1 :
1 ◆3B1jZ/zA :
人間の損得と関係なしに人間以外の生物に生存権が与えられるべきでしょうか。
また与えられるべきとすればどのような生物にどのような形で与えられるべきなのでしょうか。
2 :
考える名無しさん:01/10/29 14:36
人間原理主義 VS 人間原子主義
ですな
3 :
1 ◆3B1jZ/zA :01/10/29 14:49
生存権を持ち出している時点で私は人間原理主義に属さざるを得ないと思います。
食べるためや病害から身を守るための殺生は仕方のないことです。
部屋にゴキブリが入ってくればたたき殺します。
これも縄張りに入った侵入者を排除するというごく自然な営みと思います。
しかし人間の都合で必要もなく生物を殺すのもよくないと考えます。
ある生物に害があるからといって、殺虫剤を撒き、本来人間と触れもしない
山奥の生物まで根絶やしにするのは問題です。
そのような生物に対しては少なくともそっとしておくという配慮は必要でしょう。
4 :
考える名無しさん:01/10/29 14:53
いいんじゃないでしょうか。私は、1さんの基本ラインに賛成です。
(というか、西欧では常識に近いそうですが)
ただ、権利というのは、主張する主体を必要とするのが通例なので、
他生物の生存権という形で構成するのは、無理があると思います。
5 :
1 ◆3B1jZ/zA :01/10/29 16:28
絶滅危惧種を保護するという思想は「人間が困る」という理論を超えて存続することは可能でしょうか?
6 :
考える名無しさん:01/10/29 16:29
太田竜に聞けよ
>>6 そんなのに聞くなよ(ワラ
ピーター・シンガーに聞けよ。
8 :
考える名無しさん:01/10/30 09:04
age
9 :
考える名無しさん:01/10/30 13:09
>>1 ブタやウシやニワトリについて、どう考えてんの?
10 :
1 ◆3B1jZ/zA :01/10/30 16:09
>>9 美味しくいただいております。食べるための殺生なら、それは仕方のないこととみなします。
もちろん宗教によっては不殺生を強調するあまり菜食主義を奨励するところもあります。
これは結局のところ他の生物にも人間と同じくらい命に価値があるという考えから
生まれたものです。けれどそれなのになぜ植物や微生物にはそれほどの注意を払わないのか
という疑問も残ります。そこまで徹底させたら死ぬ以外に道は無いのですが、どうにも
ちぐはぐな印象をうけます。
もうひとつ紹介しておくと、酪農家の中には家畜の開放を主張している人もいます。
殺されて食べられるだけの運命しかない家畜にせめて生きている間だけでも
自由をあたえてやりたいというのが主な理由です。
しかしこのような動きにはどうにも偽善を感じずにはいられません。
他生物への生存権というのは確かな形としてありえるのでしょうか。
それとも人間の傲慢さが生み出した勝手な妄想でしかないのでしょうか。
もし前者ならその本来的なありかたを、後者ならなぜこのような考えが生まれて
きたのかを、考えていきたいと思っているのです。
あのね いきものはね ほんとはね
なにもしなくてもね たいへんなことからは
しぜんに はなれて いけりゅの
でもね にんでんはね おりこうさんだからね
どんなことでもね じぶんでできると おもてるの
でもね ときどき まちがうの
つらいな〜とか よくがでて
だからね しぜんにしてるのが いちばんだと おもうの
にんげんなんてね ちいさな ものだもん
12 :
考える名無しさん:01/10/30 17:44
権利は主張するものにのみある。
動物は主張しない。よって動物に権利はない。
権利の行使は任意なのだよ
13 :
考える名無しさん:01/10/30 17:48
>>12 首を切られるとわかったとたん抵抗するだろ。(藁
14 :
考える名無しさん:01/10/31 09:50
15 :
1 ◆3B1jZ/zA :01/10/31 14:58
>>12 問題はその権利を人間の名のもとに代弁できるかどうかということですね。
人間活動の結果絶滅に追い込まれようとしている生物に対しては一定の責任を
持っているとは思いますしね。
ただ、ヒグマやニホンカモシカと地域住民の闘争なんかをみると安易に共生を
主張するわけにもいきません。
結局は人間の利害関係を度外視しては語れないことなのでしょうか。
16 :
考える名無しさん:01/10/31 16:59
age
17 :
にゃんこじる ◆ycTCQ6Bs :01/10/31 17:49
動物に権利の帰属主体性を認めることはできず、あくまで
人間の(主観的もしくは客観的)権利・利益の反射的効果
として考えることができるに過ぎないと思います。
18 :
考える名無しさん:01/11/01 17:04
だったら先天的に知能に障害があって意思を伝えられない人間にも
権利は無いというわけだ。
19 :
考える名無しさん:01/11/01 17:14
バカは逝ってよし。
2chでの定説。
21 :
考える名無しさん:01/11/01 17:49
>>19 そういうレスを付けるやつも、逝って良しだな。
残念ながら、2chの定説ではないけどな。
とりあえずネタ提起。
例えばチンパンジーに権利が認められたとして、チンパンジーによるチンパンジーの虐殺行為人間が介入することは許されるか?
