弁証法的唯物論を論破してください。

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1考える名無しさん
「独我論を論破してください」という、スレッドは見つけましたが、
唯物論を論破してくださいというスレッドは見あたらなかったので立ててみました。
独我論のアンチテーゼは、唯物論で間違ってないですよね?

実践論としてのマルクス主義は破綻したといわれますが、
弁証法的唯物論もちゃんと論破されたのでしょうか?

少なくとも、独我論よりはムリがなく、わたしには納得できるような気がするんですが、どうでしょうか?
2考える名無しさん:01/10/24 15:16
つうか、弁証法的唯物論ってなに?

物質が弁証法的なの? よくわからん。
3考える名無しさん:01/10/24 15:39
>>2

倫理社会(今は言わない?)の教科書にすら載ってると思うYO!
「世界は物質の弁証法的発展であること」ってのでしょ。
4考える名無しさん:01/10/24 15:43
クーンのパラダイム論はどおよ?
5考える名無しさん:01/10/24 17:04
マルクス主義は大きく分けて、4つのカテゴリーに分類される。
すなわち、
@哲学としての弁証法的唯物論
A歴史観としての唯物史観
B経済学としての剰余価値学説
C実践論としての科学的社会主義

この4つを総合してマルクス主義体系という。
弁証法的唯物論は、哲学としてマルクス主義体系の一角を担っている。
6考える名無しさん:01/10/24 17:04
「実践論としてのマルクス主義は破綻した」のは、階級闘争を要素として
社会が構成されるという哲学的認識が破綻したからだ。もっと具体的に
言えば、そのような捉え方は、少なくとも「階級」がある程度固定されていて、
経済単位としての社会要素(つまり個人等)の属する階級が特定される場合だけに
意味があったと思われる。
この哲学的認識の破綻は、もうそのまま弁証法的唯物論の破綻だと言ってもよい。
何故なら、適用出来ない対象や例外(現代社会)のある思想は哲学と呼べない
からだ。結局、弁証法的唯物論は、矛盾する2者間の葛藤を前提しており、
その2者が、少なくとも葛藤が昇華する過程の間は固定され特定可能である
という場合だけに適用し得る。しかるに、現代社会に生きる我々が対象と
するものは、あまりにも速く変転し、それらの間に葛藤を保持し得ないもの
ばかりである。現代において弁証法的唯物論が思想として破綻している
ことは、現代を物語として捉えることが出来ないという事態に対応している。
7考える名無しさん:01/10/24 18:00
リストラと自己疎外とか、いまさらだが再考してもいい問題もあると
思うけどね。日本共産党の教条とは別個に個々人が考える問題として
だが。
8考える名無しさん:01/10/25 15:32
>>3
>「世界は物質の弁証法的発展であること」ってのでしょ。

いや、それぐらいはいちおう聞いたことがあるけど、
物質が弁証法的に運動するって、具体的にどういう現象をさすの?
9考える名無しさん:01/10/25 16:25
社会の基盤は物質(生産物)であり、物質の生産力が社会制度を決める。
つまり、生産力が低い社会は原始共産制。そこから生産力が高まるにつれて
奴隷制、農奴制、資本主義、社会主義へと発展していく。
弁証法に運動するとは、奴隷制であれば自由市民と奴隷。農奴制では農奴と領主
資本主義では資本家と労働者という相容れない矛盾する階級の対立の中で発展するということ。
なお、マルクスにおいては階級と個人と生産手段は区別されていないらしく資本家=資本(工場とか)として扱われている。
ある時期の制度が成熟してくるとその内部の階級対立の矛盾が激化して新しい制度に止揚される。
たとえば、農奴制の時代に生産力(領主の収入)があがるにつれて領主の土地の囲い込みなどが進み、
あぶれた農民が都市部に流れる=農奴制の矛盾として労働者が出現する。
そして、労働者という新しい階級が出現したことによって資本主義が成立する。
とまあ、こんな感じです。僕は経済学部だったけど
マルクスは専門ではないので、当時かじった唯物史観から
多分、唯物論もこんなところだろうと推測して書きました。
かなり痛い間違いしてる可能性もありますが・・。
格別、この唯物論の見方に反対はしないけど、
現実社会を見る際にはかなり慎重につかった方がいいです。
すくなくとも、世界には農奴制を経験せずに資本主義になった国もあるし・・。
物質文明だけで社会が発展してるわけでもないようだし。(唯物史観でタリバンは説明できないと思う。)
10考える名無しさん:01/10/25 17:32
>>6
いや、まあ、おっしゃるとおりだと思うんですけど、
階級闘争理論の破綻が、かならずしもそのまま《弁証法的唯物論》の破綻につながるってわけじゃないと思います。
《史的唯物論》が破綻したと言えてもね。

