしも歴史の流れに沿わない力の存在を
肯定するわけだから、「それは流れに沿ってない!」という批判が
成り立たなくなる。
認識論的切断はわかる。最近ではブルデューだな。
これは否定はしない。否定はしないんだが…。
例えばさ、語った途端に構造に囚われるのならば、エピステーメを
記述するフーコーはどこにいるんだろう?
循環、再帰的な関係と捉えた方が良くないか?
関係を記述する→そういった記述を当事者が読む→関係が変化
→また記述→また読む→…といったような。
そういった流れの中で、当事者達が満足したものが彼らにとっての
良い記述だ、と俺は考えるわけ。だから語ってみなくちゃわからないし、
実際に当事者達が語り始めないと意味がないわけよ。
だって、アカデミズムの中で勝手に「現在女性は抑圧されていることに
決定しました」とか言うことになっても
「勝手にそんなこと決めないでよ!」ってならないか?
「いや、あなたがどう考えているかは問題じゃないんですよ。
とにかく、あなたは抑圧されているんです」というのも変じゃない?
だがしかし、もしかしたら、以前には合意しなかったものに
考えを変えて合意するようになるかもしれない。
それを目指していくことが必要だと思うわけよ。
ただし、こういう場合もあることは認める。
システム論的な家族療法で良く出されるものだが、
夫が心臓発作の不安に悩んでいる。だが医学的には何の問題も無い。
では何が原因か、といったら、家族関係なんだよな。
つまり、夫悩む→家族心配する、息子親孝行する→また不安に悩む
→家族また心配して優しくする…というシステムになってるわけだ。
家族が心配すればするほど、夫の不安は重くなる、と。
むろん、夫は故意にやってるんじゃなくて、不安は無意識からくるわけ。
で、このシステムを見抜いた治療者が、妻にこう言う。
「今度夫が心臓のことで不安に思っていたら、そっと葬式のパンフレットを
差し出してください」と。これで治った。
だが、こういう例はあまり無い。実際関係性を強調する人が
直面するのは、「じゃあどうやって関係性を変えるの?」という問題。
「いや、いかなる人間の意識的な努力も、関係性を変えることは無い」と
言うなら、そもそも関係性を調べることなど無意味となる。
あるいは、決定論を唱えるか。「だから何をやっても何も変わらないのだ!」
あるいは「なるようになる」か。
こういった問題については、浅野智彦さんが色々言ってて、
『自己の物語論的接近』の五章かそこらで考察してる。
浅野さんと葛山さんは最近面白い。おすすめ。
>>341 よしゃ、締め切りを決めてくれ。それまでにレスするから。でも、明日以降ね(w
>>342 いつでも構わないし、俺が見落としていて十分に答えてない部分、
自分だけの言葉になっててわからない部分があれば言って欲しい。
俺もゴー板行こうか?
ゴー板、おいでよー。おもろいよ。って、今ちょっとダレ気味。
国家論では擁護派沈黙させたとこ。
でも、せっかくの長文だからきちんと読んで答えます。
>>340 遅くなってごめん、さーいくよー。哲板で読んでもらいたいのでsage解除。
>確かに小林への傾倒が自己の存在理由になってしまっている人もいるだろう。
>だがわりと距離を持って見てる人もいると思う。
一連の流れで問題にした焦点は明らかに前者でしょう。その上で、後者がなぜ距離を
置きつつシンパシーを感じるのか・・・、それを考えてみるのが有益でしょう。
具体的には「唯心論」、「観念論」的な思想的傾向がある人が小林に共感を感じると
みます。
「自分探し」につては歴史と社会の批判精神なしには自己責任によるアイデンティティ
の確立は考えられません。30近くになって「探す」のでは絶望的でしょう。
>俺はこの、最近の用語を使えば、「再帰性の過剰」、絶え間ない終わりの無い
>問い直し(この再帰性こそがシステム再生産を支えているのだが)を
>いかにして軟着陸させるかが、近代批判の要点だと思っている。
同意。自分の言葉で言えば「不断の批判行為」と読んでいます。その言葉、誰の?