伊勢田氏によると動物の権利擁護派の人は一般に非介入を支持しているらしいが、妙じゃないか?
23 :
Маршал Боголюбов:01/11/02 13:51
一つの種の全体を一つの権利主体を考えれば妙ではないと思うが。
虐殺行為に干渉すればチンパンジーの種全体に悪影響が及ぶ場合、
不干渉も正当化されるのだろう。
24 :
1 ◆3B1jZ/zA :01/11/02 15:22
>>20 今のところ大木竜児氏の文章をざっと読んでみました。
主な争点は「利益」と「同情」と「世代間倫理」の3っつですね。
もっとも生物が苦楽を感じる限りでの「利益」を考慮するということは
ほとんど「同情」と重なるものがあるかもしれません。
とりあえず現時点での私の見解は「世代間倫理」に近いかと思っています。
もしも他生物に生存権を認める理由があるとするなら、それはこれまで
生物を必要以上に殺してきた責任、絶滅にまで追い込んでしまった責任、
これにあると思います。ただそうだとしても責任がどう取られるべきなのかは
いまいちよくわかりません。少なくとも言えることは1匹の動物を守る
ために人間を犠牲にするのは馬鹿げているということです。
安易な共生論や原始への回帰、または人間が自然をコントロールすると
いった理論を超えてこの問いを解決する道はあるのでしょうか。
25 :
1 ◆3B1jZ/zA :01/11/02 15:27
>>22 やや遠まわしになりますがこの問題を解くためにまず実際に行われている
別の事例から分析してみます。
アメリカの国立公園では、生態系保全のためとにかく人間の手が入らない
ことを良しとします。例えば火事も生態系の中では重要なプロセスを
果たしているとして、自然発火の山火事であればある程度の大きさまでは
消火しない方針をとっています。
しかしたとえ自然発火だとしても人間活動の影響が無いかというとそれは
怪しいところです。もし人間活動の結果として自然発火しやすい状況が
できたとしたら消化をしないことが「手を加えない」ことになるとは言えません。
これと同様にサル社会で大量虐殺事件が起きたとして、それが真にサル社会の
内部だけで起こったことと判り、また人間への害が無いと断定されたときには
確かに干渉すべきではないでしょう。
しかしその原因の一つに人間活動があると認められたときには、
その闘争を良い方向に導く責任が人間にはあるということになります。
26 :
考える名無しさん:01/11/02 18:40
age
27 :
考える名無しさん:01/11/03 00:38
「良い方向」はどう決めるつもり?
28 :
1 ◆3B1jZ/zA :01/11/04 12:04
>>27 国立公園の例を参考にしてください。
簡単に言ってしまえば「元の状態に戻す」ということです。
ただ、そういう事件が起こってしまった後に厳密に元の状態に
戻すことはほぼ不可能なので「良い方向」くらいの表現にとどめました。
29 :
1 ◆3B1jZ/zA :01/11/04 12:08
ここまででとりあえず範囲を設定してみます。
これまで人間に触れてこなかった生物に対してはこれからも
放っておく。人間活動の結果、絶滅に追い込まれている生物に
対しては責任をもって保護する。
こんなところでどうでしょうか。
30 :
考える名無しさん:01/11/04 15:46
人間が繁殖させた生物は?
