なぁ、
>>2よ。
あんたは 千利休 なのか?
だったらみんなの質問に答えてやってくれ。
2 :
考える名無しさん:01/10/24 19:05
私は千利休ではありません
5 :
考える名無しさん:01/10/25 21:23
はげ
哲学板は初めてですが
何やら聞きたいことでも御座いますか?
7 :
考える名無しさん:01/10/25 23:50
哲学いうえらそうなもんやございませんが
茶席は一期一会、言うなれば真剣勝負の場でございます。
太閤様はこの日ノ本六十四州の主であらせられましたが
私の考える茶の湯の席においては関係ありゃしません。
そこでぶつかり合いが起こりました。
しかし、冷静になってみれば
田舎者のサルの茶坊主に甘んじることが出来ず、
せめて茶の席では上に立ちたいという
わたくしの単なる意地張りでござったやもしれませぬ。
9 :
考える名無しさん:01/10/26 00:18
なぜあなたは「茶はただ茶であればよい」という範囲に
とどまることができなかったのでしょうか。
やっぱり欲しかったのでしょうか、力が。
当時の殺伐とした世において
平穏や安らぎは何より貴重なもので御座いました。
特に侍は行住坐臥、死を正面から見据えて生きておりました。
茶の湯は気の休まる暇のない武士に一瞬の安らぎを与え、
物質的な意味ではない、最高の贅沢を享受する場を提供しました。
明日も平和が続くとは限らない、
それは武士だけでなく当時のあらゆる民のもつ心でした。
誰もが刹那的で破滅的でした。
わたくしはささやかな生涯を通し、
どうすれば人々、お客様に安らいで頂けるか、
そして死や狂気に立ち向かう活力を得てもらえるのか、
茶の湯には一体なにができるのか、
という問題について考え、試みつづけました。
それはついには“遊び”の範囲を超えたものに行き着きました。
わたくしが求めたのは権力ではなく、
精神の自由と横の繋がりです。
そこには哲学と通じるものがあるやも知れません。
お戯れを
上記の方は万利休という偽物で私が千利休です。
戦国の世,茶の湯は平穏と安らぎの場であったというのは
事実と反しています。
権謀術数の戦国の世で、茶席は毒入れ、謀略、疫病(天然痘)等正に
真剣勝負の外交手段でありました。
よってあの見事な茶筅、柄杓の手さばきが生まれたのも必然だったのです。
太閤様は出陣の前に必ず仲間無精と茶を交わし、志気を高められました。
天然痘を患っていた武将もおりましたが、膿が茶碗に落ちたのにもかかわらず
太閤様は飲み干され一同の信頼は血の結束となりました。
明日をも知れぬ存在同士の以心伝心。花は野にあるように。
茶道、それはささやかながら高尚な空間を創出する場でありました。
ねぇ、あなた。
茶頭でなかったらどんなんだったと思う?
茶はあなたにとって手段だったの?
金持ちの家にうまれたからそんなふうに思えるの?
14 :
考える名無しさん:
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