ちょっと欲しい(笑)。
小林擁護派の自己批判精神の欠如については、近代の乗り越えを企図していながら
(小林との共犯関係)、超越論的な「民族」、「道徳」で思考停止している点は
上記、批判に値すると考えます。
厳しいかな?
>>341 この場合のシステムとは「支配階級」とそれに組み込まれたヒエラルキー
体制と意味です。だったら「外部」でOKかな?マルクスの疎外論の範疇です。
現代日本では学歴社会=官僚制度が「システム」、そこで疎外される層が
「外部」と置いた見た。
>例えばさ、語った途端に構造に囚われるのならば、エピステーメを
>記述するフーコーはどこにいるんだろう?
>循環、再帰的な関係と捉えた方が良くないか?
ここは自分の思想のコア部分なので記述が難しい。主観/客観の循環
関係については98%まで同意。しかし、2%で客観=構造の人間に対
する「薄気味の悪い」支配構造の存在を感じる。すなわち、「遺伝子
の狡知」、つまり「生」としての人間に決定論的な雰囲気を自分は
最近感じている。 最近の量子論、遺伝子論を自分なりに検討した
結果の2%の軌道修正だ。これが妥当かどうかはまだ分からない。
「抑圧」を規定するな、という論点は保留。全ての人が精神分析学的な
「無意識」を言語かできているなら必要ないだろう。スキゾ(分裂症)患者の
言説に耳を傾ける必要性とどうように、なぜ「何」が「彼」を抑圧している
のかという構造分析も無益ではないと思う。
>>××がいっこずつずれてました。すまそ。
>>340 については
>>341 で自己レスしてたね。図らずも同じ論点
(語りはじめ)の論点で、精神分析学からのアプローチの必要性を感じた
わけだ。
無意識の領域が「決定論か否かの」の議論はユングの「普遍的無意識」が
面白い。この概念では99.9%まで決定論的に捉えなければならないと思うが
いかが?
誤解されると困るが、俺は決定論者、じゃないよ。
関係論では50%対50%で保証された客観にたいする主観の役割を1%対99%まで減らしたうえ、
その1%に大きな期待を抱いている。
とりあえず、真摯な問いかけに感謝します。
348 :
考える名無しさん:01/11/22 20:09
>>きゅりお氏
再帰性reflexivityつったらギデンズとかベックですね
社会学における一つの流行用語ではあります
>345,346
>具体的には「唯心論」、「観念論」的な思想的傾向がある人が小林に共感を感じるとみます。
>スキゾ(分裂症)患者の言説に耳を傾ける必要性とどうように、なぜ「何」が「彼」を抑圧しているのかという構造分析も無益ではないと思う。
こうやって一方的に切り詰めて裁断するのは抑圧的。
そういうことを、わたしも180さんもずっと言ってるんだけどねえ。
なかなかなか通じないなー。ふぅ。
小林が掘り起こした、ニュートラルな層まで「あっち」側に追いやるとは考えないの?
>>350 唯物論に踏みとどまるのは、ほんと難しいことだと思うけど。
「ニュートラル」・・・自分で思ってるだけで、
本来は小心なモラリストだと感じるけど、何か?
観念論的傾向は日本人の90%以上に当てはまると思いますよ。
「観念論」的な民族なんですから、日本人は(w。
論調が哲学板チックではないっすね。ゴー宣板にきませんか?
だからそういう極め付けが抑圧的だと言ってるわけだけど・・・
言ってるそばから(苦笑
小林の国家主義はともかく、体制批判に共感する大勢の人たち、それ自体は右でも左でもないのだから、やっぱり「ニュートラル」としか表現しようが無い。
それらの人々が、本当に小心なモラリストなのかどうか、わたしは知らなし、知る術はない。
そしてそれはあなたも同じ。
小林の読者に関する明確な精神医学的データを持っているわけでもないのだから、何を語ろうが、自分がこうだと信じる「物語」を語るに過ぎない。
そしてそれは時に、むしろ自分自身を語ることに他ならない。
虚空に描く「やつら」の像は、あなたの自画像なんだよ。
ゴー宣板に移行と言うことなら、続きはそっちに頼む。
>>352 論点がずれてるからコメントしようがないが、「レッテル貼り」をレッテルを貼って
ジコマンしているように読めるが・・・。
ある思想の支配的な階級、グループについて言及するとすべて決め付け、抑圧か・・・。
対した自由主義者だね(w
「小林支持層の背景に、右でも左でも、ニュートラルでも、観念論に傾倒する思想的傾向がある」
これについて、そうではない、事実は・・・だと反論するのが早いんでないの?