猫とか
31 :
1 ◆3B1jZ/zA :01/11/05 15:04
ペットの場合は特に人間主体で生存権が「与えられている」という感じがしますね。
だけど一度飼ったら生涯責任を持って世話をする、という点で基本的には同じ
ことだと思いますよ。
>>23 エコロジー系倫理学では人気があるようですが、種が主体たり得るんでしょうか?実際、種が原告の訴訟などが起きているようだけれど
文化財のような「価値」を認めることは出来ても権利を認めることは困難でしょう。
>虐殺行為に干渉すればチンパンジーの種全体に悪影響が及ぶ場合、
>不干渉も正当化されるのだろう。
及ばない場合はどうでしょうか?と言うか個体を権利の主体としても、介入がより悪い結果を招く場合、不干渉は正当化されませんか?
>>25 北米南部で、南米から進入したファイアーアントが生態系を破壊していますが、これに対しては介入政策がとられています(侵入自体が人間の活動の影響と言う説も強いが)。
いや、あなたのような立場からの反対意見もあって介入したりしなかったりなんですが
>例えば火事も生態系の中では重要なプロセスを果たしているとして、
>自然発火の山火事であればある程度の大きさまでは消火しない方針をとっています。
確かそれは以前に介入政策をとった結果、大規模な山火事を招いた結果でしたよね?つまり、プラグマティックな理由であって「介入の倫理的正当性」とは別の次元でしょう?
もし「介入の倫理的正当性」が理由であれば「ある程度」以上のものも消火するべきではないでしょう。
>これと同様にサル社会で大量虐殺事件が起きたとして、
>それが真にサル社会の内部だけで起こったことと判り、
>また人間への害が無いと断定されたときには確かに干渉すべきではないでしょう。
チンパンジーに権利が認められた場合のことを想定しています。虐殺されているチンパンジー達はこれに同意をしないでしょう。
この議論の前提T…動物に権利が認められるのは、その動物に意識がある可能性が高い場合である。
前提U…大型類人猿に関しては、意識がある可能性が高いとされ、他の動物の解放論と別の動きがある。極端なものでは
http://www2.ocn.ne.jp/~ling/gap.htmlがある。
あと、チンパンジー内部での戦争、虐殺は数多く確認されてますが、上記の解放運動の人達はそれに介入しようと主張はしていない模様。
>生物を必要以上に殺してきた責任、絶滅にまで追い込んでしまった責任、
>これにあると思います。
仮定法の発言に対してなんですが、生存権の無い対象をいくら殺しても責任を感じるべきで無いと思います。
それとも倫理的価値ではなく、一種の芸術作品のようなものとして捉えておいででしょうか?
34 :
考える名無しさん:01/11/05 18:51
人間は、他の生物たちの生存権争いに負け、ここまで来た生物。
今さらなぜ他の生物の生存権を考えねばならぬのか。
35 :
Iridium:01/11/05 21:52
>>34 「広義には遺伝子プールの枯渇を避けるためである」
と考えているのだけども。
37 :
考える名無しさん:01/11/06 00:03
単純に「かわいそうだから」じゃダメ?
>>37 ダメ。小説のキャラに生存権を認めたい?あるいはぬいぐるみとか
>>36 メタ認識か?いや人間にしか出来ないだろうけど
メタ認識とメタ思考(思考についての思考)をごっちゃにしてた
メタ認識って何?
このスレ、倫理的な議論であって生態学的な議論ではないな。
参加する限りは人間原理主義になるので、議論に加われません。
>>40 何を今更…。何なら生態学で生存権を語ってみ
42 :
考える名無しさん:01/11/06 02:19
生態学的な議論てのは、実験動物をはじめとする生き物の権利についての議論と
は明らかにずれてるよな。「共生」云々は生態学的だが、これはあくまで、倫理
的議論の道具として生態学的知識を利用しているにすぎない。
43 :
考える名無しさん:01/11/06 09:31
その前に人間の生存権はいつ証明されたんだ?
44 :
考える名無しさん:01/11/06 12:31
45 :
考える名無しさん:01/11/06 13:23
>>39 「認識している事」を認識する、って事じゃない?
「考えている事」を考えるって、メタ思考?
「認識」と「思考」か。。。
どっちも言語によって行われるしなぁ〜
考えるって様態を指すけど、認識って対象があるよね。
取敢えずそんな違いではないかな?
46 :
考える名無しさん:01/11/07 00:31
age
全ての動物は人間のために創られたものだから、煮ようが焼こうが人間の自由。
その結果起こることも全て人間の自己責任なんだから虐殺したけりゃやってよし。
人間以外の動物に気をかけてやる必要なんてまったく無し。
このよは弱肉強食である。
強い者は弱い者を食うのはあたりまえ。
そして、人間は最強なのですべての生物を食っていい。
人間にとって有益なものは生かしておくし、有害なものは即殺し。
牛は生きる価値あり。ゴキブリは生きる価値な〜し!!
