- 千利休 -

このエントリーをはてなブックマークに追加
1桂離宮
なぁ、>>2よ。
あんたは 千利休 なのか?
だったらみんなの質問に答えてやってくれ。
2考える名無しさん:01/10/24 19:05
私は千利休ではありません
3桂離宮:01/10/25 17:33
>>2
そうでしたか。
残念。
4鳥取砂丘:01/10/25 20:28
千利休は>>6です。
5考える名無しさん:01/10/25 21:23
はげ
6千利休:01/10/25 23:47
哲学板は初めてですが
何やら聞きたいことでも御座いますか?
7考える名無しさん:01/10/25 23:50
>>6
あなたの「自死」の哲学は?
8千利休:01/10/26 00:05
哲学いうえらそうなもんやございませんが
茶席は一期一会、言うなれば真剣勝負の場でございます。
太閤様はこの日ノ本六十四州の主であらせられましたが
私の考える茶の湯の席においては関係ありゃしません。
そこでぶつかり合いが起こりました。

しかし、冷静になってみれば
田舎者のサルの茶坊主に甘んじることが出来ず、
せめて茶の席では上に立ちたいという
わたくしの単なる意地張りでござったやもしれませぬ。
9考える名無しさん:01/10/26 00:18
なぜあなたは「茶はただ茶であればよい」という範囲に
とどまることができなかったのでしょうか。
やっぱり欲しかったのでしょうか、力が。
10千利休:01/10/26 00:46
当時の殺伐とした世において
平穏や安らぎは何より貴重なもので御座いました。
特に侍は行住坐臥、死を正面から見据えて生きておりました。
茶の湯は気の休まる暇のない武士に一瞬の安らぎを与え、
物質的な意味ではない、最高の贅沢を享受する場を提供しました。
明日も平和が続くとは限らない、
それは武士だけでなく当時のあらゆる民のもつ心でした。
誰もが刹那的で破滅的でした。

わたくしはささやかな生涯を通し、
どうすれば人々、お客様に安らいで頂けるか、
そして死や狂気に立ち向かう活力を得てもらえるのか、
茶の湯には一体なにができるのか、
という問題について考え、試みつづけました。
それはついには“遊び”の範囲を超えたものに行き着きました。
わたくしが求めたのは権力ではなく、
精神の自由と横の繋がりです。
そこには哲学と通じるものがあるやも知れません。
11千利休:01/10/26 01:23
お戯れを
上記の方は万利休という偽物で私が千利休です。

戦国の世,茶の湯は平穏と安らぎの場であったというのは
事実と反しています。
権謀術数の戦国の世で、茶席は毒入れ、謀略、疫病(天然痘)等正に
真剣勝負の外交手段でありました。
よってあの見事な茶筅、柄杓の手さばきが生まれたのも必然だったのです。
太閤様は出陣の前に必ず仲間無精と茶を交わし、志気を高められました。
天然痘を患っていた武将もおりましたが、膿が茶碗に落ちたのにもかかわらず
太閤様は飲み干され一同の信頼は血の結束となりました。

明日をも知れぬ存在同士の以心伝心。花は野にあるように。
茶道、それはささやかながら高尚な空間を創出する場でありました。
12桂離宮:01/10/29 10:32
ねぇ、あなた。
茶頭でなかったらどんなんだったと思う?
茶はあなたにとって手段だったの?
金持ちの家にうまれたからそんなふうに思えるの?
13 :01/11/01 20:04
 
14考える名無しさん

.