自分の意見もてない奴ほど、相手の言説をベースにネチネチ文句ばかりたれるが、
君もそのクチか?
で、続きは・・・
「ゴー板を救おう!小林派と反小林派の言い分」でどうぞ。
え、やっぱりこっちに書くの。
やっぱり言っても無駄なのかな・・・。
きみがレッテル貼りをしているのは事実だから、わたしのはレッテル貼りではない。単なる事実の指摘。
特定の思想層について、明確な証拠を挙げずに心理的特性を云々すれば、それはやはり「物語」。
>これについて、そうではない、事実は・・・だと反論するのが早いんでないの?
「物語」には反論できない。する必要もない。
わたしの意見は、「物語」はあなたにとっても、反小林派にとってもよろしくなかろうから、止めといたら? 以上。
喧嘩売るばかりでは能がないので、申し上げるが・・・
まぁレッテル貼りもいいだろう。有用なときもあるだろう。だがそれにはそれなりの、"弱さ"がある。
上のように簡単に返すことが出来るし、もっと効くやつもある。
小林派の国家主義を厭うことでは同じかと思う。そのためにも、相手をこうだと決めつけてかかったり、それで中立派を敵に回さぬよう、これはマジでお願いしたい。
>>251 誰かと思って過去ログみたら、「質問君」ね。
自分の意見言わずに、重箱の質問ばかり垂れ流すのは止めた方がいいよ。
>わたしの意見は、「物語」はあなたにとっても、反小林派にとってもよろしくなかろうから、止めといたら?
これでは、何も言っていないのと同じ。自分の内部の空洞化に真摯に批判せよ。
じゃないと、何にもできんぞ、これからの人生。
言論の分野において、「中立派」ほど役にたたないものはないと思うけど、いかが?
問題を先鋭化させて解決する・・・。こういった精神態度の欠如、民主党を見れば明らかだろう。
一番システムに依存して、変化の可能性がない思想的態度が「中立」だ。
政治論屋にはやはり何を言っても無理なのか?
右と左の対立を煽るだけで、その二項対立にはまらぬものの感じ方、生き方、そういうものはまったく目に入らないのだろうか。
ああだこうだと、みみっちい自分らのカタにはめて圧殺し、封じ込める・・・それだけなのか。
だからきみらには何も変えられないのだよ。
>>358 >だからきみらには何も変えられないのだよ。
別にかえよーと思ってねえよ(w
政治論と見られたのは、初めてで、今モーレツに感動している。
相手の意図の誤読、作り変え、的を外したウザイ質問のオンパレードの君の
将来をマジデ心配するよ。がんばれよー。
哲学に政治論は要らないってことだよ。うんざり。
相手の意図の誤読、作り変え、的を外したウザイ質問と回答、頭からこうと決め付ける「物語」
オンパレードの君の将来をマジデ心配するよ。がんばれよー。
哲学に政治論は→哲学板に政治論屋は
>>360 重箱つつく質問ばかりで、自説は短文のスカスカ論理・・・。
自分の空洞化にまず気付くべきだ。
ゴー宣板ではアカデミズムに偏りすぎと・・・、と言われているが(w、何か。
君が哲学を語れるとは少しも思えないんだけど、語ってみれば、少しは。
君が的外れなのは他の何人かも指摘している通り。自分を見つめよーな、マジで。
今ならまだまにあうぞ(w
きゅりお。ひとつ言いたいがあんた一体フーコーやデリダから何を学んだ?
>一連の流れで問題にした焦点は明らかに前者でしょう。その上で、後者がなぜ距離を
>置きつつシンパシーを感じるのか・・・、それを考えてみるのが有益でしょう。
前者が問題だというのはわかる。だがそれはアンチ小林やら戦後民主主義絶対主義やら、
社会運動の部族主義化、原理主義、閉鎖的コミュニティ、右傾化、さらに全体主義といった
諸問題圏のなかで捉えるべきだと思ってる。
俺がわからんのは、何故問題を狭く捉える?ということだ。
小林絶対主義者を根絶したらあとはのんびり暮らせるのか?