うわぁぁ、頭こんがらがった。。。
猫電波さんが言うメタ思考の「思考」は、指示内容を含めたものですか?
>>34-35 丁度、メタ言語と言った時に指示言語とその指示内容(メタ言語)に分ける様に、
私は対象(生存権)の認識の内容ついての認識(言説)だと思ったんです。
考え方や考える事と言った時は、対象についての内容(認識)と、
その内容を考える事自体(思考)に分れると思ったんです。
猫電波さんのメタ思考の「思考」が指示内容を含むものだとすると、
「認識」はどの様に定義すればいいんでしょう?
何か私基本的な事間違ってんのかな。。。ぅぅ(涙
てゆうかさ、人間に害のあるウイルスとかには生存権はあるの?
あと人間とかが生きるために必要最低限の殺生を行うのは
仕方が無いって、よく言うけど、ホントにそうなのかなあ?
なぜそういえるんだろうか・・・?
他の生物達が、いままでそうして生きるために殺して
きたんだから、俺たち(人間)もそれだけだったら悪くない
っていってるような気がするんだが。
それ以上の理由ってあるのかね?
みなさんどうお考えですか?
53 :
考える名無しさん:01/11/08 20:04
このよは弱肉強食である。
強い者は弱い者を食うのはあたりまえ。
そして、人間は最強なのですべての生物を食っていい。
人間にとって有益なものは生かしておくし、有害なものは即殺し。
牛は生きる価値あり。ゴキブリは生きる価値な〜し!!
つま〜り、ピラミッドの頂点に立つ人間のみが他の生物に生殺与奪権
を行使でき、奴らはそれには逆らえないのである。
54 :
Iridium:01/11/09 00:52
>>53 単純な力関係のタペストリーっていうのが今までの生態系なんだけど、
なにもそんな古いものにしばられる必要はない。
(というかそれに従うと簡単に地球全部の資源を使いきれる)
人間には俯瞰の視点が与えられているのだから、
充分にそれを行使すべきだ。(しなくてはならない)
55 :
考える名無しさん:01/11/09 01:03
食うために殺すのは仕方が無いとかほざく奴は泣きながら飯を食え。
罪悪感を感じながら、しんみりと食え。
56 :
考える名無しさん:01/11/09 03:06
生態系全体を人間が管理するのは今のところ不可能ですね。
コントロールできない相手には権利を認めざるをえないの
ではないでしょうか。
57 :
考える名無しさん:01/11/09 05:51
>コントロールできない相手には権利を認めざるをえない
それはあくまで環境問題を念頭に置いて言えることではないのか?
これを普遍化すれば、逆にコントロールできるなら人間であっても、権利を奪っていいことになるじゃん。
>>57 その通り。人間を人間がコントロールしている状態は
相手の生存権を認めている状態ではない。生殺与奪権
を握っているのは管理者側だから。相互承認が権利の
源泉と考えてはだめでしょうか?
つけたし。
舌足らずでしたね。人間が人間を完全にコントロールすることは
不可能である、というのが前提となります。そのうえでコントロ
ールを試みるのは中途半端で相互に危険である、ということです。
60 :
とりあえず名無し:01/11/09 08:57
此の世は弱肉強食だから
動物園の飼育係りがトラやライオンに食われてもいいよね
見物に来た人間をゾウやサイが踏み潰してもいいよね
どう見たって人間より強い動物ばかりだもの
マジレスお願いします。当方煽りじゃありません。
>>50さん
最初認識論をイメージしたのですが
とりあえず具体例お願いします。
メタ言語「『私は猫だ』は日本語だ」「『51は電波だ』は真である」
メタ認知「私は賢い」「私はコロンブスが死んだ年を知っている」
63 :
考える名無しさん:01/11/09 17:59
弱肉強食を根拠に話を進める人は原始回帰論者とあんま変わらんね。
>>63 つか
>>60みたいな感じになるんじゃないかな。
テクノロジーを含めてだろうけど、マラリアが人間を殺したのは正しい
マラリアを駆逐できた正しい、起きたこと事はすべて正しい!!
私は世界を丸ごと受け入れるのだ!!
「質問!受け入れたからどうなるんですか?」byカーライル
みたいな感じ?