《弁証法的唯物論》は自然哲学としての側面もあるわけで、
1も、独我論のアンチテーゼとして語ってほしいみたいだから、もっとべつの論法で論破するべきでは?
113:01/10/25 20:28
>>8

弁証法的唯物論は、事物は矛盾する対立物
との統一・闘争を繰返すことによって
常に変化し発展するということ。
それを歴史、社会認識に適用したのが
>>9の言う唯物史観。
12nanashisann:01/10/25 21:04
弁証法的唯物論で言われる「矛盾」って,形式論理での矛盾ではなく,
小反対対等の場合が多いよね。

あと,その意味での「矛盾」即ち対立が新たなる段階の生成に不可欠,
というのは,対象認識の際若しくは対象の存在様式の想定に於いて,A
か非Aかが明晰である事を前提とする古典論理を,議論の前提におくか
存在に読み込んでいるかしている。

この論理の基本三法則に現実と言語とがともにそぐわない・妥当しない
事さえ一度理解すれば,弁証法などという大掛かりな概念装置は,事物
の生成・変化の説明の為には不要。
13考える名無しさん:01/10/25 22:19
いろいろ理屈はつけても所詮は反映論
14考える名無しさん:01/10/27 04:53
>>8
>物質が弁証法的に運動するって、具体的にどういう現象をさすの?

だから、卵からオタマジャクシになって、オタマジャクシからカエルになるみたいな。
種から若葉が出てきて、ひまわりの花になるとかいうのもそうなんじゃない?
15考える名無しさん:01/10/27 06:29
>>13
>いろいろ理屈はつけても所詮は反映論

それじゃあ、反映論じゃないものって、どんなのなんですか?
16考える名無しさん:01/10/27 09:56
>>6
>「実践論としてのマルクス主義は破綻した」のは、階級闘争を要素として
>社会が構成されるという哲学的認識が破綻したからだ。
さて、世界的な経済格差についてはどのように考えればよいのでしょう。
17考える名無しさん:01/10/27 13:38
>>16
あれれ、たしかにその通りだ。
階級闘争理論が破綻した。でも、経済格差はまだまだ広がっている。

これはどーして?
18考える名無しさん:01/10/27 15:46
>>16
だからこれからマルクスの読み直しがアツくなること間違いなし。
とはいっても生きた思想と言うよりは古典として。
19考える名無しさん:01/10/27 16:01
反映論
認識は客観的存在の意識への反映と見なす唯物論の認識論学説。
弁証法的唯物論では、認識は形而上学的唯物論が主張するよう
な対象の鏡面への映射に似た受動的なものではなく、自然および
社会への人間の働きかけ(実践)によって初めて成立し、感覚から
概念、判断、推理への前進は反映の発展であるとする。反映は
歴史的過程であり、無限に展開する実践によって絶えず深めら
れる。さらに、反映は客観的対象の反映であるばかりでなく、
認識主体の歴史的・社会的条件の反映でもあり、認識のゆがみも
これによって説明される。
20考える名無しさん:01/10/27 16:10
おいおいみんな。

「唯物論的弁証法」じゃないの? 反対じゃない?
21考える名無しさん:01/10/27 16:35
実際、アメリカなんかは弁証法的な国じゃない?
世界秩序を守ると同時に、局地的に非秩序的な事をしている。
じゃあ他の解決法を示せと言われても困るわけだけど、
弁証法批判を通じて現在の世界のあり方を変えるという扱われ方において、
弁証法にもそれなりの意義が見出せるのではないかね。

>>16
哲学は言葉の積み重ねだと思うけど、これまでの現代思想の大きな流れの一つとして
ヘーゲル批判という大きな基盤があった。たしかに、これからはマルクスがその位置に
とって変わるかも。
22世界@名無史さん:01/10/27 17:35
>>16
だから歴史を動かす力は、階級闘争じゃなかったってことだろ?
23考える名無しさん:01/10/27 17:42
>>20
ワロタ
24世界@名無史さん:01/10/28 04:59
>>23
えっ、なに?
25考える名無しさん:01/10/28 12:29
>>11
>弁証法的唯物論は、事物は矛盾する対立物
>との統一・闘争を繰返すことによって
>常に変化し発展するということ。

でも、これって、ただの「弁証法」でしょ?
どこらへんが唯物論と関係があるの?
26逆立ちするヘーゲル:01/10/28 15:22
ヘーゲルの弁証法は精神の弁証法で、弁証法的唯物論は物の弁証法を根本に据えて、精神をその単なる上部構造と見なすということでは?
27考える名無しさん:01/10/28 15:23
>>25
>でも、これって、ただの「弁証法」でしょ?
ちゃうよ、ただの弁証法は、対象がなんであってもいい。観念でも、論証でも。
「事物は」といった時点で物質(もしくは出来事)についての弁証法に限定される。
更に弁証法的唯物論は、(厳密にはごちゃごちゃいってるが要するに)観念といっ
た精神の側の絶対的自動性を否定する、という更なる限定を課す。
28考える名無しさん:01/10/30 07:00
>>27
なるほど、分かってきましたよ。
>観念といった精神の側の絶対的自動性を否定する
か。

でも、やっぱり哲学である以上、人間の精神からは独立できないのでは?
純粋に物質的なだけの運動とか、弁証法とかあるのかな?