あんたはシステムというが、そのシステム再生産を支えるものは一体何だ?
それへの考察を抜きにすれば、単に制度の記述を行ってるにすぎんぞ。
>近代の乗り越えを企図していながら
>(小林との共犯関係)、超越論的な「民族」、「道徳」で思考停止している点は
>上記、批判に値すると考えます。
近代の捉え方に違いがあるようだな。
俺の考えでは、アイデンティティが純粋化するメカニズム(再帰性の過剰)が
問題なのであって、アイデンティティ自体には問題は無いと考えている。
「民族」それ自体が問題なら、差別されたマイノリティ民族は何を持って
自身をカテゴライズすれんばいいんだ?
アイヌ人は自分がアイヌであると言ってはいけないのか?
植民地化されていた国は自身で独立国家を打ち立ててはいかんのか?
反本質主義という名の本質主義に陥ってないか?
再帰性の過剰と不断の自己批判は俺は同一視できない。
俺自身は、ハイデガーの言葉で言えば「正しい仕方で循環に入り込む」ことを
後者だと述べておきたい。
もしもあんたが問題を単に「固定化」とみなして、流動化を無批判に
賛美しているなら警告をしておきたい。
俺はいわば脅迫衝動的な固定化、流動化どちらをも問題視したい。
近年ポストモダンで賞賛されているフレクシブルなアイデンティティも、
再帰性の過剰という点から見れば、近代の範疇だ。
自己規律という点では何も変わってはいない。だから固定化も流動化も
同時に起こるのだし、どちらも等しく問題視されるのだ。
消費文化もギデンズの言うように、単に近代の原理が徹底されただけであって、
別にポストモダン時代の到来と言うわけではない。
単に再帰的問い直しの対象が増加し、ペースが上がっただけ。
無意識についてはこう問いたい。
「言語ゲームを背後から支えるものは必要なのか?
それもひとつの言語ゲームだとみなしたほうがよくは無いか?」
とりあえず、この点についてはややこしいから置いておこう。
大きすぎる問題だから。
>スキゾ(分裂症)患者の
>言説に耳を傾ける必要性とどうように、なぜ「何」が「彼」を抑圧している
>のかという構造分析も無益ではないと思う。
フーコーの言う「抑圧仮説」についてあんたがどう思っているのか聞きたい。
彼が抑圧されているかもしれない、と思うことは重要だろう。
だがどのような抑圧なのかは治療者だけが決められる、ということだとすれば、
まさにそれこそ規律化だと言っておきたい。
>具体的には「唯心論」、「観念論」的な思想的傾向がある人が小林に共感を感じると
>みます。
>観念論的傾向は日本人の90%以上に当てはまると思いますよ。
>「観念論」的な民族なんですから、日本人は(w。
あんたの意見がよくわからん。
「観念論的傾向のある人の主張は、その人が観念論的だから論じる価値がない」
ということか?観念論者は所与として駄目なのか?
それなら外人とでもしゃべってろ。それとも
「日本人の90%は観念論的だが、問題は主張の内容であり、良いことを言ってる人とは
会話する価値があるが、そうじゃない人は駄目」
ということか?なら、何故小林擁護派が観念論者かどうかにそれほどこだわるのか?
>きゅりお
ゴー板見たぞ。忙しそうだからこっちに書く。
>非エリートの「皮膚感覚」こそが
>彼らの最大の「思想的批判行為」。
>これを取り入れずして、現状(戦後民主主義)の改革運動も何もあるか!
これには同意なのだが、そのあんたが何故小林読者を執拗に貶める?
そういった皮膚感覚に根ざした議論を下から起こし、議論の伝統を日本にも
根付かせよう、というのが俺の主張だ。だから所与として言論空間から
締め出すような真似は慎むべきだといっとる。
どれが皮膚感覚でどれが洗脳なのか、知識人だけが判定できるとか
言わなければな。
また、国家がワンオブゼムだとも認めてるな。
今まですっぽり抜け落ちてた国家について議論するのもありだろ?
もう議論する必要は無いな。