>猫電波さん
?っ
私はEpistemology(認識論)じゃなくCogunition(認識・認知)を考えたんです。
どうやら無い言葉を使ったかも、、、
けどメタ認知(meta-cogunition)と違うしな、、、
思うに認識は認知より狭義の意味で普通使うので、、、
>メタ言語の例 「『私は猫だ』は日本語だ」
この『私は猫だ』の言語自体を語るクラスのメタ言語で語られてます。が、
>メタ認知「私は賢い」「私はコロンブスが死んだ年を知っている」
こう記述されてしまうと認識そのものになるのかなと思うんです。
人間の損得と関係なしに人間以外の生物に生存権が与えられるべきでしょうか。
また与えられるべきとすればどのような生物にどのような形で与えられる
べきなのでしょうか。
↑
認識A 人間は、他の生物たちの生存権争いに負け、ここまで来た生物。
今さらなぜ他の生物の生存権を考えねばならぬのか。
↑
認識Aに 「広義には遺伝子プールの枯渇を避けるためである」
対する論駁 と考えているのだけども。
この一連の流れ自体に対してメタ認識が当て嵌るかと、、、
つまり、ある認識に対する認識(批評に近いもの)ではないかと。
主観の中のみでなく、認識全般について言うニュアンスです。
なんか屁理屈っぽいかな、、、
66 :
考える名無しさん:01/11/10 10:02
>>60 「弱肉強食」ってのは、自然の事象を説明するための解釈の方法であって、
正しいとか良いとかいう話じゃないよね。
>>65 「私は賢い」→自分の知能が優れていると(と言う認知構造)を認知。
「私はコロンブスが死んだ年を知っている」→自分が「コロンブスが死んだのは1508年である」と言う知識を持っていることを認知。
アイゼンク編『認知心理学事典』(新曜社)にある例を出すと
「喉まで出掛かってるんだけど、思い出せない」もメタ認知。
>この一連の流れ自体に対してメタ認識が当て嵌るかと、、、
どうでしょう?その流れを認識するのがメタ認識なような感じが私はしますね。
他の方はどう思いますか?
人間の生存権は個人に対して与えられるものだが、他の生物にとなると
そうはいかない。もし固体に対して権利を与えるとするならば対象となる
生物の完全な戸籍を作成する羽目になってしまう。税金徴収の目的でも
無い限り、こんな膨大な労力を使うようなことは現実的ではない。
そうするとどんなに生存権の議論を推し進めていっても「種」に対する
生存権というのが最後の線引きになることは間違いない。
ところが種に対する生存権など生存権と呼べるだけの価値は無い。
つまり対象となる生物の存続が危ぶまれない限りにおいてはどんな虐殺も
容認されることになってしまうことになるからだ。
ここで問題なのは一体何のための生存権かということだ。
単に絶滅を防ぎたいだけか。それとも苦痛を与えたくないからか。
このあたりの議論がまだ十分には行われていないように思われる。
70 :
考える名無しさん:01/11/12 01:49
養殖とか人間が食べるために育てられている動物には生存権が在るといえるのかしら
71 :
通りすがり ◆66lkQmK2 :01/11/12 03:03
>>70 マルクスが「収奪」という言葉を与えて呼んでいたような、、、←不確か
なお、個人的には、なんで育てたら殺してよいのか、全くわかりません。
根源的には、自然を人間と対立的に捉えるか、人間活動も自然の一部と
捉えるか、の対立に思えますが、、、
宗教的に逃げますが、ヒトは植物・動物、殺しながら生きておりまことに
罪深い存在よ、と、思うております(神道的共生感と仏教的慈悲が交雑)。
72 :
考える名無しさん:01/11/12 03:10
生存権=自然権の1つを基礎付ける哲学は残念ながら
1つも存在しない。
また人間以上神様未満の高等な種が現れたら、
人間は殺されてもかまわないね?ということには誰も答えられません。
ヒューマニズムは聞こえがいいし、人権もいい響きだが、なんの理論的根拠もない
絵空事。氏ね。
あうっ。。。
すんません。
綴り間違えたです。
恥かしい。。。
75 :
考える名無しさん:01/11/12 22:19
人間の目から見て美しい生態系が作られているからといって当の生物たちが
互いに助け合ったり、生存権を認め合ったりしているわけではない。
それぞれが自分勝手に生きているだけである。
人間はこれまで生態系を自分たちの都合に合わせてコントロールしようとしては
失敗してきたために、今度は「生物が可哀想だ」などといって自分たちが
優位に立っているという妄想にふける習慣を身に着けつつあるのだ。
76 :
(・X・)シーイタケ!:01/11/13 00:08
取って食っても生存権を侵したことにはならんだろう。
養殖は取ってから食うまでの時間が多少延びたと思えば問題無し。
77 :
考える名無しさん:01/11/13 09:16
78 :
考える名無しさん:01/11/13 23:53
80 :
考える名無しさん:01/11/14 15:06
まだ牛に権利があると認める意見は出てないぞ。
81 :
666 ◆xenNZQbg :01/11/14 15:25
全ての生存権をなくせばいい
これで解決だろ
無理な話だが
82 :
考える名無しさん:01/11/14 15:33
人間の生存権にすら根拠は無い。
83 :
考える名無しさん:01/11/14 23:33
自分に生きてるという自覚の無い生物に生存権を一方的に
きめるのもどうなんでしょう?