あと、植物、動物だけでなく、石とか鉄とかの鉱物も弁証法的に運動するの?
29考える名無しさん:01/10/30 14:44
>>27
しかし、社会に働きかける人間の精神というものも無視できないのではないかね?
30考える名無しさん:01/11/01 05:17
ちゃんとした、唯物論者はいないのか?
なんか、レスつけてくれyo!
31基本的前提:01/11/01 05:54
コンピュータ発明以前の感覚では、
物質だけから思考能力や自由意志が出現することは、
説明できない謎だと思われていたんだよ。
だから、例えばデカルトは、決定論に従う肉体とは別に、
魂の存在を仮定せざるを得なかった。
エドガー アラン ポーに『メルツェルの将棋指し』
というエッセーがあるけど、これを読むと、
コンピュータ以前の感覚が良く判るよ。
弁証法的唯物論というのも、そういう感覚を前提にして、
思考能力や自由意志と物質科学を整合させようとしたレトリック
と位置付けるべきもの。
32考える名無しさん:01/11/01 10:12
論破するべきものっていうよりかは
生産的な批判をするものって感じじゃねえかな。
俺にはそんなことできねえけどさ(w
33世界@名無史さん:01/11/03 09:11
>>31
>コンピュータ発明以前の感覚では、

ということは、その当時の時代背景を配慮することが大事だということかな?
34   :01/11/03 09:34
資本論は、権力論なのですが、社会主義の権力者は都合が悪いので、
「資本家は悪い」に矮小化した解釈をする。
35考える名無しさん:01/11/03 17:20
唯物論的弁証法について論じたいのなら、三浦つとむの本をまず読むべし。
南郷継正の空手の本も、唯物論的弁証法の応用として非常に参考になる。
36基本的前提:01/11/03 21:45
>>33
そんなことは言わない。
何にでもあてはまる単なる常識だから、
わざわざ言ったりはしないよ:p
37名無しさん:01/11/03 23:12
>>36
いや、弁証法的唯物論が、近代になって成立したって言うことはやはり重要なことかもしれないぞ。
そして、現代にいたってはほぼ放置プレイされているのも。
弁証法的唯物論は、近代に生まれ、現代に捨てられてしまった。

これはいったい、なぜなのか?
38OFW:01/11/07 05:13
>>1
弁証法的唯物論は無謬の哲人スターリンの
創始した最高の哲学体系ですので、論破な
ど出来ません。
39考える名無しさん:01/11/07 06:09
>>38
スターリンすか?
じゃレーニンは
弁証法的唯物論じゃないっこと?
40名無しさん:01/11/07 07:29
>>38
OFWさんのにせもの発見!(w
41考える名無しさん:01/11/08 08:13
唯物論が成立する絶対条件として、
やっぱり、無機物から有機物をつくれるか? っていうことがあると思うんだがどうだろうか?

生命すら無機物で作り出せたら、それこそ唯物論の勝利だ!
42考える名無しさん:01/11/10 23:09
>41
そういえば、生命って、いちばん最初は物質から生まれたのかな?
43考える名無しさん:01/11/11 00:05
幽霊はなぜ怖い?
弁証法的唯物論で説明せよ。
44考える名無しさん:01/11/11 19:36
>43
あははっ、けっこう鋭い批判点かも。

幽霊はいない(科学的には)。
でも、幽霊の怖さはリアルだ。どー説明する?
45考える名無しさん:01/11/11 20:13
それは自分が怖いからだ。
46OFW:01/11/12 04:05
>>44
>幽霊はいない(科学的には)。
 むしろ、「私は一個の幽霊(Geist、精神)である」という認識が哲学的唯
 物論の始まりとなるでしょう。
 幽霊とは一つの仮象(Schein)つまり「あたかも存在するかのような存在」
 です。
 それは各人の身体に宿り、身体と共にあり、身体の活動が停止すれば消える
 はずのもの。
 社会的存在である人間の意識において明確にそれとして措定されるように
 なるが、「私」という言葉がそれを明確に指示している。
 幽霊はいる、それは私である、が正しい。
 「意識は存在に憑かれている」(マルクス)。
 (通常は、たとえば「悪霊が狐に憑いている」と言う。)
47OFW
>46
   誤:「悪霊が狐に憑いている」
   正:「狐(の霊)が娘に憑いている」