その日の食べ物にも困って生きるか死ぬかという人に対して
目の前を走り回っている天然記念物を食べるなとも言えませんし。
生存権の保障なんて金持ちの道楽としか思えませんね。
84 :
考える名無しさん:01/11/15 01:27
(゚д゚)ウマー
85 :
考える名無しさん:01/11/15 02:53
(゚д゚)ウマー
86 :
考える名無しさん:01/11/15 14:16
率先して逝って良し。
87 :
考える名無しさん:01/11/15 17:09
法律用語としての生存権なら「人間らしく生きるための権利」なんて
他生物には無意味なので別として、単純に「生きる権利」なら動物
だろーが、植物だろーが、ウィルスにだってあると思う。
笑われるかもしれんけど、俺はゴキブリやハエを殺す時だって奴等を
人間以下の存在とは考えてないんだよね。俺は全力で叩き潰すし奴等は
全力で逃げる。例え目の前の個体は潰せても子孫を残せれば奴等の
勝ちだし、その生物の戦略に優劣はないもんね。
逆にウィルスが人間を殺すのもそれ自体は悪いことでもなんでもない
と思う。ただ寄主となる生物種を全て死なせて結果的に自らも滅ぶのは
賢い選択とはいえないので、感染しても共生の道をとるのが一番成功した
繁栄する種ってことで。
生態系が生物の多様性によって成り立っている以上、人間の目先の利害で
相手の生物を絶滅させたりすると結局自分達に跳ね返ってくるという
自覚があれば、くだらんヒューマニズムからではない生存権らしきものを
結果的に認めることになるのかもね。
88 :
森の妖精さん:01/11/15 17:16
自然世界に人間の作り出した「権利概念」を持ち込むなんて
間違っている。アートとネイチャーは違う。
西欧、つまりキリスト教的倫理感、もしくは形而上学的に
考察するとすれば、神の作り出したもうネイチャーに対して
人工的なものはすべてアート、そのアートのなかでもっとも
人間的な権利概念を自然世界に拡張などできない。
>>83 功利主義者の間では、「動物に苦痛を与えるのは悪だが、殺すのは悪ではない」とする立場が主流らしい。
動物には生死の概念がないので生に対する選好が無い、したがって利害を侵害するものではない。Q.E.D.
90 :
考える名無しさん:01/11/16 01:49
食うために殺すのは仕方が無いとかほざく奴は泣きながら飯を食え。
罪悪感を感じながら、しんみりと食え。
91 :
考える名無しさん:01/11/16 02:02
93 :
考える名無しさん:01/11/16 22:40
まあ結局、人間がいっぺん滅んでみるまで分からんだろうな(藁
94 :
考える名無しさん:01/11/17 15:33
生存権を否定する人たちに質問
ペットは生存権からではなく所有権によって生かされているということですか?
95 :
考える名無しさん:01/11/17 17:04
みんな一年前と同じに政府がするべき
98 :
考える名無しさん:01/11/17 19:11
たとえペットでも飼い主を選ぶ権利はあるはずだ。
動物にも人間をペットとして飼う権利があるはずだ。
選べるもんなら選んでみやーがれ。
飼えるもんなら飼ってみやーがれ。 SF語るな。時間のむだ。
100 :
考える名無しさん:01/11/17 20:37
>>88 人間が知覚できるものはすべてアートだよ。
101 :
考える名無しさん:01/11/18 13:35
。oO(石原慎太郎やっちまいてぇ〜)
カラス
102 :
考える名無しさん:01/11/18 13:43
104 :
考える名無しさん:01/11/18 13:57
羊は大人でも、もこもこしてかわいいのに
子羊は、もっととんでもなく、いたいけなのではないだろうか?
子羊の牧場ではちっちゃくて、もこもこして、いたいけな動物が
ぎっしり飼われているんだろうか?
養豚場や肉牛の牧場などはしょっちゅうテレビに出てくるのに
(それどころか肉屋の店頭に写真が貼ってあったりする)
子羊の牧場はまったく報道される事が無いのは、
見てしまうと、かわいそうでラムが食べられなくなってしまうんで
報道規制されているんではないかと妄想してみる。
105 :
森の妖精さん:01/11/18 14:11
某ファミレス系列の農場では
家族で仔羊と戯れながら、その後でジンギスカンを
食べれるんだそうな。
そんで、「これちょっと問題ありませんか?」って聞いたら
ラム肉はオーストラリア産でここの仔羊ではありませんという
回答だっただけど、なんかシックリこないんだよなあ。。
人間と動物に等価の生存権を与えることは土台無理な話だと思います。
人間と動物、どちらかを殺さなければならない場合には人間を助けてしかるべきです。
ここでは動物に生存権が無いとする意見が多いようですが、私はかえって
動物の生存権のために多くの人間が犠牲になっているのではないかと思います。
その最たる例が家畜とペットです。現在世界中でとれる穀物の総量は400億人を
養えるだけあるそうです。しかし大半は人間の口には入らず家畜の飼料に回されます。
1kgの肉を作るのに8kgの穀物が消費されます。その結果として世界全体としては
食料が不足している状況にあります。またペットの餌も多くの人から食料を奪う
ことになります。
食肉にしろペットにしろ裕福な人たちの嗜好品のために犠牲となる人々が現れます。
現状ですらこうなのにその上さらに動物たちに生存権を認めようなどということは、
自分たちの楽しみのために人間を犠牲にする行為に他なりません。
生存権をめぐる問題には大きな矛盾が含まれているのです。
107 :
考える名無しさん:01/11/20 02:38
age
108 :
考える名無しさん:01/11/20 17:15
人間どもは謙虚に生きよ。
109 :
考える名無しさん:01/11/21 01:01
のっちらげ!
110 :
考える名無しさん:01/11/21 01:06
ヒューマニズムは人間の驕りだ
111 :
考える名無しさん:01/11/22 01:14
メタ認識ってアリ?
112 :
考える名無しさん:01/11/23 20:05
「差別」という言葉は動物にも適用されるのかな?
113 :
考える名無しさん:01/11/23 20:31
動物も環境破壊したり精神病になったりすると最近の研究で
わかったそうですが、詳しい事は知りませんよ。
114 :
考える名無しさん:01/11/23 20:51
権利は勝ち取るもんです。
与えられるもんじゃない。
です。
権利って何ですか?
116 :
考える名無しさん:01/11/25 18:13
>>115 公認の下にやりたければやってよいこと。
人間も地球に住む種の一つに過ぎません。
生態系の中に組み込まれています。
また、人類は生態系の全てを把握してはいません。
一つの種が絶滅した時、最終的にどのような影響を
地球に、ひいては人類に及ぼすのか誰も断言できません。
人間に役に立たない種というものが、あるのかどうか
それすら不明です。もしかしたらバイオ(新薬開発)
や環境保全(環境ホルモン)の観点から見れば必要かも
知れないのです。
“共生”こそが人類に与えられたテーマと考えます。
人間が人間らしく生きるために肉を食らい、ゴキブリ
を殺し、猫を飼うことはまったく問題ありません。
ただ、ある種を地球上から完全に葬りさることは
人類に不利益を与える可能性があるので避けなければ
ならないと思っています。(その種が人類を破滅
に追い込む事実がないかぎり)
アゲ
119 :
考える名無しさん:01/12/02 03:24
age
120 :
考える名無しさん:01/12/10 12:54
お前嫌いだぶー
121 :
考える名無しさん:01/12/10 15:09
122 :
考える名無しさん:01/12/10 15:11
■ 万象ことごとく「生命」。万象ことごとく「愛」。
山川草木どんな存在にでも神性を見よ。
もっと奥深い「生命」まで突っ込んで行け。
奥の奥、裏の裏にある生命を見よ。
だって。いいなぁ。
123 :
考える名無しさん:01/12/10 15:15
124 :
考える名無しさん:01/12/10 15:59
>>47 それはユダヤ・キリスト教の考え方ですね。
>.>53
自然は弱肉強食ではありません。
自然は、人間の浅知恵などでは到底及びもつかないほど
複雑に絡み合った共存共栄の上に成り立っています。
125 :
考える名無しさん:01/12/22 01:20
仏教が不殺生を説くのは何でだっけ?
126 :
考える名無しさん:01/12/28 23:01
生命与奪権剥奪の刑
127 :
考える名無しさん:02/01/04 20:18
>>124 なんだよそれ。
すべての生物は自分にとって都合のいいように生きている。
別に共生しようとか思っているわけではない。
ここがそうやって自分勝手に生きてきた結果として今の自然環境が
あるんだよ。その意味では人間も他の生物も同じラインに立って
いるんだ。人間だけを優位な立場に立たせて考えているから自然の
原理が見えてこないだけだよ。
128 :
考える名無しさん:02/01/04 22:56
>>125 別に不殺生主義でもなかろう。いろいろ食ってるし。
ただ憐れみを持てっていうくらいじゃないか。
129 :
考える名無しさん:02/01/05 11:02
なんとなくそうかとおもった
>>127 >別に共生しようとか思っているわけではない。
どうだろう?何か考えているとしたら、そう考えてそうな生き物は幾らでもいるけど
遺伝子が「利己的」ってことと、生物の意識が利己的ってこととは違うでしょ
>>124が変なのは同意だけど
>>128 不殺生戒のことじゃ?
131 :
考える名無しさん:02/01/12 15:31
人間と動植物の共生は生やさしいものではない。
それを成し遂げるためには気の遠くなるような自然との格闘の歴史を
振り返らなければならない。
132 :
考える名無しさん:02/01/27 00:01
生きる意志の強いものだけが生き残る。これが自然の理。
むしろ、生きる意志の強い種
地球ヤバイ
うわっ、ここにまで!
草食ってろ。
137 :
考える名無しさん:02/02/16 20:22
なぜ生物はせっかくこの世に生を受けたのに
最後には死ぬという道を辿ったんだろう?
不思議でなりません。
誰かこの答えを知ってる人はおりませぬか?
遺伝子的に一定である個体で構成されたプールは最高のごちそうだから。
>>138 多分「ごちそう」にいろんな意味が含んであるんだろうけどイマイチ分からん。
140 :
考える名無しさん:02/02/16 20:39
ok
あ、すいません。単一の意味しかないです。
説明します。
ウイルスがわかりやすいのですけども、
ある一つの個体に対して致死的な効果を持つウイルスの場合、
もし集団全部が同一の遺伝子で構成されていると、
一個体のウイルスによる死は集団全部の死とほぼイコールです。
つまり種が絶滅しないためには
多様性を持っていないといけないのです。
その多様性の維持はどうやって行われているかというと、
個体の入れ替わりによります。
142 :
考える名無しさん:02/02/19 21:22
あのですね。
今地球を支配しているのは人数的にも能力的にも人間だと思うのですよ。
ですからね、人間は何をしても良いと思うのですよ。
もし他の生物が反抗してきたとしても、力でねじ伏せられるだけの能力が人間にはありますし…
他の生物を可愛がるのも自由、殺すのも自由、そして一切手を出さないのも自由なのです。
でもですね、我々より高度で強い何らかの生物が地球を支配したら人間はそれに従うしかないのです。
もちろん逆らっても勝てないでしょうからね。
143 :
Iridium:02/03/02 03:39
過去にオレががんばって答えたのに反応がなくてさみしいので逆襲age
あげ
145 :
考える名無しさん:02/03/02 06:49
>>142 こんなスレにいちいち書き込みたくないが、
地球に生きる人間として、
お前みたいな馬家が本当にむかつく。このミジンコがっ。
人間も生態系の一部、
若しくは自然の一部だと思ってたら大間違いだ馬家。
人間は地球を壊せる能力を持ってるでしょ。
がちゃぴんすげえ
まあ最終的に火山や自然災害に負けますよ。そして地球はのこりますよ
148 :
考える名無しさん:02/03/02 06:55
そうかなぁ。
それよりがちゃぴんすごかったよ あいつって万能だよな。
150 :
考える名無しさん:
言わずもがな。
あいつはすげーよ。